職員室通信・600字の教育学

小高進の職員室通信 ①教育コミュニティ編 ②教師の授業修業編 ③日常行事編 ④主任会トピックス編 ⑤あれこれ特集記事編

★「地域の力で夢を育む教育支援プラットフォーム事業」に関する協議会に出席。テンションが低く発言低調

2012-10-29 14:11:49 | 僕のモンマルトル日記

 

職員室通信 「地域の力で夢を育む教育支援プラットフォーム事業」に関する協議会に出席
2012
10.29


 「地域の力で夢を育む教育支援プラットフォーム事業」に関する協議会に出席。テンションが低く発言低調

★「地域の力で夢を育む教育支援プラットフォーム事業」に関する協議会に出席する。

 この事業は、平成22年度から実施されているらしい。
 僕は、今回、突然の参加だった。
 だから、この協議会が、本日、この会議で、何を協議するのか?ということは、だいたいわかっているが、全体の流れが、まったくわからない。

 配付された資料――
 ・「地域の力で夢を育む教育支援プラットフォーム事業について」
 ・「実施要項」
 ・「企業登録数(各市町村別一覧)」
 ・「登録企業一覧」
 ・「登録依頼書(企業宛)」
 ・「パワーポイントデータ」
 ・「実践事例集」等、100ページ強――に赤ペンで怒濤のマークをつけながら、僕なりに把握した内容――

○趣旨
 子どもたちのキャリア教育を推進するため、学校教育のいっそうの充実と社会教育全体の教育力向上を目指して――
 ①企業などによる教育CSR(教育分野への社会貢献・支援活動)の推進
 ②ボランティア、NPO等と行政の協働による推進体制の整備
 ③企業等と学校を結ぶ仕組みづくりを総合的に進め、「教育支援プラットフォーム」を構築する――事業。

○この事業を支える大きな理念
 「地域ぐるみで子どもを育む社会」の実現。
 学校や家庭に加えて、地域住民や団体、NPO、企業等の目が子どもたちに注がれ、安全・安心が守られるとともに、学校、家庭、地域において効果的な教育活動が展開される社会の実現をめざす。

○想定される教育活動
 ①職場見学(短時間)
 ②職場体験(複数日)
 ③出前授業(短時間)

○具体的な事業
 ①協力企業の開拓
 ②学校への協力企業の紹介
 ③学校と企業とのコーディネート
 ④学習プログラムの蓄積と提供

○具体的な展開方法
 ボランティアスタッフ(教育支援活動推進員)の活動。
 ――教育支援活動推進員の旅費の支給に関しては、自家用車を利用した者においては、1キロにつき25円で計算し、公共の交通機関を利用した者においてはその経費を支給する。

○本日の会議のねらい
 本市の登録企業は、現在、約70社。
 これは学校にとって魅力的な量とはいえない。
 よって、倍増させましょう。
 とりあえず、100社に。(主催者の発言&パワーポイントスライドデータから)

★僕は学校が行う「教育内容&方法」の選択については、かなり慎重な人間だ。

 教育という仕事は、調和のとれた人間的発達を至上の価値ととらえ、発達的価値をひとりひとりの子どものなかに実現しようとする意図的・人為的ないとなみだ。
 この「意図的・人為的ないとなみ」という点に、注意しなければいけない。
 すなわち、発達的価値をひとりひとりの子どものなかに実現する過程で、発達的価値とはなにかについて、子どもではなく、僕が――この「僕」が……ですよ(ノ△・。)――一定の判断をくださなければならないということだ。
 また価値実現のために、どういう方法をとるかについても、子どもではなく、僕が――この「僕」が……ですよ(ノ△・。)――一定の判断をくださなければならないということだ。
 これは考えてみると、途方もないというか、そらおそろしいくわだてだ。
 選ばれた価値がかならずしも子どもの人間的発達を保証するとは限らない。
 選ばれた内容や方法がかならずしも子どもにマッチするとは限らない。
 僕は、この「そらおそらしさ」に耐えながら、思い悩みつつ、教育という仕事にたずさわっている。

 だから、配付された資料にある「 教育支援プラットフォームの必要性」――「企業等による学校支援活動は、多様な職業や立場の人と直接に接することによって子どもたちに夢やあこがれを与え、学びたいという気持ちを刺激し、働くことの意味について考えさせるなど、大きな効果が期待されている」のくだりは、プロ教師の僕からすると、ものの考え方が粗い……ことばが軽い……ま、畢竟「無責任やなぁ~(ノ△・。)」と感じてしまう。

 詳細は、今、時間的に――存在的に?も――余裕がないので述べられないが、本事業の中味に関する僕の判断を図式的に表すと――
 ①職場見学(短時間)=教育課程に位置づけられた単元を学習する過程において有効であると判断できる場合にのみ可。
 ②職場体験(複数日)=公立小中学校においては絶対に不可。
 ③出前授業(短時間)=①と同様、教育課程に位置づけられた単元を学習する過程において有効であると判断できる場合にのみ可。

★だから、協議会では、「職場見学(短時間)」と「出前授業(短時間)」に関してのみ、意見を述べる。
 昔の僕だったら、まず「公立小中学校における職場体験学習不可論」から述べる。
 ガンガン述べる。
 これをやらないのは、僕が大人になったからでも、丸くなったからでもない。
 ただ、今、慢性的に、僕のテンションが下がっているからだろう。

 ああ……※※※※※。
 今、このHP上部のスクロールコメントで次のコメントを流している。

 〈僕の場合、HPは、現実世界における僕の存在の仕方そのもの〉。
 同時に〈HPは、僕の可能性(=欲望)のカタチ〉。
 「それ、このまえ聞いたよ」
 「それ、10回目!」
 いやぁ~、毎度、毎度、酔っぱらいの繰り言で、スンマヘン、スンマヘン。
 ま、正確には僕は、この1年半に限っても(検索をかけてみると)25回、同じことを繰り返している(ノ△・。)。
 「問い」――しかし、ホンマに、「HP=僕の存在の仕方」なのだろうか?
 「HP=可能性のカタチ」なのだろうか?
 こんなふうに、今、また、僕のHPのカタチが揺れている。
 本日中に、なんとか、「これが僕のカタチや」というものにたどり着こうと……もがいている。(スクロールコメント 以上)

 この「もがき」とテンションの低下とは密接不離の関係にあるのではないか?←先の「ああ」のあとの※※※※部分には、これが入る。
 テンションがエンジンの回転だとすれば、エネルギーも密接不離の関係にあるはずだ。
 質のいいエネルギー(まともに物質的、肉体的な意味で)を獲得することが、テンションを落とさない絶対条件かもしれない。

 話を戻す。
 協議会における僕の発言3点(本日のは要旨のみ)

 ①登録企業は、まず、教育コミュニティエリア(エリアの大きさは市町村によって異なる)ごとに括る。←詳細については、後日、このページで述べる。
 「詳細」の例――行政がいつまでもこの事業の中核エネルギーを果たすのであれば、問題はないが、やがて行政から自立した組織に移行しようと考えているのであれば、教育コミュニティに位置づけておかなければ、ほとんど機能しない。ま、後日に……。

 ②学習プログラムの蓄積と提供は、きわめて重要。
 先にも述べたが、教育課程に位置づけられた単元を学習する過程において有効であるかどうかの判断材料になる。

 ③「支援、支援」と(軽々にいうが←「軽々」ということばは口には出していない(^_-)、「支援」には粗く、2つの発想がある。
 1つは、「学校が多くの荷を抱え、苦しそうだから、家庭や地域で支援してやろう、応援してやろう」(支援タイプ)という発想。
 もう1つは、「学校が多くの荷を抱え、苦しそうだから、家庭が引き受けるべきは家庭に、地域が引き受けるべきは地域に、適切に分担しよう」(分担タイプ)という発想。
 2つは似て非なる発想である。
 今、現実の公立小中学校が望んでいるのは、2つ目の支援、すなわち「分担タイプ」だ。
協議会での発言は、ここで止めたが、要するに、「地域の力で夢を育む教育支援プラットフォーム事業」は、1つ目の支援思想で設計されている。
 粗い。
 これでは困る。

教育コミュニティづくりは、1中学校区(人口10000人)が最適

★協議会における僕の発言の中にあった「教育コミュニティエリア」について、僕の考えを、粗く4点、アトランダムに書く。

(1)僕らの市では――残念なことに、もう、みんな忘れているし、だれも意識していないのだが、歴史的には――中学校区ごとに、地区公民館(非常勤館長1、非常勤主事3)を設置し――すなわち、小学校ができたら中学校をつくり、中学校区ができたら、地区公民館をつくる……だから、中学校ができていなければ、地区公民館はつくらない……という方式で――学校・家庭・地域の連携・協働を促す仕組みづくりを進めてきた。
 社会教育エリアと学校教育エリアをぴったりと重ね合わせて教育を構想してきたわけだ。
 この方式を、僕ははじめ、僕らの市の名前を冠して「○○型教育コミュニティづくり」といって、あちこちの講演、あるいは執筆の機会に紹介してきたのだけれど、現在は、この方式を唯一、意識しているMINAMI校区のMINAMIを冠して「MINAMI型教育コミュニティづくり」と称している(*^_^*)。
 1中学校区――
 人口10000人~15000人。
 児童・生徒 1000人。
 教育コミュニティーとしては、最適のエリアだ。(←このことに関しては、後半で、もう少しくわしく触れる。)
 しかし、事業内容によっては、2中学校区を連結して展開するという選択もあり得る。

