職員室通信・600字の教育学

小高進の職員室通信 ①教育コミュニティ編 ②教師の授業修業編 ③日常行事編 ④主任会トピックス編 ⑤あれこれ特集記事編

★「りんごのゆ」の湯が効いたのか?&ビバーク地点。ここに至れたことがラッキーだ

2013-08-29 15:29:35 | 僕のモンマルトル日記

 

茫漠特急
「りんごのゆ」の湯が効いたのか?
2013
08.29

037

★起床したらカラダがだるい。
 やる気がでない。
 昨日の「りんごのゆ」の湯が効いたのかもしれない。
 いわゆる湯疲れか?(ノ△・。)。
 とろけるようなお湯がいい。
 石張りの湯船も僕好みだ。
 それで浸かり過ぎた。
 でも、「湯疲れ」は大歓迎だ。
 泉質&効能表は、まだ検査中ということで張っていなかったが、だぶん塩化物泉だと思う。
 近いうちに、もう一度行って、確かめてみるつもりだ。

★画像=DAKA古書店跡玄関のピエロ。
 僕も人生に疲れたが、ピエロも疲れている。
 西日にさらされ、表面塗料がボロボロはがれてくる。


職員通信 2013/08/29号
★8月「メモ記事(穴埋め記事)特集」②――ビバーク地点。ここに至れたことがラッキーだ
036

★今号も、前号につづき、8月の職員室通信の「メモ記事(穴埋め記事)特集」だ。

★体育祭に向けて

(1)指導すべき場面を見逃さない。
 しかし、見逃してしまうことはある得る。
 その際は、互いに指摘し合おう。
 指導の方法を間違えない。
 間違えてしまうことはあり得る。
 やはり互いに指摘し合おう。
 体育祭は、教師にとって指導力向上のための、よい修業の場だ。
 念のために、指導の方法を4点、例示する。
 カウンセリングの三角形(A=一体になる > B=応援 > C=指導)を前提に――
 ①具体的に教える。
 教師が期待している行動がどういう行動か生徒が具体的にわかっていないのではないか?
 知らないからできない。
 だから、具体的に教える。
 「*****することが最上級生としての行動なんだよ」などと、かみくだいて教える。

 ②正しい情報を与える。
 間違って「学習」しているのではないか?
 だから、本人が思っている行動が必ずしも他人からそうに思われていないということを教える。

 ③自信をもたせる。
 わかっているのだけれど、行動にうつせないのではないのか?
 だから、教師としてよく観察し、他の教師の情報も得て、少しでもできていること(場面)を指摘し、ほめる。

 ④細かくコーチする。
 わかっているし、やれるのだが、状況に応じて適切な行動が取れないのではないか?
 だから、具体的な場面をとらえて、細かな対応方法を具体的にコーチする。

 「①具体的に教える」について、僕は、3学年の生徒には――
 ①いばらずに、下級生にていねいに教える上級生
 ②率先して仕事を――特に他がイヤがるような仕事を引き受ける上級生(イヤな仕事を下級生に押しつけるのは最低)
 ③下級生や、他学年のTの助言を謙虚に聞ける上級生に……と指導するつもりだ。

(2)学校教育における「Tシャツ」は準制服だ。
 制服としての正しい着方の指導する。
 体育祭に向けての指導を通して、帰路のTシャツの着方も変容するというような超プロの指導に挑戦する。

(3)特段の理由がない限り、グランドに出る場合、教職員も、生徒も、通常、指定されている出入り口を使用する。
 特段の理由例=養護担当、放送担当等は、もっとも近い、あるいは都合のよい、出入り口を使用する。

(4)マイクに向かった生徒が担当教師のほうを振り向かない指導を。
 「スタートしてしまえば、わたしは一切、知りませんよ。あなたの力で最後まで」と。

(5)教室を空けるときの机・椅子・ウェアーなどの整頓。現時点では、各学年とも、おおむね良好。

(6)体育祭の目標のなかで次の2点については、それぞれの立場で再度チェックしよう。
 ①個々の生徒の「参加率」を高める活動プログラムの構築
 ②学社連携・融合の推進

★ビバーク地点
 (1学期末にも同じことを書いたが、念のために再掲)苦しい状況にある子どもについて、問題解決というゴールをめざして取り組んでいる。
 が、なかなか思うように前進できないことが多い。
 その際、その停滞地点を、ゴールに向かうための「ビバーク地点」ととらえる。
 ひとつ間違えると滑落したかもしれない。
 その難関を乗り越えて、ここに至れたことを、子どもと喜び合おう。
 ここに、今、在ることを子どもと喜び合おう。
 また、この喜びを、保護者や他教職員と共有しよう。
 こうして、いったん「足場」を固めるのだ。
 ①家庭訪問して保護者と定期的に面談できるようになった。
 ②家庭訪問して生徒と定期的に面談できるようになった。
 ③生徒が1週間に1度、保健室に通うようになった。
 ④保健室に毎日通うようになった。
 ⑤職員室近くの小教室に通うようになった。
 ⑥学年棟の小教室に通うようになった。
 ぜんぶ、ビバーク地点だ。
 ここに至れたことを喜び合おう。
 ある朝、学年棟の小教室に行ったら、その生徒は通学リュックを背負ったまま椅子に腰掛けている。
 「リュックを下ろして朝自習の準備をしようよ(*^_^*)」
 「わたし、きょうから教室に行くことにしました」
 こういう日が来ることもある。
 来ないこともある。
 来なくても、ここ(学年棟の小教室)に至り、ここに在ることがラッキーだ……という気持ちが大切だ。
 これが次の一歩への力になる。

★音読はMINAMIのエネルギー
 50分間の授業の中で、声を出させる場面を小刻みに設定しよう。
 「いっしょに読みましょう」
 「全員起立、3回読んだら座りましょう」
 「念のためにもう一度読みましょう」
 すべて音読!
 いつでも音読!
 何でも音読!
 どんどん教科書を読ませよう!
 どんどん板書事項を読ませよう!
 どんどんプリントを読ませよう!
 ただし、あまり長い部分の音読はだれる。
 音読のポイントを短く限定して、繰り返すのが効果的である。


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★掃除の下手な教師は仕事もアカン&「こたにわりやのごとばかり」涙が出た

2013-08-27 10:00:39 | 僕のモンマルトル日記

 

茫漠特急
「こたにわりやのごとばかり」涙が出た
2013
08.27

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★夜、改札口を出て、駅の長い階段を降りていたら、下のほうからヴァイオリンの音色が吹きあがってきた。
 チェロも混じっている。
 悲しい旋律だった。
 出口正面の樹木(大きなイチイ)の脇で2人の男が演奏している。
 立ち止まって水銀灯の下で聴いているうちに、僕の自己のカタチを――自己のカタチに沿って……というのではなく、自己のカタチそのものを――演奏していることに気づく。
 「この楽譜をどこで手に入れたんですか?」
 ヴァイオリンの男に質問したら、「うまれでくるたてこんどはこたにわりやのごとばかりでくるしまなあよにうまれてくる」と、身振り手振りでしゃべる。
 涙ぐんでいる。
 一種異様な、人間の性(サガ)からにじみ出てくるような重っ苦しさを伴っている。
 「それは同感です。まったく同感ですよ。いや、でも、僕の質問に答えてくださいよ」と言っても、再び「うまれでくるたてこんどはこたにわりやのごとばかりでくるしまなあよにうまれてくる」を繰り返す。
 「うまれでくるたてこんどはこたにわりやのごとばかりでくるしまなあよにうまれてくる」
 「うまれでくるたてこんどはこたにわりやのごとばかりでくるしまなあよにうまれてくる」……。
 男の一言一言が胸にこたえた。
 無性に悲しかった。
 質問はもうどうでもよかった。
 涙がこみあげてきた。
 しかし、ヴァイオリンの男に涙は見せたくない。
 グッとこらえている……という息苦しさで目が覚めた。

 目が覚めて、ヴァイオリンの男の手を握り、僕もいっしょに泣けばよかったのに……と思った。
 夢の中で流れていた旋律は、コレッリの「ヴァイオリン・ソナタ集 作品5」かもしれない。
 でも、はっきりしない。
 こうして書いているうちに、旋律はどんどん遠ざかっていく。

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職員通信 2013/08/27号
★掃除の下手な教師は仕事もアカン
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★前にも、同じようなことを書いたが、再びくりかえす。
 職員室通信の「WEB版」は文字数が無制限だ。
 この点はたいへん気に入っている。
 しかし、職員室通信の基本は「紙版」=「A3判2つ折り」である。
 だから、文字数には制限がある。
 通常、この「制限」枠にピッタリというわけにはいかない。
 どうしても余白ができる。
 余白はメモ的な記事で埋める。
 6月(6/9)からスタートした「新・職員室通信WEB版」も、この「紙版」をもとに作成しているから、たいてい「メモ記事」がくっついている。
 しかし、いつも省いている。
 「新・職員室通信WEB版」は字数は無制限だが、時間制限がある。
 いつもバタバタとやる。
 最後は時間に追われ、エネルギーも尽き、とても「メモ記事」までコピーしている余裕がない。
 ま、穴埋めだから、いい記事はない。
 単なる念押しだったり、連絡だったり、グチだったり……。
 でも、あとから読み返すと、「おお!」と感激するような記事もある(^_^)v。
 ということで、8月も終わりが近づいたので、怒濤の「8月のメモ記事特集」をやる。
  
★三者面談の経験をいかす。
 夏期休業中、パワー全開、心底、全身全霊で取り組んだこと……というと、そのひとつは、やはり、汗にまみれつつ取り組んだ、あの怒濤の「3者面談」だ。
 「3者面談」の悪戦苦闘が骨身に沁みている。
 ここでゲットした力――ま、「面談力」(^_^)vといえばいえる――を2学期に生かしたい、さらに伸ばしたいと思っている。
 以前、僕の面談を――もちろん、相手の許可を得て――録音したことがある。
 再生して驚いた。
 僕の会話の出だしが、なんと、なんと、ほとんど、いわゆる「逆接の接続詞」だった。
 が、けど、しかし、そうはいっても、それでも、だからといって、でも、ところが……。
 「逆接」ではないが、「ただ」「ただし」も多い。
 これだと相手は話す気にもならない。
 2学期は、逆接の接続詞をやめる。
 即「助言」というのもやめる。
 もっともっと聞く力をつけたい。
 そして、ほんの少し、かすかな瞬間に、見え隠れする相手の「ホンネ」――本人も「ホンネ」と認識していないかもしれない「ホンネ」――をキャッチする力をつけたい。

