職員室通信・600字の教育学

小高進の職員室通信 ①教育コミュニティ編 ②教師の授業修業編 ③日常行事編 ④主任会トピックス編 ⑤あれこれ特集記事編

古本屋メールマガジン4月号に、草森紳一の蔵書の記事。音更の青い空の下で、草森の細かい書き込みをみたい

2011-04-27 16:31:01 | Weblog


2011
04.27
暑さにダウンしたレオン「もう、わし、アキマヘンわ」




★古本屋メールマガジン4月号で、草森紳一――2008年3月、江東区の自宅マンションの、蔵書(4~5万冊)の山の中で死亡(心不全)――が紹介されている。
 記事の中で、2回、僕の心がドドッと波打った。
 1回目=マンガ本から和とじ本、漢籍、美術書に至るまで、草森紳一の細かい書き込みやチェックが入っていたということ。

 2回目=有志による蔵書整理プロジェクトにより、「崩れた本の山」の新しい住処が、氏の出身地にある、旧東中音更小学校になっていること。
 ああ、音更に行きたいと思った。
 音更の青い空の下で、草森の細かい書き込みをみながら、新しい住処の空気が吸いたい。
 先日、南部縦貫鉄道のことに触れたが、僕が南部縦貫鉄道に駆り立てられる気持ちにどこか似ている。

★昨日、某銭湯に行く。
 風呂の種類が、イオウ薬湯、ラヂウム鉱泉、どろんこ風呂、電気、寝風呂、打たせ湯、かぶり湯、遠赤外線サウナ、水シャワー等と豊富で、特にイオウ薬湯に興味があったからだ。
 昨夜は爆睡。
 そして、本日、やや湯あたり気味。
 イオウ薬湯が効いたのかもしれない?
 イオウ薬湯にはもう一度浸かりたいが……、しかし、もう二度と行かない。
 客のマナーがトンデモナク悪いからだ(ノ△・。)。

★以前、TVドラマ『お買い物』(脚本・前田司郎)に衝撃に近い感動を覚えた。

 福島で暮らすおじいさん(久米明)と、おばあさん(渡辺美佐子)の元に1通のダイレクトメールが届く。
 東京で開かれる高級スチールカメラの見本市を知らせるものだ。
 カメラが趣味だった若かりし頃を思い出したおじいさんは、一念発起して、20年ぶりに東京へ行こうと言いはじめる。
 猛反対だったおばあさんも、おじいさんの強引さに負けて、一緒に上京することに。
 孫(市川実日子)をも巻き込んだ珍道中で、2人のこれまでの人生が、浮き彫りになっていく。
 
 田舎のおじいさんとおばあさんが東京にお買い物に行く、ただそれだけのお話。
 2人にとっては大冒険だが、客観的には、そこにある、ゆったりとした時間と、何でもない日常。
 でも、久米明さんと渡辺美佐子さんのリアルでユーモラスな会話や、市川実日子さんとの素っ気なくも優しいやりとりを見るうちに、今、「ここ」という時空間から、どこか見知らぬ、わけのわからない、時空間に連れていかれる。
 そして、ふと気づくと、めちゃくちゃ、自分が元気になっている。

 けさ、僕のPCを置いている食器戸棚のカウンターの隅に、――ここ、2ヵ月くらいで備忘的に書き足した、僕自身の「お買い物メモ」を見つけた^^;。

・A4用紙2シメ
・画用紙大の簡易な額
・60×30板
・L金具
・ヒマワリのタネ
・小さなウッドデッキ
・カップボード
・プリンターインク
・食卓……。

 ピックアップして、簡単に説明すると(ま、くわしく説明して『僕のお買い物』という作品になればいいのだけれど^^;)――
 「画用紙大の簡易な額」は、パートナーの絵を飾るためのもの。
 「60×30板」&「L金具」は、ソファーの肘掛けに取り付けているPC台を取り換えるためのもの。
 「小さなウッドデッキ」は、そこでコーヒーを飲むというようなものではなく(*^_^*)、庭に洗濯物をほすとき、いったん庭に降りるのがめんどうなので、連続的に物干し竿までいくためのもの。
 「食卓」は、以前の記事でも触れたが、現在、検討中。
 「ヒマワリのタネ」は、猫の額のような庭を、今年の夏はヒマワリでいっぱいに……と考えている。
 「食卓」と同じく、検討中。
 でも、ヒマワリは植える時期があるから、そろそろ決断しなければ……。

★HP改造計画。
 僕のHPトップは、「Diary」部分と「教育情報」(サイド)部分から成っている。
 どちにもパッとしない。
 「Diary」部分については、ガラスの破片のように散らばった僕・僕・僕……の単なる羅列に終わっているし、「教育情報」については、ずっとさぼりっぱなしだ。

 ただ、最近、東日本大震災被災後のJR八戸線・有家駅に訪れ、津波で線路が消えた道床を、一歩、二歩と歩く「僕」に、僕はハッとした。
 ひさしぶりに「僕」に出会ったような気がした。
 この「僕」なら、ガラスの破片のように散らばった僕・僕・僕……を、結合できるかもしれないと考えている。
 被災した有家駅で、僕は、僕・僕・僕……の「超越者」を発見したのだ。

 「教育情報」(サイド)については、HP設計段階(←もうだいぶ前)では、このサイド記事を材料にして『職員室通信』を発行する手はずだった。
 これがまったく計画倒れに終わっている。
 原因として、大きなテーマ、たとえば、「学校・家庭・地域の連携方策」の連続が負担になったのではないかと思っている。

 大きなテーマに加えて、小さな記事、たとえば「短学活のスピーチ指導」とか、「指導者の目線修業」とかを積み重ねて、積み重ねていって、2週間に1回くらい、「大きなテーマ記事」+「小さな記事」+「小さな記事」=『職員室通信』というカタチだと編集が可能になるかもしれない。

















★画像は晩年のレオン。
 東日本大震災で九死に一生を得た犬のニュースを観ていたら、レオンを思い出した。
 夏、庭師が庭木を剪定するあいだ、玄関内に入れたら、暑さにダウンしたレオンが「もう、わし、アキマヘンわ」とパートナーに甘えている画像。


★関連記事
渡辺美佐子のコメント=不思議なドラマ。最初に本をいただいたときは、ゲラゲラ笑いながら読みましたが、こんな何でもないドラマが、今どき、あるわけない! よくこれがドラマになるなぁ~と、びっくりしました


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夕張市長選。大敗の羽柴氏「バカな市民には構っていられない」。ホンマやね。子孫の橋下を頼るのも手やった

2011-04-26 13:19:39 | Weblog

 

2011
04.26
連携をもちかけたときの、橋下氏の顔を見たかったですね(^_-)


★HPならびにブログの更新を怠っていた期間の「つぶやき」(記録に残っている分のみ)をアップする――その②。

★奈良・阿修羅様←〈奈良公園でビールを飲んでいるらしい(σ´┳ ̄)ベェ~〉。 
 ――きょうは、オリックスが西、ライオンズが平野。
 今、はじまったところだが、どちらも調子はよさそう。
 きょう勝てば、ライオンズは勢いがつくと思う。
 ただ、岸も菊池もベンチ入りしていない。
 ちょっと心配だ。
 特に菊池は、開幕から一軍メンバーに入っているが、一度も登板がない。
 僕も渡辺もたぶん考えは同じで、菊池を一軍デビューさせたいと思っているものの、勝っている試合では、やはり実績のない菊池は投げさせられない……負けていても2、3点差なら、逆転勝利も十分考えられるから、やはり使えない……敗戦処理として使いたいのだが、なかなかそのタイミングがやってこない……というところだろう。
 でも、ちょっと気になって今、チェックしたら、ああぁ~、菊池が行方不明!
 そうかぁ~、西口と交換だったのか!
 う~ん(ノ△・。)。

 ――今、阿修羅様が、あちこちにたたずむ鹿たちを視野に入れつつ、ビールを飲んでいる奈良公園の緑は、もうだいぶきれいになっているのではないだろうか?
 3回の表裏を終わって0対0。
 平野はいいみたいだ

 ――6回にバルディリスの本塁打等で4点取られた。
 今のライオンズ打線に4点は大きい。
 きょうは、もうアカンかも(ノ△・。)。

 ――9回表、オカワリ君の本塁打等で追い上げ中、3対5。
 しかも、ノーアウトやでぇ~ィ。



★さくら子様。
 パートナーの絵をほめていただき、40%ほど喜び、60%ほどは――てっきり僕の記事についての、なんか、うれしいコメントかな?と思ったので――ガックシ(ノ△・。)。
 でも、ホンマ、ありがとうございます。
 ライオンの向かって左の目は失敗で、「どうにも修正が効かなかった」……と話しております。
 また、ぜひ、このブログをのぞいていただき、気が向いたときにはコメントもよろしくお願いします。

★eipapa0804様
 twitter上のeipapa0804が、最近、パワーアップし、若返ったようで、eipapaのエネルギーを少しずつもらいながら、僕の日々のエネルギーにしていますよ(*^_^*)。
 それから、eipapaは、これから報知器をつけるということですか?
 実は僕もまだ付けてないんですよ。
 付けるとすれば7箇所です。

