職員室通信・600字の教育学

小高進の職員室通信 ①教育コミュニティ編 ②教師の授業修業編 ③日常行事編 ④主任会トピックス編 ⑤あれこれ特集記事編

フーコーの振り子は宇宙、国会議員は国の、県議は県の、市議は市の、校長は学校のカタチを見せるのが使命

2010-01-31 06:38:00 | Weblog

10.01.31 国会議員は国のカタチを

◆せっかく、Eipapaの、シチズンHD本社前に設置してある「超高精度日時計」の画像&話に感動したのに、国会の漂流状態にわたしの精神が接触し、少し落ちこみかけましたが、そのうち、佐藤孝雄Tの語りとともに、別な画像が、わたしの脳裏をよぎり、復活!(^^)!。

 別な画像とは、これです。

 



 フーコーの振り子です。

 わたしは、このとき、はじめてみて、なにかわからず、キョトンとしていたら、うしろから、佐藤孝雄Tが近づき、「地球の自転により、振り子の振幅方向が少しずつ回転するようにずれていく」ということを、キッチリと説明してくれました。

 地球の自転=(さっきの言い方では)宇宙のカタチが、目に見えることに、魂が宇宙に抜けるくらい感動。
 同時に、佐藤Tの説明の語りにも、「ああ、わたしのような者にも、この人はキチンと説明してくれるのだぁ~」と感動(*^_^*)。

◆気を取りなおして、やっぱり国会は、この国のカタチを、クッキリとさせ、それを国民に見せ、国民の魂を、ブルブルッと震えさせないと、アキマヘンわ。

 これが国会議員の使命。
 県議は、県のカタチを。
 市議は、市のカタチを。
 校長は、学校のカタチを(*^_^*)。 


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宇宙のカタチのなかで、わたしの日常が営まれているということが、目に見える……ということにわたしが感動

2010-01-31 05:04:35 | Weblog

10.01.31 宇宙のカタチ 日本国のカタチ



◆この画像を、うん? えッ? おおッ! ほうぅぅ~!……と、何度も見返しましたよ(*^_^*)。

 スゴク、感動!

 これはEipapaのブログ(わたしのHPトップ下にリンクがあります)に紹介されている、シチズンHD本社前に設置してある「超高精度日時計」です。

 Eipapaの記事を引用します。

 この日時計は大気差まで補正し秒の単位まで読み取ることができるらしい。
 この日時計はシチズン時計(現在のシチズンHD)に勤務していた上原秀夫さんの設計と聞いた。
 そして私の若かりし日、ちょうどこの時計を設置する”時”この地にいた。

 今日も電波時計と同じ時を刻んでいた。」(Eipapaブログより)

◆ 日常が宇宙のカタチに支えられている……、宇宙のカタチのなかで、わたしの日常が営まれている……ということが、目に見える……ということに、わたしが感動しているのだと思います。

 話は違いますが、日本国のカタチが、目に見えるように、国民の前にディスプレーするのが国会なのですが、ずっと、これができずに漂流状態がつづいています。
 わたしとしては、つらいものがあって、かなり鬱屈しています(>_<)。
 ……ということから、いつもは、大得意の「妄想」がはじまるのですが、きょうは、シチズンに感動したので、やめておきます^^;^^;。


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緊張して立ったままのわたしの肩を江藤氏は、「まあ、座んなはれ、座んなはれ」と抱えるようにして隣の席を

2010-01-29 15:52:02 | Weblog

10.01.29 江藤淳氏の大阪弁に涙ぐむ

◆連日のお好み焼き大会です(*^_^*)。

 前回に紹介した、冷凍の「ミックスお好み焼き」(かねます食品・東大阪市)を、まず、レンジで3分間。

 その後、鉄板で2分間(推定240℃)焼きます。
 焼いているうちに、上から、焼きそば&豚肉&生地少々を載せます。

 ひっくり返して、2分間、焼きます。

 さらに、もう1回、ひっくり返して、ソース・マヨネーズ・鰹節・青のりを加え、モダン焼き風お好み焼きの完成!(^^)!。

 ここまでやるんだったら、はじめから、ぜんぶ、自分で焼けばいいようなもんですが、ま、ねらいとしては、
 (1)買い込んでしまった冷凍食品をいかにおいしく食べるか……ということと、
 (2)ひょっとしたら、スゴイ発見があるかもしれない(たとえば、冷凍食品と、わたしが追加した生地等の部分が融合して、未知のお好み焼きが創出される)……ということですよ。

 ただし、今回は、そういう劇的な融合はなく、つまるところ、やはり、わたしが追加した「モダン焼き」の部分のおいしさが際だつという結果に終わりました。

 


◆初夢の舞台である、大阪・生野区の寿し由は、子どもの頃、家に急な来客があったときなど、母から頼まれて、よく箱寿司を買いにいきました。
 大人になってからは、小学校の恩師・松野先生と1度、高校時代の友人・磯橋と1度、訪れたことがあります。

 わたしが、児童会・生徒会活動に積極的に参加するようになったのは、松野先生との出会いがきっかけでした。(松野先生については、別な機会に語ることにします。)
 磯橋は、中・高校時代の、政治&文学の議論仲間でした。
 お祖母さんと暮らしていました。
 土蔵ではないけれども、土蔵のように暗い家だったので、あすなろ物語の鮎太みたいなヤツだなと思っていました。
 その高校時代、1度、磯橋宅で、深夜まで大論争をしたことがあります。
 当時、発表された『海洋国家日本の構想』(高坂正堯)をめぐってだったと思います。
 同じ思想傾向にある2人が、そのバックボーン的な『海洋国家日本の構想』をめぐって、何を議論したのか?……、もちろん、今となっては、具体的なことは、まったく思い出せません。

 自衛力増強を主張するわたし(←これは、今も変わっていまへん^^;^^;)に、磯橋が「それは抑制力完全主義者の言うことだ」と非難した可能性は、十分にあります。
 あるいは、某宗教団体傘下にある磯橋に対して、宗教団体と一定の距離を保とうとするわたし(←これも、まったく変わっていまへん^^;^^;)が攻撃した可能性も、十分にあります。

 20代の前半、1度、寿し由で飲み、そこで別れて以来、磯橋とは会っていません。
 消息不明です。
 おそらく磯橋にとっても、わたしは消息不明となっていることでしょう。

 初夢の舞台に、磯橋は登場しませんでしたが、(1)小沢問題→江藤淳 (2)現在の普天間飛行場移設問題→『海洋国家日本の構想』をめぐる磯橋との議論、この2つが絡みながら、「寿し由」へと接続していったのでしょう。

◆寿し由に入り、主人の「いらっしゃい」のかけ声に誘われて目をやると、江藤氏の横顔がカウンターにありました。
 江藤氏のほうもわたしに気づいて、
 「やあ、小高さん!」
 と、メガネが弾けるほど笑っていらっしゃいます。
 「センセ、お久しぶりですね」
 緊張して立ったままのわたしの肩を江藤氏は、
 「まあ、座んなはれ、座んなはれ」
 と抱えるようにして隣の席を勧めてくれました。
 「センセ、相変わらず大阪弁のマネがお上手ですね」
 「いやァ、それを言わんといてんか。わしのはホンマ、ワンパターンやからね」
 江藤氏は、いわゆる「けったいな大阪弁」をよく使っていました。
 その大阪弁がなつかしく、わたしは少し涙ぐんでしまいました。
 「小高さん、最近はどないしてはりますか?」
 「はあ、まあ、どうにかやっております。センセがお亡くなりになった次の年に……」
 教育現場から教育行政に身を転じたこと。
 仕事のテーマが学校教育と社会教育を統合した生涯学習体制の構築であること。
 その具体的な手法として学社連携・融合が有効であると考えていること。
 また、その前提として、保・幼・小・中・高・大の連携が重要であること……

