職員室通信・600字の教育学

小高進の職員室通信 ①教育コミュニティ編 ②教師の授業修業編 ③日常行事編 ④主任会トピックス編 ⑤あれこれ特集記事編

衆議院選メモ。中山太郎、目を潤ませながら「議席を失っても、悲願の憲法改正に向けて国民運動を続ける」

2009-08-31 15:35:49 | Weblog


◆はなむけ号(折りたたみ自転車)も6年目に入り、このところ、ブレーキワイヤーの断線、ギアチェンジの不調、ギアチェンジワイヤーの断線とトラブルつづきだ。
 近くの川口自転車で、ブレーキワイヤーの修理(1500円)。
 同じく近くの田中林業で、ギアワイヤーの修理、ギアの調整(2500円)。
 あと、2、3年は、がんばってほしい。
 田中林業の主人は「まだまだだいじょうぶです」と言ってくれている。
 はなむけ号で大阪の街を走りたい。

◆衆議院選メモ。
 自民党は、結党以来、初めて第2党に転落。
 歴史的な大敗(当選者数119)。

 ただし、わたしが、いつも提示する「妄想」と照らし合わせると……。
 〈妄想〉
 第1段階 衆院選 自民VS.民主。自民大敗。
 第2段階 自公連立解消。
 第3段階 安倍晋三復活。
 第4段階 安倍自民と民主右派(民主右派に期待するのはアンポンタンという声もあるが……)連立政権。もちろん、自動的に民主が分裂し、いわゆる政界再編。

 わたしの「妄想」のなかの「大敗」は、「2ケタ後半の、第2党」……を想定していたから、負け方としては、やや中途半端だ。

 しかし、「公明党、小選挙区、全滅」は想定外。
 自民党の負け方が中途半端なだけに、「妄想・第2段階」に至れるかどうか、あるいは、ひょっとすると融合が進行してしまうのではないかと、心配していたが、これで、まちがいなく、公明党のほうから、自民党との関係を見直す声が、怒濤のようにあがるだろう。

 自公連立によって、自民が、たとえば10000票程度上積みできたとしても、最近は、自民を支えるコアの部分から、黙って15000票程度逃げ出している。
 この気持ちは、スゴクわかる。
 第2党でいい。
 もう1度、党の存在理由を根底から問い直し、支持基盤の再構築をはかってほしい。

 蛇足になるが、民主以外からの入閣があるとすれば、辻元氏、亀井静香氏、あるいは、あるいは、田中康夫氏等の入閣が楽しみだ。(^O^)
 心に残った落選の一コマ。
(1)海部元首相が政界からの引退を表明。泣く妻の手を握り「泣くな」。
(2)中山太郎(大阪18区)氏。目を潤ませながら「議席を失っても、悲願の憲法改正に向けて国民運動を続ける」
(3)笹川堯自民党総務会長。本部に詰めているとき、自身の落選の一報が入る。即「もう政治家ではない。ほかにもやることがあるから」と本部から退場。(衆議院選メモ 以上) 

★わたしの公式ホームページにも、ぜひ、来てください。公式ホームページには、トータルの、全身の、わたしが存在します。
 待ってまっせぇ~ィ !!!!!!!!!! →
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起きだし、自分のサイト(600字の教育学)を開き、夢枕に出てきた「職員室通信」をさがしはじめる

2009-08-30 10:41:46 | Weblog

★根城城址公園(根城の広場)内から見た、東門。このお城が築かれた頃、楠木正成は千早城で大活躍していた。


◆夢枕に、過去の「職員室通信」が登場する。

 その「職員室通信」の話の前に、まず、「夢枕」について。
 夢枕というと、なんといっても、わたしの場合は「太平記」だ。

 笠置山で戦闘中の後醍醐天皇の夢枕に、菩薩の使いの童子二人が現れ、「大樹の南の陰に天子の座がある」と教えて消え去っていった。
 翌朝、後醍醐天皇はまわりの者に「この夢、解けるか」と問い、自ら「木の南! 文字に書けば『楠』と読める!」と夢解きをする。
 天皇は万里小路藤房に勅使として楠木正成を直々に呼び出しに行くよう命じる。

 この「夢枕」の話に出会ったのは、わたしが小6の時だった。
 同じ年に、浅沼稲次郎暗殺事件を巡る、当時の学級担任の先生(社会党支持)との大激論。
 この大激論と、夢枕の話が、その後のわたしの歴史観&政治観を決定づける。


★朝露に濡れる雲の巣(根城城址公園内・中館東側堀跡付近)


◆お酒に酔うと、小6に戻ってしまうようだ。

 お酒に酔う度合いを、仮に
(1)爽快期
(2)ほろ酔い期
(3)酩酊初期
(4)酩酊期
(5)泥酔期
(6)昏睡期
 とした場合、(4)酩酊期に至ると、「♪青葉茂れる桜井の 里のわたりの夕まぐれ 木の下蔭に駒とめて 世の行く末をつくづくと 忍ぶ鎧の袖の上に 散るは涙かはた露か」と歌いながら、歌詞を乱氏の掲示板に打ち込みはじめる。

