職員室通信・600字の教育学

小高進の職員室通信 ①教育コミュニティ編 ②教師の授業修業編 ③日常行事編 ④主任会トピックス編 ⑤あれこれ特集記事編

『禅という名の日本丸』。口実を探し出し自身の衝動を抑制し日々が過ぎるのを待つ人間にいい仕事はできない

2010-09-29 16:46:13 | Weblog

10.09.29 鈴木大拙の衝動の伝播力!への羨望

◆ずっと以前(2005年頃)から、気になりつつ購入しなかった(たぶん、これから先も購入しないと思うけど……)『禅という名の日本丸』(山田奨治著)。

 禅ブームの火付け役、英語を自在にあやつる仏教学者、鈴木大拙。(学生時代のわたしは氏にあこがれ、心底、禅にのめりこんでいる^^;)
 この鈴木の発信内容が、「理想の自画像」を求める鈴木自身の衝動からくる創り出された情報、変換された情報であり、畢竟、日本文化の力を弱めてしまう結果となった……とする説。

 ――日本人は、自分自身をどうイメージしてきたか? 
 弓・石庭・禅など、日本文化の情報がどのように外国に伝わり、それが日本にどのように環流して、日本文化を組み替えていったか?

 ――人には他人からよく見られたいという欲求がある。
 しかし、自分の姿は鏡に映さなければ見ることはできない。
 われわれは、他人から見た自分の長所(たとえそれが誤解でも)に自分を一致させようとしているのではないか?

◆『禅という名の日本丸』の内容
第1章 ホンモノとイカモノのあいだ
第2章 弓と禅の謎
第3章 神話の解体
第4章 消された経歴
第5章 石庭はきれい?
第6章 鏡像の受容

 読んでいないので、これ以上のコメントは避けるが、わたしが引っかかっている……というか、心躍らせているのが「鈴木の発信内容が、『理想の自画像』を求める鈴木自身の衝動からくる創り出された情報、変換された情報」という箇所だ。

 3点。

(1)「情報を創り出」してしまうほどの衝動、「情報を変換」してしまう」ほどの鈴木の衝動に対する羨望の心が、わたしのうちに存在する。
 こういう「衝動」がないと、なにもできない。
 また「衝動」に、歪んでいない「衝動」などない。

(2)(鈴木大拙ではなく)わたしの教育に関する発信内容(知的で楽しい授業を創る基礎・基本の修業&学校・家庭・地域が連携・融合・協働できる教育システムづくり)も、いってみれば「自身が理想とする教育像」を求めるわたし自身の衝動からくる創り出された情報、変換された情報である。

(3)しかし、わたしの発信内容は、鈴木大拙の「情報」が外国に伝わり、それが日本に環流して、日本文化を組み替えていったほどの伝播力をもっていない。
 衝動力の差である。
 いろいろと口実を探し出し、自身の衝動を抑制し、日々が過ぎるのを待っているような人間に、いい仕事はできない(ノ△・。)。




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乱氏謎の発問「わたしが、今、心の中に思っている国旗をあててごらん」に生徒「そんなァ」と騒ぎつつ熱中!

2010-09-27 15:31:39 | Weblog

10.09.27 教室の座付き――「作者」ではなく^^;)、「記録者」として


◆遂に、調理用のはかりを購入。
 タニタ・デジタルクッキングスケール。
 非デジタル式と違って「容器の重さを0gに差し引き、追加計量もカンタン(風袋引き機能)」という機能があって便利だ。


 これまでのはかりは、目盛り表示が色落ちしたことに加え、それを覆うプラスチックカバーの透明度も落ちて、重さを読み取るとき、何度も目を懲らすようにしていた。
 そこで、カバーを取り払い、目盛りをサインペンでなぞって使用していたのだが、(それで十分機能を果たしていたのだが)、きょう、ケーズデンキに新型パソコンをひやかしにいったら(あくまでもひやかすだけ)、たまたま、デジタルクッキングスケールが目に入り、衝動買い^^;。

◆今夜はお好み焼きだ。
 豚玉を焼くつもり。
 お好み焼きの材料(キャベツ・天かす・乾燥エビ・紅生姜等々……)は目分量だが、薄力粉&強力粉だけは、きちんと計量している。
 さっそく、タニタ・デジタルクッキングスケールの出番だ(^_^)v。


 テンポのよい指示と発問と作業の組み合わせ


◆4校時、乱氏の授業を参観した。

 劇場の座付き作者のように、教室の座付き――「作者」ではなく^^;)、「記録者」として、教室の片隅に引っこんで、目の前にくりひろげられる「授業」をせっせと書き、1つの作品として仕上げ、その仕上げたものをもとに、「教育」を前に推し進めたい……と、毎日、毎日、憑かれたようにつぶやいているのだが、他の仕事に追われて、なかなか教室に入ることができない。
 明日の出張前に1コマだけでも……と、乱氏の劇場、いや、教室に飛びこんだのだった。

 乱氏の授業は、①リズムがいい。(これと密接不離の関係にあるものとして)②ムダなことばがない。
 テンポのよい「指示」と「発問」と「短い作業」が組み合わされているので、生徒は学習活動にグイグイと引き込まれていく。



◆出だしの場面――

T「ノートを開いて」
T「速いですね。磯谷さん、磯島さんが速いですね」
T「エンピツを置きなさい」
 たったこれだけだが、背後には「短い指示」「ほめる」「全員を集中させる」という片々の技術が組み合わされている。

◆出だしにつづく短い作業場面――

T「1分間だけ、これ(アメリカの国旗)をジーッと見てもらいます。
 見たものをよく覚えなさい。
 では、1分間、よ~い、スタート!」
  (1分間経過後)
T「今から4つの質問をします。
 ノートに①……②……③……④……と書きなさい」
T「質問をします。
 ①この国旗のニックネームは何ですか?
 ノートに書きなさい」
T「②アメリカの国旗は何色つかっていますか?
 パッと書いてね」
 (質問③、④省略)
T「書いたらエンピツを置きなさい(←志塚Tはこの指示を絶対に忘れない)。
 これ、全問正解すると、アメリカ王の称号が与えられます。」
T「はい、22番の人、だれ?
 手をあげて。
 磯島さんですね。
 では、磯島さんの列の人にあてます。
 はい、○○さん!」

謎の発問に生徒は熱中

◆その後の「謎の発問」場面――

T「青・白・赤を使った国旗は実はたくさんあるんですが、わたしが、今、心の中に思っている国旗をあててください。
 (「そんなァ」と生徒は騒ぐ)。
 地図帳をみてさがしなさい。
 時間は1分!(←時間指定を忘れていない)」
  (1分経過後)
T「はい、それでは地図帳を閉じなさい。
 こっち、見て」
T「ひじょうに速いですね(地図帳を閉じ、教師のほうを向く動作)、さすが1組!」
T「列指名であてるよ。
 必ず答えてね。
 わたしの心の中にないとダメね。」
 このあと列ごとに指名された生徒は「イギリス」「フランス」「チリ」「ロシア」「チリ」「ロシア」……と答えた。
T「これ以外の人?」
C「ルクセンブルグ」
C「オランダ」
C「キューバ」……

肩で息して挑戦するプロセスを

◆乱氏に注文、2点。
(1)短い作業が連続すると、やや緩慢な印象を受ける場面があった。
 「できない状態」から「できる状態」に向かって肩で息して挑戦していくプロセスがほしい。
 このプロセスが少ないと、生徒は「おもしろかった」し、「一生懸命やった」のだけれど、では、この50分間で何が「わかった」のか? 何が「できるようになった」のか?と問われると、どうもはっきりしないというレベルにとどまってしまうのではないか。

