職員室通信・600字の教育学

小高進の職員室通信 ①教育コミュニティ編 ②教師の授業修業編 ③日常行事編 ④主任会トピックス編 ⑤あれこれ特集記事編

NHK・連続テレビ小説『てっぱん』の屋台崩し。スタジオセット、大阪と尾道の境が取り払われる

2011-03-31 09:42:22 | Weblog

 

2011
03.31
尾道の僧・隆円が、あっという間に大阪の田中荘に現れる


★先日、NHK・連続テレビ小説『てっぱん』に「はまって」しまった理由が「4つ」ある――2つはドラマのはじめから、あと2つは途中から――といって、はじめからの2つ、すなわち(1)祖母・初音(富司純子)の「大阪弁」、(2)ドラマ内の「お好み焼き情報」について述べた。

 きょうは3つ目だ。

(3)スタジオのセットがドラマの設定を超えていくおもしろさ。
 スタジオで撮影されるのだから、当然、尾道の村上鉄工所と、大阪の田中荘は、隣り合わせに繋がっている。
 それを感じさせないように工夫するのが、通常のやり方だ。

 しかし、『てっぱん』は、佳境に入ったあたりから――第21週「ひまわり」、あかりの、ほんとうの父親・橘が登場した頃から――村上鉄工所は尾道、田中荘は大阪というリアリティをかなぐり捨て、「隣り合わせに繋がっている」を前面に打ち出す。
 尾道の人物と大阪の人物がスクランブル状態。
 尾道の長兄・欽也が、いとも簡単に田中荘にやってくる。
 次は尾道の僧・隆円の番だ、次は父母の番だ……と次々に交替で登場する。
 演出家、脚本家――ま、役者も含めてもいい――の「ノリ」だ。
 この「ノリ」に乗れなければ「なんじゃ、このドラマのリアリティは!」「いったい、どないなってマンネン!」ということになるのだが、僕にはこれがおもしろかった(この「心理」の詳細は、下記の「関連記事」参照^^;)。

 ドラマの最終回の屋台崩し――大阪と尾道のセットの境が取り払われる瞬間――を期待したが……。(実際にはこの屋台崩しはなく、田中荘内の「おのみっちゃん」と「食堂」の境が取り払われる、いわば「小屋台崩し」でドラマはフィナーレを迎える。)



★関連記事
連続テレビ小説『てっぱん』富司の2度の「恐る恐る」の「変換」が、美しく、力強い「下町の大阪弁」を創出
怒濤の屋台崩し。先輩の遺影に「はじめから何だか、おでこのあたりが画像っぽいと思っていたんですよ」とつぶやくところで
ああ、八戸湊線、屋台崩しの旅。ユルユルはなむけ号。根城→売市→八戸線沿い→湊線跡地→新井田川河口・2魚市場
ああ柳橋。ああJR八戸線鉄橋。ああ新湊橋。ああ湊橋。これらを、垂直に、垂直に、突き抜けて、海に出ると、屋体崩しが

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学校・家庭・地域の連携・融合・協働の活動には支援タイプと分担タイプがある。2つは似て非なる発想

2011-03-30 09:15:56 | Weblog

 

2011
03.30
山村武彦氏の志に刺激を受け「教育コミュニティーづくりアドバイザー」に


★東北関東大震災(東日本大震災)――ま、呼称は、もう、そろそろ、どっちかに決めたほうがいいと思うが、僕としては、どちらも「?」なのだけれど、「被災規模の大きさ」と、「エリアの明確さ」から「東北関東大震災」を選びたい――のTVを観ていたら、山村武彦氏が登場。
 氏の現場主義――防災・危機管理は、自分・家族・隣人(人)の命や社会(企業・地域・国)を守ることだと思っています。そして、同じ時代を生きる者同士、被害者、加害者、傍観者にならないためのモラルでもあります。
 阪神・淡路大震災がすべての防災対策の規範にはなりません。悲惨な災害であり多くの教訓を残しましたが、それでも災害の一事例でしかないのです。私は多くの災害、テロ、事故、事件の現場に足を運び、災害そのものをなくせないまでも、被害を少なくするにはどうすべきか、多角的、複眼的に360度の視点から1点を考えることにしています。しかし、それでも絶対ではないのですから、机上の形式的マニュアルや対策では実戦で役立つはずもありません。1点から360度を推測して対策を考えることは大変危険なことなのです。多くの現場を見て共通の法則を考え、実践的なマニュアルや計画にするために行動し、人と社会の安全、安定、安穏構築という結果を出すことが大切です。分厚いマニュアルよりも、実践で役立つマニュアルが重要です。実践的な防災・危機管理とは理想を追求するきれいごとや形だけのものではなく、費用対効果に配慮し現実的合理的対策でなくてはならないと考えています。(氏のホームページから抜粋)――に刺激を受ける。
 氏の肩書き――自称といったほうがいいのか?――が、「防災・危機管理アドバイザー」。
 おお!
 僕の現在の肩書きは「学社連携・融合コーディネーター」。
 実践している中味を考えると、ま、これでいいのだが、「僕は、これから、こういうレベルを目指す」という「志」を反映させるとすれば、「○○アドバイザー」がいいかなぁ~^^;と考えたした。
 候補=「教育コミュニティーづくりアドバイザー」(^_^)v。

★さて、最近「寄り道」ばかりしている自分――けさも目覚めたとき「寄り道」のことを考えていた――を猛省し、心を鬼にし、話を、先月、乱氏と夕刻の職員室で、数日後からはじまる、学校・家庭・地域の連携・融合に関する、怒濤の発表会・説明会&講演会の打ち合わせをしているとき、液晶プロジェクター用のスクリーンに夕日の赤色が差しこみ、壮絶な色合いになった「場面」に戻すことにする。

★学校・家庭・地域の連携・融合・協働の活動、あるいは、教育コミュニティーづくり活動には、粗く、2つの発想がある。
 1つは、「学校が多くの荷を抱え、苦しそうだから、家庭や地域で支援してやろう、応援してやろう」(支援タイプ)という発想。
 もう1つは、「学校が多くの荷を抱え、苦しそうだから、家庭が引き受けるべきは家庭に、地域が引き受けるべきは地域に、適切に分担しよう」(分担タイプ)という発想。
 2つは似て非なる発想である。
 「支援」も「分担」も連携だから、一見、似ている。
 しかし、「支援タイプ」は学校が荷を抱えたままであるのに対して、「分担タイプ」をこれを改めようとする。

◆今、「支援タイプ」の代表として、学校支援地域本部事業やコミュニティスクール・地域運営学校、あるいは、放課後子ども教室推進事業等を、そして、「分担タイプ」の代表として、僕たちの「すこやかみなみネット」を取りあげる。
 2つの「違い」を鮮明にすることによって、僕たちがめざす「究極のカタチ」を明らかにしたい。

