職員室通信・600字の教育学

小高進の職員室通信 ①教育コミュニティ編 ②教師の授業修業編 ③日常行事編 ④主任会トピックス編 ⑤あれこれ特集記事編

中学生の心を捉えているものがゆっくりと動き出し、言葉になって外に出てくる長い過程を共にできる器量

2008-03-31 19:29:02 | Weblog


◆「こちら側」の最後の日だ。
 あすからの「あちら側」に備えて、午前中、校長室で「職員室通信」の原稿を書く。

◆子どもへの接し方(指導)が、図のように、A>B>Cとなっているか常に点検しよう……と、ここ、10年くらい、教職員に、保護者に、そして、自分自身に言いつづけているのだけれども、これがなかなかむずかしい。

 修了式(3/26)の朝も、いきなりの C は効果がない(反感をもたれるだけ……)とわかっているのに、生徒を厳しく叱ってしまった。

 年度のはじめにあたり、まず、このカウンセリングのA>B>Cについて確認したい。

(1)くりかえしになるが、いきなりの C とか、あるいは、C だけというのは、ほとんど効果がない。
 その子どもと自分(教師)とのあいだに、Aの部分・Bの部分が形成されているかどうかを、まず、チェックしよう。

 わたしの恥ずかしい体験だが「C だけでやる。ベタベタしない。毅然とやるんだ」といい気になっていた時期がある。
 Aの部分・Bの部分についての認識が、まったくなかったのだ。

 それでも何とかやれたのは、他のベテラン教師が、わたしの分まで Aの部分・Bの部分を形成してくれていたからだ。
 そのこと気づくまでかなりの時間がかかった。

(2)昨年の始業式が始まる前、松代Tの「まだ椅子の(高さの)調整ができていないので、座りににくいだろうが……」のことばにわたしはショックを受けた。
 これもAの部分・Bの部分だ。
 その場の、わたしからはスッポリと抜け落ちていたのだ。

 このA・Bのあと、松代Tは C 座るときの腰、手、足の位置を指導している。
 瞬時に、A>B>C……をやっているのわけで、これは高段の技だ。

(3)Aの部分・Bの部分では、極力アドバイスを避ける。
 話を聞いてやり、聴いてやり……、いっしょに困って、困って、困ってやるだけでいい。

 いっしょに困ってやる過程(時間)を大事にしよう。(どうしてもという場合、わたしは、最後の最後に、いくつか例示し、子どもに選択させることがある。)

 中学という時期の、子どもの心の底にある気持ちは、(本人にとっても、他の人にとっても)そんなに容易に言語で表現できるものではない。
 中学生の心を捉えているものが、ゆっくりと動き出し、言葉になって外に出てくる、長い、長い過程を共にできるだけの、器量を自分がもっているのか?と、たえず自身に問いつづけたい。

 ただし、1点、注意したいのは、教師は親ではない、姉でも、兄でも、先輩でも、友人でもない。
 明日から教科担任だ、明日から学級担任だ。
 さらにいえば、その子の前で、別な教科担任が授業をするのだ。
 この、なんというか「わきまえ」が、むずかしい。

(4)ノンバーバルコミュニケーション。
 子どもは、話の内容もそうだが、教師の(面談中、講話中、授業中、日常の)しぐさ、表情、姿勢、態度、語調、雰囲気と「対話」している。
 だから、このノンバーバルコミュニケーションを、軽く考えてはいけない。

 先輩から「教師は絶対に腕組みをするな!」と注意を受けたが、このことを言っているのだろう。
 「切れる姿」を見せるなどもってのほかだ。
 「切れることば」もそうだ。(どちらも教師としての倫理に反する。)
 あとからフォローすることが大切だ(=フォローすればOK)と言う人もいるが、犬でもフォローはきかない。

 ノンバーバルコミュニケーションを生かす器量をもとう。

(5)個人面談で鍛える
 個人面談やチャンス相談は、奥が深い。
 そして、これが、教育のスタートだ。

 以前、Dr.海原純子さんと、仕事で話し合う機会があった。ほとんど向かい合った瞬間で、彼女が一言二言話しただけなのに、わたしの身体からこわばりが溶けた。。
 これっていったいなんなんだろう! スゴイ!と思った。同時に、わたしも相手にそんなふうに感じさせるように修行したい思った。

 カウンセリング理論を学びながら、わたしたちは「個人面談」をやって、やって、やり通して、中学生の心を捉えているものがゆっくりと動き出し、言葉になって外に出てくる長い過程を共にできるだけの、器量をゲットしたい。
 その力を、徐々に学級や学年という全体に応用する。
 「個人面談」ができないと、教師は、全体には語れない。

◆分掌運営のポイント

(1)校務分掌チーム(含学年チーム)の運営については、(失礼をおそれずにいえば)バカ者同士が仲良くやっているようなチームにならないように、あるいは、賢い者同士が牽制し合っているようなチームにならないように、常に真摯に、相互に点検しあってほしい。

(2)加えて、上記の本校の5つの「経営の重点」について、①日本国憲法(含中教審、教育再生会議等の論議)と分掌運営を直結して仕事ができる ②教育史・教育哲学史の中に自らの分掌を位置づけて仕事ができる……という専門的技量と、センスを磨いてほしい。

(3)さらに加えて、課題・トラブル対応能力については、「焼き」が入っているというレベルまで腕力をアップしてほしい。
 下記の記述は、安倍自民大敗後の新聞記事の切り抜きだが、文中の「掃除」を「課題・トラブル」と読みかえてみてほしい。

◇「掃除の下手な大工は仕事もアカン」と語ったのは、大阪万博の日本庭園をはじめとして生涯に120余りの茶室を手がけた数寄屋大工の中村外二さんである。◇駆け出しの職人は木の削り屑に肌で触れ、道具の使い方や仕事の段取りなどを先輩大工から盗む。掃除が下手であることは基本の学習を怠ってきた証しであり、いい家が造れるはずもない、と。(中略)掃除下手の棟梁に社会保障や外交・安保という大建築が手に負えるか、疑問を感じた有権者もいただろう(後略)

 若い頃、1学年に所属になった。その最初の会議で、学年主任が「うちの学年では……」「うちの学年のやり方は……」を連発するので、これからみんなで「うちの学年」をつくるのではないのか……と違和感をもったことがある。
 0からの出発を。

「こんがらがり」を一身に受けとめ、「あちら側」に向けて、ひとつの方向付けをしなければいけない立場

2008-03-29 11:47:34 | Weblog
◆前回、このページで、教職員の解散会で「旧年度側(こちら側)」と「新年度側(あちら側)」の話をした……と書いたが、ここ、しばらくは、この「こちら側」と「あちら側」が、入り乱れる……こんがらがる……ある意味で、どさくさ……ドタバタの期間だ。
 しかし、こうして、入れ乱れ、こんがらがりながらも、なにもかもが、ある1点に向かって流れていって、もう、その流れには、だれも抗することはできないという、運命的なものを感じる期間でもある。

 その「運命」の河の流れに身をまかせ、感傷にひたるという側面では、わたしは、むしろ大好きな「季節」だ。
 もう少し正確にいうなら、流れに身をまかせて、感傷にひたっていられるうちは、大好きな季節だったが、その「こんがらがり」を一身に受けとめ、「あちら側」に向けて、ひとつの方向付け(人事異動に伴う組織編成の作業)をしなければいけない立場になってからは、実に苦痛な「季節」になった。

◆もっと別なことを書くつもりでキーボードを打ちはじめたのだが、(確か、この時期はなかなかHPの更新ができない……というような内容だったと思うが)、ついでだから、「大好きな季節」または「苦痛な季節」についてつづけることする。

