ペテロはなぜイエスに声を掛けられたのか ペテロはなぜすぐ従ったのか

 「イエスがガリラヤ湖のほとりを歩いておられたとき、ふたりの兄弟、ペテロと呼ばれるシモンとその兄弟アンデレをご覧になった。彼らは湖で網を打っていた。漁師だったからである。
 イエスは彼らに言われた。「わたしについて来なさい。あなたがたを、人間をとる漁師にしてあげよう。」
 彼らはすぐに網を捨てて従った。
 そこからなお行かれると、イエスは、別のふたりの兄弟、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネが、父ゼベダイといっしょに舟の中で網を繕っているのをご覧になり、ふたりをお呼びになった。
 彼らはすぐに舟も父も残してイエスに従った。」(マタイ4:18-22)

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 イエスが歩くガリラヤ湖のほとりには、多くの漁船が並び持ち主たちが手入れをしていた。
 その中で、イエスはペテロ、アンデレとヤコブ、ヨハネに声を掛け、彼らは仕事も何もなげうってイエスに従う。
 ここで、イエスとこの4人には、計算とか打算とか因果とか、そういう合理的なものは見られない。
 イエスがこの2組に声を掛けたことに理由はなく、大勢の人の中、たまたまイエスの目に入ったからだ。これが恵みである。
 そして声を掛けられた4人がすぐさまイエスに従ったのは、「すばらしい値うちの真珠を一つ見つけた者は、行って持ち物を全部売り払ってそれを買ってしまいます。」(マタイ13:46)とある通りである。
 イエスが戸をたたいて私たちのもとを訪れるとき、私たちはすべてを捨ててイエスに従う。
 信仰とは自ら選ぶものというよりも無理矢理選ばされる類いのものであり、上の聖書箇所にはこのことがよくあらわれている。

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[一版]2021年12月26日
[二版]2024年 7月 6日

 イエス様の平安がありますように!

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