職員室通信・600字の教育学

小高進の職員室通信 ①教育コミュニティ編 ②教師の授業修業編 ③日常行事編 ④主任会トピックス編 ⑤あれこれ特集記事編

屋根裏のブロガー。まだ無線ランの電波強度を確かめていないが適切であれば、屋根裏部屋からブログの更新を

2010-05-31 14:22:09 | Weblog

10.05.31 まだ無線ランの電波強度を確かめていないが適切であれば、屋根裏部屋からブログの更新を




◆ここ数日、物理的&精神的エネルギーの大半を、古書店DAKAの解体作業に費やしている。
 古書&資料を8箇所、すなわち、8つの異なる空間、照明の下に分散。

 昨日は、その8つ目の場所=「屋根裏部屋」での作業。
 階段の昇り降りを伴う書架&書物の移動もたいへんだったが、それ以上に、いちばん高いところで高さ1メートル10センチ、低いところで90センチ(反対側は70センチ)という屋根裏での中腰や座ったままの作業がきつかった。
 腕がしびれ、汗がドッとふき出る。




◆8つ目と7つ目は、まだ作業の途中だが、古書店DAKAの解体に関して、アトランダムにメモ。

(1)これまで「古書&資料の配置・配列=わたしの精神の構造」と言いつづけてきた。
 休日の朝、古書店DAKAに入ると、障子から差しこむ陽の光で書棚に濃い陰影ができている。
 それは、まるで自分の魂の内側のようだった。
 魂の内側に沿って底へ底へと降りていくと、高校生の頃、はじめて堀辰雄に、太宰治に、江藤淳に、高村光太郎に接したときの気持ちが蘇る……ということがあった。
 解体により、堀辰雄&江藤淳は、ドアを2枚隔てた15メートル先の空間に、太宰治は、ドアを1枚隔てた8メートル先の空間に移動した。
 これによって、わたしの思考にどういう影響を与えるのか?……プラスかマイナスか? あるいは何もないのか?……少しだけ楽しみにしている(^_^)v。

(2)現時点の感じ。
 粗くいうと、さっき、ガランとしたDAKA古書店内の隅にある、いつもの木製、折りたたみ式の、ハンモック風、肘掛け椅子に身を沈め、書架がなくなった白い壁→壁→壁を見まわしていたら、人生の時空間の移動中に突然、チャートを喪失したような頼りなさ……と、それとはまったく逆に、自分をがんじがらめに縛っていた歴史的な精神構造から脱出したような開放感とがあった。

(3)上記と密接不離のことだが、これまでの古書店DAKAの解体により、自分の精神の内部を、お客さんの視点で見直したり、あるいは、自分の精神の内部にお客さんと同じ視点を有しつつ存在してみるということが出来なくなってしまった。
 これは残念だ。
 しかし、だからといって、元の古書店DAKAの形態に再び戻ることは、絶対にない(ノ△・。)。

(4)屋根裏部屋では、まだ無線ランの電波強度を確かめていないが、強度が快適の範囲であれば、近いうちに、屋根裏部屋からホームページやブログの更新をしてみたい(*^_^*)。

(5)上記との関連だが、屋根裏だけでなく、他の7つの空間からも、もちろん、ブログの更新は可能だ。
 これは、(1)でいった「楽しみ」と同じだ。




◆人生の分岐点
 前回の記事(5/27)の末尾、「○年○月○日」の最後が「ま、まず、1ヵ月間、横書きをつづけてみよう」だったが、Diary原本には、それにつづいて次のような記述がある。

 「横書きDiaryの記述の場所を、僕の部屋だけに限定せず、職員室でも、教室でも、居間でも……と、拡大する。」

 これには補足が必要だ。
 職員室で私的なDiaryを書くという意味ではない^^;。
 職務上の学習指導案、研究報告等々、すべて横書きDiaryに含む……ごった煮状態……という意味だ。
 この「ごった煮」作戦については、また日を改めて触れることにするが、「僕の部屋だけに限定せず、職員室でも、教室でも、居間でも……」は、今回の古書店DAKA大解体と関連があるのかもしれない。

 ○年○月○日

 朝、神社に参拝。
 昨年の破魔矢を供え、新しい破魔矢をもらう。
 僕、鶴子、千早、光太郎、柏手を打つ。
 僕の願い。
(1)(引っ越しに伴い)千早が新しい学校にうまく通えますように。
(2)鶴子にも、千早にも、光太郎にも、新しい年が平安でありますように。
(3)僕の身体がよくなりますように。
(4)「横書きDiary」が実り多いものになりますように。

 鶴子や、千早や、光太郎の願い事は、何だろうか?
 おおよその見当はつく。
 それを「おおよそ」のまま、そっと自分のうちの空間に保存しておく。
 去年もそうだった。
 いつもそうだ。
 家族というのは、こういうものかもしれない。

 神社の帰路、書店に寄る。
 千早は『不思議の国のアリス』、光太郎は『林の虫たちの1年』を買う。

 午後6時~午後11時、TVで「戦国時代物」を観る。
 実にくだらない。
 年末の「幕末・維新物」もそうだった。
 どちらも「時代」の描き方が安易。
 だだ、「時間」を流しているという感じ。
 歴史の受験参考書を読み飛ばしている感じ。
 話し方が稚拙なために、自分の思いや真意が相手に伝わらないことが、僕の場合、よくある。
 それより悪い。
 たとえば、勝海舟と榎本武揚の意見対立……これを討議・討論・論争のカタチで描いている。
 が、単なる言い合いの姿・言い合いの内容では、「時代」は決して見えない。
 スイカを真っ二つに割って、真っ赤な断面を見せるように、「時代」を見せなければいけない。
 それが出来ていない。

 ああ、僕の教育の仕事も同じ……。

 猛烈に食欲あり。
 朝は餅(醤油焼き&あんこ餅)。
 昼は雑煮。
 夜はお好み焼き。

 ○年○月○日

 朝、雑煮を食べてから、千早、光太郎と公園に行く。
 一回りしてから、公園を出、もっと奥へと入ると、墓地があった。
 改修された墓地で、崖際にキャラメルのように墓石が並べられている。
 この改修工事のとき、鶴子といっしょに、ここに来たことを思い出した。
 千早や光太郎が生まれる前のことだ。
 夏の夜、盆踊りなどやらない場所から、盆踊りの歌が聞こえるので、懐中電灯で夜道を照らし、音を頼りに近づいていった。
 墓地改修に伴う供養の盆踊りで、まばらな踊り手が「なにやどやれ」を踊っていた。