(2)「音読はエネルギー!」「音読はパワー!」「何でも音読!」が持論のわたしとしては、乱氏の「指示、発問、作業、解答……」のプロセスに(ここは重要だから)
 「いっしょに読みましょう」
 「全員起立、3回読んだら座りましょう」
 「念のためにもう一度読みましょう」等、音読場面がセッティングされることを熱望する。



◆乱氏の授業につづき、午後、2コマを参観した。
 その2コマはどちらも、わたし流にいえば、青い山脈型の説明スタイルだった。
 青い山脈型というのは、粗く説明すれば、教師が質問し、生徒たちの何人かが(あるいは場合によっては多くの生徒が)発言し、それを教師が「そうですね」あるいは「それは違います。他に……」などと進めていくスタイルのことだ。
 このスタイルがまだまだ残存している(ノ△・。)。
 これが5分、10分とつづくと、活動が一部の生徒に偏るため、手遊び、私語、うつむく生徒が増えていく。
 「青い山脈型」を「教師の指示・発問→生徒の具体的な小刻みな作業・活動」という型に変換する必要がある。
 この点、乱氏の授業はよく工夫されている。

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カランコロン男桐下駄〈葦毛崎→中須賀→大須賀浜→白浜〉縦貫作戦。鳴き砂を鳴かそうと力いっぱい踏み込む

2010-09-25 11:43:07 | Weblog

10.09.25 カランコロン男桐下駄〈葦毛崎→中須賀浜→大須賀浜→白浜〉縦貫作戦


砂浜だから、もちろん「カランコロン」というわけにはいかない。
 スパッスパッと下駄の歯がめりこんでしまう。
 よし、それでは鳴き砂を鳴かしてやろうと、力いっぱい踏み込むが、やはり音もなくめりこむだけ。
 画像は、あまりにしんどく、挫折しかかったときの男桐下駄^^;。


◆カランコロン、男桐下駄、〈葦毛崎→中須賀浜→大須賀浜→白浜〉縦貫作戦。
 敗戦の日(8/15)、戦没者を弔う旅の行程に、招魂社などに混じって大須賀浜を入れたことは、以前、このBlogにも書いた。
 あのとき、葦毛崎から中須賀を経て大須賀浜に至ったところで、その先の白浜を見はるかし、後日、機会があったら、カランコロン男桐下駄で白浜までのルートを縦貫したいと思いつつ、次の行程に向かうために葦毛崎に引き返したのだった。

 その「縦貫作戦」が、昨日、実現(^_^)v。

 砂浜だから、もちろん「カランコロン」というわけにはいかない。
 スパッスパッと下駄の歯がめりこんでしまう。
 よし、それでは鳴き砂を鳴かしてやろうと、力いっぱい踏み込むが、やはり音もなくめりこむだけ。

 画像は、あまりにしんどく、挫折しかかったときの男桐下駄^^;。

◆600字の教育学社
 ~ コーディネーターが、自然に育成される仕組みづくりが、第3の教育改革を推進する1つのポイント ~




◆教育危機の元凶は、学校・家庭・地域の教育力のバランスの悪さ(学校の教育丸抱え体制、もしくは学校の教育独占体制)にあり、これを解決する方策の1つが「学社連携・融合」だ……というのが、中教審46答申以降の一貫した改革理念(いわゆる第3の教育改革)だ。
 ただ、残念ながら、この学社連携・融合(=学校・家庭・地域の連携)が、なかなか進まない。
 理由は、粗くいうと、次の2点だ。
(1)連携のためには、それぞれの努力を「つなげる」(=コーディネートする)エネルギーが必要だ。
(2)学社連携(学校教育と社会教育)のためには、義務教育学校である小学校と中学校がガッチリと手を組むことが前提だ。
 この2つに関する認識が、ほとんど、あるいは、まったくなかったことだ。

◆この課題に対するわたしの方針・方策を2つ述べる。
 1つは、「中核エネルギーは小・中学校のPTA」という構想だ。

 もう、耳にタコができるといわれそうなくらい、くりかえし、くりかえし、話してきたことだが、学校・家庭・地域の個人や団体という、みなみ地域の教育を構成する点と点と点……とのあいだに(「点」の存在ではなかなか力が発揮できないので)つながりを創りだし、それぞれの立場で、自由に、気軽に参画できる教育システムをつくろうというのが、すこやかみなみネットの理念だ。
 そのためには、学校・家庭・地域の教育を総合的にとらえ、それぞれの活動や気持ち、努力を、つながりのあるものにする、中核となるエネルギーが必要だ。
 歩く人が多くなれば、道ができるというがが、経験的にいえば、最初に歩く人がいないと、なにもはじまらない。
 多少の困難はあっても、まず、わたしが歩く、歩きつづけるという「中核」が必要なのだ。
 すばらしい実践の裏には、必ずこの「中核のエネルギー」が存在する。
 その候補として、わたしはPTAを第一にあげたい。
 青少年の健全育成をめざす教育システム(=教育コミュニティ)づくりは、やはり子どもの親であるPTAが中核になるべきだと考えている。
 PTAの力は、(その潜在能力も含め)大きい。
(1)PTA会員は、学校の子どもの保護者であり、かつ地域の住民であるから、PTAはその存在自体が既にネットワークの芽を内包している。
(2)PTAは自主自立の精神に富み、高い実践力を有する、正真正銘、ほんものの社会教育団体だ。
(3)人材の宝庫である。毎年ほぼ「自動的」に30代~40代の会員を多数獲得することができる。
(4)組織の維持・継続のシステムが優れている。

 そのPTAにも、さらに中核となるエネルギーが必要で、それがPTA各委員会であり、PTA総務委員会であり、また、小中合同のすこやかみなみネット事業推進委員会なのだ。
 本学区の連携・融合事業の具体的な活動提案は、これまでの地域情報交換会で、各地域団体から、はっきりと提示されているのだから、今後は、「これは、なんとかみなみ小PTA○○委員会で……」「これは、なんとかみなみ中PTA○○委員会で……」「これは、みなみ小PTA○○委員会とみなみ中PTA○○委員会と合同で……」というように、具体的に、こまめに、ねばり強く、「調整」「交渉」していくことが大切だ。
 PTA会員ひとりひとりの応援・支援と、各委員会のコーディネート力が期待されている。

◆もう1つは、ボランティアバンク構想だ。
 PTAという組織を生かしたコーディネート力に対して、さまざまな活動から、自然にコーディネート力が生まれてくる仕組みづくりも大切にしたい。
 この構想を以下に述べる。

〈仮称・すこやかみなみネット・サポータークラブの創設〉については、ポイントだけを列挙する。
(1)「サポータークラブ」は、主に保護者(もちろん地域の人々も含む)を対象に、「やってみたい人」が「やれるとき」に「やれること」をモットーに、登録者を募る。
(2)活動分野は、事業推進委員会で話題になったものとして、
 ①環境サポーター=図書室の整理・花壇の整備・掲示板等の装飾(以前地元新聞に紹介された桜等)
 ②ホームページサポーター=PTAやみなみネットのホームページの作成(作業は各家庭で)
 ③地域との連携サポーター=地域活動・行事とPTAや学校とのコーディネート。すこやかみなみネットの支援等。
 その他、今年、新設された総合文化部への支援も考えられる。
(3)サポータークラブの代表者が、先に述べたPTA各委員会や、教職員、あるいは社会教育施設(公民館等)とのコーディネート役を果たす。
 一気に多くの登録者を集めるというのではなく、少しずつメンバー(登録者)に集まってもらいながら、チームをつくり、そのなかで新しい活動を打ちだしていきたい。