 昨年の今時分の記述をひっくりかえしたら、次のような記述が出てきた。
 これは「大好きな季節」の側面だ。

 2007/3/30(金)
 18年度末の定期異動で転出する教職員はきょうが最後の勤務だ。
 前田Tを見送る。
 松坂Tを見送る。
 中野Tを見送る。
 四戸教頭Tを見送る。
 最後の荷物をさげて遠ざかっていく姿を見ていると、ツーンとくる。
 きのうが最後の勤務になった古館Tが「食べてください」と置いていったクッキーを昼食代わりにたべたら、またツーンと来た。
 これが人生だ。
 わたしもまた新しい旅に出ようと思う。

◆ついでのついでに、もうひとつ。
 これは、昨年の始業式の式辞の冒頭だが、これも、「大好きな季節」の側面が、色濃く漂っている。

 〈昨年の始業式・式辞の冒頭〉
 新2年生への進級、おめでとう。
 新3年生への進級、おめでとう。
 平成19年度、南中生として、大きく、強く育ってくれことを心から願っています。

 これまでの学級がなくなる。
 お世話になった先生がいなくなる。
 自分の教室の場所が変わる。
 さびしいといえば、さびしいのですが、自分とつながっていたものから離れ、ひとりになることによって、自分というもののかたちがはっきりと、鮮明に見える、そういう大切な時期でもあります。

 みなさんには、今、その「ひとり」になって、自分のかたちをはっきりさせて、そのうえで、1年後の、ちょうど今頃、自分がどんなふうになっているだろうか?……と想像してみてください。
 新3年生のみなさんは、……(後略)

◆子どもたちにとっては、学校にやってくると「ここはもうあなたの教室ではありません。あなたの学級は別の階の……」と、さびしさとドキドキとが入りまじった日だ。
 これは、大人も同じだ^^;
 自分にとって決まっていた基本的な生活パターンや人間関係が、グシャグシャになる。
 グジャグジャになるから、さびしいし、たいへん不安定になるわけだが、逆に決まったパターンで暮らしているときには見えなかったものが、突然、見えるようになる。
 ある意味で魅力的な日だ。
 しかし、仕事となると、結構、つらいものがある。

◆あす(3/29 土)、あさって(3/30 日)は、ま、この、さびしさと、ドキドキと、つらさとを内包しつつ、新しい世界でバリバリとやっていけるように、自分の魂を方向づける、孤独の、ミニキャンプを張るつもりだ。

あちら側が差し迫ってくるのを、なんとか押しとどめたい、そして自分の身をこちら側に置きつづけていたい

2008-03-29 11:44:28 | Weblog
◆〈午前〉修了式→転任者の離任式→〈午後〉転任者の地域あいさつ回り他→〈夜〉みなみ中教職員解散会

 きょう1日で、6回のあいさつ場面があった。
 たぶん、1年で、いちばんあいさつ回数の多い日だと思う。

 「あいさつ」をささえる、わたしの魂そのものは変わらないけれども、修了式の式辞と離任式のあいさつとは意味が違うし、子どもたちを対象にするのと、教職員や地域の方々を対象にするのとでも、微妙に違う。
 だから、自動車のギアを切り換えるように、魂の「かたち」を切り換えながら語ることになる。

 魂の「かたち」を変えている本人(=わたし自身)としては、かなりのエネルギーを使って、グネッと「かたち」を変えているつもりなのだけれど、実際のところは、魂の「かたち」は、ほんのちょっぴり、張ったり、ゆるめられたりしているだけなのだろう。

◆解散会は、午後6時から、シェルブールで開かれた。
 これも第1部=反省会と、第2部=送別会とにわかれていて、2回、あいさつがあった。

〈第1部のあいさつ〉

★昨日の職員会議で、「ああ、こんなふうに、あっけなく、3/25の朝がやってくるのだなぁ~」と、わたしの年度末の感慨をお話ししましたが、もう少し、その自分の気持ちを分析してみると……。

 今年度を「こちら側」、来年度を「あちら側」とすれば、1月頃から、うっすらと「あちら側」の光が見えてきます。
 日が進むにつれて、それがどんどん、鮮明に、見えるようになり、今はというと、もうガラス越しに、くっきりと、ありありと「あちら側」が見えるというところまで来ています。

 この「あちら側」が接近し、差し迫ってくるのを、なんとか押しとどめたい、そして、自分の身を「こちら側」に置きつづけていたい……というのが今のわたしの心境です。
 本日の解散会は、みなさんで「こちら側」に身を置いて、最後の「こちら側」の時間を過ごしましょう。

★1年間の総括については、会場全体に「さあ、飲もう」という雰囲気がみちみちていますので、昨日の職員会議で、わたしがお話した、島津義弘の「正面突破」作戦の話を総括に代えたいと思います。(一応、「総括」は用意していたが、なくてもいいと判断した。)

 本日は、「こちら」側の解散会です。
 行く人も、残る人も関係ありません。
 いったん、全部、解散しましょう。
 学年も解散。
 校務分掌も解散。
 そして、「あちら側」で、再びご縁があったら、あるいは、「あちら側」のさらに「あちら側」で、再びご縁があったら、またいっしょにやりましょう……という、徹底した「解散会」にしましょう……というような提案をして……、ごあさつとします。

「居心地の悪さ」を、音楽で埋めてみるとどうだろうか?と、グレン・グールドのピアノでイギリス組曲第4番

2008-03-27 21:24:33 | Weblog


◆まだ、なんとなく居心地の悪さがぬぐいきれない、自分の「古書店」に入り、その「居心地の悪さ」を、音楽で埋めてみるとどうだろうか?と、グレン・グールドのピアノでイギリス組曲第4番ヘ長調と第5番ホ短調を聴きながら、書架を整理しているとき、偶然『季刊芸術』(1968・第5号)を見つけた。(昨日も書いたが、イギリス組曲は、やはりハープシコードだと思うが、こういう心境のときは、ピアノも、結構、いい……、いや、意外に意外だが、最高!)

 雑誌の背がひどく黄ばんでいる。
 その黄ばみで、背文字が埋もれていたため、雑誌の存在に、ずっと気づかなかったのだ。

◆わたしの思考が、この『季刊芸術』に至るきっかけは、作家の福永信・柴崎友香・長嶋有と、画家の法貴信也、デザイナーの名久井直子の5氏による同人誌『イルクーツク2』(限定1700部)を取りあげた、読売記事〈記者ノート〉(担当 待田晋哉)の「同人誌に集う若手作家たち」だった。

 記事のなかの、「大半の文学作品が商業出版を通じて出回る現在、自分たちの文学の言葉をつかみ取ろうとする、肩肘張らない文学運動にもみえる」という、新聞社の文学担当者によくある、占い的、あてもの的コメントに辟易しつつ、ま、そのことは仕方がないし、問題にすることでもないから、さておくとして、わたしの思考が、わが師・江藤淳の『季刊芸術』創刊の志は何だったのだろうか?……という方向に展開しかかったのだった。
(ただし、そのときは、なにが原因だったか、もうわすれてしまったが、いろいろなものに巻き込まれ、展開はストップしていた。検索機能でチェックしたら、1/18にこのことに関連する記述を見つけた。)

◆編集後記。

 早いもので、「季刊芸術」も本号で創刊一周年をむかえた。
 この雑誌の役割がかなり広い範囲に認められはじめたのは喜ばしいかぎりである。
 わたしたちはあくまでも他人志向型のジャーナリズムを排し、なにものにもとらわれない自由闊達な発言の場をひろげることにつとめて行きたいと考えている。
 卑小なシニシズムやいらだったセンセーショナリズムにあきたりない人々の平常心が、わたしたち四人の編集担当者の心の支えである。

◆唐木順三氏の『夏目漱石』を読んでいたら、『明暗』執筆中の漱石にも「遊び」の精神があったはずという一節が目についた。
 人生葛藤の諸相はほとんど地獄に等しいとしても、それを描くという行為には「遊び」の余地がありうる。
 同じように雑誌をつくるという仕事も、あるいわくいいがたい気持ちのゆとりに裏付けられたとき、もっとも稔り多いものになるだろうと思う。
 それはだれにも行いがたい境地であるが、こういう時代だからこそ、なおさらそういう心がけでいきたい。