★朝の会・帰りの会・授業開始(終了)の時間厳守。
 1分前行動。
 「授業終了」は、本校はチャイムがないから、秒針のカチッと同時に終了。
 率先垂範。
 また授業中、教員は学習場所から絶対に離れない。
 生徒の具合が急変したときは、代わりの教員を呼んで対応する(そのために本校には緊急連絡システムがある)。
 自身の体調が急変――例=急にWCに行きたくなったら――やはり、代わりの教員を呼ぶ(そのために本校には連絡システムがある)。
 自分も離れない。
 子どもも離さない。
 経験的にいうと、この乱れが学校の荒れの原初だ。

★「頭髪・服装の指導」および「遅刻の指導」については、これまでもそうだったが、今後も「絶対守るべきもの」「人間性の根本」という認識で臨むつもりだ。
 ただし、ペナルティ教育は不可。

★もう、ずっと以前の話になるが、第一次安倍自民大敗後の新聞記事の中で、忘れられない記事がある。
 読売の「編集手帳」だ。
 ◇「掃除の下手な大工は仕事もアカン」と語ったのは、大阪万博の日本庭園をはじめとして生涯に120余りの茶室を手がけた数寄屋大工の中村外二さんである。
 ◇駆け出しの職人は木の削り屑に肌で触れ、道具の使い方や仕事の段取りなどを先輩大工から盗む。
 掃除が下手であることは基本の学習を怠ってきた証しであり、いい家が造れるはずもない、と。
 (中略)掃除下手の棟梁に社会保障や外交・安保という大建築が手に負えるか、疑問を感じた有権者もいただろう(後略)――
 ここでいう「掃除」は、僕らの仕事では何にあたるか?
 いろいろあるが、第一次安倍自民大敗の原因と重ね合わせると、「ほんのちょっとしたこと」への対応のマズサだ。
 「ほんのちょっとしたこと」――例=生徒の欠席連絡の電話の時間が不自然、生徒同士がたむろしているところに出くわしたときの生徒たちの表情が不自然、保護者の僕に対してではない他の教員へのちょっとしたグチ、気になるネット上の生徒のカキコミ……等々。
 こういうことに対する具体的な対応がいい加減だと学校は即、危機に瀕する。
 崩壊する。

★ちょうど原稿用紙5枚になったので、いったん閉じる。
 穴埋め記事特集は「つづく」。

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★赤い花は悲しい&平野日出夫先生の国語特訓道場

2013-08-25 11:00:08 | 僕のモンマルトル日記

 

茫漠特急
赤い花は悲しい。見るのが、ホンマ、つらい(ノ△・。)
2013
08.25

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★この時期の赤い花には、いい思い出がない。
 見るのが、ホンマ、つらい(ノ△・。)。
 
 2006/夏の終わりに人生の大失速を経験した。
 HP&blogの更新も完全ストップ。
 つねづね「ホームページは自分の現時点における〈存在の仕方そのもの〉」と言い切っている僕のことだ。
 それが「止まる」ということは、身の上も危機に瀕していたにちがいない。

 更新ストップ直前の記事の画像が赤い花だった。
 この時の印象が強いのかな?

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職員通信 2013/08/25号
★平野日出夫先生の国語特訓道場
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★2学期はじめの学級経営 
 第1弾=★2学期初めはアイデンティティの危機に寄り添う
 第2弾=★2学期の体育祭・市中体・文化祭等を1つの単元ととらえる
 第3弾=★「朝と帰りの会」で子どもたちが変わる、激変する

★第4弾
 授業(&補習)を通して学校・学年・学級への誇りと愛着を

 教師は四六時中、「だれからも愛されていないと感じている子どもはいないか?」という視点で、子どもを観察する義務と責任がある。
 2学期はじめは、さらに、念には念を入れて「だれからも愛されていないと感じている子どもはいないか?」という視点で、子どもを観察しなければいけない。

★本校には、自分の家庭もしくはこのMINAMI中から、あるいはその両方から「邪魔者」「厄介者」扱いされていると「感じている」生徒が必ずいる。
 そう感じていても、生徒は現時点では、家庭や学校から離れられないだけに、その苦しみ、悲しみ、あるいは、惨めさは耐えきれないものである。
 学校に限定していえば、生徒は自分の家庭と同様、いわば強制的、運命的にMINAMI中(○年○組学級)に所属させられている。
 だからこそ、僕たちには、ひとり残らず、すべての生徒に、学校(学級)への誇りと愛着を感じさせる教育を行う義務と責任がある。

★「第1弾」のくりかえしになるが、2学期はじめは、空間軸のつながり――例として、①学級・学年の友人とのつながり ②教師とのつながり ③家族とのつながり ④地域の人々とのつながり ⑤インフォーマルな友人とのつながり ⑥部活動仲間とのつながり ⑦いわゆる「第4の領域」の仲間とのつながり――を、念には念を入れて観察しなければならない。
 そして、空間軸のアイデンティティが消滅しかかっている子に寄り添う。→参考 第1弾「」
 「くりかえし」は以上。

★さて、2学期はじめ、授業の再開にあたって――
 この「邪魔者」「厄介者」扱いされていると感じている生徒の苦しみ、悲しみ、惨めさと、授業における下位生徒の苦しみ、悲しみ、惨めさとは、レベル的には同じである。

 それを安易に民間塾に委ねようとしていないか?(僕は「塾に行くな」といっているのではない。もっと学びたいから塾に行くことは、社会教育との連携、あるいは生涯学習社会の構築という観点から推奨したい。しかし「公立学校の授業がわからないから塾に行く」というのは、僕ら公立中学校の教師としては失格だ。最低だ。)
 高校に「丸投げ」しようとしていないか?

 僕らには、学ぶこと(授業&補習)を通して、400人全員、ひとりひとりに学力を保証する義務と責任がある。
 そのために、公立中のプロ教師として具体的な対策について――ここでは「対策」そのものについてはくりかえさない――学年分掌、教科分掌で再確認すること。

 この子は「授業で学ぶ」ことはもういいから、「部活動」などで誇り、あるいは学校への愛着を育てればいいという考えは絶対にまちがっている。
 部活動は学校外活動だ。
 社会教育の範疇だ。
 公立学校の本務ではない。
 連携することはあっても、それが学校の主になることはあり得ない。

★学習動機を拡充・複合化する50分間の授業

 第1弾で「空間軸のつながり=人と人とのつながり」で、「かなり粗い話だが、僕は①~⑦のどれが1つが、つながっていれば、さしあたって今は大丈夫……と考えている」といったが、裏を返せば、1つよりも2つ、2つよりも3つと、たくさんのつながりがあるほうが安心……ということだ。
 学習動機についても、1つよりも2つ、2つよりも3つと、たくさんの動機に支えられているほうが継続して、ねばり強く学習できる。

 〈学習動機の例〉――

 ①関係志向(他者につられて)
 ②自尊志向(プライドや自尊心)
 ③報酬志向(報酬を得る手段として)
 ④充実志向(学習自体が楽しい)
 ⑤訓練志向(知力を鍛える喜び)
 ⑥実用志向(仕事や生活に生かす)……。

★一般的には、発達段階の初期あるいは学習不適応に陥っている子どもは前者(①~③)に配慮して導くことが有効、次第に後者の志向(④~⑥)に導いていく……といわれる。
 しかし、実際の学習動機は複雑に絡み合っている。
 たとえば「なにかができるようになった」と自分の成長が実感できること(⑤訓練志向)で、それを将来の仕事につなげて考えるようになり(⑥実用志向) → 学ぶことが楽しくなり(④充実志向) → 自尊心が育つ(②自尊志向)……。

 あるいは、僕の場合――
 国語が大の苦手だった。
 国立大学に合格するためにはどうしても国語力をアップしなければならない(③報酬志向)。
 そこで恩師の平野日出夫先生が「よし、では夏休み、2人で国語特訓道場」をやろうと言ってくださった。
 「だれか誘ってきてもいいよ」とおっしゃるので、同じ部の彼女を誘った。
 彼女の読解力と競争するように平野先生の特訓を必死で受けた(①関係志向&②自尊志向)。
 やがて国語がおもしろくなった(④充実志向)。
 遂には国語教師になることに(⑥実用志向)(^_^)v。

 蛇足になるが、「国語特訓道場」のテキストにあった「冬の長門峽」(中原中也)は僕の人生を変えた。

 長門峽に、水は流れてありにけり。
 寒い寒い日なりき。
 われは料亭にありぬ。
 酒酌みてありぬ。
 われのほか別に、客とてもなかりけり。
 水は、恰も魂あるものの如く、 流れ流れてありにけり。
 やがても密柑の如き夕陽、欄干にこぼれたり。
 あゝ! ――そのやうな時もありき、寒い寒い 日なりき。

★子どもの学習意欲の低下は、多くはマズイ授業や、教師の勉強に対する硬直な考え方によって起きる。
 2学期のスタートにあたり、僕たちの学習の動機付けについて再点検する必要がある。
 ミスマッチが起きていないか?
 ワンパターンの動機付けに陥っていないか?
 複合的な志向に支えられて複数の学び方が身につくように工夫していきたい。

 合わせて、特に3年生には、学習に向かおうとするとき、いろいろ起こる他の誘惑に打ち勝ち、きっぱりと学習を選択できる、いわば「決断力」も身につけさせたい。
 例=①親の負担・労苦を思いやる ②希望する高校での生活(勉強・部活動……)を考える ③友人との高校生活を考える。④高校卒業後の進路(仕事・大学)を考える……等々。

★画像=夏休みの学校

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★巨人ファンでないかどうかをチェックしてから接近(*^_^*&恒例・小中学校教員の合同模擬授業大会

2013-08-23 10:59:40 | 僕のモンマルトル日記

 