 崩れて転がり出ている墓石もある。
 「昭和七年五月四日 永子 一才」
 「幸太郎」という名前も目に入る。
 転がって斜めになっていた。
 没年齢二十三歳。

 「光ちゃんも、死んだら、ここに来るんだ」というと、怖がって、僕の手を握った。
 家に着くまで、ずっと握っていた。
 ほどいてもほどいても、すぐ握り返してきた。

 夜、TVで「イス取りゲーム」をやっていた。
 音楽に合わせて、イスのまわりを、おどけて、まわっている。
 おどけて……ではないと思うけれども、他の適当なことばが見つからない。
 いつか音楽は止まる。
 止まる瞬間を待って、グルグルまわっているのだ。
 自分の姿を見るように、TVの人々を見る。
 音楽は、いつまで待っても止まらないかもしれない。
 止まらなかったら、僕はずっとこのまま、こうしておどけて、イスのまわりをまわりつづけなければならないのだろうか?
 そうなったとき、いったい、だれが「ゲーム」の終わりを宣告してくれるのだろうか?
 僕なのだろうか?
 それとも僕以外の誰かなのだろうか?
 僕以外の誰かだとすれば、それはいったい誰なのだろうか?



関連記事 ・魂の内側に沿って底へ底へと降りていくと、JR八戸線の旅も、七百とか古町とかの温泉計画も、はなむけ号
自分の精神の内部をお客さんの視点で見直してみる
気晴らしに自分の精神の内部をお客さんの視点で見直してみる、あるいは息抜きに自分の精神の内部にお客さん

★画像=散歩コースの、こころはろばろ/スラバヤ沖/バタヴィアの沖/神社の森で撮影(RICOH・CX3)。


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人生の分岐点がむき出しになっている。書架の前に腰をおろすと魂の内側に沿って底へ底へと下降していく

2010-05-27 14:54:53 | Weblog

10.05.27 人生の分岐点がむき出しになっている




◆「保存」か? 「処分」か?……なかなか決断できず、難航していた、ある書架の解体について、昨日、作業を断行。

 ずっとずっと以前に、「書棚の書物の配置&配列=自分の精神構造」と書いたことがある。
 書棚の書物の配置&配列は、「文学」「教育学」「国語」「自分の作品」等……と、一応はジャンル別分類になっているのだが、まだ未整備であったり、あるいは、ジャンル内で偶然が重なったりして、わたしの高校時代、大学時代前半、後半、教師スタート期、中期……と、わたしの時代の層がクッキリと見える場所がある。

 人生の分岐点が、むき出しになっている。
 書架の前のイスに腰をおろすと、魂の内側に沿って、底へ、底へと下降していく……。
 保存か処分かで逡巡していた書架は、まさに、そういう場所だった。

 ○年○月○日

 学校に行く。
 日直代行員のおばさんしかいなかった。
 印刷室で資料のコピーを済ませたあと、
 僕「1年間、お世話になりました」
 おばさん「どうか、よいお年を」
 帰宅し、昼食。
 その後、子どもたちと庭と家のまわりのゴミ拾いをする。
 落ち葉。
 木屑。
 枯れ枝。
 紙屑。
 午後、2Fの自分の部屋にとじこもり、一昨年のDiary→昨年のDiary→今年のこれまでのDiaryと、一気に読み通す。
 「教育」に対する姿勢が、徐々に変化してきている。
 変化は、もちろん教育の他にもある。
 しかし、これがいちばん重要だ。
 「変化」が積み重なり、「逆転」に至っている。

 一昨年では、「教育」と「僕」とのあいだに、一定の距離がある。
 「教育」は、ライフワークである『反響』地図を完成させるための「材料」でしかない。
 昨年では、「距離」を取ろうと、必死に、努力している。
 「教育」は、ライフワークである『反響』地図を完成させるための「材料」でしかない……と自身に言い聞かせている。
 昨年の後半では、「距離」が消滅している。
 そして、今年のはじめのDiaryには、あっと息をのむような記述が登場する。

 〈仁科の詩を、僕の「国語の授業」に教材として登場させるのだ。〉

 仁科の詩は、あるいは、仁科の詩ととわたしとの関係は、『反響』地図の中核をなす思想だったのだ。
 『反響』地図と教育が、融合している。
 いや、『反響』地図が、教育の「材料」になっている。
 遂に、逆転しているのだ。

 ○年○月○日

 鶴子たちは、実家へ行った。
 今、午前10時。
 光太郎はクリスマス・プレゼントのロボットの箱を抱え、千早もプレゼントのオルゴールをいれた籠をさげて、出かけていった。
 あとで玄関を見たら、その籠が下駄箱の上に置いてある。
 出がけに、戻ってきた千早の声が玄関でしていたが、籠を置きに帰ったのだろうか?
 それとも、何か忘れ物を取りに戻り、今度は籠を置き忘れてしまったのだろうか?
 ひとりで居間でコーヒーを飲む。
 太陽が射し込み、江戸錦の水槽のなかで光の環が揺れている。
 FMを聴く。……

 新しい年には、いくつかシステムを変更するつもりだ。
 今、その1つについて書く。

 〈「縦書きDiary」から「横書きDiary」へ〉

 理由。
 他の文章(たとえば、保護者や他の教師への通信文、校務の報告書、研究報告書、学習指導案……)で、今、縦書きを使うことは、ほとんどない。
 国語の試験問題と、国語の授業記録と、僕の私的な書簡くらいのものだ。
 もちろん、それだから……と考えているわけではない。
 「それだから……」に近いのだけれども、しかし、微妙に違う。
 どう違うのか?
 スイカを真っ二つに割ったようにうまく説明する自信はないが、あえていえば、(今、これは横書きで書きはじめている。これまでは縦書きで書いていた。強い抵抗感&違和感がある……という)「縦書き人間の自分」を、この際、捨ててしまおうと考えている。
 こういう変更は、他の何に似ているだろう?
 左側通行から右側通行へ?
 喫煙者から禁煙者へ?
 大日本帝国から日本国へ?
 古いペンから新しいペンへ?