◆うれしいことに、このサポータークラブが徐々に稼働しはじめている。
 現時点で3つある。
 1つ目は、ホームページサポータークラブで、メンバーは柴田さん(48やん)とわたし。
 2つ目は、金見さんを中心とする環境サポーターで、これまで総合文化部員と活動してきたが、これに加えて、今後、保護者・地域の方にも声をかけていく計画だ。
 そして、3つ目は、図書室サポーターだ。
 メンバーとして数人の登録者があった。
 きょうの図書担当教員との話し合いで、学校側から、またサボーたー側から提案された内容は次のとおりだ。
(1)昼休みの図書の貸し出しの補助活動
(2)放課後の図書の貸し出し活動
(3)図書の整理(パソコン) (4)図書室の環境整備 (5)読み聞かせ
 スタートから、あれもこれも……といって間口を広げると、長つづきしないので、当面は、メンバー4、5人で、活動内容は(3)図書の整理(パソコン)からはじめ、徐々にメンバーを増やしながら、活動内容を充実していくことになっている。

 小中合同のPTA中核構想とともに、こうした学校・家庭・地域という垣根を越えたコーディネートのスキルとパワーをもった人々が、学区の多様な活動を通して、自然に育成される仕組みづくりが、第3の教育改革を推進する1つのポイントになるといえる。


◆スライドの作成=ホームページサポーターの48やん

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現在の拠点、ソファーの肘掛け部分だ^^;。肘掛けの上に小さな板を置き、その上にノートPCを載せている

2010-09-23 15:54:18 | Weblog

10.09.23 自分のようなアホに机はいらない



「自分のようなアホに机はいらない。夏目漱石のような仕事ができるようになったら買おう……」と、10代の後半から「机」は使っていない。ずっと、ソファーの膝の上、リンゴ箱、段ボール箱、食卓、食器戸棚の出っ張り……でやってきた。この画像は、現在の拠点、ソファーの肘掛け部分だ^^;。肘掛けの上に小さな板を置き、その上にノートPCを載せている。(遂に、永久に「机」は買えそうにない(ノ△・。)

◆600字の教育学社の新「拠点」?

 「自分のようなアホに机はいらない。夏目漱石のような仕事ができるようになったら買おう……」と、10代の後半から「机」は使っていない。
 ずっと、ソファーの膝の上、リンゴ箱、段ボール箱、食卓、食器戸棚の出っ張り……でやってきた。
 この画像は、現在の拠点、ソファーの肘掛け部分だ^^;。
 肘掛けの上に小さな板を置き、その上にノートPCを載せている。
 もちろん、そのままだと、グラグラして不安定だから、少し工夫して安定させている。
 画像右上、洗濯ばさみのコードはプリンターコード。

 わたしの身長より長いソファーだから、疲れたら、そのまま横になれる(^_^)v。(ま、それはいいけど、遂に、永久に「机」は買えそうにない(ノ△・。)





◆<市中体秋季大会報告会コメント「浪商に学ぶ」>

 各部の部長の報告を、今、ステージの下で、大事なところをメモしながら……というか、各部ごとに、わたしなりに10字前後にまとめる……という作業をしながら聞いていました。
 たとえば、柔道部=「攻める心、負けない心を忘れずに。」
 野球部=「日常の練習から甘さを廃す。」
 バレー部=「残った課題をいっしょに。」
 合唱部=「力の差をクリアーし全日本へ。」 ……
 こうして各部の部長の思いや願いを凝縮しながら聞いていると、人生の基礎を固める時期に、みなさんは、ああ、貴重な体験をしているんだなぁ~、ああ、確実に力をつけているたのだなぁ~と、胸がいっぱいになりました。

 さて、これから(さっき生徒会長からもあったように)秋の終わり、冬、来年の春、夏と、約10ヵ月の期間、チームとして、個人として、力をつけて、強くなるために、心がけてほしいことを短く3点述べます。
 
(1)第1点 「技」
 目標の技を身につけるまで、くりかえし、くりかえし、(ダメだ……と思ってあきらめたらおしまいですよ……)あきらめずにくりかえし鍛えて、高いレベルの技に挑戦してほしい。

(2)第2点 「基礎体力づくり」
 来年、市中体の前に、どんどんレベルが高くなってきたときに、ああ、もっと体力をつけておけばよかった……と後悔することがあります。
 同じことですが、ああ、体力をつけておけば、もっともっと高いレベルの選手になれたのに……と後悔することがあります。
 「技」ばかり追求しても強くなれません。
 「技半分、体力づくり半分」という心構えで練習に励んでほしい。
 10/10にマラソン大会をやりますが、自分たちの部から10位以内に何人は入れるか? 20位以内に何人は入れるか?……も、部としての基礎体力の、ひとつの目安になると思います。

(3)第3点 「心を磨く」
 これは2つあります。
 1つは、壮行式のときに話したことで、部の中で陰口を言い合ったり、悪いことをしたり……、これは論外です。
 自分たちで解決できなければ、解散、廃部にしたほうがいい。
 きょうは、もう1つ、別な話をします。
 それは、「他の人や後輩に、イヤなことを押しつけない」……ということです。
 ひとつ例を紹介します。
 今年の夏の全国高校野球大会の大阪代表は履正社でしたが、その履正社に惜しくも決勝戦で敗れた大体大浪商の話です。
 浪商は、これまで32回甲子園に出場しています。
 高校野球といえば、浪商でした。
 ところが、今は、甲子園には縁がない。
 30年以上、甲子園から遠ざかったいます。
 理由は、読売新聞の記事「名門復活へ人間性磨く」によると、先輩が後輩にイヤなことを押しつけることから始まっています。
 グランド整備をやらせる。
 ボール拾いをやらせる。
 移動のとき、物を持たせる。
 こういうのは3流、4流チームの共通点です。
 浪商は、このマイナスの連鎖を断ち切れず、成績は低迷したそうです。
 そこで、下条真佐美という選手が「こんなことをしているから甲子園に出られないんだ」と、あちこちでの修業を経て、2000年から母校浪商の監督に。
 今、部員全員(105人)が上下なく同じ練習。
 グランド整備は、上級生と監督が率先。
 学校周辺のゴミ拾い。
 「人間性を磨けば、試合でも強くなれる」が浪商の合い言葉になっています。
 決勝戦で敗れ、31年ぶりの甲子園の夢は果たせませんでしたが、先輩後輩、上下なく、練習に励み、人間性を磨いた浪商に心から拍手を贈ります。
 と同時に、みなさんが、先輩後輩、上下なく、練習に励み、心を磨き、ホンモノの人間に成長してくれることを強く願っています。

 なお、3年生、市中体期間中のハードなスケジュールをよくこなしました。
 何人もの先生方が、「市中体期間中は先生方のやりくりがたいのへんだけど、3年生がしっかりしているから安心だ」という声が聞かれました。
 ほんとんにうれしく思います。

 今、1、2年に、「技、体力、心」……という話をしましたが、3年生は、この「技」を入試のための学力ととらえてほしい。
 「体力」は健康、「心」は1・2年への話と同じです。
 これからの3年生のますますの奮闘努力に期待して、わたしの話を終わります。(「市中体秋季大会報告会コメント」 以上)


