職員室通信・600字の教育学

小高進の職員室通信 ①教育コミュニティ編 ②教師の授業修業編 ③日常行事編 ④主任会トピックス編 ⑤あれこれ特集記事編

要するに、2000/03/08以来、わたしは「パイプ椅子から腰を浮かした」ままなのだ

2008-04-30 20:25:04 | Weblog

      
★嘉瀬Tの授業(2年1組理科) 窓外の桜が満開だ。

      

◆学校だから、子どもたちのことに関して、ごくごく、あたりまえだが、いくつかの課題をもっている。
 その課題を、以前、職員室通信で「負荷」と表現したことがある。(WEB版では、いくらなんでも「負荷」はないだろう……と思ったので、カットしてあるけれど。)
 職員朝会の前と後に、その「課題」ないしは「負荷」について、昨日の休日をはさんで、一昨日夕刻からけさまでの情報提供を受け、協議する。

 その協議を、校長・教頭・教務打ち合わせ0745~0755が終わったあとから、職員朝会がはじまる0805までのあいだ、すなわち、0755~0805の10分間に。
 また、朝の学活0820~0830が終わり、1時間目の授業がはじまる0840のあいだ、すなわち、0832~0838の6分間にやる。

 どこの職場でも、そうだろうが、朝は、大混乱状態だ。
 こういう中で、協議し(←もちろん、立ったまま)、「よし、これでいこう!」という方向を打ち出す。
 打ち出しながら、一歩一歩、前に進んでいく。
 これが、教育現場だ。

◆協議のあと、1校時、嘉瀬Tの授業(2年1組理科)の取材に行く。

 きのうは、(これは、きのうも書いたが)先週の疲れがたまり、終日、HPの更新以外はなにもせず、夜も早く眠ってしまった。
 そうしたら、そのせいで、夜中に目が覚めた。
 せっかくだから、そのときに、HP更新時に記述した「ま、試行錯誤しながら、なにかに(?←あいまいやね^^;)深く迫っていける、ひとつのスタイルを発見したいと思っている」について、考える。

 「スタイル」というのは、決して、授業の技術批評や解説の仕方のことではない。
 もちろん、技術批評は、わたしの仕事だから、それはやる。
 しかし、一部であって、全部ではない。
 わたしが、そこにとどまっていてはいけない。
 とどまっているのだったら、別にわたしでなくても、もっともっと適任者がいる。
 では、では、それだけいうんだったら、あなたがもとめる「スタイル」とは?……ということになるのだが、それが、わかっていないのだ。

 こういうことを考え出すと、きまって頭をよぎる、わたし自身の過去の記述がある。
 気になりながら、それを再読する機会がなかったのだが、きょうは、思い切って、立ち返ってみようと思った。
 意外に簡単にアプローチすることができた。
 今、発行している「職員室通信」と同じ、USBメモリーに入っていた。

 平成12年(2000)03月08日の記述だ。
 数学の「優子T」の授業について、「〈説明〉が長い。今の〈説明〉の90パーセントを、〈指示〉と〈生徒の作業(活動)〉と〈評価〉に切り替える」からはじまり、約4000字の技術批評をしている。

 「きまって頭をよぎる」といったのは、その技術批評の終わりの、1行スペースをあけた、最後の小段落だ。
 コピーする。

 授業の終わり頃、パイプ椅子から腰を浮かしたとき、眼の端にキラキラするものが飛び込んできた。
 外を見ると、校庭の雪が太陽の光に輝いていた。
 差波の里山にある裸木の一帯は、うっすらとピンク色に染まっていた。
 息を呑む美しさだった。
 教室の片隅で優子Tへの注文をメモしながら、一方で、わたしの心は弾んでいた。
 超一級の教師は、松阪や上原のようなデビューはしない。
 優子Tのようなデビューの仕方をするものだ。
 それに立ち会っているのだという興奮があった。(コピー以上)

 この記述のあと、2000/03/09に、わたしは、市教委から、3/13にわたしに関する「人事異動の通知を行う」という1本の電話を受けている。
 ついでに、USBメモリー内の、前後の記述をみると、2000/03/09の記述に「『新版・職員室通信』を書き上げた直後だったので、正直なところ、非情な電話だと感じた」とある。

 よけいなことまで書いたような気がする。
 要するに、2000/03/08以来、わたしは「パイプ椅子から腰を浮かした」ままなのだ。
 なら、今の「職員室通信」はなんなのだ?……ということになるが、このことについては、きょうは、やめる。

◆嘉瀬Tの授業に、話をもどす。

 こういう授業のデータを集められる状況に自分がいるということ、これはスゴイことではないか。
 さっきもいったが、単なる技術批評や解説に逃げるのはやめる。
 ただ、ごちゃごちゃ言うのは、まだ早い。
 もっともっとデータを集めることだ。
 まず集める。
 集める技量をアップさせる。
 話は、それからだ。

    

嘉瀬T「それでは、今返したプリントを見なさい。プリントと黒板……身体の向きはそのままでいいです。前の時間にやった回路ですが、回路図が完成していない人がいます。自分のを見てごらん、足りなくないかなァ~と。(間17秒)じゃ、グループの中で見比べなさい。(作業スタート後、追加指示)で、足りない部分をすぐ書く」

嘉瀬T「(60秒後)では、身体を全部、こっちに向けなさい。身体ごとです。前の時間に実験した回路は、何回路といいますか?」
生徒1「直列回路」
嘉瀬T「これ、(板書しながら)直列回路といいます。
 プリントの最後の自由記述欄に、次、こういうのをやりたいというのが、たくさんありました。(黒板を指しながら)こういう回路です。これは何回路ですか?」

    

生徒1「並列回路」
嘉瀬T「並列の『並』って書けるかな? はい、◇◇さん」
生徒1「並ぶ……です。」
嘉瀬T「はい、並列回路です。きょうは実際に調べてみます。グループの代表、プリントを取りに来なさい。」
生徒1「4枚です」(各班代表)
生徒2「3枚です」…………
嘉瀬T「(プリントに書かせながら)4月30日。天気は?」
生徒1「くもり」
生徒2「くもり」
嘉瀬T「微妙だけど、くもりですね。青空が見えていません。」(授業開始から4分21秒)
嘉瀬T「はい、課題を1回だけいいます。『豆電球の並列回路の電流を調べよう』」
嘉瀬T「はい、課題を読みましょう。サン、ハイ」
生徒全「豆電球の並列回路の電流を調べよう」
嘉瀬T「前の時間、最後に少し触れましたが、予想してください。じゃ、予想ね。直列回路では、どこでも流れる電流の大きさは同じ。たとえば、この並列回路で、この地点で測ったら300ミリアンペアあったとします。ここと、ここは、いくらになるだろう?」

    