◆くりかえしになるが、学校支援地域本部事業等、今、わたしが例示した事業に共通するのは、学校を地域や家庭で支援する(学校は苦しそうだから、支援してやろう、応援してやろう)という発想がある。
 たとえば「子どもの環境は、情報化、価値の多様化も含めてどんどん変化しており、学校はこれまで以上にさまざまな課題を抱えるようになっています。学校の負担を軽減するために、地域の力を借りて学校を支援していくことが求められています」(清水潔・当時=文部科学省生涯学習政策局長、現=事務次官)という言い回しだ。

◆しかし、はっきりいっておくが、僕は「学校の負担を軽減するために、地域の力を借りて学校を支援」してもらおうと考えたことは、これまで1度もない。
 現在の教育危機の元凶は、(学校が好むと好まざるとにかかわらず)学校が多くの荷を抱え込みすぎたことに(ま、僕流にいえば)「学校の教育丸抱え体制」、あるいは「学校の教育独占体制」にあると考えている。
 だから、(ここが大切……)学校が抱えている荷をそのままにして、「たいへんでしょう。だから、支援してあげましょう」という、いってみれば「そのまま、ずっと抱え込んでいろ」的な発想では、事態の好転は、ほとんど望めない。

◆学校が抱えている荷のなかで、家庭が引き受けるべきは家庭に、地域が引き受けるべきは地域に……と、適切に分担(この「分担」も「連携」の一形態)することにより、学校の本来の教育活動が充実する。
 同時に、分担することにより(場合によっては現状より、負荷を背負うことになるかもしれないが)家庭も生き返る。
 地域も生き返る。
 すこやかみなみネットは、学校・家庭・地域、それぞれの教育のバランスが取れ、それぞれの教育が充実する状態、このことを目指した、学校・家庭・地域の連携・融合・協働であり、ネットワークづくりである……という発想だ。

◆だから、「もう一度地域の人が結集するシンボルとしての学校を見直そう」(清水潔・当時=文部科学省生涯学習政策局長、現=事務次官)とか、「……さまざまなネットワーク活動を意図的に立ち上げて社会のつながりをつけ直すことが必要だと思う。そのためのひとつの有効な方法として、いい学校をみなで作ろうということを目指した、学校を拠点とした地域と学校の連携を深めるネットワーク活動がある」(金子郁容氏)という思想とは、(「絶対に」とまではいわないが、それに近いくらい)あいいれないものがある。

◆くどくなるけれども、くり返す。
 すこやかみなみネットでは、学校の荷はそのままに……という連携や、学校を拠点にした連携という発想はとらない。
 学校・家庭・地域、それぞれの教育のバランスがよい状態を追い求めている。
 これが、究極のカタチだ。

 学校・家庭・地域のバランスがよくなれば日本の教育はまだまだよくなる。
 日本の学校には力がある。
 家庭もそうだ。
 地域もそうだ。
 ただ、今、バランスが悪いだけなのだ。
 バランスがよくなれば、日本はまだまだ大丈夫だ。
 逆にバランスが悪いままだと、なにをやってもなかなか効果はあがらない。
 バランスをよくするための連携事業、ネットワーク活動が大切だ。

◆わかりやすくいえば、すこやかみなみネットは「学校・家庭・地域のバランス主義」、そうでないのは「学校中心あるいは学校拠点主義」。
 この区別はきちんとつける必要がある。
 区別をつけておかないと、まず、まちがいなく、道を誤る、落とし穴に落ちる。
 今、やっている連携事業が、バランスをよくすることに結びついているかどうかを絶えず点検する必要がある。

◆ちなみに、(これは後の項目で詳しく述べる内容だが)「学校中心主義」かどうかを、見分けるための簡単な方法がある。
 そのネットワークの中核になっているエネルギーがどこにあるかを点検すればいいのだ。

 いろいろな連携事業を取材するとき、僕は、必ず、まず「会議の招集はだれが決めるのですか?」「だれが連絡をとるのですか?」「会場はだれがセットするのですか?」「このプリントの文案はだれが作り、だれが印刷したのですか?」「会計はだれがやっているのですか?」等と行為の主体をたずねる。
 あるところでは、それが全部、その校区の中学校の「教頭先生」だったことがある。
 玄関先まで送ってくれた「教頭先生」が「行政がいろいろ計画してくれるのはありがたいし、その理念もよくわかるが、仕事は、どういうわけか、ぜんぶわたしに来るんですよ」と、ぼやかれたことを忘れない。
 学校中心主義の典型である。
 ネットワークの要に「教頭先生」が存在する。

 「実施要項」とか「会則」とかの「事務局」の項目をみると、「事務局には、事務局長を置き、教頭をもってこれに充てる」と、明記してある場合もある。
 最悪のパターンとまではいわないが、ま、アウトである。

◆話は少しそれるが、日本の社会教育の失敗も、これに似ている。
 戦後、たくさんの社会教育団体が発足した。
 そのとき、事務局に役所の職員を充てた例が、相当ある。
 現在でも、その残骸を多く見ることができる。
 これがまずかったのだ。
 いつも歴史はくり返している。
 よほど気をつけなければ……。

★すこやかみなみネット検討課題№2「学校・家庭・地域の連携・融合〈支援タイプ〉と〈分担タイプ〉の思想の違い」について、途中だが、きょうはこれで終わる。
 つづく――


★関連記事
学校の玄関に子ども達の長靴常備。長靴を履いて地域の方々と奉仕活動をしている子ども達の姿に心底、感激!
文部科学省・国立教育政策研究所で「すこやかみなみネット」に関して「わたしにしか語れないこと」を語る
肩を抱き合って互いの健闘を祈念し、弘高下駅近くの土淵川の橋のたもとで別れた。あれから20数年
行政にオンブに抱っこの社会教育団体をいくらつくっても日本社会は変わらない。戦後、社会教育の失敗の最大の原因がここにある


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オジサン、オバサンたちに囲まれ、はずかしそうにうつむいている僕に、僕が声をかけたくなる瞬間

2011-03-29 05:45:16 | Weblog

 

2011
03.29
僕が時空間の隅っこの僕に声をかける。「…………(ノ△・。)」


★tarou様。
 過去記事の、かつ、その記事についての「教え子」のコメント、そのまたコメントに対する僕のコメント……に、コメントしてくださったこと、ホンマにうれしく思います(*^_^*)。

 tarou様のおっしゃる「ほのぼの」感&「浪花節」感。
 僕自身としては、あまり感じていない、こういう「感情」を、tarou様の、脳の内側の、「脳のなかの脳」ともいうべき「感情脳」で感じていただいたことも、ホンマに、ホンマに、うれしく思います。

★僕は、記事にも書いているように「いい教師」ではないので「教え子」という言い方は避けていますし、「同窓会」というのもあんまり好きではない――卒業する生徒たちに「卒業して10年や20年で同窓会なんかやるな」と言ったりする――のですが、30年後、40年後、僕が学級担任だった頃の年齢をはるかに超えている――超えてしまった「教え子たち」が集まっている時空間に身をおいていると、その隅っこで、今、集まっている「教え子たち」=オジサン、オバサンたちよりも、はるかに、はるかに若い「学級担任だった頃」の「僕」が、はずかしそうにうつむいている姿が、フッと見えることがあります。

