職員室通信・600字の教育学

小高進の職員室通信 ①教育コミュニティ編 ②教師の授業修業編 ③日常行事編 ④主任会トピックス編 ⑤あれこれ特集記事編

★コーラルFLAT―6Sスピーカーが、やわらかく、自然な音色を奏で、僕のカラダ全体を包んでくれる

2012-04-30 16:08:39 | 僕のモンマルトル日記

 

2012

04.30
精神が遠い過去に接続し、少し涙ぐんでしまった


★ミニ・コンポを購入。

 以前、出窓に置いた、老朽化したアンプから煙が噴き出し、破棄して以来、僕は、ずっとPCスピーカー――ヤマハ・YST-MS201やエレコム・MS-85CH――で音楽を聴いてきた。
 BGM風に聴くインターネットラジオも悪くない。
 音楽は好きだけれども、お金も時間も、自分のエネルギーも、それほどかけることができないという僕にはピッタリだ。
 僕がよく聴くインターネットラジオ――
 ☆Classic Jazz-JAZZRADIO.com
 ☆Piano Jazz-JAZZRADIO.com
 ☆らじる★らじる NHK-FM
 ☆SIMULRadio・あまみエフエム等々……。

★ただ、PCスピーカーより、もう少しいい環境で聴きたい……というのが、今回、ミニ・コンポ購入のいちばんの理由だった。

 その他――①やはり、CDでバッハも聴きたい。
 ――②初めてもらった給料でゲットしたスピーカー――コーラルのFLAT―6S――も鳴らしてみたい。
 FLAT―6S=白色のコーン紙の中心にジュラルミンドームを採用した16㎝のフルレンジユニット。
 ・エンクロージャーはバスレフ方式で、材料は音響合板を使用した4面ウォールナット仕上げのブックシェルフ型。
 ・1ウェイ、1スピーカー、バスレフ方式、ブックシェルフ型。
 ・使用ユニットは、全帯域用:16㎝コーン型。
 ・インピーダンス=8Ω
 ・最大入力=20W

 ――③それに、ずっと昔、大きな地震のとき、レコードプレーヤーがラックから落下し大破して以来、ほうったらかしのレコードも聴きたい。(ただし、レコードプレーヤー購入の見通しはまだ立っていない。)

★コンポの候補は、画像上のケンウッド・K-521と、画像下のパイオニアX-HM50。
 K-521は、中高音がクリア(らしい)。
 光デジタル入出力がOK。
 X-HM50は、重低音重視(らしい)。
 ただし、光デジタル入力はない。

 ま、僕の場合、「重低音重視派」(*^_^*)だから、低音の迫力が不足すると、きっと後悔すると思ったし、PCとコンポはアナログ接続しか考えていなかったので、ほとんど迷うことなく、パイオニアX-HM50を選択した。
 大阪ボンバーで、¥21,480



★画像=X-HM50本体と、ひさしぶりに、やわらかく、力みのない、自然な音色を奏で、僕のカラダ全体を包んでくれるFLAT―6Sスピーカー。
 精神が遠い過去に接続し、少し涙ぐんでしまった。

◆4/23(月)からはじまった1週間は、校内では、参観日&PTA総会、運営委員会、職員会議などがあり、地域では、ホタルの幼虫&カワニナ放流会、交通安全協会定時総会&懇親会、土・日は市内ソフトボール大会……ということで、体力も精神も(どちらかというと後者のほうが)、やや限界に。


 この画像は、MINAMI中の某?国語教師の机の上だ。
 普段は、自分が国語教師であったことは、すっかり忘れている。
 しかし、エネルギーが尽きかけ、精神の輪郭が、ぼんやりとしているとき、こういう角度で、この机を眺めていると、「これって僕の机なのではないか?」と――今のFLAT―6Sスピーカーではないが(*^_^*)――遠くの過去にカラダが反応しはじめる。
 チョークと教科書を手にして、廊下を歩きたくなった。

★関連記事
深夜のDAKA古書店の一角。出窓のPCスピーカーからインターネットラジオ Piano Jazzの旋律
★書いて書いて書きまくって、その書いたモノの「要点」あるいは「要旨」としての「レジメ」ならいいか?

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★辛坊治郎がPOWERを主題に蜷川実花にインタビュー。僕には誰もインタビューしてくれないから僕が僕に

2012-04-27 15:18:04 | 僕のモンマルトル日記

 

2012

04.27
空間軸上のエネルギーと時間軸上のエネルギー


★焙煎豆も底をついたが、生豆も底をついた。
 これは、最後のマンデリンとコロンビアを混ぜて焙煎したもの。
 色は濃く写ってしまったが、シナモン。
 日曜日に、マンデリンコーヒー豆トバコ生豆3キロ、コロンビアコーヒー豆サントゥアリオ農園生豆2キロが届くことになっている。
 生豆のストックがいっぱいあると、自分の時空間が、特に未来がひろがっていくような錯覚に陥る(^_^)v。

◆そうです、そうです――くりかえしになるが……このホームページ&BLOGの、見ての通りの「カタチ」が、僕の「存在のカタチ」、「欲望のカタチ」であり、同時に、「エネルギー」なのだ。
 エネルギーがないのではない。
 僕が存在するように、エネルギーも存在する。

☆蜷川実花:ホント格好いいんですよ。あんな若い10代と20代前半の女の子たちが、あんな大きなステージに立って、ホントにそれこそ値踏みされて、みんなに順位つけられていくわけじゃないですか。
 これまで、みんなが同じですよって教育受けてきた子たちが。
 値踏みを真っ向から受けながら、ステージ立って、あの凛とした姿がほんとに格好良くて私は。
☆辛坊治郎:なんでしょうね~、彼女たちをそこまでさせる力。
 こんどの映画で主人公がそこまで美を追求する力、エネルギーって。
 何が彼女たちをそうさせるんでしょうか?
☆蜷川実花:それはやっぱり、見てほしかったりとか、知ってほしい欲求のすごいわかりやすい表れだと思う。
☆辛坊治郎:さぁ、番組恒例、「ラストクエスチョン」でありましてですね。
 真剣に答えてください。
 桜にも散る時がやってくるように、誰にも人生の終わりがやってきます。
 その時、蜷川さんは、どんな言葉で送ってきた人生を人々に表現、評価してもらいたいですか?
☆蜷川実花:……格好いい人だったと言われたいですね。
☆辛坊治郎:十分格好いいですよ。
☆蜷川実花:なんか、走り抜けて格好よかったねって言われたいです。
☆辛坊治郎:もの凄くエネルギーをそばに居るだけで感じるんですけど、蜷川さんにパワーを与えているものは、どこから出てくるのか? なんだと思いますか?
☆蜷川実花:欲が深いんですよ。
 欲が深いというのは、もっとやってみたい。
 これやってみたいとか、一個いい写真が出来るともっといいのが、出来るんじゃないかというふうにもっともっとって。
 写真を撮るのが凄く好きなので、写真を撮ることでしか回復できない何かがあるんです。(WAKEUO!PLUS特集「POWER第4回 蜷川実花」2012年4月21日から抜粋)

 辛坊治郎が「POWER」をテーマに蜷川実花にインタビューしている。
 僕には誰もインタビューしてくれないから(*^_^*)、僕が僕に「存在のカタチ」……「欲望のカタチ」……「エネルギー」……についてインタビューしていくつもりだ。

 粗い言い方になるが、人間のエネルギーには2種類ある。

 1つは、水平軸(=空間軸=社会軸)上のエネルギーだ。
 あいつのようになりたい……あいつには負けたくない……あいつのようでなくてはならない……。

 もう1つは、垂直軸(=時間軸=自己軸)上のエネルギーだ。
 僕はこうでなくてはいけない……過去の僕に負けたくない……あの時点の僕のようでなくてはならない……。

 この2つの軸が、たぶん複雑に絡み合っている。
 絡み合いながら「あいつ」や「僕」を超えた時空間に向かっていく。
 これが人生だ。
 僕が僕にインタビューしながら、この「絡み合い」や「方向」を、少しずつほぐしていいくつもりだ。
 これは、ちょっとだけ楽しみだ。
 堀辰雄が登場するかもしれない。
 江藤淳が登場するかもしれない。
 乱氏も登場するかもしれない。……
 あるいは、「かつての僕のエネルギー」――こういう学級経営をやれば、こういう(すばらしい)学級になる(はず)……こういう教科経営をやれば、こういう学力をつけることができる(はず)……こういう学校経営をやれば、こういう学校になる(はず)……という、いわば「夢」(あるいは「欲望」)と、「今の僕のエネルギー」――かつての僕のエネルギーとは、まったく別種のエネルギー……と僕は思いこんでいる――この2つのエネルギーの関係もあきらかになるかもしれない。
 いくつか、眠りかけている「執念」も、ほじくり返されるかもしれない。

◆午後、校舎の裏側を流れる小川で開催された「ホタルの幼虫&カワニナ放流会」に参加。



 参加者=「ホタルの里づくり」推進委員会、保育園児、Minami小生・MINAMI中生、地域の人々等、約120名。
 推進委員会の方々が中心になって育てたゲンジボタルの幼虫360匹、および、ホタルの餌になるカワニナを放流。
 放流された幼虫は、6月下旬ごろに成虫になり、光を放ちながら飛び回る。
 子どもたちも楽しみにしている。
 もちろん、僕も……4月にスタートした『新企画』――「茫漠の時空間」(=僕の過去)を「現在の僕」が疾駆する――を、ま、とりあえず、きょうのホタルが光を放つ頃まで、あまり先も見ず、後も見ず、目の前の「一歩」だけをみつめて前進していこうと思う。
 夜、地区の交通安全協会定時総会&懇親会に参加。

◆メモ――あちこちに書き散らしたメモのコピー。
○授業修業一門の創設。
 メンバーは※、※、※……ま、一応、この7人をピックアップ。
 やりながら増やしていけばいい。
○人生の日々、意識する人、5人。
○「初任校の職場が、初任者のその後の教職生活に強い影響を与える。」
 よく言われることだが、これは間違っている。
 こういうことではダメ。
○地区交通安全協会O支部定時総会における、T支部長のあいさつの中に、MINAMI中生の活動もきちんと位置づけてくれている箇所があり、感激する。
○子どもをもっと知的に。
○生徒の歩き方が猫背。
 手先をウェアーにいれる生徒もいる。
 もっとスマートに歩かせたい。
○「親に迷惑をかけた」……「店に迷惑をかけた」……はよく聞くが、「学校に迷惑をかけた」というのは聞かない。
 指導方法の見直し。
 愛校心。
○生徒に中央階段の使用を推奨。
 禁じていた時期が過去にあるようだ。
○窓をあけるときはガラス戸を真ん中に。
 ひとつの教育思想として。
○清掃開始・終了時のあいさつ徹底
○主任会――教職員の基本的な行動の仕方(主に服務規程+凡事徹底……例 時間厳守 師弟同行 定時定点)について、学年等分掌ごとに徹底。(バカ者同士にならない)
○情報伝達。
 担当者→主任→教頭→校長……が遅れることがある。
○主任会――教員の机上のマル秘データの点検。
 危ない。
○道を譲ろう等、原理原則の指導の徹底(そんなにいくつもあるわけではないから)
○部活動等の大会参加は、これ以上、(絶対に)増やさない。
○授業研究100回のカウント方法
 ①参観日の授業はカウントする。
 ②学校指導課訪問はカウントする。
 ③教師相互参観週間の扱いはどうするか?
○「生徒による授業評価票」は、文言の修正や、5段階か4段階かについては、5月いっぱい検証して決定。
○「狭義の学力向上」のための5原則をしっかりやると、「広義」の学力向上にもつながる……という認識。
○HPは、もっと「語る」スタイルに。
○イメージ……音読と合唱の学校
○イメージ……読書の学校
○「職員室通信」に教科企画書特集を。
○新しい通勤路発見。
 画像をいっぱい撮ること。
 道の音をICコーダに録音すること。
○模擬授業の観点――徹底して「5原則」で。
 もちろん他にもあっていいが、5原則が中心。
 キョロキョロやっていると、なかなか上達しない。

★関連記事
「熟慮の場合には、最終の欲望……行為の直前の欲望……が、われわれの意志とよぶものになる。」ほほうぅぅぅ!

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★マイナス×マイナス=プラス。カフェオレの味がひろがる。直後、パナマの苦みが腕組みし僕をにらみつける

2012-04-25 14:13:34 | 僕のモンマルトル日記

 

2012

04.25
唐沢氏の執念の前では、僕の苦しみなんて、ちっぽけな問題だ


★早朝、手鍋焙煎のマンデリンとコロンビアとパナマを混ぜて、コーヒーを沸かす。
 なぜ「混ぜた」のかというと、最近、焙煎作業をさぼっているうちに、豆が底をついてしまったからだ。
 マンデリンは中煎り。
 ホンマは浅煎りにしたかったが、ガス火の上で手鍋を振っているうちに、ぼんやり考えごとをして、焙煎度合いが進んでしまった。

 焙煎度合い――
 ・ライト(うっすら焦げ色がつく程度)
 ・シナモン(全体的に褐色がかり、少し香りが出てくる)
 ・ミディアム(茶褐色に変化。アメリカンコーヒーに)
 ・ハイ(日本では最も一般的な焙煎度合い)
 ・シティ(ハイよりも苦味、コクが増す)
 ・フルシティ(酸味が減少。アイスコーヒーに)
 ・フレンチ(苦味が増す。カフェオレなどに)
 ・イタリアン(豆の表面に油膜ができる。エスプレッソに)

 この「度合い表」に照らすと、「シナモン」をねらったのに(ぼんやりしていて)「ハイ」になってしまった……ということだ。
 コロンビアは、シナモン。
 ホンマは、パートナーが希望するフレンチにするつもりだったが、失敗したマンデリンの代わりにシナモンに(^_-)。
 パナマは、イタリアン。
 手鍋焙煎でイタリアンまでもっていくのは、初めの頃は、僕にはむずかしい作業だったが、最近は、だいぶ腕が上がった(*^_^*)。

 ま、このマンデリンとコロンビアとパナマを混ぜて、一杯のコーヒーを沸かした。
 豆は、ほとんど底をついている。
 残りはパナマ少々。
 きょう、どこかで時間を見つけて手鍋焙煎をやるつもり。

