職員室通信・600字の教育学

小高進の職員室通信 ①教育コミュニティ編 ②教師の授業修業編 ③日常行事編 ④主任会トピックス編 ⑤あれこれ特集記事編

しもさきさんの語りは、わたしが自分の魂の内側を底にむかって孤独に降りようとするとき、その道々を明るく

2008-02-27 20:50:31 | Weblog

◆バスの中では放送内容より雑音のほうが大きくなって、ほとんど聴けなかったが、それ以外はよく聴けた。

 以下、粗くリスニングメモ。

(1)なぜ、しもさき博之さんの語りを聴こうと思うのか?
 もちろん、こういうことはよくわからないし、ことばで説明できるものではないのだけれど、しかし、そこを強いてことばにするとすれば、しもさき博之さんの語りは、わたしが自分の魂の内側を底にむかって(←ま、「底」なんかあるのかどうかもわからないけれど……)孤独に降りようとするとき、その道々を明るく彩ってくれるのだ。
 わたしがよくいう「しもさき君、行って、そのあなたの憂愁の深さのほどに、あちらこちらと明るく彩ってやぁぁ~……!」というのは、このことだ。

 番組の後半、孤独死したT氏の話になった。(そのときのわたしの位置 新荒町→桜木町間を徒歩中)
 一見、「明るく彩る」しもさき氏の特性とは逆のように感じられる方もいるかもしれないが、あの話で孤独なわたしが「明るく彩」られる格好になっているのだから、もちろん、あの語りでいいのだ、あるいは、あの語りもいいのだ。

(2)二十三日町と荒町のあいだの暗がり(←路地ではない。午後6時台の中心街のメインストリートだ。念のために)を歩いているとき、「夜が明けて」が流れて、わたしの心のうち、いや「底」をみすかされたような気がしてドキッとした。

 わたしがこの曲を聴いたのは坂本スミ子で1972/3。(わたしとしもさき博之氏が出会う約1ヶ月前のことだ。)
 坂本スミ子の、夜明けなのだか、新しい夜のはじまりの予感なのだか、わからない感じの歌い方が、当時のわたしの心の状態にピッタリだった。
 そして、今のわたしの心の状態ともピッタリなのだ。

 1972/3の想念と2008/2の幻影とがかきまぜられ、しかも、その「夜が明けて」を流したのがしもさき博之氏だということもあって、わたしの心は「これっていったい何やネン……」と相当に揺れた。(中心街が暗がりで、ホンマ、よかった。)

(3)リクエストのはがきを紹介したり、はがきの主に語りかけたりするときのしもさき氏の語りは、一級品だ。
 聞き手に、放送を聴いているという状態を忘れさせる。
 スタジオとスタジオの外とが非連続に連続して、スタジオ=宇宙になる。

 これはスゴイ。
 しかし、ニュースとコマーシャルの語りははなはだ精気に欠ける。
 わたしはしもさき博之氏のニュースが聞きたい。
 コマーシャルが聞きたい。 
 ニュースとコマーシャルにおいて、街頭の騒音に語り負けしない、魂の精気あふれる語りを望みたい。
 頼んまっせぃ~!

(4)もうひとつ。
 世の中には無数の重心があって、そしておそらくすべてが正しくて、唯一の正義なんてどこにもない……というのが、わたしの立場だ。
 このことに関して、わたしはしもさき博之氏に異議があるのだが、きょうはもうエネルギーが尽きた。
 このことは次回に述べることにする。

※職員会議のあとに開かれた嘉瀬教頭Tの模擬授業に生徒役で参加する志塚T

帰路のルートをイメージして、同時に、そのルートに合わせるように「Be Pop Evening!

2008-02-27 20:45:13 | Weblog
◆昨日、帰路、防寒コートの胸ポケットにピンで留めた携帯ラジオで、BeFMの「Be Pop Evening! しもさき博之」を聴いた。
 毎週火曜日がしもさきさんの担当だ。
 しもさきさんの語りは、可能な限り毎週聴きたいと思っているのだけれども、会議だとか、移動中だとか、出張だとか、自分自身のスケジュールの関係で、10分間くらいしか聴けなかったり、まったくスイッチも入れられなかったり……という状況で、なかなか聴くことができない。

 昨日は県立高校前期入試の日だった。
 各高校とも面接・実技等が予想外に早く終了し、本校の入試対策本部も午後5時前に解散することができた。
 朝からずっ~と神経をピリピリさせていたので、ひさしぶりに徒歩とバスの組み合わせで、ユルユルと、ダラダラと、ぼんやりと、もうろうと帰ってみたいと思った。

 帰路のルートをイメージ(徒歩でほたるの里→岬台銀行前まで、ここからバスで朔日町まで、朔日町から再び徒歩で十六日町→二十三日町→荒町→新荒町→桜木町→根城)して、同時に、そのルートに合わせるように「Be Pop Evening! しもさき博之」リスニング計画を立てた。

※画像は、きょう、職員会議のあとにひらかれた嘉瀬教頭Tのひとり模擬授業大会。

それはそれでたいへんや、たいへんや、いったい、どないシマンネン

2008-02-26 20:13:36 | Weblog
◆どちらもおもしろいし、はずれてはいないと思うが、今回、まったく異なる観点から、新しい理由を2つ発見した。

 ひとつは、古書店改装の過程で、書架を2つ、古い机のひきだしを生かした書物箱3つを増やしたのだが、その書架のうちの1つがスチール製だった。
 これだけが金属製だということに加え、事務用ファイルにも対応した製品だから、奥行きも結構あり、強烈な圧迫感がある。

