職員室通信・600字の教育学

小高進の職員室通信 ①教育コミュニティ編 ②教師の授業修業編 ③日常行事編 ④主任会トピックス編 ⑤あれこれ特集記事編

★授業者として教室に向かう時、必ず前の授業者を確かめる。いい授業のあとはやりやすい。逆は、シンドイ

2012-11-29 16:29:16 | 僕のモンマルトル日記

 

職員室通信 羽生Tの模擬授業。いつでも音読!何でも音読! 音読はMINAMIのパワーだ
2012
11.29


★昨日、夕食前、寒気がしたので、22℃の室温を25℃まで上げた。
 パートナーが「暑い、暑い」と騒ぐ。
 でも、僕は寒くてしかたがなかった。
 寒気にくわえて、後頭部がズキ~ンと痛い。
 重い。
 それに、ゴクンと飲み込むとき、ノドにかすかな痛みを伴う。
 カゼをひいたのかもしれない。
 夕食後、室温をガンガンあげたDAKA古書店跡に閉じこもり、ソファー兼簡易ベットに寝そべり、堀辰雄の書簡集(昭和20年~没年)を読む。
 眠り込んでしまってはたいへんなので、毛布にくるまる。
 僕は体調の悪いときに読む本が決まっている。
 いくつかあって、堀の書簡集がそのひとつだ。
 ただ、この期間(昭和20年~没年)は、既に読んだのか、まだ読んでいないのかはっきりしない。
 昭和20年の記述――「多恵子(夫人)が肥桶を(元気になった)僕と担ぐのが夢……」というくだりには記憶がある。
 しかし、他は記憶にない。
 多分、卒論――大東亜戦争下の日本浪漫派詩人を対象とする――を書いているとき、敗戦前後の堀辰雄の心境が知りたくて昭和20年分だけ走り読みしたのだろう。
 読みながら、やはり途中、時々、眠る。
 読み終わったのが午後9時過ぎ。

 奈良・阿修羅氏にメールを打ってから眠る。
 〈奈良・阿修羅氏へのメール〉――寒くて、寒くて、カゼをひいてしまった(ノ△・。)。
 飲み込むと、ノドが痛い(ノ△・。)。
 頭も首も痛い(ノ△・。)。
 目がショボショボする(ノ△・。)。
 仕事ができない。
 もう、フトンに入って眠る(ノ△・。)。
 ライオンズ・ニュース――ドラフト2位指名の千葉国際・相内誠投手に、渡辺久信監督が現役時代に背負った「41」を託すことに。(メール、以上)

★けさ、目覚めても、後頭部の痛みとノドの不快感は変わっていなかった。
 悪い病気の予兆ではないかと、心配になり、インターネットで「頭・首の上・痛い」で検索をかけると、ある相談者の質問に、東京都世田谷区の山本クリニック、山本博昭(脳神経外科専門医・外科認定医)氏が返答しているページが開いた。

 相談者の質問――昨日から後頭部に痛みを感じます。
 昨日は下を向くと何気に頭痛がする程度だったのですが、昨日の晩、トイレに起き上がったとき、今朝からは靴を履いたり、しゃがんだり、立ったりしただけで後頭部にズキズキと激しい痛みが走ります。(中略)
 10日位前から喉が痛くつばを飲むと痛いのがずっと続いています。
 熱はありません。
 後頭部の痛みの頻度が増えてきているのと、痛みも徐々に強くなっていってるので心配になってきてます。
 何か原因があるのでしょうか?
 心配する頭痛なのでしょうか?(質問、以上)

 僕の症状とほぼ同じである。

 山本博昭氏の返答――
 御相談者の御相談内容からは、「緊張型頭痛(緊張型頭痛症候群)」及びその「複合病態」」で御座います。
 即ち「緊張型頭痛」という「機能性頭痛系の症状・症候」と「反復性呼吸器感染」を起こされている症状・症候で御座います。
 (中略)
 原因はともかく誘引は、水分の足りない状態でいらっしゃり、夜間就眠時に背部を冷やすことにより発症致します。
 上記ををお含み頂き、「緊張型」の患者さんの特徴を下記に記載いたします。(「特徴①~⑲」の下部の◎、○、△、×は僕が付けくわえた。すなわち、◎=ドンピシャ ○=ピッタリ、△=そうともいえる ×=違う。)

①「残像」が「強く」、光が嫌いになられていませんか?――○
②「肩こり頸こり背中凝り」ひどくないですか?――◎
③視覚に写るものの「影が薄く」(印象が乏しく)ありませんか?――昨夕に限定すれば◎
④忘れ物が多くなっていませんか?――◎(ノ△・。)
⑤土・日曜日には決まって頭痛あり月曜日体調不良では?――◎
⑥お水を飲むとお化粧室直行の「ミルクのみ人形現象(あだ名です)は?――△
⑦アレルギーもしくは「呼吸器感染」の反復は?――△(2、3年前のはその傾向があった。最近、その反復はない。)
⑧光・音に過敏になられていませんか?――◎
⑨就眠時にお布団を抱え込むようにして右下でお休みになられていませんか?――◎
⑩就眠中夜中午前1時、4時にぴたりと目の覚める「睡眠障害」は?――◎
⑪目の奥がチクチク痛んだり眼球が乾いた感じがしませんか?――◎
⑫低い枕でないとお休みになれないのでは?――×
⑬節分(1~2月)そして梅雨のころ胃が痛かったことは(胃ばけ(あだ名です)?――○
⑭物が飲み込みにくく腹部が張った感じがされませんか?――○
⑮休日が窮日になり上手に「休息」を取れない特徴はありませんか?――◎
⑯いつも眠気が取れず思考力が低下している感じがしませんか?――◎
⑰「腕、肩、背中一面」の重さや指先の「重さ」=「しびれ感」はありませんか?――△(指先の「重さ」=「しびれ感」はない)。
⑱「耳鼻の奥の閉塞感」はありませんか?――×
⑲水分が足りずお顔や特に手掌が赤くなってはいませんか――×
 (中略)
 「頭痛系の疾患」がお得意な「脳神経外科専門医」の先生を御受診されると宜しいと今の私は考えます。
 但し「脳神経外科専門医」の先生の中にも「頭痛系の疾患」が苦手な先生のいらっしゃることを何卒覚えておかれてくださいませ。
 怖い疾患ではありません。
 だから絶対心配されませんように。
 上記あくまでもご参考にまでお留めおき、ご無事にされて下さいませ。
 何卒にお大事にお健やかにされてくださいませ。(回答者=山本クリニック・山本博昭)

 医者もたいしたもんである。
 学校の教師も負けていられない。

 1日、400字詰めの原稿用紙に換算して、5、6枚だったのが、最近、30枚以上の日がつづいている。
 僕の場合、これが主な原因だろう。
 それに、夏は熱中症を恐れて、こまめに水分を補給したのだが、最近はおろそかになっている。
 暖房によってかなり乾燥しているのだろう。
 寒気は、直前に風呂に入っているので、湯冷めだと思う。

           


★前回、ブログで次のような記事を書いた――
 僕は、その舞台の裏で、毎日、せっせと授業を記録し、A4、2枚にまとめ、「職員室通信」として発行していく。
 職員室通信を読む人々が「観客」だと考えると、僕は、いわば劇場の座付作者ということになる。
 これまでもポツポツとは発行してきた。
 でも、ポツポツと……ではダメなのだ。
 ポツポツと発行する「スタイル」は僕のうちに既にできている。
 しかし、毎日せっせと発行しつづける……発行することよって、日々、前進する、すなわち、学校を変える……僕を変える……という「スタイル」はできていない。(引用、以上)

 毎日、せっせと発行しつづけることが、最優先だ。
 ところが、これがむずかしい。
 これまでの僕の経験でいうと、表現へのこだわりや構成(組み立て)へのこだわりが障害になる。
 ついつい文学的文章になる。
 ついつい報道的文章になる。
 能力が能力だから、これに時間がかかるし、文学的といっても、独創的な文体を開発するならいいかもしれないが、どこかで聞いたような表現に流れると(流れるに決まっている)、ひどく陳腐な記述になってしまう。
 このことから、いつもいつも、僕は、「ポツポツと発行する」段階から、「毎日せっせと発行しつづける」段階にジャンプできないのだ。
で、こういう迷走から、たった今、たどりついた「新境地」――
 ①授業に対する批評コメントを列挙するだけでいい。
 まず、これが第1段階で――ま、このまま発行してもいいが――この「批評コメント」に、第2段階として――
 ②具体的場面(情景&心情)の説明を含ませる。
 ③個々の批評コメントに含まれている「代案」に学校経営的主張を含ませる。
 第3段階として、④これらをプロデューサー的視点で編集する。
 理想は、①+②+③+④だが、①だけでもいい。
 ①+②だけでもいい。
 ①+④だけでもいい。
 
★さっそく、この方針で、先月(10月)の模擬授業大会の「授業ルポ」を作成してみよう。

◆10月の模擬授業大会。
 4コマのうちの1コマ――授業者=数学・羽生T。


(1)羽生Tは、生徒役の教師を前にしたときの表情と語りが、あたたかい、やさしい。
 ひとり残らず包みこみ、ひきあげてやろうというオーラを纏っている。
 これは教師として最も大切な条件だ。
 この点に弱点をもつ僕としては、ほんとうにうらやましい。

(2)ポイント、ポイントで「みんなで読んでみましょう!」と、板書事項やプリント内容をガンガン音読させている。
 音読はMINAMI中生の思考を活性化する。
 50分間の授業の中で、声を出させる場面が、小刻みに設定されている。
 「いっしょに読みましょう」
 「全員起立、3回読んだら座りましょう」
 「念のためにもう一度読みましょう」
 いつでも音読!
 何でも音読!
 どんどん教科書を読ませよう!
 どんどん板書事項を読ませよう!
 どんどんプリントを読ませよう!
 音読はMINAMIのパワーだ。
 ただし、あまり長い部分の音読はだれてしまうから注意が必要だ。
 きょうの羽生Tのように、音読のポイントを短く限定して、繰り返すのが効果的だ。

(3)板書のときの羽生Tの身体の角度がいい。
 羽生Tの場合、作図のときは、黒板に対して60度の角度で書いている。
 文字を書くときは、黒板に対して、40度の角度で書いている。
 これは――ま、僕の場合、縦書きということもあって――なかなかマネができない。
 なんとかマスターしたい技術だ。

(4)授業を、簡単な原理の問題からスタートさせ、その組み合わせ、さらにその組み合わせ……と応用段階に移っていくステップが刻まれている。
 できるか? できないか?……の2段階ではなく、1点、2点、3点、4点……「はい、合格!」だから、生徒たちに「よし、やってみよう」という気持ちにさせる。

(5)羽生Tの課題を3点。
 ①追加指示がある。
 子どもたちが作業に突入している段階の指示は、ほとんどの子どもたちが聞いていない。
 ②作業の途中で、作業の終わりを提示した場面があった。
 もちろん、作業のはじめに「終わり方」を示すべきだ。
 ③「よろしいですか?」は禁句だ。
 「よろしいですか?」と聞かれても、子どもたちはどうしようもない。
 「よろしいですか?」を、すべて、具体的な達成状況確認方法に置き換えるべきだ。

(6)僕は授業者として教室に向かうとき、必ず前の授業者を確かめている。
 いい授業のあとはやりやすい。
 逆に、学ぶカタチ――やる気・姿勢――が崩れてしまったあとの授業は、ほんとうにシンドイ。(ま、僕のあとは、もっとシンドイのかもしれない。次の教師に聞くのが恐くて聞いたことがない。)
 いい授業を6時間、リレーしていければ、最高だ。
その「いい授業」を創る何本かの柱のひとつが、音読だ。
 音読すると、生徒は姿勢を正す、いや、正させる。
 音読は思考を活性化する。
 音読は理解を促進する。
 やる気にさせる。
 メリハリのきいた授業になる。  
10月に視察研修に来た他県の教師が、「(3年音楽・担当=浅田Tの授業参観中)教師が(黒板を指し)読みましょう!と言ったとき、あっ、これは読まないな……と思ったら、大きな声で、はっきりと読んだので驚いた」といっていた。
 うれしいことに、MINAMI中では、1学年より2学年、2学年より3学年と、音読が立派になっている。
 これまでの指導の賜だ。
 くりかえしになるが、いい授業を創る何本かの柱のひとつである「音読」を、これからも大切にしていこう。


★トップの画像=食卓の鳩笛。
 下川原焼(したかわらやき)。
 高谷下川原焼土人形製陶所の隣の隣に住んでいた時期がある。
 僕の進路(針路)を「教育コミュニティづくり」に舵を切った頃だ。
 鳩の首に亀裂が入っている。
 その後の地震で落下したときにできた。
 画像を見ていると、胸がいっぱいになる。

