職員室通信・600字の教育学

小高進の職員室通信 ①教育コミュニティ編 ②教師の授業修業編 ③日常行事編 ④主任会トピックス編 ⑤あれこれ特集記事編

自分の部屋に閉じこもるのをやめて(というか閉じこもれなくなり)、ひらかれた場所で「孤独」を感じながら

2006-10-29 12:50:26 | Weblog

 2006 開かれた孤独 



■冠省 昨日は午前中、近くの銭湯的温泉、午後、部屋に閉じこもり、古い写真を整理しました。
 仕事柄、業務がらみのスナップ写真や集合写真が結構集まります。
 でも、アルバムに貼るとか、あるいは貼ってそれを眺めるとか、そういう趣味はまったくなかったので、ただただ段ボール箱に投げ込んでいました。



■急に整理を思い立ったのは、写真が自分の「経験」や「存在」の備忘録的役割を果たしているのではないかと考えたからです。

 穴を掘るように少しずつ箱の深い部分に入っていきました。

 その形成された時間の層の、歴史的正確さは、実に感動的でした。

 もう少しで底に至る、その一歩手前でした。
 2冊の、赤い表紙のスクラップ帳が、手に触れました。



■開いてみると、何と冒頭に『冬模様』が張り付けてありました。
 当時、読んでいたM紙の小説を切り抜いたものです。
 新聞の小説を切り抜いたのは後にも先にもこれきりだと思います。
 もちろんスクラップしたことは、とうの昔に忘れ去っていました。

 その後、詩誌を介して、この作者と出会うことになるのですが(*^_^*)、そのときは、もうこの新春小説と結びつけることはできませんでした。



■字面を撫でるようにハイスピードで読み込みました。
 (わたしは、文学作品を、よく、この方法で読むのですが)次に逆にどんどん無理矢理に忘却&消去させていきました。

 そうしたら、わたしの感覚の水平面上に、最後に残ったのは、〈あの人〉が〈橋は川の上にだけかけられればいいのに〉と言って嫌っていた〈風の強い〉〈歩道橋〉に立つ〈私〉でした。

 これが、この作者の出発点だと感じました。(5、6分間で考えたことですから、後でまたガラッと読み方を変えるかもしれません。^^;^^;)

 自分の「存在」に対する感じ方、あるいは嘆じ方(←こういう表現はないと思いますが)、また、一種決然たる拒絶の、その一歩手前で、敢えて踏みとどまり、他を受け入れつつ、生きようとする情。

 この「一歩手前」というのが、この作者の、文学の特徴(いい意味でも悪い意味でも)だと思いました。



■話が、だんだん夜のビル街の占い師じみてきましたので、きょうはこれでやめます。

 最近のわたしの変化。
 自分の部屋に閉じこもるのをやめて(というか閉じこもれなくなり)、ひらかれた場所で「孤独」を感じながら、自分という人間を見いだせる場所を求めています。草々

■画像は文化祭PTA展の作品から
。[2006年10月29日(日)]

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おっさんの強靱な感受性には舌を巻きながらも、対象の詩集とおっさんの書評との間に生じた画然たる落差に

2006-10-26 10:25:23 | Weblog

 2006 書評担当者としては不誠実? 



■また風邪をひいてしまいましたよ。
 9月中旬。
 10月初旬。
 そして、今回、3度目です。
 ノドが痛く痛くて、もう、ホンマ、弱り目に祟り目でっせ。

 夕食後、TVで日本シリーズを観ようかと思ったが、やめて、自分の部屋に閉じこもり、ソファーに寝そべり、堀辰雄の書簡集(昭和20年~没年)を読むことにしました。
 眠り込んでしまってはたいへんなので、毛布にくるまって。

 堀辰雄の書簡集の、この期間(昭和20年~没年)は、既に読んだのか、まだ読んでいないのかはっきりしません。

 ただ、昭和20年の記述、多恵子夫人が「肥桶を辰雄と担ぐのが夢……」というくだりには記憶があります。
 しかし、他ははっきりしません。
 多分、卒論を書いているとき、敗戦前後の堀辰雄の心境を知りたくて、昭和20年分だけ走り読みしたのではないかと思われます。

 読みながら、やはり途中、時々うつらうつらとし、読み終わったのが午後9時頃でした。

■書簡集を読んでいたら、手紙が書きたくなりました。
 うつらうつらとやった分、(この「うつら」の睡眠度が深かったので)目もパッチリ。
 それで、先述の教え子宛、次にいつもの、おっさん宛にと、短い2通の書簡。

☆〈教え子宛〉

冠省 あなたの文面にあった〈ポットン・トイレ〉という記述を見て、わたしのメモとか日記(←毎日、毎日はつけていない)の中にも、あの日の記述があるのでは……と書庫の底の層を探してみました。

 そうしたら、ありましたよ。

〈昭和52年1月11日(火)
 ◇◇◇子・◇◇◇子・◇◇◇子・◇◇◇子来る。
 百人一首で遊ぶ。
 誰かがトイレに入っている時、他の2人が「ワン,ツー、スリー、フォー」と大きな声で数えるのを聞いていて、たいへんおかしく思った。〉

 日記というより、当時始めたばかりの和文タイプライターの練習を兼ねて打った、限りなく「メモ」に近いものです。
 短い記述ですが、あなたの文面と重ね合わせると、あの日の光景が弾むように脳裏に浮かび上がり、長い歳月の経過が吹っ飛んでしまいます。
 ああ、時間には過去に戻り得る可逆の時間と、不可逆の時間があるのだなぁ……と透きとおるような気分になりました。
 「おかしく思った」は正確には「かわいく思った」と書くべきだろうと思います。
 そう書きたいのだけれども、我慢して、そう書かないのが当時のわたしらしいところですね。
 かぜをひいてしまいました。
 3度目ですよ。
 あなたも気をつけてください。草々





◇〈おっさん宛〉

冠省 今、さっきわたしとしては珍しく夕食後、部屋に閉じこもり(←身モ心モ疲レテシマッテイルノデス)、ソファーに寝そべり、読んでは眠り、目覚めてはまた読み……という時間を過ごしました。(←これ、結構、いいですね)

 なにを読んだかというと、堀辰雄・昭和20年~没年までの書簡集、プルースト『失われた時を求めて』少々(2、3ページ)。

 先日、新聞紙上の『風景』の書評を一読。
 書評にしては、文章構成がダイナミック、かつストーリー性に富む展開なので驚いています。
 このストーリーの奥に何が隠されているのか?と考えてみましたが、いくつかのイメージが浮かびかかったものの、焦点を結ばず、現在、分析断念中……。

 「景」に潜む「影」……以降は、最初、このように展開させずにはやまない、おっさんの強靱な感受性には舌を巻きながらも、対象の詩集と、おっさんの書評との間に生じた、画然たる落差(←詩集の作者には申しわけないけど……)に坐りの悪さを感じてしまいました。
 そして、限られた紙幅とはいえ、おっさん自身も感じているであろう、この「落差」、あるいは、「座りの悪さ」に触れようとしないのは書評担当者として不誠実なのではないのか?と考えました。

 しかし今、不誠実かどうかより、ストーリーに秘められた謎を解くことが先決だ……と自分の気持ちを一応、納得させています。
 ストーリーの、結末に光を当て、詩集と書評の双方を、もう少し読み込んでみます。草々

 二伸=書評にも大阪弁を使いはったらええのに……と思っていまっせ。

■きょうは、いわゆる「教育センター訪問」の日でした。
 所長、所長補佐他、6名の指導主事が来校。

 訪問終了後、研修主任に分科会記録の発行を依頼。

 知的で楽しい授業を通してひとりひとりに学力を保証すること。また、知的で楽しい授業を通して非行もいじめも不登校も解決すること。
 このゴールまでにはまだまだ乗り越えなければいけない障害がたくさんあるものの、これまでの実践(模擬&授業研究100回、生徒・保護者による授業評価など)を通して、一定の手応えをつかんでいます。
 この「手応え」と各指導主事のコメントとを照合して、次の新たな一歩を見いだしたいと考えています。

■部屋から出てきてTVのスイッチを入れたら日本ハム優勝。
 日本一ファンが少ないといわれる近鉄バファロの、パリーグ一筋ファン(←わたし)より、2番目にファンの少ない日ハムに、心からおめでとう!

 パブロンエース顆粒を飲んで、眠ります。
 いい夢をみられるかも?

