職員室通信・600字の教育学

小高進の職員室通信 ①教育コミュニティ編 ②教師の授業修業編 ③日常行事編 ④主任会トピックス編 ⑤あれこれ特集記事編

★1月の模擬授業から――授業者=家庭・都島Tの語りの目線。ひとりひとりに0.1秒ずつ止めている

2013-01-31 08:59:00 | 僕のモンマルトル日記

 

職員室通信 指示「書くことが決まったら、ビニールを外しましょう」
2013
01.31


★1月の模擬授業から――
 ・授業者=家庭・都島T。
 ・指定発言者=岬T(社会)・中野T(数学)
①語るときの目線が、生徒(生徒役T)ひとりひとりの目線と途切れることがない。
 ひとりひとりに0.1秒ずつ止めている。
 表情もいい。
②生徒に、手にビニール袋をつけさせる場面の指示・説明は、さすがに家庭科のプロ教師だと感心した。
 また、「書くことが決まったら、ビニールを外しましょう」という指示もすばらしい。
 生徒の活動状況が一目で把握できる。

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★高校時代、恩師と井原西鶴の墓にお参りした後、空堀商店街の路地を歩いている時、恩師が僕に話した内容

2013-01-31 08:46:53 | 僕のモンマルトル日記

 

2013/01/31(木)08:42
★茫漠の時空間は「現存」する。僕が疾駆してくるのを待っている

★僕のインターネット環境に、いくつか変化があった。
 僕の外側(=僕が僕の意思で変化にかかわれない内容)と、僕の内側(=僕の判断で変化させられる内容)とに分けて、列挙する。

 〈僕の意思の外側〉

(1)ケーブルテレビ会社から、僕のホームページの置き場所になっているWEBサーバーの容量を、2月19日から100MBに拡充するという知らせがあった。
 WEBサーバーは、ケーブルテレビ会社とインターネット契約(月2520円)を結んだとき、付随サービスとしてくっついてきた。
 契約したのは2001年だ。
 だから、僕のホームページをここに置くようになって、足かけ13年になる。
 当時は5MBくらいだった。
 5MB→50MB(現在)→100MB。
 今の時代、100MBというのは鼻クソみたいなものだが、厳しい経営状況(←たぶん)のなか、増量してくれるという気持ちはうれしく受けとめたい。
 ただ、増量50MBをどう使うかというと、微妙だ。
 現在、僕のHPの主なコンテンツとその置き場所は次の通りだ。
 ①HPトップ→ケーブルテレビWEBサーバー
 ②無人駅線→有料レンタルサーバー。
 ③職員室通信→有料レンタルサーバー。
 ④MINAMIネット通信→有料レンタルサーバー。
 「①=トップ」だけだと、100MBも必要ない。
 しかし、「①+②+③+④」だと、100MBではとても足りない。
 レンタルサーバーの容量は1.5GB(年間3000円)ある。
 ぜんぶ、レンタルサーバーに移動すればいいようなもんだが、信頼――13年間、トラブルは一度もない――と快適さでは、ケーブルテレビのWEBサーバーのほうが優れているし、愛着もある(特にURLに)。

 拡充スペースをどう生かすか、検討中だ。

(2)僕のPCポータルサイトである「My Yahoo! JAPAN」のウィジェットに、Twitterのタイムラインが表示できるようになった。
 さっそく、左サイドバーのいちばん上に設置した。
 これで、いちいちTwitterを起動させなくても、ここからツイートできる。
 たいへん便利だ。
 といっても、Twitterについては、僕はまだ、ツイート=2852、フォロー=74、フォロワー=84くらいで、活用の仕方は確立していない。
 フォロワーが960552人もいる橋下徹氏などは、意味があるだろうし、おもしろいだろうが、僕にとっては、現時点では、あってもなくても同じようなものだ。
 タイムライン自動表示を機会に――ま、日本維新の会の石原共同代表も自身のTwitterを開設したようだし――再検討してみたい(*^_^*)。

 〈僕の意思の内側〉

(3)現在、僕のブログ記事は二重構造になっている。
 1月末までの試行として、「教育」の枠組み(幅=640ピクセル)の中に、「日常生活」の枠組み(幅=550ピクセル、または340ピクセル)を含むカタチになっている。
 昨日、この「含むカタチ」ではなく、「日常生活」の枠組み(幅=340ピクセル)を右サイドバーに貼り付けてみてはどうだろうか……と思い立ち、現在、テストしている。
 1999年頃――江藤淳が自刃した年――僕は「教育だけが人生だ」と言い切っていた。
 ま、正確には「口走っていた」……単なる身振りに過ぎない……というべきだろうけど……(ノ△・。)。
 これは今でも変わらない(ノ△・。)。
 「教育だけが人生だ」は、「教育」が「人生」を含むのだろうか?
 いや、「人生」が「教育」を含むのだろうか?
 「含む」カタチの試行と合わせて、この「併置」のカタチも試行しつつ――悲惨な結果を恐れずに――突き詰めていきたい。
 したがって、試行期間を2月いっぱいまで延長する。

(4)昨日から、HPトップの、DAKA古書店跡の片隅を撮影した画像に、朱色で「茫漠特急」と刻印している。
 

 ここ(片隅)で、社会的に露出されるのではなく、茫漠の時空間(=僕の過去のトータル)に僕自身を露出させ、孤独に、年末まで疾駆をつづけたいという願い。
 茫漠の時空間は「現存」する。
 僕が疾駆してくるのを待っている。

★画像は『プリンセストヨトミ』の一場面。
 前回、「僕の意識の深いところにしまいこまれていたエピソード記憶やら情動記憶やらが、いっせいにほじくり返された」と書いたが、そのエピソードのひとつ――
 高校時代に恩師と井原西鶴の墓にお参りしたあと、空堀商店街の路地を歩いているとき、恩師が僕に話してくれた内容と、劇中のお好み焼き屋「太閤」店主=大阪国総理大臣の真田幸一(中井貴一)のセリフとが共鳴した(^_^)v。

★関連記事
★『プリンセストヨトミ』に僕のエピソード記憶やら情動記憶やらひっくり返され、何度も泣いた。目が腫れた

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1月28日(月)のつぶやき

2013-01-29 02:38:27 | 僕のモンマルトル日記

★昨日(日曜日)、TVで第32回大阪国際女子マラソンを観たあと、たまたま、DVD『プリンセストヨトミ』を、低音のきいた大音量スピーカーをPCに接続して観た。僕のカラダの遺伝子の全部がブルルルルルッと震えた。僕の遺伝子が目に見えるようと創出してくれた映画(^_^)v。何度も泣いた。


★1月の模擬授業から――範Tのは芸術品。八重山Tの語りは絶品。僕らの修業の今後の道がくっきりと見えた blog.goo.ne.jp/kyoiku6000/e/0…


★『プリンセストヨトミ』に僕のエピソード記憶やら情動記憶やらひっくり返され、何度も泣いた。目が腫れた blog.goo.ne.jp/kyoiku6000/e/8…



★『プリンセストヨトミ』に僕のエピソード記憶やら情動記憶やらひっくり返され、何度も泣いた。目が腫れた

2013-01-28 14:57:10 | 僕のモンマルトル日記

 

2013/01/28(月)14:51
★福士加代子、鶴橋駅前→勝山通り→大池橋→田島の「生野街道」ひとり旅(^_^)v

★昨日(日曜日)はTV三昧の1日になってしまった(ノ△・。)。
 「新報道2001」(7:30~8:55)で教育特集(大阪桜宮高)。
 午後から「第32回大阪国際女子マラソン」。
 マラソン終了後、DVD『プリンセストヨトミ』。
 滞っている仕事を一気に……と思っていたので、大、大誤算だ。

 「新報道2001」は観るつもりはなかったのだが、コメンテーターがどんな発言をするのか? チェックしておかないと、後から後悔することになるのではないか?……という気持ちが強く、結局、初めから終わりまで観てしまった。

 午後からの「第32回大阪国際女子マラソン」は予定通りの観戦。
 福士加代子と渋井陽子の2人が帰路でデッドヒート……鶴橋駅前→勝山通り→大池橋→田島の「生野街道」を爆走……という展開を期待していたので――福士2位はうれしくはあるものの――ガックシ。

 その後は、もう、とても仕事をする気力は残っていなかったので、DVD『プリンセストヨトミ』を観ることにした。
 これは、わが畏友・奈良@あしゅら氏――骨董屋主人で綾瀬はるかの熱烈なファン、僕とは昔からのライオンズ仲間――が遊びに来たとき置いていったものだ。
 低音のきいた大音量スピーカーをPCに接続して観た。
 映画の評判はあまりよくないはずだったし、僕は綾瀬にはまったく興味がないので、観たいというより、どちらかというと、わざわざ持ってきてくれた奈良@あしゅら氏に対し義理を果たす気持ちのほうが強かったのだが、観るうちに、僕のカラダが異様な反応をしはじめた。
 僕のカラダの細胞の全部がブルルルルルッと震えた。
 何度も泣いた。
 泣きすぎて目が腫れた。
 僕が子どもの頃から、祖父母から、父母から、学校の先生から、地域の人々やドラマや音楽(主に演歌)やら、いってみれば浪速の社会教育から、意図的、無意図的に伝えられ、僕の意識の深いところにしまいこまれていたエピソード記憶やら情動記憶やらが、いっせいにほじくり返される……という感じ。
 別な言い方をすれば、そのほじくり返したものにカタチを与えるとすれば、『プリンセストヨトミ』というドラマになる……ということだ。
 和久井映見(真田竹子)の大阪弁もよかった。
 ただ、これ、大阪(市)人以外は観てもしようがないかもしれない、あはははははははっ(*^_^*)。
 DVDが終わったとき、短い冬の日がすっかり暮れていた。


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★今夜は僕はお好み焼き(悲しい時はいつもお好み焼き)だが、@なら阿修羅氏は奈良で何を食うのだろうか?