 くわえて、昨日の「逆転」とは、どんな関係があるのだろうか?
 また、『反響』地図の消滅とは、どんな関係があるのだろうか?

 ま、まず、1ヵ月間、横書きをつづけてみよう。



関連記事 ・断っておけばよかったと後悔している。この滑落は、ある程度、予測できたので、いったんは断ったのだが

★画像=散歩コースの、こころはろばろ/スラバヤ沖/バタヴィアの沖/神社界隈の風景(RICOH・CX3)。

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テスト返却のとき、生徒YとZが教卓のところにやってきて「わたしのが×で、Zさんのが○なんですけど……

2010-05-25 15:21:01 | Weblog

10.05.25 テスト返却のとき、生徒YとZが教卓のところにやってきて




◆先日から継続している、古書店DAKAの大解体作業が、難所にぶつかった。
 ある、ひとつの書架に収まっている書物&資料の「処分か? 保存か?」の判定がむずかしい。
 いったん「処分」と決めて、1、2時間後に、もう1度見直したら「保存」と判定が変わってしまう。
 その逆もある。
 国語の試験問題で、「AとBの違いを40字以内で説明しなさい」という設問がある。
 採点のとき、(1)32文字以上 (2)これとこれとこれに触れていること……などと、細かな基準を設定して、○×とやっていくのだが、ギリギリ○の解答と、ギリギリ×の解答の差は微妙だ(補足=わたしの採点に△はない)。
 返却したとき、生徒YとZが教卓のところにやってきて、2枚の解答用紙を並べ、「わたしのが×で、Zさんのが○なんですけど……、でも、わたしのもZさんのも同じことを書いているんですけど……」と。
 何度、読み直しても、Yの言う通りだった^^;。
 汗が出た^^;。
 「ゴメンm(_ _)m。ほんとうに、その通りだm(_ _)m」
 こうことが1回あった^^;。

◆処分か? 保存か?……と悩んでいたら、この採点ミスを思い出した。
 経験的にいうと、こういうときは「保存」がいい。
 「処分」して、後々、後悔したことが何度かある。

 ただ、しかし、これだと解体作業は、もう、これ以上、進まなくなる。

 ということで、本日の解体作業は中断し、玄関先で、苦手なノコギリ、金槌、メジャーを持ち出し、額に汗し(*^_^*)、解体した書架の木っ端で、小さなテーブルを作る。
 古書店DAKAには、来客にお茶を出すテーブルがなかったのだ。

◆今、完成したテーブルで、コーヒーを飲んでいる(^_^)v。

 先日(5/23)、解体作業中に、思わぬ書物&資料に再会し、読みふけることがある……と書いた。
 昨日、夕刻もそうだった。
 ある理由で「処分」が決定している、わたしの「Diary」だ。

 人生には、いくつかの分岐点がある。
 それは、決してひとつではない。
 かといって、6つも7つもということはない。
 ま、3つか4つだろう。
 再会したDiaryは、その分岐点の只中にあった。
 もちろん、記述している「わたし」も、うすうすはそのことに気づいている。
 しかし、はっきりとした「意味」はわかっていない……。

◆ある年の12月のDiaryの記述。

〈12/01〉
 最近、文章を書いていて、書いていることや、その書き方が「つまらない」と思う。
 ときどき思うのではない。
 よく思う。
 そう思ったとき、武田泰淳や村上春樹の文章を読もうとする……ところが、僕にある。
 きょうも、向かいの席の、K教諭の、机の上の『ダンス・ダンス・ダンス』を、ふと手に取り、2、3行眺め、自分のクセに気づき、すぐに『ダンス・ダンス・ダンス』を閉じた。
 よくわからないが、今、どう書くか?……ではなく、「つまらない」ことそれ自体を、直視しなければならないのだと思う。
 しかし、「直視」するとは、どうすることなのか?
 直視しなければならないのはわかるが、それは具体的にどうすることなのか?
 武田や春樹を、手に取らないことか?
 そうかもしれない……。

〈12/03〉
 朝から、僕は、ある気分を抱えながら、ソファーに寝転がり、バッハのブランデンブルグ協奏曲を聴き、金魚の水替えをし、TV『ハチ公物語』を観ていた。
 そして、今、前後の脈略なしに、その「ある気分」の正体がわかった。
 「『分身』を喪失した感覚」。
 これは、間違い、ない。

 一昨日、うまく言えなかったこと……、ごまかしてしまったことが、整理していえそうに思うので書くことにする。

 手がかりは、昨年の「12月」と今年の「12月」の「違い」だ。
 昨年の「12月」には、『反響』地図がある。(註 『反響』地図=当時書いていた『反響』という小説の舞台の地図)
 今年の「12月」には、それがない。
 地図が「ある」ことと、ないことの違いは、何か?
 地図があるということは「地図の中で呼吸する、僕の『分身』が存在」するということだ。
 今年の「12月」は、この「分身」を否定している。

 これまで、これがはっきり理解できずにいた。
 だから、ずっと「喪失感」を感じていたのだと思う。

 去年の「12月」に、千早と光太郎をソリに乗せ、引っぱっていたのは、「僕」ではない。
 「僕」の分身「平岡」だ。
 千早と南部バスに揺られていたのは、「僕」ではなく、「平岡」だ。
 くどいようだが、もう1度いう。
 今度の「12月」には、分身「平岡」はいない。
 さっきから、こうして2学期末「通信表」のコメントを書いている「僕」しか存在しない……のだ。

 この「僕」を直視しつづけること……。(つづく)

関連記事 ・地図の中は、めずらしく大雪だ。ソリ(プラスチック製。赤色)に、千早と光太郎を乗せて、散歩する。
20数年前の闇が割れ、ロボットが忽然と現れ出てきたという感じ
ガラスの破片のように散らばったわたしを必死に結合しようとしているのが、このホームページかもしれない

◆画像=散歩コースの、こころはろばろ/スラバヤ沖/バタヴィアの沖/神社界隈の風景(RICOH・CX3)。


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古書に手を触れるときは神経を使う。古書の経歴・前歴・素性が気になるからだ。便所に常備してあったモノ

2010-05-23 12:34:25 | Weblog

10.05.23 古書処分。今、このわたしがつらい決断をしたほうがいい




◆DAKA古書店の店主=古本屋が、つじつまの合わないこと……、アホなこと……、あきれてしまうようなことをいうようだが、自分の店以外の、古書に手を触れるときには、かなり神経を使う。