茫漠特急
巨人ファンでないかどうかをチェックしてから接近(*^_^*
2013
08.23

130809_213040★言葉もない。
 わが畏友・あしゅら堂主人は泣いているだろう。
 ファンはみんなそうだ(ノ△・。)。
 昨夜、ライオンズ1―18ロッテ。
 落胆。 
 パートナーもあきれて試合途中から家計簿をつけはじめた。(パートナーもライオンズファンだ。昔、巨人ファンでないかどうかをチェックしてから接近した(*^_^*)。
 西口は、このまま引退か?――と思わせるようなピッチングやった(ノ△・。)。
 41歳。
 僕の希望の星や。
 あと5年はやれる。
 躍動感あふれるフォームが見たい。
 シュルシュルと音を立てて沈むスライダーが見たい。
 何とか復活を祈る。

 〈収穫①〉=前々日ノックアウトの涌井の力投。
 3ゴロ→三振→レフトフライ、9球でピシャリ。
 立派だった。
 これで試合の中~後半は、増田→涌井→ウイリアムス→サファテの死守ラインが敷ける。

 〈収穫②〉ひょっとしたら高橋朋巳!
 僕はこの人のことはまだよくわからない。
 しかし、何か大投手に化けるかも?……と思えてくる。
 将来の稲尾かな?(^_^)v(^_^)v(^_^)v(^_^)v(^_^)v。

 気持ちが少し明るくなってきた(^_^)v。

★画像=あしゅら堂主人からのライオンズ応援メールに添付されてきた、8/9の対バファローズ戦・大阪ドーム(京セラドーム)の様子。
 撮影=あしゅら堂主人。


職員通信 2013/08/23号
★恒例・小中学校教員の合同模擬授業大会
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★先日、minami小教員とMINAMI中教員とで模擬授業大会を開いた。

 話がいきなり飛ぶが、教育コミュニティづくりが、僕のライフワークだ。
 教育コミュニティが形成できないと、日本の教育危機の元凶=学校の教育独占体制、あるいは学校の教育丸抱え体制(学校・家庭・地域の教育の超アンバランス体制)が打破できない。
 昔の僕は、そのために学社連携を推進しようとした。
 しかし、少しもうまくいかない。
 理由は、学社の「学」、すなわち小学校と中学校の連携できていないことにあった。
 そこで考えを改めた。
 モットー=小中連携に依拠した学社連携の推進。
 小学校と中学校がガッチリ手を組むと、信じられないくらいスムースに学社連携が進んでいった。

 小・中連携の要は、ひとつは、小PTAと中PTAだ。
 小学校の保護者が、やがて中学校の保護者になるのだから、簡単そうだが、これが意外に意外に、たいへん(ノ△・。)。
 わけを書いていると、長くなるので、今度にするm(_ _)m。
 もうひとつは、もちろん、小教員と中教員だ。
 経験した者にしかわからないかもしれないが、両者は世界が違うといっていいくらい違う面がある。
 連携は、「意外に意外に」……の10000倍、たいへん(ノ△・。)。
 わけを書いていると、やはり長くなるので、今度にするm(_ _)m。

 本校区では、その小学校と中学校の教員同士で模擬授業大会を開催している。
 先人たちの長い期間にわたる努力の賜、地道な連携活動の成果である。

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★下図は、児童&生徒の授業中の努力目標。
 9年間通して、この観点で鍛える。

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★深浦町のコーヒーの味&日本で一番いい公立中学校

2013-08-22 12:23:01 | 僕のモンマルトル日記

 

茫漠特急
深浦町のコーヒーの味
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08.22

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★午前3時半起床。
 コーヒーを淹れる。
 マンデリン(手鍋焙煎・ミディアムロースト)。
 65℃のお湯を注ぐ。
 お盆に、90℃、80℃、70℃、60℃と試してみて、今、自分が求めている味は「65℃」だと分かった。
 昔、深浦町の喫茶店で飲んだ味が、これだった。
 昔、大阪・生野区の喫茶店で飲んだ味が、これだった。

 口にふくむと、夜、カミナリがピカッと光り、万象の輪郭がクッキリとみえるように、僕の人生がみえる(ノ△・。)。

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職員通信 2013/08/22号
★日本で一番いい公立中学校
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★この図は、前回提示した本校「経営の重点」の「達成基準」だ。
 なんでも数値化すればいいとは思っていない。
400人の中学生全員に、朝、起きたとき「社会の授業が楽しみだぁ~!」「国語の授業が楽しみだぁ~!」と家を飛び出してくるような学校経営というのは――当然、そうでなればいけないと僕はとらえているけれども――なかなかむずかしい。
 しかし、「むずかしい、むずかしい」といっていては、なにもはじまらない。
 「教育の成果は見えにくいもんだ」といっていては、日本の中学校教育はいつまでたっても変わらない。
 具体的な「目標」を設定し、「この1ヵ月で、ああ、これだけよくなったんだ」と――逆に「こんなに悪くなったんだ」と――教職員全員で確かめ合いながら前進していく方法はないか?……と、僕たちが可能性を信じる実践を、勘を頼りに、微調整しつつ、手探りで模索するうちに、この「達成基準」にたどりついた。
 「公立中学校の教職員として、なにがなんでも、最低、これだけは達成する」という目標である。
 「これが達成できると、他はあとから着いてくる」という目標である。
 そして、それに迫るための基準である。

★あえて粗い思考をした……ともいえる。
 「262の法則」がある。
 教育の論理ではない。
 あえてこれを教育にあてはめてみる。
 たとえば、学校の定期試験週間(定期試験前の1週間をさす)でいうと――
 20%は、「やるな」といっても試験勉強をやる。
 60%は、教師の働きかけ次第で「やる」生徒にもなるし、「やらない」生徒にもなる。
 20%は、どんな働きかけをしても絶対にやらない。
 この全員を対象に試験勉強をやらせようとするのはなかなか骨の折れる話だ。
 しかし、今回の試験は、「60%の半分」と、いちばん最後の「20%の生徒」に試験勉強をやらせることに全力をあげる……と考えると、対策は立てやすくなる。
 本校には朝自習の時間がある。
 また、定期試験週間は、昼休みに「試験週間・基礎学力アップ特訓教室」(試験直前特訓学習会)がある。
 この朝自習と特訓教室を――たてまえとして全員を対象に実施はしているのだが――中味ははっきりと最後の「20%の生徒」にしぼる。
 あるいは、本校では「⑤全員に50分間の学習活動を保証する」ことが原則になっている。(「授業力向上の5原則」のひとつ)
 必ず全員が活動(作業)する――手遊びしたりあくびをしたりする生徒がひとりもいないように――授業プログラムを組んでいる。
 このプログラムを――もちろん、全員を対象に実施はしているのだが――中味を「60%の半分」にしぼる。
 これを家庭学習につなげる。

 「達成基準」は、こういう「粗い思考」の延長線上にある。

 「3.生き方の原理・原則」、「4.安全管理」、「5.教育環境」については、説明を省略する。

 この達成基準において「オール5」になれば、ま、日本一ではないかもしれないが、相当にいい学校だといえるのではないかと考えている。

★もちろん、決定版ではない。
 本校の「達成基準」が、すぐれた教育思想の具体的な表現か?と自問すると、けっして「そうだ」とは言えない。
 まだまだ、これから長い時間がかかりそうである。
 僕らが(教育史上の)歴史的存在であることを自覚しつつ、ひとつひとつ修正し、いいものにしていきたい。

★画像=「試験週間・基礎学力アップ特訓教室」(試験直前特訓学習会)の様子

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★補足1
 本校の「経営の重点」――
(1)(本校の教員は)学びの喜びと確かな学力の保証をめざし、知的で楽しい授業を創る基礎・基本の修業を徹底します。〈プロ教師への道〉
(2)学校・家庭・地域が協働できる教育システムづくりをめざし、MINAMI小・中PTAを核にすこやかみなみネット事業を推進します。
 この2つは、密接不離、表裏の関係。
 日本の教育危機の元凶は、学校の教育独占体制、あるいは学校の教育丸抱え体制にある。
 学校は、抱え込み、抱え込み――たとえば、理科の教師は肝心要のあすの授業の実験の準備に割く時間も見出せないくらい抱え込み、抱え込み――もうパンク寸前、いや、パンク状態で、教育力が極端に低下している。
 また、学校が(好むと好まざるとにかかわらず)どんどん抱え込んでしまうものだから、当然のこととして、家庭・地域の教育力も低下する。
 これを修正し、学校・家庭・地域、それぞれの教育がバランスよくならないかぎり、どんな施策を打ち出しても、あまり、いや、ほとんど効果はあがらない。
 逆にいうと、バランスさえよくなれば、日本の教育はまだまだだいじょうぶだ。
 「知的で楽しい授業を創る」(重点1)ためには、なんとしても「学校・家庭・地域のバランスがとれた教育システム」(重点2)を開発しなくてはならないという発想である。

★補足2
 前回も述べたが、学社連携(重点2)の達成基準の設定はむずかしい。
 学校教育は計画的、系統的な特性をもつ。
 社会教育は、反対に、無計画的、非系統的な特性をもつ。
 だから、連携&融合すればいいのだが、その達成基準となると頭を抱えてしまう。
 ホンマ、むずかしい課題である。

★補足3
 文中に「授業力向上の5原則」が登場したが、その5つとは、次の通りである。
 ①授業の目標、ねらいを明確にする
 ②指示・発問は全員に、短く限定して述べる。
 ③達成状況の確認をして授業を進める
 ④1人1人の生徒のがんばりに気づき、認める
 ⑤全員に50分間の学習活動を保証する

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★補足4
 「達成基準表」の中にある「非行」とは次の内容を指す。
 非行=①窃盗等(万引き・占有離脱物横領)②暴力行為(対人・器物破損)③金銭物品強要 ④薬物乱用 ⑤無免許運転 ⑥不良行為(喫煙・飲酒・深夜徘徊・無断外泊・家出・授業抜けだし・授業妨害)⑦いじめ ⑧その他

★補足5
 文中に「すぐれた教育思想」が登場したが、本校では次のように考えている。
 〈教育思想①〉教師は、一人残らず、すべての子どもの可能性を信頼すべきである。
 〈教育思想②〉教師は、一人残らず、すべての子どもの個性力量に依拠すべきである。
 〈教育思想③〉教師はすべての責任をまず自分自身に帰すべきである。常に謙虚に。
 〈教育思想④〉教師は、一人残らず、すべての子どもに生きる勇気を与えなくてはならない。
 〈教育思想⑤〉教師は、一人残らず、すべての子どもに知識と知恵と技を育てなくてはならない。


