パンだけで生きることができるか

 「さて、イエスは、悪魔の試みを受けるため、御霊に導かれて荒野に上って行かれた。
 そして、四十日四十夜断食したあとで、空腹を覚えられた。
 すると、試みる者が近づいて来て言った。「あなたが神の子なら、この石がパンになるように、命じなさい。」
 イエスは答えて言われた。「『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる。』と書いてある。」(マタイ4:1-4)

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 「人はパンだけで生きるのではない」という箇所だけが一人歩きしている聖書箇所。
 姪が就活中にこの言葉を使って、いやそういう意味じゃないと返したことがある。
 ところが、逆に、もっぱらパンだけで生きているような人が数多くいるように見えてならない。
 パン、それと情報だけで生きているこのような人たちは、すべてを物質的に捕らえているのだろうか。

 物質的な部分というのはやはり大切で、食うために働くこともまた大切だ。
 だがそれだけでは立ちゆかなくなってしまうのだ、かつての私のように。
 神の口から出る一つ一つのことば、いのちのことばという、物質的なところからおよそかけ離れたものが、人には必要不可欠なのである。
 頭の理解をはるかに超える絶対者がおられるということが分かることが必要なのであり、このことが「神の口から出る一つ一つのことば」としてイエスの口からこぼれ出る。

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 イエス様の平安がありますように!

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