 その古書の経歴・前歴・素性が、スゴク気になるからだ。
 便所に常備してあったモノかもしれない。
 ネコの毛。
 ネコのおしっこ。
 ま、犬も同じだか……^^;
 食べながら本を読む人もいる……^^;
 ま、その他、その他……例をあげればきりがないし、あげているうちに、気分も悪くなるので、省略する……。
 堀辰雄『晩夏』(甲鳥書林・昭和16年)。
 これは、DAKA古書店の重要な書物だが、一箇所、気になるシミがある。(下記関連記事参照)
 1度気になると、もう、その懸念・気がかり・強迫観念はぬぐえない。
 残念だ^^;。

 話は少しそれるが、同じ理由で、バイキング料理は、一切、手にしない、口にしない。
 取り皿を持つまではいい。
 しかし、トングを手にすることができない。
 同じく図書館の本も利用しない。

 ま、何をいいたいのかというと^^;^^;、こういう店主が経営するDAKA古書店の古書は、安心・安全、清潔さ、抜群でっせ(^_^)v……ということがいいたいのである(*^_^*)。

◆ただし、現在、これまでもポツポツと紹介しているように、大解体中。
 「大解体中」であって、「大改修」ではない。
 だから、大解体後、再び、大構築される保証はない(ノ△・。)。

 作業工程は、粗く、次の4つだ。
(1)書架&書物の移動。
(2)書架の再塗装。
(3)書物のすす払い
(4)書物の処分

 書架の塗装については、これまで、いろんな色が混在していたので、この際、建物全体の骨組みと同じ、濃いめの、いわゆるウォルナットカラーに統一する。
 完成後は、かなり期待できる。
 ただし、塗装が、不慣れなため、大苦戦。
 立たせたまま塗装するわけにいかないし、サンドペーパーをかけたり、重ね塗りをしたりと、すごく手間と時間がかかる。

 また、書物の処分については、その書物とともにした、これまでの長い時間、および空間のことを思うと、つらいものがあるが、わたしがやがて「不在」になり、他の人に処分されるのだったら、今、このわたしがつらい決断をしたほうがいいと考えている。

 わたしが長く携わった、いわゆる「文集」群も、今回は、処分の対象だ(ノ△・。)。

◆解体作業が、突如、長く中断することがある……。
 すす払い中、あるいは、処分か否かの判定中、思わぬ書物&資料に再会し(それは処分保留の中にも、処分決定の中にもあって)、作業を中断し、いつもの木製、折りたたみ式の、ハンモック風、肘掛け椅子に全身を沈め、読みふける。
 異種の時空間に投げ込まれる。
 日が暮れるのも忘れる。
 夜が更けるのも忘れる。
 至福の時間である(^_^)v。

関連記事 ・〈古書店DAKA通信〉堀辰雄『晩夏』(甲鳥書林・昭和16年)

★画像=DAKA古書店玄関付近(RICOH・CX3)


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「教育だけが人生だ」が、ねじ曲がり、ひん曲がり、押し曲がり、折れ曲がり、ここに至っている

2010-05-20 16:15:40 | Weblog

10.05.20 ねじ曲がり、ひん曲がり、押し曲がり、折れ曲がり、ここに至る




◆先月の「6大変革」(*^_^*)

(1)HPやBlogの文体変更(→常体)。
(2)デジカメ変更(→RICOH・CX3)。
(3)散歩のやり方変更。
(4)Blog記事管理方法変更(→goo一括管理)
(5)江藤淳の弔い方変更
(6)お好み焼きの焼き方変更(→混ぜない)
 ……のうち、(5)以外は、現在も、継続している。

◆その(3)「散歩のやり方変更」というのは、「10年でも20年でも、毎回、毎回、同じコースをたどる」タイプから、「10日で10通り、100日で100通り、毎回、毎回、コースを変える」タイプに変えたわけだが、「毎回、コースを変える」のにも、2種類あるようだ。

 1つは、大きく方向が変わる。
 もう1つは、方向は変わらないが、ルートが変わる。

 最近は、後者だ。
 毎日、コロコロとルートは変わっている。
 が、方向は変わっていない。
 常に、中心に、こころはろばろ/スラバヤ沖/バタヴィアの沖/神社がある。

 きょうは、早朝、神社裏の雑木林の小道から参拝した。




◆6大変革のうち、5)江藤淳の弔い方変更は、一頓挫の格好になっているが、実行するには、自分があまりにもブレすぎているということに気づいたからだ。

 江藤淳が自刃した日に、わたしは「教育だけが人生だ」と記述している。
 教育界の江藤淳になる……という意味だ。

 あの日から、10年以上の年月が過ぎた。
 「教育だけが人生だ」が、ねじ曲がり、ひん曲がり、押し曲がり、折れ曲がり、(はじめ「ねじ曲げられ」と受け身表現だったが、修正^^;)、ここに至っている。






関連記事 ・江藤淳氏が自決した年の賀状に
「寿司はやっぱり大阪寿司や」「センセにほめてもらうとうれしくなります」「わしは大阪寿司の皮目が好きや
江藤淳の肉体は滅びても


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書架の移動は説得+説得+説得……が必要。(昨日は説得に失敗)かなり高度なスライディングブロックパズル

2010-05-19 15:44:07 | Weblog

10.05.19 書架の移動は説得+説得+説得……が必要




◆5月の連休明けに始まったDAKA古書店解体作業は、まだ継続している。
 計画の3分の1くらいが終了したところだ。

 書架の移動というのは、ホンマ、たいへん^^;。
 書架を、何もない空間に移動するのだったら、それほど問題はないが、とてもそういう状況ではない。
 まず、先にあるモノを移動する。
 これが簡単ではない。
 どこへ移動するかで、何日も悩む。
 自分のモノだったら、まだいいが、パートナーのモノだと、説得+説得+説得……が必要だ。(昨日は、それに失敗^^;)
 かなり高度なスライディングブロックパズルだ(ノ△・。)。

 パズルゲームが解決すると、いよいよ着手。
 行くモノと来るモノ、その両方の掃除&整理が始まる。
 この段階で、いつも紹介するカオス(混沌)部分=隅っこで、ホコリにまみれ、中味の正体が不明な部分……が発見されることが多い^^;。