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★大阪からUターンしたA子さんに逢った&僕の学校経営「全員に朝、授業が楽しみだぁ」と家を飛び出させる

2013-08-20 12:56:33 | 僕のモンマルトル日記

 

茫漠特急
大阪からUターンしたA子さんに逢った
2013
08.20

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★先日、大阪野郎(=僕のHN)が大阪からUターンしたA子さんに逢った。

 飲みながら大阪野郎が、
 「大阪駅から環状線外回りに乗って、天満ぁ~、桜ノ宮ぁ~、京橋ぃ~、大阪城公園~、森ノ宮ぁ~、玉造ぃ~、鶴橋ぃ~近鉄線乗り換えぇ~……でしょう」
 と言っただけで涙ぐんでいた。

 ホンマに大阪が好きやったんやなぁ~と思ったら、大阪野郎(=僕のHN)まで泣けてきた(ノ△・。)。

★画像=生野運河(平野川)。
 「生野運河」は僕の命名。
 運河沿いの道が高校時代の通学路だった。
 僕の宇宙だ。
 「人は20歳までになじんだ『文化の檻』から脱出することはできない」と、よくいわれる。
 「20歳」については、「18歳」説もあるし、「25歳」説もある。
 ま、体験的には「18歳」かな?と感じている。
 この生野運河は僕の「檻」だ。

 A子さんの大阪も「檻」化しているのだろうか?
 それとも、ある程度、年数を経ると忘れてしまうのだろうか?

 なお、生野運河の撮影は、osakawalker氏。
 僕のぶしつけなリクエストにこころよくこたえてくださった。
 ホンマ、幸運である。
 感謝のことばもない。

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職員通信 2013/08/20号
★僕の学校経営①「全員に朝、授業が楽しみだぁ」と家を飛び出させる
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★実感として、「学校マネジメント」の難度もなかなか高い。
 「難度も」の「も」は、企業も病院も相撲部屋もプロ野球チームも、きっと「マネジメントの難度は高いのだろう」けど、(←ま、僕は、もちろん経験がないのでわからないが)学校もそれと同じくらい、いや、それ以上に難度は高いよ……という意味だ。
 400人の中学生がいる。
 みんな違う(ま、違っていいんだけれど……)。
 保護者も違う(ま、もちろん違っていいんだけれど……)。
 たとえぱ、学校部活動を教育課程内活動と勘違いして「もっとやれ」「もっとやれ」と必死になる親がいる。
 ホンマ、必死に(ノ△・。)。
 逆に「もういい加減にしろ! いつまでこんなことをやっているんだ。教育課程外活動で子どもを拘束するなら訴えるぞ」と怒る親もいる。
 やや脱線するが、僕は、この後者の親の割合に注視している。
 特に地方の公立中学校でこの「割合」が高くならないと、日本の教育は変わらない。
 別項目で後日、詳細に述べるつもりだ。(脱線、以上)

★本校の「経営の重点」は次の5つだ。

(1)(本校の教員は)学びの喜びと確かな学力の保証をめざし、知的で楽しい授業を創る基礎・基本の修業を徹底します。〈プロ教師への道〉
(2)学校・家庭・地域が協働できる教育システムづくりをめざし、MINAMI小・中PTAを核にすこやかみなみネット事業を推進します。
(3)自他のよさや可能性を認め、互いに高め合う生徒の育成をめざし、生き方の原理・原則を重視した心の教育を充実します。
(4)安全・安心な学校をめざし、危機管理の基本を踏まえた安全管理と事故防止を徹底します。
(5)朝、起きたとき、どの生徒も「行きたい!」と思う学校をめざし、豊かな教育環境の創出に努めます。

★この図は、「重点」の達成基準だ。

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 まず、「1.知的で楽しい授業」(経営の重点1=学びの喜びと確かな学力の保証をめざし、知的で楽しい授業を創る基礎・基本の修業を徹底します。〈プロ教師への道〉)

 生徒による授業評価の結果を基準にしている。
下図が「生徒授業評価票」だ。

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 今の授業が「わかったか?」「おもしろかったか?」「一生懸命やったか?」について、それぞれ、「ひじょうに」――「やや」――「ふつう」――「あまり」――「ぜんぜん」……で評価する。
 この票の生徒の場合、
 「わかったか?」→「やや」
 「おもしろかったか?」→「ふつう」
 「一生懸命やったか?」→「ひじょうに」。
 この「ひじょうに」、すなわち赤い部分のところに○が80%以上集まると、授業評価「5」ということだ。

 ①学期末の指定期間内(通常10日間くらい)の授業終了時に実施。
 ②指定期間内であれば何度実施してもよい。
 僕だったら、高い数値が出るまで、何度もくりかえす。
 そういうふうにしている教師が多い。
 ま、これが授業上達のひとつのコツともいえる。

 最初は、校内の全教師の平均が、20%台だった。
 評価基準の設定をまちがえたかもしれない……近いうちに「改訂版」を出さなければいけないかも……と思ったくらいだった。
 ところが、これが、グングン上昇しはじめた。
 僕の最高値は70%台だが、これを上回る教師が乱氏はじめ、何人もいる。

 知的で楽しい授業で学力を保証し、同時にいじめも不登校も非行も解決すると言い切れるプロ教師をめざしている。
 「知的で楽しい授業で学力を保証する」だけではなく、「知的で楽しい授業でいじめも不登校も非行も解決する」という意味だ。
 朝起きた本校の中学生が、400人全員「社会の授業が楽しみだぁ~!」あるいは「国語の授業が楽しみだぁ~!」と家を飛び出してくる。
 比喩ではない。
 ほんとうに、この状態になることをめざしている。

 なお、保護者による授業評価(授業参観日当日に実施)も実施しているが、「評価項目」も「基準」も異なるので、生徒評価との統合については研究中である。

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★次に「2.学社連携・融合」(経営の重点2=学校・家庭・地域が協働できる教育システムづくりをめざし、MINAMI小・中PTAを核にすこやかみなみネット事業を推進します。)
 学社連携の評価基準の設定はむずかしい。
 学校・家庭・地域の連携の度合いを、どういう視点で評価すればいいか?
 現在も教育哲学中だ。
 ま、ただ、学校の場合、保護者との関係を絶対に外すことはできない。
 最優先だ。
 だから、「仮に」ということで、現在は、保護者学習会、保護者授業参観などの「保護者の参加率」で測定している。(つづく)

 



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★やっぱりお盆だなぁ~。4月になくなった「おっさん」が会いに来てくれた&もうひとつの学校が見えてくる

2013-08-16 12:33:29 | 僕のモンマルトル日記

 

茫漠特急
やっぱりお盆だなぁ~。4月になくなった「おっさん」が会いに来てくれた
2013
08.16

★昨夜、眠る前に、大西ユカリの「天王寺」を聴いた。
 出だしの歌詞で、現在の僕の「重心」が、トロトロッと溶けだしてしまった。

 1cb597c2f023bac56a2e9b945396d7e5♪大阪みなみの玄関口は、
 通天閣がそびえ立つ天王寺。
 坂を下って新世界、動物園に茶臼山。
 おっちゃん、おばちゃん、アベックさんと、
 家族連れまで気楽に過ごす。
 これがおいらのふるさと、天王寺。

 大阪の生野区生まれ、生野区育ちの僕にとって、天王寺は宇宙への出口、あるいは入口だった。
 あこがれ、あきらめ、幻滅、自棄、絶望、希望……人生の感傷の原点だ。

★この♪「天王寺」が、きっと、お盆の、明け方の夢に、初速度を与えたのだろう。

 バリバリと音をたてて、僕は、床の上に白い模造紙をひろげた。
 まず、真ん中に、マジックで大阪環状線・寺田町駅のプラットホームを描いた。
 次に源ヶ橋の交差点から、生野本通商店街、生野中央商店街、生野銀座商店街……と緑色の太線を引いた。
 いつ頃からいたのか? 僕の隣に、4月に亡くなったZEROさん(=通称「おっさん」)がいた。
 露地のこまかな部分は、このおっさんが手伝ってくれた。
 「喫茶太子の筋向かいが駄菓子屋や。おっさん、小さい頃、よ~、たこ焼き買いに行ったんや」
 「ここをまっすぐ行くと、肉屋の井上はんとこでっしゃろ。井上はんとこの三兄弟は、おっさんの幼なじみやんか」
 おっさんは地図づくりとは直接、関係のないことをベラベラしゃべるが、露地の隅々まで、よく知っていて、ホンマ、頼りになる。
 疎開道路沿いに生野中学校、その隣に西生野小学校、勝山通のそばに勝山小学校……と書き込んでいった。
 気がついたら、空が白みはじめている。
 「おっさん、もう夜が明けるでェ。ピッチをあげんとアカンなァ」
 と、顔をあげると、おっさんの姿がない。
 おっさんが使っていた赤マジックだけが転がっている。
 仕方がないので、ひとりで天王寺公園付近を描き始めたが、谷町筋、上町筋、勝山通がこんがらがって、よくわからない。
 汗をかいて、途方に暮れているところで、目が覚めた。……

 夢のピークは、僕が「汗をかいて、途方に暮れている」場面だった。
 しかし、目覚めてからのピークは「おっさんが使っていた赤マジックだけが転がっている」光景だった。
 赤マジックを見つめていたら、おっさんのブログの最後の記述「行って来るわぁ~。おっさん何時も通り、今日も朝風呂に出かけてますぅ~」という声が聞こえてきた。

 画像=冬のお天道さんを浴びて、芝生(大阪管区気象台跡地)に横たわり、大好きなハイライトを吸うおっさんの勇姿(ZEORさんのブログ「2月20日」から)。


職員通信 2013/08/16号
★職員室通信はお休み。お盆特別号=子どもたちのいない学校から、もうひとつの学校が見えてくる
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★子どもたちのいない学校。

 子どもたちのいない学校で、子どもたちの姿を再現する方法が2つある。
 ひとつは、自分の中にある記憶装置に焼き付けられたデータを手がかりに再現する方法。
 もうひとつは、画像のような、子どもたちの作品(体育祭の応援リーダー用Tシャツ)を手がかりに再現する方法。
 この2つを組み合わせると、普段は見えない、もうひとつの学校が見えてくる。ブ4

