職員室通信・600字の教育学

小高進の職員室通信 ①教育コミュニティ編 ②教師の授業修業編 ③日常行事編 ④主任会トピックス編 ⑤あれこれ特集記事編

ぽっぽやめくけど(いや『異人たちとの夏』めくけど)ああ、彼女はあちら側のこちら側ギリギリのところから

2010-07-30 04:04:17 | Weblog

10.07.30 ぽっぽやめくけど(いや『異人たちとの夏』めくけど)




 ああ、彼女はあちら側のこちら側ギリギリのところから

◆昨夜から本日未明の話。

 まず、昨夜の話から。
 昨夕、パートナーから聞いた話。
 窓をあけると、ジャリを敷きつめた裏の貸駐車場におじいさんが1人、しゃがんでいる。
 いつまでも、ひとつところにずっと石像みたいにしゃがんでいる。
 なにをしているのかな?……と、しばらくみていると、草取りをしていることに気づいた。
 1ミリの草も見落とさない……という感じで、感動した(パートナーは、この「感動」という語を何度も使った)……と。

 オンザロックで少し酔い、ぼんやりしかかった、わたしの頭の中で「貸駐車場」の長方形が、400字詰の原稿用紙になった。
 そして、おじいさんが摘む「1ミリの草」が、1つ1つのマス目に。
 こういう仕事の仕方に、わたしは、あこがれている。
 前回、ブログのどこかで、「『時代屋の女房』のような、田舎の大工さん風の(←田舎の大工さんm(_ _)m)文体が、(ま、自分では書きたいと思わないし、また書けもしないが)結構、好きだ」と書いた。
 おじいさんの草取りは、この『時代屋の女房』の文体に似ている。
 自分では書きたいと思わないし、また書けもしないが……と、半分、強がっているが、ほとんうは書きたくとも書けないのだ。
 書けないから、仕方なく、ま、燃えよ剣・疾風怒濤編、毎日、毎日、憑依の状態でうわ言のように、次から次に書きまくりたいと思うのだ。

◆次、本日未明の話。

 鉄道員(ぽっぽや)の乙松のもとに現れる少女めくけれども、江藤淳忌(7/21自刃)が過ぎ、異人(幽霊)に近づくと、それだけ自分の体は衰弱し、死に近づく……という文脈の「衰弱」感覚に近い状態のわたしの、メール受信箱に、教え子からメールが届いた。

 会社で企画書を書く以外なんにも書けなかったわたしが、病後、なぜかすごいスピードで物語が浮かんできます。
 1週間程度で原稿用紙200枚とか平気で書けるのです。
 奇妙な現象です。……

 これは、冒頭から読み進んで、3段落目あたりの記述だ。
 長めのメールで、これまでにわたしがもらったメールの中では2番目に長いメールだったが、彼女がいうところの「200枚」に至る勢いを感じた。

 メール末尾。

 わたしは、昔から、時々日常の中で、自分は既に死んでいるのではないか……と思ったりすることがあります。
 もしかしたら、死んでいることに気づかず、こうして仕事場に向かって急いで歩いているのかもしれない。
 そんなふうに感じることがあります。
 日常の(または社会的な)自分から遊離した自分がここいる……と。
 先生、先生は、生きながら冥界に下降していかないでくださいね。……

 受信時刻、午前2時51分。
 ぽっぽやめくけど、(いや『異人たちとの夏』めくけど)ああ、彼女は(こちら側に対する)あちら側の、こちら側ギリギリのところから、わたしに、「先生は、生きながら……」を言うためにやってきたのかと思うと、世の不思議さと、ありがたさと、そして、これまで切れ目なくつづいた、わたしの「しゃべる」あるいは「書く」仕事の延長線上のわたしとは別種の「わたし」を感じた。


画像=南部縦貫鉄道・レールとおそぼう2010。

 南部縦貫鉄道は昭和37年開業以来、平成9年に休止するまで35年間、雨の日も、雪の日も走りつづけた。
 経営的には、おそらく千辛万苦の35年間だったことだろう。

 その千辛万苦のなかの「喜び」が、パチリととらえることができれば……と思って、シャッターを切った。RICOH・CX3。


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『幻化』化が、今のわしの課題かな? 足もとから、少し離れた高い視点から全体を見ながら、粗く、前進。

2010-07-28 15:28:18 | Weblog

10.07.28 『幻化』化が、今のわしの課題かな? 足もとから、少し離れた高い視点から全体を見ながら

 異人に近づくと、自分の体は衰弱し、死に近づく(ノ▲・・。)




◆しばらくぶりに『時代屋の女房』が読みたいと思う。
 わたしは、『時代屋の女房』のような、田舎の大工さん風の(←田舎の大工さんm(_ _)m)文体が、(ま、自分では書きたいと思わないし、また書けもしないが)結構、好きだ。
 この『時代屋の女房』の文体が、自分の魂に作用して、書架から『時代屋の女房』を取り出させ、中味を読むように促したのだ。
 と同時に、読後、それとは別種の何らかの行動を自分に促している……というふうに感じた。
 ま、結果的には実際にページを開くということはなかったし、それとは別種の、他に促された行動の中味を突き詰めるところにも至らなかった。

 (いつかも書いたように、この「突き詰める」力が劣化している。ただ、今は、突き詰められないが、こうしてメモしておくと、あとから、なにかがわかる可能性がある(^_-)。)

◆けさ、いつものように、やや不眠感覚が残ったまま起床し、再び、神経痛(今度は腹部の上部ではなく、完全に肋骨エリア内)が起こり始めていることを発見。
 ショック。
 再びバファリン服用。
 その後、あまり乗り気でない某原稿のしめきりが迫っているので取りかかる。
 でも、書いているうちに、元気になる(*^_^*)。

◆神経痛の再勃発を恐れたり、何か次の行動を促されているのに、それがなんであるかがわからなかったり、あるいは、イヤイヤ原稿に取りかかったが、書いているうちに元気になったり……というような不安定な状態も、悪くはない。
 こういう状態で、音楽家がピアノを弾くように、マラソン選手が走り込むように連日、文字を書きつづけるのも、いい。

◆この感覚は、わたしの好きな映画『異人たちとの夏』の、異人(幽霊)に近づくと、それだけ自分の体は衰弱し、死に近づく……という文脈の「衰弱」感覚に近いのかもしれない。
 おお、巨大ひまわり。
 近づく河口。
 ひろがる太平洋の海。
 屋体崩し。
 時代屋の女房。
 神経痛。
 異人。