■画像は、庭のカリン。[2006年10月26日(木)]

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住民自治推進懇談会で、すこやかみなみネット(八戸型教育コミュニティづくり)の実践について発表

2006-10-25 17:05:49 | Weblog

 2006 住民自治推進懇談会に出席 



■昨夜、午後6時半から地区公民館で開かれた「住民自治推進懇談会」で、すこやかみなみネット(八戸型教育コミュニティづくり)の実践について発表する機会がありました。

 すこやかみなみネットについては、これまでいろいろなところで発表しています。

 ①八戸市連合PTA広報紙
 ②新入生保護者集会
 ③学校支援に向けたおとなの教育力育成セミナー
 ④小・中連携研究会
 ⑤福祉教育推進モデル事業研修会
 今回が6度目です。(もっとやっているかもしれません。)

 パワーポイントのスライドは、通常、50枚くらい用意するのですが、今回は時間が短いこともあり、この中から20枚ほどピックアップして語ることにしまた。

 


■今回は、ま、はっきり言えば「市長と直接、地域づくりについて話しあいましょう!」という懇談会の「付録」、「付け足し」……のような位置づけ。
 ですから、ほんとうは、やや気乗り薄^^;。
 しかし、人生のわが師・川村公民館長、加えて、わが友・小笠原剛(政策推進課)からの強い指示があったこともあり、断ることができず、自分でも自分に強い指示をしつつ、出席^^;。

■とはいうものの、自分のライフワーク=学社連携・融合の実践に関するスライドづくりは、結構、楽しいものです(*^_^*)。

 発表会のたびに、部分部分、スライドを更新します。
 聞いてくださる方々に合わせて、
(1)新しいスライドの追加、
(2)あるいはカット
(3)順番の入れ替え
(4)コメントの追加等々……。

 この過程で、毎回、「発見」があります。
 いわば「教育哲学」「臨床教育学」です(*^_^*)よ。

 


■今回の発見。
 昨年の6月、第1回の小中合同のPTA総務委員会の場面。
 すこやかみなみネット事業をやるかどうかを話しあった際、多くの委員から反対意見が出ました。

 反対意見を、粗くまとめると、次の3つになります。
(1)会合の回数が増えるのは負担。
(2)小中のどちらが音頭をとるのか?
(3)地域の他団体との交流はプレッシャー。

 これまでの発表では、微妙な問題でもあるので、当たり障りのないように、実際にあった発言内容として、忠実に、ただ紹介していましたが、今回は

 今後のすこやかみなみネット事業を通して、

(1)に対しては、PTA役員と一般会員のギャップを埋める(可能性がある)。
(2)に対して、小中のギャップを埋める(可能性がある)。
(3)に対して、PTAと地域団体のギャップを埋める(可能性がある)……と、一歩、踏み込んだコメントを追加。


 さらに、(悪のりして^^;^^;)、町内会の加入率を高める(可能性がある)というコメントも付け加えました^^;。

★画像は、松ちゃんとの共同制作によるスライド

[2006年10月25日(水)]


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内閣官房副長官下村氏には申しわけないが 

2006-10-19 14:05:23 | Weblog

06.10.19 内閣官房副長官下村氏には申しわけないが

安倍首相直属の教育再生会議が発足した。
 関連のデータを集めようと、手元にある新聞を読んだ。
 10/19付朝日、10/18付讀賣。
 通常、朝日は読まない。
 しかし、手元に10/19付の新聞は朝日しかなかった。
 ま、仕方なしに読んだ朝日だったが、その社説「学力の底上げをめざせ~教育再生~」はなかなかよかった。


授業についていけない子どもは、学ぶ意欲を失う。教室を捨てて
非行に走り、投げやりになりがちだ。そうした子どもにいくら規範意識を説いても、聞く耳を持つまい。
 先生の話を聞き、教科書を読む。そうした日々の授業こそが、学力を高め、規範意識を育てる何よりの場である。
 まずは、どんな子にも学ぶ意欲を持たせるようにすることが大切だ。そのためには、少なくとも、これまで以上にきめ細かな指導が必要だ。

■本校の経営の重点№1は〈知的で楽しい授業を創る基礎・基本の修業 ~プロ教師への道~〉である。
 知的で楽しい授業をすることによって、ひとり残らず、すべての生徒に学力を保証する。
 知的で楽しい授業をすることによっていじめも不登校も非行も解決する。
 こう言い切れるプロ教師をめざして、基礎・基本の修業を徹底しようということである。
 だから、社説の「日々の授業こそが、学力を高め、規範意識を育てる何よりの場である」という箇所を読み、たいへんうれしくなった。

■さて、安倍首相が最重要課題とする「教育改革」の話だ。
 はっきりいうが、『美しい国へ』で述べられている「授業時間の増加」「基礎学力の徹底」「バウチャー制度」「ボランティア活動の義務化」などという方策を、ただ並べたてたところで現状は変わらない。
 月並みな言い方になるが、教育危機のしっかりした実態把握と原因究明を踏まえ、骨太の方針を立て、それに基づき具体的な方策を検討していく必要がある。
 孫引きで筆者(内閣官房副長官下村氏)には申しわけないが、10/18付讀賣に次のようなとんでもない記述がある。

長らく公立校には平等主義がはびこり、学校独自の魅力を失わせるような教育が行われていた……改善するためには、優秀な先生の給料を上げ、表彰などを行う一方で、能力のない先生には辞めてもらわなければならない……

 もし、このような安直な思想が安倍教育改革の根底にあって、それがバウチャー制度などにつながっているとすれば、今回の改革に期待するものは何もない。
 「平等主義がはびこ」っているは事実だ。
 「学校独自の魅力」がないことも事実だ。
 しかし、だからといって「優秀な先生……」云々というのはあまりにもバカげている。
 公教育の現実を知らなさすぎる。
 同じことは、自己申告・業績評価など人事考課制度としての教員評価、不適格教員への厳格な対応、免許更新制……などにも言える。
(スペースの関係でこの「バカバカしさ」の根拠は次回に書くことにする。)

■高校3年の頃、大学で何を専攻するか、哲学か? 文学か? 教育学か?……で、ずいぶん悩んだ。
 哲学はあまりに純粋で、そのさびしさに長期間、耐えられそうになかった。
 文学は趣味でいい。
 結局、哲学の「さびしさ」の反転という意味で、なんでも屋さんの教育学を選んだ。
 この選択に悔いはない。
 もう一度、生まれ直すとしても教育学を選ぶだろう。
 ただし、今、わたしは、教育という仕事に自分の人生がある……にとどまっている。自分の生き方の問題として教育を考える……には至っていない。
 これはむずかしそうだ。

■画像は、昼休み教室で腕相撲をする松代T


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自分の生き方の問題として、どれくらい教育を考えてきたのか?と自問すると、頭が真っ白になってしまいます

2006-10-19 07:12:45 | Weblog

 2006 教師と人生 



■現政権の教育政策に関連するデータを集めようと、手元にある新聞(朝日&讀賣)を読んでいたら、その前者の社説「学力の底上げをめざせ~教育再生~」が、本筋を見据えた論調で、教育現場にある者として、たいへん心強く思いました(*^_^*)。

 授業についていけない子どもは、学ぶ意欲を失う。教室を捨てて非行に走り、投げやりになりがちだ。そうした子どもにいくら規範意識を説いても、聞く耳を持つまい。

 先生の話を聞き、教科書を読む。そうした日々の授業こそが、学力を高め、規範意識を育てる何よりの場である。

 まずは、どんな子にも学ぶ意欲を持たせるようにすることが大切だ。そのためには、少なくとも、これまで以上にきめ細かな指導が必要だ。



■本校の経営の重点№1は〈知的で楽しい授業を創る基礎・基本の修業 ~プロ教師への道~〉です。

 知的で楽しい授業をすることによって、ひとり残らず、すべての生徒に学力を保証する。
 知的で楽しい授業をすることによっていじめも不登校も非行も解決する。
 こう言い切れるプロ教師をめざして、基礎・基本の修業を徹底しようということです。

 知的で楽しい授業を追究する過程において、人格と学力の統合をめざしています。
 ですから、社説の「日々の授業こそが、学力を高め、規範意識を育てる何よりの場である」という箇所を読み、わが意を得たりという気持ちになりました。
 たまには朝日もいいですね^^;。



■高校3年の頃、大学で何を専攻するか、哲学か? 文学か? 教育学か?……で、ずいぶん悩みました。
 宗教学も選択の1つに入っていたと思います。

 毎日、毎日、逆立ちするほど苦しみ、結論として……、哲学はあまりに純粋で、そのさびしさに長期間、耐えられそうにないし、文学は趣味でいいし……ということで、ま、哲学の「さびしさ」を反転させ(>_<)、なんでも屋さんの教育学を選びました。
 この選択に悔いはありません。
 もう一度、生まれ直すとしても、迷わず教育学を選びます。

 ただ、これまでのわたしは、(1)教育という仕事に、自分の人生がある……というレベルでやってきたのではないでしょうか?
 前段で、えらそうに「学力と人格の統合」等と言っていますが、(2)自分の生き方の問題として、どれくらい教育を考えてきたか?……と自問すると、頭が真っ白になってしまいます。

 すこやかみなみネットへの挑戦は、上記の(1)か(2)か?
 あるいは、「意地」は、(1)に含まれるのか? いや、(2)に含まれるのか?

