まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

糖尿病教育入院生活・2

2009年08月14日 | ブログ
俳優の山城新伍さんが亡くなったという。
 
私のイメージでは時代劇や映画よりも日清「どん兵衛」のCMやトーク番組での毒舌というのが強く、また外見が私の父親にちょいと似ていてそれなりの親しみを持っていたのだが、最近全然テレビや映画でも見ることがなく、どうしていたのかと思っていた。
 
で、記事をよく見ると「糖尿病を患って車イス生活となってからはテレビにもほとんど出なくなり、老人ホームに入っていた」という。
 
ともかくも、ご冥福をお祈りします。
 
・・・・ここでも、糖尿病か・・・・。
さて、前の記事の最後に「蓄尿検査」のことに触れた。尿の成分を調べることで体内のさまざまな状況がわかるのだが、その一つに「尿中CPR(C-ペプチド)」というのがある。C-ペプチドは、すい臓でインシュリンが分泌される際にペアになって生成される成分なのだが、体内で利用されることはほとんどなく尿として排出されるというもの。このことから、一日分の尿の中のCPRの量を調べれば、血糖をコントロールするために一日にすい臓からどの程度のインシュリンが分泌されているかを調べることができるというものだ。
 
この蓄尿の結果は、7月19日からの検査入院では約90μg、そして7月27日からの教育入院時には2日間に分けて検査し、各日とも約55μgということだった。正常値が一日で40~110μgでありそれぞれ枠に収まっているが、数値が高ければそれだけすい臓が大量のインシュリンを分泌しようと「フル稼働」しているわけで、長い目で見ればそれだけ負担がかかっているということにもなる。一週間で数値が下がったのは、検査入院後インシュリン注射でいわば「援護体制」を取っているようなもので、すい臓自体はある程度楽にさせてもらっているといったところ。
 
数値が高いのも問題だが、それ以上に問題なのは尿中CPRが基準値以下の場合。これは自力で血糖をコントロールするだけのインシュリンが自力で分泌できていないということで、すい臓の「本当の病気」ということになる。こうした、すい臓機能に問題があるために血糖が高いというのは「1型糖尿病」といい、これは今後インシュリン注射は必ず継続しなければならなし、より厳格な血糖コントロールが求められることになる。
 
では私の場合はどうなのか。すい臓は正常に機能しているが血糖が高いというのは「2型糖尿病」という。インシュリンは出ているが、内臓脂肪やコレステロールなど他の要因によってインシュリンの機能が阻害されるもので、こちらは処置としてインシュリン注射を使用したとしても、自助努力により体質の改善がなされれば、注射の量を減らしたり、飲み薬だけで対応することもできる。もっといえば、薬に頼る必要がなくなることもある。
 
いわゆる「生活習慣病」のカテゴリーに入るのはこの「2型」。だから一口に「糖尿病」といってもタイプが分かれており、まずはこの検査を通して患者がどのタイプかを判定し、今後の治療方針を決めることになる。「あなたは典型的な2型ですから"安心"してください」と医師や、面会に来て検査結果を聞いた会社の保健指導員からも言われたが、「安心」というのも妙な心持ちやなあ。
 
さて入院中は尿、血液のほかにもいくつかの検査があった。腹部のエコー検査を受けたり、足に振動をあたえてどう感じるかをチェックしたり、眼科で検査したり・・・。
 
そのうちでも眼については、入院した病院でも眼底写真の撮影はしてくれたのだが、一度本格的にということで別の眼科医への紹介状を渡される。ただし、眼科ならどこでもいいというわけではなく、糖尿病性の眼疾患に対応できるところで検査する必要があるそうだ。病院の向かいにもあるのだが、こちらとセットで受診する患者が多く常に混んでいるため、気分転換も兼ねて電車で一駅移動する。
 
眼科では視力検査を終えた後に目薬を入れられた。これは瞳孔を開く役割があるもので、10分ほどすると眼鏡をかけているのに目の前がボンヤリして、電気がついているのに何だか薄暗く感じてきた。30分後に再び呼ばれて眼の中を顕微鏡カメラのようなもので覗き込まれる。眼にライトを当てられたが、まぶしいとかいう感じがしなかった。
 
しばらくして出た結果は「きれいな眼球ですよ(極度の近視なのはおいとくとして)」と言われ、今度は本当に安心する。しかし、一度開いた瞳孔はそういうものなのか、帰り道はぼやけた感じで危なっかしかったし、その日は一日中眼がぼやけた感じがして、テレビや本も見ることができなかった。これも普段ではなかなかできない経験だろう。
 
糖尿病と診断されて何が恐いといえば、高血糖状態が続くことで引き起こされる「三大合併症」である。網膜症、腎症、足の神経障害である。結局は血液循環の障害ということで、このまま放置しておけば最悪の場合はそれぞれ失明、人工透析、壊疽(故・村田英雄さんが足を切断したのは当時大きな話題だったし、山城新伍さんが車イス生活になったのも、おそらく足の神経障害で自由が利かなくなったのではないかと思う)である。そうなれば日常生活に破綻を来たすことになる。
 
幸いにも、私の場合、現時点ではこれらの合併症に関する所見は全くなく、その意味では「早期発見、早期治療」で助かったようなものだ。あとは定期的な検査をきちんと受けて結果をしっかり聞いておけば、当面の備えとしてはOKということだ。
 
いろんな検査の中で見えてきたもの。血糖値やHbA1cはもちろん重要な指標ではあり、一般人にもわかりやすい数字ではあるが、治療の目的は単にそれらの数値を下げるというものではなく、「合併症にならないために自分をどうコントロールさせるか」というのが根本にある。「血糖値を下げましょう」だけでは「面倒くさい」「別にええやないか」と流されてしまいがちではないだろうか。
 
そんな患者やその予備軍というのが国内に2000万人以上。総人口の6分の1以上という。私もその中に入ってしまったからエラソーなことは言えないのだが、私みたいになってほしくないし、仮になってしまったとしてもいろんな意味での「損害」を最小限に食い止めてほしい。そのためにも、もっと合併症を含めた啓発活動が行われてもよいのではないか。
 
山城さんの訃報記事に触れて、改めて思ったことである・・・・。
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