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昨夜の天ぷらをレンジで温め、お湯を沸かしインスタントみそ汁を作り、電気釜のご飯をよそりながら観たTV

2010-09-21 16:11:32 | Weblog

10.09.21 「筋金入りの(無人)駅鉄」をめざして(^_^)v



シャッターを押した瞬間は、「白銀駅空間=わたしの魂の内側」だと感じた。
 それでいいのだと思うが、画像を見つめていると、「白銀駅空間=わたしの魂の内側」か? 「白銀駅空間<わたしの魂の内側」か? 「両空間の端と端が接している」か?……と、限りなくブレつづける^^;。
 わたしの場合は、プロフィールに「筋金入りの(無人)駅鉄」と書くには、まだまだ修業が足りない^^;。


◆前回か、前々回のBlog〈大阪急行・無人駅線〉に「無人駅まで自分を乗せてきた気動車(キハ48)が、わたしを降ろしたあと、轟音を立て、排気煙を上げ、ユルユルと遠ざかっていく――その遠ざかっていく速度と同じ速度で、自分が魂の内側に向かって走り出す」というようなことを書いた。

 この画像は、気動車が(鮫方面に)遠ざかり、姿を消してしまったあとの無人駅・白銀駅の空間だ。

◆この空間と、わたしの魂の内側とは、いったい、どんな関係になっているのだろうか?

(1)この空間の中に、わたしの魂の内側があるのか? すなわち、白銀駅空間>わたしの魂の内側なのか?
(2)あるいは、反対に、白銀駅空間<わたしの魂の内側か?
(3)あるいは、白銀駅空間=わたしの魂の内側か?
(4)いやいや、そうではなく、まったくの別空間、すなわち、白銀駅空間≠わたしの魂の内側か?

 あるいは、この(4)との関連で、(5)「両空間が一部重なりあっている(融合)」とか、(6)「両空間の端と端が接している」とか……いろいろに考えられる。
 もちろん、(7)「無人駅によって異なる」、あるいは「そのときの精神状況によって異なる」ということも考えられる。

◆シャッターを押した瞬間は、(3)「白銀駅空間=わたしの魂の内側」だと感じた。
 それでいいのだと思うが、画像を見つめていると、(3)か(2)か(6)かと、限りなくブレつづける^^;。

 さっき、のぞいた某「鉄ちゃん」ブログの主が、プロフィールに自身のことを「筋金入りの乗り鉄」と書いていた。
 わたしの場合は、「筋金入りの(無人)駅鉄」と書くには、まだまだ修業が足りない^^;。

◆上記の「無人駅空間とわたしの魂の内側との関係」について、補足。

 「修業が足りない」と書いたのは、昨日、朝、NHK・TV「ホリデーインタビュー」〈だからボクは母をかいた~政治学者・姜尚中さん~〉(番組解説=在日2世の政治学者、姜尚中さんが、自分の母を主人公に実話を元にした初めての小説を発表した。小説を通して見えてきたものとは何か。姜尚中さんが、ふるさと熊本で語る)――を観たことと関係があるかもしれない。

 ま、「観る」といっても、朝食の準備をしながらの視聴だった。
 昨夜の天ぷらをレンジで温める。
 お湯を沸かしてインスタントみそ汁を作る。
 電気釜のご飯をよそる。
 わたしには結構、たいへんな作業だ。
 また、その朝食を取り、その日のスケジュールを(ちょっとイライラ)チェックながらの視聴だった。
 さらには、姜尚中氏の心のヒダを手探りしつつ言葉を発する姿勢に好感を持ながらも、大東亜戦争史観では相容れない立場の人物だという強い認識がわたしの根底にあって、わたしが一方的にブロッキングする厚い壁を隔てての視聴だった。
 だから、番組中の映像も言葉も、すべて、わたしの外側を流れていった。
 しかし、唯一の例外。
 魂の内側に焼き付いた場面がある。
 それは、ローカル線(たぶん熊本電気鉄道菊池線)の、どこかの駅で、姜尚中氏が、インタビューするアナウンサーといっしょにベンチに腰かけて談笑している場面だった。
 そこを観たわたしは、わたしは「(無人)駅鉄」であるかもしれないけれど、こんなふうに駅で、駅そのものではなく、駅から派生する身辺の瑣末、あるいは、駅にまつわる人生の片々について思考し、語る経験が不足している……と感じた。(ま、これも番組の趣意からは外れているから、畢竟、外側に存在しつづけていることに変わりはないのだけれど^^;)

 くりかえす。
 わたしには、駅で、駅そのものではなく、駅から派生する身辺の瑣末、あるいは、駅にまつわる人生の片々について思考し、語る経験が、圧倒的に不足している。(反面、バス経験は豊か^^;)

 補足、以上。

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学校の玄関に子ども達の長靴常備。長靴を履いて地域の方々と奉仕活動をしている子ども達の姿に心底、感激!

2010-09-20 12:05:09 | Weblog

10.09.20 学社連携のコーディネート力ーの構造があきらかにされないとダメ



運先日、学校支援ボランティア研究大会に参加した。 内容は、
(1)事例発表
 ・「学校支援推進から定着へ」岡本守氏(平内町東地区学校支援地域本部コーディネーター)
 ・「子どもたちの笑顔とがんばりのために」葛西彩子氏(五所川原市第三中学校区学校支援地域本部コーディネーター)
 ・「学び合い、助け合い、奉仕する学校支援ボランティア」江戸清氏(八戸市立根岸小学校校長)
(2)分科会(わたしは江戸清氏発表の分科会を選択)
(3)全体会 廣瀬隆人氏による、事例発表&分科会への講評と講演


◆しばらく放置状態になっていたBlog〈大阪急行・無人駅線〉や、HP〈WEB無人駅線の旅・JR八戸線〉を、再構築しようと思い立ち、新しい記事(JR八戸線・玉川駅編&白銀駅編)を作成したり、HPの壁紙を変更したりする過程で、1つの発見があった。

 この「発見」のおかげで、わたしと無人駅の関係について、これまでより1歩前進、あるいは1歩沈潜させることができたと思っている。

◆これまでわたしは無人駅を、そこに自分が存在することによって、魂の内側に沈潜しやすくなる場所……もちろん自分の部屋でも、あるいは他の場所でも沈潜できないことはないのだが、無人駅のほうが、スッと、溶けるように、沈潜できる……あるいは、自分の部屋や、他の場所の場合は、振りはらっても振りはらっても日常から離れられないことが多いが、無人駅だと、日常と非連続に、ポンと飛躍して思考・沈潜できる……というふうに考えていた。
 これは間違いではない。

 が、今回、「発見」といっているのは、その「無人駅現象」の、ま、いわばメカニズムとでもいうべきものに^^;、気がついたということなのだ。

 具体的な内容については、ぜひ、Blog〈大阪急行・無人駅線〉http://blog.goo.ne.jp/osaka-expressや、HP〈WEB無人駅線の旅・JR八戸線〉http://odaka.orz.ne.jp/sub114hachinohesen.htmlを、特にBlogの〈JR八戸線・白銀駅 魂の内側に向かう初速度と方向と〉を見ていただきたい(^_^)v。






