職員室通信・600字の教育学

小高進の職員室通信 ①教育コミュニティ編 ②教師の授業修業編 ③日常行事編 ④主任会トピックス編 ⑤あれこれ特集記事編

自分の破片を寄せ集めて「地図づくり」「ホームページづくり」「ルートづくり」これが来年のキーワード

2008-12-31 12:33:12 | Weblog



◆昨日、散らばった「わたし」を必死に結合しようとして「地図」をつくる、あるいは、ホームページをつくる……という話をしたが、そのことと、ほぼ、並行して、想起していたことがある。

 わたしの通勤ルートのことだ。
 今は(わたしの度重なる陳情にもかかわらず^^;)廃線になってしまったが、南部バスの岬台線「根城小学校前」から「白銀台団地」のルートだ。
 根城小前→新組町→桜木町→荒町→新荒町→二十三日町→十三日町→三日町→二十八日町→NTT前→下組町→栄町→大町一丁目→大町二丁目→上左比代→新丁→小中野→柳町→上柳町→上中道→中道→工大一高前→三島上→労災病院通→労災病院前→小松平→北高校通→北高校前→大久保通→白銀台西口→白銀台郵便強前→白銀台団地。
 バスや列車が大好きだから、行程の時間的なことは、まったく問題ない。
 もう少し乗りたいと思うことがたびたびあった。

 ただし、窓外の風景は、???????だった。
 正確には、???????の部分があった。
 まあ、人それぞれだから(^_-)……なんともいえないし、こういうことは、ごちゃごちゃ、いうべきでないかもしれないが、まあ、もう、どうにも、こうにも……スンマヘンm(_ _)m、スンマヘンm(_ _)m。

 わたしも大阪のダウンタウンの生まれ、育ち。
 だから、生活臭い風景は、自分のエネルギーや!!と思っている。
 けれども、その生活臭さのなかにも「文化」あるいは「粋」が必要だ。
 ドブの蓋にも「粋」。
 割れたガラスの補修にも「粋」。
 神社の参道に、工事用足場パイプの柵があるような風景は、アウトなのだ。

◆通勤ルートについて、自分が壊れてしまうのではないかと思うくらい悩み、苦しみ、あるとき、ふと、窓外の風景を、自分の好みに応じて、カットして、カットして、新しいルートをデザインすればいいのだということに気づいた。
 要するに、ここは目を開ける、ここは目を閉じ瞑想するというふうに組み立てていくのだ。

 と、シンジラレナイくらい、すばらしい通勤ルートができあがった。

 でも、どこで目をつむり、どこで目をあけたのかは、絶対に秘密(^_-)(^_-)(^_-)(^_-)。

 最後の部分だけは告白する。
 バス停・大久保通で、閉じていた目を開ける。
 そして、白銀台西口→白銀台郵便強前→白銀台団地・バス停で下車。
 徒歩で団地内→ホタルの里を経由し、みなみ中裏門へ。

 自分のからだがすっかり裏返しになるくらい、「世界」が激変した。

◆自分の破片を寄せ集めて「地図づくり」「ホームページづくり」「ルートづくり」
 これが来年のわたしのキーワードです。

 このホームページを、ときどきのぞいてくれはったみなさま、ホンマ、ありがとうございました。
 お世話になりました。
 よいお年を。


今回ばっかりは、おっさんのこと

2008-12-31 12:31:22 | Weblog



★いやぁ~、おっさん、突然の返信、ホンマにおおきに、おおきに。
 今回ばっかりは、おっさんのこと、少し心配していましたよ。
 流れとして、①歩け無く為ってもうたんやわッ → ②無気力な毎日 → ③何か身体がだるくて1日中寝てました……ときて、突然の消滅でしたから(^_-)。

 けど、ひょっとしたら、いつものように、不意に「二人ッ子はぁ~ん 今晩はわぁ~ ワンワン^-^」と登場するかも……という願いどおり、「今晩はわぁ~ ワンワン」が聞こえ、ひと安心。