 この処理後に、実際の移動ということになる。



関連記事 ・古書店DAKAの書物から静謐さが失われたように感じるのは、この冬空との対比からかもしれない^^;
『現代英米倫理学』=30年ぶりに堅い表紙をひらくと、プーンと
精神状況から数センチ隔てられた言い回し「ほほうぅぅぅ!」と感嘆している青年は、もちろん、わしじゃ

◆画像は、上=移動中の書物。下=本日、移動が完了した書架。撮影=RICOH・CX3


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隣に置いた丸テーブルのメモが目に入る。「しかし、しかし」と大書してある。逆接の接続助詞「しかし」には

2010-05-19 15:05:47 | Weblog

10.05.19 逆接の接続助詞「しかし」の用法



◆薄暗いDAKA古書店内の片隅。
 いつもの、木製の折りたたみ式の、ハンモック風、肘掛け椅子に全身を沈めると……。
 隣に置いた丸テーブルのメモが目に入る。
 「しかし、しかし……」と大書してある^^;。

 逆接の接続助詞「しかし」には、文末にくっついて、直前の感動、あるいは落胆を強める働きがある。
 例――
 ①「参ったなぁ……、しかし。」
 ②「よかったなぁ……、しかし。」

 『羊をめぐる冒険』の「僕」の口ぐせは「やれやれ」だったが、今のわたしの口ぐせは「しかし、しかし……」だ。

 もちろん、例①のほう……^^;。



◆気晴らしに、いつもの、こころはろばろ/スラバヤ沖/バタヴィアの沖/神社に参拝する。

 海抜68.1メートル。
 境内の八重桜が満開だ(*^_^*)。
 撮影=RICOH・CX3

 ちなみに、今年は参拝しないことにしているが、毎年8/15
、靖国神社に行けないときに参拝する桜山招魂社は海抜40.9メートル。
 わが「20X0みなみ」は、校門付近が44.7メートル。
 ま、あまり関係はないけれど……^^;。






関連記事 ・海戦想望 こころはろばろ スラバヤ沖 バタヴィアの沖。突然神社に至る。右側の狛犬の土台石に「武運長」
こころはろばろ/スラバヤ沖/バタヴィアの沖/神社の桜、八分咲き


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自分の目を作品に近接させると、寂漠に堪える常田健の筆の音が聞こえてくる

2010-05-16 16:49:12 | Weblog

10.05.16 寂漠に堪える常田健の筆の音が聞こえてくる


◆光太郎が、太田・山口の小屋(7坪半)で独居・農耕自炊生活を送ったのは、昭和20年~27年まで。
 孤高の小屋暮らしは、あくまで昭和20年~27年という期間限定だ。
 この、ある意味で、異常な期間と、それまでの期間との落差が、心を衝く。
 
 これに対して、常田健は、(こういう言い方をすると、見識ある常田健ファンから叱られるかもしれないが……)期間限定なしの、孤高の土蔵・アトリエ暮らし。
 リンゴ園を営みながら、「人にみせるためではない」「売るためではない」と、ひとり黙々と描きつづけた。
 
 常田健展は、ガラス張りのケースの中に展示されているわけでないから、自分の頬を作品に近接させると、寂漠に堪える常田健の筆の音が聞こえてくる。







◆高村光太郎祭(5/15)には参加できなかったが、常田健展(5/12)に魂を漂浪させることができたので、今年は諒とする。
 
 庭の桜を撮影したあと、いつもの、こころはろばろ/スラバヤ沖/バタヴィアの沖/神社に参拝する。
 
 鳥居から、新緑が透きとおる、今年の5月の空を振り仰ぐ。







◆撮影=RICOH・CX3

関連記事 ・〈津軽に生きた大地の画家〉常田健展(会場=県立郷土館)に魂を1時間余り漂浪させる。目指せ3000人目
高村祭④ 三畳あれば寝られますね


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これが、今年の高村光太郎祭に参加するかどうか、さんざん迷って、結論として、とりやめた理由だと思う

2010-05-16 13:29:05 | Weblog

10.05.16 これが光太郎祭に参加しなかった理由だ


◆画像は、高村光太郎の小屋(7坪半)の内部。
 この囲炉裏がある板の間の奥(左側)に3畳ほどの畳が敷いてある。
 囲炉裏のまわりに一升瓶4本、五合瓶2本と、七輪。
 土壁に沿わせた書棚に光太郎の蔵書。
 その脇に古びた紙が張ってあるが、黄ばんで、虫に食われ、内容は読めない。
 昭和20年~27年まで、光太郎は、ここで独居・農耕自炊生活を送っている。

◆「ごめんください。宮沢さんからおことづての品を持ってきました」と、私は固くなって言いました。(『言葉はどこからどこへ』(宮地裕)から引用)

 軽い食事を済ませたところだと言われましたが、おむすび一個を呈上し、たくあんの漬物でいっしょに食事をしました。
 光太郎がお茶を入れてくれました。
 「夏を越すのは二度目だが、夏は疲れるから、日中は仕事に出ない。
 畑は五畝ほど。
 野菜などの副食物を自給するつもりでいるが、なかなかできない。
 耕具・肥料・殺虫剤、みな不足で困る。
 しかし、いずれは一反までは耕作して、アトリエも近くに建てて、農業と彫刻を両立させたい。
 一年の耕作の予定はよく組むが、思うようにはいかない。
 夜のランプの油が悪いから本が読めない。
 ろうそくは高くて買えない。
 彫刻の材料も木もない。
 今はただ刀がさびないように研いでいるが、近く、小さい物から彫りたいと思っている。
 太田村の人たちは純真で、親鸞・蓮如への信仰があつい。
 理屈なしに善悪を感じ分ける力を身につけている。
 ただ、日常の食生活については改善を勧めている。
 「玄米四合」てなくて、米は適量にして牛乳何合かというような酪農にするといいと思う。
 それにしても夏は体が弱る。
 冬、小屋の北側はすっかり雪にうずもれる。
 南側にも三尺ほど雪が積もるが、私は血色がよくなって元気が出る。」(『言葉はどこからどこへ』引用、以上)

◆わたしの場合、光太郎の作品そのものと同時に、いや、それ以上に、父光雲との確執、欧米留学で受けた痛撃の体験、智恵子との、ま、奇妙といえば奇妙な関係、大東亜戦争への全身全霊の傾注度、山小屋での独居・農耕自炊生活等、いわゆる光太郎の生活の歴史に強くひかれているところがある。