 ああ、日暮れて道遠し……の心境。

[2006年10月19日(木)]


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ということは、しょげていない自分も存在するのだ……と、なんだか、ひとりおかしくて笑ってしまいたい気分

2006-10-18 15:10:52 | Weblog

 2006 ということは、しょげていない自分も存在する(^_-) 



■朝、(1)今日1日の自分の業務の効率をあげる……、そして(2)どこかに「教育哲学」の時間を産み出し、あれを創出しよう、これも創出しよう……と、目論んでいたのですが、結局、なにもできないままに、1日が過ぎてしまいました。

 自分のうちの、ずっと奥のほうに、「こんなふうに歳をとっていく」「いや、こんなふうに歳をとってきたのだ」と、しょげている、もう1人の自分を発見し、しかし、同時に、……ということは、しょげていない自分も存在するということだ……と、なんだか、ひとり、おかしくて笑ってしまいたい気分になりましたよ(^_-)。

 なにもできなかったので、きょうは職員朝会と主任会での自分のコメントから抜粋します。

 


■まず、3校時の主任会。
 会議の終わりに、次の4点について短くコメント。

(1)連日、報道されている●●町教委と町立▲▲中との「関係」にずっと強い違和感を覚えている。
 ▲▲中(教育現場)の失態を、●●町教委のトップが叱責する……という「構図」になっているが、教育現場のトラブルは、当然、町教委の責任であるという姿勢が必要。
 事件発生以来、これがまったく感じられない。
 今朝のニュースによると、今後は町教委が中心になり事件に対応していくそうだが、この場合でも、町教委はこれまで▲▲中(教育現場)とのあいだに距離があったこと、実態を把握していなかったことを、まず反省し、その後に、今後は教育現場と一体となり、事件に対応していくという姿勢を打ち出すべきだと思う。

(2)関連して、この事件では「教師の軽率な言動で生徒が追いつめられた」のではないかと言われているが、こういうことは、どこの学校にも起こりうる、また本校にもあるはずだという認識で、自らの、あるいは相互に教育行為の、総点検をしたい。
 ・生徒の誤答や珍答を笑いものにして授業を展開していないか?
 ・人前で生徒に恥をかかせるような叱り方をしていないか?
 ・過度な、あるいは見せしめのようなペナルティを与えていないか?等々……。

(3)職員朝会(7分間)と学年教員打ち合わせ(7分間)の関係。
 同じ内容を繰り返す必要はもちろんない。
 しかし、学年の教員・生徒の実態に即し、念を押す、あるいは力点を変えて繰り返すということは、学校経営上、きわめて重要。
 これまでの自分自身の経験から、学年教員という小集団では、教職員全体とはまた別種の、伸びやかな精神のつながり、重要な価値の交換が期待できると考えている。

(4)学年主任による授業中の巡回。
 わたしも巡回・参観してデータを収集している。
 しかし、これとは別種の、学年主任というポジションでしか得られないデータの収集が期待できる。
 これは学校経営上、きわめて重要。

 



■時間が前後するが、職員朝会では、今週の教務週報に掲載しているわたしの目標「スポイル状況を打破する第1歩は、①目線、②学習活動の保証 ③達成状況の確認……」についてコメントしました。。
 模擬授業研修や授業研究会を積み重ねてきて、やはり、この①②③が課題だし、また、これをしっかりやると、本校の授業はまだまだよくなると思っています。


(1)1つ目の「目線」。
 教師が、ひとりひとりの生徒に0.1秒ずつ止めながら語れるようになると、子どもたちのやる気に直結する。

(2)2つ目の「学習活動の保証」(本校の授業力向上の5原則の1つ)。
 昨日、松代Tの体育の授業を参観した。
 体育館の床いっぱいに能力別のコースが設定されていて、生徒はひとつのコースをクリアー(合格)すると、次のコースに挑戦していくというものだった。
 どの生徒もいっしょうけんめいに取り組んでいた。
 こういう学習活動の保証の仕方が大切だ。
 一般に体育、音楽、美術、技術家庭科の人気が高いが、それは体育が好きだ、音楽が好きだということと同時に、学習活動がきちんと保証されているからという側面もある。
 ひとりひとりにどのようにして学習活動を保証するか、各教科で工夫しよう。

(3)3つ目の「達成状況の確認」(これも本校の授業力向上の5原則の1つ)。
 挙手もそのひとつで、確認手段として重要だ。
 ただ、10/11の模擬授業大会では、挙手させっぱなしになっているケースもあった。
 きちんと数えることが、生徒を評価することになる。
 瞬時に挙手の数を数えることができる技術をマスターしよう。


 かなりあらっぽいコメントになってしまいました^^;。

 



[2006年10月18日(水)]]

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「聴いたことのある音で埋まっている小説」、「聴いたことのある音ばかりの人生」と何度もつぶやきましたよ

2006-10-18 14:49:41 | Weblog

 2006 どこかで聴いたことのある音ばかりの人生 



■アコーディオン奏者のcobaが、アコーディオンの聖地・イタリア・カステルフィダルドで、ヴォーチェ・ドーロ(金のリード賞)を受賞しました。
 東洋人初。
 もちろん日本人初。

 アコーディオンのイメージを「世界レベルで」一新させたという功績だそうです。

 この、わたしの「600字の教育学」にアコーディオンの話題が登場するって、唐突で、なんだか変やなぁ~^^;^^;と感じる方もいらっしゃると思いますが、実はわたしはアコーディオン歴が長い(腕前の話はまったく別……)好きなのです。

 わたしのうちには、レコードやCDやFM、演奏会等で聴いた「音楽」が収まっている層と、自分自身がアコーディオンで奏した「音楽」が収まっている層とがあります。

 インタビューに答えてcobaは「倒れる寸前まで、聴いたことのない音を追いもとめたい」と。

 おお!
 (1)「倒れる寸前まで」と、(2)「聴いたことのない音」という2つのフレーズが、2連発という感じで、わたしの頬を打ちました。




■大学時代に本屋で文芸雑誌を立ち読みしていたら、わたしの小説が取りあげられていました。
 おお!
 遂に、わたしの作品もここまで来ましたよ……と心を躍らせました。
 ほんとうにうれしかったです。

 しかし、読んでいくと、ひとりの評者が「わたしはこの作品をとらない」と吐き捨てるように言っていました。

 たったそれだけなのですけど、わたしには「この作品は、どこかで聴いた音ばかりで埋まっている」と言われてていると直感しました。

 はずかしくて、はずかしくて、顔がドンドン赤くなっていく感じが、40年たった今でも残っています。

 きょう1日、「聴いたことのある音で埋まっている小説」、「聴いたことのある音ばかりの人生」と、何度もつぶやきましたよ(((p(≧□≦)q)))・°°。

■きょうは、青森県社会福祉協議会の主催で、福祉教育推進モデル事業研修会が開かれました。
 場所は名川町町民ホール。

 愛媛県松山市の「いきがい交流センターしみず」の浅沼裕子さんの事例報告。
 つづいて、黒石市社会福祉協議会の神昌博氏、南部町社会福祉協議会の四戸泰明氏、そして、わたしと事例を発表し合うというプログラムです。

 研修会の趣旨は「より効果的に子どもたちの福祉意識の高揚を図ることを目的として、地域を巻き込んだ仕掛け方や手法等について検討する」というものです。
 「福祉意識の高揚」という点ではわたしはお呼びではありません。
 ですから、はじめは、相当に強くお断りしたのですが、「地域を巻き込んだ仕掛け方や手法」については、わたしにも語るべきものがある……と判断し(そうふうにムリムリ言い聞かせ^^;^^;)て、出場を承諾しました。

 


■前段で「どこかで聴いた音ばかりの人生」と自虐的に書きましたが、学校・家庭・地域が連携・融合した教育システムづくり(学社連携・融合の仕掛け)については、他の人の何倍も足を使ってきたし、多少は自分の足跡も残してきたという自負があります。

 この点は浅沼氏も、本日、コーディネーター役の鳴海孝彦氏(県社会福祉協議会)もきっと同じだろうと思います。

 打ち合わせや発表のときの、浅沼裕子氏、神昌博氏、四戸泰明氏、鳴海孝彦氏のことばの端々に、「苦労」、「あきらめ」、「むなしさ」、でも、それに倍する「よろこび」と、わたしと共有部分が、いくつもいくつもあり、たいへん勇気づけられました。

★画像は、文化祭の準備=3年演劇の大道具づくり。

[2006年10月18日(水)]


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筑前町教委と町立三輪中との関係にずっと違和感を覚えている 

2006-10-18 14:02:39 | Weblog

06.10.18 筑前町教委と町立三輪中との関係にずっと違和感を覚えている

朝、今日一日の自分の業務の効率をあげ、どこかに「教育哲学」の時間を産み出し、そのなかで、あれこれやろうと計画を立てたのだが、結局、なにもできないままに、1日が過ぎてしまった。
 こんなふうに歳をとっていく。
 いや、こんなふうに歳をとってきたのだ。

 なにもできなかったので、きょうは職員朝会と主任会での自分のコメントから抜粋する。

■まず、3校時の主任会。会議の終わりに次の4点について短く話す。

①筑前町教委と町立三輪中との関係にずっと違和感を覚えている。三輪中(教育現場)のトラブルは町教委の責任であるという姿勢が必要。事件が起こって以来、これがまったく感じられない。今朝のニュースによると、今後は町教委が中心になり事件に対応していくそうだが、この場合でも、町教委はこれまで三輪中(教育現場)とのあいだに距離があったことをまず反省し、その後に、今後は教育現場と一体となり、事件に対応していくという姿勢を全面に出すべきだと思う。(滝川市の小学校の事件についても触れたが、省略。)