生徒1「150」
嘉瀬T「自由に、しゃべっていいですよ」
生徒2「150」
生徒3「150」
嘉瀬T「150と、こっちは?」
生徒1「150」
生徒2「150」
嘉瀬T「150になるかもしれない。なんでだろう? 1本のところは300で、2本のところは半分にわかれるということ? じゃ、こっちのほうは?」
生徒1「300」
嘉瀬T「300かもしれない。だれか違う人、いないかなぁ? 150、150でいいですか? やってみようかな。じゃ、プリントにもどります。プリントをみる。」(6分35秒)

    

嘉瀬T「マル1の図があります。マル1の図があります。このような回路をつくってください。豆電球の指定は特にしません。2.5ボルト用、3.8ボルト用があるけど、特に指定しないので、いつものようにやってください。あと、乾電池を直列につなぐとき、あいだの導線はいりません。ボタンをさしこむようなかたちでいいです。導線がなるべく少なくなるように回路を組み立ててください。接触が悪くて、うまくいかなかったグループがあるので、導線はできるだけ少なくしてください。では、回路図が完成した人から準備をして、はじめなさい」(7分37秒)




ま、試行錯誤しながら、なにかに(あいまいやね^^;)深く迫っていける、ひとつのスタイルを発見したい

2008-04-28 23:19:48 | Weblog




★1学年と3学年の廊下には小さなロビーがある。わたしの大好きな空間だ。この画像は3学年のロビー。わたしのヴォイスが、最もわたしのヴォイスらしくなる(と思われる)場所だ。

◆4/21(月)からはじまった1週間は、参観日・PTA総会、運営委員会、職員会議などがあり、また夜は夜で地域の会合、土・日は市内ソフトボール大会……ということで、体力も精神も(どちらかというと後者のほうが)、やや限界に。





 この画像は、本校の某?国語教師の机の上だ。
 普段は、自分が国語教師であったことは、すっかり忘れている。
 しかし、エネルギーが尽きかけて、精神の輪郭が、少しぼんやりとしているとき、こういう角度で、この机を眺めていると、これって自分の机なのではないかと、からだが突然に反応しはじめ、チョークと教科書をもてば、今からでもバリバリと授業がやれそうな気分になってくる(いや、もちろんやれるはずだけれど……)。
 精神ではなく、からだに「国語教師」が刻まれているのだ(^O^)。





◆この画像は、4/27、みなみ中のグランドを会場に開催された八戸市中学校春季ソフトボール大会の決勝戦の試合開始直前の様子。
 審判員が、用具の点検を行っているところだ。
 これも、さっきの「自分の机なのではないか」と同じで、ボールとバットさえもてば、今からでも、20歳代の頃のように、バリバリと監督がやれそうな気分になってくる(^O^)。
 ま、もう、これは、やれないけど^^;


◆4校時主任会。
(1)みなみ中生の、知性・品性、歩行の姿勢、愛校心、清掃開始・終了時のあいさつなどについて(各項目の抽象度にバラつきはあるが……)課題を述べる。
(2)みなみ中教職員の服務規定や、時間厳守・提示定点指導等の凡事徹底について課題を述べる。
(3)20年度のマニフェスト№3「自他のよさや可能性を認め、互いに高め合う生徒の育成をめざし、生き方の原理・原則を重視した心の教育」における「原理・原則」の今後の方針について述べる。

◆5校時、佐藤公一Tの授業(1年4組社会・歴史)の取材に行く。
 授業の冒頭~20分間、ICコーダに録音し、画像を100枚撮影する。
 ここ、しばらくは、こういうデータの集め方をするつもりだ。
 このデータを、どう構成して組み立てるか……は、これからの問題だ。
 問題は、いくつかあるが、その第1は、たぶん、授業に対する、この「わたし」自身の位置だ。
 完全に舞台(教室)の裏に隠れるのか?
 それとも、舞台(教室)の内に身をおいて、一人称視点で語るのか?
 ま、試行錯誤しながら、なにかに(?←あいまいやね^^;)深く迫っていける、ひとつのスタイルを発見したいと思っている


佐藤T「今から人の顔の絵を見せます。さあ、これは何人でしょう?」



生徒1「新人」
生徒2「日本人」
佐藤T「そうですね。急に何人?と聞かれても、困りますね。この人の特徴は、これです(と、はりがみを提示)。みんなで読みましょう。『まゆ毛は濃い』ハイ!」





生徒全「まゆ毛は濃い」
佐藤T「次、ハイ(はりがみの項目を指さす)」
生徒全「目は大きく二重」「鼻は広い」「耳たぶは大きい」「あごが大きく四角顔」
佐藤T「もうひとり、紹介します。この人は何人?」

生徒1「○○人」
佐藤T「違います。ひげを剃っているね。男です。この人の特徴はこれです(と、もう1枚のはりがみを提示)。じゃ、読みましょう。『まゆ毛はうすい』」





生徒全「まゆ毛はうすい」「目は細く一重」「鼻は長い」「耳たぶは小さい」「あごは細い」
佐藤T「これは、きょう、勉強する内容にかかわる人たちです。何人か? 答えは、(板書しながら)縄文人。読みましょう」
生徒全「縄文人」
佐藤T「こちらは?」
生徒1「弥生人」
佐藤T「(板書しながら)弥生人です。読みましょう。」
生徒全「弥生人」
佐藤T「(はりがみを指しながら)こちらが縄文人の特徴、こちらは弥生人の特徴。きょうは縄文時代と弥生時代について勉強します。ワークシートの3番を出してください。では、学習課題を書きましょう」
 板書=縄文時代と弥生時代をくらべて特徴をまとめよう。(ここまで5分5秒)




★学習課題にグループで取り組む生徒。


輪郭がクッキリとした作業の場を設定して、ひとりひとりの子どもが生き生きと、目も、耳も、手も、足も、口

2008-04-26 17:12:15 | Weblog


★4/23 授業参観日







◆4/24 職員会議のわたしの資料の一部

 
№4 1人1人のがんばりに気づき、認める


 子どもが、やる気にならないと、なにもはじまらない。
 「やる気にさせる」ときに、大切なことは、1人1人のがんばりに気づき、認めることである。

 この№4が、今年度の本校の研修メインテーマになっている。
 このテーマについて、わたしは、粗く2つの方向があると考えている。
 1つは、極々単純に、子どもの努力に気づき、成果を認め、ほめることである。
 簡単そうだが、各種のアンケートからもわかるように、これが本校教員の弱点だ。
 もっともっと、どんどんほめたい。
 「いいですね」とほめるにしても、5通り、10通りはもちたい。 「すごい」だって、5通り、10通り。
 1人1人をほめる(評定する)、短い言葉を、30、40、50種類と保有しておき、それを瞬間、瞬間に、ポンポンと発する教師になりたい。
 ほんの一言の、しかし、多彩な言葉がけが、子どもを生かし、よりよく変えていく。(→1つは、こういう修業の方向だ。)



