職員室通信・600字の教育学

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ガラスの破片のように散らばったわたしを必死に結合しようとしているのが、このホームページかもしれない

2008-12-30 13:13:22 | Weblog


◆2006年8月11日(金)に次のようなわたしの記述がある。

〈30歳代半ば、紙の上に小さな町(村)の地図を創り、その「地図」の中から、学校(大館中)に出勤し、夕方、またその「地図」に帰る……という精神上の操作をしていたことがある。
 どの家の柱時計も休んでいて、魂という魂がみんな通りすぎてしまったような、ひっそりとした町だ。
 その「地図」の上にあった、タバコ屋、薬局、柿本屋(旅館)、七福食堂、七福教会、東京庵(料亭)、理髪店、土産物屋の牧野さん、山楽(旅館)、仁王門……などは今でも鮮明に記憶している。
 当時は、自分のことを「僕」と言っていた。
 現実のなかで、ガラスの破片のように散らばった「僕」「僕」「僕」「僕」「僕」「僕」「僕」「僕」……を1つ所に寄せあつめようとしていたのだと思う。〉

◆2年前の自分の記述だが、わたしとしては、たいへんよく書けている(^_-)。
 国語教師で1年6組の学級担任である「僕」
 夫である「僕」
 親である「僕」
 (大阪にいる母に対しては)息子である「僕」
 E……である「僕」
 F……である「僕」
 G……である「僕」

 これらの「僕」を、「現実のなかで、ガラスの破片のように散らばった僕」って、ホンマ、上手に表現したなぁ~と感心する。

 散らばっている「僕」という現実を、ただ、仕方がないのだと受け入れるのではなく、30歳代半ばのわたしは、殊勝にも、必死に、(なんといったらいいのか……)統一? 包括? 結合? 融合?させようとしている。
 その中心のイメージが「地図」だったのだ。(この「地図」は、デジタルデータとして作成したから、今でもどこかにあるはずだ。ただし、5インチフロッピーに^^;。)

◆わたしは、何度も何度も、わたしの存在の仕方=ホームページだ……という言い方をしている。
 これは、上記の記述に絡めると、2つの解釈ができる。
 1つは、存在の仕方=現実のなかで、ガラスの破片のように散らばった「わたし」=ホームページ。
 もう1つは、そうではなく、存在の仕方=散らばった「わたし」を、必死に結合しようとしている=ホームページ。
 後者であるとすれば(自分自身のことなのにこういう言い方をするのは、この点については、まだ詰め切れていないので……)ホームページ=25年前の「地図」といえるのかもしれない。

 近いうちに「地図」データを復元して、このホームページ上にアップしたい。


◆昨日、ひさしぶりにJR八戸線の旅に出る。
 いちばん上の画像は八戸駅を出るキハ(うみねこ号)。
 2番目は、金浜駅に向かって走行するキハ。
 下の2画像は、金浜駅にわたしを降ろしたあと、次の大蛇駅に向かうキハの後ろ姿。気動車の吐く煙をみると、わたしは胸がいっぱいになる。


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