職員室通信・600字の教育学

小高進の職員室通信 ①教育コミュニティ編 ②教師の授業修業編 ③日常行事編 ④主任会トピックス編 ⑤あれこれ特集記事編

生野本通り商店街の東京屋の若社長とは同じ書道教室に通ってましてん

2005-01-27 14:57:25 | Weblog

05.01.27 生野本通り商店街の東京屋の若社長とは同じ書道教室に通ってましてん

◆[482]続・再び久々のカキコミです - 31年前の一中生  
 
 長文のご返信痛み入ります。(文化的ですかあ??) 
 
 楽天に関してはそれほど思い入れはありません。 
 だってオーナーの三木谷氏はサッカーJ1神戸のオーナーでもあり、我がベガルタのライバルです。 
 って言うより、ライバルでした。 
 今はベガルタはJ2ですから・・・ 
 J1当事、神戸に互角以上の戦い方をしていたのに・・・ 
 
 日生球場は一度行ったこともありますよ。 
 森ノ宮、玉造、鶴橋、桃谷も訪れたことがあります。 
 このモモダニってのが味わいありますねえ。 
 英語では、ピーチバレーですか? 
 鶴橋の「鶴一」の焼肉は美味かったです。 
 ただ寺田町だけは記憶が無いのです。
 スミマセン・・・ 
 
 関西にいたのは11年前ですので、あの関西大震災は経験していません。
 東京支社でTVでその様子をライブで見ながら、他人事ではありませんでした。 
 その思いのせいか、はたまた帰巣本能か? 
 もう一度、暮らした西宮(北口)に帰らなければならないのでは!と言う義務感のようなものを感じています。 
 野茂投手が17奪三振をした試合を見た西宮球場も、もうなくなるみたいですが、初めてたった一人で暮らし関西の街 西宮がなんだか戻ってきて!と呼んでる様で・・・ 
 せっかくの関西だから、違う街を選んでも良いのかも知れないのですけど。 
 
 デジカムではなくてデジカメでしたね。 
 アップの仕方がわからないけど、挑戦してみます。 
 センスが問われそうですが、そこは「気品」でカバーしますから(笑[2005/01/26(Wed) 23:31]  
 
◆[483]Re: 続・再び久々のカキコミです - 小高進  
 
 ホンマ、ホンマ、寺田町駅は、残念ながら、何も特徴がありまへん(T_T)。 
 駅から出た道路(国道25号線)も東西南北の方向より、少し傾き、斜めに走っていて、大阪の中では実に不安定な感じの道路です。
 子どもの頃、ここでよく方向音痴になりましたよ。 

 改めて、あなたに「ただ寺田町だけは記憶が無いのです。スミマセン・・・」といわれて、「ホンマ、なんにもありまへんなぁぁぁ」と、自分自身でも、それを確認した次第(^0^*オッホホ。 
 寺田町駅の風景を思い出していたら、駅横にある焼き鳥屋の煙のニオイが、わたしの部屋に充満してきましたよぉぉぉぉ。 
 「あそこのおっさん、元気にしてるかなぁぁぁぁ?」 
 「とん亭(トンカツ屋さん)はまだあるかなぁぁぁぁ?」  
 「お好み焼きやったら、風月、千代……」 
 「源ヶ橋のたこやきもうまい。焦げ目がなつかしい!」 
 「サフランのケーキ」 
 「生野本通り商店街の服の東京屋の若社長は知人。同じ書道教室に通ってましてん」 
 「吉野家の角にあった弁当屋さん。おばはん、まだがんばっているかなぁぁぁ?」 
 「東京屋からもう少し奥に入ったイゲタのカレーが結構、おいしかったなぁぁぁぁ」 
 こんなとこかなぁぁ。
 なんか、食い物屋ばっかりやなぁぁ。
 他の買い物はなんでも隣の天王寺へ行きますからね。 
     ★ 
 けど、寺田町駅界隈、国道沿いから、路地に侵入すると、風景は一変しますよ。えぇぇぇ? ここはどこやねん?
 江戸時代でっか? えぇぇぇぇぇぇぇ!
 ここは大東亜戦争時代でっか? おぉぉぉぉ!という感じ。 
 寺田町駅界隈の路地は、異界への通路です。 
 クネクネした路地を歩いているうちに、桃谷に至り、鶴橋に至る。
 これも、最高におもしろい。疎開道路。アリラン街道……。 
     ★ 
 こうしてポツポツ記述しているうちに、あなたと大阪で「飲む」という場面もあり得るんやなぁぁぁぁぁ、あなたに大阪を案内してもらう場面もあり得るんやなぁぁぁぁ、あなたと2人で奈良にいるところを鹿たちに尻をかまれることもあるんやなぁぁぁぁ、と考え、豊饒に、リッチに笑ってしまいました。 
     ★ 
 阪神大震災のときは、わたしは八戸の自宅でで朝食中でした。 
 「ふ~ん、なんか関西で地震があったみたいやね」(わたし) 
 「ふ~ん。でも、たいしたことはなさそうね」(妻) 