 コーヒーの話をもう少し。
 通常、朝は、コーヒー一杯なのだが、(無いときに限って)、もう一杯飲みたくなった。
 で、残ったパナマで一杯分をつくる。
 ただ、パナマをイタリアンにしたのは、パートナーのリクエストによるもので、僕は深煎りが苦手。
 「苦手なのだが……」とミルを回していたら、カウンターの上の「Blendy stick カフェオレ(AGF)」というスティックが目に入る。
 これも、僕は、あまり好まない。
 でも、きょうは、これをイタリアン・パナマコーヒーに混入させることにした。
 「苦手+苦手」で、新しい味になるかも……。
 ま、マイナス×マイナス=プラス……の発想。
 今、それを飲んでいる(*^_^*)。
 まず、カフェオレの味がひろがる。
 そのあとから、パナマの苦みが腕組みして僕をにらみつける……というような感じで襲ってくる。
 休日の朝のコーヒーにはいいかもしれない。

★昨日、述べたこと、復習――
 かっての僕は、こういう学級経営をやれば、こういう(すばらしい)学級になる(はず)……こういう教科経営をやれば、こういう学力をつけることができる(はず)……こういう学校経営をやれば、こういう学校になる(はず)……という、いわば「夢」(あるいは「欲望」)がエネルギーで、このエネルギーで「疾駆」していた。
 だが、今は、まったく別種のエネルギーを、僕は求めている。 
「だから」、エネルギーがないのに、エネルギーを求めて疾駆しなければならない……という、ちょっとシンドイ「矛盾」に、現在の僕は陥っている。(「復習」以上)

★この「だから」という接続詞の前の記述は、正しい。
 しかし、「だから」の直後の「エネルギーがないのに」は、まちがっている。
 「エネルギーがないから、僕は疾駆するのだ」も、ウソだ。
 「矛盾」も、もちろん生じていない。
 エネルギーはあるのだ。
 僕が、それを正確に言い当てることができないだけだ。

 だいたい、このHP&Blogの存在は何を意味するのか?
 毎度、毎度、酔っぱらいみたいに同じことを繰り返し繰り返し述べて、はずかしいのだが、また繰り返す――
 〈僕の場合、HPは、現実世界における、僕の存在の仕方そのもの。
 同時に、HPは、僕の可能性(=欲望)のカタチでもある。2011/11/09(水)10:22 AM〉――(「酔っぱらいの繰り返し」以上)

 そうです、そうです……このHP&Blogの存在が、僕が存在していることの証明になる。
 欲望の証明。
 エネルギーの証明。

 けさは、この「エネルギー」の正体を見極めるつもりだったが、コーヒー談義で紙幅を使ってしまった。
 この件は、きょうは、これで終わる。(つづく)



◆連休が近づいた。

 部屋の日だまりで、水分の補充を待つ、植木鉢の植物のように、自分のからだが、教育学の論文に飢えていると感じている。
 連休は――いっさい旅行などの計画はない。近場の花見には行くかもしれない(*^_^*)――ソファーに寝っ転がり、読んでは眠り、目覚めてはまた読み……と、教育学論文三昧で暮らしてみようかと思っている……。

◆読む対象は2つある。

 1つは、手もとにある教育雑誌を片っ端から、○○誌4月号~3月号まで、△△誌4月号~3月号まで……という感じで、ぶっ通し、ぶっ通し、読んでみたい。
 教育に携わる、小学校・中学校・高等学校・大学の方々が「教育を語る言語の海」に、自分のからだ全体を浸してみたい。
 自分をバラバラにして浮かべてみたい。

 もう1つは、戦前の教育学関連の書物だ。
 なぜ、戦前の教育学なのか……については、ちょっと横道にそれなければならない。
 僕は、毎年、毎年、あちこちで、インコのひとつ覚えのように、あるテーマをくり返している。
 それは、第3の教育改革の伴奏のように鳴り響いている教育危機、その元凶が、「学校の教育独占体制」、あるいは「学校の教育丸抱え体制」にある……、これを修正し、教育のバランスをよくしないかぎり、どんな施策を打ち出しても、あまり、いや、ほとんど効果はあがらないだろう……逆にいうと、バランスさえよくなれば、日本の教育はまだまだだいじょうぶだ……そのために……(僕の話は、いつも、ここから始まる。)

◆僕は、僕のいう「学校の教育丸抱え体制」を強める方向に作用したのは、主に次の3点(の融合作用)だと考えている。

 1つは、学校中心自治民育体制。
 昭和7年文部省訓令「学校少年団」
 昭和16年「大日本青少年団」
 昭和20年5月22日戦時教育令=「学徒隊」
 このいう流れのなかで、いわば「学校中心自治民育」体制が確立していったのだが、この戦前の学校イメージが、敗戦後も、幻影として保持されつづけたこと。

 2つ目が、教育爆発現象。
 高校進学率が昭和20年代〈20%〉→昭和50年代〈90%〉と急カーブを描いている。
 受験のための「狭義の学力観」に、地域・家庭も追随していったこと。

 3つ目は、地域社会構造の変化。
 職住分離・核家族化が進行したこと。

 この3つにくらべれば、影響は極々小さいと思うが、もう1つをしいてあげるなら、「学習指導要領」の問題だ。
 なにかあると、学習指導要領に取り込み――社会教育での対応をほとんど検討することなく――学校のみで取り扱うという安易な判断が積み重なり、つまるところ、学習指導要領が、教育というものの、すべてを、学校に取り込む方向――なんでも学校、家庭もそう思い、地域もそう思い、教師自身もそう思いこむ「体制」――をつくりだし、結果として、「学校の教育丸抱え体制」を強化させる方向に働き、それが同時に、社会の教育力を奪ってしまった。

◆クルリとひとまわりした格好だが、話をもどす。

 僕は、今、3つあげた、1つ目、すなわち「学校中心自治民育体制」の形成過程を、今、しっかりと分析しなければならないと考えている。
 その上で、僕の仮説「学校中心自治民育体制の幻影=学校の教育独占体制(学校の教育丸抱え体制)」を検証し、改める方策を打ち出していきたい。(というか、僕はすでに具体的方策を打ちだし、実践もしているわけだから、正しくは、戦前の体制を分析しつつ、自分の方策と実践を見直したい……、見直した上で、さらに新たな実践を打ち出したい……ということになる。)

 蛇足になるが、今、学習指導要領が、教育というものの、すべてを、学校に取り込む方向をつくりだし、結果として、学校の教育丸抱え体制を強化させ、同時に、社会の教育力を奪ってしまったと書いたが、残念なことに、新しい学習指導要領案によると、総則第4の3(13)に「部活動については、(中略)学校教育の一環として、教育課程との関連が図られるよう留意すること。その際、地域や学校の実態に応じ、地域の人々の協力、社会教育施設や社会教育団体等の各種団体との連携などの運営上の工夫を行うようにすること」とある。
 部活動が、教育課程外であるという位置づけは変わっていない。
 しかし、「教育課程との関連が図られ」と指示している。
 何度もくり返すようだが、こういう安易な妥協が積み重なり、積み重なり、既に40年前の第3の教育改革を構想しなければならないような教育危機状況に至ったのである。
 まだ懲りないのか?と、僕は嘆いている。

◆グダグダ書いた。
 しめくくる。
 教育誌を、読んでは眠り、目覚めてはまた読み、あるいは、わたしの仮説「学校中心自治民育体制の幻影=学校の教育独占体制(学校の教育丸抱え体制)」を検証し……、そして、自分がバラバラにされ、そして、そして、再び自分が組み立てられ、「新しい僕」=「新しい原理を有する僕」に至ることができれば、いいと思っている。

 いい連休にしたい(^_^)v。

◆「戦前の教育学関連の書物」ということで、あちこち、文献にあたっていたら、当然のこととして、唐沢富太郎氏にぶちあたった。
 僕も、一応、教育学の出身だから、名前くらいは知っているし、その書物も眺めたことはあるし、当然、「ソファーに寝っ転がり、読んでは眠り、目覚めてはまた読み……」の読書計画にも入っていたが、今回、わたしがぶちあたったのは、氏のエピソードだ。

 氏は、全国の古本屋、古道具屋はもちろん、屑屋、今でいう廃品回収業者まで訪ね歩き、数万冊の教科書、明治初期の教科書の板木、子どもの絵日記などを収集、あるいは、明治時代に建てられた校舎が解体されると聞けば、貨車を使って、柱、欄干、階段、鬼瓦(←「学」の文字が刻まれている)などを移送している。

 終電車を降りて、収集した荷物を2つに分け、1つの荷物を10メートル運んでは、次の荷物を10メートル運んだという話もある。
 教育学者(日本教育史)の執念だ。

◆この記事の初めのほうで、僕は「僕のエネルギーの正体を見極める……」というようなことをいっているのだが、唐沢氏の執念の前では、どうでもいい問題に思えてくる。
 唐沢氏の爪の垢でも煎じて飲みたい……。

★画像=トップは「コーヒーミルと開かれた孤独時空間」、2&3枚目は庭のスモモ。気づかなかったのだが、けさ、見たら芽が吹き出していた。

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★ホンマ、絶不調だ。HPは僕の存在のカタチ。しかし、最近、HPに対する執着心が急速に薄れつつある

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★エネルギーがないのに、エネルギーを求めて疾駆しなければならない……という、ちょっとシンドイ「矛盾」

2012-04-24 08:34:27 | 僕のモンマルトル日記

 

2012

04.24
研修主任(公麿T)に押し切られたから……というわけではないが


★昨日の「日々の『疾駆』で、いっぱいいっぱい。まったく『道筋』が見えない。こんなはずではなかった……」の、つづき(*^_^*)。

 「新企画」を企画した段階で、「道筋」の話は除外していたのではないか?

 企画の段階の思考をなぞると――
 ①考え抜いて、僕は、「茫漠の時空間」(=僕の教師としての過去)を、現在の僕が、こうして「職員室通信」のカタチで、「疾駆」していく道を選んだ。
 ②道の先に(果てに)、どういう光景が広がるのか?
 あるいは、どういうゴールに至るのか?
 まったく見えていない。
 というか、見えていないから、僕は疾駆するのだ。
 ③ああ、それにしても「筋力」不足だ。
 ゴールの予測は、まだまだ、先の、先の、その先の話だ。
 とにかく今は、「疾駆」のための「筋力」づくりだけを考えよう――ということだった。

 にもかかわらず、今、「まったく『道筋』が見えない」と嘆いている。 

★たぶん、「疾駆」のための「エンジン」もしくは「エネルギー」の問題と密接不離なのではないか?と思っている。
 すなわち、「『道筋』が見える」ことが、エネルギーになるのだ。
 「茫漠の時空間」(=僕の過去)の僕は、こういう学級経営をやれば、こういう(すばらしい)学級になる(はず)……こういう教科経営をやれば、こういう学力をつけることができる(はず)……こういう学校経営をやれば、こういう学校になる(はず)……というのがエネルギーで、このエネルギーで「疾駆」しているのだ。

★だから、たぶん、現在の僕は、エネルギーなしで疾駆しようとしている。
 先述の「どういうゴールに至るのか? まったく見えていない。というか、見えていないから、僕は疾駆するのだ」は、畢竟、「エネルギーがないから、僕は疾駆するのだ」と同じ意味だ(*^_^*)。

 でも、これ(「エネルギーがないから、僕は疾駆するのだ」)は、まちがっていない。
 たぶん――ここ、2段落連続で、冒頭に「たぶん」という副詞を使っている。これで3つ目の「たぶん」――「こういう学校経営をやれば、こういう学校になる(はず)」とは、まったく別種のエネルギーを、僕は求めているのだ。
 エネルギーがないのに、エネルギーを求めて疾駆しなければならない……という、ちょっとシンドイ「矛盾」に、現在の僕は陥っている。

 この話は、もう少しつづけたい。
 が、きょうは、次の「職員室通信」に進みたいので――「職員室通信」の発行をさぼると、追いつくのが、ホンマ、たいへんなので――この話は、いったん、やめる。(つづく)

★画像=庭の桜の木。満開になったら、この幹の下で花見をやるつもり(^_^)v 

〈実験・blog内通信 2012/04/23発行〉
5原則 №3と№4を
密接不離のものとして


◆前号の補足――
 前号で、「わたしたちの『5原則』が透けてみえるくらいに」という言い方を、→「『5原則』を浮き彫りに」に訂正した。
 このことに関して、念のために、一言、付け足す。

 「指導力(授業力)向上の5原則」が、くっきりと見える……という段階を、避けたり、恐れてはいけない……と思っている。
 5原則を自由に「使いこなす」段階を経て、「名人」になっていくのだ。
 わたしたちは、まだまだ「使いこなす」レベルに至っていない。
 だから、「くっきりと見えるように」授業をするということが大切……と言っているのだ。

5原則 №3と№4を密接不離のものとして

◆№4 1人1人のがんばりに気づき、認める


 子どもが、やる気にならないと、なにもはじまらない。
 「やる気にさせる」ときに、大切なことは、1人1人のがんばりに気づき、認めることである。
 この№4が、今年度の本校の研修メインテーマになっている。
 このテーマについて、わたしは、粗く2つの方向があると考えている。

 1つは、極々単純に、子どもの努力に気づき、成果を認め、ほめることである。
 簡単そうだが、各種のアンケートからもわかるように、これが本校教員の弱点だ。 
 もっともっと、ほめたい。
 どんどんほめたい。
 「いいですね」とほめるにしても、5通り、10通りはもちたい。
 「すごい」だって、5通り、10通り……。
 1人1人をほめる(評定する)、短い言葉を、30種類、いや、40種類、いや、50種類と用意し、キチンと整理し「リスト」にしておき、それを瞬間、瞬間に、ポンポンと発する教師になりたい。
 ほんの一言の、しかし、多彩な言葉がけが、子どもを生かし、よりよく変えていく。(→1つは、こういう修業の方向だ。)

 もう1つは、子どもが、うまくやれなかったときの対応だ。
 「あんた、ダメね」「もっとしっかり」と言うのなら、誰でもできる。
 素人でもできる。
 子どもでもできる。(そして、これが、いじめの原型になる。)
 「あなた、ダメです」も「もっとしっかり」も、教師倫理に反する。
 悪いことは悪いと指摘していいし、マイナス評価として語っていいときもある。
 しかし、そこにとどまらず、それを克服する方法を示し、はげましつづけるのが、教師の仕事だ。
 №4には、教師が子どもとともに、できないことに向かい合い、克服していこうという側面を含んでいる。