(2)僕自身は、ここしばらく、1中学校区での教育コミュニティづくり事業に、ま、身骨を砕いてきたわけで、2中学校区の規模には、強い関心は示してこなかった。
 正直にいうと、その活動を1中学校区ではなく、2中学校区でいっしょにやりましょうよ)」という声には耳を貸さない……というか、2中学校区の枠組みを排除する方向でやってきた。
 理由は、学校、家庭、各地域団体が教育・子育てに関する課題を持ち寄り、いっしょに話し合い、考えていこうというコミュニケーションの「かたち」をつくるには、1中学校区の規模が最適で、2中学校区になると、どうしても形式的なものになってしまうと考えたからだ。

(3)教育コミュニティづくりは、1中学校区(人口10000人)が最適だという考えは、今も変わっていない。
 ただ、2中学校区の枠組みについては、集まる数が2倍になる分、人の「種類」(*^_^*)も増えて、内容的には、かなり刺激&勉強になる面もある。
 しかし、2中学校区の枠組みでいっしょに具体的な事業展開を……となると、エリアが大きく、人口も小さな市くらいあるため、どうしても形式的に流れてしまう。
 たとえば、情報交換についても、2中学校区(中学校2校、小学校3校、計5校)となると、ふだんそれほど密接な交流があるわけではないので、情報を提供する際、情報が一人歩きすることを恐れて、抽象度の高いレベルでの提供となってしまう。

(4)では、5校、すなわち、2中学校区(人口25000~30000人)という規模でやるメリットはなにもないのかというと、決してそうではない。
 いろいろな事業を、これは1中学校区でやるほうがいいのか? それとも、2中学校でやるほうがいいのか?という観点で、1つ1つ丁寧に考えていくと、2中学校区のメリットも見えてくる。
 また、2中学校区でやる場合も、
 ①同じことを別々にやる。
 ②同じことを分担してやる。
 ③同じことを融合してやる……等、いろいろなパターンが考えられるので、もっとも効果的な方法を選択するといい。

★古い話になるが、30年くらい前の、建設省(現国土交通省)「地方生活圏の圏域構成」という、既に変色し、シミまで浮かびあがった資料が、今、僕の手元にある。
 捨てられずに、僕の周辺に存在しつづけたのは、僕が、ここでいう「圏域」の大きさのレベルにこだわってきたからだ。
 事業を展開するとき、あるいは、ネットワークを形成するとき、対象範囲が、大きすぎてもいけない、小さすぎてもいけない、最適な「圏域」に注意をはらわないといけない……と、ずっと考えてきたからだ。

 参考のために、その資料を、ピックアップしつつ、紹介すると、次のようになる。
(1)地方生活圏=半径20~30㎞ 人口15万人 総合病院、各種学校、中央市場等の広域利用施設。
(2)2次生活圏=半径6~10㎞ 人口1万人以上 商店街、病院、高等学校等の地方生活圏、中心都市の広域利用施設に準じた施設。
(3)1次生活圏=半径4~6㎞ 人口5000人以上 役場、診療所、集会場、小中学校等基礎的な公共公益的施設。
(4)基礎集落圏=半径1~2㎞ 人口1000人以上 児童保育、高齢者福祉などの福祉施設。

 この「地方生活圏の圏域構成」が、地域政策を進める上で、今も「規準」として生きているのか、あるいは、また別種の新しい規準や視点が提示されているのかはわからないが――ないはずがない。後日、調べてみるつもりだ――今の僕たちの生活圏をこれにあてはめると、次のようになる。

(1)地方生活圏=僕らが住んでいる市
(2)2次生活圏=2中学校区エリア
(3)1次生活圏=1中学校区エリア
(4)基礎集落圏=各小学校区

★僕たちのまわりには、いろいろなネットワークがある。
 例をあげると、市の総合政策部が推進する地域コミュニティ構想、防災安全推進室の安全・安心ネットワーク、あるいは、福祉関係の、あるいは、教育の……この教育も学校教育系のものがあり、社会教育系のものがあり……という具合だ。
 知人に「どの会合にいっても、同じ面々だ。だから、整理する必要がある」と言い出したヤツがいるが、ま、たしかにそうしたほうがいい部分もないわけではないが、話はそれほど単純ではない。

 それぞれに、最適な「圏域」というものがあるからだ。
 知人の地区安協支部長の話だと、日常の活動は、建設省の資料でいうと、「1次生活圏」らしい。
 しかし、交通問題というのは「1次生活圏」だけを対象にしていては解決できない。
 「2次生活圏」あるいは、それ以上の圏域での活動も大切になってくる。
 僕は交通問題は素人だから、よくわからないが、話を聞いていて「1次生活圏」と「2次生活圏」の連絡・接続・連携が、非常にアクティブだという印象を受けた。

 教育だと、やはり「1次生活圏」が最適なのだが、先程も述べたように、2中学校区(人口25000~30000人)という規模でやるメリットも、もちろんある。
 よくよく考えると、僕がやっている教育コミュニティも、最適圏域、あるいは主圏域の異なる、いろいろな団体で構成されている、いわば、重層的なネットワークである。
 今後は、「重層的なネットワーク」だという観点から――1中学校区エリアを核としつつ、たとえば、活動内容によって、他エリアと(それぞれの意志で)「協定」を結ぶというふうに――再構築していく時期に立ち至っていると考えている。


学校支援には2つのタイプがある。これを押さえておかないと、学校・家庭・地域の連携・融合・協働事業は、まず、まちがいなく、道を誤る、落とし穴に落ちる

★学校・家庭・地域の連携・融合・協働の活動、あるいは、教育コミュニティーづくり活動には、粗く、2つの発想がある。
 1つは、「学校が多くの荷を抱え、苦しそうだから、家庭や地域で支援してやろう、応援してやろう」(支援タイプ)という発想。
 もう1つは、「学校が多くの荷を抱え、苦しそうだから、家庭が引き受けるべきは家庭に、地域が引き受けるべきは地域に、適切に分担しよう」(分担タイプ)という発想。
 2つは似て非なる発想である。
 「支援」も「分担」も連携だから、一見、似ている。
 しかし、「支援タイプ」は学校が荷を抱えたままであるのに対して、「分担タイプ」をこれを改めようとする。

★今、「支援タイプ」の代表として、学校支援地域本部事業やコミュニティスクール・地域運営学校、あるいは、放課後子ども教室推進事業等を、そして、「分担タイプ」の代表として、僕たちの教育コミュニティネットワークを取りあげる。
 2つの「違い」を鮮明にすることによって、僕たちがめざす「究極のカタチ」を明らかにしたい。

★くりかえしになるが、学校支援地域本部事業等、今、僕が例示した事業に共通するのは、学校を地域や家庭で支援する(学校は苦しそうだから、支援してやろう、応援してやろう)という発想がある。
 たとえば「子どもの環境は、情報化、価値の多様化も含めてどんどん変化しており、学校はこれまで以上にさまざまな課題を抱えるようになっています。学校の負担を軽減するために、地域の力を借りて学校を支援していくことが求められています」(清水潔・当時=文部科学省生涯学習政策局長、現=事務次官)という言い回しだ。

★しかし、はっきりいっておくが、僕は「学校の負担を軽減するために、地域の力を借りて学校を支援」してもらおうと考えたことは、これまで1度もない。
 現在の教育危機の元凶は、(学校が好むと好まざるとにかかわらず)学校が多くの荷を抱え込みすぎたことに(ま、僕流にいえば)「学校の教育丸抱え体制」、あるいは「学校の教育独占体制」にあると考えている。
 だから、(ここが大切……)学校が抱えている荷をそのままにして、「たいへんでしょう。だから、支援してあげましょう」という、いってみれば「そのまま、ずっと抱え込んでいろ」的な発想では、事態の好転は、ほとんど望めない。

★学校が抱えている荷のなかで、家庭が引き受けるべきは家庭に、地域が引き受けるべきは地域に……と、適切に分担(この「分担」も「連携」の一形態)することにより、学校の本来の教育活動が充実する。
 同時に、分担することにより(場合によっては現状より、負荷を背負うことになるかもしれないが)家庭も生き返る。
 地域も生き返る。
 僕らの教育コミュニティは、学校・家庭・地域、それぞれの教育のバランスが取れ、それぞれの教育が充実する状態、このことを目指した、学校・家庭・地域の連携・融合・協働であり、ネットワークづくりである……という発想だ。

★だから、「もう一度地域の人が結集するシンボルとしての学校を見直そう」(清水潔・当時=文部科学省生涯学習政策局長、現=事務次官)とか、「……さまざまなネットワーク活動を意図的に立ち上げて社会のつながりをつけ直すことが必要だと思う。そのためのひとつの有効な方法として、いい学校をみなで作ろうということを目指した、学校を拠点とした地域と学校の連携を深めるネットワーク活動がある」(金子郁容氏)という思想とは、(「絶対に」とまではいわないが、それに近いくらい)あいいれないものがある。

★くどくなるけれども、くり返す。
 すこやかみなみネットでは、学校の荷はそのままに……という連携や、学校を拠点にした連携という発想はとらない。
 学校・家庭・地域、それぞれの教育のバランスがよい状態を追い求めている。
 これが、究極のカタチだ。

