◆画像は、高村光太郎の小屋(7坪半)の内部。 この囲炉裏がある板の間の奥(左側)に3畳ほどの畳が敷いてある。 囲炉裏のまわりに一升瓶4本、五合瓶2本と、七輪。 土壁に沿わせた書棚に光太郎の蔵書。 その脇に古びた紙が張ってあるが、黄ばんで、虫に食われ、内容は読めない。 昭和20年~27年まで、光太郎は、ここで独居・農耕自炊生活を送っている。 ◆「ごめんください。宮沢さんからおことづての品を持ってきました」と、私は固くなって言いました。(『言葉はどこからどこへ』(宮地裕)から引用) 軽い食事を済ませたところだと言われましたが、おむすび一個を呈上し、たくあんの漬物でいっしょに食事をしました。 光太郎がお茶を入れてくれました。 「夏を越すのは二度目だが、夏は疲れるから、日中は仕事に出ない。 畑は五畝ほど。 野菜などの副食物を自給するつもりでいるが、なかなかできない。 耕具・肥料・殺虫剤、みな不足で困る。 しかし、いずれは一反までは耕作して、アトリエも近くに建てて、農業と彫刻を両立させたい。 一年の耕作の予定はよく組むが、思うようにはいかない。 夜のランプの油が悪いから本が読めない。 ろうそくは高くて買えない。 彫刻の材料も木もない。 今はただ刀がさびないように研いでいるが、近く、小さい物から彫りたいと思っている。 太田村の人たちは純真で、親鸞・蓮如への信仰があつい。 理屈なしに善悪を感じ分ける力を身につけている。 ただ、日常の食生活については改善を勧めている。 「玄米四合」てなくて、米は適量にして牛乳何合かというような酪農にするといいと思う。 それにしても夏は体が弱る。 冬、小屋の北側はすっかり雪にうずもれる。 南側にも三尺ほど雪が積もるが、私は血色がよくなって元気が出る。」(『言葉はどこからどこへ』引用、以上) ◆わたしの場合、光太郎の作品そのものと同時に、いや、それ以上に、父光雲との確執、欧米留学で受けた痛撃の体験、智恵子との、ま、奇妙といえば奇妙な関係、大東亜戦争への全身全霊の傾注度、山小屋での独居・農耕自炊生活等、いわゆる光太郎の生活の歴史に強くひかれているところがある。 だから、照れくさい話だが、宮地氏が記録した光太郎言は、指先に沁み、心に沁みた。 かつて(ほんの数年前)、光太郎言を転記しながら、光太郎の「一反までは」を、あるいは「アトリエも近くに」を、あるいは「近く、小さい物から」を、放棄しかけた(挫折しかけた)自分の仕事に置き換え、止まりかけた時間を再び動かしたことがある。 そのときの「時間」は、今も動いている。 しかし、「仕事」は、はっきりいえば、一頓挫の格好だ。 これが、今年の高村光太郎祭に参加するかどうか、さんざん迷って、結論として、とりやめた理由だと思う。 ◆関連記事 ・高村祭のあとで。光太郎がお茶を入れてくれる。「夏は疲れるから、日中は仕事に出ない」と。 ・高村祭⑤ 高村祭は光太郎がここ(太田村山口)の小屋で独居・農耕自炊した7年間に限定して物語ろう ◆画像は、昨年の高村祭。(クリックすると画像拡大)
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