 ――ほう、階段の天井にも必要なんですね。
 そうすると、僕の場合、+1(階段天井)で合計8箇所。
 結構な出費でんなぁ~(ノ△・。)。
 今、ケーブルTVでオリックス対西武ライオンズを観戦中でしたが、8、9回追い上げたものの、3対5で、今、わがライオンズの敗戦が決まりました(ノ△・。)。

★Okuritaro 東北物産館様
 「炊飯器に焼さば飯の素を入れて」の文句にひかれて貴社のHPを開いて、これまで僕が貴社と八戸物産とをごちゃ混ぜにしていたことを発見m(_ _)m。
 会社は八太郎にあるのですね。
 なつかしいですね。
 僕には、仕事の関係で八太郎、日計界隈を彷徨していた過去があります。
 貴社の隆盛と、くしゃみ症状の快復を祈ります。

★(だれにともなくtwitter上に)おはようございます。
 昨日は、はっきりいって「選挙疲れ」で丸1日ぼんやり^^;。
 で、昨夕、休肝日+爆睡。
 けさは快調。
 午前5時半から、はなむけ号(折りたたみ自転車)で市街地の、ガランとした直線道路をユルユル10キロ。
 今、マンデリン(中煎)+グアテマラ(中煎)+ニカラグア(浅煎)の濃い目のコーヒータイム……。

★乱様sakuhayaarirang(有乱)。
 乱様の企画が「却下」になった理由を、いつか、機会あるとき、教えてくださいね、よろしく(*^_^*)。
 元々の設計は、教師20人×5回=100回。
 ただし、他の修業機会の重みも考慮し、教育センター来校、参観日もカウント。
 100-40回=60回。
 しかし、僕としては、純粋に100回+参観日等=150回。
 これが実現できていないことが、2つの大きな「悔い」のうちの、ひとつ。
 授業力(当然、片々の指導技術を含む)日本一のみなみ劇場創出のためには、全力であたってください。
 たのんまっせぇぇ~。
 (もうひとつの「悔い」はマル秘)。

★今回、選挙情報でおもしろかったのが、夕張市長選。
 羽柴氏、予想外の大敗に「親分(石原氏)がついているということに、市民がだまされた。でもオレは自分が親分だから」、くわえて(4年後の出馬について)「バカな市民には構っていられない」。
 ホンマやね。
 ホンマにホンマにごくろうさまでした。
 ま、僕としては、子孫の橋下氏と連携するのも手やったんやないかと思っています。
 連携をもちかけたときの、橋下氏の顔を見たかったですね(^_-)。

★画像はキッチンのカウンターをパチリ。


★関連記事
職員会議の後、ドコ模(=「いつでもどこでも模擬授業」の略)を開いた。今回は佐咲紗T(理科)の授業だ
○○県○○町教頭会(小中教頭会13名・○○町教育委員会指導主事1名)の方々が来校。〈視察研修プログラム〉の1つに模擬授業体験。授業者は岬氏
プロ教師修業・模擬授業大会の教師たち

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JR八戸線・有家駅の線路跡(道床)を一歩、二歩と踏みしめながら、被災地の人々の奮闘努力を祈っている

2011-04-26 11:01:48 | Weblog


2011
04.26
もうふざけんじゃねえぞ編――被災地の奮闘努力を祈っている







★ここ、しばらく――数日間ほど、HPの更新を怠っていた。
 精神的に不調だったというわけではない。
 どちらかというと、その逆で――有家駅の線路跡のカタチに手を触れ、一歩、二歩と歩みだす「僕」に、僕はハッとし、ひさしぶりに「ホンマの自分」に出会った気がし、身も心もシャキッとしている。
 にも関わらず……どうしたのだろうか?
 「シャキッ」としすぎたのだろうか?

★HPならびにブログの更新を怠っていた期間の「つぶやき」(記録に残っている分のみ)をアップする。

★天高会長Micco_64様
 自分が「フォローしている」うち、意味のないモノをガンガンと解除しながら、タイムラインをバックしてきて、天高会長Micco_64(元天高会長@受験勉強本格化)はんのツイートに到達。
 「歩行がふらふら」というのは、アカンね。
 なんか心配やね。
 無理せんようにして、奮闘努力を祈る(^_^)v。

★もうふざけんじゃねえぞ編
 東日本大震災被災直後、僕は、僕の13、4歳頃から、僕の精神的時空間の、現実と非現実の境を支えるポイント(=出発点)でありつづけた、鮫、陸中八木、有家、田野畑、宮古、気仙沼、小高、九十九里等の被災により「僕の半分が壊れ」た……と感じた。
 (感覚的思考の途中はハショる。)
 「現実と非現実の境を支えるポイント」の「非現実」から「現実」に突き抜けるしかないと考えた僕は、JR八戸線・有家駅を訪れる。
 そして、有家浜の線路跡(道床)に立ち尽くした僕が、線路「跡」のカタチに手を触れて、その堅固さに、八戸線の執念を感じながら、「ああ、このカタチのうえを、今、僕が歩いてやらなければ……」と一歩、二歩と歩みだす。
 (また途中はハショる。)
 しかし、結論的にいうと、現時点では、「非現実」から「現実」に突き抜けようとしつつも、未だ突き抜け得ず、「非現実」にとどまっている。
 だから、現実的な応援は、国民としての法的義務以上には、何もできないし、何もしていない。
 被災地の人々の奮闘努力を祈っている。

★乱様sakuhayaarirang(有乱)。
 本日、めずらしく少し――いや、もう少しか(*^_^*)――立腹。
 猫の額の庭を(ま、財力からして、こんなもんや……と、あきらめながら)眺めていたら、生け垣の向こうに、大型灯油タンク車が止まる。
 ? 頼んでないけど……と、いぶかしく眺めていたら、ズルルルルッとホースが伸びて、隣の給油。
 いきなり、僕のカラダが表に飛び出していき「隣の給油に、なんでここに止めんねん。ちょっと考えんかい!」って。
 きっと、わし、隣の豪邸に嫉妬したんやと思いますわ(ノ△・。)。

 5月3日~5日予定の七戸・南部縦貫鉄道「レールバスとあそぼう2011」は中止になったんですね。
 「今年も……」とHPをチェックして中止情報を確認しました。
 新幹線不通のため関東方面のスタッフが活動できなかったようです。
 あのイベントは、僕の、魂のひとつの光景だっただけに残念。

 僕も、基本的には乱氏と同じ感じ方(=「人が見棄てた空間に身を置く」)をしているのだと思いますが、「ああ、南部縦貫鉄道」の場合は、ちょっと違っていて、自分の人生の傍らで、ずっと疾駆しつづけていたレールバスに、一度も乗車することがなかったという悔い。
 くわえて、乱氏と出会う1年前に廃線という巡り合わせの悪さ。(乱氏ともう少し早く出会っていれば、南部縦貫鉄道に乗っていたと思います。)

 この「悔い」+「不運さ」が、僕を「レールバスとあそぼう」に駆り立てているのだと思います。
 佐川君と再会した、七戸の廃線跡で、「悔い」と「不運さ」を噛みしめる……んですよ_^*)。

 それから、そちらの海抜(2.8メートル)の件、了解?
 僕には、中学時代、生野運河(平野川)の氾濫で、真っ暗闇の水上生活を強いられた……という原体験があり、それが「自分が身を置くのは海抜20メートル以上」というラインを設定させているのだと思います。
 ただ、そこ、「海抜条件」以外では、ショップ、鉄道、海、すごく便利&快適な土地やね(^_-)


★関連記事
南部縦貫鉄道・レールバス。魂の内側を孤独の底に向かって疾駆する。RICOH・CX3で魂のカケラを撮る
南部縦貫鉄道・レールバスとあそぼう2010。今年は、行こうかやめようかちょっと迷った。が、どうしても、RICOH・CX3で――今、自分を、グングン変えてくれている、いや、本来の自分にもどしてくれているRICOH・CX3で、撮影しておきたかった
自分自身が愛着のあるものに関して、廃線・廃止情報が入ると、かならず乗車するという方針だが、果たせなかったのが、この南部縦貫鉄道と、大阪青森間の白鳥号だ。ああ、南部縦貫鉄道、ホンマに悲しい
ああ、南部縦貫鉄道! 突き上げてくる振動に打たれながら、(わたしは、よく「魂の内側に沿って垂直に下る」という言い方をするが)「ああ、このレールバスは、今、垂直に遡上しようとしているのだ」と思ったら、こみあげるものがあった。悲しすぎるものがあった 

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凡庸なスタッフが作成した資料は、ゴミ出し可。まったく問題ない。しかし、気鋭のスタッフの資料は危ない

2011-04-22 07:43:23 | Weblog


2011
04.22
乱氏よ、三田村Tよ、全処分を諒とせられよ


★東日本大震災で僕の書棚の一架が倒壊し、このスペース分の本の行き場がなくなり、DAKA古書店全体から、倒壊した書架と同じ分量の本を処分する……という話をしたことがある。

 いつ頃だったか?
 自分の一太郎文章に向かって「倒壊」という語で検索をかける。
 と、4/12(火)に「処分」の話が登場し、処分候補のひとつに、40代後半の「教育資料」を選んでいる。
 10センチ幅のファイル5冊。