 阪神なんば線の件、了解です。
 上六側にいて、めったに神戸方面にはいかない、わたしとしては、あんまりピンと来てまへんけど、ただ、西九条~近鉄難波のあいだって、実際の距離以上の、すごい距離を感じますね。
 今度、それがつながるわけですから、これは、月面に初めて人が立ったというくらいの大事業ですね。
 おっさんの健闘を祈ります。
 そして、来年もまたよろしくお願いします。

 二伸 画像は昨夜のお好み焼き・豚玉です。まずまずの出来。
 (1)キャベツの刻みを変えてみました。
 (2)豚肉から出た脂の処理の仕方を変えてみました。
 お好み焼きへの挑戦は、まだまだつづきます。


ガラスの破片のように散らばったわたしを必死に結合しようとしているのが、このホームページかもしれない

2008-12-30 13:13:22 | Weblog


◆2006年8月11日(金)に次のようなわたしの記述がある。

〈30歳代半ば、紙の上に小さな町(村)の地図を創り、その「地図」の中から、学校(大館中)に出勤し、夕方、またその「地図」に帰る……という精神上の操作をしていたことがある。
 どの家の柱時計も休んでいて、魂という魂がみんな通りすぎてしまったような、ひっそりとした町だ。
 その「地図」の上にあった、タバコ屋、薬局、柿本屋(旅館)、七福食堂、七福教会、東京庵(料亭)、理髪店、土産物屋の牧野さん、山楽(旅館)、仁王門……などは今でも鮮明に記憶している。
 当時は、自分のことを「僕」と言っていた。
 現実のなかで、ガラスの破片のように散らばった「僕」「僕」「僕」「僕」「僕」「僕」「僕」「僕」……を1つ所に寄せあつめようとしていたのだと思う。〉

◆2年前の自分の記述だが、わたしとしては、たいへんよく書けている(^_-)。
 国語教師で1年6組の学級担任である「僕」
 夫である「僕」
 親である「僕」
 (大阪にいる母に対しては)息子である「僕」
 E……である「僕」
 F……である「僕」
 G……である「僕」

 これらの「僕」を、「現実のなかで、ガラスの破片のように散らばった僕」って、ホンマ、上手に表現したなぁ~と感心する。

 散らばっている「僕」という現実を、ただ、仕方がないのだと受け入れるのではなく、30歳代半ばのわたしは、殊勝にも、必死に、(なんといったらいいのか……)統一? 包括? 結合? 融合?させようとしている。
 その中心のイメージが「地図」だったのだ。(この「地図」は、デジタルデータとして作成したから、今でもどこかにあるはずだ。ただし、5インチフロッピーに^^;。)

◆わたしは、何度も何度も、わたしの存在の仕方=ホームページだ……という言い方をしている。
 これは、上記の記述に絡めると、2つの解釈ができる。
 1つは、存在の仕方=現実のなかで、ガラスの破片のように散らばった「わたし」=ホームページ。
 もう1つは、そうではなく、存在の仕方=散らばった「わたし」を、必死に結合しようとしている=ホームページ。
 後者であるとすれば(自分自身のことなのにこういう言い方をするのは、この点については、まだ詰め切れていないので……)ホームページ=25年前の「地図」といえるのかもしれない。

 近いうちに「地図」データを復元して、このホームページ上にアップしたい。


◆昨日、ひさしぶりにJR八戸線の旅に出る。
 いちばん上の画像は八戸駅を出るキハ(うみねこ号)。
 2番目は、金浜駅に向かって走行するキハ。
 下の2画像は、金浜駅にわたしを降ろしたあと、次の大蛇駅に向かうキハの後ろ姿。気動車の吐く煙をみると、わたしは胸がいっぱいになる。


ああ、わたしのお好み焼きのために、あんなにいっしょうけんめいやってくれている~と思ったら

2008-12-28 11:51:56 | Weblog

◆先日のことだけれど、初めて入ったお店で、バイト風のスタッフに「焼きはりますか?」「焼きましょうか?」と聞かれたので、もちろん「焼いてください」とお願いしたら、注文票とペンがピクッとしたのがわかった。
 カウンターの向こう側で、もう1人のスタッフといっしょに、からだ全体でリズムを取り、生地と具を混ぜはじめた。
 マニュアルと鉄板、鉄板と時計を、せわしく見比べている。
 ときどきコテを使って焼け具合を見ているようだ。
 「お姉さん、頼んまっせ」
 と声をかけたくなる。
 ああ、わたしのお好み焼きのために、あんなにいっしょうけんめいやってくれている~と思ったら、しあわせな気分になった。