 2番「正成涙を打ち払い 我子正行呼び寄せて 父は兵庫に赴かん 彼方(かなた)の浦にて討ち死にせん いましはここ迄来れども とくとく帰れ故郷へ」で涙ぐみはじめる。

 3番「父上いかにのたもうも 見捨てまつりてわれ一人 いかで帰らん帰られん……」で号泣。
 涙で乱氏の掲示板が見えなくなる。

(5)泥酔期に入ると、夢枕の次の段階、大激論に突入していくのだが、省略。

◆夢の舞台は、みなみ中の図書室。
 みなみ小とみなみ中の合同PTA総務委員会が開かれている。
 発言している、みなみ小PTAの役員たちの声が、やけに頭に響く。
 誰かが、(おそらく、これも、みなみ小の役員が)、少し強い反論をして、論争がはじまった。
 額に、汗の玉がふき出る。
 耳元で、ボソボソとしゃべっているヤツがいる。
 「予想以上の逆風だ……」
 「ここは、ひとまず、撤退だ……」
 もしかしたら自分の声かもしれない。
 消沈する自分の目の前に、何か、ペラペラ、ペラペラと音を立てる紙のようなものがある……。

 ここで目がさめる。
 雨音が聞こえていた。
 あの、ペラペラと音を立てる紙は、「職員室通信」だったのではないだろうか?……と、枕元の時計をみると、午前1時半だ。

 しばらく、そのまま、ベットの中にいたが、「職員室通信」が気になってしかたがない。

 起きだし、自分のサイト(600字の教育学)を開き、夢枕に出てきた「職員室通信」をさがしはじめる。

 わたしの夢枕に、菩薩の使いが持ってきた「職員室通信」は、これにまちがいない。

   ★菩薩の使いが夢枕にもってきた「職員室通信」

 午前2時。
 雨は、やや強くなった。


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現在、わたしの周辺では、この椅子が、いちばん宇宙に近い

2009-08-26 16:38:40 | Weblog

☆根城城趾に咲く花


◆早朝の中心街歩きが、好きだ。
 人通りはない。
 車も少ない。
 ときどき、新聞配達のバイクが1台、配送のトラックが1台、2台、路線のいちばんバスが1台……といった感じだ。
 ビルと、ビルの間から、四角く縁取られた、明けかけの空が見える。
 男桐下駄の、カランコロンが、ビルの壁に反響する……。

 と、昨夕、キーボードを打っていて、ふと、書棚をみたら、〈ランティエ叢書〉串田孫一『山歩きの愉しみ』が目に止まり、昨日のブログ記事、「高等遊民(隠居的生活者)」の話になってしまったのだ(*^_^*)。

◆けさ、はじめは、その、中心街のビルとビルの間の、四角く縁取られた、明けかけの空を撮影しに行くつもりだったが、あまりに天気がいいので、予定を変更し、根城城址に向かう。

 部屋から、中心街までは東に向かって700メートル、根城城址までは西に1キロ。

★旧八戸城東門(根城城址公園の入口)をくぐり、男桐下駄、カランコロン、カランコロンと、10数歩ほど進んで、撮影。
 いつもいうことだが、この西の方角が、朝、昼、夕刻を問わず、わたしの精神を刺激する。

 「今」、あるいは「これまで」を、ぜんぶ棄てて、新たに出発したいという気持ちになる。(「気持ち」になるだけで、どこにも飛び出せないのだけれども……(~o~)。)




★さらに、西に向かって進むと、傾斜が急な空掘(中館東側堀跡)がある。
 空堀の上が、中館跡。

 画像は、中館跡にたつ、萱葺きの四阿(内部は休憩所)。


★白い柵の中が、根城本丸。
 画像では見えないが、芝生の広場(中館跡)と本丸の間は、根城城址公園でいちばん深い堀。

 画像の中心に写っている、木製の椅子が、根城城址公園で、わたしが、いちばん気に入っている椅子だ。

 現在、わたしの周辺では、この椅子が、いちばん宇宙に近い。





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昼過ぎ、書棚を眺めていたら、〈ランティエ叢書〉串田孫一『山歩きの愉しみ』が目に止まる

2009-08-25 15:56:29 | Weblog


◆昼過ぎ、書棚を眺めていたら、〈ランティエ叢書〉串田孫一『山歩きの愉しみ』が目に止まる。

 「歩き」(=散歩)ながら、どう記述するか?ということを考えていたからだと思う。

 『山歩きの愉しみ』は、わたしが鮫中から是川中に転勤が決まったとき、送別会で、プレゼントとして贈られた、数冊の書物の中の1冊だ。
 たぶん、小野崎Tか、故森岩Tが選んでくれたのだろう。

 帯には、次のように書かれている。(画像参照)