 その「僕」に声をかけたくなる瞬間というのは、ホンマ、シビレまっせ(^_-)。

★画像=僕の書架。
 書物や資料は、DAKA古書店閉鎖以来、相当数、処分してきて、一段落というところだったが、東北関東大震災(東日本大震災)被災ショックで、「処分がまだまだ不徹底である」という思いに至る。
 昨夜から、家のカタチが変わるくらいの、怒濤の「かなぐり捨て」「うっちゃらかし」投棄作戦。


★関連記事
同窓会でのわたしの退場ミュージック(実際には中座したため実現はしなかった)が「銭形平次」という話を聞いて稲妻に打たれる
人生は、時穴、道行。平吉と同じように、時穴を出たところが、根岸の教え子たちがいる場所ではなく、まったく別の場所て、わたしは、まったく別の人生を歩むことになる
鬼丸にて。「あなたたちの担任だったときは26歳だった。26歳の彼が、今、ここに来て、40代半ばのみなさんにこうして囲まれたら、きっと、緊張して、緊張して、萎縮して、萎縮して、ちっちゃくなってしまうだろう。……実は、今のわたしの気持ちは、その26歳の彼の気持ちと同じだ」



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連続テレビ小説『てっぱん』富司の2度の「恐る恐る」の「変換」が、美しく、力強い「下町の大阪弁」を創出

2011-03-28 09:08:09 | Weblog

 

2011
03.28
母と一子ちゃんと松田のおばちゃんの大阪弁を超越


★NHK・連続テレビ小説『てっぱん』に、ま、「はまった」といっていいくらい、定時に観たり、観られないときは、録画したり、再放送を観たりして、半年間、熱心に観つづけた。
 「はまった」理由が、粗く、4つある(はじめ2つ、途中から2つ)。
 1つは、祖母・初音(富司純子)の大阪弁だ。
 富司には下町の大阪弁を恐る恐る標準語に変換した経歴がある。
 その標準語を今度は恐る恐る大阪弁に変換した。
 2度の「恐る恐る」の「変換」が、美しく、力強い「下町の大阪弁」を創出している。
 母の大阪弁を、友人の一子ちゃんの大阪弁を、お好み焼き屋の松田のおばちゃんの大阪弁を……包括しつつ、超越している。
 感動した。
 懐かしかった。



★2つ目は、お好み焼きだ。
 僕の趣味がお好み焼きを焼くことだから、きっと参考になることがあるだろうと思って観た。
 ――カタチのええ豚玉やなぁ~。
 お好み焼き全体がふっくらとして、いかにも「中ホカホカ」という感じに焼けている。
 ふくらみ方がいい。
 ホンマ、最高や。
 僕の場合、どうしても真ん中付近がポコッと不自然にふくらんでしまう(ノ△・。)。
 ――ただ、(最近のお好み焼き全般にいえることやけど)外サクサク度はちょっと足りないかもしれないなぁ~。
 ――色から判断して、玉子が僕のよりやや多めに入っているかもしれない。
 と、ブツブツつぶやきながら観た。
 それに、お好み焼きを食べるときの、客のコテの使い方が、個性があるというか、子どもの頃から食べ慣れている人と、不慣れな人があって、おもしろかった。
 閉店時の鉄板磨きの場面がなかったのが、たいへん残念(^_-)。
 僕は焼くことも好きだが、鉄板磨きが、もっと好き、僕の生きがいや(^_^)v。

 3つ目と4つ目は、あとで。


★関連記事
「なんだ、これは!」と思った。「お好み焼きからオーラが出ている」僕の表現力でこうとしかいえない
1週間2回の休肝日が定着したのは、お好み焼きのおかげ。お好み焼きはわしのアイデンティティに絡みついて
お好み焼きの焼き方変更。生地とキャベツをゴロンゴロンと15秒。これがプラスに作用。ショッキングな啓示
昨夜のお好み焼き。焼き色はまずまずだし、中のホカホカ度もOK。しかし、サクサク度が不足。お好み焼き修業はまだまだ続きます
大阪人にとってお好み焼きは常に悲しみとともに存在しています。だから、お好み焼きのそばだと悲しいことも

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東北関東大震災(東日本大震災)「小中高生の死者206人、行方不明900人(読売新聞3月27日配信)」

2011-03-27 06:26:25 | Weblog

 

2011
03.27
ほとんどが避難完了後の被災だろうと思う

★東北関東大震災(東日本大震災)で、職業柄、僕がいちばん気になっていたデータが遂に発表された。「小中高生の死者206人、行方不明900人(読売新聞 3月27日3時9分配信)」。
 ジタバタした学校は、まず、ない。
 訓練を積み重ねている。
 どの学校も整然と避難したはずである。
 だから、ほとんどが避難完了後の被災だろうと思う。
 胸がつぶれる。
 殉職した教職員の数が知りたい。


★関連記事
学級担任への思い、授業への思い……これらを振りきってまで、教頭・校長を選択したのはなんだったのか?
ライオンに出会ってから走って逃げ切る走力より、数キロ手前で「なんか危ない」というザワザワ感を


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僕の「生き方」としては、やはりWiMAX化が必要だ。『書を捨てよ、町へ出よう 』外に出て光にサラされ

2011-03-27 05:36:43 | Weblog

 

2011
03.27
『書を捨てよ、町へ出よう 』 WiMAX化


★有線ラン→無線ラン。
 台所でも屋根裏でも寝室でもHPの更新が可能。
 だが、僕の「生き方」としては、やはりWiMAX化が必要だ。
 『書を捨てよ、町へ出よう 』。
 表に出て光にサラされないと……。
 あちらこちらと無謀に彷徨しないと……(*^_^*)。
 で、新小型PCとかWiMAX契約とかは、ほぼ見通しが立っている。
 ただ、僕の頭のWiMAX化については、まったく見通しが立っていない。
 はっきりいって、タバコを吸い(今は吸わないが)コーヒーを飲み、書架の書物を見やって……という「書斎派」のままなのである。

 本日(日曜日)、一日かけて、「頭のWiMAX化」大作戦^^;やね。


★関連記事
レオン(=ゴールデンレトリバー。2007/6/13没)と長い旅をしている夢をみる
自民党が、憲法改正→日米安保純粋双務性化→防衛自立性重視政策という路線を鮮明に打ち出せないのであれば


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そうや、今年は庭一面にヒマワリを植えよう。ヒマワリを眺め、Viottiのヴァイオリン協奏曲を聴こう

2011-03-26 11:21:19 | Weblog

 

2011
03.26
最後の光輝に向かって、ブツブツと生きている


★先日、ホームセンターに買い物――電池、書架転倒防止金具、卓上コンロ用カセットガス――に行き、いずれも品切れで帰りかけようとしたとき、出口の種苗販売コーナーの、ヒマワリのタネが目に入る。

 とうに死んでいたはずの僕が、パートナーと犬一匹と(……といいかけ、犬は既に4年前に死んでいることを思い出す)……猫の額のような住居ながら、自分の酒を飲んで、夏の終わりの、種子のせりだしたヒマワリのように、最後の光輝に向かって、ブツブツと生きている。