②関連して、この事件では「教師の軽率な言動で生徒が追いつめられた」のではないかと言われているが、こういうことは、どこの学校にも起こりうる、また本校にもあるはずだという認識で、自ら、あるいは相互に教育行為の総点検をしたい。
 ・生徒の誤答や珍答を笑いものにして授業を展開していないか?
 ・人前で生徒に恥をかかせるような叱り方をしていないか?
 ・過度な、あるいは見せしめのようなペナルティを与えていないか?等々……。

③職員朝会(7分間)と学年教員打ち合わせ(7分間)の関係。同じ内容を繰り返す必要はもちろんない。しかし、学年の教員・生徒の実態に即し、念を押す、あるいは力点を変えて繰り返しすということは、学校経営上、きわめて重要。学年教員という小集団では、全体会とはまた別種の、伸びやかな精神のつながり、重要な価値の交換が期待できる。

④学年主任による授業中の巡回。わたしも巡回・参観してデータを収集している。しかし、これとは別種のデータの収集が期待できる。これも学校経営上、重要。

■時間が前後するが、職員朝会では、今週の教務週報に掲載しているわたしの目標「スポイル状況を打破する第①歩は目線、②学習活動の保証 ③達成状況の確認」についてコメントする。
 模擬授業研修や授業研究会を積み重ねていると、やはりこれが大切だというものが見えてくる。

 その1つが目線。ひとりひとりの生徒に0.1秒ずつ止めながら語れるようになると、本校の授業は変わる。

 もう1つは②学習活動の保証だ(本校の授業力向上の5原則の1つ)。
 昨日、松代Tの体育の授業を参観した。
 体育館の床いっぱいに能力別のコースが設定されていて、生徒はひとつのコースをクリアー(合格)すると、次のコースに挑戦していくというものだった。
 どの生徒もいっしょうけんめいに取り組んでいた。
 こういう学習活動の保証の仕方が大切だ。
 一般に体育、音楽、美術、技術家庭科の人気が高いが、それは体育が好きだ、音楽が好きだということ以上に、学習活動がきちんと保証されているからだ。
 ひとりひとりにどのようにして学習活動を保証するか、各教科で工夫しよう。

 3つ目は達成状況の確認だ(これも本校の授業力向上の5原則の1つ)。
 挙手もそのひとつ。
 10/11の模擬授業大会では、ただ挙手させていた。
 数えることが生徒を評価することになる。
 瞬時に挙手の数を数えることができる技術をマスターしよう。(かなりあらっぽいコメントになってしまった。)


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経過した人生の時計の音が、わたしにはやはり根岸のグランドがいちばん聞こえるということになるのでしょう

2006-10-15 10:38:59 | Weblog

 2006 人生の時刻の音 



■朝、起きてすぐ、明日の午後、名川町民ホールで開かれる、トークセッション「学校・地域・社会福祉協議会で進める福祉教育」に使用するパワーポイントデータのチェック。
 説明原稿の準備。

■そのあと、次の仕事への踏み台のつもりで、ちょっと読書を……と思ったのですが、結局、午前中ずっと読みつづけてしまいました。
 『モンマルトル日記』(辻邦生)に没入。
 ひきつづき、『人と心と言葉』(江藤淳)に没入。
 この「没入」から得たエネルギーを、次の仕事につなげることに失敗。
 とうとう、午後の仕事は諦めてしまいました。

 「読む」ことにエネルギーを費やしてしまったのでしょうか?
 あるいは、「読」んだら→「書く」という、わたしのうちにあって、苦しいときには、結構、活躍する仕組みが、このところ、徐々に、徐々に、機能しなくなってきたのでしょうか?

 「読んだら書く」というのは、わたしは、とても危険なことだという思いもありますから、これはこれでかまわないのですけれど、自分のうちに危険な部分がなくなるというのは、さびしくもあります。





 昼過ぎ、気分転換に、はなむけ号(折りたたみ自転車)で散歩。
 西村整形外科→赤田外科→裁判所→博物館→夜間救急診療所→二本木マンション→サンデー……と走りました。
 途中、近所の蕎麦屋の前で、木村Tと青木Tに遭遇。
 「これから昼食です」とニコニコしています。
 誘ってもらえませんでした^^;。

 帰ってから、気分一新、教え子への手紙を書くことにしました。

■拝啓 あなたの第2弾の手紙の〈追伸〉の中に〈小6の時、年賀状に「つづき②③がある」と言っていたのに、つづきは来ませんでした〉とありましたが、今度はその②を、あなたの第2弾が届く前に投函完了していたことで、ホッ!とすると同時に、「私は30年前にも既に〈②……③……〉とやる癖があったのか……。そうだとすると、30年ぶりに出した葉書は、①ではなく②だったのだ……そしてこの手紙は④なのか……」と、いささかの感慨を催さざるを得ませんでした(^_^)v。

 あなたが家に遊びに来たときのことはよく覚えています。
 私も③か④か⑤の手紙に書くつもりでいたのですが、先にあなたに書かれてしまいました。
 何をして遊んだのかは忘れてしまいましたけど、めちゃくちゃおもしろかったことと、みんなが家が壊れてしまいそうなくらいドンドンやったことは覚えています。
 わたしは、もちろん、ドンドンには加わらなかったと思いますが、しかし、加わったのかもしれませんね(*^_^*)。
 もう忘れてしまいました(*^_^*)。

 根岸小(正確には、その周辺)には、ここ10数年くらい、おそらく毎年1回程度は、訪ねていると思います。
 どうして訪ねていくのかは自分でもはっきりしません。
 身過ぎ世過ぎの生活に明け暮れているうちに、胸のうちで「根岸に行きたい、あのグランドの隅でひとりで座ってみたい」という気持ちがだんだん膨らんできます。
 1年に1回ほど、ほんとうに不思議なのですが、必ずそういう気持ちになります。
 校舎は変わってしまいました。
 しかし、グランドと、校舎の位置と、うしろの山、吹く風、頭の上にひろがる空は、わたしたちがいたときと同じです。

 訪ねる理由を、これまでは深く考えなかったのですが、今、こうしてあなたにお便りしながら自分の内心に問うてみると、たぶん、あのグランドの片隅に佇んでいると、あなたたちといっしょに根岸小にいた2年間、別れた後の1年間、その後の、根城中4年間、白銀中4年間、大館中9年間……というふうに経過していった時間、その中には、あなたも同じだと思いますが、結婚とか、失意の転勤とか、愛する人の死とか、別れとか、まさしく人生いろいろあったわけですが、その経過した時計の刻まれる音が、他にも聞こえる場所はあるのだけれども、わたしにはやはり根岸のグランドが、いちばん聞こえる……ということになるのでしょうか?(まだ、ほんとうのところは、よくわかりません。④⑤⑥……ともう少し深く、また角度を変えて考えてみることにします。)

 未熟な教師であったけれど、わたしにとって根岸という小学校は特別な場所です(どう「特別」なのかは、今は置いておくことにしても……)。
 したがって、あなたたちは特別な人です。
 そのあなたからお便りをもらったり、またそのお便りの中に〈※※※※さん〉〈※※※※※さん〉〈※※※※さん〉〈※※※※さん〉などの名前があるのは、教育が人生だと考えているわたしにとって、これこそ人生の至福というべきでしょう。

 ついでにいうと、初詣はずっと小田八幡宮に参拝しています。
 それから、「もし明日死ぬとして、最後に何が食べたいか?」と聞かれたら、(逸見というガンで死んだアナウンサーは放送局前のソバ屋さんでしたが、わたしは)迷わず「ドライブインさつきの豚カツを食べながらビールが飲みたい」と答えます(苦笑)。
 「さつき」というのは、小田の信号の近くにあったお店です。
 行ってみたい、行ってみたいと思っているうちに、もう閉店してしまったようですね。
 きょうはこれで一旦ストップすることにします。




■2度目の風邪は98%治癒。

[2006年10月15日(日)]

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すごく魅惑的な場所ですけど気がついたら、わたしが消滅しているかもしれないという危険な場所でもあります

2006-10-14 11:01:32 | Weblog

 2006  みなみの廊下で自己溶解



■わたしにとって、これからの(体育の日あたりを境に)10月下旬、11月、12月、1月、2月……は、苦手な季節です。

 イヤだ、イヤだと思っていたら、9月中旬と今月初旬に2度も風邪をひいてしまいました。

 このピンチをどうクリアーするか?
 自分を、燃えるような朱色で、内側から照らしだすしかありません^^;。(イメージとして大阪・夕陽丘町の大江神社から眺める夕陽)。
 あるいは、夜空を孤高に、暗闇の果てまで飛んでいく雁になりきるしかありません^^;。

■燃える朱色、あるいは、夜空の孤高の飛翔を、具体的な作業でいうと、その1つは、やはり、教室(授業)の座付作者として、教室の隅っこで、目の前にくりひろげられる「授業」を、せっせと記録しつづけること、その記録を1つ1つの作品に仕上げること、そして、仕上げたものをもとに、さらに前に進んでいくこと……です。
 授業者が授業中に止まったらアカンように、座付作者であるわたしも立ち止まったらアカンのです。
 たえず書き、書くことで前に進んでゆく。
 これは、わたしの学校経営でいうと、経営の重点№1、すなわち「知的で楽しい授業の創造」とリンクします。