 ここ、しばらく、時間をみては、その資料を、マル秘、準マル秘、ゴミ出し可の3つに分類し、マル秘はシュレッダーにかけ、ま、準マル秘も用心に越したことはないから、やはりシュレッダーにかけ……という作業をつづけ、さっき全部終了した。
 10日近くかかったことになる。
 やれやれ……というところだ。

 行き場がなくなった本があるから、その分のスペースを空けるために、倒壊した書架と同じ分量の本や資料を処分する……というのが目的なのだが、シュレッダーにかけつづけていると、この目的を忘れて、シュレッダーにかけるのが目的であるかのような錯覚に陥ってしまう。

★先々、大きな時間を見いだし、過去の自分の教育行為を生かす仕事をするのだという計画があるから、結構、きわどい(持っていないほうが安全というような)資料とか、ま、取るに足らない資料(例=「花見の案内」)とかを、後生大事に保存している。
 したがって、マル秘、準マル秘、ゴミ出し可の3つの分類に神経を使う。
 ド~ンと全部シュレッダーにかければいいのだろうけど、業務用のシュレッダーではない。
 家庭用の小さなシュレッダー(アイリスオーヤマP5HMI)だから、できるだけシュレッダー分は減らし、ゴミ出し分を増やしたい。

 「できるだけシュレッダー分は減らし、ゴミ出し分を増やしたい」という視点で資料を分類していて、2つの発見があった。

 ひとつは、保護者参観日等に作成する「学年保護者集会用資料」だ。
 これは公開資料だし、当時、僕自身も含め何人かで中味をチェックしているのだから、当然、ゴミ出し可だと思ったのだが、今、チェックしてみると、そうではない。
 凡庸なスタッフが作成した資料は、ゴミ出し可。
 まったく問題ない。
 しかし、気鋭のスタッフの資料は危ない。
 彼らは、保護者に対して、ギリギリのデータを提示する傾向があるからだ。
 その時点では、僕とスタッフの間の、およびスタッフと保護者の間の信頼関係があるから、ギリギリの危険度がカバーされている。
 仮に何か問題があった場合でも、僕やスタッフの責任で説明すれば、OKだ。
 しかし、時が経ち、責任を取る者がだれもいなくなって、資料が一人歩きすると危険だ……というレベルの、実に微妙な問題をはらんでいる。

 もうひとつは、研究授業などの「学習指導案」だ。
 これも、完全公開資料だし、自分も含め何人かで中味を厳重にチェックしているのだから、当然、ゴミ出し可だと思ったのだが、よくよく中味をチェックしてみると、そうではない。
 凡庸な授業者が作成した指導案は、ゴミ出し可。
 まったく問題ない。
 しかし、気鋭の授業者が作成した指導案はは危ない場合がある。
 参観者に対して、ギリギリのデータを提示している。
 特に「生徒について」や「指導過程」の欄だ。
 この生徒を、この過程で、このように変容させたい……というシグナルが潜んでいて、「生徒」の特定が可能になる。
 こんなゴミをだれも見ないよ……と思うが、これまでの経験から、世の中、ホンマ、何が起こるかわからない。
 危機管理の観点からは、これも、シュレッダー処理だ。
 「学年保護者集会用資料」は「責任を取る者がだれもいなくなる」と危険だといったが、気鋭の授業者の学習指導案は、永遠に危険だ。

 でも、もう全部、終わった。
 ああ、シンドかった(ノ△・。)。
 乱氏や三田村Tの力作資料は、ずっと保存したかったし、シュレッダー口の直前で何度か手が止まりかかったが、しかし、保存したところで、僕にそれを生かす力は既にない。
 全処分を諒とせられよ。

★「職員会議資料」は、もちろん、すべてシュレッダー処分した。
 ときどき手に取り、読み返し、つくづく、「職員会議資料」というのは、学校の力の有る無し、特に校長の力の有る無しがよくわかるもんだなぁ~と、猛省するというか、もう、はずかしく、はずかしく……絶句や(ノ△・。)。










★画像は昨夕の食事^^;。
 僕がこれを全部食べるわけではない。
 焼き鳥は1本、あとはパートナーが食べた。
 タマゴ料理は1/4ほど。
 昨日は週に2日の休肝日だったが、アサリのみそ汁を飲むと、アルコールのことはすっかり忘れてしまう。


★関連記事
マル秘、準マル秘、ゴミ出し可の分類作業の過程で、僕の痛覚に触れる過去資料が出てきた。悲しいようなうれしいような、ツンとくる一種名状しがたい不思議な感覚が噴出した
昨年9月の残がい・屑モノ大処分(ゴミ収集日に出す=95%、シュレッダー処理=4%、保存=1%以下)では、わたしの大学時代の『教育実習日誌』が見つかっている


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岬氏からもらった珈琲カップと、パートナーがバザールで見つけた珈琲カップを飾るのに適したカップボード

2011-04-21 09:30:21 | Weblog


2011
04.21
1軒目の家具屋と2軒目の家具屋で目の力をつける


★パートナーが「長い時間、デスクに向かっても背中も腰も痛くならない椅子が欲しい」というので、同行する。
 実は、僕自身も、ちょっとチェックしたいモノがあったのだ。
 ひとつは、食卓。
 もうひとつは、カップボード。

★「食卓」をチェックしようと思ったのは、朝のTVドラマ「てっぱん」に登場する田中荘の食卓の――人生の時空間の悲喜交々をたっぷりと吸い込んだような手触り(もちろん、触れることはできないから、想像)、重量感、色……などに刺激を受けたからだ。
 いつも述べるように、僕は、デスクが必要な仕事をしていないという理由で、学生時代から今日まで、自分のデスクを持っていない。
 今も食器戸棚のカウンターでPCのキーボードに向かっている。
 食卓でカタカタやることも、結構、多い。
 だから、一杯(発泡酒&ビール&ウィスキー)やるときも、食事のときも、PCに向かうときも、田中荘にあるような食卓だと、フラつく精神を落ち着かせることができるかもしれないと思ったのだ。



★家具に対する「目の力」をつけるために、まず初めに、値が張るモノが多い家具店に、つづいて、値が張らないモノが多い家具店に行く。
 ああ、これはいいなぁ~と思ったら、食卓だけで30万、40万だ(ノ△・。)。
 逆に、この値段だったら買えるかも……というモノは、明らかに安っぽい、もしくは、よく見えても、よくよく見ると、現在、家にあるモノのほうがいい……。
 たしかに「目の力」はついた。
 が、結論としては「買えない」もしくは「買う必要はない」。

★次にカップボード。
 通常は、キッチンのカップ戸棚に、他の食器といっしょにガチャガチャと詰め込まれている。
 しかし、以前、大東亜戦争敗戦記念の日(8/15)に岬氏からもらったコーヒーカップと、先日、紹介した(以下、ちょっと長い文になりまっせ^^;)――最初に勤めた学校から、歓迎された「転勤」――すなわち、悲しんでいるのは僕ひとりという悲惨な(ま、もちろん、ぜんぶ、僕が悪いのだが……)その後の僕の人生を象徴するような転勤時に、同僚たちからはなむけに贈られたコーヒーカップ(5客)――以来、僕は、この「はなむけカップ」で、あるときは酒、あるときは芋焼酎、あるときはウィスキー、あるときはビール、あるときは発泡酒を飲み、くわえて、校区にあったシマダピーナッツ工場のピーナッツをつまみ、TV・橋蔵平次を観るという人生を送りつづけ、遂に、その「こだわりカップ」も残り1客、それも飲み口が欠けている、ヒビも見える状態になっていたのだが、な、な、なんと、先日、パートナーがどこかのバザールで、同じカップ(5客)を見つけた、そのカップを、手元に飾りたいと思ったのだ。
 いろいろなカップボードを見た。
 ただ、岬氏からもらったコーヒーカップ(2客)と、パートナーがバザールで見つけたコーヒーカップ(5客のうち2客)――どちらも自己の同一性を確認するカップ――を飾るのに適したモノは、なかなか見つからなかった。
 話を、トットットッと飛ばして、結論。
 2軒目の家具屋――すなわち、値が張らないモノが多い家具店の隅っこで、「あっ、これだ」というモノを発見。
 799円の木製2段のCD入れ。
 ちなみに、パートナーの椅子は、1軒目に戻り、5980円でゲット。

★30万円の食卓(椅子は別)は、検討課題とする、まじめに(^_-)。

 画像は、上から、新カップボードに収まった岬氏のカップ、パートナーのカップ、てっぱん田中荘の食卓




★関連記事
8/15は、岬氏から贈られたコーヒーカップで、鮫の珈琲の香で浅煎りしてもらったマンデリンを飲もう。
パートナーからのメール画像のコーヒーカップは、白いクッション材で包まれ、紙箱に収まっている。どこかのバザールで、同じカップを見つけたのか? 目を疑った。奇跡だ


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ビールは発泡酒に変わり、住まいも、周囲の人間も変わり、大川橋蔵も亡くなり……と生々流転?しましたけど

2011-04-19 10:29:14 | Weblog


2011
04.19
東日本大震災被災後の有家駅で小春のパパと正対する僕を発見


★小春のパパのBBS新コメントを、また見逃してしまいましたねm(_ _)m。
 「見逃しミス」を防ぐ方法は、あるにはある――投稿があればメールで知らせる機能なのですが、この方法は、なんだか仕掛けにウナギがかかったらカンカンと知らせる……に似ていて(*^_^*)、いちばんの楽しみが半減するようで、採用していませんm(_ _)m。