 夢の中のわたしは、悲しいくらい、怒濤のようしゃべってします。
 きっと、しゃべるのをやめると、いつかのように、江藤氏が消えてしまうと思ったのでしょう。

◆夢の記述というのは、ホンマ、シンドイものですね。
 普段は、ペラペラと、4000字、5000字とかきまくるわたしが、この話になると、キーが重くて、重くて……、悲しくて悲しくて……^^;^^;。
 これで「初夢2」を終わることにします。

 画像は、すこやかみなみネット・サポータークラブ(環境)のリーダー金見さんを中心に、保護者、教職員、生徒たちがつくった繭玉飾りです。
 2階から見下ろしていると、時間の、いくつもいつくもの枠組み……たとえば、今年は2010年、昨年は2009年……というような区分が溶解し、魂が、透明な時間軸に沿って落下していくようで、頭がクラクラッとします。

 結構、この角度にはまっていますよ(^_-)。


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本日は、なんだか初夢をみている間じゅう、後ろで流れていた悲しいメロディーにからだが共鳴し、ここで失墜

2010-01-28 16:13:40 | Weblog

10.01.28 初夢のメロディに共鳴し失墜



◆今年のお正月は、信貴山の柿本家で過ごし、その後、ひきつづき、奈良・大阪を浮遊していたので、すっかり「初夢」の記述を忘れていました。

 初夢は、やはり、いつもの師・江藤淳が登場しました。
 場所は、これもおなじみの、大阪・生野区の、「うちんところは大阪で一番の大阪寿司なんですわ。つまり世界一やということやね^^;^^;^^;^^;」の寿し由。

 たぶん、年の暮れに、「たしか小沢一郎と江藤淳が対談をしたことがあったはずだ」と、DAKA古書店内から、画像の『月に一度』を探し当て、収められている「秋(とき)を迎えて ~政界指導者三氏と語る~ その1・小沢一郎氏」を、奈良・信貴山への出発直前に走り読みしたことが、江藤淳登場の初夢につながったのでしょう。

◇対談日=平成9年(1997)9月2日
 対談場所=軽井沢・江藤淳の別荘
 小沢一郎は、当時、新進党党首、54歳。

 江藤淳の自刃が、平成11年(1999)7月21日ですから、その約2年前ということになります。

◆対談内容については、わたしが、ここで特にご紹介しなければいけないようなものはなかったと思います。

 むしろ、自刃2年前の江藤淳が、鋭気&気力に満ちていて、いったい、こののち、たった2年弱のあいだに、江藤淳になにが起こったのだろうか(ま、知っているわけですけど)……という思いが、わたしの胸を強く打ちました。
 くりかえしになりますが、この「思い」が、初夢につながったのです。

 なお、わたしが、対談を読み直したのは、現在の政治資金規正法違反事件被疑者としての小沢ではなく、(12月でしたから)鳩山政権を動かす「影の実力者」と騒がれる小沢一郎のほうで、その小沢と江藤淳が、いったい、どんな対談をしたのか?……チェックしておこうという意味合いが強かったのです。

◆本日は、なんだか、気合いが入らず……というか、初夢をみているあいだじゅう、うしろで流れていた悲しいメロディーに、からだが共鳴してしまい、ここで、失墜。

 きょうの記述を、「初夢1」として、いつか、また「2」「3」を記述し、最後に合体することにします。


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かねます食品・冷凍お好み焼きのレポート。3分間レンジのあと、鉄板で片面2分(←焦げる、ギリギリまで)

2010-01-28 09:09:15 | Weblog

10.01.28 冷凍お好み焼きレポート



◆乱氏が、コンビニで、「お好み焼き〈FUGETSU〉鶴橋」をゲットしたというので、わたしも、ぜひ……と、あちこちの店をのぞいているうちに、「鶴橋」は残念ながらみつけられませんでしたが、この「ミックスお好み焼き」(かねます食品・東大阪市)を発見(*^_^*)。
 ミックスのほかに、ぶた玉&いか玉なども購入。

 さっそく、「なにか学ぶものがあれば……」(←かなり研究熱心!)と、連日、夕食にテスト。

(1)レンジで5分間という調理方法だと、わたしのあまり好まない、ペチャペチャのお好み焼きに。

(2)しかし、3分間レンジのあと、鉄板で片面2分(←焦げる、ギリギリまで)、もう片面2分(←これも、焦げる、ギリギリまで)という方法でやると、わたしがときどきやる、徹底して、キャベツの水飛ばし処理をした、お好み焼きの感じに近くなります(^_^)v。

 以上、かねます食品・冷凍お好み焼きのレポートでした(^_^)v。

 お好み焼きの挑戦は、まだまだつづきます。


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呪いをかけろと書いてくれるって、ホンマ、ありがたい新聞ですね。これからも、わしの応援、頼んまっせぇ~

2010-01-27 12:24:07 | Weblog

10.01.27 わしの応援、頼んまっせぇ~



◆うらやましィ~(ノ*゜▽゜)ノ ウォォォォォン……w( ̄o ̄)w オオー!……と思ったニュース。

疲れ果てた! 世界一のレストランが2年間休業
                   スペイン 2010.1.27 07:43

 「世界で最も予約が取りにくいレストラン」と呼ばれるスペインの著名レストラン「エル・ブジ」は26日声明を発表し、シェフらの休養のため2012~13年の2年間、一時閉店すると述べた。
 声明によると、2年間の充電期間で新たな食材やメニューを研究し14年に再オープンする予定。この日、マドリードで会見したシェフのフェラン・アドリア氏は、1日15時間労働を続けてきて疲労困憊したと述べた上で「14年に再開するときは、今とは違う店になると思う」と意欲を見せた。10年は6~12月に営業、11年の営業期間は今年9月に発表する。(共同)

 ああ、腕のいい、人気の料理人!
 ああ、腕のいい、人気の作家!
 ああ、腕のいい、人気の音楽家!
 ああ、腕のいい、人気の授業者!
 ああ、腕のいい、人気の医者!……と、つぶやきながら、記事を「1日15時間労働(疲労困憊)」と「休養」という2つの観点のうち、前者に力点を置いて読んでいる、わたし∈(*´┏エ┓`*)∋。
 15時間、料理をつくりつづける世界一の人気シェフという話から、次のような人々を連想……。

 怒濤のように楽曲を作りつづけるロッシーニ。
 作曲しているうちに、紙が床に落ちても拾う時間もなかったそうです。
 紙を拾う間に、もう、次から次に曲が書けたといいます。(書かなければいけなかった……。)
 怒濤の執筆というと、スタンダール。
 この人は、速く書くために、速記者を雇っています。
 予想ですけど、シェークスピアも、速筆だったはずです。
 彼は、いわゆる座付作者でしたから、次の芝居のために、たえずせかされていました。(参考『辻邦生が見た20世紀末』)

 これにくらべて、わしのホームページは、ヒマでんなぁ~(。>0<。)

 ホームページにカウンターをつけていませんから、来訪者数はわかりませんが、記事の貯蔵庫(Eduブログ)と、ホームページからリンクしているブログ(gooブログ)にはカウンターがありますから、クリック数(=閲覧数=PV)がわかります。
 ここ10日間の結果は、次の通りです。