◆豚肉を並べた面を下にして、5、6分間、焼く。
 豚肉の脂がジュージューと音をたてている。(この脂の処理が課題だ。「ちょっとまずいことに^^;」というのはこのことだ。)



◆再びテコで返して、3分間追い焼きする。



◆追い焼き3分間のあいだに、ソースを塗る。



◆マヨネーズを塗り、青のりと鰹節をふりかけ、完成。


お好み焼き店は、たいてい「焼きはりますか?」「焼きまひょか?」と聞いてくるけれども。

2008-12-28 06:19:08 | Weblog

◆ま、仕方がないので「お好み焼き」のことでも、グジュグジュと書くことにする……のつづき。

 220℃に設定した鉄板に生地を流し込んで、5、6分間。
 ここ、焼き過ぎてもアカンし、焼き足りなくてもアカンし、結構、むずかしい。
 まだまだ修業?が足りないので、生地全体がモッサリという感じになったり、外側が堅い皮状になったりして……よく失敗している。
 この5、6分間に、まず、天かすを散りばめる。
 天かすの代わりに、カッパえびせんやどんべいについてくる天ぷらをハンマーで砕いて使うこともある(*^_^*)。

◆つづいて、天かすの上に、豚肉をていねいに並べる。
 この画像は違うが、わたしは、最近、しゃぶしゃぶ用を使うことが多い。
 豚肉の皮膜にピッタリと覆われた豚玉という感じが大好きだ。

◆6分後、テコでひっくり返す。
 パンパンにふくれあがっている。
 この段階では、まず「外サクサク」は間違いなし。(この日は、このあとが、ちょっとまずいことに^^;)

 お好み焼き店は、たいてい「焼きはりますか?」「焼きまひょか?」と聞いてくる。(大阪には、客に焼かせない店も少なくないが、このことは後で語りたい(^-^))。
 この「焼きはりますか?」「焼きまひょか?」と聞くとき、粗く2つに分けられる。
 1つは、客自身が焼くことを期待している。
 期待しているから、場合によっては、そもそも「焼きはりますか?」「焼きまひょか?」と聞かないケースもある。
 これはどちらかというと、関東以北に多いように思う。
 もう1つは、ホンマは店側で焼きたいのだけれども、一応、聞いとかんと……というケース。
 わたしは、原則として、初めてのお店では、自分の勉強のために、焼いてもらう。(つづく)


魂を、一瞬であったにしても、このわたしに自らの運命を託してみようと思ってくれた人物に正対させて

2008-12-28 02:31:23 | Weblog



◆少し前に「午前中、あすの終業式の式辞を書く。2530字。その後、古書店の模様替えをする。椅子の背もたれに魂をもたせかけるかたちから、テーブルに両肘をつき魂を前屈みにするかたちに」と記述した。

 この画像は、前屈みになった魂が、斜め後方を振り返ったときの視野に写ったものだ。

 正直なところ、自分が「椅子の背もたれに魂をもたせかけるかたち」から脱し、「魂を前屈みにするかたち」に、至る……(いや、「戻る」「復帰する」とするべきか?……)とは思っていなかった。
 誤解を与えるといけないから、念のために断っておくが、この「変更」と、終業式の式辞の内容とは、たぶんほとんど関係がないだろう。

 「変更」の原因?
 見たもの(その人の一瞬の表情……観た映画……獲得したデータ……)、通過したり滞在したりした場所(トポス)……等々、ここ、しばらくの無数の、いや、無数というほどではないだろうと思うが、いろいろな要素が、もちろん、そのなかには「模様替え」の行為そのものも含まれているかもしれないが……、そういうものが魂のかたちに作用したのだと思う。

 そのなかで、いちばん大きな要素は、魂が誰と向き合うのか?……という思考したということだ。
 魂を360度の角度にさらすのやめよう。
 結果的には360度の角度にさらすことになるのかもしれないけれど……、魂を、一瞬であったにしても、このわたしに自らの運命を託してみようと思った(正しくは、思ってくれた)人物に正対させて、語ろうと。〈つづく〉