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★1月の模擬授業から――範Tのは芸術品。八重Tの語りは絶品。僕らの修業の今後の道がくっきりと見えた

2013-01-28 14:36:26 | 僕のモンマルトル日記

 

職員室通信 プロ教師への道――MINAMI修業、1月の模擬授業から2つ
2013
01.28


★1月の模擬授業から――
 ・授業者=保健体育・範T。
 ・指定発言者=森郷T(数学)・安代T(保体)
 「説明&指示→活動→評価」「指示→活動→評価」が10分間に芸術品のようにきちっと配置、構成されている。
 語りも安定している。

 僕は、教師になって7年目に突然、自分の授業スタイルに疑問をもつようになった。
 朝、目が覚めたとき「もう学校に行きたくない」と思うくらい落ち込んだ。
 再起のきっかけは体育の授業だった。
 当時、勤めていた学校が建て替え工事中で、授業の教室は新校舎だが、職員室は旧校舎に残っていた。
 新旧の校舎の通路が体育館だった。
 行き来のたびに体育の授業を観るうちに「僕の国語も体育のようにやればいいのではないか?……」とひらめいた。
 これが、現在の僕の、50分間の授業における短い、あるいはやや長い活動(作業)場面をクッキリさせる授業スタイルにつながっている。

 その当時のことを思い出しながら、範Tの模擬授業を感慨深く参観した。
 知的で楽しい授業をめざすMINAMI中の修業のこれからの軌跡が明確に見える記念すべき10分間だと感じた。

★1月の模擬授業から――


 ・授業者=国語・八重T。
 ・指定発言者=今枝T(国語)・小和田T(英語)
 八重Tの全体にむかっての語りは絶品。
 ああ、「八重国語」だぁ!
 これだとどんな生徒でもひきつけられると感心した。
 具体的になにがどういいのかは、僕もまだ分析できていないが、八重Tの意識的な感情――例=「このむ」「よろこぶ」「ざんねんがる」「はげます」「ふしぎがる」等――が過不足なく、こちらに伝わってくる。
 こういう語りができるって、ホンマ、うらやましいと思った。

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★3等=5635番の次の番号が1枚あった。ホンマに残念。横浜本牧亭ビーフカレー6パックを逃す

2013-01-26 14:21:54 | 僕のモンマルトル日記

 

2013/01/26(土)14:12
★横浜本牧亭ビーフカレー6パックを逃す

★お年玉付年賀はがきの当選番号をチェックする。
 僕のテレビ(レグザ32RX1)が不調――スイッチON後、約20分間、画面の左端に緑の線が縦に1本走る。これ、リコール製品ではないか?――なので、40V型液晶テレビが当たればいいなぁ~と、1枚1枚厳重にチェックしたが、いつものように切手シート5枚だけ(ノ△・。)。

 3等=5635番の次の番号が1枚あった。
 ホンマに残念(ノ△・。)。
 横浜本牧亭ビーフカレー6パックを逃す。

★画像=DAKA古書店跡の窓辺の光景。(クリックすると、大きな画像になります。ぜひ、ご覧ください。)

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★台湾の少佐のテーマ「山羊座の小美女100年性感」、僕「12/8から3年8ヵ月の100年のテーマ」


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★大阪桜宮高問題。総入れ替えを勇断、実行すべき。だが、学校が壊れる。子どもたちが露頭に迷うのは困る

2013-01-26 13:39:19 | 僕のモンマルトル日記

 

職員室通信 年間の模擬授業回数100回→150回に。大きな一歩だ
2013
01.26


★今回の教育課程編成に関する会議で「全体会議で改善策を検討する内容(12点)」を列挙し、このブログ上で、2回に分け、ひとつひとつ、教職員の意見を紹介し、僕の短いコメントを記述してきた。
 念のために、その内容(12点)を再掲すると――
(1)授業に関する教師の基礎・基本の修業方法の改善
(2)基礎学力保証という観点からの補習方法の改善
(3)各教科部会運営方法の改善
(4)教科企画書の改善
(5)地域教育力との連携の改善
(6)子どもたちの生活規律・学習規律の指導方法の改善
(7)部活動運営の改善
(8)子どもたちの職場体験学習の改善
(9)修学旅行の改善(主に時期)
(10)日常における教育相談の改善
(11)音声言語能力育成方法の改善
(12)生徒会活動の改善

 これまで(1)~(6)についてコメントした。
 ま、順番からいうと、今回は(7)からということになるが、実際の会議の進行は、データアップの方法に逡巡している僕のHPやブログより、はるかに速く、運営委員会→全体会(改善・改革案の決定)→(それを受けた)校務分掌会議・教科部会・領域部会での具体的施策の検討……と進み、ほとんどは既に結論が出ている。
 新年1月も残り少なくなった。
 これ以上、遅れると、僕のHPが学校歴から取り残されてしまう。
 僕のHPは時々、失速する。
 昨年もそうだった。
 失速の主な原因は、たいてい学校歴に僕がついていけないところにある。
 で、方針を変更し、結論(以下の「☆」の部分)だけを書くことにしたm(_ _)m。


(1)授業に関する教師の基礎・基本の修業方法の改善
 ☆模擬授業研修の増設。
 現行=年間の模擬授業回数100回→150回。
 これは(3)の「各教科部会運営方法の改善」と関係する。
 現行の教科部会は月に4回。
 新年度はこれに職員会議後の教科部会が新設される。
 月に最大5回。
 このうち1回の教科部会において模擬授業を実施することになった。
 詳細は研修部で検討中だが、あらましは――
 ①実施する当日の職員朝会で授業者、時間、場所を知らせる。(「当日」ではなく、「週のはじめ」あるいは「1週間前」という案も出たが、「当日」ということになった。この議論がすごくおもしろかった。)
 ②参加者は、当該教科の担当者と、その時間が空き時間の他教科の教員(自由参加)。
 ③実技教科(音楽・美術・技術家庭・保健体育)は、職員会議後の教科部会で実施する。
 概算、教科部会内で実施する模擬授業は、1教科年間7回。
 5教科+実技教科=6教科。
 7回×6教科=42回。
 現行100回+42回=142回
 これにその他の、視察&取材&どこ模(いつでもどこでも模擬授業の略等)等、特設模擬授業が加わるから、だいたい150回超ということになる。

(2)基礎学力保証という観点からの補習方法の改善
 ☆(継続審議)
 議論は白熱した。
 この議論になると、常に登場する――「補習」と「部活動」とが時間的にぶつかる……生徒もぶつかるし、顧問としての教師もぶつかる……部活動を一斉にスタートさせたい……保護者の中には部活動も正規の学習活動だと思っている人がいるので、きちんとやらなければ……等々の意見は、会議の冒頭で「部活動の教育的意義は理解できるが、つけるべき学力を保証できない責任をどう取るのか」「保護者には部活動が学校外の自主活動、教員にとってボランティア活動だということを説明すれば済むことだ」という反論(実際の議論はもっと強烈(*^_^*)で――ま、ことばは悪いが――完全に「殲滅」という感じ。
 これはこれでよかったと思っている。
 「部活動を一斉に……」という意見は、僕も団体競技の顧問なので痛いほどにわかる。
 しかし、いつまでもこういう議論に足を引っぱられていてはいけない。
 義務教育学校ではあくまでも学習指導要領の内容の徹底が第一だ。
 これをクリアーした上での部活動という原則は重く考える必要がある。
 学習内容が徹底できない学校は、学校ではない。
 補習については、これまでも、授業そのものの改善とともに、放課後や長期休業中などに時間を設定して実施してきた。
 でも、きょうの、あるいは、きのうの授業でつまずいた子どもにはなんとか対応できても、小学校2年で……あるいは小学校4年で……中学1年の1学期で……つまずいたという子どもには十分対応できていない。
 つまずいた子どもの保護者にしてみれば「できない子は親がいい塾を探してこいということですか?」とでも言いたくなるような状況だ。
 これをなんとかしたい。
 公立中のプロ教師集団が、つまずいている子を塾に託していてどうするのか。
 高等学校にトコロ天突式にほうり出してどうするのか。
 審議の途中、「1週間に2日、放課後30分間の補習時間を設定する」という案が出された。
 これに対して、「1週間に2日だけ、それも30分間だけというような設定をしてどれほどの効果があるのか、ほとんど効果があがらないということはみんながわかっているではないか」という反論。
 審議はまだまだつづく。