◆なお、既にお気づきだと思うが、この№4は、№3「達成状況の確認」を前提としている。
 №3が、いい加減では、№4は意味をなさない。
 本年度のテーマについて、職員会議に提示する原案を検討する際、研修部もわたしも、№3か、№4かで、ずいぶんと迷った。
 わたしは、研修主任に「№3と切り離して№4はあり得ないのだから、どちらでもいい」と言いつつ、内心は、№3のほうがいいと思っていた。
 研修主任は、№4に傾いているようだった。
 結果として、本年度のテーマは、№4になった。
 研修主任(公麿T)に押し切られた格好だ。
 押し切られたから……というわけではないが、各教科のテーマを決める際、№3と№4を密接不離のものとしてとらえて、検討してほしい。

◆№5 全員に50分間の学習活動を保証する

        ★授業者=乱氏。「何県ですか? ノートに予想を3つ書きなさい」」

 ここで「学習活動」というのは、「学力向上の5原則(生徒用)」の「作業・活動」のことだ。
 輪郭がクッキリとした作業の場を設定して、ひとりひとりの子どもが生き生きと、目も、耳も、手も、足も、口も、頭も、フルに回転させ、「おもしろい!」と熱中する、知的で楽しい授業をめざしたい。

 いくつか推奨したい作業の例をあげる。





(1)ノートに自分の考えを書く。
 この場合、「○字以内」「○字以内、3つ」「ズバリ一言で」などと指定するのが効果的だ。
 子どももまとめる力がつくし、板書もしやすい。

(2)ノートに、ある考えに対する正誤の判断を、まず○や×で書く。
 このあと、その理由を簡潔に書かせるという作業につなげる。

(3)音読。
 音読は人間の思考を活性化させる。
 50分間の授業の中で、声を出させる場面を小刻みに設定したい。
 「いっしょに読みましょう」
 「全員起立、3回読んだら座りましょう」
 「念のためにもう一度読みましょう」
 すべて音読!
 いつでも音読!
 何でも音読!
 どんどん教科書を読ませよう!
 板書事項を読ませよう!
 プリントを読ませよう!
 ただし、あまり長い部分の音読はだれる。
 音読のポイントを短く限定して、繰り返すのが効果的だ。

(4)説明を聞く。
 「説明を聞く」=これも「作業」だ。
 説明を聞くということを「子どもの作業の場」ととらえ、意図的に、説明を聞いている子どもたちが、「え? どうしてだろう?」と考える場にする。
 意図的に「A……B……C、正解はどれだろう?」と選択する場にする。
 言い換えれば、子どもたちが、Tの説明を聞きながら、積極的に「参加」できる「説明」の仕方を工夫をすることだ。

(5)もちろん――
 ・板書事項をノートに写す。
 ・グラフを書く。
 ・模型をつくる。
 ・実験する。
 ・見学する。
 ・歌う。
 ・演奏する。
 ・走る。
 ・演じる。
 ・司会する。
 ・あれ?と疑問もつ、考える――も、すべて「作業」である。

 子どもたち全員に「50分間の作業を保証する」よう工夫して授業を設計したい。
 また、この「(生徒用5原則中の)作業にすばやく取り組む」が、家庭学習につながっていくのだ……というのが、本校の仮説でもある。

★関連記事
わたしのゴールはどこにあるのだろう? どこに向かって走っていけばいいのだろう……と迷いつづける

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★「わかりましたか」を全廃し、他の、ほんものの確認方法を開発すると、教育の「カタチ」が、さらに変わる

2012-04-23 14:25:29 | 僕のモンマルトル日記

 

2012

04.23
僕の「思惑」が外れた。まったく見通しがきかないよ(ノ△・。)


★『新企画』――
 「茫漠の時空間」(=僕の過去)を
 →「職員室通信」のカタチで
 →「現在の僕」が疾駆する――の、本運転が4月から始まったのだが、始まる前には、おぼろげながら――ま、この「おぼろげながら」というのがよくないのだが――見えていた「道筋」が、まったく見えなくなってしまった。
 現在のところ、その日その日を「疾駆」するだけで、もう、いっぱいいっぱいだ。

 『新企画』は、「茫漠の時空間」(=僕の過去)を、「現在の僕」が疾駆する。
 「過去」と「現在」の「時間差」がある。
 だから、その分、余裕がある……。
 「現在」を「現在の僕」が疾駆するのと違って、ある程度、見通しもきく……。
 ……という「思惑」が、完全に外れた(ノ△・。)。
 まったく見通しがきかない。
 「現在の僕」が「過去の時空間」にのめり込む……というのだったら、それはそれでいいのだが、そうでもない。

 少し「哲学」が必要だ(つづく)。

★画像=「茫漠の時空間(=僕の過去)」の象徴、「職員室通信」


〈実験・blog内通信 2012/04/23発行〉
指導力向上の5原則
「浮き彫りにする」




◆先週、職員朝会で、今度の参観日の授業に関して、「わたしたちの『5原則』が透けてみえるくらいに」という言い方をしたが、「透けてみえる」という表現が中途半端なので訂正する。
 保護者が授業を観ていて「ああ、ここは、目標を明確にしているんだなァ」……「ああ、ここは、達成状況を確認しているのだなァ」とわかるくらいに「5原則」を浮き彫りにしよう……と。
 この文脈の「保護者」を、「生徒」に置き換えてもいい。
 参観している「他の教師」に置き換えてもいい。
 これくらい「基本」を徹底して修業していかないと、「プロ教師」になれない。
 「少し器用なアマチュア教師」として教師人生を終わってしまう。

◆前回の通信4/20「趣意(目標あるいは目的)がMINAMIの子どもを知的に育てる」につづいて、本日は「№2 指示・発問は、全員に、短く限定して述べる」について。

◇№2 指示・発問は全員に、短く限定して述べる

(1)一時に一事を指示する
  指示を与えるときの原則である。
  同時に、2つも3つも、指示を与えない。

(2)指示・発問は短く限定して述べる
 根本正雄氏の論文に「指示は短く言え。わたしの場合は15秒以内である」という文がある。
 同感だ。
 長いのも、くどいのも、ダメだ。
 10数秒で指示を与えるためには、輪郭がクッキリとした指示になるように工夫しなくてはならない。
 「もっとがんばって跳び箱の練習をしてみましょう」などという指示は、まったくダメ。
 子どもは、あるいは、聞いている大人でさえ、なにをどうすればいいのか、はっきりしないからである。
 「1人が3回跳んだら、わたしの所に集まります」
 このように、指示する内容が具体的になっていなくてはいけないということである。

(3)指示は全員にする
 めんどうなようでも、指示は必ず全員に伝えなければならない。
 「全員に伝えたつもり」「わたしとしてはみんなに言った」という程度ではいけない。
 聞いていない子どもがいて、小さなところでボロボロと崩れていき、いつのまにか学級は大きく崩れてしまう。
 ①手になにか持っている状態で指示をしたのは指示したうちに入らない。
 ②「おへそをこちらに向けなさい」全員が集中したのを確認してから指示をする。
 ③作業中、指示の追加は絶対にしない。
 ④最後の行動まで示してから動かす。



◇№3 達成状況を確認して授業を進める

 子どもがわかっていないのに、あるいはわかっている子とわからない子がいるのに、どんどん進める授業は、授業とは言わない。
 教師は当然のこととして、50分間の授業の中で、何度も何度も、何度も何度も、こまめに、達成率を確認しなければならない(ある種の「形成的評価」)。
 わたしは、これまで、この説明のときに、「さりげなく、(授業のリズムを崩すことなく)」という挿入句を入れていた。
 瞬時に、サッと……という意味合いだったが、あいまいなので、今回から撤回する。
 瞬時に、サッと、だれの目にも明らかなようにやらなければならない……と。

◆たとえば、よく知られた例だが、地図を開いて特定の場所を見つける作業のとき、「見つけた人は指で押さえなさい」という方法。
 念のために(←「念のために」は教育行為ではきわめて重要)「となりの人と見くらべてごらん」と付け加えることもある。
 「全員起立。3回音読したら座りなさい」もよく使う方法だ。
 一目で読んでいるか、読み終わったかが確認できる。
 ノート点検、机間巡視も確認のための有力な方法である。(ただ、わたしは机間巡視はむずかしいと思っている。巡視して得たデータを映像化して残す訓練が必要だ。これは、プロ中のプロの技。)
 MINAMI中でも、いろいろな達成率確認の技術を開発したい。

◆ しかし、「わかりましたか?」は確認にはならない。
 わかっていなくても「ハイ」と答える子どもがいる。
 「わかりましたね」といえば、まわりにつられて「ハイ」と言ってしまう子どももいる。
 即ち「わかりましたか」は達成率未確認運転と同じで、プロ教師は「わかりましたか」という言葉は発しない、絶対に。
 (「わかりましたか」はプロとアマの識別語だという人もいる。
 幼稚園の送迎バスを待つ母子集団のそばを通ると、「急いで!」「わかった?」の連発だ。)
 大事なことなので、念のために繰り返す。
 「わかりましたか」は禁句。
 「わかりましたか」をMINAMI中から全廃し、他の、ほんものの確認方法を開発していけば、MINAMI中の教育の「カタチ」が、さらに変わる。(参考&引用=向山洋一著『授業の腕をあげる法則』)





 連休中の部活動等について

 「学校が教育を丸抱えすることが、教育の危機を増大させているのだ」という強い認識が必要だ。
 教育は単に学校だけが行っているのではない。
 家庭や地域社会が教育機能を発揮することによって、子どもはすこやかに成長する。
 連休中の部活動ついても、学校・家庭・地域の教育がバランスよく行われるよう最大限、配慮しよう。

★関連記事
★参観日大作戦。保護者授業アンケートで1項目でも「5=とてもそう思う」が「4=そう思う」を上回るように!

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★授業取材・乱氏編=片々の指導技術の宝庫。テンポのよい指示・発問(一時一事)と短い作業の組み合わせ

2012-04-22 15:27:13 | 僕のモンマルトル日記

 

2012

04.21
授業取材・乱氏編「テンポのよい指示・発問と短い作業」


~ 授業取材・乱氏編 ~
テンポのよい指示と発問と作業の組み合わせ

◆4/20(金)4校時、乱氏の授業を観にいった。
 乱氏の授業は①リズムがいい。
 (①とほぼ同じ意味だが)②ムダなことばがない。
 テンポのよい指示・短い発問(一時一事)と、短い作業が組み合わされているので、生徒は学習活動にグイグイと引き込まれていく。

◆出だしの場面。
T「ノートを開いて」
T「速いですね、高橋さん。大島さんも速いですね」
T「エンピツを置きなさい」
 たったこれだけだが、背後には「短い指示」「ほめる」「全員を集中させる」という片々の技術が組み合わされている。

◆出だしにつづく短い作業場面。
T「1分間だけ、これ(アメリカの国旗)をジーッと見てもらいます。
 見たものをよく覚えてください。
 では、1分間、よ~い、スタート!」
  (1分間経過後)
T「今から4つの質問をします。ノートに①……②……③……④……と書きなさい」
T「質問をします。
 ①この国旗のニックネームは何ですか?
 ノートに書きなさい」
T「②アメリカの国旗は何色つかっていますか?
 パッと書いてね」
 (質問③、④省略)
T「書いたらエンピツを置きなさい(←乱氏は、この指示を絶対に忘れない)。
 これ、全問正解すると、『アメリカ王』の称号が与えられます。」
T「では、①番から。
 はい、名簿番号20番の人。
 だれ?
 手をあげて。
 前田さんですね。
 では、前田さんの列の人にあてます。
 はい、片山さん!」……(中略)



謎の発問に生徒は熱中

T「青・白・赤を使った国旗は実はたくさんあるんですが、わたしが、今、心の中に思っている国旗をあててください。
 ――「そんなァ」と生徒は騒ぐ。
 地図帳をみてさがしてください。
 時間は1分!(←乱氏は、時間指定を忘れない)」
  (1分経過後)
T「はい、それでは地図帳を閉じなさい。
 こっち、見て」
T「ひじょうに速いですね(地図帳を閉じ、教師のほうを向く動作が)。
 さすが1組!」
T「列指名であてるよ。
 必ず答えてね。
 わたしの心の中にないとダメね。」

 このあと列ごとに指名された生徒は「イギリス」「フランス」「チリ」「ロシア」「チリ」「ロシア」……と答えた。
T「これ以外の人?」
C「ルクセンブルグ」「オランダ」「キューバ」……





〈実験・blog内通信 2012/04/20発行〉
すこやかみなみネットの
多チャンネル化を


◆4/19 老人クラブ・虹の会の会長はじめ、3名の方が、ぞうきん100枚届けてくださった。
 わたしから、毎年いただいているぞうきんをどのように活用しているか、あるいは、本校ではどんなふうにそうじをしているか……などについてお話しする。
 その他、各連合町内会の方々、Minami小・MINAMI中PTA等とネットワークを形成して取り組んでいるすこやかみなみネット事業などについてお話しする。


 すこやかみなみネットの「ネット」は、MINAMI学区の学校・家庭・地域(諸団体)を結びつけ、理念と活動を、「分かちあう」、あるいは「共有しあう」ことを可能にするリンクだ。
 ただ、実際問題として、学校が、地区防犯協会や連合町内会などとリンクする場合と、虹の会や民生委員・児童委員等とリンクする場合とでは、リンクの仕方が異なる。
 いろいろな課題(含不登校)を解決していくためには、一元的なリンクではなく、(同心円上に)多チャンネルリンクを開発していくことが、今後の課題だと感じている。

「教室をきれいにします。ゴミを10個ひろいなさい」
 ~ この趣意部分が みなみの子どもを知的に育てる ~

◆4/20、乱氏から、教務週報4号(4/23~27)に掲載する、わたしのコメントを求められる。
 ほぼ瞬時に「『教室をきれいにします。ゴミを10個ひろいなさい』前の趣意部分が、子どもを知的に育てる」とする。

 MINAMI中の教師用「指導力向上の5原則」その1は「授業の目標、ねらいを明確にする」だ。
 「なにがなんだかわからないけどやっている」という状態は、「考え」も「精神」も、また当然、「行動」も、不安定だ。
 授業で、この状態がつづくと、教室は、「なにも考えなくても行動する」という子どもでいっぱいになる。
 知的な状態から、どんどん離れていく。
 だから、「目標、ねらいを明確にする」
 わたしたちの、この努力の積み重ねが、のびやかで、自由で、かつ、自分のやっていることを自分で理解し、納得する、知的な子どもを、あるいは、知的な集団を育てることになる。
 「目標、ねらいを明確にする」は、教育の根幹だ。
 くわえて、本校区の子どもたちの最重要課題だ。

