休日でも、その日の終わりに会合や面会の予定が入っていると、一日中、落ち着かないタチだ。
きょうは、そういう「会合」などがいっさいない……という意味で「完全休日」。
ただし、やや風邪気味で、残念。
◆室温を上げて(27℃設定)書棚をみていて、無意識のうちに『COULEURS』という写真集を手にとる。
帰国するとき、Ville de Dumbeaの方からおみやげにいただいたニューカレドニアの大判写真集だ。
今は、日本とは逆に、真夏にむかって気温がグングン上昇している頃だ。
アメデ島のページを開く。
この無人島をグルッと一周した。
島の裏側に回ると、白い砂にはだれの足跡もない。
ふりかえると、ここまでの自分の足跡だけがある。
透明な海際に立ち、さえぎるもの一つない太平洋を見わたしたしていると、「自分は今、南太平洋の孤島に、こうして独り立っている」という、魂が宇宙に抜けていくような感動があった。
◆F.O.Lの丘になんども上った。
40年近く前に、鉱石運搬船サザンクロス号でヌメアに入港した森村桂さんが『天国にいちばん近い島』で〈道のつきあたりは高台で、左手に赤い屋根の石造りの教会がある〉と書いている。
その高台がF.O.Lの丘だ。
セント・ジョセフ大聖堂の裏側から、ヌメアの街全体を見渡せる。
現在は、森村さんが見た〈歩いて5分か10分で終わってしまうような小さな町〉ではなく、視野いっぱいに「地球の裏側にあるもうひとつのパリ」の街がひろがっている。
大聖堂の赤い屋根と、白いヨットが係留されたモーゼル湾のコントラストが美しい。
ふと、次の一節が浮かんだ。
〈「カナック!」突然レモ(酋長の息子)の目が天を向いて光ったかと思うと、彼は叫んだ。〉
〈フランス政府に占領されて、ニッケルのお金が全部本国へ行ってしまおうと、レモたちは文句をいわない。けれど、観光事業のことには反対している。……彼らのほしいのは、お金ではない。ゆたかなヨーロッパ風の生活でもない。〉(『天国にいちばん近い島』から)
この街のどこかに、レモや、レモの呼びかけを熱心に聞いていたマルチダやペテロたちが住んでいるのだろうか?
◆ヌメアには、9つのバス路線があって、15分から30分おきに循環している。料金は一律140CFP(パスフィック・フラン)、日本円にして160円くらいで、乗るときに支払う。
運転手はスーパーのレジのようなものを開いて、世間話をしながら、料金を受け取ったり、おつりを出したりする。
ラジオの音楽をガンガン鳴らしながら走るから、車内はにぎやかだった。
◆朝市でパンを買い、ココチエ広場のベンチに座って食べたことがある。
向かいのベンチで、大きな花模様の衣服を着た女性が二人すわっていた。
新聞を読んでいる老人もいた。
一家で木陰に休み、ふざけたり、しゃべったりしている人たちもいた。
不思議だったが、そのほとんどがメラネシア系の人々だ。
ヨーロッパ系が34%といわれているが、公園でくつろいだり街角でたむろしているヨーロッパ系の人々はほとんど、いや、まったくといっていいほどみかけない。
隣の木陰でアロハシャツを着た数人の青年たちが伏し目がちにボソボソと語り合っていた。
「レモ」の孫にあたる世代だ。
無性に語りかけたくなった。
しかし、わたしはフランス語ができない。
このときほは、ことばができないことを残念に思ったことはなかった。
◆帰国が近づいたとき、中央郵便局の近くにあるインターネットカフェに入った。
日本を出るとき、もしチャンスがあれば、旅の終わりにニューカレドニアから自分のホームページにメッセージを送ろうと考えていたのだ。
料金は30分間500CFP。
PCに向かってURLを打ち込むと、なつかしい自分のホームページの画面が開いた。
ただし、日本語ワープロソフトの環境がないため、日本語は読めるが、日本語は打てなかった。
「ワレ南海ノ孤島ニ立テリ」と打つつもりだったが、計画を変更して英語で打つことにした。
Now, I am standing on the solitary island in the South Pacific.