 だから、照れくさい話だが、宮地氏が記録した光太郎言は、指先に沁み、心に沁みた。
 かつて(ほんの数年前)、光太郎言を転記しながら、光太郎の「一反までは」を、あるいは「アトリエも近くに」を、あるいは「近く、小さい物から」を、放棄しかけた(挫折しかけた)自分の仕事に置き換え、止まりかけた時間を再び動かしたことがある。

 そのときの「時間」は、今も動いている。
 しかし、「仕事」は、はっきりいえば、一頓挫の格好だ。
 これが、今年の高村光太郎祭に参加するかどうか、さんざん迷って、結論として、とりやめた理由だと思う。

関連記事 ・高村祭のあとで。光太郎がお茶を入れてくれる。「夏は疲れるから、日中は仕事に出ない」と。
高村祭⑤ 高村祭は光太郎がここ(太田村山口)の小屋で独居・農耕自炊した7年間に限定して物語ろう

◆画像は、昨年の高村祭。(クリックすると画像拡大)



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新型新幹線E5系の愛称「はやぶさ」に2つの感情。1つは「前が忍者で今度は猛禽類かぁ~」、もう1つは

2010-05-12 06:41:44 | Weblog

10.05.12 新型新幹線E5系の愛称「はやぶさ」に2つの感情。1つは「前が忍者で今度は猛禽類かぁ~」、もう1つは……


◆昨夕、ニュースで、新型新幹線E5系の愛称が「はやぶさ」に決まったことを知った瞬間^^;、胸のうちに、軽く、2つの感情が渦巻く^^;。

 ひとつは、「前が忍者で、今度は猛禽類かぁぁ~」という感情(>_<)。
 もうひとつは、なんだか、胸のなかで、ブンブンとうなり音が聞こえ、自分が元気になっていく感覚(^_^)v。

 渦巻きには、粗く、やがてひとつの渦になる場合と、分離してしまう場合とかあるが、今のところ、この「感情」と「感覚」は、どっちともいえない……、どうなるかわからない。

 早速、鉄ちゃん・乱氏のチャットにイタズラ書きを……。(このチャットにイタズラ書き中に、「ブンブン」の正体がわかる←こういうのは、チャットや、twitterのおもしろいところ……)

★乱氏チャットでの、わしのひとり&孤独&孤高発言^^;


・いやぁぁ~、昨夕のニュースをみながら、チェッ(ノ△・。)と舌打ちしながら、即「さくはや」(桜隼)を想起。

 
※註1=「さくはや」は、乱氏の第2HN

・パーティ会場(←旅行業者との懇親会)で、まわりにいた人々に「きっと乱氏はよろこんでいるよ」と、再び、舌打ち(ノ△・。)。

・「はつかり」だったら、乱氏はもっとよろこぶかも……とも思いました(^_^)v。

・わたしは、もちろん、「はくちょう」または「白鳥」
・しかし、この「白鳥」は、今回、かすりもしていない。
・大ショック(ノ△・。)

・隼というのは、猛禽類ですからね(ノ△・。)
・前が忍者、今度が猛禽類
・どういう感覚なんじゃヾ(▼ヘ▼;)ヾ(▼ヘ▼;)ヾ(▼ヘ▼;)

・と、怒りながら、しかし、魂の奥底では、わしも、よろこんでいるんですよ(^_-)。
・よろこび2点
・第1点は、もちろん、大日本帝国陸軍の一式戦闘機「隼」
・加藤隼戦闘隊
・♪エンジンの音 囂々と~♪
・♪隼は征く雲の果て~♪

 ※註2=乱氏は、ふたりっ子はん、またはじまったぁぁ~と、あきれていることだろう。

・♪翼に輝く日の丸と~♪
・♪胸に描きし赤鷲の~♪
・♪印はわれらが戦闘機~♪
・乱氏よ、大日本帝国は不滅でっせ(^_^)v

・くわえて、よろこび第2点、みなみがさくら、きたがはやぶさ……ええやないですか、めでたいことです、日本は……!(^^)!

・ま、「はくちょう」は、新幹線が函館まで延びたときに、復活。
・ま、これは、まちがいないと思っています(^_-)
・ただ、そこまで、わしが生きているかどうか?(ノ△・。)が、ちょっと心配やけど……。「コン


◆画像は、庭の桜とヒヨドリ・みなみ。
 桜が咲いたら、桜を背景に、ヒヨドリ小太郎、あるいはみなみを撮ろうと思っていたが、やっと実現(^_^)v。

関連記事 ・新幹線E5系愛称応募。記事は昨日と同じですが、クリックすると画像が大きくなるタイプのブログに切り換え
わたしも「新しい東北新幹線の列車愛称募集事務局」宛に応募しました。元電車特急走行距離、世界1の列車名
「またやってしまった」という感じです。安ウィスキーが先だったのか? YouTubeが先だったのか?


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ニホンリス発見、パチリ。古書店の解体作業は墓地の改修に似ている。魂入れ、もしくは魂抜きの儀式が必要だ

2010-05-09 15:03:38 | Weblog

10.05.09 古書店の解体作業には、魂入れ、もしくは魂抜きの儀式が必要


◆ここ、2、3日かけて、DAKA古書店の解体作業をやっていたら、「1に足腰、2に文体……」ということばが、ふと、自分の口から飛び出してきた。

 解体作業がしんどかったからか?
 いや、作業とは無関係で、最近、このことを痛感しているからか?
 あるいは、解体の対象となっている書架を組み立てた時期と、そのことばを知った時期が近接しているからか?

 おもしろ半分に、キーワード「一に足腰、二に文体」でGogle検索すると、ことばの主は村上春樹だった(*^_^*)。

 解体作業と並行して、処分候補の書物をDAKA古書店の玄関に積みあげた。
 そのとき、村上春樹作品をどうするか?と、一瞬、逡巡した。

 この「逡巡」が、過去の時間層をかきまぜ、わたしに「一に足腰、二に文体」を思い出させたのだろうか?

