汚れの系図

 「アブラハムの子孫、ダビデの子孫、イエス・キリストの系図。
 アブラハムにイサクが生まれ、イサクにヤコブが生まれ、ヤコブにユダとその兄弟たちが生まれ、
 ユダに、タマルによってパレスとザラが生まれ、パレスにエスロンが生まれ、エスロンにアラムが生まれ、
 アラムにアミナダブが生まれ、アミナダブにナアソンが生まれ、ナアソンにサルモンが生まれ、
 サルモンに、ラハブによってボアズが生まれ、ボアズに、ルツによってオベデが 生まれ、オベデにエッサイが生まれ、
 エッサイにダビデ王が生まれた。ダビデに、ウリヤの妻によってソロモンが生まれ、
……
 ヤコブにマリヤの夫ヨセフが生まれた。キリストと呼ばれるイエスはこのマリヤからお生まれになった。」
(マタイ1:1-6,16)

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 イスラエルの民は系図を非常に大切にすると聞いた。
 それで、マタイ福音書の冒頭に、イエスへと至る系図が書かれたのだろう。
 この系図の中には、まあ何の意味もない固有名詞もある。たとえば「エスロン」とか。
 だが、キーパーソンといえる固有名詞が多い。

 まず、アブラハム。
 全てのイスラエルの民は、信仰の父アブラハムを、父として持つ。
 イエスもその例にもれませんよ、上の系図はそのことを言い表す。
 「ユダに、タマルによって」、タマルはユダと近親相姦してしまう(創世記38章)。
 ラハブは遊女(ヨシュア記2章:ただ、ラハブが遊女であるということ以上のことは、書かれていない。)
 ルツ。ルツ記のルツだが、彼女はイスラエルの民ではない。異邦人で、アブラハムを父として持っていない(モアブ人)。
 そして、「ダビデに、ウリヤの妻によって」の箇所。
 このひと言には、幾つもの意味がある(2サムエル11章-12:23)。
 ダビデは自らの権勢によって、ウリヤの妻を姦淫する。
 そして自軍の兵ウリヤを謀略にかけ、敵陣中央に孤立させて戦死させる。

 イエスはアブラハムの子孫として、受肉された。
 その肉の系図は、ダビデやソロモンに連なる威風堂々としたものというよりも、数々の罪にけがれて異邦人の血さえ混じったもので、一見、神の子イエスのまとう肉には、およそふさわしくないものと感じさせる。
 ところが神は、イエスにこの肉をまとわせられる。
 罪にまみれた肉、純血さからも程遠い。

 それは、すべての人が罪にまみれ、どの人も清くなどないからである。
 その人々を罪から救い清めるために、イエスはその汚らしい肉で覆われた。
 それは、その自身の肉を最高刑たる十字架ではりつけ、全うするということによって成し遂げられる。
 そしてイエスは復活する。
 もしその人が信じることができるならば、その人のアダムの肉は、神がお赦しになられたのである。
 この赦しを得させるために、イエスの系図は汚れがことさらに強調された。

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