職員室通信・600字の教育学

小高進の職員室通信 ①教育コミュニティ編 ②教師の授業修業編 ③日常行事編 ④主任会トピックス編 ⑤あれこれ特集記事編

「たった3枚」期間のど真ん中

2007-06-21 13:30:02 | Weblog

★今回のわたしの部屋を古本屋化する作業は、これまでの①自分の精神構造=②書棚の書物という発想に加えて、①自分の精神構造=②書棚の書物+③お客さんにその書物を手にとってみたいと思わせる古本屋空間を創りだすという発想だ。

 作業では、これまで粗く「教育」「哲学」「文学」「自分の著作」という枠組みができた。
 これからは枠組みのなかをさらに細かく、たとえば「教育」なら、(まだ検討中だが)①教育史・教育哲学 ②学校教育 ③社会教育 ④実践教育学……というふうに分類してみたい。

■心の病に陥った、ひとりの新聞記者が、その「体験記」を読売新聞に連載している。

 やる気がみなぎる好調期の高揚感と「治ったのでは?」という期待感、と次の瞬間、再び絶不調期がやってくるというくだりでは、彼の失意、落胆、意気消沈ぶりがリアルに伝わってくる。

 わたしのブログもこれに似ている。(と書くとき、わたしはあることをうたがっているのだが……。)
 たとえば、5月の連休中、風邪でつっぷし、そこから快復した直後の3週間くらいで、ブログに掲載した記事の文字数は約40000字(←一太郎の「文書の文字数」でチェック)。
 原稿用紙にして100枚だ。
 音楽家がピアノを弾くように、マラソン選手が走り込むように連日、透きとおるような快さで文字を書きつづけている。
 というような期間があるかと思えば、ひと月にたった3枚という期間もある。



■今がその「たった3枚」期間のど真ん中だ。
 記述したい、あるいは記述しなければいけないことがらが次から次に目の前にあらわれる。
 だが、現在、自分のからだが根元からフワフワと宙に浮いてしまっていて、これらを文字に定着させることができない。

 想念の例。
 たとえば……レオンは、わたしの外側に存在する1個の動物ではなく、わたしの内側に入りこんで、今もわたしを見つめつづけていること……先日の講演のスライド作りの過程や、語っている過程で学社連携・融合に関して新たな発見があった、その事項……教え子(←わたしは「教え子」という語がきらいで、限られた児童・生徒にしか使わない)からのメールで就業不能になるくらい大きな刺激を与えられたこと……等々。

 これらが文字に定着できないから、今は、いわば想念が死蔵されている状態だ。
 いったん死蔵された想念は、古いブレストメモのように(自分の精神から切り離された状態にあるので)なかなか生き返らない。
 こういう想念が、わたしの内側に充満して、これが重苦しく、もの憂いのだ。

■きょうから7/21までの1ヶ月間は、わが師江藤淳の弔い期間だ。(7/21=命日)
 (今、レオンに使った言い回しをそのままわが師に使うのははばかられるが、犬好きの師のことだから、きっと許してくれると思うので)わたしの外側に存在する1個の文学者・江藤淳ではなく、わたしの内側に入りこみ、内側から光を発し、わたしを照らしだす江藤淳を強く意識する期間にするつもりだ。




★で、その古本屋化がどうしたというのだ?と言われれば、わたしも答えに困ってしまうのだけれど、ま、自分の内部をお客さんの視点で見直してみたい、あるいは、自分の内部空間にお客さんと同じ視点を有しつつ存在してみたいということかもしれない、ちょっと月並みか。・°°・(>_<)・°°・。



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手のひらの上のレオンから、酔っぱらって(←わたしが)抱き合ったレオンまで、いろいろともう怒濤のように

2007-06-13 11:10:59 | Weblog


★亡くなる1ヵ月くらい前のレオン――
 と、書いたあと、レオンとの思い出を、なにか書こうとしたら、手のひらの上のレオンから、酔っぱらって(←わたしが)抱き合ったレオンまで、いろいろと、もう怒濤のように思い出がよみがえり、噴き出し、涙がとまらなくなってしまった。

■きょう、レオンが死んだ。

 昨夜は、庭の草むらでうつぶせになり、手足をだらんとのばしていた。
 その格好からもう腰は立たないのかもしれないと思った。
 呼びかけには目で反応していた。

 今朝、出勤前に様子をみにいったら、おそらく渾身の力をふりしぼって移動したのだろう、犬小屋のなかで鼻を奥のほうに向けて静かに息をしていた。
 背中をさすってやったが、反応はなかった。

