職員室通信・600字の教育学

小高進の職員室通信 ①教育コミュニティ編 ②教師の授業修業編 ③日常行事編 ④主任会トピックス編 ⑤あれこれ特集記事編

1000番目のtweet。どれも制限字数いっぱいまで使ったから140字×1000=140000字

2011-01-30 15:59:06 | Weblog
2011
01.30
400字詰原稿用紙にして350枚。塵も積もれば……(*^_^*)。


★脱線4――このtweetが1000番目のtweetだ。
 どのtweetも制限字数いっぱいまで使うようにしたから、140字×1000=140000字。
 400字詰原稿用紙にして350枚。
 塵も積もれば……、あるいは継続は……というところだ(*^_^*)。
 これからこのtwitterをどうするかについては、深く考えていないが、ひとまず2000tweetをめざすことにする。


twitter時空間は、構造的には、僕がもっとも好む「開かれた孤独の時空間」とよく似ている

2011-01-30 15:43:16 | Weblog
2011
01.30
twitterはコーヒーショップのカウンター席。駅の待合室。


★脱線。
 twitterというのはコミュニケーションツールだ。
 なのに、僕のtwitter(osakayaro大阪野郎)はまったくのひとり旅。

 なぜ、大阪野郎は、twitterでひとり旅を?と思われるかもしれない。

 実はtwitter時空間が、構造的には、僕がもっとも好む「開かれた孤独の時空間」とよく似ているからだ。

 コーヒーショップのカウンター席。
 駅の待合室。
 列車のボックスシートの通路側。
 図書館の閲覧室。
 カウンター越しに人が行ったり来たりするのが見えるデスク。
 ラウンジ……。

 twitterは、僕のweb関連ツール(HP・blog・bbs・chat等)では、もっとも後発だ。
 その後発ツール「ひとり旅」も、そろそろ1000tweetに至る。

 かすかな感慨^^;がある。


TVで第30回大阪国際女子マラソン。僕の大事なポイントが近づくとCM。そのたびに「あぁぁぁ~」と絶叫

2011-01-30 15:14:39 | Weblog
2011
01.30
「ここが元大阪管区気象台や」「ここ、区役所や」←やかましい


★TVで第30回大阪国際女子マラソンを観る。
 杭全町~大池橋(今里筋)、大池橋~勝山4丁目交差点(勝山通)区間、粗くいうと生野区内だけを観る。
 今年から新コースだが、この区間は従来と変わっていない。
 頼まれてもいないのに「これ、今里筋。南北は、みんな『筋』、東西は『通』」「大池橋や、ここを曲がって勝山通」「ここが元大阪管区気象台や」「ここ、区役所や」等と解説する。

★僕にとって大事なポイントが近づくとCMが入る。
 高校時代、彼女と相合い傘で歩いていて近くに雷が落ち、気絶しそうになった交差点も、僕の母校(大阪市立勝山小学校)付近も、恩師といっしょに入った喫茶店前も、みんなCMだった(ノ△・。)。
 そのたびに「あ、あ、あああぁぁぁぁぁぁぁ~」と絶叫している。


RICOH・CX3の後継機の後継機としてCX5が発売になる。新機能として超解像技術搭載

2011-01-29 13:51:53 | Weblog
2011
01.29
オマエ(ヒヨドリ小太郎)食べ過ぎだよ


★ヒヨドリ小太郎が、庭に初めて姿を現したのは2009年7月。
 スズメに比べれば、ま、ちょっと大きいか……というくらいだった。
 今年は3年目。
 ずいぶん大きくなった。
 枝に止まっている姿、飛びまわっている姿が堂々としている。
 ケンカも強くなった。
 それに、なにより、よく食べるようになった。
 以前はリンゴ1個を何日もかけて食べていたのに、1日で食べてしまう。(だから、あまりやらないようにしているm(_ _)m)

★デジカメは「ポケットに入る」を絶対条件に(だから「デジイチ」は対象外)他の条件(画質が自分の精神に合う……マクロが強い……等)を加味し、現在、RICOH・CX3を使用している。
 今度、その後継機の後継機としてCX5が発売になる。
 新機能として超解像技術搭載。
 これは乱氏が好むパナ機が得意とする技術で、乱氏の画像を見て、この点だけはパナがリードしていると思っていた機能だ。
 だから、これが搭載されたとなると、「これはスゴイぞ」というところなのだが、ただ、CX3を買って、まだ1年たっていないからなぁ~。
 CX5のゲットはかなりむずかしい。

★RICOH・CX5より先にPCをなんとかしなくてはいけない。
 現在の候補は、パナのLets note J9 CF-J9NYABHR。
 小さくて軽くて、CPUがそこそこで、WiMAX搭載、バッテリー駆動7時間程度というと、これしかないかなぁ~。
 9万円という値段がネックですわぁ~(ノ△・。)。

 他にもっといい情報があったら、コメント欄に頼んまっせ(^_^)v



一爆ぜがはじまると、過去の悲しい時空、楽しい時空、人生変転の一コマ一コマが、グルグルとまわりはじめる

2011-01-28 04:25:20 | Weblog
2011
01.28
これを僕は「エキサイト・プルースト現象」と命名する


★手鍋焙煎にはまっている(*^_^*)。

 キッチンの隅でカラカラと手鍋焙煎をやっていると、鍋の中でバチッバチッと爆ぜる音(一ハゼ)がして、半透明の、香ばしい煙が湧きあがる。
 すると、僕はクラクラと茫漠の時空間に投げ込まれていく。
 この感覚が、なんともいえず、いい(^_^)v。
 気取っていえば、過去の、悲しい時空、楽しい時空、人生変転の一コマ、一コマが、グルグルとまわりはじめるのだ。(正確には、「一コマ一コマがグルグルとまわる」というより、僕の身体のほうが一コマ一コマの舞台&場面をグルグルとまわりはじめるのだ。きょうは書かないが、いつか人生に充実を感じたとき、グルグルとまわる一コマ一コマを記述してみたい(^_-。)