 学校・家庭・地域のバランスがよくなれば日本の教育はまだまだよくなる。
 日本の学校には力がある。
 家庭もそうだ。
 地域もそうだ。
 ただ、今、バランスが悪いだけなのだ。
 バランスがよくなれば、日本はまだまだ大丈夫だ。
 逆にバランスが悪いままだと、なにをやってもなかなか効果はあがらない。
 バランスをよくするための連携事業、ネットワーク活動が大切だ。

★わかりやすくいえば、僕らの教育コミュニティづくりは「学校・家庭・地域のバランス主義」、そうでないのは「学校中心あるいは学校拠点主義」。
 この区別はきちんとつける必要がある。
 区別をつけておかないと、まず、まちがいなく、道を誤る、落とし穴に落ちる。
 今、やっている連携事業が、バランスをよくすることに結びついているかどうかを絶えず点検する必要がある。

★ちなみに、(これは後の項目で詳しく述べる内容だが)「学校中心主義」かどうかを、見分けるための簡単な方法がある。
 そのネットワークの中核になっているエネルギーがどこにあるかを点検すればいいのだ。

 いろいろな連携事業を取材するとき、僕は、必ず、まず「会議の招集はだれが決めるのですか?」「だれが連絡をとるのですか?」「会場はだれがセットするのですか?」「このプリントの文案はだれが作り、だれが印刷したのですか?」「会計はだれがやっているのですか?」等と行為の主体をたずねる。
 あるところでは、それが全部、その校区の中学校の「教頭先生」だったことがある。
 玄関先まで送ってくれた「教頭先生」が「行政がいろいろ計画してくれるのはありがたいし、その理念もよくわかるが、仕事は、どういうわけか、ぜんぶわたしに来るんですよ」と、ぼやかれたことを忘れない。
 学校中心主義の典型である。
 ネットワークの要に「教頭先生」が存在する。

 「実施要項」とか「会則」とかの「事務局」の項目をみると、「事務局には、事務局長を置き、教頭をもってこれに充てる」と、明記してある場合もある。
 最悪のパターンとまではいわないが、ま、アウトである。

★話は少しそれるが、日本の社会教育の失敗も、これに似ている。
 戦後、たくさんの社会教育団体が発足した。
 そのとき、事務局に役所の職員を充てた例が、相当ある。
 現在でも、その残骸を多く見ることができる。
 これがまずかったのだ。
 いつも歴史はくり返している。
 よほど気をつけなければ……。
















★画像=MINAMI文化祭②(文化祭画像は、これで終わる(^_^)/~)

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★RICOH・CX3が撮る僕の日常時空=部屋から西に1000歩の所にある暴走老人が心を静める城址

2012-10-28 13:31:15 | 僕のモンマルトル日記

 

職員室通信 部屋から西に1000歩の所にある暴走老人が心を静める城址
2012
10.26


★RICOH・CX3が撮る僕の日常時空=部屋から西に1000歩の所にある根城城址。(2010/03/20撮影)










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★珈琲手鍋焙煎とJAZZRADIO.com。同じ浅煎りでも二ハゼ段階をゆっくりとやると香ばしい豆に

2012-10-28 11:01:19 | 僕のモンマルトル日記

 

職員室通信 JAZZRADIO.comを聴きながら、コーヒー豆の手鍋焙煎
2012
10.28


★ノートパソコン(Let's note S10 CF-S10CYBDR)とX-HM50を接続し(スピーカーは、もちろんFLAT―6S)JAZZRADIO.comを聴きながら、コーヒー豆の手鍋焙煎。

 手鍋に生豆80グラムを入れ、極トロ火で約10分間、手鍋を1、2分おきに振り、あるいは揺すりながら、焙る。




 青緑がかった堅い生豆の輪郭が腫れぼったくボヤけ、薄黄色に変わったら、中火にして、今度は連続的に降りつづける。

 豆がアーモンド色になった段階で、強火に切り替える。
 もし、アーモンド色になって、そのまま中火で焙りつづけると、一ハゼ(バチッバチッという音)段階を経ないで、二ハゼ(ピチッピチッという音)段階に移行してしまうことがある。
 これはまずいので、強火に切り替えるタイミングに注意を払っている。


 一ハゼ後、弱火にして、ピチピチ、ピチピチ、煙モクモクの二ハゼに。
 僕は――
 ピチピチが始まってすぐやめると、浅煎り
 しばらくやると中煎り
 徹底してやると深入り
 ――と判断している(*^_^*)。

 僕はたいてい「浅煎り」を選択するが、最近、同じ浅煎りでも、この二ハゼ段階に――火の強さを加減して――時間をかけるようにしている。
 ピチピチピチピチピチピチピチピチピチピチピチピチピチピチピチピチというのではなく、薄煙をあげながら、ピチピチ……ピチピチ……ピチ……ピチ……という感じでやっている。
 二ハゼにゆっくり時間をかけると、香ばしい豆になるような気がする。

★フィルターをセットし粉を入れたドリッパー(陶製3つ穴)をヤカンの上に載せている画像は、ヤカンのフタ代わりに載せ、シュンシュン、シュンシュンと陶製ドリッパーを温めているところ。
 温めるというより、布巾を二重三重にしてやっと持てるというくらい熱くなる。 

★JAZZRADIO.com


 Carmen Intorre - Good For The Soul
 Josh Nelson - Sinking Ship


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★学校の文化祭・ハイ――未来に向かって、わけのわからない自信と勇気が沸いてくる。文化祭は、いい

2012-10-26 10:12:18 | 僕のモンマルトル日記

 

職員室通信 わけのわからない自信と勇気が沸いてくるMINAMI文化祭・ハイ
2012
10.26


★引き明けの街を散歩。

 部屋を出るときは、西(城址)に向かうか、東(運動公園&中心街)に向かうか迷っていた。
 この(画像の)朝焼けが目に入ると、カラダが勝手に東に向かって動き出した(^_^)v。
 画像では、街が焼かれるような色になっている。
 しかし、僕がこの目で見たのは、鮮血で染まった――口のうちで「ああ」と叫んでしまうほどの――赤色だった。
 ま、どちらにしても、太陽が出る直前の、運動公園の森の向こう側は、この世の街ではないものに感じた。

 坂を下りながら、同人雑誌の編集会議で出会った頃の仁科源一氏の詩の一節(後半)を思い出した。

 「おれのあとから おまえも くるんだぞ」
 あいつの右手からの
 生存することの勇気
 血 生命でかためられた蝋燭の炎は
 ぼくの魂の
 激した血流に
 閃き輝きを放ちながら
 燃えだす

 ほどけた手の平に
 熱い誓いをそのままにして
 あいつは 出発する
 着実なステップを砂になみうたせて

 あいつの姿が プラチナに
 ちかちかして
 ついにはみえなくなる
 ぼくは それでも なお立ち尽くし
 あいつのように
 プラチナを渡ってゆく時のことを
 思いつづけている――引用=「生きる、それに覚醒(めざめ)た時(源太郎)」

 これを、当時の僕は、次のように読んでいる。――
 「あいつ」は「出発」し、「ぼく」の「ほどけた手の平」だけが残される。
 このとき、源太郎は、恐怖と抵抗の交錯する、とりとめもない心を、はげしい拒絶の意志に転化します。
 先の「先駆-後駆」、あるいは「賓辞-主辞」の関係を、強引に逆転したということでしょう。
 「閃き輝きを放ちながら燃え」ているのは、決して「あいつの右手から」流れ込んだ「熱い誓い」ではなく、「あいつ」を拒絶し、その「拒絶」が燃料となって燃焼しているのです。
 賓辞であった「あいつ」が主辞となる。
 そして、主辞であった「ぼく」が賓辞となる。
 こうして、「ぼく」は、「ちかちかし」ながら「ぼく」から遠ざかっていく「あいつ」を見送っている。
 その「時」、「生きる」、これに「覚醒」た。――引用=当時の僕から仁科源一氏への書簡の一部

 かなりひねくれた読み方をしている。
 「あいつ」への嫉妬心が、こういう読み方をさせたのだろう(ノ△・。)。

★総合運動公園を横切っているとき、急遽、森の向こうの、この世の街ではない場所に入っていくことを断念。
 陸上競技場トラクックをグルグル回ることにした。
 アウトコースの外側の芝生をトボトボと歩いていると、後方から追いつき、追い越していくおばさん(お姉さんかも?)から「おはようございます」と声をかけられた。
 僕も「おはようございます」と返す。
 画像は、僕からドンドン遠ざかっていく、おばさん(お姉さんかも?)。


       

★文化祭の画像①――



 文化祭というのは不思議な日だ。
 はじめは、全校朝会や生徒集会、あるいは何かの式――始業式や終業式に出るような気分で体育館の片隅にいる。
 しかし、合唱、学年演劇、あるいは、各教室の展示発表など、いろいろな発表に向かいあっていくうちに、僕の魂が現実から溶けでて、見たことのない場所に突きすすんでいく。
 そして、文化祭が終わったあと、「展示作品に囲まれてあんなに透きとおるような気持ちになったんだから、自分も結構、いいところがある」とか「(演劇場面に同化したり、その感動をまわりにいる人々と共有したりして、なにか力がみなぎり)よし、僕もがんばるぞ」とか、未来に向かって、わけのわからない自信と勇気が沸いてくる。
 文化祭・ハイとでもいうのだろうか。
 ハイになる一瞬が、いい。
 ハイになっていることに気づく一瞬も、いい。
 映画にたとえると、「ハイになる一瞬」は映画館の中の暗がり。
 「ハイになっていることに気づく一瞬」は、映画館から出、光を浴びたときの、まばゆさの中……。
 文化祭は、いい(^_^)v。
















★関連記事
★ゴールはどこか? どこに向かえばいいのか? 多くの時間を迷いつづける。これが人生だ。これが文化祭だ
★カリンの収穫。文化祭に間に合うように、かつ、ぎりぎりまで熟させて……ということで、本日、収穫
★一般に体育、音楽、美術、技術家庭科の人気が高い。1人1人の学習活動がきちんと保証されているからだ
★国土交通省発表「地震時等に著しく危険な密集市街地」地図から、夕暮れ時の彼女の大阪弁が聞こえてきた
★保護者から苦情の電話。重い気分で対応していたが、最後にどんでん返しが待っていた。ホンマ、おおきに!
★「MINAMI中物語」と「RICOH・CX3が撮るささいな日常風景」。いったいどちらが光源なのか?