★「じりじり……」ですかぁ~。
 読んでいると、僕のほうまで「じりじり……」としてきますね。
 ホンマです。
 しかし、小春のパパのいう「じりじり」に正対できる「自分」を見い出すのは、今の僕にはちょっとシンドイ(ノ△・。)。
 人生、変装に変装を重ねてきていますから。
 あるいは、人生、調整に調整をくりかえしてきていますから。
 「変装」「調整」は、「ごまかし」と同義。
 その変装を解き、調整を解除し、ホンマの自分(←ま、これも幻想に過ぎないかもしれませんけど……)を見つけ出して、小春のパパの「じりじり」に正対したいものですね(^_-)。

★でも、そういう僕の願望に、ちょっと近づける出来事がありました。
 これはブログにも書いていますが、先日、東日本大震災被災後、僕が気にしていたJR八戸線の有家駅を訪ねたときのことです。
 有家浜沿いに、陸中中野駅に向かっていく線路は、津波に押し流され、跡形をとどめていません。
 その線路跡(道床)に立ち尽くした僕が、線路「跡」のカタチに手を触れて、その堅固さに、八戸線の執念を感じながら、「ああ、このカタチのうえを、今、僕が歩いてやらなければ……」と一歩、二歩と歩き出しました。
 その「跡のカタチに手を触れ、一歩、二歩と歩」く「僕」に、僕はハッとしました。
 ひさしぶりに、「ホンマの自分」、――ひょっとしたら、小春のパパの「じりじり」に正対できるかもしれない「自分」――を発見したような気持ちになりました。

★小春のパパが、「野球」を選択するという決断をして、なにものかに憑かれたように練習に打ち込んでいた3年間(その様子は、僕の家を訪ねてくる小春のパパの友人たちからよく聞かされました)と、ほぼ同じ期間、僕は、小田八幡宮境内の、木々が生い茂った崖の下の借家――郵便屋さんから「お宮の隣のオダカさん」と呼ばれていた家で、シマダのピーナッツをつまみながら、ビールを飲み、大川橋蔵の銭形平次を観ていました。

 僕は、あの頃の僕が、僕だと思っています(ノ△・。)。
 小春のパパの友人たちの話(パパ情報)からグランドで土まみれ、汗まみれになる小春のパパのイメージを(勝手に)創出し、そのイメージと、たぶん、「正対」していたのだと思います。
 僕は、あの頃の小春のパパが好きだし、同時に、自分が好きです。

 ビールは発泡酒に変わり、住まいも変わり、TVも変わり、周囲の人間も変わり、大川橋蔵も亡くなり……と「生々流転」しましたけど、シマダのピーナッツだけは変わらず、まだ僕の傍らにあります(^_^)v。

 ――中途ですけど、中途のまま終わります。
 画像は、なんとなく、窓辺の光景。パートナーの作品群。


★関連記事
銭形平次の世界。おなじみの神田明神下界隈、江戸っ子長屋、茶店。お弓がいる。万七がいる。清吉がいる。
「ああ、わたしは、この時空間に存在している……」と感じた『銭形平次』。1日も早く、持続感覚と存在感覚を創出し、銭形平次888回と競争したい
戻りたい場所。だれもいなくなった根岸の校庭。同じく根岸時代の小田八幡宮境内のわたし住居(ここで「銭形平次」と、その作者・野村胡堂に出会う。)


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「有家浜の線路跡に手を触れる」「道床を一歩、二歩と踏みしめる」という箇所で「あっ、僕がいる」と感じた

2011-04-18 14:54:07 | Weblog


2011
04.18
「有家浜の線路跡に手を触れる」という箇所で「あっ、僕がいる」と感じた


★僕のホームページを開いた瞬間、トップ上部にある画像内で、上下にバウンドする「枠」がある。
 その「枠内」に、昨夜、眠る前に次のように書き込んだ。

 「★有家浜の線路跡に手を触れると、意外と堅固だ。
 JR八戸線の執念、あるいは意地を感じる。
 このカタチ(=線路跡)のうえを、今、僕が歩いてやらなければ……と思い、道床を一歩、二歩と踏みしめた。」

 自分で書いておいて自分でいうのも変だが、読み返しながら、「あっ、僕がいる」と感じた。
 同時に、僕は、今年、「茫漠の時空間」を疾駆する、疾駆する……といいながら、疾駆の主体である「僕」を見失っていたことに気づいた。

 もうひとつ同時に――
 ずっと以前に、僕は、「オマエは、今のオマエの姿で、その人の前に立てるか?」という「その人」を「4人」設定している……というようなことを書いたことがある。(関連記事参照)
 その「4人」の顔が浮かんだ。
 しっかりしなければ……と思っている。
 (なお、「その人」は、記事以後に1人増え、現在は5人だ。)
















★画像は、散歩道のゴールである、こころはろばろ神社の森の風景


★関連記事
同空間軸上に存在する4人を、海図あるいは北斗七星にして、大海原を、艱難辛苦、疾駆していくわたし
「4人」の話は、シンドイので、これで、いったん休むことにする。……いや、もう話すことはないだろう。 

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ケーベル先生が明治の東京を歩きながらドイツの森を歩こうとしたように、僕も18歳以前の檻の中を歩こうと

2011-04-17 13:50:15 | Weblog


2011
04.17
ま、僕は、永遠の、孤独の旅人ということやね(^_^)v





★午前6時、散歩。

 コースは、最近「はま」っている――「はまる」=現代用語の基礎知識[若者ことば](1)のめり込んで抜け出せない。夢中になる(という意味だと、今の僕の使用法は少しズレている)――いつものアップダウンコース、
 起点(海抜25メートル)
 →水道公園・配水池(73)
 →旧浄水場公園(42)
 →こころはろばろ神社境内(68)
 →神社の森の下道(48)
 (帰路)→旧浄水場公園→水道公園→起点。
 約60分、6000歩。

★これまでに僕が破棄した散歩コース

 散歩コースは、この2年間に10コースほど「創出^^;」した。
 しかし、そのほとんどを破棄してしまった。
 コースの途中に気に入らないモノ――というか、僕を鬱屈させ、萎えさせ、僕にわすがばかりある色彩を一瞬のうちに石化させるモノ――があったからだ。
 その主なモノを列挙する。

 ・住んでいる人には叱られるかもしれないが(許してください)、安普請、低料金、統一規格の、よくTVのCM等で「全物件、仲介手数料不要」「礼金ゼロ、家具家電あり」等とやっている、アパート。
 隣室の生々しい生活音がまとわりついてくるようで、胸が苦しい。
 (ま、そう僕が思っているだけで、実際には至極、快適なのかもしれない。
 勝手なことをいって、スンマヘン、スンマヘンm(_ _m)。

 ・単管足場パイプを使った柵、手すり。
 この土地の人は、どこにでも足場パイプを使う傾向にある。
 由緒ある神社の参道の手すりに足場パイプ。
 校門のソバのテニスコートの柵に足場パイプ。
 中心街の駅前駐車場の柵に足場パイプ。
 僕には信じられないし、とても耐えられない。

 ・気に入らないヤツの家。
 ま、僕の場合、僕を気に入らないと思っているヤツが圧倒的に多くて、僕が気に入らないと思っているヤツは極々わずかなのだけれど、やはり僕にも「こいつは許せない」と思っているヤツはいる。もちろん、向こうだって僕に近くをウロウロされたくないだろうけど。

 ・いかにも「共稼ぎです。日中は家を留守にしております」という感じの新築が連なる一帯。
 とにかくさびしい気分に陥る。完全に僕の問題だ。
 (ホンマ、勝手なことをいって、スンマヘンm(_ _m)。

 ……というふうに破棄して破棄して、最後に残ったのは、きょうのコースと、城址コースと、中心街コースの3つだけだ。












★ケーベル先生の散歩道

 散歩というと、漱石の小品「ケーベル先生」に登場する、ケーベル博士の次の記述を思い出す。

 散歩は非常に好きである。
 が、風があったり、埃がたったりしてはならない。
 また、人間の同伴もあってはいけない。
 最良の伴侶は一冊の書物と一匹の犬である。
 ここ日本では私は散歩ということを全く断念しなければならなかった。
 道らしい道がなく、静けさもなく、また休息場もない。
 本当に散歩に適するのは、ただドイツの田舎道とドイツの森だけである。『ケーベル博士随筆集』(久保編訳・岩波文庫)

★文化の檻

 「人は20歳までになじんだ『文化の檻』から脱出することはできない」と、よくいう。
 「20歳」については、18歳説もあるし、25歳説もある。
 ま、体験的には18歳かな?と感じている。
 ケーベル先生が、明治の東京を歩きながら、ドイツの森を歩こうとしているように、僕も18歳以前に棲息していた檻の中を歩こうとしているのだろう。
 生野区の、生野区生野本通り商店街、生野銀座通り商店街、生野運河(平野川)沿いの道……。
 中央区から天王寺区にかけての、空堀商店街、天王寺七坂……。
 単管足場パイプには耐えられないが、ゴミゴミした雰囲気、商店街のさまざまな匂いが混じり合った複雑な匂い、人々のざわめき(大阪弁)、自動車の騒音は、いっこうに平気なのだ。

