◆ここ、しばらく、左腰に違和感がある。 ネットで「骨盤の各部位の名称」を調べたら、そこは「腸骨」というらしい。 ちょっとした動作時――たとえば、起き上がるとき、左に身体を傾けたとき――その「腸骨」付近に、反対の右側にはない、「ここに何かが存在する」という感じの「違和感」がある。 じっとしていると、何も感じない。 歩行、ジョギング、折りたたみ自転車などはふつうにやっている。 この冬に苦しめられた除雪作業の後遺症だろうか? 1ヶ月以上も同じ症状がつづいている。 心配になり、昨夕、滝澤整形外科クリニックで診てもらう。 滝澤勇夫医師「(レントゲンを観ながら)何もないですよ」 僕「1ヶ月以上もつづいているのですが……こんなもんですか?」 滝澤医師「そういうもんですよ。しばらく様子をみましょう(^_^)v」 デンキでも……というのを期待したが、なにもなかった。 必要ないことはやらないというモットーらしい。 これはこれでスゴクありがたい。 診察料、1500円(ノ△・。)。 4/28の歩数=12160歩。 ◆画像=ハナミズキ通り界隈。 最近の「大阪野郎、1に足腰、2に文体、引き明けの街を走る」は、だいたいこの界隈。 たまに、ロー丁れんさ街、長横町れんさ街、ハーモニカ横町、みろく横丁にも侵入する。 僕は街歩きが好きだ。 「この街を愛するがゆえに、この街が美しい」と感じられるようになればいいなぁ~と思っている。 今、この街は僕にとっていったい何であるのか? こういうことをつきつめていないから、僕はアカンのだ。(「業務」を支える「感じ」メモ、以上)☆∵☆∴☆∵☆∴☆∵★∵★∴★∵★∴★∵★∵☆∵☆∴☆∵☆∴☆∵★∵★∴★∵★∴★∵
部屋の日だまりで、水分の補充を待つ、植木鉢の植物のように、自分のカラダが、教育学の論文に飢えていると感じている。 連休は――旅行などの計画はいっさいない。近場の花見には行くかもしれない(*^_^*)――ソファーに寝っ転がり、読んでは眠り、目覚めてはまた読み……と、教育学論文三昧で暮らすつもりだ。 眠たくなったら、読書をやめ、眠っていい……という読書の仕方がいちばんいい。 連休の最高の贅沢だ。 (そうだ、今「ソファーに寝っ転がり」といったが、僕はソファー寝っ転がるとき、左側に少しひねって、カラダを傾けるクセがある。これが悪いのかもしれない。この連休は、まっすぐ寝っ転がるようにしてみるつもり。) ★読む対象は2つある。 1つは、手もとにある教育雑誌を片っ端から――○○誌4月号~3月号まで……△△誌4月号~3月号まで……という感じで、あるいは、○○誌の2010年5月号、2011年5月号、2012年5月号……という感じで。 教育に携わる、小学校・中学校・高等学校・大学の人々が教育を語る「教育言語の海」に、自分のカラダ全体を浸してみたい。 自分をバラバラにして浮かべてみたい。 もう1つは、戦前の教育学関連の書物だ。 なぜ、戦前の教育学なのか……については、ちょっと横道にそれなければならない。 僕は、毎年、毎年、だれにでも、どこでもかしこでも、インコのひとつ覚えのように、あるテーマをくり返している。 それは、第3の教育改革の伴奏のように鳴り響いている教育危機(ピンチ)、その元凶が「学校の教育独占体制」、あるいは「学校の教育丸抱え体制」にある……、これを修正し、学校・家庭・地域、それぞれの教育のバランスをよくしないかぎり、どんな施策を打ち出しても、あまり、いや、ほとんど効果はあがらないだろう……逆にいうと、バランスさえよくなれば、日本の教育はまだまだだいじょうぶだ……そのために……(僕の話は、いつも、ここから始まる。) ★僕は、僕のいう「学校の教育丸抱え体制」を強める方向に作用したのは、主に次の3点(の融合作用)だと考えている。 1つは、学校中心自治民育体制。 わかりやすい例として―― 昭和7年文部省訓令「学校少年団」 昭和16年「大日本青少年団」 昭和20年5月22日戦時教育令=「学徒隊」 このいう流れのなかで、いわば「学校中心自治民育」体制が確立していったのだが、この戦前の学校イメージが、敗戦後も、幻影として保持されつづけたこと。(今も保持されている。) 2つ目が、教育爆発現象。 高校進学率が昭和20年代〈20%〉→昭和50年代〈90%〉と急カーブを描いている。 受験のための「狭義の学力観」に、地域・家庭も追随していったこと。