★4/24 ホタルの幼虫・カワニナ放流会 参加者は総合文化部(元科学部・元IT部・元美術部)の代表

 もう1つは、子どもが、うまくやれなかったときの対応だ。
 「あんた、ダメね」「もっとしっかり」と言うのなら、誰でもできる。
 子どもでもできる。(そして、これが、いじめの原型になる。)
 「あなた、ダメです」も「もっとしっかり」も、教師としての倫理に反する。
 悪いことは悪いと指摘していいし、マイナス評価として語っていいときもある。
 しかし、それを克服る方法を示し、はげましつづけるのが、教師の仕事だ。
 №4には、教師が子どもとともに、できないことに向かい合い、克服していこうという側面を含んでいる。

 なお、既にお気づきだと思うが、この№4は、№3「達成状況の確認」を前提としている。
 №3が、いい加減では、№4は意味をなさない。
 本年度のテーマについて、職員会議に提示する原案を検討する際、研修部もわたしも、№3か、№4か、ずいぶんと迷った。
 わたしは、研修主任に「№3と切り離して№4はあり得ないのだから、どちらでもいい」と言いつつ、内心は、№3のほうがいいと思っていた。
 研修主任は、№4に傾いているようだった。
 結果として、本年度のテーマは、№4になった。
 研修主任に押し切られた格好だ。

 押し切られたから……というわけではないが、各教科のテーマを決める際、№3と№4を密接不離のものとしてとらえて、検討していただきたい。



№5 全員に50分間の学習活動を保証する

 ここで「学習活動」というのは、(生徒用)「学力向上の5原則」の「作業・活動」のことだ。
 輪郭がクッキリとした作業の場を設定して、ひとりひとりの子どもが生き生きと、目も、耳も、手も、足も、口も、頭も、フルに回転させ、「おもしろい!」と熱中する、知的で楽しい授業をめざしたい。

 いくつか推奨したい作業の例をあげる。
(1)ノートに自分の考えを書く。
 この場合、「○字以内」「○字以内、3つ」「ズバリ一言で」などと指定するのが効果的だ。
 子どももまとめる力がつくし、板書もしやすい。

(2)ノートに、ある考えに対する正誤の判断を、まず○や×で書く。
 このあと、その理由を簡潔に書かせるという作業につなげる。

(3)音読。
 音読は人間の思考を活性化させる。
 50分間の授業の中で、声を出させる場面を小刻みに設定したい。 「いっしょに読みましょう」「全員起立、3回読んだら座りましょう」「念のためにもう一度読みましょう」
 すべて音読! いつでも音読! 何でも音読!
 どんどん教科書を読ませよう! どんどん板書事項を読ませよう! どんどんプリントを読ませよう! ただし、あまり長い部分の音読はだれる。音読のポイントを短く限定して、繰り返すのが効果的だ。

(4)説明を聞く。
 「説明を聞く」=これも「作業」だ。
 説明を聞くということを「子どもの作業の場」ととらえ、意図的に、説明を聞いている子どもたちが、「え? どうしてだろう?」と考える場にする。
 意図的に「A……B……C、正解はどれだろう?」と選択する場にする。
 言い換えれば、子どもたちが、Tの説明に聞きながら、積極的に「参加」できる「説明」の仕方を工夫をすることだ。



 もちろん、板書事項をノートに写す、グラフを書く、模型をつくる、実験する、見学する、歌う、演奏する、走る、審判する、演じる、司会する、あれ?と疑問もつ、考える……も、すべて作業である。
 子どもたち全員に「50分間の作業を保証する」よう工夫して授業を設計したい。

 また、生徒用学力向上の5原則「作業・活動にすばやく取り組もう」が、家庭学習につながっていくのだ……というのが、本校の(隠れ)仮説でもある。


予想を3つ書きなさい。予想することが大事です。時間は1分間。(1年4組社会・志塚T)

2008-04-22 19:29:23 | Weblog

★全国学力・学習状況調査(全国学力テスト)実施






◆「指導力(授業力)向上の5原則」を浮き彫りにする

 先日(4/21)、職員朝会で、参観日の授業に関して、「5原則が透けてみえるくらいに」という言い方をしたが、中途半端な表現なので訂正する。
 保護者が授業をみていて「ああ、ここは、目標を明確にしているんだなァ」「ああ、ここは、達成状況を確認しているのだなァ」とわかるくらいに「5原則」を浮き彫りにしよう……と。
 この文脈の「保護者」を、「生徒」に置き換えてもいいし、参観している「他の教師」に置き換えてもいい。
 これくらい修業を徹底していかないと、「プロ教師」になれない。
 「少し器用なアマチュア教師」として教師人生を終わってしまう。



★これは何県のマーク? 予想を3つ書きなさい。予想することが大事です。時間は1分間。(1年4組社会・志塚T)

◆前回の通信4/18「趣意(目標あるいは目的)がみなみの子どもを知的に育てる」につづいて、「№2 指示・発問は、全員に、短く限定して述べる」について。

◇№2 指示・発問は全員に、短く限定して述べる

(1)一時に一事を指示する
  指示を与えるときの原則である。
  同時に、2つも3つも、指示を与えない。

(2)指示・発問は短く限定して述べる
 根本正雄氏の論文に「指示は短く言え。わたしの場合は15秒以内である」という文がある。
 同感だ。
 長いのも、くどいのも、ダメだ。
 10数秒で指示を与えるためには、輪郭がクッキリとした指示になるよう工夫しくなてはならない。
 「もっとがんばって跳び箱の練習をしてみましょう」などという指示は、全くダメ。
 子どもは、あるいは、聞いている大人でさえ、なにをどうすればいいのか、はっきりしないからである。
 「1人が3回跳んだら、わたしの所に集まります」
 このように、指示する内容が具体的になっていなくてはいけないということである。


★ノートに3つ書きなさい。

(3)指示は全員にする
 めんどうなようでも、指示は必ず全員に伝えなければならない。
 「全員に伝えたつもり」「わたしとしてはみんなに言った」という程度ではいけない。
 聞いていない子どもがいて、小さなところでボロボロと学級は崩れていき、いつのまにか大きく崩れてしまう。
 ①手になにか持っている状態で指示をしたのは指示したうちに入らない。
 ②「おへそをこちらに向けなさい」全員が集中したのを確認してから指示をする。
 ③作業中、指示の追加は絶対にしない。
 ④最後の行動まで示してから動かす。