 他の檻を攻撃するのはまちがっていると思う。
 檻から檻を自由に行き来するというのが理想だ。
 ま、旅人というヤツやね。
 しかし、単管足場パイプだけは、絶対に耐えられない(ノ△・。)。

 ま、僕は、永遠の、孤独の旅人ということやね(^_^)v。


★関連記事
以前、ふたりのあいだでマンデリンのことが話題――小春のパパの昔の彼女がマンデリンが好きだったという話
無意識裡に照合した他の思考=エリクソンの自己同一性・ヤスパースの超越者・西田幾多郎の純粋経験
けさ、はじめは、中心街のビルとビルの間の、四角く縁取られた、明けかけの空を撮影しに行くつもりだったが、あまりに天気がいいので、予定を変更し、根城城址に向かう


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星野監督就任に伴う楽天球団との決別。ホンマに決別できるか、シーズン前、心配だったのですがOK、OK

2011-04-16 16:16:48 | Weblog

 

2011
04.16
ライオンズ戦が観られると思うと、うれしくて、ついつい飲み過ぎて












★カブレラ、おまえ、何スンネン(ノ△・。)


 阿修羅様 昨夜は僕もBS放送でライオンズ戦を観ました。
 TVのきれいな画像でライオンズ戦が観られると思うと、うれしくて、ついつい飲み過ぎ(ウイスキー)。
 途中で遂に沈没。
 記憶が、長田が出たり引っ込んだり、岡本が出たり引っ込んだり、途切れ途切れ……。
 ハッと目が覚めたららららら、負けていました。
 カブレラの一発だったんですね(ノ△・。)。

 試合の前日、先発が牧田だと聞いて、他にもいるのにどうしてかな?と疑問でしたが、サブマリン右腕の勇姿をみて納得。
 ロッテの俊介似。
 今シーズン、期待できるのではないか!

 きょうは、こちら(観られないそちらには悪いが)ケーブルTVで観られる。
 先発石井。
 相手は摂津。
 ちょっと心配。
 ま、勝ち負けより、中継ぎで菊池が出てくるといいなぁと期待している。
 途中経過を送るかもしれない(*^_^*)。

★HPのマイナーチェンジ――テーマは画像の拡大

 乱様 こちらHP&ブログのマイナーチェンジが終わりました。
 チェンジのテーマは「640×480の画像がそのままアップできるように……」です。
 HPの横幅が少し広くなりました。
 拡幅工事は2回目ですから、ずっと以前の元のHPは、この3分の2。
 ブログも、横幅フリーの、みなみ時代に使っていたものを復活。

 現在、HPもブログも、東日本大震災被災後の有家駅&陸中八木駅特集です。
 ぜひ見てください(*^_^*)。
 JR東日本の情報によると、八戸線の「なしくずし廃線」はなさそうです。
 これを信じるにしても、復旧には時間がかかりますね。
 現地でチェックしたら、現在、宿戸・陸中八木間でちょっとした工事(ホンマ、整理整頓程度)が始まっています。

 楽天球団――一応、近鉄の子孫だし、野村が好きなので、ライオンズ、ロッテの次にチョコチョコ応援していました。
 が、今年、大嫌いな星野が来たので、未練なく、決別。
 あんなに応援していたのに、ホンマに決別できるか、シーズンが始まるまで心配だったのですが、OKです。
 今年はライオンズ1本で過ごすつもりです。
 乱様のロッテの奮闘を祈っております。

★画像は若葉雨に濡れる、庭の桃の新芽。


★関連記事
俊介、大好きだ。地上3センチのリリース。90キロのカーブ。120キロのストレート。まるでわが人生
千葉ロッテ、CSパ制覇、おめでとう!(^^)!谷底から怒濤のようにはい上がったロッテへのエールを
こうして大好きなライオンズと、ちょっと好きな楽天のデーゲームを画面直下でブツブツつぶやきながら(「おおッ!おおッ!」と大きい声も出すことも*^_^*)観ていると、しあわせではあるが
ライオンズの「綱渡り継投・命がけ策戦」の観戦が、やみつきになってしまったのか、昨日も、ライオンズの試合を放映する放送局をさがしているうちに、またまた新しい放送局を発見。BS11デジタル
これまで、わたしは、「ホームページのカタチが自分の存在のカタチです」と、いいつづけてきました。あるいは、わたしの「快適な生活の条件」の中の、もっとも重要な条件として「自分の存在のカタチとの同一性を追究するホームページ」の存在を掲げてきました。このホームページは、わたしが、この地上から消滅するまでつづきます。これまで同様、応援、よろしくお願いします!(^^)!


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東日本大震災被災後の陸中八木駅往訪。僕の内の現実と非現実の境を支えるポイントが崩壊

2011-04-15 09:59:43 | Weblog


2011
04.15
JR八戸線・陸中八木駅。非現実から現実への道が閉ざされている




★本日のテーマ(東日本大震災被災後の陸中八木駅)との関連で、昨日の記述を一部コピーすると――
 有家駅=魂の内側に向かって、もっとも強烈な初速度を与えてくれる無人駅。
 陸中八木駅=魂の内側から外側への出口。「催眠術」になぞらえるなら、有家駅が「催眠術をかける」駅、陸中八木駅は「解く」役目の駅。(昨日の記述からの引用、以上)

 さらに、本日の話の展開に関連して少しだけ補足解説すると――
 有家駅で与えられた「初速度」の勢いにのって、有家浜から坂道を、魂の内側へとグングンのぼっていくと、国道45号線に出る。
 これを北上する。
 2キロほどで小子内に入る小道(元の本道)に到る。
 この小道に入り、小子内を経由して、陸中八木駅に到着。
 陸中八木駅から、上り八戸行の気動車に乗車する……。
 この行程を、僕はここ10年のあいだに何度もくりかえした。くりかえしているうちに、僕の内に、有家駅=「催眠術をかける」、陸中八木駅=「催眠術を解く」という感性的認識パターン(←あとでもっと適切なことばをみつけたいm(_ _)m)が形成されたようだ。

 以前、東日本大震災被災時に、「僕の精神的時空間の、現実と非現実の境を支えるポイント(=出発点)でありつづけた、鮫、陸中八木、有家、田野畑、宮古、気仙沼、小高、九十九里等の被災により……」という言い方をしたことがある。
 有家駅も、陸中八木駅も同じく「現実と非現実の境を支えるポイント(=出発点)」であることに変わりはない。
 ただ、感性的認識パターン上^^;では、有家が「現実から非現実へ」、陸中八木が反対に「非現実から現実へ」という方向性をもっている、といえるかもしれない^^;。






















★東日本大震災被災後の陸中八木駅。
 一時、ネット上に「駅舎流失」という情報が流れていたが、新駅舎(2008/3完成)は流失を免れていた。
 向かって左側の資材管理&WC棟は津波が突き抜けたようで、窓枠、扉が失われている。
 反対側の待合室は元のカタチをとどめている。
 旧駅舎だったら、危なかったかもしれない。
 しかし、周辺の施設、フェンスは、すべてなぎ倒され、崩壊した。
 海の青色を背景に白く美しい駅名標(ひとつの世界の果て、現実と非現実の境にある陸中八木駅の、いわば辺涯美の象徴)も、ひとつは中味を打ち抜かれ、ひとつは線路上に落下。
 昨年の夏に訪れたとき、ピッカピッカにヒマワリ色だった保線車両は無惨に横転。
 宿戸、陸中八木間の2つの鉄橋も大きく損壊した。

 有家駅では線路が消えた道床(←八戸線の執念がこもっている)を一歩二歩と歩く僕を見出すことができたが、ここでは立ち尽くしてしまった。
 たぶん僕が「非現実から現実への道」が閉ざされてしまったと感じているからだろう。
 人の気配に振り返る。
 駅前広場の桜の木の下に制服姿の女子高生がひとり駅を眺めていた。


★関連記事
小子内浜の盆踊りの日、1920年の柳田国男の行程を一部追体験しようと、JR八戸線久慈行で有家駅下車。徒歩で北上し小子内到着。盆踊りまで時間があるので近くの陸中八木駅で過ごした
盆踊りの輪には太鼓を含め約40人、輪の外に見物人が20人ほど。テープではないホンモノの歌い手の声にあわせ――わたし流にいえば、黙々と、憑依の域に突入して踊りつづける
一瞬、フラれたのかと思ったが、少し時間がズレただけだった。時間つぶしに陸中八木駅をさまよう
JR八戸線の宿戸駅・陸中八木駅間のキハ48の列車音です。ご用とお急ぎでない方は、ぜひ、お聞きください
バンバン!!郷愁・陸中八木駅編


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東日本大震災被災後、僕が気にしていたJR八戸線の有家駅と陸中八木駅は、僕にとって特別な無人駅だ

2011-04-14 10:50:58 | Weblog


2011
04.14
JR八戸線・有家駅の線路跡のカタチのうえを一歩、二歩


★気動車が無人駅に着く。
 僕の場合、電車は想定していない。
 無人駅といえば気動車だ。
 プラットホームに降り立ち、遠ざかっていく気動車を見送る。
 このとき――
 「遠ざかる気動車の速度」=「僕が、僕のうちに向かって駆けだしていく速度」。
 無人駅は、僕に、魂の内側への初速度を与えてくれる、ま、いってみればパワースポットだ。