Edu goo
01/17(日) 54 75
01/18(月) 48 53
01/19(火) 41 92
01/20(水) 64 110
01/21(木) 65 91
01/22(金) 39 65
01/23(土) 49 64
01/24(日) 51 55
01/25(月) 74 146
01/26(火) 72 91

◆Eduブログ、gooブログ、それぞれ別々に考えてもいいし、また、「Eduブログもみて、gooブログもみて……」という人は、通常ありませんから、2つの合計を閲覧数と考えてもいいと思っています。
 カウンターのついていないホームページは、おそらく、Eduブログ、gooブログ前後の閲覧数で推移しているものと思われます。

 それにしても、さびしい数字です。
 けど、ま、これが、今のわしの実力(。>0<。)

 みなさん、毎日、ガンガン、クリック、頼んまっせぇ~(*^_^*)(*^_^*)(*^_^*)(*^_^*)(*^_^*)。

 なお、ホームページにカウンターを設置していない理由は、(1)ホームページ本体が、カウンターの重さに引きずられ、表示が一瞬遅れることがあるから(←これは本末転倒)……(2)カウンターのサーバーが故障したときは、カウンターを探しているあいだ、表示が大幅に遅れるから(←これは論外)……この本末転倒と論外を避けるために設置していません。
 それに、もうひとつ、あまりにさびしい数値をつきつけられるのも悲しすぎるから……(←これは自己防衛機制です)(*^_^*)(*^_^*)(*^_^*)。

 


◆ホンマでっせヾ(●ε●)ノ”と思った記事。

 (前略)あれは2007年世界陸上大阪大会の最終日だった。開催国の日本はその日まで一つのメダルも取っていない。最後に期待された女子マラソンだったが、土佐礼子選手が終盤39キロ付近で5位に落ちると、誰もが「もうだめだ」とあきらめた。が、奇跡はそこから起きる。40キロ前後で2人を抜き、3位でゴールインしたのである。顔は苦痛にゆがんでいた。
 「(前のランナーを)落ちてこいと呪っていました」(サンケイスポーツ)。レース後、土佐選手はそう語った。これほど公明正大な呪いがあるだろうか。彼女はきっと、前の選手を呪うことで自らを奮い立たせたのだ。(中略)
 心底、「民主党よ、落ちてこい」と呪いをかけ、それこそ悋気もヤル気も燃やして「火の玉」となるぐらいの覚悟が、今の自民党にはないのだろうか。(【言のついでに】論説委員・清湖口敏 自民よ「火の玉」となれ 2010.1.27 02:33)

 昨日、「新聞の定期購読も、衆議院選挙で自民党惨敗以降、ストップ」と、やや意味不明の記述をしました。
 補足します。
 それまで、教育との関連で、読売新聞を購読。
 しかし、自民党惨敗以降、自分が生きているあいだにこんなことが起こるとは思っていませんでしたから、ショックは大きく、負けても負けても、いつまでも自民のことを応援してくれる新聞……ということで産経新聞に変えました。
 当初は、毎朝、男桐下駄、カランコロン、鞍馬天狗歩きで、近くのコンビニまで買いにいっていました。
 そのうち、WEB産経が、新聞と同じか、それ以上に充実していることに気づき、今のカタチに落ち着いた……ということです。

 それにしても、「民主党よ、落ちてこい」と呪いをかけろ……と書いてくれるって、うれしい、ホンマ、ありがたい新聞ですね。
 産経はん、これからも、わしの応援、頼んまっせぇ~。

◆ブログに向かったときは、まったく別の内容を記述するつもりでした。
 その記述の前に、ちょっと、ニュース記事に触れて……と思ったら、2000字を超えてしまいました。

 昨日は、4000字を超えています。
 いくら書いてもいいのですが、ま、迷惑な話でもあるので、適切な量として、2000字~2400字の範囲と決めました。

 本日は、これで終わります。

 


画像は、旧正月を祝うみなみの繭玉飾り(あすも、繭玉飾りの画像をアップします。)


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今、食料品(含酒)以外は、一部の例外を除いて、いっさい、モノの購入はしていません。清貧そのものです

2010-01-26 14:49:20 | Weblog

10.01.26 今、パワーが落ちています



◆今、食料品(含酒)以外は、一部の例外を除いて、いっさい、モノの購入はしていません。
 清貧そのものです(*^_^*)。

 例外として、最近だと、①プリンターのインク黒1個(純正品を買えばいいのに安物を買ったためにつまってしまい、現在、カラーで印刷している)、②CD1枚(「エピソードと終わりなき歌」〈ペテリス・ヴァスクス〉)、③書物1冊(『辻邦生が見た20世紀末』←古本)。
 教育関連の雑誌の購読も、全部、2009/3でストップ。
 新聞の定期購読も、衆議院選挙で自民党惨敗以降、ストップ。

 現在、ニュースは、WEB産経ニュースと、WEBはちのへJP。
 音楽は、PCラジオ=JAZZRADIO.COM。
 読書は、DAKA古書店内の書物・雑誌。

 ただし、教育関連の書物については、「午前9時から(正午から1時までは休憩)午後4時まで、何もみないで、日本の教育の歴史が語れるようになる」という10年来の夢があるので、日本教育史や、大東亜戦争下の教育に関する書物は、今後、積極的に収集するつもりです。

 


◆前置きが長くなりました^^;^^;^^;。
 というわけで、けさは、WEB産経でニュースをチェックしたあと、DAKA古書店内にある、2006・現代教育科学1月号「『学習指導要領』戦後60年の功罪」を読みました。
 どの論文も興味深く読みましたが、特に刺激を受けたのが、次の記述です。

 三「学習指導要領」の罪とは?
 (前略)もう一つは、日本人の家庭や地域から、教育をすべて学校に取り込む方向を促し、社会の教育力を奪ってしまった、という点である。
 これは第一の点とも関係して、戦後も学校の教育こそが常に進んでいて妥当なものとする通念を生み出し、「教育のことは何でも学校の先生に」との態度を国民の間に広めた、と言ってよい。
 「学習指導要領」の法的拘束力の強かった時代は何でも学校がかかえ込むような事態となり、現在はそれが破綻した状態にある。
 今日では、規制緩和によって、あらためて「学習指導要領」の「試案」的性格が強められているが、それを学校現場で支える力のある教師が、昭和50年頃までにいなくなり、せっかくの施策も効果がすぐには出ていない。(安彦忠彦氏)

◆2点、コメントします。

 第1点は、学習指導要領が「教育のことは何でも学校の先生に」との態度を国民の間に広めた……という箇所です。

 安彦氏のいう「教育のことは何でも学校の先生に」とか、「何でも学校がかかえ込むような事態」を、わたしはこれまでずっと、もうみなさんの耳にタコができているかもしれませんが(*^_^*)、「学校の教育独占体制」あるいは「学校の教育丸抱え体制」と呼んできました。

 そして、わたしは、これまで「学校の教育丸抱え体制」を強める方向に作用したのは次の3点(の融合作用)だと考えていました。

①学校中心自治民育体制。
 昭和7年文部省訓令「学校少年団」
 昭和16年「大日本青少年団」
 昭和20年5月22日戦時教育令=「学徒隊」
 このいう流れのなかで、いわば「学校中心自治民育」体制が確立していったのですが、この戦前の「学校中心」というイメージだけが、世の中が変わっても、保持されたこと。

②教育爆発現象。
 高校進学率が昭和20年代〈20%〉→昭和50年代〈90%〉と急カーブを描いています。
 受験のための狭義の学力観に、地域・家庭も追随していかざるをえなかったこと。