 もし、そうだとすれば、古書店の解体作業は、墓地の改修工事に似ている。
 魂入れ、もしくは、魂抜きの儀式が必要なのかもしれない^^;^^;^^;^^;。



◆解体作業は、当初の計画部分については、昨日、夕刻、インターネット回線をステップルで固定して、ほぼ終了。

 ただ、1つネジを締めると、他のネジも締めなくてはならなくなるように、他の書架も調整しなくてはならないが、今回は、これでやめる。
 記述の順番からいうと、きょうは「解体作業の原因または動機」なのだが、これもやめる。
 なんだか、気分が変になってきた(ノ△・。)。



関連記事 ・村上春樹は『1973年のピンボール』まででいいと思い、『羊をめぐる冒険』以降は、一切、読んでいません
RICOH・CX3の接写は「あんたの代わりに接写したるでぇ」という人間的な接写力。4月中の大変革列挙
蟄居の形式と内容

★画像は、その「足腰」を鍛えるために、こころはろばろ/スラバヤ沖/バタヴィアの沖/神社付近でトレーニング中、ニホンリスを発見し、撮影(RICOH・CX3)。
 1枚目の画像の左端の朱色は神社の鳥居。


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DAKA古書店解体。20年ぶりに見る、書架のない壁面。この壁面と対峙していた20年前の自分に遭遇する

2010-05-08 05:53:21 | Weblog

10.05.08 DAKA古書店解体作業


◆DAKA古書店解体……と記述しかけて、そのつづきを――
 (1)DAKA古書店解体作業
 (2)DAKA古書店解体現象
 (3)DAKA古書店コンセプトの変質
 この3つのうち、どの視点で記述していけばいいのか?……と逡巡する。

 (1)は作業。
 (3)は作業の原因または動機。
 (2)は、(1)と(3)を共にくるんでいて、DAKA古書店から、やや目の距離をおいた表現だ。

◆逡巡後、やはり「解体作業」から書くことにする。

 ふりかえってみれば、解体作業は、この1年間、ずっと継続していることに気づく。
 元々、DAKA古書店の本体(広さ20㎡)は、粗く、9つの書架から構成されていた。
 これまで、そのうちの4つを外(玄関・廊下等)に出している。
 残ったのは、DAKA古書店のコアのコア、魂とでもいうべき5つの書架だけだった。

 昨日、一昨日、2日かけて、そのうちの1つ、もっとも動かしにくい1つを、廊下に出した。
 動かないことを前提に全体を設計しているから、電気配線、コンピューター配線、インターネット回線等を全部、やりなおさなければならなくなった。
 露出し、足の踏み場もなくなる。
 あっけにとられ、いったんは解体を断念しかけた^^;。

◆20年ぶりに見る、書架のない壁面^^;。
 この壁面と対峙していた20年前の自分に遭遇してしまう^^;。

本日、未明のDAKA古書店のJAZZ

 
・Black Swan Classic Jazz Band - Weatherbird Rag

◆画像は、昨日、こころはろばろ/スラバヤ沖/バタヴィアの沖/神社界隈で見かけた桜。
 高い木の幹から直接、咲いている。
 RICOH・CX3のマクロズームでパチリ。



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そういう「いい学校」は、市内のどことどこだ?と思われるかもしれないので、念のために断っておくが……

2010-05-06 09:19:01 | Weblog

10.05.06 「力のある教師」とは授業力のある教師のことだ


◆また、けさも学校物の夢でうなされた。

 あと数分で授業がはじまるというのに、授業の準備が、まるでできていない。
 子どもたちが「この授業を受けることができてよかったぁ~」と心から満足するような授業を、廊下を歩いて教室に向かう数分間で組み立てなければいけない。
 そんなことができるわけがない。
 ああ~、ああ~、ああ~と、夢でうなっている。



◆いい学校の生徒は、こちらの苦しい気持ちを察し、生徒のほうから、グッと前傾姿勢を取り、授業に熱中する空気を創出する。
 こういう生徒の眼差しを前にすると、ホンマ、汗がでる。
 はずかしい。
 苦しい。
 もう汗だくだ。

 そういう「いい学校」は、市内のどことどこだ?と思われるかもしれないので、念のために断っておくが、アプリオリに「いい学校」は存在しない。
 経験からいうと、「いい学校」は創り出すものだ。
 だれが創り出すのか?
 もちろん、教師だ。
 それも力のある教師だ。
 だから、「いい学校」も、力のある教師がいなくなると、1、2年で大荒れの学校になる。
 逆に、大荒れの学校も、力のある教師が集まれば、(ま、よくするほうは、悪くするより時間とパワーを要するが……)「いい学校」になる。
 教師の腕次第だ。

 さらに念のためにいうと、「力のある教師」とは、授業力のある教師のことだ。
 いわゆる生徒指導ではない。
 そんなものはいらない。
 力のある教師とは、いい授業で、非行もいじめも不登校もクリアーできると言い切るプロ教師のことである。

 さらに念押しすれば、そういうプロ教師を養成するシステムを、その学校がもっているかどうかということが問題になるが、これはまた後日に……。

 さいわい、わたしは、ずっと「いい学校」で仕事をするという幸運に恵まれている。
 運がいい=80%……+「いい学校」創出のために自分自身も粉骨砕身、努力=20%……というところだろう^^;。

 しかし、しかし、授業の準備ができていないわたしは、相手が、そのいい学校のいい生徒であるために、こうして廊下で、子どもたちの猛烈なプレッシャーを受け、ああ~、ああ~、ああ~と、もがいている。



◆そんなに苦しむのだったら、時間のあるときに授業準備をすればいいではないか……といわれるだろう。
 当然の話だ。
 ところが、授業準備には、粗く、2種類ある。
 ひとつは、抽象的な「生徒」一般を対象とした教材研究。
 もうひとつは、昨日の授業でノートに○○○と書いた生徒、○○○と発言した生徒を対象とした教材研究。
 昨日の授業と、きょうの授業のあいだに、後者の教材研究の時間が確保できないと、いい授業はむずかしい。
 現実問題として、本当の意味での教材研究の時間が確保できないことがあるのだ。
 いや、確保できないことが少なくないのだ。

関連記事 ・宮重Tは自分がおもしろいと感じている、その感情&思いを、聞く側に100%伝える語りの技術をもっている
銭形平次のクライマックスに必ず投げ銭があるように、わたしのクライマックスには必ず「授業」が飛び出す
もう少し、レコーダを起こしたいが、疲れてしまったので(←さっきから何度もコックリコックリ)、授業の
模擬授業開き
発行したものを「読む人々」が「観客」だと考えると、わたしはいわば、劇場の座付作者ということになる
校内模擬授業大会②
校内模擬授業大会があった 
職員会議のあとに佐藤公一研修主任の模擬授業
第4回みなみ模擬授業大会開催