(3)各教科部会運営方法の改善
 ☆職員会議後の教科部会新設
 (週1回の教科部会は現行通り)
 ☆音楽・美術合同部会の新設(週1回)
 ☆実技教科部会の新設(職員会議後)

(4)教科企画書の改善
 ☆各教科共通項目の新設

(5)地域教育力との連携の改善(MINAMIネット事業の一環として)
 ☆新コーディネートシステムの始動
 地域教育力との連携(保護者・地域の教育力の活用)については、次の点に留意して具体的な活用方法を検討する。
 ・(保護者・地域の方々に対して礼を失する表現になることを恐れずにいえば……)活用せざるをえない領域と、活用しなくてもやっていけるが、活用することによって、学校の教育力、家庭・地域の教育力がアップする領域。
 前者はもちろんだが、今後は、後者をも視野にいれて教育計画を立てる。
 ・活用領域には、完全に教育課程内、完全に教育課程外(例=部活動)ともに視野に入れる。
 ・保護者・地域の教育力には、優れた知識や技能を有する人々という発想の方向と、そういう知識や技能に限定しないで多くの人々の力を活用するという発想がある。
 前者はもちろんだが、今後は、後者にウェィトを置いて教育計画を立てる。
 ・実現可能な分野に限定して現実的に思考すると同時に、非現実的かもしれないけど、こういうことを地域の方々や保護者の方々とといっしょにやっていければいいなあ……という案もどんどん提案していきたい。

(6)子どもたちの生活規律・学習規律の指導方法の改善
 ☆月1回の簡易版アンケート&評価票新設

(7)部活動運営の改善
 ☆(長期展望のもとに方針再確認。詳細後日)

(8)子どもたちの職場体験学習の改善
 ☆MINAMIネットと連携し、2学年3日間で実施。
 活動エリアはMINAMIネットエリア(おおむね校区と一致する)に限定。

(9)修学旅行の改善(主に時期)
 ☆(来年度の日程決定)

(10)日常における教育相談の改善
 ☆月1回の簡易版アンケート新設(上記6と同じ)
 ☆教育相談に関する研修新設。
 本校の実力を考えると、これはぜひともやらなければいけない研修だ。
 これと、模擬授業増設案とがぶつかってしまい、先の通り、150回超でとどまってしまった。
 やむをえない。

(11)音声言語能力育成方法の改善
 ☆音声言語能力育成に関する部署新設(教務部内)

(12)生徒会活動の改善
 ☆(①短学活と生徒会活動の日常的接続 ②代議員会の活性化 この2点を視点に部内で改善案を検討する。)――審議結果の概略、以上。

★今回の教育課程編成会議では、これまで改善・改革したいと思いながらも、そのハードルが高く、なかなか手がつけられなかった……ということに対して、英知を結集し、何点かについて、具体的な改善・改革に向け、一歩、二歩と前進できた。
 具体的な改善・改革案にたどりつくことができた案件はもちろん、たどりつくことができなかった案件も含め、久々に心が踊った。
 「教育っておもしろいなぁ……」という思いがからだじゅうをかけめぐった。
 教職員全員で、違う意見の者が、ま、月並みな表現だが、同一のテーマをめぐって意見を出し、戦わせ、状況を、より的確に、立体的につかむことができるようになる。
 そのうえで、いくつかの、いくつもの意見をアウフヘーベンさせ、具体的な施策を提示できるようになる。
 感覚的には「やれやれ、やっとここまで来たか……」というところなのだが、「ツメ」「決断」のことを考えると、これからがなかなか大変。
 気持ちを引き締めて教育哲学をしていかなければならない。

 余談になるが、大阪市立桜宮高校問題に関して、橋下市長が要求する同校の教員総入れ替え案――
 僕は、これまで自分が集めた大阪市立桜宮高校に関する情報、ならびに自分のこれまでの経験(主に「失敗」)から判断すると、多少の困難はあっても「総入れ替え」を勇断、実行すべきだと考えている。
 だが、今、僕が述べている教育課程編成&それを支える教育環境づくりを、一からやらなくてはならないから、大幅な人事の刷新は可能でも、総入れ替えはむずかしい。
 確実に学校が壊れる。
 学校は壊れてもいいが、子どもたちが露頭に迷うのはやはり困る。


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★茂木健一郎氏の誓い。ああ、これ、いいなぁ~(^_^)v

2013-01-24 16:26:10 | 僕のモンマルトル日記

 

2013/01/24(木)16:14
★茂木健一郎氏の誓い。ああ、これ、いいなぁ~(^_^)v

★けさ、たまたま茂木健一郎氏のブログをみたら、最新記事(2013/01/22)の末尾が次のようになっていた。
 「48歳の時に、60歳までの12年間を、0歳から12歳までの12年間と同じくらい激動の日々にしたい、と誓い、願ったのだった。」
 ああ、これはいいなぁ~と思った。

 僕も一度、同じような誓いを立てたことがある。
 MINAMI赴任時のモットー「新選組、函館戦争まで5年」だ。
 すなわち、新選組の5年間以上のドラマを創出する!という心意気だった。
 経過の詳細ははしょる(ノ△・。)。
 「はしょる」といいながら、少し書くと、土方のような最後でもよかったのではないか……と後悔している(ノ△・。)。

 今年のモットーは「僕のモバイル(Let's note S10 CF-S10CYBDR)がボロボロになるまでキーボードを打ちまくる」だ。
 購入して1年半になるが、あまり仕事をせず、なまけているせいか、まだ新品同様だ。
 1月も残り1週間。
 モバイルボロボロ状態を目指して、急がなければならない。

★画像は、庭のヒヨドリ。
 カメラのレンズからヒヨドリまでの距離、1メートル半。
 身近にこういう人間的な鳥が棲息していると、豊かな気持ちになる。

★関連記事
★新選組の5年間以上のドラマを創出する!


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★僕にはできません。青山様の熱意とテクニックに期待します。どうか日本の子どもとセンセを助けてください

2013-01-24 11:34:11 | 僕のモンマルトル日記

 

職員室通信 部活動の「特殊業務手当増額」のたぐいは絶対に譲らないでください。これだけはアキマヘン
2013
01.24


★いいことがあった。

 不明になっていた、20※※年に関するデータの一部がでてきた。
 20※※年に関するデータというのは、粗く、次の3つだ。
 (1)ディスプレイ原稿用紙
 (2)WEB・DIARY元データ
 (3)仕事データ(含「論文」「通信」)
 ずっと不明になっていたのは(1)と(2)で、このうち(1)が、今、発見されたのだ。

 「(1)ディスプレイ原稿用紙」というのは、1日単位で、たとえば次のような内容が記されている。
 ①公私の受信メールや私的BBS投稿記事等のコピーと、それに対する僕の返信内容。
 ②僕のブレスト。
 ③(ブレストの結果として)一塊になった僕の思い。
 ④僕が興味関心をもった記事のコピー
 ⑤僕が興味関心をもったHPのURL
 ⑥僕の手紙&葉書の下書き等々……。
 20※※年365日分のごった煮だ。

★見つかった「20※※年ディスプレイ原稿」は、字数にして約600000字~700000字。
 発見は、まったく予想外の場所だった。
 MOフロッピーの1枚に「ホームページ素材」というのがある。
 ホームページを作成するときに使用する画像や、自作のバナー、ボタン、アイコン等を集めたものだ。
 この素材集の最後に――ほんとうに不自然なカタチで、ひとつだけ文書ファイルがくっついていた。
 「念のために」という題がつけられている。
 題の意味は、おそらく「既にちゃんとした場所に記録・保管されているのだから、なにも心配はないけれども、ま、世の中、一寸先は闇、なにが起こるかわからないから、念には念を入れて、ここ(MO)にもコピーして残しておこう」ということだろう。
 MOにコピーしたことは完全に忘れていた。

 きっとどこかに「20※※年」データはあると思っていた。
 しかし、永遠に見つからないかもしれない……とも思っていた。
 だから、もう大感激だ。
 まだ、「(2)WEB・DIARY元データ」が見つかっていないが、ま、これもきっといつか見つかるだろうし、そもそも(2)は(1)を蒸留させたものだから、あるにこしたことはないが、なくてもどうということはない。

★せっかく発見したのだから、その記念に、「ディスプレイ原稿用紙20※※年」から、その冒頭付近の、20※※年の、ある日の、僕らしい、そして、先日の「HN・小中野かなこ」という方への返信と同じように今後の僕の針路と密接不離の関係にある文字データの一部をコピーする。
 おなじみの、●氏に宛てたメールである。
 「●氏」の●は伏せ字だ。
 HNだから、そのままでもいいかもしれないが、わかる人には正体がわかってしまう。
 迷惑をかけることになってもいけないので、今回は、●氏を、僕の判断で勝手に「青山氏」に変える……。

 メールの内容は、20※※年2月20日に「21世紀のわが国の青少年健全育成はどうあるべきか?」というシンポジウムを企画をしていて、それに向け、出場者の1人である青山氏との打ち合わせ、あるいは「根回し」だ。