③地域社会構造の変化。
 職住分離・核家族化が進行したこと。

 安彦忠彦氏が指摘する、「学習指導要領」が教育をすべて学校に取り込む方向を促し、社会の教育力を奪ってしまったということは、うすうすは感じていたものの、「学校の教育独占体制」の元凶として明確に柱立てしていなかったので、いい視点を提示・顕示してもらったと思っています。

◆第2点は、「『学習指導要領』の『試案』的性格が強められているが、それを学校現場で支える力のある教師が、昭和50年頃までにいなくな」った……という箇所です。

 教育現場の直中にいるわたしのような人間から反論があることは想定の範囲内で書かれていると思うので、あえて反論はしませんが、「せっかくの施策」が効果があがらない原因を「……力のある教師が、昭和50年頃までにいなくなった」からとするのは(……半分当たっていると思いますが、それだけを指摘するのは)、やはりとんでもない誤認識です。(こういう認識をしている限り、教育の改革は進みません。)
 文科省は、「せっかくの施策」がすぐに効果があがらないことは、いや、もっとはっきりいえば、5年先も、10年先も効果があがるはずがないことは、十分予見していたはずです。
 「せっかくの施策」が効果をあげるためには、「もうひとつ別な施策」を同時に展開する必要があります。
 このことは、平成10年度の改訂時に、いったんは「別な施策」を打ち出しながら、大論争の末に、ひっこめざるをえなかった文科省は十分に認識しているはずです。

 今、わたしが、「別な施策」といって、その施策の中味をはっきりいわないのは、はっきりいってしまえば、また、ここで、延々と、語らなければならなくなるのが、ちょっと、シンドイからです。
 今、わたしのパワーが落ちています。
 もうすぐ復活すると思います。
 復活したら、まだバリバリ語ります。

◆昨日のニュース記事。

 社会は厳しいぞ!成人式妨害で2人逮捕

 成人式会場で暴れて式を妨害したとして、長崎県警佐世保署は25日、佐世保市のA(20)、B(20)の両容疑者を威力業務妨害容疑で逮捕した。
 発表によると、2人は10日午後1時40分頃、同市で開かれた市主催の成人式で、朝長則男市長のあいさつの際、壇上に登って奇声を発したり、朝長市長を扇子でたたこうとしたりして進行を妨げた疑い。2人は当時、酒に酔っていた。容疑を認めているという。
 同市は20日、同署に被害届を提出した。同署は、ほかに6人が壇上で暴れたとみて調べている。
 市職員らが制止した後、朝長市長は「社会は厳しいものですよ」などと一喝。ほかの新成人たちから拍手を浴びた。市長は2人の逮捕を受け、「社会のルールを守るのが大事なことだと分かってほしい」と改めてコメントした。(2010年1月25日13時19分 読売新聞)

 一言だけコメントをします。

 「社会は厳しいもの」という「社会の厳しさ」は、小学時代、中学時代、高校時代を通じて、社会、すなわち、地域がしっかりし教えるべきことだと思います。
 「社会は厳しいものですよ」と一喝し、「警察に被害届を出」すことは否定しませんが、同時に、地域の教育、すなわち、佐世保市の、学校教育に対する社会教育が、うまくいっていなかったのではないか? さらに、社会教育がうまくいかなかったとすれば、その元凶は何か?と、それこそ厳しく問い直していく視点が必要です。

 これも、わしとしては、めずらしく、ぼんやりとした言い方をしていますm(_ _)mm(_ _)m。
 スンマヘン、スンマヘン。
 さっきと同じように、はっきりいってしまえば、また、ここで、延々と、語らなければならなくなるのが、ちょっと、シンドイからです。
 今、わたしのパワーが落ちています。
 もうすぐ復活すると思います。
 復活したら、まだバリバリ語ります。

 そんなにシンドイのやったら、寝てたらええやんケ……といわれそうですが、にもかかわらず、こうして起きてくるのが、わしの「悲しい性(サガ)」です。

◆BBSにひさしぶりにMariaっちさんからカキコミがあったので、気合いをいれて返信を書きました。

 Mariaっちブログは、お気に入りにの中の、さらに最重要のフォルダに登録しているので、ブログにはときどき侵入しています。

 確かに以前の記述には、
 ①対象(夫や娘)を鋭く分析する視点、
 ②対象に対してもっている愛情に抗して、つかず離れずの距離を保とうとするストイックさ、
 ③「①」と「②」を支える凛とした、Mariaっちさん身体の軸と輪郭……がすごく魅力的でした。

 一度、わたしの魂の舞台(生野本通商店街界隈)に侵入されたことがありましたが、あの頃が①+②+③に支えられた感受性が最も鋭敏になっていた頃ではないかなぁぁと拝察いたします。

 こんなことをいうと叱られるかもしれませんが、なにか、劇的な危機の予感があり、状況によっては自分もこの描写されている世界に、実際に参加できるかもしれないというワクワクさせるところがありましたm(_ _)mm(_ _)m。
 「ワクワク」を具体的にいえば、こういう人といっしょに暮らす「夫」はちょっとたいへんそう……だけど、自分はこんなふうに分析され、突き放されながらいっしょに暮らしたい……と思うような気持ちといってもいいでしょうか……?

 今のMariaっちさんの記述は確かに以前の記述とは異なります。
 平凡な家庭生活、夫婦生活がダラダラと描かれているだけで、「夫とベタベタとするのなんか、もう勝手にやってよ……」と、読者としてはあきれて、投げ出してしまいたくなるような、緊張感のない雰囲気が漂っています。(これ、わしのヤキモチかも^^;^^;)

 ただし(ここからが大事なのですが)、それは一見いかにもそう見えるだけで、よくよく読むと……
 mariaっちさんは決して自分の深部の感受性にフタをしてしまったのではなく、深部の感受性でとらえたものを平凡な記述の中に投影させているのではないか?
 あるいは象徴的に描いているのではないか?
 また、深部と現実との関係を暗示させる記述をひそませているのだけれども、わたしがそれを読み取れないのではないか?
 「もし、そうだとすれば、現在の記述のほうがはるかに文学的価値が高い。このことはぜひ確かめてみたい……」という思いがわたしに強くあります。

 そう思いつつ、なぜそうしないのかというと、やはり、今の記述に濃く漂っているところの、なんというか、現実に抗しきれず、さきほどの③の軸が、がっくしと折れたような悲哀、傷心、沈痛、悲痛、痛嘆の思いが、あまりにも痛々しいと、Mariaっちさんに対して、わたしが感じているからかもしれません。
 もし、今の記述が、この「悲哀」などを主題にしているのであれば、実におみごとな記述といえます。
 これは決して皮肉などではありません。

 なかなか、終わりらしいコメントに至らず、中途半端なカタチのままになりますが、きょうはこれで終わります。


★画像は、上がWEB産経ニュース、下がJAZZRADIO.COMのHP


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「またやってしまった」という感じです。安ウィスキーが先だったのか? YouTubeが先だったのか?

