職員室通信・600字の教育学

小高進の職員室通信 ①教育コミュニティ編 ②教師の授業修業編 ③日常行事編 ④主任会トピックス編 ⑤あれこれ特集記事編

職員会議のあとに佐藤公一研修主任の模擬授業

2006-04-27 08:26:59 | Weblog
06.04.27 職員会議のあとに佐藤公一研修主任の模擬授業

◆きょう、職員会議のあと、今年度はじめての模擬授業会があった。
 職員会議(図書室)で、総務部・教務部・生徒指導部・保健部・1学年・2学年・3学年……からの提案・協議のあと、研修部の提案は場所を隣の普通教室に移して行われた。
 研修部の提案のなかに「今年度の模擬授業研修計画」がある。その「模擬授業」を定期異動転入教員に口で説明するより、実演してみせようというわけだ。
 職員会議も、学年会議も、教科部会も、単なる情報伝達の場ではない。プロ教師の修業の場だ。

■授業者は佐藤公一教諭(社会)
 時間は10分、参観者(=生徒役)コメント5分。
 授業内容は、公民の定番、「サザエさん一家の系図」をもとに民法で定められている家族に関する項目を学習するものだった。

■場面1
 T(サザエさんの絵を見せて)「これはだれでしょう?」
 C「サザエさん!」
 T「今から30秒あげますので、サザエさんに登場する人物を頭の中に浮かべてください」

〈コメント〉
 「30秒間、頭の中に思い浮かべる」という課題の与え方は授業が重くなってしまう。
 この課題だと、即、列指名でもいいのではないか?
 あるいは、30秒間設定するのであれば、ノートに書き出させ、「10人以上書けた人?」などと展開したほうがいい。
 また、Tから「頭の中に浮かべてください」と指示しているのに、「カツオ!」と発言した生徒(役)がいた。
 その生徒を無視して授業を進めてしまったが、授業開きという設定でもあるのだから、ここでは適切な指導が必要だった。
 また、姿勢の悪い生徒(役)もいた。

■場面2
 30秒後、列指名で生徒に発表させる過程で、
 C「タマちゃん」
 T「はい、タマちゃん」
 C「人物ですか?」
 C「タマちゃん、人物ですか?」
 C「三平さん」
 T「はい、三平さん」……

〈コメント〉
 指導者は聞き落としたのだと思うが、2名の生徒が「タマちゃん、人物ですか?」と質問していた。きちんと解決してから、授業を進めるべきだ。

■場面3
 黒板上に張りもので家系図を完成したあと、
 T「カツオ11歳。かおりちゃん11歳。結婚はできるか?」と発問。
 「できると思う人?」「できないと思う人?」と生徒(役)に尋ね、挙手させる。
 そのあと、即「理由を発表してもらいます」と列指名に入った。

〈コメント〉
 ここでは、考える時間を設定するか、あるいは書かせる場を設定したほうがよかったのではないか。

■場面4
 結婚できない理由を発表させたあと、
 T「同じ意見の人?」「違う意見の人?」と尋ね、全員同じ意見であることを確かめる。
 そして、
T「これが公民の教科書にあります。教科書を開いてください。
 『民法731条婚姻適齢』 みんなで読みたいと思います。」
C「(一斉音読で)民法731条婚姻適齢。男は18歳に、女は16歳にならなければ、婚姻をすることができない。」

〈コメント〉
 この場面は、リズムのある展開だと思った。
 ただし「読みたいと思います」→「読みましょう」。
 そして、念押しの部分音読があればよかった。

■場面5
T「イクラちゃんが18歳になりました。ワカメちゃんは当然16歳以上になっています。イクラちゃんがワカメちゃんを好きになってしまいました。結婚はできるでしょうか?」
C「う~ん?」
C「う~ん?」
T「できると思う人?」
C「ちょっと待ってくださ~い!」
T「できないと思う人? ……3名ですね。
 これも教科書で確かめましょう。
 民法734条 <近親者間の婚姻の禁止>『直系血族又は三親等内の傍系血族の間では、婚姻をすることができない。』」 

〈コメント〉
 指導者は、ここは模擬授業の制限時間(10分間)が迫っているので急いだようだ。この場面へのコメントは避ける。
 10分間でこれだけの量が学習できるのかと驚いている。指導者に力があるからだと思う。
 加えて、授業中のいわばノンバーバルコミュニケーション【non-verbal communication】(顔の表情、ジェスチャー)に優れている。


