まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

第34番「四天王寺」~西国四十九薬師めぐり・4(津にも四天王寺あり)

2019年07月20日 | 西国四十九薬師

津駅を出て少し歩く。県庁所在地のある駅前にしては、飲み屋街もあるにはあるが少しさびしい感じである。津駅近辺はどちらかといえば官公庁のほうが多く、繁華街といえばここから南、近鉄で1駅先の津新町駅からも少し離れたところにあるそうだ。

駅から歩いておよそ10分、三重県庁の近くに四天王寺はある。通りには「四天王寺のお薬師さん」と大きく書かれたパネルがある。写っているのは薬師如来像で、国の重要文化財に指定されている。

四天王寺といえば聖徳太子が建てた、日本で最も古い時代に属する大寺として有名である。そして四天王寺と聞けばもちろん大阪の天王寺を連想するし、先日も新西国三十三所めぐりのイベントでも訪ねたところである。

今回四十九薬師めぐりをするにあたって、津にも四天王寺があることを初めて知った。大阪の天王寺から派生した寺なのか、それとも別の時代に建造されたたまたま名前が同じ寺なのかなと調べてみると、寺の言い伝えでは建てたのは聖徳太子その人とある。聖徳太子は物部氏との戦いの前に四天王像を刻み、「もし勝利すればお礼に寺を建てる」と必勝を祈願した。その勝利で大阪に四天王寺が建てられたのは歴史的に知られているが、津の四天王寺の歴史紹介では、聖徳太子は全国に「4つの四天王寺」を建てたといい、津の四天王寺はその中の一つだという。

四天王寺が4つ・・・これは初めて聞いた。何だか歴史ミステリーのようだ。そして今に伝わっているのが大阪の四天王寺と津の四天王寺である、というわけだ。こうなると残りの2ヶ所はどこに建てられたのか気になるが、不明のようだ。大阪の四天王寺は難波津に近く、日本が文化的に進んだ国であることをアピールする狙いもあってそこに建てたと思うが、伊勢の津の地を選んだのはどういう経緯だろうか。東国へのアピールもあったのか。はたまた、四天王寺が4つあるのは、四天王(持国天、増長天、広目天、多聞天)それぞれに一つあてがって畿内~紀伊半島の護りとしたのか。

そうした寺の歴史だが、聖徳太子が建造して以降、次に触れているのは江戸時代のことである。戦乱や兵火による焼失と復興を繰り返したが、江戸時代に津城に入った藤堂高虎、高次の保護により改めて復興し、現在に至っている。山門は当時の建物とあるが、本堂は太平洋戦争の空襲で焼失した後に住職の托鉢によって建てられたものである。コンクリート造りの立派なものだ。現在は曹洞宗の寺院で、定期的には一般の人も対象とした坐禅会も行っているそうだ。

扉から中に入ってお参りができる。結構広い畳敷きの広間で、曹洞宗の勤行集が置かれている。正面には本尊の釈迦如来像。札所めぐりでは真言宗や天台宗、あるいはそれらから派生した宗派が多いが、曹洞宗は珍しい。いつものお勤めのやり方でいいのかなと思いつつ、般若心経を唱える。般若心経は日蓮宗と浄土真宗以外ならOKと聞いたことがあるような。

その脇に祀られているのが薬師如来。平安時代の作とされており、幾多の戦火、太平洋戦争の空襲も生き延びた像である。案外小さな像だが、四天王寺が西国四十九薬師の一つになったのもこの像のおかげである。

境内を散策する。西国三十三所の本尊の石像もある。

また、「土俵人生がぶりより 琴風豪規」と書かれた石碑もある。琴風(今の尾車親方)がなぜ?と見ると、津の出身とあった。現役時代はケガにも苦しみながら、がぶり寄りを得意とした力士。また尾車親方としても多くの関取を輩出している。こうした、そこの出身の力士やプロ野球選手の記念碑の類に出会うのも旅先の楽しさの一つである。

境内に続いて広い墓地がある。永代供養の観音像も立つ。その中で、結構多くの人が墓参りに訪れていた。この日は7月14日、この辺りは7月にお盆を迎える風習があるのかな。

その墓地の一角に、織田信長の母・土田御前の墓がひっそりと立つ。本能寺の変で信長が亡くなったことを受けて、当時いた安土城を脱出、信長の子・信雄を頼って伊勢に逃れた。後に津城を構えた信包(信長の弟)の庇護を受けて生涯を閉じた。そうした人の墓があるのも、四天王寺の歴史の深さと言える。

一通り回って、バインダー式の納経帳用紙にて朱印をいただく。

そして、次に訪ねる札所を決めるくじ引きとサイコロ。本堂の外でアプリを操作すると・・、

1.大阪キタ(国分寺)

2.但馬(大乗寺、温泉寺)

3.海南(禅林寺)

4.大原(三千院)

5.三井寺(水観寺)

6.奈良市北部(般若寺)

・・あら、伊勢の次は但馬とかいう、西国四十九薬師めぐりのエリアを大横断する出目もある。私の札所めぐりはそれぞれ単独で、次に行ける機会があればその時に行けばいいのだが、これが今からそこに直接移動しなければならないルールだったらエラいことになる・・(と言いつつ、それもまた面白いだろうと思う自分がいるのだが)。

その中でサイコロが出したのは・・「1」、大阪市内。ふぅ・・。まあ、ここはここで手軽に行ける。

歩いて津駅まで戻る。早朝から特急に乗ったこともあり、三重県北部の2ヶ所を回ってもまだ13時半。時間配分はうまく行ったと思う。そして空いた午後の時間を利用して、津で今一番人気とも言われているスポットに行くことにする。ここに行くために早い時間に出て、石薬師のバスも早い時間に乗ることにしたとも取れるが・・・。

コメント    この記事についてブログを書く
« 第33番「石薬師寺」~西国... | トップ | 第34番「四天王寺」~西国... »

コメントを投稿