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★僕の難しい条件に合う唯一の温泉銭湯はここだ&本日は敗戦記念日。「職員室通信」は休む。再開は8/19

2013-08-15 09:17:31 | 僕のモンマルトル日記

 

茫漠特急
僕のむずかしい条件に合う唯一の温泉銭湯はここだ
2013
08.15

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★僕の温泉銭湯の条件を、重要なものから並べると――
 ①源泉掛け流し
 ②車で20分以内(だから15キロ以内)
 ③温い
 ④空いている

 ④は、ま、あきらめてもいいと思っているが、唯一、ぜんぶそろうのが、ここ(画像)。


職員通信 2013/08/15号
★本日は敗戦記念日。「職員室通信」はしばらく休む。再開は8/19から
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★8/15は敗戦記念日だ。
 「職員室通信」は、しばらく休むことにする。
 再開は8/19(月)から。

★掲示板から――
☆〈投稿者=星〉
 〈題=あああああああああああ〉
 あつすぎる!!!
 勉強に集中できん(@_@;)
 だれかなんかいい勉強のしかたと集中のしかたおしえてください*

☆〈僕から「星」に〉
 いやぁぁ~、ホンマ、暑いですねぇ~。
 帰宅のとき、折りたたみ自転車(はなむけ号)で、10キロ走行中、中間点を過ぎたあたりで、生まれてはじめて、熱中症気味になりましたよ。
 しかし、受験生はこの暑さにまけたらアカンよ。
 宗教的修業(お祈り)と思って、この暑さを克服してください。
 このがんばり&ねばりが、これからの「夏後半→秋→冬」の決断力や集中力や持続力につながりまっせ。
 奮闘努力を祈ります。

☆〈投稿者=ミカン〉
 学校の学習会が終わったと思ったら、塾の学習会も終わりましたよぉ。
 夏休みもおわりだな・・・。

☆〈僕からミカンに〉
 ミカンさん、カキコミ ありがとう。
 学校の学習会も塾の学習会も終わったということは、外側のスケジュールが終わり、これからは内側(ミカンさん)中心のスケジュールで展開しはじめる……ということですね。
 これが、あと10日もある。
 楽しみですね。
 僕は、この「土・日」+「お盆休み」+「土・日」(トータル9日間)が夏休みです。
 外側のスケジュールがほとんどないというのは、やはりうれしいもんですね。
 さっそく、はなむけ号(折りたたみ自転車)で家のまわり、神社、お寺、城址……を走ってきました。
 汗びっしょり!
 午後は読書です。

★画像=玄関付近のヒマワリ。
 僕は、だ~れもいない、この時空間が、いちばん好きだ(^_^)v。
 自分がこの世に投げ出されている、あるいは、投げ込まれているということを、肯定的にとらえられる一瞬だ(^_^)v。

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★お盆は旧友に逢う機会が多いが歳のとり方には2種類ある&2学期初めはアイデンティティの危機に寄り添う

2013-08-12 20:12:06 | 僕のモンマルトル日記
 

 

茫漠特急
歳のとり方には、アイデンティティのこだわり方によって、粗く2種類ある(と僕は思っている)
2013
08.12

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★お盆だ。
 昔の友人や、昔の教え子に逢う機会が多くなる。
 歳のとり方には、アイデンティティのこだわり方によって、粗く2種類ある(と僕は思っている)。
 1つは、自己の時間的・歴史的連続性にアイデンティティを求めるタイプ。
 もう1つは、所属する社会との連続性にアイデンティティを求めるタイプ。

 前者のタイプは、たとえば40代になったときに、30代の自分も、20代の自分も、10代の自分も、地層の断面や樹木の年輪のように、あるいは歴史年表のように、くっきりとそれぞれの「時代」の跡を残している。
 だから、10年、20年、30年とへだてても「よう!」「おお!」という感じで、即、2人が時空間を共有していた「時代」にもどれる。
 時間的・歴史的タイプの僕は、この瞬間に無上の喜びを感じる。

 後者のタイプは、ま、イメージ的には、〈30代〉になるときに〈20代の自分〉を融合させてしまう、〈40代〉になるときに〈30代の自分〉を融合させてしまう……というふうに、常に新しい自分を創出しながら歳をかさねていく。
 だから、ずいぶん違った感じに変化していることが多い。
 時間的・歴史的タイプの僕――自己に対してアイロニカルな言い方をすると、自分が若かった頃にしがみつき、もう将来的には絶望的な状況にあるにもかかわらず、執拗に未来に希望をつなごうとする僕(ノ△・。)は――「よう!」と言いかけたものの、まったく別人の、既に立派な大人の、その人が眼前にいて、ドギマギして、その「よう!」をグッと飲みこんでしまう。

 お盆は人生のスペクタルが味わえる。
 今夜は、ペルセウス座流星群でも仰ぐことにしよう(^_^)v。


職員通信 2013/08/12号
★2学期のはじめは、アイデンティティの危機に寄り添う―― 学年・学級経営のポイント①&②
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★アイデンティティという語に対する適切な日本語訳がないといわれる。
 実際、日本語のいろんな文脈のなかで、「正体」、「身元」、「本質」、「独自性」、「主体性」、「本性」、「存在証明」「自己像」「本来の自分」……などと使われている。
 先日の模擬授業大会でも、講師の野口氏が「先生方のアイデンティティ……」という言い方をし、それを受けるかたちで、僕もお礼のことばのなかで「野口氏のアイデンティティ……」という言い方をした。
 しかし、たぶん2人の「アイデンティティ」の概念には微妙なズレがあったと思う。

★僕は迷わず(というか長いあいだ「迷」った結果として、現在は単純、頑迷に)「同一性」と直訳している。
 と同時に、これを時間(垂直)軸と空間(水平)軸の2軸でとらえている。
 「時間軸」は、もちろん自己の時間的・歴史的連続性、つながり。
 「空間軸」は、所属する社会との連続性、つながりである。
 (なお、先の野口氏は「存在証明」的な意味で使われたのだと思う。)

★今、長期休業後=2学期の始めに向けて話題にしたいのは、空間軸のほうだ。
 空間軸の例として、
(1)学級・学年の友人とのつながり
(2)教師とのつながり
(3)家族とのつながり
(4)地域の人々とのつながり
(5)インフォーマルな友人とのつながり
(6)部活動仲間とのつながり
(7)いわゆる「第4の領域」の仲間とのつながり……等々。

 経験的にいって、いわゆる「急性のアイデンティティ混乱」も含め、2学期はじめは、自己の存在の意味を見失ってしまう中・高校生が多い(自殺者も圧倒的にこの時期が多い。)

 空間軸の崩壊が、それに複雑に絡みつつ形成されている時間軸の崩壊につながるのだろう。
 いわゆる日本的美意識としての無常観に少し似ている。
 僕はキライではない。
 しかし、子どもが長期間、この精神状態にあることは危険だ。

★欲をいえばきりがない。
 かなり粗い話だが、僕は(1)~(7)のどれが1つが、つながっていれば、「さしあたって今は大丈夫」と考えている。

 先生方には、「3日会わざれば刮目してみるべし」という視点(=「この子は、2学期、どんなところがよくなりたいと思って出校してきているのだろうか?」)とともに、ひとりひとりの(1)~(7)のつながり(=空間軸のアイデンティティ)を観察してほしい。
 そして、空間軸のアイデンティティが消滅しかかっている子に寄り添ってほしい。

 「観察」については
(1)子どもといっしょに「存在」する。
 ただ、いっしょに「存在」するだけでいい。
 「いっしょに存在しているんだ」と念仏のようにつぶやくだけで、子どもたちの見え方が違ってくる。
(2)アンケート調査(含ミニ課題作文)
(3)チャンス相談……など、プロとして多様な手法を組み立てて工夫を。

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 「寄り添う」については、いつもの上記の「カウンセリングの三角形」でいうと「A←一体になる・B←味方になる」部分をぶ厚くする(=即助言というのは、避ける)ことを基本に、
(1)将来への目標を持たせる。
 体育祭に向けて……市中体にむけて……文化祭にむけて……修学旅行にむけて。
 経験的に、行事というのは、こういう状況ではかなりの威力を発揮する。
 先生方ご自身の2学期の夢もぜひ熱っぽく語ってほしい。
(2)自分のよいところに気づかせる
(3)自分の存在が他のためになっていることに気づかせる……など。

★教師一般の体質もそうだが、社会全体がマイナス評価する、あるいはマイナス的(含悲観論・危機管理という観点からの予防)な評価ができる人間を高く評価する方向に傾いている。
 自己肯定感が育たない原因の1つだ。
 この流れに抗して、徹底して自己肯定感を育ててほしい。
 悲観論は感情だが、楽観論は思想だ。

 
人と人とのつながりを広げる 学年・学級経営のポイント②

★上記で「欲をいえばきりがない。わたしは(1)~(7)のどれが1つが、つながっていれば、さしあたって今は大丈夫と考えている」と書いたが、このことは言い換えれば、1つよりも2つ、2つよりも3つと、たくさんのつながりがあるほうが安心というか、子どもの自己形成空間が充実していることになる。
 三間(空間・時間・仲間)の減少。
 多人数異年齢集団の遊び集団から少人数同年齢集団化。
 職住分化(家族の共同性の衰弱化)。
 自己選択的消費文化の浸透(他者との共同行為の衰退)。
 地縁ネットワークの衰弱化。
 地域空間の均質化……等々。

★空間軸のつながりの少ない子どもが問題なのではない。
 背後にあるこういう歴史的、文化的、社会的な変化を経て、社会全体がもがいているのである。
 この状況、またこの時期(2学期はじめ)を踏まえて、人と人とのつながりを拡充する教科経営、学級経営、学年経営、はどうあればいいか? 教職員の役割はなにか?ということを強く意識し、プログラムを企画していくことが、今、大切であると思っている。

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★明日から陸奥湊駅前の市営市場内食堂で僕を鍛え直す&プロの授業でいじめも不登校も非行もぜんぶ解決する

2013-08-11 10:13:54 | 僕のモンマルトル日記

 