 授業の大きな目標あるいは目的、すなわち、授業開始時に指導者が黒板に書き、子どもたちに一斉読させるような目標あるいは目的は、もちろん大切だ。
 だが、それ以上に重要で、むずかしく、高段の技が要求されるのは、具体的な作業・活動の場面のほうだ。
 作業・活動の目標あるいは目的は、しっかりと語らなくてはいけない。
 しかし、この場面における、くどい語り、しつこすぎる説明は、ダメだ。
 短く、スパッと。
 よく出される例だが、「教室をきれいにします。ゴミを10個ひろいなさい」は最高だ。
 こういう一言が、MINAMIの子どもを育てていく……というような思いを、週報4号(4/23~27)のコメントに込めた。

◆なお、念のために、「目的」と「目標」とは違う。
 目的=ことばどおり「的(マト)」、最終到達地点。必ず達成するもの。
 目標=これも、ことばどおり「標(しるべ)」。辞書を引くと、「目じるし。目的を達成するために設けた、めあて」とある。
 よくいわれることだが、「今度の春の大会で優勝するぞォ~」は目的ではなく、目標。
 「優勝できるかどうか」というのは不確定要素が大きい。
 不確定要素が大きいものを目的にすると、不安定な状態に陥る。
 また、わたしがよく使う「趣意」は、「目的」と「目標」の両方を含んだことば(と、わたしは考えている。くわしい方がいれば、教えてほしい)で、こちらがピッタリの場面もある。

◆今、手もとに、この「授業の目標、ねらいを明確にする」に関する、参観日における保護者アンケート(昨年度)がある。
〈問1〉黒板に授業の目標やねらいが掲示されるなど、授業の目標やねらいがわかる授業でしたか。
 5=42% 4=44% 3=13% 2=1% 1=0%
〈問2〉生徒が、目標やねらいを理解していると感じられる授業でしたか。
 5=31% 4=49% 3=18% 2=2% 1=0%
 基準5=とてもそう思う 4=そう思う 3=どちらともいえない 2=そう思わない 1=まったくそう思わない 
 4/24(火)の参観日の授業では、評価5の%が4の%を上回ることに挑戦。



(1)保護者の方々には、経済的に厳しいなか、毎月「会費」を納入していただいている。
 その「会費」を運用する際、1円でも安く……をモットーに。
 ついては、業者に発注する際、原則として、○○円以上は、相見積もりを取るようにする。
 「ふっかけられている」のではないかと疑いたくなるケースもある。

(2)校内巡回のときは、明確な「視点」を設定して回る。
 例――①転校生はどうしているか?
 ②ひとりぼっちの子はだれか?
 ③校舎の破損箇所ははないか?

(3)当然のことだが、子どもたちについては、いろいろな課題がある。
 また、このことについて、新年度は、はからずも、新たに「負荷」も与えてもらったと認識している事案もある。
 総合的に対応していかなければならないが、まず、なんといっても、「いい授業」をすることによって、いじめも不登校も非行も解決していくのだという、「プロ教師」としての気概が必要だ。             

(4)MINAMI中T禁句集① 
 ①呼び捨て禁止
 生徒に対する呼び捨てはやめる。
 授業場面、日常生活場面、教職員同士で生徒を話題にする場面等、いずれの場面においても呼び捨てはやめる。
 ②自分のことは「わたし(わたくし)」
  教師が自分のことを「先生は……」というのもやはりヘン。
 「わたし」への転換を。
 ③業界短縮用語はやめる
 ×学坦
 ×養教
 ×教科担
 ×市教委
 ×社教
 ×生学(ナマガク)……等

★関連記事
すこやかみなみネットの活動の、同一円心上に、もうひとつ、さらに小回りのきくリンクを開発して

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★週報コメント=「目線を子どもの目から目へと連続的に移動させていく修業への挑戦」への補足

2012-04-19 11:12:07 | 僕のモンマルトル日記

 

2012

04.19
目から目を移動するように目線を移動していく

〈実験・blog内通信 №5 2012/04/18発行〉
週報コメント・補足
=「目線を子どもの目から目へと連続的に移動させていく修業への挑戦」

◆教師としての「目線」を鍛えよう。
 授業が終わって「授業中、わたし(教師)と目があった人?」と聞いて、「ハ~イッ!」とたくさん手があがればいい。
 「先生がわたしを見てくれている」という意識の積み重ねが大切だ。

 でも、実際のところは――ま、わたしも自信がないのだが――目線が宙を泳いでいる……、あるいは、目線が不規則に飛ぶ……という場合が少なくない。

 昨年度までは、MINAMI中では「目線を子どもひとりひとりに0.1秒ずつ止めよう」「まず、教室の四隅の子どもに0.1秒ずつ止めることから練習しよう」と言ってきた。
 ところが、『プロ教師力アップ術55』(諸葛正弥著・明治図書)を読んでいたら、「子どもの目から目を移動するように目線を移動していくようなイメージで教室全体を見渡しましょう」とあった。
 こちらのやり方のほうが――すなわち、「ひとりひとりに0.1秒ずつ止める」というイメージより、「目から目を移動するように目線を移動していく」ほうが、目線を鍛えやすいと感じている。

 ぜひ、試していただきたい。


メ モ

(1)その子どもは「やる気」になっている。
 これまでとは打ってかわって「やる気」に満ちている。
 でも、どうしても、たとえば髪型を、あるいは服装を指導しなければならない。
 というような場面はよくある。
 やる気>指導≫やる気……
 「指導」を入れて、さらにやる気をアップするという指導技術があれば、それをぜひマスターしたい。
 これはなかなかむずかしい。
 まず①教師が子どもに対して共感を示す。
 →②気づかせる。
 →③子どもに改善策を考えさせる、あるいは教師が提案したいくつかの改善策から選択させる……となるのだろうか?

(2)気持ちを「あと(過去)」(前のクラス、前の先生)に残すタイプの子ども(←わたしはこういう子どもが大好きだ)に留意。
 いつも示す「カウンセリングのA>B>C」(左図)の精神で対応を。


野口流「叱り方3原則」 
   ~ 命に関わること・他人の不幸・3度目の正直 ~

 先生が、猛烈に叱るときがあります。 それは、次の3つのときです。
 ひとつが、命に関わる危険なことをしたとき。
 ふたつが、他人の不幸の上に自分の幸せを築こうとしたとき。
 みっつが、3回注意されても、直そうとしないとき。
 それ以外は、ニコニコしていますので、楽しくやっていきましょう。


これをすれば学級崩壊まちがいなし!
  
~ チェック表 ~  (「TOSSランド」から引用。制作者=太田麻奈美氏)

 1.最初の3日間でいったことを、教師の都合で変える。
 2.子どもからの質問に1対1で対応し、全員に伝えない。
 3.特定の子どもだけをひいきする。
 4.子どもの名前を呼び捨てにする。
 5.子ども同士が呼び捨てで呼んでいるのを放っておく(愛称はのぞく)。
 6.丸つけをする場面で、長々と列を作る。
 7.授業中に長々と説明をする。
 8.授業中に、「待って!」という子どもを待つ。
 9.授業中、一人の子どものそばにずっとついて個別指導をする。
10.子どもに、「そんなこともできないの?」と嫌みったらしく言う。
11.「これぐらい、前の○年生ができていたわよ」と前に受け持った子ども達と比べて言う。
12.「これぐらい、○年生でもできるよ」と下の学年の子ども達と比べて言う。
13.「お前、あほか」「ばかじゃないの」などと子どもをさげすむ。
14.「また○○さんがやったの?」と嫌みったらしく叱る。
15.子ども達を叱るときに、過去を持ち出す。
16.休み時間、教室にいないで、いつも職員室に帰ってくつろいでいる。
17.子どもが、教師が指定したことに対して「○○でもいいですか?」と聞いてきたときに、「それでもいいよ」と答える。
18.「先生、○○でもいいですか?」と聞いたときに、すぐに「仕方ないわねー」と返して許す。
19.宿題をやたらめったら出す。
20.子どものけんかで、片方の言い分だけを聞いて判断する。
21.子どもをほめない。


★前の試合(4/17 ライオンズ3-2ハム)について2点。

 1点目=牧田が立派になっている。
 先発経験に、昨シーズン後半の抑え経験が加わり、山あり谷あり……の試合開始から終了までを、堂々と投げ抜けるようになっている。
 ヒヨヒヨしたところが消えている。
 すばらしい!

 2点目=攻撃の「戦術」が変わった(*^_^*)。
 惨敗した前々試合、ハムPの多田野は6回で80球。
 が、前試合、ハムPの八木は5回で109球。
 よく見る。
 カットする。
 ピッチャーにたくさん投げさせる作戦やね(^_-)。
 今、こんなふうに、みんなでコツコツやっていくしか仕方がない。
 ま、オカワリ君は別。
 1球目を3塁打(^_^)v。

 本日の試合は、岸と、コツコツ打線の奮闘努力を祈る! 

★2番目の画像は、元気な頃のレオン。

 今の僕の夢、5つ――
 ①古書店跡の入り口を封鎖しているが、建具屋に頼んで、ステキなドアを作りたい(*^_^*)
 ②今はPCスピーカーで音楽を聴いている。
 ミニ・コンポがほしい(*^_^*)。
 第1候補=ケンウッドK-521(\23,076)
 第2候補=パイオニアX-HM50(\21,684)
 ③安くて小さい無線ランプリンターがほしい(*^_^*)
 ④早くWiMAX化したいよ(*^_^*)
 ⑤レオンに逢いたいよ(*^_^*)。
 でも、ムリだから、代わりにキャリコでも飼おうかな?と考えている。
 昔、3番目の画像のようなキャリコを飼っていた。
 「キャリべぇ」。
 9年ほど、生きた。
 ……以上、僕の夢。


★関連記事
~ 山田京教諭の道徳 ~ 目線を生徒ひとりに0.1秒ずつ止めている

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★不登校も非行もいじめも、「知的で楽しい授業」ですべて解決。これがプロ教師だ。これがMINAMIだ!

2012-04-17 09:26:16 | 僕のモンマルトル日記

 

2012

04.17
「知的で楽しい授業」ですべて解決。これがプロ教師だ

◆きょうの全校朝会は、前期学級役員・委員長任命式を兼ねて開かれた。
 (1)朝のあいさつ
 (2)室長・副室長任命
   各委員会委員長任命
 (3)校長の話

 生徒会役員(Oさん)の司会で、1年1組の室長・副室長から、2年、3年と、順々に氏名を読みあげる。
 室長・副室長が「はい!」「はい!」と返事をしていく。
 各学年とも、緊張感をともなった、よい返事だ。
 2年生、3年生になると、その緊張感に、――自分は何をやるべきか? くわえて、どういう困難が待ち受けているか?……というようなことがイメージできているから(そのことに対する)――自覚と気合いが加わり、立派な、堂々とした返事になる。
 1年生の返事<2年生の返事<3年の返事……ま、これが、あたりまえなのだが、実際には、なかなかむずかしい。
 学校がいい状態にあるかどうかのバロメーターになる。
 MINAMI中は、これが、ごく自然にできている。
 1年生の返事>2年生の返事>3年の返事……となると、学校はかなりピンチだ。 

 「わたしの話」の冒頭で、それをほめる。

◆〈わたしの話の骨子〉

 ここ、しばらく、ことあるごとに「いい学校の条件」について話をしてきた。
 そのひとつ……。
 「他のためにがんばり、汗を流し、そのことを喜びと感じる生徒が、いっぱいいる学校」。
 他のためには何もしない、自分のことだけを考える……という人間ばかりが集まっている学級や学校を想像してみると、荒れた、ガサガサとした光景が浮かびあがり、う~ん、なるほど、この「条件」はほんとうだなぁ~と、うなずいてもらえると思う。
 しかし、「他のためにがんばり、汗を流し、そのことを喜びと感じる」と、口でいうのは簡単だが、実際に行動するとなると、意外とむずかしい。

 まず、だれもやらないから、仕方がないから、わたしがやってやる……というのは除く。
 これは論外だ。
 そういう「やってやっている」という気持ちなら、わたしは、やらないほうがいいと思っている。

 また、他のためにがんばると、それは、やがて自分のためになるというのも、「やってやっている」というのよりは、マシだと思うが、わたしの経験からいうと、それも考えとしては、甘い。

 純粋に「他のためにがんばる、他のために汗を流す、そして、そのことを喜びと感じる」人間にならなければならない。

 生徒会本部の活動、生徒会各委員会の活動、あるいは、各学級の当番活動などは、純粋に「他のためにがんばる」レベルに至るための、たいへんよい機会だと思う。
 生徒会活動を通して、真に「他のためにがんばり、汗を流し、そのことを喜びと感じる」人間になろう。〈「わたしの話」以上〉


◆話は、前後するが、昨日、夕刻、主任会を開く。
 この「主任会」は、もう少しすると、時間割の中に組み込まれ、夕刻に開催ということはなくなるのだが、今は、暫定時間割だから、勤務時間外に特設した。
 内容は、各学年の「子どもたちの状況」(←これは、こういうあいまいな表現にとどめる)に関する情報交換だ。

 終わりに、わたしから、アトランダムに、次のことについて触れる。

(1)各学年所属職員の生かし方(動きたいのだけど、動けないという職員がいるものだ)
(2)卒業生情報
(3)分掌部長や主任として指示するとき、すべての職員が「わがこととして聞いている保障はない」と言い聞かせて、「わがこととして聞いてもらえる」指示の仕方の工夫を。
(4)業者に発注するときの「相見積もり」について。
(5)校内外巡回のときの「視点」について。
(6)生徒の日常生活におけるあいさつの状況。3年>2年>1年。
(7)学校は、生徒に関する、いろいろな課題を抱えている(←これはあたりまえ……)。
 その課題を、知的で楽しい授業でクリアーする(子どもが小学校へ行き、「先生、中学校の授業が、おもしろいよ、ほんとうにおもしろくておもしろくて」と報告するくらい、あるいは、夜、親に「お父さん、中学校の授業って、ほんとうに楽しいんだから」と報告するくらい)というのが、MINAMIのモットー。
 これを踏み外すと――たとえば、生徒指導で解決しようとしたり、部活動で解決しようとしたり……すると、必ずドブに落ちる。
 すべて「知的で楽しい授業」で解決する。
 これが「プロ教師」だ。
 「アマチュア教師」を廃す。