 その後の状況は、勤め先の学校のTV室で見、腰が抜けましたよ。
 腰が抜けるような症状は、このときが初めてでした。…… 
     ★ 
 今夜は、午後8時過ぎまで、PTA幹部との会合がありました。 
 ①PTA総務委員会の定例化とか、②学校・家庭・地域を結ぶ「すこやかみなみネットワーク」の創設とか、改革案を、なんとか承認してもらいました。 
 けど、つかれました。おやすみ。[2005/01/27(Thu) 23:35] 
 
◆写真は寺田町駅界隈。お好み焼き屋・千代の看板が見える。


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ポロポロと涙がこぼれました。ポロポロがやがてボロボロに。滔々と流れる悲しみと怒り

2005-01-26 14:53:22 | Weblog

05.01.26 ポロポロと涙がこぼれました。ポロポロがやがてボロボロに。滔々と流れる悲しみと怒り

◆[480]再び、久々のカキコミです - 31年前の一中生  
 
 お寒い中、返信していただき、ありがとうございます。 
 八戸を離れてもう25年。
 4半世紀ですね・・・ 
 でも、ネットでこうして先生とメールできるなんて 
 夢にも思いませんでした。
 あの頃の中学一年生が・・・ 
 
 今僕は仙台に住んでいます。 
 4月には楽天イーグルスがホームで開幕戦を戦うのに見られません。
 あの根市くんにも会えません。 

 野球よりサッカー・ベガルタ仙台のサポーターを9年もしているのですが、購入した年間チケットも無駄になります。 
 何よりも愛しい人にも逢えなくなります(涙 
 
 転勤を先週言われて、頭が真っ白になりました。 
 少しずつ気持ちを切り替えるように勤めていますが、 
 まだ難しいです。 
 知らない土地ではないし、先生の故郷の大事な思い出を伺い、ちょっと前向きになれたかも。 
 近鉄線は前は八尾止まりでしたので、奈良まで行って鹿にお尻でも噛んでもらいましょうか(笑 
 むこうに行ったら、デジカムで何かをアップしたいですね。 
 それでは、また・・・[2005/01/26(Wed) 00:51]  
 
[481]Re: 再び、久々のカキコミです - 小高進  
 
◆〈お寒い中返信していただき……〉という言い回しに文化的な気品を感じますね。(^0^*オッホホ 
 気品のある人は、うれしいですね。
 こうして向かい合っていても安心感がありますね。 
     ★ 
 楽天イーグルスに対しては、わたしはスゴク複雑な気持ちを抱いています。
 近鉄バファローズのファンだったからです。 
 応援するチームが消滅するって、ホンマ、さびしいもんやね。
 近鉄存続の運動は、わたしが出来る範囲において徹底してやったつもりです。
 けど、かないまへんでした。 
 近鉄バファローズがなくなると決まってから、他チームのファン(たとえば阪神ファン)が萌えるように燃えるように一斉に応援している姿を見ていたら、ポロポロと涙がこぼれました。
 ポロポロがやがてボロボロに。
 そして、いつしか滔々と流れる悲しみと怒りの新井田川になりましたよ。 
 現在の元近鉄ファン群の選択の方向は、 

 ①オリックスへの流れ。(これはごく僅か←「こいつら、ゆるせないぞぉぉ!」と思う気持ちもあるが、理念として理解できる部分もあり、深く考察しているわけではないので、よくわからない。ただ、オリックスに合流する人、さらばじゃ!) 