〈宇宙と語り
 森の精に出会う
 癒しの山案内

 快・楽・的・生活のすすめ
 ランティエ叢書・創刊 角川春樹事務所〉

 帯の後ろ側には「ランティエ叢書 発刊の辞」が印刷されている。

〈ランティエとは、十九世紀末パリの都市文化が産み落とした高等遊民(隠居的生活者)の総称である。若い時は仕事に身を砕き、中年以降は世俗を離れ、旅、登山、釣り、自動車レース、グルメ、オペラ観劇など、それまで貴族が独占していた愉しみを、庶民の生活に持込み定着させた。ランティエは西洋だけの独創ではない。わが国に目を転じれば、文人墨客の伝統がある。西行、兼好、利休、西鶴、芭蕉と、見渡せば西洋に先んじ多くのランティエを輩出してきた。生きるに値する人生とは何か?「ランティエ叢書」は豊かさと幸福の発見、消費文化に消費されない心の拠(よりどころ)として、日本の風土、伝統、美意識を伝承する永遠の図書館たらんことを願っている。    一九九七年七月 角川春樹 〉

◆わたしが、1998年3月にプレゼントされた『山歩きの愉しみ』の後付の案内をみると、ランティエ叢書は、3冊創刊発売中とある。

 今、どれくらい手に入るのか、ネットでチェックしたみたら、29冊。

1. ハンサム・ウーマンに乾杯 森 瑶子 著
2. 世界で一番美しい病気 中島 らも 著
3. いのちの時 柳澤 桂子 著
4. 江分利満氏の酒食生活 山口 瞳 著
5. ギャンブル放浪記 阿佐田 哲也 著
6. たかが猫、されどネコ 群 ようこ 著
7. 骨董鑑定眼 青山 二郎 著
8. 鬼平・梅安食物帳 池波 正太郎 著
9. イギリス人の食卓 林 望 著
10. 魯山人の食卓 北大路 魯山人 著
11. 美しくなるにつれて若くなる 白洲 正子 著
12. 自家菜園の愉しみ 榊 莫山 著
13. 風太郎の死ぬ話 山田 風太郎 著
14. 東西味くらべ 谷崎 潤一郎 著
15. 女をめぐる断想 吉行 淳之介 著
16. アジア無銭旅行 金子 光晴 著
17. スコッチと銭湯 田村 隆一 著
18. イタリアの夢魔 澁澤 龍彦 著
19. 散歩者の夢想 埴谷 雄高 著
20. 食道楽の献立 村井 弦斎 著
21. 芝居の媚薬 三島 由紀夫 著
22. ベートーヴェンと蓄音機 五味 康祐 著
23. 日本温泉めぐり 田山 花袋 著
24. 文人の流儀 井伏 鱒二 著
25. 冒険者と書斎 開高 健 著
26. 俳句と地球物理 寺田 寅彦 著
27. 山歩きの愉しみ 串田 孫一 著
28. 旅のパンセ 五木 寛之 著
29. 江戸前食物誌 池波 正太郎 著

◆発行日が新しい順のようだ。

 わたしは、今、よほどのことがない限り、書物を購入することはない。
 購入しないということを前提に、ランティエ叢書から興味があるものを選ぶとすれば……。
 この「選ぶとすれば……」というのがやりたくて、ここに、29冊をはりつけた。
 蟄居者としてのわたしの心の状態がチェックできると思う。
 なお、わたしは、「ランティエ叢書 発刊の辞」にある趣意には賛成だが、「高等遊民(隠居的生活者)」という語は好まない。

〈ベスト5〉(*^_^*)
 25. 冒険者と書斎 開高 健 著
 17. スコッチと銭湯 田村 隆一 著
 19. 散歩者の夢想 埴谷 雄高 著
 20. 食道楽の献立 村井 弦斎 著
 24. 文人の流儀 井伏 鱒二 著

 最初、埴谷は、もうシンドイから選ばない……と考えていたが、結局、選んでしまった。

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老残のスズメ&連立破棄

2009-08-23 12:11:53 | Weblog


◆老残のスズメ。
 夕刻、窓辺の巣箱の上に、年老いた、体調の悪そうな、ま、老残のスズメがやってきた。
 スズメとレンズの距離は、60センチくらい。
 暗いのでISOを400まであげる。

◆どこのマスコミ各社も、話題に取りあげないが、今回の衆議院選のわたしのテーマは、連立の解消・破棄・撤廃である。

 何度も、あちこちで提示しつづけているが、念のために、シナリオ(妄想)を再アップする。

 第1段階 衆院選 自民VS.民主。自民大敗。
 第2段階 自公連立解消。
 第3段階 安倍晋三復活。
 第4段階 安倍自民と民主右派(民主右派に期待するのはアンポンタンという声もあるが……)連立政権。もちろん、自動的に民主が分裂し、いわゆる政界再編。

 連立の解消・破棄・撤廃を主張しつづけるのは、そのほうが、互いに、真の力が発揮しやすいと思うからだ。

 最近、「連立」ではなく、「融合」という人まで現れたし、選挙演説で「一緒に歩む認識を、私の周りにも一層広める努力をしていきます」と言い出す立候補者も登場。
 きわめて危険だ。

 大敗すれば、「友党」は、必ず、離れる。
 しかし、中途半端な負け方をすると、「融合」が進行する。
 もちろん、大敗しすぎると、党そのものが消滅してしまうが、それはそれで、仕方がない。
 融合よりは、いい。