■もう1つは、10/12にも記述しましたが、学社連携・融合です。
 学校と家庭と地域のあいだにネットワークを形成することによって、まだ見ぬ、新しい教育空間を創りだす活動です。
 そのために、まず中核となるエネルギーを創出すること、そのエネルギーをもとに連携と融合の、しっかりした骨格を打ち出すとともに、小さくてもいいから、具体的な実践を、地道に、根気強く、積みかさねていくこと。
 これは、経営の重点№2、すなわち「学校・家庭・地域の教育のバランスがとれたトータルシステムの開発」にリンクします。





■学社連携・融合に関して、念のために言えば、わたしの場合、この「学校・家庭・地域の教育のバランスがとれたトータルシステムの開発」が実現したあかつきには、(1)教育危機の元凶である「学校の教育独占体制(学校の教育丸抱え体制)」が崩壊する → (2)(同時に)教職員の「女工哀史・ああ野麦峠」的状況が改善され、教師は「知的で楽しい授業の創造」に多くの時間を割くことができる……と、「学社連携」と「知的で楽しい授業」とがリンクし合っているというか、表と裏の関係になっています。

 でも、ホンマ、日暮れて道遠し……ですね。
 これをいったら、せっかく苦手な季節をクリアーするために……を語っているのに、元も子もなくなりますけれど……。
 前回も書いたように、現時点ではまだ、中核エネルギーの、その「核」を堅固なものにするために、財源をどうするかあたりで、四苦八苦しているわけですから……^^;^^;。

 「女工哀史・ああ野麦峠」的状況改善への、わたしの歩みが、あまりにものろいので、志塚Tにはきっと「ああ、この人(←わたし)も退歩したもんだなぁ~」と、あきれているに違いない……と、志塚Tの視線を意識する気持ちが、わたしのうちに常にあります^^;^^;。

■こんなふうに苦手な季節を乗りこえるためのエネルギーのことを考えていたら、ふと、寺崎賢一さんのことを思い出しました。
 1991年、国語の県大会でわたしと立ち会い授業をした(正しくは、してくれた)人です。
 強烈なエネルギーを有する、一種の変人です。

 あれから15年、どうしていらっしゃるだろうかと、ネットサーフィン(←こういうときインターネットというのは、ホンマ、スグレモノです。)

■射水市立新湊南部中学校教諭・門島伸佳氏の2006年5月28日の日記に寺崎氏が登場しています。
 現時点から、5ヵ月前の、寺崎賢一氏の姿です。
 長くなりますが、寺崎氏のエネルギーが生き生きと伝わってくるので、ほぼそのまま引用させてもらいます。(門島伸佳さん、よろしく頼みます。)


 9時30分から自由研究発表がスタート。
 私(門島)の発表する部会の司会は都留文科大学の鶴田清司氏である。
 一人目の発表者は要旨原稿ページは白紙、研究とは言えない代物のうえ、発表態度も最悪。
 学会の品位に関わるぐらいにひどいものだった。
 個人的な事情があったのかもしれないが、それにしてもひどすぎる。
 二人目は兵庫教育大学の棚田真由美氏の発表。(中略)
 その次が私の発表。
 リハーサルなしのぶっつけ本番の発表。(中略)

 五人目は、寺崎賢一氏の発表。
 「ポスト読者論の行方」というテーマであるが、博士課程レベルの研究内容を理解できる人は少なく、質問があまり出なかった。
 というより、誰もできなかった。
 望月善次氏(岩手大)、須貝千里氏(山梨大)、そして司会の鶴田清司氏(都留文科大)ぐらいしか、この発表内容を正確に理解している方はいないだろう。

 発表終了後、寺崎氏、佐藤氏と三人でタクシーで盛岡駅に向かう。
 駅のそば屋で昼食をとり、13時40分、盛岡発の新幹線で大宮に向かう。
 車中、佐藤氏と歓談。
 大宮駅で佐藤氏と別れ、寺崎氏と二人で喫茶店で50分近く時間をつぶす。
 大宮から越後湯沢、はくたかに乗り換え富山駅着が19時45分。
 寺崎氏の奥さんに迎えにきてもらい、寺崎氏宅へ。
 南部せんべいの土産を受け取り、寺崎氏宅を後にする。
 帰宅途中、空腹感を感じ、初めて「すき家」で夕食を食べることにする。
 「ねぎ玉牛丼セット(並)」(520円、844kcal)はなかなか美味かった。
 21時前に帰宅。



■ここに出てくる学会とは、全国大学国語教育学会(岩手大会)と思われます。
 大宮駅近くの喫茶店での50分間に、わたしも加わりたい……と思いましたよ(*^_^*)。
 寺崎氏の奥様も登場。
 この奥様とは、1度、電話で話したことがあります。
 たしか、夏期休業中だったと思います。
 「寺崎は、旅にでています。」(「旅行」ではなく「旅」とおっしゃる。)
 「至急、連絡したいことがあります」
 「旅に出ると、一切、連絡がとれなくなります。いつもそうです」
 「ほう……!」(絶望&感心する)
 「申しわけありません」
 ……というような内容でした。




■2度目の風邪が、一昨日より昨日、昨日より今日と、少しずつよくなっています(←ただクスリが効いているだけかもしれないけれど)。
 この、だんだん前方が明るくなってくる感覚が、大好きです(*^_^*)。

■画像は、みなみ中の廊下。
 わたしが、わたしであること(高校時代、進路選択で、哲学か? 宗教か? 文学か? 教育か?……で、逆立ちするくらい悩み、最終的に、これらを、すべてを総合した、何でも屋さんの「教育」を選び、ここまで生きてきたわたし)を、いちばん、受け入れやすい場所です。

 「廊下」は、1日に、①早朝、②朝自習時、③朝の短学活時、④1時間目、⑤2時間目、⑥3時間目、⑦4時間目、⑧昼休み、⑨5時間目、⑩6時間目、⑪放課後と、何度も何度も、歩きます。

 「廊下」を歩いていると、「教育」のなかに、「わたし」という人間が、溶け込んでいきます。
 すごく魅惑的な場所ですけど、気がついたら、わたしが消滅しているかもしれないという危険な場所でもあります(^_^)v
 この、みなみの廊下が好きです(^_-)。

[2006年10月14日(土)]

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ゴムの木が3組の「がんばれ」という声に励まされて元気になった。3組のみんな、須藤T、ありがとう!!!

2006-10-12 05:55:40 | Weblog

 2006 3組のみんな、ありがとう!
須藤T、ありがとう!
 



■文化祭(10/22)が近づいています。

 その文化祭に向けて、月初めにPTAから次のような文書が発行されました。

                  文化祭での寄付品のお願い

 秋冷の候、みなさまにはますますご清祥のこととお喜び申し上げます。
 さて、みなみ中学校の文化祭が10月22日(日)に開催されることになり、子どもたちも日頃の活動の成果を結集すべく準備をスタートさせたところです。
 当PTAとしても、この機会に、1階ホールを会場にPTAバザーを催すことにいたしました。
 そこで、下記により、各ご家庭から品物1点以上のご寄付をお願いしたいと思います。
 このバザーでの収益は子どもたちの活動のために活用する予定です。
 数多くの品物を集め、バザーでも文化祭を盛り上げたいと思います。
 ご家庭で眠っている品物や不要品などのご協力をよろしくお願い申し上げます。

                          記

1.寄付品例 制服、トレーニングウェア、贈答品、バスタオル、ティッシュペーパー、トイレットペーパー、洗剤、食器類、雑貨、本、手作り品等……。

2.収集日 10/10(火)、11(水)
 午前7時20分~7時50分

3.PTA役員が玄関で回収します。


 この文書の下に「寄付品票」の欄があり、切り取って、寄付品に添付するようになっています。

■その収集日が、昨日と一昨日でした。
 PTA総務委員の方々や、PTA事務の金見さんの話では、「集まりが、いまいち」ということで、きょう、再び案内文書を出すことになりました。

 バザーについては、みなみ小が9月、みなみ中が10月に開催されます。
 家庭の数では、みなみ小が2倍くらいあるし、子どもが小・中に在籍してる家庭は、みなみ小に拠出するという暗黙の了解があります。
 だから、盛り上がるのはみなみ小のバザーで、委員の方々の気合いの入れ方も違います。
 先月、みなみ小のPTA総務委員長のCさんに会ったとき、なんだか疲れているようなので「どうかしましたか?」とたずねたら、「もう毎日、毎日、バザーの準備で疲れ果てましたよ」と返ってきくらいです。
 ま、みなみ中のバザーは、付録・おまけといった格好です。

 しかし、わたしはこの収益にかなり期待しています。
 その理由を、簡単に、粗く、述べます。

(1)みなみ地域では、学校・家庭・地域が連携して、昨年度から、すこやかみなみネット事業を展開しています。
 これは、本校の経営の重点の1つでもあります。
 ねらいは、大きくいえば、次の2点です。