 正午頃、息を引き取ったときは、顔を小屋の表のほうに向けていたそうだ。
 朝、あのまま抱きかかえて息をひきとるまで背中をなでつづけてやればよかったと、悔いている。
 悲しみでいっぱいだ。
 12歳と2ヶ月。
 ゴールデンレトリバーとしては天寿をまっとうしたことになる。


■小学校の行き帰りにレオンと遊んでくれた根城小の子どもたち。
 朝、出勤時にレオンの好物であるリンゴを定期的にプレゼントしてくれたOLの人。
 神々しい! 立派だ!とほめつづけてくれた真姿はん。
 わが犬のようにレオンを愛してくれたaya-yan、四戸T、志塚T。
 動揺するわたしの代わりに火葬等の情報を集めてくれた嘉瀬T。
 レオンに代わって心よりお礼申しあげる。

 これからレオンは海の見える霊園で眠ることになるが、みなさまのことは絶対に忘れることはないだろう。(2007/6/13)






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カオスを眺めていると、このまま、その時代の空気の層をたっぷりと含んだまま、そっとしておきたいような

2007-06-09 12:53:13 | Weblog






★このヤマボウシを植えたとき(2006/3)、現3年生は1年生だった。去年の今頃は植えたばかりでヒヨヒヨとした花がポツン、ポツンと咲いただけだったが、今年は木全体にたくさんの花弁をつけている。

■今年もいくつか講演を引き受けている。
 その1つが、あと数日に迫ってきたのに、準備ができていない。
 で、きょうは朝食(トースト1枚、バナナ半分、コーヒー、オレンジジュース)後、すぐにとじこもってプレゼンテーション作成ソフトを使い、スライドを作った。
 講演時間90分、質疑応答15分。
 スライドは今のところ、34枚。

 ストーリーは次のとおりだ。
 ①日本の教育危機の元凶は、学校の教育丸抱え体制
 ②危機を乗りこるための学校と地域の協働による教育活動推進事業の展開
 ③そのポイント
  ・学校・家庭・地域の教育のバランス改善
  ・学校・家庭・地域のそれぞれの特性の発揮
  ・互いに自由に参画できる教育コミュニティーの形成
 ④県教育支援ボランティアアンケート調査の分析
 ⑤八戸市教員委員会の取り組み
 ⑥学社コーディネート機能と教育コミュニティーの形成
 ⑦アスネットねぎしの実践
 ⑧根城地域ボランティアセンターの実践(三水会)
 ⑨すこやかみなみネット事業

 完成までにはもう少しかかりそうだ。
 特に、⑨「すこやかみなみネット」の今後の課題については、今の「荷の軽い協働」(=子どもたちの健全育成&安全確保)から「荷の重い協働」への転換を含めて、もう少しスライドを追加しなければならない。
 しかし、昼を過ぎたところで、もうこれ以上、思考の継続に耐えられなくなり、中断。

 なお、冒頭「とじこもって」と書いたが、TVの音などが流れる、いわゆる開かれた孤独空間(居間)か、閉ざされた孤独空間(古書店DAKA)か迷ったが、後者が未完成のため、開かれた孤独空間を選んだ。

■午後から2時間ほどかけて、その未完成の古本屋化作業に入る。

 現在、古書店DAKAのなかに、おおよその見当はつくのだけれど、いったいどんなものがどんなふうに積みあげられているのか? 詰まっているのか? よくわからないカオス・混沌の部分が、数ヵ所ある。
 整理しようと手をつけはじめると、ひとつだけでたいてい1~2時間はかかる。
 それがめんどうなのと、中味が現在、自分が取りくんでいるものと直接に関係がないということでずっとほうっておかれたのだ。
 おっくうだが、しかし、手をつけないと古書店は完成しない。

 まず、高校入試事務関係と教頭・校長試験関係の資料から整理・処分をはじめた。
 入試事務は100%、教頭・校長試験関係は99%シュレッダー処分。
 教頭試験用の論文は、ほとんどあちこちからの寄せあつめだ。
 だから、でおもしろくない。
 しかし、校長試験用は、授業改革とか学校・家庭・地域の連携とか部活動改革とか、今の自分とつながるものが色濃く漂っている。

 吉川滋雄、本田宗雄校長の激励&助言メモが出てきて、目頭が熱くなった。

■あと残っているカオスは、
 ①自作の試験問題や学習指導案関係(一中や根岸、根城時代で、デジタル化される以前のもの)と、
 ②新聞や雑誌の切り抜き・コピー資料(役所時代)と、
 ③大きな書棚(←元食器戸棚)のずっと奥の、ほんとうにほんとうに中味不明の(ま、引っぱりだして、掃除機で表面のホコリを吸いとると、「な~んだ、こういうものを後生大事に残していたのか」ということになる……)縦型のフォルダー群だ。