 そうや、今年は庭一面にヒマワリを植えよう。
 そして、ヒマワリを眺めながら、Viottiのヴァイオリン協奏曲・第22番イ短調を聴こう。













★関連記事
開かれた孤独空間の片隅に飾る今月のレコードは、ヴィオッティのヴァイオリン協奏曲・第22番イ短調だ
自分の酒を飲んで、種子のせりだしたヒマワリのように、最後の光輝に向かって、ブツブツと生きている
「きらきらみちのく号が座れたので下北半島へ」は、ホンマ、100%、乱氏だ。さすが、乱氏である。

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にわかには信じがたいが、自分の時間感覚と実際の時間の流れに大きな差があり、あすは、もう修了式&離任式

2011-03-25 03:45:31 | Weblog

 

2011
03.24
江藤淳コーナーが乱れている。わが師も驚いたことだろう


★にわかには信じがたいが、自分の時間感覚と実際の時間の流れに大きな差があり、あすは、もう修了式&(定期人事異動に伴う)離任式だ。
 2月初旬、乱氏と夕刻の職員室で、数日後からはじまる、学校・家庭・地域の連携・融合に関する、怒濤の発表会・説明会&講演会の打ち合わせをしているとき、液晶プロジェクター用のスクリーンに夕日の赤色が差しこみ、壮絶な色合いになったことがある。
 その時点が、僕が「自分の時間」のストップウォッチを押した瞬間だった。
 僕の「仕事」の出発点だった。

★2ヵ月近くたって、その「仕事」が順調に進んでいれば、きょうあたり、このブログも、川幅のある豊かで静かな時間の流れのなかで「これが明日の修了式・式辞だ」と「式辞」アップの運びになるはずだった……。
 しかし、予期しないことがいろいろあって……それは、僕の「怒涛の2時間教育ライブ&紙芝居」後の意気阻喪感だったり、東北関東大震災被災だったり……、ま、それらを、ドドドッと飛んで、「いよいよ、あすは修了式」とやる方法もないわけではないし、現にさっき、そうやろうか?とも考えた。
 でも、それをやっていれば、いつまでたっても、僕の「仕事」が始まらない。
 「川幅のある豊かで静かな」教育の時間を創出することができない。

★計画を変更する。
 当初は、「すこやかみなみネット・点検内容10項目」と、「こちら側」(現年度)と「あちら側」(新年度)の接点がむきだしになり、入り乱れ、こんがらがる期間――こんがらがりながらも、なにもかもが、ある1点に向かって流れていって、もう、その流れには、だれも抗することはできない、運命的な期間とを重ね合わせる計画だった。
 それに失敗し、さっきは、一瞬、2項目から10項目をドドドッと飛ばし、「こちら側」(現年度)の終わり(修了式)に接続しようとしたわけだ。
 でも、「10項目」は飛ばさない。
 背後を、いわゆる「春休み」から「あちら側」(新年度)の始まる「期間」に変えることにする。

★本日、ガソリンをゲット。
 東北関東大震災被災以来、給油のチャンスがなかった。
 ある朝、「スゴイ渋滞!」と思ったら、それは給油所への行列で、信号機を3つまたいでいるということに気づいたときはショックだった。
 行列には加わらない主義なので、ずっとガマンしていた^^;。
 ガソリンメーターがだんだんE(空っぽ)に近づく。
 (メーターの精度が低いのか)ときどきガクッと減ってヒヤッとした。
 (だいぶ事態は好転したようで)きょう午後、短い行列を発見。
 加わらない主義を撤回し、約10分、並ぶ(^_^)v。

★画像は、僕の部屋(開かれた孤独の時空間)の隅の、L字型に並べた、色あせたソファーの背後の書架。
 さっき気づいたのだが、画像左側の江藤淳コーナーが乱れている。
 元々は背がピシッとそろっていた。
 東北関東大震災の揺れで書物がせりだしたのだ。
 わが師も驚いたことだろう。
 「われわれが直面しているのは、少なくとも第一次大戦以来、あるいは過去二百年来の大変化にほかならない」(『日本よ、何処へ行くのか』「あとがき」より)


★関連記事
自分の酒を飲んで、種子のせりだしたヒマワリのように、最後の光輝に向かって、ブツブツと生きている
師の自刃。集中豪雨。流水の轟き。弔い期間。未明にハッと目が覚める。「道」が見える。迷走からの脱出
「教育だけが人生だ」が、ねじ曲がり、ひん曲がり、押し曲がり、折れ曲がり、ここに至っている
自己の輪郭の幻影2 江藤淳の『日本と私』は1967年発行、わたしが座っているイスは1978年購入
自己の輪郭の幻影。「他人の手をかりるとくせになる。できることは自分でする。時間がかかるだけだ」と拒ん
緊張して立ったままのわたしの肩を江藤氏は、「まあ、座んなはれ、座んなはれ」と抱えるようにして隣の席を
本日は、なんだか初夢をみている間じゅう、後ろで流れていた悲しいメロディーにからだが共鳴し、ここで失墜

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昨夜の僕の夕食メニューの1つが「豚レバーと小松菜の炒めもの」。小松菜は茨城県・行方産(^_^)v

2011-03-23 19:57:21 | Weblog

 

2011
03.23
「荷の軽い協働」から「荷の重い協働」にギアを切り替えると


★昨夜の僕の夕食メニューの1つが「豚レバーと小松菜の炒めもの」だった。
 小松菜は、画像のように茨城県・行方産(^_^)v。
 大量に買い込んだパートナーが「大丈夫かしら? 返そうかしら?」としょげるので「行方(←小高城のあるとこでっせ)、セーフ、セーフ」と笑い飛ばすと、(切り替えの速い性格のようで)「じゃ、きょうは、豚肉と小松菜のニンニク醤油炒めにしよう」と。
 僕の家は、きのうも、きょうも、おそらく、あすも、あさっても、茨城県・行方産の小松菜料理だ。

★本ブログの中心メニュー「教育モノ」は、3/9の「すこやかみなみネット・点検内容10項目の1番目」=「(1)学校・家庭・地域が連携・融合・協働して改革する学校部活動問題の進捗状況と今後の方策」を提示したところで途切れている。
 東北関東大震災の復興、および原発トラブルや計画停電といった二次的問題に関する対策については、僕のできる範囲(僕の内なる非現実から外なる現実に突き抜ける方途)において応援しつづけることを約束して、本日より、本ブログは、中心メニューである「教育モノ」へとシフトしていくことにする。

 (「僕の内なる非現実から外なる現実に突き抜ける」については、いずれ、また細かに触れることにするが、東北関東大震災の揺れが、僕の「内なる非現実」を揺すりだしたのだ。)

★僕の話は、いつでもどこでも――
 「日本の教育危機の元凶は、学校の教育独占体制、あるいは学校の教育丸抱え体制にある。
 学校は、抱え込み、抱え込み――たとえば、理科の教師は肝心要のあすの授業における実験の準備に割く時間も見出せないくらい抱え込み、抱え込み――もうパンク寸前、いや、パンク状態で、教育力が極端に低下している。
 また、学校が(好むと好まざるとにかかわらず)どんどん抱え込んでしまうものだから、当然のこととして、家庭・地域の教育力も低下する。
 これを修正し、学校・家庭・地域、それぞれの教育がバランスよくならないかぎり、どんな施策を打ち出しても、あまり、いや、ほとんど効果はあがらない。
 逆にいうと、バランスさえよくなれば、日本の教育はまだまだだいじょうぶだ。
 そのためには――
 という口上から始まる。