 ①学校・家庭・地域、それぞれの教育力がバランスよく発揮できる教育コミュニティの創出。

 ②学校・家庭・地域、それぞれが気軽に子どもの教育に参画できるシステムの創出。

 (現時点では、「バランスの改善」「参画システムの創出」とするが、この目標については、今後、さらに検討を加えて、適切な表現を追究していく必要があると考えています。)

(2)「連携」するためには、どうしても中核になるエネルギーが必要です。
 学校教育と家庭・地域の教育(社会教育)の連携、いわゆる学社連携が提案されたのは、昭和46年頃です。
 もう40年近くになります。
 40年の間、ずっと教育界の重要なキーワードでありつづけました。
 しかし、どれだけの成果があがったか?と問われると、わたしが指摘しつづける学校の教育丸抱え体制(学校の教育独占体制)に、すなわち、学校・家庭・地域のバランスの悪さに、ほとんど変化はありません。
 これは、もちろん、いくつかの理由が絡み合った結果なのですけれども、その重要なひとつをあげるなら、連携のためのエネルギーに対する認識が甘かったから……ということです。
 くりかえします。


 連携には、中核エネルギーが必要です。
 そして、この中核エネルギーの質が、連携・協力の質を決定します。

(3)すこやかみなみネットでは、この中核エネルギーの役割を、みなみ小・みなみ中のPTAが担っています。
 青少年健全育成をめざす教育コミュニティづくりは、やはり子どもの親であるPTAが中心になるべきだと考えたからです。
 PTAを中核に据えている理由は、他にもあります。
 しかし、きょうの本題(なぜバザーの収益に期待するか?)から外れるので、これは、またの機会に述べることにします。

(4)ここからが本題です。
 みなみ地域の人口は、11412人。
 大久保地域(5869人)、白銀台団地(3104人)、岬台団地(2439人)と、3つの連合町内会があります。
 教育コミュニティとしては最適な規模だと考えます。
 しかし、ちょっとした町の規模ですし、この地域の数多くの団体を構成メンバーにしていますから、中核エネルギーの役割を担おうとしたとき、その事務量は、半端なものではありません。

 経験者として言わせてもらえば、


 この事務内容が、連携のエッセンスです。
 また、この事務仕事が、もっとも楽しく、もっともやりがいのある活動なのです。
 でも、同時に、ほんとうに、ほんとうに、たいへんな仕事なのです。

 わたしは、いろいろなネットワーク事業の取材にいったとき、常に「このプリントの文書はだれが書いたのですか?」「だれが印刷したのですか?」「だれが封筒に詰めて、郵便局に持っていったのですか?」……などとたずねます。

 学校が一手に引き受けているケースが結構あります。
 特に、教頭、教務主任、中には校長がやっているというケースもあります。
 あるいは、役所の担当者がやっているという地域もあります。

 でも、これだと、よく政治の世界で、役人主導の……という言い方をしますが、まったく同じです。
 今は、本題から外れるので述べませんが、これが戦後日本の社会教育の失敗の元凶です。
 学校・家庭・地域、それぞれの教育が大きくバランスを崩した原因でもあります。

(5)結論というか、四戸教頭Tと少し相談をしたくらいで、まだまだ詰め切れていませんが、わたしのこれからの構想を書いて、この内容を閉じます。

 取材にいって、ああ、この組織はうまくいっているなぁ~という場合、たいてい次のどちらかです。

 1つは、獅子奮迅の活躍、八面六臂の働きをしている人物がいる。

 もう1つは、約束とか手順とか規約とか、いわゆるシステムがきちんと整備されている。

 この両方だと鬼に金棒ですが、わたしとしては、後者をめざしたいと考えます。

(6)結論、2点。
 1点、事務内容をすべて洗い出し、その分担についてきちんと話し合うこと。
 2点、経験的に、それでも、とても分担しきれない部分が残ります。
 やはり、ここでも事務の中核になる人が必要だということです。
 わたしは、これもボランティアで……というのには、限界があると思います。


 すこやかみなみネットとして人を雇用することを検討する必要があると考えます。
 概算です。
 1日3時間。週3日。月12日。年間100日、300時間。
 300000円。

 この財源として、文化祭バザー、文化祭喫茶店、体育祭売店などの収益を……と考えているということです。

■おなじみのおっさんから手紙が届いたので、お礼の手紙を書きました。

拝啓 『存在と時間』のお便り、ならびに詩誌と通信、ありがとうございました。

 詩「谺」のなかの〈草臥れたオートバイ〉という詩句から、
 ①傷だらけであちこちに凹みのある油タンク
 ②ガタガタと遊びの多いクラッチ
 ③緩んだチェーン
 ④お腹に響くV型二気筒か単気筒のエンジン音
 ⑤その振動音とは異なるフレームの雑音……などをイメージしました。
 この〈草臥れ〉具合がたいへん気に入っています!(^^)!。

 一読して、〈石板の手紙〉と〈刻んだ宛名〉が痛覚(注)に触れ、一種名状しがたい不思議な感覚が胸の内をうごめきました。
 雑誌『狂騒』に掲載された、おっさんの大学時代の詩「若いということ」を一瞬、想起。

 そして、この詩「谺」が、プルーストの大長編小説『失われた時を求めて』(コンブレーでの生活→スワンの娘ジルベルトとの初恋→スワンとオデットの恋→海辺の避暑地での花咲く乙女たちとの出会い→パリ社交界→最後に変わり果てた老残の姿)のように、あるいは三島由紀夫の『豊饒の海』(『春の雪』悲恋→『奔馬』政治的反逆の悲劇→『暁の寺』→『天人五衰』)のように、二冊本詩集『谺』(上・下)、いや三冊本詩集『谺』(上・中・下)というふうに、大々長編詩になる予感がしました……。

 ご健筆をお祈りします。        敬具

 (注)痛覚に痛刺激が与えられると、2種類の痛みがおこる。まず初めにはっきりとした、鋭い、局在の明確な痛みがおき、ついで鈍い、うずくような、びまんした痛みが続く。

 二伸=9月に入ってから、心、からだともに、バランスを崩しています。
 なにもやる気になりません。
 やっても、どれもうまくいきそうにありません。
 それに、すぐに疲れ、手足がだるく、以前、甲状腺機能が弱まり、肝臓に悪影響を及ぼした時の症状に似ています。
 10月に入り、それが少しずつ快復し……「いつも疲れる」から「疲れない日もある」、あるいは「だるい」けれど「重く」はないという具合に徐々に徐々に……と喜んでいたら、今週初めに再び風邪(←前のとは種類が違うようです)。
 寒気がし、苦しんでいまっせ。
 ホンマ、ふんだりけったりですわぁ~

(おっさんへの書簡以上)

■きょうは10/11の模擬授業大会の詳細をアップする予定でしたが、記述する時間が見いだせず、果たせませんでした。

 ま、正確には「見いだせなかった」ことに加え、模擬授業や通常の授業を、
 ①せっせと記述し、
 ②短時間で一作として仕上げ、
 ③その仕上げたものをもとに、さらに前進するという「かたち」がなかなか究められないことも原因。

 ①~③を、なんとかしなければと苦悶しています。




■画像は、ゴムの木「ボブ」。
 5月のはじめ、1学年の教具室の奥の隅で、枯れかかったゴムの木を発見。
 ほとんど枯死状態。
 ダメかなと思いましたが、かすかに緑の部分が残っています。
 須藤Tと1年3組になんとか生き返らせてほしいとお願いしました。
 そのゴムの木が、3組のみんなの「がんばれ、がんばれ」という声に励まされて、元気になり、夏休み前に、新しい葉っぱが脱皮をし、夏を過ごし、秋になって、こんなに立派に成長しました。
 3組のみんな、ありがとう。
 須藤T、ありがとう。

[2006年10月12日(木)]

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生徒が「できない」ままでスポイルされた状況を廃し、「全員80点以上にする」授業およびつまずき指導を

2006-10-11 04:57:12 | Weblog

   生徒全員80点以上の授業 



■日曜日に97%まで治癒した風邪の、その後の直り具合がよくない。
 85%まで後退。
 熱も咳も鼻水もないが、喉に痰がからまる感じで、うまく声がでない。(9月の絶不調時の症状に似ている^^;。)

■昨夕、志塚Tと話し合った「授業力向上の5原則」と、「授業における教師と生徒の人間関係の形成」について。
 昨日はスペースがなかったし、自分のエネルギーも尽きていたこともあり、中途半端に記述したままだった。
 つづきを書く。

 わたしたちは、いい授業をすれば学力が上がる、非行もいじめも不登校もなくなる……と考えている。(経営の重点№1 知的で楽しい授業の創造 ~プロ教師への道~)
 いい授業の最低条件として、また、教師相互に授業力を点検しあう評価の観点(=基礎的技術)として「授業力向上の5原則」を設定している。
 次がそれだ。


 ◇授業の目標、ねらいを明確にする。
 ◇指示・発問は全員に、短く限定して述べる。
 ◇達成状況を確認して授業を進める。
 ◇1人1人のがんばりに気づき、認める。
 ◇全員に50分間の学習活動を保証する。