 模擬授業の画像=乱氏撮影。

★関連記事
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★ノマドワーカーが「周囲の刺激があり仕事が捗る」と答えていた。同感だ。「開かれた孤独空間」の効用だろう
★いや、もっと正確にいえば、僕は僕自身を何に強制振動させようと企んでいるのだろうか?
★堀辰雄流にいえば「生駒山を越えて」(実際には近鉄奈良線で生駒トンネルを抜けて)大阪に移動するつもり

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★50%の「いい授業」がマズイ授業を支えている。でも30%にまで落ち込むともう支えきれない。学校危機

2012-11-26 16:40:30 | 僕のモンマルトル日記

 

職員室通信 授業者が、自分のお母さんに見せたい、あるいは夫に見せたいと思うような授業ルポが書きたい
2012
11.26


★先日の主任会の話題からピックアップ――

(1)分掌部会(学年)では、全体会とは別種の、重要な価値の交換が期待できる。
 職員朝会の全体会(7分間)と学年教員打ち合わせ(7分間)の関係。
 同じ内容を繰り返す必要は、もちろんない。
 しかし、学年の教員&生徒の実態に即し、念を押すこと、あるいは、さらに具体的に掘り下げて再確認することは、学校経営上、きわめて重要だ。
 学年分掌という小集団では、全体会とはまた別種の、伸びやかな精神のつながりのなかで、重要な価値の交換が期待できる。
 学年主任の判断と腕にかかっている。

(2)学年主任による授業巡回は、問題点を早期に発見し、具体的な手立てを検討する上で、きわめて重要。
 学年の子どもたちが「いい授業」を受けているか?……この教師の授業は「いい授業」をしているといえるのか?……学年主任の目でチェックする。
 「いい授業」とは、本校の教師用・生徒用の「5原則」に即した授業のことだ。
 僕の経験からいうと、「いい授業」が50%でも学年が荒れるということはない。
 50%の「いい授業」が、「いい授業」とはいえない授業を支えている。
 だから、ぼんやりみていると、学年全体としては、安定しているようにみえる。
 でも、「いい授業」が40%に減ると、やや不安定に。
 30%にまで落ち込むと、もう――要するに30%で70%は――支えきれず、だれの目にもはっきりと荒れの兆候が出てくる。
 今、自分が担当している学年は、どういう状況にあるのか?
 はっきりいうと、「いい授業」が――
 100%なのか?
 90%なのか?
 80%なのか?
 70%なのか?
 60%なのか?
 50%なのか?
 50%の場合は、すぐ隣に学校危機がある。
 実態をしっかりとチェックする。
 チェックの結果、ダメだとなったら――ま、いい授業が90%なら、残りの10%を――絶対にいいかげんに済ませない。
 10%を見過ごさないで、10%に対して、組織として具体的な手だてを検討する。
 いい授業は転移する。
 しかし、悪い授業も転移する。
 いい授業を転移させると、いい学校になる。
 日本一の学校になる。
 学校経営のおもしろいところだ。
 学校全体(校長・教頭・教務・研修)としても、そういう情報はたえず収集している。
 が、どうしても粗いデータになる。
 学年主任の情報は絶対に欠かせない。(主任会の話題、以上)

          

★教師にとって授業の教室は舞台だ。
 僕は、その舞台の裏で、毎日、せっせと授業を記録し、A4、2枚にまとめ、「職員室通信」を発行していく。
 職員室通信を読む人々が「観客」だと考えると、僕は、いわば劇場の座付作者ということになる。
 これまでもポツポツとは発行してきた。
 でも、ポツポツと……ではダメなのだ。
 ポツポツと発行する「スタイル」は僕のうちに既にできている。
 しかし、毎日せっせと発行しつづける……発行することよって、日々、前進する……という「スタイル」――それを、学校経営のひとつのスタイルといってもいい――はできていない。
 今年じゅうに完成させたい……と思っていたのだが、もう残り1ヶ月になってしまった。
 
★「授業記録者」にはかなりこだわってきた。
 50分間の研究授業が終わると、通常、15分から20分の休憩をはさんで研究協議が始まる。
 その席上で、参会者に「授業記録(教師の指示・発問や生徒の発言・学習活動)」を配る。
 これが授業記録者の美学だ(^_^)v。
 先輩たちは、これを手書きで、かつ、活字のようなきれいな文字でやっていた。
 僕には、とてもマネはできなかった。
 僕の場合は、パソコン(ワープロ)が登場し、キーボードの入力スピードをアップすることにより、なんとか先輩並みにできるようになった。

 ただ、「授業記録」と、今、僕がやろうしている「座付作者」としての仕事とは、若干、異なる。
 「授業記録」は、主に授業を観た人が、研究協議の対象とするための資料だ。
 もちろん観ていない人にも役立つと思う。
 でも、経験的にいうと、観ていない場合、実際の授業とは異なるイメージを描いてしまう恐れがある。
 「座付作者」としての仕事は、実際に授業を観た人も、観ていない人も、共に読めるような(A42枚の)ルポを書く作業だ。

★校内授業研究会があった。
 授業者=英語科・小和田T。
 対象=3年3組。
 「授業ルポ」を書くつもりで材料を集めた。
 ①学習指導案――僕はこれはあってもなくてもいい。指導案があると、これに引っぱられる。僕は先入観なしに授業に没入したいと考えている。だから、あくまでも参考資料として活用するにとどめる。
 ②自分の手(パソコンではなく、今は万年筆*^_^*)で記述した授業記録
 ③ICレコーダによる授業記録――②と③、両方はいらないと思っている。②だけでいい。しかし、どうしても再チェックしたいときの補助として③も教卓の上で作動させる。
 ④生徒の「授業評価」データ
 ⑤教師の「授業評価」データ
 ⑥研究協議の記録――僕も記録する。研修部でも記録する。研修部の記録が使えればいいのだが、印刷してこちらにまわってくるまでに時間がかかる。即提示できるようにしてほしい。
 ⑦デジタル画像50枚……など。
 これらの材料を、A4×2(=2400字)と写真2枚という枠で、実際に授業を観た人も、観ていない人も、共に読めるようなルポを書く。

★小和田Tの授業は、ずっとここにいたい、あるいは、明日も参観に来たいと思わせる授業だった。
 指示が的確だ。
 説明の語りもしっかりしている。
 指示に対する子どもたちの作業(活動)とその達成状況をチェックする方法も、よく設計されている。
 リズムがいい。
 教室全体が生き生きとしている。
 小和田Tとは出会ったばかりだが、これだけ腕をあげるために、どんな修業をしたのだろうか?
 先に、50%の授業が学校を支えている……というような話をしたが、小和田Tの授業は確実に学校を支えている。

 粗く、ルポの構成を考えてみた。
 まず、この授業を「隠れ指示」を切り口に分析してみようと考えている。
 授業の冒頭で「ねらい」を提示するとき、小和田Tにミスがあった。
 だから「ねらいを明確にしたか?」については、僕の評価は「1」だ。
 だが、「生徒は授業のねらいをつかんでいたか?」については「5」だ。
 この2つの評価の落差が、今回の授業のひとつの特徴である。
 明らかに、背後に3学年経営力、3組学級経営力、英語科経営力の積み重ねがある。
 だから、「これでよいのだ」ではない。
 逆にこのことによって「ねらいを明確にする意義」が明らかになるということを述べる。
 これにルポの1/3
 次に他の観点、すなわち「指示・発問・語り」「達成度チェック」……などによる授業分析に1/3
 残りの1/3で、1学期末から使用している「生徒による授業評価表」と、今回、完成したばかりの「教師及び保護者用の評価表」について、その意義と今後の改善の方向を述べる。

★授業を観なかった人も読めて、かつ、観た人も興味をもって読める……くわえて量的にはA4、2枚……という3つの条件を満たすことは、なかなかむずかしい。
 MINAMI劇場の座付作者として、次から次に量産できるようになりたい、
 いや、量産せざるをえない状況に自分を追いこみたい。

 〈メモ〉

・「量産」といっても、まず、1号、1号だ。
 10号、20号のときは、なさけない。たったこれだけかと絶望する。でも、50号を超えると、学校が変わる。
 100枚を超えると、僕の基底部が変わる(^_^)v。
・書きたくない日に書かなくてはいけない。
 座付作者が休んだら終わりだ。
 まず、書く。
 すると流れができる。
・授業者を励ますルポにしたい。
 授業者が、自分のお母さんに見せたい、あるいは夫に見せたいと思うような授業ルポにしたい。
・だれも、やる気にさせてくれない。やる気は自然に出てこない。座付作者自身で引きずり出す。
・息の長い座付作者になりたい。
 だから、長生きしたい(*^_^*)。
 ウソ(*^_^*)。
・僕は、この座付作者の仕事以外のことは何ひとつできない。
 座付作者としての道以外に道はない。
・とにかく舞台の裏に身を置く。
 そして、このモバイルの前に座る。
 書いたものが気に入らなければ消せばいい。
 消したら、また別なエネルギーが生まれるはずだ。
・テーマは、学校マニフェストの№1と2だ。
 これがコアといっていい。
 ただし、――学校が変わり、自分が変わると、テーマも変わってくるかもしれない。
 これも楽しみだ。

★画像=指示が的確だ。
 説明の語りもしっかりしている。
 指示に対する子どもたちの作業(活動)とその達成状況をチェックする方法も、よく設計されている。
 リズムがいい。
 教室全体が生き生きとしている。


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★僕が重心を見失った時の対策1=温い温泉に浸かる 2=大江神社の石段から夕陽を眺める 3=下駄で歩く

2012-11-25 11:00:27 | 僕のモンマルトル日記

 

職員室通信 「僕の重心」というのは、僕が人生の時間軸上あるいは空間軸上をさ迷いながら、必死でつかみとった僕のアイデンティティ
2012
11.25


★僕のパソコンの――スイッチを入れたときに開く――ホームページは、http://my.yahoo.co.jp/だ。
 10年以上、変わっていない。
 僕用に適当にレイアウトし、適当にコンテンツを選んである。
 新着メール10件。
 国内ニュース、政治ニュース……。
 天気予報。
 もちろん、ライオンズの――ま、今はオフだが――試合結果と今後の予定。
 (無人)駅鉄だから、路線探索も(^_^)v。
 それに、「きょうの占い」――
 これは、その日の気分や時間の有無によって開くこともあれば開かないこともある。
 占いは信じない。 
 縁起かつぎもやらない。
 北も南もないし、赤もブルーもない。
 ただ、以前、仕事上あるいは人間関係上で大トラブルがあった日、夜になって「きょうの占い(12星座占い)」開いたら「大当たり!」ということが3回くらいあった。
 だから、多少は気になる(*^_^*)。

 きょうは「総合運97点」が目に入ったので、クリックして、中味をみてみることに……。
 「思い切りが吉と出る日」
 「パートナーとの相性=自分の意見をきちんと口にして」
 「金運=信念をつらぬくことで、夢を実現できそう」
 「仕事運=何をするにもタイミングがいいとき」……。

 ここ、しばらく――僕のホームページ記事でいうと、軒樋の穴ふさぎ用のボンドを手に屋根にのぼった日、あるいは、レオンのことを思い出し、涙ぐんだ日、この日以降――「思い切り」は悪いし、「意見」も「信念」も不鮮明だし……と悶々としていたので、占いをみて「ホンマかいな?」(=だから、占いは当てになれヘンなぁ~)と笑ってしまった。

★笑ってしまったけれども、しかし、ここ、しばらくの僕が、この占い結果の対極にあったわけで、それをクルリと反転させて、言い当てられたようでドキンとした。
 僕のことばでいえば、「僕の重心」をすっかり見失っていた。
 「僕の重心」というのは、僕が、人生の時間軸上をさ迷いながら、あるいは、人生の空間軸上をさ迷いながら、必死でつかみとった、僕のアイデンティティだから、それを見失うと、僕の人間としての〈小ささ〉〈軽さ〉〈狭さ〉〈卑しさ〉……等が、僕の内側からにじみ出てきて、直面させられる格好になる。
 これは、ホンマ、つらいもんやね(>_<)。

★話がそれるが、「僕の重心」を僕が見失ったときの対策、3点――

 (1)温泉に行く。
 重心というのは、カラダが右に左に揺れても、動かないものだ。
 ところが、周囲の筋肉がこわばると、重心もいっしょに揺れてしまう。
 このこわばった筋肉をほぐし、重心を解放する……というイメージだ。
 ぬるい、ぬるい、かけ流しの湯(40℃以下)に1時間以上、ときには2時間くらい浸っている。

 (2)夕陽丘町の大江神社境内の石段に座り、夕陽を眺める。
 夕陽の朱色に、こわばった筋肉が溶ける。(ま、重心そのものも溶けることがあるけど……。)

 (3)男桐下駄(僕のは3800円)をはいて、カランコロン、カランコロンと歩く。
 カランコロンの響きが、モーツァルトのヴィオリン協奏曲を聴いているときのように頭の中をくすぐりつつ走り抜けていき、頭のてっぺんから首、肩にかけての凝りが溶ける。