◆話は、さらに前後するが、4/6、午前6時50分から、地区交通安全協会が、信用金庫前で春の全国交通安全運動・街頭活動を行った。
 MINAMI中の生徒会もこれに参加し、飲酒運転防止のチラシを配り、安全運転を呼びかけた。
 昨年までは参加していなかったが、すこやかみなみネット地域情報交換会の中で、話題になり、実現の運びとなった。
 これからも、すこやかみなみネット事業を通して、各地域団体との連携・融合活動を創りだしていきたい。
 これは本校の「経営の重点2」とも密接に関連する。

 〈経営の重点2〉=マニフェスト2

 
「2.学校・家庭・地域が協働できる教育システムづくりをめざし、みなみ小・中PTAを核にすこやかみなみネット事業を推進します」
 ~保・幼・小・中の連携(垂直軸)に依拠した学社連携・融合(水平軸)の推進~
 ~学校の教育丸抱え体制を廃し、教育機能の家庭・地域への再配分・再位置づけの推進~

(1)数値目標を、保護者集会・参観日等の保護者参加率=80%とする。――「学社連携・融合」の推進状況をチェックする「数値」は他にもっと適切なものがあると思う。しかし、未だ見いだせていない。さしあたって「学社連携・融合」のなかで「学校と保護者の連携」は絶対に落とせない……ということで設定している。

(2)重点取組
 ①学校教育情報の家庭・地域への発信力アップ(通信の充実・公開方法の改善・HPの日常的更新)
 ②すこやかみなみネット事業の推進
 ・PTA活動の活性化
 ・保幼・小・中の連携の推進
 ・地域の諸団体との連携の推進
 ・教職員の地域・PTAへの貢献(学社連携コーディネート力の向上)
 ・地域の教育力の活用(小・中・公連携による、すこやかみなみネット人材バンクの設置)
 ・家庭の教育力向上への支援強化(学年・学級懇談会、PTA研修、教育懇談会等の充実)

◆教育は、学校だけで行われるものではない。
 同じように、家庭だけで行われるものでもない。
 家庭や地域社会、そして学校のそれぞれが、教育の場として機能を発揮することが大切だ。
 いわゆる「生きる力」についても、家庭や地域社会における、親子の触れ合い、友達との遊び、地域の人々との交流などの様々な活動を基底にしつつ、学校において組織的、計画的に学習することによって根づいていくものである。
 こういう観点から、今年度も、学校・家庭・地域におけるそれぞれの教育がバランスよく行われる環境づくりをめざしていきたい。
 バランスさえよくなれば、日本の教育はまだまだだいじょうぶだ。
 逆にバランスが悪いままだと、どんな施策を――例=学校選択制、学力テストの結果公開、小中一貫・高教育等々――を打ち出してもほとんど効果は期待できない。

◆このバランスをよくするための具体的な実践が、すこやかみなみネット事業の推進だ。
 すこやかみなみネットは、Minami小・MINAMI中のPTA(=父母と教師の会)が主体となり、テーマを子どもたちの健全育成・安全確保に限定して、小学校と中学校の強い連携・融合を軸に、地域の人々や地域の関係諸団体とのあいだに広くゆるやかにネットワークを形成し、それぞれの教育を活性化しようとするものである。(すこやかみなみネット事業の詳細については、以後、順次、アップする予定)

◆少し前、「ホームページを更新する時間が、きちんと決まっているような生活スタイルに、あこがれている。希望をいえば、何にも邪魔されることのない、午前3時~5時がいちばんいいのだが……」というようなことを書いた。
 本日の更新が、まさに、それ。
 午前3時半に起床。
 コーヒーを沸かし、午前4時から更新スタート。
 トップのライオンズ記事に――負けにイライラし――少し手間取ったが、午前6時、作業終了し、朝食――
 インスタントのみそ汁。
 昨夜の天ぷらと「牛肉と豆もやしの甘辛炒め」の残りをレンジでチン。
 保温のご飯。
 タラコ。……

 ただ、これだと、「大阪野郎、1に足腰、2に文体、引き明けの街を走る(スロー・ジョギング=5キロ)」がやれない。

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自分の生き方の問題として、どれくらい教育を考えてきたのか?と自問すると、頭が真っ白になってしまいます

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★「授業」の開幕。即、ギアを「教科の魂」に。そしてダッシュ! 自己紹介は厳禁だ

2012-04-16 15:33:05 | 僕のモンマルトル日記

 

2012

04.16
教師の語り、チョークの音、そして、子どもたちの声。MINAMIの授業は全開!


◆学級活動・生徒会活動は入学式(4/9)の翌日からスタートしていたが、「授業」はきょうが開幕だ。

 学級担任だった頃、帰りの会で「1時間目は何をしましたか?」とたずねると「自己紹介をしました」と返ってきた。
 「2時間目は?」
 「自己紹介!」
 「3時間目は?」
 「自己紹介!」
 学級日誌には1時間目~6時間目まで「自己紹介」の文字が並んでいた。……
 これでは子どもたちの意欲はそがれてしまう。
 本日は、即、ギアを「授業の中味」に。
 そしてダッシュ!だ。
 「教科の魂」を子どもたちにぶっつけよう。



 本校の授業力向上5原則――
 ①ねらいを明確に
 ②指示は短く、全員に
 ③達成状況の確認
 ④ひとりひとりへの激励
 ⑤全員に50分間の学習活動の保証
 とりわけ⑤「学習活動の保証」に留意して、6時間が終わったとき、子どもたちが「こんなに頭とからだを使った1日はない」と感じるくらい授業に熱中させる。
 通常だと、(たとえば数学だと)「数学っておもしろいィィ~」と子どもが思う瞬間を1、2度設定すればいいと僕は考えているが、きょうは「3回」設定しよう。
 教科担任の奮闘努力を祈る。
 自己紹介は、厳禁だ。(職員朝会コメント、以上)



◆授業中の廊下を歩く――
 黒板いっぱいに白、黄、赤で書かれた英文がひろがっている。
 小和田Tの2年英語だ。
 チョークの音、小和田Tの指示の声につづいて、生徒たちの一斉読の声が聞こえた。
 北校舎2階→中央廊下→南校舎2階→南校舎3階……。
 歓声が聞こえた。
 乱氏の社会科の授業だ。
 隣の教室では苫東Tが掲げた短冊に、子どもたちの視線が集中していた。
 どんどん廊下を歩いていく。
 校舎の端の技術室では、広岡Tがカラクリをかざし、熱っぽく語っていた。
 MINAMIの授業は全開だ。
 ……
 卒業式、修了式、春休みと、しばらくとだえていたなつかしい光景が流れ込んでくる。
 目をつむって深呼吸すると、このところずっと頭のなかでしこっていた神経が、やわらかく溶けていく。
 今年度も僕は、これらの語りとチョークの音と、そして、子どもたちの声のなかで暮らすのだ、座付作者として。



◆〈教務週報3号〉――4/16(月)~4/20(金)。
 「週報」には、1週間の授業・行事計画、出張等の記述のほかに、本校の場合は、その上部に各校務分掌部長からのコメントが記載されている。
 プロ野球で攻撃インニングの前に、「このインニングは、こう……こう……こういう攻撃をしていこう」という監督・コーチからの指示と同じだ。
 この1週間は、こういうところに力点を置いて職務にあたろう……ということだ。

 校長(わたし)=目線を子どもの目から目へと連続的に移動させていく修業への挑戦
 総務部=年度はじめの施設設備の点検とゴミの分別収集にご協力を。
 教務部=「さあ、受験生だ」「さあ、2年生だ」「さあ、中学生だ」に応える授業を。
 研修部=黄金の1週間。
 生徒指導部=いつだって師弟同行をがんばりましょう。
 保健部=(手違えで)未記入

 教務部のコメントも、研修部のコメントも、生徒指導部のコメントも、気持ちはよくわかる。
 しかし、南海の野村監督が「『次の回はスライダーをねらっていこう』というような指示を出しているチームはダメだ」という「スライダーをねらっていこう」式のコメントになっている。
 このコメントを、わがこととして聞けるのは、力のある教職員だけだ。
 次回は、もう一歩、踏みこんだコメントに。
 野球の試合と同じで、いつもうまくいくとは限らないが、いいコメントのつらなりが、いい学校運営につながっていく。


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★式辞=これは、お父さんとお母さんが僕を育てるために使ったお金です。ほんとうにありがとうございました

2012-04-14 14:05:20 | 僕のモンマルトル日記

 

2012

04.09
きょうは中学3年間の、山あり谷あり、非連続の連続、その「基点」だ


◆始業式・式辞
 3月の卒業式、修了式、離任式……ときて、4月に入り、先日の新任式、新クラス発表(4/6)、そして、きょうの始業式、入学式。

〈始業式・式辞〉

 1年間、毎日、毎日、生活していた教室を離れる。
 いつもいっしょにいた友人と離れる。
 お世話になった先生と離れる。
 転校という大きな変化があった人もいます。
 自分とつながっていたものから離れて、ポツンとひとりになる――これって、独特の雰囲気ですね――さびしいといえばこれほどさびしいことはない、さっぱりしたといえばさっぱりしたともいえる……(*^_^*)、この今のみなさんの「感覚」を大切にしてほしいと思います。

 ひとりになることによって、普段はあまりに意識しかなった「自分の今の姿」「心のカタチ」が、鮮明に見えるようになる。
 また、これまでの自分の一歩一歩が、夜、雷がピカッと光ったとき、パァ~ッと風景が見えるように、自分の足跡が見えるという時期です。
 今の自分の、心のカタチと、これまでの一歩一歩を点検しながら、大切にしながら、今年度の1学期、新しい一歩を踏み出しましょう。



 改めて、新2年生への進級、おめでとう。
 新3年生への進級、おめでとう。
 ここに、こうしている、みなさんで、力をあわせて、「MINAMI中生でよかった」「MINAMI中生であることを誇りに思う」と、心から思える――わたしもそうです、「MINAMI中の教職員であることを誇りに思う」と、心から思える、よい学校にしていきましょう。
 よい学校というのは、「在る」ものではありません。
 ころがっているものではありません。
 先輩たちから、しっかりと受け継ぎ、それを1㎜でも0.1㎜でもよくして、それをしっかりと伝えていくという、ギリギリの努力をして、いい学校を創り出していくのです。
 こういう意味で、新2年生、新3年生の役割は大きい。

◆きょうの始業式にあたり、「上級生」として心がけてほしいことを1点、そして、「中学という時代を生きる人間」として忘れないでほしいことを1点、お話しします。

 まず、「上級生」として。
 いばる上級生にならないでほしい。
 いばる上級生ほど、みっともないものはない。
 下級生がいばるのは、かまわない。
 いい学校や、いいチームは、下級生がいばっています。
 上級生は、絶対にいばりません。
 わたしが、ず~っと、大切にしている、ひとつのエピソードがあります。
 明治大学の野球部の話です。
 もう今はお亡くなりになりましたが、有名な監督がいました。
 島岡監督。
 37年間、明治大学の監督をしました。
 明治大学の野球部は、全員、寮で合宿しています。
 その寮を島岡寮といいます。
 この寮のトイレ掃除は、だれがやるか?
 島岡寮では、最上級生がやることになっています。
 大学ですから、1年生、2年生、3年生、4年生がいる、その4年生がトイレ掃除する。
 それも、キャプテンが先頭になって、責任をもってやる。
 今、楽天の監督・星野仙一さんも、明治大学の野球部出身で、キャプテンでしたから、毎日、毎日、トイレ掃除をしたそうです。
 今のようなトイレではないから、たいへんだったそうです。
 そのトイレを素手で、ピカピカに磨きあげたそうです。
 いやなことは、下級生にやらせない。
 いやなことは、「わたしたちがやるよ」という、やさしくて力持ちの上級生になってほしい。

◆次に「中学という時代を生きる人間」として、忘れないでほしいこと。
 これはなんどもなんども言ってきたことなのですが、中学という時代は、どういう時代かというと、いろいろあるけれども、いちばん大切なのは、親の保護、親べったりから、人生、独立に向けて、一歩一歩踏み出していく時期だということです。
 では、独立に向けて一歩一歩踏み出すとは、具体的にどういうことか?

