まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

こだまでしょうか

2015年01月09日 | 旅行記F・中国
いや、乗っているのはこだまでもひかりでものぞみでもなく、鈍行列車なのだが・・・。

「遊ぼう」っていうと
「遊ぼう」っていう。

「ばか」っていうと
「ばか」っていう。

「もう遊ばない」っていうと
「遊ばない」っていう。

そうして、あとで
さみしくなって、

「ごめんね」っていうと
「ごめんね」っていう。

こだまでしょうか。
いいえ、だれでも。

・・・2011年に発生した東日本大震災。20年前の阪神・淡路大震災の時もそうだったのだが、こうした大災害が起こるとテレビの一般CMは自粛され、AC(公共広告機構)のものにすり替えられる。1日中「エ~シ~」という効果音が繰り返され、ええ加減にウンザリとしてきたのを憶えている。

その東日本大震災の時にテレビで流れていたACの広告の中に、上の詩を読むものがあった。こういう教育とか道徳めいた内容が多いのがACである。ただ、繰り返せば繰り返されるほど、マスゴミのご都合主義というか、普段下らない情報ばかり流しているくせに、こういう時に上から目線で何を言っているのかというひねくれた反応をしたくなるのはどういうことだろうか。

それはさておくとして、この詩を作ったのは金子みすゞである。そんな詩人の名前が冠せられた列車で仙崎までやってきた。

仙崎の駅舎は木造の昔ながらの風情が残るが、改札を出ると一面の壁画が広がる。仙崎名産の蒲鉾の板をパネルとして貼りつけて、金子みすゞの肖像画が浮かび上がる趣向である。近くで見るとその1枚1枚にメッセージが書かれている。ただ中には文字が色あせて、その上から新たなメッセージが書かれたものもある。

さて「みすゞ潮彩」号でやってきた乗客の多くは、列車や駅内、そして外の駅舎を撮影するとその多くが折り返しの車両に乗っていた。実は私も仙崎から下関までの指定席券を持っている。これは、この列車に下関側から乗るか、仙崎側から乗るかがはっきりしていなかったことがある。同じ指定席を押さえているので折り返し便に乗ればそれだけ早く下関に戻ることができる。ただ、せっかく仙崎まで来たこともあり、それは見送ることとする。

さてどうするか。時間は結構あるので、まずは青海島めぐりの船乗り場まで歩くことにする。ただどうだろう。先ほどパラパラと降っていた雨が、仙崎に着くと結構強い降りとなった。おまけに風も強くなった。折り畳み傘を持っているので差すが、とてもじゃないが持たない。

そんな中、遊覧船の乗り場まで行くと、大晦日のこの日は運航見合わせである。まあこの雨風では致し方ない。そんな中でも土産物群は年内最後の商売をしており、「フェリーが出んで、お兄さん日が悪かったね~」などと言いながら、「せめて蒲鉾1枚でもええけ、買ってって~」「イカ1枚どうですか~」という掛け声が響く。

青海島めぐりができないというのは残念だが、折り返しの下関行きの「みすゞ潮彩」号は出発したばかりである。ならばせめて仙崎の町を歩くことにする。

駅から真っ直ぐ伸びるのは「みすゞ通り」である。一応は商店街をなしており、雨風の強い中ではあるが行けるところまで行くことにする。沿道の商店や家屋の前には、金子みすゞの詩を板やボードに書いたものが飾られており、天候が良ければそれらをじっくりと眺めながら散策できるのになと思いながら歩く。

そんな中でやってきたのが金子みすゞ記念館。年末年始は休館ということのようだが、通りに面したこの建物の玄関口を公衆トイレと休憩スペースということで開放されていた。ひとまず、傘を差していたも大いに濡れたのを乾かす。閉館なのに休憩スペースだけは開けていたのだなと思っていたが、旅から帰ってネットで調べると、何と年末年始も時間短縮ながら開館していたというではないか。中を見ずに仙崎を早々と後にしたことで、これは残念だった。正に、金子みすゞの「星とたんぽぽ」という詩の一節にある「見えぬけれどもあるんだよ 見えぬものでもあるんだよ」の境地である。

記念館のすぐ北に「角の乾物屋」という詩碑がある。「わがもとの家、まことにかくありき」というサブタイトルがついており、

角の乾物屋の塩俵、
日ざしがかっきり
もうななめ

二軒目の空屋の空俵、
捨て犬ころころ
もぐれてる

三軒目の酒屋の炭俵、
山から来た馬
いま飼葉

四軒目の本屋の看板の
かげから私は
ながめてた

その乾物屋とされたのはこちら。今は乾物屋というよりは、昔ながらの食料品や煙草を売る小ぢんまりとした店である。ここから2軒挟んだ4軒目が、金子みすゞの生家跡でもある記念館である。確かに実家は本屋をしていた。これは、四軒目の本屋の看板から通りの様子を眺めていた「私」を「もう一人の私」が見つめて詠んだものだろうか。そして、それは淋しかったのかどうなのか。なかなか詩からメッセージをくみ取るのは難しい。

ここまで来たところで、雨も止む様子もないし引き返すことに。本当なら青海大橋を渡ってすぐの王子山というところから見下ろす仙崎の町並みというのが随一の展望スポットというが、この雨では残念である。駅に戻り、待合スペースで力を取り戻す。

さて仙崎の支線にやって来る列車の本数は少なく、先の「みすゞ潮彩」の折り返し列車が出た後は、4時間近く列車の行き来はない。ならどうするか。幸い、山陰「本線」の駅で仙崎支線と美祢線とのジャンクションである長門市駅が近い。本数もそれなりにある。仙崎まで来て結局何を見るということもなく折り返しというのも辛いが・・・。

やってきたのはサンデン交通の子会社であるブルーライン交通のマイクロバス。実はこの2分後に、JTB時刻表の冊子にも載っている大型バスの発車もあったのだが、何だかあえてマイクロバスに乗ったという気分である。途中のルート経由の差で大型バスに追い越される展開となったが、ここはこういうマイクロバスで十分なのだろう。

総合病院や大型ショッピングセンターなどを経由して、20分ほどで長門市に到着。次の美祢線の厚狭行きが間もなく出発する。ちょうどセミクロスの120系・・・・。





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