★屋根から降りて、巣箱の穴をのぞいている。


★巣箱の中に入りはじめる。


★巣箱から尾羽だけが出ている。
 このあと完全に入る。
 巣箱の中で死なれたら……と少し心配になる。


★しばらく待っていたら、巣箱の穴から出てくる。


★巣箱にとどまりつづける、老残のスズメ。



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ヤドカリと同じで、成長?すると、宿坊も、更新

2009-08-21 08:17:09 | Weblog


◆きのうの朝、気分がすぐれないから、①はなむけ号で、怒濤の旅にでるか? ②徹底して、古書店の整理&掃除をするか?……と少し迷っているという話をした。

 結果として、②を選択した。
 正解だったと思う。
 ヤドカリと同じで、成長?(゜o゜;;ギク!すると、宿坊も、更新しなくてはいけない。

 その「更新」というのは、ひとつネジを締めると、他の緩みが気になり、それを締めると、また他のネジが……というふうに、朝のスタート時の計画より、だいぶ拡大する結果になった。

 例。
(1)音響設備。
 これまで、「これ、何楽章だろう?」と思ったとき、からだを沈めて、目を床に近づけなければならなかった。
 音響設備を高い場所に上げるために、そのスペースを創り出す。
 元々スペースがないのだから、3Dテリトリー戦略ゲームのようになる。

 今、これを記述しながら、おなじみの「蟄居」のテーマ曲、ヴァスクス「エピソードと終わりなき歌」を聴いているが、新しい音響設備のテリトリーは、快適である。

(2)古書店の玄関に、玄関にふさわしくないものが置かれている。
 玄関というのは、しかし、共有の場所だし、置かれているものも共有のものだ。
 わたしの一存では決められない。
 作戦として、パートナーがとても同意しそうにない移動場所を提案し、予想どおり拒否され、2案として本命を提案。
 これが当たる。

◆そろそろ、教育の仕事も、復活しようと思っている。

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「大勝負の場」というのは、そう何度もやってくるものではない。人生に2度っきり。

2009-08-20 13:08:02 | Weblog

◆わたしは、根っからのパリーグのファンだが、東映と阪急はの2球団は、もうしわけないが、あまり縁がない。
 まして、中田には、なんの関心もない。
 しかし、次のようなニュースに接すると、まるで、わが人生、わがことのように中田を応援したくなる。

〈18日に新型インフルエンザの集団感染が判明した日本ハムは、一夜明けた19日にも新たに糸井、小谷野、二岡ら6選手がチームから隔離され、全選手が検査を受けるなど騒動は拡大した。
 そのため、20日の楽天戦(札幌ドーム)に備えて中田翔内野手が1軍に緊急招集されて札幌入り。
 「理由はどうあれ、2軍から選ばれて1軍に呼ばれるのはうれしい」
 「調子はファームの成績を見ていただいての通り(いい)です。チームが大変な時に自分が貢献したいし、このまま1軍に残れるようチャンスを勝ち取りたいです」
 2カ月ぶりの札幌ドームは、チームを救うだけでなく、自らを1軍定着させる大勝負の場だ。〉(サンスポ・加藤俊一郎)

 中田には、今年はもうチャンスがないと思っていたところに、信じられないような、新型インフルエンザのチーム内集団感染。
 ホンマ、人生、一寸先は、闇。
 なにが起こるかわからない。

 加藤氏がいうように、たしかに今回は「大勝負の場」だ。
 「大勝負の場」というのは、そう何度もやってくるものではない。
 人生に2度っきり。
 中田は、既に1回経験している。
 だから、今回は、最後の「大勝負の場」だ。
 中田、がんばれ!


★画像は、阪神のトラではない。
 聖徳太子が,物部守屋討伐の戦勝祈願をしたところ、寅の年,寅の日,寅の刻に毘沙門天が現れ、その加護によって勝利したという逸話に由来する虎の張り子だ。

◆現在(5回裏)、チーム(ハム)は負けているようですが、中田は、永井のフォークをヒット。

 画像は、夜の張り子のトラ。




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しばらく閉鎖していた、喫茶「キハ48」を再開店することにした

2009-08-19 10:45:08 | Weblog


◆しばらく閉鎖していた、喫茶「キハ48」を再開店することにした。
 指を折って数えてみると、再開店は、半年ぶりである。

 喫茶「キハ48」というのは、なにか?

 みなみ在職中、休日の朝、近所の喫茶店(ホテル1Fの喫茶コーナー)で、ひとり、ポツンと瞑想する習慣があった。
 他の人と共に存在している。
 他の人の視線にサラされている。
 だけれども、独りぼっち……という空間だ。
 図書館の自習室も、これに似ている。
 映画館もそうかもしれない。
 わたしは、この状態を「開かれた孤独」といっている。
 日常空間と、完全とじこもり空間の中間で、日常のプレッシャーが適度に軽減され、わたしの場合、頭が冴えるのだ。

 あるとき、ふと、この空間(わたしの場合、近所のホテルの喫茶コーナー)を、そっくりJR八戸線乗車に切り換えてみたらどうだろうか?と考えた。
 街なかを、トロトロとローカル線が走っている。
 鉄道も大好きだ。
 一石二鳥ではないか。
 こうして実現したのが、動く喫茶店「キハ48」だ。