 ②楽天への流れ(やはり当然、結構な人々がいると思います←これは、気持ちはわかります。
 岩隈も楽天でっからね(*^_^*)。
 岩隈の意固地な選択はわたしもうれしいです。岩隈、ホンマ、よーやった、おおきに!
 けど、本拠地が縁もゆかりもない仙台やからね、ああ、ゴメン、ゴメン。31年前の一中生さんが住んではるんやったね(^0^*オッホホ。) 

 ③プロ野球から去る人々。 

 ④セリーグへ移行、たとえば阪神ファンに合流するというような人はないと思います。
 やせても枯れても、近鉄ファンというヤツって、こういうところがあるんですよ。 
 これ、パリーグ魂でんなぁぁぁ((((((≧∇≦))))))バッハッハ。 

 ところで、わたしは③です。 
     ★ 
 実はきょう、近鉄関係者と会ったんですよ。
 向かい合って、互いにニコニコして話をしているんですが、その場所には、濃く、深く、悲しい雰囲気が漂っていました。
 ①か②か③かの話は全然出まへんでした。 
 1988年10・19の真実―川崎球場が燃えた日の話で盛り上がりました。 
 舞台は川崎球場。 
 近鉄VS.ロッテ。 
 「ダブルヘッダーでしたね」(わたし) 
 「第1試合のロッテ投手は、あの殺○の小川でした」(近鉄関係者) 
 「ああ、そうでしたかぁぁぁ」(わたし) 
 「試合は4対3で近鉄が勝ちました」(近鉄関係者) 
 「第2試合は近鉄が勝てば近鉄、ロッテが勝てばライオンズ優勝」(わたし) 
 「そうです、そうです」(近鉄関係者) 
 「たしか時間との勝負でしたね」(わたし) 
 「ダブルヘッダーの規定で、延長戦になっても4時間を経過すると、次の回に進めない」(近鉄関係者) 
 「ロッテの関投手がスゴクよくてね」(わたし) 
 「彼の生涯で最高のピッチングだったそうです」(近鉄関係者) 
 「アウトコースからシュート気味に入るボールが最高でしたよ」(わたし) 

 この話をしているうちは、まだ近鉄バファローズが存在している。
 この話をやめたら近鉄が消滅するぅぅぅぅぅぅという感じで、ずっと話がつづいた。 
     ★ 
 昔、大阪環状線の森ノ宮駅の近くに近鉄のフランチャイズ日生球場がありました。
 子どもの頃から、随分、通いましたよ。 
 日没時、日生球場の上に広がるコバルトブルーの空は、この世のものとは思えない超日常的な夢曼荼羅の世界でした。 
 それに、勝っても負けても(「お荷物球団と言われて、常に負けていましたけど)、戦いのあとの森ノ宮駅のプラットホームは最高でした。 
 あああ、近鉄はええなぁぁぁぁぁ。 
 あああ、大阪はええなぁぁぁぁ……という感じ。 
 おおお、ここ、おすすめ、おすすめ。 
 大阪環状線の森ノ宮駅→玉造駅→鶴橋駅→桃谷駅→寺田町駅→天王寺駅間がおすすめ。 
 鶴橋駅のコリアタウン。 
 桃谷←くくくくっっ。
 口では言えまへん。
 若者がおもろいよ。 
 寺田町←この駅の近くにわたしが住んでいました(T▽T)ノ_彡☆バンバン! 涙出る~っ(笑)。 
 天王寺。
 先日話した「時穴」。
 ここから上本町にかけての高台から見る、ルルルルルルルルルルルッと朱色に震える夕陽は絶品でっせぇぇぇぇ。 
     ★ 
 お寒い中、そろそろわたしのエネルギーが尽きかけました。 
 大阪へいったら、おもろいデジカメ画像、この掲示板にアップたのんまっせぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ←少し、酔っている。
 スンマヘン。・°°・(>_<)・°°・。 
 許してください。[2005/01/26(Wed) 20:44]  
 