★それでは①に書いたものだけを発表してもらいます。当てます、12番の人。

◇№3 達成状況を確認して授業を進める

 子どもがわかっていないのに、あるいはわかっている子とわからない子がいるのに、どんどん進める授業を授業とは言わない。
 教師は当然のこととして、50分間の授業の中で、何度も何度も、何度も何度も、こまめに、達成率を確認しなければならない(ある種の形成的評価)。
 わたしは、これまで、この説明のときに、「さりげなく、(授業のリズムを崩すことなく)」という挿入句を入れていた。
 瞬時に、サッと……という意味合いだったが、あいまいなので、今回から撤回する。
 瞬時に、サッと、だれの目にも明らかなようにやらなければならない……と。


★生徒「徳島県です。『と』と『く』に見えなくもないです」

◆たとえば、よく知られた例だが、地図を開いて特定の場所を見つける作業のとき、「見つけた人は指で押さえなさい」という方法。
 念のために(←「念のために」は教育行為ではきわめて重要)「となりの人と見くらべてごらん」と付け加えることもある。
 「全員起立。3回音読したら座りなさい」もよく使う方法だ。
 一目で読んでいるか、読み終わったかが確認できる。
 ノート点検、机間巡視も確認のための有力な方法である。(ただ、わたしは机間巡視はむずかしいと思っている。巡視して得たデータを映像化して残す訓練が必要だから、プロ中のプロの技。)
 みなみ中でも、いろいろな達成率確認の技術を開発したい。

◆ しかし、「わかりましたか?」は確認にはならない。
 わかっていなくても「ハイ」と答える子どもがいるし、「わかりましたね」といえば、まわりにつられて「ハイ」と言ってしまう子どももいるからである。
 即ち「わかりましたか」は達成率未確認運転と同じで、プロ教師は「わかりましたか」という言葉は発しない、絶対に。(「わかりましたか」はプロとアマの識別語だという人もいる。幼稚園の送迎バスを待つ母子集団のそばを通ると、「急いで!」「わかった?」の連発だ。)
 大事なことなので、念のために繰り返す。
 「わかりましたか」は禁句。
 「わかりましたか」をみなみ中から全廃し、他の、ほんものの確認方法を開発していけば、みなみ中の教育の「かたち」が、さらに変わる。(参考&引用『授業の腕をあげる法則』)



★正解です。これ、徳島県です。

自分のこのイメージを大切にしながら、授業の取材をつづけ、このイメージを分析し、きちんと説明できるよう

2008-04-21 21:02:42 | Weblog

★4校時 1年4組社会 授業開始のとき「予習を忘れちゃったの? 座りなさい」と優しく語る志塚T

◆昨日の午後、「臨時・すこやかみなみネット通信」(参観日用)の原稿をつくりながら、A4版12ページだと、印刷・製本がシンドすぎる……ということで、記事を押し込んだり、削除したりして、ムリムリ8ページにおさめた。
 このときは、それをA3版裏表に印刷し、二つ折りにし、A4はめこみ式8ページにしようと考えていた。
 しかし、昨夜、眠ろうとしてから、急遽、A4版裏表印刷、その4枚をホチキスで止める……というふうに方針を転換。
 A3を2つに折る作業がたいへんだと思ったからだ。

 しかし、けさ、A4表裏に印刷しながら、(輪転機の速度が遅い)う~ん、これだと、どっちが速いか、わからないなぁ~と、イライラした。
 印刷開始から、ホチキス止め完了まで、激闘2時間。
 1時間で終わるとは思わなかったが、2時間もかかるとは思わなかった。
 1分間15部のペースでホチキス止めをしていると、汗が出てきた。
 参観日当日は、これを5分で語るわけだ。


★志塚T「これ、何県のマーク? あてるよ 1番の人」 生徒「青森県です」 志塚T「さすが予習してきたから……予習しなくてもわかるけど」

◆職員朝会で、ほんとうは「職員室通信」で指示したかったが、間に合わなかったので、口頭で語る。
 口頭で語りたくない(口頭の指示は無効と思っている)のに、口頭で語らなくてはならないというのは、まだまだ仕事のペースがつかめていないからだ。
 猛省。
(1)4/23参観日の授業(といっても、通常と変わるわけではないが……)は、みなみの教師から、指導力向上の5原則が透けてみえるように。
 すなわち、参観者が、ああ、今、この教師は「目標・ねらいを明確に」しているんだぁ~、ああ、「全員に作業」をきちんとさせようとしているのだぁ~、ああ、「達成状況を確認しよう」としているのだぁ~とわかるくらいに。
 これが、いい授業だ。
 これが、プロ教師の修業だ。

(2)各学年の保護者集会の持ち方については、こういう学年にしたい……こういう学級にしたい……を、テンポよく、力強く、かつ、あいまいを廃し、語り、保護者に「ああ、この学年でよかった……」「ああ、この学級でよかった……」と感じていただけるように努力しよう。

(3)環境面では、(内容省略)。


★志塚T「わかった人 手をあげて……手のあげかたがいいね」

◆4校時、1年4組社会(志塚T)の取材。
 昨日、これまで、教室の授業=(場所的に)寄席・舞台、職員室=現実の世界……と、とらえていたが、教室の授業=(人物的に)ドラマ、職員室=現実の世界……と、とらえ直す……と、なんだかよくわからないような言い方をしたが、自分でも、ホンマのところは、よくわかっていない。
 昨日の言い方と切り離して、もう少しわかるように、別な表現をすれば、現実に存在する人間教師が、そのまま教室という舞台で授業をする……というとらえかたから、現実に存在する教師が、役者として舞台で授業をする……と、とらえ直す。
 ということなのだが、実際のところは、前の表現同様、まだよくわかっていない。
 自分のこのイメージを大切にしながら、授業の取材をつづけ、このイメージを分析し、きちんと説明できるようにしたい。

◆「ちりとてちん」の魅力と悲劇=これまで、教室の授業=(場所的に)寄席・舞台 職員室=現実の世界……

2008-04-20 16:43:20 | Weblog


◆テレビの見過ぎィ~と、自分でもあきれながら(通常は、途中でバカバカしくなりやめるのに)関西特集「ちりとてちん」をみたあたりから、感覚がマヒして、もうどうでもよくなり、ズルズルと……。

 朝から、→06:15 たべもの一直線「渦潮で育つ鳴門ダイ」
 →07:00 ニュース
 →07:30 報道2001
 →08:00 サンデーモーニング
 →10:00 関西特集「ちりとてちん」
 →11:00 サンデープロジェクト「韓国大統領素顔」



◆「ちりとてちん」の魅力は、登場人物の一部である、徒然亭草原・徒然亭草々・徒然亭小草若・徒然亭四草たちが、ドラマの世界と現実の世界を、軽々と行ったり来たりすることだ。
 たとえば、上方演芸ホール特別版『ちりとてちんの落語を聞こう』を企画したり、天満天神繁昌亭の桂吉弥(徒然亭草若)の公演に、徒然亭四兄弟と「木曽山くん」が登場したり……と。
 逆に、「ちりとてちん」の悲劇は、それが、主人公・徒然亭若狭には困難で、ドラマと現実のギャップが大きすぎたことだ。