2010-01-25 10:06:53 | Weblog

10.01.25 また、やってしまった



◆「また、やってしまった(((_|||)))。。。」という感じです。
 安ウィスキーが先だったのか?
 YouTubeが先だったのか?……。
 はっきりしませんが、ま、やはり、当然、安ウィスキーのほうが先でしょう。

 概略はこうです。
 冷蔵庫の製氷庫から氷をもってきて、オンザロック(ダブル)で飲み始める。
 PCでYouTubeを開き、いつもの「青葉茂れる」で検索をかける。
 ぞろぞろと、たくさん、ひっかかってきた「桜井の訣別(わかれ)」のうち、宍倉正信と西六郷少年少女合唱団の「桜井の訣別」をクリック。

 瞬時に、宍倉正信のソロと、西六郷少年少女合唱団の組み合わせに、わしの魂が、溶解。

 正成「♪父は兵庫におもむかん/かなたの浦にて討死せん/汝(いまし)はここまで来つれども/とくとく帰れふるさとへ」
 正行「♪父上いかにのたまうも/見捨てまつりて我ひとり/いかで帰らん帰られん」

 この懸けあいに、ピッタリだったのですよ!(^^)!!(^^)!!(^^)!!(^^)!!(^^)!!(^^)!!(^^)!!(^^)!!(^^)!。

 何十年ものあいだに、わたしの魂にこびりつき、こびりつき、層をなしている、数々の概念が、YouTubeに表示される「もう1回見る」をくりかえすたびに、剥がれ落ち、剥がれ落ち、魂がどんどん透明になっていく感覚。
 
 要するに、けさは、二日酔いの失速状態。
 
 酔う度合いを――
(1)爽快期
(2)ほろ酔い期
(3)酩酊初期
(4)酩酊期
(5)泥酔期
(6)昏睡期
 とした場合、昨晩は、(3)ではない……、やはり(4)だったか^^;^^;^^;^^;^^;^^;。。





◆と……なると、もうひとつの「また、やってしまった(((_|||)))。。。」の予感。

 それは、魂が透明になると、乱氏のチャットやBBSに侵入し、朝○龍のような大暴れ……という、いつものわたしのパターンがあるのです。

 おそるおそる乱氏のチャットなどをチェック。

 しかし、驚いたことに、侵入の形跡なし。

 ホンマ、ホッとしましたよ(^_^)v(^_^)v。

 昨夜、なぜ侵入しなかったのか?は、いつも、なぜ侵入してしまうのか?がわからないように、不明。

 なお、念のために触れておきますが、「桜井の訣別」の桜井の地は、大阪府三島郡島本町にあります。
 大阪府の北の端で、JRや阪急電鉄や新幹線からもよく見える、日本のウイスキーのふるさと、サントリー山崎蒸溜所の近くです。
 先日、ちょっと触れた、保田與重郎の桜井市(奈良県)とは異なります。





◆人生の、ひとつの結論。

 先日、わたしの語りのベースを、〈A〉過去の時点(=2004~2008)に、現在の自分を、つぶれ込ませるか……、あるいは、〈B〉現時点に、過去(=2004~2008)を引き寄せるか……という問題に対する結論。

 もう〈A〉しかあり得ませんよ。

 理由を2点。

(1)学校歴365日に内在するストーリー性。
 これは、子どもたちの成長の過程、および、教職員の教育理念&教育技術の向上の過程です。
 わたしには、これ以上のストーリーはないし、またムリに別なストーリーを創出する必要もありません。
 別なストーリーは、他の人にまかせておけばいいわけです。

(2)もうひとつ、わたしの人生に、常に、伴奏のようにつきまとう、「わたしは、ほんとうに語らなければならないことから逃げて、『教育』を語っている……」「『教育』」に逃げ込んでいる……」という想念です。
 よくよく考えてみると、この「想念」は、既に出発地点において、決別していたのではないか……ということです。
 わたしは、人生の出発地点の選択において、迷いに迷い、結果として、哲学、文学、政治、経済、宗教……等々の総合としての「教育」、いってみれば、「何でも屋さん」の「教育」を選択しました。
 いまさら、他に、ほんとうに語らなければならない分野などあるはずがありません。
 あるとすれば、わたしはそれを「教育」との関連において語ればいいわけです。
 「おまえは『教育』に逃げ込んでいる」……という想念との決別。


 


◆画像は、ヒヨドリ・小太郎。
 以前、「庭に棲息する華と小太郎」という紹介の仕方をしましたが、正確にいうと、棲息しているのは小太郎だけのようです。

 これは、いつ撮影しても、映っているのは小太郎ばかりなので、華はどうしたのか?と、少し注意してみていました。
 で、わかったこと(といっても、わたしは野鳥の生態などにくわしくないので、あくまでも想像ですが……)2点。

(1)小太郎は、華が庭にやってくるのを喜んでいる……あるいは、待ちこがれている。
(2)しかし、華以外のヒヨドリが庭に接近すると、スクランブル発進で威嚇する。(予想、以上)

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大阪人にとってお好み焼きは常に悲しみとともに存在しています。だから、お好み焼きのそばだと悲しいことも

2010-01-23 10:51:45 | Weblog

10.01.23 お好み焼きは悲しみとともに

◆昨日、千房のお好み焼きの話をしましたので、つづきとして、わたしの家のお好み焼きの話をします。




 これが、現在のお好み焼き用器具です(*^_^*)。
 鉄板は、南部鉄器(内寸28×24cm )。
 コンロは、イワタニのカセットコンロ・フーBO。

 小さい鉄板ですから、お好み焼きは1枚しか焼けません。
 向かい側にいるパートナーは、お好み焼きの隅っこで、チョコチョコと肉や野菜を焼くハメに。

 ホンマは、お好み焼き大会(お好み焼きパーティ)がやれるような専用のお好み焼き台があったらいいのですけれど、この器具程度が、わたしの実力(=財力・鉄板磨き力・お好み焼き技術等)やね。

 以前は、ホットプレートを使っていました。
 ホットプレートの魅力は、じっくり焼けること、まず失敗がないこと。
 でも、弱点は、火力がおとなしい……金属ヘラが使えない……それに、なんといっても、磨けない(>_<)。
 焼き終わって、鉄板をゴシゴシと磨くのが、お好み焼きのいちばんの楽しみやからね……(*^_^*)。

◆画像は、映画『秋深き』(2008/11)の一場面。




 一代が、寺ちゃんに、自分が乳ガンであることを告げています。
 この場面は、わたしとしては、もう、お好み焼き屋しかないという感じです。
 熱い鉄板の上の、外サクサク、中ホカホカのお好み焼きが、悲しみの空洞を埋めてくれる……というのではありません。
 大阪人にとって、お好み焼きは、常に悲しみとともに存在しています。
 ですから、お好み焼きのそばだと、悲しいことも、平気で告げることができるんです。
 ま、逆に、観ている人は、2倍悲しいということになります。
 この場面、大阪人は、たいてい目頭を熱くします。
 池田敏春監督は、大阪人のこういう心理まで計算して、お好み焼き屋に場面を設定したわけでは、たぶん……ないと思いますけど。





◆それから、昨日、「信貴山・柿本家の若女将に見送られて下山し、王寺に向かいました」と書きましたが、ひとつ、抜けた場所があるので、補足します。

 下山の前に、高安山に寄りました。

 ここには、どうしても、自分の身を存在させたいと思いました。

 前にも紹介したように、自己の輪郭線を常にピリピリさせる高校生だったわたしが、高安山から、砂漠の砂の、一粒一粒が輝いているような大阪の夜景を眺め、「ああ、自分もこの一粒の光にすぎないのだ……これから何十年か、この一粒として、寒いときはコートの襟を立て、暑いときはシャツ一枚になり、団扇であおぎあおぎ、生きていくのだ……」と、少し涙ぐんだ場所です。
 涙ぐんでいる高校生のわたしのうちに、もうひとつのイメージがありました。
 伊勢物語の23段。
 ここに「髪を頭に巻き上げて、面長やかなる女の、手づから飯がひ取りて、笥子の器に盛りける」高安の女が登場します。
 この女のイメージが、なぜか、強烈に、わたしのうちに存在していました。