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★「MINAMI中物語」と「RICOH・CX3が撮るささいな日常風景」。いったいどちらが光源なのか?

2012-10-21 14:22:41 | 僕のモンマルトル日記

 

職員室通信 「MINAMI中物語」と「RICOH・CX3が撮るささいな日常風景」。いったいどちらが光源なのか?
2012
10.20
 

★RICOH・CX3が撮る僕の日常=早朝、散歩。
 夜来に雷雨・雷鳴(降水量、午前1時=6ミリ、午前2時=8ミリ、午前3時=2ミリ)があったので、ところどころに大きな水たまりができていた。

 僕の散歩コースは、現在、2つある。

 1つは、部屋を出、西に向かい、1キロ地点が城址正門、1.6キロ地点が城址公園の突き当たり。
 そこから砂利石の急坂を下り、堀に掛かった木橋を渡ると本丸に至るが、有料なのでめったに進入しない。
 仕事で一度、入ったきり。

 もう1つは、部屋を出、東に向かい、1キロ地点が総合運動公園、運動公園の森を抜け1.6キロ地点が中心街。

 どちらのコースにするかは、部屋を出、外気に当たった瞬間、決まる。
 本日は中心街コース。
 放送局の隣の古書店を目指す。
 古書店前で時計をみると、部屋を出てから20分。
 歩数計は2000歩。

 ふいに「ああ、お城のそばの下宿から大学までの距離と同じだ」と思う。
 たぶん、昨日、届いた仁科源一氏の書簡にあった「『狂想』の頃の、森町の書架が記憶に鮮明となり……」の一文が影響しているのだろう。
 『狂想』とは、仁科源一氏と僕がやっていた同人雑誌。
 「森町」とは、僕の下宿があった所で、仁科氏とはよく語りよく飲んだ。
 この僕とは別に、幻の僕がいて、今でも森町の下宿と大学を行ったり来たりしている。
 ときどき現れ出て、大学時代=青春時代の光源から発する強い光で、今の僕を照射し、クラクラとさせる。
 いや、グラグラとさせる。

★現在、ホームページ改造中。
 改造のポイントは次の2点――

 ①画像の力を借りて、時空間の持続性を出そうとしている。
 今までになく、画像の数が増えているのはこのためだ(*^_^*)。

 ②Diary記事は、2本立てに。
 ひとつは、「RICOH・CX3が撮る僕のささいな日常風景」――最近の例=「陶製ドリッパーをヤカンのフタにしてシュンシュン」「赤い地図(地震時等に著しく危険な密集市街地)の中から、夕暮れ時の彼女のやさしい大阪弁が聞こえてくる」「イベントで撮影された画像の中の、僕の顔が丸々と太っている(ノ△・。)」「昨夜の敗戦にショックは受けていないが、ライオンズがこんなにひ弱であることは、すごく悔しい」等々……。
 もうひとつは、「教育臨床学――MINAMI中学校物語」――最近の例=「文化祭準備週間 (1)アイデンティティの垂直軸(時間軸)――自ら課題を見つけ、自ら学び、自ら考え、主体的に判断し、行動し、自らの可能性を見いだしつつ、いいものを創り出す週間。(2)アイデンティティの水平軸(空間軸)――自らを律し、共生、寛容の精神を培い、他者と協力し、自らと社会とのつながりを見いだしつつ、いいものを創り出す週間」。

 この2つ、すなわち「RICOH・CX3が撮る僕のささいな日常風景」と「教育臨床学――MINAMI中学校物語」の組み合わせで1日分の記事を構成しようとしている。
 組み立て方法は、現在、思案中。
 アップしながら、日々、手直しし、やがて、ひとつの「型」に至りたいと考えている。

 「MINAMI中物語」の光源が発する強い光で「RICOH・CX3が撮るささいな日常風景」の僕をクラクラさせようとしているのか? あるいは、その逆なのか?
 ま、正直にいうと、現時点の僕は、MINAMI中の時計で日常の時間を計りながら、ひそやかに生きている。
 しかし、このホームページは、元々は、「茫漠の時空間=僕の過去」を「現在の僕」が「職員室通信のカタチ」で疾駆する……という方針だった。
 くどくなるがはっきりさせるためにくりかえすと、「RICOH・CX3が撮るささいな日常風景」の光源で、「MINAMI中物語」を照射する……というのが元々の方針だった。
 戻すべきか?
 このままでいいのか?
 もう少し時間をかけるみるつもりだ。
 どっちにしても、さしたる違いはなく、僕はこのまましばらく生きつづけ、やがて野垂れ死にする……というだけの話かもしれないが……。
 達観してこういうもの言いをしているのではなく、なんだか、徐々に無神経になりつつある。
 いつのまにか朝が来て、夜になる。

         



★午前中、向かいの公民館の文化祭と、隣の小学校の子ども祭りに参加する。
 以前は、公民館の文化祭、小学校の子ども祭り、中学校の文化祭は、バラバラに実施されていた。
 これを2004年から地域のお祭りとして合同でやるようになった。
 日程は――
 土曜日=子ども祭り&公民館文化祭
 日曜日=中学文化祭&公民館文化祭。

 メリットはスライドにある通り。
 逆にデメリットもある。
 このことについては、ページを改めて特集を組みたい。

 
 
 
 
 
 
 
 
(公民館文化祭 以上)

     

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 



★保護者から苦情の電話。重い気分で対応していたが、最後にどんでん返しが待っていた。ホンマ、おおきに!

2012-10-19 17:56:14 | 僕のモンマルトル日記

 

職員室通信 陶製ドリッパーをヤカンのフタにしてシュンシュン。香りのレベルが一段高い
2012
10.19


RICOH・CX3が撮る僕の日常=フィルターをセットし粉を入れたドリッパー(陶製3つ穴)を、湯を沸かすヤカンのフタ代わりに載せて、シュンシュン、シュンシュン、やっている。
 湯が沸騰すると、ドリッパーも触れないくらい熱くなる。
 粉もほんのり温かい。
 僕はペーパーフィルターの湯通しはやらない。
 ただ、陶製ドリッパーの冷たいのはすごく気になる。
 たとえば、お好み焼きを焼くとき、生地を鉄板に流すと、僕らが使う家庭用の小さな鉄板の場合、表面温度が急激に下がる。
 ドリッパーも同じではないかと考えている。
 お好み焼きの場合だと、鉄板の温度が下がるのを防ぐために、そのときだけガスの火を最強にアップする。
 しかし、珈琲は、これができない。
 だから、ドリッパーをヤカンに載せてシュンシュンやっている。
 ヤカンに載せてシュンシュンやってから淹れた珈琲は、きっと気のせいだと思うが(*^_^*)、香りのレベルが一段高い(*^_^*)。

       

★帰ろうかな……ユニホームから背広に着替えたところで、ひとりの保護者から学校部活動に関する苦情の電話があった。

 平静に対応しながらも、苦情の電話を受けているのだから、背広に着替えたときの気分からは一転して沈鬱な気分に。
 だが、この話、最後に、あくまでも「僕的」気分の範囲においてではあるけれども、どんでん返しが待っている(^_-)。
 ま、「どんでん返し」は最後に書くことにして、まず、メインの保護者の訴えを列挙する。

 保護者は本校の特定の部について述べている。
 しかし、いくつかは他の部にも関連すると思う。
 共通のテーマとして取り上げたい。
 なお、「沈鬱」といったが、「不快」という意味ではない。
 ①保護者の要望・願望・切望・熱望・懇願……に全身全霊、耳を傾ける。
 ②正当な言い分の場合は、本校教職員のエネルギーの配分基準を慎重に考慮しつつ、その具体的な対応策を提示する。
 ③場合によっては「言い分」を修正してもらう。
 この①~③が結構、骨の折れる過程だという意味である、念のために。



★保護者の要望――

(1)顧問が遅刻する。
 生徒に「時間厳守」と指導しながら、自分は遅刻する。
 指導者として姿勢を正してほしい。

(2)練習計画の突然の変更がある。
 土・日および祝祭日のスケジュールが突然変更になり、家庭の予定を急遽、変更せざるをえないことがある。
 急な変更もあると思う。
 また、「うちの子」がきちんと聞いていないのかもしれない。
 が、できうる限り、余裕をもって計画を提示してほしいし、また、子どもに対して確実、ていねいに説明してほしい。
 また、「突然の変更」ではないが、「部活動のない日」が多いように思っている。