◆川上未映子が自身のHPでアホなケンカをしている。
 津原泰水に「川上氏は尾崎翠の字も存在も知らなくて、おしえてあげた」と書かれたことに、カチンときたのだろう。
 「(津原に)はじめてお会いしたのは正確には2006/04のことで」……「わたしは尾崎翠についてはこのブログの2005/03の日記にアップしていますし」と反論。

◆知らんフリして、ほうっておいたらたらええねん。
 アホなケンカはやめとけ、やめとけ。
 ウチの家は、中学まで、ホンマ、本のない家でしてんわ、アハハハハハぁ~と、口を開いて笑っとったらええのに(*^_^*)。
 あんた、ただでさえ、オバハンぽいのに、こんな反論してたら、ますます、オバハンぽくなりまっせ。
 もう、これ以上、失望させんといてや。

◆冒頭、『時代屋の女房』のような、非文学的、田舎の大工さん風の文体が好きだと書いたが、『幻化』の文体も好きだ。
 同じ好きでも、好きさの中味は違う。
 『時代屋の女房』のほうは、1歩1歩、足もとを懐中電灯で照らしながら、手さぐりで、前進。
 『幻化』のほうは、足もとは見ない。
 足もとから、少し離れた高い視点(決して高い、高い視点というわけではない)から全体(といっても、そんなに広い広いエリアではない)を見ながら、粗く、前進。

 『幻化』化が、今のわしの課題かな?


★画像=夏のこころはろばろ/スラバヤ沖/バタヴィアの沖/神社の森の草花。RICOH・CX3




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その野の道は招魂社への道なのか?千早神社への道なのか?光太郎山荘への道なのか?(画像は野の道の草花)

2010-07-24 07:09:36 | Weblog

10.07.23 その野の道は、招魂社への道なのか? 千早神社への道なのか? 光太郎山荘への道なのか?

 わたしの夏の迷走を縁取ってくれる巨大ひまわり


◆わたしは、自分の夏を3つにわけている。

(1)6/1~6/20「わが水無月のなどかくはうつくしき」期間
(2)6/21~7/21「自刃・江藤淳弔い」期間
(3)7/22~8/31 (江藤淳氏以降)

 それぞれについて語れば長くなるので^^;、90%を省略し^^;、10%だけ語る^^;。

(1)の「わが水無月の」は、伊東静雄の詩「水中花」の冒頭〈すべてのものは吾にむかひて/死ねといふ、/わが水無月のなどかくはうつくしき〉からの引用だ。
 すべての基準は死である。
 死が予感されることによって、時は止まる。
 そして、極限としての現在と対面する。
 ま、死の刃を感じながら生きる期間といっていい。

(2)は、これまで、このブログで、何度も述べているので、100%、省略。

(3)この期間は、「○○への道」期間……としたいのだが、まだ、煮詰まっていない。
 イメージとしては、勤務を終えた、(1)&(2)期間を経た、わたしが、背広を脱ぎ、片方の肩にかけ、もう一方の手で汗を拭き拭き、野の道を歩いている。
 その野の道は……招魂社への道なのか?
 千早神社への道なのか?
 光太郎山荘への道なのか?
 信貴山の柿本家近くの、王寺の町が見渡せる展望台への道なのか?
 これらが、こんがらがって、まだぼんやりしている。

★画像は、6月に完成した、玄関ホールの巨大ひまわり。
 すこやかみなみネット・環境サポータークラブの金見さんと総合文化部員たちの力作だ。
 このひまわりが、ひと夏、(1)→(2)→(3)と迷走するわたしを、やさしく縁取ってくれる。



 痛みを感じるか感じないかの危険範囲(ノ▲・・。)




◆昨日の午前3時からはじまり、超24時間、肋骨の左下のポイント=腹部左上ポイントの神経痛で苦しんでいる。
 ハリで刺すような……という表現がある。
 わたしは、今のところ、人を刺したことも、人に刺されたこともないが、ハリというより、キリの痛みだ(>_<)。
 痛みのたびに、グッと、あるいは、ググッとのけぞってしまう。
 ま、ただし、帯状疱疹(10年くらい前に経験)の、椅子から転げ落ちるほどの痛みではない。

◆昨日、朝、昼、そして、寝る前にバファリン服用。
 もう、痛みは去ったのでは?と思ったが、午前1時過ぎ、痛みで目が覚める。
 寝ながら身体の向きを調節して、痛みを散らそうとしたが、午前2時半、遂にガマンできず起床。
 (胃保護のため)牛乳を飲みカステラを食べ、またまたバファリン服用。
 今、(これを打ち込んでいるとき)ちょうど、バファリンが、ようやく、ようやく効いてきたようだ。

 ま、ただ、それだけの話^^;。

 午前6時頃までは、「痛み」を感じるか、感じないかの危険範囲にあったが、今は、薬が十分に効いて、「痛み」から距離があるようだ。

 いつ、その距離が消滅するか?


★画像=夏のこころはろばろ/スラバヤ沖/バタヴィアの沖/神社の森の草花。

 暑いし、いつ神経痛が、危険範囲に突入するか不安だったので^^;、そろそろ歩く。



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このひまわりが、夏の最後の光輝を浴びて、ひと夏の終末を告げるまでの期間を、やさしく縁取ってくれる

2010-07-23 13:29:45 | Weblog

10.07.23 その野の道は、招魂社への道なのか? 千早神社への道なのか? 光太郎山荘への道なのか?