茫漠特急
明日から陸奥湊駅前の市営市場内食堂で僕を鍛え直す
2013
08.11

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★先日(8/8)の記事で――
 《己の姿を四方八方にさらしつつ、サーモンたたき丼を食べる。
 夏の豚肉野菜炒めを食べる。
 冷やし茄子天うどんを食べる。
 カツ丼を食べる。…… 
 僕という人間の輪郭がピリッとしてくる。》――と述べた。
 しかし、これは、ずっと以前の僕のことだ。
 ここ数年は、「さらす力」が弱ってきている。
 自分ですごくわかる。
 ゆえに、自分が見えない。
 ゆえに、他者が理解できない。
 ゆえに、自分を創出できない。……
 そうだなぁ~、明日から、陸奥湊駅前の市営市場内食堂で「タラコと筋子」「ウニメカブ」、ご飯とせんべい汁等で、朝食をとりながら、もう一度、鍛え直してみるか……(^_^)v。


職員通信 2013/08/11号
★プロ教師の授業でいじめも不登校も非行もぜんぶ解決する
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★石破T(理科)の模擬授業

(1)いい声、いい語り。
 特に、(先日の八重Tのときにも触れたが)自分はこのことがおもしろいと思っている、あるいは、自分はこのことに興味をもっている……そういう自分の「思い」が、生徒に、ブルドーザーのようにガンガン伝わっていく「語り」だ。

(2)たくわん、バナナ、トマト、電極……など理科教師としての「もの」へのこだわりを強く感じた。
 僕の経験・僕の授業と対比させると――
 近時、僕が国語教師魂を爆発させて取り組んだ授業「高村光太郎」。
 いつもの僕の余計な策略はぜんぶ引っ込めた。
 光太郎の詩(智恵子抄・戦争詩)と書簡(病院の智恵子宛)だけを使った。
 そのときの生徒の反応を見て、国語教師が何にこだわらなければならないのか、電撃に打たれたように気づいた。
 きょうの石破Tの授業は、このことを僕に思い起こさせた。

(3)ぼんやり見ていると気づかないかもしれない。
 よく見ると、たとえば、説明を聞く場面、考える場面、選択する場面、実験する場面、まとめる場面……などが指導過程のなかに明確に位置づけられている。
 すばらしい。

(4)臨機応変の指示やギャグがある。
 ここで、悪い意味で、授業が緩む。
 プロとしては、それは特定のグループに対して発しているのか? 全体なのか? 個人なのか?……ということを強く意識して発する必要がある。

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★今枝T(国語)の模擬授業

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(1)語りが心地よい。
 ひとつは、マイクに乗りのいい声という言い方をするが、聞く耳の耳に乗りのいい声だ。
 もうひとつは、きょうの4人のなかでいちばん声の大小、高低の幅が広い。
 自由にコントロールしている。
 絶品だ。

(2)教師が範例を示す場面で「わたしにやらせてほしい」という言い方をしたが、生徒の意欲につながると感じた。

(3)全員が起立し3回音読し、終わった生徒から着席する場面で、あらかじめ出された座った生徒への課題が「さらに読みつづける」だった。
 空白を作らないための、やり終えた生徒への課題として評価する。
 ただし、この場合、他の課題も考えられる。
 たとえば、声に出さない、パクパク読み、黙読、他の生徒の音読を聞く……等々、生徒の状況を考え、よりよい課題を追究したい。
 作業を終了した生徒への課題の指示は、本校全体の課題でもある。

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★今、日本の公立学校には、いじめも、不登校も、非行も、ぜんぶ、「わたしの『知的で楽しい授業』でクリアーしてみせるというプロ教師魂が必要だ。
 プロ教師の基礎・基本が、本校の「授業力向上5原則」だ。

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 ①授業の目標、ねらいを明確にする
 ②指示・発問は全員に、短く限定して述べる。
 ③達成状況の確認をして授業を進める
 ④1人1人の生徒のがんばりに気づき、認める
 ⑤全員に50分間の学習活動を保証する

 本校で、これまで継続的に教師修業を行ってきた経験からいうと、この中で、②、③、⑤は、比較的取り組みやすい。
 また、ある程度、努力すると一定のレベルに到達できる。
 しかし、①と④は、一見、簡単そうに見えるが、飛びっきり難しい。(ただし、①と④の難しさは質が違う。質の違いについては、きょう、述べる紙幅もエネルギーもない。別の機会に詳述したい。)
 MINAMIの教員は、僕を含め、全員、この①と④に課題を持っている。

 プロ教師への道は遠い(ノ△・。)。



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★僕は閉所恐怖症だから京大の生協食堂「ぼっち席」には座れない&模擬授業・中森T(音楽)のテンポがいい

2013-08-08 14:28:55 | 僕のモンマルトル日記
 

 

茫漠特急
己の姿を四方八方にさらしつつ、サーモンたたき丼を食べる。夏の豚肉野菜炒めを食べる。冷やし茄子天うどんを食べる。カツ丼を食べる
2013
08.08

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★京大の生協食堂「ぼっち席」。
 一人で食事をする姿を見られるのが辛いという学生のために登場した。
 2012年4月、学内食堂改修の際に新設したもので、テーブルの中央についたてを立てることで、向かいの客の顔を隠し、1人でも座りやすいようにしている。
 学生からの「1人席」設置を求める声に応え、計60席を特注で用意したそうだ。(j-cast.com 2013/8/ 4 10:00)

★僕は、逆に、生協食堂のような広い空間が好きだ。
 図書館の大閲覧室とか、ホテルのラウンジとか、キハ48の車内とか……も、大好きだ。
 そういう広い空間に、ひとり孤独に身を置くことを異様に好む(^_^)v。
 周囲にたくさんの顔がある。
 でも交流はない。
 ひとりぼっち。
 僕流にいえば「開かれた孤独空間」だ。
 この空間に自己をさらす。
 孤独の輪郭をさらす。
 生協食堂だと、真ん中付近の、あまり人がいない、四方八方見渡せる、(ということは)四方八方からよく見られる、そういうテーブルがいい。
 己の姿を四方八方にさらしつつ、サーモンたたき丼を食べる。
 夏の豚肉野菜炒めを食べる。
 冷やし茄子天うどんを食べる。
 カツ丼を食べる。…… 
 僕という人間の輪郭がピリッとしてくる。
 ふだん、僕のうちで、停滞していた思考回路が、一気に活性化する。
 この僕がだれなのか?
 どこから来たのか?
 どこへ行くのか?
 こういうことが徐々にわかってくる。
 この感覚がなんともいえない。
 「ぼっち席」だと、この感覚は得られないのではないだろうか?
 「ぼっち席」は「閉じられた孤独空間」だ。

 学生たちには、孤独で、かつ、四方八方に、究極的には、宇宙に開かれていてほしい。

 だいたい、だれかといっしょに座るというのは、ま、それが2人なら、その彼と僕の、あるいは彼女と僕の、いわばzweisamkeit=二人っきりの孤独=「ふたりぼっち」状態になることだ。
 悪くすると「ぼっち席」より閉ざされているかもしれない。
 この危険は、「3人ぼっち」でも「4人ぼっち」でも「5人ぼっち」でも「6人ぼっち」でも同じことだ。

 くりかえす。
 学生たちには、孤独で、かつ、四方八方に、究極的には、宇宙に開かれていてほしい。

★画像=MINAMI玄関ロビーの孤独のヒマワリ。


職員通信 2013/08/08号
★中森T(音楽)の授業のテンポがいい。板書する際、半身の姿勢で速くきれいに書ける
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★夏季研修期間に入って2回目の校内模擬授業大会があった。
 時間=午前9時~10時30分
 授業者=須藤T(理科)、中森T(音楽)、石破T(理科)、今枝T(国語)。
 1つの授業が10分間、協議が5分間、合計15分間。
 これを4つやるわけだから、15分間×4=60分間。
 授業と授業のあいだに、評価票回収、準備、移動等があるから、どうしても「ロスタイム」が生じる。
 でも、本日は90分もかかっている。
 「30分」のロスタイムは長い。
 これをどうやって短くするかが課題だ。
 模擬授業のメリットは、いつでもどこでも授業研究がやれるところにある。
 1コマ(15分)だと職員会議のあとや教科部会の中でもやれる。
 「どこ模」と呼んでいる。
 現在、「どこ模」より「模擬授業大会」にウエイトを置いているのだが、本来の研修設計の「思想」は「どこ模」を志向している。
 プロ教師として、サッとはじめてサッと終われるようにしたい。

★須藤T(理科)の模擬授業

(1)授業者の表情が、おだやかで、自然で、あたたかい。

(2)目線は、最前列と左右端のエリアにやや弱点をもつものの、常に、ほぼ教室全体を見渡している。
 この点は評価したい。
 ただし、スーッと流れてしまっている。
 僕とは1回も目を合わせなかった(ま、合わす気がなかったのかもしれないが(ノ△・。)。
 生徒役に「授業中、須藤Tと目が合ったという人?」と生徒役に聞くと、4人しか手が挙がらなかった。
 生徒1人1人に0.1秒ずつ止める修業、あるいは、生徒の目と目をつなぐように自分の視線を連続的に移動させる修業が必要だ。

(3)以前の話を持ち出すのは須藤Tに失礼だが、本日のいい点と対比させるためにあえていうと、以前は、生徒全員に単純な内容の問いかけをして、パラパラと数名が答えるという形式、いわゆる「青い山脈型授業」に流れるきらいがあった。
 しかし、本日の授業は、ここは1人1人に考えさせる場、選択させる場、書かせる場……などと、1人1人の活動が保証されるように授業が設計・展開されている。
 説明を聞かせる場面でも、考えさせたり、選択させたりしている。
 感心した。

★中森T(音楽)の模擬授業

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(1)授業のテンポがいい。
 授業の転換点で発する「さあ!」や「それでは」という感動詞や接続詞に表情(声の高低、大小)があり、心地よいリズムで授業が展開する。

(2)板書する際、半身の姿勢で生徒を見ながら、速くきれいに書ける。
 黒板に向かって書けば0度、半身で書けば90度、生徒に向かって書けば――これは不可能だが――180度。
 現在、中森Tは45度。
 60℃くらいで書ければ最高。
 ちなみに、南原T(数学)は、90度。

