![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5d/b3/42ceba9670003b5dfe5aaebc7aa093c7.jpg)
★仕事に追われて心がザラザラするので昼休み、図書室でルオーをみる
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◆もう3週間もJR八戸線に乗っていない。
きょうも今さっきまで原稿書きに追われていた。(乗れないのは、もちろん仕事に追われているだけではなく、寒いし、インフルエンザにもかかりたくない……というのもある。)
原稿が書き終わってから、録音した八戸線の音を聴く。
あるときわたしが「八戸線に乗ってず~ッと眠りこんでいて、その眠りから抜けだす直前、まだ目をつむったまま、風景を突っ切る(←八戸線に突っ切るほどのスピードはないが)気動車の音を聴いて、あぁ~、今、○○を走っているぅぅ……と分かりますよね」と志塚Tに話したら、意外にも「そうですかねぇぇ?」と首をかしげていた。
しかし、わかるのである。
そこで、クイズだ。
「八戸線音クイズ」のボタンをクリックすると、気動車の走行音が聞こえる。(ブログを見ている方は聞こえまへん。公式HPへどうぞ)
これはJR八戸線八戸駅発久慈行、すなわち、八戸→長苗代→本八戸→小中野→陸奥湊→白銀→鮫→陸奥白浜→種差海岸→大久喜→金浜→大蛇→階上→角の浜→平内→種市→玉川→宿戸→陸中八木→有家→陸中中野→侍浜→陸中夏井→久慈……と走行する。
問題=この音はどの駅とどの駅の間を走行している音ですか?
答えは、掲示板かチャットに書いてください。
賞品はありまへん(^0^*オッホホ)けど。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/32/18/6f9c9114461b06ebc05d93da95ad3140.jpg)
★清掃時間 清掃開始前の整列→あいさつ
◆古い記録をひっくりかえしていたら、『悠』という雑誌の「感性をゆさぶる生徒指導 子どもとの関係を見直す」という特集を取り上げた『内外教育』誌のコピーの一部をみつけた。
〈『内外教育』のコピー〉
尾木直樹氏は「思春期とのかかわり方を考える」で、
・子どもの目線に立つこと
・相手をありのままを受けとめ、寄りそうかかわり方、関係づくりを大切にすること
・教師自身が己の心に素直に反応し、その反応の教育的意味について考えること(←一部分、意味不明だったので小高が改)
まとめとして、感性をゆさぶる生徒指導のためには「人格において子どもと対等で、かかわり方も双方向性のしなやかさを保てる教師」でありたいと述べている。
さらに同誌で高橋史郎氏は、豊かな感性は子どもだけでなく、教師自身にも求められるとして、
・生徒の心の叫びを敏感に察知する感性
・人間力、社会力を育てることのできる力量
・人間的な、〈心のキャッチボール〉ができる柔らかな感性……が、教師には求められると説いている。(コピー以上)
抜粋だから、抽象的な言辞のみだが、方向としてはよく理解できる。
このことに関連させて、2・3月、わたしも、わたしも自分のざす方向を再確認しようと思う。
無責任な言い方をするようだが(←自分でもよくわからないので)尾木氏や高橋氏のコメントと、わたしのメモ=下記の(1)~(6)を、みなみ中の先生方各自が、止揚させて、各自の進む方向を定めてくれればいいと考えている(←ホンマ、いい加減)。
(1)全人格をかけて声をかけよう
廊下ですれ違うとき「最近、部活はどう?」などと声かけすることは推奨されるべきである。
ただ、その声かけが、中学生の心の底に届いたかどうかは、プロとしてきちんとチェックしておく必要がある。
自分(小高)もこの点は甘いところがあるのでよくわかるのだが、自己満足型のお調子者で終わってはならない。
サラッと声がけしているんだけど、実は、こちらは全人格をかけて声がけしているというのでなければ、関係づくりはできない。(声かけの内容、目線、ヘソの向き……)
授業でももちろん同じだ。
特に、反教師感情を抱く生徒ときちんと向かい合う。
毅然とした態度で指導すべきところを「照れ笑い」したり、見て見ぬふりをしたりして、その生徒だけではなく、他の多くの生徒の信頼や関係を失うということはよくある。(この「毅然と」は、決してその場で厳しく叱るということを指すのではない。)
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★昼休みのボランティア活動 窓ふきをする3学年男子たち
(2)中学生の思いが言葉になって外に出てくる長い過程を共にできる器量の有無を自己チェックしよう
中学生の心の底にある気持ちは、(本人にとっても、他の人にとっても)そんなに容易に言語で表現できるものではない。
教師は中学生に語る前に、中学生の心を捉えているものがゆっくりと動き出し、言葉になって外に出てくる長い過程を共にできるだけの、器量を自分がもっているのか?と、まず自身に問うべきである。
わたしはよく「魂に魂を寄り添わせる」というが、これも同じことだ。
(3)中学生に語る「状況」を客観的に把握しよう
短学活などで〈自分が語り→クラスの中学生全員に聞かせる〉という場面はよくあることがだ、大切なのは、その「状況」を常に客観的に把握する必要があるということである。(以下は、あくまでもその例としてだが……)
ア)今、語る内容は、全員に聞かせて、必ず納得させなければならないという状況
イ)今、語る内容は、A君とBさんには反省を、そして、他の生徒には、今後自分たちがどう行動すべきかについて考えさせるのだという状況(もちろん、語るとき「A君とBさんは……」と言うわけでない←念のために)
ウ)今、語る内容(例=自分の体験談)は、A君ほか約10名に希望をもたせるための話だ。他の生徒がどう聞くかは今のところよくわからないという状況
この「状況」を意識しつづけると、いわゆる語りの「ボイス」ができあがる。
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★昼休みのボランティア活動 窓ふきをする3学年女子たち
(4)個人面談で鍛えよう
教育は個人面談にはじまり、個人面談に終わる。
個人面談は奥が深い。
以前、Dr.海原純子さんと、仕事で話し合う機会があった。ほとんど向かい合った瞬間で、彼女が一言二言話しただけなのに、わたしの身体からこわばりが溶けた。。
これっていったいなんなんだろう! スゴイ!と思った。同時に、わたしも相手にそんなふうに感じさせるように修行したい思った。
カウンセリング理論を学びながら、わたしたちは「個人面談」をやって、やって、やり通して、(先述の)「中学生の心を捉えているものがゆっくりと動き出し、言葉になって外に出てくる長い過程を共にできるだけの器量」をゲットしたい。
その力を、徐々に学級や学年という全体に応用する。個人面談(または3者面談)がやれない教師は、全体には語れない。
◆もうひとつ、今、ひっかかっていることがある。
よく「生徒を思いやる訓練」を……という。
?生徒の顔(表情)を読む訓練をする。
?生徒の立場に立つ訓練をする。
?生徒の気持に近づく訓練をする。
あたりまえのことだが、これはほんとうはとんでもなくむずかしいことではないか。
讀賣で次の記述に出会った。
この記述内容と上記の?~?を止揚させることによって、プロ教師としてより高いレベルに到達できるのだと思うが、よくはわかならい。
〈「相手の立場に立つ」ということは「自分の立場を離れる」ということで、その上で得た理解や共感は果たして本物なのか。お手軽な「わかる! わかる!」ではなくて、自分の立場に立ちながら、「よく理解できないが、理解できないものがそこにある、ということを認める」ほうが難しくて、そして優しいのではないか〉。
う~ん!!・°°・((((ノ┳ω┳)ノ・°°・。
(切り抜いて、中味だけコピーし、その切り抜きは捨ててしまったので、だれの記述なのかはわからない。スンマヘン)