 これをもとに、模擬授業と研究授業とを合わせて年間100回実施している。

■ところが、これに対してわたし(小高)が、不十分だと思いはじめている。
 授業の修業は、これでいいし、これからも継続していくつもりだ。
 しかし、これに加えて、もうひとつ、手を打たなくてはいけないことがある。
 現在、生徒が「できない」ままでスポイルされた状況が生じているからだ。
 昨日の話し合いでは、わたしの結論として、新たな観点(=目標)を設定しようと提案した。
 まあ、まだ仮にの話だが、「80点以下の生徒を出さない」、あるいは「全員80点以上にする」授業およびつまずき指導という観点(=目標)だ。
 昨夕の話はここまでだった。

■その(スポイル状況の)関連。
 わたしの手元に、きょう、1・2学年の「3次試験結果報告書(国語・社会・数学・理科・英語)」が届いた。
 1学年に1つ、2学年に2つ、SD値の高い教科がある。
 SDというのは、標準偏差 Standard Deviationで、散らばり(ばらつき)具合を表す数値。
 クラス全員が同じ点数であった場合、標準偏差=0となる。
 通常、SDが小さい教科で7~10、大きい教科だと20~26くらいになる。
 3校時の主任会で、SD値の高い教科があることを指摘し、対策を立てるつもりであることを話したあと、志塚教務主任と、前田生徒指導主任と個別に「わたしたちの市は全般的に(もちろん、わたしたちの学校も)こういうこと(SD値が高い、スポイルされた状況等)に無神経すぎる傾向がある。
 体育祭だ……市中体だ……文化祭だ、また放課後は部活動だ……といって、授業中の生徒がスポイルされている状況に対して真剣に取り組もうとしない。
 この繰り返しではダメだ。
 思い切って、具体的な対策を立てよう」と話す。

 今後の手順として、
(1)各学年部会で対策を検討する。学年独自で「今すぐ!」やれるものについては、学年から、運営委員会→職員会議に提案する。
(2)教育課程編成会議の重要なテーマの1つとし、各教科、各学年で検討する。
(3)3学期、やれるものについては、試行する。

■まったく別件だが、1学年(前田学年主任兼生徒指導主任)から、現行では、3学年の4月(中下旬)に実施している修学旅行を、2学年11月に実施したいという提案がなされている。

 その理由。


(1)本校では、修学旅行前の調べ学習(事前学習)を重視し、総合的な学習の一環として、学年単位、学級単位、学級内班単位で実施している。
 3年4月実施だと、2学年で調べ学習をした学級・班の単位とは異なる、新しい学級、新しい班で実施というカタチになってしまう。
 もちろん、新しい学級になってからでは、調べ学習は間に合わない。
 修学旅行時だけ、旧学級・旧班という方法も考えられないことはないが、新しい学級づくりがスタートしている段階では、適切でない。
 さらに、計画に携わった教師・実地踏査した教師が3月の定期異動、および校内人事で変わってしまう可能性が(かなり)ある。
 これは3学年4月実施の致命的な欠陥である。
 2学年11月実施だと、この点はまったく問題がない。

(2)3学年4月(中下旬)実施だと、最高学年の生徒が、学校のスタート段階で、修学旅行準備に相当の時間が費やすことになる。
 学級経営に関して、年度初めの時期を「黄金の3日間」という言い方をする。
 これは学校経営もまったく同じだ。
 授業を含む学校生活全般(含学校外活動=部活動)において、3学年が、他のためにがんばる、他のために汗を流す、そして、そのことを喜びと感じる姿を、下級生に示して、リーダーシップを発揮しするカタチをきちんと創る時期だ。
 現行では、これが(はっきりいって)できない。

(3)4月に比べ、11月は見学地が空いている。
 たとえば、国会見学など、4月は長蛇の列で、かなりの時間、待たされるが、11月は、待ち時間はほとんど0である。


■この2学年11月実施については、当然、保護者から反対の声もあるだろう。

 たとえば、
(1)修学旅行は、3学年で体験させたい。
(2)旅行費の納入時期が、約5ヶ月ほど早まる。加えて、JR東北新幹線の連合体を使わないので、運賃が約6000円アップし、保護者の負担が大きくなる等々……。

 実は、わたしは修学旅行廃止論者である。
 危機管理の観点から、現代は、公がたくさんの子どもたちを預かり大旅行を企画・実施する時代ではない。(教委などが実施する生徒の海外派遣事業も同じ。)
 しかし、やめる勇気はない^^;^^;。
 このように実施そのものに消極的であるのだが、実施するとすれば11月案のほうがよいと考えている。
 保護者には、ていねいに説明をかさねていきたい。

■放課後、部活動なしで生徒が退校後、模擬授業大会。


 〈授業者〉(1人10分)  指定発言者
 ①舘田T(国語)  須藤T・今田T
 ②板垣T(美術)  田名部祥T・前田T
 ③中野T(数学)  松坂T・古館T
 ④松代T(体育)  本田T・高橋T





★画像は、中野Tの模擬授業。みなみの教師は、生徒に対面しながら板書できるが、新採用3年目の中野Tもマスターしている。目線もしっかりしている。

[2006年10月11日(水)]

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授業を通して生徒と教師の人間関係をつくりだすのが学校だ。部活動の人間関係はその代わりにはならない

2006-10-10 16:02:28 | Weblog




◆週報冒頭に掲載された今週の各部の目標。

◇校長=生徒が「できない」ままでスポイルされた状況を排除する授業の創造
◇総務=(部外秘)
◇教務=行事反省の提出率100%で意識改革
◇研修=校内研の模擬授業研修の充実。目線に注意!
◇生徒指導=文化祭準備活動を見守る。
◇保健=10/10は目の愛護デー。姿勢を正しくして目に優しい生活を。

◆次が、この、わたしの目標(=生徒が「できない」ままでスポイルされた状況を排除する授業の創造)に関連させた、職員朝会でのわたしのコメント。
 わたしにしては、珍しく、みっともなく露骨に語る。

 授業を通して生徒と教師の人間関係をつくりだすのが学校だ。
 部活動を通した人間関係もある。
 それはそれで大事にしたい。
 しかし、授業を通した人間関係がきちんとしていないとダメだ。
 部活動の人間関係は、授業の人間関係の代わりにはならない。
 特に授業中にスポイルされた状況にあると思われる生徒との人間関係に留意してほしい。
 ああ、この先生はわたしを大切に思ってくれている!
 ああ、この先生はわたしに一生懸命教えてくれている!
 心から生徒がこう感じる人間関係をつくりだす。
 はっきり言うけれども、こういう関係をつくりえないところに、いろいろな問題が起きている。
 自分のことをいうが、わたしは目標に到達できない生徒に対して、「超」がつくくらい厳しかった。
 目標に到達できないまま、ほうりだすことはなかった。
 この生徒は、50点でいいのだというふうに考えたことは1度もない。
 先輩教師のなかには、生徒全員を80点、90点にしようとするわたしに対して「子どもを苦しめることになるから」と助言してくれる人もいたが、これだけは譲らなかった。
 「スポイル状況」にある生徒に全力であたる、あたってみる、あたってみて(←いやな表現だが、現実としては仕方がない……)スポイル状況にある生徒がいない授業行為の感覚を自身でしっかりつかむ」週にしてほしい。



◆校長室にやってきた文化祭実行委員の女子生徒2名に、プログラムに掲載する文章を依頼される。
 自分の深部にある文化祭の「匂い」を文章にしてみたのだが……m(_ _)m。

 文化祭の1日

 文化祭というのは不思議な日だ。
 はじめは、全校朝会や生徒集会の延長のような気分で体育館の片隅にいる。
 しかし、合唱、学年演劇など、いろいろな発表に向かいあっているうちに、あるいは演じているうちに、魂が現実から溶けでて、見たことのない場所に突きすすんでいく。
 各教室の展示発表も同じだ。
 そして、文化祭が終わって、ひとりになったとき、「展示作品に囲まれてあんなに透きとおるような気持ちになったんだから、自分も結構、いいところがある」とか「(演劇場面に同化したり、その感動を友人と共有したりして)よし、わたしもがんばるぞ」とか、未来に向かって、わかけのわからない自信と勇気がわいていることに気づく。
 文化祭は、大長編ドラマに似ている。

◆教育に携わる専門家として、また学校経営者として、7/21~8/15までの「魂の置き場所を求めて」で到達した「場所」で、せっせと書かなければならないのだが、その「場所」に閉じこもる決断がまだできていないと感じている。

 夕刻、志塚Tと「授業力向上の5原則」と「授業における教師と生徒の人間関係の形成」の関係について語り合う。



★画像は、立佞武多の館でパチリ。

[2006年10月10日(火)]

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1に「いい授業」、2に「掃除」……、これがキチンとできていれば、学校が落とし穴に落ちることはない

2006-10-09 09:51:24 | Weblog

力のある学校&力のある小説 



■先日、地域の人から「そちらの中学生という確証はないが……」と前置きして、「中学生がコンビニで缶酎ハイを買っているところを見た」……という情報が入った。

☆生徒指導部を中心に、

(1)いくつか調査を実施して実態を把握する。(とともに)

(2)資料「飲酒に関する法律」を作成し、全体指導→学年指導→学級指導を実施。(←この資料はよくできている。法律と制定理由。この制定理由が指導の根幹に結びつく仕掛けになっている。)