★ちなみに、「総合運97点」の本日のラッキーシンボル――
 カラー=だいだい色
 ナンバー=9
 アルファベット=Z
 方位=南東。

 自民党が衆院選公約に、憲法を改正して「国防軍」と明記すると盛り込んでいる。
 凝りが溶け、「重心」がクッキリ……というところだ。
 この公約は、僕のように、自民党支持者の中でもコアに属する人間なんだけれども、連携対象の党が支持できないために「仕方がないから石原・日本維新の会に入れるか」と考えていたのを、グッと自民党に引きもどす。
 反面、コアでない自民支持者は離れるかもしれない。
 心配だ。
 でも、日本の「重心」を取り戻すチャンスは、今しかない。

★画像=大江神社の石段。
 残念ながら、夕陽の時刻ではない。
 午後1時半頃の撮影だ。
 石段の左側が(画像ではもちろん見えないけれども)天王寺七坂のひとつ、愛染坂。
 この大江神社の石段は、僕が、世界で2番目に好きな石段だ。
 1番目は、奈良県生駒郡三郷町信貴山西・信貴山観光ホテル前の石段。
 いずれ紹介したい。


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★ホンネは、修学旅行実施そのものを仕分けの対象にしたい。公が家庭の子を引率して旅行する時代ではない

2012-11-20 11:11:07 | 僕のモンマルトル日記

 

職員室通信 レオンは数年前に亡くなった。ふとしたハズミに、こうして訪れる、こういう瞬間は、ホンマ、かなしい
2012
11.20



★昨日、近所のホテル1階・喫茶室で行われた「まちづくり研修会」の打ち合わせの後、帰路のはなむけ号(僕の折りたたみ自転車)が、徐々に家に近づき、庭が僕の視野に入ってきた。
 レオンの小屋の前が、なんだかにぎやかだ。
 赤や黄色のプラスチックの皿がいっぱい並んでいる。
 おお! レオンはなにをして遊んでいるのだろう!?
 なにを食べさせてもらったのだろう!?
 と、思った瞬間、カラフルな皿に見えたのは落ち葉だった。
 レオンは数年前に亡くなっているのだ。
 ふとしたハズミに――ま、「まちづくり研修会」の打ち合わせの中味が僕を少し高揚させたのか?――こうして訪れる、こういう瞬間は、ホンマ、かなしい。
 レオン小屋の跡で涙ぐんでしまった(ノ△・。)。
 この記事を書いている今も涙ぐんでいる。


★画像は晩年のレオン。
 夏、庭師が庭木を剪定するあいだ、玄関内に入れたら、暑さにダウンしたレオンが「もう、わし、アキマヘンわ」とパートナーに甘えている。
 次の年の夏の初めにレオンは「もう、わし、アキマヘンわ」という感じてパートナーに看取られながら息をひきとった。






          


★修学旅行覚え書き。
 今回の修学旅行について、今後のために、少しだけメモをしておく。
 修学旅行については、もう少し時間をとり、資料(含=保護者意見&生徒意見等)も分析、整理し、企画&引率スタッフの意見も聞き、職員会議および「600字の教育学」で総括するつもりだが、とりあえず、今、強く印象に残っている何点かについて記述する。

(1)これまでの修学旅行と比較して、旅程が工夫されている。
 ムダな行程を徹底して排除することにより、生みだした時間を、活動内容の充実に、あるいは、ゆとり時間の確保に充てている。
 例を2点。
 ①これまでの修学旅行にくらべて、バスの乗車時間が極端に短い。
 当然、乗車距離も短い。
 同じ道路はほとんど通っていない
 (だから、4クラスでバス3台という選択も、可能になったのだろう。)
 ②食事の準備・待機にかかる時間が短い。
 1日目の昼、皇居に着いたとき、東京ランチという弁当屋さんが専用車両に弁当を積んで待機していた。
 これには結構、感動してしまった。
 また、旅行期間中、10回の食事が設定されたのだが、前回は、弁当2回、各自調達2回、お膳1回、バイキング形式5回で、「バイキング設定が多すぎて、時間がかかり過ぎる」という反省を踏まえ、今回は2回に改善された。

(2)教育プログラムが優れている。
 教育には、粗く「指導」と「管理」という側面があるが、このうち管理プログラムが優れている。
 例を2点。
 ①生徒の「健康観察場面」を、朝の集い・夕べの集いのプログラムの中にきちんと位置づけている。
 「プログラムの中に」……である。
 これまでは「集い」の前あるいは後に設定していた。
 僕自身も、「前あるいは後」という設定を、ずっとやってきた。
 「プログラムの中」と「前あるいは後」とを比較すると、健康管理の質がまったく異なることがわかる。
 ②教職員の(1日の終わりの)ミーティングを、「班長会議」の前に位置づけている。
 当然、教職員ミーティングの内容が、あとの「班長会議」に生かされる。

(3)生徒の集団行動の力が優れている。
 「きわめて」……という修飾語をつけてもいいくらいだ。
 普段、学校・家庭・地域で身につけた部分が大きいと思うが、加えて、修学旅行において、1日目、2日目、3日目と身につけていった力も大きい。
 例を2点
 ①移動の際、機敏に行動ができて、集合・整とんも速い。
 ②心のこもったあいさつや、食事のマナーが立派だ。(←これは1日、1日、見違えるように立派になった。)
 指導プログラムも優れているということだろう。


★今後、修学旅行について検討しなければいけないこと。
(1)2年11月実施のプラス面とマイナス面について整理すること。
 現時点では3年4月実施よりプラス面のほうが多いと、僕は判断している。

(2)行程に千葉のディズニーランドを含んでいることについて再検討すること。
 ディズニーランドに行かないといっているのではない。
 行くのなら、保護者も交えて、その意義付けをきちんとしよう。
 加えて、選択制も検討できないだろうか……という意味だ。
 ま、僕のホンネをいえば、ディズニーランドはカットしたい。

(3)「東京都内自主研修」を再検討すること。
 自主研修の「コース」ではなく、自主研修を設定すること自体を、危機管理の観点から再検討する。

(4)ま、ホンネをいえば、修学旅行実施そのものも検討の対象にしたいところだ。
 危機管理という観点、あるいは学校・家庭・地域の教育の分担という観点などから、現在、家庭の子どもを公が引率して旅行する状況にはないと考えている。


★修学旅行期間中、今回も「恒例?」の「修学旅行情報」をほぼ1時間ごとに、ホームページにアップした。
 修学旅行コーナー〈修学旅行中〉。
 断っておくが、これは決して「公式」としての取り組みではなく、あくまでも「試行」レベルのものである。

 〈修学旅行中〉コーナーへのアクセスは、
 1日目 1081(PV)
 2日目  793(PV)
 3日目  919(PV)
 4日目  703(PV)……とかなり多い。
 「試行」とはいえ、ほんとうにうれしい。
 1日目のアクセス数は新記録である。
 これまでは前々回の1077。

 修学旅行の話から脱線するが、普段、このHP(=600字の教育学)の訪問者は200(PV)前後だから、4倍のアクセスだ。
 先日、《いつも一緒、どこでも一緒のモバイル・パソコンから、ううーん、うわーんという大きな唸り声が響き始めました》という記事を引用した、ある人物のブログは、毎日――
 6000(PV)以上
 3500(IP)以上
 ま、1日=6000(PV)は永遠にムリだろうけど、常時、修学旅行中の1日平均=800(PV)くらいのアクセスがあればいいなぁぁ~と思っている(*^_^*)。

 みなさん、ジャンジャン、アクセスしてくださいね。
 1日、何度でも、待ってまっせ(^_^)v。


★修学旅行3日目、班ごとのテーマ別自主研修活動中、僕は、公磨Tと、2つ目のチェックポイント・渋谷区のNHKスタジオパークに向かう途中、駅前のラーメン店で昼食をとった。
 待っている客の列が、店の前の道路に、出来かかっては消滅する、消滅しかかっては出来るという、まずまずの人気店だ。
 スープはこってり目の豚骨で、麺は太麺か細麺かが選択できる。
 公磨Tは太麺、僕は細麺。
 無料でライスがつくというので、公磨Tはライスを注文していた……。
 指を折って数えると、僕にとっては12年ぶりのラーメンだった。
 知人と北海道旅行をした際、知人が札幌で「どうしても食べてもらいたいラーメンがある」というので――ま、自分が「どうしても食べたいラーメン」だったのだろうが――ついていった。
 それ以来だ。
 ラーメンが嫌いだというわけではない。
 「食事をしよう、さあ、何を食べようか?」……というときに、「ラーメン」がいちばん目に来ないという話だ。
 あるいは、ラーメンは嫌いではないが、ラーメン店は苦手ということかもしれない。
 肘と肘とがぶつかり合うような狭い場所で、あるいは椅子の背と背がぶつかり合うような場所で、丼と格闘するような食べ方が、僕にはできない。
 箸で2、3本ずつ、つまみながら……だったら、いい。
 でも、視野の隅に行列ができては消え、消えてはできてている状況で、それは、やはりできない。
 ラーメンは、ホンマ、しんどい食べ物や。
 結局、半分近く残してしまった(ノ△・。)。
 最後に食べようと思っていた厚さ2ミリのチャーシューも食べられなかった。

 なお、僕に「どうしても食べてもらいたい」といってくれた知人は、3年前に急逝した。


★帰校式での子どもたちへの僕のコメント。

 「旅行を終えて、楽しかったこと、感動したこと、ちょっと苦しかったこと……等、いろいろな思いと、いろいろな光景とが、今、みなさんの心の中で、グルグル、グルグル、渦を巻いて、熱い、丸い塊になっていることと思う。
 その渦を巻く、熱い、丸い塊のようなものを、これからしばらくのあいだ、あるいは、将来、何度も何度も思い返してほしい。
 何度も何度も思い返しているうちに、大きな丸い塊が、スーッと富士山のようなカタチになってくる。
 今回の旅行のテーマが『世界自分遺産を探せ!! ~一生の財産を得る旅に~』だったが、そのスーッと現れた、富士山のてっぺんにあるのが、みなさんの『自分遺産』だ。
 何度も何度も思い返していると、その『自分遺産』が見えてくる。
 みんなで創った今回の旅行を大切にしよう。」

★画像=上野動物園のハシビロコウ。
 あたりまえだが、仕事の旅だ。
 それも公教育の一環として、たくさんの生徒を、極々少人数の教員で引率するのだから、四六時中、ピリピリしていた。
 「一寸先は闇(危機)」
 しかし、上野動物園の、この鳥の前に立ち、この鳥の来し方、行く末を考えている、その一瞬間だけは「仕事」のことを忘れてしまった。






★関連記事
★最近になって「600字の教育学」⊃「職員室通信」⊃「すこやかみなみネット通信」という関係が成立した

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★太宰治がブログを始めたらどんなブログになるだろう? 森鴎外は? 堀田善衛は?……と考えることがある

2012-11-14 15:46:13 | 僕のモンマルトル日記

 

職員室通信 モバイルPCを小脇に抱え、江藤淳夫妻の、終焉へのカウントダウン時計から抜け出す
2012
11.14


★けさ、ふと、ある人物のブログをのぞいたら――
《いつも一緒、どこでも一緒のモバイル・パソコンから、ううーん、うわーんという大きな唸り声が響き始めました。
《いつもいつも小脇に抱え、1分でも2分でも、時間があれば開くモバイル・ノート。キーボードの文字は、いくつも磨り減って消えてしまい、手のひらが載るあたりはテカテカに光り輝いています。
《ぼくと一緒に、無理に無理を重ねてくれるモバイル。また1台が、早すぎる寿命を迎えました。》……

 前後の記述から、「寿命を迎え」たパソコンが使いはじめて1年半くらいであること、そして、僕と同じメーカーのモバイル・パソコンであることがわかる。

 僕の今のモバイル・パソコン(12.1インチ、駆動時間16.5時間、282.8×41.4×209.6mm、1.34kg)も使いはじめて1年半くらいたっている。
 ある人物と同じように、「いつもいつも小脇に抱え、1分でも2分でも」というつもりで購入した。
 しかし、キーボードの文字は、残念ながら、磨り減って消えてしまった文字はない。
 どの文字もみんな新品のようにクッキリとしている。
 手のひらが載るあたりも――今、電気スタンドの光にかざしてみたのだが――色も摩耗度も、他の部分と変わりはない。
 ま、これは、僕の仕事の量が、ある人物にくらべ、格段に少ない、100分の1くらい……ということやね(ノ△・。)。
 猛省。

 しばらく(今週はじめから)、江藤淳夫妻の、終焉へのカウントダウン時計が刻む時間に入り込み、失速状態に陥っていたが、その「時間」を振りはらい、この、1年半たっても、まだピッカピッカのモバイルを小脇に抱え、立ち上がろうと思う。

★RICOH・CX3が撮る僕の日常――ときどき、太宰治がブログを始めたとしたら、どんなブログになるだろう? 森鴎外はどうか? 堀田善衛はどうか?……などと考えることがある。
 僕のベスト3は――
 №1 堀辰雄
 №2 内田百
 №3 庄野潤三
 このRICOH・CX3の3枚、このお三方だと、どうなコメントを添えるだろう?