◆日本に帰ったら、森村桂さん(2004年9月27日、長野県内の病院で逝去。死因は自殺と見られている)の向こうを張って『ワレ南海ノ孤島ニ立テリ』を書くつもりだったが、結局は仕事の嵐に巻き込まれ、こうしてただ『COULEURS』のページをめくっているだけだ。
けど、ニューカレドニアのことを思い出したら、少しあたたかくなった。
おおきにィ! レモ! マルチダ! ペテロ!
通信票の末尾にある「総評コメント」はなかなかむずかしい。
あの狭いスペースに「2学期、お子さんはこんなふうに活躍しましたよ。そして、こんなに成長しました。今後の課題はこうこうで、こういうふうに努力していくとよいと思います。学級担任としても支援します。家庭ではこんなふうに応援してください……」と展開するわけだから、かなり高い教育的技術を要する。
青木Tがある生徒を励ますコメントを読んでいて、こちらが涙ぐんでしまった。スゴイと思った。
教職経験2年目の中野Tのコメントも気合いが入っている。
わたしが中野Tの年齢のときにはとてもこんなふうには書けなかった。
本人の努力と同僚のよい刺激の賜だろう。
総評コメントの総和がみなみ中の教育力だと思った。
◆12クラス分の通信票点検を終えてから、明日の終業式式辞を書く(正しくは、PCにむかってしゃべる)。
構想としては、柱として①豊かな人間として存在するための条件 ②ひとりひとりの2学期の「成長」への賞賛。字数は1600~1800字。
というつもりで書きはじめた(しゃべりはじめた)のだが、途中で文字数を計ると、既に2000字を超えていた。
で、構想を変更。柱②は(←ほとんとはこれがメインだったのだが……)サラッと触れるだけにする。
〈式辞〉
◆今年は2人の「あいちゃん」がよくがんばりましたねぇ。ゴルフの藍ちやんと、卓球の愛ちゃんです。
わたしが「えぇぇぇッ! スゴイなぁぁ!」と驚いたのは、2人のうち、卓球のほうの愛ちゃんでした。
わたしはずっと、愛ちゃんが小さい頃から親に卓球をやらされて、小・中・高と卓球ばっかりやっている……どちらかというと「かわいそうだなぁぁ」という気持ちで見ていました。
ところが、今年、愛ちゃんが中国のTVに出て、中国語でインタビューを受け、中国語できちんと答えていました。
中国語のわかる人の話では、ほとんど中国の人と変わらない、きれいな発音だそうです。
「これからは英語の力ももっとつけたい」と言っていました。
愛ちゃんは卓球だけではなかったんですね。というか、愛ちゃんは卓球だけだったら、今のレベルまでいかない。日本と中国の懸け橋として活躍できる人間としての力がついてきたから、卓球であんなふうに力が発揮できるんです。
◆同じことを、シンクロナイズスイミングの井村コーチも、このあいだ、言っていました。
井村コーチというのは、恐いおばさんコーチで、大阪弁で「あんたらなにやってんねん。ビシッとやらんとアカンやないのぉぉぉ!」とガンガン叱る、世界的にも有名なシンクロのコーチです。(わたしは井村コーチと同じ小学校の出身です。)
その井村コーチが「シンクロだけやっていてもアカン。とても世界には通用しない。」
では、何が必要か?