 カオスを眺めていると、ずっとこのまま、その時代の空気の層をたっぷりと含んだまま、そっとしておきたいような気もしてくる。
 古書店ができるのはうれしい。
 しかし、こういうカオス部分が、シュレッダーでジュジューと消えたり、ゴミの収集車に積まれたりしていくのは、なんだか悲しい。

★まだ古本屋化の途中だから書棚には本が適当に入っている。
 片づけが終わった段階で、書棚にどんな本を置くかを考えて、本の移動作業をスタートさせたい。
 部屋から部屋への本の移動はいつもワクワクするが、今度は、古書店DAKAをつくるための本の移動だ。
 やがて自分の目の前に、現時点ではみることができない、未知の世界が構築されることを願っている。(2007/6/9)




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学社連携・融合のポイントの1つは、小中連携だと主張しつづけてきたが、情報発信部門で連携・融合が実現

2007-06-04 14:19:19 | Weblog


■以前、5/24のすこやかみなみネット事業推進委員会の会議内容について、わたしの感情に即していえば、(審議時間が1時間強と短かったこともあるが)期待と失望の混在するものになった……と記述したことがある。

 その「期待」のほうの1つが、本日、具体的なかたちになった。
 「すこやかみなみネット通信・2007/6号」の発行だ。

 A4版はめこみ式12ページ。
 このうち、表紙の部分、すなわち1ページ、2ページ、その裏の11ページ、12ページ、計4ページが、みなみ小・中共通の内容になっている。

 これまで学社連携・融合(この「連携・融合」を「協働」に置き換えてもいい。わたしはどちらでも同じだと考えている)のポイントの1つは、小中連携だと主張しつづけてきたが、情報発信部門で「連携・融合」が実現したのだ。
 ほんとうにうれしい。
 これが、みなみ小側の提案だったことが、よろこびを2倍にしている。
 高いハードルを越えることができたと感じている。
 乾杯だ。

■6/8小中連携研究会の理数系分科会の発言記録のなかに、妙な発言がある。

 みなみ小教員の「中学3年の生徒は思春期ということもあり、なかなか挙手がないと思うが、挙手以外では、どのような方法で達成率を確認しているのか?」の質問に対する、みなみ中教員の返答だ。

「机間指導で見てまわる。普段であれば2~3名は挙手する。または予習している生徒や、塾に行っている生徒にあてる。」
「作業のあるときは、見てまわって観察し、つまずいている生徒には助言する。活発な発言がなく、牽制し合う雰囲気が学年にあり、直していきたいと思っている。」
「テストでは女子のほうができるが、活発ではない。これをなんとかしたいと思っている。」

 なんという発言だ。
 なんというレベルだ。
 絶望的な気分になる。
 いや、もちろん絶望などしていられないが……。

 こういう状況に切り込んでいくのが自分の最も得意とするところだという自負がある。
 なのに、他のことにかまけて、まったく手が打てていない。
 自分に対してイライラしている。

■このイライラが、けさの職員朝会の次のような発言になった。

 自分の体験からいえば、1年より2年、2年より3年と発言力は増す。
 音読の声量も大きくなる。
 ただし、青い山脈型授業=一問一答の授業をやっていればダメだ。
 短い作業をどんどん取り入れる。
 A……かな? B……かな? C……かな?
 Aだと思う人はノートにA、Bだと思う人はノートにB、Cだと思う人はノートにC。
 はい、書けた人? まだの人?
 では、それぞれ選んだ理由を、記号のあとに、10字以内で書きなさい。
 時間は1分間です。
 はい、Aの人、全員起立……。
 これは1つの例だが、こういう「短い作業」の積み重ねが発言力のアップにつながる。
 ポイント、ポイントの一斉音読――「線を引いたところをいっしょに読みましょう」「念のためにもうもう一度」というような指示も同じだ。(後略)

 職員朝会でこういうことを、口でしゃべっているようではダメだということはわかっている。
 わたしの仕事のリズムが崩れていることが諸悪の根源だ。
 猛省。
 一刻も早くリズムを取り戻したい。

■カンヌ国際映画祭でグランプリを受賞した河瀬直美氏の会見場面を見ていてオーラを感じた。
「映画作りは、人生と似ている。困難があり、混乱することがいっぱいあり、心のよりどころを求める……それは形あるものではなく、目に見えない何か……風や光、誰かの思い……。そこに心の支えをみつけることで、1人で生きていける。それが人生だ。映画作りも同じだ。」
「自分の足で、自分で立っていると感じられるものを作りたい」(補足、句読点や……=小高)
 スゴイ会見だ。
 ただし、手の動きは余計。
 わたしには手の動きは必要かもしれないが、彼女には必要ない。