◆画像は、昨夜のお好み焼き。
 豚玉。(画像をクリックすると、拡大しまっせ(*^_^*))

 お好み焼きは、広島焼き(←これは、わたしはあまり好まない。キライではないから、だれかが焼いてくれたら食べるが、自分でわざわざ焼いてみようとは思わない……)以外、モダン焼き(←結構、得意)、ネギ焼き、イカ玉、エビ玉……と、なんでも焼くが、基本は、なんといっても豚玉だ(~o~)。

 お好み焼き粉(←最近は、ずっと日清の「鰹・昆布の風味」←「山芋たっぷり」は使わない)50グラム。
 水55㏄
 ベーキングパウダー少々

 これを全部食べるわけではない。
 半分くらい食べる。
 あとは、食べたいという人がいれば分けるし、いなければ次の日、レンジであたためて、熟成お好み焼きにして、朝食にする。

 いいお好み焼きは、熟成お好み焼きとして、結構、いける。
 アカンお好み焼きは、レンジであたためると、不味い。

◆片面を焼きながら(鉄板210℃、6分間)、あげ玉をばらまき、豚肉を並べているところ(^-^)

◆ひっくり返して、豚肉・あげ玉の面を下にしたところ。

 この面の色、焼き過ぎかどうか微妙……、けど、この限界まで焼くのがポイント。

 このまま、また6分間、焼く。

心のすき間を音楽で埋めてみようと、3/20~22、グレン・グールドのピアノでイギリス組曲第4番ヘ長調

2008-03-27 21:07:59 | Weblog
◆台湾総統選の投票が22日午前8時(日本時間同9時)に始まった。

 結果がすごく気になる(@_@)

◆いろいろあって(←3年生の卒業もそのひとつ、本校教職員の定期異動の結果もそのひとつ……)、心のあちこちに小さな隙間がいっぱいできている。

 それらを、音楽で埋めてみようと、3/20~22、グレン・グールドのピアノでイギリス組曲第4番ヘ長調と第5番ホ短調を聴きつづけている。

 イギリス組曲は、やはりハープシコードだと思うが、こういう心境のときは、ピアノも、結構、いいじゃないですか(^_-----------;;)

◆午前中、平畑温泉へ。

 場所がすごくわかりにくい。
 八戸側から説明すると、百石町を北上、四川目で左折し、県道10号線に入り、三沢空港という案内板を右折。
 三沢空港温泉前を左折。
 そのまま1キロくらいゆるゆると進んだところで、「ああ、わからない、通り過ぎたのかも?」と思っているわたしの左側の視野に突然、偶然、「平畑温泉」の看板。

◆うわさに「床のタイルが揺れるほどのかけ流し」と聞いていたが、ホンマに怒濤のかけ流し。
 かなり熱めで、40℃以下が大好きなわたしには合わないのはわかっていたが、この「怒濤のかけ流し」を体験したくて訪問。

 湯船からあふれ出た熱いお湯が床全面をドッドッド、ド~と、流れている。

 洗い場の数60箇所。
 大きい湯舟が2つ。(大きい方がややぬるめ。小さい方は熱くて深い。←この熱い方は片足を入れただけ。)
 時間も関係するのだろうが、ガラガラ。
 わたしがいたあいだに客は2~3人。

 泉質 ナトリウム-塩化物泉 (弱食塩泉)
 源泉温度 46.2℃
 薄茶色透明、つるつる感あり。
 料金 250円 営業時間 6:00~23:00

 受付によく笑うおばあさんが1人。
 ご家族に金魚の好きな人がいるようで、ロビーの隅に水槽とか、高級な濾過装置が置いてあった。

これからはじまる中学3年間も、小学6年間と同じに、非連続の連続、山あり、谷あり、涙あり、晴れたり、曇

2008-03-23 10:21:08 | Weblog


◆超過密な1日だった。

 08:00 1・2学年通信表点検
 09:00 県立高等学校入学者選抜後期選抜合格発表。
 10:00 みなみ小卒業式に出席
 12:00 教職員の人材育成・評価制度に関わる教職員個人面談
 13:00 3/16卒業式当日、突然の体調不良で出席できなかった1名の生徒の卒業式
 13:30 後期選抜合格発表に関係する生徒たちとの面談
 14:00 続・教職員の人材育成・評価制度に関わる教職員個人面談
 18:00 みなみ小・卒業を祝う会(きざん八戸)に出席

 この間、通常どおり、来客応対、決裁事務があるから、密度的には安倍前総理並みの日程(^-^)

◆みなみ小・卒業を祝う会で祝辞を述べる。

☆みなさん、こんばんは。
 今、中川校長先生の、「これが最後になるのかもしれない」と前置きしつつ述べられた、気合いの入ったごあいさつ、また、それにつづく、先生のピアノ演奏を、感激し、心を高ぶらせ、拝聴いたしました。
 中川先生、ありがとうございました。

 みなみ中の小高進でございます。
 たくさんのご来賓がいらっしゃる中、たいへん僭越に存じますが、ご指名ですので、ひとことごあいさつを申し上げます。

☆保護者のみなさま、お子様のご卒業、あめでとうございます。
 本日は、ほんとうに立派な卒業式でした。
 卒業生・在校生の歌もよかったですね。
 失礼な言い方になることを恐れずに申せば、こんなに上手だったかなぁ!!……と驚きながら聴きました。
 6年生のパワーと成長を実感する卒業式でした。
 加えて、今、中川校長から「学力も高い」というお話があり、4月から卒業生たちを迎える中学の校長として、身の引きしまる思いでおります。

☆さきほど6学年委員長さんのごあいさつのなかに「小学校1年に入学するとき、手を引きながら校門をくぐったときのことが、目に、胸に焼きついている」というお話がありましたが、わたしも胸を熱くしてうかがいました。

 手を引かれる小学1年生の姿から、本日の卒業生の立派な姿を想像することは、とてもできなかったことと思います。

 6年間、山あり、谷あり、涙あり……、非連続の連続、ほんとうに大冒険の6年間でしたね。

 わたしにも子どもが2人います。
 その子どもが小学校を卒業するとき、わたしは妻に(わたしはなんというか仕事人間で子どものことはほうったらかしでしから)「ほんとうにありがとう! よくやったね! ごくろうさ~ん!」と声に出しては言わなかったけれど、心のうちで叫びました。

 同じ思いで、保護者のみなさま、ほとんうに、よくがんばられましたね。
 おめでとうございます。

☆さて、4月からは中学生です。
 今、小学1年の姿から、今の姿は想像できなかっただろうと申しましたが、同じように、今の姿から中学卒業のときの姿は想像できません。

 中学3年間も、小学6年間と同じに、これもまた、非連続の連続、山あり、谷あり、涙あり、晴れたり、曇ったり、大冒険の大ドラマです。

 本日は、みなさまに卒業のお祝いを申し上げるとともに、これからはじまる新たな大冒険の旅に、みなさまとごいっしょ申し上げる校長としてお迎えにあがった次第です。
 どうぞ、これからごいっしょに、よろしくお願い申し上げます。

 加えて、本校は、みなみ小と手を携え、学校・家庭・地域が連携する「すこやかみなみネット事業」を展開しております。
 保護者のみなさまの積極的なご参加をお願い申し上げて、お祝いのごあいさつといたします。
 本日はほんとうにおめでとうございます。

 これからはじまる中学3年間も、小学6年間と同じに、非連続の連続、山あり、谷あり、涙あり、晴れたり、曇ったり、大冒険の大ドラマ。本日は、保護者のみなさまに卒業のお祝いを申し上げるとともに、これからはじまる新たな大冒険の旅に、みなさまとごいっしょ申し上げる校長としてお迎えにあがった次第です。どうぞ、これからごいっしょに、よろしくお願い申し上げます。