 悲劇のほうはとにかく、草原・草々・小草若・四草「現象」は、わたしにとって、たいへん刺激的だ。

 これまで、教室の授業=(場所的に)寄席・舞台 職員室=現実の世界……と、とらえていたが、教室の授業=(人物的に)ドラマ 職員室=現実の世界……と、とらえ直すと、座付作者としてのわたしの仕事が、ま、やりやすくなるのではないか、変わってくるのではないか……と、テレビ見過ぎ状態のなか、突然、雷がピカッと光り、闇に沈んでいた万象の輪郭がクッキリとみえるように、これからの企画が浮かび上がった。(さっそく、月曜日から、実行)



◆李明博韓国大統領が大阪出身ということは知っていたが、サンデープロジェクトから、その場所が、大阪市平野区加美南ということがわかった。
 このあたりに、当時存在した、島田牧場の社宅で生まれらしい。
 高校時代、わたしは、この平野区加美に友人(かまぼこ屋の息子さん)が住んでいて、一度だけ訪ね、かまぼこのにおいがプンプンする、彼の部屋で、文学論議をしたことがある。
 そのテーマが思い出せそうで、思い出せない。
 松尾芭蕉の俳諧にみる人間疎外性?について、わたしがベラベラとしゃべったのだったかもしれない(^-^)

◆午後から気を取り直し、4/23(水)参観日用の「臨時・すこやかみやみネット通信」を作成する。
 A4版12ページは、ディスプレイ上での作成はかんたんだが、明日じゅうに、印刷→折る→綴じる(ホチキス留め)作業を考えると、ちょっと、これはシンドイと思い、無理無理8ページにとどめる。

 記事内容は、(1)平成20年度みなみ中マニフェスト 2P
(2)保護者アンケート(学校外部評価)結果 3P
(3)すこやかみなみネットの現状と課題 3P

 この「臨時・すこやかみやみネット通信」を使って、当日は5分間、しゃべるつもりだ。

 参観日の保護者の参加率だが、各学年の掲示板の集計結果をみると、全体で60%前後と、低い。
 特に3学年が、(3学年の保護者の参加率が高く、それで平均参加率があがるという状態が理想なのだけれど、それが逆に)かなり低い。
 平日で(かつ連休前で)お仕事がおありの保護者が多いのだから、やむをえないと思うが、80%突破が夢だ。(ここの部分、中止法の「が」だとか、逆説の「が」だとかの連発で、歯切れの悪い表現でんなぁぁ^^;^^;^^;)

常日頃、「校長の、口頭による指示・命令は無効」「校長の、レジメによる指示・命令も無効」といっている

2008-04-18 19:01:03 | Weblog


◆けさ、「職員室通信」5号を発行した。

 現時点で「5号」というのは、ペースとしては、遅い。
 「遅い」と判断する理由を、正確にいえば、現状に即して、わたしが発言しなくてはならない「量」というものがある。
 その「量」と、職員室通信の「量」を比較すると、発言しなくてはならない「量」>職員室通信の発言「量」……となる。
 書く量が追いついていないのだ。
 常日頃、「校長の、口頭による指示・命令は無効」「校長の、レジメによる指示・命令も無効」といっている、わたしとしては、この点については、深く反省しなくてはならない。

 しかし、うれしいことに、この5号は、わたしがもっとも理想とする、600字の教育学(今、読んでもらっているWEBスペース)>職員室通信5号……が、100%実現している。
 要するに、600字の教育学のページから、ま、いってみれば、切り貼りして、再構成して、職員室通信5号が、完成したのだ。



◆この点に関して、わたしにとって(←他の人にとっては、「ホンマ、アホらし……」と思うようなことだが)、たいへん興味ある記述に偶然、出くわした。
 昨年の4/27の記述だ。
 文書ファイルを分割・整理していて、偶然に、目に飛びこんできた。
 そのままコピーする。

〈コピー〉
 4/17=理想とするのは「600字の教育学」がベースになり、「職員室通信」ができあがる、「すこやかみなみネット通信」ができあがる、職員朝会のコメントができあがる……という形だ。
 今、これが崩れている。
 ぶっつけ本番の「職員室通信」
 ぶっつけ本番の「すこやかみなみネット通信」
 ぶっつけ本番の職員朝会コメント……だ。
 どこが違うのかというと、ぶっつけ本番の場合、どうしても、ことばでいいあらわせるものだけを書く、言うということになってしまう。
 支配的な価値観に流される(①)。
 時流に負ける(②)。
 常識的になる(③)。
 透明度が低くなる(④)。
 「600字」をベースにすると、ことばでいいあらわせないものを、わたし流に(ま、経験的に、個性的に……)ねじまげたり、屈折させたりすることによって、いいあらわしにくいという状況や①~④を突破して、新しい原理に到達する可能性がでてくる。
 ただ、問題はここにあるのではない。
 なぜ崩れたのか?ということだ。〈「コピー」以上〉



◆今となっては、既に「透明度」の意味がわからない。
 また、「なぜ崩れたのか?」といっているから、たぶん、「600字の教育学」>「職員室通信」の関係が、完成していると思っているようだが、今からみると、この時点では、まだまだ完成していないのだ。

 しかし、趣意は、おおむね、今のわたしの思いと、重なり合う。
 やはり、ぶっつけ本番の、職員朝会のコメントをイヤがっている。
 ぶっつけ本番の、諸通信をイヤがっている。

 ここでは「なぜ崩れたのか?」について、すこしコメントする。
 今も書いたが、完成していなかったのだから、この問い自体がおかしいわけだが、今の、「600字の教育学」>「職員室通信5号」だって、先々、あのときはまだ完成していなかった……ということになる可能性があるのだから、「なぜ崩れたのか?」は、ある意味で、永遠の問いかけ……といってもいいかもしれない。



◆4/17の文章から、さらに検索をかけると、11/13の次の記述にでくわした。
 これが、「なぜ崩れたのか?」の、ひとつの解答になる。

 〈コピー〉
 11/13=単純化していうと、〈600字の教育学〉の文体と、〈職員室通信〉の文体と、〈すこやかみなみネット通信〉の文体とは異なる。
 〈600字の教育学〉は混合物だ。
 それを蒸留させたのが〈職員室通信〉で、さらに蒸留させたのが〈すこやかみなみネット通信〉だ。
 ハーバードリード的にいえば、〈600字の教育学〉はダンスあり、ゴロ寝あり、フテ寝あり、歩行あり、全力疾走あり……だ。
 それに比し、〈すこやかみなみネット通信〉は、あくまでも規則正しい歩行だ。
 アホかと思われるかもしれないが、わたしはこの〈すこやかみなみネット通信〉の文体(=散文らしい散文)に、結構ホレている。
 だからといって、もうおわかりのように〈600字の教育学〉をそのサラッとした文体でやると、ダメ。
 発酵作用がなくなってしまうからだ。〈「コピー」以上〉