 すこやかみなみネット点検項目のトップに「学校部活動改革」をあげるのは、「学校の教育独占体制」の象徴である、改革の本丸であると認識しているからだ。
 これに手をつけないで、他をいくらいじくっても――例「学校事務の組織化から学校改革へ」など――ほんとうの改革は進まない。

★すこやかみなみネットの眼目は「学校・家庭・地域の3者が連携・融合・協働して、それぞれの教育がバランスよく行われる教育環境をつくろう」。
 そのために「子どもの教育に、互いに参加・参画できる仕組みをつくりあげよう」というものだ。
 「子どもの教育に、互いに参加・参画できる仕組みをつくりあげる」ために、すこやかみなみネットでは、
 ・学校・家庭・地域の情報交換会
 ・情報誌の発行
 ・あいさつ運動
 ・小・中、公民館合同文化祭
 ・地域環境美化活動
 ・地域防災・防犯訓練
 ・地域巡回活動
 ・学校支援ボランティア活動――等々、さまざまな連携・融合・協働活動に取り組んできた。

★こんなふうに、(ま、はっきりと、あるいは、アイロニカルにいうと)、創設以来、意識的に、ターゲットを「子どもの健全育成・安全確保」に限定してきたのだ。
 これだと、家庭や地域の諸団体が合意しやすいし、取り組みやすいからだ。
 が、しかし、これらは大切なことだが、改革の本丸ではない。
 学校事務の組織化、効率化といっていることとなにも変わらない。
 やはり、次の段階として、この活動と並行しながらも、(これまで意識的に、ターゲットを「子どもの健全育成・安全確保」に限定してきたのと同じように、意識的に)新たなテーマ(改革の本丸=学校部活動改革)にも取り組んでいかなければいけない。
 ただし、ターゲットを変えると、すなわち、「荷の軽い協働」から「荷の重い協働」にギアを切り替えると、ネットワークの質が変わる。
 よほど慎重にやらないと、一瞬のうちにネットが崩壊することもある。

★僕の出だしの口上は威勢がいいのだが、恐がりの僕の終わりの口上はいつも――
 教育に関していちばん荷を抱え込もうとしているのが学校です。
 この学校が、ダムの水を徐々に、計画的に放流するように、アウトソーシング計画をもたなければ事態は改善しません。
 この「アウトソーシング計画」が、やがてすこやかみなみネットのターゲットになる日がくるかもしれません――
 と、ホンマにホンマに、ぼんやりとしている。

★だから、先日の夕刻、静かになった職員室で、乱氏とプレゼンテーション資料を点検していて、スクリーンに夕日の赤色が差しこみ、壮絶な色合いになったとき、次のような会話になったのだ。

☆乱氏「学校・家庭・地域、それぞれの教育のバランスをよくするというのが、プレゼン全体のテーマだということはよくわかるのですが、問題は、学校・家庭・地域の3者に、現時点では(事業がスタートしてある程度の時間が経過しているにもかかわらず)『改善されている』という実感がまったくないんですね」
 
☆僕「同感です。『学校の教育丸抱え体制の打破』の本丸は、中学の場合、結局、部活動改革ですよ。これがまったく進んでいない。だがら、語りの流れが、テーマの提示はするものの、何一つ解決されないまま、即、課題という格好になってしまうんですよ」

☆乱氏「それに、『学校の教育丸抱え体制打破』については、教員はある程度理解していると思いますが、他の人たちの反応は冷ややかですね。」

☆ 僕「冷ややかには二つあると思う。一つは、『丸抱え』でいいという意見。もう一つは、教員が好きこのんで『丸抱え』しているんじゃないかという意見」

 乱氏「アッハハハハハハ(^_^)v」
 僕「日暮れて道遠し(ノ△・。)」

☆乱氏「今回の発表は、各事業とテーマ(学校の教育丸抱え体制打破)の関連を明確にしながら進めてみましょうか? ただ、そうなると時間配分がね……」

☆僕「それに、その関連で『部活動問題』を正面から取りあげると、学校部活動体制維持派と改革派の関係が険悪になって、ネットワークが一気に崩壊するかもしれません……」

★乱氏との会話もぼんやりしているが、きょうの記述もホンマにぼんやりしている。
 このぼんやりした状態から、きょうも抜け出せそうにない。
 ホンマにホンマになさけないが、きょうもぼんやりしたまま終わることにする。(ホンマは「腹案」^^;がある。)

★最後に、少し観点を変えて、僕のいう「学校の教育丸抱え体制」を強める方向に作用したと思われる点について、粗く3点あげる。

 1つは、学校中心自治民育体制。
 昭和7年文部省訓令「学校少年団」
 昭和16年「大日本青少年団」
 昭和20年5月22日戦時教育令=「学徒隊」
 このいう流れのなかで、いわば「学校中心自治民育」体制が確立していったと思われるのだが、この戦前の学校イメージが、敗戦後も、幻影として保持されたこと。

 2つ目が、教育爆発現象。
 高校進学率が昭和20年代〈20%〉→昭和50年代〈90%〉と急カーブを描いている。
 受験のための狭義の学力観(=価値観)に地域・家庭も追随していったこと。

 3つ目は、地域社会構造の変化。
 職住分離・核家族化が進行したこと。

 この3つにくらべれば、影響は極々小さいと思うが、もう1つあげるなら、「学習指導要領」の問題だ。
 なにかあると、学習指導要領に取り込み、学校で取り扱うという安易な判断が積み重なり、つまるところ、学習指導要領が、教育というものの、すべてを、学校に取り込む方向(なんでも学校、家庭もそう思い、地域もそう思い、教師自身もそう思いこむ)をつくりだし、結果として、学校の教育丸抱え体制を強化させる方向に働き、それが同時に、社会の教育力を奪ってしまった。

 蛇足になるが、今、学習指導要領が、教育というものの、すべてを、学校に取り込む方向をつくりだし、結果として、学校の教育丸抱え体制を強化させ、同時に、社会の教育力を奪ってしまったと書いたが、残念なことに、現学習指導要領案によると、総則第4の3(13)に「部活動については、(中略)学校教育の一環として、教育課程との関連が図られるよう留意すること。その際、地域や学校の実態に応じ、地域の人々の協力、社会教育施設や社会教育団体等の各種団体との連携などの運営上の工夫を行うようにすること」とある。
 部活動が、教育課程外であるという位置づけは変わっていない。
 しかし、「教育課程との関連が図られ」と指示している。
 バカげた話だ。
 何度もくり返すようだが、こういう安易な妥協、あるいは「取り込み」が積み重なり、積み重なり、既に40年前の第3の教育改革を構想しなければならないような教育危機状況に至ったのである。
 まだ懲りないのか?