 ――さて、2/20の件で、金曜日に岩○氏(註=青山氏と同じくシンポジストの1人)と面談しました。
 まず冒頭に〈シンポジウムの基本方針〉を確認しました。
 ①流れ→(A)現状と課題の認識 (B)今後の方策と他領域への要望
 ②現状と課題に関する主張にあてる時間は最小限にして、今後の方策および他領域への要望に重点を置くが、課題認識の仕方について相互に確認する時間は確保する。
 ③シンポジウムを開催するだけでも意味はあるかもしれないが、それにとどまらず、一つでもいいから、「では、これはやろう」という具体的な提言に辿り着けるシンポジウムにする。
 その際、学校・家庭・地域社会全体で教育を充実していくための、具体的な「組織」や「システム」の在り方をさぐるという視点を見失わないようにする。

 子ども会については、岩○氏に対して、失礼かとは思ったが、話を深めるために、先に僕のほうから一般的な課題あるいは問題点をいくつか提示しました。

〈子ども会の課題〉
 ①少子化の影響で、子ども会によっては会員が数人しかいなくて、本来の子ども会活動が展開できない。
 ②学校部活動や塾通いの影響で、活動回数が極端に少ない。また実際の活動が長期休業中に限定される傾向にある。
 ③指導者の減少と高齢化。「1年間当番制」という義務的に引き受けている世話人が多く、長期に渡って計画的に活動を支援・援助する指導者が少ない。
 ④活動内容がマンネリ化している。全国子ども会連合会(=以下「全子連」と略す)の方針が〈子ども主体の活動〉〈話し合い活動重視〉であるが、世話人個人個人の視点で計画されるケースも目立ち、全子連の方針からかけ離れた活動になっている。
 ⑤ジュニアリーダーやシリアリーダーの輪(連携した活動)が拡がっていない。特に中学生の加入率が低い。
 ⑥拠点となる活動場所がない。
 ⑦関係機関・団体との連携が弱い。孤立している。(僕から提示した問題点 以上)

 岩○氏が、ボーイスカウトやガールスカウトなど他の青少年育成団体も含む形で主張するか、子ども会に限定するかについては、話し合いの結果、子ども会に限定してもらうことにしました。
 他の青少年育成団体については、コーディネーターの全子連会長にカバーしていただくよう、これからお願いするつもりです。

 岩○氏が述べる〈現状と課題〉のポイントは次の通りです。
 ①(僕も指摘した)世話人・指導者等の資質に関する問題。
 ②学校の諸活動(生徒会活動・部活動・宿題等)が、子どもの「時間」に占める割合が大きすぎ、子どもを圧迫している問題。(これについては、県教委主催のフォーラムで使った資料を提示するそうです。)
 ③ジュニアリーダー研修の意義と困難点。

 次に岩○氏が述べる〈今後の具体策〉のポイントは次の通りです。
 ①地区公民館職員など、青少年育成にかかわるスタッフの資質向上策を具体化する。
 ②学校部活動を休む、いわゆる「部活動をやらない日」を市内全小中学校で統一する。
 ③各地区の青少協(青少年生活指導協議会)の機能を、調整機能、行事企画機能など、全面的に見直す。

 以上、おおざっぱなものですが、これから、青山様の主張の骨格と絡めて細部を検討していくつもりです。

 次に、念のために、学校部活動全般についての僕の考えを記述してみます。

2013/01/23(水)14:40
★コレッリの「ヴァイオリンと通奏低音のためのソナタ集」を聴くために、スピーカーを取り替えた

★一昨日まで、毎日、毎日、バッハのブランデンブルグ協奏曲を聴いていたが、昨日からコレッリの「ヴァイオリンと通奏低音のためのソナタ集 Op.5(抜粋)」に替えた。
 1.第7番 ニ短調
 2.第8番 ホ短調
 3.第9番 イ長調
 4.第10番 ヘ長調
 5.第11番 ホ長調
 6.第12番 ニ短調「ラ・フォリア」
 寺神戸亮(バロック・ヴァイオリン)
 シーベ・ヘンストラ(チェンバロ、オルガン)
 ルシア・スヴァルツ(バロック・チェロ)
 [録音:1994年、ハーグ、旧カトリック教会]――
 昨年、江藤淳の弔い期間(6/21から命日までの1ヶ月間)に聴いていた曲だ。
 僕には同じ曲を聴きつづける性癖がある。
 だから、CDが2、3枚あれば、1年間、OKだ(^_^)v。

★というようなことをいっていたら、ふいに「いっちょぐいですね」と笑われたことを思い出した。
 誰かと食事をしているときだった。
 「同じものばかり食べる」という意味だと思う。
 ま、音楽も「いっちょぐい」ということになる。
 念のために、ネットで検索をかけると――
 ・「いっちょぐい」=偏食。一つのものに片寄って食べること(下北弁)。
 ・「いっちょぐい」=食事の際にご飯やおかずを平均に食べずに、一品ずつ平らげる行儀の悪い食べ方(宮古弁)。
 宮古弁といえば、学生時代、宮古出身の友人がいた。
 よく、いっしょに映画や食事に行った。
 このときに言われたのかもしれない。

★今回、CDといっしょにスピーカーも替えた。
 これから、しばらく、画像のような、ミニコンポにくっついてきた小さなスピーカーをピアノの上に置いて聴く。
 これまでは、音響コーラルFLAT―6Sだった。
 FLAT―6Sはいいスピーカーなのだが、師を弔っていた昨夏のイメージが強すぎるような気がする。
 FLAT―6Sは、しばらくDAKA古書店跡の片隅に休ませる。
 そうまでして、なぜ「コレッリ」なのか?は、今のところ、自分でもよくわかっていない。
 聴いていると、どこかに向かっていけると感じるのかもしれない。
 その「どこか?」も含めて、時間をかけて追求するつもりだ。

★なお、食事については、今でも「いっちょぐい」だ。
 手が一瞬、逡巡する。
 逡巡しつつも、しかし、結局、同じものに手をつける。
 なくなると、別の皿に移る。
 ホンマ、「一品ずつ平らげる行儀の悪い食べ方」だ。
 最後には、いっさい手をつけていない皿が残ることも多い。
 健康によくない。
 料理した人にも失礼だ。
 音楽の「いっちょぐい」はいいかもしれないが、食べ方は改めたい。

 
★関連記事
★江藤淳が聴いたはずの豪雨の轟きのコンチェルトに、コレッリ:ヴァイオリンと通奏低音のためのソナタ集を



 学校部活動およびそれから派生する諸問題に関して、誤解を恐れずに、結論だけを述べるなら、諸悪の根源は、学校及び教員にあると考えています。
 ここで、「大正」→「昭和・戦前」→「昭和・戦後」の教育課程外活動の歴史的変遷を述べるべきだと思いますが、時間と紙幅と自分のエネルギー不足の関係で省略します。(*^_^*)。
 青山様の〈ことば〉を借りるならば、教員が部活動を〈かけがえのない生き甲斐〉と感じたり、あるいは本意ではないにしても〈「部活やりてえ」〉教員の声に負けて〈いやいやながらも妥協し〉、結果的に支援する側にまわり、〈授業で生き生きさせる〉教員の本務遂行の努力を見失ったり、それを怠ったってきた責任は大きいと思います。
 家庭教育、地域教育への悪影響は当然のことですから、ここでは触れません。

 もっとも手間がかからない学校部活動改善策は、安い特別手当で生徒の技術指導から引率までをボランティア精神で請け負ってきた教員が「なんのための5日制ですか? わたしたちはもう部活はやりません」「部活はわたしたちの仕事ではありません」と教職員の権利を主張して、平日の勤務時間外や土日の部活動を担う体制を崩壊させてくれることです。

 したがって、僕は従来から、次のような主張は、〈部活動をかけがえのない生き甲斐〉と感じる教員や〈部活やりてえ〉教員の側の改善策、今の諸悪の根源体制を延命する策として、「原則的に」(←こんなふうに限定するのはちょっとズルイけど)否定しています。
 以下、さまざまな「主張」を列挙し、そのあとに「 → 〈僕の意見〉」というカタチで。

(1)部活動の位置づけを明確にすること。
 →〈位置づけるとすれば「学校教育外活動」「学校外活動」ですよ。
 部活動が2002年実施の現行学習指導要領で「特別活動」の項目から削除され、宙ぶらりんの状態になっていることに対し、次期学習指導要領の改定をめぐり、一部に「位置付けを明確にしてほしい」と、指導要領への「復活」を求める声が出ています。
 傍からは「明記すれば教員の重荷になるでしょう」と心配されているにもかかわらず、内部にこういう声が根強くあります。
 自分で自分の首を絞めるようなものです。
 日本の中学校教育は、まだまだこういう低レベルな状況にあります。
 バカバカしく、もうお好きなように……と投げ出したいくらいですが、ま、でも、そういうわけにはいきません。
 くりかえしますが、位置づけるとすれば「学校外活動」です。
 だれかが砦役にならなくてはいけません。〉

(2)部活動に関する諸問題を検討するため、教職員組合等が参加する「部活動問題検討委員会」を設置すること。
 →〈実はこの「×××組合」こそが諸悪の根源体制を延命させてきた張本人であるという歴史的経緯を見逃すことはできない。〉