 2/23、これを廊下に出すことによって、居心地のいい空間に生まれ変わる。

◆もうひとつは、だいたい古書店で自分はなにをしているのか?ということだ。

 これは、はっきりいって、いつもいつも、土・日に追われ仕事を、この古書店に持ち込んでいる。

 今回の土・日(2/23・24)も、結婚式の引き出物用の大型袋に下記の(1)~(6)関連の資料を詰め込み、この古書店に持ち込んでいる。

(1)進路研究誌の原稿書き
(2)PTA広報誌の原稿書き
(3)2/28すこやかみなみネット事業推進委員会用レジメ原稿書き
(4)某誌掲載用すこやかみなみネット詳細の原稿書き
(5)新「職員室通信」の原稿書き
 
◆それを今回は、(1)進路研究誌の原稿を書き上げたところで、あとはすべて放棄。
(もちろん、放棄したからといって、もう原稿は書かんでもええということになったわけではない。あすからの時間の中で、なんとかやりくりしなければいけない。だから、それはそれでたいへんや、たいへんや、いったい、どないシマンネン……という厳しい状況なのだけれど……。)

 要するに、遊んだのだ。

☆デジカメで書架の撮影(ここに使っている画像が、それ。)

☆書架、撮影中にみつけた大学時代のマッチの撮影

☆7MHでJA4とJA1の局と交信。
(わたしの古書店の片隅には無線送受信機がセットされている。フル送信能力は500W。もちろん普段はそんなにアップしないけれど……。) 

☆無線交信のあと、FMを聴く。
 ▽N響広場~室内楽の魅力~「弦楽四重奏曲“不協和音”K.465(モーツァルト作曲)」「フルート四重奏曲 第1番 K.285(モーツァルト作曲)」「ザ・ジェット・ホイッスル(ヴィラ・ローボス作曲)」「弦楽四重奏曲 第4番(バルトーク作曲)」「“カプリオール組曲”から“バスダンス”、“トゥルディオン”、“ブランル”、“ピエゾンレール”(ウォーロック作曲)」「3つの小品(イベール作曲)」……。

◆ひとつの結論。

 居心地のよい古書店にするためには、古書店に追われ仕事を持ち込まないこと。

自分の古書店の古書の背後には自分の人生がある

2008-02-26 20:11:25 | Weblog
◆ふたつめ。
 これも抜粋して紹介する。

 自分の古書店の古書の背後には自分の人生がある。
 自分の古書店に身を置いていると、自分の人生のあこがれ・挑戦・苦しみ・悲哀・絶望等がおしよせてくる。
 いや、決してそれがイヤだと言っているのではない。
 仮にもう1度、人生を生き直すにしても、再びその「あこがれ」「挑戦」「苦しみ」「悲哀」「絶望」に出会いたいと思うが、それらに取り囲まれたときに息苦しさが伴うことは否定できない。

 他人の古書店の古書の背後には無数の人々の人生がある。
 そして、その人々のあこがれ・挑戦・苦しみ・悲哀・絶望が存在しているというのは同じだ。
 しかし、自分のそれに比べると、息苦しさがなく、物語性が伴う。
 息苦しさがなくて、物語性が伴う「あこがれ」「挑戦」「苦しみ」「悲哀」「絶望」の空間。
 ホンマ、宇宙空間に飛びだしたような感じでんなぁぁ~。
 これが古書店のひとつの楽しみなのだが、自分の古書店でも、他人の古書店のように楽しめるようにつくりかえる方策はないのだろうか?

自分の精神の内部をお客さんの視点で見直してみる

2008-02-26 20:09:40 | Weblog
◆またまた自分の古書店に自分の身を存在させることが苦痛になった。
 このことについては、これまでもその理由をいろいろと当て推量してきた。

◆次が、そのひとつだ。
 抜粋して紹介する。

 「書棚の書物」=「自分の精神構造」という認識がある。
 ここに身を置くと、その、いわば、自分の歴史的な精神構造に、今の自分ががんじがらめに縛られてしまう。

 この状況を、先日、お客さんにそこにある書物を手にとってみたいと思わせるように改装した。
 そうすると、この古書店に対する自分の気持ちがガラッと変わり、すごく居心地のいい空間になった。

 これを、少し気取ったいい方をすると、(1)自分の精神の内部をお客さんの視点で見直してみる、あるいは、(2)自分の精神の内部にお客さんと同じ視点を有しつつ存在してみる……ということかもしれない

こちら側とあちら側の接点がむきだしになって迫ってきて、非情迅速の思いにかられる

2008-02-23 08:06:31 | Weblog
◆PTA総務委員会が、2/14(木)午後6時30分から、本校の図書室で開かれた。

 出席者は、会長、副会長3名、監査2名、会計、書記、生活指導委員長、環境厚生委員長、教養委員長、部活動委員長、広報委員長、1学年委員長、2学年委員長、3学年委員長、嘉瀬教頭、志塚教務主任、わたし。

 案件は
(1)PTA事業報告会の持ち方について
(2)PTA新年度役員推薦委員の選出について
(3)卒業式の応援について
(4)教職員歓送迎会について
(5)バザーの収益金の使い道について
(6)すこやかみなみネットOB会の設立について

 もう時期が時期なのだから、案件についてはぼんやりと予測はできていたのだが、具体的にこうして、今年度の大づめ事業(=事業報告会・卒業式等)に混じり、新年度の開幕事業(=新年度役員推薦委員・歓送迎会等)が並ぶと、こちら側とあちら側の接点がむきだしになって迫ってきて、非情迅速の思いにかられる。

 冒頭、わたしのあいさつがあったのだが、こういうときは、そのむきだしの接点を包括する、日常を超え出るなにものかをゆったりと創出し、提示できればいいのだけれど、残念ながら人間が小さくできているので、逆にむきだしの接点に動揺している自分をさらけだしてしまった。
 ホンマ、スンマヘンでした。

◆PTA事業報告会は、昨年と同じように、3/5の1・2年保護者参観日とセットにして実施する。
〈時間〉
 13:55~14:45 授業参観&保護者による授業アンケート実施
 14:55~15:25 PTA事業報告会
 15:35~      学年保護者集会・学級懇談会