★東日本大震災被災後、僕が気にしていたJR八戸線の有家駅と陸中八木駅は、僕にとって特別な無人駅だ。
 どう特別なのかを語りだせば長くなる。
 きょうは「魂の内側への初速度」に限定して、ひと言だけ述べる。
 有家駅=僕にとって、もっとも強烈な初速度を与えてくれる無人駅。
 陸中八木駅=魂の内側から外側への出口。「催眠術を解く」というが、有家駅が「催眠術をかける」駅で、陸中八木駅は「解く」役目の駅。




















★東日本大震災被災後、一刻も早く訪れなければ……と思っていた。
 しかし、スケジュールの関係で、なかなか実現しなかった。
 一度は、計画の前日に再び被災(余震)するという不運もあった。

 昨日、往訪。

 駅舎は無事だった。
 しかし、窓も扉もない。
 屋根の破風はボコボコだ。
 プラットホームは踏切側(陸中中野方向)も反対側(陸中八木駅方向)も大きく損壊。

 有家浜沿いの、陸中中野駅に向かっていく線路――僕の魂の内側では、2000年末、大阪・河堀口駅を発した、闇から闇を疾駆する深夜特急が、有家駅を出て、人生の夜の終わりを告げる朝の光を目指し、暗い海を抱く弓なりの海岸線に消えていく軌道)は、津波に押し流され、跡形をとどめていない。
 踏切内のレールは踏切ガードで強固に保護されている。
 しかし、踏切を出たところで45度の角度で内陸側に曲がっている。
 浜辺の漁師小屋も完全に消滅。

 秘境駅情報で「駅前に人家3軒/国道45号からは遠い/太平洋をダイナミックに眺望/締め切り可の綺麗な待合室/潮騒の音が静かに鳴り響く」と紹介されていた「人家3軒」は全壊。

 山の稜線のカタチだけが変わっていない。

★線路跡に立ち尽くした。
 線路「跡」のカタチに手を触れると、意外と堅固だ。
 八戸線の、あるいは深夜特急の執念だろう。
 「このカタチのうえを、今、僕が歩いてやらなければ……」と思い、一歩、二歩と歩いた。


★関連記事
JR八戸線・有家駅 空間軸上の茫漠&時間軸上の茫漠


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マル秘、準マル秘、ゴミ出し可の分類作業の過程で、僕の痛覚に触れる過去資料が出てきた。ツンとくるよ

2011-04-13 07:56:38 | Weblog


2011
04.13
今思えば、以後の珍奇な人間関係のはじまりだった


★既に何度か記述したように、東日本大震災で僕の書棚の一架が倒壊した。
 幅60センチ、高さ240センチ。
 このスペース分の本の行き場がなくなり、あちこちに野積みならぬ、居間積み、廊下積みになっている。
 震災後、近所のホームセンターに、乾電池、家具転倒防止金具、卓上コンロ用カセットガス(いずれも品切れ)を買いにいったとき、僕の目が、ついつい、新品の木の香りがする書架代用のボックスを探そうとしていることに気づく。
 その「僕」を、僕の全身で打ち消した。
 「金輪際、もう書架は増やさない」
 逆に、本のほうを処分しようと思った。
 DAKA古書店全体から、慎重に、だれにも気づかれないように、静かに、少しずつ、仕分け出して、倒壊した書架と同じ分量の本を処分するのだ。

★「仕分け」の過程で、40代後半の「教育資料」を処分候補のひとつに選んだ。
 10センチ幅のぶ厚いファイル5冊。
 こういうモノを後生大事に保存していたのは、過去の自分の教育行為を生かす仕事がしたいと思っていたからだ。
 しかし、現在、その方向の見通しがたっていない。
 今後も期待できない。
 書架倒壊がきっかけとなった、ひとつの決断といっていい。
 ただ、「教育資料」の場合、本と違って処分がめんどうだ。
 マル秘、準マル秘、ゴミ出し可の3つに分類しなければならない。
 マル秘はシュレッダーにかける。
 準マル秘も用心に越したことはないから、やはりシュレッダーにかける。
 シュレッダーのバリバリ音は実に快感である――しかし、これはきょうの本筋からはずれるので別な日に書くことにする^^;。



★本筋。
 マル秘、準マル秘、ゴミ出し可の分類作業の過程で、僕の痛覚に触れる過去資料が出てきた。
 悲しいようなうれしいような、ツンとくる一種名状しがたい不思議な感覚が噴出した。
 新任校での所信表明原稿だ。
 教員の異動辞令は、特別な場合をのぞき、直前に出る。
 だから、旧任校から新任校に物理的に身体を移動させるだけで、もう精一杯だ。
 前任者が編成した教育課程を踏襲せざるをえない。
 でも、自分の「魂」もしくは「魂の在処」だけは、なんとか伝えたい。
 そんな所信表明だ。
 原稿は「おはようございます。着任が遅れましたことをお詫びいたします」で始まっていた。

★そして、なんと、いきなり人生を「悔い」ている。
 「わたしの歴任校については次の通りです。A校(3年)、B校(3年)、C校(4年)、D校(4年)、E校(9年)、F校(3年)……。
 今思えば、A校~D校については、ま、プラスもあるけれども、マイナスも多い期間でした。
 プロ野球のピッチャーでいうと、3勝10敗。
 チームに貢献していない。
 足引っ張り。
 しかし、当の本人はまったく気づいていない。
 ⑤でやっと勝ち負け同じくらいに。
 ①~④の期間が長すぎる。
 もっと早く目が覚めていれば……わたしの人生もかなり違ったものになったのでは……と悔いています」と……(ノ△・。)。

 今思えば、余計なことをいっている……(ノ△・。)。



★所信表明の「本論」だ。
 さあ~ッと目を通して――。
 「あれれ、なんや、これ、ほとんど、今の僕やんか」
 すなわち、成長がない。
 進歩がない。
 頑迷。
 ま、つまるところ、僕は僕でしかないということなのだろう。

 冒頭、「学年・学級経営に依拠(依存)した学校経営を廃す」。
 これは、ま、暗に「好き勝手はアキマヘンよ。ガンガン介入しまっせ」といっているのと同じことなのだが、ホンネのところは、「学年・学級ごとにてんでんバラバラ、デコボコになるのは、自分がきちんと学校経営ができていないからだ」という自身の戒めだ。
 だから、これも、今思えば、いわなくてもいいことだろう(ノ△・。)。


 その次は朱書になっている。
 プロ教師修業。
 「公文式の塾のCM――将棋盤なしで将棋を指している。
 プロだから当然なのだろう。
 でも、素人にはとてもマネできない。
 では、われわれ学校教師にとって、素人がマネできないプロの技術とはなにか?
 プロとして誇れるものはなにか?」
 こののち、プロ記述の具体例と修業過程を述べている。
 省略する。

 もう一箇所、朱書きがあった。
 「肥大化した学校をスリム化する(学社連携)」という項目の末尾だ。
 「メニューの少ない、選択幅の極々小さい学校部活動に、全員を強制的に詰め込む。
 これはまちがっているのではないか?
 もっと豊かな生き方をさせたい。
 地域社会のボランティア活動、子ども会活動、あるいは家の手伝い、自主研究、あるいは稽古塾、学習塾……。
 部活動はこれらのひとつに過ぎない。」
 こののち、部活動改革の具体例と改革過程を延々と述べている。
 省略する。

★この所信表明の会場で、僕は、現在、このブログにたびたび登場する乱氏に出会う。
 また、教え子、三田村Tに再会する。

 今思えば、以後の珍奇な人間関係のはじまりだった(ノ△・。)。


★関連記事
庭にキジバトが来る。たぶん、意識して「小学校」だけ残したのだろう。今のわたしを、キュンとさせるために
地図の中は、めずらしく大雪だ。ソリ(プラスチック製。赤色)に、千早と光太郎を乗せて、散歩する。
購読を取りやめた朝日新聞にライターで火をつけ、棒で突っつくと、土色に白く輝く残がいに、炎が走る
この「3人」の前でも、自分が酔えるか? 酔える「強さ」がないといけないのではないか……と
カオスを眺めていると、このまま、その時代の空気の層をたっぷりと含んだまま、そっとしておきたいような

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頭の隅に、1時間目~6時間目まで「自己紹介」の文字が並んでいる『学級日誌』のイメージを刻んでくれれば

2011-04-11 13:33:14 | Weblog

 

2011
04.11
毎年、毎年、もううんざり(ノ△・。)


★前回の記述で、僕のeduブログ(明治図書提供)がめずらしく賑わっているという話をした。
 全国の教師が「授業開き」という語でインターネットで検索をかける。
 すると、僕の記事がヒットしてしまうからだ。
 きょうは遂にeduブログランキング16位に。
 「式辞」へのヒットでランキングインすることはたびたびあった
 しかし、「式辞」以外ではめったにない。
 自分でも「授業開き」でいたずらしてみると、何と1件目で登場する。
 前回は2件目だった。
 「式辞」の沸騰にグングンと近づいている。