(3)部活動にかかわる実質的な時間を調査し、生徒・教職員にとって、過大な負担にならないよう学校を指導すること。
 →〈これは学校が部活動をやることを前提にしたものの考え方なので、根本から同意できない。
 そもそも「学校を指導する」ってだれが指導するのですか?
 文科省ですか?
 県教委ですか?
 市町村教委ですか?
 どこをとっても、部活動の今後の改善策の在り方について、ひとつ方向を共有しているわけではありません。
 ま、徐々に近づきつつあるものの、それぞれ、やはり理念の持ち方のレベルが異なります。
 異なる理念と理念の壁は高い……と実感しています。
 つらい現実です。
 学校はパンク寸前……という言い方がありますが、違います。
 もう既にパンクしています。
 総合的な学習の時間にしても、もともとは部活動改革と抱き合わせだったはずです。
 教師のエネルギーは無限大ではありません。
 限られています。
 限られたエネルギーで、新たなことを加えようとすれば、他の何かを削らなくてはいけません。
 あたりまえです。
 だから「総合的な学習を新たにスタートさせますよぉ~。ついては、教師が部活動に携わる時間を大幅に削減しますからねぇ~……」というものだったはずです。
 ところが、いつのまにか、学校は部活動もやる……総合的な学習の時間もやる……ということになってしまいました。〉

(4)特殊業務手当を増額すること。また平日の勤務時間外の部活動指導にも手当を支給すること。
 →〈都道府県の中に一部、こういう愚行に出たところがあるようですね。
 10000%論外。
 これが一般保護者等に「部活動指導は学校教師の正規業務のひとつである」という大きな誤解を招いています。
 そういうものはいらない。
 やるとすれば、手弁当の無報酬ボランティアとしてやるか、生涯学習活動として自分も会費を出してやる。
 僕は、土も日も祝日も部活動に明け暮れましたが、特殊業務手当は一度も受け取ったことがありません。〉

(5)週休日等休日の部活動に関しては実質的な休日が確保できる方策を講ずるとともに、その部活動指導に関する回復措置を講ずること。なお近県の状況を調べ、代休制度を設けること。
 →〈(4)と同じく、10000%論外。
 お話になりません。〉

(6)週休日等休日の部活動引率旅費を支給すること。
 →〈これも、当然、10000%論外。
 お話になりません。〉

(7)部活動および必修クラブの指導に必要な用具、被服等を実態に即して支給すること。
 →〈これも論外。
 部活動と必修クラブを同一に考えるのは間違っています。〉

(8)週休日等休日の部活動引率にやむを得ず自家用車を使用する場合には、これを公用車扱いにすること。
 →〈これも論外。〉

(9)勤務時間内における部活動について、顧問が技術指導ができない場合、希望に応じて、外部指導者を依頼できるようにすること。
 →〈論外、本末転倒!〉

 で、これからが真の改革案というわけですが、なかなか、いろいろ、内にも外にも障害物がありますね。
 たとえば、これも青山様のことばを使用して述べるならば、〈部活動がしっかり指導できない学校は荒れる〉という認識から、〈授業がしっかり指導できないと学校は荒れる←これが正しい〉という認識に、一日にして切り替わるとは思えません。
 今の体制が、多くの問題を抱えているということは多くの人が認めています。
 しかし、認めながらも、それに代わる活動形態や、その形態と自分たちとのかかわり方が見えないために、旧態依然とした形態を20年、30年ととり、さらに続けようとしています。
 また、仮に切り替わったとしても、経験的に言えば、〈授業がしっかり指導でき〉る学校に容易に転換できるとは思えません。
 このことは青山様がいちばんご存知のはずです。
 さらにいえば、教育改革関係の諸答申に、学校の中核であるべき「授業論」が含まれていないことからもわかります。
 僕は「授業改善論」が中核になっていない学校教育改革論は認めません。
 また、子どもの部活動に熱心な親の問題をどうするか?
 熱心な親のエネルギー(←大きく分けて2種類のエネルギーがあるが……)をどういう方向に向けて、どう活躍していただくか?
 いつも申しますように、親の力は大きいと思います。
 真の教育改革は、PTAから……です。

 これらを踏まえて、理念実現に向けて、現実的なストラテジーを提示しつつ、一歩一歩(←当然、この一歩と一歩はつながっていなければいけない)改善し、青山様のいう新〈システム〉を構築していく必要があります。
 ①一歩 ②一歩 ③一歩……、あたりまえのことをいうようですが、③段目の一歩に飛びつかず、それを見据えつつ、①段目の一歩を大切にしたいと思います。
 今度のシンポジウムは、そういう一歩を提示する場にしたいと考えます。
 今の日本の学校教育は、まだこういうレベルです

 今、世間や教育界には、〈これまでの学校部活動の取り組みに対する敬意ある評価をしつつ、日本社会独自のスポーツクラブ観を形成し、「人生を豊かに送っていくためのスポーツ環境」を創出するのための、今、産みの苦しみ〉なのだと言う人がいます。
 〈日本社会独自のスポーツクラブ〉や〈今、産みの苦しみ〉は、同感ですが、〈敬意ある評価〉という発想は、きわめて不遜で、危険で、不用意だと思います。

 で、ここからが、いよいよ、シンポジウムにおける青山様の〈現状と課題〉と〈今後の具体策と他領域への要望〉となります。
 これまで述べたことは、青山様にとっては当たり前のことだと思いますが、わざわざ書いたのは、僕とどこが同じでどこが違うのかを明確にした上で、次に進みたいと考えたからです。

 頭が疲れて、構成力が極端に劣化していますので、アトランダムに箇条書きにさせてもらいます。

(1)2/17 午後1時にコーディネーター役の全子連会長がおいでになります。
 そこで、岩○氏と青山氏の主張の骨子を照合し、組み合わせ、おおよそのストーリーを作成します。
 そこで、お願いですが、青山様の〈現状と課題〉を5、6点と、〈今後の具体策と他領域への要望〉を5、6点を、日曜日の夕刻までにご提示ください。
 場所は、貴HPのBBSがよいかと思います。

(2)今も述べましたように、高い理念を見据えつつ、そこに向けて、ほんの1歩でも、たった1つでもいいから、会場の方々が「よし、やろう、これならできる」という現実的方向と方策を共有するシンポジウムしたいと思います。
 ですから、青山様も現実主義者を演ずる覚悟が必要かもしれませんね(*^_^*)。

(3)僕は常に、自分の根底に据えている「部活やりてェ教員=諸悪の根源」説や「土日の部活動を担う体制崩壊間近」説を前面に出して失敗しています。
 青山様には、なにとぞ、なにとぞ、くれぐれもくれぐれもブレーキをかけ、何度でも何度でも――さっきの話と矛盾しますが――(これまでの学校部活動に対する)「敬意ある評価」から入っていただきたいと存じます。
 この点、くれぐれも、よろしく、よろしくお願いします。
 しかし、「特殊業務手当増額」のたぐいは、絶対に譲らないでください。
 これだけはアキマヘン。
 必ず道を誤ります。
 必ず落とし穴に堕ちます。

(4)ブレーキブレーキとはいいながらも、しかし、しかし、「教育課程内で勝負」するプロ教師魂、「〈授業で生き生きさせる、授業で非行もいじめも不登校もクリアーする〉教員の本務遂行の努力」という点は、フロアの人々を「目からウロコ」状態に陥れてほしいと思います。
 テクニックがいるのだと思います。
 僕にはできません。
 青山様の熱意とテクニックに期待します。
 日本の子どもとセンセを助けてください。(←めちゃくちゃな期待でんなァ(*^_^*)。

(5)しかし、幸いなことに、この点では、コーディネーターの全子連会長が、青山様と同じ立場です。
 ですから、呼び水的、誘い水的な問いかけをしてくる可能性があります。(アトランダムの箇条書き、以上)

 2/20の前に、どうしても仕上げなければならない仕事があり、今夜も、ボロボロになりながら人生の激流を遡上する鮭のような気持ちで、バックが閉まらないくらいの書類を背負って帰ってきました。
 重苦しく、圧迫感を伴う、ヘビーで、憂鬱な、憂鬱な土・日になりそうです。
 なんか、大事なことを、忘れているような気もしますけど……、ま、今のところ、これで。
 思いだしたら、またメールします。(青山氏へのメール、以上)

★このあと、青山氏から、膨大な量の「〈現状と課題〉5、6点、ならびに〈今後の具体策と他領域への要望〉5、6点」が提示され、またそれについて縷々延々と記述しあうわけだから、ま、結構な執念だなぁ~と思いながらコピーした。

★画像=MINAMIの朝焼け。

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★そうまでして、なぜ「コレッリ」なのか?は、自分でもよくわかっていない。時間をかけて追求するつもりだ

2013-01-23 14:47:10 | 僕のモンマルトル日記

 

2013/01/23(水)14:40
★コレッリの「ヴァイオリンと通奏低音のためのソナタ集」を聴くために、スピーカーを取り替えた

★一昨日まで、毎日、毎日、バッハのブランデンブルグ協奏曲を聴いていたが、昨日からコレッリの「ヴァイオリンと通奏低音のためのソナタ集 Op.5(抜粋)」に替えた。
 1.第7番 ニ短調
 2.第8番 ホ短調
 3.第9番 イ長調
 4.第10番 ヘ長調
 5.第11番 ホ長調
 6.第12番 ニ短調「ラ・フォリア」
 寺神戸亮(バロック・ヴァイオリン)
 シーベ・ヘンストラ(チェンバロ、オルガン)
 ルシア・スヴァルツ(バロック・チェロ)
 [録音:1994年、ハーグ、旧カトリック教会]――
 昨年、江藤淳の弔い期間(6/21から命日までの1ヶ月間)に聴いていた曲だ。
 僕には同じ曲を聴きつづける性癖がある。
 だから、CDが2、3枚あれば、1年間、OKだ(^_^)v。