これからの人生、花梨がいっぱい、ホタルがいっぱい、歌声がいっぱいの、このみなみを精神のふるさと、魂の

2008-03-20 10:39:47 | Weblog


◆本日の佳き日にあたり、日頃、本校に何かと、ご支援・ご援助を賜っております、地域の方々、また保育園・幼稚園・小学校の先生方、加えて、これから卒業生がお世話になる、高等学校の先生方など、多数の、ご来賓の、ご臨席を得まして、第17回卒業証書 授与式が、このように盛大に行えますことを、心より感謝申しあげます。
 本日、みなさまにお出でいただいたことによって、卒業生たちは、15年間、多くの方々に支えられ、応援してもらい、成長してきたということを実感していると思います。
 本日、本校を卒業しますが、今後、地域の方々との日々の交流、地域活動・行事などを通して、さらに大きく成長してくれることを願っています。
 地域のみなさま、卒業生のこと、引きつづきなにとぞよろしくお願い申し上げます。

◆さて、卒業生のみなさん、おヘソをこちらに向けてください。
 卒業おめでとう。
 きょうは、みなさんにとっても、また、わたしたち、白銀みなみ中の教職員にとっても、3年間の中で、特別な日です。
 いろいろな感情が、交錯して、それがいっぱい胸に詰まっています。
 胸の中の、その感情の、強い順に、3つだけいうと、1つは、ほんとうに、よく、成長したなぁ~という気持ちです。うれしく思います。
 2つ目は、このあいだ入学したと思っていたのに、もうお別れかぁ~、たいへんさびしい……という気持ちです。
 3つ目は、義務教育終了という、みなさんの、人生の、ひとつの、節目に、こうして、わたしたちが、卒業証書を渡せるという喜びです。

◆今、「人生の節目」といいましたけれども、中学という時代は、親の保護から、人生、独立に向けて、第一歩を踏みだす、大切な時期です。
 しかし、まだまだ、独立する力があるわけではありませんから、その一歩一歩は、実に、不安定です。
 だから、いろいろ迷うこと、悩ことも、多かったと思います。
 大失敗をして……というか、もう失敗、失敗の連続だったと思います。
 生きることの意味がわからないと感じたことも、きっとあったと思います。
 こういう不安定さの中を、みなさんは、このみなみ中で、先生方と、友人と、ご家族と、地域の方々と、貴重な、1分1秒を刻んできました。
 この1分1秒の積み重ねが、きょうの成長したみなさんの姿です。

◆1分1秒に関連して、もうひとつ、わたしは、先日の送る会でも話しましたが、いい学校のひとつの条件として、先輩たちのものをしっかりと受け継いで、それを自分たちで、1ミリでも、2ミリでも、さらによいものにして、後輩たちに伝えていく……、こういう伝達のかたちが、しっかりとしている、くっきりとしているのが、よい学校だと考えています。
 みなさんの日々の学ぶ姿勢、あるいは、生徒会役員を中心とした生徒会活動、そして、合唱。
 みなさんは、よいものをくっきりと伝えたと思います。
 わたしは、体育祭のことが強く心に残っています。
 これまでの歴史の中で最高点の体育祭だったと思うし、わたしの宝物でもあります。

 貴重な1分1秒を刻んだ自分たちの3年間を……、しっかりと、くっきりと伝達した、自分たちの3年間というページを、人生の宝物として大切にしてほしい。

 3年間、ほんとうによくがんばりました。

◆きょうは、みなさんにお話できる最後の機会です。
 これまで、話したことの中から、わたしの念押しとして、ひとつだけ、お話します。

 それは、みなさんひとりひとりの魂の話です。
 魂には、水平の線と、垂直の線があります。
 魂の水平の線というのは、(今、みなさんが座っているところから、ずっと水平に線をのばしてみてください……)友人たちがいる、、先生方がいる、親がいる、地域の人々がいる……、こういう、いろいろな人々との交流の線です。

 そして、魂の垂直の線というは、みなさんの過去・現在・未来という時間の線です。
 「将来、こういう自分になりたい」というのは、この魂の垂直の線上にあります。

 わたしは卒業生のみなさんに、まず、この魂の水平の線をピーンと張って生きていってほしい。
 魂の水平の線をピーンと張るということは、自分を支えてくれている人々に感謝の気持ちを持ち、その人々に報いよう、喜んでもらおうと強く意識することです。

 そして、魂の垂直の線をピーンと張るということは、将来、なりたい自分をデザインして、そのなりたい自分になろう! 多少の困難があっても、ピンチがあっても、絶望せず、負けないで、努力をつづけることです。

 みなみ中の卒業生であることの、喜びと誇りを胸に、魂の水平の線と、垂直の線をピンと張って、新たな一歩を、独立の一歩を、力強く踏みだしてくれることを願って、また、いつでも、どこにいても、みなみを応援しつづけてくれるようお願いをして、卒業生へのはなむけのことばとします。

 最後になりましたが、保護者のみなさま、お子様のご卒業、おめでとうございます。
 お子様を、3年間お預かりいたしましたが、必ずしもご満足いただけるような教育ができなかったかもしれません。
 冒頭で、「わたしの胸の中に詰まっている、その感情の、強い順に3つ」という言い方をしましたけれども、4つ目に、いや、もっと強い感情で、「ああしてやりたかった、もっともっと、こうしてやりたかった」という気持ちが、強く強くあります。

 お子様たちは、これからの人生、花梨がいっぱい、ホタルがいっぱい、歌声がいっぱい、真心がいっぱいの、このみなみを精神のふるさと、魂の原点として、「南中生でほんとうによかった」「南中の卒業生であることを誇りに思う」と力強く生き抜いていってくれるものと信じています。
 3年間、PTA活動、すこやかみなみネット事業などを通して、本校、本校区の教育をご支援くださいましたことに心から感謝申し上げ、卒業生の限りない前途を祝し、わたしの式辞といたします。(平成20年3月16日)


ずっしりと重かった、あんなかんじで1年近くすごすのは、僕には無理かもしれない

2008-03-17 17:27:52 | Weblog


◆卒業式のわたしの式辞が、午前中に完成した。
 3/16(日)が式本番なのだから、あたりまえというか、ちょっと遅すぎるよ……という人もいるかもしれない。
 わたしは、通常、予行の夕方~夜に書く。
 3年生の式練習開始~卒業生を送る会~予行……と、徐々にわたしの感情が凝縮し、あちこちに断片として散らばっていた式辞の部品が、ひとつの塊になるのを待ち、一気に書き上げる。
 しかし、今年は、3/13(木)の夕方、一気に書いて、けさ、一部、修正し、それを巻紙にし、昼前に(いざというときのために)コピーを嘉瀬教頭Tに託した。
 わたしとしては異例の早さだ。

 理由はわからない。(やがて、わかるだろうけど……)

 2学年プログラム委員会の佐々木さんから、送る会で3学年のスライドをやりたいので、いい画像があったら提供してほしいと頼まれ、先々週の日曜日、半日かけて、今の3年生が1・2年のときの画像群を、「ずいぶん撮ったもんだなぁ~」と感心しながら、ひっくりかえした。
 この作業が、感情の凝縮を促したのかもしれない。

 あるいは、今の3年生および保護者が、自分の前から姿を消したら、自分の精神にポッカリと空洞ができるだろう……、果たしてそれに耐えられるのだろうか?という気持ちが、やはり感情の凝縮を促したのかもしれない。

◆上記の「昼前に(いざというときのために)式辞のコピーを嘉瀬教頭Tに託し」、さあ、午後は何から手をつけようか……と思っていたのだが、給食後、急に失速。

 失速したから、きょうは、3学年のパパママ体験学習〈妊婦体験〉の様子を紹介しよう。
 資料提供は、安田T

〈どんな感じ?〉
・意外に重かった。
・横に寝るととても楽だった。
・座ろうとしたとき、転びそうになった。
・歩くと自然に胸をはるかんじになる。
・すごくじゃまで、なにごとも通常通りできない。
・あおむけになるとお腹がつぶされる感じがした。
・下に物を落としたときは、拾うのがとても大変だと思いました。
・歩くのも下が見づらいし、後ろにそっちゃうし、座るのも大変でした。
・ずっしりと重かった、あんなかんじで1年近くすごすのは、僕には無理かもしれない。