(3)列指名の際、生徒の発言に対する対応があたたかくて感動した。

(4)普段、会議などでの中森Tの発言は結構「えーと」が多いがm(_ _)m、授業では、まったくない。
 「授業者」としてのスイッチが入るのだろう。
 今、僕に適切なことばがなく、うまくいえないのだが、スイッチをキチンとON・OFFできることに、すごく感動した(^_^)v。
 見習いたい。

 石破T(理科)、今枝T(国語)は、次回の「職員室通信」にアップする。



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★ドラム缶風呂が気持ちいい。煙のにおいがいい&2学期の体育祭・市中体・文化祭等を1つの単元ととらえる

2013-08-05 19:41:05 | 僕のモンマルトル日記

 

茫漠特急 ドラム缶風呂が気持ちいい。煙のにおいがいい。ぬるい段階で炊くのをストップ。月が見える。鹿の鳴き声が聞こえる。
2013
08.05

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★土曜日(8/3)、日曜日(8/4)は、僕という人間が――いい意味で――いろいろな情報に接し、自分がこの世に投げ出されている、あるいは、投げ込まれているということを自覚させられ、魂をグラグラと揺さぶられる2日間になった。
 土・日は、このHP&ブログの怒濤の更新を計画していたのだが、完全に吹っ飛んでしまった(*^_^*)。

 「いろいろな情報」については、たくさんありすぎて全部は書けない。
 だいたい、書いても、それは僕にとって意味があるのであって、読まされる他の人にとっては、おもしろくもなんともない話だ(ノ△・。)。
 しかし、他に書くことがあるわけでもないので、今週、気が向いたら、1つずつ紹介していくことにするm(_ _)m。

★まず、ドラム缶風呂の話――
 畏友・あしゅら堂主人が、庭にドラム缶風呂を設置した。
 直接、見たわけではない。
 ライオンズ応援メール――8/4、対ホークス戦、先発の岸から増田、涌井、ウイリアムスとつないで3対2で勝利した試合――の末尾に「ドラム缶風呂が気持ちいい。煙のにおいがいい。ぬるめで炊くのをやめる。鹿の鳴き声が聞こえる。月が見える。贅沢な時間だ」とあった。
 僕の頭に浮かんだのは、古いドラム缶を加工し、ペンキを塗って……というイメージだ。
 しかし、あしゅら堂主人のは、そうではなく、販売しているものを購入したようだ。
 最近、「今夜は十六夜だ」とか「立待月だ」とか月の話題が増えてきたなぁ~と思っていた。
 たぶん、このドラム缶風呂から眺めていたのだろう。
 次、訪ねたときに見せてもらう。
 タイミングがよければ、そのぬるい湯に浸かってみようと思っている(^_^)v。

★興味があるので、インターネットで「ドラム缶風呂&販売」で検索すると――
 ☆一度入ればクセになる
 ☆太陽と青空の下で入るもよし
 ☆星空を見上げながら入るもまたよし
 ☆大人も子どももみんな楽しい
 ☆ドラム缶露天風呂にチャレンジ……。
 種類も、鉄製ドラム缶、内面塗装ドラム缶、ケミドラム缶、ポリマイトドラム缶、ペール缶、ステンレスドラム缶などと、いろいろあるようだ。

★子どもの頃、ドラム缶風呂に入っていた記憶がかすかにある。
 僕がふざけて騒ぎ、底が抜け、湯が徐々に減っていった感触は鮮明だ。
 で、近くの寺に貰い湯をすることになった。
 その夜道、僕ら家族の歩みにつれて揺れる懐中電灯の、小さな光の輪。
 父がクツワムシをつかまえてくれた。
 そのムシの、光の輪の中に浮かんだ、妖精のような美しさは、脳裏にクッキリと刻まれている。

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室通 2013/08/05号
★2学期の体育祭・市中体・文化祭・修学旅行などを、単発の行事ではなく、1つの単元としてとらえる

★2学期の体育祭・市中体・文化祭・修学旅行などを、単発の行事ではなく、系列・ライン・続きものととらえ、生徒のよいところを計画的に伸ばす、あるいは弱点を計画的に克服させる場にしたい。
 たとえば、「この行事では生徒の自治力を伸ばす。次のこの行事では上級生としての指導力を伸ばす」……あるいは、「本校は自主性に課題がある。だから、徹頭徹尾、メインを自主性の伸長に設定する」という選択もあり得る。
 このことについては、領域部会などが中心になって計画を立て、学校全体で取り組むという発想はまちがいではない。
 しかし、これを、学校全体で実のある計画を立てるというのは、経験的に、とんでなくむずかしい作業になる。
 空疎で、形式的なものになりがちだ。
 むしろ、学年や学級の実態を踏まえ――もちろん、学校全体の目標を踏まえつつ――実際の今の子どもたちの顔を思い浮かべながら、指導計画を立てるほうがいいと思う。

★2学期の行事を、つづきものとしてとらえ、計画的に育てる際、次の2点に留意したい。

(1)タイプ別に育てる。

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 僕は、いつも、上図のように、粗く、2軸・4分割で子どもたちをとらえ(分類し)、その中から代表として「典型生徒」を設定し(図のAさん・B君……)、タイプ別に指導方法を考えている。
 この「典型生徒」を決めないと、どうしても指導内容が漠然としてしまう。
 この図では一例として軸を「指導力」と「体育祭へのやる気」にした。
 Aさんは、やる気もあり、指導力もある
 B君は、体育祭に対してはやる気がないが、指導力はある。
 当然、AさんとB君では指導の内容が違う。
 Cさん、Dさんについても同じだ。
 AさんとCさんの関係をどう指導するかという問題もある。
 Aさん・B君・Cさん・Dさんの顔を思い浮かべ、行事における活動場面ごとの指導プログラムを組んでいく。
 なお、タイプ別に指導する際、次の①~④のコーチング方法は、自分の指導方法を見直す上で参考になる。

 ①具体的に教える=教師が期待している行動がどういう行動か本人が具体的にわかっていないのではないか?
 知らないからできない。
 だから、具体的に教える。
 「*****することが最上級生としての行動なんだよ」などと具体的にかみくだいて教える。

 ②正しい情報を与える=間違って「学習」しているのではないか?
 だから、本人が思っている行動が必ずしも他人からそうに思われていないということを教える。

 ③自信をもたせる=わかっているのだけれど、行動にうつせないのではないのか?
 だから、よく観察し、他のTの情報も得て、少しでもできていること(場面)を指摘し、ほめる。

 ④細かくコーチする=わかっているし、やれるのだが、状況に応じて適切な行動が取れないのではないか?
 だから、具体的な場面をとらえて、細やかな対応方法を具体的にコーチする。

(2)自主性・自治力・指導力を育てる。
 ①生徒が自分たちだけで考える「部分」を設定する
 ②自分たちだけでやる「部分」を設定する
 ③結果について自分たちで責任を負う「部分」を設定する……
 こういう場面を、つづきもの行事のなかに、綿密に、計画的に設定していく、埋め込んでいく。
 その際、わたしたちは、
 ①教える→やらせる→評価
 ②やらせてみる→教える→やらせる→評価
 ③教える→やってみせる→やらせる→評価(←これらはひとつの例に過ぎないのだが……)等のパターンについて、今、この行事では、どのパターンで指導し、次の行事ではどのパターンに移行しようとしているのかを明確に意識する必要がある。
 いつも①のパターンというのでは、子どもは絶対に育たない。
 むしろ、だんだんダメになっていく。



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★今夏の甲子園出場校で最も話題を集める高校&模擬授業大会は大向T(美術)&安代T(体育)の実技

2013-08-02 13:11:58 | 僕のモンマルトル日記

 

茫漠特急 今夏の甲子園出場校で最も話題を集める高校
2013
08.02

060

★興味があるのは、僕の一族が眠っている(ま、生きている人もあるはずだが)茨城・千葉界隈、そして、僕の出身地である大阪・奈良界隈、そしてもちろん、青森だ。
 青森は、正直、八戸北か八戸西に勝ってほしかった。
 祈っていた。
 八戸西にはじゅうぶんチャンスがあった。
 茨城・千葉界隈では、わが金沢成奉氏が率いる明秀日立が準決勝まで進出した。
 一歩、二歩及ばなかった。
 で、今年の夏、僕がもっとも注目するのが、奈良代表の桜井高校(初出場)だ。
 遠く離れていた僕は、桜井の試合は観られなかった。
 僕の代わりにテレビに齧り付いていた、畏友・あしゅら堂主人の情報などによると――
 「決勝戦に勝ったとき、まったく笑顔がなかった」
 「ガッツポーズもない」
 「もちろん、マウンドに集まって天を指すようなパフォーマンスもない」
 「1回戦に勝ったというくらいの感じ。淡々と整列し、学校の応援団に挨拶し、黙々とベンチに引き上げた」
では、「勝って当然」、猛烈に強いのかというと、けっしてそうではない。
 あしゅら堂主人「全試合、冷や冷やモン」「まさか甲子園とはねぇ」のレベル。
 ネット上では既に――ま、これは奈良県民の謙遜だろうが――「日本でいちばん弱い」と話題になっている(ノ△・。)。
 ホンマにそんなに弱いのか?
 そんなはずはないだろう。
 なにしろ奈良県には天理、智弁という強豪がいる。
 それを脇に退けての出場だ。
 たいしたもんじゃないか。
 ガッツポーズや笑顔は他校にまかせておけばいい。
 勇気と品格をもって試合に臨んでほしい。

★ネットサーフィンしているうちに、監督の森島伸晃氏の指導に行きついた。
 そのネット情報から、単語&一節、一文をアトランダム、無責任にコピーすると――
 「勝って喜ぶこと、失敗して下を向くことは禁止」
 「『心の指導』に重きを置く。練習時間は1日約2時間」
 「勝ってもガッツポーズを作らず、相手の好プレーには拍手を送る」
 「欲を持たず自己を磨き続ける武道の精神」
 「野球を通じて生きる力を養う。見返りを求めず、学んだことで日常生活をより良くしていく。森島はこれを「野球道」と名付けた」
 「野球道の修養の場は、練習や試合だけではない。日常生活全般で、人が見ていなくても、目の前のことに全力で取り組む。部で輪番制を組み、早朝に校舎のトイレを全力で掃除。地域のごみ拾いにも参加する。定期試験にも全力で臨む。もし赤点なら、練習禁止の罰則がある」