★というようなことをいっていたら、ふいに「いっちょぐいですね」と笑われたことを思い出した。
 誰かと食事をしているときだった。
 「同じものばかり食べる」という意味だと思う。
 ま、音楽も「いっちょぐい」ということになる。
 念のために、ネットで検索をかけると――
 ・「いっちょぐい」=偏食。一つのものに片寄って食べること(下北弁)。
 ・「いっちょぐい」=食事の際にご飯やおかずを平均に食べずに、一品ずつ平らげる行儀の悪い食べ方(宮古弁)。
 宮古弁といえば、学生時代、宮古出身の友人がいた。
 よく、いっしょに映画や食事に行った。
 このときに言われたのかもしれない。

★今回、CDといっしょにスピーカーも替えた。
 これから、しばらく、画像のような、ミニコンポにくっついてきた小さなスピーカーをピアノの上に置いて聴く。
 これまでは、音響コーラルFLAT―6Sだった。
 FLAT―6Sはいいスピーカーなのだが、師を弔っていた昨夏のイメージが強すぎるような気がする。
 FLAT―6Sは、しばらくDAKA古書店跡の片隅に休ませる。
 そうまでして、なぜ「コレッリ」なのか?は、今のところ、自分でもよくわかっていない。
 聴いていると、どこかに向かっていけると感じるのかもしれない。
 その「どこか?」も含めて、時間をかけて追求するつもりだ。

★なお、食事については、今でも「いっちょぐい」だ。
 手が一瞬、逡巡する。
 逡巡しつつも、しかし、結局、同じものに手をつける。
 なくなると、別の皿に移る。
 ホンマ、「一品ずつ平らげる行儀の悪い食べ方」だ。
 最後には、いっさい手をつけていない皿が残ることも多い。
 健康によくない。
 料理した人にも失礼だ。
 音楽の「いっちょぐい」はいいかもしれないが、食べ方は改めたい。

 
★関連記事
★江藤淳が聴いたはずの豪雨の轟きのコンチェルトに、コレッリ:ヴァイオリンと通奏低音のためのソナタ集を

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1月21日(月)のつぶやき

2013-01-22 02:32:01 | 僕のモンマルトル日記

@akanesizuka ★おはようございます。前回のしづかさんのコメント「御前と呼ぶ人もあります」はおもしろかったですね。静御前の舞を思い浮かべ、それが寺田町近くのバレー学校につながり……愉しい一瞬を過ごしました。こちら、正月に腰痛発症。いったん治りかけ、先日再発(ノ△・。)。


★600字の教育学・職員室通信=教師修業に模擬授業は有効だが、生徒役には工夫が必要。生徒役が優秀になりすぎるから。役作りの例→①やる気△能力△②やる気○能力△③やる気△能力○④やる気○能力○……各1名でいい。htv-net.ne.jp/~odaka599/


★600字の教育学・職員室通信=日本の学校教育の大部分は国語(日本語)によって行われている。だから、読むこと、書くこと、聞くこと、話すことについては国語科以外の教科もかかわっている。連携・融合策が必要だ。htv-net.ne.jp/~odaka599/★★★


★600字の教育学・職員室通信=改善・改革には粗く2つある。ひとつは悪い状態から脱出するための改革、もうひとつはよい状態をさらによくする改革。後者が難しい。問題がないと思っているから潜んでいる問題に気づかないhtv-net.ne.jp/~odaka599/


★600字の教育学・職員室通信=教育課程編成会議で「補習方法」が話題に。いい授業だと補習対象者が少ない。まずい授業だと補習対象者がふくれあがる。だから「教師の修業方法」にエネルギーを注いだほうが得策かも。htv-net.ne.jp/~odaka599/★★★


★600字の教育学・職員室通信=まず、適切な目標の設定、的確な指示・発問・語り等々、教師としての基礎・基本を鍛えよう。個人差への対応、グループ学習等は後でいい。順番を間違えると確実に落とし穴に堕ちるよ。htv-net.ne.jp/~odaka599/★★★★


★600字の教育学・職員室通信=いじめ対策はやるべき。が経験的に、いい授業をするといじめはなくなる。非行も不登校もなくなる。逆にまずい授業だといじめ等が増える。いじめ対策を講じても授業がまずいと効果は期待薄。htv-net.ne.jp/~odaka599/


★でも、さらっとやりたい「日常生活」もある。そのために「日常生活」枠=幅340ピクセルを創った goo.gl/4JbbX


★この画像、何かわかりますか? これを集めるクセがあります。僕の水準より一段上の上質な空気を感じます goo.gl/Sf1Kz



★この画像、何かわかりますか? これを集めるクセがあります。僕の水準より一段上の上質な空気を感じます

2013-01-21 15:31:51 | 僕のモンマルトル日記

 

職員室通信 ということは八戸市は日本の機関車になれるということですよ
2013
01.21


★僕のHPのコンテンツのひとつである「掲示板」に、HN「小中野かなこ」という方からうれしいコメントをいただいた。
 これは、そのコメントに対する返信である。
 この「返信」を、昨日から始めた「教育」枠=幅640ピクセル、「日常生活」枠=幅550ピクセルのどちらにコピーすべきか? 少し迷ったが、「教育」の僕の今後に大きく影響しそうなので「教育枠」を選択した(^_^)v。

★小中野かなこ様 
 長文のコメント、まことにありがとうございます。
 小中野かなこ様が述べておられるK&Y両先生には、僕がヒヨコ(新米)時代に――ま、その「ヒヨコさ」を後生大事に今のこの時までも色濃く残しているのが僕の特徴ですが(ノ△・。)――たいへんお世話になりました。
 当時、僕のあまりの「ヒヨコさ」に両先生は驚かれていたと思います。
 ハラハラされていたと思います。
 怒っていらっしゃったかもしれません。
 でも、両先生は、そのことはおくびにも出さず、対等に、あたたかく、ていねいに、同僚として扱ってくださいました。
 今回の小中野かなこ様のコメントを読み、そのことを思い出し、魂が震えました。
 熱いものがこみあげました。
 偉大な先輩です。

 K先生が、小中野かなこ様の学区にお勤めの頃、一度、お訪ねしたことがあります。
 たまたま通りかかったのか? 何か先生に用事があったのか?……それはもう思い出せません。
 グランドでソフトボールの指導をされていました。
 練習の休憩時間に、二人でベンチに腰掛けて話しました。
 内容は忘れましたが、先生の静かな語り口は今も僕の耳もとに鮮明に残っています。
 励まされ、心を熱くし、一礼し、グランドを辞したことが、きのうのことのようです。
 K先生とは――その後、僕が市役所で「学社融合都市の構築」に取り組むようになり、ちょうど先生が地区公民館の館長をされていたこともあり――奇しくも奇しくも、共に社会教育に携わるという光栄に浴しました。
 小中野かなこ様のコメントのおかげで、ひさしぶりに魂の震えを覚え、僕自身の原点を再確認することができました。
 心より感謝申し上げます。

 さて、小中野かなこ様のおっしゃる学社連携&融合&協働について、僕はかねてから大阪府の実践に――ま、僕の理念と若干、異なるところはあるものの――注目しています。
 よくやっていると思います。
 学社連携&融合&協働のコミュニティーづくりの「大阪方式」といっていいでしょう。
 しかし、おもしろいことに、大阪府のほぼ全市町村でやっているのに、大阪市は別なことをやっています。
 いわゆる府市あわせ(不幸せ)状態の典型ですね(*^_^*)。
 これを解消するために松井、橋下両氏は、ご承知の通り、日々、奮闘努力をしています。
 このことに敬意を表します。
 ただ……しかし……、橋下氏の言動から、この貴重な「大阪府の実践」に橋下氏が気づいていない、あるいは気づいていても無視している……ということがよくわかります。
 ああ、もったいないなぁ~と思います。
 僕は内心、大阪から学社連携&融合&協働に新しい風を……と期待していましたので、ホンマ、ああ、残念やなぁ~……と落胆しています。

 ま、そこで――ここが小中野かなこ様に聞いてもらいたいところですが――大阪に負けないくらい、学社連携&融合&協働の実績を有する――この点では日本で3本指に入る――青森県の出番です。
 青森県には、もちろん八戸市も含まれています(^_^)v。
 八戸市はひょっとしたら自覚していないかもしれませんが、学社連携&融合&協働では、青森県の機関車役を務められるくらいの実力を有しています。
 ということは日本の機関車になれるということですよ。
 僕は、あちこちで「八戸方式」といって宣伝しています(*^_^*)。
 これから2年くらいかけて、いろいろな方々と力を合わせて、「青森方式」を確立するつもりです。
 「青森方式」を全国に発信するつもりです。
 このことに関連し、コミュニティづくりの先駆者である小中野かなこ様のエリアにも調査研究のためにおじゃますることもあるかもしれません。
 そのときは、なにとぞ、よろしくお願い申し上げます。
 新しい年が、小中野かなこ様にとって、さらに僕にとっても、よい年になりますことを祈念して、キーボードの指を止めます。(掲示板への返信コメント、以上)


