◆ここ2、3年の(特に昨年、後半あたりの)自分を思い返そうとすると、水面に近い部分で波の動きとともに浮き沈みしている自分の姿が見えてくる。 そういう微小さを猛省し、新年からは自分の目の前に、黒々と静まりかえった闇をイメージして暮らすようにしている。 ◆きょうは、その闇の前で、 資料①「八戸市教育立市プラン前期実施計画」 資料②「地域との協働による学校づくり・実践事例集」(神奈川県立総合教育センター) 資料③「大阪府枚方市立山田中学校区青少年育成地域協議会HP」等を読み比べて、学社連携・融合に関わる新しい施策を立案しようとした。 しかし残念だが、今のところは、教育アナリストとして「出口」を見いだす段階には至っていない。(資料②・③は澤田尚指導主事から提供) ◆地域社会の教育機能の地盤沈下により、学校・家庭の教育機能が揺らいでいる。 こういう認識のもとに、地域づくりと一体となった教育を展望し、仮に中学校区単位で「教育コミュニティ」づくりに取り組もうとした場合、中核となるのはどこか? ここでわたしの思考がストップした。 ◆「学校」が引き受けるのが手っ取り早いだろう。 大阪のやり方がそうだ。 しかし、背負いきれない荷物でパンク寸前の「学校」を中核とすることが、はたして正しい選択といえるのだろうか? 今、「学校」を選択することは、わたしにとっては退歩だ。 ここ1週間で、新しい社会的装置を創出したい。求む、情報! [2004年01月15日] にほんブログ村 ★わたしの公式ホームページにも、ぜひ、来てください。公式ホームページには、トータルの、全身の、わたしが存在します。待ってまっせぇ~ィ !!!!!!!!!! ☆公式ホームページへ ★わたしのWEB無人駅線のページにも、ぜひ、来てください。あっというまに、魂が無人駅線の世界に、全身、移動できます。待ってまっせぇ~ィ !!!!!!!!!! ☆WEB無人駅線ページへ |
◆きょうは、2004年の生き方について考えようと、その方針を構成する「単語」を紙に書いたり消したりしながら、ひとりブレーンストーミングをやってみた。 今のところ、次のものが有力だ。 「沈潜(瞑想)」 「リンク」 「600字」 「教育アナリスト(プロ教師がプロ教師に贈る商品としての教育情報)」 「三現主義」 ◆ところで、この「方針」のことだが、2004年の方針が出来たからといって、では、2003年の方針が消えてしまうのかというと、そうではない。 年がかわったからといって、一人の人間が、同じ空間で生きていくのだから、大筋のところはそれほど変わらない。 この世の中には、わたしの意識と意志ではどうにもならない法則が厳然と存在するということだ。 ◆こんなふうに「方針」を立て、生きる指針としはじめたのは、鮫中の教頭になった頃(平成7年)だ。 環境の激変で、混乱するわが身を支えてくれるものがほしかったのだ。 当時の手帳には、「教師や保護者に対して、平山先生のように語る」とか「会議や演説は海部氏のように語る」とある。 以来、「方針」は、年々、微増する傾向にある。自分に対する、いろいろな課題が積もり積もっていくわけだから、うっとうしいといえば、うっとうしい。 ◆ここまで書いて、「よし! これからは一年ごとに身軽になっていこう」と考えた。 そして、いつか、さっぱりと身一つになって……。 と言ったものの、この「身一つになって」の後が続かず、絶句してしまった。 [2004年01月02日] にほんブログ村 ★わたしの公式ホームページにも、ぜひ、来てください。公式ホームページには、トータルの、全身の、わたしが存在します。待ってまっせぇ~ィ !!!!!!!!!! ☆公式ホームページへ ★わたしのWEB無人駅線のページにも、ぜひ、来てください。あっというまに、魂が無人駅線の世界に、全身、移動できます。待ってまっせぇ~ィ !!!!!!!!!! ☆WEB無人駅線ページへ |