 PTA事業報告会の時間が30分で、このなかに(1)会長あいさつ (2)PTA功労者表彰 (3)各委員会の事業報告(8委員会)(4)わたしのあいさつ

 この「わたしのあいさつ」については、当初、パワーポイントをみてもらいながら本校の、あるいは、すこやかみなみネットの今後の課題を……と、ぼんやりと考えていたのだが、実際の計画をみると、とてもそういう時間はなさそうだ。

 むしろ、各委員会の発表に時間をいっぱいいっぱい使ってもらいたい。
 そして、各委員長さんには、わたしがいつも述べている、学校・家庭・地域のネットワークの中核としてのPTAの、その具縦粋な活動をじっくりと語って、PTAという人材の宝庫がよりいっそう力強く動きはじめるきっかけをつくりだしてほしい。

◆すこやかみなみネットOB会の設立については、今回、わたしがもっとも注目している案件だ。
 OB会の設立がどうなるかによって、今後のすこやかみなみネットの推進力が大きく変わると考えている。

 その理由を粗く2点述べる。
(1)OB会の方々に、学校と地域の「懸け橋」的な役割を期待する。
 ネットワークを形成しようとするとき、これまでつながりが脆弱だった箇所が、当然、ネックになる。
 ごくごく一般的にいって次の4点が考えられる。
 ・小学校と中学校のつながり(P同士も、T同士も)
 ・PTA役員と一般会員のつながり
 ・PとTのつながり
 ・学校(含PTA)と地域社会のつながり
 OBの方々には、特に4番目の「学校と地域社会のつながり」という点において、学校側の一員という立場を内包しつつ、地域社会の側に立って、より堅固なネットワーク形成のためにご尽力いただきたい。

(2)もう1つは、当然のことだが、すこやか設立時の労苦から得た知恵と技を、今後のすこやかみなみネットの維持・発展のために生かしていただきたい。
 わたし流にいえば、PTA活動は社会貢献活動の第一歩だが、従来、子どもが卒業するのと同時に、ただただ一方的に人材を放出してきた。
 これはこれでよい面もあると思うが、このことがPTA活動のマンネリ化の一因となっていると思われる。
 すこやかみなみネットのOB会が設立することによって、PTAが変わる、そして、すこやかみなみネットの独自さがより明確になるという確信がある。

◆今回は時間の関係で、すこやかみなみネットの会則第4条「この会は、次に掲げる諸団体等をもって組織する」を一部改正し、OBを付け加えるというところまでしか進まなかったが、これから開催される2/28のすこやかみなみネット事業推進委員会、および3月末のPTA総務委員会で煮詰めていきたい。

◆午後4時から八戸市中学校教育研究会第4回理事研修会に出席する。
 会場の第二中学校まで和田T(進路事務局長)の車に乗せてもらう。
 みなみ中からは和田Tのほかに佐藤公一T(社会科事務局長)、本田T(音楽科事務局長)も参加。
 この会が開催されるたびに、本校から4名も出張になるので(きょうは午後4時からだからいいが)結構、たいへんなのだ。

 会の終わりにあいさつを求められる。
 八戸市中学校教育研究会の今後のあり方について語るか、会の終わりのごくごくありきたりのあいさつにするか、少しだけ迷い、後者を選択した。
 わたしには会場の図書室が、非常識なほど寒すぎたのだ。

 帰路、眼科に寄り、逆さまつげを抜いてもらう。

堀辰雄の『書簡集』とドーデの『風車小屋だより』の説明はまた後にして『やまねこ通信』について説明する

2008-02-20 21:14:43 | Weblog
◆昨夜の「通信」の話のつづき。

 昨夜も触れたように、これまで「学級通信」「学年通信」「学年事務通信」「研修通信」「教頭メモ」「職員室通信」「主任会通信」……等々、いろいろな「通信」を発行しつづけてきた。

 「通信」には、(1)現状をどう受けとめているか? (2)その現状をどういう状態にしたいと思っているのか? (3)そのために具体的にどんな方法をとるべきだと考えているのか? そして、もちろん根本に(4)全体(教職員・保護者・生徒等)と部分である自分とがどう結合・統合していると自分は感じているのか?……等々が、もっとも必死なかたちで収斂されている。

 わたしは自分のことを「通信魔」だと思っている。
 それは、「通信」を発行するという方法以外にも、いろいろな方法が考えられるのに、そのなかから特に「通信」を発行するという手段を選択し、加えて、それで最後まで押し通そうとするからだ。
 これまでの同僚のなかには、わたしがあまりに「通信」にこだわるので違和感をもった人もいたはずだ。

 夕食中にバタバタと(バタバタでは済まない。バタバタ、バタバタ、バタバタ、バタバタと)通信を印刷し、「そこまでやらなきゃいけないの!!!」と妻を怒らせたこともある。

◆その「通信魔」の原点……というか、わたしに強い影響を与えたのが、堀辰雄の『書簡集』、ドーデの『風車小屋だより』と、もうひとつ、強い影響というより、かつて自分がやっていたことが現在の自分を強くしばりつけているという意味合いのほうが強いのだが、教師の仲間内でやっていた『やまねこ通信』だ。

 堀辰雄の『書簡集』とドーデの『風車小屋だより』の説明はまたいつかすることにして、今は『やまねこ通信』について簡単に説明する。
 若い頃、教師仲間で互いの実践を持ち寄り、意見交換をしたり、模擬授業をしたりしていた。
 持ち寄る資料のなかには、きちんと仮説を立て、生徒を実験群と統制群に分け、ひとつの結論を導き出した論文もあったが、たいていは、自分で作成したワークシートや試験問題、それに、それこそさっき発行したばかりという「学級通信」などにメモ書きしたようなものだった。
 その持ち寄った資料を綴じて製本したのが『やまねこ通信』だ。
 題字を書いてくださったのが、なんと野口芳宏先生だった。