 いわゆる「プルースト現象」(プルースト効果)なのだろうと思う。
 『失われた時を求めて』の第1篇「スワン家のほうへ」で、中心人物の「わたし」がマドレーヌを紅茶に浸して口にした途端、まるでページを繰るように過去の自分が一気によみがえるという場面だ。

 ――陰気に過ごしたその一日と、明日もまたもの悲しい一日であろうという予想とに気を滅いらせながら、わたしは無意識に、お茶に浸してやわらかくなった、ひと切れのマドレーヌごと、ひと匙の紅茶をすくって口に持っていった。
 ところが、お菓子のかけらの混じったそのひと口のお茶が口の裏にふれたとたんに、わたしは自分の内部で異常なことが進行しつつあるのに気づいて、びくっとしたのである。
 すばらしい快感、孤立した、原因不明の快感が、わたしのうちにはいりこんでいた。(『失われた時を求めて1』鈴木道彦訳)

★手鍋焙煎の、もうひとつの楽しみ。

 これは、手鍋焙煎の始まりから終わりまでのプロセス(――想定したコーヒーの「味」をめざして、どのように「一爆ぜ(バチッバチッと爆ぜはじめる)」までもっていくか?……いつの段階で「一爆ぜ」を打ち切るか?……同じく、いつの段階で「二爆ぜ(ピチピチ)」を打ち切るか?……ということに)に没入して、身過ぎ世過ぎ――陰気に過ごしたその一日と、明日もまたもの悲しい一日であろうという予想――から解放されることだ。

 たぶん、これが「プルースト現象」を、さらに加速させるのだろう。
 エキサイト「プルースト現象」(←僕の命名)だ。

 このエキサイト「プルースト現象」に、浮き世の興亡が絡めばいいと思っている。
 無数の、いや、(「無数の」というのは大げさだ……)ま、いくつかの、他の人生の夢も織られていけばいいと思っている。
 このなかには、もちろん「教育」も含まれる。

 ちなみに、このエキサイト「プルースト現象」と、今、冒頭で不用意に「一爆ぜがはじまると、クラクラと茫漠の時空間に投げ込まれていく」と記述してしまったように、今年のはじめからくりかえしている、空間軸の枠組み(主に人間関係)と時間軸の枠組み(主に自身の身の上&経歴)が取り払われた、正確には葬り去った「茫漠の時空間」を疾駆する……といっていることとは、たぶん同意だと思うが、まだ考えを詰めていない。

★現在、例の、「崖っぷちの、開かれた孤独時空間を拠点に(自動書記装置ではなく)現時点の自分の『情景+心情』を一即座に、コンパクトにアウトプットする『装置』」のテスト中だ。
 まだ試運転の前段階だが、この「装置」がうまく働くと、――エキサイト「プルースト現象」に、浮き世の興亡、他の人生の夢が絡み――2009、2010よりは、いい1年にできるかもしれない。

 最後は、ぼんやりした記述になってしまった(ノ△・。)。


手鍋焙煎の半透明の香ばしい煙に、浮き世の興亡が、あるいは、他の人生の夢が織られていけばいい

2011-01-27 15:18:50 | Weblog
2011
01.27
自分の「情景+心情」を一即座にアウトプットする練習


★先日、キッチンの隅で手鍋焙煎をやっているとき、鍋の中でバチッバチッと爆ぜる音(一ハゼ)がして、半透明の、香ばしい煙が湧きあがると、僕は、茫漠の時空間に投げ込まれる……と書いた。
 過去の、悲しい時空、楽しい時空、人生変転の一コマ、一コマが、グルグルとまわりはじめる。



★これは、いわゆる「プルースト現象」(プルースト効果)なのだろう。
 『失われた時を求めて』の第1篇「スワン家のほうへ」で、中心人物の「わたし」がマドレーヌを紅茶に浸して口にした途端、まるでページを繰るように過去の自分が一気によみがえるという場面だ。

★くわえて、僕は、その前段階で、手鍋焙煎の始まりから終わりまでのプロセスに、全身を委ねている。
 身過ぎ世過ぎから解放されている。
 だから「プルースト現象」が、さらに加速するのだ。
 これに浮き世の興亡が絡めばいいと思っている。
 無数の、いや、(「無数の」というのは大げさだ……)ま、いくつかの、他の人生の夢も織られていけばいい。
 もちろん、「教育」も含まれる。

★現在、例の、「崖っぷちの、開かれた孤独時空間を拠点に(自動書記装置ではなく)現時点の自分の『情景+心情』を一即座に、コンパクトにアウトプットする『装置』」のテスト中だ。
 まだ試運転の前段階だが、この「装置」がうまく働くと、2009、2010よりは、いい1年にできるかもしれない。


学校に教育実習希望の学生が大挙して押しかけた。すごい数だ。乱氏が「わしは知らんで」という顔をして

2011-01-26 15:31:59 | Weblog
2011
01.26
乱氏は、僕にいったいどんな話があったのだろうか?



