まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

夜行バス「ギャラクシー号」にて帰阪

2020年01月18日 | 旅行記B・東北

4日間にわたる年末年始紀行もようやく最終の夜となった。帰りに乗るのは福島・郡山~京都・大阪を結ぶ夜行バス「ギャラクシー号」である。近鉄バスと福島交通が運行しており、元日夜の福島~大阪便は福島交通の担当。ネット予約時に座席図を見るとちょっと変わった形だったので確認すると、2階建てタイプの車両とあった。

今回は郡山駅から乗る。改札を出るとイルミネーションが出迎える。その中に「楽都 郡山」とある。郡山は戦後の復興の中で音楽活動が盛んになり、市民の人たちの音楽への情熱がいつしか「楽都」に発展したという。その復興の様子は「東北のシカゴから東北のウィーンへ」と称されるそうだ。

駅前にもオブジェがあり、郡山で結成された音楽グループのGReeeeNの歌詞も紹介されている。今も地元の若者が集まり、イルミネーションとともにスマホカメラに収まっている。

コンビニで何がしか買い求めてバスが来るのを待つ。先に名古屋行きの便が来て、その後に大阪行きが来た。果たして2階建て車両だ。郡山駅からは10人あまりが乗車のようである。

今夜の座席は1階席の入口脇。2階は3列シートが並ぶが、1階席は1-2人掛けシートが2列だけ。その中の2列目の1人掛けシートである。前には先客がいるが後ろは席がないため、リクライニングも気を使わずに済む。もっともこの日はこのスペースが荷物置き場になっていて、そう深くはシートを倒せなかったが。

この先2ヶ所乗車停留所がある。消灯までまだ時間はあるし、通路向こうの2人掛けシートはまだ客がいない。夜行バスではタブーだが、カーテンを開けて外の景色を見る。スマホの位置情報ではまず国道4号線を南に向かっているようだ。

20分あまり走った須賀川で、1階席の通路向こうの2人席に男性が一人ずつ座った。この先須賀川インターから東北自動車道に入る。最後の矢吹泉崎バス停では乗客がなく、後はこのまま京都、大阪を目指す。1階席はちょっとした個室感覚で、夜行バスとはいえどもある程度は眠りのよい状態で一夜を過ごせそうだ。

22時すぎ、栃木県に入った那須高原サービスエリアで休憩。外に出られる休憩はこの1回だけということでほとんどの客が外に出る。トイレを済ませて土産物コーナーに向かう。

高原に近いサービスエリアということで乳製品や肉製品、洋菓子などが並ぶ中、やはり栃木~宇都宮ということで餃子の土産も並ぶ。そこで見つけたのが「ご飯にかけるギョーザ」の小瓶。こうしたものがあるのは初めて知ったのだが、発売以降テレビでもたびたび紹介され、ネットでも話題になっているそうだ。名前の面白さにひかれ、今回の旅の最後に思わぬ形で栃木土産も加わった。

餃子の餡をご飯にかけて・・というものだが、肉の代わりにおからを使っている。また歯ごたえの面ではピーナッツを使っている。餃子の風味はごま油とラー油。帰宅後にご飯にかけていただいたが、食感は餃子そのもので美味かった。また冷奴に乗せてもよかった。他にも薬味代わりに使えそうだ。

後は眠るだけである。1-2列シートのために3列シートよりも通路が広く取られているので隣を気にすることもない。まあ、それでも乗務員の休憩のために停車する時は目が覚める。スマホで位置を確認すると、1時半で東名高速道路の足柄サービスエリアだったが、その次が5時前で新名神高速道路の土山サービスエリアだったので、その間はしっかり眠ったようである。

定刻では京都駅着が6時23分とあったが、40分ほど早く到着した。ここで下車する客もそれなりにいる。

確か時刻表では名神大山崎、高槻、茨木を経由するとあるが、多客期ということで客扱いは行わないという。そのため京都駅からは第二京阪~近畿道~阪神高速東大阪線~環状線~守口線という変わったルートを通り、東梅田に到着。東梅田と、次の湊町バスターミナルでほとんどの客が下車した。

定刻では8時着のところ、40分早いままにあべの橋に着いた。ここで下車するのは私だけだった。終点はUSJということで、私のキャリーバッグだけをポンと下ろすと、そのままあっさりと行ってしまった。終わりは何ともあっけないものだった。

まだ7時30分にもなっていないが、百貨店の初売りを待つ客の行列が伸びている。構内には琴のメロディも流れる。正月朝独特の雰囲気である・・・。

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