(3)ペナルティーの根拠が不明である。
 先日、活動の延長届けを出しているにもかかわらず「やる気のない者は帰れ」と帰されてきた。
 しかし、「うちの子」はなぜ帰されたのかわかっていない。
 子どもが納得するようにきちんと説明してほしい。

(4)活動内容がアバウトである。
 「きょうはどんな練習をしたの?」と聞くと「遊んでいた」と言う。
 「顧問の先生はいたの?」と聞くと「いなかった」と言う。
 常についてくれとは言わないが、つけないときの練習内容に関する指示を的確に出してほしい。――

★保護者の話は以上である。
 きちんと整理されている。
 いい話だと思った(^_^)v。
 ホンマ、ありがたい話だと思った(^_^)v。
 学校として、確実に、具体的に対応することを約束する。
 また、「部活動のない日」――以前は、本校でも「部活動のない日」といっていたが、現在は「家庭・地域活動の日」――については、趣意を説明した。

★さて、どんでん返しの話である。
 保護者が最後にこう言った。
 「わたし、いつもHP(600字の教育学)を見ています。お電話しようかやめようかと随分、迷いましたが、こういうHPをつくる方なら、話を聞いてくれるかもしれないと思って、お電話しました。」
 照れくささと同時に、電話中ずっと、心の奥に「沈鬱さ」を秘めて対応していた自分がはずかしくなった。
 めったに人が訪れない秘境のようなHPをみてくださっていたのかぁ~……と思うと、飛び上がるほど、うれしくなった(←ホンマ、単純な僕です)。
 ひょっとしたら、保護者ははじめから、最後の最後にHPの話をしようと決めていたのかもしれない。
 ああ、こちらも負けずに、受話器をもったお母さんを屋根まで飛び上がらせるくらい「元気にさせる言葉」を発するべきだった……と思ったけれど、もう電話を切ったあとだった。














★画像は、文化祭準備期間中の子どもたち。
 きょうは演劇、弁論、活動報告等、音声表現活動を中心に取材した。
 このこと(意思と音声)について記述するつもりだったが、HPのスペースも、僕のエネルギーも尽きてしまった。
 次回に述べる。

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★国土交通省発表「地震時等に著しく危険な密集市街地」地図から、夕暮れ時の彼女の大阪弁が聞こえてきた

2012-10-18 15:29:12 | 僕のモンマルトル日記

 

職員室通信 生徒会文化祭実行委員会発行の「文化祭通信」がすばらしい
2012
10.18


★この地図は、10/12、国土交通省が発表した「地震時等に著しく危険な密集市街地」地図の1枚だ。

 天王寺区、阿倍野区、生野区、東成区に渡って赤く塗られたエリアは、僕のふるさと、僕の宇宙だ。
 だから、赤い縁に沿ってマウスポインタを移動させると、涙で濡れた目に道路と路地と家並みが浮かびあがってくる。

 木造住宅の割合が高い地域。
 住宅の密集率が高い地域。
 道路の行き止まりが多い地域。
 これらの総計で「著しく危険な密集市街地」に指定されたのだ。
 要するに、地震時に火災の危険度が高く、逃げ遅れが生じやすい……ということだ。

 小学生の頃、僕の家に同じクラスの女の子が遊びにきた。
 彼女が帰るというので、格好をつけて途中まで送っていった。
 路地をクネクネ曲がっているうちに、僕は道がわからなくなり、帰れなくなってしまった。
 キョロキョロする僕を見て、「小高君、ここからひとりで帰れるの? なんやったら、あたし、送っていこか?」と。

 赤い地図の中から、夕暮れ時の彼女のやさしい大阪弁が聞こえてきた。



★画像は、僕が立ち尽くした大阪の路地、路地、路地。












★文化祭準備期間中、生徒会文化祭実行委員会から、毎日「文化祭通信」が発行されている。
 これはすばらしい。
 今、学校全体が巨大な迷路になっている。
 個々の練習や作業が、文化祭全体のどの部分になるのか、まったくわからない。
 「文化祭通信」は、この迷路の「地図」といえる。
 そして、やがて、あちらとこちらとが接続され、組み立てられ、新しい世界が構築されていく、その「ストーリー」の記録でもある。

 インタビュー記事もいい。
(1)アイデンティティの垂直軸(時間軸)――自ら課題を見つけ、自ら学び、自ら考え、主体的に判断し、行動し、自らの可能性を見いだしつつ、いいものを創り出す週間。
(2)アイデンティティの水平軸(空間軸)――自らを律し、共生、寛容の精神を培い、他者と協力し、自らと社会とのつながりを見いだしつつ、いいものを創り出す週間。
 この(1)&(2)は、文化祭準備期間中の子どもたちを観る、僕の視点(構え)だ。
 インタビュー記事から、この2軸が、今、子どもたちのうちで、エネルギッシュに絡み合い、閃光を発しつつあるのがよくわかる。


















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★一般に体育、音楽、美術、技術家庭科の人気が高い。1人1人の学習活動がきちんと保証されているからだ

2012-10-17 13:58:20 | 僕のモンマルトル日記

 

職員室通信 イベントで撮影された画像の中の、僕の顔が丸々と太っている(ノ△・。)
2012
10.17
 

★先々週の土・日と、先週の土・日に僕が出席したイベント――結婚式披露宴やら、教育コミュニティづくり研修会やら――の画像が届き始めた。
 メールに添付されて送られてくるもの。
 自前のプリンターで印刷されて送られてくるもの。
 デジカメデータを写真屋さんでプリントして送られてくるもの。
 どれを見ても、画像の中の、僕の顔が、丸々と太っている(ノ△・。)。
 以前、ブログ記事にも書いたように、体調不良で、このひと夏、無為徒食。
 体重にして2キロ――基準は4年前の体重――増。
 胴回りがやや太くなったぁ~とは感じていた。
 でも、ズボンがはけないほどでもないし、顔も、毎日、洗面のときに見ていて、特に変化はなかった。
 こうして他人に撮ってもらった画像を見て、はじめて変化に気づいている。
 「これはイカン……」という感じである。

★画像は、今の僕のデスク。
 左上のライオンズメガホンが、ここ一両日、むなしい(ノ△・。)。
 左下に上部だけ見えるのが、初めてもらった給料でゲットしたスピーカー――コーラルのFLAT―6S(白色のコーン紙の16㎝のフルレンジユニット、1ウェイ1スピーカー、バスレフ方式、ブックシェルフ型、インピーダンス=8Ω、最大入力=20W)。

 





 

★プロ野球の試合で、インニングとインニングの間に、監督&コーチを中心に選手たちが円陣を組み、これから始まるインニングのポイントを確認し合う場面がある。
 本校では、週初め(たいていは月曜日)に、これを行う。
 「週報」のトップに、各分掌部長からの「今週の重点ポイント」が記されている。
 職員朝会でそれを短く説明する。
 次のコメントが、「週報」に記載された、僕のポイントだ。
 半カッコ内の記述は、このブログ記事のための補足。
 「(一見、授業に参加しているようだが、実は他の事に心が奪われていて授業に注意が向いていない)ウワの空状況の打破。①教師の目線 ②学習活動の保証 ③達成状況の確認」

 説明――
 ①目線=ひとりひとりの生徒に0.1秒ずつ目線を止めながら指示する、発問する、語る。
 これができない。
 宙をさ迷っている。
 これができるようになると、本校の授業は変わる。
 ②学習活動の保証(本校の「授業力向上の5原則」の1つ)
 昨日、一松Tの体育の授業を参観した。
 体育館の床いっぱいに能力別のコースが設定されていた。
 生徒はひとつのコースをクリアー(合格)して、次のコースに挑戦していく。
 どの生徒もいっしょうけんめいだった。
 こういう学習活動の保証の仕方が大切だ。
 生徒の中では、一般に体育、音楽、美術、技術家庭科の人気が高い。
 これは体育が好き、音楽が好き……ということ以上に、学習活動がきちんと保証されているからだ。
 ひとりひとりの生徒に、どのように学習活動を保証するか?
 この点検と工夫が今週のポイントだ。
 ③達成状況の確認(これも本校の授業力向上の5原則の1つ)。
 挙手もそのひとつ。
 10/11の模擬授業大会では、ただ挙手させる場面があった。
 数えることが、教師と生徒のつながりになる。
 数えることが、生徒を認める、評価することになる。
 瞬時に挙手の数を数えることができる技術をマスターしよう。
 2人の挙手を「イチ」と数える。
 3人、あるいは4人の挙手を「イチ」と数えると、逆に速度が落ちる(*^_^*)。

★50分間の授業を通して、教師と生徒の人間関係をつくりだすのが学校だ。
 もちろん、授業以外の場もある。
 生徒会活動を通した人間関係もある。
 部活動を通した人間関係もある。
 それはそれで大事だ。
 しかし、学校は50分間の授業を通した人間関係がきちんとしていないとダメだ。
 部活動の人間関係は授業の人間関係の代わりにはならない。
 50分間の授業の中で「ああ、この先生はわたしを大切に思ってくれている!」
 「ああ、この先生はわたしに一生懸命教えてくれている!」
 はっきり言うけれども、こういう関係を作りえないところに、いろいろな問題が起きている。
 目標に到達できないまま、子どもたちをほうりだすことは絶対にしない――ここのコメントの語調が少し鋭くなった。