★昨夜の僕は、先日のサッカー・アジアカップ2011準々決勝・カタール戦とまったく同じパターンだった。
 深夜に目をさます。
 ドアのすき間から灯りが差しこんでいる。
 そっと開ける。
 と、パートナーがTVで、準決勝・韓国戦を観ていた。
 ワイヤレスヘッドホーンで観ているので音は聞こえない。

★画面の隅をみると、後半1対1。
 僕も隣で、音なしのまま(リモコンでボリュームを上げるのがめんどくさい)少し観ることに……。
 やがて延長線に突入。
 その前半にPKを獲得。
 本田圭のPKを相手GKが弾いたところを、MF細貝が押し込み2対1。
 けど、同点にされる悪い予感がぁぁぁぁ~。

★案の定、延長後半終了間際、ゴール前の混戦から韓国にゴールを決められ、2対2に。
 遂にPK戦。
 ただ今度はさっきの「同点にされる予感」とは反対に「楽勝」の予感。
 これが的中。
 試合全体については、ちょっと言いたいことがあるが「深夜に目をさますと、ドアのすき間から灯りが差しこんで」いて、観戦することになった僕には、発言の資格はない。

★韓国戦の後、再び眠る。
 そして、夢を見た。
 また、いつもの学校物だ。
 学校に教育実習希望の学生が大挙して押しかけたのだ。
 すごい数だ。
 乱氏が「わしは知らんで」という顔をして山盛りの書類箱を抱え、各教員のデスクに配っている。
 夢の中でも乱氏は教務主任だった。
 僕は2学年学級担任だった。
 「3学年は受験期でムリだから、ぜんぶ2学年で引き受けるか」と笑いながら職員室を見まわしている。

★試験採点中の1学年の小和田Tが「でも、あんたには決定する権限がないでしょう」と苦笑している。
 壁の時計が午後10時を指している。
 僕が帰りかけようとすると、書類箱を抱えた乱氏が振り返って「ちょっと待ってよ、話があるから」と目配せ。
 「なんの話やねん?」と椅子に座りかけたところで夢が終わる。

★朝、エルサルバドルコーヒー豆を手鍋焙煎しながら、夢の中の乱氏は、僕にいったいどんな話があったのだろうか?と考えた。
 「SONY HX-5Vは連写の記録速度が遅い」という話だろうか?
 僕が今、推進しようとしている「持ち運びPC&WiMAX化」についての回答だろうか?
 いや、乱氏自身の今後の身の振り方だろうか? 

★手鍋焙煎のおもしろさは、始まりから終わりまでのプロセスに、自分のすべてを委ねて、現時点の、時空間の枠組みに拘束された自己を忘れることができるという解放感にあるのかもしれない^^;。
 全神経を、どうやって「1爆ぜ(バチッバチッと爆ぜる)」までもっていくか?
 いつの段階で「1爆ぜ」を打ち切るか?
 同じく、いつの段階で「2爆ぜ(ピチピチ)」を打ち切るか?……。
 このこと集中している。

★一昨日、完成した「崖っぷちの、開かれた孤独時空間を拠点に(自動書記装置ではなく)現時点の自分の『情景+心情』を一即座に、コンパクトにアウトプットする『装置』」の補強のために読書。
 何度も何度も読んだ、ある一冊の本の、形而上に対する形而下的な部分を、緑の蛍光ペンでマークする。
 読書(作業)の途中、昔やった同じ作業の形跡を発見^^;。(僕には進歩がない(ノ△・。)。

 進歩という事を軽んじ過ぎた。
 私的な潔癖や徳義に拘って、本当の進歩を忘れてきた。
 敗れて目覚める。
 それ以外にどうして日本が救われるか。
 今目覚めずして救われるか。
 俺達はその先導になるのだ。
 日本の新生に先駆けて散る。(『戦艦大和ノ最期』吉田満)

★障子を開けて、ヒヨドリ・小太郎を捜したら、桜の木の、いつもより少し高い枝に留まり、こちらに背を向けている。
 光の具合でシルエットになっている。
 そのカタチ(画像参照)から、小太郎の悲しみ、よろこび、孤独、運命の変転が伝わってくる。


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バチッバチッが終わりかけると、極弱火にし手鍋をゴトクに置き、お好み焼きのコテでガラガラと混ぜつづける

2011-01-25 12:50:18 | Weblog
2011
01.25
投げつづけたブーメランのほとんどは僕の手元に戻った


★昨日の到達点=崖っぷちの、開かれた孤独時空間を拠点に(自動書記装置ではなく)現時点の自分の「情景+心情」を一即座に、コンパクトにアウトプットする「装置」の開発。
 「装置」には、もう1つの隠された機能があって、それは、フィクションとノンフィクションの割合に関するものなのだが、詳細はヒミツ(^_-)。
 スンマヘン。

★くわえて、僕としては、「装置」の解説文=「『夕暮れ時に飛び立つミネルバのふくろう』から『人が近づくたびにパッパッと飛び立つスズメ』への転換」……という言い方が気に入っている。
 ふくろうの知も大切だ。
 しかし、今の僕にはスズメの瞬発力が必要。
 さらにくわえて――
 きのう、「装置」の開発過程で、僕は、ビュンビュン、ビュンビュン、ブーメランを投げつづけた。
 そのほとんどが、いや、正しくはすべてが、獲物に当たることなく、僕の手元にもどってしまった。
 このことに対して、「ま、これもいいかぁ~(投げることに意味がある)」という気持ちになれた。
 これは大きな成果だ^^;。