 記述内容がぼんやりしたままで忸怩たるものがあるが、きょうは、これで終わる。


★関連記事
「ふれあいセンターわいぐ」の情報誌編集部から、すこやかみなみネット事業について取材を受ける
協働のまちづくり研修会のトークセッション パネラー=萩原なつ子氏(立教大学大学院助教授)・赤坂美千子氏(地域間交流研究会はちのへ農援隊事務局長)・僕

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再び、東北関東大震災で被災したJR八戸線・有家駅界隈の情報。山の稜線のカタチだけが変わっていない

2011-03-22 16:30:03 | Weblog

 

2011
03.22
闇から闇を疾駆する深夜特急が「朝の光」を目指す軌道が消滅

★再び、被災した有家駅界隈情報。
 有家駅は、大げさでなく、比喩でもなく、僕の人生を変えた駅だ。

 駅舎は無事だった。
 窓枠、扉等はない。
 屋根の破風も一部損壊。
 プラットホームは踏切側(陸中中野方向)が大きく損壊。
 (踏切側から撮影した小さな画像のため)反対側の陸中八木駅方向のプラットホームおよび線路の被害状況は不明。
 流木、土砂に埋まっているようにも見える。

 僕がいちばん心配していた有家浜沿いの、陸中中野駅に向かっていく線路――僕の内では、闇から闇を疾駆する深夜特急が「朝の光」の直前駅・有家駅を出て、人生の夜の終わりを告げる朝の光を目指し、暗い海を抱く弓なりの海岸線に消えていく軌道)は、津波に押し流され、跡形をとどめていない。
 踏切内のレールは踏切ガードで強固に保護されているが、踏切を出たところで45度の角度で内陸側に曲がっている。
 浜辺の漁師小屋も完全に消滅。

 秘境駅情報で「駅前に人家3軒/国道45号からは遠い/太平洋をダイナミックに眺望/締め切り可の綺麗な待合室/潮騒の音が静かに鳴り響く」と紹介されていた「人家3軒」は全壊。

 山の稜線のカタチだけが変わっていない。

★現在、八戸線は、八戸駅~鮫駅間で運転本数を大幅に減らして運転している。
 しかし、鮫駅~久慈駅間は見通しがたっていない。
 今回の知人提供の情報から判断すると、全線開通までには相当の困難が立ちはだかっている。
 JR八戸線の復活を祈る。


★関連記事 ――有家駅は、大げさでなく、比喩でもなく、僕の人生を変えた駅だ
JR八戸線・有家駅 空間軸上の茫漠&時間軸上の茫漠
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JR八戸線・有家駅 元気なしろしろどんが、なにか事件・事故にでもまきこまれたのではないかと心配して
JR八戸線・有家駅 イェーイ!! またまたわたくし「ルル」です。無事結婚式・二次会終了しました
JR八戸線・有家駅。しろしろどんを見て「こいつみたいに単細胞でいいんだ、人生は」と感じてくれると本望
有家駅で泣きながら目を覚ます。わたしも「長いあいだ、おおきにィ!」と言って、もう終わりにしたいよ
JR八戸線無限軌道の旅。ウェークアップ!ぷらす(辛坊治郎・虎谷温子)←この2人の実像感の強さ&臭さ
「一流の秘境駅」ベスト50に、JR八戸線から2駅も選ばれています。
うみねこ号の旅、次は有家駅。日本の秘境駅何位かにランキングされていますが、わたしにとっては、聖地です

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東北関東大震災の僕の周辺の物的被害の報告。書架倒壊。資料整理用のボックスファイル散乱。紙粘土人形中破

2011-03-22 13:36:28 | Weblog

 

2011
03.22
壁にかけてあった、教え子の「レモンの絵」のヒモが切れて落下


★今回の東北関東大震災の僕の周辺の物的被害は「極微」といってきたが、その「極微」の中味。

(1)現在、僕がこうしてキーボードを打っている、部屋の隅の、L字型に並べた色あせたソファーの背後にある、天井までの書架のひとつ(幅60センチ)が、激しい揺れで、耐震つっぱり部分が外れ、倒壊。
 スチールアングル上・中・下の、ちょうど真ん中の部分が曲がっている。

 倒れるとき、そばにあった、木製、折りたたみ式の、ハンモック風、肘掛け椅子の、背もたれを支える斜めの支柱に、アングルの真ん中がぶつかり、まがってしまったようだ。
 肘掛け椅子は、焦げ茶の塗装が激しく削れているが、予想外に堅牢だった。

 閉店したとはいえ、古書店の書架が倒壊したことを恥ずかしく思っている。

(2)(倒壊した書架とは別の)廊下に並んでいる書架の天板上に、びっしりと並べた資料整理用のボックスファイルが、ほとんど落下し、中味が散乱。

 まずは通路の確保が第一だから、手紙&葉書等、差出人別に分類してあったものについては、分類の復元はあきらめ、手当たり次第、ボックスに詰めた。
 現在、ゴチャゴチャになっている。

 もらった手紙&葉書は、僕の魂と同じくらい大切なので、ゴチャゴチャになってしまったのは残念だが、しかし、こういう落下、散乱の事態に至らなければ、ずっとボックスファイルに押し込められたままだったから、僕の内側に限っていえば、今回の「震源」は、ここだったかもしれない。

(3)パートナーの紙粘土人形、数体、中破。

(4)壁にかけてあった、教え子の「レモンの絵」のヒモが切れて落下。
 落下するとき、直下の掲示板の、昔風にいえば「粉受け」部分を粉砕。
絵は無傷。

 教え子の油絵に対する執念、あるいは、僕に対する叱咤、もしくは激励を感じる。
(物的被害、以上)

★画像=現在、僕がこうしてキーボードを打っている、部屋の隅の、L字型に並べた色あせたソファーのテーブルと、現在、読書中の書物。


★関連記事
古書に手を触れるときは神経を使う。古書の経歴・前歴・素性が気になるからだ。便所に常備してあったモノ
書架の移動は説得+説得+説得……が必要。(昨日は説得に失敗)かなり高度なスライディングブロックパズル

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東北関東大震災によるJR八戸線・陸中八木駅&有家駅の被災状況。全線開通までに相当の困難が立ちはだかる

2011-03-21 19:43:02 | Weblog

 

2011
03.21
「非現実」から「現実」に突き抜ける道(方途)


★陸中八木駅。
 一時、ネット上に「駅舎流失」という情報が流れていたが、新駅舎(2008/3完成)は流失を免れていた。
 周辺の施設、フェンスは、すべてなぎ倒され、崩壊。
 昨年の夏に訪れたとき、ピッカピッカだった保線車両も無惨に横転。
 新駅舎だけがポツンと在る。
 向かって左側の資材管理&WC棟は津波が突き抜けたようで、窓枠、扉が失われている。
 反対側の待合室は元のカタチをとどめている。

★有家駅。
 駅舎は無事。
 プラットホームの陸中中野側が一部損壊。
 しかし、いちばん心配していた有家浜沿いの線路は津波に押し流され跡形をとどめていない。
 秘境駅情報で「駅前に家2、3軒」と紹介されていた家屋は全壊。