 ページを開くと、部活動を終わらせ、息せききってかけつけた仲間の表情が浮かぶ。
 語りが聞こえる。

 もう一度、ここに帰りたい。
 帰らなければいけない。

◆これ(600字の教育学)は、1日の終わりに、クタクタになり、ボロボロになり、発泡酒に少し酔い、ヨタヨタと記述するブログだ。
 厳密に前後を考えて書いているわけでもないし、結論を定めて書いているわけでもないし、また結論をつきつめようとしているわけでもない。

 だから、実は、こうして書きながら、自分が何を書きたいのかが、今、やっとはっきりしてきたのだ。
 ホンマ、なにしてマンネン、スンマヘン、スンマヘン。

 今、わたしは、もう一度『やまねこ通信』に戻ろうとしている。
 それは、いつ頃からか、わたしの「通信」には『やまねこ通信』とは違う方向……というか、『やまねこ通信』がもっていたよさが抜け落ちていることに気づいたからだ。

 今の「通信」には(1)現状をどう受けとめているか?という内容が含まれている。
 (2)その現状をどういう状態にしたいと思っているのか?という内容も含まれている。
 (3)そのために具体的にどんな方法をとるべきだと考えているのか?という内容も含まれている。

 いい加減なことは書いていないつもりだ。
 ま、書きたくとも(弱い)立場上、あるいは、あっち立てればこっち立たず、こっち立てればあちら立たず……で書けないこともあるけれども……

 問題は、(4)全体(教職員・保護者・生徒等)と部分である自分とがどう結合・統合していると自分は感じているか?……がスッポリと抜け落ちているのだ。
 くどいようだが(←少し酔っぱらっているので)『やまねこ通信』は(1)も(2)も(3)もはっきりしない。
 しかし、(4)がある。

 くどいようだが(念のために)、もう一度『やまねこ通信』に戻ろう。

由美子はん、カゼはまだ治ってまへんけど、やっぱりどうしてもふるえる朱色のかがり火に自分の身を照らし

2008-02-19 20:57:04 | Weblog
◆お正月、いつもの山間にある温泉に行こうと、いつもいつもあきれてしまうくらい長い時間待たされる、赤・青・黄と←・↑がセットになった信号機がある大きな交差点に差しかかったのだけれども、なんと自動車が混んでいるにもかかわらず、ノンストップでGOだった。
 ここの交差点を、ノンストップでGOというのは、手前の信号機との関係もあって、これまで1度もない。
 加えて、なんと帰路もノンストップだった。
 帰路のここの交差点は、往路よりたいへんで、もちろんノンストップでGOといったことは、これまで1度もない。
 1度も経験したことのないことが、往復セットで起こったのだ。

◆お正月からこういうことが(いちいち例をあげることは慎むが)わたしにジャンジャン起こっている。

 今年はトンデモナクいい年ではないか?と、お年玉つき年賀はがきの当選発表の日、下2ケタの切手シートしかあたったことのないわたしは、相当期待して(もちろん6ケタを)チェックしてみた。

 しかし、結果は、やはり下2ケタ以外はかすりもしなかった。
 「やっぱり、アキマヘンなぁぁ~」と思っていたら、電話がなった。
 日頃、仰ぎ見ている畏友からだった。
 君からもらった年賀状がスゴイぞぉぉ~!
 上から5ケタまであたって、最後の最後1ケタで外れてしまった。
 残念だったけど、興奮したよ。
 まちがいなく、君が出した年賀状に当たりクジがあると思うよ……という電話だった。

 2人で笑いあっているうちに、1枚だけ書き損じはがきがあることを思い出した。

 調べてみる。
 10万の位……当たり
   万の位……当たり
   千の位……当たり
   百の位……当たり
   十の位……ああぁぁぁぁ~外れ。

 やっぱり当たりクジは発送しているようだ。
 わたしから年賀状を受け取った方々、もう一度調べられてはどうだろうか?

◆多くの教師がそうだろうと思うが、わたしも「通信」発行の歴史が長い。
 学級の生徒・保護者を対象にした「学級通信」
 学年の生徒・保護者を対象にした「学年通信」
 学年の教師を対象にした「学年事務通信」
 学校の教職員を対象にした「研修通信」「職員室通信」
 学校の主任教師を対象にした「主任通信」
 変わったところでは、教頭時代(わたしは教頭を3年間やったが、その3年目の1年間)、校長を対象にした「教頭メモ」
 たいていは1週間に1回の発行だが、「教頭メモ」は毎日発行だった。
 (お正月から幸運ジャンジャンは前座で、ほんとうはこの記事をきょうのメインにするつもりだったが、いつものことやけど、力が尽きてしまった。つづきは明日、書くことにする。)

◆由美子はん、カゼはまだ治ってまへんけど、やっぱりどうしてもふるえる朱色のかがり火に自分の身を照らしてみたくて、かがり火えんぶりに行ってきましたでぇ~^^;

逆にいうと、自分ひとりしか語れないような実践の仕方はダメだということなのだろう

2008-02-18 20:39:36 | Weblog
◆恒例行事のように、ノドの痛みからはじまる風邪をひいてしまった。
 2/13(水)、私立高校入試の朝、のみこむとノドがかすかに痛かった。
 「シマッタぁぁぁ~、風邪をひいてしまったぁぁ~」と思っていると、2/14(木)には、その痛みの度合いが2倍くらいになり、夕刻には、他のいくつかの症状も加わり、2/15(金)遂に年休。

 前にも書いたが、2/17(日)階上町生涯学習のまちづくり町民大会で、学校・家庭・地域の協働による教育コミュニティづくりについて語ることになっていたので、2/15朝、志塚Tに電話で「これ以上、悪化して、ダウンというときには頼んまっせぇ~」と代役を哀願・懇願。
 さいわい、2/16(土)目がさめると、よくはなっていないものの、悪くもなっていなくて、いつもの最悪の事態はまぬかれそうだった。