 わたしの夏の彷徨を縁取ってくれる巨大ひまわり


◆わたしは、自分の夏を3つにわけている。

(1)6/1~6/20「わが水無月のなどかくはうつくしき」期間
(2)6/21~7/21「自刃・江藤淳弔い」期間
(3)7/22~8/31 (江藤淳氏以降)

 それぞれについて語れば長くなるので^^;、90%を省略し^^;、10%だけ語る^^;。

(1)の「わが水無月の」は、伊東静雄の詩「水中花」の冒頭〈すべてのものは吾にむかひて/死ねといふ、/わが水無月のなどかくはうつくしき〉からの引用だ。
 すべての基準は死である。
 死が予感されることによって、時は止まる。
 そして、極限としての現在と対面する。
 ま、死の刃を感じながら生きる期間といっていい。

(2)は、これまで、このブログで、何度も述べているので、100%、省略。

(3)この期間は、「○○への道」期間……としたいのだが、まだ、煮詰まっていない。
 イメージとしては、勤務を終えた、(1)&(2)期間を経た、わたしが、背広を脱ぎ、片方の肩にかけ、もう一方の手で汗を拭き拭き、野の道を歩いている。
 その野の道は……招魂社への道なのか?
 千早神社への道なのか?
 光太郎山荘への道なのか?
 信貴山の柿本家近くの、王寺の町が見渡せる展望台への道なのか?
 これらが、こんがらがって、まだぼんやりしている。

★画像は、6月に完成した、玄関ホールの巨大ひまわり。
 すこやかみなみネット・環境サポータークラブの金見さんと総合文化部員たちの力作だ。
 このひまわりが、夏の最後の光輝を浴び、ひと夏の終末を告げる時までの期間、(1)(2)(3)のわたしを、やさしく縁取ってくれる。


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人を刺したことも、人に刺されたこともないが、痛みのたびに、グッと、あるいは、ググッとのけぞってしまう

2010-07-23 10:08:19 | Weblog

10.07.23 人を刺したことも、人に刺されたこともないが

◆昨日の午前3時からはじまり、超24時間、肋骨の左下のポイント=腹部左上ポイントの神経痛で苦しんでいる。
 ハリで刺すような……という表現がある。
 わたしは、今のところ、人を刺したことも、人に刺されたこともないが、ハリというより、キリの痛みだ(>_<)。
 痛みのたびに、グッと、あるいは、ググッとのけぞってしまう。
 ま、ただし、帯状疱疹(10年くらい前に経験)の、椅子から転げ落ちるほどの痛みではない。

◆昨日、朝、昼、そして、寝る前にバファリン服用。
 もう、痛みは去ったのでは?と思ったが、午前1時過ぎ、痛みで目が覚める。
 寝ながら身体の向きを調節して、痛みを散らそうとしたが、午前2時半、遂にガマンできず起床。
 (胃保護のため)牛乳を飲みカステラを食べ、またまたバファリン服用。
 今、(これを打ち込んでいるとき)ちょうど、バファリンが、ようやく、ようやく効いてきたようだ。

 ま、ただ、それだけの話^^;。

 午前6時頃までは、「痛み」を感じるか、感じないかの危険範囲にあったが、今は、薬が十分に効いて、「痛み」から距離があるようだ。

 いつ、その距離が消滅するか?


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学校支援地域本部事業やコミュニティスクール等と、すこやかみなみネット事業の決定的な違い

2010-07-22 11:11:19 | Weblog

10.07.22 すこやかみなみネットがめざすカタチ




◆先日、開いた、松ちゃん提案の「すこやかみなみネットの理念や力点&ことばの定義を再確認しよう」に関する協議について、きょうは、その2回目。

(2)すこやかみなみネットがめざす、究極のカタチ

 学校支援地域本部事業やコミュニティスクール・地域運営学校、あるいは、放課後子ども教室推進事業等と、わたしたちの「すこやかみなみネット」との「違い」を鮮明にすることによって、わたしたちがめざす「究極のカタチ」を明らかにしたい。

◆学校支援地域本部事業等、今、わたしが例示した事業に共通するのは、学校を地域や家庭で支援する(学校は苦しそうだから、支援してやろう、応援してやろう)という発想がある。
 たとえば「子どもの環境は、情報化、価値の多様化も含めてどんどん変化しており、学校はこれまで以上にさまざまな課題を抱えるようになっています。学校の負担を軽減するために、地域の力を借りて学校を支援していくことが求められています」(清水潔・文部科学省生涯学習政策局長)という言い回しだ。

◆しかし、はっきりいっておくが、わたしは「学校の負担を軽減するために、地域の力を借りて学校を支援」してもらおうと考えたことは、これまで1度もない。
 現在の教育危機の元凶は、(学校が好むと好まざるとにかかわらず)学校が多くの荷を抱え込みすぎたことに(ま、わたし流にいえば)「学校の教育丸抱え体制」、あるいは「学校の教育独占体制」にあると考えている。
 だから、(ここが大切……)学校が抱えている荷をそのままにして、「たいへんでしょう。だから、支援してさしあげましょう」という、いわば「そのまま、ずっと抱え込んでいろ」的な発想では、事態の好転は、ほとんど期待できない。

◆学校が抱えている荷のなかで、家庭が引き受けるべきは家庭に、地域が引き受けるべきは地域に……と、適切に分担(この「分担」も「連携」の一形態)することにより、学校の本来の教育活動が充実する。
 同時に、分担することにより家庭も生き返る。
 地域も生き返る。
 すこやかみなみネットは、学校・家庭・地域、それぞれの教育のバランスが取れ、それぞれの教育が充実する状態、このことを目指した、学校・家庭・地域の連携・融合・協働であり、ネットワークづくりである……という発想だ。

◆だから、「もう一度地域の人が結集するシンボルとしての学校を見直そう」(清水潔・文部科学省生涯学習政策局長)とか、「……さまざまなネットワーク活動を意図的に立ち上げて社会のつながりをつけ直すことが必要だと思う。そのためのひとつの有効な方法として、いい学校をみなで作ろうということを目指した、学校を拠点とした地域と学校の連携を深めるネットワーク活動がある」(金子郁容氏)という思想とは、(「絶対に」とまではいわないが、それに近いくらい)あいいれないものがある。

◆くどくなるけれども、くり返す。
 すこやかみなみネットでは、学校の荷はそのままに……という連携や、学校を拠点にした連携という発想はとらない。
 学校・家庭・地域、それぞれの教育のバランスがよい状態を追い求めている。
 これが、究極のカタチだ。

 学校・家庭・地域のバランスがよくなれば日本の教育はまだまだよくなる。
 日本の学校には力がある。
 家庭もそうだ。
 地域もそうだ。
 ただ、今、バランスが悪いだけなのだ。
 バランスがよくなれば、日本はまだまだ大丈夫だ。
 逆にバランスが悪いままだと、なにをやってもなかなか効果はあがらない。
 バランスをよくするための連携事業、ネットワーク活動が大切だ。

◆わかりやすくいえば、すこやかみなみネットは「バランス主義」、そうでないのは「学校中心あるいは学校拠点主義」。
 この区別はきちんとつける必要がある。
 区別をつけておかないと、まず、まちがいなく、道を誤る、落とし穴に落ちる。
 今、やっている連携事業が、バランスをよくすることに結びついているかどうかを絶えず点検する必要がある。