仕方がないのでお好み焼きのことでも、グジュグジュと書くことにする。DAKA風豚玉づくりの始まり始まり

2008-12-27 11:57:19 | Weblog



◆夏から秋にかけて平均400クリックだった、このホームページのカウンターヒット数が、このところ、140クリック~150クリックと、激減している。
 一時は、600、700、800、900に達する日もあり、目標の1日1000クリックまであと一歩と、張り切っていたのだが……。
 「来てくれる人が減ってしもたわぁ~。なんか、ホンマ、がっかりやねぇ~」と、しょげていると、パートナーが「こんなページに来ても何の得にもなれへんということに気づきはじめたのよ」と、血も涙もない反応。


◆ま、仕方がないので「お好み焼き」のことでも、グジュグジュと書くことにする。

 PTA広報紙の「DAKA風お好み焼き・豚玉のレシピ」で、家庭用ホットプレートを使っていると書いたが、誤解のないように補足しておくと、これは、こげない、こびりつかない、手入れが簡単、ピカピカのテフロン加工……というのとは、全然、違う。
 その反対で、テフロンは既にはがれ落ち、黒いこびりつきが、カチンコチンの層を形成し、ゴミに出される寸前のものを、わたしが、丸1日かけて、磨き上げ、磨き上げ、復活させた「お好み焼き専用の鉄板」なのだ。
 こういう鉄板で焼くほうが、お好み焼きは、断然、美味しい。
 これは、もちろん、なんの根拠もない^^;。
 ただ1つ、確実にいい点がある。
 金属ヘラ(コテ)が自由に、思いっきり、使えることだ。

◆生地づくり。



 市販のお好み焼き粉を使っています。
 1人分40g。
 ミネラルウォーター35cc。
 先に、このミネラルウォーターに必ずベーキングパウダーを入れている。
 砂糖、塩、調味料等も、その日の気分で適当に入れる。
 特に砂糖。
 ただし、お好み焼き粉には既にいろいろなだしが入っているので、入れすぎると味が濃くなってしまうから注意。
 お好み焼き粉とだし汁を軽くかきまぜて30分間ねかせる。

◆具


 キャベツ120g、普通のみじん切りより大きめ。
 青ネギも入れることがあるが、トータルで120gを超えないようにしている。
 このキャベツに、紅ショウガ、乾燥小エビを入れて、軽くかきまぜる。

◆これを生地の入っているボウルに入れ、空気を含ませるように底から上へ10回くらい混ぜる。

◆このあと、卵を1個入れ、黄身をつぶしてから、全体に3~4回混ぜる。
 卵をあとから入れることと、ここで混ぜすぎないのがポイントだ。



◆焼き方
 ホットプレートを210℃~220℃に温めて、油をうすくひく。
 生地を1.5㎝~2㎝くらいの厚さで流し込む。
 わたしは、サクサクとしたお好み焼きが好きなので、(というか、元ホットプレートのお好み焼き専用鉄板では、どうしてもパワーが弱く、厚く流し込むと、うまく焼けない)薄目に流し込む。



 焼け具合を見ながら、5、6分間焼く。(つづく)


みなみの芳しい大気を吸って育った花梨を使って、今、つくっている花梨酒の瓶

2008-12-27 11:40:57 | Weblog


◆この画像は、みなみの芳しい大気を吸って育った花梨を使って、今、つくっている花梨酒だ。
 飲めるのは、来年の5月中旬。

 〈死んだ智恵子が造っておいた瓶の梅酒は/十年の重みにどんより澱んで光をつつみ/いま琥珀の杯に凝って玉のようだ/ひとりで早春の夜ふけの寒いとき/これをあがってくださいと/おのれの死後に遺していった人を思う〉(後略・「梅酒」高村光太郎)

 この詩の智恵子と光太郎にあてはめると、みなみのわたしが、みなみの人間でなくなる前に、みなみの人間でなくなってしまったわたしに「夜ふけにひとりでこれをあがってください」と遺したという格好だ(^^;)
 月並みだが、花梨酒の芳しい甘さを、みなみの人間でなくなったわたしは、どんな心境で味わうのだろうか?と、ふと考えてしまう。