◆これでいい。
 ここの、このページ(WEB600字の教育学)は、まさに、ダンスあり、ゴロ寝あり、フテ寝あり、歩行あり、全力疾走あり……だ。
 これに、けさ、考えていたことを、アトランダムに、少し付け足す。
(1)頭のなかで、つぶやいていること、頭のなかを、かすめていったこと、そういうイデー、イメージを、かたっぱしから記述していく(=イデーを文字に置き換えていく)。
(2)職員室通信の余白(A4版2枚の2枚目の末尾、数行が残ることがある)に、「メモ」として、学校運営の細部について記述することがあるが、このWEB600字は、こういう「メモ」がトップにきてもいい。
(3)きょうも、〈コピー〉と称して、過去の記述をいくつか引いたが、この手法は、ドンドン採用する。
(4)ブレスト的記述も、このWEB600字で、やる。
 よく、作家の全集に、たとえば『堀辰雄創作ノート』というのがあって、これから書く作品のためのメモやらイラストやらを書きなぐったようなものがあるが、これと同じだ。



◆本校の授業の今後……。
 「指導力(授業力)向上の5原則」が、くっきりと見える……という段階を、避けたり、恐れてはいけない……と思っている。
 5原則を自由に「使いこなす」段階を経て、「名人」になっていくのだ。
 まだまだ「使いこなす」レベルに至っていない。
 だから、「くっきりと見えるように」授業をするということが大切。

 今夜は、もう、記述の時間がないので、このつつぎは、またいつか、つづけることにする。

職員室の経営は、町工場の経営に似て、校長は、作業の工程のすべてを知り尽くしている、たたきあげの社長

2008-04-17 20:15:51 | Weblog
◆ここ、2、3日、いや、1、2日、少し、自分がたるんでいると感じていた。
 もちろん、「たるむ」ことが、すべて、よくない状態だとは思わない。
 「だれる」という意味での「たるむ」はよくないが、緊張の継続を、いったん「ほぐす」「ゆるめる」だといい。
 今、たるんでいると感じているのには、だぶん。両方が含まれているのだと思う。
 疲れてたるんでいる。
 そして同時に、次の、また別種の出発のために、いったんゆるめて、ほぐしているのだ。

 ただ、けさは、悪いほうのたるみが出てしまった。
 朝、7時を少し過ぎた頃、校内外の巡回に出た嘉瀬教頭が、いつもの時間になっても、職員室に帰ってこない。
 わたしは、施設・設備に、なにか軽微な異常があったのかもしれない(←重大な異常だと即連絡が来る)くらいに思っていた。
 しかし、それは違っていた。
 けさ、4時19分に震度3の地震があった。
 そのため、嘉瀬教頭は、通常より念入りに施設・設備を点検したために時間がかかったのだ。
 たるんでいるわたしから「けさの地震」のことは、すっぽりと抜けていたのだ。



◆午前中、教務主任の志塚Tが来て、教務週報4号(4/21~25)に掲載する、わたしのコメントを求められる。
 ほぼ瞬時に「『教室をきれいにします。ゴミを10個ひろいなさい』前の趣意部分が、子どもを知的に育てる」とする。

 みなみ中の教師用「指導力向上の5原則」その1は「授業の目標、ねらいを明確にする」だ。

 「なにがなんだかわからないけどやっている」という状態は、「考え」も「精神」も、また当然、「行動」も不安定だ。
 授業で、この状態がつづくと、教室は、「なにも考えなくても行動する」という子どもでいっぱいになる。
 知的な状態から、どんどん離れていく。
 だから、「目標、ねらいを明確にする」。
 わたしたちの、この努力の積み重ねが、のびやかで、自由で、そして、自分のやっていることを自分で理解し、納得する、知的な子どもを、あるいは、知的な集団を育てることになる。
 「目標、ねらいを明確にする」は、教育の根幹だ。
 加えて、本校区の子どもたちの最重要課題だ。

 授業の大きな目標あるいは目的、すなわち、授業開始時に指導者が黒板に書き、子どもたちに一斉読させるような目標あるいは目的は、もちろん大切だが、それ以上に重要で、むずかしく、高段の技が要求されるのは、具体的な作業・活動の場面のほうだ。
 作業・活動の目標あるいは目的は、しっかりと語らなくてはいけない。
 しかし、この場面における、くどい語り、しつこすぎる説明は、ダメだ。
 短く、スパッと。
 よく出される例だが、「教室をきれいにします。ゴミを10個ひろいなさい」は最高だ。
 こういう一言が、みなみの子どもを育てていく……というような思いを、週報4号(4/21~25)のコメントに込めた。



◆なお、念のために、「目的」と「目標」とは違う。
 目的=ことばどおり「的(マト)」、最終到達地点。必ず達成するもの。
 目標=これも、ことばどおり「標(しるべ)」。辞書を引くと、「目じるし。目的を達成するために設けた、めあて」とある。
 よくいわれることだが、試合結果は目的ではなく、目標。
 試合結果というのは不確定要素が大きい。
 不確定要素が大きいものを目的にすると、不安定な状態に陥るからだ。
 また、わたしがよく使う「趣意」は、「目的」と「目標」の両方を含んだことば(と、わたしは考えている。くわしい方がいれば、教えてほしい)で、こちらがピッタリの場面もある。

◆今、手もとに、この「授業の目標、ねらいを明確にする」に関する、参観日における保護者アンケート(昨年度)がある。

〈問1〉黒板に授業の目標やねらいが掲示されるなど、授業の目標やねらいがわかる授業でしたか。
 5=42% 4=44% 3=13% 2=1% 1=0%

〈問2〉生徒が、目標やねらいを理解していると感じられる授業でしたか。
 5=31% 4=49% 3=18% 2=2% 1=0%
〈基準〉5=とてもそう思う 4=そう思う 3=どちらともいえない 2=そう思わない 1=まったくそう思わない 

 4/23(水)の参観日の授業では、評価5の%が4の%を上回ることに挑戦したい。



◆昨日の「戦前の教育学関連の書物」ということで、あちこち、文献にあたっていたら、当然のこととして、唐沢富太郎氏にぶちあたった。
 一応、教育学の出身だから、名前くらいは知っているし、その書物も眺めたことはあるし、当然、「ソファーに寝っ転がり、読んでは眠り、目覚めてはまた読み……」の読書計画にも入っていたが、今回、わたしがぶちあたったのは、氏のエピソードだ。

