漂泊の自由律俳人・種田山頭火の句碑と庵(いおり)を、福岡県宗像市と山口市で観てきました。
〈松はみな枝垂れて南無観世音〉
この句を石に刻んだ碑は、9月21日に細君と訪れた宗像市神湊(こうのみなと)の隣船寺の境内にありました=写真①:午後4時30分撮影=。山頭火自身が句碑のために揮毫し、生前に建てられた唯一の句碑です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/74/a2/ca66cab544ce489f5c0f5bc8d2648fc8.jpg)
写真①:隣船寺境内にある山頭火の句碑
神湊の旅館「魚屋本店」の近くにある隣船寺=写真②=は、臨済宗らしい閑静なお寺です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2f/0e/7302038cd49d2589bca5100c6476c84c.jpg)
写真②:隣船寺
句碑は、バス通りから山門=写真③=を入ってすぐ左手の境内に建っています。そばにある説明板によると、碑は山頭火と親交の深かった当時の同寺第十六世(住職)田代宗俊和尚が昭和8年(1933年)に建立。山頭火が寺を訪れた当時、四方に枝を伸ばしていた「潜龍松」と呼ばれる老木の松は昭和50年(1975年)に枯れたが、その前にある観音堂は今も残っているそうです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6b/d7/79f0fb80f1840a1ec5c5a81bbe5620b8.jpg)
写真③:左脇に「山頭火生前唯一の句碑」と表示した石板のある隣船寺の山門
山頭火は明治15年(1882年)に山口県防府市に生まれ、酒を愛して句作と行乞の旅に生きながら、昭和15年(1940年)に死去。昭和7年9月から13年10月まで山口市小郡に結んだ庵「其中庵(ごちゅうあん)」で暮らしました。私は岳父の墓参で、細君と山口県へ旅行しての帰りの8月27日、義母や細君の妹夫婦と一緒に、復元された同庵を訪ねました=写真④:午前11時30分撮影=。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/12/bd/19a124a2113c5fa5cf9e1dc98b22655b.jpg)
写真④:山口市小郡に復元された「其中庵」
室内は、当時の模様を再現してあります=写真⑤=。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/00/5d/008502048fb39ccbe85c8664eefa6fc5.jpg)
写真⑤:「其中庵」の室内
山頭火は、法華経のなかにある「其中一人作是唱言」の言葉を好みました。災難に遭ったり、苦痛に苛まれた時、其の中の一人が「南無観世音菩薩」と唱えると、観世音菩薩が直ちに皆を救われ、悩みから解き放たれるという意味です。山頭火は、この一節の「其中一人」を自分に置き換え、その中の一人が住む庵として庵名にしました=写真⑥:其中庵の全景。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0e/95/b2b5ff8fbe49b94c2c854b3c2965ec90.jpg)
写真⑥:其中庵の全景。
大学時代の恩師の七回忌で墓参に山口市を訪れた3月11日、カメラに収めた同市湯田温泉にある山頭火句碑=写真⑦:午前8時35分撮影=は、ちょっとユーモラスで禅味を帯びた異色の句が刻まれていました。山頭火は、風雨で痛んだ「其中庵」を去り、昭和13年11月から同市湯田に移り住んでいたのです。
〈ちんぽこもおそそも湧いてあふれる湯〉
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/52/90/03d298579a3e3726b10531d1d9f783e6.jpg)
写真⑦:山口市湯田温泉にある山頭火句碑
〈鉄鉢の中へも霰〉
山頭火の代表句の一つ。玄界灘を望む福岡県宗像市の海岸線に約5キロ続く黒松林「さつき松原」付近で詠んだのではないか、と言われています。この句碑は、宗像市の北に隣接した岡垣町の真言宗寺院「成田山不動寺」境内にありますが、私はまだ訪ねていません。
山頭火の俳句は自由律でありながら、独特のリズムを持っています。詩人の所以でしょう。優れて自由な俳人の足跡が身近に伺えることは、うれしいことです。
〈分け入っても分け入っても青い山〉
〈しぐるるや人のなさけに涙ぐむ〉
〈うしろすがたのしぐれてゆくか〉
〈ほろほろほろびゆくわたくしの秋〉
〈年とれば故郷こひしいつくつくぼうし〉