〈大変だったことは?〉
・ 靴下を脱ぐこと。
・動くとき、おなかに力を入れないようにすること。
・ 寝たときや座るときに赤ちゃんを守らないといけないので、静かにして座ったりすること。
・靴下の着脱はできるけど、普段より効率が落ちること。
・あお向けはつらかった。
・ 寝るときは寝返りをうって、腹を圧迫しないようにすること。

〈手伝ってほしいことは?〉
・座ったり動いたりが大変で、手伝いがないとむずかしい。
・起き上がるとき。
・家のこと全部手伝ってほしいと思った。
・寝転べば起き上がるのもつらかったので手伝ってほしかった。
・とても重かったの一言で、あのまま立っているのは疲れそうなので、座るためのいすが欲しい。
・自分にこどもができたら、だんなさんに手伝ってもらいたいと思った。
・つめきりなどができないので、そこは夫に手伝ってもらうことも知りました。
・立つときはもっと大変だったから、そこは手を貸してほしいと思いました。

〈その他〉
・歩いてみると自然にお腹を抱えていた。
・歩くだけでも大変。体験では乱暴に座ってしまったけど、本当にお腹の中に赤ちゃんがいると思うと細心の注意が必要だとわかった。
・母の大変さが少しわかった。妊婦は大変だと改めて思った。
・まず男で良かったと思いました。動作をゆっくりとやらなければいけないので大変でした。
・意外と重くて、お母さんはこんなにがんばっているんだとわかってびっくりしました。
・何をするにも重くて、何をするのも疲れてしまうような気がしました。
・お母さんたちは10ヶ月もあの状態というのは、そうとう大変だったとおもいます
・周りの人が手伝いをしたほうがいいと思いました。妊婦さんには、バスだったら席をゆずってあげたり、洋服を着るのを手伝ってあげればいいと思いました。

君たちを君たちの内側から応援しつづける

2008-03-12 20:55:07 | Weblog
◆〈卒業生を送る会 あいさつ〉

 まず、わたしの感情の中心部分にある気持ちに即して2点。
 1つは、3年前、君たちが入学してきたとき、どうしてもこの人たちといっしょに卒業まで過ごしたい、そして、卒業式の時、その後ろ姿を見送りたい、見送るのは自分だ……と思いました。こういうことをよく今田先生とも話しました。神様がこのわたしの願いを聞いてくれたんだと思っています。
 2つ目は、この3年間、わたしにもピンチがあって、君たちが1年の終わり頃、ちょうど今頃、もうやっていけないかもしれない……という状態がしばらくつづいて、苦しんでいたとき、君たちのわたしをみる視線、たとえば1年1組だと、小林君が先頭でしたね、その視線に支えられてわたしはがんばろうと思いました。
 君たちに人生のエネルギーをもらった。
 ほんとうに感謝しています。
 ありがとう。

◆わたしは、よい学校のひとつの条件として、先輩たちのものをしっかりと受け継いで、それを自分たちでさらによいものにして後輩たちに伝えていく、こういう伝達がしっかりと、くっきりとしているのがよい学校だと思います。
 たとえば、きょうの3年の合唱がそうです。
 感動した。
 よいものを伝えたと思います。
 強く印象に残っているものだと、体育祭。
 あの体育祭は、これまでの歴史の中で最高点の体育祭だったと思います。
 今、みなさんは、これはちゃんとやれた……というものも、あるだろうし、これはできなかった、残念だ、もうしわけない……というものもあると思う。
 苦労しながら、自分たちが拓いた3年間のページを人生の宝物として大切にしてほしいし、これからのみなみ中もそれを大切に受け継いでいきたい。
 3年間、ほんとうによくがんばりました。

◆最後になるが、きょうの1学年の呼びかけ・詩の朗読・合唱・応援エール、2学年の呼びかけ・パネルの人文字・合唱……は、君たちの魂の内側に溶け込み、これから先も、君たちを君たちの内側から応援しつづけるだろう。
 みなみ中はいつまでも君たちを応援する。
 君たちも、いつまでもいつまでもみなみを応援してほしい。
 君たちが、これから先、ピンチに負けず、一歩一歩、未来に前進してくれることを祈ってあいさつとします。

さすが元PTA総務委員!!

2008-03-12 20:52:14 | Weblog
◆きのうにつづき、きょうも本校の学校評議員の方においでいただいた。
 きょうは、坂下さん、伊藤さんのお二人だ。

 きのうは紹介しなかったが、八並さんは、本校区を構成する3つの地域=岬台地区・白銀台地区・大久保地区のうち、岬台地区の住民という立場で評議員を務めていただいている。
 加えて、教育行政全般にくわしい市教育委員会OBという立場でもある。

 笹本さんは、大久保地区の住民、加えて幼児の教育にくわしい保育園経営者という立場で評議員を務めていただいている。

 きょうのお二人については、坂下さんは大久保地区の住民、伊藤さんは白銀台地区の住民という立場で評議員をお引き受けいただいているが、お2人にはもうひとつあって、実は、お二人とも本校PTAのOB(正しくはOG)で、かつ、お二人とも総務委員長の経験者だ。

 PTA総務委員長というのは複数いるPTA副会長の筆頭で、総務委員会(PTA会長・副会長、各実行委員長、各学年委員長等)のまとめ役である。
 だから、PTAのことは、なんでも経験している、なんでも知っているという存在なのだ。
 本日は、こういうご経歴の方ならではの、ご意見・ご助言をいただくことができた。
 心より感謝申しあげる。

◆きょうも、学校評議員の方からいただいた主なご意見を列挙する。

(1)学校部活動については、当然のことだが、活動の種類を今以上に充実することは困難だし、また、現状では、特に文化系の部活動の活動内容(合唱・美術・科学・IT)が限られている。
 こういう状況で、「全員強制加入制」をつづけることには問題があると思う。
 学校外の社会教育活動とのコーディネート機能を向上させつつ、「全員強制加入制」から「任意加入制」に切りかえるべきだ。

(2)PTA活動を学校経営のひとつの柱ととらえていることに賛意を示したい。
 PTA役員と一般会員との関係、あるいはPTAリーダーからリーダーへの継承の問題等、困難点がたくさんあるし、また、どこの学校でも苦労しているようだ。
 特にPTA役員については、負担感・不安感が大きいと思うが、体験的に、その人にほんの少し「やる気」があれば、だれでもなんとかなるものだと思う。がんばってほしい。

(3)授業については、先生方もいっしょうけんめい、生徒たちもいっしょうけんめいで、自分たちはこんないっしょうけんめいやっただろうか?とふりかえりながら、感動して参観した。
 先生方の指示・発問・説明もメリハリがあり、すばらしい。
 生徒たちの学ぶ姿勢、また髪型・服装などもきちんとしている。

(4)掲示物が「豊だ」という印象を受けた。
 ただし、生徒たちのカバンやサブバックなどの収納場所についてはたいへん窮屈で、改善が必要だ。

(5)表面的にはみえないが、苦しんでいる生徒、あるいは親……などを見つける努力、そして、その苦しみを受けとめる体制づくりにいっそうの努力をしてほしい。
 すこやかみなみネットが、こういう機能を果たせるように、さらに充実することを期待したい。

(6)学校外部評価の説明の中で、保護者の授業評価について、「5=とてもそう思う」が「4=そう思う」を上回るようでないとホンモノとはいえないという話があったが、保護者としては、他と比べることができないから、「とてもそう思う」に○をつけようとしても、「いや『とても』ほどではないかな?」……と思い、「とてもそう思う」に○をつけることを躊躇してしまうのではないか。(「学校評議員の主な意見」以上)

◆なお、日程、内容、提示資料などは次のとおりである。

 10:30~11:00 校長の説明&質疑
 11:00~11:30 授業参観
 11:30~12:00 話し合い

 わたしから提示した資料は、
(1)学校内部評価資料
(2)学校外部評価資料(すこやかみなみネット通信2月号)
(3)保護者による授業評価資料(すこやかみなみネット通信12月号)
(4)すこやかみなみネット地域情報交換会資料
(5)すこやかみなみネットOB会設立に関する資料
(6)生徒による授業評価など学校目標達成状況に関する資料
(7)平成20年度マニフェストに関する資料