「人間性が豊かでないと、人を感動させるシンクロにはならない。」
◆そこで「では、豊かな人間性は、どのようにすればゲット、獲得できるのでしょう?」
実は、わたしも、これは、よくわからない。
ただし、これがすべてではないけれども、これだけはまちがいない、これができないと豊かな人間として存在できない……ということだったら、いくつか言える。
きょうは、3つ。
◆まず、1つ目。
先月、11/6、歌手の本田美奈子さんが若くして亡くなりました。彼女のマイクに乗った声は天使の声だ……どうしてああいう声が出るのか?と言われていた人ですけれど、その秘密がお葬式のときに、わたしはわかりました。
お葬式で、歌手の岩崎宏美さんが「本田さんは、いつも前向きで、入院しているときでも人を励ましていました。本田さんは、人の悪口、陰口は絶対に言わない人でした。だから、あんな天使のような声で歌えたのでしょうね」と言っていました。
これ、ちょっとジーンときましたね。
「人の悪口は言わない」
これが学級目標になっているクラスもありますね。
ほんとうに大切なことだと思います。「人の悪口は言わない」「人の陰口は絶対に言わない。」これが人間性の豊かさにつながる1つ目です。
◆2つ目。
他のためにがんばる、他のために汗を流す、そのことを喜びと感じる人間。
毎日、ゴミを拾うというのでもいい。
清掃時間、いっしょうけんめいにやることをとおして他のためにがんばるというのでもいい。
委員会や学級の当番・係の仕事を徹底してやることをとおして、他のためにがんばるというのでもいい。
けさ、雪かきをやってくれた人もそうです。
親を1日1回喜ばせるというのも、この中に入ると思う。
母さんが夕食準備中「ああ、キャベツ買うの忘れたぁぁ」と言ったら、「母さん、ボク、行ってくるよ。他に買うものない?」というと母さんは喜びますよ。
他のためにがんばる、そのことを喜びと感じる人間。これが豊かな人間の2つ目の条件です。
◆3つ目。
夢を持つ。
これはよく言われる。当たり前のこと。しかし、教師として、これまでいろんな人に接してきて、やっぱり大切だなぁぁと思いました。
かなえられなくとも、この「夢」があったから、わたしもなんとか生きて来られたと思います。
夢に大きい、小さいはない。
たとえば「わたしは、日本がアジアのリーダーとして尊敬される国になるように、中国語のできる外交官になる。ハングル語のできる外交官になる」というような夢。
2年生は先日、職場体験に行きました。
獣医さんになりたい。
小学校の先生になりたい。
絶対、保育士さんになりたい。
そういう今の夢を大事に大事にしてください。
◆「人の陰口は絶対に言わない。」「他のためにがんばる」「夢をもつ」という豊かな人間性の条件を3つ話しました。
4つ目、5つ目は、きょうの学活で学級担任の先生から聞いてほしい。担任の先生は、「これが4つ目、これが5つ目」と言わないかもしれません。
ただ、きょうは大切な日ですから、担任の先生は気持ちをこめてみなさんに話すと思います。
その話の中から、みなさんが、「4つ目、5つ目」を見つけ出してほしい。
◆10日後、12/31日の大晦日。除夜の鐘を聴きながら過ぎ去った1年を静かに振り返ってください。
中学という時代は、毎日、悩みの連続です。苦しみの連続。失敗の連続。恥をかくことの連続。
これが青春です。これが人生です。
そういう苦しみ・悩みに直面して、乗り越えて、ひとつずつ成長する。
今年、自分の力で乗り越えた人がある。
友人の助けで乗り越えた人がある。
親の励ましで乗り越えた人がある。
先生の応援で乗り越えた人がある。
そうして乗り越えた「成長」がたくさんあるみなみの1年でした。
みなさんもがんばったけれど、みなみの先生方もよくがんばった1年でした。
◆南中生一人一人が、過ぎ去りゆく年に感謝し、気持ちを新たにして新年、平成18年・2006年を迎えることを強く願い、あわせて冬休み期間、道路を渡るときは右をみて、左をみて、もう一度右をみて安全に気を配り、かつ、1日1回親を喜ばせる南中生であり、とりわけ3年生については、受験の年の冬休み、誘惑に負けず、受験勉強の孤独のさびしさに負けず、机に向かって奮闘努力することを強く強く願い、式辞とします。