 「お父さん、あるいは、お母さん、ここまでほんとうにありがとう。まだまだ心配をかけるけれども、これからは自分でやれることは自分でやり、お父さん、あるいは、お母さんに心配をかける量を減らし、悲しませる量を減らし、また、もう中学生だから、お金を使わせる量も減らしていきます。そして、なりたい自分をめざして、いっしょうけんめいに、がんばります」ということなんですよ。
 これが、独立に向けての一歩一歩です。
 だから、逆に、親に心配をかける量を増やしている人を、中学生とは言わない。
 親を悲しませる量を増やしている人を、中学生とは言わない。
 お金を使わせる量を増やしている人を、中学生とは言わない。

 悲しませる量を増やしているという人は、わたしのところに来なさい。
 叱るのではありません。
 わたしも、あなたといっしょになって考えたいと思っています。
 ぜひ、来てください。

 新しい年度の1学期、MINAMI中生、ひとりひとりが、真に独立に向けて一歩一歩、踏み出してくれることを強く期待します。

 最後になりますが、歌声が響く学校、日本一を実現しよう。
 品格日本一を実現しよう。
 学力日本一を実現しよう。
 そして、大いに読書しよう。
 月、火、水、木、金、5回の昼休みのうち、1回でもいいから、図書室に行って、いっしょに本を読みましょう。
 本を読まないで高校生になってしまったら、たいへんだ……と、わたしの願いを述べ、式辞とします。(始業式式辞、以上)

〈入学式・式辞〉


 春の光りがふりそそぐ、このよき日に、日頃、本校に何かとご援助を賜っております、多数のご来賓のご臨席を得まして、入学式が、このように、盛大に行えますことを、心より感謝申しあげます。

 新入生のみなさん、入学おめでとう。
 今、みなさんが見ているステージの上のほうに、本校の校章があります。
 ステージの奥の壁にもあります。
 みなさんに向かって、うみねこが、力強く羽ばたいています。
 これは、本校の教育目標、①心豊かで、②自ら学び、③健康なMINAMI中生を表しています。
 新入生のみなさんが、この校章のうみねこのように、元気に、はつらつと、未来に向かって、力強くはばたいてくれることを強く願っています。

 また、校章のコバルトブルーは、太平洋の海の青、空の青をあらわしています。
 この海の青、空の青の中を、群れをつくらないで、何にも染まらないで、たった一羽で、たったひとりで飛んでいます。
 中学という時代は、親の保護、親べったりから、人生、独立のための第一歩を踏みだす時期です。
 このうみねこは、こう言っています。
 「お父さん、あるいは、お母さんのお陰で、ここまで、元気に生きてくることができました。
 ほんとうにありがとうございます。
 まだまだご心配をおかけしますけれども、これからは中学生ですから、自分でやれることは自分でやるようにがんばり、お父さんやお母さんに心配をかける量をへらしていきます……」と。
 このうみねこは、人生の独立に向け、力強くはばたく、MINAMI中生を表しています。

 今、独立の第一歩を踏み出すみなさんに、ひとつ、わたしの体験を話します。
 わたしが、ちょうどみなさんと同じ年齢のときに、わたしは、その後の、わたしの人生・生き方に、強い影響を与えた、一冊の書物に出会います。
 それは『シートン動物記』です。
 この中の「灰色熊の一生」を読んで、ポロポロとわたしは涙をこぼしました。
 「伝書鳩アルノーの物語」というのも、よく覚えています。
 しかし、わたしに強い影響を与えたのは、動物記そのものではなく、書物のいちばん最後についている「シートンという人はどんな人かという解説文」でした。
 解説文に、こんな場面が出てきます。
 大人になったシートンが、お父さんとお母さんに向かって「お父さん、お母さん、わたしをここまで育ててくれて、ほんとうにありがとうございました」
 と言って、テーブルに包みを置きました。
 「これは、お父さんとお母さんが、わたしをここまで育てるために使ったお金です。ほんとうにありがとうございました。お返しします。このお金は、お父さんとお母さんで使ってください」
 これを読んで、わたしは、2つのことを考えました。
 ひとつは、「そうか、こうして返すものなのか。よし、僕も、お父さん、お母さん、これが、お父さんとお母さんがわたしを育てるために使ったお金です。お返ししますとやってやろう、そうしなければいけない」……と思いました。
 もうひとつは、「大人になって返すとすれば、たくさん返すのはたいへんだ。だから、今、あんまり使わないほうがいいなぁ」(*^_^*)と考えました。

 わたしの体験の話は以上です。

 もちろん、みなさんはまだお金を返すことはできませんけれども、これまで育ててくれた親に、あるいは、お世話になった方々に、おじいさん、おばあさんに、感謝の気持ちを強くもってほしい。
 加えて、「心配をかける量」を減らし、安心してもらえる、喜んでもらえる量を増やしてほしい。
 このようにして、一歩一歩、前進・成長していくのが中学という時代です。

 みなさんが、毎日の勉強に、生徒会活動に、行事に、部活動に、このMINAMI中で、先生方と、友人たちと、ご家族と、地域の方々と、いっしょに、人生の貴重な、1分1秒を刻みながら、大きく成長することを願っています。
 新入生のみなさんへの、わたしの話は以上で終わりです。

 さて、保護者の皆様、お子様の中学生としてのスタートを心よりお喜び申し上げます。
 私ども、教職員一同、お子様をお預かりした、大きな責任を果たすべく最大の努力をいたす決意でございます。
 短く4点申しあげます。
 1つ目、これは2月の保護者説明会でも申しあげましたが、知的で楽しく、かつ、トップレベルの学力がつく、授業を創ります。
 2つ目、生徒の心と身体の安全のために、安全管理と事故防止を徹底します。
 3つ目、「困っている人に親切にしよう」「ゴミを拾おう」「他のためにがんばろう」など、生き方の原理・原則を重視した教育を行います。
 4つ目、地区の安協、防犯、町内会、子ども会など地域の諸団体、あるいは公民館、Minami小など、地域一体となって展開しております「すこやかみなみネット事業」を通し、学校と家庭と地域のバランスがとれた教育システム、学校と家庭と地域がそれぞれの立場で自由に、気軽に、参画できる教育システムを開発していきます。

 いい学校というのは、そこ、ここに、ころがっているものではありません。
 学校と家庭と地域が協力し合って創りだしていくものです。
 こういう強い決意で、これまでも地域のみなさまと一体となって取り組んできました。
 どうか保護者のみなさまにも、PTA活動、すこやかみなみネット事業に、それぞれ、やれる範囲、参加できる範囲で結構ですから、……たとえば、休日だったらいいでよ、あるいは、夜だったらいいですよ、インターネットだったらいいですよ……と、できる範囲で結構ですから、いっしょにやりましょう。
 よろしくお願い申し上げます。

 地域のご来賓のみまさま、MINAMI中の新入生が、これから3年間、このMINAMI中で、このMINAMIの地域で、貴重な1分1秒を刻んでいきます。
 どうぞ成長を見守り、ご支援を賜りますようお願い申し上げ、式辞といたします。(入学式式辞、以上)

◆午前中、始業式のあと、隣のMinami小の入学式に出席した。
 小学校6年間、山あり、谷あり、涙あり……非連続の連続の大冒険。
 くわえて、中学3年間の、これもまた、非連続の連続、山あり、谷あり、涙あり、晴れたり、曇ったりの大冒険。
 きょうが、その「基点」だ。
 式場に身を置き、胸がいっぱいになる。


★関連記事
修了式。子どもたちに中学時代を語りながら、自分の向けて自分のうちで西条八十の『蝶』を口ずさむわたし。

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★省略語禁止。(例=教科担、学担、養教、市教委)対象になっている人に失礼だ。僕は学坦と呼ばれたくない

2012-04-13 12:14:46 | 僕のモンマルトル日記

 

2012

04.04
教科開きに自己紹介は厳禁!
 

 〈実験・blog内通信 №4 2012/04/04発行〉
学級・教科経営のスタート
    ~ 黄金の3日間 ~


◆学年はじめの、最初の3日間のことを「黄金の3日間」という。
 この3日間で、きちんと学級を統率することができれば、それは1年間、続く。
 逆に、いいかげんに過ごし、学級を統率することができなかったら、ほとんどの学級は荒れて、学級崩壊まで行くこともある。
 つまり、学級経営のよしあし、教科経営のよしあしは、ほとんど、この3日間にかかっている……この3日間が1年間を左右する……という意味で「黄金の3日間」と名づけられている。

◆左は、教師相互に授業力を点検しあう評価の観点(=基礎的技術)として、本校が設定している「授業力向上の5原則」と、このことに対応させた、子どもたち自らの努力の観点「学力向上の5原則」である。

 この「5原則」は、学級経営、教科経営、生徒会委員会活動、部活動など、すべての教育活動に通用する技術、方法、そして「思想」である。

 「黄金の3日間」を迎えるにあたり、再度、見直して、新しい生徒に臨もう。

子どもが動くしくみをつくる
◆向山洋一氏は、次のように述べている。
 「子どもへの愛情」「やさしさ」は、あとでいくらでもできることである。
 不十分な点も、あとで修正すればいい。
 まずは、子どもが動く「しくみ」を作る。
 このことに全力を挙げようというのが「黄金の3日間」である。
 学級を組織していく。そのために、何をするのか? どうするのか?
 学級を組織するための順序は、5つのステップを踏む。

 1,どのようなクラスにしていくのか?という目標を決定する。
 2,目標をやりぬくためのしくみを作る。
 3,責任の所在を明らかにする。
 4,それぞれの活動をいつ行うかを明らかにする。
 5,生活する上でのさまざまなルールを決めておく〈「学級経営の急所」(明治図書)P.55〉
 ※注=「掃除・給食はこうする」もこの段階に含まれる。

 
メ モ
 
教科開きで自己紹介は厳禁

 学級担任だった頃、帰りの会で「1時間目はなにをしましたか?」とたずねると「自己紹介をしました」と返ってきた。
 「2時間目は?」「自己紹介!」
 「3時間目は?」「自己紹介!」
 学級日誌には、1時間目~6時間目まで「自己紹介」の文字が並んでいた。……
 これでは子どもたちの意欲はそがれてしまう。
 最初から学級がボロボロになってしまう。
 バカな教科担任6人で学級を壊しにかかっているのだ。
 学級開きにしても、教科開きにしても、50分という教育活動には、指導者が1分1秒を強く意識しつつ、適度なテンポと、リズムと、読む・書く・聞く・話すがバランスのとれた活動(作業)が、必要だ。
 その創出のための、ギリギリの努力が必要だ。
 以前の話だが、本校の「卒業生を送る会」は、ずっと不評だった。
 で、教育課程編成会議で、翌年から取りやめと決まった。
 しかし、MINAMI中の歴史上、最後となる「送る会」は、意外なことに、皮肉なことに、たいへん好評だった。
 わたしも感動した。
 これだとやめることはないのにと思ったくらいだ。
 われわれが、50分以内という時間を強く意識し、内容を吟味し、テンポとリズムに配慮したからだと、わたしは思っている。
 子どもたちが「こんなに頭とからだを使った50分間はない」と感じる学級開き・授業開きを。
 特に「授業開き」については、「教科の魂」を子どもたちにぶっつけてほしい。
 「教科の魂」こそ、ぶつけるべきだ。
 通常だと、(たとえば数学だと)「数学っておもしろいィィ~」と子どもが思う瞬間を1、2度設定すればいいが、授業開きでは3回ほしい。
 教科担任の奮闘努力を祈る。

 自己紹介は、厳禁だ。

 
(2)「好きな話題でちょっと話せるあいだがら」を爆発的にひろげる

 わたしはよく――
 ・アイデンティティの「時間軸」(=自己の時間的・歴史的連続性)
 ・アイデンティティの「空間軸」(=所属する社会との連続性、つながり)とか……、
 あるいは、
 ・魂のカタチの「垂直軸」
 ・魂のカタチの「水平軸」……
 という言い方をする。

 この時期は……学級開きでは……、アイデンティティの「空間軸」を広げる、あるいは、魂の「水平軸」を広げる、すなわち、「人と人とのつながりをドンドン広げていく」ということに配慮することが大切だ。
 経験的にいって、この段階で放っておくと、友だち関係・グループが固定化して、やがて排除の論理を生み、学級がストレスの温床になっていく。
 わたしは「好きな話題でちょっと話せるあいだがら」を意図的にひろげていく――要するに「広く」「浅い」人間関係をひろげていく……ことが大切だと考えている。
 各学年で、これまでの学級開きの実践を提示し合い、「好きな話題でちょっと話せるあいだがら」を爆発的に広げる方策を検討しよう。

(3)「入学期」に2、3年生を鍛える

 「入学期」「新入生」という概念と存在を生かす学校経営・2学年経営・3学年経営を。
 卒業期や卒業式は、卒業生だけのためにあるのではない。
 わたしたちは、卒業生にMINAMI中生であることの喜びと誇りを持たせつつ、同時に1・2年生に喜びと誇りと目標を育てている。
 「入学期」はその逆である。
 「入学期」「新入生」という概念と存在を生かして、新2・3年生に何を育てるのかを強く意識して、これからつづく「入学式準備」「入学式」「歓迎セレモニー」「生徒会オリエンテーション」「入退場訓練」を運営したい。

(4)生徒の呼び方は「○○さん」。自分の呼び方は「わたし」で。

(5)省略語は極力使用しない。(例=教科担、学担、養教、市教委)
 対象になっている人に失礼だ。
 わたしは「学坦」と呼ばれたくない。
 教職員が「学坦」「学坦」といっていると、やがて子どもたちも「学坦」「学坦」と呼び始める。
 もちろん、聞いている人にも失礼だ。     (文責 小高 進)

★画像=清掃出校日。新学期に向けて奮闘する子どもたち。

★関連記事
★送り火。僕につづいて、パートナーもまたいだ。パートナーの身体が、一瞬、火に照らされ、闇に消えた

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★人生浮遊。手鍋焙煎。朝ドラ・カーネーション最終回。シュレッダー停止。ライオンズ対ハム戦。ふきのとう

2012-04-05 12:47:30 | 僕のモンマルトル日記

 

2012

04.05
僕は僕の道に進む。君に負けないでがんばる。人生の分岐点。さらば3月


◆しばらく――3/26(記事「修了式・式辞」)以来――僕の日常の、結構な部分を占めている、「ホームページ&ブログの更新」、「メールの送受信」、「BBSへの返信」……等々を、一切、中止し、ま、いってみれば、それとは別種の原理に支配された時空間を彷徨、あるいは浮遊(*^_^*)。

 「浮遊」の例①――
 部屋の模様替え。
 自分の「魂」がスコ~ンと嵌り込む、部屋の「カタチ」を求めて。(これに延べ3日間費やす。)

 「浮遊」の例② 3/31(土曜)の場合――
 早朝、手鍋焙煎(マンデリン120グラム浅煎り&コロンビア120グラム中煎り&パナマ120グラム深入り。)
 ガス火の熱さとの闘い。
 鍋の重さとの闘い。
 チャフ(豆の薄皮)との闘い。
 TV視聴・朝ドラ・カーネーション最終回。
 ま、僕としては3月/3日以降の内容は微妙。
 なくてもいいような気もする。
 というか、「迫り来る死の予感」と「人生の充実」をアウフヘーベンさせるのは、ホンマ、むずかしい。
 脚本家、演出家、役者に格段の力量が要求される。
 ただ、ラストシーン。
 奈津と思われる高齢の女性が、朝ドラ・カーネーションの第1週を観る場面は、増鏡の老婆風で、これはよかった。
 シュレッダー作業。
 部屋の片隅に積み上げられた、マル秘書類の処理。
 連続してやっていると、加熱し、なんとかプロテクターが働き、緊急停止。
 プロテクター解除→作業→再び緊急停止。
 緊急停止までの時間が徐々に短くなり、イライラ。
 このシュレッダー処理は、部屋の模様替え作業の一環だった。
 ライオンズ対ハム戦(GAORA)。
 9回裏、今季期待のゴンザレス、連打される。
 ホンマ、絵に描いたような逆転サヨナラ負け(ノ△・。)。
 気分一新、里山に侵入。
 泥にまみれ、怒濤の、ふきのとう採り。
 夜、ふきのとうの天ぷら。
 これは、ホンマ、うまい、うまい(^_^)v……で終わるような1日。