◆ちなみに、(これは後の項目で詳しく述べる内容だが)「学校中心主義」かどうかを、見分けるための簡単な方法がある。
 そのネットワークの中核になっているエネルギーがどこにあるかを点検すればいいのだ。
 わたしは、いろいろな連携事業を取材するとき、必ず、まず「会議の招集はだれが決めるのですか?」「だれが連絡をとるのですか?」「会場はだれがセットするのですか?」「このプリントはだれが作ったのですか?」「会計はだれがやっているのですか?」等とたずねる。
 あるいは、「実施要項」とか「会則」とかの「事務局」の項目をみる。
 「事務局には、事務局長を置き、教頭をもってこれに充てる」というようなことが書いてある場合は、最悪のパターンとまではいわないが、ま、あまり期待できない。

◆話は少しそれるが、日本の社会教育の失敗も、これに似ている。
 戦後、たくさんの社会教育団体が発足した。
 そのとき、事務局に役所の職員を充てた例が、(どのくらいだろう? 相当)あるのではないか。
 わたしは、これがまずかったと思っている。
 いつも歴史はくり返している。
 よほど気をつけなければ……。

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「南海ホークスが大阪に帰って来ることを夢見て」いる、わが畏友・おっさんの夢への報告

2010-07-22 05:52:47 | Weblog

10.07.22 大阪のおっさんの夢に対する報告



「南海ホークスが大阪に帰って来ることを夢見て」いるおっさんへ
★おっさん、暑いですね。
 こちらも、床に汗がポタポタと落ちるくらいの暑さで、わたしも、おっさんと同じように、1日に何回も冷水タオルで身体を拭き拭き(今も拭き拭き、キーボードをたたいています)……「鳩山前首相の軽井沢別荘かぁ~」「ええなぁ~」とか、ブツブツつぶやきながら、なんとか生きています。

 昨夜、ソフトバンクvs.ライオンズ(15回戦・ヤフードーム)の試合を、初めから終わりまでTV観戦。
 子どもの頃からのプロ野球ファンですが、最近、1試合完全視聴というのは、めずらしいことです^^;。
 なお、ファンとしてのエネルギー配分は、大阪バファローズ45%(←もう、消滅しましたけど、いつかきっと大阪に帰ってくると思っています)、ライオンズ40%、楽天5%、Bs5%、ロッテ5%。

★ヤフードームは、「燃えんといかんばい! 鷹の祭典2010」〈「鷹の祭典専用ユニフォーム」が3日間とも入場者全員に(チケット1枚につきユニフォーム1枚)付いてくる!……〉ということで、球場全体が真っ赤。
 はじめ、空席だらけで赤いシートが、さびしく、みっともなく露出しているのかと思ったんですよ。
 それが、よくみると、全体が、うごめいているぅ~。

 球場全体が真っ赤にうごめいているというのはスゴイ!というか……ちょっと恐怖、ちょっと不気味。
 ライオンズファンは(ファン度40%のわたしでも)赤いユニフォームは(貰うにの貰っても)、ま、着ることはありませんから^^;、球場は、ほぼソフトファンで埋まっていることになります。

★この光景(真っ赤状態)を見ていて、「南海ホークスが大阪に帰って来ることを夢見て」いる、わが畏友・おっさんの夢は、絶対にかなえられヘンと確信しましたよ。
 南海ホークスが大阪に帰るとなると、この赤いTシャツ軍団もいっしょにくっついてくるわけやから、それはなんぼなんでもムリというもんでんなぁ~(ノ△・。)。

 もちろん、画面には映りませんが、ライオンズファンもいるらしく、スピーカー隅から一塊、ふりしぼるような声援が聞こえていました。

★試合は序盤凡戦。
 しかし、しかし、中盤からはソフトバンク=摂津、ファルケンボーグ、馬原、ライオンズ=岡本篤、小野寺、長田、シコースキー、藤田の緊迫した投手戦。
 残念ながら、TV画面の前で寝っ転がっていたわたしが「引き分けかな?」と気持ちをゆるめた瞬間、ペタジーニのさよならホームラン。
 わしが悪かった(ノ△・。)と、猛省しています。

 以上、「おっさんの夢」に対する、わたしの報告でした。

★画像は、夏のこころはろばろ/スラバヤ沖/バタヴィアの沖/神社の森の草花。RICOH・CX3




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コーヒー豆はマンデリン。一口飲んだ瞬間、魂の内側の、古い精神の層が剥がれ落ちた。ただし、浅煎りに限る

2010-07-20 12:48:23 | Weblog

10.07.20 コーヒーはマンデリン。ただし、浅煎りに限る


 橋蔵平次は昼食に天丼しか食べなかった
◆わたしのコーヒー豆は、いつの頃からか、マンデリンに決まってしまった。

 わたしの場合、なんでも、こういう傾向にある。
 たとえば、週2回の休肝日はお好み焼きと天然水に限るとか、音楽はクラッシック・ジャズしか聴かないとか、(そういえば橋蔵平次は、昼食に天丼しか食べなかったそうだが……)選択の範囲を極端に狭めてしまうところがある。

 キリマンジャロ、モカ、ブルーマウンテン、コロンビア、その他、各社のブレンド豆、会社用コーヒー……と何でも飲んでいたが、あるとき、マンデリンの浅煎りに出会い、コロン。
 一口飲んだ瞬間、魂のうちに滞っていた精神の層が、ボロボロと剥がれ落ち、一気に新しい世界が広がった。

◆パートナーも、わたしの影響を受け、いつの間にか、マンデリン派になった。
 が、わたしの浅煎りと違い、パートナーのは、深煎り、マンデリン・フレンチ。
 油がにじみ出ているのか、豆の色が黒光りしている。

 焙煎の度合いで、味がガラリと変わる。
 そのフレンチというのも、1、2度、飲んでみたが、マンデリン浅煎りショックのような衝撃はない。


 知の執念が欠落してますわ(ノ▲・・。)

◆わたしは、自身の精神の好不調を、自分が書く文字の量で計測している。
 うまい、へたは、いっさい、関係ない(^_-)。

 音楽好きがピアノを弾くように、ジョギング好きが野や街を走るように、毎日、文字を書きつづけていると、わたしは、しあわせなのだ。
 好調だと、1ヵ月間に、60000字以上(〈一太郎ツール〉→〈文書の文字数〉でチェック)
 不調期に入ると、これが、ガクッと減る。