◆きょうは、午前中、主任会、学校評議員との話し合い、昼、後期入試のための面接練習、午後、文書収受&通信表点検、放課後、後期入試のための面接練習……いっぱいいっぱいの日程だ。

本校の学校評議員、八並さん、笹本さん、お二人が来校された

2008-03-10 21:12:08 | Weblog


◆きょうは、本校の学校評議員、八並さん、笹本さん、お二人が来校された。
 本校では、評議員が一堂に会する、いわゆる「評議員会?」は設定していない。
 すべての学校行事および学社連携・融合事業についてご案内を申しあげ、評議員の方々には都合のよいときにご参会いただき、ご意見を伺うシステムだ。

 今回は、きょう、あすと2日間、10:30~12:00、13:30~15:00、計4回の授業参観および協議の場を設定し、各評議員の方に都合のよい時間を選択していただいた。

 わたしからの説明の際、こちらから提示した資料は、
(1)学校内部評価資料
(2)学校外部評価資料(すこやかみなみネット通信2月号)
(3)保護者による授業評価資料(すこやかみなみネット通信12月号)
(4)すこやかみなみネット地域情報交換会資料
(5)すこやかみなみネットOB会設立に関する資料
(6)生徒による授業評価など学校目標達成状況に関する資料
(7)平成20年度マニフェストに関する資料

◆学校評議員の方からいただいた主なご意見を列挙する。

(1)経営上、当然、目標とか、ねらいどころとか、目安とか、目算とかがあるのだが、本校では、多角的に評価軸を設定し、いろいろな評価場面を設定し、その評価が経営に生かされるように工夫されている。
 こういう評価は、もちろんすべてが数値化できるとは思わないが、教育活動の充実、組織の活性化、教職員の資質の向上に有効である。
 ただし、評価が達成目標の20%、30%で評価が低い段階と、70%、80%と高い段階では、経営の仕方というか力点が異なってくると思う。

(2)部活動の全員加入制(全員強制加入制)は改めるべきだと考える。
 学校側は、おそらく全員加入制を解除すると、非行に走る生徒が増えると考えていると思うし、その考えもわらかないわけではないが、そのことよりも、全員に加入を強制して、生徒の活動の幅を狭めていること、家庭生活や地域活動に影響を与えていること等のマイナス面のほうが大きい。
 青少年の課外活動は、学校部活動も選択のひとつ、地域における青少年団体活動、民間教育団体の活動も選択のひとつ……という幅広い構えで臨んでほしい。
 八戸市内の全中学校で全員加入制を採用していて、1校だけの改善・改革はむずかしいかもしれない。
 市教育委員会がはっきりとした考えを打ち出す時期がきていると思う。

(3)学校部活動全員加入制とも関連するが、学校部活動はレギュラーとレギュラーに選ばれなかった生徒の問題、競技性を追求する生徒と、レクリエーションとしての活動を求める生徒との問題等、多くの問題を内包している。
 また、指導および管理責任を、教員が一心に背負った格好になっているが、これも問題だ。
 従来から言われつづけている社会教育への移行も含めて抜本的な改善策を打ち出す必要がある。
 ただし、これは1校の改善・改革のレベルを超えている。

(4)すこやかみなみネットの実践は高く評価したい。
 学校・家庭・地域が連携するシステムづくりは、根がはってホンモノ、そのホンモノになるのに相当時間がかかるものだが、すこやかみなみネットは新たに人と人のつながりをつくりだし、徐々にその根をはりつつある。
 PTA活動は地域活動への入り口だ。
 そのPTAがすこやかみなみネットの中核に位置して実働部隊として活躍するという発想がスゴイと思う。

◆学校評議員お2人との熱い話し合いだった。
 八並さん、ありがとう。
 笹本さん、ありがとう。
 あすは別の評議員の方においでいただくことになっている。

◆流氷 投稿者:小春のパパ 投稿日:2008/03/02(Sun) 13:33 No.304 2月18日。海上自衛隊第二航空群のP3Cに乗せてもらい、流氷を見て来ました。(知床半島近辺)「明るい未来」が見えますか?(*^^)v

★わたしは、あなたたちとの悲しい悲しい別れから、1、2年たった頃、P-3Cが配備される前のP-2J対潜哨戒機で青森県を一周したことがあります。

 離陸して、一中上空を通過するとき、思わず額を窓にくっつけましたよ。

★「未来」……という語に、なぜかわたしは妙な反応をしました。
 3つの未来。
 ひとつは、AかBかを選択した結果、至る未来。
 ふたつめは、AとBとを止揚(アウフヘーベン)した結果、至る未来。
 みっつめは、AかBかの選択をずるずる保留していて、その結果、至る未来。

 あなたの「未来」という単語を目にし、上記のようなことを、あなたに向かって、ぶつぶつつぶやいている自分の、その心の底が自分でもよくわかりまへん。

★きょう、はなむけ号(折りたたみ自転車の名前)、今年の初乗り。
 画像はそのときのパチリ。

◆再び、小春のパパからのカキコミ 2008/03/09(Sun) 08:06 No.309

 へこたれない「強い心」を持つために、絶えず念頭におく意識は「文武両道」であります。勝つな、負けるな。(*^_^*)

 小春のパパの「へこたれない『強い心』を持つために」という句と、わたしの「3つの未来」との関係が、わかるようでわからないが、でも、結局、以心伝心でわかってしまう。
 しかし、念のためにもう少し「思考」してから返信しようと思っている。
 こういう念のための「思考」は楽しい。

ホント、どこにでもこういう生徒っていますからね、オホホホホ(^_^)v

2008-03-08 17:09:50 | Weblog


◆研修部の本田Tと平成19年度『研究集録』の表紙に使用する画像について相談した。
 わたし「これまでとはまったく違う角度の撮影だし、特に左端のVサインがいいですね。」
 本田T「ホント、どこにでもこういう生徒っていますからね、オホホホホ(^_^)v」ということで、この画像に決めた。(撮影 志塚T)

◆この平成19年度『研究集録』の発行にむけて、研修主任の佐藤公一Tにお願いしたことがひとつある。
 文字にすれば、ほんの1、2行のことなのだが、せっかくの機会なので、少しくわしく述べる。

◆多くの教師がそうだろうと思うが、わたしも「通信」発行の歴史が長い。
 生徒や保護者を対象にした「学級通信」「学年通信」
 同僚の教師を対象にした「学年事務通信」「研修通信」「教科通信」「職員室通信」
 変わったところでは、主任教師を対象にした「主任会通信」、また教頭時代(わたしは教頭を3年間やったが、その3年目の1年間)、校長(ひとり)を対象にした「教頭メモ通信」がある。(他の「通信」はだいたい1週間に1回程度の発行だが、「教頭メモ通信」は毎日発行した。)

◆これらの「通信」の原点が、若い頃、教師仲間で発行していた『やまねこ通信』だ。
 小・中・高・特の教師、7~8人で、互いの実践を持ち寄り、討議したり、模擬授業をしたりしていた。
 持ち寄る資料のなかには、きちんと仮説を立て、生徒を実験群と統制群に分け、ひとつの結論を導き出した論文もあったが、たいていは実践レポートで、形式もさまざまで、自分で作成したワークシート、試験問題、指導案、それに、きょう発行したばかりという「学級通信」などにメモ書きしたようなものだった。
 その持ち寄った資料をホチキスで綴じて、製本テープでとめたものが『やまねこ通信』だ。