平成17年12月22日
八戸市立白銀南中学校
校長 小高 進
◆画像はわたしの背負いカバン。
◆急に寒くなった。
寒さには極端に弱いから(こう書いて、ああ、そうか、文と文をつなげていく元気がないのは、このためかも?と気づいた……)防寒対策は徹底している。
寒さの度合いに応じて、対応A~D(最高度)まで4段階設定しているが、昨日までのAから、B・Cをとばして、一気に対応D。
路面が凍ると、バスが遅れる。「故障」とかで一本パスされることもある。極寒のバス停での20分、30分というのは、結構つらい。
朝、ショーウインドーに防寒対策Dの自分の姿を写したら、防寒着と同色のリュックを背負っているので、雪中行軍の兵隊のような格好になっている。
学区で生徒に会う。
「おはようございます」と言ったあと、わたしの姿をみておかしそうな顔をしている。
◆日本教育新聞社ご愛読者係の福田さんから電話があった。前回、「データが完全にデジタル化されていて、コピー&貼り付けができるのか? それともPDF版なのか?」というわたしの質問に対する回答だった。
「できます! できますから、ぜひ購読してほしい」と福田さんは言っている。
購読のためには(金銭的にまったく余裕がないので)どれか他の教育誌を減らさなくてはならない。これまで既にかなり減らしてきている。その上、あと一誌というとなかなかむずかしい。また、日本教育新聞の内容がその一誌に代わりうるか?というと、少し、いや、かなり疑問(役に立たない)。
「検討しておきます」ということで電話を切る。
◆あすは、すこやかみなみネットの第2回地域情報交換会だ。(午後6時半、会場=白銀南中図書室)
PTAの方々と話し合った結果、今回は「不審者対策」をメインに情報を交換したいと考えている。
保護者も、教職員も、地区安協・防犯も、それぞれに取り組んでいる。重なっているものもある。抜けているところもある。重なっているのはいいが、空白は心配だ。
だから、それぞれの類似する活動を、「どう効率よく連携(分担・補完・融合)させることができるか?」がポイントだ。
水平で対等な協働。互いの自立性・自主性・特性を確保しつつ、それらを活性化しながら協力・協調関係をつくりあげたい。
「すこやかみなみネット」の「ネット」は、みなみ学区の諸団体を結びつけ、理念と活動の分かち合いを可能にするリンクである。また「つながり」を形成するプロセスでもある。(後日、別スペースで触れることにするが、「組織」たとえば青少協などと、「ネット」とは異なる。)
今は見えない、もうひとつのみなみ学区の存在に出会えるかもしれないと思うと、ワクワクする。
◆画像は出勤時のバス停付近の風景。
わたし以外では、前副会長の古里喜一郎氏、向谷地貴美子氏、鈴木○夫氏。この3氏と比べれば、わたしの労したことなどは取るにたりないものなのだが、そのいってみればわたしの「おせっかい」のようなものに光を当ててくださったことに心より感謝申しあげたい。
◆子ども会の歴史については、あちこちの子ども会関係の講演でもたびたび述べてきた。
明治、大正とひろがりをみせてきた子ども会的な活動が、昭和7年文部省の訓令「学校少年団」、昭和16年「大日本青少年団」、・昭和20年5月22日戦時教育令=「学徒隊」という、いわば「学校中心自治民育」体制に、いったんは収斂される。(いやぁぁ、歴史は繰り返されるものだなあぁぁぁ……)
これによって学校以外の地域の教育(社会教育・家庭教育)は致命的な打撃を受けたのだが、戦後、仙台児童クラブ、奈良子ども会をかわきりに子ども会活動が復活する。
◆戦後の子ども会の運営母体に関しては、わたしは次の4つに分類している。
①行政=教育委員会・健康福祉部門が組織(行政主導型)
②学校またはPTAが組織(学校・PTA主導型)
③地域団体や民間有志(町内会主導型)
④子どもの有志が組織し、大人の有志が指導助言(自主的任意集団型)
わたしは③が、少年少女集団活動の歴史の本流であると考えている。八戸市子ども会育成連合会はまさにこの本流をくむものである。発足当時の「地域の子どもは地域で育む」の精神が脈々と受け継がれていくことを念願する。