◆きょうの写真も、今、この返信を打っているわたしの部屋の隅です。


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現代の大阪の街の時穴から江戸や明治の大阪に侵入できる

2005-01-25 14:48:57 | Weblog

05.01.25 現代の大阪の街の時穴から江戸や明治の大阪に侵入できる

◆久々のカキコミです - 31年前の一中生
 
 4月から僕の甥っ子が一中生になります。 
 いつまでも可愛い甥っ子でしたが、 
 僕が初めて小高先生にお会いした年齢なのですね・・・ 
 でも、彼の晴れの制服姿を見ることはかないません。 
 僕は4月から先生の故郷 大阪に転勤になるからです。 
 11年前まで5年間勤務しましたので、久々の関西です。 
 当時は西宮に住んでいましたが、春からどこを 
 住家にするのかはまだ決めていません。 
 どこかお勧めはありますか? 
 住み慣れた街を離れるのは、いろいろ感慨があります。 
 でも、近鉄線に乗って奈良まで出かけて、「カツ丼」を 
 食べて帰ってくる楽しみもありますね。 
 また、メールします。では・・・[2005/01/24(Mon) 23:24]  
 
◆[479]Re: 久々のカキコミです - 小高進  
 カキコミ、たいへん感激しています。(最近、寒いし、何ひとつ、いいことがないので、特にうれしいです。読みながら身体がポッポッポッと温かくなりましたよ。) 
     ★ 
 今、バスで通勤しています。極寒、厳寒、酷寒の、北国のバス通勤というのは、ホンマ、つらいですね。 
 今夕、いくら待ってもバス(←南部バス)が来ないので、携帯から営業所に「なにやってまんねん! コラぁぁぁぁぁ!」と電話したら「岬台団地を出発直後、故障しました」。
 この返事に対して、もう、何も言えませんでした。 

 寒さにブルブル震えながら、次のバスに乗ったら、今度は暖房が故障しているらしく、送風口から冷たい風がビュービュー吹き出てきます。 
 1時間30分、冷たいところにいたことになります。 
 毎日、毎日、1日の自分のエネルギーの大半をこの「通勤」に費やしています。 
 今も震えがとまらず、けど、ビールを飲みながら、これを打っています。 
     ★ 
 昔、西宮にいたんですかぁぁぁぁ。 
 兵庫県には、いい思い出はほとんどありまへん。
 思い出すのもイヤです。
 先日、ある会合にいったら、神戸の女の人の隣になったので退席しました。
 兵庫は心的ストレスの塊です。
 けど、西宮とか尼崎は、大阪人のわたしとして比較的、心に受け入れる要素のある街でした。
 わたしのふるさと・大阪市生野区に、その下町度合いが似ているんでしょうかね。 
     ★ 
 「近鉄線に乗って奈良まで出かけて、カツ丼を食べて帰ってくる楽しみもありますね」 
 わが恩師とのヒトコマに、こんなふうに反応してくださり、ホンマにホンマにうれしいです。 
 わたしは、哲学的にあこがれて北国に来ました。
 しかし、大阪への未練も2点、ありました。 

 その1つが、あなたに反応してもらった「奈良への距離」です。
 快速で30分という距離が最高でんなぁぁ。
 北国に来ないで、大阪にいたら、たぶん、わたしは毎週、奈良に行っていたと思います。 
 大阪を去るとき「ああ、もう奈良に気楽に来られなくなるぅぅぅ」と思ったら、涙が出、北国を選択したことを後悔しました。 
 もう1つが、なんといったらいいのでしょうか、現代の大阪の街の、あちこちに、いわば「時穴」があり、そこから江戸時代や明治の大阪に、ヒョコッと侵入できるんですよ。
 これは最高に心が震えました。 

 例を1つだけあげるなら、天王寺から上本町にかけての寺院群、台地、坂道、夕陽……。 
(少し酔っているので、たぶん、文がめちゃくちゃ。許してください。写真は、今、わたしがこれを打っている場所です。)[2005/01/25(Tue) 20:24]


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恩師・奈良駅前の食堂でカツ丼、食うてきた

2005-01-23 09:51:22 | Weblog

05.01.23 恩師・奈良駅前の食堂でカツ丼、食うてきた

◆今年にはいって、わたしの心境に一大転換があった。
 もちろん、心境の転換など、そうたびだひあるものではない。

 近いところでは、〈学社連携・融合の推進〉→〈保・幼・小・中という垂直軸の体制に依拠・依存した学社連携・融合(水平軸)の推進〉くらいである。
 これは、「学社連携・融合論者」が「小・中連携論」に依拠、依存するというのだから、ほんとうに屈辱的「一大転換」であった。 
 