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★いや、もっと正確にいえば、僕は僕自身を何に強制振動させようと企んでいるのだろうか?――堀辰雄に僕自身を強制振動させてきた僕の過去


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★教育コミュニティ「荷の軽い協働」から「荷の重い協働」にギアを切り替えると、ネットの質が変わる

2012-11-11 16:19:48 | 僕のモンマルトル日記

 

職員室通信 爆発寸前の彼との激突による「ネット崩壊」も僕は念頭においている
2012
11.11


★江藤淳『人と心と言葉』の「Ⅳ・人さまざまの」を読んでいて、たまらなく悲しい気持ちになった。
 僕のHPが――できれば毎日、更新したいと思っているのだが――数日間、更新が途絶えたのは、この「悲しい気持ち」が影響していると思う。
 『人と心と言葉』は平成7年9月30日の発行だ。
 次の年に、姉妹編ともいうべき『渚ホテルの朝食』が発行されている。
 収められている作品は『人と心と言葉』のほうが新しい。
 だから、内容的には、これが江藤淳の最後の随筆集ということになる。

 作品のひとつ「風呂場の椿事」――
〈その日の朝も私は風呂場に入った。
 ドアを閉めて、ふと見ると、タイルの床の上に仔犬のメイのボールが転がっている。
〈外に出して置いてやろうと、ドアを開けようとしたら、何とそのドアが開かないのである。
 これはしたりと把手をいくら廻そうとしても、すっかりバカになっていてドアは開く様子もない。
〈拙宅の風呂場は、ほぼ密室といっていいような構造になっている。
 湯槽の給湯口の上の壁に、細長い窓が二つ並んでいるだけで、あとはすべて嵌殺しになっているからである。
〈私は、大声を上げて家内を呼んだ。
 「ドアが開かなくなった」。
 脱衣場にやってきた家内は、把手を動かしてみて、
 「アラ本当だ。全然動かないわ」
 といっている。
 ドライバーを持って来て、把手のビスを外そうとしているようだが、それが錆びついていて動かないらしい。
 窓からドライバーを入れてもらって、風呂場側の把手のビスを外そうとしても全く効果がない。〉
 作品末尾に、ひとつひとつ、発表の日付が付されている。
 「風呂場の椿事」は、平成6年6月19日とある。
 「アラ本当だ。全然動かないわ」とドライバーを持って来た「家内」=慶子さんは、4年後の、平成10年11月7日にガンで息を引き取る。
 「ドアが開かなくなった」と大声を上げた「私」=江藤淳は、5年後の、平成11年6月10日に脳梗塞の発作。
 7月21日、この風呂場で自刃。

 部屋の隅のソファー兼簡易ベッドでリクライニングの肘掛けを斜めにし、寝っ転がって、読みすすめていると、作品末尾の日付が、無意識のうちに終焉へのカウントダウン時計になった。
 僕のうちで時を刻む音が徐々に大きくなっていった。

★画像は、鎌倉西御門、西日を浴びる江藤淳宅。

          



★僕の話は、いつでもどこでも――
 「日本の教育危機の元凶は、学校の教育独占体制(あるいは「学校の教育丸抱え体制」)にある。
 教育独占、教育丸抱え、学校は、社会の求めに応じ、何でもかんでも抱え込み、抱え込み、既に身動きがとれない状況に陥っている。
 たとえば、理科の教師は肝心要のあすの授業における実験の準備に割く時間も見出せないくらいに、授業以外のことを、抱え込み、抱え込み――もうパンク寸前、いや、パンク状態。
 学校の教育力が極端に低下している。
 また、学校が(好むと好まざるとにかかわらず)授業以外のことを、どんどん抱え込んでしまうものだから、当然のこととして、家庭・地域の教育力も低下していく。
 これを修正し、学校・家庭・地域、それぞれの教育がバランスよくならないかぎり、どんな施策を打ち出しても、あまり、いや、ほとんど効果はあがらない。
 逆にいうと、バランスさえよくなれば、日本の教育はまだまだだいじょうぶだ。
 そのためには……」
 ――という口上から始まる。


 僕が今、教育コミュニティ・MINAMIネットの点検項目のトップに「学校部活動改革」をあげているのは、MINAMIの学校部活動の現状が「学校の教育独占体制」の象徴である……これに手をつけないで、他をいくらいじくっても――たとえば「他をいじくる」例として「学校事務の組織化から学校改革へ」がある。これはやらないよりはいい。いや、やるべきだ。しかし、これにとどまっている限り――ほんとうの改革は進まない……という認識があるからだ。

★教育コミュニティ・MINAMIネットの眼目は「学校・家庭・地域の3者が連携・融合・協働して、それぞれの教育がバランスよく行われる教育環境をつくろう」ということだ。
 そのために、まず「子どもの教育に、互いに参加・参画できる仕組みをつくりあげよう」としている。
 「子どもの教育に、互いに参加・参画できる仕組みをつくりあげる」ために、MINAMIネットでは、
 ・学校・家庭・地域の情報交換会
 ・情報誌の発行
 ・地域ぐるみで行うあいさつ運動
 ・小・中、公民館合同文化祭
 ・地域環境美化活動
 ・地域防災・防犯訓練
 ・地域巡回活動
 ・学校支援ボランティア活動――等々、さまざまな連携・融合・協働活動に取り組んでいる。

★活動内容をみるとわかるように――ま、はっきりと、あるいは、アイロニカルにいうと――MINAMIネット創設以来、意識的に、ターゲットを「子どもの健全育成・安全確保」に限定してきた。
 これだと、家庭や地域の諸団体が合意しやすいし、取り組みやすいからだ。
 が、しかし、これらは、みんな、それぞれ、大切なことではあるが、改革の本丸ではない。
 これらは、改革のレベルでは、「学校事務の組織化、効率化」といっているのとなんら変わらない。
 やはり、次の段階として、これらの活動と並行しながらも――これまで意識的にターゲットを「子どもの健全育成・安全確保」に限定してきた「限定」を解除し――意識的に新たなテーマ、すなわち、「改革の本丸=学校部活動改革」に取り組んでいかなければいけない。

 ただし、ターゲットを変えると、すなわち、「荷の軽い協働」から「荷の重い協働」にギアを切り替えると、ネットワークの質が変わる。
 よほど慎重にやらないと、一瞬のうちにネットが崩壊することになる。


★僕の出だしの口上は威勢がいいのだが、恐がりの僕の終わりの口上はいつも――
 「教育に関していちばん荷を抱え込もうとしているのが学校です。
 この学校が、ダムの水を徐々に、計画的に放流するように、アウトソーシング計画をもたなければ事態は改善しません。
 この「アウトソーシング計画」が、やがてMINAMIネットのターゲットになる日を夢見ています。」――
 と、ホンマにホンマに、なさけないくらいに、泣いてしまうくらいに、ぼんやりとしている。

 先日、MINAMIネットの中心人物である、地域のある男性と、ある懇親会で雑談した――
 彼は、学校経営の理念、経営の手法、あるいは、MINAMIネットにかかわる学社連携・融合事業の展開方法など、こちらがはずかしくなるくらいに「ベタほめ」してくれた。
 が、最後の最後に「ただし……」といって、
 「不満がひとつあります。学校部活動のやり方です」とつけくわえた。
 場所がお祝いの席上だったので、互いにそれ以上の展開は避けたが、朝練禁止、延長禁止、土・日の活動禁止、「家庭・地域の日」の活動禁止、新しい大会への出場禁止……等々に対し、日頃、積極的に学校部活動にかかわっている彼は、もう爆発寸前なのだ。

 僕は「学校通信」等に、ことあるごとに「改革の本丸=学校部活動改革」のストラテジーを提示している。
 表のトーンは、いつも述べる「本校区の実態を見据え、学校と保護者と地域の方々とで改善・改革の理念を共有しつつ……」というあいまい路線なのだが、よく読めば、部活動は学校外活動と位置づけ(←元々、「学校外活動」なのだが……)、教職員の本務(←元々、「本務」ではないのだが……)から切り離そうとしていることがわかるようになっている。
 僕は「学校通信」用に「改革の本丸=学校部活動改革」の原稿をに書くとき、読み手を次のように想定している。
 多くの保護者は読まないかもしれない。
 しかし、わずかながら熟読する人もいる。
 熟読する人は、積極的学校部活動推進派と学校部活動廃止派に分類できる……と。
 彼と話をすると、いつも「ああ、熟読してくれている」と感激する。
 しかし、もちろん、彼は僕とは正反対の「積極的学校部活動推進派」なのだ。

 MINAMIネットは、何もないところから、「まだ見ぬMINAMIに会おう」を合い言葉に創設し、ここまでやってきた。
 ここまでやれたのは、獅子奮迅の活躍をした彼のおかげだ。
 さっき「よほど慎重にやらないと、一瞬のうちにネットが崩壊することになる」といったが、彼との激突による「崩壊」も念頭においている。

 ああ、シンドイ話だ。
 日暮れて道遠し。
 しかし、ここで絶望してはいけない。
 まず全員強制加入制から任意加入制への転換。
 任意加入制にさえ転換すれば、学校・家庭・地域それぞれの教育がバランスのとれた、豊かな教育環境創出に向けて、一気に改革を進めることができる。
 現在、学校部活動全員加入制支持=73%
 学校部活動任意加入制(あるいは廃止)支持=27%
 もちろん、学校部活動任意加入制(あるいは廃止)支持「50%」までには相当な隔たりがある。
 しかし、千里の道も一歩から……学校部活動任意加入制(あるいは廃止)支持=27%を30%に……というと、明日からやることが次々に見えてくる。
 僕のうちに「疾駆感」が満ち満ちてくる。
 停滞と逡巡のゆたかさに酔っている場合ではない。


★きょうの話の最後に、少し観点を変えて、僕のいう「学校の教育独占体制(=教育丸抱え体制)」を強める方向に作用したと思われる点について、自分自身の勉強のために、確認のために、粗く3点あげる。

 1つは、学校中心自治民育体制。
 昭和7年文部省訓令「学校少年団」
 昭和16年「大日本青少年団」
 昭和20年5月22日戦時教育令=「学徒隊」等々……
 このいう流れのなかで、いわば「学校中心自治民育」体制が確立していったと思われるのだが、この戦前の学校イメージが、敗戦後も、幻影として保持されたこと。

 2つ目が、教育爆発現象。
 高校進学率が昭和20年代〈20%〉→昭和50年代〈90%〉と急カーブを描いている。
 受験のための狭義の学力観(=価値観)に地域・家庭も追随していったこと。

 3つ目は、地域社会構造の変化。
 職住分離・核家族化が進行したこと。

 この3つにくらべれば、影響は極々小さいと思うが、もう1つあげるなら、「学習指導要領」の問題だ。
 なにかあると、学習指導要領に取り込み、学校で取り扱うという安易な判断が積み重なり、つまるところ、学習指導要領が、教育というものの、すべてを、学校に取り込む方向(なんでも学校、家庭もそう思い、地域もそう思い、教師自身もそう思いこむ)をつくりだし、結果として、学校の教育丸抱え体制を強化させる方向に働き、それが同時に、社会の教育力を奪ってしまった。

 蛇足になるが、今、学習指導要領が、教育というものの、すべてを、学校に取り込む方向をつくりだし、結果として、学校の教育丸抱え体制を強化させ、同時に、社会の教育力を奪ってしまったと書いたが、残念なことに、現学習指導要領案によると、総則第4の3(13)に「部活動については、(中略)学校教育の一環として、教育課程との関連が図られるよう留意すること。その際、地域や学校の実態に応じ、地域の人々の協力、社会教育施設や社会教育団体等の各種団体との連携などの運営上の工夫を行うようにすること」とある。
 部活動が、教育課程外であるという位置づけは変わっていない。
 しかし、「教育課程との関連が図られ」と指示している。
 バカげた話だ。
 何度もくり返すようだが、こういう安易な妥協、あるいは「取り込み」が積み重なり、積み重なり、既に40年前に、第3の教育改革を構想しなければならないような教育危機状況に至ったのである。
 まだ懲りないのか?

 記述内容がぼんやりしたままで忸怩たるものがあるが、きょうは、これで終わる。

★画像は、MINAMI小・中連携授業研究会の授業参観の場面。
 小・中学校の連携がしっかりしていることが、学校側、地域側、双方向の連携推進の条件である。
 小・中学校の方針がバラバラだと、継続的な学社連携はほとんど進まない。



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★祈 熱い熱いみなみネットの形成! 祈 まだ見ぬ新しいみなみ学区の出現!