画像は上から、岡本守氏(平内町東地区学校支援地域本部コーディネーター)・江戸清氏(八戸市立根岸小学校校長)・第3分科会・廣瀬隆人氏

先日、学校支援ボランティア研究大会に参加した。
 内容は、
(1)事例発表
 ・「学校支援推進から定着へ」岡本守氏(平内町東地区学校支援地域本部コーディネーター)
 ・「子どもたちの笑顔とがんばりのために」葛西彩子氏(五所川原市第三中学校区学校支援地域本部コーディネーター)
 ・「学び合い、助け合い、奉仕する学校支援ボランティア」江戸清氏(八戸市立根岸小学校校長)
(2)分科会(わたしは江戸清氏発表の分科会を選択)
(3)全体会
 廣瀬隆人氏による、事例発表&分科会への講評と講演

研究大会全体に対する、わたしの感想を、粗く、かつ、アトランダムに4点。

(1)それぞれの実践発表については、学社連携、学社融合、あるいは「協働」という観点からみて、たいへん興味深い内容だったし、また、わたし自身が、とても至り得ないようなレベルの内容も含まれていた。

 発表で心に強くのこったこと。

①岡本守氏の発表から。
 わたしの取ったメモがいい加減で、平内町立東小か東栄小か、どちらの学校の話だったのかはっきりしないのだが、学校の玄関に、子どもたちの長靴が常備してあるという話と、その下足箱の画像と、さらに、その長靴を履いて地域の方々といっしょに奉仕活動をしている子どもたちの画像に、心底、感激した。
 わたしは、清掃活動・奉仕活動を心の教育の中核に据え、「他のために汗を流し、そのことを喜びと感じる生徒の育成」をモットーに学校を経営しているのだが、「玄関に長靴常備」の話を聞いて、まだまだ、まだまだ、わたしは修業が足りないィ~と痛感。

 ②葛西彩子氏の発表から。
 ボランティアの方々が編集する、(大判の壁新聞的)学校支援ボランティア掲示板がすばらしい、おもしろい、ぜひ、わたしもやってみたいと思った。
 また、学校支援ボランティアルームを拠点に、ボランティアが学校内をブラブラしていて「支援」の可能性をさがすという話。
 わたしが目指しつつ至り得ない地点の話だ。

 ③江戸清氏の発表。
 根岸地区まちづくり計画の中に「学社融合事業」が含まれている。「学校に追い風が吹いている」という学校経営者しての発言は、おそらく実感なのだろう。
 うらやましい。

(2)次は辛口。
 「わたし自身、とても至り得ないようなレベル」の活動を展開しようとすると、(経験上、よくわかるのだが……)学校・家庭・地域間におけるコーディネートに、また、その活動を展開・継続することに、相当なエネルギーを要する。
 だが、3つの事例発表では、その「エネルギー」の構造が、一切あきらかにされていない。

 「エネルギーの構造」があきらかにされないと、いかにすぐれた実践活動であっても、他には転移しない。
 また、実践者がエネルギーの構造を自覚していないと、実践の継続はとても望めない。
 「学社連携論」が登場したのは昭和48年頃である。
 以来、常に教育界の重要なキーワードでありつづけた。
 しかし、わたしのこれまでの経験と実感に即していえば、期待通りの進展はなく、5段階評価の1、2のレベルにとどまっている。
 その1つの原因が「コーディネートに相当なエネルギーを要する」といった、その「エネルギーの構造」が明らかにされなかったからであると反省している。

 発表者が発表のポイントを理解していなかったのか?
 あるいは、それを語ることが、なにかひけらかすようで遠慮したのか?
 あるいは、エネルギーをだれか(たとえば学校の教頭とか、公民館の職員とか)が、肩代わりしてくれているのか?……。

 いずれにしても、発表依頼時に、念には念を入れて、この点をきちんと押さえておかなかったことは、企画・運営者(ま、わしも企画・運営者の1人だが……^^;。猛省)大きな反省点である。

(3)次も辛口。
 3つの事例発表は、いずれも小学校に限定した実践活動だった。
 小・中学校の連携がしっかりしていることが、学校側・地域側、双方向の連携推進の(絶対の)条件である。
 小・中学校の方針がバラバラだと、継続的な学社連携はほとんど進まない。
 きつい言い方をあえてすれば、学社連携に小学校は熱心だが、中学校は無関心というのでは、(ま、やらないよりはマシかもしれないが)ほとんど効果は期待できない。
 今回、中学校との連携について語られなかったのは、たいへん残念である。

(4)廣瀬隆人氏が「学校側が、ボランティアが支援のつっこみを入れやすいようなホコロビを見せることも大切だ」と、半分、ジョーク、半分、本気……のような話をされて、わたしも、半分、「その通りだなぁ~」と笑ってしまった。

 笑わなかった「半分」について。
 日本の教育は一般的にいって、学校が教育を丸抱えする傾向にある。(わたし流にいえば、「学校の教育丸抱え体制」あるいは「学校の教育独占体制」)
 わかりやすくするために、1、2、例をあげれば、子どもたちの学校外活動を、「学校部活動」として抱え込み、その結果として、地域の青少年活動(子ども会活動等)および、その仕組みを壊死、崩壊させてしまった。
 あるいは、家庭や地域における、いわば「社会的なしつけの仕組み」を、生徒指導(あるいは、道徳もか?)の名において抱え込み、家庭や地域の教育力を弱めてしまった。
 このことが教育の危機を増大させているのだという強い認識が必要である。(家庭や地域の教育力が弱くなったから、その役割を学校が肩代わりしている……という言い方がなされることがあるが、ほとんどウソである^^;。このことは、別項目で後日詳細。)。

 これを改めるためは、「ボランティアが支援のつっこみを入れやすいようなホコロビを見せる」程度では、とてもむずかしい(*^_^*)。
 抱え込んでいる側の学校こそが、家庭・地域と連携を深めつつ、ダムの水を徐々に放流するように、連携(分担)のためのアウトソーシング計画をもつことが喫緊の課題である。
 こういう認識の違いは、研究者(廣瀬氏)と学校経営者(わたし)の決定的な違いかなぁ~と思いながら、会場の青森総合社会教育センターの大研修室の、最前列の席に座っていた。


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「黒板に向かってしゃべらない」たったこれだけの努力で、瞬間、瞬間に限定しての話だが、黒帯のプロ教師に

2010-09-10 15:13:38 | Weblog

10.09.10 「教育世界」と「日常生活」の壁を突破する




乱氏に誘われて大学生(教育実習生)の授業を観にいく。懸命に「黒板に向かってしゃべらない」という努力をしていることが、よく伝わってきた。きっちりと黒板を「指し」つつ、きっちりと生徒と目を合わせ、きっちりと「語」っている。感心、いや、感動に近い気持ちで眺めた。画像は上から、T実習生・教室の子どもたち・乱氏

◆「設定」――自分のホームページの「時・人・場」の筋立て――に関する、長い、だらしない、苦しい、みっともない「逡巡」から、なんとか脱するきっかけになったのが、先日(8/15)の大須賀浜の出来事だ。

〈復習〉
(1)敗戦の日、戦没者を弔う旅の行程を組み立てているとき、2点、不思議なことがあった。
 ①行程のなかに、招魂社などに混じって、なぜか「大須賀浜」が入っている。
 ②毎年、敗戦の日に耳鳴りのように聞こえる「負けた、負けたと言うけれども、あたしは、そうじゃないと思うわ。ほろんだのよ。滅亡しちゃったのよ。日本の国の隅から隅まで占領されて、あたしたちは、ひとり残らず捕虜なのに、それをまあ、恥ずかしいとも思わずに、田舎の人たちったら、馬鹿だわねぇ」という声(太宰治・戯曲『冬の花火』の数枝の台詞)の聞こえ方が、なぜか、今年に限って切実、痛切に響く。