◆2/17(日)は一応、なんとかわたしの役目を終えることができたのだが、今回の「代役懇願・哀願」を通して、あたりまえのことなんだけれども、小さい人間のレベルに留まりつづけているわたしとしては大きな発見があった。

 志塚Tに電話で代役を懇願・哀願したあと、これまでに経験したことのない不思議な感覚を味わった。

 自分が実践していることについて、自分と同じレベルか、それ以上のレベルで語れる人物がいる……と思ったとき、自分のパワーが2倍にも3倍にもなったような気がしたのだ。

 これは「毛利の3本の矢の訓え」と同じだ。
 1本だとすぐに折れる。
 しかし、3本束ねるとなかなか折れない。
 すこやかみなみネットの実践については、わたしも語れるが、志塚Tも語れる。
 四戸教頭T(現根城中)も語れる。
 嘉瀬教頭Tも語れる。
 柴田PTA総務委員長も語れる。
 すこやかみなみネットの5本の矢の訓え……だ。

 多くの人々と目標を共有し、日々、連携・融合、協力し合いながら実践しているのだから、これは当然といえば当然のことだ。
 逆にいうと、自分ひとりしか語れないような実践の仕方はダメだということなのだろう。

 さらに、念のために付け加えるなら、実践を語るときは(たとえば「階上町生涯学習のまちづくり町民大会」など)この志塚Tに語り負けない、柴田さんに語り負けない、四戸Tに語り負けない、嘉瀬Tに語り負けない……という気概が必要だと思っている。

◆2月が近づくと、いつも、今年こそはじっくりとえんぶりをみてみたい……と思う。
 早朝の冷気のなかでの長者山新羅神社の奉納摺り。
 中心街のえんぶり行列。
 市庁前広場のかがり火えんぶり。
 更上閣のお庭えんぶり。
 ふるえるかがり火に照らされたとき、自分はどんな時空間を駆けめぐることだろう?

 きょうの体調ではまだまだムリだが、2/19午後6時、7時頃のかがり火えんぶり、あるいは2/20午後6時、7時頃のかがり火えんぶりはなんとか参加できるようになりたい。

※画像は、浜通地区中学校情報交換会で、ここ(みなみ公民館&みなみ中学校)は、社会教育エリアのへそと学校教育エリアのへそがぴったり重なった地点だ……と、あいさつするわたし。

カウンターが300000番。「野山を越え、海を渡り、夜空飛び、ここまで来ました」という感慨

2008-02-13 20:41:25 | Weblog
◆このホームページ(以後、「HP」と略)のカウンター(右側の中程)が2/10夜、300000番を超えた。
 たまたま見たときに299999番だったのだ。
 しばらくしてもう一度見ると、数字はもうかなり進んでいた。

 このHPとカウンターの設置は平成16年(2004)3月だった。
 だから、3年と10ヵ月かかって300000ということになる。

 これを多いと感じるか、少ないと感じるかは、人によって異なると思うが、1日最低でも1000ヒットを期待しているわたしとしてはから、「順調に進んでいれば、もうとっくに1000000を突破していなくてはアカンのに、ホンマ、なかなか進めへんもんやなぁぁ~」と絶望している。

 ただ、カウンターにもいろいろある。
 同じ人が同日、何回訪れても「1」しか刻まないような……重いカウンターもあれば、ちょっと触れただけで、3つも4つも進んでいくような超軽のカウンターもある。
 で、このカウンターは……というと、残念ながら、どちらかといえば軽いほうなのだ。
 そんなに軽いにもかかわらず4年もかかって、300000しか進まなかったということになる。

 だが、しかし、しかし、やはり300000は300000だ。
 ひとつの節目。
 300000という数字は、こんな……ショーモナイ(←大阪弁で「つまらない」)……HPにわざわざ来て、カウンターを1つずつ、コロン、コロンと進めてくださった方のお気持ちの積み重ねだ。
 心より感謝申しあげる。
 ホンマに、ホンマに、おおきにィ~!

◆もうひとつ、わたしには、HP=わたしの存在の仕方そのもの……という認識がある。
 この点に関しては、わたしの身の上と密接不離の関係にあるので、300000という節目には、いささか身にしみるものがある。

 このHPは、教育委員会勤務を終えて教育現場に戻ることを記念して設置した。(それ以前は、自分の正体をどこのだれかあいまいにしたまま、まったく別種のサイトを運営していた。)
 カウンターついては、1日ごとの記録が1週間分グラフと数字で表示されるところが気に入り、採用した。

 これが、1、2、3……と数字を刻みはじめた頃のわたしの存在の仕方と、300000番を超えた今のわたしの存在の仕方との「差異」に関しては、「野山を越え、海を渡り、夜空飛び、ここまで来ましたんやでぇぇ~」と、ひとり語りしたくなるくらい、感慨深いものがある。

 この「感慨」については、職員室通信と保護者通信の関係だとか……、この「600字の教育学」と職員室通信の関係だとか……、あるいは、魂の置き場所だとか……、いろいろと、あちこちのページに書き散らしている。

 それから今、「1、2、3……と数字を刻みはじめた頃」といいながら、思い出したことがひとつある。
 はじめ、どのカウンターがいいかを検討するために、重いものから超軽まで3つのカウンターを同時に設置していた。
 ところが、重いカウンターがいくら待っても「1」から次に進まない。
 だれもこのHPを閲覧していないということなのだろうけど、もしかしたら壊れているのかもしれない。
 そこで志塚Tに「これがわたしの新しいHPのアドレスです。忙しいやろけど、ちょっとのぞいてみてくれまへんか?」とメールで頼んだのだ。
 直後、カウンターの「1」が「2」に変わったとき、妙に感動したことを覚えている。