 氏は、全国の古本屋、古道具屋はもちろん、屑屋、今でいう廃品回収業者まで訪ね歩き、数万冊の教科書、明治初期の教科書の板木、子どもの絵日記などを収集、あるいは、明治時代に建てられた校舎が解体されると聞けば、貨車を使って、柱、欄干、階段、鬼瓦(←「学」の文字が刻まれている)などを移送している。

 終電車を降りて、収集した荷物を2つに分け、1つの荷物を10メートル運んでは、次の荷物を10メートル運んだという話もある。
 まさに教育学者(日本教育史)の執念だ。

◆唐沢氏の爪の垢でも煎じて飲みたい……と、いくつか、眠りかけている、自分自身の「執念」に、思いをめぐらす。^^;

 やはり、なんといっても「学校経営」だろう。
 学校経営には、現実的にいって、いくつかの層がある。
 今、粗く4つの層に分類してみる。(これは、まだまだ仮のものなので、これから何度も何度も分類しなおすつもりだが……。)

(1)校区全体を視野に入れた経営。人口11412名が対象になる。
(2)小・中学校を視野に入れた経営。児童600名、生徒400名、教職員60名、それにPTA会員1800名、合計約3000人が対象。
(3)本校(みなみ中)の経営。

 もう1つある。
(4)職員室の経営だ。

◆(4)「職員室の経営」は、町工場の経営に似て、校長は、作業の工程のすべてを知り尽くしている、たたきあげの「社長さん」と同じだ。
 プロ野球の監督、相撲部屋の親方にも似ている。
 技術批評&技術指導ができないと、町工場の社長や、監督・親方がつとまらないように、校長も、チョークの持ち方、指示・発問の仕方、通信表の書き方まで指導できないとつとまらない。(ま、いずれ、くわしく書くことにするが、この(4)の観点から、わしは、民間校長をみとめてまへんのや(^_-))

第3の教育改革の伴奏のように鳴り響いている教育危機、その元凶が、学校の教育独占体制、あるいは学校の

2008-04-16 20:13:36 | Weblog
◆水分の補充を待つ、植木鉢の植物のように、自分のからだが、教育学の論文に飢えていると感じている。
 ソファーに寝っ転がり、読んでは眠り、目覚めてはまた読み……を、土・日、いや、2日では足りない……、1週間、いや、1週間でも足りない……、ま、2ヶ月くらい、そんなふうにして教育学論文三昧で暮らしてみたいと思っている……。
 読む対象は2つある。
 1つは、手もとにある教育雑誌を片っ端から、○○誌4月号~3月号まで、△△誌4月号~3月号まで……という感じで、ぶっ通し、ぶっ通し、読んでみたい。
 今、手もとにある(みなみ中で購読している)のだと、『道徳教育(明治図書)』『心を育てる学級経営(明治図書)』『授業研究21(明治図書)』『進路指導(日本進路指導協会)』『学校マネジメント(明治図書)』『現代教育科学(明治図書)』……。
 教育に携わる、小学校・中学校・高等学校・大学の方々が教育を語る言語に、自分のからだ全体を浸してみたい、自分をバラバラにしてさらしてみたいのだ。

 もう1つは、戦前の教育学関連の書物だ。
 なぜ、戦前の教育学なのか……については、ちょっと横道にそれなければならない。
 わたしは、昨年度も、あちこちで、インコのひとつ覚えのように、あるテーマをくり返した。
 それは、第3の教育改革の伴奏のように鳴り響いている教育危機、その元凶が、学校の教育独占体制、あるいは学校の教育丸抱え体制にある……、これを修正し、教育のバランスをよくしないかぎり、どんな施策を打ち出しても、あまり、いや、ほとんど効果はあがらないだろう……逆にいうと、バランスさえよくなれば、日本の教育はまだまだだいじょうぶだ……そのために……(わたしの講演は、いつも、ここから始まる)
 わたしは、わたしのいう「学校の教育丸抱え体制」を強める方向に作用したのは、主に次の3点(の融合作用)だと考えている。
 1つは、学校中心自治民育体制。
 昭和7年文部省訓令「学校少年団」
 昭和16年「大日本青少年団」
 昭和20年5月22日戦時教育令=「学徒隊」
 このいう流れのなかで、いわば「学校中心自治民育」体制が確立していったのだが、この戦前の学校イメージが、敗戦後も、幻影として保持されたこと。

 2つ目が、教育爆発現象。
 高校進学率が昭和20年代〈20%〉→昭和50年代〈90%〉と急カーブを描いている。
 受験のための狭義の学力観に地域・家庭も追随していったこと。

 3つ目は、地域社会構造の変化。
 職住分離・核家族化が進行したこと。

 この3つにくらべれば、影響は極々小さいと思うが、もう1つをしいてあげるなら、「学習指導要領」の問題だ。
 なにかあると、学習指導要領に取り込み、学校で取り扱うという安易な判断が積み重なり、つまるところ、学習指導要領が、教育というものの、すべてを、学校に取り込む方向(なんでも学校、家庭もそう思い、地域もそう思い、教師自身もそう思いこむ)をつくりだし、結果として、学校の教育丸抱え体制を強化させる方向に働き、それが同時に、社会の教育力を奪ってしまったと考えている。

 クルリとひとまわりした格好だが、話をもどす。
 わたしは、3つあげた、1つ目、すなわち「学校中心自治民育体制」の形成過程を、今、しっかりと分析しなければならないと考えている。
 その上で、わたしの仮説「学校中心自治民育体制の幻影=学校の教育独占体制(学校の教育丸抱え体制)」を検証し、改める方策を打ち出していきたい。(というか、わたしはすでに具体的方策を打ちだし、実践もしているわけだから、正しくは、戦前の体制を分析しつつ、自分の方策と実践を見直したい……、見直した上で、さらに新たな実践を打ち出したい……ということになる。)

 蛇足になるが、今、学習指導要領が、教育というものの、すべてを、学校に取り込む方向をつくりだし、結果として、学校の教育丸抱え体制を強化させ、同時に、社会の教育力を奪ってしまったと書いたが、残念なことに、新しい学習指導要領案によると、総則第4の3(13)に「部活動については、(中略)学校教育の一環として、教育課程との関連が図られるよう留意すること。その際、地域や学校の実態に応じ、地域の人々の協力、社会教育施設や社会教育団体等の各種団体との連携などの運営上の工夫を行うようにすること」とある。
 部活動が、教育課程外であるという位置づけは変わっていない。
 しかし、「教育課程との関連が図られ」と指示している。
 何度もくり返すようだが、こういう安易な妥協が積み重なり、積み重なり、既に40年前の第3の教育改革を構想しなければならないような教育危機状況に至ったのである。
 まだ懲りないのか?と、わたしは、嘆いている。

 蛇足の蛇足になるが、こうして「嘆いて」いたら、草野某という人物から妙なメモが届いた。
 正確には、草野某がわたしに直接というのではなく、コピーのコピーという格好でわたしの手もとに届いたのだ。