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11月8日(木)のつぶやき

2012-11-09 02:28:18 | 僕のモンマルトル日記

★ネット記事をみたり読書をしたりしているとき、僕のうちに、チクッと突きさって、それまでの思考の流れを止めたり、変えたりする表現がある。ま、その「突きささ」った「わけ」というのは、ま、それぞれ、いろいろあるけれども。


★そのひとつ=「豚骨ラーメンで一時代を築いた男が、これからどんな展開を見せるのか?」。わけ=ああ、いいなぁ~。僕も「一時代を築いた男」っていわれてみたいよ(ノ△・。)。さて、では、僕は、いったい、何で「一時代を築く」のか? やっぱり「教育」かな(^_^v。あっははははは(^_^v


★もうひとつ=「ヴァンクーヴァー。湾の美しい、隠退して住むのによさそうな、のんびりした町だった」。わけ=ヴァンクーヴァー、ええねぇ~。「隠退して住むのによさそうな」という発想は僕にもある。いったい、それはどこか? そして、僕の「隠退」は、いったい、いつなのだろうか?(ノ△・。)。


★信貴山なんかが候補やったんですけどね。


★それから、ニューカレドニアも。


★さらにもうひとつ=八戸せんべい汁研究所事務局長の木村聡「どの街にも、地元の人が気付いていない宝が必ず埋まっている。それを見つけ楽しくやり続けることが重要」。わけ=この男(=木村氏)との相性は、あまりよくなさそうやけど、この発想は文句なしにはいいね。さあ、僕も僕のうちに宝を探そう


★さっきの「豚骨ラーメンで一時代を築いた男」やないけど、木村氏は「八戸せんべい汁で一時代を築いた男」ということになるのかなぁ~。


★最後に=ライオンズ渡辺久信「来期の守護神? 先発からはもうない、ネタ切れ。できれば、日本人のピッチャーを固定したい。浪花節がきくようなやつがいいよね」。わけ=なんや、僕と同じことを考えてたんやぁ~。うれしいね。僕は十亀を推薦。でも、あけてみたら「シコースキー」とか(ノ△・。)



★秋は苦手だ。でも、ここを突き抜け、極寒期になると、僕は居直って強くなる。それまでトロ火で堪え忍ぼう

2012-11-06 12:52:24 | 僕のモンマルトル日記

 

職員室通信 むいてもむいても何も残らないラッキョウと同じなんですね、僕も
2012
11.06


★引き明けの漁港――

 僕は、朝日に向かっていった先に「自己の果て(本来の自分)」があると、ずっと思って生きてきた。
 先日、過去の書類を整理しているときにたまたま見つけた、数年前の記述に「○○論文には結局、延べ10日間苦しめられたことになる。10日間も苦しんで、この内容……! ああ、これが今の実力なのだ」とあった。
 「ああ」と絶望はしているが、「今の……」と断っている。
 この時点では、まだ未来の成長を信じていたのだ。

 でも、もうそれはない。
 ラッキョウをむいてもむいても何も残らないように、僕には、遂に何もないということが忽然と見えてきた。
 諦念、諦観とは異なる。
 「もう、これ以上は前進しません」宣言か?
 引き明けの海に落ち込む一歩手前で踏みとどまっている。 (※ここが僕の本拠地です。






          

★結構、いろいろと重宝しているくせに、僕はカリンの最後を見届けたことがない


★カリンは文化祭前に収穫した。
 ただ、画像のように、高い枝のカリンは、どうしても収穫できずに取り残すことになる。
 実が堅いので野鳥にも人気はないようだ。
 突っつく野鳥もあるらしいが、僕は見たことがない。
 これからどうなるのだろうか?
 結構、いろいろと重宝しているくせに、カリンの最後は見届けたことがない。





          

★学校部活動改革に、やや投げやりになっている僕に、アドバイザーの一言は大きなヒントになった


★本校では、学校経営アドバイザー役として、校区在住の4人の方を委嘱(任期2年)している。

 本校区は、3つの地域から構成されている。
 A地区=昭和45年頃に開発された住宅団地。人口約3000人。
 B地区=昭和56年頃に開発された住宅団地。人口約2500人。
 C地区=古くからの地域で、東部には農地・山林が、西部には住宅地が広がっている。人口約6000人。
 アドバイザーをお願いするとき、それぞれの方の専門分野、ご経験とともに、A・B・C3つの地区の住民であるということも考慮した。

 アドバイザーが一堂に会する場は設定していない。
 学校行事および学社連携・融合事業(主に教育コミュニティネット事業)についてご案内を申しあげ、都合のよいときにご参加いただき、ご意見を伺う方式だ。
 報酬はない。
 完全ボランティアである。 

★先週の水曜日、および昨日の月曜日と、お二人ずつ来校された。

 水曜日のお二人は、B地区、C地区東部に住んでいる。
 お二人とも地域団体のリーダーである。
 昨日のお二人は、A地区とC地区西部に住んでいて、本校PTAのOB(正しくはOG)である。
 お二人ともPTA総務委員長の経験者だ。
 PTA総務委員長というのは複数いるPTA副会長の筆頭で、総務委員会(PTA会長・副会長、各実行委員長、各学年委員長等)のまとめ役である。
 だから、PTAのことは、なんでも経験している、なんでも知っているという存在だ。

 資料――
 ・学校内部評価資料
 ・学校外部評価資料
 ・保護者による授業評価資料
 ・教育コミュニティネット地域情報交換会資料(7月実施分)
 ・教育コミュニティネットOB会設立に関する資料
 ・生徒による授業評価など学校目標達成状況に関する資料
 ・今年度の「マニフェスト」に関する資料
 ――等に基づいて、学校、あるいは学校と地域・家庭の状況についての説明&授業参観後、ご意見をいただいた。

 前回の記事(11/4)「2学期にはいって、2人の保護者から学校部活動について相談があった」に関連して、きょうの記事は、「学校部活動改革」に限定して、アドバイザーの意見を紹介する。

 〈アドバイザーの意見〉

(1)経営上、当然、目標とか、ねらいどころとか、目安とか、目算とかがあるのだが、本校では、多面的に評価軸を設定し、いろいろな評価場面を設定し、その評価が経営に生かされるように工夫されている。
 こういう評価は、もちろんすべてが数値化できるとは思わないが、教育活動の充実、組織の活性化、教職員の資質の向上に有効である。
 ただし、達成目標の20%、30%で評価が低い段階のものと、70%、80%と高い段階のものでは、当然、施策の打ち出し方を変えていかなくてはいけない。
 同じようにやっていると行き詰まる。
 この点の判断を間違えないでほしい。

(2)部活動の全員加入制(全員強制加入制)は改めるべきだと考える。
 学校も、多くの保護者も、おそらく全員加入制を解除すると、非行に走る生徒が増えると考えていると思うし、その考えもわらかないわけではないが、そのことよりも、全員に加入を強制して、生徒の活動の幅を狭めていること、家庭生活や地域活動に影響を与えていること等のマイナス面のほうが大きい。
 青少年の課外活動は、学校部活動も選択のひとつ、地域における青少年団体活動、民間教育団体の活動も選択のひとつ……という幅広い構えで臨んでほしい。
 もちろん、市内の全中学校で全員加入制を採用していて、1校だけの改善・改革はむずかしい。
 市教育委員会がはっきりとした考えを打ち出す時期がきていると思う。

(3)学校部活動全員加入制とも関連するが、学校部活動はレギュラーとレギュラーに選ばれなかった生徒の問題、競技性を追求する生徒と、レクリエーションとしての活動を求める生徒との問題等、多くの問題を内包している。
 また、指導および管理責任を、教員がぜんぶ背負う格好になっているが、これも問題だ。
 従来から言われつづけている社会教育への移行も含めて抜本的な改善策を打ち出す必要がある。

(4)学校部活動については、当然のことだが、活動の種類を今以上に充実することは困難だし、また、現状では、特に文化系の部活動の活動内容が、合唱・総合文化――美術・科学・IT等と限られている。
 こういう状況で、「全員強制加入制」をつづけることには、やはり問題があると思う。
 学校外の社会教育活動とのコーディネート機能を向上させつつ、「全員強制加入制」から「任意加入制」に切りかえるべきだ。
 現在の総合文化部――顧問教師2人、教育コミュニティネットのサポータークラブ員数名の指導体制――が、その橋渡し的な位置づけであるという説明だったが、この総合文化部の活動内容をさらに充実させることによって、いい方向が開けるのではないかと考える。
 (以上、「アドバイザーの意見」のうち、学校部活動改革に関連するもののみ紹介)

★ホンマによいアドバイスをいただいた。
 「達成目標の20%、30%のものと、70%、80%のものとを同じようにやっていると行き詰まる」という指摘には、ハッとした。
 経験的にいうと、70%、80%に至っているものをさらに前進させるのは、なかなかむずかしい。
 もう悪い状態ではない……ここまでやれた……という安心感&満足感が、慢心につながる。
 さらに改善を進めるためには、やはりステップの刻みを小さくしなくてはいけない。
 また、達成目標の20%、30%のものについては、粗く2種類ある。
 目標達成率は低いが見通しが立っているものと、ほとんど行きづまっているもの。
 後者の代表が学校部活動改革だ。
 アドバイザーから指摘があったように、「学校部活動全員強制加入制から任意加入制へ」という目標を唱えているだけでは、何も変わらない。
 ステップの「質」をガラリと変えなければいけない。

★このブログでくりかえし述べているように、中学校改革の本丸は、学校部活動改革だ。
 これに手をつけないと、何も変わらない。
 悲しいことに――ナンヤネン、それェ(*^_^*)」と、笑われるかもしれないが――僕の学校は「学校部活動全員強制加入制」という、トンデモない体制をとっている。
 正確には、ま、弁解めくが、「とらされている」。
 大きなことをいう前に、まずこれに手をつけなくてはいけない。
 全員強制加入制から任意加入制への転換。
 任意加入制にさえ転換すれば、学校・家庭・地域それぞれの教育がバランスのとれた、豊かな教育環境創出に向けて、一気に改革を進めることができる。
 全員強制加入制では、身動きがとれない。

 しかし、年度末の保護者アンケートにおいて、「部活動の全員加入制か任意加入制か」についてはたずねたところ、
 全員加入制支持=73%
 任意加入制支持=27%……という結果だった。
 この傾向は、ここ数年、変わっていない。
 もちろん、自由記述欄には、次のような指摘も多い。
 「部活動が全員強制加入だと聞き驚いている。」
 「やりたい部活動がないのに全員強制加入はおかしい。やりたい人が入る任意加入制を支持する。」

 したがって、現時点では、学校部活動については、現在の体制を維持していかざるをえない。
 そして、今後、(ひとつの目安として)任意加入制支持が3分の1を超えた段階で、
 ①本校区の実態を見据え、
 ②学校と保護者と地域の方々とで改善・改革の理念を共有しつつ、
 ③具体的な改善・改革の「一歩」を進めたいと考えている。

 何年間も「本校区の実態を見据え、学校と保護者と地域の方々とで改善・改革の理念を共有しつつ……」等とぼんやりしたことを述べるのみで、改革の具体的な方策は何ひとつ打ち出せない。
 ここで絶望してはいけない……ここで焦ってはいけない……焦って強引に出ると、これまで学校・家庭・地域の互いの努力がぜんぶ吹っ飛んでしまう……ということは、ま、じゅうぶんわかっているつもりだが、ホンマ、なさけない。

 こんなふうに立ち往生している僕に――はっきりいうと、やや(学校部活動改革に)投げやりになっている僕に――アドバイザーの「達成目標の20%、30%のものと、70%、80%のものでは、当然、施策の打ち出し方を変えていかなくてはいけない。同じようにやっていると行き詰まる」は、大きなヒントになった。

 「任意加入制支持の保護者=27%」を「50%」にする方策は、今の僕には見いだせない。
 しかし、「28%」にする方策なら、いくらでもある。

 ――記事が尻切れトンボ……だが、本日は、これで終わる。






★画像=校舎のまわりも秋の色が深まってきた。
 「美しい」と感じないわけではないが、寒いのが苦手で、かつ、今年は、僕がもっとも活動的になれる夏に体調を崩し、無為徒食の生活を強いられたので、おお、何もできないうちに、もうこんな時期になったのかぁ~と、やや暗い気持ちになっている(ノ△・。)。
 しかし、この時期を突き抜け、極寒の時期になると、僕は居直って強くなる。
 それまでトロトロ「トロ火」で堪え忍ぶことにする。

★関連記事
★改革論の文脈上にある「部活動全員強制加入制から任意加入制への転換」という発言がヒットしたのだろうと思う

 


★学校部活動任意加入制支持の保護者=27%を50%にするのは苦しい。でも28%にするのなら策はある

2012-11-06 11:20:15 | 僕のモンマルトル日記

 

職員室通信 学校部活動改革に、やや投げやりになっている僕に、アドバイザーの一言は大きなヒントになった
2012
11.06


★本校では、学校経営アドバイザー役として、校区在住の4人の方を委嘱(任期2年)している。

 本校区は、3つの地域から構成されている。
 A地区=昭和45年頃に開発された住宅団地。人口約3000人。
 B地区=昭和56年頃に開発された住宅団地。人口約2500人。
 C地区=古くからの地域で、東部には農地・山林が、西部には住宅地が広がっている。人口約6000人。
 アドバイザーをお願いするとき、それぞれの方の専門分野、ご経験とともに、A・B・C3つの地区の住民であるということも考慮した。