★今、手鍋焙煎にはまっている。
 手鍋に生豆60グラムくらいを入れ(80グラムだと作業の後半に手がだるくなる)、ガスコンロの強火の上で手首を小刻みに振り(回転させ)つづけていると、アーモンド色に変色。
 やがてバチッバチッと爆ぜる音。
 いわゆる1爆ぜだ。
 と同時に、鍋から、半透明の、香ばしい煙が湧きあがる。
 このバチッバチッの音と、湧きあがる煙(香り)がいい。
 茫漠の時空間が、ま、悲しい時空間だったり、楽しい時空間だったり、ホンマ、人生いろいろだが、とにかく、グングンとひろがっていく。 

★バチッバチッがおさまりかけると、極弱火にし、僕の場合は、手鍋をゴトクに置き、お好み焼きのコテでガラガラと混ぜつづける。
 と、ピチピチ、ピチピチと、豆の油成分が燃える、2爆ぜの音が聞こえはじめる。
 僕の「定義」――
 このピチピチがはじまった瞬間でやめると浅煎り。
 ピチピチの途中でやめると中煎り。
 ピチピチの終わりでやめると深入り。

★終了すると、僕の場合、即、鍋の底を水に浸け、ジュジュッと冷やす。
 ここを素早くやらないと、鍋の熱は相当あがっているし、マメそのものも手ではさわれないくらい熱いから、それらの熱で焙煎がさらに進んでしまう。
 その後、手鍋をもって庭に出て、ドライヤーでチャフ(豆の薄皮)をぶっ飛ばす。
 豆によっては大量の燃えカスが舞い上がり舞い上がり、頭に、手に、衣服にと降りかかってくる。
 これは閉口。

★今、こうして焙煎したマンデリンを「超濃い」味で飲んでいる。
 そして、さっき紹介した「崖っぷちの(省略)装置+α」のことを考えている。
 「茫漠の時空間疾駆」が今年のテーマだが、この「装置」があってはじめて「疾駆」が可能になる。
 ――ただ、装置の開発にエネルギーを費やし、今は抜け殻状態。



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夕暮れ時に飛び立つミネルバのふくろう的人間から、人が近づくたびにパッパッと飛び立つスズメへの転換

2011-01-24 13:13:23 | Weblog
2011
01.24
開かれれば開かれるほど、逆に、裡に、孤独に


★今、毎朝の「習慣」――コーヒーを沸かし、某チャットへのコメント発信と、メールチェック&返信、そして、ニュースチェック(主にWEB産経)等を済ませたところだ。

 ここしばらく、仕事のメドがまったく立たない状況がつづいているが、昨夜は、「方向」(といっても、そんなに先々までのものではなく「あす(きょう)、やること」)を決めて眠ることができたので、目覚めの、現時点での精神状態は、悪くない。

★しかし、「やること」を決めて眠り、目覚めたのだけれど、「やれる」保証はない。
 結局、落胆して冬の夕映えを眺めることになるのか?
 いつもこの繰り返しだから、僕は恐れている。
 ま、それもあって、今回は「やること」を極限にまでしぼり、かつ、具体化している。
 「崖っぷちに、僕は存在している」という自覚で臨もうと思う。

★その「崖っぷち」に自分を追い込むために、きょうは「仕事場」に入ることを封印する。
 一日じゅう、ずっと「人目にさらされた場所」に身を置く。
 僕流にいうと「開かれた孤独の時空間」だ。
 コーヒーショップのカウンター席。
 列車のボックスシートの通路側。
 カウンターの向こうで人が行ったり来たりするのが見えるデスク。
 ラウンジ……。

★僕の目に映像が飛びこんでくる。
 路上を女性が駆けていく。
 長い棒状のものをかついでいる。
 弓か?
 ダウンコートの下から袴がのぞいている。
 朝活で弓道場に向かうのだろうか? 
 音も飛びこんでくる。
 洗面所で水が流れる音。
 TV(「宮崎・鳥インフル2例目、41万羽処分」)の音。
 こういう映像や音に刺激を受けつつ、しかし、開かれれば開かれるほど、逆に、裡に、孤独に、とじこもる時空間。

★こういう意味では、twitterは、ベストに近い場なのかもしれない(*^_^*)。
 僕の、このtweetの前後に今、「大阪維新の会」関連のtweetが次から次に流れている。
 ――と、キーボードでカタカタ打ち込みながら「ホンマやぁ~(^_^)v」と、twitterの世界にひかれはじめている(*^_^*)。

★僕に欠けているのは、今、僕の目の前を通過する、朝活のために駆けていく女性や、TV(「タイ・進む観光開発)の音、前後に流れるtweetに、身をさらしている、現在の「自分の状況+心情」を一即座にとらえて、即、アウトプットする、即時的表現力だ。
 すなわち、ま、いってみれば「夕暮れ時に飛び立つミネルバのふくろう」的人間から、人が近づくたびにパッパッと飛び立つスズメへの転換だ。