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テンポのよい指示と発問と短い作業

2006-04-26 08:23:37 | Weblog

06.04.26 テンポのよい指示と発問と短い作業

◆4/14(金)4校時2年1組・志塚T(社会)の授業を参観した。(修学旅行出発前に1コマだけでも取材しておきたかった。)

 志塚Tの授業は①リズムがいい。(これとほぼ同じ意味だが)②ムダなことばがない。
 テンポのよい指示と発問と短い作業が組み合わされているので、生徒は学習活動にグイグイと引き込まれていく。

◆出だしの場面。
 T「ノートを開いて」
 T「速いですね。磯谷さん、磯島さんが速いですね」
 T「エンピツを置いてください」
 たったこれだけだが、背後には「短い指示」「ほめる」「全員を集中させる」という片々の技術が組み合わされ(技能)でいる。

◆出だしにつづく短い作業場面。
 T「1分間だけ、これ(アメリカの国旗)をジーッと見てもらいます。見たものをよく覚えてください。では、1分間、よ~い、スタート!」
  (1分間経過後)
 T「今から4つの質問をします。ノートに①……②……③……④……と書きなさい」
 T「質問をします。①この国旗のニックネームは何ですか? ノートに書きなさい」
 T「②アメリカの国旗は何色つかっていますか? パッと書いてね」
 (質問③、④省略)
 T「書いたらエンピツを置きなさい(←志塚Tはこの指示を絶対に忘れない)。これ、全問正解すると、アメリカ王の称号が与えられます。」
 T「はい、22番、だれ? 手をあげて。磯島さんですね。では、磯島さんの列の人にあてます。はい、○○さん!」

  謎の発問に生徒は熱中

 T「青・白・赤を使った国旗は実はたくさんあるんですが、わたしが、今、心の中に思っている国旗をあててください(「そんなァ」と生徒は騒ぐ)。地図帳をみてさがしてください。時間は1分!(←時間指定を忘れていない)」
  (1分経過後)
 T「はい、それでは地図帳を閉じてください。こっち、見て」
 T「ひじょうに速いですね(地図帳を閉じ、教師のほうを向く動作)、さすが1組!」
 T「列指名であてるよ。必ず答えてね。わたしの心の中にないとダメね。」
 このあと列ごとに指名された生徒は「イギリス」「フランス」「チリ」「ロシア」「チリ」「ロシア」……と答えた。
 T「これ以外の人?」
 C「ルクセンブルグ」「オランダ」「キューバ」……

      肩で息して挑戦するプロセスを

◆志塚Tに2つ注文したい。
 注文① 3/8保護者参観日で志塚Tの授業を参観した保護者の意見の中に「楽しくわかりやすい授業だったと思いますが、授業の速度が遅すぎると思います」というのがある。
 偶然、わたしもその授業を参観していて、保護者の指摘と同じ感想をもった。
 4/14の授業でも短い作業場面が連続し、やや緩慢な印象を受ける場面があった。最初の1時間なのでオリエンテーション的な意味合いがあるにしても、「できない状態」から「できる状態」に向かって肩で息して挑戦していくプロセスがほしい。これが少ないので、生徒は「おもしろかった」し、「一生懸命やった」のだけれど、では、この50分間で何が「わかった」のか? 何が「できるようになった」のか?と問われると、どうもはっきりしないというレベルにとどまってしまうのではないか。

◆注文② 「音読はエネルギー」が持論のわたしとしては、志塚Tの「指示、発問、作業、解答……」のプロセスに「いっしょに読みましょう」「全員起立、3回読んだら座りましょう」「念のためにもう一度読みましょう」等、音読場面のセッティングされることを熱望する。(「志塚Tの授業」以上)

★みなみ中教職員 禁句集

(1)呼び捨て禁止
  生徒に対する呼び捨てはやめる。授業場面、日常生活場面、教職員同士で生徒を話題にする場面などについて呼び捨ては改めたい。

(2)自分のことは「わたし(わたくし)」
  教師が自分のことを「先生は……」というのもやはり変だ(世間の非常識)。「わたし」への転換を。

(3)業界短縮用語は極力避ける
  ×学坦、×養教、×教科担、×市教委、×社教……等           〈文責 小高 進〉



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自分で自分がうまくコントロールできない 

2006-04-24 08:21:43 | Weblog

06.04.24 自分で自分がうまくコントロールできない

◆ここしばらく精神的に自分で自分がうまくコントロールできない状態にある。
 自分をきっちりと縁取っていた輪郭が崩れている。あるいは、自分を世界に位置づけてきた堅固な枠組みが融解してしまっている。
 コントロールできないから、分析も十分にはできていないが、ただ、常識的に考えて、すべての輪郭が崩れてしまったのではないはずだ。一部分(ただし極めて重要な一部分)が崩れたため、それが全体に影響を及ぼしているのではないか?……。