★画像は、文化祭の準備の様子。
 文化祭準備期間中の子どもたちを観る、僕の視点(構え)を再述する。

(1)アイデンティティの垂直軸(時間軸)――自ら課題を見つけ、自ら学び、自ら考え、主体的に判断し、行動し、自らの可能性を見いだしつつ、いいものを創り出す週間。

(2)アイデンティティの水平軸(空間軸)――自らを律し、共生、寛容の精神を培い、他者と協力し、自らと社会とのつながりを見いだしつつ、いいものを創り出す週間。
 
 この2軸(垂直軸&水平軸)が、エネルギッシュに絡み合い、閃光としてみえるようになればいいのだが……。

 
 

 
 
 
 
 
 
 

★窓外の風景。
 一日一日、秋の色が濃くなる。

 
 
 
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★週報コメント=「目線を子どもの目から目へと連続的に移動させていく修業への挑戦」への補足
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★カリンの収穫。文化祭に間に合うように、かつ、ぎりぎりまで熟させて……ということで、本日、収穫

2012-10-16 12:09:32 | 僕のモンマルトル日記

 

職員室通信 昨夜の敗戦にショックは受けていないが、ライオンズがこんなに「ひ弱」であることは、すごく悔しい
2012
10.16


★パ・リーグCSファーストS、2位ライオンズ対3位ソフトバンクホークス。
 昨夜、1勝1敗のあとの第3戦、ライオンズ敗戦(ノ△・。)。
 僕の投手登板予想は、先発石井、パッとしなかったら、すぐ十亀、野上、菊池にチェンジし、6回からは、いつもの「俺たち」――長田・岡本篤・ウィリアムス・涌井。
 いわば1人1インニング作戦だ。
 実際の登板は――
 石井(3回1/3)
 十亀(2/3)
 野上(3回2/3)
 岡本篤(1/3)
 涌井(1回)。
 予想通り十亀が登場。
 期待したが、緊張からか? コントロールを気にし過ぎたからか? いつもの十亀の投球ではなく、棒球。
 ペーニャに痛打される。
 野上は絶好調――菊池等、他の投手の分まで投げる(^_^)v。
 ホンマ、立派になった。
 涙が出た。
 9回の秋山の2度のファインプレーもよかった。
 負けても僕が大きなダメージを受けなかったのは、野上の好投と、秋山の執念の美技があったからだろう。
 打線はアカン。
 中島はあの程度(ノーヒット)だと思うが、浅村にはもっと活躍してほしかった。
 今回の敗因は浅村の不調。
 彼の今後の奮闘努力に期待したい。
 これで僕の今年のプロ野球は終了。
 僕の裡にある「ライオンズ」と比較すると、ひ弱。
 並みのチーム。
 対戦相手に「くみしやすい」と感じさせる。
 昨夜の敗戦にそれほどのショックは受けていないが、「ひ弱」であることは、すごく悔しい。

★画像=けさの城址。
 この椅子で瞑想する。
 ブレストは、詰まるところ、特定の「テーマ」に基づいた思考だ。
 だから、思考が枠にはめられる。
 で、きょうはブレストはやめる。
 何も考えないで、「思考」そのもののほうから沸きあがってくるのを待った。
 しかし、何も沸いてこなかった。
 沸いてくるのを、しばらく――一ヵ月くらい――待ってみることにする。

 本日、60分、6000歩。





★MINAMI中では、文化祭の日にカリンをご来校の方々にお配りするのが恒例になっている。
 楽しみに待っている地域の方もいる。
 それに間に合うように、かつ、ぎりぎりまで熟させて……ということで、K技能主事と相談し、きょう――気温20℃、晴れ、西北西の風、風速4(m/s)――収穫することにした。
 お天気にも恵まれ、収穫は順調に進んだ。
 今年の出来は、画像のようにまずまずだ。
 実が大きくなりすぎると、味がおおざっぱになる。
 この点で今年は最適だ。

★腕のいい教師による知的で楽しい授業、高い学力、朝夕の学級合唱、合唱部の歌声、掃除の行きとどいた校舎、品格ある校歌の歌詞と旋律、校舎から眺める美しい風景、ほたるの里、教育コミュニティネットワークに集う人々の笑顔……これらは、快適なMINAMIの生活の前提だ。
 校地の西側一帯に植えられているカリンも、この前提の1つだ。

 僕も5、6個もらって、花梨酒をつくるつもりだ。
 1ヶ月程度でも飲めるらしいが、経験的にいうと、3、4ヶ月でカラメル色に変化し、半年を過ぎると、熟成して、まろやかな味になる。

★カリン(花梨)酒の作り方
 〈材料〉
 ・かりん700g~1200g(カリン3、4個)
 ・氷砂糖200g
 ・35度のホワイトリカー(または35度の焼酎)1.8リットル、
 ・4リットル程度のフタ付き広口ビン1個。

 〈作り方〉
①カリンは皮ごと使うので、ぬるま湯に浸しながらタワシを使ってゴシゴシ洗う。
②洗ったカリンは自然乾燥。
③2~3日して表面に蜜がにじみはじめたら、包丁で厚さ2cmくらい輪切りにして漬け込む。このとき種も実と一緒に漬け込む。
④1か月で一応飲めるようになるが、熟成には6か月以上必要。熟成したら、実を取り出し、お酒をこして別のびんに移しかえる。

 なお、カリンの実は硬いので、輪切りにするとき、手を切らないように気を付けてください。
 僕もヒヤッとしたことがあります。
 ホンマに、ホンマに、気をつけてください。
 硬くて輪切りにするのはたいへん……という場合、僕はやったことはないのですが、次のような方法があるようです。
 〈参考〉
 皮は剥かないで 、ラップでまるごと包み、電子レンジ600Wで1分程度過熱する。





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今年もみなみのカリンでカリン酒を作る。輪切りのとき蜜で手がベタベタ。プンプンと香りも。熟成が楽しみ


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★ゴールはどこか? どこに向かえばいいのか? 多くの時間を迷いつづける。これが人生だ。これが文化祭だ

2012-10-15 14:35:01 | 僕のモンマルトル日記

 

職員室通信 魂が現実から溶けでて、未来に向かい、わけのわからない自信と勇気がわいてくる
2012
10.15



★今週は文化祭準備週間だ。

(1)アイデンティティの垂直軸(時間軸)――自ら課題を見つけ、自ら学び、自ら考え、主体的に判断し、行動し、自らの可能性を見いだしつつ、いいものを創り出す週間。

(2)アイデンティティの水平軸(空間軸)――自らを律し、共生、寛容の精神を培い、他者と協力し、自らと社会とのつながりを見いだしつつ、いいものを創り出す週間。

★それぞれの練習会場や作業場所を取材してまわった。
 個々の練習や作業が、文化祭全体のどの部分になるのか、ま、当然のことだけれど、まだまだよく見えない。
 学校全体が巨大な迷路になっている。
 やがて、日がたつにつれ、徐々に、あちらとこちらが接続され、組み立てられ、当初は想像もしなかった――大きな喜び&後悔を含む――魂が現実から溶けでて、未来に向かい、わけのわからない自信と勇気がわいてくる「新しい原理」に至る。
 楽しみである。
 と同時に、人生とすごく似ていると感じる。
 一歩一歩、着実に踏みしめているつもりだったけれど、気がついたらコースから大きくはずれている。
 ゴールをめざして疾駆しているつもりだったけれど、いつのまにかタイムスリップし過去に戻っている。
 急ごうと抜け道を通ったら、元の道だった。
 あるいは、急ぎすぎてゴールを通り越した。
 僕らは、ほんとうのゴールはどこにあるのだろう? どこに向かって走っていけばいいのだろう……と、ほとんどの時間を迷いつづける。
 そして、いつしかゴールに至る。
 これが人生だ。
 これが文化祭だ(^_^)v。















★だいぶ気温が下がってきた。
 この時期になると、教室の窓が活動する子どもたちのあたたかさでくもりはじめる。





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★送り火。僕につづいて、パートナーもまたいだ。パートナーの身体が、一瞬、火に照らされ、闇に消えた


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★力のある教師とは、「いい授業で、非行もいじめも不登校もクリアーできる」と言い切るプロ教師のこと

2012-10-12 13:36:49 | 僕のモンマルトル日記

 

職員室通信 「O君、これ、海のにおいだよ。O君、ほんとうに、いいにおいだね」
2012
10.12


★画像は、MINAMI中・教育哲学の椅子。
 いつもは、だれでも座れるようになっている。
 ま、いちばんたくさん座っているのは、この僕だ。
 今は、他県からの視察団を迎えるために「花置き」になっている。





★画像は、本日の模擬授業。
 英語(1コマ)――分掌会議(総務部・教務部・研修部・保健部・生徒指導部)終了後の15分間(模擬授業10分間→指定発言者2人からのコメント各1分間→生徒役Tからのコメント1分間→助言者コメント2分間)。
 授業者=田美T
 指定発言者=小和田T・西津T
 授業者は、指示にしても語りにしてもプロ級で――一般の人は「教師はみんなプロだろう」と思うかもしれないが、「プロ球」の腕の持ち主は、ま、僕がこれまで観てきた範囲に限定していえば、めったにいない(ノ△・。)――指定発言者席の隣に座っている僕のカラダがブルブルと震えた。
 こういう「プロ球」の存在は、本校教員の授業力向上に大きな力になる。