★ただ、即時性を鍛えるといっても、自分が自動書記装置になることではない。
 僕は、昨日、自民党大会の場に身を置いている世耕弘成氏のtweetを一時的にフォローした。
 ただし、僕は世耕弘成氏に自動書記装置を期待したのではない。
 自動書記装置的なものを期待するのだったら、他にニコニコ生等があつた。
 自動書記ではない、また余人ではない、世耕弘成氏という人物が一即座に捉える「自民党大会」に興味があったのだ。(結果は、期待外れ。)

★5つ、6つのtweetを経て、遂に獲物に当たらなかったブーメランのように、本日、冒頭のtweetにある「きょう、やること」に、戻ってきてしまった^^;。
 いや、ブーメランを投げた分だけ、やはり多少の成果はあったか?……^^;。

 念のためにまとめる。

 「きょう、やること」=崖っぷちの、開かれた孤独時空間に存在し、自動書記装置ではなく、現時点の自分の状況+心情を一即座に、コンパクトにアウトプットする装置を開発すること(^_^)v。



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自民党大会での世耕弘成氏のtwitter上の怒濤のつぶやきをチェックするため臨時的にフォロー状態に

2011-01-23 12:57:59 | Weblog
2011
01.23
いつも庭にやってくるヒヨドリ・小太郎



★左足の裏の皮膚がパックリ。
 しばらく前からザラザラになっていて、沓下を穿くとき、ひっかかったり、歩行時にかすかな痛みがあったりして、そろそろ危ないと思っていたのだが、結局、手遅れになってしまった。
 近くの温泉のお湯(ちなみに泉質=高張性アルカリ性)にしばらく浸し、白っぽく、やわらかく蒸れあがった皮膚部分を、恐る恐る軽石でこすっていくと、パックリのカタチが鮮明に見えるようになった。

★パックリは1箇所だと感じていたが、2箇所のパックリと次の危険箇所を発見。
 パックリからは痛々しく赤い身がのぞいている。
 おととい、きのうと、手元にあった、はじめはアトリックス、つづいてオロナイン軟膏、昨晩はニベアと、いろいろ擦り込みながら効き目を試している。
 擦り込んだ上から沓下を穿いている。
 今のところ、僕にはニベアがいいみたいだ。
 けさ、パックリのカタチは変わらないが、パックリの奥に見えていた真っ赤な生々しさは消滅しつつある。
 歩行はだいぶ楽になった。
 早く直してまた奈良の街を歩きたいよ。

★自民党大会における世耕弘成氏のtwitter上の怒濤のつぶやきをチェックするため、臨時的に氏のtwitterをフォロー状態に。
 10時40分現在、来賓の岡野雅行(岡野工業)氏の講演中。特におもしろいデータはなし。
 10時51分――SekoHiroshige 岡野氏「わが社は無痛注射針の世界シェア100%。社員は5人。しっかり税金を払っているが、税務署は8人で調査に来る」。会場大爆笑。
 10時55分――SekoHiroshige 石原幹事長「政府との協議と政党間の協議は違う。政府との協議はすなわち連立ということになる。政党間の協議ならば、民主党は党内の意見をまとめてから呼びかけるべき 」
 11時03分――SekoHiroshige 石破政調会長「民主党には綱領がない。作らないのでなく、作れない。作ろうとしたら党が割れる。『民主が駄目なのは分かった。自民党はどうするのか?』が(今の)国民の声。政党のダメ比べをしても仕方がない。民主党は予算の修正協議というが、あなたたちのマニフェストには何が書いてあるのか?と問いたい。そのようなことには惑わされず、自民党はこの国をこうする……ということが分かる自民党独自の予算案を作る。」
 11時30分――SekoHiroshige 谷垣総裁「政権交代こそが日本再生に向けての正しい道筋だ。民主は選挙で示したマニフェストを大転換しようとしており、変節。こういう失政は厳しく追及する。」

 13時45分――SekoHiroshige 党大会終了。終了後は和歌山県から参加の女性党員の皆さんと昼食を取り、懇談してました。

★自民党パックリの兆しをキャッチするつもりだったが、そういうパックリが浮上する「状況」ではないようだ。
 SekoHiroshige フォロー解除。
(解除ボタンをクリックすると、世耕弘成氏のつぶやき群と、それと同時に、この僕の部屋にまで伝わっていた石破氏の語りも、和歌山県の女性党員の和歌山弁も、一瞬に消えた。)

★いつも庭にやってくるヒヨドリ・小太郎のために、庭の木の、1本の短い枝に、リンゴを1個刺している。
 きのうもきょうも、ずっといる。
 リンゴを食べながらポットン、ポットンと糞をするのがかわいい。


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今回の芥川&直木賞作品のうち、西村賢太『苦役列車』と、道尾秀介『月と蟹』は読んでみたいと思っている

2011-01-22 12:56:30 | Weblog
2011
01.22
道尾秀介「言葉にしかできないこと」を……の心意気に。


★まったく前後の脈略なしに、文芸雑誌に掲載されている、他人の小説の出だしの1、2行を読んで、「(いつまで、こういう陳腐な書き出しをやっているつもりやねん……)ま、もう、こういう世界はおさらばしてもいいかぁ~(ノ△・。)」と思ったときから、ずいぶんになる。
 以来、自分でも書いてないし、他人の小説も読んでいない。
 だから、今回の芥川賞&直木賞の朝吹真理子、西村賢太、木内昇、道尾秀介……だれも知らない。