■自分の古書店化作業が少しずつ進んでいる。
 先々週の日曜日に、書物の背の部分にごちゃごちゃと並んでいる物を書棚から撤去し、かなりスッキリしたが、その後、10分、20分の時間を見つけては、少しずつ書物を移動させている。

 完成までまだまだ時間がかかりそうだが、きょうは夕食後、その古書店DAKAの片隅で、『変貌する高等教育』(岩波書店)を手にとり、何ページか読む。(今、教育関係の書物を移動している。)

 そのあと、思いっきり甘いワインを飲みながら、『大地の歌』を聴く。
『大地の歌』はいつも通して聴いているが、きょうは第1楽章→第1楽章→第2楽章→第3楽章→第3楽章……というふうに、もう一度聴きたいと自分が感じるところを繰り返して聴いた。
 第1楽章も好きになる。(2007/6/4)


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耐えがたければわれ空に投げうつ水中花 金魚の影もそこにひらめきつ すべてのものはわれにむかいて 死

2007-06-01 08:00:13 | Weblog


■〈耐えがたければわれ空に投げうつ水中花。
  金魚の影もそこにひらめきつ。
  すべてのものはわれにむかいて
  死ねという、
  わが水無月のなどかくはうつくしき〉

 伊東静雄の「水中花」の終わり5行である。

 5/31、校舎の2階、2年1組前の廊下から、グランドのヤマボウシの緑あざやかな若葉を眺めていた。
 海霧が、岬台の高台から降りてきた。
 野焼きの煙が、野馬小屋付近であがっていた。
 そのときだった。
 この〈耐えがたければ〉の詩句が、身体の内側からドッと沸き上がってきた。

 毎年のように6月が近づくと、この絶唱が想いおこされる。
 かつてこの詩はわたしのなかにひとつの文学的体験を残した。
 その体験は……と、この記述を展開したいところだが、「その体験は……」で思考が停止してしまった。
 いや、正しくは強制停止だ。

■文学体験を語っている余裕がない。
 この1週間ほど、
 ①すこやかみなみネット事業推進委員会
 ②職員会議
 ③PTA組織会
 ④みなみ小中連携研究会――
 とつづき、その資料づくりに追われた。
 A4版で、粗く粗く、24枚を書き散らしたことになる。

 ④の資料を完成したあと、身体が電池切れのような状態になった。
 ああ、電池が切れるぅ~と感じながら、しかし、その意識の奥底で「わが水無月のなどかくはうつくしき」の旋律を聴きながら、教育の仕事に関して「書き散らす」作業を継続して、この両者のあいだで必死に精神のバランスをとろうとしている自分というのは「悪くはないなぁ」と思った。

■午後2時から本校を会場に、みなみ小・みなみ中連携研究会。
 午後4時半から同じく市内進路指導理事会。
 午後6時半から同じくみなみ小・中プール運営委員会。




■みなみ小・みなみ中連携研究会の様子を粗く紹介したい。

 まず、1学年4クラス、2学年3クラス、3学年4クラス、計11の授業を公開した。
 次に、全体会で、小中連携研究のテーマ(夢をもち、学びつづける子ども育てるための小中連携および学社連携はどうあればよいか?)と今年度の研究計画が確認されたあと、理数系・技能系・文系の3分科会にわかれ、協議会がもたれた。
 各分科会で話題になった内容の一部を紹介する。


〈みなみ小先生方の授業参観感想から〉
①授業者も生徒も「指導力向上の5原則」「学力向上の5原則」を意識していることがよく伝わってきた。
②どの授業も「ねらい」が明確で、指導者の指示・発問もリズムとスピード感があった。
③説明の時、指導者と生徒がきちんと目を合わせている。「②話し手にへそを向けて聞こう」の取り組みの成果だと感じた。
④(音楽)男子の歌声からパワーと熱い思いが伝わってきて感動した。

〈提案と課題〉
①みなみ中の「学力向上の5原則」に相当するものが、南小にもある。
 今後、それぞれの発達段階を考慮しつつ、9年間で育てる学習習慣(広い意味での学力)として小中共通のものをつくりあげていきたい。
②(音・美・技家・保体の技能系で)ミシンなど教具の取り扱いについて小中で共通理解しなければならないものがある。
③指導力5原則「③達成状況を確認して授業を進める」「④1人1人のがんばりに気づき、認める」はなかなかむずかしい。
 今後、小中で、このことに関する、いわゆる片々の技術をもちより、さらに指導技術を向上させたい。
④家庭学習力のアップ、女子の発言力アップがみなみ中の課題だ。



[2007年06月01日(金)]


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