◆2/17(日)階上町生涯学習のまちづくり町民大会で、学校・家庭・地域の協働による教育コミュニティづくりについて語ることになっている。
 題は「すこやかみなみネットの実践 ~八戸型教育コミュニティづくり~」だ。
 これは、本校の経営の最重点と関連する内容だから、当然といえば当然なのだが、わたし以外にも本校の教職員の中で語れる人がいる。
 たとえば、最近だと、1/28 八戸市学社連携・融合担当者連絡会で志塚Tが、2/1 浜通地区中学校情報交換会で再び志塚Tが、2/6 新入生保護者集会で嘉瀬教頭Tが語っている。
今度はすこやかみなみネット主任の須藤Tに語ってほしいと思っているのだが、2/17は、その須藤Tをとばしてわたしの番だ。

 きょうはそのためのパワーポイントのスライドを作り直した。
 わたしのパワーポイントの師匠は、柴田一則PTA総務委員長(現みなみ小PTA総務委員長)だ。
 柴田さんが作成したスライドと自分のスライドを比較すると、はっきりいって、わたしのはスゴク見劣りがする。
 柴田さんのスライドは、文字と画像のバランスがすばらしい。
 わたしのは文字がゴジャゴジャしてインパクトが弱い。

 今回、柴田氏のスライドに少しでも近づこうと、22枚のスライドから平均して約30%の文字をカットした。
 これにより、文字のポイントを上げることが可能になり、主張が強調できたのではないかと思っている。

休日の朝、散歩または折りたたみ自転車に乗って街をぶらつき喫茶店に立ちよる習慣を今年になって一部変更

2008-02-10 19:40:47 | Weblog
◆「八戸線音クイズ」(正解=宿戸駅→陸中八木駅)に応募し、残念ながら正解ではなかった小春のパパから〈駅ノートBBS〉にカキコミがあった。

◆投稿者:小春のパパ
 投稿日:2008/02/10(Sun) 09:11 No.291
 その昔、今でもつきあいのある友人たちが何故か陸中八木の海岸へ行き、砂浜に「ガンバレ○○○○」と私の名前を大書し、写真に撮って送ってくれた事がありました。
 当時、私は失意のどん底にあったので随分と励まされたのを覚えています。

 ともあれ、残念。($・・)/~~~

◆その小春のパパへのわたしの返信。

 休日の朝、わたしには、散歩または折りたたみ自転車に乗って街をぶらつき(浮遊し)ながら喫茶店に立ちよるという習慣があります。
 今年になってからその「習慣」を一部変更。
 「喫茶店に立ちよる」を「JR八戸線に乗る」に取り替えてみました。

 ま、喫茶店にいる他の客=八戸線の乗客
 喫茶店のイス=ボックスのクロスシート
 まったく違和感なし。
 違うところというば、窓外の風景が動くことと、コーヒーがでないことくらいです。

 きょうの八戸線は、0722本八戸発→0755金浜着、0808金浜発→0839本八戸着。(金浜駅滞在の時間が13分間。30分~40分間くらいだと最高)

 わたしの思考世界では、JR八戸線の果ては「有家駅」です。
 はじめて有家駅に降り立ったときの、その荒涼たる感動が強烈すぎたからかもしれません。
 「ああ、これがずっと探し求めていた宇宙の果てだぁ~」と思いましたよ。(有家の人々、もしこれを読んではったら、スンマヘン、スンマヘン、激怒せんといてくださいね。)

 だから、金浜駅というのは、懸命に思考の果てまでたどりつく必死さとはまた違う、ホンマ、休日、ふらつきながらふっと立ち寄るといった気楽さがありますね。

 小春のパパのカキコミにある「友人たちが何故か陸中八木の海岸へ行き」……について。
 陸中八木駅の手前の海岸はサーフィンのポイント。
 ですから、友人たちはサーファーとして海岸にいったのかもしれませんね。

 それから「砂浜にガンバレ○○○○」と「名前を大書し」た「写真」……について。
 わたし流にいえば、そういうのを人生の根源的なエネルギーというんでしょうね。
 わたしにとってこの「写真」に匹敵するような根源的なエネルギーってあったかなぁ?と今、考えているところです。

◆画像は大蛇駅方向から金浜駅にやってきた気動車。これに乗って帰八。

志塚様 大正解ですよぉぉ~!!!

2008-02-10 12:19:12 | Weblog
◆パソコンがきわめて不安定な状態に陥ったので、このHPもなかなか更新ができない。
 スイッチオンだけでは起動しないのだ。
 F1ボタンやF2、F8ボタン、Escボタン等を使って手動でなんとか起動している。

 文書は書くたびにバックアップをとっていたが、文書以外のデータはすべて内蔵HDの中だ。
 たいへんだぁぁ~(>_<)と、800MBくらいのデータをUSBメモリーに移動しようとしたが、120MBあたりでダウン。
 長い作業には耐えられないようだ。

◆今、こういう状態なのだが、〈JR八戸線・音クイズ〉の解答発表日(2/7午後6時)がとっくに過ぎている。
 とりあえず解答を発表することにする。

 念のために、問題を再度コピーする。

〈問題〉
 下の「八戸線音クイズ」のボタンをクリックすると、気動車の走行音が聞こえる。(ブログを見ている方は聞こえまへん。公式HPへどうぞ)
 これはJR八戸線八戸駅発久慈行、すなわち、八戸→長苗代→本八戸→小中野→陸奥湊→白銀→鮫→陸奥白浜→種差海岸→大久喜→金浜→大蛇→階上→角の浜→平内→種市→玉川→宿戸→陸中八木→有家→陸中中野→侍浜→陸中夏井→久慈……という方向に走行する。

 問題=この音はどの駅とどの駅の間を走行している音ですか? ○○駅と○○駅のあいだ……と答えてください。

◆まず、応募してくださった方の解答を発表する。

☆新世紀様=とりあえずきいてみましたが、難しいどころか、なにこれ?って感じです。

☆小春のパパ様=陸奥白浜駅→種差海岸駅。これしか無いでしょう!