 喫茶「キハ48」の一時閉鎖から再開店までの半年のあいだに、(1)みなみ退場と、その後、(2)「自分のカタチ」がひしゃげて(新たにひしゃげたのか? ひしゃげていたものが元にもどったのか?は、まだわからないが)、自分が変異するという体験をした。
 この体験と、喫茶「キハ48」再開とは、密接不離の関係にあるにちがいない。
 どう密接不離なのかは、ひしゃげたかの、元のカタチにもどったのかと同じように、自分ではまだよくわかっていない。

◆はなむけ号(折りたたみ自転車)を本八戸駅の駐輪場にロックする。
 早朝なのに、自転車がたくさんあるのは、高校生たちが、夕方、学校が終わり駅まで乗ってきて、駐輪場に置いて、八戸線に乗って家に帰っていくからだ。

 切符の自動販売機前で行き先を決める。
 通常、喫茶「キハ48」は、本八戸駅→金浜駅→本八戸駅(往復680円)だ。
 しかし、きょうは、ひさしぶりだから、奮発して、本八戸駅→階上駅→本八戸駅(往復800円)にする。

 早めに駅に着き、プラットホームを行ったり来たりする時間は、大旅行の出発前と同じで、なんともいえない、ワクワクした気分になる。
 女性が1人、列車を待ちながら、携帯メールを打っている。

 もうすぐ、05:46発、久慈行きの列車がやってくる。

 なお、大部屋の教職員室も、開かれた孤独空間に似ていなくはない。
 わたしは教職員室が好きだ。
 大部屋人生もいいもんだと思ってきた。
 しかし、同僚や生徒の視線は「他の人」の視線のように、サラッとはしていない。
 だから、好きな空間だけれども、「開かれた孤独」空間とはいいにくい。



◆では、通常の喫茶店(近所のホテルの喫茶コーナー)と、喫茶「キハ48」とは、まったく同じなのかというと、ま、わたしが求める「日常の負荷が軽減された、思考が活性化される、開かれた孤独空間」に至ることができるという点では同じだが、やはり、精神的な作用は、微妙に違うものがある。

 喫茶店のほうは、ドアの前に立ち、ドアを開けると、喫茶店の内部に封印されていた、ドアを開ける直前(=現時点)とは異なる時代の空気が、パァーッと顔をうってくる。
 ある日、ドアをあけると、ドアの向こう側は、土手町から少し入ったところにあった(今もある?)喫茶「ひまわり」だった。
 入口近くの階段を2階にあがる。
 2階の奥の席では、既に同人雑誌の仲間たちが集まっていて、侃々諤々、編集会議をやっている。
 『コップのなかの嵐』の宣治がいる。
 『現代狂詩曲』の今井がいる。
 『夜明けの汽車』の田中がいる。
 そして、このページでおなじみの「おっさん」(←もちろん、今の「おっさん」ではなく、学生時代の「おっさん」)もいる……というような日もある。
 ドアの内側の空気が、いつも、懐かしい空気ばかりとは限らない。
 悲しく切ない空気もある。
 ま、悲しく切ない空気も、悪くはない。

 まとめると、「日常の負荷が軽減された、開かれた孤独空間」+「現時点とは異なる、過去の時代の空気」ということになる。



◆喫茶「キハ48」のほうは、これとはちょっと違うところがある。どこが違うのかというと……といっているうちに、1番列車が2両連結でやってきた。
 05:37八戸発、久慈行きだ。

 1両目先頭の停車位置に立つわたしの前のドアが開く。

 

しばらく閉鎖していた、喫茶「キハ48」を再開店することにした

2009-08-19 10:36:29 | Weblog


◆しばらく閉鎖していた、喫茶「キハ48」を再開店することにした。
 指を折って数えてみると、再開店は、半年ぶりである。

 喫茶「キハ48」というのは、なにか?

 みなみ在職中、休日の朝、近所の喫茶店(ホテル1Fの喫茶コーナー)で、ひとり、ポツンと瞑想する習慣があった。
 他の人と共に存在している。
 他の人の視線にサラされている。
 だけれども、独りぼっち……という空間だ。
 図書館の自習室も、これに似ている。
 映画館もそうかもしれない。
 わたしは、この状態を「開かれた孤独」といっている。
 日常空間と、完全とじこもり空間の中間で、日常のプレッシャーが適度に軽減され、わたしの場合、頭が冴えるのだ。

 あるとき、ふと、この空間(わたしの場合、近所のホテルの喫茶コーナー)を、そっくりJR八戸線乗車に切り換えてみたらどうだろうか?と考えた。
 街なかを、トロトロとローカル線が走っている。
 鉄道も大好きだ。
 一石二鳥ではないか。
 こうして実現したのが、動く喫茶店「キハ48」だ。

 喫茶「キハ48」の一時閉鎖から再開店までの半年のあいだに、(1)みなみ退場と、その後、(2)「自分のカタチ」がひしゃげて(新たにひしゃげたのか? ひしゃげていたものが元にもどったのか?は、まだわからないが)、自分が変異するという体験をした。
 この体験と、喫茶「キハ48」再開とは、密接不離の関係にあるにちがいない。
 どう密接不離なのかは、ひしゃげたかの、元のカタチにもどったのかと同じように、自分ではまだよくわかっていない。