■こういう症状は今にはじまったことではない。
 何度もあった。
 大学時代にもあった。
 市教委に勤務していたときは、このまま前に進むことはできない……と、紙にマジックで黒い塊を描き、ディスプレイの下部に貼り付け、見つめていたことがある。
 今もその黒い塊とともにどん底で孤独に沈潜していたい気分だが、そうもいってはいられない。どん底に沈んでいても、生きていかなければいけない。わたしに託された責任というものがある。

■昨晩から、深海魚のように自家発電して、自分のうちにあるベクトル(こういう状態からこういう状態に進みたいという方向とエネルギー)を一本一本、チェックしている。しぶとく?生き残っているベクトルが必ずあるはずだ。これって、只の「意地」といってもいいかもしれないけれど。

■昨晩、わたしの喉の調子を心配した知人から電話があった。
 FM放送で、声楽家&作曲家の女性が喉を痛めたとき、医師から「作曲もやめてください。作曲は無意識のうちに声帯に負担をかけていますから」と言われたという。
「あなたも同じではないか? 思考が無意識のうちに声帯に負担をかけているのでは……?」と知人はいった。
 一瞬、「なるほど」と思ったが、待てよと思った。
 わたしの場合は逆で、声帯の不調が精神全体に悪影響を及ぼしているのでは?


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黄金の3日間

2006-04-13 08:18:45 | Weblog

06.04.13 黄金の3日間

◆あっと気がついたら、もう4月も半分、過ぎていた。
 ウソをついてもしようがないので、はっきり書くが、心も体も決してベストとはいえない状態だったので、厳しい(大阪弁でいうとホンマに「シンドイ」)2週間だった。

■学級経営上、始業式・入学式後の3日間を「黄金の3日間」と呼んでいるが、学校経営では、
 ①年度はじめの第1回職員会議(4/3)
 ②第2回職員会議(4/5)
 ③年度初めの職員朝会(4/6~4/10)
 このあたりが「黄金の3日間」に相当する。

■第1回職員会議では、まず、校内組織(校務分掌・学年担当)を固めた。
 昨年と同様、安定感と創造性のある学年組織と各校務分掌組織づくりを心がけた。
 新規では、教務部にITと教育情報発信担当者を配置した。
 また総務部には〈すこやかみなみネット担当者〉を配置した。
 つづいて、経営の重点(方針)大項目・中項目を提示し、それを担う担当部署を確認した。
 できるなら網羅的なレジメにしたくないと思ったが、わたしの指事事項のあとにつづく学年部会・職員室内移動作業・校務分掌会議・教科部会・教科主任会・領域部会のことを考えると、やむをえなかった。

■第2回職員会議では、①すぐれた教育行為を支える「すぐれた教育思想」について述べる。
 他に、②教職員の学社連携・融合コーディネーター機能 ③すこやかみなみネット事業(パワーポイント)にも触れたかったが、やはり時間的にむずかしかった。別の機会に。

■「黄金の3日間」の最終日は、①服務規律の確認と②まさしく学級経営の「黄金の3日間」について述べた。

■その学級経営、学年経営の「黄金の3日間」が4/10からスタートした。
 4/10(月)プログラムは学年によって異なるが、1学年の場合、①学級活動②学級活動③NRT④学年給食指導⑤NRT⑥集団行動訓練 (※NRT=標準学力検査)
 4/11(火)全学年共通プログラム①写真撮影②③身体測定と学級活動④NRT⑤NRT⑥学級活動
 4/12(水)全学年共通プログラム①学級活動②③道徳性検査④学級活動(3年=選択教科の説明)⑤⑥生徒会オリエンテーション

■カチンコチンに緊張していた1年生の教室内に徐々に笑顔が満ちるようになった。と同時に、不調だった自分の心と体もよい方向に向かいはじめたような気がする。


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入学者選抜システムについて取材を受ける 

2006-04-02 08:13:44 | Weblog

06.04.02 入学者選抜システムについて取材を受ける

◆先月末、青森県立高等学校入学者選抜システムについて、デーリー東北・松浦記者の取材を受ける。(以下はわたしがコメントした内容である。)