☆志塚様=宿戸駅→陸中八木駅

☆南ファン様=大久喜駅→金浜駅 もしくは金浜駅→大蛇駅

 ああ、もうパソコンが限界だ。
 限界を超えている。
 きょうは解答だけを発表し、解説は後日にしたい。
 下の解答ボタンをクリックしてください(~o~)

〈JR八戸線・音クイズ〉にどんどん挑戦していただきたい。まってまっせぇぇ~ィ!!!(^^)!

2008-02-04 20:42:39 | Weblog


★最近、この焼肉用鉄板を使ってお好み焼きを焼いている。
きのうの休日、1人で鉄板は磨きをやる。鉄板をゴシゴシと
熱と油と布で磨きつづけていると、心が哲学的に落ちつく。


にほんブログ村 教育ブログ 中学校教育へ★ブログ村教育ブログランキングに参加しています。ランキング状況はこのバナーをクリックすると見ることができます。同時にわたしに1票が入ります。ジャンジャン、クリック頼んまっせ。

◆朝から、(1)学校通信「すこやかみなみネット通信」の原稿(本日16:45しめきり)、(2)新入生保護者説明会の原稿(同じく本日16:45しめきり)とバタバタやっていたのだが、シンジラレナイくらい、すんなりと進み、午前11時、共に脱稿。

 勢いに乗って次の原稿(進路指導研究会誌)に着手……はじめは、なにを書いたらええねんやろ?……と雲をつかむような感じだったが、徐々にいくつかイメージの塊ができ、それらがクニャクニャした糸でつながり……「なんや、かんたんや、このクニャクニャを文字にしたらええねん」……と思った瞬間、失速。
 キーボードの手がパタッと動かなくなる。

 ただし、すべてが水の泡というのではない。
 クニャクニャの軌跡は間違っていないから、あとはクニャクニャを文字に置き換えるだけでいいのだ。
 きょうは、この文字に置き換えるという作業に必要なエネルギーが尽きて、失速状態に陥ったのだ。

◆午後はみなみ小6年生たちの授業参観。
 当初、1学年4クラス、2学年3クラスを参観してもらう計画だったが、2学年に少し風邪気味の生徒がいるため、1年4クラスだけにする。(3学年は入試追い込み期間のため初めから計画に入れていなかった。)
 1年1・2組男子 保健(教室)
 1年1・2組女子 体育(体育館)
 1年3組 英語(教室)
 1年4組 理科(第1理科室)




◆昨日アップした〈JR八戸線・音クイズ〉に何人かの方々が挑戦してくださった。

 再度、クイズをコピーする。

「八戸線音クイズ」のボタンをクリックすると、気動車の走行音が聞こえる。(ブログを見ている方は聞こえまへん。公式HPへどうぞ)
 これはJR八戸線八戸駅発久慈行、すなわち、八戸→長苗代→本八戸→小中野→陸奥湊→白銀→鮫→陸奥白浜→種差海岸→大久喜→金浜→大蛇→階上→角の浜→平内→種市→玉川→宿戸→陸中八木→有家→陸中中野→侍浜→陸中夏井→久慈……という方向に走行する。

 問題=この音はどの駅とどの駅の間を走行している音ですか? ○○駅と○○駅のあいだ……と答えてください。
 答えは、掲示板かチャットに書いてください。

◆かなりむずかしい。
 よほど乗り慣れていないと答えられない。
 もっと区間を限定すればよかったかも……と反省している。

 一応しめきりがないといけないので、2/7午後6時まで。
 解答は午後6時過ぎ(何時に帰宅できるかわからないが……)に、走行音と車掌のアナウンスでアップ。
 なお、お答えいただいた方は本HP上でご紹介する予定である。

 どんどん挑戦していただきたい。
 まってまっせぇぇ~ィ!!!(^^)!
 まってまっせぇぇ~ィ!!!(^^)!


中学生の心の底にある気持ちは、そんなに容易に言語で表現できるものではない

2008-02-03 15:07:37 | Weblog


★仕事に追われて心がザラザラするので昼休み、図書室でルオーをみる


にほんブログ村 教育ブログ 中学校教育へ★ブログ村教育ブログランキングに参加しています。ランキング状況はこのバナーをクリックすると見ることができます。同時にわたしに1票が入ります。ジャンジャン、クリック頼んまっせ。

◆もう3週間もJR八戸線に乗っていない。
 きょうも今さっきまで原稿書きに追われていた。(乗れないのは、もちろん仕事に追われているだけではなく、寒いし、インフルエンザにもかかりたくない……というのもある。)

 原稿が書き終わってから、録音した八戸線の音を聴く。
 あるときわたしが「八戸線に乗ってず~ッと眠りこんでいて、その眠りから抜けだす直前、まだ目をつむったまま、風景を突っ切る(←八戸線に突っ切るほどのスピードはないが)気動車の音を聴いて、あぁ~、今、○○を走っているぅぅ……と分かりますよね」と志塚Tに話したら、意外にも「そうですかねぇぇ?」と首をかしげていた。

 しかし、わかるのである。
 そこで、クイズだ。
 「八戸線音クイズ」のボタンをクリックすると、気動車の走行音が聞こえる。(ブログを見ている方は聞こえまへん。公式HPへどうぞ)
 これはJR八戸線八戸駅発久慈行、すなわち、八戸→長苗代→本八戸→小中野→陸奥湊→白銀→鮫→陸奥白浜→種差海岸→大久喜→金浜→大蛇→階上→角の浜→平内→種市→玉川→宿戸→陸中八木→有家→陸中中野→侍浜→陸中夏井→久慈……と走行する。

 問題=この音はどの駅とどの駅の間を走行している音ですか?
 答えは、掲示板かチャットに書いてください。
 賞品はありまへん(^0^*オッホホ)けど。


★清掃時間 清掃開始前の整列→あいさつ


◆古い記録をひっくりかえしていたら、『悠』という雑誌の「感性をゆさぶる生徒指導 子どもとの関係を見直す」という特集を取り上げた『内外教育』誌のコピーの一部をみつけた。