(2)はじめ、この2つの理由が、わたしにはわからなかったのだが、当日の夜になり、まず、②数枝の声の謎が解け、それに触発されるカタチで、①大須賀浜の謎が解けた。(解答の詳細、省略)

(3)それから、かなりの日数が過ぎた頃、ふと、「②数枝の声→①大須賀浜」の思考ルートではなく、その逆、すなわち「①大須賀浜→②数枝の声」ルートも可能だったのではないか?――、いや、むしろ、その思考ルートこそ、わたし本来の解決の仕方ではなかったのか?ということに気づく。

◆この(1)~(3)の経験が、ホームページの「設定」に関する逡巡から抜け出すヒントになる。
 逡巡の中核は、わたしの「日常生活」とわたしの「教育世界」との乖離だ。
 この詳細に触れると、また「書き助」&「書き魔」に陥るので、結論だけ――「②数枝の声→①大須賀浜」のように、あるいは「①大須賀浜→②数枝の声」のように、「日常生活」→「教育世界」、あるいは「教育世界」→「日常生活」と、どちらか一方を書き込むことにより――もちろん、両方について書き込んでもいいのだが――2つの世界の間にある壁が突破でき、もう一方の世界に至ることが可能なのではないか?

◆乱氏に誘われて大学生(教育実習生)の授業を観にいく。


◆T教育実習生が、懸命に「黒板に向かってしゃべらない」という努力をしていることが、よく伝わってきたし、その目標が、ほぼ完璧に達成されていた。
 下手な俳優は、親が息子の首根っこを押さえ「この親不孝者が!」とぶつ場面で、「セリフ」と「ぶつしぐさ」を同時にやってしまうが、上手な俳優はセリフのあと、そのセリフにこめられている幾種類かの思いをこめて、きっちりとぶつ演技をするといわれる。(この情報は、近時、TVから得たのか、インターネットから得たのか、もう出所を忘れてしまったm(_ _)m。)
 指導者が、板書事項を指して語る(説明する)場面もこれに似ている。
 きっちりと「指し」つつ、きっちりと生徒と目を合わせ、きっちりと「語」らなければならない。。
 きょうのT実習生は、これが出来ていた。
 感心、いや、感動に近い気持ちで眺めた。

 T実習生には、やや失礼な言い方になってしまうけれど、「黒板に向かってしゃべらない」という、たったこれだけの努力で、瞬間、瞬間に限定しての話だが、黒帯のプロ教師のように見えた。

◆指示・発問・語りのリズムもいい。
 ただし、そのリズムを重視したために、班や個人作業の達成状況の確認が、やや形式的に流れてしまった。

◆生徒への説明の過程で、重要部分や重要単語を押さえて、一斉音読させる場面について。

(1)「音読はパワー、いつでも音読、なんでも音読」。
 T実習生の指導者である公達研修主任が得意とする手法である。
 それを短期間でよくマスターしている。

(2)プロの教師がその手法を取り入れている授業ではなく、実習生がその手法を取り入れている場面を見て、ポイント音読の学習効果の高さを再認識した。

(3)「住居」を、生徒が「ジュウイ」と読む場面があった。
 欲をいえば、(ま、国語教師からすると)、ここは、正しい読み方を教えた上で、一斉音読させ、さらに「念のために」と、もう一度、一斉音読させてほしい場面だった(*^_^*)。(社国連携)

(4)生徒が一斉音読と個人音読の区別ができていない。
 個人で音読の指名を受けたときは、1人で学級全体に聞こえるように読むのだというギアの切り替えが必要で、このことの指導が今後の課題。

◆次に課題(=代案)を列挙する。

(1)逆接ではない、中止法の「が」は、指示場面では使わない。
 ×「教科書には~が書いてあるんですが、~ページを開きましょう」→「教科書には~が書いてあります。~ページを開きましょう」

(2)①発問し→②個人指名し→③解答を発表させて→④「はい、正解」とやるケースで、①発問が全体のものになっていない。③④「解答」が全体のものになっていない。

(3)さらに、④正解の生徒に対して「がんばりの認め方」がワンパターン。
 「いいですね」とほめるにしても、最低、3通り、いや、5通りはもちたい。
 「すごい」だって、同じ。
 ひとりひとりをほめる短い言葉を、たくさんもっていて、それを瞬間、瞬間、ポンポンと発する教師になってほしい。
 ほんの一言の、ことばがけが、子どもを成長させる。
 変容させる。
 

(4)上記の解答場面について。
 問題が3つのテーマに別れ、そのテーマごとに小問がいくつかあるという構成。
 わたしだったら、テーマごとに「全問正解した人?」「4問正解した人」とやって、達成状況をチェックする。(時間の関係もあるから、全テーマについて、やる必要はない。)

(5)授業はいくつかの段落で構成されている。
 新しい段落に移るときに、前段階をまとめ、次段階の目標を提示し、さあ、ここから新しいステージへいくんだという意識づけ、切り替えが必要。
 合わせ技として、同時に、机を整とんさせたり、姿勢を正させたり……ということもある。

(6)作業させるとき、当然、時間を指定する。
 このとき、教師が一方的に「2分」とやるのではなく、生徒自身に「自分だったら何分でできるだろう?」「先生は何分っていうんだろう?」と考えさせる、一瞬の間が必要だ。

(7)筆順がまちがっている漢字がある。国語教師として、わたしも、構造的責任を感じてしまうm(_ _)m。

 もちろん、プロ野球のピッチャーでいうと、9回完投というふうに、50分完投というわけにはいかなかったが、テレビドラマを撮るときのように、カット、カットでやると、いいドラマになるという授業だった。
 わたしが塾経営者で、その「ドラマ」を見せられたら、即、T実習生と契約するかもしれない。
 今後の活躍を祈るv。



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教育界の片隅に棲息する「600字の教育学社」の頑迷固陋のおやじさんがJazzを聴きウィスキーを飲んで

2010-09-08 14:23:52 | Weblog

10.09.08 教育界の片隅に棲息する「600字の教育学社」の頑迷固陋のおやじさん



画像は、日本教育界の片隅に棲息する「600字の教育学社」のおやじさん――「学校教育だけではなく、社会(地域・家庭)教育にも精通している」というのがセールスポイント、ただ、しかし、すごく頑迷固陋のおやじさん。その「わし」^^;が、今、Classic Jazzを聴きながら、ウィスキーを飲んでいる場所=「設定」

◆ここ、3、4日、このホームページ上の、あるいはBlog上の世界の「設定」を確定(*^_^*)しようと、苦悶していた。

 「設定」、すなわち――
(1)記述内容は、いつのことなのか?
(2)場所は、どこなのか?
(3)中心人物(「わたし」「わし」)は、日頃、どんな仕事や活動をしているのか?