■教育という仕事は、調和のとれた人間的発達を至上の価値ととらえ、発達的価値をひとりひとりの子どものなかに実現しようとする意図的・人為的ないとなみである。
 注意しなければいけないのは、この「意図的・人為的ないとなみ」という点である。すなわち、発達的価値をひとりひとりの子どものなかに実現する過程で、発達的価値とはなにかについて、子どもではなく、わたしたちが一定の判断をくださなければならないということだ。
 また価値実現のために、なにをするべきかについても、同じだ。 これは考えてみると、途方もないというか、そらおそろしいくわだてである。
 選ばれた価値がかならずしも子どもの人間的発達を保証するとは限らない。選ばれた内容や方法がかならずしも子どもにマッチするとは限らない。
 わたしたちはこの「そらおそらしさ」に耐えながら、思い悩みつつ、教育という仕事にたずさわっている。
 高校入学者の選抜についても同じである。
 子どもたちを選抜するというのは、途方もなくそらおそろしいくわだてである。
 したがって、中学校側も、高等学校側も、この「そらおそろしさ」を共有しつつ、選抜システムを成熟させていかなければならない。

■選抜システムについては、よいシステムを求めて歴史的な努力がなされてきたが、完璧な入試システムというのは、なかなかみつからない。
 そういうなかで、今回の本県の前期(75~90%)・後期制(10~25%)はよく考えられたシステムであると評価している。
 落ちる回数が増えたという人もいるが、進路について真剣に考え、自分を見つめ、高める機会が増えたことの裏返しだ。

■ただし、選抜方法については問題点もある。
 八戸地域の高等学校の選抜方法はおおむね妥当だったと判断している。
 ただし、広く県内をみると、傾斜配点で「英・数・国2倍」などという例もある。
 「英・数・国2倍」(1.5倍も含めて)が何年かつづいたり、同一歩調をとる高校が増えてきたりすると、①調和のとれた人間を育成しようとしている中学校の教育課程に強い影響を与えるし、②はじめから受験をあきらめてしまう生徒も出てくる(「求める生徒像」(含選抜方法)の提示の仕方を誤ると、「求めない生徒像」になる)。
 また、特別活動や部活動などについては、中学校では数値評定していない。それを入試で点数化している高校がある。これはどういうことなのか? 今後、中学校・高等学校間および学校教育・社会教育間で慎重に協議していかなければならない問題だ。
 特に部活動については、教育課程外活動で、本来、任意参加であるべきものだ。それが調査書の項目にあること自体、大きな疑問をもっている。

■学習指導要領に学習内容を盛り込みすぎると、なんでもかんでも学校で……ということで学校が肥大化し、学校・家庭・地域のバランスが崩れる。結果として、それぞれの教育力の低下をまねいてきた。
 同じように、人間を総合的に評価することをねらって、入試評価項目を盛り込みすぎると、意図そのものは評価するが、本県の現時点の現状では、やはり学校が肥大化し、学校・家庭・地域のバランスの悪さをさらに悪化させる恐れがあ
る。(新聞記者へのコメント以上)

■新年度の自分の行動の「設計」をしていたら、下記のような過去の記述をみつけた。

こうしてメモをしているのは、メモしておかないと、次から次にみんな忘れてしまうからだ。
 みんなラッキョウの皮のように捨てられてしまうからだ。
 ラッキョウの皮をむきおわったとき、僕の掌にはなにも残らないだろうと予感するからだ。
 僕がほんとうに大切にしなければいけないのは、他ではない「ラッキョウの皮」そのものなのだと気がついたからだ。

一昨年の『生の声』シリーズは少し気取りすぎた。
 「小説」を意識しすぎた。
 すなわち、「ラッキョウの皮」をむいていく「僕」に、あるいは「僕」がラッキョウの皮をむくという行為そのものに焦点をあてすぎた。
 去年の『×××様へ』シリーズは、『生の声』の延長線上にある。
 『生の声』で結局、焦点を当てる「僕」と当てられる「僕」との差異性、落差を見きわめることができなくなって一旦投げ出してしまったあと、他者へと向かう新たな「僕」を設定したのだ。
1985/9 Diaryから

■上記の表現を借用するなら、今年度の「設計」は、「×××様と」だ。限定された「×××様と」ドラマを創出する。頑迷に、限定する。


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