2013/01/21(月)15:10
★でも、さらっとやりたい「日常生活」もある

★けさ、起きがけに、昨日の「日常生活」枠=幅550ピクセルに加え、「日常生活」枠=幅340ピクセルを創った(*^_^*)。
 「教育」枠=幅640ピクセルに対して、「日常生活」枠=幅550ピクセルは、ちょっと大き過ぎる。
 幅550ピクセルをやめるわけではない。
 これをメインにやるつもりだ。
 でも、さらっとやりたい「日常生活」もある。
 そのために「日常生活」枠=幅340ピクセルを創った(*^_^*)。

★この画像、何だかわかりますか?
 僕はこれを集めるクセがあります。
 これに、僕の水準より一段上の、上質な空気を感じるからだと思います。
★正月に、今年は、twitter版「職員室通信」(1ツイート、実質、100字)をやるといっていたが、その日に試験的に2ツイート発信したままになっていた。
 本日、ひさしぶりに6ツイート発信する。

〈お正月の2ツイート〉

★600字の教育学・職員室通信=元南海の野村監督が「野球が幼い」という言い方をする。幼い野球があるように、幼い教育もある。たいていは、その学校の教員が「やるべきこと」と「やらなくてもいいこと」の区別がついていない場合だ。http://www.htv-net.ne.jp/~odaka599/ ★★★★★

★600字の教育学・職員室通信=「やるべきこと」の代表例……学校内の子どもの安全確保、教材研究(授業づくり)、指示・発問・語りの修業、試験運営(問題づくり、試験監督等々)。「やらなくてもいいこと」の代表例……部活動。http://www.htv-net.ne.jp/~odaka599/★★★★★(←余りスペースは★を連ねることにする(^_^v)

〈本日の6連発ツイート〉

★600字の教育学・職員室通信=★教師修業に模擬授業は有効だが、生徒役には工夫が必要だ。ただやると生徒役が優秀になりすぎる。役作りの例→①やる気△能力△ ②やる気○能力△ ③やる気△能力 ○④やる気○能力○……各1名でいい。http://www.htv-net.ne.jp/~odaka599/★★★★★

★600字の教育学・職員室通信=日本の学校教育の大部分は国語(日本語)によって行われている。だから、読むこと、書くこと、聞くこと、話すことについては、国語科以外の他の教科もかかわっている。教科間の連携・融合策が必要だ。http://www.htv-net.ne.jp/~odaka599/★★★★★

★600字の教育学・職員室通信=改善・改革には粗く2つある。ひとつは悪い状態から脱出するための改革、もうひとつは、よい状態をさらによくするための改革。後者が難しい。「問題がない」と思っているから潜んでいる問題に気づかないのだ。http://www.htv-net.ne.jp/~odaka599/★★★★★

★600字の教育学・職員室通信=教育課程編成会議で「補習方法の改善」が話題に。いい授業だと補習対象者が少ない。まずい授業だと補習対象者がふくれあがる。だから「教師の修業方法」にエネルギーを注いだほうが得策かもしれない。http://www.htv-net.ne.jp/~odaka599/★★★★★

★600字の教育学・職員室通信=まず、適切な目標の設定、的確な指示・発問・語り等々、教師としての基礎・基本を鍛えよう。「個人差への対応」「グループ学習」等は後でいい。順番を間違えると確実に落とし穴に堕ちるよ。http://www.htv-net.ne.jp/~odaka599/★★★★★

★600字の教育学・職員室通信=いじめ対策はやるべきだ。が、経験的に、いい授業をするといじめはなくなる。非行も不登校もなくなる。逆に、まずい授業だといじめも非行も不登校も増える。いじめ対策を講じても授業がまずいと効果は期待できない。http://www.htv-net.ne.jp/~odaka599/★★★★★ (「6連発ツイート」、以上)

 ま、塵も積もれば……ということだ。
 元旦ブログで、僕にとっての「メモ」の意味、あるいは「ウィスキー・メモ」、「ワイン・メモ」の話をしたが、まず、「メモ」的にやってみるつもりだ。
 試行錯誤しつつ、いいカタチを究めていきたい。
 年の暮れ、どんなカタチになっているか、楽しみだ。






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★でも、さらっとやりたい「日常生活」もある。そのために「日常生活」枠=幅340ピクセルを創った

2013-01-21 15:17:54 | 僕のモンマルトル日記

 

2013/01/21(月)15:10
★でも、さらっとやりたい「日常生活」もある

★けさ、起きがけに、昨日の「日常生活」枠=幅550ピクセルに加え、「日常生活」枠=幅340ピクセルを創った(*^_^*)。
 「教育」枠=幅640ピクセルに対して、「日常生活」枠=幅550ピクセルは、ちょっと大き過ぎる。
 幅550ピクセルをやめるわけではない。
 これをメインにやるつもりだ。
 でも、さらっとやりたい「日常生活」もある。
 そのために「日常生活」枠=幅340ピクセルを創った(*^_^*)。

★この画像、何だかわかりますか?
 僕はこれを集めるクセがあります。
 これに、僕の水準より一段上の、上質な空気を感じるからだと思います。

★関連記事
★みなみの大阪人には「西」の遺伝子が組み込まれているにちがいない。


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★「教育」は剣をもっている。「日常生活」も剣をもっている。フラフラ近づくと、どちらかが切られてしまう

2013-01-20 11:47:18 | 僕のモンマルトル日記

 

職員室通信 「よい状態をさらによくする」ための改善、あるいは改革は、なかなかむずかしい
2013
01.20


★前回の教育課程編成に関する会議について、「全体会議で改善策を検討する内容(12点)」を列挙する……のつづき。

★(4)教科企画書の改善
 だれでもわかることだが、日本の学校教育の大部分は、国語(日本語)によって行われている。
 だから、読むこと、書くこと、聞くこと、話すことについては、理科・社会をはじめとする他の教科もかかわっているという側面を忘れてはならない。
 先日、理科担当のK教諭が漢字練習プリントのチェックをしていた。
 不思議に思い、のぞいてみると、プリントの最上部に〈漢字を覚えるまで書きなさい(最低3回)。ゆっくりていねいに書きなさい〉とある。
 そして、上から下に15の単語が並んでいる。
 〈根毛〉 (生徒が練習するスペース)
 〈主根〉 (生徒が練習するスペース)
 〈側根〉 (生徒が練習するスペース)
 〈師管〉 (生徒が練習するスペース)
 〈……〉 (生徒が練習するスペース)
 僕は「おお!」と歓声をあげてしまった。
 国語科と同じだ。
 ま、僕だったら、単語にまずよみがなをふらせるのに……とも思ったけれど(*^_^*)。
 〈側根〉〈師管〉等は理科固有の学習語彙だ。
 しかし、語彙を構成する一語一語、あるいは習得方法は共通だし、この学習語彙が他教科の授業や日常生活のなかで役立つ。
 学習事項には、このように固有と共有の2面がある。
 国語科でやっている。
 理科でもやっている。
 おそらく社会や技術家庭科などでも、こういうことはあるはずだ。
 これはまた「話す力」や「聞く力」などについてもいえる。
 実際、そうでなければ、これからの社会で求められる「言語力」(たとえば、よく話題になるPISA型言語力)は育成できない。
 ところが、実際問題として、各教科間ではほとんど連携がとられていない。
 てんで、バラバラに行われている。
 もったいない話である。
 「総合的な学習の時間」の大失敗の、いちばんの原因は、ここにある。
 教科2つ、あるいは3つが連携・融合すれば、すばらしい教育活動になる。
 この「各教科間の連携・融合・協働」を、職員会議や教科主任会のテーマにするために登場場するのが、本校の「教科企画書」(毎月発行)だ。
 「教科企画書」には、国語科でいえば、どのような言語力を身につけさせるために、現在、どのような活動をしているのか、どんな困難点あるいは課題点があるのか、そして、この点について、他教科にどういうことを望むのか……ということを明示する。
 しかし、現状は、この「企画書」が不発である。
 やるにはやっているのだが、ねらった効果はほとんど、いや、まったくあがっていない。
 現時点で出されている意見として――
 ①作成すること自体に意味がある 
 ②現行の様式自由から、共通項目+教科独自の項目に改善……などがあがっている。