◆今、手もとにある『やまねこ通信』を開いてみると、①仲間が仲間の授業を見た参観記録、②書評(おすすめの本)、③自分の授業記録(テープを起こして、見出しをつけたり、図示したりしてまとめたもの)、④学級通信をもとにした実践レポート、⑤研修会の参加報告……等でびっしり詰まっている。
 ページをめくっていると、例会に使っていた会場の光景がひろがる。
 部活動を終わらせ、息せききってかけつけた仲間の表情が浮かぶ。
 語りが聞こえてくる。
 ああ、もう一度、ここに帰りたい。
 帰らなければいけない……と思う。

◆「通信」(『やまねこ通信』の話ではなく、一般論として)には、(1)自分が現状(ある特定の状況)をどう認識しているのか?
(2)その現状をどういう状況にしたいと考えているのか?
(3)その状態に至るために具体的にどんな方法をとるべきだと考えているか?
(4)状況全体(たとえば教職員・保護者・生徒等)と部分である自分とがどう結合・統合していると自分は感じているか?……等々が、発信者と受信者の関係において、もっとも必死なかたちで収斂されている。

 わたしは、今だって「通信」を発行しつづけているし、もちろん、いいかげんなことは書いていないつもりだ。
 ま、書きたくとも(弱い)立場上、あるいは、あっち立てればこっち立たず、こっち立てればあちら立たず……で書けないこともあるけれども……。
 そのわたしが「ああ、もう一度、原点に帰りたい」と思うのはなぜなのだろうか?
 たぶん、上記の通信の条件(1)~(4)に即していえば、今、(1)~(3)はなんとかクリアーできるのだが、(4)がスッポリと抜け落ちているか、あるいは(4)に対してスゴク鈍感になっていると感じているからだろうと思う。

◆残りの紙幅がだんだん減っているので、結論を書く。
 わたしが佐藤公一研修主任にお願いしたのは次の内容だ。

 みなみの光景がひろがる『研究集録』、メンバー(含教師・生徒・保護者等)の表情が浮かび、語 りが聞こえる『研究集録』を。

☆子さんのことを覚えていますか?

2008-03-08 15:27:23 | Weblog


◆昨日、職場からの帰り際に志塚Tが、☆子さんのことを覚えていますか?と、わたしの前の前の職場、すなわち、志塚Tにとっても前の前の職場、もう10年ほど前になるが、そこに在籍していた生徒のことを話題にした。

 わたしは、こちら側の端の、先端に、すなわち、あちら側にもっとも近い、ギリギリの地点に立って、☆子さんのことを思い返そうとしたが、日常的に接していたわけではなかったので、名列表に☆子さんの苗字が存在したということ以外、顔や声など実像にかかわる断片はひとつとして思い出せなかった。

 志塚Tと別れて、車中からヘッドライトの流れを眺めているとき、不意に、時間の連続がとぎれ、もはや時間ではなくなった地点から、☆子さんの父の姿があらわれた。

 わたしとその父が、向かい合って話し込んでいる。
 話の内容は思い出せない。
 ただ、保護者と教師が話し合っているのだから、☆子さんをめぐる話し合いであることはまちがいない。
 父の苦悩とこちらの苦悩とが、やさしく重なり合う、魂と魂のしずかな話し合いだった。

 乗った車が柳橋を渡るあたり、今度は、闇に浮かぶ街の灯りから、ポツンと父の職業が浮かび上がった。



 志塚Tに「☆子さんの父の職業は☆☆☆でしたか?」とメールを打つと、即座に「そうです。よく思い出しましたね」と返信があった。

 やはり☆子さんの姿はどうしても思い出せなかったが、☆子さんが、わたしの意識と無意識の境のところにまで近づいてきているように感じた。
 同時に、志塚Tが、こちら側にあって、こちら側にいない幻のようにも思えてきた。(この話は翌朝、すなわち今朝、劇的に展開する。)

◆画像は、前の前の職場の学校行事でせんべい汁を食べるわたし。

きょうは1・2年保護者参観日だった

2008-03-06 20:30:33 | Weblog
◆きょうは1・2年保護者参観日だった。
 昨年度から、この参観日に、これまでまったく別日程で、夜、開催されていたPTA事業報告会をドッキングすることになった。
 日程は、
(1)授業参観 13:55~14:45
   1-1数学 1-2英語 1-3国語 1-4社会
   2-1国語 2-2理科 2-3技術
(2)PTA事業報告会 14:55~15:25
(3)学年保護者集会 15:35~16:05
(4)学級懇談会 16:10~16:40
 また、16:30からは来年度の新PTA役員候補者選出のための推薦委員会開催。

◆どんな行事でもそうだが、参観日も、経営上、いろいろな要素で構成されている。
 だから、いろいろな要素に対応して、当然のことだが、目標とか、ねらいどころとか、目安とか、目算とか……が埋め込まれている。
 そのひとつが、保護者の授業アンケートに関する、わたしたちの目標だ。

 下記のデータは、前回11/18の参観日のものだ。
 数字の%は、左から、5=とてもそう思う 4=そう思う 3=どちらともいえない 2=そう思わない 1=まったくそう思わない。
 
1 授業の目標やねらいがわかる授業でしたか?
 39% 42% 18%  1%  0%
2 生徒が十分に理解していると感じられる授業でしたか?
 31% 46% 20%  3%  0%
3 生徒にとってわかりやすい指示や問い、説明がなされている授業でしたか?
 31% 52% 16%  1%  0%
4 生徒は教師の話をよく聞き、授業に集中していましたか?
 35% 48% 15%  2%  0%
5 教師は生徒がわかっているかどうかを確認しながら授業を進めていましたか?
 31% 48% 20%  1%  0%
6 生徒が自分の進度や理解を確かめながら学習に取り組んでいましたか?
 21% 49% 29%  2%  0%
7 教師は生徒の発言をよく聞き、ほめたり、はげましたりしていましたか?
 25% 47% 25%  2%  1%
8 教師のはげましで生徒がやる気になっていると感じられる授業でしたか?
 23% 41% 32%  3%  1%
9 学習意欲を引き出す学習活動の工夫ができている授業でしたか?
 28% 49% 22%  1%  0%
10 生徒は、興味をもち、意欲的に学習に取り組んでいましたか?
 29% 47% 20%  3%  1%

◆「3=どちらともいえない」という選択肢を設けるかどうかについて、アンケートを作成するときにかなり迷ったのだが、結論として、4選択だと、保護者はプラスかマイナスかの判断をせざるをえなくなる……それを避けたいと感じる保護者もいるに違いない(アンケート作成に携わってたPTA役員の意見)ということで設けることにした。
 しかし、わたしたちとしては、この「3」という評価はあきらかにマイナス評価であると受けとめなければならない。
 そのことを踏まえて、アンケート結果全体をみて、わたしは、この数値データから、保護者のみなさまの教師に対する「みなみの先生たち、がんばれよぉ~」という激励的、応援的なあたたかい視線を感じ、この点では涙がでるくらいうれしい。
 しかし、シビアに2点いえば、1つは、選択肢「3」をマイナスにカウントすれば、マイナス評価は決して少ないとはいえない。
 もう1つは、「5=とてもそう思う」が「4=そう思う」を上回る項目がひとつもない。
 ま、このデータを見る限り、われわれの指導技術はまだまだホンモノになっていない……と判断してよいのではないか?

