★1974/3の限定された20日間に、作戦命令解除の命令を受けて小野田少尉が帰還する。わたしは帽子屋敷の隣で、そのニュースを知り、新聞を見、魂を打ち抜かれたような(=自分が自分でなくなるような)衝撃を受ける。画像は、その小野田氏との記念撮影。撮影時、帽子屋敷の隣の青年は、ちょうど小野田少尉が帰還したときの年齢に。
◆先日アップした「掲示板への、ある人物のカキコミに対する、わたしの返信」の一部を、再度、アップする。
3、4年前に観たTVドラマで(ということは、現時点からでは7、8年前ということになる)、記憶喪失に陥った中年の主人公が徐々に回復しかかったとき「もう○○の時代には戻りたくない。戻るなら☆☆に戻りたい」と語る場面がありました。
連続ドラマで、わたしは毎回ちゃんと観ていなかったので、「☆☆」が何を意味するのかはよくわかりませんでしたが、学生時代のサークル活動と関係があるようでした。
その「☆☆」が、わたしにはまばゆく感じられました。
反射的に、このわたしだったら、いったいどこに戻りたいと言うのだろうか?と考え、……しかし、いくら考えても、わたしには戻りたい時代・場所がありませんでした。(「カキコミのコピー」以上)
「戻りたい時代・場所がない」には2つの意味があると思っている。
1つは、自分の「粗暴(/_;)」が原因で戻れない、戻るところがないということ。
これが80%くらい。
もう1つは、こちらからも、もう一切、だれとも、どこともかかわりたくありませんよ……という気持ち。
これが20%くらい。
80%+20%=自分の性(性格・気質・性向・性分・心根)。
この性が招いた結果とはいえ、さびしい人生である(……といいながら、ホンマは、喜んでいる。)
◆この状態から、自分の魂の内側に沿って、垂直に、孤独に、底に向かって沈んでいき、「時間」を極限まで限定する作業&「空間」を極限まで限定する作業を経て、戻ることが可能な「時空間のカケラ」を、いくつか見い出す。
まだ、作業の先のことはよくわかっていないけれども、もしかすると、意味のある作業になるかもしれないと考えている。
先日、ざあ~っと粗い作業をして、10カケラほど、見つけ、それを列挙した。
その1カケラの場所が、帽子屋敷の隣の、ラッパスイセンの咲く庭だ。
時間のほうは、1974年3月、はじめて勤めた第一中学校からの「退場」が決まった日から、次の勤務地=根岸小学校に勤めはじめるまでの約20日間と限定した。
この「帽子屋敷の隣」という言い方は、当時、郵便配達員が、わたし宛の速達を届けるとき、決まって封筒の隅に「帽子屋敷の隣」と小さく書き込んであったことに由来する。
もちろん、番地はあった。
しかし、「何番地の小高」と認識されずに「帽子屋敷の隣の小高」と認識されていたのだ。
この「はかなさ」あるいは「かなしいよろこばしさ」という感じが大好きだ。
その庭先に、きれいなラッパスイセンが咲いていた。
1つの作業の結論。
戻ることが可能な時空間の1つのカケラ=1974年3月 帽子屋敷の隣のラッパスイセンが咲いている庭。
★1974/3の限定された20日間に、作戦命令解除の命令を受けて小野田少尉が帰還する。わたしは帽子屋敷の隣で、そのニュースを知り、新聞を見、魂を打ち抜かれたような(=自分が自分でなくなるような)衝撃を受ける。
画像は、その小野田氏との記念撮影。
撮影時、帽子屋敷の隣の青年は、ちょうど小野田少尉が帰還したときの年齢に。
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