★(5)地域教育力との連携の改善(MINAMIネット事業の一環として)
 このことについては、本校としては、これまでも繰り返し述べてきたように、「サポータークラブの結成・活動」という方向で地域教育力との連携を推進したいと考えている。
 「サポータークラブ」とは、保護者・地域の人々・教職員を対象に――
 「やってみたい人が」
 「やれるときに」
 「やれることを」……をモットーに、登録者を募る。
 活動分野は、これまでMINAMIネット事業推進委員会で話題になったものとして、(あくまでも例として……)
 ①環境サポーター=図書室の整理・花壇の整備・掲示板等の装飾(以前地元新聞に紹介された桜等)
 ②ホームページサポーター=PTAやMINAMIネットのホームページの作成(作業は各家庭で)
 ③地域連携サポーター=地域活動や行事とPTAや学校とのコーディネート。MINAMIネットの支援等。
 その他、本校の学校部活動のひとつ、「総合文化部」への支援(パソコン・華道・茶道・料理・書道・ハングル語等外国語の指導)や、通常の授業への応援も考えられる。
 一気に多くの登録者を集めるというのではなく、少しずつメンバー(登録者)に集まってもらいながら、チームをつくり、そのなかで新しい活動を打ちだしていく計画だ。
 現時点で、継続的に活動しているサポータークラブは4つある。
 ①ホームページサポータークラブ。
 ②環境サポータークラブ。
 これまで、サポータークラブのメンバー総合文化部員とが中心になって活動してきたが、今後は、これに加えて、保護者・地域の方にも声をかけていく計画である。
 ③そして、3つ目は、今回、PTA広報「MINAMI」で特集が組まれた図書室サポータークラブ。

 現時点で出されている意見として――
 ①コーディネーター機能の充実&確立がカギ
 ②だれでもが取り組みやすい活動(例=花壇・草取り・あいさつ運動)をもっと増やしていく
 ③2学年で実施している職場体験活動を、MINAMIネットの枠組みで実施する……などがある。

 ①の「コーディネーター機能」については、僕としては、事業の継続性を考え、コーディネーター役を特定の個人に固定するのではなく、MINAMIネット事業推進委員会が担うという方向と、もう1つ、それぞれのサポータークラブのメンバーのだれかが担うという方向を想定している。
 この2つが連携するというのもよい方法だと思う。

2013/01/20(日)11:08
★「教育」は剣をもっている。「日常生活」も剣をもっている。フラフラ近づくと危ない

★ブログ記事を二重構造にすることにした。
 「教育」と「日常生活」を分ける。
 まったく別なものにしてしまうというのではなく――それだとブログを2つ開設することになってしまうので――「教育」の枠組みの中に「日常生活」の枠組みを作る。
 同じ幅だと押し合いへし合いになるから、「教育」の幅はこれまで通り640ピクセル、「日常生活」の幅は550ピクセルに。
 一昨年の秋にも同じような二重構造に挑戦している。
 しかし、長続きしなかった。
 今回の二重構造も短命に終わるかもしれない。
 それをあえて「またやろう」とするのは――
 ①「教育課程編成に関する会議」の記事と、「お好み焼き」「手鍋焙煎」の記事の同居は、やはりミスマッチだ。
 というか、僕の感情に即せば、「お好み焼き」等の日常生活が「教育記事」の中に埋没してしまう。
僕の「日常」をもっとくっきりさせたい(^_^)v。

 ②(さらに)最近――ま、これ、まったく僕のうちの問題だけれども――「教育記事」と「日常生活記事」が甘えあう関係になりつつある(ノ△・。)。
 たとえば、「ああ、きょうの教育記事は、割合、しっかり書けたぞ」というとき、「日常生活記事」がいい加減になる。
 その逆もある。
 ところが、現実は違う。
 「教育」(という仕事)は剣をもっている。
 「日常生活」も剣をもっている。
 本来、両者がフラフラ近づくと、どちらかが切られてしまうものだ。
 そのことはじゅうぶんわかっているつもりなのに、ああ、ずいぶんいいかげんなことをやってしまったのだなぁ~と、今、猛省している。
 猛省したうえでの、今回の二重構造への挑戦だ。

 ③「教育記事」と「日常生活記事」を混在させていると、どちらの記事も完結まで書ききらなくてはいけなくなる。
 特に「日常生活記事」。
 これはシンドイ話だ。
 その日の終わりの短い時間に書き切れるわけがない。
 だから、書きたい気持ちはあっても初めから書かないか、あるいは、書いたにしても中途でやめ、ほんとうはたどり着くべきゴールがあったのに、その姿がいつしかぼんやりと消えてしまうか……だ。
 区分をくっきりさせていると、「ああ、これはここで終わりなのではなく、つづきを書かなくてはいけない……」、あるいは「ああ、これは前回の日常のつづきだ」ということが読んでいる人にも、書いている自分にもよくわかる。

 ただ、一昨年の断念の例もあるので、このブログ記事の二重構造化は、一応、1月末までのテストケースとして、試行錯誤しながらやってみる。
 1月末の時点で再検討する。


★関連記事
★ホームページの袋(二重)構造に困惑。『勝つ~戦いにおけるツキとヨミの研究』発見。三島由紀夫割腹自殺

★(6)子どもたちの生活規律・学習規律の指導方法の改善
 「改革には粗く2つある」……、ひとつは悪い状態から脱出するための改革、もうひとつは、よい状態をさらによくする改革がある……ということが、よく言われる。
 僕は、今、本校で取りあげている「生活規律・学習規律の指導方法の改善」については、「よい状態をさらによくする」ための改善、あるいは改革であるというふうにとらえている。
 ただ、これまでいくつかの改革プランに携わり、提言をしてきた経験からいうと、むずかしいのは、2つの改革のうち、後者、すなわち「よい状態をさらによくする」改革のほうだ。
 理由は、2つある。
 ひとつは、「なにも悪くない、問題もない。だから、このままでいいではないか……」というふうに、口では「改善・改革」といいながら、なかなか気合いが入らないからだ。
 もうひとつは、「なにも悪くない、問題もない」と思っているから、実際には、問題が潜んでいて、ただ表に出て来ないだけなのに、それを見落としてしまうからだ。
 本校の「生活規律・学習規律」については、この2つに留意しながら、改善・改革に取り組んでいきたい。

 現時点で出されている意見として――
 ①提案(目標設定)→取り組み→評価……という目標管理がしっかりなされていない。
 たとえば、研修部から「今月の重点は、正しい発声をし、適切な声量で発言しよう……です」と提示され、これをもとに、各教科、各学年、生徒会が取り組むのだが、まず、この取り組みがバラバラである、
 加えて、評価も十分になされていない。
 この改善が必要だ。
 ②「生活規律」については、現行の学期1回の自己評価を、月1回程度として、合わせて、子どもたちの思いもくみあげる機会(例=アンケート)を設けるべきだ……などがある。(つづく)

★画像=環境サポータークラブによる本校恒例の繭玉飾り。







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★「教育」の幅は640ピクセル、「日常生活」の幅は550ピクセルに。「日常生活」単独の場合の例

2013-01-20 11:25:36 | 僕のモンマルトル日記

 

2013/01/20(日)11:08
★「教育」は剣をもっている。「日常生活」も剣をもっている。フラフラ近づくと危ない


★ブログ記事を二重構造にすることにした。
 「教育」と「日常生活」を分ける。
 まったく別なものにしてしまうというのではなく――それだとブログを2つ開設することになってしまうので――「教育」の枠組みの中に「日常生活」の枠組みを作る。
 同じ幅だと押し合いへし合いになるから、「教育」の幅はこれまで通り640ピクセル、「日常生活」の幅は550ピクセルに。
 一昨年の秋にも同じような二重構造に挑戦している。
 しかし、長続きしなかった。
 今回の二重構造も短命に終わるかもしれない。
 それをあえて「またやろう」とするのは――
 ①「教育課程編成に関する会議」の記事と、「お好み焼き」「手鍋焙煎」の記事の同居は、やはりミスマッチだ。
 というか、僕の感情に即せば、「お好み焼き」等の日常生活が「教育記事」の中に埋没してしまう。
僕の「日常」をもっとくっきりさせたい(^_^)v。

 ②(さらに)最近――ま、これ、まったく僕のうちの問題だけれども――「教育記事」と「日常生活記事」が甘えあう関係になりつつある(ノ△・。)。
 たとえば、「ああ、きょうの教育記事は、割合、しっかり書けたぞ」というとき、「日常生活記事」がいい加減になる。
 その逆もある。
 ところが、現実は違う。
 「教育」(という仕事)は剣をもっている。
 「日常生活」も剣をもっている。
 本来、両者がフラフラ近づくと、どちらかが切られてしまうものだ。
 そのことはじゅうぶんわかっているつもりなのに、ああ、ずいぶんいいかげんなことをやってしまったのだなぁ~と、今、猛省している。
 猛省したうえでの、今回の二重構造への挑戦だ。

 ③「教育記事」と「日常生活記事」を混在させていると、どちらの記事も完結まで書ききらなくてはいけなくなる。
 特に「日常生活記事」。
 これはシンドイ話だ。
 その日の終わりの短い時間に書き切れるわけがない。
 だから、書きたい気持ちはあっても初めから書かないか、あるいは、書いたにしても中途でやめ、ほんとうはたどり着くべきゴールがあったのに、その姿がいつしかぼんやりと消えてしまうか……だ。
 区分をくっきりさせていると、「ああ、これはここで終わりなのではなく、つづきを書かなくてはいけない……」、あるいは「ああ、これは前回の日常のつづきだ」ということが読んでいる人にも、書いている自分にもよくわかる。

 ただ、一昨年の断念の例もあるので、このブログ記事の二重構造化は、一応、1月末までのテストケースとして、試行錯誤しながらやってみる。
 1月末の時点で再検討する。4


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