かつての西鉄ライオンズのエースとして、「神様、仏様、稲尾様」とまで言われた稲尾和久さんが急逝したというニュースを朝のテレビで知り、びっくりしたものだ。
その球歴については今さら私が書くまでもなく、いろいろな場面で語り継がれていることである。昭和33年の巨人との日本シリーズでの「3連敗4連勝」、シーズン42勝、鉄腕、スライダー・・・。猛者揃いの西鉄、いやパ・リーグにあってその存在感というのは大きかったものだ。もちろん私は現役時代をリアルタイムで観ていた世代ではないのだが、野球解説者としてその声を聞いたり、マスターズ・リーグの福岡ドンタクズの監督としての堂々たる姿と往年の写真を重ね合わせて、改めてすごい投手だったんだなと感じるのである。
その名もズバリ『神様、仏様、稲尾様』(日経ビジネス人文庫)という本がある。西鉄入団から現役時代の輝かしい成績、そして「青年監督」としてボロボロになった西鉄~太平洋クラブの監督時代、その後プロ野球OBとしての貴重な提言・・・が詰まった一冊である。
この中では、稲尾投手が毎日、南海、西鉄からのスカウト攻勢にあっていたときに「毎日ってのは東京のチーム。もし何かあってもオレの伝馬船では助けにいけない。南海も大阪まで瀬戸内海をたどっても伝馬船では時間がかかる。福岡なら、何かあってもヤマ一つ越えれば行くことができる・・・」という、息子のプロ入りに慎重な姿勢を見せていた稲尾投手の父親がプロ入りを認めてくれた時の(おそらく、当時の親御さんも大なり小なりそのような感覚だったのだろう)エピソードなどもある。このエピソードに限らず、稲尾和久という人物と野球の関わりが淡々と書かれており、その野球人生や人柄を偲ぶことができる。
また、興味深いのは、稲尾氏は一時ロッテ・オリオンズの監督を務めていたのだが、それが当時川崎にあったロッテの「九州移転計画」の布石だったという話で、本人も結構その気だったということ。結局各方面の調整が不調に終わりこの話は流れるのだが、今のダイエー~ソフトバンクの人気を見るにつけ、もしその時にロッテが福岡に移転していれば、今のパ・リーグの図式もまた違ったものになったかもしれない。
それにしても、享年70歳とは今の感覚では「若くして」逝去ということになるのだろう。これでかつての「野武士軍団」の中心にいた選手がまた「伝説の人」となってしまった。後はこの大投手の偉業をさまざまな形で語り継いでいくだけである。
心より、ご冥福をお祈りします・・・・。
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