★で、これまでそうだったように、今回も読まないかというと、ちょっと違う。
 西村賢太『苦役列車』と、道尾秀介『月と蟹』は読んでみたいと思っている。
 2人には、僕のつぶやき=「(いつまで、こういう陳腐な書き出しをやっているつもりやねん……)ま、もう、こういう世界はおさらばしてもいいかぁ~(ノ△・。)」をぶちこわしてくれるかもしれないという期待がある。

★道尾秀介については、インタビュー時の「映像にもできるようなことを小説でやってもしょうがない。言葉にしかできないことをやる」の「言葉にしかできないこと」をぜひ読んでみたいと思っている。
 作品が期待はずれであってもいい。
 その心意気に接してみたい。

★西村賢太については、その「文体」を、単に、もののまわりにベタベタとくっつきまわるだけの文体か? あるいは、動的な、生命の脈動が息づく、ある意味で未完成な、創造の過程にある文体か?……という観点(*^_^*)で、チェックしたい。
 もちろん、後者であることを期待している。

 朝吹真理子と木内昇については(読んでもいないのに失礼だが)なんとなく、自分が既に「おさらばした」世界の可能性が強いのではないかと、勝手に決め込んでいるm(_ _)m×m(_ _)m。
 もちろん、これは、ま、わからないが(*^_^*)

★画像は、奈良町天神社参道の、「こら、おまえ、ここ、通せへんぞ」という感じの、やたら存在感のある石。
 散歩中にパチリ。


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深夜に目をさましたら、ドアのすき間から灯りが差しこんでいる。そっと開けると、パートナーがTVで

2011-01-22 12:19:23 | Weblog
2011
01.22
パ・リーグ「8」、サッカー「2」という配分への転換?


★深夜に目をさましたら、ドアのすき間から灯りが差しこんでいる。
 そっと開けると、パートナーがTVで、サッカー・アジアカップ2011準々決勝・カタール戦を観ていた。
 ワイヤレスヘッドホーンで観ているので音は聞こえない。
 画面の隅をみると、後半1対1。
 僕も隣で、音なしのまま(リモコンでボリュームを上げるのがめんどくさい)、少し観ることに……と、椅子に腰をおろした瞬間だった。
 FKを決められリードされる。
 あ~あ、僕って悪いものをみるようにできているのか?
 このままみつづけるか? 眠るか……?と逡巡していたら、今度は香川がゴールを決めて同点に、そして終了間際に伊野波の勝ち越しゴール。
 逆転勝ちだ。
 なんだか、ハラハラ、ワクワク、いいところだけを観たという感じ。
 プロ野球、特にパ・リーグにしか興味をもたない人間だが、やはり(負けるよりは)うれしい。
 ああ、僕も一粒の日本人かぁ……と思いながらベットに入った(*^_^*)。

★今、「パ・リーグにしか興味」がないといったが、サッカーに興味がない、サッカーがきらいだというのではない。
 ただ、考え方がスタティックにできていて、10のエネルギーをパ・リーグに注いでいるときに、サッカーにもとなると、パ・リーグへのエネルギー配分が少なくなる。
 気持ちのもちようでエネルギーの総量に多少の増減はあるかもしれないが、むやみに「増」は期待できない。
 次々に、あちこちに「増」を期待しているうちに、今のニッポンの義務教育学校のようにパンクしてしまう。
 とすれば、パ・リーグ「8」、サッカー「2」という配分への転換ということになるが、それだけは今の僕にはできない。
 パ・リーグ命なのだ^^;)……という話。

★画像は、夕暮れの高畑・旧志賀直哉邸の門。



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寺田町駅。人生の時間軸の最も下方にへばりついている駅だ。お好み焼き千代の看板が見える。生駒山が見える

2011-01-21 12:50:26 | Weblog
2011
01.21
寺田町駅。ホームで目をつむると僕が消滅してしまいそうだ


★昨日、ふいに「茫漠時空間疾駆」哲学もいいが、本職の「教育時空間」にも戻らなければ……と思った。
 と、ほとんど同時に、漂流&彷徨状態に陥る。
 戦略上の学校経営と戦術上の学校経営の溝に足をとられたのかもしれない。
 溝を「漂流」する自分に失望。
 いや、絶望。
 昨日は休肝日だった。
 キャベツ(←好物)をいっぱい敷いた、豚バラ生姜焼きと、芋サラダ(←これも好物)で夕食をとり、「絶望」を睡眠で解決しようと、即、眠る。

★教育時空間「漂流」の苦しみに懲りて、きょうは、やはり「茫漠時空間疾駆」に戻る^^;。
 というか、丸テーブル上の紙の「村」から出勤していた頃の僕と、「茫漠時空間」を疾駆している今の僕との差異性または同一性を自分なりに明らかにしないと、僕が語りたいカタチで教育時空間も語れないと思っているからだ。

★丸テーブル上の紙の「村」については、念のためにくりかえすが、現実の空間軸上(主に人間関係)・時間軸上(主に僕の身の上&経歴)に、ガラスの破片のように散らばった「僕」「僕」「僕」を、地図上の「村」に統合または結合・融合しようとする行為だ。
 あのとき「村」に吹いていた風は、今でも僕のうちを流れている。

★現在の「茫漠時空間」は、ガラスの破片のように散らばった「僕」「僕」「僕」をいじくるのではなく、そこにそのまま存在させ、荒っぽい話だが、逆に、「僕」「僕」「僕」が絡みついている空間軸&時間軸を撤去、溶解させようというものだ。
 もちろん、(「村」の中に新たな「僕」を創出したように)散らばっている「僕」とは別の、新たな「僕」を創出することになる。