新聞広告欄のFIGAROの「アンティークとカフェはパリの文化です」という見出しが目に飛び込んでくる

2008-12-21 17:48:05 | Weblog


◆ここ、しばらく、ホームページのかたちと更新ペースが乱れている。
 ホームページ=自分の存在の仕方……と、わたしはずっと言いつづけているし、また、そう思いつづけている。
 だから、つまり、このことは、自分の存在の仕方に「異変」があったのか? あるいは、「異変」とか「変調」とかという不測の事態ではなく、もっと前向きな、ヤドカリが新しい殻に引っ越そうとするような、創造の前段階なのか?……ということだろうと思っている。

 新聞の広告欄に掲載されたFIGAROの「アンティークとカフェは、パリの文化です」という見出しが目に飛び込んでくる。
 瞬間、自分のホームページで、アンティーク編に相当するのは、何か? カフェ編に相当するのは何か?……と、「★と●は、DAKAの文化です」という見出しを完成させようとしている自分に、苦笑してしまう。

 まじめに考えた結果
(1)ひとつは、やはり、「職員室通信」「すこやかみなみネット通信」だろう。
 以前にも「ほんとうに、ほんとうに、ほとんどゴミばかりで、ショックを受け……」と書いたように、内容に失望している。
 これを、再編集&加筆し、わたしにしか書けない、しっかりしたものにしたい。

(2)もうひとつは、旅(無人駅・深夜特急・大阪)と、古書と、お好み焼きだろう。

 ただし、まだ「手続き」の途中だ。
 まず、自分自身が、この項目とこの項目は、意味があるんだと、確信をもって価値の光の束を放射しうるか?というチェックが終わっていない。
 このチェックは作業は楽しそうだ。

◆午前中、あすの修業式の式辞を書く。2530字。
 その後、古書店の模様替えをする。
 椅子の背もたれに魂をゆったりともたせかける雰囲気から、テーブルに両肘をつき魂をグッと前屈みにする雰囲気に。


 


「とりとめのないこと」の記述の積み重ねの大切さは

2008-12-21 13:13:40 | Weblog

◆前回の「部品を集め……」という記述に関連して。
 前々回、「文体の問題が決着しないと……」というような大上段に振りかざす言い方をした。
 たぶん、その対極の思考だと思うが、今朝、食卓でコーヒーを沸かしながら、ふと、……コツコツと「部品」を集めていくように、コツコツと「とりとめのないこと」を記述しながら、そこから「文体」が形成されていくようなやり方も大切にしないといけない……と思い至った。(←これは、そのときの「メモ」だ(^-^)。)
 もちろん「とりとめのないこと」の記述の積み重ねの大切さは、十分過ぎるくらいわかっているのだけれど、それができていないので、「大上段に振りかざ」さなければいけないということになってしまうのだろうけど……。


すこやかみなみネットをさらによくするために、全国から、いろいろ「部品」を集めて

2008-12-21 13:09:20 | Weblog


◆先日、みなみ小・図書室を会場に開催された「すこやかみなみネット地域情報交換会」の内容をまとめた「すこやかみなみネット通信12/22号 ~地域情報交換会特集~」を、昨夜、ホームページにアップし、また本日は、紙媒体による通信(A4版12頁)を発行した。

 一段落である。(と書いてから、念のために「一段落」を調べると、「イチダンラク」と読む。「ヒトダランク」は話し言葉では使われることが多いが、誤り……とある。わたしは、ずっと逆に考えていた。)


 もう一度、「イチダンラク」である。
 地域情報交換会が軌道に乗ったこともうれしいし、さらに懸案だったサポータークラブも、ぼちぼち「開店」しはじめた。
 すこやかみなみネット通信でも触れたが、すこやかみなみネットを、形骸化させないためには、各団体やPTAという組織を生かしたコーディネート力をアップすると同時に、組織とは別に、サポータークラブのように、さまざまな立場から、自然に生まれてくる活動も大切だ。
 わたし自身も、サポータークラブの一員(ホームページ作成)としてがんばりたい。

 12/22の2学期終業式以降は、通常より研究時間が多く取れるので、すこやかみなみネットをさらによくするために、全国から、いろいろ「部品」を集め、今のわたしたちの実践と照らし合わせながら、今後のあり方を検討してみたい。