 今、こんなことを書き出すのは(*^_^*)、ああ、ひょっとしたら、今、不調期かもしれない? いや、こうして気づいたときが、もう既に不調期の、ど真ん中……かもしれないと、疑ったからだ。
 さっそく、今月の文書量を、〈一太郎ツール〉→〈文書の文字数〉でチェックしてみると、なんと、24484字。
 絶不調期の量だ。
 60000字を越えようとすると、あと10日で35516字。
 毎日、3600字、原稿用紙にして8枚以上、書きつづけなければいけない計算になる。

 知の体力が劣化している結果だろう。
 というか、知の執念が欠落しているということだろう。

★画像=夏のこころはろばろ/スラバヤ沖/バタヴィアの沖/神社の森の草花。

 神社への道は、3つある。

 いちばんのお気に入りが、裏山を登っていくコースなのだが、6月の下旬からは、ほとんど草木で埋もれてしまった。


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自分の酒を飲んで、種子のせりだしたヒマワリのように、最後の光輝に向かって、ブツブツと生きている

2010-07-20 06:12:17 | Weblog

10.07.20 江藤淳弔い期間(6/21~7/21)も、終わりが近づく




 種子のせりだしたヒマワリ(ノ▲・:::::::::::。)

◆7/13、県教委への出張の帰路、国道沿いにある道の駅「奥入瀬ロマンパーク」のログ・ハウスが、わたしの視野に入ってきたとき、以前、ここで乱氏と食事をしたことを思い出した。
 十和田湖一周ウォークの帰りだった。
 数日前に自刃した江藤淳を弔うために、イヤがる乱氏をムリムリ誘って参加したのだ。

 十和田湖一周ウォークのラスト10キロは激しい雨に打たれた。
 まさに雨中激闘という感じで、涙の弔いウォークになった。
 奥入瀬ロマンパークで一息つき、雨に濡れた身体をかわかした。
 わたしはピルスナーを注文し、乱氏はメロンソーダを飲み、パスタを食べた。
 思いだしているうちに、悲哀に近い感情で、胸がいっぱいになった。
 何がこみあげているのか?
 正確にはわからないし、わかろうとも思わないが、江藤淳との別れが悲しいのか?
 いや、その数ヵ月後の乱氏との別れが悲しいのか?
 あるいは、その乱氏との奇跡の再会、しかし、再び、別れ、その別れが悲しいのか?

◆あれから11年。
 江藤淳は死んだが、わたしは生きてきた。
 乱氏も、きっと、どこかで生きているはずだ……。
 世の中がまちがっているとか、政治や経済がどうしたということは、あまり考えていない。
 世の中はまちがっているかもしれないし、政治や経済もむずかしいにちがいない。
 でも、まあ、今、それはいい。
 それを言い出せばキリがないから、いったん、脇に置いておくことにしよう。

 とうに死んでいたはずのわたしが、パートナーと犬一匹と(……といいかけ、犬は既に4年前に死んでいることを思い出す)……猫の額のような住居ながら、自分の酒を飲んで、種子のせりだしたヒマワリのように、最後の光輝に向かって、ブツブツと生きている。

 今年の江藤淳弔い期間(6/21~7/21)も、終わりが近づいてきた。

◆話は変わって、わたしの今の精神状態。
 「奥入瀬ロマンパーク」の食事の場面で、乱氏との会話を挿入したかったが、どうやっていいのかわからなかった。
 会話の記述の修業がまったく出来ていない。
 会話をしている場=時空間に、ふいに一瞬、漂う「感じ」&「感情」を定着させる修業。
 あるいは「感じ」&「感情」以前の、微弱な微弱な電流を、文字と文字の組み合わせで表現していく修業。
 当分、会話を「○○○」のカッコ式ではなく、地の文の句読点間に埋め込む方式でやってみようかと考えている。

 もうひとつ。
 「映画作りは、人生と似ている。困難、混乱がいっぱいあり、心のよりどころを求める……それは形あるものではなく、目に見えない何か……風や光、誰かの思い。そこに心の支えをみつけることで1人で生きていける(それが人生、それが映画作り)」
 これは、河瀬直美氏の過去の会見から抜粋。
 こういう「風」や「光」をキャッチする修業もしたいなぁ~。

★画像=南部縦貫鉄道・レールとおそぼう2010。
 南部縦貫鉄道は昭和37年開業以来、平成9年に休止するまで35年間、雨の日も、雪の日も走りつづけた。

 経営的には、おそらく千辛万苦の35年間だったことだろう。

 その千辛万苦のなかの「喜び」が、パチリととらえることができれば……と思って、シャッターを切った。


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グッと目の距離をとり、肘掛け椅子全体を眺めたら、歯医者さんの診察台のように見えるのではないかと心配

2010-07-18 20:50:09 | Weblog

10.07.18 教育書コーナーをもっとも過酷な場所に露出



 露出・教育書コーナー
◆5月から6月にかけての、古書店DAKA本体の解体作業の経緯は、これまでブログ等で報告してきた通りだ。
 トップ画像は、現在の古書店DAKAの玄関。
 この「教育書コーナー」は、元は古書店DAKA本体の内部にあった。
 解体にともない、こうして、ガラリと玄関開けると、すぐの場所に露出することになった。

◆この「教育書コーナー」のほか、(自慢の^^;)堀辰雄&江藤淳コーナーは、ドアを2枚隔てた15メートル先の空間に、太宰治は、ドアを1枚隔てた8メートル先の空間に移動した。
 また、書架の最上部に増設した書棚や、書架と書架のあいだのスキマ書棚等は、ぜんぶ、屋根裏部屋に移動した。

◆残ったのは「ポツンとイス1脚」(右上の画像)というくらい、徹底して解体した。
 空っぽだ。
 書物と書物のあいだにできる濃い陰影もない。
 陰影の縁に沿って、魂の底へ底へと降りていく道も閉ざされた。
 わたしは、よく「書棚の書物の配置&配列=自分の精神構造」と言ってきたのだが、今回の大解体は、これからのわたしの思考に、どんな影響を与えるのだろうか?