★教師は「授業開き」のノウハウを求めて検索をかけるのだろう。
 すると、1件目に僕の「授業開きに自己紹介厳禁-600字の教育学」が登場する。
 きっと期待してページを開くのではないだろうか?
 しかし、僕の記事にノウハウは書いていない。
 文題の通り「自己紹介はやめろ」といっているだけだ。
 教師自身の自己紹介はやめる。
 もちろん、子どもにも自己紹介なんかやらせない。
 こんなことを6時間もやったら、即、学級は崩壊する。
 子どもたちがかわいそうだ。
 残念だが、僕の勤めた学校には、ホンマに6時間やりつづけた、悲惨な学校があった。
 学級担任だった頃、帰りの会で「1時間目はなにをしましたか?」とたずねると「自己紹介をしました」と返ってきた。
 「2時間目は?」「自己紹介!」
 「3時間目は?」「自己紹介!」
 学級日誌には、1時間目~6時間目まで「自己紹介」の文字が並んでいた。
 女子生徒のひとりが「毎年、毎年、もううんざり」といっていた。

 プロ教師はこんな実習生がやるようなことをやって学校を壊してはいけない。
 チャイムと同時に即、授業に突入する。
 教科のプロとして一発目の授業から「教科の魂」を子どもたちにぶっつけるのだ。
 子どもたちが「こんなに頭とからだを使った50分間はない」と感じる学級開き・授業開きをやるのだ。
 ま、そのためには、(たとえば数学だと)「数学っておもしろいィィ~」と子どもが思う瞬間を、50分間に最低3回、仕込んでおかなければならない……というようなことが書いてあるだけだ。

 「な~んだ」
 と、次のページをクリックし直すことだろう。
 でも、それでいい。
 頭の隅に、1時間目~6時間目まで「自己紹介」の文字が並んでいる凄絶な『学級日誌』のイメージを刻んでくれれば……。


★関連記事
(4)3日会わざれば刮目して見るべし~ピグマリオン効果 生徒の「よく変わりたい」という変身願望に対して感性を磨く~(5)生徒の呼び方は「○○さん」。自分の呼び方は「わたし」で。(6)省略語は極力使用しない。(教科担、学担、養教、市教委)

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授業開きは「教科の魂」を子どもたちにぶっつける。「数学っておもしろいィ~」と思う瞬間が3回ほしい

2011-04-10 04:30:10 | Weblog

 

2011
04.07
授業開きは「教科の魂」を子どもたちにぶっつける


★先月(3月)、僕のeduブログ(明治図書提供)が「卒業式・式辞」で沸騰している……という話をしたことがある。
 この「沸騰」騒ぎも、残念ながら、卒業式シーズン終了とともに(ま、毎度のことだけれど)収まった。
 その後は、ぺんぺん草が生える、閑寂状態に陥っていた。
ところが、昨日、めずらしく賑わっている。
 どうしたのだろう?
 今度は「入学式・式辞」か?
 と、ログイン→アクセス詳細→リンク元URL――(何という検索語で、どの検索エンジンから至ったかがわかる。eduブログのアクセスチェックは簡易システムなので、この程度しかわからない――で調べると、僕の予想「入学式・式辞」ははずれ、正解は「授業開き」だった。
 にわかには信じがたく、念のために「授業開き」で検索すると、うれしいことに、yahooでも、Googleでも、5000000件中2位で僕のブログがヒットする(……と、ひとりで喜んでいる。)

 せっかくだ。
 ひとりで喜んでいるのもさびしいので、ヒット記事を再アップする。

★04/05の日程は、午前中、職員会議、校内研修、午後、学年部会。
 職員会議は、各校務分掌(総務・教務・研修・生徒指導・保健)の活動計画、各領域部会(道徳・特別活動等……)の指導計画の発表。
 
 僕の発表内容は、「学校20XXマニフェスト」他、次の4点。

(1)学校20XXの服務規定。
 「服務規定」は、各校務分掌から出される諸規定を含めて、危機管理をシステム化したものだ。
 最近、ここで、いつも述べている「〈危機管理90%・教育哲学10%〉の世界から〈危機管理40%・教育哲学60%〉の世界に脱出できるかどうかは、「服務規定」の質にかかっている。
 だから、「校長の承認」「校長への報告」から、「会計管理」「職務に応じた視点で行う毎日の校舎内外の巡回の仕方」まで、「そこまでいうか」と思われるくらい、具体的な、コマゴマとした話。
 詳細は、いずれ、「学校20XXマニフェスト」も含めて、「新・職員室通信」に。

 なにが「新」か?
 これまで、わたしの念頭には「まず、職員室通信……」という気持ちがあった。
 しかし、今年度は「ミネルバのフクロウは夕暮れ時に飛びたつ=夕方になると、きょう1日の失敗を反省し、わたしたちは少し賢くなっている。その知恵を、フクロウに集めさせる」式に発行しようと思っている^^;)。
 だから、発想が、これまでとまったく異なる。

(2)学社連携に関する教職員の基礎。
 「来校者への対応」「名刺の用意」「おじぎの角度」等々、これも「そこまでいうか」と思われるくらい、具体的な、コマゴマとした話。
 同じく詳細は「新・職員室通信」に(*^_^*)。

(3)黄金の3日間を支える思想。
 学校の最初の3日間のことを「黄金の3日間」という。
 この3日間が1年間を左右する。
 学校20XXの「授業力向上の5原則」と(これに対応させた、子どもたち自らの努力の観点)「学力向上の5原則」は、学年経営、学級経営、教科経営、生徒会委員会活動、部活動など、すべての教育活動に通用する技術、方法、そして「思想」であると思う。
 「黄金の3日間」を迎えるにあたり、再度、見直して、新しい生徒に臨もう。

(4)授業開きにはプロ教師として教科の魂を。
 学級担任だった頃、帰りの会で「1時間目はなにをしましたか?」とたずねると「自己紹介をしました」と返ってきた。
 「2時間目は?」「自己紹介!」
 「3時間目は?」「自己紹介!」
 学級日誌には、1時間目~6時間目まで「自己紹介」の文字が並んでいた。……
 これでは子どもたちの意欲はそがれてしまう。
 最初から学級がボロボロになってしまう。
 学級開きにしても、教科開きにしても、50分という教育活動には、指導者が1分1秒を強く意識しつつ、適度なテンポと、リズムと、読む・書く・聞く・話すのバランスとを創出する、ギリギリの努力が必要だ。

 本校に以前「卒業生を送る会」という行事があった。
 ずっと不評だった。
 それで、ある年の教育課程編成会議では、来年度から取りやめということになった。
 しかし、最後となる3月の「送る会」は、意外なことに、皮肉なことに、たいへん好評だった。
 僕も感動した。
 これだとやめることはないのにと思った。
 僕たちが、不評の原因を克服し、50分以内という時間を強く意識し、内容を吟味し、テンポとリズムに配慮したからだと思う。
 子どもたちが「こんなに頭とからだを使った50分間はない」と感じる学級開き・授業開きを。
 特に「授業開き」については、「教科の魂」を子どもたちにぶっつけてほしい。
 通常だと、(たとえば数学だと)「数学っておもしろいィィ~」と子どもが思う瞬間を1、2度設定すればいいが、授業開きでは3回ほしい。
 教科担任の奮闘努力を祈る。
 僕の心配が杞憂にすぎないことを願う。

 自己紹介、厳禁。(再アップ記事以上)

★画像=開かれた孤独空間に新照明!(*^_^*)。
 リビングダイニングキッチン(LDK)で、キッチンは造り付けカップボード&カウンターで仕切られている。
 元々はキッチンエリア、ダイニングエリア、リビングエリア、それぞれに照明があったのだが、リビングエリアの照明が、ずっと以前に故障した。
 僕は暗がりが好きだから、故障のままでいいと思っていた。
 しかし、パートナーが猛反対。
 負けて、画像のような照明をセット。
 ま、デザインが部屋の色調にマッチしているのかもしれない(^_-)。




★選挙管理委員会から投票所入場券が届いた。
 「ここからゆっくりとはがしてください。〈1〉」を開けて、一瞬――いや、僕の内の混乱は、「一瞬」よりもう少し長い時間だった――あれれッ?
 市議選投票日(24日)用はあるが、県議選投票日(10日)用がないぃぃィ~。
 ああ、そうか、ここは被災地だから、特例で市議選投票日と県議選投票日が共に24日になるのか?
 しかし、そんな話は聞いていないし……と困惑。
 よく見ると、よくよく見ると(画像参照)、入場券の項目内容を示す「投票日時」の文字に重なって――ドンピシャ、まともに重なって――「4月10日」と印刷されている。

★やることが、あまりにもなさけない。

 担当部局は、たぶん「東日本大震災で津波被害を受け、県議選や市議選の準備を中断して、職員総出で避難所運営などにあたらざるをえなかった」とか「先月22日に県議選を予定通りに行うことが決まり、大至急、大あわてで準備を再開した」とかいいわけをするかもしれないが――「なさけなさ」が2倍になるので、ま、その弁解はないと思うが――僕がいつも接している中学生でも、こんなことはやらない。
 トップ(責任者)が「諒」としたから発送され、僕のところに届いたのだろう。
 トップの判断力といい、作業過程のチェック体制といい……これくらいデタラメな話はない。