(3)地域の関係団体(すこやかみなみネット)に情報提供と支援要請。(今回、コンビニからの情報収集、コンビニへの要請等については、地域の関係団体に依頼する。)

(4)個別指導。


■ことばは悪いが、わたしは、この種の指導を「掃除」と呼んでいる。
 キチンと掃除すると、見違えるようにピカピカになる。
 しかし、怠ったり、いいかげんだったり、やり方を誤ったりすると、手がつけられない状態に陥る。
 この「掃除」ができて、教師、あるいは学校は、一人前だ。
 1に「いい授業」、2に「掃除」……(「1」が絶対条件)、これがキチンとできていれば、学校が落とし穴に落ちることはない。

 今回、さいわい、よい結果に至ることができたと判断しているが、家庭(保護者全員)とのタイムリーな連携のあり方については、課題が残る。




★画像は、掃除違いだが^^;、9月に実施された校庭側溝の泥あげ作業。これで、みなみ赴任(2004/4)以来、気になっていた泥詰まりが解消。

■「外側サクサク、中ふっくら」のお好み焼きを、豚玉に特化して、しばらく(4月~9月)奮闘努力の毎日がつづいたが、その第1ステージが終了した。
 10日に8日のペースで試行錯誤しながら、焼きつづけ、遂に何度焼いても、いつでも「外側サクサク、中ふっくら」のお好み焼きが焼けるようになった(^_^)v。




 画像はコテでサクサク度を確かめているところ。

 今後、第2ステージで取り組むことは次のとおり。
 ①自前のお好み焼き粉を完成すること。
 ②自前のだし汁を完成すること。
 ③(まったく未経験の、ホンマ、見当のつかない)水あめ入りお好み焼きに挑戦すること。

 お好み焼きの挑戦は、これからも、まだまだ続きまっせぇ~。




■先日、「職員室通信」の記述、および職員朝会のコメントで、「寄り添う」という表現を使った。
 わたしの場合、おおよその意味は、
 ①一体となる(いっしょに喜ぶ・楽しむ)
 ②味方になる
 ③教える……
 このうち、①と②の関係を厚くする……という意味で「寄り添う」という表現を使っている。

 この「寄り添う」について、おもしろい、第1級の記述に出くわした。


◆寄り添う、と言っても、その人の横に腰を下ろし、「君の気持ちは分かるよ。いい子だね」と優しく励ましてくれるようなものではないはずだ。
 そういうことはフィクションじゃなく、別のもの(人)の役割のような気がする。
 ①実用的なノウハウやうんちくに満ちているものでもないだろう。
 ②人が死ぬと悲しいですよ、と当然のことを教えてくれるものでもなければ、
 ③現代の問題を鋭くえぐるものでもなく、
 ④もちろん「意匠に凝った知的なもの」では決してない。(①②③④の付加=小高)

◆等身大の話かな、と読み進めていたら、いつの間にか、現実が溶けた妙な場所に到着していて、これは等身大どころか見たことのない場所だぞ、とにやにやしてしまうようなものが寄り添ってくれる小説ではないかな、と僕は思う。
 そして読んだ人が、本を閉じた後、「あんな景色を見てきたんだから、大丈夫」と根拠のない自信をお腹に抱えて「とりあえず、やりますか」と、気が進まない学校に向かったり、放り投げたい仕事に取り掛かる。
 そういう力のある小説が読みたくて、だから、自分も書ければいいな、と思う。

 おぉぉ~!(^^)!!(^^)!!(^^)!、そのとおりィ~!(^^)!!(^^)!。
 
 元来、わたし(=小高)は、①「蘊蓄」、②「説教」、③「批評」、④「外観美学」には、ほとんど興味がないし、①や②や③や④を強く打ち出す人間からは、遠ざかろうとする人間のはずだった。

 なのに最近、逆に、この①や②や③や④に近づこうと、あくせくしていたのだなぁと思いなから読んだ。
 この切り抜きが、迷い道の中のわたしを、ピカッと照らし出してくれた……といっていい。

 ただ、たいへんもうしわけないが、この切り抜き部分だけがわたしのそばにあって、書き手の氏名が完全にカットされてしまっている。
 ルール違反承知で、引用させてもらった。
 お詫びしたい。

[2006年10月09日(月)]

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「女工哀史・ああ野麦峠」的状況の改善のためには「学校・家庭・地域のバランスがとれた教育システムの開発

2006-10-06 15:30:32 | Weblog

 2006  もうすぐカリン色に染まる



■今月の学校通信「すこやかみなみネット通信10月号」の特集は、「授業力向上の5原則&学力向上の5原則」だった。

☆特集の見出し
 「授業研究100回 これがみなみの教育だ」

☆小見出し
 「みなみの学力を支える3つの要素」

(1)教師の授業力の向上=「授業研究100回」
(2)生徒と保護者と教師による授業評価=観点「授業力向上の5原則」
(3)学ぶ姿勢の向上=観点「学力向上の5原則」。

■内容の詳細は、後日、再編集してここにアップする予定。
 特集の末尾に「そもそも生徒の学力は、教師の指導力+生徒の学習努力+家庭・地域の教育力という力のポテンシャル(潜在的な力・可能性としての力)の総和である」と書いたとき、わたしの脳裏をかすめた、ある記述があった。

■それが次の内容である。
 読売新聞9/14付「教育ルネッサンス」の一部だ。


◆福岡県のある中学校の教師は、顧問を務めるサッカー部の練習が終わった後、学校で問題を起こした生徒の家庭を訪ね、保護者と話し合った。
 帰宅は午後10時すぎ。
 幼い2人の子供は寝息を立てている。
 夕飯を1人で食べた後、パソコンに向かって定期試験の問題を作る。
 就寝は午前1時近くだ。
 週末も練習試合や大会へ引率する。
 1学期中の週末で休めたのは4日間だけ。
 「授業の準備や生徒指導など、本来の仕事なら何時間でもやりたい。ただ、部活のために家族との時間を犠牲にするのはつらい」と打ち明ける。

 2つの観点からわたしはこの記述に反応している。
 1つは「教師の指導力アップ」。
 もう1つは「家庭・地域の教育力アップ」あるいは「学校・家庭・地域の教育力のバランス」という観点だ。




■第1の観点。
 教師の指導力アップには、明日の授業のための教材研究・授業準備が欠かせない。
 ところが、記事の福岡県の中学教師にはこれがない。
 いや、これは福岡県に限った話ではない。
 全国的にどうかということまではわからないが、少なくともわたしたちの市の中学校教員は、記事の内容とほぼ同じ(わたしも同じ)だ。
 わたしは、これを「女工哀史・ああ野麦峠」的な状況といっている。

 現在、教員の資質・能力重視の政策は着々と進んでいる。
 自己申告・業績評価など人事考課制度としての教員評価。
 不適格教員への厳格な対応。
 免許更新制……。
 しかし、わたしには「女工哀史・ああ野麦峠」的状況の改善なしに、すなわち、「学校の教育丸抱え体制(学校の教育独占体制)」といわれる状況を一歩でも二歩でも改善しようとしない限り、これらの政策が効果をあげるとはとても思えない。

 東京都教育委の、部活動を学校における「教育活動の一環」と明文化する規則改正は、この「女工哀史・ああ野麦峠」的状況に拍車をかける愚策。

■今、手元に明治図書「学校マネジメント」2004/10月号と、2005/7月号と「現代教育科学」2004/10月号がある。
 いずれも特集として「教員の授業力向上」を取りあげているのだが、教員の「女工哀史・ああ野麦峠」的状況の改善を取りあげている論文は、申し合わせたように1本もない。
 不思議な話だ。
 残念な話だ。

 第2の観点は、この「女工哀史・ああ野麦峠」的状況の改善のためには、「学校・家庭・地域のバランスがとれた教育システム(学社連携)」を開発しなくてはならないということなのだが、これについては、スペース&現在のわたしのエネルギーが尽きかけているので、本日は、やめる。

■午後からプラザホテルで校長会。
 いつものように学年会議のような会議だった。
 「学年会議」が悪いのではない。
 学年会議は、学校運営上、きわめて重要な会議だ。
 しかし、校長会が学年会議をやっていればダメだ。
 賢い者同士が牽制し合っているのか? バカ者同士が仲良くし合っているのか?
 おそらく両方だろう。
 そして、悲しいことに、わたしもその「△△同士」の1人なのだ。
 猛省。
 今後、もっと強い構想力に基づく運営が必要だ。



■その他
(1)本日、6校時、生徒会役員選挙立会演説会。
 会長立候補の山田尚輝君はじめ、2年・1年の立候補者の演説内容に、自分の魂を衝突させたかったのだが、校長会とぶつかったため、四戸教頭にすべて託す。

(2)県連Pより、本校PTAが優良PTAとして表彰されることが決定した。
 各実行委員会の日頃の活動とともに、昨年度のすこやかみなみネット創設に対して高い評価をしてくださったものと受けとめている。

■上の画像は、今年も実ったみなみのカリン。あと10日ほどすると、みなみ中のまわりはカリン色に染まるようになる。
[2006年10月06日(金)]

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