 高校生のわたしは、何十年か後、イワタニのカセットコンロ・フーBOに、南部鉄板をのせ、お好み焼きを焼いている、わたしの姿を、完璧に見通していたことになりますね(>_<) いや (^_^)v。


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王寺のこの地点に自分の身を置くことにこだわったのは、昭和61年頃、柿本家のある信貴山をモデルに地図を

2010-01-22 13:49:00 | Weblog

10.01.22 魂の底に沈む白い貝殻・王寺

◆信貴山・柿本家の若女将に見送られて下山し、王寺に向かいました。
 今回の、水平(空間)軸上の移動は、粗く、①信貴山→②奈良のどこかの町(*^_^*)→③大阪生野区へ。
 この生野区を旅の終着点として、大阪環状線・寺田町駅→大阪駅→新大阪駅から新幹線……という計画でした。

 残された時間から、③大阪滞在の時間を引くと、②奈良滞在は、わずかな時間しかありません。

 そこで、王寺・斑鳩・大和郡山の3つを選び出しました。
 年の暮れに、ぼんやりと考えていた「桜井の大神神社から三輪山を眺める」は、とても時間が足りないので、次回、桜井に特化した水平移動を設定することにして、今回は、あきらめました。

 大和の元旦に、一番多くの人の詣で集まる大祭りは、大神神社だった。
 元旦の暗闇の中で、三輪の神主は、三輪山に向かって祝詞を奏上する。
 この神社では、神の象徴や神位や御神体を祭る本社神殿はなく、御山がそのまま神にましましたから、御山に向かって祝詞を奏上する。
 こうして大和一国の年は始まるのである。(保田與重郎「日本人の『美的生活』ということについて」)




◆王寺から眺める信貴山です。
 中腹まで住宅地(大和川を挟んで接する三郷町)が広がっています。




 王寺のこの地点に、自分の身を置くことにこだわったのは、(ずっと以前に紹介したことがありますが)昭和61年頃、柿本家のある信貴山をモデルに「地図」を作り、「地図」の中で暮らし、「地図」の中から大館中学校に出勤していた頃のDiaryの、大館中の教職員や生徒たちとのやりとりの記述と記述のあいだに、次のような箇所があり、その箇所が、魂の底に沈んだ白い貝殻のような痕跡を残していたからです。


 お天気のいい日だった。
 平岡たちの家族は、王寺の町に出かけていった。
 買い物に行く細君と駅で別れた平岡は、子どもたちといっしょに駅前のペットショップをのぞいてみた。
 店には大小の水槽が積みあげられていた。
 「ちっちゃい金魚だ」
 千早が平岡の手を振りほどいて駆けだした。
 「ちっちゃい金魚だ」
 光太郎も駆けだした。
 グッピーの群れがページをめくるように泳いでいた。
 「お父さん、こっちこっち」
 うしろの大きな水槽の陰から千早が顔を出した。
 「ほら、変な顔の金魚」
 「ヘンな顔の金魚ッ!」
 2人はシーラカンスに似た熱帯魚の前で、自分たちの頬を両手で押しつぶすようにして、平岡の顔を見た。
 店の主人は、小鳥の産道につっかかった卵をとりだそうとして悪戦苦闘しているらしかった。……(後略)


 当時のDiaryに「王寺」を登場させてから、こうして実際に身を置くまでに、25年の歳月が経過しています。
 あのときは、架空の地図(信貴山)から、架空の父(平岡)が、実在の千早&光太郎を連れて、架空の王寺を訪れたのです(*^_^*)。
 今回は、わたしは、いったいどこから、ここにやってきたのだろうか?と考えたら、頭がクラクラッとしました^^;^^;^^;^^;。

◆斑鳩町のあと、奈良の最後の滞在地、大和郡山に到着。




 お好み焼き・千房の看板が目に入りました。
 ちょうど、お昼時でしたから、もちろん侵入することに(*^_^*)。
 いつもの豚玉と思いましたが、せっかくの大和郡山なのだから……と奮発して、黒豚玉を注文。
 「焼きはりますか? 焼きまひょうか?」
 もちろん、プロの腕で焼いてもらうことに……。






 わたしが追究している、外サックサック、中ホッカホッカからは、完全に外れて、全体がホカホカの、ごく普通のお好み焼きでしたが、(ま、わたしがグルメレポーターのような言い回しをするのは、すごく抵抗がありますが^^;)、しっかりとしたキャベツの歯触りがありながら、気がついたら、トロけているのには驚きました。(これは……この部分だけは……参りました(*^_^*)よ。)

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「教育」に逃げ込むわたしと、夕景のヒヨドリ・小太郎。みなみの誇り。みなみの疵。みなみの自己欺瞞。

2010-01-22 08:58:41 | Weblog

10.01.22 夕景のヒヨドリ・小太郎



◆2、3日前、「みなみの疵が、拭いがたいものとして、今もわたしのうちに存在している」と述べ、このことについて、今後、記述をつづけるときのための備忘として……「現在、わたしのうちに存在する、みなみへの接続ポイント」として、3点を挙げました。
 ①一定の成果に対する誇り。
 ②道半ばで断念しなければならなかった悔い(=疵)。
 ③その「悔い(=疵)」を、懸命に正当化しようとした、2007~2008の、ま、いわば自己欺瞞。

 この3点について、今、頭のなかに浮かんでいることを、アトランダムに、4点。

(1)①「誇り」(=ある意味で「自慢」)と②「悔い」(=疵)は、切り離して語らないこと。

(2)語る場合に、方法として、〈A〉過去の時点(=2004~2008)に、現在の自分を、つぶれ込ませる(溶け込ませるように)侵入して語る(=たぶん「生き直す」という手法がこれ)という方法と、逆に〈B〉過去(=2004~2008)を、現時点に引き寄せて、それこそ、わたしの文体論(=「断念」の上に、願望の実現に向けて格闘する……悪戦苦闘する……その「軌跡」が「文体」)を実践していく方法とがあります。

(3)けさ、ベットの夢現(ゆめうつつ)のなかで、「〈A〉しかないよなぁ~。今さら、〈B〉をやれっていったって……。〈A〉で十分だよ……いや、〈A〉こそ価値があるんだよ」と、ブツブツやっていました(*^_^*)。

(4)でも、わたしのどこかには、〈B〉にこだわるところが残っているんですね^^;。
 それは、わたしのうちに、(教師になって頃から、みなみ退場まで、ずっと魂の底にあった気持ち、すなわち)ほんとうに語らなければならないことから逃げて、「教育」を語っている……「教育」に逃げ込んでいる……という意識があるからだと思います。

 これはやっかいです。

◆画像は、昨日のヒヨドリ・小太郎です。









 わたしは、最後の「夕景の小太郎」が好きです(*^_^*)。


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HP大改造の理由。(1)自分の存在のカタチを開示し続ける強い意欲が萎えた(2)マイナーチェンジの繰り

2010-01-20 09:17:48 | Weblog

10.01.20 ホームページ大改造



◆わたしのホームページを改造しました。
 わたしとしては、大改造です。
 これまでの、いってみれば、瓦版的、あるいは、小・中学校で作る壁新聞的編集から、極々、一般的な、メニュー中心のホームページに。