 芸能人・政治家等のBlogが、結構、リアルに読めるのは、こういう「設定」がしっかりしている――というか、「設定」構築に対する本人努力の有無とは無関係に、大枠が既にさらされていて、こちらが、それを前提にして読むからだ。

 それにひきかえ、わたしの「設定」は――わたしは、決して、正体を隠そうとしているわけではないし、ま、はっきりいえば、元来、正体不明の言論活動は認めない(これ、念のために断っておけば、他の人が自分の正体を意図的にぼんやりさせながら情報を発信するのを認めないというのではなく、自分がそういうことをやるのは認めないという意味)という立場なのだが、しかし、「設定」そのものは――1年半前から完全に崩壊している(ノ△・。)。

◆幽霊にも――足はないかもしれないけれど――「設定」はある。
 幽霊にも設定があるのに……と、しばらくメソメソ(ノ△・。)していたが、こうしてメソメソ(ノ△・。)しているくらいだったら、いっそのこと「教育課程」に、がんじがらめにしばられる「設定」にしてみるのもいいかかもしれない……と思い立ち、昨日、今日と、その気になりかけていたのだが、「教育課程」にしばられるということは「教特法」にもしばれてしまうということに気づく。

 「教育課程」にしばられるのはかまわないけれども、「教特法」にしばられるのは困る……「教育課程」にしばられて「教特法」からは自由だというようなことは絶対にありえない……と、またまた逡巡→絶望。

◆しかし、さっき、逡巡&絶望の果てに、あっとひらめくものが……。
 わたしは、日頃、初対面の人と会うとき「『600字の教育学』を主催している■■××です」と名刺を出している。
 名刺のトップにも、そう表記してある。

 おお、これでいいではないか!(^^)!

 いったい、わたしは、なにを逡巡していたのか?
 これだと教育課程にも教特法にもしばられない。

 日本教育界の片隅に棲息する「600字の教育学社」のおやじさん――「学校教育だけではなく、社会(地域・家庭)教育にも精通している」というのがセールスポイント、ただ、しかし、すごく頑迷固陋のおやじさん(^_^)v。
 このおやじさんが、今、この画像の場所で、Classic Jazzを聴きながら、ウィスキーを飲んでいる……これが「設定」だ(^_^)v。


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鮫町は、あこがれ、あきらめ、幻滅、自棄、絶望……人生の感傷の陰影を即かず離れず、そっとくるんでくれる

2010-09-06 16:46:10 | Weblog

10.09.06 鮫町は人生の感傷の陰影を、即かず離れず、そっとくるんでくれる


ただ、マンデリンといっても、(ま、こんな話は、小春のパパのほうが十分知っている可能性がありますが……)浅煎りか中煎りか、あるいは深煎りか(.ライト→シナモン→ミディアム→ハイ→シティ→フルシティ→フレンチ→イタリアン)で、味が、まったく変わります。
 わたしは浅煎り派です。
 かなりの浅煎り派です。
 鮫の焙煎工房「珈琲の香」では――わたしの目の前で、焙煎してくれます。(画像は、「珈琲の香」の玄関。)

〈画像掲示板への小春のパパからの投稿に対する、わたしの返信コメント〉

 小春のパパの「鮫の路地」白黒画像にはシビレてしまいましたよ。
 軽食「ひげ」、居酒屋「五木」を抜けて、坂道を上っていくと商店街です。
 右に曲がると末廣寿司。
 ここのおやじさんにはお世話になりましたよ。
 これまでの自分の人生において、鮫町には、特殊な感慨があります。
 粗く、2点。

 1点は、わたしの畏友が鮫町の出身です。(これについて語り出すと、めちゃくちゃ長くなりますから、ここでは省略します。)

 もう1点は、その畏友とは切り離して、鮫町に対するわたしの「感じ方」――これ、なかなかうまく言えそうにないのですが、とりあえず、手さぐりで、ことばをつなぎ合わせると――わたしのうちにある、あこがれ、あきらめ、幻滅、自棄、絶望……これら人生の感傷の陰影を、鮫町というところは、即かず離れず、そっとくるんでくれるんですよ。
 この思いを、以前、鮫の人のほうから、証明し&裏づけしてもらったことがあります。
 夜のバスに乗っていて、鮫の某画家がJR八戸線・鮫駅舎内で開く作品展のポスターを発見。
 そのコピーに「最終の町なのだが、のどかである……心優しきプライドの町……独立の気概を孕んでいる……」とありました。
 わたしが鮫に抱いている印象と一致していました。

 鮫は、わたしにとって特別なエリアです。
 異質の空気が充満しています。

◆それから「マンデリン」の話。
 小春のパパから「マンデリン」の話が出るとは思いませんでしたよ(*^_^*)。
 自分にピッタリなコーヒーの味を求めて、いろいろな豆を試している過程で、ある豆を口にした瞬間――ま、自分にピッタリかどうかとはまた別の次元で――自分の精神の、堅固で、頑迷な枠組みの、その一角が瓦解し、まばゆい一条の光が射し込む感じがしました。
 これがマンデリンでした(^_^)v。

 ただ、マンデリンといっても、(ま、こんな話は、小春のパパのほうが十分知っている可能性がありますが……)浅煎りか中煎りか、あるいは深煎りか(.ライト→シナモン→ミディアム→ハイ→シティ→フルシティ→フレンチ→イタリアン)で、味が、まったく変わります。
 わたしは浅煎り派です。
 かなりの浅煎り派です。
 鮫の焙煎工房「珈琲の香」では――わたしの目の前で、焙煎してくれます。(トップの画像が鮫の焙煎工房「珈琲の香」の玄関です。)

 ところで、何十年も前、小春のパパに影響を与えた彼女は、いったい何煎り派だったんでしょうね????(^_^)v。


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京都の国勢調査HPに「けいおん!!」の画像を掲載しただけで1日に4万件のアクセスがあったり……う~ん

2010-09-05 15:22:38 | Weblog

10.09.05 練りに練ったストラテジーメモだったが……^^;



画像は、TVのライオンズVS.楽天戦生中継のため、完全キャンセルになった仕事のストラテジーメモ。盛美園が、スタジオジブリがアニメ「借りぐらしのアリエッティ」のデザインの参考にしただけで、一躍、大人気のスポットになったり、京都の国勢調査PR用HPに「けいおん!!」の画像(かきふらい・芳文社/桜高軽音部)を掲載しただけで1日に4万件のアクセスがあったり……、う~ん、わしも……と、練りに練ったストラテジーメモだったが……(*^_^*)。

◆〈昨日(9/4)、午後のチャット発言〉

・いろいろやりたいことや、やらなければいけないことがあるのに、たまたまTVの番組表をみていて、午後2時からライオンズVS.楽天戦があることを発見(^_-)。
・自分の計画を全部キャンセルして、画面直下で観戦中。
・たぶん、試合終了まで「声援&叱咤」しながらみることになると思います^^; 。
・フェルナンデスの脚の負傷が心配。

・こうして大好きなライオンズと、ちょっと好きな楽天のデーゲームを画面直下でブツブツつぶやきながら(「おおッ!おおッ!」と大きい声も出すことも(*^_^*)観ていると、しあわせではあるが、やはり以前(かなり昔)のように、球場が環状線で2、3駅、あるいは、自転車でも可というようなところに住めれば、もっとしあわせかぁ~……と思ってしまう。

・現在2-1でライオンズが勝っているが、フェルナンデスが2塁に向かおうとして脚の付け根トラブルで単打に、逆に、山崎が鈍足で2塁に爆走しセーフ。これからの試合展開を象徴しているようで、ライオンズ、少し心配。
・涌井の出来をじっくり確かめたい。
・中村剛也(オカワリ君)復活の気配。〈昨日、午後のチャット発言、以上〉

★そのうち、試合に熱中→熱狂→没我……。
 オカワリ君は、予感通り、昨日につづきホームラン。
 涌井も絶好調、得点も6-1とワンサイド……、遂にビールを冷蔵庫から持ち出し、お祭り気分や……、と、と、ところが、9回裏、涌井、突然のノックアウト、シコースキーも連打を浴び、6-7、楽天の大逆転。