 なお、露出された、ある意味で過酷な場所(玄関)に、どのコーナーを移動させるかについては、逡巡していることをだれにも気取られないようにして^^;、結構、悩み、結論として、ま、生きざまの象徴として^^;、「教育コーナー」とした。

 未来を封印

◆「人間の『生きられる時間』において、過去よりも未来が根源的であり、未来への方向づけこそがわれわれの生の本質をなす」という主張がある。
 これをもじって、わたしは「現在よりも過去が根源的であり、過去からの方向付けこそが、わたしの生の本質をなす」(*^_^*)と。
 未来は既に封印している。
 ま、これが、ここ、数年、言いつづけている「前進しない宣言」やね(^_^)v。

◆関連して、わたしは、常々(もう、かれこれ10年。人生、七難八苦、千辛万苦のなかで)、「ホームページは、自分の、現時点における『存在の仕方そのもの』である」と言いつづけている。

 これらを重ね合わせると、「過去」あるいは「過去の蓄積」が「現在」であり、「過去の蓄積」の編集=ホームページ=現在のわたし……となるわけだ^^;。

 けさ目覚めてから、朝食も取らないで、この「過去の編集=ホームページ」のことを、ずっと考えている。

◆生臭く、より感情に即していうと、廃墟寸前の古書店でも、店のつくりかたによって、ガラリと変身し、大人気のスポットになる!(^^)!……HPも同じではなかい^^;……というようなことを、朝から大まじめに考えている^^;。

 過去の柱は、粗く3本。
(1)教育
(2)文学(含・生活スタイル)
(3)人々との交流(含・メール&カキコミ)

◆この過去(「教育」「文学」「交流」)をどう編集=構成=組み立てるか?
 やや戦略的にいうと、どう仕掛けるか? どう仕組むか?
 「仕掛ける」「仕組む」というと、もう、ドンドン、生臭くなって、ま、どんなに封印する、するといっても、やはり「未来」が顔を出してしまいまんなぁ~。
 ホンネが出てまんなぁ~
 アハハハハハァ~(*^_^*)

◆3つの柱(「教育」「文学」「交流」)が作用し合って、別種の世界が創出される。
 創出されるとすれば、この「別種の世界」が「現在」なのか?
 いや、その前段階の、相互に作用し合っている場が「現在」なのか?
 もし、そうだとすると、「別種の世界」が「未来」ということなのか?
 ま、この点は、今、ゴチャゴチャとしゃべっていても仕方がない。
 まず、「編集」してみることだ。

◆今のところ、3つの柱の併置では芸がなさすぎると思っている。
 併置では、永遠(←ああ、こんなふうに不意に「未来」が顔を出す……)に「作用し合って別種の世界が創出される」というようなことは期待できない。
 どれか1つを壁紙(背景)にしてやろうと考えている。
 壁紙の候補は、もちろん「教育」だ。

歯医者さんの診察台
★いつも、木製、折りたたみ式の、ハンモック風、肘掛け椅子に身を沈めて読書している。
 このとき、結構、めんどうなのが、肘掛け椅子と書見台や照明の位置関係だ。
 これまで書見台と照明を支える万力状の金具(←今、ネット検索で調べたら「クランプ式」)を、近くのテーブルとか家具とかに取り付けていた。
 そのため肘掛け椅子の置き場所が限定されていた。

★けさ、ふと、書見台のクランプと照明のクランプを、肘掛け椅子の肘掛け部分の、左右に取り付ければいいのでは……と気づく。
 即、試してみたら、これが実に快適(^_^)v。
 本を読んでいるうちに眠り込み、再び目覚め、眠り、目覚め……もう何時間でも読みつづけられる感じだ。
 コンセントの届く範囲だと、窓辺、(冬だと)ストーブの近く、書棚の傍らなどと、どこにでも移動できる。

 ただし、読書の目線ではなく、グッと目の距離をとり、肘掛け椅子全体を眺めたら、歯医者さんの診察台のように見えるのではないかと心配になり、実際に離れて確かめてみたら、予想が的中^^;。




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現在よりも過去が根源的であり、過去からの方向付けこそが、わたしの生の本質をなす」(*^_^*)と

2010-07-18 15:01:27 | Weblog

10.07.18 現在よりも過去が根源的であり、過去からの方向付けこそが、わたしの生の本質をなす」(*^_^*)と

◆「人間の『生きられる時間』において、過去よりも未来が根源的であり、未来への方向づけこそがわれわれの生の本質をなす」という主張がある。
 これをもじって、わたしは「現在よりも過去が根源的であり、過去からの方向付けこそが、わたしの生の本質をなす」(*^_^*)と。
 未来は既に封印している。
 ま、これが、ここ、数年、言いつづけている「前進しない宣言」やね(^_^)v。

◆関連して、わたしは、常々(もう、かれこれ10年。人生、七難八苦、千辛万苦のなかで)、「ホームページは、自分の、現時点における『存在の仕方そのもの』である」と言いつづけている。

 これを、上記と重ね合わせると、「過去」あるいは「過去の蓄積」が「現在」であり、「過去の蓄積」の編集=ホームページ=現在のわたし……となるわけだ^^;。

 けさ目覚めてから、朝食も取らないで、この「過去の編集=ホームページ」のことを、ずっと考えている。

◆生臭く、より感情に即していうと、廃墟寸前の古書店でも、店のつくりかたによって、ガラリと変身し、大人気のスポットになる!(^^)!……HPも同じではなかい^^;……というようなことを、朝から大まじめに考えている^^;。

 過去の柱は、粗く3本。
(1)教育
(2)文学(含・生活スタイル)
(3)人々との交流(含・メール&カキコミ)

◆この過去(「教育」「文学」「交流」)をどう編集=構成=組み立てるか?
 やや戦略的にいうと、どう仕掛けるか? どう仕組むか?
 「仕掛ける」「仕組む」というと、もう、ドンドン、生臭くなって、ま、どんなに封印する、するといっても、やはり「未来」が顔を出してしまいまんなぁ~。
 ホンネが出てまんなぁ~
 アハハハハハァ~(*^_^*)

◆3つの柱(「教育」「文学」「交流」)が作用し合って、別種の世界が創出される。
 創出されるとすれば、この「別種の世界」が「現在」なのか?
 いや、その前段階の、相互に作用し合っている場が「現在」なのか?
 もし、そうだとすると、「別種の世界」が「未来」ということなのか?
 ま、この点は、今、ゴチャゴチャとしゃべっていても仕方がない。
 まず、「編集」してみることだ。