◆ということで、今回の参観日の目標は、1項目でもいいから「5が4を上回る結果」が出る授業をしよう……だ。

 2月末の3月に向けた職員会議・研修部の案件のなかに、
 ★参観日における保護者アンケート数値目標
  その1「授業の目標、ねらいを明確にする」
  その2「指示・発問は全員に、短く限定して述べる」
 にかかわるアンケート項目について、5が4をこえる……。

 また、今週の研修部の目標に、
 ★参観日の授業。指導力向上の5原則№1・№2の評価が5になるように……。

 加えて、わたしからも、「5=とてもそう思う」が「4=そう思う」を上回るようでないとホンモノとはいえない。ホンモノに近づくために、まず、研修部提案のように「授業の目標、ねらいを明確にする」で5をめざしてみよう。
 ただ「目標」を明確にするといっても、1回、黒板に目標を書いて終わり……というのでは意味はないし、そんなことは、はっきりいってどうでもいいことだし、わたしもこれまで問題にしたこともない。
 大切なのは、授業の段落のひとつひとつの目標だし、もっと大切なのは、短いひとつひとつの学習活動の目標(=趣意)だ。
 目標(=趣意)で子どもを育てようと思って授業を設計し、それを実際に展開することだ。

 参観日保護者アンケート、4を上回る5を1個ゲットする作戦。
 職員会議の案件になるわ、今週の目標にもなるわ、職員朝会で校長が「4を上回る5がないとホンモノではない」とまでいうわ、ホンマ、みなみ中のセンセはたいへんやぁぁぁ~。

 現在、回収されたアンケート用紙は、研修部が教師個人ごとに束ねている。
 あす、これをいったん教師個人に返し、再び研修部が回収し、集計作業……となる。
 結果がまとまれば、またここにアップしたい。
 楽しみに待っていていただきたい。

◆この「アンケート結果」とも関連するので、今、来年度ぜひやりたいと考えていることを3点列挙する。
(1)プロ教師としての指導技術の向上(修業)については、一冊、本ができるくらいにやってきたつもりだ。
 しかし、これは「つもり」に過ぎない。
  ①だいたい、その本がまだ発行できていない。来年はぜひ発行したい。
  ②指導技術についても「やっているつもり」の域を出ていない(←わたしがその「つもり」「つもり」人間の代表だ)。
 「つもり」を脱するには、きょうの参観日、今週の教務部の目標「参観日に保護者に、ほぉぉ~、ふぅ~ん」と思わせる授業ができなくてはいけないし、何度もいうが、5が4を上回る項目がいつくもないとダメだ。
 そのためには、自分は、なにがやれて、なにがやれていないのか……、なにが十分でなにが不十分なのか……、この点を明確にして、重点的に研修(修業)できるプログラムを学校全体として組み、実践を積みかさねたい。

(2)第2点は、教育課程編成時から重要な話題として協議してきた「各教科の具体的な達成目標」についてである。
 上記(1)で述べたような指導技術の向上を通して、結果として知識・技能・態度について、ひとりひとりの子どもをどのような状態に至らせるのかという具体的な達成目標の設定だ。
 こういう「目標」が、現在、ないとはいわない。
 しかし、それは、たとえばわたしの国語教師としての経験から「勘」として自分のうちにある「こういうレベルにまで到達させる」という具体的な目標とは大きなズレがある。
 同時に、保護者・生徒が求めている(だろう)それとも大きなズレがある。
 これらのズレを埋めて、「最低限、ここまでは保障しますよ」という各教科の具体的な達成目標を提示すること、これが2つ目の課題だ。

(3)3つ目は、経営の重点(2)「学校・家庭・地域のバランスがとれたトータルシステムの開発」に関わる内容だ。
 これまでも何度も何度も述べてきたことだが、現在の日本は、残念なことに、学校・家庭・地域の教育のバランスが崩れている。いわゆる「学校の教育丸抱え体制」状態だ。
 これが日本の教育危機の元凶といっていい。
 逆にいうと、このバランスさえよくなれば、日本の教育はまだまだ大丈夫だ。(当然のことだが、バランスが悪いままで、どんな施策を打ちだしても、ほとんど効果はない。)
 改善のためのポイントを箇条書き的に3点あげる。
 1つ目は、現在、PTAが主体となり、小・中の強い連携・融合を軸に展開している学社連携・融合(すこやかみなみネット)事業の積極的な推進だ。
 バランスをよくするためには、まず学校・家庭・地域がそれぞれの立場で、自由に参画できるしくみが必要だ。
 すこやかみなみネットの実践の積みかさねが、みなみ校区を基盤として、ここに住む地域の人びと、子どもの保護者、学校の教職員等で、協働して子どもの成長や教育のことを考え、具体的な活動を展開していく仕組みづくりにつながると確信している。

 ちなみに、きょう、八戸市教育委員会・社会教育課が発行する、市内全保護者を対象にした広報誌「かがみ」が届いた。
 記事の見出しが「家庭教育は大人どうしの関係づくりから」で、記事の結びが「親も子も家庭から一歩踏み出しましょう」る
 まったく同感だ。
 次は、その「関係づくり」のための、あるいは「一歩踏み出す」ためのしくみづくりだ。
 社会教育課は、その「しくみづくり」の専門家だ。
 専門家として、八戸市の「しくみ」の現状がどうなっていると認識しているのか?
 どう変わらなければいけないと考えているのか?
 変わるためにはなにをどうすればいいと考えているのか?
 こういうことを広報誌のメイン記事にする必要があると、わたしは考えている。
 期待したい。

 (きょうはあとの2つは項目をあげるだけにとどめる。)
 2つ目は、教職員の学社コーディネート力のアップ(例=学校部活動と地域の社会教育的行事との調整)
 3つ目は、(2つ目に含んでもいいかもしれないが)教育に関していちばん荷を抱え込んでいる学校が、アウトソーシング計画をもたなければ事態は改善しない。この企画・立案・実践力をつけること。

参観日保護者アンケート、4を上回る5を1個ゲットする作戦。職員会議の案件になるわ、今週の目標にもなるわ、職員朝会で校長が「4を上回る5がないとホンモノではない」とまでいうわ、ホンマ、みなみ中のセンセはたいへんやぁぁぁ~。

告白

2008-03-02 16:35:18 | Weblog
◆告白。

 10年前(←ちょうど志塚Tと出会った頃だ)に買った背広を、繕いつつ、繕いつつ、ずっと着続けていたが、襟元、袖口、前裾のほころびが限界を超え、かつ、パートナーから「繕う者の身になれ!」とどやしつけられ、仕方なく、新しい背広を買った。
 ケチなのではなく、(←そういうことではなく)わたしの心の深層に「どうせ死ぬのに、そんなもん、買ってどないスンネン?」という旋律が潜んでいるのだ。(こういう旋律を魂の底で奏でている人間って、教育に携わる資格がアリマヘンネ……)
 この死の旋律を吹き飛ばしてしまう記述にであった。

 アメリカグンカンドリの雄は、のどを膨らませて雌の前に並ぶ。 何時間も並んで雌から選ばれなくても、のどを膨らませて時間を過ごしていることに満足する。
 そこに遊び心がある。
 生きているということを、そうした遊びで表現できないと動物は生きていけない。
 生きることと遊びが一体となっている。(中略)
 人間も遊びがないと生きていけない。
 新聞やテレビ、ラジオからの情報も栄養にしている。
 イチロー選手がヒットを打ったかとか、朝青龍が勝ったかという情報を摂取し、活力を得て明日を迎える。
 スーパーに行って野菜を選ぶ、魚売り場で魚を吟味する。
 こうしたことは、畑で野菜をもいだり、釣りをしたりする菜食行動の代わりとなる。
 人間もそうした遊びによって喜びを得て、生きていくための活力を得ている。(畑正憲)

 小学4年のとき、昼寝から目を覚ましたら、周囲が薄暗い白黒の世界に変わっていた。
 ナンヤネン? これ。
 困った。
 困った。
 子ども心に自分がとんでもないものに直面していることがわかった。
 そのとき「そうや、朝汐の相撲、きょうはどないなんねんやろ?……」と思い立ち、ガラッと気持ちが転換し、「よかった、よかった、助かったぁ~」と思ったことを、よく覚えている。

◆死の旋律とは関係ないけど、もうひとつ、おお!と思った記述。

 四谷大塚で人気講師の一人である蛭田栄治(算数講師)にとって、講師12年目で初の授業撮影。
 綿密な台本を作り、小学5、6年生の基礎コース向けの、水量の変化を表したグラフや濃度に関する問題を淡々と解説した。
 「子どもの反応がわからなくてやりづらかったが、目線を想像するようにしました」

 想像する子どもたちのひとりひとりの目線に自分の目線を止めていたのだ。
 さすがだと思った。

★画像は嘉瀬教頭Tの模擬授業に生徒役として参加する松代T