◆画像は、庭の桃の木。
 例年より、花の量が多い。
 おいしい桃の実がたくさんできればいいなぁ~(*^_^*)


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お好み焼きの焼き方変更。生地とキャベツをゴロンゴロンと15秒。これがプラスに作用。ショッキングな啓示

2010-05-05 13:07:25 | ああ南部縦貫鉄道
10.05.05 お好み焼きの焼き方変更。生地とキャベツをゴロンゴロンと15秒


◆以前、このブログで、わが身に関する「4月の大変革(1)~(6)」について触れたことがある。
(1)HPやBlogの文体変更。
(2)デジカメ変更。
(3)散歩のやり方変更。
(4)Blog記事管理方法変更
(5)江藤淳の弔い方変更
(6)お好み焼きの焼き方変更

 中途の(3)まで書いて、あとは書いていなかったので、きょうは、その(4)~(6)を書くことにする。

◆まず、(4)Blog記事管理方法の変更。
 これまでBlogは、livedoor→goo→edublog→gooと渡り歩いてきた。
 それぞれ引っ越さざるを得なかった事情があるわけだが、それは省略。
 だから、1000ほどの記事が、3つに分散していた。
 今回、ひとつひとつ、手作業で、すべてgooに統合(^_^)v。
 画像・図表などの移動が不完全な記事も多くあるので、割れたカケラを接着剤でくっつけた感じが残っている。
 でも、これで「Blog内検索」がかけられる。
 神経が1本につながったのだ。
 妙な屈折感も消滅。
 記事の背後にある、人生の全体が、目の前に浮かびあがってきた。
 なんだか生まれ変わったようで、最近、生き生きとしている(^_^)v。



◆(5)江藤淳の弔い方変更。
 これまでは命日の7/21前、1ヵ月間に限定して、江藤の口パクをやっていたが、これからは、限定を解除して、年じゅう、のべつまくなく口パクをやることにする。
 弔い尽くすつもりだ(ノ△・。)。

◆(6)お好み焼きの焼き方変更
 変更は2点。
 1つは、水の量。
 もちろん、粉によって違うのだけれども、これまでは、だいたい、粉50gに対して、水40cc~50cc。
 それを65cc~70ccに。

 もう1つは、生地とキャベツとタマゴの混ぜ方。
 これまでは、生地の上にキャベツをのせ、上からスプーンでチョンチョンと3分~4分間……その後に、タマゴを割り、黄味と白味をクチャクチャと混ぜてから、全体をゴロンゴロンと4、5回、こねるというやり方だった。
 それを、今度は、生地とキャベツをいきなりゴロンゴロンと3、4回、15秒。
 その上に、(黄味と白味をクチャクチャと混ぜるのはやめて)タマゴを割るなり、ゴロンゴロンと2、3回、5秒。
 要するに、混ぜる作業を大幅にカットしたのだ。

 変更のねらいは、お好み焼きの極致、外サクサク・中ホカホカの、外サクサク完成のためだ。
 これまで、中ホカホカは、我ながら、まあまあのレベルだった。
 しかし、外サクサクについては行き詰まっていた。
 頑固に1つのやり方を押しとおすのではなく、一念発起、いろいろ挑戦してみようと思い、今回は、その一念発起・第1弾だ。

 まだ回数が少ないので、なんともいえないが、2点の変更で、まったく違うお好み焼きになる。
 混ぜないことが、プラスに作用する?
 信じられない。
 ホンマ、ショッキングな啓示だ。

 これをご覧になっている方で、外サクサクの、いい方法を知っている方があったら、ぜひ、情報をいただきたい。
 頼んまっせ(^_-)。




関連記事 ・モーツァルトの晩年の交響曲の結尾部のように光のなかに魂が吸い込まれるような反響がきこえてきませんか?
RICOH・CX3の接写は「あんたの代わりに接写したるでぇ」という人間的な接写力。4月中の大変革列挙
江藤淳の肉体は滅びても
なんか、お好み焼きを語っているうちに、このわたしが、だんだん元気になってきたみたいですね

◆画像は、南部縦貫鉄道・レールバスとあそぼう2010


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南部縦貫鉄道・レールバス。魂の内側を孤独の底に向かって疾駆する。RICOH・CX3で魂のカケラを撮る

2010-05-04 16:49:54 | ああ南部縦貫鉄道
10.05.04 南部縦貫鉄道・レールバス。魂の内側を孤独の底に向かって疾駆


◆南部縦貫鉄道・レールバスとあそぼう2010
 南部縦貫鉄道は、野辺地駅・七戸駅間、20.9km
 駅数は、11駅(野辺地・西千曳・後平・坪・坪川・道の上・天間林・中野・営農大学校前・盛田牧場前・七戸)。
 非電化・単線・タブレット閉塞。

 開業=昭和37年10月20日
 休止=平成09年05月06日
 廃止=平成14年08月01日

 開業から休止&廃止までの期間と、自分の人生(プロフィール年表&身の上)とを、ついつい重ね合わせてしまう。
 休止の時期は、わたしが、わが畏友・乱氏と出会う11ヵ月前である。



◆はじめ、今年は、レールバスとあそぼう……には参加しないと決めていた。
 しかし、先日、購入したばかりのRICOH・CX3で、日常を撮影しているうちに、このCX3で、レールバスを撮ってみたいという気持ちが強くなった。

 この気持にまちがいはない。
 ただ、それがどうしてなのか?
 あるいは、どういうことを意味するのか?……は、よくわからない^^;。

 おそれずにキザな言い方をすれば、わが人生の、あこがれ、あきらめ、幻滅、自棄、絶望……こうした普段は封印してある感傷のカケラを、CX3で撮ろうと思ったのかもしれない(^_-)。

 南部縦貫鉄道・レールバス。
 魂の内側を、孤独の底に向かって疾駆していく。






関連記事 ・ああ  南部縦貫鉄道レールバス。今、垂直に遡上する
それだけはちょっと待ってくださいよ
帽子屋敷の隣で、作戦命令解除の命令を受けて小野田少尉が帰還したニュースを知る


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