 アドバイザーが一堂に会する場は設定していない。
 学校行事および学社連携・融合事業(主に教育コミュニティネット事業)についてご案内を申しあげ、都合のよいときにご参加いただき、ご意見を伺う方式だ。
 報酬はない。
 完全ボランティアである。 

★先週の水曜日、および昨日の月曜日と、お二人ずつ来校された。

 水曜日のお二人は、B地区、C地区東部に住んでいる。
 お二人とも地域団体のリーダーである。
 昨日のお二人は、A地区とC地区西部に住んでいて、本校PTAのOB(正しくはOG)である。
 お二人ともPTA総務委員長の経験者だ。
 PTA総務委員長というのは複数いるPTA副会長の筆頭で、総務委員会(PTA会長・副会長、各実行委員長、各学年委員長等)のまとめ役である。
 だから、PTAのことは、なんでも経験している、なんでも知っているという存在だ。

 資料――
 ・学校内部評価資料
 ・学校外部評価資料
 ・保護者による授業評価資料
 ・教育コミュニティネット地域情報交換会資料(7月実施分)
 ・教育コミュニティネットOB会設立に関する資料
 ・生徒による授業評価など学校目標達成状況に関する資料
 ・今年度の「マニフェスト」に関する資料
 ――等に基づいて、学校、あるいは学校と地域・家庭の状況についての説明&授業参観後、ご意見をいただいた。

 前回の記事(11/4)「2学期にはいって、2人の保護者から学校部活動について相談があった」に関連して、きょうの記事は、「学校部活動改革」に限定して、アドバイザーの意見を紹介する。

 〈アドバイザーの意見〉

(1)経営上、当然、目標とか、ねらいどころとか、目安とか、目算とかがあるのだが、本校では、多面的に評価軸を設定し、いろいろな評価場面を設定し、その評価が経営に生かされるように工夫されている。
 こういう評価は、もちろんすべてが数値化できるとは思わないが、教育活動の充実、組織の活性化、教職員の資質の向上に有効である。
 ただし、達成目標の20%、30%で評価が低い段階のものと、70%、80%と高い段階のものでは、当然、施策の打ち出し方を変えていかなくてはいけない。
 同じようにやっていると行き詰まる。
 この点の判断を間違えないでほしい。

(2)部活動の全員加入制(全員強制加入制)は改めるべきだと考える。
 学校も、多くの保護者も、おそらく全員加入制を解除すると、非行に走る生徒が増えると考えていると思うし、その考えもわらかないわけではないが、そのことよりも、全員に加入を強制して、生徒の活動の幅を狭めていること、家庭生活や地域活動に影響を与えていること等のマイナス面のほうが大きい。
 青少年の課外活動は、学校部活動も選択のひとつ、地域における青少年団体活動、民間教育団体の活動も選択のひとつ……という幅広い構えで臨んでほしい。
 もちろん、市内の全中学校で全員加入制を採用していて、1校だけの改善・改革はむずかしい。
 市教育委員会がはっきりとした考えを打ち出す時期がきていると思う。

(3)学校部活動全員加入制とも関連するが、学校部活動はレギュラーとレギュラーに選ばれなかった生徒の問題、競技性を追求する生徒と、レクリエーションとしての活動を求める生徒との問題等、多くの問題を内包している。
 また、指導および管理責任を、教員がぜんぶ背負う格好になっているが、これも問題だ。
 従来から言われつづけている社会教育への移行も含めて抜本的な改善策を打ち出す必要がある。

(4)学校部活動については、当然のことだが、活動の種類を今以上に充実することは困難だし、また、現状では、特に文化系の部活動の活動内容が、合唱・総合文化――美術・科学・IT等と限られている。
 こういう状況で、「全員強制加入制」をつづけることには、やはり問題があると思う。
 学校外の社会教育活動とのコーディネート機能を向上させつつ、「全員強制加入制」から「任意加入制」に切りかえるべきだ。
 現在の総合文化部――顧問教師2人、教育コミュニティネットのサポータークラブ員数名の指導体制――が、その橋渡し的な位置づけであるという説明だったが、この総合文化部の活動内容をさらに充実させることによって、いい方向が開けるのではないかと考える。
 (以上、「アドバイザーの意見」のうち、学校部活動改革に関連するもののみ紹介)

★ホンマによいアドバイスをいただいた。
 「達成目標の20%、30%のものと、70%、80%のものとを同じようにやっていると行き詰まる」という指摘には、ハッとした。
 経験的にいうと、70%、80%に至っているものをさらに前進させるのは、なかなかむずかしい。
 もう悪い状態ではない……ここまでやれた……という安心感&満足感が、慢心につながる。
 さらに改善を進めるためには、やはりステップの刻みを小さくしなくてはいけない。
 また、達成目標の20%、30%のものについては、粗く2種類ある。
 目標達成率は低いが見通しが立っているものと、ほとんど行きづまっているもの。
 後者の代表が学校部活動改革だ。
 アドバイザーから指摘があったように、「学校部活動全員強制加入制から任意加入制へ」という目標を唱えているだけでは、何も変わらない。
 ステップの「質」をガラリと変えなければいけない。

★このブログでくりかえし述べているように、中学校改革の本丸は、学校部活動改革だ。
 これに手をつけないと、何も変わらない。
 悲しいことに――ナンヤネン、それェ(*^_^*)」と、笑われるかもしれないが――僕の学校は「学校部活動全員強制加入制」という、トンデモない体制をとっている。
 正確には、ま、弁解めくが、「とらされている」。
 大きなことをいう前に、まずこれに手をつけなくてはいけない。
 全員強制加入制から任意加入制への転換。
 任意加入制にさえ転換すれば、学校・家庭・地域それぞれの教育がバランスのとれた、豊かな教育環境創出に向けて、一気に改革を進めることができる。
 全員強制加入制では、身動きがとれない。

 しかし、年度末の保護者アンケートにおいて、「部活動の全員加入制か任意加入制か」についてはたずねたところ、
 全員加入制支持=73%
 任意加入制支持=27%……という結果だった。
 この傾向は、ここ数年、変わっていない。
 もちろん、自由記述欄には、次のような指摘も多い。
 「部活動が全員強制加入だと聞き驚いている。」
 「やりたい部活動がないのに全員強制加入はおかしい。やりたい人が入る任意加入制を支持する。」

 したがって、現時点では、学校部活動については、現在の体制を維持していかざるをえない。
 そして、今後、(ひとつの目安として)任意加入制支持が3分の1を超えた段階で、
 ①本校区の実態を見据え、
 ②学校と保護者と地域の方々とで改善・改革の理念を共有しつつ、
 ③具体的な改善・改革の「一歩」を進めたいと考えている。

 何年間も「本校区の実態を見据え、学校と保護者と地域の方々とで改善・改革の理念を共有しつつ……」等とぼんやりしたことを述べるのみで、改革の具体的な方策は何ひとつ打ち出せない。
 ここで絶望してはいけない……ここで焦ってはいけない……焦って強引に出ると、これまで学校・家庭・地域の互いの努力がぜんぶ吹っ飛んでしまう……ということは、ま、じゅうぶんわかっているつもりだが、ホンマ、なさけない。

 こんなふうに立ち往生している僕に――はっきりいうと、やや(学校部活動改革に)投げやりになっている僕に――アドバイザーの「達成目標の20%、30%のものと、70%、80%のものでは、当然、施策の打ち出し方を変えていかなくてはいけない。同じようにやっていると行き詰まる」は、大きなヒントになった。

 「任意加入制支持の保護者=27%」を「50%」にする方策は、今の僕には見いだせない。
 しかし、「28%」にする方策なら、いくらでもある。

 ――記事が尻切れトンボ……だが、本日は、これで終わる。






★画像=校舎のまわりも秋の色が深まってきた。
 「美しい」と感じないわけではないが、寒いのが苦手で、かつ、今年は、僕がもっとも活動的になれる夏に体調を崩し、無為徒食の生活を強いられたので、おお、何もできないうちに、もうこんな時期になったのかぁ~と、やや暗い気持ちになっている(ノ△・。)。
 しかし、この時期を突き抜け、極寒の時期になると、僕は居直って強くなる。
 それまでトロトロ「トロ火」で堪え忍ぶことにする。

★関連記事
★改革論の文脈上にある「部活動全員強制加入制から任意加入制への転換」という発言がヒットしたのだろうと思う


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★高い枝のカリンは収穫できない。実が堅いので野鳥にも人気はないようだ。これからどうなるのだろうか?

2012-11-06 08:28:41 | 僕のモンマルトル日記

 

職員室通信 結構、いろいろと重宝しているくせに、僕はカリンの最後は見届けたことがない
2012
11.06


★カリンは文化祭前に収穫した。
 ただ、画像のように、高い枝のカリンは、どうしても収穫できずに取り残すことになる。
 実が堅いので野鳥にも人気はないようだ。
 突っつく野鳥もあるらしいが、僕は見たことがない。
 これからどうなるのだろうか?
 結構、いろいろと重宝しているくせに、カリンの最後は見届けたことがない。





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★引き明けの漁港にたたずむ。気温7℃、西南西の風、3m/s。海に落ち込む一歩手前で踏みとどまっている

2012-11-06 06:16:54 | 僕のモンマルトル日記

 

職員室通信 ラッキョウをむいてもむいても何も残らないように
2012
11.06


★引き明けの漁港――

 僕は、朝日に向かっていった先に「自己の果て(本来の自分)」があると、ずっと思って生きてきた。
 先日、過去の書類を整理しているときにたまたま見つけた、数年前の記述に「○○論文には結局、延べ10日間苦しめられたことになる。10日間も苦しんで、この内容……! ああ、これが今の実力なのだ」とあった。
 「ああ」と絶望はしているが、「今の……」と断っている。
 この時点では、まだ未来の成長を信じていたのだ。

 でも、もうそれはない。
 ラッキョウをむいてもむいても何も残らないように、僕には、遂に何もないということが忽然と見えてきた。
 諦念、諦観とは異なる。
 「もう、これ以上は前進しません」宣言か?
 引き明けの海に落ち込む一歩手前で踏みとどまっている。







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11月4日(日)のつぶやき

2012-11-05 02:29:34 | 僕のモンマルトル日記

「サケ稚魚体験放流」と「「サケのつかみ獲り」は、子どもたちに「ねじれた生き方」を強いている blog.goo.ne.jp/kyoiku6000/e/5…


★「ああ、社会教育に携わる人間の社会教育を語ることばって、いいなぁぁ!」と、ホンマにホンマに感動した blog.goo.ne.jp/kyoiku6000/e/1…


★現在、大人気の「総合文化部」は、部活動改革「全員強制加入から任意加入制への転換」の秘策・うら技か? goo.gl/TS0mq


★大人気の部活動「総合文化部」は、部活動改革「全員強制加入から任意加入制への転換」の秘策・うら技か? blog.goo.ne.jp/kyoiku6000/e/b…



★大人気の部活動「総合文化部」は、部活動改革「全員強制加入から任意加入制への転換」の秘策・うら技か?

2012-11-04 22:38:32 | 僕のモンマルトル日記

 

職員室通信 僕の言語が学校教育側に偏った言語になっていることにショックを受ける
2012
11.04


★「平成24年度東北地区社会教育研究大会・第57回東北地区公民館大会 兼 平成24年度青森県社会教育研究大会・第53回青森県公民館研究フォーラム」という長い大会名の研究大会に出席した。
 研究主題=東北発「震災を乗り越える社会教育の力」~自助と共助の絆ある地域づくりへの挑戦~

 行政職の頃、社会教育関係の方々をご案内(引率)するという立場で、何度も出席している。
 また、教育支援ボランティア事業に携わっているときは、発表者として参加したこともある。
 今回は、引率者でもない。
 発表者でもない。
 コーディネーターでもコメンテーターでもない。
 「裸」で参加し、僕という人間を、社会教育の「ことば」の時空にさらしてみたいと思った。

 こんなふうに思う背景には、次のような体験がある。
 昔、数年間、教育現場を離れていた時期がある。
 ひさしぶりに学校に帰ったら、その場で語られる「ことば」、交わされる「ことば」に、僕は「ああ、教育に携わる人間の教育を語ることばって、いいなぁぁ!」と涙がこみあげるほど感動した。

 さあ、今回の社会教育研究大会の「ことば」は、僕にどういう衝撃を与えるのだろうか?