◆さて、やっと「教員の資質能力の向上」対策の問題だ。
11/25に、教員の資質能力の向上策にかかわる、専門職大学院の創設と、教員免許更新制度導入について簡単に触れ、詳細は後日としていたのだが、なかなか書くチャンスがなかった。これを書いてから、これを書いてから(たとえば、登下校時の安全確保策・保護者による外部評価アンケート・総合的な学習の時間問題・どこ模擬報告・18年度の学校経営・学習塾VS.学校・すこやかみなみネットの実践)……とやっているうちに、遂にきょうまできてしまった。
◆もちろん、きょう、ここで書ききれる問題ではないが、少しでも前に進んでおきたい。
復習。
1点は、専門職大学院の創設。この方策については、当然の帰結であると考えている。敗戦以来の開放性の原則を残しつつ、それを徐々に壊死させるかたちで、専門職大学院が構想されていることは大歓迎である。
もう1点は、教員免許更新制度。これは、(立場をわきまえずに否定的ともとられかねない言辞を吐いてしまうことになるのだが……)やらないよりはいいという程度の効果は期待できるだろう。また国としてやれることは、せいぜいこの程度なのである。わたしは、この程度でもメスを入れようとした姿勢に敬意ある評価を送りたいと思っている。
ただし、議論をここで止めてはならない。
その文科省の「極限的な努力」を、県教委……いや、市町村教委がどう受け、実効あるシステムにするかがわたしたちの喫緊の課題なのである。
合わせて先の専門職大学院が実を結ぶだろう7年後あたり(あるいはもう少し先)までの空白を、市町村教委がどう埋めるかがもう1つの課題である。
この課題にむけて既にいくつかの市町村教委では具体的な取り組みが始まっている。
●京都市教委が「京都教師塾」を設置へ(京都) |
讀賣 |
◆京都市教委の取り組みは「おくゆかしい」が、東京都及び杉並区のは大阪弁でいうと「えげつない」感じがする。
後者は実質、専門職大学院構想の先取りであり、かつ、いわゆる「囲い込み・青田刈り」である。
◆構造改革特区の制度により、2003年度から特例として区市町村による教員採用が認められた。政府は昨年12月、この制度を全国に広げる方針を閣議決定。これを受け、文部科学省は次期通常国会に「市町村立学校職員給与負担法」の改正案を提出し、今年度中の成立を目指している。
東京都及び杉並区の取り組みは、こうした制度変更の動きを前提としている。
しかし、八戸市には独自に教員を採用できる見込みが立っていない(たぶん)。当面は、県教委がまとめて採用し、各校に配置するという現システム下で教員を獲得せざるを得ないだろう。
すなわち「囲い込み・青田刈り塾」ような方式も八戸市にはほとんど意味がない。
こういう状況下で、八戸市は21世紀の生き残りをかけて、どういう戦略に打ってでるか? 独自の教員資質向上の仕組みと工程表を打ち出し、それに基づく改革を迅速かつ果断に実行することが求められている。
◆具体的な戦略については、随時、この「600字の教育」で展開していくつもりである。しかし、教育現場は日々、混沌としている。今回もそうだったが、また、まずこれを書いてから、次にこれを書いてから……ということになるかもしれない。このことをどうか諒としていただきたい。
◆画像は、八戸市子ども会育成連合会創立45周年記念式典で民謡を披露する竹ノ子さん。
結果、
①選択肢を「よい・ややよい・ややわるい・わるい」に「わからない」を付け加える。
②「8.お子さんや他の南中生の服装やマナーがきちんとしていると思いますか?」の「……や他の南中生」を削除する。
③部活動の参加について、全員加入制と任意加入制の違いを明確にするため、「任意加入制」の説明として(強制ではなく、部活動をやりたい人が入部する)という挿入句を加える。
土・日、志塚Tは教職員から集めた「教育課程編成に関するアンケート」を編集するといっている。たいへんそうだ。
◆「アンケート」の話のあと、「学校選択制・中高一貫校あるいは小中一貫校」と「学社連携・融合」について少し話す。
学校選択制や中高一貫校をとれば、当然、学校と地域の結びつきは薄れる。だから、この両方を推進しようとする文部科学省の論理は完全に破綻している。
