イレグイ号クロニクル Ⅱ

魚釣りの記録と読書の記録を綴ります。

初島沖釣行

2020年07月21日 | 2020釣り
場所:初島沖
条件:大潮 5:57満潮
釣果:ボウズ

帰りの電車の中ではコロナショックからこっち、毎日、「医療従事者の皆さま、暮らしを支えるために働いている皆さま、お勤めご苦労様でございます。」というアナウンスが流れている。

“暮らしを支えるため”・・。僕にはまったく縁のない言葉だ。毎日毎日気まぐれなおばさんに振り回されているだけだ。昨日の仕事はこんな感じだ。
① 「昨日お鍋送ってもらったんだけどひとつ要らなくなったのでそれを抜いて送りなおしてくれる?」「五つ買われているらしいのでひとつ返品で合計四つですね。」「いいぇ~。私は四つしか注文してないから三つ送ってくれた多いいのよ!」それを送った部署に聞くと、フライパンのふたも買っているから合計五つのはずでした・・。また電話して、「フライパンのふたもお買い上げいただいていませんか?」「あら、そうだったわね~」
②「高級メロンとスイカをセットにして送ってくれる。送り先はFAXしたから。」それからまた電話がかかってきて、「ウチにも同じもの送っといてくれる。それと、電話とFAXでこれまでもいろいろ注文してるからどこに何を送ったか整理してFAXしといて。」

だいたいこんな感じだ、それも思いついたように次から次と電話してきてあれもこれもと指示をしてくる。こんなに呆れたことを毎日やっている。毎日誰かに振り回されている。もうこれは丁稚の仕事以下だ・・。僕は毎日一体何をやっているんだ・・・、四捨五入して60歳になろうかという人間がやる仕事ではないだろうと思いながら毎日過ごしている。
まだまだある。
しょっちゅうかかってくる電話はまず自分が誰かを名乗らない。世界中の誰もが自分のことを知っているかのように思っている老人ばかりだ。そんな人を相手にしたあとはひどく落ちこむ。

世の中の仕事のどれくらいがあっても無くてもどちらでもいい仕事なのかはわからないけれども、ひとの役に立たないとわかっている仕事をあたかもこれは崇高な奉仕なのだというふりをしているのは甚だつらい。

給料をガクンと下げられ、会社としてはその給料に見合った仕事を与えてやっているのだと言いたいのだろうが、ひとはパンのみに生きているわけではあるまい。
永い期間に培った知識と経験に基づいた助言が思わぬ危機から組織を救うことがあるからこそ、老いても尊敬の念を抱いてもらえる。しかし、ここにはそんなもののかけらもありはしない。なにしろ僕が一番仕事を知らない。毎日何かしらこの書類のここが間違っていると指摘されている。
そういえば、いろいろな部署から来ていた電子メールもまったく来なくなった。来るのはなぜか旅行会社からの勧誘メールだけだ。これがなければ3日に1通あるかないかになってしまった。もう、僕は会社の中でも多分棄民の部類にはいってしまったのだろう。
社会からも会社からも必要とされないと感じるひとときだ。
そんなことを考えていると最初に書いたアナウンスをしらふで聞くのはつらいということになるので缶チューハイを買って電車に乗ることになる。




船の上でもこんなことを引きずっているからなのだろうか、まったく魚が釣れる気がしない。今日も初島を目指したけれどもボウズだった。これで3回連続だ・・。
前回は加太でダメだったし、去年のこの時期、ここはホウボウの巣じゃないかと思えるような釣果があったのできっと今年も釣れるのじゃないかと思ったけれどもまったくアタリはなかった。

去年の今日はというと、その1週間ほど前からも型のいいタチウオが釣れていた。今年はどうだろうかと考えてまずは水軒一文字沿いを流してみたがまったくアタリなし。



そのまま初島へ。朝は予報通り曇り空でおまけに霧が出ている。沖ノ島はここからはまったく見えない。GPSを頼りに針路を決める。



今日も落とし込み釣りの船が数隻浮かんでいる。そしてベイトの反応もある。



宮崎の鼻ではよく釣れているが初島はいまいちという話だが期待が持てるのだろうか。たとえ宮崎の鼻で釣れているとしても僕にとってはイスカンダル星に赴くよりもはるか彼方に思える。



そして、間もなく2隻の乗合船で竿を曲げているのが見えた。しかし、僕の竿にはベイトがときおり食いつくがそこから先にいかない。



ずっと気になっているのだが、竿の違いというものもあるのだろうか。ほかの船の釣り人の竿を見ていると、かなり細い竿を使っているようだ。多分ソリッドの穂先である。
それに対して僕の竿は大学生の頃に自分で作ったバス釣り用のヘビークラスのルアーロッドにシーバスロッドのグリップを無理やり継いだキメラロッドだ。ここから先は想像でしかないのだが、穂先の柔らかい竿に比べるとどうもエサ持ちがよくないような気がする。本命の魚に見つけてもらう前にベイトが外れてしまうのが釣れない要因のひとつになっているのではないのだろうか。それに、穂先が硬いとベイトそのものが食いついてくれる確率も下がってしまうのではないだろうか。去年はたまたま1回だけうまいこと釣り上げることができたがあれはまぐれだったのかもしれない。

アイザック・ウォルトンだったか、「釣りの世界では大人と子供に違いはない。違いがあるとすれば道具の差だけである。」と言っているが、ある程度までは道具によって釣果が左右されるということがあるのかもしれない。と、いうか、あってほしい。
そうでなければ釣れない理由がテクニックが未熟なことに収れんされてしまう。

タイラバもあちこち試したがこれもまったくアタリがなく、予報に反して日差しが強くなり忍耐の緒も切れてしまい午前8時半に終了。
今日は今年初めての真夏日になったそうだ。どうりで熱いわけだ。



もう、勝手に梅雨明け宣言をしたいくらいだった。

家に帰ってお昼ごはんまでに歯医者に行って釣具屋さんに向かった。もともと暇そうな歯医者さんもさらにコロナで暇になったのか、歯科衛生士のお姉さんは待合室で雑誌を眺めていた。ここはちゃっちゃと作業をしてくれるので廃業だけはなんとか回避してもらいたいものだ。

釣具屋さんに行ってどんな竿がいいのか聞いてみると、やはり7:3調子のソリッド穂先の竿がいいそうだ。安い奴では1万円くらいからある。ここは思い切って月末のポイント5倍デーの時に買ってやろうではないかと密かに決意を固めるのである。
久々にカタログも眺めてみたけれども、どれだけ種類があるのだというほどたくさんの種類の竿がある。これ、メーカーの人でも商品体系がわからなくなるのではないだろうかと思ってしまう。そんなに種類が必要か。人は誰でも2本しか腕を持っていない。この時代にアウォルトン卿が生きていたら、先の言葉をしみじみとのたまうのではないだろうか。
そして、僕にはきっと、「静かなることを学べ(learn to be quiet)」と諭しの言葉をくれるのだろう・・。

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