◆はなむけ号(折りたたみ自転車)を本八戸駅の駐輪場にロックする。
 早朝なのに、自転車がたくさんあるのは、高校生たちが、夕方、学校が終わり駅まで乗ってきて、駐輪場に置いて、八戸線に乗って家に帰っていくからだ。

 切符の自動販売機前で行き先を決める。
 通常、喫茶「キハ48」は、本八戸駅→金浜駅→本八戸駅(往復680円)だ。
 しかし、きょうは、ひさしぶりだから、奮発して、本八戸駅→階上駅→本八戸駅(往復800円)にする。

 早めに駅に着き、プラットホームを行ったり来たりする時間は、大旅行の出発前と同じで、なんともいえない、ワクワクした気分になる。
 女性が1人、列車を待ちながら、携帯メールを打っている。

 もうすぐ、05:46発、久慈行きの列車がやってくる。

 なお、大部屋の教職員室も、開かれた孤独空間に似ていなくはない。
 わたしは教職員室が好きだ。
 大部屋人生もいいもんだと思ってきた。
 しかし、同僚や生徒の視線は「他の人」の視線のように、サラッとはしていない。
 だから、好きな空間だけれども、「開かれた孤独」空間とはいいにくい。



◆では、通常の喫茶店(近所のホテルの喫茶コーナー)と、喫茶「キハ48」とは、まったく同じなのかというと、ま、わたしが求める「日常の負荷が軽減された、思考が活性化される、開かれた孤独空間」に至ることができるという点では同じだが、やはり、精神的な作用は、微妙に違うものがある。

 喫茶店のほうは、ドアの前に立ち、ドアを開けると、喫茶店の内部に封印されていた、ドアを開ける直前(=現時点)とは異なる時代の空気が、パァーッと顔をうってくる。
 ある日、ドアをあけると、ドアの向こう側は、土手町から少し入ったところにあった(今もある?)喫茶「ひまわり」だった。
 入口近くの階段を2階にあがる。
 2階の奥の席では、既に同人雑誌の仲間たちが集まっていて、侃々諤々、編集会議をやっている。
 『コップのなかの嵐』の宣治がいる。
 『現代狂詩曲』の今井がいる。
 『夜明けの汽車』の田中がいる。
 そして、このページでおなじみの「おっさん」(←もちろん、今の「おっさん」ではなく、学生時代の「おっさん」)もいる……というような日もある。
 ドアの内側の空気が、いつも、懐かしい空気ばかりとは限らない。
 悲しく切ない空気もある。
 ま、悲しく切ない空気も、悪くはない。

 まとめると、「日常の負荷が軽減された、開かれた孤独空間」+「現時点とは異なる、過去の時代の空気」ということになる。


◆喫茶「キハ48」のほうは、これとはちょっと違うところがある。どこが違うのかというと……といっているうちに、1番列車が2両連結でやってきた。
 05:37八戸発、久慈行きだ。

 1両目先頭の停車位置に立つわたしの前のドアが開く。



古代ハスをみたあと、迷いついでに

2009-08-19 10:16:53 | Weblog

◆古代ハスをみたあと、迷いついでに、市民病院付近から、館越山の南側(主要道路は北側)を通って、中心街に抜けようと思う。
 まったく通ったことのないルートだ。

 往路の迷子がこたえたのか、道を選択するとき、大胆な選択ができず、中間、中間を選択しているうちに、なんと、自分が館越山の頂上をめざしていることに気づく。

 海抜にして5、60メートルだから、突っ切ることにする。

 頂上付近にある自動車学校の裏側に出る。
 ここから南側の麓をめざす。

★館越山からみた中心街。
 このくらいの距離だと、函館のような遠い夜景ではなく、ズームアップの迫力ある夜景がみられるのだろう。




★館越山を南側に少し下ると、教会があった。



 

住んでいる人々には悪いけれど、1枚の紙をギュギュッと丸めて、ひろげたときのシワのような道々だ

2009-08-19 08:47:06 | Weblog


◆2、3日前にTVで放映していた、新井田の対泉院の古代ハスが、どうしても自分の目で見たくなった。
 はなむけ号(折りたたみ自転車)で向かう。
 主要道路を走れば、5㎞か、6㎞の道のりだ。

 光龍寺のところで、ふと、近道にはならないけれども、ここから裏道に入ってみようと、光龍寺脇から長者、吹上方面に入る。
 何度か通っている。
 まったく問題のない経路だ。

 が、途中で、1つ曲がる地点を、間違える。
 「変だぞ?」と気づいた地点から、元に戻ればよかったのに、そのまま先に進み、正しい道に、移り渡れる道を探しながら走った。
 これがまずかった。

 住んでいる人々には悪いけれど、1枚の紙をギュギュッと丸めて、ひろげたときのシワのような道々だ。
 まっすぐな道、直覚に曲がる道は、1本もない。

 たかだか1㎞4方のエリア内を、しこたま、もう、徹底して、道に迷う。
 迷子。
 見知らぬ世界に投棄された存在。
 迷子の迷子の進ちゃん……、わたしを探す鉦や太鼓の音が聞こえる。