★本校は、日本でいちばんいい中学校をめざしている。
 アプリオリに「いい学校」は存在しない。
 「いい学校」は創り出すものだ。
 だれが創り出すのか?
 家庭や地域と連携・融合&協働しつつも、主役は、もちろん、教師だ。
 それも力のある教師だ。
 だから、「いい学校」も、力のある教師がいなくなると、1、2年で大荒れの学校になる。
 逆に、大荒れの学校も、力のある教師が集まれば、(ま、よくするほうは、悪くするより、数十倍の時間とパワーを要するが……)「いい学校」になる。
 教師の腕次第だ。

 念のためにいうと、「力のある教師」とは――ここが大切なのだが――「授業力のある教師」のことだ。
 いわゆる生徒指導力ではない。
 そんなものはいらない。
 力のある教師とは、「いい授業で、非行もいじめも不登校もクリアーできる」と言い切るプロ教師のことである。

 さらに念を押すと、そういうプロ教師を養成するシステムを、学校がもっているかどうか?
 優れた養成システムをもっているのが「いい学校」ということになる。

 本日の模擬授業で、指定発言者席の隣に座っている僕のカラダがブルブルと震えたのは、田美Tのような「プロ教師」の存在が、養成システムの核になる……と実感したからだ。



★MINAMI中は、窓からの景色が美しい学校だ。


 昼休み、校内巡回の途中で、その風景に見とれていたら、友人・仁科源一の詩を想起した。

  「地平線」
一日
燃えていた
窓が
落ちていく

「行方」
窓を
捜していた
気の遠くなる
夕焼けだった

「夕日」
窓は
地平線を
追い掛けていった


 なんだか仁科に見つめられているような気分になってきたところで、隣に、いつのまにかやってきていた1年のO君から、
 「海のにおいがしませんか?」
 とたずねられた。
 海からの、やや冷たい微風が吹いていた。
 しかし、僕には何もにおわなかったし、O君が一般論として「海のにおいがしてきそうですね」という話をしているのだと思い、「そうだね、海からいい風が吹いているね。ここをしばらく離れて、海から遠い街で暮らしていて、そして、ひさしぶりに帰って、この窓辺に立つと、海のにおいがするかもしれないね……」などと言っているうちに、なんと、海のにおいがしてきたのだ。
 「O君、におうね、これ、海のにおいだよ。O君、ほんとうに、いいにおいだね」
 少し興奮して、O君に声をかける。
 精神が、中学生に帰っていく気分だった。



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★「ご飯がおいしく食べられて」「無理をしないで毎日をすこやかに過ごす」。僕は、こういう旋律に弱い

2012-10-11 15:33:24 | 僕のモンマルトル日記

 

職員室通信 小3・4・5・6……この4年間の積み重ねが、今の「読書大好き中学生」につながっている
2012
10.11


★早朝、いつものように、僕のパソコンのホームページになっているMyYahooのコンテンツをチェック――
(1)受信メール
(2)国内ニュース
(3)プロ野球・パリーグの結果(今は土曜日からのCSの日程のみ)
(4)天気予報……。
 コンテンツには、他に「きょうの占い(12星座占い)」もある。
 これは、その日の気分や時間の有無によって開くこともあれば開かないこともある。
 僕は縁起かつぎはやらない。
 北も南もない。
 占いも信じない
 ただ、以前、仕事上あるいは人間関係上で大トラブルがあった日、夜になって「きょうの占い(12星座占い)」開いたら「大当たり!」ということが3回くらいあった。
 だから、気にならないことはない(*^_^*)。

 ふと見ると、「総合運」が「58点」と、かなり低い。
 しかし、見出しは「生きる喜びにあふれそう」となっている。
 総合運が低いけれども「生きる喜びにあふれる」って、いったいどういうことだろうかと、「もっと詳しく」をクリック(されられてしまった)。

 生きる喜びにあふれた1日。
 「毎日元気で楽しく過ごして、愛する人のために働くことができて、ご飯をおいしく食べられて……」ということがどんなにすばらしいことか実感できるでしょう。
 あなたの存在がたくさんの人を支えているということを知れば、自然に自分を大切にする重要さがわかってきます。
 無理をしないで毎日をすこやかに過ごすことを目標にして、スケジュールを決めましょう。
 運動の習慣をつけるのにもいい日です。(「総合運コメント」以上)

★「ご飯をおいしく食べられて」(←これ、僕の日本語感覚だと「ご飯が」ですよ)とか、「無理をしないで毎日をすこやかに過ごすことを目標にして」とか……僕は、こういう旋律に弱い。
 昔、公立学校教員を辞するつもりで、ひそかに、いろいろと、たくらみ、準備をしていた時期があるのだが、それらを、ぜんぶご破算にして、教員として再出発しようと決めたきっかけは、この「ご飯を……」「無理をしないで毎日すこやかに……」という旋律だった。

★今、仕事がうまくいっていない。
 毎日、「このままではダメだ」「このままでは腐る」「泥土に吸収される」と、鬱々と暮らしている。
 けさ、午前3時に目が覚めた。
 元気だと、起き出す時間だ。
 しかし、そういう気になれない。
 布団をかぶったまま、横になり、「打開策」に関するブレストをやったが、いい案は、ひとつも出てこない。
 1ミリも前進できない。
 それどころか、さらに泥土に溶け入る。
 1時間くらいブレストをやったのだろうか。
 麻酔にかかったように、再び眠りに落ちる。
 夢を見た。
 どこかの観光地にある食堂2階の大座敷でパートナーたちと食事をしている。
 満席だ。
 なぜか乱氏もいる。
 後ろのテーブルにいる酔客の背が、僕の背にもたれかかってくる。
 「オイオイ、危ないやんけ」と僕が怒っている。
 薄暗い、セピア色の夢だった。

★画像は、昨日、早朝の霧に包まれた城址。 霧に射しこむ日の光が美しい。

★メモ――「職員室通信」を発行するとき、数行、スペースが余ることがある。これを埋めるのが「メモ」記事だ。


 メモ記事――
 1学年は読書好きの生徒が多い。
 昼休み、図書室は1学年の生徒であふれている。
 1学年での指導もあると思うが――前回の記事(「学力の高い中学校には、必ず力のある国語教師がいる」)でも触れたように「小学校教育の、小学校教育以降の教育への影響は大きい」から――もしかしたら小学校段階での意図的な指導があったのかもしれないと、小学校を訪問し、今の1学年を担当した先生方に質問してみた。
 はっきりとした答えを得た。
 この学年は、小学校3年段階から、教科書の単元に関連する「書物リスト」を作り、それを参考に図書室で読書させるということをやってきたそうだ。
 小3・4・5・6……この4年間の積み重ねが、今の「読書大好き中学生」につながっている(可能性がきわめて高い)。
 ぜひとも、この積み重ねを生かし、発展させる方策を検討したい。
 文学が、政治が、経済が語れる中学生になるかもしれない。
 期待している。




★画像は、玄関ロビーのコスモス。
 すこやかみなみネット・環境サポータークラブの方々と総合文化部員たちの力作だ。




★画像は、校門付近のカリン。
 もう少しで収穫だ。
 校歌の歌詞に「大気芳し」とあるが、カリンの香りが芳しい。

★関連記事
★単なる復活の儀式。しかし、念のために、再度、「瞑想(のフリノ△・。)」中の「メモ」をみると


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★勝手に快復したのではない。検査で原因がわかり、安倍晋三氏のアサコール錠ではないが、薬が効いたのだ

2012-10-08 13:33:24 | 僕のモンマルトル日記

 

職員室通信 上にのぼるガスと煙を避けつつ、かつ、視界を確保して脱出する技術を身につける訓練
2012
10.08
 

★お好み焼き(豚玉)に「水飴」――お好み焼き1人分に大さじ2杯くらい――を入れてみた。
 ①だし汁に、②お好み焼き粉を入れ、かき混ぜたあと、③キャベツ ④紅ショウガ ⑤乾燥エビ等を入れて混ぜる。
 ⑥タマゴを割り、軽く軽く混ぜる。
 そのあとに、⑦熱してトロトロにした水飴を加えて混ぜる。

 お好み焼き(豚玉)に水飴をいれた結果として、3点――
 ①「外サクサク感」が増す。
 ②焦げる度合いがやや強い(←濃いめに、こんがりと、美しく仕上げるためには、弱火で時間をかけて焼く等、焼き方に工夫が必要)。
 ③綿菓子に似た甘い香りを感じる(*^_^*)。
 今後、水飴を入れるタイミング、水飴の量、焼き方等を再検討し、絶品の「水飴入り豚玉」を完成させたい(^_^)v。

 

★画像=早朝の城址。
 昨日、出席した結婚披露宴でダラダラ飲んだビールが残っているのか、城門をくぐったとき、一瞬、クラクラと目が回った。

 結婚披露宴を含め、10月はイベントが目白押しだ。
 「教育コミュニティづくり」について語る約束をしている研修会も2つある。

 結婚式披露宴――「いやぁ~、おめでとうございます。」「ええ、ええ、もちろん、出ます! 出ます!」
 「教育コミュニティづくり」研修会――「OK、OK。」「90分間ですね。」「まかせてくださいよ(^_^)v。」
 ○○委員の会議――「ああ、あいにくスケジュールがからっぽでんがなぁ~(*^_^*)。」「あもろい会議にしましようね、僕の人生の方向が変わるような(^_^)v。」

