![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/26/91/e740e45ce5e63c8a1b2d0278846a271b.jpg)
◆わが人生における、第3期の、残がい・屑モノ大処分。
ゴミ収集日=95%
シュレッダー=4%
保存=1%(以下)
「保存」の割合は、もっともっと低いかもしれない。
ホンマにホンマに、極々、わずかだが、しかし、しかし、想定外の、トンデモナイモノばかりだ。
たくさんあって、ひとつひとつに興奮し、胸がいっぱいになり、とても、ここに、一気に紹介することはできないから、小出しに紹介する。
探しても探しても見つからず、「ああ、きっと、なにかのハズミでゴミに紛れ、処分してしまったのだろう」とあきらめていた、ソフトボール関連の資料(スコアーブック、練習ノート、大会要項等々……)が、まとまって出てきたことは、先日、紹介した。
きょう、紹介するのは、「地図」だ。(画像参照)
昭和62年~63年にかけての一時期(大館中勤務時代)、「地図」をつくり、「地図」から出勤し、「地図」に帰る……という生活をしていた。
◆その「地図」といっしょに出てきた資料から、「地図」に関する記述をコピーしてみる。
〈岩見百丈様〉(年賀はがきに「地図」を印刷)
新年 おめでとうございます。
年の暮れ、こういう地図(村)をつくり、新年を、この地図の中で迎えました。
現在、住民募集中です。
願いをいえば、百丈さんには、水源地の奥にあるお寺に住んでいただきたいものですね。
詩集『帰途』、ほんとうに、どうもありがとうございました。
ゆっくり、ゆっくり読んでいます。
年の暮れにも、地図の外で、あるいは、地図の中でも読みました。
また、お便りします。
きょうは、新年のごあいさつだけにします。
〈1/10DIARY〉
「地図」の中の「僕」が、未だ明確な性格を持ちえていない。
正直なところ、今度の、今年の「地図」については、「石にかじりついてでも……」という気持ちでいる。
昭和63年の年の暮れに、寂しい気持ちになりたくない。
何が、どのようになれば、寂しくないのか?
単純な話だ。
地図の中で、文章が書ければいいのだ。
文章の種類・質は、いっさい問わない。
ただ、それが500枚以上たまればいいのだ。
しかし、そのためには、地図の中の「僕」が、もっとしっかりしなければダメだ。
(多鶴子と子どもたちが、かくれんぼをしている。階段を上り下りしている音に混じり、「もういいかい」という声が聞こえる。)
しかし、500枚書くために「僕」がしっかりしなければいけない……というのは、ごまかしではないのか?
「僕」がしっかりするために、500枚必要だ……と考えたほうがいい。
昭和63年、500枚(原稿用紙で1500枚)かけて、僕は、僕を捜すのだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7a/66/68f0f83256c50c8d2f8151484439de24.jpg)
◆地図の中は、めずらしく大雪だ。
ソリ(プラスチック製。赤色)に、千早と光太郎を乗せて、散歩する。
両脇が低い灌木の小道。
子どもたちの低い視線からは、両脇の灌木や、中善寺につづく、前方の細い道は、どんなふうに見えているのだろうか?
赤いソリ。
鈴の音。
白い世界のソリの旅。
水源地公園に到着。
掌で雪の玉を作る。
それを、そろりそろりと転がす。
僕も、千早も、光太郎も。
僕の大きな雪玉に、千早の小さな雪玉を組み合わせて、雪だるまをつくる。
光太郎は、いつまでも、ひとりで雪玉を押して歩いていた。
僕「あの坂を転がしてみたら?」
光太郎「うん?」
僕「あそこの坂(指さす)」
光太郎「暗い公園はいやだ」
子どもたちは、雑木林の陰の、暗がり一帯を「暗い公園」と読んでいる。
たしかに、ひとりでいると「恐く」なるような場所だ。
僕「でも、坂道をゴロゴロ転がしたら、もっと大きな雪玉になるよ」
光太郎が雪玉を坂道に向かって押し出す。
坂道にかかる。
転がる。
大きくなって止まる。
もう一度、押す。
さきほどより、勢いよく転がり出す。
割れる。
半分と、いくつかの塊に。
光太郎が泣きべそをかいて、僕を非難する。
光太郎「父さんが転がせと言ったから、割れた」
光太郎は、坂の下で、ひとりで、雪を張り付けるようにして、雪玉を修復していた。
千早「ヤッホー!」
光太郎「ヤッホー!」
と叫びながら帰る。
玄関に入って、
千早「お母さん、ヤッホーって、聞こえた?」
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