◆新企画――「茫漠の時空間」(=僕の過去)を→「職員室通信」のカタチで→「現在の僕」が疾駆する――の、試運転のラスト1週間。
 ①修了式の式辞、②修了式夜の教職員解散会、③翌日からの新組織企画……というつもりだったが、朝ドラカーネーションの3月/3日以降ではないが、僕のうちにある、いくつかの「気分」がぶつかり合い、どうしてもうまくコントロールできず、失墜→更新中止→彷徨&浮遊のハメに。
 この「失墜」を図式的に説明すると――
 気分A群(不安&いらだち)と気分B群(更新願望)。
 気分Aに気分Bが抑えられる。
 気分Aを封じることはできるかもしれないし、また、そういう修業は必要だと思う。
 しかし、ホンマは、気分Aも僕の気分なんだから、気分Aと気分Bを止揚する技を身につけなければいけない。
 僕は、いったん、気分Aを抑え込もうとし、いや、そうではない、そういうことをやっても意味はない、今の僕は気分Aと気分Bを止揚し、活路を見いださなければいけない……と思い直し、しかし、その技がない……というのが、今回の更新中止の理由。
 これからの僕の課題やね。


◆「気分B」の1つのファクターが下記――

 大学の春休み、訪ねてきた高校時代の友人(八木寿則)と、僕の下宿を拠点に、あちこち旅をしたことがあった。
 楽しい一週間だった。
 いよいよ彼が帰るという日、駅まで送っていった。
 彼は到着した列車の乗降デッキに立った。
 きっと、発車のベルが鳴り、ドアが閉まったら、手を振ろうと思っていたのだろう。
 僕も振り返すつもりだった。
 ベルが鳴る。
 ドアが閉まる。
 が、ドアの窓は厚く凍りついていた。
 列車が動き出したとき、彼はあわてて手で窓の内側をこすった。
 うっすらと手ぶくろの柄が見えた。
 ホンマに悲しかった。
 後発の列車に乗って彼の後を追いかけたい衝動に駆られた。
 同時に――不思議なことに僕のうちに――逆方向に行く列車に乗りたいという衝動が沸騰した。
 後を追おうとする衝動と、逆方向に行こうとする衝動。
 この方向の異なる「衝動」の意味が、ずっとわからなかったが、のちに、卒業式のときの教師(=僕)の気分と同じことがわかる。
 卒業式。
 自分の内側に大きく占めていた生徒の存在が、一気に空洞になる。
 さびしい。
 むなしい。
 と同時に、これとは別種の、もうひとつの不思議な気分。
 とにかく、わけもなく元気になる。
 たぶん、新しい世界に飛び立つ生徒たちが発する強烈なエネルギーが渦巻き、こちらに波及してくるのだと思うが、僕も彼らに負けないで、またがんばろう……という気持ちになる。

 あのとき、八木の列車と反対方向に行く列車に乗ろうとしたのは、八木は八木の道に進め、がんばれ! 僕は僕の道に進む、君に負けないでがんばる……ということだったのだろう。
 人生の分岐点だった。
 さらば3月。

★画像=自分の「魂」がスコ~ンと嵌り込む、部屋の「カタチ」を求めて――の「カタチ」の一部。

★シュレッダー処理寸前の「メモ」から
登場人物=乱氏、48やん(48+豪ちゃん+東京屋)、おっさん(Zero+仁科+酒洛)、亜紀(ボランティア事務局+太宰ファン)……。
・音読練習。ダラダラは×、カウントダウン方式で。
・田中と2人でやった卒論発表会の日の夢
テンションが下がった状態での記述を心がける。
 高いと、①細部を端折る ②展開を急ぐ ③(頭の回転が速くなっているから他と比較し)結局、自分を低く評価する。
 低いと(「高い」の逆)すなわち、①細部が書ける ②急がない  ③(他と比較する思考も働かないから)自分を極端に低く評価することはない。
・ラストで必ず銭形平次のように「銭」を飛ばすように。

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天ぷらになれるかもしれない、つぼみ状態のふきのとう――を6つ見つける

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★児童&生徒、3日会わざれば刮目して観るべし ~「よく変わりたい」という変身願望に対して感性を磨く~

2012-04-04 21:12:29 | 僕のモンマルトル日記

 

2012

04.04
人生にはいくつかの「基点」がある
 

★画像=大学時代、僕たちが「迷惑」をかけた喫茶店やスナックのマッチ群。
 「迷惑」には2種類ある。
 ひとつは、一杯のコーヒーで長時間、粘る。
 もうひとつは、同人雑誌への広告掲載のムリ頼み。
 画像の右上はジャズ喫茶オーヨーのマッチ。
 狭い階段を上がり、扉を開けると、濃いオレンジとコバルトブルーのツートンカラーがまぶしかった。
 同人雑誌をはじめて、最初に広告を載せてくれたのが、オーヨーだ。
 奥まった小さなステージにピアノがあった。
 「今度の日曜日、ジャムセッションをやる」とママが張り切っていた。

★人生にはいくつかの「基点」がある。
 何かのハズミに、ふと、その「基点」のひとつに帰り、今の僕を接続したくなる。

 その同人雑誌には、「マリコ」という女性と「わたし」――一人称視点――という男が登場する夫婦小説を連載していた。
 短いときで原稿用紙30枚、長いときで100枚。
 計8回、2年間つづいた。

 その「第8回」のラストシーンをときどき思い出す。
 僕の「基点」のひとつだ。
 あの「夫婦」は今頃、どこでどんなふうに暮らしているだろう?

 右の画像は、同人雑誌の編集や合評会をやっていた名曲喫茶ひまわり。

◆きょうの日程は、午前中、職員会議、校内研修、午後、学年部会だ。
 職員会議は、各校務分掌(総務・教務・研修・生徒指導・保健)の活動計画、各領域部会(道徳・特別活動・進路指導・総合的な学習の時間)の指導計画の発表。
 この職員会議に合わせて、「職員室通信」№03 №04を発行する。

 №03号=「服務規程」「危機管理と学者連携」「3日会わざれば刮目して観るべし」

 №04号=「学級経営・教科経営のスタート 黄金の3日間」「子どもが動くしくみをつくる」「教科開き」「アイデンティティの空間軸」「入学期という概念」

                          ★

 〈実験・blog内通信 №3 2012/04/04発行〉

服務規定の確認

◆年度はじめなので、型どおり、本校の服務規定の確認する。
 服務規定は、学校「正義」の堅守――今、適切なことばが見つからないので、「仮に」と断って、また、必ず後日、適切なことばに書き換えることを約束して……)と、危機の管理のためにある。

 全体的には、本校の場合、おおむね、よい状態にあると判断している。
 たとえば、外部(保護者・地域・教委・報道等……)から問い合わせがあった場合でも、各主任、教頭、校長が知らないということはめったにない。
 だから、即、適切な対応ができている。
 これは、服務規定にしたがい、①記録(分刻み)②報告がきちんとされているからであるし、また、学年を含む分掌組織内――いつもいうことだが、分掌内の人間関係というのは、規則とか命令とかではなく、精神の伸びやかなつながりのもとで、重要な価値が交換されやすい――で適切にチェックされているからである。

〈校長の承認が必要なこと〉
 ①日課の変更
 ②生徒の校外への引率
 ③計画以外の集金等
 ④所定時間以後、生徒の居残り
 ⑤(計画以外の)休日の登校
 ⑥学校名で文書の発行または電話の交渉
 ⑦施設・設備の配置替等
 ⑧施設・備品の貸与
 ⑨勤務時間中の外出
 ⑩生徒への重大な懲戒
 ⑪保護者の召喚
 ――②との関連で、学校管理下の時間帯で生徒を単独で校外に出さない。
 ――⑪との関連で、PTA関連の招集も含む。

〈校長に直ちに報告すること〉
 ⑫生徒の負傷
 ⑬生徒の所在不明
 ⑭盗難
 ⑮生徒の家庭の事故
 ⑯保護者の要望・苦情
 ⑰施設・備品の破損
 ⑱臨時の会議
 ⑲生徒への体罰

 〈承認〉および〈報告〉の方法については、
(1)当事者→事案に該当する担当責任者(主任)→教頭→校長
(2)当事者(が直接)→主任・教頭・校長という2つの経路がある。
 内容、あるいは伝達に要する時間等を考慮し、臨機応変に判断する。

 なお、各分掌の会計管理については、特に下記の点を厳守。
(ア)清算事務を年度内に確実に終了する(ただし……)。
(イ)その都度、領収書の確認する。
(ウ)出納簿(支払い)は1件ごとに記載する。
(エ)交際費(香典・お礼)支出の際は履行証明書を確認する。

 
 
危機管理と学社連携

(1)来校者への対応 ~ 危機管理と学社連携は表裏一体 ~


①来客を見かけたら、即、接近し、「どのようなご用件でしょうか?」、待機している来客には「担当の者と連絡はとれていますか?」。(来客が「ここの教職員は、何人も、次々に、声をかけてくるなぁ」と感じるくらいに)

②下記の来客は、一応「どうぞ、校長室にも寄ってください」と声をかける(イヤがる人は別……)か、校長室に「副会長さんがお帰りですよ」と声をかけてほしい。
 ・PTA総務委員会メンバー
 ・地域の町内会長や防犯・青少年育成団体等の責任者、施設や企業(例=旅行者)等の長
 ・他小中学校の校長・教頭等
 ・進路先の関係者
 ・部活動のコーチなどボランティア……等

③中野Tの客は、学校の客であり、自分の客でもある……という姿勢で対応する(あいさつをする。ねぎらう)。

 
 
(2)職務に応じた視点で毎日の校舎内外の巡回

 小職、教頭、学年主任(副主任・副担任)、教務主任、生徒指導主事、研修主任、保健主事、学級担任、教科主任等々……それぞれ職務に応じた「視点」で、計画的に、あるいは状況に応じて巡回する。
 この異なった視点の巡回の総和が、MINAMI中の教育力になる。
 危機管理力になる。

 例・学年主任(副主任・副担任と分担、連携して)=登校の状況(玄関or学年棟)、学年生徒の授業の状態、給食準備の状態、昼休みの状況、下校時or下校後の状況……。
 なお、学級担任は、自学級の他教科の授業の状況をぜひ自分の目でチェックする。

(3)名刺を用意する。

 年度はじめは、地域の方々、高校関係者、業者など学校外の人々との接触が多い。
 名刺を出されたら交換するのが社会的ルール、礼儀である。

(4)おじぎの角度を点検してみる。

 わたしは、昨年8月末、あることから――ま、はっきりいうと、宇都宮大の廣瀬人氏に会ったとき、氏に直角、90度の礼をされ、「おまえ、何がミスター学社連携やねん」と自分の甘っちょろさをガガ~ン!と打たれたような気がし――これまでの30度~45度の礼から、60度の礼に切り換えた。
 世界の見え方が変わった(^_^)v。

 
3日会わざれば刮目して見るべし
 ~ピグマリオン効果 生徒の「よく変わりたい」という変身願望に対して感性を磨く~

 「3日会わざれば刮目してみるべし」という視点(=「この子は、新学期、どんなところがよくなりたいと思って、朝、起きて、学校にやってきたのだろうか?」)と、目をこすって生徒を観察する。
 1人残らず、よくなりたいと思っているにちがいないと思いこんで(ピグマリオン)、子どもといっしょに「存在」する。
 いっしょの時空間に存在できる喜び。
 これが、先日、話したA>B>C……の「B」にあたると考えている。
 いつくしみ、応援できるよろこび。
                          (文責 小高 進)

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それはそれでたいへんや、たいへんや、いったい、どないシマンネン
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学社連携が提唱されて既に40年。改正教育基本法で第13条「学校、家庭及び地域の連携」が規定された。


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★1・2・3各学年の教師の力を、3.33と3.33と3.33になるように組織。余りは1学年に回す

2012-04-02 19:48:59 | 僕のモンマルトル日記

 

2012

04.02
伊東静雄の蛾は既に死んでいるが、僕の蛾は生きている



◆夕食中、視界の上に動くものの気配を感じ、見上げると、照明の笠の中に、小さい蛾がいた。
 反射的に、静雄「訪問者」の詩句を想起する。

 トマトを盛った盆のかげに
 忘れられてゐる扇
 (中略)
 出されたまま触れられなかつたお茶に
 もう小さい蛾が浮かんでゐる
 生涯を詩に捧げたいと
 少女はいつたつけ
 (後略)――(以上「訪問者」から抜粋)

 でも、ま、僕の「蛾」はまだ死んでいない。

◆新年度の1日目だ。
 次から次に、会議が――会議と会議の間は移動時間だけ……という感じで――ぶっ通しでセットされている。
 ま、そうしないと、入学式がやれない。
 新学期が始まらない。
 (昨日のくりかえしになるが、再び)列挙すると――
 ①職員会議(職員紹介=自己紹介→校内組織・経営方針の発表)
 ②学年部会
 ③職員室内デスク移動
 (並行して)新任教職員学区内あいさつまわり。
 昼食
 ③校務分掌(総務・教務・研修・生徒指導・保健)部会
 ④教科部会
 ⑤教科主任会
 ⑥領域(道徳・特別活動・進路等)部会……と。



◆僕の場合、20年、30年と、この「新年度の1日目」を、くり返しやっていて、そのやり方も、その気分も、既にからだの一部になるくらいに、しみついている。
 とはいうものの、その年々の――なんといったらいいのか?……くり返しでないところの――きらめくような気分(決意)やら、亀裂が入ってしまった気分(怒り)やら、萎えた気分(絶望)やら、瞑目瞑想的な心境(自信)やら、ドキドキワクワク(緊張)やら……それらが見えない糸で結びつけられ「新年度の1日目」には、ズルズルと引きずり出され――稲妻で地のカタチが露わに浮かび上がるように(くどいようだが)「決意」「怒り」「絶望」等々が――よみがえってくる。

 本日冒頭の職員会議では、この「稲妻」をグッと抑えて、事務的に校内組織を発表。
 印刷した新組織を提示してから、(時間のスペースが少ないので)取り急ぎ伝達したいことにしぼって発表した。
 「見出し的」には次の通り。
 1.いっしょに困って困って困ってやる(子どもへの接し方)
 2.今年度の経営の重点
 3.組織編成のポイント