 行ったり戻ったりしながら、やっと、見覚えのある店に至る。
 店そのものは、今回、初めてだが、主要道路沿いに店の案内板が出ていた。
 お店の名前(あさよ手芸店)に特徴があったから、はっきりと記憶している。
 この店から、案内板が出ていた主要道路をめざすことにした。


◆古代ハスは、花弁をひらいているのが2つ、大きなつぼみが1つ。
 どれも、池の真ん中付近で、かつ、花弁の向きも反対方向だったので、ま、この程度の画像しか撮れなかった。

 盛りが過ぎてしまったのか、これからなのか、まわりにいた2、3人に聞いたが、どの人も「きょう、初めて来ました」という人ばかりで、よくわからない。

 

詩「生きる、それに覚醒(めざめ)た時」を巡る、おっさんとわたしの、当時の往復書簡

2009-08-18 12:58:59 | Weblog

★きょうも庭の緑陰では、スズメたちの鳴き声とはばたきが炸裂している。


◆この、おっさんとわたしが出会った頃の、詩「生きる、それに覚醒(めざめ)た時」を巡る、おっさんとわたしの、当時の往復書簡が手元にある。
 おっさんのは書簡そのもので、わたしのは投函した書簡の下書きだ。
 おっさんの書簡があるのは、あたりまえだが、おっさん宛の書簡の下書きを、わたしが、後生大事に保管していたというのは、自分でも不思議だ。

 屋根裏の物置を整理したとき、黒の太マジックで「1968~1971」と書かれた、ひと抱えほどの段ボール箱が、3つ、4つ、見つかった。
 学生時代のノートや、印刷所から帰ってきた作品の原稿などの間に挟まっていた。

 おっさん宛ての書簡の下書きを、詩「生きる、それに覚醒(めざめ)た時」の分だけ棄てなかったのは、どうしたなのか?
 たぶん、おっさんとわたしの間における「審議」が「未了」なのだ……という意識が、当時のわたしに強くあったからだろうと思う。


◆〈詩「生きる、それに覚醒(めざめ)た時」を巡る、おっさん宛の、わたしの書簡(の下書き)〉

 「西空」の「陽」は「かすみ」、「月」は「一閃一閃を連ね」る。
 「その下に」は「ゆっさりとひろがる」「太平洋」……。
 低いオクターブからの序奏が、ゆるやかに歌いはじめます。
 「月」の「海岸」には「出発するあいつが居」て、「プラチナの路」が、「あいつ」と「ぼく」の前に「清冽に」「画」かれている……。

 「おれたちの路だ」という「あいつ」の姿は、「立ち尽くし」ている「ぼく」の、これからの可能性のかたちを暗示しているかのようです。
 「あいつ」が先駆、「ぼく」が後駆の関係になっています。
 あるいは、「あいつ」が賓辞、「ぼく」が主辞の関係になっています。
 「あいつ」と、「あいつ」へと吸い込まれそうになりつつ、「立ち尽くし」ている「ぼく」との、息詰まる、緊迫した、意識の場。

 しかし、「ほく」は、先駆である「あいつ」へと、はばたこうとはしません。
 おそらく、黒々とした無限に対する恐怖(※「恐怖」のあとに括弧があって約10文字記述されているが、走り書きのため解読不能)と、「あいつの鮮明な視線は、確かなものをぼくの魂に蓄積する」(※括弧内に数文字、これも解読不能)とに、「ぼく」が引き裂かれたままになっている……といっていいでしょう。

 ここに源太さんの感受性の原初の姿をみます。(おっさんの当時のペンネームは「源太郎」だった。)
 その感受性の重さにどのように堪えるかという、これからの生き方と、そして、自身の個性をどのように処理していくかということを、「生きる、それに覚醒(めざめ)た時」は暗示していると、わたしは思います。

 わたしの結論を書きます。

 「あいつ」は「出発」し、「ぼく」の「ほどけた手の平」だけが残されたとき、源太さんは、恐怖と抵抗の(※このあと、解読不能文字、数字)交錯の結果する、とりとめもない心を、はげしい拒絶の意志に転化します。
 別な言い方をするなら、先の「先駆-後駆」の関係を、あるいは「賓辞-主辞」の関係を、強引に逆転したということでしょうか。

 「閃き輝きを放ちながら燃え」るのは、決して「あいつの右手から」流れ込んだ「熱い誓い」のためではなく、「あいつ」を拒絶し、その拒絶を燃料として燃焼することによってのみ可能になったのだと思います。
 賓辞であった「あいつ」が主辞となり、そして、主辞であった「ぼく」が賓辞となる。
 そうして、「ぼく」は、「ちかちかし」ながら「ぼく」から遠ざかっていく「あいつ」を見送っている。
 その「時」、「生きる」、これに「覚醒」た。(おっさん宛の書簡の主文 以上)