 現在、八戸線は、八戸駅~鮫駅間で運転本数を大幅に減らして運転している。
 しかし、鮫駅~久慈駅間の上下線は見通しがたっていない。
 今回の知人提供の情報から判断すると、全線開通までには相当の困難が立ちはだかっている。

★昼過ぎ、脳に「鬱屈」が折りたたまれ、折りたたまれ、異様に蓄積される観念に襲われ、気を変えるために、散歩に出る。
 まず、いつもの、自称「鯖を語らせたら一番目の男」(板長)のホテルが見える急坂を海抜90メートルまで、一気に上る。
 次に下る(こころはろばろ神社境内下=海抜50メートル)。
 再び上る(こころはろばろ神社境内=海抜70メートル)。
 下る(浄水場跡=海抜40メートル)。
 上る(水道公園=海抜73メートル)。
 下る(旧DAKA古書店=海抜25メートル)。
 トータル6000歩のアップダウン。
 爽快。
 ひんやりとしたDAKA古書店内で、汗を拭き、着替え、片隅のテーブルで、けさ、手鍋焙煎したばかりのマンデリンを淹れる。
 そのとき、ふと、テーブルの上にメモを見つける。
 メモ=「仕事を3月中に安定軌道にのせる」
 「仕事」とは「『(学校・家庭・地域の)教育の情景』の枠の中に限定して『(今年のテーマ=)茫漠の時空間疾駆をやる』」ことだ。
 途についたところで、今回の東北関東大震災。
 僕の10代中・後半から、僕の精神的時空間の、現実と非現実の境を支えるポイントでありつづけた、鮫、陸中八木、有家、田野畑、宮古、気仙沼、小高、九十九里等の被災により「僕の半分が壊れる」。
 「見るべき程の事は見つ」(『平家物語』)の心に近い。
 しかし、自己を破壊しつくすことなく、生き延びて、「鮫、陸中八木、有家、田野畑、宮古、気仙沼、小高、九十九里」等と、現実と非現実の境の地名をカタカタと打ち出したとき――まだ「仕事」(正常)には戻れないかもしれないけれど――「ああ、これだ」というモノをつかんだ。
 それは、「非現実」から「現実」に、あるいは、「内の実証」から「外の実証」に突き抜ける道(方途)だ。




★関連記事
「廃虚ブームの流れを受けて戦争遺跡の見直し」を自分の仕事に絡ませて(=こじつけて)新しい世界の創出
柳田国男が小子内浜に訪れ『青光館哀史』を記述してから約90年。大阪の高校生だったわたしが『青光館哀史』を読んでから約40年。歌い手の声を聴き、踊りを見、ビールを飲んでいると、柳田の生、わたしの生、そして小子内の人々の生、それぞれ別の生が、きしみながら蠢いている幻覚にとらえられた

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実際に出かけていき、東北関東大震災後の、現実の八戸線・陸中八木駅、有家駅を自分の目で確かめたい

2011-03-21 10:54:10 | Weblog

 

2011
03.21
一歩、僕の内に踏み込み、非現実の、朝の光の直前駅・有家駅の被災状況を


★東北関東大震災で、僕の10代中・後半から、僕の精神的時空間の、現実と非現実の境を支えるポイントでありつづけた、鮫、陸中八木、有家、田野畑、宮古、気仙沼、小高、九十九里等の被災により、「僕の半分が壊れている」……と感じている僕にとって、運転を見合わせているJR八戸線の、陸中八木駅界隈(含小子内)、有家駅界隈のことが、大浜川鉄橋流失以外には情報もなく、気になっていた。

 JR八戸線は、現実には、八戸駅から鮫、陸中八木駅、有家駅を経由して久慈駅に至るローカル線であり、非現実的には、僕の内の闇から闇を疾駆して朝の光に至る「ふたりっ子はん深夜特急」(2001/3~2004/3)の軌道でもある。
 だから、両駅は、まさしく「僕の精神的時空間の、現実と非現実の境を支えるポイント」だ。
 
 陸中八木駅=基地ステーション。
 有家駅=「朝の光」の直前駅だった(意味、ほぼ不明でスンマヘン^^;)

★身を起こし、実際に出かけていき、現実の八戸線・陸中八木駅、有家駅を自分の目で確かめたい、さらには、一歩、僕の内に踏み込み、非現実の、基地ステーション・陸中八木駅、「朝の光」の直前駅・有家駅の被災状況を確かめたい――〈長い挿入句=東北関東大震災対応に関し、非力を痛感し、HP&ブログの更新、twitterのtweet等、すべて停止していて、あるとき、急に僕のキーボードがカタカタと動き出したのだが、それは「一歩、僕の内」に踏み込んだ地点からの発信だった(挿入句終わり)〉――のだが、ガソリンがない。

 悲嘆にくれているとき、ある人から画像付きで両駅の情報が入ってきた。
 〈2011/03/21/10:14〉


★画像=散歩コースの1つ。自称「鯖を語らせたら一番目の男」(板長)がいるホテルが見える急坂→こころはろばろ神社境内の裏山→水道公園コースの、水道公園から撮影。


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長苗代駅からJR八戸線に乗車。企投する感覚(いや逆に、被投性の感覚?)にピッタリの旅3=有家駅到着

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東北関東大震災発生時の揺れのなかで『増鏡』の老婆の「この日本国の衰ふるはじめはこれよりなるべし」の声

2011-03-20 15:52:22 | Weblog

 

2011
03.19
この日本国の衰ふるはじめはこれよりなるべし


★東北関東大震災に関して、今のところ、粗く、次のような2つの「僕」が存在している。(←「今のところ」と断るのは、今後、徐々に変化し、1つになるかもしれないし、逆に、3つ、4つとさらに分離するかもしれないから……。これを、こうしてブログを更新しつつ思考し、突き詰めていきたいと考えている。)

 ひとつは、くりかえし記述しているように、東北関東大震災で、僕の10代中・後半から、僕の精神的時空間の、現実と非現実の境を支えるポイントでありつづけた、鮫、陸中八木、田野畑、宮古、気仙沼、小高、九十九里等の被災により、僕の半分が壊れている……と感じている僕。

 もうひとつは、経験したことのない長い揺れのあと、しぱらくはロウソクと携帯ラジオと旧型石油ストーブの生活を強いられたものの、身近に人的被害はなく、物的被害も極微で、3/19現在、水道○、ガス○、電気○、灯油△(もうすぐ×)、ガソリン△(もうすぐ×)と、被災地の被災者とはかけ離れた、静穏な時空間に「温々(ぬくぬく)」と存在している……と感じている僕。

 要するに、今回の東北関東大震災についての感性(sensitivity)上の、僕の受けとめ方、あるいは、考え方のようなものが、前者の、あくまで私事としての僕のものか、後者の、あくまで安全地帯に身を置く僕のものか……でしかないということだ。




★無力といえばこのうえない無力――先日、「ホームページ&ブログの更新、および、twitter、チャット、掲示板への発言をストップしているのは、想定を超える被害の大きさに正対する言語を、僕のうちに見出すことができないからだ」といったのは、ほぼ、このことと同じだ。