◆今のところ、3つの柱の併置では芸がなさすぎると思っている。
 併置では、永遠(←ああ、こんなふうに不意に「未来」が顔を出す……)に「作用し合って別種の世界が創出される」というようなことは期待できない。
 どれか1つを壁紙(背景)にしてやろうと考えている。
 壁紙の候補は、もちろん「教育」だ。

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「教育書コーナー」を、自分の生きざまの象徴として、もっとも過酷な場所に設置

2010-07-18 14:44:01 | Weblog

10.07.18 教育書コーナーをもっとも過酷な場所に



◆5月から6月にかけての、古書店DAKA本体の解体作業の経緯は、これまでブログ等で報告してきた通りだ。
 画像は、現在の古書店DAKAの玄関。
 この「教育書コーナー」は、元は古書店DAKA本体の内部にあった。
 解体にともない、こうして、ガラリと玄関開けると、すぐの場所に露出することになった。

◆ この「教育書コーナー」のほか、(自慢の^^;)堀辰雄&江藤淳コーナーは、ドアを2枚隔てた15メートル先の空間に、太宰治は、ドアを1枚隔てた8メートル先の空間に移動した。
 また、書架の最上部に増設した書棚や、書架と書架のあいだのスキマ書棚等は、ぜんぶ、屋根裏部屋に移動した。

◆残ったのは「ポツンとイス1脚」というくらい、徹底して解体した。
 わたしは、よく「書棚の書物の配置&配列=自分の精神構造」と言ってきたのだが、今回の大解体は、これからのわたしの思考に、どんな影響を与えるのだろうか?

 なお、露出された、ある意味で過酷な場所(玄関)に、どのコーナーを移動させるかについては、逡巡していることをだれにも気取られないようにして^^;、結構、悩み、結論として、ま、生きざまの象徴として^^;、「教育コーナー」とした。


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gooブログは、ブログの上でどれくらいの編集が可能か? ひとつの実験

2010-07-17 09:16:36 | Weblog

10.07.16 公民館を核とする社会教育エリアをヨコ軸に、小・中の連携・融合をタテ軸に構想する八戸型教育コミュニティづくり




◆先日、開かれた、松ちゃん提案の「すこやかみなみネットの理念や力点&ことばの定義を再確認しよう」に関する協議について、時間をみて、その記録をアップしていきたい。

 まず、骨子だけを述べ、そのうち、詳細説明が必要な分については、あとから補足していくカタチを取ることにする。

◆きょうは、その1回目。

(1)八戸型教育コミュニティづくりとすこやかみなみネットについて。

 八戸市では市内に26ある中学校区ごとに、地区公民館(非常勤館長1、非常勤主事3)を設置し、学校・家庭・地域の連携・融合・協働を促す仕組みづくりを進めている。

 また平成16年度からは中学校区単位で、小・中学校連携・融合推進事業を展開し、義務教育9年間を見通した学習指導と生活指導を進めている。

 このように、社会教育エリアと学校教育エリアをぴったりと重ね合わせるというのが八戸のやり方で、これが八戸教育の目玉になっている。
 すなわち、地区公民館を中心とした社会教育エリアをヨコ軸に、小・中学校の連携・融合をタテ軸に、教育を構想する。
 これが八戸型教育コミュニティづくりの基本構造である。

 すこやかみなみネットは、この八戸型教育コミュニティづくりの典型といっていい。
 ちなみに、ときどき話題になるのだが、八戸市地域密着型教育推進事業や学校支援地域本部事業、あるいはコミュニティスクール等とは、当然、重なり合う部分はある。
 しかし、理念はまった異なる。
 この点は注意してほしい。
 違いは、先日の「松ちゃんとの協議」でも、話し合ったので、順次、説明していくつもりだ。

関連記事 ・『教育ジャーナル5月号』(学研教育みらい)で、わたしたちの「すこやかみなみネット事業」を特集。感謝。
遺恨ある想念
文部科学省・国立教育政策研究所で「すこやかみなみネット」に関して「わたしにしか語れないこと」を語る
5校、すなわち、2中学校区(人口25000~30000人)という規模でやるメリットはなにもないのか
すこやかみなみネットの基礎設計は1次生活圏だが、最適圏域の異なる多数団体で構成する重層ネットワークだ

★画像=南部縦貫鉄道・レールとおそぼう2010。
 南部縦貫鉄道は昭和37年開業以来、平成9年に休止するまで35年間、雨の日も、雪の日も走りつづけた。

 経営的には、おそらく千辛万苦の35年間だったことだろう。

 その千辛万苦のなかの「喜び」が、パチリととらえることができれば……と思って、シャッターを切った。


★はぎちゃん様、おひさしぶりです。
 コメントと阿蘇の画像、ありがとうございます。

 阿蘇は高校の修学旅行で1度行ったことがあります。
 火山活動が活発な時期で、わたしたちが下山した直後に立入りが規制されました。

 そのときの強烈な印象と、後に読んだ梅崎春生の小説『幻化』のクライマックスに登場する阿蘇の光景とが重なり、ぜひ再訪したいと思っていましたが、ずっと機会がありませんでした。

★眺めているのが苦痛になってきたので、彼は荒々しく望遠鏡を上げる。
 高岳や根子岳、外輪山、その果てに遠くの山脈が連なり合っている。
 その上にすさまじい青さで、空がひろがっている。
 時間が来て、まっくらになる。
 五郎はまた十円玉を入れた。
 ふたたび視野に、丹尾の姿がもどってきた。
 丹尾はトランクを下に置き、それに腰かけていた。
 ハンカチで汗を拭いている。
 拭き終わると、立ち上がる。
 トランクを提げて歩き出す。
 くたびれたのか、足の動きが緩慢だ。
 ちょっとよろよろとした。
 石につまずいたのだろう。
 丹尾を見ているのか、自分を見ているのか、自分でも判らないような状態になって、五郎は胸の中で叫んでいる。
 「しっかり歩け。元気出して歩け!」(『幻化』)

★来春、九州新幹線が開通しますので、再訪のいい機会だと思っています。
 高校生のときは、長崎発・寝台特急「さくら」で帰阪しました。
 その「さくら」が九州新幹線に再び登場。
 古い話ですが、「さくら」には東京・大阪間のつばめ・はと・「さくら」時代以来、強い縁があるようです(*^_^*)。
 楽しみにしています。