◆今回の転換は、無人駅についての、いわば「発見転換」である。
 これまで無人駅に向かうときは、日常の生活圏において自分を枠取りしている大小のシステムから脱出し、「無人駅で、孤高に、宇宙と向かい合う」のだ、「束縛にがんじがらめの自己を解放する……」のだ、「無人駅は異界への通路」なのだ、というような気持ちがあった。 
 
◆しかし、何度、無人駅に行っても、こういう気持ちにはなれない。
 無人駅のわたしは「だれかに見られているのではないか?」「薄暗く、湿っぽい待合室のベンチに座っているとき、だれかがやってきたら、変質者と思わないか?」「オシッコがしたくなったらどうすればいいのか?」と、キョロキョロ、落ち着かない。

 とてもとても「自己の解放」「孤高」どころではないのだ。 
 
◆無人駅に行きたいか?と問われれば、ぜひ行きたい。
 しかし、行けば、またギャップに苦しむ。
 去年、一年間、このことに苦しみつづけた。
 苦しみながら、今年になって、ふと気がついたのだ。

 「孤高に宇宙と……」というのも「自己を解放する……」というのも、すべて日常生活圏での発想に過ぎないのではないか?

 〈フローベルは社会的に自殺することで社会的な「私」をその作中に作り出した〉という日本的「私小説論」の系譜に、わたしがしばられているだけではないのか?((((((≧∇≦))))))バッハッハ。 
 
◆行きたいから、無人駅に行く。
 行った結果として、なにもすることがなくて、ただ帰ってくる。
 それはそれでいいのではないか。
 なにもすることがない「真空の」自分に出会えたのだから。
 なにも思考しないで、ただキョロキョロしている自分に出会えたのだから。 
 
◆高校時代の恩師(漢文)に、よく奈良に行く方がいた。(大阪の上本町駅または鶴橋駅から奈良まで近鉄快速で30分) 
 わたし「センセ、きのう、奈良でなにを見てきはったんですか?」 
 センセ「駅前の食堂でカツ丼、食うてきた」 
 この恩師のことばを思い出した。←まだ「思考」の途中です(^0^*オッホホ)。 
 
◆写真は階上駅で撮影。


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『現代英米倫理学』=30年ぶりに堅い表紙をひらくと、プーンと

2005-01-20 09:44:32 | Weblog

05.01.20 『現代英米倫理学』=30年ぶりに堅い表紙をひらくと、プーンと

◆地震のニュースにおどろき、廊下にあった書棚を移動した。
 書棚につまっている書物を、床におろし、ほこりをはらい、両腕でかかえて移動させるという作業は、心が騒ぐ。

 ふるえる。狂乱する。 
 
◆廊下には、部屋からはみだした書棚が3つ並らんでいる。
 これが、地震で倒れると、WCに入っていた場合、ドアが開かなくなる。
 同じように洗面所もフロも開かなくなる。
 これらの窓からの脱出は、どれも奇妙な窓の構造のため、むつかしい。
 閉じこめられると、救助を待つ以外にない。 
 
◆これは困るということで、3つの書棚のうち、1つは居間に移動。
 2つ目の文庫本専用の薄くて背が高いタイプは真ん中で切断し、上の部分を居間に、下の部分を玄関フロアーに移動。
 最後の1つはどうしても置き場がないので、現在、段ボール箱に詰めこんでいる。 
 
◆その日、最高に心がふるえたのは『現代英米倫理学』(Ⅰ巻~Ⅴ巻)だった。

 買ったのは20歳の頃。

 30年ぶりに堅い表紙をひらくと、プーンと遠い昔の匂いがした。

 当時のわたしは倫理学に熱中していた。
 規範倫理学、応用倫理学、メタ倫理学、このうちメタ倫理学がわたしにとって未知の分野だった。
 そのメタ倫理学の論文集が『現代英米倫理学』である。

 小脇にかかえ、踊るように下宿に帰った。 
 
◆ウィルフリッド・セラーズの編者序言。
 「わたしたちは、どの論文をえらぶかについてまじめに長いあいだ思案した。多くの場合、わたしたちの考えをきめることがきわめて困難であった」。ほほうぅぅぅ! 「熟慮の場合には、最終の欲望……行為の直前の欲望……が、われわれの意志とよぶものになる。」ほほうぅぅぅ! 
 