 以前、正月に(たしか1/1~4)断水したことがある。
 給水所から高齢の女性が小さなバケツ――大きいモノは持てない――を提げて寒空をトボトボと歩いている、その後ろ姿を見ながら、市の対応はこれでいいのか? 市長は何をしているのか?と、ホンマ、「疎開」したくなったことがある。

 今回の「投票所入場券のデタラメ発送」は、このとき以上になさけない、こういう人たちでは市はやっていけない……。
 増鏡の老婆ではないが「この八戸市の衰ふるはじめはこれよりなるべし」の声が聞こえる。



★ここ、10数年、酷使した愛機・送信機の話。
 ある日、突然、パワーが出なくなった。
 通常の3分の1程度。
 あちこち、いじくってみたが、僕の腕ではどうにもならない。
 で、修理に出した。
 「どのくらいかかりますか?(期間と値段)」
 「2週間くらいで」
 「もし修理に何万円もかかるようだったら連絡、頼みます」
 「了解です」
 しかし、1ヵ月近くたっても、ウンともスンともいって来ない。
 依頼したのが東日本大震災の前だった。
 だから、移送中のトラックの中で被災したのか? あるいは、依頼先(東京都目黒区)の作業台で被災したのか?……と心配したのだ。

 それが、昨日、ピッカピッカになって戻ってきた(^_^)v。

 〈修理報告書(保証書)〉
・RFユニット及びIFユニット送信ライン再調整
・ローカルユニット基準発信調整用トリマ交換・
・基準発信再調整
・送受信点検調整
 〈交換部品〉
・トリマコンデンサー(部品単価200円)
 ――正常な使用で、修理後3ヵ月以内の同一箇所の故障については、再度の修理代を控除いたします。当社製品をご愛用いただき誠にありがとうございます。この修理は○○が担当させていただきました。

 さっそくアンテナ&アースを接続し、テスト送信すると、弱々しかったパワー計の針が、力強く、基準点を超えようとする勢いで振れた。
 7メガでCQを出していた横浜の局、つづいて小樽の局と(テスト)交信する。
 絶好調!
 ○○さん、ありがとう!

★僕には「快適な生活の条件」という規準がある^^;。
 ときどき条件の中味は「更新」しているのだが、その「条件」のひとつに「アマチュア無線」があったはずだ……送信機がピッカピッカになって戻ってきたのを機会にチェックしてみたい……と、「快適な生活」という語で、僕のブログ内に向かって検索をかけた。
 1年半くらい前の「条件」がピックアップされてきた。

〈2009年12月17日(木)版〉

(1)古書店DAKAの静謐なスペース
(2)コンパクトな音響システム(インターネットラジオとPCスピーカー)
(3)自分の存在のカタチとの同一性を追究するHP
(4)大阪の路地のお好み焼き屋との同一性に迫る鉄板
(5)ストレスのない散歩道(これまでの「居心地のよい書店&喫茶店」「西に向かってたたずめる公園」「開かれた孤独が味わえる商店街」「哲学ができる運河」「便利な市場」等はすべて、この項目に含まれる。)
(6)無人駅の旅
(7)アマチュア無線(7メガ帯と144メガ帯)――(2009年12月版、以上)

★「アマチュア無線(7メガ帯と144メガ帯)」という内容自体は、これからも変わりはないが、僕とアマチュア無線との関係は少し見直してみたいと思っている。
 ひとつ見直すと、他の項目にも影響する。
 どれかひとつのネジを締めたら、他も締め直さなければいけないのと同じ。


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開かれた孤独空間に新照明! 僕は故障のままでいいと思っていたが、パートナーが猛反対、新照明をセット

2011-04-07 11:42:59 | Weblog

 

2011
04.07
授業開きに自己紹介厳禁。教科担任の奮闘努力を祈る


★先月(3月)、僕のeduブログ(明治図書提供)が「卒業式・式辞」で沸騰している……という話をしたことがある。
 この「沸騰」騒ぎも、残念ながら、卒業式シーズン終了とともに(ま、毎度のことだけれど)収まり、現在は、ぺんぺん草が生える、閑寂状態に陥っていた。
ところが、昨日、めずらしく賑わっている。
 どうしたのだろう?
 今度は「入学式・式辞」か?
 と、ログイン→アクセス詳細→リンク元URL――(何という検索語で、どの検索エンジンから至ったかがわかる。eduブログのアクセスチェックは簡易システムなので、この程度しかわからない――で調べると、僕の予想「入学式・式辞」は、大きくはずれ、正解は「授業開き」だった。
 にわかには信じがたく、念のために「授業開き」で検索すると、うれしいことに、yahooでも、Googleでも、5000000件中2位で僕のブログがヒットする(……と、ひとりで喜んでいる。)

 せっかくだから、ヒット記事を再アップする。

★04/05の日程は、午前中、職員会議、校内研修、午後、学年部会。
 職員会議は、各校務分掌(総務・教務・研修・生徒指導・保健)の活動計画、各領域部会(道徳・特別活動等……)の指導計画の発表。
 
 僕の発表内容は、「学校20XXマニフェスト」他、次の4点。

(1)学校20XXの服務規定。
 「服務規定」は、各校務分掌から出される諸規定を含めて、危機管理をシステム化したものだ。
 最近、ここで、いつも述べている「〈危機管理90%・教育哲学10%〉の世界から〈危機管理40%・教育哲学60%〉の世界に脱出できるかどうかは、「服務規定」の質にかかっている。
 だから、「校長の承認」「校長への報告」から、「会計管理」「職務に応じた視点で行う毎日の校舎内外の巡回の仕方」まで、「そこまでいうか」と思われるくらい、具体的な、コマゴマとした話。
 詳細は、いずれ、「学校20XXマニフェスト」も含めて、「新・職員室通信」に。

 なにが「新」か?
 これまで、わたしの念頭には「まず、職員室通信……」という気持ちがあった。
 しかし、今年度は「ミネルバのフクロウは夕暮れ時に飛びたつ=夕方になると、きょう1日の失敗を反省し、わたしたちは少し賢くなっている。その知恵を、フクロウに集めさせる」式に発行しようと思っている^^;)。
 だから、発想が、これまでとまったく異なる。

(2)学社連携に関する教職員の基礎。
 「来校者への対応」「名刺の用意」「おじぎの角度」等々、これも「そこまでいうか」と思われるくらい、具体的な、コマゴマとした話。
 同じく詳細は「新・職員室通信」に(*^_^*)。

(3)黄金の3日間を支える思想。
 学校の最初の3日間のことを「黄金の3日間」という。
 この3日間が1年間を左右する。
 学校20XXの「授業力向上の5原則」と(これに対応させた、子どもたち自らの努力の観点)「学力向上の5原則」は、学年経営、学級経営、教科経営、生徒会委員会活動、部活動など、すべての教育活動に通用する技術、方法、そして「思想」であると思う。
 「黄金の3日間」を迎えるにあたり、再度、見直して、新しい生徒に臨もう。

(4)授業開きにはプロ教師として教科の魂を。
 学級担任だった頃、帰りの会で「1時間目はなにをしましたか?」とたずねると「自己紹介をしました」と返ってきた。
 「2時間目は?」「自己紹介!」
 「3時間目は?」「自己紹介!」
 学級日誌には、1時間目~6時間目まで「自己紹介」の文字が並んでいた。……
 これでは子どもたちの意欲はそがれてしまう。
 最初から学級がボロボロになってしまう。
 学級開きにしても、教科開きにしても、50分という教育活動には、指導者が1分1秒を強く意識しつつ、適度なテンポと、リズムと、読む・書く・聞く・話すのバランスとを創出する、ギリギリの努力が必要だ。

 本校に以前「卒業生を送る会」という行事があった。
 ずっと不評だった。
 それで、ある年の教育課程編成会議では、来年度から取りやめということになった。
 しかし、最後となる3月の「送る会」は、意外なことに、皮肉なことに、たいへん好評だった。
 僕も感動した。
 これだとやめることはないのにと思った。
 僕たちが、不評の原因を克服し、50分以内という時間を強く意識し、内容を吟味し、テンポとリズムに配慮したからだと思う。
 子どもたちが「こんなに頭とからだを使った50分間はない」と感じる学級開き・授業開きを。
 特に「授業開き」については、「教科の魂」を子どもたちにぶっつけてほしい。
 通常だと、(たとえば数学だと)「数学っておもしろいィィ~」と子どもが思う瞬間を1、2度設定すればいいが、授業開きでは3回ほしい。
 教科担任の奮闘努力を祈る。
 僕の心配が杞憂にすぎないことを願う。

 自己紹介、厳禁。(再アップ記事以上)

★画像=開かれた孤独空間に新照明!(*^_^*)。
 リビングダイニングキッチン(LDK)で、キッチンは造り付けカップボード&カウンターで仕切られている。
 元々はキッチンエリア、ダイニングエリア、リビングエリア、それぞれに照明があったのだが、リビングエリアの照明が、ずっと以前に故障。
 僕は暗がりが好きだから、故障のままでいいと思っていたが、パートナーが猛反対。
 負けて、画像のような照明をセット。
 ま、デザインが部屋の色調にマッチしているのかもしれない(^_-)。


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「入学期」「新入生」という概念と存在を生かす学校経営・2学年経営・3学年経営を

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