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敗戦日前後からゴミにまぎれることなく、クリップに留められた、ちぎった紙片、切り抜き等、計5枚のメモ

2010-09-03 15:39:02 | Weblog

10.09.03 白い花をパチリ。これは、もちろん、「げんかつぎ」





散歩の途中で、白い花をパチリ。これは、もちろん、「げんかつぎ」だ^^;。一昨日も、昨日も触れたように、赤い花はわたしの失速の象徴。これに対抗するために撮影した。失速は苦しいし、みっともなくて、失速なんかできない。石にかじりついてでも失速から逃れる……という気概の表れでっせ。

◆600字の教育学Blog自己紹介コメント。
 昨日の記事「わたしの設定の構築」に関連して、goo600字の教育学Blogの「自己紹介コメント」を書きかえる。

 〈日本教育界の片隅に棲息。
 主に青森県内と大阪市内に出没。
 「学校教育だけではなく、社会(地域・家庭)教育にも精通している」というのがセールスポイント。
 しかし、頑迷固陋。〉

◆「紙切れのメモ」――ひらめきだったり、快&不快の記憶だったり……ま、内容は雑多で、総じて、ゴミにまぎれても特に問題にならないもの――の中で、敗戦日(8/15)前後から、なんとなく心にひっかかり、ゴミにまぎれることなく、小さなプラスチック製のクリップに留められ、今、手元にある、ちぎった紙片2枚、ハサミで切り抜いた紙片2枚、付箋1枚の、計5枚。

(1)メモ1〔B(数枝の声)→A(大須賀浜)。逆、すなわちA→Bも可能なのでは?〕

〔復習〕
 8/15の弔いの旅の行程に、〈A〉唐突に「大須賀浜」が含まれていたことと、もうひとつ、毎年、この日に耳鳴りのように聞こえる〈B〉「負けた、負けたと言うけれども、あたしは、そうじゃないと思うわ。ほろんだのよ。滅亡しちゃったのよ。日本の国の隅から隅まで占領されて、あたしたちは、ひとり残らず捕虜なのに、それをまあ、恥ずかしいとも思わずに、田舎の人たちったら、馬鹿だわねぇ」という声(太宰治・戯曲『冬の花火』の数枝の台詞)の聞こえ方が、今年に限って切実、痛切であること。
 はじめ、この2つの理由が、わたしにはわからなかったのだが、当日、夜になり、2つを関連づけることにより、すなわち、Bの謎が解けることによって、Aの謎も解けるというカタチでケリ。

 ・参照=8/15は、岬氏から贈られたコーヒーカップで、鮫の珈琲の香で浅煎りしてもらったマンデリンを飲もう。

〔メモの解説〕
 メモの〔8/15の夜、B(数枝の声)の謎が解け→A(大須賀浜)の謎が解けたのだが、逆、すなわちA→Bも可能なのでは?〕と言っているわけだ。

 当日、葦毛崎から大須賀浜に向かったわたしが、浜に着いたとき、葦毛崎側の岩場に中年の男女2人、白浜側の波打ち際に若い男2人、砂浜中央にタオルで頬被りし、あぐらをかいて、水平線を眺めている男(年齢不詳)1人がいた。
 その水平線を眺めている男のように、水平線を眺めようとしていたわたしは、先客がいるため、大須賀浜から白浜にかけて遠望しただけで、早々に葦毛崎に引き返す。

 メモは、葦毛崎に引き返さないで、わたしが、砂浜中央にタオルで頬被りし、あぐらをかいて、水平線を眺めていれば、A=8/15に、なぜ、わたしが大須賀浜を訪れたのかがわかり、同時に、B=なぜ、数枝の声が切実に聞こえるのかがわかったのではないか……と。
 そして、そのような理解の仕方(A→B)こそ、わたし本来の理解の仕方ではなかったのか……と言っている。

(2)メモ2〔中元解体セールに行列のニュース。×〕
 これは説明はいらない。
 わしは、死んでも並べヘンよ……と言っているわけだ(*^_^*)。

(3)メモ3〔立ち位置を見失った小春のパパの心境に共鳴。「時間軸のアイデンティティ」<「水平軸のアイデンティティ」〕
 これは、これ単独で、後日詳細。

(4)メモ4〔☆玄関ロビーのガラスに描かれた巨大ひまわりに刺激を受け、河口への小旅行に出る①②③④ → あちら側のこちら側ギリギリの少女との競争⑯ → うわごと⑭⑮ → うわごとの中味⑳~ → あともどりできない30〕
 これは創作メモ。
 いずれ作品にしたい。
 いつになるか……^^;^^;

(5)メモ5〔小子内浜にたたずむわたしの時空間。小子内の人々の時空間。柳田国男の時空間。〕
 このメモは、もうどこかで処理済みだったかもしれない……。


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運転免許の更新に警察署に行こうとストリップ劇場の前を通ったらこの画像を発見「さあ、寄ってらっしゃい」

2010-09-02 16:41:43 | Weblog

10.09.02 首相「さあ、寄ってらっしゃい、見てらっしゃい」


運転免許の更新に警察署に行こうと、ストリップ劇場の前を通ったら、この画像を発見。ここ数日、小沢立候補か? ガチンコ回避か?に一喜一憂していたので、首相に「さあ、寄ってらっしゃい、見てらっしゃい」と声かけられているように感じた。ストリップの文字も入れたかったが、交通が激しく断念。
 なお、運転免許は、優良、大型自動二輪←自慢(^_^)v。
 また、念のためにいえば、わたしは民主党支持者ではない。


◆先日、Blogに赤い花の画像をアップして「この時期(註:夏の終わり)の赤い花には、いい思い出がない。赤い花は失速の象徴だ」というようなことを書いたら――ま、書いているときに、既に多少の予感はあったのだが――ここ、2、3日、重傷の失速状態に陥っている。

 きっかけは、ある学者の、400字詰め原稿用紙にして100枚くらいのルポだった。
 たまたま、ネット上にアップされていたルポの抜粋を読み、心ひかれ、どうしても全文が読みたくなった。
 検索に検索を重ねると、ルポが掲載された雑誌のバックナンバーが出版社に保存されていることがわかり、直接、問い合わせ、取り寄せることに成功した。

◆実は、彼とまったく同じものをわたしも対象にしたことがある。
 同じ場所にわたしも取材に行っている。
 同じ列車に乗り、同じ駅で下車し、同じ道を歩いている。
 きっと、インタビューした人々の中には、彼と重なりあっている人もいることだろう。
 取材に要した時間もほぼ同じくらい。
 感じ方も近い。
 いや、感じ方だけだったら、わたしのほうが鋭いかもしれない。
 わたしが感じ方の中心にしている部分が、彼には欠落している。

 しかし、対象への好奇心の度合いと、執念の度合いがまるで違う。
 わたしのは単なる感傷にすぎない。
 彼はブルドーザーで突っ切っている。
 インタビューにインタビューを重ねる……膨大な文献にあたる……ビデオテープを取り寄せる……再び電話取材をする……さらに再訪し関係者に集まってもらう……等々、とにかくスゴイ!
 快いほど完璧に打ちのめされる。

 ただ、ここまでなら失速状態に陥ることはない。
 失速したのは、「よし自分も……」と(これまでの経験から自分の能力の低さは十分に把握しているくせに)対抗して、自分の「執念」に点火を試みたからだ。
 もちろん、なかなか点火しない。
 で、失望→失速という、最悪のパターンに陥った次第である。

 現時点では、回復の見込みは立っていない。


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