★ひっかかるのは、紙の「村」の「僕」と、「茫漠時空間」上の「僕」との関係だ。
 さっき差異性または同一性といったのは、このことだ。
 赤道上の西回りルートと東回りルートが大西洋上で出会うように酷似しているとも思う。
 しかし、方角が違う、風景が違うように、何かが決定的に異なるようにも思う。

★散らばった僕の破片を、呼吸させたまま、必死でたぐり寄せようとする地図上の「僕」?
 散らばった僕の破片を、その時空間軸上でデータに変換し、新たな「茫漠時空間」を設ける「僕」?
 ま、これを今日のtwitter上のブレストの結論としよう。
 これ、だれかのツッコミが入れば即崩壊しそうな結論だけど(*^_^*)

★この関連で、もう1つ設問する。
 わたしはくりかえしくりかえし「ホームページのカタチは僕の存在のカタチだ」といっている。
 この「ホームページ」は、丸テーブルの上の紙に描かれた「村」なのか?
 それとも、今、わたしが疾駆しようとしている「茫漠時空間」なのか? (同じように「僕」とは……という設問も発生するが、表裏の関係なので省略する。)

★JR東日本が2月18~20日実施する東北新幹線の新型車両E5系「はやぶさ」の試乗会に応募した。
 当たったら、どうやって出発駅まで行こうか?……到着駅で「はやぶさ」から下車したら、その街でどうなふうに過ごそうか?等と考えていた。
 が、きのうの報道によると、定員の30倍、12万人超の応募。
 しめきりはきょう(21日)までだから、さらに狭い門に(ノ△・。)。




★寺田町駅。
 僕の人生の時間軸のもっとも下方にへばりついている駅だ。
 プラットホームに立ち、天王寺駅方向を見る。桃谷駅方向を見る。
 桃谷側のホームの端に立ち、玉造筋方向を眺める。
 源ヶ橋方向を眺める。
 お好み焼き「千代」の看板が見える。
 生駒山が見える。
 目をつむると僕が消滅してしまいそうだ。
 ま、消滅してもいいけど。


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鶴橋駅には、近鉄鶴橋駅構内・ドトールコーヒーJR鶴橋駅構内・ロッテリアがある。きょうはドトールにいる

2011-01-19 15:42:48 | Weblog
2011
01.19
「この試験問題、5点、足りまへんで」これが学校経営だ




★僕の「時空間上の原点」の1つ=「天王寺区清水谷町」から、上町筋を渡り、空堀通商店街を抜け、松屋町筋を南下し、口縄坂に至ったとき、「原点」周辺風景のフラッシュバックを浴びた。

 信貴山の崖っぷちの木陰で、汗が噴き出る皮膚で油蝉の鳴き声を聴きながら眺める、清澄な空気に包まれた、青っぽく光る王寺の町の輪郭。

 震える機械音を発し、煙を噴き出し、気動車(キハ48)が立ち去っていった後の、JR八戸線・無人駅(白銀駅)のプラットホームの夕闇に、白く浮きだしてくる、周辺の家々の盆提灯。
 盆提灯のゆらめきに抗して「今、目をつむったら僕の存在が消える」と力いっぱい目を見開く。

 空に連なる金剛山への石段。魂たちのオーラに溢れる千早神社境内。

 太田山口の高村光太郎山荘等々――

★これらの「原点周辺風景」のフラッシュバックを浴びているとき、なぜか僕は、昔(30歳代の後半)自宅の2階の1室(といっても2部屋しかない、北側の)窓辺にある丸テーブルにひろげた、1枚の紙の上に、色えんぴつで「村」を創っていたことを思い出したのだ。

 丸テーブルの上の、1枚の紙の「村」から出勤し、仕事を終えると、また紙の地図に帰る……という精神上の操作をしていた。
 タバコ屋、薬局、柿本家(旅館)、七福食堂、東京庵(食堂)、理髪店、土産物屋、山楽(旅館)等々……。
 妻も、2人の子どもも地図の中にいた。
 みんなでよく東京庵にいった。
 休日には高山バスとケーブルカーと信貴電を乗り継いで、王寺の町にショッピングに出かけた。

 口縄坂の中途で起こった「原点周辺風景」のフラッシュバックを集積したところのイメージと、この「地図」が酷似している。

★ここで2つの問いが設定できる。

 まず、1つは、あの「地図」は何だったのか?

  たぶん、中学の国語教師で1年6組の学級担任である「僕」、夫である「僕」、親である「僕」、(大阪にいる母に対しては)息子である「僕」、E……である「僕」、F……である「僕」、G……である「僕」――これらの、現実の、空間軸上(主に人間関係)、時間軸上(主に僕の身の上&経歴)に、ガラスの破片のように(という比喩は大袈裟で痛々しすぎるが)いくつもに散らばった「僕」を、ただ、仕方がないのだと受け入れるのではなく、30歳代のわたしは、必死に、「地図」上の「村」に(なんといったらいいのか……)統一? 包括? 結合? 融合?させようとしていたのだろうか?

★もう1つの問いは、今、空間(水平)軸上の枠組み&時間(垂直)軸上の枠組みを撤去したところの「茫漠の時空間」を疾駆しはじめ、口縄坂に至った僕が、なぜ、あの「地図」に出くわさなければならないのか?