 結構、頑迷に、瓦版的編集を通してきましたので、自分が楽なほうに妥協したような、うしろめたさがあります。
 退歩してしまったような残念さ、無念さがあります。

 大改造を決断した理由。

(1)「こんな記事もありまっせ」「こういう通信も載せてまっせ」「こんなかわいいヒヨドリの画像もありまっせ」……という、ま、自己顕示欲(^_^;)、もっと正確にいえば、自分の存在のカタチを開示・明示しつづけようとする強い意欲が萎えてしまったこと。
 こんなことでは、アキマヘンのやけど、これか、現在の、偽らざる、わたしの心境です(>_<)(>_<)(>_<)。

(2)10年間にわたって、マイナーチェンジ(増築・一部改修)をくりかえしたので、
 ①構造が複雑になり、こっちのコーナーを消去したら、あっちも動かさなければならない……、あるいは、こっちをもう少し引っこめようとしたら、あっちが出っぱっているのでどうにもならない……というふうに、こちらの意図どおりに編集することができなくなったこと。
 ②大東亜戦争時のように戦線を拡大しすぎ(全校朝会で子どもたちに話したように、当時の大日本帝国は、海を含むところの地球占有率は、有史以来、世界最大^^;←わざわざ、こういう説明を挟みたがる^^;^^;)、隅々の編集に手が回らなくなり、放置状態のコンテンツが続出したこと。

(3)トップにアップしたDiaryを、gooブログに保存するというシステムをとっていましたが、gooブログ上で、ホームページ上と同じように、コマゴマと編集する方法を開発したので、わざわざ、トップにアップする必要がなくなったこと。

 最後の(3)が、いちばんの理由です。




◆かなり思いきったスリム化を断行^^;^^;しました。
 ファイル量でいうと、700KB→100KBに。

 カットした主なコンテンツは、

(1)スクロールコメント
(2)「職員室通信」ピックアップ
(3)特集画像コーナー
(4)八戸線質問コーナー
(5)「修学旅行中でっせ」コーナー
(6)魂の内側を垂直に孤独に底に向かっていく旅
(7)お好み焼きコーナー
(8)当日のDiary

 ただし、カットしたからといって、完全に消滅させたわけではありません。
 今も、WEB上をさまよっています。
 ためしに、「DAKA風お好み焼き」「豚玉」「レシピ」で検索をかけると、なつかしい、わしの、お好み焼きの画像と、お好み焼きのいい匂いが、ディスプレイ上に出現しますよ(*^_^*)。
 ときとぎ、ホームページ上にピックアップするするつもりです。

 どこにピックアップするのかというと、現在、新ホームページ上にある「年末年始は信貴山に滞在」(修行僧による人生相談)という場所です。
 ここは、いわゆる特集コーナーで、1週間くらいで、コロコロと変わっていきます。
 この特集コーナー、あるいは、DAKANEWS等で、カットしたコンテンツを拾い上げていくつもりです(*^_^*)。



◆これまで、わたしは、「ホームページのカタチが自分の存在のカタチです」と、いいつづけてきました。
 あるいは、わたしの「快適な生活の条件」の中の、もっとも重要な条件として「自分の存在のカタチとの同一性を追究するホームページ」の存在を掲げてきました。

 このホームページは、わたしが、この地上から消滅するまでつづきます。
 これまで同様、応援、よろしくお願いします!(^^)!。

★画像は、今回の改造で、ホームページ上から消えたコンテンツ

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ここまで来れば、もう大丈夫やわ。わたし、ひとりで帰れるわ。けど、小高君、ここからひとりで帰れるの?

2010-01-19 10:41:48 | Weblog

10.01.19 画像の中からF子さんの声



◆先日、「2009/3/31に、みなみを退場したから、その道半ばの疵は、もう夢のまた夢か……というと、どうも、それは違う……」、「みなみでの『疵』は、拭いがたいものとして、今もわたしのうちに存在している……」と書きました。

 このことに関連して、さらに記述をつづけるために割くエネルギーが、現時点ではありません。
 いつか、つづきを記述することにします。
 そのときの備忘のために、次の2点を記述しておきます。





(1)現在、わたしのうちに存在する、みなみへの接続ポイントは、3点あります。
 ①教職員、保護者、地域の方々と力を合わせて、なし得たところの、一定の成果に対する誇り。
 ②道半ばで断念しなければならなかった悔い(=疵)。
 ③その「悔い(=疵)」を、懸命に正当化しようとした、ま、いわば自己欺瞞。
 この③の自己欺瞞の例として、「改革は自分の役目ではない」「自分には改革を遂行するだけの力がない」「改革に対する保護者の支持率が低い(26%)」「文体というのは、願望の断念が絶対の条件になる……云々の文体論の追究」。
 (26%の支持は、決して低くない。)

 文体論の内容については、まちがっているとは思いません。
 けど、それを、みなみ在職中の、すなわち、適切な比喩ではないかもしれませんが、「戦闘中」の2008にやるというのは、完全に、心理学でいうところの、いわゆる「逃避」ですね(*^_^*)。
 スンマヘン。




(2)わたしは、大学卒業後、初任校の一中からスタートして、途中、研究機関、あるいは教委を含んで、最後のみなみを退場するまで、10の職場を経験しました。
 この10の職場を、わたしは、次の3つに分類しています。

 ①経験を通して、根本的な発見があり、わたしが変化した職場。
 ②経験を通して、わたしの技量が飛躍的にアップした職場。
 (技量がアップすることにより、ものの見方が変わり、わたしそのものが変化する場合も、この②に含む。)
 ③上記の①と②を含む職場。

 たとえば、①は、一中です。
 ②は、大館中です。
 ③は、みなみです。

 「備忘」的記述、以上。




◆画像は、ふるさと大阪・生野区の路地風景です。
 信貴山・柿本家からの帰りに寄りました。

 大阪の路地は、わたしの宇宙です。
 最後の画像は、大好きだったF子さんが住んでいた路地(*^_^*)。
 よく訪ねていきました。
 そのうち、F子さんが、わたしの家のある路地を訪ねてくれました。
 感激したわたしは、大はしゃぎだったのですが、F子さんを送っていく路地の途中で道に迷ってしまいます。
 F子「ここまで来れば、もう大丈夫やわ。わたし、ひとりで帰れるわ。けど、小高君、ここからひとりで帰れるの? なんやったら、わたし、送っていこか?」
 何十年もたつのに、このF子さんのことばは忘れられません(*^_^*)。
 画像のなかからF子さんの優しい大阪弁が聞こえてくるようです。

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失速、キリモミ状態のわたしに、先日、突如、「よし、と書き出したらずっと最後まで」が、復活!(^^)!

2010-01-17 16:16:46 | Weblog

10.01.17 松ちゃんからの依頼メール



◆文章をどのように書くか?ということで、わたしが、ずっと心にとめている、あるコメントがあります。

 黒田清氏(2000年7月23日膵臓癌のため死去)の発言です。

「言ったって、できることじゃないかもしらんけど、文章というものは、自分が息をするように書かなきゃいかん。
 息するのに、次、吸うのか吐くのかと考えてやるか?
 やらんやろ。
 おれ、見とってみい。
 この部長席で、これ、今から100行で書くぞ。
 よし、と書き出したらずっと最後まで書いとるやろ。
 だいたい同じスピードでやって、終わるやろ」

 昔の新聞は1行、15字。
 ですから、黒田氏のいう「100行」とは、1500字。
 400字原稿用紙で、約4枚。

 ま、内容的に、黒田氏のそれと、わたしのそれとは比べるべくもありませんけれども、「よし、と書き出したらずっと最後まで」という心がけは、同じです(^_-)(^_-)(^_-)。