★もちろん、主題の「震災を乗り越える社会教育の力」ではないが――
 現在の日本の社会教育にどれくらいの力があるのか?
 あるいは、ないのか?
 また、 日本の社会教育は、今、どこからどこへ向かおうとしているのか? 
 そして、どんな「位置」にあるのか?
 ――という(僕の悪いクセである)批評的視点がないわけではない。
 でも、それは前面に出さない。
 1日目、2日目と、研究大会に身を置いているうちに、自然にそういう視点で思考しはじめるかもしれないけれど、まずは、自分を、太陽の光に布団をさらすように、さらしてみよう……と、全体会場の最後部の席――たまたま、そこが空いていた――に身を置いた。

★本日は1点だけ書くことにする。
 今、僕のうちには、さらすことによって受けた衝撃と、批評的視点から展開した思いとが混在している。
 なんだか、2点目から、即、後者になりそうだから、本日は、くりかえしになるが、1点だけで止める。

 さっきの「ひさしぶりに学校に帰ったら」のくだりと同じ言い回し――「ああ、社会教育に携わる人間の社会教育を語ることばって、いいなぁぁ!」と、ホンマにホンマに感動した(^_^)v。
 と、同時に、僕の言語が学校教育側に偏った言語になっていることに気づき、ショックを受けた。
 僕の自慢は、学校教育と社会教育の両方に携わっていることだ。
 名刺の肩書きのひとつに「学社融合コーディネーター」と明記しているくらいだ。
 でも、今回、「これではいかん!」と猛省。(つづく)





               

 実質的には「全員強制加入から任意加入制への転換」と同じ状況に至るが……


★2学期にはいって、2人の保護者から学校部活動について相談があった。
 Aさんの相談は、現在の学校部活動が家庭生活や学習活動を圧迫している。早急な見直し・改善が必要だ……というものだった。
 Bさんの相談は、(Aさんの意見とは逆に)学校部活動を、時間的にも内容的にも現状以上に充実してほしい……というものだった。

★まず、部活動に関する本校の現状を確認することにしよう。
 活動時間は、前期(4/1~10/31)は、平日は午後6時15分活動終了、午後6時30分完全退下。
 後期(11/1~3/31)は、平日は午後5時45分活動終了、午後6時完全退下。
 土曜日・日曜日については、第1・3日曜日は部活動休止日。
 他の週の土曜日・日曜日については、土曜日・日曜日のいずれかを休止日とする。
 なお、土曜日・日曜日の活動時間については、3~4時間を目安とする。(ただし、練習試合等を計画した場合は、これを超えることがある。)
 また、職員会議・学年会議等で本校の教職員が指導にあたれない日は、部活動休止日(家庭・地域で活動する日)とする。

 この活動時間について昨年度末、全保護者からアンケートをとった結果が、次の通りである。
 ・ちょうどよい=77%
 ・やりすぎる=13%
 ・もう少しやれ=8%
 ・もっとやれ=2%
 これをみると、おおむねご理解いただいているものの、Aさんとほぼ同意見(やりすぎる)と考える方が13%、Bさんとほぼ同意見(もう少しやれ&もっとやれ)と考える方が10%(8%+2%)と、いずれも決して少なくはないことがわかる。

★Aさんにも、Bさんにも、次のように回答申しあげた。

(1)活動の時間については、市内中学校のなかでは平均的、もしくはやや少な目の量である。
 しかし、土曜日・日曜日の活動については部によって長時間になっているケースもある。これは、今後、改める。
 朝練習は認めていない。
 活動延長は、中体連夏季大会に限り、30分間の延長を認めている。

(2)また、学校部活動が生徒の学習活動に影響を与えているということについては、次の観点から、大きな問題があると考えている。
 毎日の50分間の授業でつまずいてしまう生徒がでてくる。
 それを放課後などの時間を使って適切な補習を行えば、つまずきを克服することができる。
 しかし、現状は部活動の時間になったから、勉強がわかってもわからなくても一斉に部活動をはじめる。
 また教師にしても、補習をやりたくとも、自分が担当する部活動の指導にあたらなければならない。(当然、事故等の責任問題もからんで……)
 義務教育の中学校はあくまでも学習指導要領の内容の徹底が第一であり、これをクリアーした上での部活動という原則を重く受けとめている。
 しかし、具体的な改善策を示せないでいる。

(3)学校週5日制や新しい学習指導要領を提言した中央教育審議会答申『21世紀を展望したわが国の教育の在り方について』は、学校依存の現状――僕がいつもくりかえしくりかえし述べている言い方だと「学校の教育独占体制(学校の教育丸抱え体制)」――を改善しなければならないとして、校外での生徒指導と、この部活動の問題を取りあげ、学校が「すべての子どもにその参加を義務づけ画一的に活動を強制したり、勝利至上主義的な考え方から長時間の活動を強制するようなあり方は改善を図る必要がある」として、学校は学習指導面の指導により集中すべきことを指摘している。

 本校では、ここで指摘する「長時間の活動の強制」についてはかなり改善が進んでいる。
 しかし、「全員加入制」の問題については従来と変わっていない。

 「全員加入制」について昨年度末、全保護者からアンケートをとった結果、21%の方が、全員加入制を廃し、任意加入制への移行を希望している。
 今後の重要な検討課題である。

(4)部活動の意義は十分承知している。
 部活動は、教育課程外活動であるため、部活動を実施する・しないについては校長の判断とされている。(任意加入制についても同じ。)
 だから、理屈のうえでは「来年度から本校は部活動は実施しない」という選択も可能である。
 同じく「来年度から本校は部活動は任意加入制とする」という選択も可能である。
 しかし、部活動の教育的意義を考え、生徒の実態、保護者の方々の意見を踏まえ、現在の体制を選択している。

 部活動を実施する以上は、Bさんの意見のように、内容的に充実したものにしたい。
 そのひとつの方策として、以前にもお知らせしたが、小学校・中学校と家庭と地域が協働して、教育コミュニティ・すこやかみなみネット・ボランティア人材バンクを創設した。
 対象は、PTA会員、PTAのOB、地域の人々(原則として学区内)である。
 ボランティアの活動については次のような部門(例)がある。
 ・〈教科指導(含 総合的な学習・道徳等)の支援部門〉
 ・〈学校行事の支援部門〉
 ・〈読み聞かせ等図書館活動支援部門〉
 ・〈花壇づくり、校舎修理等環境づくり部門〉
 ・〈登下校の安全確保、学区巡視部門〉
 ・〈部活動の支援部門〉
 ・〈ボランティアセンター部門(人材バンクの管理・コーディネート)〉等々……。

 この中の「部活動の支援部門」の方々のお力を借りて、より質の高い部活動にしたい。
 ただし、職員会議・学年会議等で本校の教職員が指導にあたれない日に、部活動支援部門のコーチの方に指導をお願いすることは、事故等の責任問題との関連でできない。
 この点はご理解いただきたい。

★以上、Aさん、Bさんの相談にこたえるという形で、部活動に関する学校側の(実に歯切れの悪い)考えを、クドクドと述べた。
 Aさん、Bさんと同様、僕も部活動の早急な見直し・改善が必要だと考えている。
 部活動は、他にも多くの問題をかかえている。
 たとえば、少子化に伴い、現在ある部を維持することが年々むずかしくなっている。
 また、生徒のなかには、レクリエーション的にその種目を楽しみたいという生徒もいるし、競技志向の生徒もいる。
 現在の部活動は、それを1つの部として運営せざるをえないという苦しい事情がある。
 これらをどう改善していくかは、ほんとうにむずかしい問題である。
 「だから仕方がないから、ただ現体制を継続する」というのではなく、改善に向けて具体的に一歩前進したい。
 今後、①学区の実態を見据え、
 ②学校と保護者と地域の方々とで改善・改革の理念を共有しつつ、
 ③具体的な改善・改革の「一歩」を見つけだしていくつもりだ。
 多くの方々の意見をいただきたい。

★最後になるが、本校では部活動改善に向けた取り組み&努力事項として「部活動改革つなぎ4項目」を定めている。

(1)学年・学級(学年教員)で、あるいは、部活動(顧問)で、個々の生徒の社会教育活動(学習塾・稽古塾を含む)の実態を、可能な限り把握する。
 そのうえで、個々の生徒の社会教育活動が円滑に行われるように配慮する。

(2)地域で行われる社会教育活動や公的な社会教育活動への参加を奨励する。
 部活動と重なる場合も多いと思うが、各部顧問は、ここで充分、学社コーディネート力を発揮し調整に努める。
 子どもたちは学校教育ではとても育てられない力を社会教育で獲得する可能性がある。

(3)部活動の休止日については、冒頭でも述べたとおりである。
 くわえて、長期休業中の土・日は可能な限り休止日とし、生徒はもちろん、教職員自身も自身の家庭や地域で過ごすようにする。

(4)学校部活動に対する生徒・保護者の多様な要望への対応・改善策として、これまでの美術部、科学部、IT部を統合した「総合文化部」を開設した。
 現在の活動は、美術・文芸・パソコン(報道・ブログ)・科学などだが、今後、生徒の希望によって、本校顧問の管理のもとに地域・保護者のボランティアの方々に協力してもらい、メニューを増やしていく予定である。
 活動は、原則として、週3日程度(土曜・日曜の活動はなし)。
 この「部活動改革つなぎ4項目」の「総合文化部」のポイントは次の3点である。
 ①メニューを豊かにして、さまざまなニーズに応える。
 ②活動日に幅をもたせ、民間社会教育団体を含む社会教育活動との両立を可能にする。
 ③学校外活動(学校部活動や地域社会教育活動)のガイダンス、あるいはコーディネート機能を果たす。
 「ガイダンス、あるいはコーディネート機能」を具体的な例で説明すると――
 例1=ある運動部での活動がうまくいかなくなった生徒が、その運動部を退部し、総合文化部に入部する。総合文化部の報道メンバーとして、いろいろな部活動を取材するうちに、自分がソフトボールに向いていることに気づき、ソフトボール部に正式に入部する。……
 例2=当然、学校部活動と社会教育とのあいだでも、この機能は有効に働く。
 考えてみれば、学校部活動は、ひとつの部活動の継続指導に力を入れ、こういうガイダンス機能、コーディネート機能は軽く考えてきた経緯がある。

★ここまで書くと、既にお気づきの方もあると思うが、現在、子どもたちに大人気の「総合文化部」は、部活動改革「全員強制加入から任意加入制への転換」の「秘策」「奥の手」「うら技」といえなくもない。
 このことについて、僕のうちに、2つの声がある。
 1=たしかに実質的には「全員強制加入から任意加入制への転換」と同じ状況に至る。
 でも、この選択は、僕にとっては完全な退歩だ。
 地域&保護者と正面から部活動改革「全員強制加入から任意加入制への転換」論を展開すべきだ。

 2=波風を立てる必要はない。
 実質的に「全員強制加入から任意加入制への転換」を獲得し、あとから「全員強制加入から任意加入制への転換」論を展開すれば、理解を得られやすい。



★画像=今年も、MINAMIのカリンで、カリン酒をつくった。
 同じMINAMIのカリンでも、年によって実のでき方が違う。
 ある年、ずいぶん大きな実がなった。
 通常の2倍くらい。
 でも、カリン酒としては、あまりできはよくなかった。
 この点、今年のカリンは期待できる。
 小粒で、プンプンと香りがいい。
 輪切りにするとき、表面ににじみでてきた蜜で手がベタベタになった。
 熟成する花見の頃が楽しみだ(*^_^*)。

               

「ねじれ」を直視しないと「日本の教育ピンチ」は救えない


★毎年、毎年、この時期になると、僕の苦手なイベントが、あちこちで開かれる。
 「サケのつかみ獲り」だ。

 某ネットニュース=「サケのつかみ捕りで歓声」。
 ○○○のさけますふ化場で3日、サケのつかみ捕りイベントが始まった。
 多くの家族連れが来場し、特設プールの中で所狭しと泳ぎ回るサケを追い掛け、歓声を上げた。
 4日まで。(ニュース記事 以上)

 いやぁ~。
 蚊も殺さない僕には耐えられない画像だ。
 サケにしてみれば、難壁、隘路を乗り越えて、やっとふるさとの山川にたどり着いたと思ったら、なにも悪いことをした記憶もないのに、責め苦、千倍の阿鼻地獄「サケのつかみ獲り」が待っていた……というところだろう。

 くわえて、もうひとつ――
 春の「サケ稚魚体験放流」で「大きくなって帰ってきてねぇ~!」と手を振っている子どもたちと、数年後、その同じ子どもが大きくなり、同じく大きくなって帰ってきたサケを「捕まえ、懸命に引き上げる」姿が、僕のなかで、うまく接続できない。
 子どもたちに、いわば「ねじれた生き方」を強いている。

 では、どちらかをやめればOKなのか?

 「ねじれ」の正解を求めて、鮭文化に息づく町のHP「越後村上鮭ものがたり」をのぞいてみた。
 「三面川鮭稚放流式」や鮭の恵みに感謝する「鮭魂祭」と並行して、なんと、やっぱり「清流荒川鮭のつかみ捕り」が行われていた(*^_^*)。

 「ねじれ」を直視し、きちんと処理していかないと、「日本の教育ピンチ」は救えない。

 


★現在、大人気の「総合文化部」は、部活動改革「全員強制加入から任意加入制への転換」の秘策・うら技か?