好きな句です。己をメタ認知し、素直になっています。味があります。
◆隣船寺=福岡県宗像市神湊。℡:0940-62-0678。JR鹿児島線東郷駅下車、玄海交通バス神湊経由福間行きで20分。
◆成田山不動寺=福岡県岡垣町内浦の湯川山中腹。℡:093-282-1643。西鉄バス「波津橋」下車徒歩15分、JR鹿児島線海老津駅より車で15分。
〈松はみな枝垂れて南無観世音〉
この句を石に刻んだ碑は、9月21日に細君と訪れた宗像市神湊(こうのみなと)の隣船寺の境内にありました=写真①:午後4時30分撮影=。山頭火自身が句碑のために揮毫し、生前に建てられた唯一の句碑です。
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写真①:隣船寺境内にある山頭火の句碑
神湊の旅館「魚屋本店」の近くにある隣船寺=写真②=は、臨済宗らしい閑静なお寺です。
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写真②:隣船寺
句碑は、バス通りから山門=写真③=を入ってすぐ左手の境内に建っています。そばにある説明板によると、碑は山頭火と親交の深かった当時の同寺第十六世(住職)田代宗俊和尚が昭和8年(1933年)に建立。山頭火が寺を訪れた当時、四方に枝を伸ばしていた「潜龍松」と呼ばれる老木の松は昭和50年(1975年)に枯れたが、その前にある観音堂は今も残っているそうです。
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写真③:左脇に「山頭火生前唯一の句碑」と表示した石板のある隣船寺の山門
山頭火は明治15年(1882年)に山口県防府市に生まれ、酒を愛して句作と行乞の旅に生きながら、昭和15年(1940年)に死去。昭和7年9月から13年10月まで山口市小郡に結んだ庵「其中庵(ごちゅうあん)」で暮らしました。私は岳父の墓参で、細君と山口県へ旅行しての帰りの8月27日、義母や細君の妹夫婦と一緒に、復元された同庵を訪ねました=写真④:午前11時30分撮影=。
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写真④:山口市小郡に復元された「其中庵」
室内は、当時の模様を再現してあります=写真⑤=。
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写真⑤:「其中庵」の室内
山頭火は、法華経のなかにある「其中一人作是唱言」の言葉を好みました。災難に遭ったり、苦痛に苛まれた時、其の中の一人が「南無観世音菩薩」と唱えると、観世音菩薩が直ちに皆を救われ、悩みから解き放たれるという意味です。山頭火は、この一節の「其中一人」を自分に置き換え、その中の一人が住む庵として庵名にしました=写真⑥:其中庵の全景。
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写真⑥:其中庵の全景。
大学時代の恩師の七回忌で墓参に山口市を訪れた3月11日、カメラに収めた同市湯田温泉にある山頭火句碑=写真⑦:午前8時35分撮影=は、ちょっとユーモラスで禅味を帯びた異色の句が刻まれていました。山頭火は、風雨で痛んだ「其中庵」を去り、昭和13年11月から同市湯田に移り住んでいたのです。
〈ちんぽこもおそそも湧いてあふれる湯〉
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/52/90/03d298579a3e3726b10531d1d9f783e6.jpg)
写真⑦:山口市湯田温泉にある山頭火句碑
〈鉄鉢の中へも霰〉
山頭火の代表句の一つ。玄界灘を望む福岡県宗像市の海岸線に約5キロ続く黒松林「さつき松原」付近で詠んだのではないか、と言われています。この句碑は、宗像市の北に隣接した岡垣町の真言宗寺院「成田山不動寺」境内にありますが、私はまだ訪ねていません。
山頭火の俳句は自由律でありながら、独特のリズムを持っています。詩人の所以でしょう。優れて自由な俳人の足跡が身近に伺えることは、うれしいことです。
〈分け入っても分け入っても青い山〉
〈しぐるるや人のなさけに涙ぐむ〉
〈うしろすがたのしぐれてゆくか〉
〈ほろほろほろびゆくわたくしの秋〉
〈年とれば故郷こひしいつくつくぼうし〉
好きな句です。己をメタ認知し、素直になっています。味があります。
◆隣船寺=福岡県宗像市神湊。℡:0940-62-0678。JR鹿児島線東郷駅下車、玄海交通バス神湊経由福間行きで20分。
◆成田山不動寺=福岡県岡垣町内浦の湯川山中腹。℡:093-282-1643。西鉄バス「波津橋」下車徒歩15分、JR鹿児島線海老津駅より車で15分。