このことで今、教育現場は混乱しているのだ。市教委は(既にもう時機を逸しているという人もあるかもしれないが)「八戸市は選択制を採用しない。学社連携でいく」(あるいはその逆)という強い指針を打ち出すべきだ……と、あちこちで発言してきたが、きょうの志塚Tとの話は、これとはまた別種の議論だった。
すなわち、両方を止揚(アウフヘーベン)するかたちの方法はないかという(←数年前、わたし自身が追究し、途中で投げ出した思考断面の)話だった。
保育園や幼稚園あるいは私立小・中学校に学区はない。では、保幼や私立学校にとって「社(地域)」とはなにか? これがヒントになる。
いわば「第4の領域」ならぬ「第4の空間」ともいうべきものを創出することはできないか? 具体的には……と話は展開した。
互いに次の予定があったので、2人の今後の教育哲学対象ということで、話は中断した。
◆来週の「教務週報33」(12/12~12/16)がでた。
冒頭に掲げられた「各分掌などの目標」は、
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教務週報33号 |
来週は3者面談の週。2005年もいよいよ押しせまってきた。
◆午後6時半から、みなみ小で、みなみ小・みなみ中PTA合同三役会。児童・生徒の登下校時の安全確保策について、これまでの取り組みの確認と今後の課題・対策について話し合う。
立正大の小宮助教授(社会学)のように「非行少年の支援と、子どもの安全確保に双方に自治体が責任を持つ英国などをモデルに、行政とボランティアが手を携え、子どもの安全対策を進める必要がある」あるいは、「地域の危機感が高まっている今が、1校区だけでなく市内全体で防犯ボランティアを組織化するチャンスではないか」(讀賣『治安の死角』)などの提案がなされている。
幸い、八戸市には既に地区防犯協会、地区交通安全協会、青少年生活指導協議会などが組織されている。
またPTAではどの単Pにも「校外生活指導委員会」のような組織がある。
新たな組織を設立するのではなく、これらの貴重な諸活動をネットワーク化することによって十分に、かつ互いに負担感なく継続的に対応できる。
問題なのは、どこがネットワークの核になるかだ。
学社連携といわれて40年になる。これがなかなか実を結ばないのは、それぞれを調整する「核」がはっきりしなかったからだ。
わたしは、地域・校区によって、「核」は異なってよいと考えている。
実態(それぞれの組織の実力)に即して、ある校区は青少協、ある校区は連合町内会、ある校区は防犯協会というふうに。場合によっては学校ということもあるだろう。
これをみなみ学区では、「すこやかみなみネット」が果たしていけばよいのではないか。
家庭・学校・地域の人々がいっしょになって、子どもの成長と安全を確かめ合う地域づくりのチャンスだ。
◆画像は、どこ模擬の佐藤公一T
体育館の四隅のファンヒーターを全開にしているのだが、やはり寒いので、気持ちが明るく、あたたかくなる話をしようと……。
そのスピーチの概略。
先日、陸上部員たちといっしょに帰宅する際の会話……
わたし「こういうオシャレな街と豊かな自然がある通学路を歩いて生活できる君たちは幸せだ」
生 徒「そうですか? 街の中心とちがってなにもないから、さびしいです」
これをまくらに、歌声がいっぱい、ホタルがいっぱい、花梨がいっぱいのみなみ中……。
これに加えて、今回、八戸市都市開発部でまとめてくれた「みなみ中、緑がいっぱい」計画を紹介する。
玄関にシンボルツリーとしてケヤキの木。
校庭には、赤と白の花が咲くやまぼうしの並木。
スピーチの最後にわたしの強い願いとして「思いやり、いっぱいのみなみ中」をプラスする。
◆12/7(水)
午前中、PTA総務委員長柴田さんと不審者対策の話し合い。主任会。八戸工業高等専門学校副校長の佐藤教授来校。
午後、生徒総会。
帰宅するときになって、一日中、PCにスイッチが入らなかったことに気づく。たいへんめずらしい。
◆高専の佐藤教授の話に快い刺激を受ける。
八高専の教育システム認定、ロボコン全国大会出場、プロコン全国大会3位、携帯電話用ソフト東北コンテスト準グランプリ、作家デビューした河崎愛美……八食ふれあい祭り……と、ず~ッと説明を受けた。