◆他人の昔の詩や手紙は、断りもなく、平気で転写し、アップするクセに、自分の手紙、それも40年も前のものとなると、ホンマ、照れくさいものだ。

 決して、支離滅裂なことばをつなぎ合わせているとは思わないが、尊大であり、血液型占いのようでもあり、転写していて、ああ、シンド……という感じだ。

 この書簡に対する、おっさんの返簡は、次回にアップしたい。

◆この書簡を転写しているとき、まるで、わたしの作業をみていたかのように、亜紀さんから「きょうは、おっさんの店はお休み。あす、おっさんの店にいく予定ですが、いっしょに行きませんか?」というメールが届いた。

 このブログには、いろいろな人物が登場する。
 たびたび登場するのは、松ちゃん、乱氏、そして、今回のおっさん……である。
 亜紀さんも……と思うことがある。
 わたしを含めて男ばかりの4人のだと、明るい結末など、とても望めないと思うからだし、また、実は、亜紀さんに関する、アップ可能なデータが、男4人に負けないくらいあるからだ。

 でも、松ちゃん、乱氏、おっさん、わたしという男4人の展開と、そこに亜紀さんが加わる5人の展開では、その展開の仕方と方向が大きく異なる。

 これは、もう少し考えてから、結論を出したい。

 

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あやめ様の怒濤のコメントに、大感激&大パニック

2009-08-17 15:20:07 | Weblog

★根城城趾公園の植物


◆あやめ様の怒濤のコメントに圧倒されてしまいました。
 大感激です。
 大パニックです。

 コメントの中に、いろいろな「わたし」が登場し、たとえば、ご飯を冷凍する「わたし」、朝食のメニューに必ずオレンジがある「わたし」、授業中に熱っぽく渡辺絵美の話をする「わたし」等々……、結構、おしゃべりだった自分に驚いたり(あきれたり)、忘れていたことを思い出したり、あるいは、そういう自分がいたとは、とても信じられなかったり……と、パニックに陥ってしまいましたよ(*^_^*)。

 久保田早紀の「異邦人」のことはよく覚えています。
 TVの芸能番組とか歌謡曲とかに、あまり反応しないわたし(今もそうです……)が、人生の中でも、例外的に、心動かされた楽曲です。

 たぶん、今でも、現在は使用していない部屋の、レコード収納スペースの、LPとLPのあいだにはさまっているのではないかと思います。(見つかったらジャケットを画像にしてアップするつもりです。)
 しかし、どうして、それほど、強く心動かされたのか?
 そのわけは、つかめそうで、つかみきれず、すごくもどかしく、う~ん! やはり30年という歳月の隔たりを感じますね。

 ただ、頭に未だに刻まれている、部分、部分の旋律を、何度か思い返していると、ああ、これかもしれないというものが、かすかにひっかかって、ぼんやりと浮かびあがってきます。

 うまく説明できないのですが、たとえば、同じ時期の谷村新司の「昴」や、それより少し前の南こうせつとかぐや姫の「神田川」などは、歌われている世界と、自分の世界とが連続的につながっていて、階段をトントンとあがっていけば、あるいは、くだっていけば、その世界に至ることができる……という感じです。

 が、「異邦人」は、わたしにとって、非連続の世界でした。
 階段が、途中で、途切れていて、理屈では埋められない、空白のスペースがあって、そのずっと先に階段のつづきがあり、ハッと息をのむ。
 こういう非連続の、わたしにとって未知の世界の、いわは、新しい原理を、ドドドドドドォ~と開示し、その世界に駆り立ててくれた……という感じ……でしたかね?(^_-)。

 今のところ、つきつめて、つきつめて、これが精一杯の説明です。
 あやめ様に笑われてしまいそうです。

 それにしても、それにしても、そういう話を、教室で、あやめ様にしていたとは、これは、意外で、とても信じられません(^O^)。


◆あやめ様の怒濤のコメントへの、わたしの返信は、まだまだつづくのですが、ここで、ひとまず中断します。(つづく)

 

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極々、最低限の基本材料だけで、どれだけおいしいお好み焼きが焼けるかに挑戦・奮闘努力

2009-08-17 15:14:01 | Weblog


★昨日、ステーキ皿で焼いたお好み焼き。

〈モットー〉
 極々、最低限の基本材料だけで、どれだけおいしいお好み焼きが焼けるかに挑戦・奮闘努力

〈材料〉
 薄力粉20グラム、強力粉10グラム、計30グラム。
 だし汁35㏄(鰹節のみ)
 キャベツ80グラム
 紅ショウガ少々
 乾燥エビ少々
 天かす少々
 豚バラ3枚
 ソース
 青のり

〈工夫点&結果〉
 前回、ピザ風お好み焼きになったのは、たぶん鉄板の温度が低かったのだと判断し、やや火力を上げる。(極弱→弱と中火の中間)

 前回より、かなり、中ホカホカ感がアップ。

 しかし、外サクサク感はアウト。

 邪道だが、①焼く ②ひっくりかえして焼く ③再びひっくりかえして追い焼き……の「③追い焼き」を、高温で、さらに追い焼きすると、外サクサク感がアップ。

 だから、「③の段階が、もうちょっと……だったのだ」と残念がっている。

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