◆自分の精神状況から数センチへだてられた、翻訳調の言いまわしに「ほほうぅぅぅ!」「ほほうぅぅぅ!」と感嘆している青年は、このあと、自分がだれと出会い、だれと別れることになるのか? どこに住み、どんな仕事をすることになるのか? 要するに現在、わたしが履歴書に書いているようなことは一切、知らない。 
 
◆廊下で、その日、『現代英米倫理学』をかかえ、立ちあがったとき、わたしの身体が宙に浮いた。
 稲妻に打たれたように森、山、家々、出会った人々……、自分の生涯の光景が一瞬照らしだされて見えた。
 この光景は、わたしにとってはノンフィクションだが、青年にとってはフィクションだ。「嘘だろう?」という青年の声が聞こえた。 
 
◆写真はJR八戸線沿線・陸奥湊駅付近


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ぬくもり、生暖かさ、くつろぎ、弛緩、歴程……こういう要素を可能な限りカットして

2005-01-16 09:41:17 | Weblog

05.01.16 ぬくもり、生暖かさ、くつろぎ、弛緩、歴程……こういう要素を可能な限りカットし

◆1/15 昨日、部屋の模様替えをした。 
 模様替えの発想もできないくらいに「モノ」でギュウギュウ詰めになっていたので、思い切って、あれこれ、いろいろ排除する。 
 
◆排除した主なもの。
 
 ①時代物のプリ・メインアンプ。(コンセントを差し込むと、部屋の照明がククッと一瞬、暗くなる。もう危険と判断。) 

 ②(同じく)時代物のスピーカーシステム(やわらかで深みのある音は大好きだが、小さな部屋には大きすぎて、圧迫感がある。) 

 ③ソファー(兼簡易ベットだが、なんとなくホコリっぽい。
 それに自分の生活のニオイがする。染みついている。) 

 ④積み上げられホコリをかぶっている過去の学校要覧、実践紀要、それに雑誌類……。 
 
◆ぬくもり、生暖かさ、くつろぎ、弛緩、歴程……こういう要素を可能な限りカットして、ピリッと張りつめた時下の環境に転換ということか。「よくわかりまへんけど……。」 

 ただ、寝そべって本が読めなくなったのが、残念。 
 
◆1/16 けさ、目が覚める。
 改装した部屋に入る。
 椅子に座り、FMを聴きながらコーヒーを飲む。

 と、大阪環状線の駅前(もちろん寺田町駅付近)の喫茶店にいる気分になった。
 寝そべって新聞は読めなくなったけど、この「気分」は格別。 
 これで少し様子をみることにする。 
 
◆無人駅に侵入した真姿さんへの書簡 
 まず、列車が日常生活圏を脱出しつつある、途中の時間が好きです。 
 自分を枠取りしている大小のシステムから、徐々に解放されつつ、10分、15分と爆睡に落ちる。 
 このとろける感じ。 
 それに、そこから覚醒したときのクッキリ感。←普段は不眠症のため、この感覚を味わえない。 
 で、無人駅なんですが、着く前は「駅では孤高に宇宙と向かい合い」とか「束縛にがんじがらめの自己を解放し……」とか、いろいろ考えているのですが、実際のところは、着いたら何をしていいかわからない(^0^*オッホホ)。ただ、あちこち、うろうろしている((((((≧∇≦))))))バッハッハ。 
 だから「孤高に宇宙に向かい……」などというのは、結局、日常、いろいろなものに枠取られている中で思うこと、思えることなんですね。 
 枠が取れたら、ただきょろきょろ、うろうろ……。←最近、これがいい!と思うようになりました。


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雲はなく、光が乾き、輝き~夏目漱石に関する書物を読んでいたら、クラクラッとめまいを~