★さて、お兄様の件、はぎちゃんの記述を、ひとつひとつ指で押さえるように読んでいくと、はぎちゃんの役割というのは、諸方の人々の思いを酌み取り、酌み取り、思いやり、思いやり……しながら調整していく、なかなかめんどうな役回りだということがわかります。
 その腐心の結果として、お兄様の還る場所、あるいは、迎える人が定まったわけで、はぎちゃんもホッとされていることと拝察いたします。
 ほんとうにおつかれさまでした。

★こんなことをいうと、はぎちゃんに叱られる、あるいは、笑われるかもしれませんが、はぎちゃんから得た、お兄様のこれまでの情報から、わたしには、お兄様の運命と自分の運命とを重ねあわせてとらえてしまう傾向があるようですね^^;。

 「大阪の斎場」というのは瓜破でしょうか?
 生野区→瓜破→熊本と移動したお兄様の魂の安寧を心よりお祈り申し上げます。

 二伸――
 ひょっとすると、お兄様も、わたしと同じように、(ま、方向は逆ですが)九州新幹線・鹿児島ルートの開業を「大阪が近くなる」と心待ちにしていらっしゃるかもしれませんね。

★画像=はぎちゃんから送られてきた画像


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公民館を核とする社会教育エリアをヨコ軸に、小・中の連携・融合をタテ軸に構想する八戸型教育コミュニティ

2010-07-16 10:18:30 | Weblog

10.07.16 公民館を核とする社会教育エリアをヨコ軸に、小・中の連携・融合をタテ軸に構想する八戸型教育コミュニティづくり




◆先日、開かれた、松ちゃん提案の「すこやかみなみネットの理念や力点&ことばの定義を再確認しよう」に関する協議について、時間をみて、その記録をアップしていきたい。

 まず、骨子だけを述べ、そのうち、詳細説明が必要な分については、あとから補足していくカタチを取ることにする。

◆きょうは、その1回目。

(1)八戸型教育コミュニティづくりとすこやかみなみネットについて。

 八戸市では市内に26ある中学校区ごとに、地区公民館(非常勤館長1、非常勤主事3)を設置し、学校・家庭・地域の連携・融合・協働を促す仕組みづくりを進めている。

 また平成16年度からは中学校区単位で、小・中学校連携・融合推進事業を展開し、義務教育9年間を見通した学習指導と生活指導を進めている。

 このように、社会教育エリアと学校教育エリアをぴったりと重ね合わせるというのが八戸のやり方で、これが八戸教育の目玉になっている。
 すなわち、地区公民館を中心とした社会教育エリアをヨコ軸に、小・中学校の連携・融合をタテ軸に、教育を構想する。
 これが八戸型教育コミュニティづくりの基本構造である。

 すこやかみなみネットは、この八戸型教育コミュニティづくりの典型といっていい。
 ちなみに、ときどき話題になるのだが、八戸市地域密着型教育推進事業や学校支援地域本部事業、あるいはコミュニティスクール等とは、当然、重なり合う部分はある。
 しかし、理念はまった異なる。
 この点は注意してほしい。
 違いは、先日の「松ちゃんとの協議」でも、話し合ったので、順次、説明していくつもりだ。

関連記事 ・『教育ジャーナル5月号』(学研教育みらい)で、わたしたちの「すこやかみなみネット事業」を特集。感謝。
遺恨ある想念
文部科学省・国立教育政策研究所で「すこやかみなみネット」に関して「わたしにしか語れないこと」を語る
5校、すなわち、2中学校区(人口25000~30000人)という規模でやるメリットはなにもないのか
すこやかみなみネットの基礎設計は1次生活圏だが、最適圏域の異なる多数団体で構成する重層ネットワークだ

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すこやかみなみネット事業・語り手の多さと豊かさが、精神ののびやかなつながりと、活動の継続を保証する

2010-07-15 15:02:41 | Weblog

10.07.15 語り手の多さと豊かさが、精神ののびやかなつながりと、活動の継続を保証する




◆すこやかみなみネットの強みの1つは、事業内容(設立の背景・理念・組織形態・活動・課題等)について、説明や発表ができる、あるいは講演ができるという「語り手」が複数、存在することだ。
 松ちゃん、乱氏、それから既に転勤したが、岬氏、白山氏。
 もちろん、一応、わたしも^^;。

 ※すこやかみなみネット=学校・家庭・地域のそれぞれの教育力がバランスの取れた教育環境の創出をめざす八戸型教育コミュニティづくり

◆1人しか語れない。
 その人が倒れたら、おしまいというのでは、心もとない。
 というか、1人しか語れないというのは、はっきりいえば、活動が、まだまだホンモノでないということだ。
 すこやかみなみネットは、既に複数いる。
 複数の語り手が分担して、各種の説明会、発表会、講演会で、すこやかみなみネットの活動を語っている。

◆ただ、ホンネをいうと、語れる人が、もっと増えることを願っている。
 たとえば、PTAだと、現在は、トップの松ちゃんだけだが、他の本部役員(副会長・監査・会計・書記等)、あるいは、各専門委員会(生活指導・環境厚生・教養・部活動・広報・学年等)委員長、さらには各サポータークラブ(ボランティアグループ)の代表へとひろげたい。
 学校も、校長・教頭・教務主任だけでなく、各校務分掌主任(研修・生徒指導・保健・学年等)へとひろげたい。

 語り手の多さが、あるいは、豊かさが、形式的でなく、押しつけでなく、精神ののびやかなつながりの中で、活動がひろがっていくこと、そして、継続していくことを保証する。

◆ただし、語り手が増えれば、心配なこともある。
 理念とか、活動内容の意味や力点とか、あるいは、使用語句の定義とかについて、微妙なズレが生じてくる。
 先日、松ちゃんから「理念や力点を再確認しよう。語の意味を統一しよう」という提案があった。
 すこやかみなみネットも設立して6年目に入る。
 組織のカタチも、活動内容も、そして、活動を支える人々も、だいぶ変わってきている。
 タイムリーな提案だと思う。

 先日、松ちゃんを中心に、そのための会合を開いた。
 以下、そこで確認した内容について、話し合った順に(要するに、アトランダムに^^;)列挙することにする。

★画像=すこやかみなみネットあいさつ運動。
 すこやかみなみネットの活動は、これまで、学校や地域団体等で別々に行われてきた取り組みを、すこやかみなみネット全体の中で、調整することによって、新しい結びつきを創りだすところに特徴がある。
 このあいさつ運動は、これまで、生徒会活動、地域の少年警察ボランティア連絡会で別個に行われていた活動を融合するとともに、新たにPTAが加わって実施されている。

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