教授の話が上手なこともあるが、専門分野で大活躍する高専、地域と連携・融合しつつ躍動する高専のイメージがキラキラとひろがる。
あんなふうに自分の勤務校を愛せる、語れるってステキだなぁ、佐藤教授が「高専」を語るように、わたしも「みなみ中」を語れなければならないのだなぁ……と思う。
◆帰宅時、学区を巡回する。
「ホタルの里、白銀台から野馬の湯を経由し、岬台を巡視します」 というと、北澤Tに、
「きっと野馬の湯に入りたくなりますから」
と言われた。
近づくと、温泉のまわりの側溝から湯煙がのぼり、大きなガラス戸の内側があたたかく曇っていて、ほんとうに入りたくなった。
◆ 教育課程編成などに係わる「保護者による外部評価アンケート」粗案をつくる。志塚教務主任との合作。
先の「生徒による授業評価」、「保護者による授業評価」と一体となって学校評価システムを構成する。
12/12頃まで、わたし、四戸教頭、志塚教務主任、それぞれに修正し、12/13には完成させたい。
1.①学校の情報発信(学校要覧・年間行事計画・学校通信・学年通信・学級通信・行事などの「お知らせ」プリント・ホームページなど)が十分だと思いますか?(よい・ややよい・ややわるい・わるい……以下、選択肢省略) |
小高・志塚作成 |
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ブログ600字の教育学へのコメント |
◆コメントありがとうございます。
わたしは、直接に教育に携わる人間が教育を語るときの「ことば」が好きです。(数年間、教育現場を離れ、教育行政の仕事をしていて、そのとき、ずいぶんさみしい思いをしたという体験が裏にあるのかもしれません。)
先日も、わたしの勤める中学校と隣の小学校とで合同の授業研究会を開いたのですが、その場で語られる「ことば」、交わされる「ことば」に、(くりかえしになりますが)「ああ、教育に携わる人間の教育を語ることばって、いいなぁぁ!」と、不覚にも目頭が熱くなるくらい感動してしまいました。
こだまさんのコメントに、そのときと同じ感動を覚えました。ほんとうにありがとうございます。
◆まず、模擬授業のとき、「意識して役作りを」という助言、ありがとうございます。
本校は模擬授業形式の研修の経験がまだまだ浅いので、教師が自分の地で、かつ、その優秀さを競うようにして、授業を受けてしまうところがあります(笑)。
「センセが、なにゆうてんのか、全然わかれへん!」という生徒役も必要ですよね(笑)
コメントを読みながら、ずっと以前、「個人差に対応した指導の工夫」というテーマで校内研修をしていたとき、「視点生」を設定したことを思い出しました。
学級の全員を、ま、簡単にいえば、①やる気と能力がやや…… ②やる気はあるが能力がやや…… ③やる気はやや……だが能力が高め ④やる気も能力も高いという4つの生徒群に分類し、各群から2人ずつ典型的な生徒、すなわち「視点生」を選び出し、それぞれの処遇策を検討したことがありました。
現在の学校の生徒の実態に即して、この伝で典型的な生徒をイメージし、「役作り」をしてみようと考えています。
◆次に「私が悲しく思うのは、学校も塾に負けないぐらい詰め込みでないかと思ってしまう瞬間です」について。
たいへんレベルの低い話になりますが、わたしは、中学校も、今、これまで以上に、そういうところに陥る危険性があると思っています。
原因の1つが「総合的な学習の時間」です。
これがなかなかうまくいきません。
総合的な学習の時間の創設で、ま、中学の国語でいえば、中1=週5時間→4時間、中2・3=4時間→3時間。
これまで週5時間(あるいは4時間)の中に、基礎的な知識や技能などを身につける時間と、それを生かした問題解決的な、応用・発展の時間とを組み込んできました。
ですから、この時数減はたいへん痛いです。
もちろん、「各教科で身につけた知識や技能等を相互に関連付け、学習や生活に生かし、それが総合的に働くようにする」という総合的な学習の時間の趣意はよくわかります。