 


本日、午後からみなみ中で、八戸市中学校理科研究会の授業研究会が開かれた

2008-12-21 13:04:16 | Weblog


★本日、午後からみなみ中で、八戸市中学校理科研究会の授業研究会が開かれた。
 授業者は須藤T。
 本校の主催ではないのだが、本校での2008年、最後の研究授業だ!と張り切ってカメラを取り出そうとして忘れてきたことに気づく。
 仕方なく学校のカメラで撮影。
 しかし、慣れないせいか?
 カメラの性能が悪いのか?
 暗幕のせいで理科室が暗いからか?
 シャッターがなかなかいうことを聞いてくれず、大苦戦、わずかな枚数しか撮れなかった。
 須藤T、ホンマ、スンマヘン。






自分の魂をコンピューター書→理工書→医書→看護→人文書……旅行書→文芸書……と浮遊させるつもり

2008-12-21 12:56:55 | Weblog

◆文体の問題に決着がつかないと、仕事がほとんど前に進まない……、仕事が手につかない……というところが、わたしにある。
 この問題は、歴史的に、その時点、その時点で、一応、決着しているのだけれども、不意に再燃する。

◆近時(たしか秋にはいった頃)の文体論は次のとおりだ。(わたしのために「復習」する。)

(1)今、わたしは、ひょっとして、現任校(みなみ中)の「マニフェスト」を「断念」するという手続きを経たうえで、その後の思考を記述しようとしているのだろうか? そして、そのための「文体」を求めているのだろうか?
(2)いや、それとも、新撰組の土方みたいに、土壇場のタイムリミットまで「マニフェスト」実現に向けて格闘し、その「悪戦苦闘」ぶりを記述しようとして、そのための「文体」を求めているのだろうか?

 このときの「決着」は次のとおりだ。
 (1)と(2)が、漱石の則天去私のように、強い電撃に打たれたように、わたしのなかで合体・融合した。
 アウフヘーベンしたのではない。
 合体・融合だ。
 アウフヘーベンは理屈だが、合体・融合は悟りだ。
 電撃の悟りを、理屈で説明することはむずかしい(^_-)ので、結論だけをコンパクトに述べる。
 わたしのいう「文体」というのは、願望の「断念」が、絶対の条件になる。
 願望の「断念」を強いられることを前提としていないものは、文体ではない。
 その断念の上に、願望の実現に向けて格闘する……悪戦苦闘する……その「軌跡」が「文体」だ。
 これが文体論の結論だ。

 なお、このときは、文体のメタファーも求めている。
 「文体のメタファー」=滑舌の悪さと、品のなさと、あちこちでの激昂ぶり……スライダーやシュートの横の揺さぶり、打者の内角を突く強気の(脅しの)ピッチング……8勝16敗の成績。

◆この12月に入って、「超」がつく大型書店に身を置いてみたいと思っていた。
 たぶん、この思いは、今述べた、近時(秋)の文体論と密接不離の関係にあるかもしれないし、あるいは、文体論の「再燃」かもしれない。

 そこで、先週、ひとつの仕事が一段落したので(もちろん、世の中は一寸先は闇。わたしの仕事はその典型。だから、段落などはないといえばないのだけれど……)、某市にある大型書店のフロアーに3時間くらい身を置いてみた。

 書店のフロアーをほっつく「3時間」のことを、時系列に書きだしたいという気持ちがあるが、それはそれは、膨大な文字の量になってしまし、記述するのにも膨大な時間の量が必要だ。
 だから、それは、ときどき、部分部分を、ポツンポツンと記述することにして、ここでは、結論めいた、あるいは、結論にやや近いと思われることだけ、それも、箇条書きで、3点書くことにする。

(1)やや、行き詰まっている、今のわたしの仕事を、教育以外のどんな分野と接続することにより打開できるか?
 書店内を浮遊しながら、ひとつは「社会学」と思った。
 もうひとつは「まちづくり」だ。(詳細は後日)