★画像(左)=桜井高の選手たちが桜井市の松井正剛市長を表敬訪問。畝傍高校野球部出身の市長は、現役時代に夏の奈良大会決勝で敗れた経験をもとに激励。杉山功樹主将(3年)は「甲子園でも桜井らしい野球をします」と誓った。
 画像(右)=甲子園の応援を盛り上げようと、桜井高にチアリーダーが発足。
 奈良大会ではチアリーダーはいなかったが、生徒からの要望もあり、先月末の職員会議で発足が決まった。
 炎天下でも元気に動き回れることを条件にメンバーを募集。
 約40人の女子生徒が集まった。

★現時点の僕の結論――
 ①監督の森島伸晃氏の指導と僕の指導方針は、ピッタリ重なっている。
 「指導」ということについては、僕も当然、たくさんのプレッシャー、自棄、絶望、悲哀をくぐり抜けてここに至っている。
 そのうえで、僕が集めた情報の範囲では、心底、感激している。
 ただ、素手でトイレ掃除をしているそうだが、僕は素手ではやらないし、やらせない。
 ②試合が観たい。
 試合と同時に、選手たちの表情、立ち居振る舞い、そして監督が観たい。
 それから、臨時チアガールも観たい(^_^)v。
 貸切バスなんかははずかしてく乗りたくないだろうから、おそらく、近鉄大阪線、難波線で甲子園に行くのだろう。
 できればいっしょに乗りたい(*^_^*)。
 ま、僕が直接、甲子園に行くか、TV観戦になるかは、抽選の結果次第だ。
 たのしみだ(^_^)v。


職員室信 2013/08/02号
★授業研究(約50回)+全体模擬授業(約60回)+教科部会模擬授業42回=152回
018
          ☆模擬授業大会の運営にあたる公磨T(研修主任)

★〈08/01号〉=「午前中、模擬授業大会を開いた」記事のつづき。

 昨日の八重T(国語)・南原T(数学)につづき、大向T(美術)、安代T(体育)の模擬授業を紹介する。
 本日は、僕のパワーの関係で(ノ△・。)、画像のみの紹介になるm(_ _)m。
 画像については、いい画像がたくさんある。
 しかし、いい画像というのは、教員の顔が生き生きと映っている画像だ。
 しかし、やはりそれはアップするわけにはいかない。
 目隠しだらけになってしまう。
 目隠しは2カ所まで……で、アップ可能なものを選んだ。
 模擬授業の様子をぜひ見ていただきたい。

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039
          ☆大向T(美術)のグループ活動

055
          ☆安代T(体育)の実技

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     ☆指定発言者としてコメントを述べる今枝T。左端は総合学校教育センター指導主事

★授業力向上をめざす本校の授業研究については、次のような規程になっている。

 本校設定の「授業力向上5原則(教師)」ならびに「学力向上5原則(生徒)」を共有化し、授業研究および模擬授業研究を校内全体で年間150回実施して、本校設定の「生徒による授業評価(3項目5段階)」の5=70%、「保護者による授業評価(5項目5段階)」の5=80%をめざす。
 教員の数は20名だから、1人につき7回~8回。
 これまでは「100回」だった。
 〈内訳〉
 授業研究=約50回
 模擬授業=約60回
今年度から「150回」に増やされた。
 これは「各教科部会運営方法の改善」と関係する。
 現行の教科部会は月に4回。
 新年度はこれに職員会議後の教科部会が新設される。
 月に最大5回になる。
 このうち1回の教科部会において模擬授業を実施することになった。
 そのあらましは――
 ①実施する当日の職員朝会で授業者、時間、場所を知らせる。(「当日」ではなく、「週のはじめ」あるいは「1週間前」という案も出たが、「当日」ということになった。この議論がすごくおもしろかった。)
 ②参加者は、当該教科の担当者と、その時間が空き時間の他教科の教員(自由参加)。
 ③実技教科(音楽・美術・技術家庭・保健体育)は、職員会議後の教科部会で実施する。
 概算、教科部会内で実施する模擬授業は、1教科年間7回。
 5教科+実技教科=6教科。
 7回×6教科=42回。
 現行60回+42回=102回
 これにその他の、視察&取材&どこ模(いつでもどこでも模擬授業の略等)等、特設模擬授業が加わるから、もう少し増えることになる。

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★ユリの花が咲いた。『鉄道員』のおさげ髪の女子高生が現れたみたいだ&模擬授業大会開催。八重Tは天才だ

2013-08-01 15:43:44 | 僕のモンマルトル日記

 

茫漠特急 今年もユリが咲いた。『鉄道員』のおさげ髪の女子高生が現れたみたいだ
2013
08.01

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★10年ほど前、友人からもらったユリが今年も咲いている。
 新聞紙に包んだ球根をもらった日は、雨だった。
 「これを穴を掘って埋めてください」
 「それだけでいいです」
 「毎年、かならず咲きます」
 僕は、一刻でも早いほうがいいだろうと、帰宅後すぐ、シャベルを持って夜の庭に出た。
 人の頭ほどの穴を3つ掘った。
 土をすくい出すあいだも、雨は降りつづいていた。
 次の年から画像のような花が咲くようになった。
 『鉄道員』に、おさげ髪の女子高生が訪ねてきて「こんにちは、駅長さん」と頭をさげ、乙松が「あれえ、あんたまた姉さんかね」と応じる場面がある。
 その現れ方に似ている。
 でも、ユリというのは、僕にはちょっと縁遠いような気がする。

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職員通信 2013/08/01号
★模擬授業はプレッシャーのかかる修業方法だ。ま、だから効果がある
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★午前中、模擬授業大会を開いた。
 模擬授業というのは、教師たちが、授業者と生徒役にわかれて行う。
 一般の方には、なんだか「授業ごっこ」をやって遊んでいるように思われるかもしれない。
 しかし、実は、結構、プレッシャーがかかる。
 ふつうの授業研究会(含授業参観日)だと、参観者は、教師の授業行為と、子どもたちの学習活動(反応・作業)とを照らし合わせながら観る。
 だから、経験的にいうと、授業者のプレッシャーは半分、あるいは半分以下なのだ。
 しかし、模擬授業では、参観者が観るのは、教師そのもの。
 教師の発する一言一言、教師の指導行為の一つ一つだ。
 身体がカチンコチンになる。
 僕も覚えがある(ノ△・。)。

★進め方は、
 授業者1人につき――
 ①模擬授業10分間
 ②2人の指定発言者からのコメント(各1分間)
 ③生徒役Tからのコメント(1分間)
 ④指導助言者のコメント(2分間)
 合計、15分間だ。
 コメントは――
 ①代案「ここはわたしだったらこうする」
 ②「ここはスゴイ、すばらしいと思った」
 この2種類とする。
 しかし、われわれは修業過程にあるので、③「ここは変だ、しかし、代案は提示できない」というコメントも認めている。
 この③に、授業力向上に関して重大な発言が隠れていることがある。
 発言者が「代案」を示せなくても、他の人が示す場合もある。
 教員全員の追究課題になることもある。
 なお、本校では、授業者が4人以上の場合、「模擬授業大会」と称している。
 本日の授業者は、八重T(国語)、南原T(数学)、大向T(美術)、安代T(体育)の4人だから、模擬授業大会だ。
 今回は、総合学校教育センターから2人の指導主事を招き、指導助言をいただいた。
 休憩のとき、指導主事が「テレビドラマを観ているようで、鳥肌が立った」と言っていた。

034

★トップバッターは、八重T(国語)だ。

 〈僕のコメント〉
(1)八重Tは、自分が「おもしろい」と感じている、あるいは、「ここが大事だ」と考えている、その感情&思いを、聞く側に100%伝える語りの技術をもっている。
 これには、いつも感心する。
 残念ながら、僕にはこれが弱い。
 年々、低下している。
 この技術は、授業名人に必須の要素だ。
 八重Tはまだ「名人」でないかもしれないが、名人の素質をもっている。

(2)プリント上にある「解答欄」を指示するときの、指示の仕方があいまいだ。
 はじめは――
 「ここに書くのではありませんよ」
 「こちらですよ」
 「指で押さえてごらん」というくらいの念押しが必要だ。

(3)八重Tは「5つ書けた人?」「4つ書けた人?」で挙手させるのをやめたが、わたしだったら「3つ」「2つ」「1つ」「0」まで聞く。
 また、八重Tは、いちばん多かった「4つ書けた」人に挙手させ、「自信がある人はそのまま手をあげて」と指示した。
 手をあげさせつづけるのはよくない。
 それに、「自信がある人」という条件もよくない。
 授業のカタチが崩れる。
 わたしだったら、①「4つ書けた人は全員立ちなさい」と指示する。 
 ②まず、そのうち1人に自分の答えをぜんぶ発表させる。
 ③他の人には「自分の答えがぜんぶ発表されたら座りなさい」と指示する。

(4)わたしは八重Tの音声の質にすごく魅力を感じる。
 教師として「いい声」をもっていると思う。
 ただし、きょうは、その音声が拡散してしまって、聞く側の耳に焦点が結ばれていなかった。
 語るとき、ひとりひとりと目線を合わせることを強く意識すべきだ。

(5)プリントを掲げて「ここのところは残しておきます」と指示する場面で、掲げたプリントを見ている生徒役は、2、3人だけだった。
 「見なさい」と言うのであれば、全員がきちんと見ているか確認すべきだ。
 見るべきところを、全員が見ているということが、授業の安定につながる。

(6)資料を教師が範読し、生徒が、その範読を聞きながら正解を探すという作業場面があった。
 生徒は、①資料を見る(読む)、②範読を聞く……という2つの行為を同時に行いながら正解を探すことになる。
 生徒役としてやっていて、これはむずかしいと思った。
 どちらか一方に限定して行うべきだ。(コメント以上)

★2人目は南原T(数学)だ。
 語りと、その語りに含まれるユーモアが絶好調だった。

031

 僕は授業の課題点ばかり指摘したが(←最近の僕はこういう傾向がある)、同席した県教委の指導主事がよい点を指摘してくれた。
 模擬授業の指定コメント者は、課題点を指摘するコメント者と、いい点を指摘するコメント者というふうに分担するとというのも、ひとつの方法かもしれない。(この記事、「つづく」)


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