 こういう「約束」をしたのは、ほとんどは、この夏、僕が体調を崩す前のことだった。
 「断っておかなければいけないか?」「いや、快復しそうでもあるし……」と、逡巡しているうちに、どれも断るタイミングを逸してしまった。
 仕方がない。
 代役を立てることを考えよう。
 でも、「教育コミュニティづくり」研修会だけは――乱氏がいたときは乱氏にムリをいっていたものだが、今はそれもかなわない――これは、もう、どうしようもないから、強行突破だ……。
 ホンマ、悲壮な決意?だった(*^_^*)。

 それが、コロッと快復。
 もちろん、勝手に快復したのではない。
 検査を重ねた結果、原因がはっきりし、安倍晋三氏のアサコール錠400mgではないが、ある薬が劇的に効いたのだ。

 前に記述したように、僕にしてみれば、大好きな夏がすっ飛んで、いきなり秋がやってきたので、今、僕が、この目で観る城址の風景と、僕が僕のうちに観、感じている時空間とのあいだには、微妙なズレがある。
 同じように、今月、目白押しのイベントは、出席を約束した時点とは、どこか異なっている。

 
 
 
 

                                    ★

 

★避難訓練。
 今回のメインは、火災を想定し、煙が充満する部屋の中から非常口に向かって脱出する訓練。
 この煙は人体に影響がない。
 香りがついている。
 だから、煙を吸い込むとわかる。
 上にのぼるガスと煙を避けつつ、かつ、視界を確保して脱出する技術を身につける貴重な訓練だ。

      ※ モクモクと煙があがり、地域の人々を驚かしてはいけないので、「訓練中」であることを明示。


 
 
 

 校内は、煙、もうもうの状態。
 だが、外は、秋も深まり、空気が澄んでいる。
 画像の奥に、うっすらと「巨大な大陸」が見える。
 これは、普段はまったく見ることができない。
 年間でも、この季節だけ。
 それも2、3日だけ。
 だから、見た人々のあいだで「あれは、どこ?」「へぇ~、いったい、どこだろうね」と話題になる。
 僕も、最初、どこだかわからず、地図を持ち出し、窓際で、この風景と重ね合わせ、「ここだろうか?」「こんなところが、ホンマに見えるのだろうか?」と、半信半疑、ま、一応の結論を出した……というところだ。

★関連記事
★初めは喉の痛みに負けないように気張っていたのだが、途中から、乱氏に語り負けないようにと気張っていた
逆にいうと、自分ひとりしか語れないような実践の仕方はダメだということなのだろう

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★「報・連・相」だけでは経営はできない。主任側の足による「取材力」があって初めて安定した経営ができる

2012-10-05 23:49:39 | 僕のモンマルトル日記

 

職員室通信 主任側の「取材力」が弱いと、学校経営は徐々に腐食し、やがて崩壊する
2012
10.05




★昨夜はTV(JSPORTS3)でライオンズ対楽天の試合を観戦。
 何年ぶりかでライオンズの「執念」を見た(^_^)v。

 同点に追いついた直後の9回裏の守備だった。
 新たなイニングには入れない時間まで、残り10分。
 ウィリアムスが予想に反して簡単に2死(岡島3塁ゴロ、聖沢SSゴロ)を取った。
 ここで、目配せし、聖沢の折れたバットの破片拾いにかなり時間をかけた。
 それでも、あと5分ある。
 ここで涌井を投入。
 投球練習後、涌井が1球目を投じたところで、1塁守備をオーティズから中島に交替。
 執念の時間稼ぎだった。

 ま、延長戦に入っていれば――
 10回表、楽天P高堀対ライオンズ打線(下位)
 10回裏、ライオンズP涌井対楽天打線(上位)
 得点は期待できない。
 逆に失点の心配もない。
 結果としては同じ引き分けの可能性が大きい。
 でも、一発サヨナラ負けの恐れが若干ある……とベンチは判断し、「執念の時間稼ぎ」作戦を選択したのだろう。

 僕としては、延長戦に突入し、「執念の逆転勝ち」をねらっていた。
 だから、「バットの破片、さっさと拾わんかい!(◎`ε´◎ )」とイライラ。
 その僕も、涌井投入の時点で、「執念の時間稼ぎ」作戦のほうに同調(*^_^*)。

 う~ん。
 どちらの「執念」であっても、ライオンズがこうして「執念」を発揮してくれたことが、僕はうれしい。
 でも、どちらかというと、一発サヨナラ負けを覚悟で、「執念の逆転勝ち」に賭けるライオンズであってほしいと思っている。








★画像=昨日につづき、城址の道。
 きょうも小一時間、約5000歩を歩いた。
 僕が体調不良のあいだに、空気がすっかり秋の匂いになっている。
 僕にしてみれば、大好きな夏がすっ飛んで、いきなり秋がやってきたという感じで、僕が僕のうちに観、感じている時空間とのあいだに、微妙なズレがある。
 昨日、「一歩一歩の感触が、膝に伝わる。腰に伝わる。頭のてっぺんに伝わる」と書いたが、あの「感触」は、秋の城址の感触なのか? それとも、僕が僕のうちに観、感じている時空間なのか?
 なお、上から3枚目の画像が、昨日「これまで城址のいちばん奥にあるテーブル付きのベンチが、僕のお気に入りだった」と紹介したテーブル付ベンチだ。

◆下記(1)~(4)のような内容は、これまでにも、何度も何度も、みんなで確認し合っていることだ。
 それを、本日も、また確認し合う。
 このくりかえしが――「執念」(*^_^*)が――が大切だと思っている(^_^)v。


(1)判断力が未熟で、現在、成長過程にある子どもたちが、いっぱい集まっているのが学校だ。
 だから、いつ、なにが起こっても不思議ではない。
 以前、みんなの前で「学校には地雷が埋まっている」と発言し、「子どもを地雷にたとえるとは……」とひんしゅくをかってしまったが、それくらいピリピリした気持ちで教育に携わっている。
 危機管理の原則をふまえ、教職員個人個人として、また組織として、予知・予防・観察を徹底しよう。
 特に授業中は、つねに全体の中の、ひとりひとりの状態を把握することに留意する。
 この授業中の、全体の中の個々の把握力については、僕たちは、まだまだ課題を残している。
 また、異変を感じたら、即、対応しよう。
 小さな変化&疑問にも、めんどうがらずに、対応しよう。
 予知・予防、観察と、具体的な対応……この積み重ねが大切だ。

(2)日々の部活動での移動(例=校外の施設に練習場所を移動する……)、あるいは市中体大会中の選手の移動、応援団員の移動について。
 原則として、学校出発→教師の引率→会場到着→(活動)→会場出発→教師の引率→学校到着・解散……とする。
 現地集合・現地解散は、絶対にやらない。
 保護者の車は使わない。
 僕は、長い部活動歴で、現地集合・現地解散というのは、一度もやったことがないし、保護者の車による送迎も禁止していた。
 (くりかえしになるが)学校出発→教師の引率→会場到着→(活動)→会場出発→教師の引率→学校到着・解散……保護者の車に頼らない……という原則の範囲内で、活動計画を立てる。
 それを超えるようなムリな活動は、はじめから計画しない。
 そういうことは要求もされていないし、期待もされていない。

(3)教務主任、生徒指導主任等への報告を徹底する(主任を捜し出してでも報告する……)と同時に、教務主任、生徒指導主任側からの「取材」も徹底する。
 報告で得た情報、取材で得た情報を整理して対策を立てる。
 教職員、保護者、生徒、地域……等にも伝える。
 このサイクルが崩れると、特に「取材力」が弱いと、学校経営は腐食し、崩壊する。
 いわゆる「報・連・相」はもちろん大事だ。
 でも、「報・連・相」だけでは、不安定な経営しかできない。
 主任側の足による「取材力」があって、はじめ安定した経営ができる。
 「取材力」のほうを格段に重視する。

(4)本校には、生徒会常任委員会として、①給食委員会 ②保健委員会 ③学習委員会 ④放送委員会 ⑤図書委員会 ⑥美化委員会があり、日々、専門分野の活動・学級での広報・通信の発行などを行っている。
 この活動を生かすことによって、本校の経営の重点(3)「自他のよさや可能性を認め、互いに高め合う生徒の育成をめざし、生き方の原理・原則を重視した心の教育を充実する」が、いっそう推進できると考えている。
 しかし、各委員会の管轄が、校務分掌の保健部・研修部・教務部……と分かれているために、「生き方の原理・原則を重視した心の教育」として効率よく行われているとはいえない。
 縦割りの弊害に陥っている。
 通信なども出しっぱなしで終わっているものもある。
 たいへんもったいない。
 この点を、委員会活動の元締めである生徒指導部が中心になって、校内に「水路」を開くことができないだろうか?










★画像=ニュータウン白銀台から「ほたるの里」経由、MINAMI中への道。
 僕が、この世でいちばんしあわせを感じる道だ(^_^)v。

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地域内の人と人、各地域の人々と人々が密着し、一体となって展開。体育館の開催もいいものだなぁ~と。


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