(今も追随傾向は強く残っている。) 3つ目は、地域社会構造の変化。 職住分離・核家族化が進行したこと。 ★この3つにくらべれば、影響は極々小さいと思うが、しいてあげるなら、「学習指導要領」の問題。 なにかあると、学習指導要領に取り込み――社会教育での対応をほとんど検討することなく――学校のみで取り扱うという安易な判断が積み重なり、つまるところ、学習指導要領が、教育というものの、すべてを、学校に取り込む方向――「なんでも学校」、家庭もそう思い、地域もそう思い、教師自身もそう思いこむ「体制」――をつくりだし、結果として、「学校の教育丸抱え体制」を強化させる方向に働き、それが同時に、社会の教育力を弱めてしまった、いや、奪ってしまったといってもいい。 ★話をもどす。 僕は、今、3つあげた、1つ目、すなわち「学校中心自治民育体制」の形成過程を、今、しっかりと分析しなければならないと考えている。 その上で、僕の仮説「学校中心自治民育体制の幻影=学校の教育独占体制(学校の教育丸抱え体制)」を検証し、改善するための方策を打ち出していきたい。 (というか、僕はすでに具体的方策を打ちだし、実践もしているわけだから、正しくは、戦前の体制を分析しつつ、自分の方策と実践を見直したい……、見直した上で、さらに新たな実践を打ち出したい……ということになる。) ★蛇足になるが、今、学習指導要領が、教育というものの、すべてを、学校に取り込む方向をつくりだし、結果として、学校の教育丸抱え体制を強化させ、同時に、社会の教育力を弱めてしまったと書いたが、残念なことに、新しい学習指導要領案によると、総則第4の3(13)に「部活動については、(中略)学校教育の一環として、教育課程との関連が図られるよう留意すること。その際、地域や学校の実態に応じ、地域の人々の協力、社会教育施設や社会教育団体等の各種団体との連携などの運営上の工夫を行うようにすること」とある。 部活動が、教育課程外であるという位置づけは変わっていない。 しかし、「教育課程との関連が図られ」と指示している。 何度もくり返すようだが、こういう安易な妥協が、積み重なり、積み重なり、既に40年前の第3の教育改革を構想しなければならないような教育危機状況に至ったのである。 まだ懲りないのか?と、僕は嘆いている。 ★グダグダ書いた。 しめくくる。 教育誌を、読んでは眠り、目覚めてはまた読み、あるいは、わたしの仮説「学校中心自治民育体制の幻影=学校の教育独占体制(学校の教育丸抱え体制)」を検証し……、そして、自分がバラバラにされ、そして、再び自分が組み立てられ、「新しい僕」=「新しい原理を有する僕」に至ることができれば、いいと思っている。 いい連休にしたい(^_^)v。
★「戦前の教育学関連の書物」ということで、あちこち、文献にあたっていたら、当然のこととして、唐沢富太郎氏にぶちあたった。 僕も、一応、教育学の出身だから、名前くらいは知っているし、その書物も眺めたことはあるし、当然、「ソファーに寝っ転がり、読んでは眠り、目覚めてはまた読み……」の読書計画にも入っていたが、今回、わたしがぶちあたったのは、氏のエピソードだ。 氏は、全国の古本屋、古道具屋はもちろん、屑屋、今でいう廃品回収業者まで訪ね歩き、数万冊の教科書、明治初期の教科書の板木、子どもの絵日記などを収集、あるいは、明治時代に建てられた校舎が解体されると聞けば、貨車を使って、柱、欄干、階段、鬼瓦(←「学」の文字が刻まれている)などを移送している。 終電車を降りて、収集した荷物を2つに分け、1つの荷物を10メートル運んでは、次の荷物を10メートル運んだという話もある。 教育学者(日本教育史)の執念だ。 この記事の初めのほうで、僕は「僕のエネルギーの正体を見極める……」というようなことをいっているのだが、唐沢氏の執念の前では、「僕の正体」など、どうでもいい問題だ(*^_^*)。 唐沢氏の爪の垢でも煎じて飲みたい……。 ★画像=歯科検診の日 ★読んでいただき、感謝します。ついでといってはなんですが、下のバナーのクリック、ガンガン、よろしく頼みます☆(●≧з≦●)。 ![]() にほんブログ村 ![]() にほんブログ村 ★さらにリアルな情報は小高進の公式ホームページへ★ ★小高進のWEB無人駅線ページへ |