 今回の「茫漠の時空間」という概念は、昔の、空間軸&時間軸上に散らばった「僕」を1枚の「地図」上に結合しようとする企みの真っ逆さま(すなわち、空間軸&時間軸のリセット)の概念だからか?
 いや、そうではなく、2つの概念は、地球上を西向きにスタートしたものと、東向きにスタートしたものが出会うように、つまるところ、同じ結果に至るからか?

 わからない。
 わからないし、僕がいちばんイヤがっている「作法解説」めいてきたので、きょうはこれでやめる。

★鶴橋駅には、近鉄鶴橋駅構内・ドトールコーヒーショップとJR鶴橋駅構内・ロッテリアがある。
 ロッテリアは環状線の電車が目の前に見える。
 ドトールは人の流れしか見えない。
 気分によってどちらかを選択しているが、きょうは、ドトール(画像)。

★青森市立三内中学校の、2010年11/29/・12/1に行われた2年生の保健体育の期末テスト問題に関するトラブル。
 心を痛めている。
 「評価」は学校の重要な機能の1つだ。
 報道で取りあげられているような問題が作成される、また、チェック機能も働いていないというのであれば、学校の機能不全、学校経営がほとんどできていない状態といっていい(ノ△・。)。

★先日の、やはり同じ青森、黒石市内の中学校の「愚か者一覧」掲示問題も含め、こういう問題の頻発は、県、あるいは市町村教委が校長を集めて(「形式的に」……とはいわないが)指導するレベルを超えている。
 ニッポンの、あるいは県の義務教育がボロボロなのだ、メチャクチャなのだ、という自覚が必要だ。

★今、僕は、教員養成&採用まで問題をひろげるつもりはないが、まず、こういう経営を放置した、あるいはこういう管理職を採用した教委の責任は問わなければならないと思う。
 こういう(とても「経営」とはいえない)「学校経営」が行われているということは、きついことをいうようだが、教委もほとんど機能していないと考えるべきだろう。

★なお、念のためにいえば、普通、学校(中学校)には「試験(考査)規定」というものがある。
 そこには、通常、問題作成に関する規定から、作成期日、作成場所、チェック方法、保管場所、試験運営方法(配付の仕方、監督の仕方、集め方、採点、返却)に至るまで詳細にわたって記載されているはずだ。

★青森市立三内中・2学年保健体育期末テスト問題の報を聞いたとき、僕は瞬間的に、この「試験(考査)規定」を想起した。
 この規定がアマイのではないか? あるいは、この規定が守られていないのではないか?……と。
 しかし、臨時の保護者集会での「生徒に自分の行動を振り返ってもらうアンケート調査のような」&「設問を読んだが問題視はせず」という教師発言を聞き、根はもっと深いと認識し直した。

★さらに、念のために触れると、一般の方は試験問題のチェックといってもピンと来ないだろうが、経験的に、これが実にいろいろある(はずだ)。
 だから、チェックは、二重、三重に行われている。
 例=「合計が100点になりません。5点不足。」
 「去年も同じ問題を出題していますね。これは絶対に困ります。差し替え」
 「難度が高すぎます。差し替え」
 「問いの文末、不統一」
 「常用漢字外です。修正。」
 「この図を印刷した場合の鮮明度に問題があると思います。図の差し替え」等々……。
 期日が差し迫ったなかでの「差し替え」指示は、指示するほうも、されるほうも、結構、厳しい。
 でも、これが「学校経営」だ。
 くりかえす、「この試験問題、5点、足りまへんで」これが学校経営だ。

★BeFM様 しかし、twitterにおけるBeFM様の返信って、一般的で、普通っぽく、ま、いってみれば、役所風で、おもしろみもなく、鋭さもなく、さびしく、つまらない感じm(_ _)m。
 隠さないで、twitter上に、しもやんを出してくださいよ。


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口縄坂。自分のなかのいちばん深い場所のイメージ№1=口縄坂。ここは気を抜くと自分が消滅するかも

2011-01-18 10:56:59 | Weblog
2011
01.18
自分のなかのいちばん深い場所のイメージベスト5


★口縄坂――
 過去の僕の記述群に向かって「口縄坂」で検索をかけたら、「自分のなかのいちばん深い場所のイメージメモ」というのが出てきた。
 今さっき、「魂の底」の話題は封印……といったばかりなので、かなり抵抗があるが、一部、アップ。
 №1=口縄坂。
 №5まで列挙してある。





★「自分のなかのいちばん深い場所(イメージ)№2」=信貴山の七福食堂の向かいの、雑草の生い茂った小高い丘。崖っぷちの木陰で、草木にうずもれ、降りそそぐ油蝉の鳴き声に打たれながら、眼下に、平べったく、ややかすみがかり、清澄な空気に包まれた王寺の町を眺める。

★「自分のなかのいちばん深い場所(イメージ)№3」=気動車(キハ48)が立ち去ったJR八戸線・無人駅(白銀駅)のプラットホーム。
 夕闇に白く浮きだしてくる、周辺の家々の盆提灯。目をつむると、闇に自分が吸い込まれ、消滅する恐れ。
 闇に対抗して目を見開く。力いっぱい心のなかに空気を吸う。

★「自分のなかのいちばん深い場所(イメージ)№4」=空に連なる金剛山への石段。魂たちのオーラ。千早神社。
 「№5」=太田山口の高村光太郎山荘。

 ここではベスト5には入っていないが、下の画像、大江神社の石段は、僕が「魂の底」(←今は封印)にアプローチするときの具体的なイメージだ。





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