2005-01-02 09:33:30 | Weblog

05.01.02 雲はなく、光が乾き、輝き~夏目漱石に関する書物を読んでいたら、クラクラッとめまいを~

◆けさ、ゴアテックスの雪山用のウェアを着込んで、○○通を越え、○○学院の横を抜けて、○○★温泉の朝風呂に行った。
 普段ならバスかタクシーに乗る距離だが、新年の冬の光のなかをひとり歩きたい気がした。
 年末年始休暇に入ってからあまり表にでなかったせいか、街の上を、街路樹の梢の間を吹き抜ける風が冷たいと感じた。
 雲はなく、光が乾き、輝き、あらゆるものがくっきりと見えた。 
 
◆のれんをくぐったのは、七時半ごろだった。 

 入浴客は2人だけだったが、充満する湯けむりの奥から、今、帰ったばかりの「ご隠居さん」たちのくぐもった世間話が聞こえてくるようだった。 

 まず、中央に獅子の頭があり、その口から湯が流れ出ている円形の湯船に入った。 
 それから、隣のひのき風呂にからだ全身を沈めた。 
 
◆実は、昨夜、夏目漱石に関する書物を読んでいたら、クラクラッとめまいを覚えるような表現に出くわした。 

 〈東京と松山の距離は、「時代」と彼の存在の核との距離、あるいは社会的な役割として彼が引き受けた英文学者・英語教師という職業と彼の本来の自己との距離である。〉 

 これは、漱石が東京高等師範学校を辞任して四国の松山中学校の英語教師になる際の、その心の動きに関する、若き江藤淳の仮説だ。 
 
◆図示すると、○東京……(距離)……→松山 
       ○時代……………………→存在の核 
       ○社会的な役割…………→本来の自己 

〈漱石は、距離的に遠い場所に赴くことによって、それだけ深く自己の内面に下降し、荒廃の底から「生」の根源の力をさぐりあてたいという暗黙の衝動を充たそうとした(後略)〉(江藤淳『夏目漱石小伝』から) 
 
◆読んでいるうちに、急に松山の道後温泉の湯壺にからだを沈めたくなったのだが、しかし、もちろん、道後温泉には行けない。 

 で、○○★温泉に電話をかけたら、 
 「ハイ、ハイ、日曜は朝の六時からやってまっせェ~!」 
 というオバハンの返事だった。 

 ひのき風呂につづいて、薬風呂に入っているとき、ガラス戸をひらいて外から浴室に入ってきた客があった。 
 それで、露天風呂があることに気づく。 

 石造りの露天風呂で、丸太で組み上げた天井が大きく張り出している。 
 首だけ湯の上に出して、天井にむかってたちのぼる湯気が、背後から差し込む冴えた光と冷たい空気の動きによって、濃くなったり、忽然と立ち消えたりするのを、いつまでも見上げた。 
 
◆さきほどの「クラクラッ」だが、いろいろなものが混じったクラクラだった。 

 ひとつは、道後温泉の湯壺に身を浸して、本来の自己に出会いたいという文学青年的な(*^_^*)衝動だった。 

 もうひとつは、正反対の、どうにもならないあきらめ、絶望に近い感情だった。 
 
◆江藤淳の思考の背後には、〈フローベルは社会的に自殺することで社会的な「私」をその作中に作り出した〉という先輩、小林秀雄の「私小説論」のようなものがある。 
 またまたその背後には、たとえば以前、大学生のten-winとも議論したような芭蕉の「脱回転運動論」のようなものがある。さらにたどれば、1000年前の伊勢物語「みをえうなきものに思いなして京にはあらじ……」につながっていく。 

 こういう「系譜」に結局、自分も縛られてきたんや……という「クラクラッ」だった。 
 
      ★ 
 
  休日の午後 
 
  妻と三才の娘が 
  公園のベンチで 
  おしゃべりをしている 
 
  妻がしきりに 
  花や木を指差し 
  そのたびに娘はうなずく 
 
  物語を作って 
  聞かせているのだろうか 
  三才の娘はときどき 
  キャッと笑う 
 
  休日の午後は 
  急ぎ足で 
  地平線に 
  駈けていく 
 
      (仁科源一詩集『葉音の歌』から) 
 
      ★ 
 写真は有家駅で出会った人々。 
 真ん中のおばあさんは 
 「有家駅ができるまでは陸中八木から歩いた。病気のときはたいへんだった」 
 「八戸から新幹線に乗って東京へ行ってみたい」 
 と話していた。 
 若い女性は駅清掃のボランティア。
 ずっと笑っていた。



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