〈『内外教育』のコピー〉

 尾木直樹氏は「思春期とのかかわり方を考える」で、
 ・子どもの目線に立つこと
 ・相手をありのままを受けとめ、寄りそうかかわり方、関係づくりを大切にすること
 ・教師自身が己の心に素直に反応し、その反応の教育的意味について考えること(←一部分、意味不明だったので小高が改)
 まとめとして、感性をゆさぶる生徒指導のためには「人格において子どもと対等で、かかわり方も双方向性のしなやかさを保てる教師」でありたいと述べている。

 さらに同誌で高橋史郎氏は、豊かな感性は子どもだけでなく、教師自身にも求められるとして、
 ・生徒の心の叫びを敏感に察知する感性
 ・人間力、社会力を育てることのできる力量
 ・人間的な、〈心のキャッチボール〉ができる柔らかな感性……が、教師には求められると説いている。(コピー以上)

 抜粋だから、抽象的な言辞のみだが、方向としてはよく理解できる。

 このことに関連させて、2・3月、わたしも、わたしも自分のざす方向を再確認しようと思う。

 無責任な言い方をするようだが(←自分でもよくわからないので)尾木氏や高橋氏のコメントと、わたしのメモ=下記の(1)~(6)を、みなみ中の先生方各自が、止揚させて、各自の進む方向を定めてくれればいいと考えている(←ホンマ、いい加減)。

(1)全人格をかけて声をかけよう

 廊下ですれ違うとき「最近、部活はどう?」などと声かけすることは推奨されるべきである。
 ただ、その声かけが、中学生の心の底に届いたかどうかは、プロとしてきちんとチェックしておく必要がある。
 自分(小高)もこの点は甘いところがあるのでよくわかるのだが、自己満足型のお調子者で終わってはならない。
 サラッと声がけしているんだけど、実は、こちらは全人格をかけて声がけしているというのでなければ、関係づくりはできない。(声かけの内容、目線、ヘソの向き……)

 授業でももちろん同じだ。
 特に、反教師感情を抱く生徒ときちんと向かい合う。
 毅然とした態度で指導すべきところを「照れ笑い」したり、見て見ぬふりをしたりして、その生徒だけではなく、他の多くの生徒の信頼や関係を失うということはよくある。(この「毅然と」は、決してその場で厳しく叱るということを指すのではない。)


★昼休みのボランティア活動 窓ふきをする3学年男子たち


(2)中学生の思いが言葉になって外に出てくる長い過程を共にできる器量の有無を自己チェックしよう

 中学生の心の底にある気持ちは、(本人にとっても、他の人にとっても)そんなに容易に言語で表現できるものではない。
 教師は中学生に語る前に、中学生の心を捉えているものがゆっくりと動き出し、言葉になって外に出てくる長い過程を共にできるだけの、器量を自分がもっているのか?と、まず自身に問うべきである。
 わたしはよく「魂に魂を寄り添わせる」というが、これも同じことだ。

(3)中学生に語る「状況」を客観的に把握しよう

 短学活などで〈自分が語り→クラスの中学生全員に聞かせる〉という場面はよくあることがだ、大切なのは、その「状況」を常に客観的に把握する必要があるということである。(以下は、あくまでもその例としてだが……)

 ア)今、語る内容は、全員に聞かせて、必ず納得させなければならないという状況 
 イ)今、語る内容は、A君とBさんには反省を、そして、他の生徒には、今後自分たちがどう行動すべきかについて考えさせるのだという状況(もちろん、語るとき「A君とBさんは……」と言うわけでない←念のために)
 ウ)今、語る内容(例=自分の体験談)は、A君ほか約10名に希望をもたせるための話だ。他の生徒がどう聞くかは今のところよくわからないという状況 

 この「状況」を意識しつづけると、いわゆる語りの「ボイス」ができあがる。


★昼休みのボランティア活動 窓ふきをする3学年女子たち


(4)個人面談で鍛えよう

 教育は個人面談にはじまり、個人面談に終わる。
 個人面談は奥が深い。

 以前、Dr.海原純子さんと、仕事で話し合う機会があった。ほとんど向かい合った瞬間で、彼女が一言二言話しただけなのに、わたしの身体からこわばりが溶けた。。
 これっていったいなんなんだろう! スゴイ!と思った。同時に、わたしも相手にそんなふうに感じさせるように修行したい思った。
 カウンセリング理論を学びながら、わたしたちは「個人面談」をやって、やって、やり通して、(先述の)「中学生の心を捉えているものがゆっくりと動き出し、言葉になって外に出てくる長い過程を共にできるだけの器量」をゲットしたい。
 その力を、徐々に学級や学年という全体に応用する。個人面談(または3者面談)がやれない教師は、全体には語れない。

◆もうひとつ、今、ひっかかっていることがある。

 よく「生徒を思いやる訓練」を……という。
 ?生徒の顔(表情)を読む訓練をする。
 ?生徒の立場に立つ訓練をする。
 ?生徒の気持に近づく訓練をする。
 あたりまえのことだが、これはほんとうはとんでもなくむずかしいことではないか。

 讀賣で次の記述に出会った。
 この記述内容と上記の?~?を止揚させることによって、プロ教師としてより高いレベルに到達できるのだと思うが、よくはわかならい。
 〈「相手の立場に立つ」ということは「自分の立場を離れる」ということで、その上で得た理解や共感は果たして本物なのか。お手軽な「わかる! わかる!」ではなくて、自分の立場に立ちながら、「よく理解できないが、理解できないものがそこにある、ということを認める」ほうが難しくて、そして優しいのではないか〉。

 う~ん!!・°°・((((ノ┳ω┳)ノ・°°・。
 (切り抜いて、中味だけコピーし、その切り抜きは捨ててしまったので、だれの記述なのかはわからない。スンマヘン)