2012-11-04 21:34:59 | 僕のモンマルトル日記

 

職員室通信 実質的には「全員強制加入から任意加入制への転換」と同じ状況に至るが……
2012
11.04


★2学期にはいって、2人の保護者から学校部活動について相談があった。
 Aさんの相談は、現在の学校部活動が家庭生活や学習活動を圧迫している。早急な見直し・改善が必要だ……というものだった。
 Bさんの相談は、(Aさんの意見とは逆に)学校部活動を、時間的にも内容的にも現状以上に充実してほしい……というものだった。

★まず、部活動に関する本校の現状を確認することにしよう。
 活動時間は、前期(4/1~10/31)は、平日は午後6時15分活動終了、午後6時30分完全退下。
 後期(11/1~3/31)は、平日は午後5時45分活動終了、午後6時完全退下。
 土曜日・日曜日については、第1・3日曜日は部活動休止日。
 他の週の土曜日・日曜日については、土曜日・日曜日のいずれかを休止日とする。
 なお、土曜日・日曜日の活動時間については、3~4時間を目安とする。(ただし、練習試合等を計画した場合は、これを超えることがある。)
 また、職員会議・学年会議等で本校の教職員が指導にあたれない日は、部活動休止日(家庭・地域で活動する日)とする。

 この活動時間について昨年度末、全保護者からアンケートをとった結果が、次の通りである。
 ・ちょうどよい=77%
 ・やりすぎる=13%
 ・もう少しやれ=8%
 ・もっとやれ=2%
 これをみると、おおむねご理解いただいているものの、Aさんとほぼ同意見(やりすぎる)と考える方が13%、Bさんとほぼ同意見(もう少しやれ&もっとやれ)と考える方が10%(8%+2%)と、いずれも決して少なくはないことがわかる。

★Aさんにも、Bさんにも、次のように回答申しあげた。

(1)活動の時間については、市内中学校のなかでは平均的、もしくはやや少な目の量である。
 しかし、土曜日・日曜日の活動については部によって長時間になっているケースもある。これは、今後、改める。
 朝練習は認めていない。
 活動延長は、中体連夏季大会に限り、30分間の延長を認めている。

(2)また、学校部活動が生徒の学習活動に影響を与えているということについては、次の観点から、大きな問題があると考えている。
 毎日の50分間の授業でつまずいてしまう生徒がでてくる。
 それを放課後などの時間を使って適切な補習を行えば、つまずきを克服することができる。
 しかし、現状は部活動の時間になったから、勉強がわかってもわからなくても一斉に部活動をはじめる。
 また教師にしても、補習をやりたくとも、自分が担当する部活動の指導にあたらなければならない。(当然、事故等の責任問題もからんで……)
 義務教育の中学校はあくまでも学習指導要領の内容の徹底が第一であり、これをクリアーした上での部活動という原則を重く受けとめている。
 しかし、具体的な改善策を示せないでいる。

(3)学校週5日制や新しい学習指導要領を提言した中央教育審議会答申『21世紀を展望したわが国の教育の在り方について』は、学校依存の現状――僕がいつもくりかえしくりかえし述べている言い方だと「学校の教育独占体制(学校の教育丸抱え体制)」――を改善しなければならないとして、校外での生徒指導と、この部活動の問題を取りあげ、学校が「すべての子どもにその参加を義務づけ画一的に活動を強制したり、勝利至上主義的な考え方から長時間の活動を強制するようなあり方は改善を図る必要がある」として、学校は学習指導面の指導により集中すべきことを指摘している。

 本校では、ここで指摘する「長時間の活動の強制」についてはかなり改善が進んでいる。
 しかし、「全員加入制」の問題については従来と変わっていない。

 「全員加入制」について昨年度末、全保護者からアンケートをとった結果、21%の方が、全員加入制を廃し、任意加入制への移行を希望している。
 今後の重要な検討課題である。

(4)部活動の意義は十分承知している。
 部活動は、教育課程外活動であるため、部活動を実施する・しないについては校長の判断とされている。(任意加入制についても同じ。)
 だから、理屈のうえでは「来年度から本校は部活動は実施しない」という選択も可能である。
 同じく「来年度から本校は部活動は任意加入制とする」という選択も可能である。
 しかし、部活動の教育的意義を考え、生徒の実態、保護者の方々の意見を踏まえ、現在の体制を選択している。

 部活動を実施する以上は、Bさんの意見のように、内容的に充実したものにしたい。
 そのひとつの方策として、以前にもお知らせしたが、小学校・中学校と家庭と地域が協働して、教育コミュニティ・すこやかみなみネット・ボランティア人材バンクを創設した。
 対象は、PTA会員、PTAのOB、地域の人々(原則として学区内)である。
 ボランティアの活動については次のような部門(例)がある。
 ・〈教科指導(含 総合的な学習・道徳等)の支援部門〉
 ・〈学校行事の支援部門〉
 ・〈読み聞かせ等図書館活動支援部門〉
 ・〈花壇づくり、校舎修理等環境づくり部門〉
 ・〈登下校の安全確保、学区巡視部門〉
 ・〈部活動の支援部門〉
 ・〈ボランティアセンター部門(人材バンクの管理・コーディネート)〉等々……。

 この中の「部活動の支援部門」の方々のお力を借りて、より質の高い部活動にしたい。
 ただし、職員会議・学年会議等で本校の教職員が指導にあたれない日に、部活動支援部門のコーチの方に指導をお願いすることは、事故等の責任問題との関連でできない。
 この点はご理解いただきたい。

★以上、Aさん、Bさんの相談にこたえるという形で、部活動に関する学校側の(実に歯切れの悪い)考えを、クドクドと述べた。
 Aさん、Bさんと同様、僕も部活動の早急な見直し・改善が必要だと考えている。
 部活動は、他にも多くの問題をかかえている。
 たとえば、少子化に伴い、現在ある部を維持することが年々むずかしくなっている。
 また、生徒のなかには、レクリエーション的にその種目を楽しみたいという生徒もいるし、競技志向の生徒もいる。
 現在の部活動は、それを1つの部として運営せざるをえないという苦しい事情がある。
 これらをどう改善していくかは、ほんとうにむずかしい問題である。
 「だから仕方がないから、ただ現体制を継続する」というのではなく、改善に向けて具体的に一歩前進したい。
 今後、①学区の実態を見据え、
 ②学校と保護者と地域の方々とで改善・改革の理念を共有しつつ、
 ③具体的な改善・改革の「一歩」を見つけだしていくつもりだ。
 多くの方々の意見をいただきたい。

★最後になるが、本校では部活動改善に向けた取り組み&努力事項として「部活動改革つなぎ4項目」を定めている。

(1)学年・学級(学年教員)で、あるいは、部活動(顧問)で、個々の生徒の社会教育活動(学習塾・稽古塾を含む)の実態を、可能な限り把握する。
 そのうえで、個々の生徒の社会教育活動が円滑に行われるように配慮する。

(2)地域で行われる社会教育活動や公的な社会教育活動への参加を奨励する。
 部活動と重なる場合も多いと思うが、各部顧問は、ここで充分、学社コーディネート力を発揮し調整に努める。
 子どもたちは学校教育ではとても育てられない力を社会教育で獲得する可能性がある。

(3)部活動の休止日については、冒頭でも述べたとおりである。
 くわえて、長期休業中の土・日は可能な限り休止日とし、生徒はもちろん、教職員自身も自身の家庭や地域で過ごすようにする。

(4)学校部活動に対する生徒・保護者の多様な要望への対応・改善策として、これまでの美術部、科学部、IT部を統合した「総合文化部」を開設した。
 現在の活動は、美術・文芸・パソコン(報道・ブログ)・科学などだが、今後、生徒の希望によって、本校顧問の管理のもとに地域・保護者のボランティアの方々に協力してもらい、メニューを増やしていく予定である。
 活動は、原則として、週3日程度(土曜・日曜の活動はなし)。
 この「部活動改革つなぎ4項目」の「総合文化部」のポイントは次の3点である。
 ①メニューを豊かにして、さまざまなニーズに応える。
 ②活動日に幅をもたせ、民間社会教育団体を含む社会教育活動との両立を可能にする。
 ③学校外活動(学校部活動や地域社会教育活動)のガイダンス、あるいはコーディネート機能を果たす。
 「ガイダンス、あるいはコーディネート機能」を具体的な例で説明すると――
 例1=ある運動部での活動がうまくいかなくなった生徒が、その運動部を退部し、総合文化部に入部する。総合文化部の報道メンバーとして、いろいろな部活動を取材するうちに、自分がソフトボールに向いていることに気づき、ソフトボール部に正式に入部する。……
 例2=当然、学校部活動と社会教育とのあいだでも、この機能は有効に働く。
 考えてみれば、学校部活動は、ひとつの部活動の継続指導に力を入れ、こういうガイダンス機能、コーディネート機能は軽く考えてきた経緯がある。

★ここまで書くと、既にお気づきの方もあると思うが、現在、子どもたちに大人気の「総合文化部」は、部活動改革「全員強制加入から任意加入制への転換」の「秘策」「奥の手」「うら技」といえなくもない。
 このことについて、僕のうちに、2つの声がある。
 1=たしかに実質的には「全員強制加入から任意加入制への転換」と同じ状況に至る。
 でも、この選択は、僕にとっては完全な退歩だ。
 地域&保護者と正面から部活動改革「全員強制加入から任意加入制への転換」論を展開すべきだ。

 2=波風を立てる必要はない。
 実質的に「全員強制加入から任意加入制への転換」を獲得し、あとから「全員強制加入から任意加入制への転換」論を展開すれば、理解を得られやすい。




★画像=今年も、MINAMIのカリンで、カリン酒をつくった。
 同じMINAMIのカリンでも、年によって実のでき方が違う。
 ある年、ずいぶん大きな実がなった。
 通常の2倍くらい。
 でも、カリン酒としては、あまりできはよくなかった。
 この点、今年のカリンは期待できる。
 小粒で、プンプンと香りがいい。
 輪切りにするとき、表面ににじみでてきた蜜で手がベタベタになった。
 熟成する花見の頃が楽しみだ(*^_^*)。


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★「ああ、社会教育に携わる人間の社会教育を語ることばって、いいなぁぁ!」と、ホンマにホンマに感動した

2012-11-04 21:09:30 | 僕のモンマルトル日記

 

職員室通信 僕の言語が学校教育側に偏った言語になっていることにショックを受ける
2012
11.04


★「平成24年度東北地区社会教育研究大会・第57回東北地区公民館大会 兼 平成24年度青森県社会教育研究大会・第53回青森県公民館研究フォーラム」という長い大会名の研究大会に出席した。
 研究主題=東北発「震災を乗り越える社会教育の力」~自助と共助の絆ある地域づくりへの挑戦~

 行政職の頃、社会教育関係の方々をご案内(引率)するという立場で、何度も出席している。
 また、教育支援ボランティア事業に携わっているときは、発表者として参加したこともある。
 今回は、引率者でもない。
 発表者でもない。
 コーディネーターでもコメンテーターでもない。
 「裸」で参加し、僕という人間を、社会教育の「ことば」の時空にさらしてみたいと思った。

 こんなふうに思う背景には、次のような体験がある。
 昔、数年間、教育現場を離れていた時期がある。
 ひさしぶりに学校に帰ったら、その場で語られる「ことば」、交わされる「ことば」に、僕は「ああ、教育に携わる人間の教育を語ることばって、いいなぁぁ!」と涙がこみあげるほど感動した。

 さあ、今回の社会教育研究大会の「ことば」は、僕にどういう衝撃を与えるのだろうか?

★もちろん、主題の「震災を乗り越える社会教育の力」ではないが――
 現在の日本の社会教育にどれくらいの力があるのか?
 あるいは、ないのか?
 また、 日本の社会教育は、今、どこからどこへ向かおうとしているのか? 
 そして、どんな「位置」にあるのか?
 ――という(僕の悪いクセである)批評的視点がないわけではない。
 でも、それは前面に出さない。
 1日目、2日目と、研究大会に身を置いているうちに、自然にそういう視点で思考しはじめるかもしれないけれど、まずは、自分を、太陽の光に布団をさらすように、さらしてみよう……と、全体会場の最後部の席――たまたま、そこが空いていた――に身を置いた。

★本日は1点だけ書くことにする。
 今、僕のうちには、さらすことによって受けた衝撃と、批評的視点から展開した思いとが混在している。
 なんだか、2点目から、即、後者になりそうだから、本日は、くりかえしになるが、1点だけで止める。

 さっきの「ひさしぶりに学校に帰ったら」のくだりと同じ言い回し――「ああ、社会教育に携わる人間の社会教育を語ることばって、いいなぁぁ!」と、ホンマにホンマに感動した(^_^)v。
 と、同時に、僕の言語が学校教育側に偏った言語になっていることに気づき、ショックを受けた。
 僕の自慢は、学校教育と社会教育の両方に携わっていることだ。
 名刺の肩書きのひとつに「学社融合コーディネーター」と明記しているくらいだ。
 でも、今回、「これではいかん!」と猛省。(つづく)






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