展開次第ではこれまで教科で学ばせてきた内容の多くをカバーできるし、おお!「思考力、表現力、判断力、問題解決力が『いもづる式』にどれも伸びる」(文科省HP参照)ことも夢ではないでしょう。
◆しかし、教科の壁は(いい意味でも、悪い意味でも)高いです。(学級王国になぞらえていえば、いい意味でも悪い意味でも、中学は教科王国です。)
壁が高いという意味は、学習指導要領をみていただけばわかると思いますが、各教科の(伝統的な)学力モデル(「化学の分子モデル構造模型」というようなイメージで)が違います。(この議論をやると長くなるので、きょうのところはこれでやめます。)
◆また、文科省の調査によれば、「教師の力量と熱意に差があり指導にばらつきがでる」=76.3%。
「教材作成や打ち合わせなど授業の準備に時間がかかり、教師の負担が大きくてたいへんだ」=84.6%。
現状は、総合的な学習の時間で「生徒にどんな力をつけさせようか?」「どんな問題をぶっつけ、どんな単元を創ろうか?」より、「どんな活動をさせようか?」「なにについて調べさせ、発表させようか?」という体験活動中心タイプや、教科の補充を「関連」の名のもとに総合的な学習とみなすタイプに傾いています。
本校はこの混合です。
◆弁解ではなく、人間のエネルギーは限られています。
その配分にも動かしがたい基準があります。
学校の教育丸抱え体制のなかで、このエネルギーを必死でやりくりしています。
学校部活動体制などをそのままにして「総合的な学習の時間」を創設することにもともと無理があったと思っています。(ここ、もう少し語気を強めたいのですが、ま、いろいろあるので、優しい表現でガマンします。)
話が、グルッと、ダラダラとまわってしまいましたが、結果として、こだまさんのいう「詰め込み」塾と死闘を展開してしまうことになるかもしれない(←くどい表現!)自分を、わたしも「悲しく思」っています。
きょうはこれで終わります。
また、こだまさんの熱いコメント、頼んまっせ!
昨日、こだまさんのブログの存在を確認しました。少しずつ読ませてもらうつもりです。
なお、前回のコメントをブログ本体にコピーさせてもらいました。お許しください。
◆画像はどこ模で語る今田T。
授業者は、佐藤孝雄T(理科)、今田T(国語)。
職員会議のあとでも、学年会議のあとでも、「いつでもどこでも気楽に模擬授業!」(いわゆる「どこ模」)がやれる職員集団になることをめざしている。
◆みなみの「どこ模」の課題を列挙する。
①職員会議が終わったのが、午後4時半。2人のどこ模が終わったのが午後5時半(を少し過ぎていた)。
模擬授業10分、コメント5分、昨日は2人だから、合計30分、このくらいで終われればいい。
スクリーンをセットしたり、プリントを配ったり……という準備は前もって完了して置く。
10分間の授業時間を守る(実は前々回、わたしも守らなかった1人だか……)ようにしたい。
②授業後に「評価表」を使って点数をつけたり、コメントを書き込んだりしたが、コメントはあとから各自書いてもらうことにして、この5分間は生の発言をできるだけたくさんもらったほうがいい。
指定コメンテーターというのも1つの方法。
③生徒役が優秀すぎる。
これはどうすればいいのか、わたしもよくわからない。
多くの方の助言を請いたい。
④みなみ中には、生徒が教師を評価する評価票と、保護者が参観日などに教師を評価する評価表がある。
昨日は前者を使ったが、授業技量アップのどこ模用の評価票(評価軸)が必要である。
◆職員会議では、18年度の経営の重点案を提示した。
大項目(柱)とそれぞれの項目の№1(項目によっては№2も)を抜粋する。柱は変わっていない。よくいえばブレない。悪くいえば頑迷。
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教育課程編成会議指示事項 |
◆現在、学社連携・融合の主担当は、生徒指導部である。
連携・融合をより推進しようとすれば、①増員するか?(と、他の部を削らなくてはならない) ②スクラップ&ビルド的に仕事をスリム化して対応するか? ③連携・融合はすべての分掌にまたがるので学社連携・融合委員会という新グループを設置するか?
どれもむずかしい。
抜本的に大改革が必要だ。