(2)最後の最後(3/31)まで「日本でいちばんいい学校」をめざしたい。
 この思いと行動が、断念の上に願望の実現に向けて格闘する軌跡の延長線上にあるのか? いや、土壇場のタイムリミットまでマニフェスト実現に向けて格闘する軌跡の延長線上にあるのか?
 今は、もうそういう分析は必要ない……という心境にある。
 強いていえば、後者、単純に「土壇場のタイムリミットまで……」に近い。

(3)「日本でいちばんいい学校」にするために、素朴に、もっともっと「部品」を、貪欲に集めたい、学びたい。

◆くたくたになって書店を出た。
 自分の魂を、コンピューター書→理工書→医書→看護→福祉→人文書→法律書→経済書→雑誌→実用書→旅行書→文芸書……と、浮遊させるつもりだった。
 洋書→語学書→芸術→学習参考書→児童書→コミック……は、はじめから時間が足りないということであきらめていた。

 しかし、最初のコンピューター書コーナーで時間をかけすぎ、やや楽しみにしていた「文芸書」コーナーにはたどりつけなかった。


アンケート結果にもとづき、音楽なし清掃を、哲学しながら、もうしばらくつづけることになった

2008-12-21 12:52:37 | Weblog


◆今、みなみ中では、清掃時間の音楽をどうするかを検討している。
 次は、先週末、担当の宮重Tから出たアンケートとその結果だ。

〈清掃時の放送について、ご意見をお聞かせください。
 清掃態度点検週間が終了します。
 期間中、音楽を流さないでやってみましたが、いかがだったでしょうか。
 来週からの放送をどうするか検討したいので、以下のご質問にお答え下さい。
(1)音楽がない状態での清掃はどうだったか、○で囲んでください。
 ①よかった 〈75%〉 
 ②よくなかった 〈0%〉
 ③どちらともいえない 〈25%〉 
(2)来週から音楽をどうするのがよいと考えていますか。
 ①音楽を流さない状態をずっと続けるのがよい。 〈63%〉
 ②音楽を流さない状態を少しの期間続けるのがよい。 〈25%〉
 ③音楽を流したほうがよい。 〈0%〉
 ④その他 〈12%〉
 ・音楽のある日とない日を設定する
 ・まかせる
(3)上記の選択の理由を簡単に書いてください。
①「無言で清掃する」ができているかどうかについて、音楽なしだと、きちんと評価できる。
②黙々感増強。
③清掃中の無言徹底のためには、音楽もないほうがよいと思う。
④全校で音がない状態であると、おしゃべりしようという気がおきない。静かな状態を壊したくないという気になる。
⑤音楽がないと、私語が目立ち、自身で気をつけるようになる。
⑥無言が徹底されたので音楽を流さなくてもよいと思う。が、デメリットもあるかもしれないので、2学期中実施してみる。
⑦班長への指示だけOKで、あとは無言でいいと思いますが、必要事項で指示しなければならないこともあり不便なときもありました。強調週間中であればいいが、ずっとは具合が悪いと思います。
⑧無言でやる意識が高まったと思う。
⑨もともと音楽がないほうがよいと考えていたので、とてもよい。
⑩音楽がないと、無駄話をしてはいけないという意識が高くなる。
⑪清掃に集中できる。教師の指示が通る。
⑫これまで長く音楽付き(一種の情操教育として)の清掃になじんできたので、現時点では、身体が「拒否」に近い反応をし、精神がやや不安定な状態に陥っています。子どもたちも同じかもしれません。
 しかし、このことをとおして、大きな発見がありました。
 子どもたちのそうじのいい加減さ(正しくは、きちんとしたそうじのやり方がわかっていない)が、よく見えるようになりました。
 要するに、これまで、音楽が、「そうじのいい加減さ」を、やさしくくるんでくれていた……ということがいえると思います。
 結論的には、きちんとしたそうじを追求するよいきっかけになるし、そこに到達することができたら、今、わたしが感じている精神の不安定さは消滅すると考えています。

◆わたしの意見は、(1)音楽がない状態での清掃はどうだったか? ③どちらともいえない〈25%〉(2)来週から音楽をどうするのがよいか? ①音楽を流さない状態をずっと続けるのがよい〈63%〉で、⑫番が、わたしのコメントだ。

 結論、アンケート結果にもとづき、音楽なし清掃を、哲学しながら、もうしばらくつづけることになった。