 みなみ在職時、常にしめきり&催促と競争して、怒濤のように書いていました(>_<)。

 それが、みなみ退場後、失速。
 理由は簡単です。
 みなみ在職時は、書く材料があって、これとこれとこれを、こういう順序で書いて、教職員に、あるいは、保護者&地域の方々、あるいは、生徒に、こういうカタチで提示する……ということがはっきりしていました。
 これらが消滅したわけですから、失速は当然といえば当然です。




◆ところが、この失速、キリモミ状態のわたしに、先日、突如、「よし、と書き出したらずっと最後まで」が、復活!(^^)!。

 おなじみの松ちゃんへの返信メールでした。
 松ちゃんは、近々、○○市の○○で、講演をするそうです。
 その講演内容に関して、松ちゃんから、わたしに「情報提供してほしい」という依頼があったのです。

 松ちゃんとわたしとは、何かあるたびに、互いにデータを交換し合っています。
 たとえば、わたしが学社連携に関して発表するときは、わたしのスライドと松ちゃんのスライドを混ぜ合わせて編集し、発表会場では「きょうのスライドの60%は、松ちゃんという人が作りました(*^_^*)」とやるわけです。
 発表が終わったら、その資料を、ドドッと松ちゃんに送ると、松ちゃんは、またそれを加除・刷新・編集を加え、どこかで講演をやり、またまだドドッとわたしに返ってきて……という具合に、スパイラルしながら、松ちゃんとわたしの資料がパワーアップしていくわけです。
 ただし、松ちゃんとわたしは、事の運び方が違います。
 2人の特性の違いといっていいでしょう。
 わたしにはないよさが、松ちゃんにはあります。
 だから、おもしろいわけですが、このことは、また、いつか書くことにします。

◆その日、わたしは、松ちゃんの求めに応じて、

(1)「教育コミュニティ」を構想するときのエリアの規模に関する私見。
(2)教育危機の元凶(学校の教育独占体制、あるいは学校の教育丸抱え体制)とその打開策に関する私見
(3)本県における学社連携の中核エネルギーの実態に関する資料と私見 ……等、約10項目にわたって、取り急ぎ、バララララララ~ッと打ち、返信しました。

 返信したあと、いつものクセで、字数を、一太郎の「ツール」→「文書の文字数」でチェックしました。

 3000字でした。
 わたしの感覚では、1200字くらいなか?と思っていたので、予想外に多い字数でした。
 もうひとつ、あれ?と思ったのは、それに要した時間です。
 メールの送信時間が、午前9時51分。
 午前8時半の時点では、まだ作業をスタートさせていませんでしたから、約1時間くらい……。
 わたしは、もっと長時間、悪戦苦闘したような気分でいました。
 予想外に短い時間でした。

 それこそ、黒田清氏のいうように、「よし、と書き出し」、「息をするように」「ずっと最後まで書い」た……のでしょう。

 2009/3/31に、みなみを退場して以来の感覚でした(*^_^*)。

◆話を少し飛躍させます。

 みなみでは、2つの目標を設定しました。
 マニフェスト風にいうと、

(1)学びの喜びと確かな学力の保証をめざし、知的で楽しい授業を創る基礎・基本の修業を徹底します〈プロ教師への道〉。

(2)学校・家庭・地域が協働できる教育システムづくりをめざし、みなみ小・中PTAを核にすこやかみなみネット事業を推進します。

 このあとで述べる、わたしの「悔い」と関連するので、少しだけ説明すると、この(1)と(2)は、互いにリンクしあっています。
 (1)から述べても、(2)から述べてもいいのですが、(2)から述べると、「学校・家庭・地域が協働できる教育システムづくり」が実現したあかつきには、現在の教育危機の元凶である「学校の教育独占体制(学校の教育丸抱え体制)」が崩壊し、学校・家庭・地域の教育のバランスがとれた状況になります。
 そして、(同時に)教職員の「女工哀史・ああ野麦峠」的状況が改善され、教師は「知的で楽しい授業の創造」に多くの時間を割くことができる……とリンクし合っているというか、表と裏の関係になっています。

 今の状態(女工哀史・ああ野麦峠的状況)で、「知的で楽しい授業を創る基礎・基本の修業を徹底します〈プロ教師への道〉」を突き進もうとすると、「ああ野麦峠的状況」より、もっと悲惨な状況に陥ります。

 (2)の「学校・家庭・地域が協働できる教育システムづくり」については、みなみの家庭・地域の人々、教職員が力を結集し、一定の成果を上げることができたと思います。
 しかし、「学校の教育独占体制(学校の教育丸抱え体制)」を崩壊させ得たか?というと、道半ばです。(これについては、いつか、あとで、くわしく述べます。)

 (1)についても、教職員の超人的努力で、一定の成果を上げることができました。
 しかし、これも、今も述べたように、「ああ野麦峠的状況」より、もっと悲惨な状況下で、なんとか、やれる範囲においてやったことですから、わたしの志からすると、完全に道半ばです。




◆まだ粗い思考しかしていませんが、松ちゃんの依頼メールが、断念の疵が、今もわたしのうちに残っていること……その疵の痛みを、忘れ去ろう、忘れ去ろうと、むなしい努力をした2008年のシンドサが、今もわたしのうちに残っていること……このことに気づかせたのか? あるいは、今のわたしと、断念時のわたしとを接続させたのか? このどちらかなのかもしれません^^;^^;^^;^^;。

 2009/3/31に、みなみを退場したから、その道半ばの疵は、もう夢のまた夢か……というと、どうも、それは違うようですね。

 こんなことを書いていたら、2008年に定義した、わたしの、(それこそ、シンドイ)「文体論」のことを思い出しました。


 〈定義〉
 わたしのいう「文体」というのは、願望の「断念」が、絶対の条件になる。
 願望の「断念」を強いられることを前提としていないものは、「文体」ではない。
 その「断念」の上に、願望の実現に向けて格闘する……悪戦苦闘する……その「軌跡」が「文体」だ。


 おお! 松ちゃんへの返信の文体が、まさしく、願望の実現に向けて格闘する……悪戦苦闘する軌跡だったのでしょうか?

★画像は、1番上=信貴山・柿本家から朝護孫子寺・本堂を眺める。
 2番目・3番目=柿本家の最後の朝食。ホンマ、お世話になりました。もっと滞在したいのですが、これから、奈良&大阪に向かいます。

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お賽銭を入れる。鈴の緒を振る。思い浮かぶ限りの人々の名を唱え、手を合わせる。日本人に向かって疾駆やね

2010-01-15 14:54:31 | 年末年始信貴山滞在

10.01.15 日本人に向かって疾駆

◆信貴山・柿本家に滞在中、毎日、朝護孫子寺をお参りしました。
 真言宗の檀信徒だということではありませんm(_ _)m。

 クリスマスにはパーティーをやり、大晦日には除夜の鐘を聞き、新年にはあちこちの社寺にお参りしたり、あるいは、しなかったりという、ごくごく普通の日本人です。
 くわえて、葬式はやらず、火葬場で荼毘に付して終わりという直葬派でもあります。

 境内の人の流れに身を任せる。
 目に入った賽銭箱にお賽銭を入れる。
 鈴の緒を力いっぱい振る。
 思い浮かぶ限りの人々の名を唱え、手を合わせ、幸せと平安を祈る。

 もう、日本人に向かって疾駆……という感じですね(*^_^*)。

◆やっとのことで朝護孫子寺・本堂のお参りを済ませ、先に紹介した千手院の寅の通路を抜けると、気合いの入った、太鼓と祈祷の声が聞こえました。





★信貴山千手院境内で行われている大護摩祈願&修行僧による人生相談。


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