 「1」は、下記の「blog内職員室通信」。
 「2」は、そのうちWEB『職員室通信』としてアップする予定。(先月の分がアップできていないので、ずっと後になるかもしれないが)ぜひぜひ、ご覧いただきたい。

 「3」の骨子は下記の通り。

◆〈組織編成のポイント〉(「――」の後の記述は、それをそのままぜんぶしゃべったわけではない。)

(1)バカ者同士が仲良くやっているような校務分掌チームを廃す。
 あるいは、賢い者同士が牽制し合っているようなチームを廃す。
 常に真摯な姿勢。
 チャレンジ精神。
 本音。
 プラス思考。

 ――組織の停滞&緩みの背後に、必ず「バカ者同士が仲良くやっている」空気が存在する。
 年度末に開いた、新メンバーによる運営委員会では、「そうならないように、優れた経営能力、倫理観、強いリーダーシップを有するあなたを主任に選びました」と、僕の思いを伝えた。

(2)3つの学年(1・2・3学年)の教師力のバランスに、ギリギリまで腐心。

 ――1・2・3各学年の教師の力を、3.333……と3.333……と3.333……になるように組織した。
 もちろん、人は機械ではない。
 きちんと割り切れるはすがない。
 でも、それをギリギリまでやって、割り切れない分は、1学年に回した。
 1学年経営が失敗すると、あとから立て直すことがひじょうにむずかしくなる。
 荒れる学校をみていると、原因の多くは1学年経営にある。
 逆に、1学年経営がうまくいくと、(これまでの経験からいえば)2・3学年がうまくいく可能性が大きくなる。



(3)適材適所(最適任者)主義。
 日本国憲法(含中教審答申等)と分掌運営を直結してプロの仕事ができる人材。
 教育史・教育哲学史の中に自らの分掌を位置づけて仕事ができる……という専門的技量を有する人材。

 ――組織編成のとき、いつも、「育成主義」か、「適材適所(最適任者)」主義かに悩む。
 ホンマに苦しむ。
 今年度も、ホンマにホンマに苦しんだ。
 僕の仕えた校長に、教職員にいろいろな校務を計画的に経験させて育てていくという方針で組織作りをする方がいた。
 2年間、教務主任をやったら、次の年は生徒指導主任……という具合に。
 僕も、ある校務分掌で一定の成果をあげたつもりでしたし、校長も評価してくれていたので、「よし、次年度も……」とはりきっていたら、「小高さん、○○は、もういい。来年度は△△をやりなさい」という感じだった(*^_^*)。
 僕はこの校長の影響を強く受けている。
 できることなら、教職員には計画的にいろいろなポジションを……という気持ちがある。
 しかし、現実的にはなかなかむずかしい。
 特に今年度は、危機管理という観点から各部署のトラブルへの対応力をアップし、「危機管理90%・教育哲学10%の経営」といわれる教育現場から、「危機管理40%・教育哲学60%の経営」への脱出を、大きな目標に掲げている関係上、どうしても適材適所(最適任者)主義をとらざるを得なかった。
 僕がこう感じているくらいだから、教職員の中にも、ずいぶん偏った起用法だと不満に思っている人が、きっといると思う。

(4)課題&トラブルへの対応能力アップ。

 ――トラブルへの対応力については、「焼き」が入っているというレベルまで技量をアップする。(新聞記事の切り抜きから。記事中の「掃除」を「トラブル」と読みかえてみる。)
 掃除の下手な大工は仕事もアカン。
 こう語ったのは、大阪万博の日本庭園をはじめとして生涯に120余りの茶室を手がけた数寄屋大工の中村外二さん。
 駆け出しの職人は木の削り屑に肌で触れ、道具の使い方や仕事の段取りなどを先輩大工から盗む。
 掃除が下手であることは基本の学習を怠ってきた証しであり、いい家が造れるはずもない、と。(中略)
 掃除下手の棟梁に社会保障や外交・安保という大建築が手に負えるか、疑問を感じた有権者もいただろう(後略)

(4)「0」からの出発。
 若い頃、1学年に所属になった。
 その最初の会議で、学年主任が「うちの学年では……」「うちの学年のやり方は……」を連発するので、これからみんなで「うちの学年」をつくるのではないのか……と違和感をもったことがある。
 「0」からの出発を。



◆10時40分から乱氏の案内で、新任教職員といっしょに学区内のあいさつまわりにでかける。
 風が強かった。
 しかし、雨でなくてよかった。
 O地区連合合町内会長宅をかわきりに、O地区、M台地区、S台地区の地域団体関係者、社会教育施設、学校教育施設などをまわる。

◆画像=職員室内デスク移動の光景。

                          ★

〈2012/04/02発行〉
いっしょに困って困って困ってやる
  ~ 中学生の心をとらえているものが
    ゆっくりと動きだしことばになる過程を共にする ~


◆子どもへの接し方(指導)が、A>B>Cとなっているか常に点検しよう……と、ここ、10年くらい、教職員にも、保護者にも、そして、自分自身にも言いつづけているのだけれども、これがなかなかむずかしい。
 修了式(3/26)の朝も、いきなりの「C」は効果がない(反感をもたれるだけ……)とわかっているのに、頭髪のことで、1年の女子生徒を厳しく叱ってしまった。

◆年度のはじめにあたり、まず、このカウンセリングのA>B>Cについて確認したい。

(1)くりかえしになるが、いきなりの「C」とか、あるいは、「C」だけというのは、ほとんど効果がない。
 その子どもと自分(教師)とのあいだに、Aの部分・Bの部分が形成されているかどうかを、まず、チェックしよう。
 僕の恥ずかしい体験だが「Cだけでやる。ベタベタしない。毅然とやるんだ」といい気になっていた時期がある。
 Aの部分・Bの部分についての認識がまったくなかったのだ。
 それでも何とかやれたのは、他のベテラン教師がわたしの分まで、Aの部分・Bの部分を形成してくれていたからだ。
 そのことに気づくまでに、僕の場合、かなりの時間がかかった。

(2)昨年の始業式が始まる前、松代Tの「まだ椅子の(高さの)調整ができていないので、座りににくいだろうが……」のことばに僕はショックを受けた。
 これはAの部分・Bの部分だ。
 そのとき、僕からはスッポリと抜け落ちていたのだ。
 このA・Bのあと、松代Tは「C」座るときの腰、手、足の位置を指導している。
 瞬時に、A>B>C……をやっているのわけだ。
 これは高段の技だ。

(3)Aの部分・Bの部分では、極力アドバイスを避ける。
 話を聞いてやり、聴いてやり……、いっしょに困って、困って、困ってやるだけでいい。
 いっしょに困ってやる過程(時間)を大事にしよう。(どうしてもという場合、僕は、最後の最後に、いくつか例示し、子どもに選択させることがある。)
 中学という時期の、子どもの心の底にある気持ちは、(本人にとっても、他の人にとっても)そんなに容易に言語で表現できるものではない。
 中学生の心を捉えているものが、ゆっくりと動き出し、言葉になって外に出てくる、長い、長い過程を共にできるだけの、器量を自分がもっているのか?と、たえず自身に問いつづけたい。

 ただし、1点、心したいのは、教師は親ではない、姉でも、兄でも、先輩でも、友人でもない。
 教科担任だ。
 あるいは、学級担任だ。
 さらにいえば、その子の前で、別な教科担任が授業をするのだ。
 この、なんというか、「わきまえ」が、むずかしい。

(4)ノンバーバルコミュニケーション。
 子どもは、話の内容もそうだが、教師の(面談中、講話中、授業中、日常の)しぐさ、表情、姿勢、態度、語調、雰囲気と「対話」している。
 だから、このノンバーバルコミュニケーションを軽く考えてはいけない。
 先輩から「教師は絶対に腕組みをするな!」と注意を受けたが、このことを言っているのだろう。
 「切れる姿」を見せるなどもってのほかだ。
 「切れることば」もそうだ。(どちらも教師としての倫理に反する。)
 あとからフォローすることが大切だ(=フォローすればOK)と言う人もいるが、僕の家のレオン(ゴールデンリトリバー)でもフォローはきかない。

 ノンバーバルコミュニケーションを生かす器量をもとう。

(5)個人面談で鍛える
 個人面談やチャンス相談は、奥が深い。
 そして、これが、教育のスタートだ。
 以前、Dr.海原純子さんと、仕事で打ち合わせする機会があった。
 ほとんど、もう、向かい合った瞬間だった。
 彼女が一言二言話した。
 ただ、それだけなのに、僕の身体からこわばりが溶けた。。
 これっていったいなんなんだろう! スゴイ!と思った。
 同時に、僕も相手にそんなふうに感じさせるように修行したい思った。
 カウンセリング理論を学びながら、わたしたちは「個人面談」をやって、やって、やり通して、中学生の心を捉えているものがゆっくりと動き出し、言葉になって外に出てくる長い過程を共にできるだけの、器量をゲットしたい。
 その力を、徐々に学級や学年という全体に応用する。
 「個人面談」ができないと、教師は、全体には語れない。(文責 小高 進)

◆「職員室通信」は、これまで、別コンテンツ(職員室通信一覧→職員室通信各号)として扱うか、あるいは、ブログ記事に地の文として紛れ込ませるか……だったのだが、「別コンテンツ」だと、ブログ記事と距離が出来すぎるし、ブログ記事に潜ませてしまうと、「距離」がなさすぎるし……ということで、今回、実験的に、「別コンテンツ」と並行して、「ブログ内・職員室通信」というのをやってみた。
 これで、しばらく様子をみることにする。

 4月から、『新企画』――「茫漠の時空間」(=僕の過去)を→「職員室通信」のカタチで→「現在の僕」が疾駆する――の、本運転が始まったのだが、いきなりスタートが遅れてしまったり、こういう「ブログ内・職員室通信」をやってみたり……と、やや混乱(ノ△・。)。


★画像=煮干し。
 これをつまみに発泡酒を飲む。
 ただ生臭いのが苦手なので、海苔、菓子等に入っている乾燥剤の袋といっしょに密封し、カラカラにしてから食べている。

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海原純子「嫌な感情は私のところでストップさせよう」と決めたことがあります。そう決めると、少し元気が出てきますよ。」

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★書いて書いて書きまくって、その書いたモノの「要点」あるいは「要旨」としての「レジメ」ならいいか?

2012-04-01 14:34:20 | 僕のモンマルトル日記

 

2012

04.01
怒濤の「職員室通信」か? 簡潔なレジメか?


◆コーラルのスピーカー=FLAT―6S。
 初めてもらった給料でゲットしたスピーカーだ。
 しばらく使っていなかった。
 接続していたアンプは老朽化し、既に破棄。
 レコードプレーヤーも大きな地震のとき、ラックから落下し、大破。
 このスピーカーだけが、屋根裏でずっと眠っていた。

 ネット上で見つけた「解説」によると――
 ・白色のコーン紙の中心にジュラルミンドームを採用した16㎝のフルレンジユニット。
 ・エンクロージャーはバスレフ方式で、材料は音響合板を使用した4面ウォールナット仕上げのブックシェルフ型。
 ・方式=1ウェイ、1スピーカー、バスレフ方式、ブックシェルフ型。
 ・使用ユニット=全帯域用:16㎝コーン型。
 ・インピーダンス=8Ω
 ・最大入力=10W 

 近々、小さなアンプを買って、このスピーカーでピアノジャズを聴こうと思っている。

 僕の「原点」を確かめたい(^_^)v。

◆土曜日(3/31)、日曜日(4/1)の両日、ひとり閉じこもり、第1回の職員会議に出す「職員室通信」をつくる。
 レジメ形式の「通信」や「提案書」等は、極力、避けようと思っている。
 レジメで学校は――世の中もそうだが――動かない。
 自分を鍛えることもできない。



 しかし、当日の日程は――
 ①職員会議(職員紹介=自己紹介→校内組織・経営方針の発表)
 ②学年部会
 ③職員室内デスク移動
 (並行して)新任教職員学区内あいさつまわり。
 昼食
 ③校務分掌(総務・教務・研修・生徒指導・保健)部会
 ④教科部会
 ⑤教科主任会
 ⑥領域(道徳・特別活動・進路等)部会……と、ぶっ通しで会議がつづく。

 ①の内容を受けて、②~⑥の会議&作業が行われること、①での僕の持ち時間が実質20分くらいであること……等を考えると、怒濤の「職員室通信」というのはムリ、ムダで、A4版2枚くらいの簡潔な「レジメ形式」が、やはり、いいのか?
 スゴク、迷う。



◆僕の場合、これまではどちらかというと、「プロ教師への道」とか「学社連携・融合の推進」とか、いわばテーマが先にあって、そのテーマに即して実践事項を創出する……ひねり出す……というやり方だった。
 ところが、今回は逆だ。
 「音読を――いってみれば短い作業として――積極的に取りいれた授業」
 「家庭学習に接続する開かれた授業」
 「職員会議に明確に位置づけた教科企画書」
 「人材バンクの創設」など、芋づる式に具体的事項が出てくる。
 背後に、きっと、これまでの僕たちの実践の積み重ねが、大きなエネルギー・大きな流れとして存在するからだろう。

 ま、書いて書いて書きまくって、その書いたモノの「要点」あるいは「要旨」としての「レジメ」ならいい。
 同じ意味で、実践して、実践して、その積み重ねの上にある「レジメ形式」の「職員室通信」なら、いいのか?

◆「職員室通信」をつくりながら、3/30(金曜日)、年度末の定期異動で転出する教職員を見送った場面を思い出した。
 引っ越し準備が完了した人から、ひとりひとり、玄関を去っていく。
 合計5人の教職員が去っていった。
 最後の荷物をさげて遠ざかっていく姿を見ていると、ツーンとくる。
 自分の過去の姿と重なってしまう。
 僕は10の職場を転々としてきた。
 波風立たず、かつ、自分でも納得という「転勤」は3回。
 あとは、自分の心のうちで、自分に、もしくはだれかに「罵声&怒声」を浴びせながらの転勤だった。
 退職を決意したこともあった。
 今回、見送った人のなかには、心のうちで、僕に「罵声&怒声」を浴びせながら、去った人もいるにちがいない。
 ホンマ、申しわけない。
 でも、これが人生だ。
 5人の前途に明るい光が射すことを祈念しつつ、僕もまた新しい旅に出ようと思っている。

◆画像は、春休みの校内風景。
 「校内組織・経営方針の発表」があるまで、浮遊しつづける教材?&教具?等(*^_^*)。





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