 しかし、気を取りなおし、こうしてポツポツ――カタカタではない(*^_^*)――と、キーボードを打っているのは、僕は自らの強いこだわりで「私事としての僕」を選択しているのであるし、また「安全地帯に身を置く」のは単に偶然の僥倖にすぎないのだから、僕は、「あくまで私事としての僕」を貫けばいいと考え直したからだ。

 長い揺れの中に身を置いているとき、僕の耳に『増鏡』の老婆の「この日本国の衰ふるはじめはこれよりなるべし」の声が聞こえた。(巻2.「新島守」――老婆の発言のシチュエーションは自然災害とは異なる。)
 「私事としての僕」として(妙な日本語(*^_^*)耳を傾けつづけたい。

★夕刻、はなむけ号(僕の折りたたみ自転車)で被災エリアの復旧状況を見にいき(なにをしにいったのか? ただ「見にいった」だけ。カメラも持っていったのだが、撮影はしなかった)、帰宅すると、小型のタンクローリーからホースが庭に伸びている。
 「50リッターだけですけど」
 ほんとうにもうしわけなさそうに業者が何度も何度も頭を下げる。
 午前中、パートナーが電話で灯油店に「いつ頃、届けてもらえるのでしょうか?」と問い合わせると「わずかずつしか入って来ない。いつになるかわからない」という返事だったのだが、なんとかやりくりして来てくれたようだ。
 しばらくは、温々(ぬくぬく)と暮らせる。

★画像=散歩コースの1つ。自称「鯖を語らせたら一番目の男」(板長)がいるホテルが見える急坂→こころはろばろ神社境内の裏山→水道公園コースで撮影。
 最近、この時期の木々の枝が好きになった。




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正面のオレンジ色のビルが信用金庫。その向こうの白いビルが自称「鯖を語らせたら一番目の男」(板長)がいるホテル。煙を上げる工場と太平洋が街の向こうに見える
森林浴というより、草陰浴、ないしは、草木染め(^_^)v。苦しみが消える。しかし、執念はまだ復活せず

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東向きの新幹線がお棺? 疎開の勧め? おいおい! 東北関東大震災で壊れなかった、半分未満の僕が大混乱

2011-03-17 20:04:52 | Weblog

 

2011
03.17
「おじいさんが来られなかったんですよ。(急坂で)一歩、遅れて」


★東北関東大震災発生(3/11)以来、僕は、ホームページ&ブログの更新、および、twitter、チャット、掲示板への発言をストップしていた。(現在も、完全復旧はしていない。)
 想定を超える被害の大きさに正対する言語を、僕のうちに見出すことができなかったからだ。
 また、同時に、震災に伴い、僕の身の回りに発生した不便利さへの対応にも追われていたからだ。

 昨日、夕刻になって、ようやくキーボードに向かおうという気持ちになった。
 「未曾有の被害規模に言葉もない」という言い回しを切り崩し、僕の指が自動書記のようにカタカタと動き出した。
 それが、昨日の記事=「僕の10代中・後半から、僕の精神的時空間の、現実と非現実の境を支えるポイントでありつづけた、鮫、陸中八木、田野畑、宮古、気仙沼、小高、九十九里等を襲った東北関東大震災……(以下省略)」という言い回しだった。

 僕の半分が壊れている。
 僕のうちで、わが国・日本の半分が壊れている。

★しかし、「僕の半分(「半分」未満かもしれない。理由は後述)は壊れていない」ともいえる。

 東北関東大震災発生時(3/11)の僕の周辺――
 水道○
 ガス△(停止の恐れあり)
 電気×
 灯油○
 現在(3/17)――
 水道○
 ガス○
 電気○
 灯油△(もうすぐ×)
 ガソリン△(もうすぐ×)
 昨日の記事のくりかえしになるが、(地域には甚大な被害があるが)僕の身近に人的被害はない。
 物的被害少々、いや、極微。
 現在、僕がこうしてキーボードを打っている、部屋の隅の、L字型に並べた色あせたソファーの背後にある、天井までの書架のひとつ(幅60センチ)が、激しい揺れで、耐震つっぱり部分が外れ、倒壊(一部、スチールアングルが曲がっている)。

 だから、現実の、フィジカルな僕は、水道○、ガス○、電気○……まちがいなく「壊れていない部分」に存在していることになる。
 毎度思うことだが、壊れている部分(被災地)と壊れていない部分の落差が大きい。
 大きすぎる。
 わが国・日本にこんな「落差」があっていいのだろうか?
 ホンマに、ホンマに申しわけない。
 「国民すべてが現地の痛みを少しでも分かち合い」、「力を合わせて危機を乗り越え……」という精神は、みんなで共有できるものの、その具体的な救援・支援システムの構築は、それほど簡単なことではない。(特に今回は放射能漏れ事案を内包している。)

★電気が復旧したのでTVをONにすると、黒い怒濤が街を飲み込んでいく映像のあとに、避難所でのインタビュー場面を放映していた。
 メモしながら観た。
 正確には、途中から「あっ、これは、メモしなければ……」と思った。
 メモの一部をアップする。
 ( )内の補足=僕。

☆ご高齢の女性――「おじいさんが来られなかったんですよ。(急坂で)一歩、遅れて。」
☆同じくご高齢の女性――「おじいさんと途中まで車で避難して、もうダメだと思って、わたしは降りたんですよ。(そして、流れてきた住宅の屋根にしがみつく。)でも、おじいさんは車から離れなかったんです。」
☆40代くらいの女性――「わたしは助かったけど、生きたほうがよかったのか、死んだほうがよかったのか、わからない。」

★昨夜のニュースで、東京から大阪に向かう新幹線が満席だと報じていた。
 僕は、それをただぼんやりと観ていたのだが、きょうになって、それを裏づけるようなブログを見つけた。

 「往路の新幹線(3/15東京→大阪)は、その時間帯にはいままで見たこともないほどの超満員で、しかも京都でどっと大量に人々が下車していきました。
 逆に、東向きのこの、帰りの新幹線は、いままで見たこともないほどガラガラで、ひとり乗っているぼく以外には、みごとに誰もいません。(もちろん、ぼくの居た車両は、ひとりだったということです。他の車両にそれぞれ、数はおそらくは少なくても、ひとがいらっしゃっただろうと思いますが、見に行っていません)
 その真っ暗な寒中の車内にいると、やたら長細いお棺の中にいるようだなぁ、と淡々と感じていました。」(ON THE ROAD 青山繁晴の道すがらエッセイ)

 さらに――
 「『疎開』を勧めている。政府や自治体の方からいずれ公式にアナウンスがあると思うけれども、東北関東の大震災の被災地への救援活動を効率的に実施するためにも、被災地や支援拠点となる東北関東の都市部から、移動できる人は可能な限り西日本へ移動することを勧めたいと思う。」(内田樹の研究室)

 おいおい!
 東北関東大震災で壊れなかった、半分未満の僕が混乱している。(最後は、何をいっているのか? 自分でもわからない(ノ△・。)。

★画像は、単三電池2個で、東北関東大震災発生時から電気復旧までニュースを伝えつづけたラジオ。



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