 メモ=「社会教育団体等の各種団体との連携が求められている」というように読むと、意味を取り違えることになります。これは、「地域や学校の実態に応じて運営上の工夫が望まれる」という意味であり、「地域の人々の協力」や、「各種団体との連携」は、「~など」の表現ですからあくまでも例示にすぎません。(中略)重要なのは、前半の部分の「教育課程との関連を図る」ということです。(草野某のメモ以上)

 これは、論外。
 さっき「なんでも学校、家庭もそう思い、地域もそう思い、教師自身もそう思いこむ」と書いたが、某もその1人といってよい。
 反論する気にもならないが、ただ、身勝手な読み取りをしたうえに、だれが読んでも明確な方向性を示していることに対して、「例示である」と、ま、歪曲とまではいわないが、これも身勝手な限定を加え、正しく読み取ろうとする者に対して、「意味を取り違えることになります」は、タチが悪すぎるのではないか。

◆グダグダ書いた。
 しめくくる。
 教育誌を、読んでは眠り、目覚めてはまた読み、あるいは、わたしの仮説「学校中心自治民育体制の幻影=学校の教育独占体制(学校の教育丸抱え体制)」を検証し……、そして、自分がバラバラにされ、そして、そして、再び自分が組み立てられ、「新しいわたし」=「新しい原理を有するわたし」に至ることができれば、いいと思っている。

◆午前中、地域の老人クラブ・虹の会からぞうきん100枚寄贈を受ける。
 会長(泉良子さん)はじめ、3名の方が届けてくださる。
 毎年いただいているぞうきんをどのように活用しているか、あるいは、本校ではどんなふうにそうじをしているか……などについてお話しすると、たいへん喜んで聞いてくださる。
 その他、大久保地区、白銀台地区、岬台地区の方々、みなみ小・中PTA、学校とネットワークを形成して取り組んでいるすこやかみなみネット事業などについてお話しする。

 すこやかみなみネットの「ネット」は、みなみ学区の学校・家庭・地域(諸団体)を結びつけ、理念と活動を、分かちあう、あるいは共有しあうことを可能にするリンクだ。
 ただ、実際問題として、地区防犯協会や連合町内会などとのリンクと、きょう、おいでいただいた虹の会や、あるいは民生委員・児童委員等とのリンクは、リンクの仕方が異なる。
 いろいろな課題(含不登校)をクリアーしていくには、一元的なリンクではなく、多チャンネルリンクを開発していく必要があると感じた。

◆2時間目、3年1組の国語の授業(宮重T)のなかに自分の身を置く。
 きょうの画像は、すべてこのとき撮影したものだ。

純粋に「他のためにがんばる、他のために汗を流す、そして、そのことを喜びと感じる」人間にならなければ

2008-04-15 20:16:01 | Weblog
◆きょうの全校朝会は、前期学級役員・委員長任命式を兼ねて開かれた。
(1)朝のあいさつ
(2)室長・副室長任命
   各委員会委員長任命
(3)校長の話

 生徒会本部役員(大館さん)の司会で、1年1組の室長・副室長から、2年、3年と、順々に氏名を読みあげ、室長・副室長が「はい!」「はい!」と返事をしていく。
 各学年とも、緊張感をともなった、よい返事だ。
 2年生、3年生になると、その緊張感に、自覚と気合いが加わり、立派な、堂々とした返事になる。
 1年生の返事<2年生の返事<3年の返事……ま、これが、あたりまえなのだが、実際には、なかなかむずかしい。
 みなみ中は、これが、ごく自然にできる。
 「わたしの話」の冒頭で、それをほめる。

◆〈わたしの話の骨子〉

 ここ、しばらく、ことあるごとに「いい学校の条件」について話をしてきた。
 そのひとつ……。
 「他のためにがんばり、汗を流し、そのことを喜びと感じる生徒が、いっぱいいる学校。」
 他のためには何もしない、自分のことだけを考える……という人間ばかりが集まっている学級や学校を想像してみると、荒れた、ガサガサとした光景が浮かびあがり、う~ん、なるほど、この「条件」はほんとうだなぁ~と、うなずいてもらえると思う。
 しかし、「他のためにがんばり、汗を流し、そのことを喜びと感じる」と、口でいうのは簡単だが、実際に行動するとなると、意外とむずかしい。
 というのは、まず、だれもやらないから、仕方がないから、わたしがやってやる……というのは除く。
 これは論外だ。
 そういう「やってやっている」という気持ちなら、わたしは、やらないほうがいいと思う。
 また、他のためにがんばると、それは、やがて自分のためになるというのも、「やってやっている」というのよりは、マシだと思うが、わたしの経験からいうと、それも考えとしては、甘い。
 純粋に「他のためにがんばる、他のために汗を流す、そして、そのことを喜びと感じる」人間にならなければならない。

 生徒会本部の活動、生徒会各委員会の活動、あるいは、各学級の当番活動などは、純粋に「他のたにがんばる」ための、たいへんよい機会だと思う。
 生徒会活動を通して、真に「他のためにがんばり、汗を流し、そのことを喜びと感じる」人間になろう。〈「わたしの話」以上〉

◆話は、前後するが、昨日、夕刻、主任会を開く。
 この「主任会」は、もう少しすると、時間割の中に組み込まれ、夕刻に開催ということはなくなるのだが、今は、暫定時間割だから、勤務時間外に特設した。
 内容は、各学年の「動き」(←これは、こういうあいまいな表現にとどめる)に関する情報交換だ。

 終わりに、わたしから、アトランダムに、次のことについて触れる。

(1)各学年所属職員の生かし方(動きたいのだけど、動けないという職員がいるものだ)
(2)卒業生情報
(3)分掌部長や主任として指示するとき、すべての職員が「わがこととして聞いている保障はない」と言い聞かせて、指示の仕方の工夫を。
(4)心の教室相談員の募集について
(5)業者に発注するときの「相見積もり」について。
(6)校内外巡回のときの「視点」について。
(7)生徒の日常生活におけるあいさつの状況。3年>2年>1年。
(8)学校は、生徒に関する、いろいろな課題を抱えている(←これはあたりまえ……)。
 その課題を、知的で楽しい授業でクリアーする(子どもが小学校へ行き、「先生、中学校の授業が、おもしろいよ、ほんとうにおもしろくておもしろくて」と報告するくらい、あるいは、夜、親に「お父さん、中学校の授業って、ほんとうに楽しいんだから」と報告するくらい)というのが、みなみ中のモットー。
 これを踏み外すと、ドブに落ちる。

◆少し前、「ホームページを更新する時間が、きちんと決まっているような生活スタイルに、あこがれている。希望をいえば、何にも邪魔されることのない、午前3時~5時がいちばんいいのだが……」というようなことを書いたが、今、こういう時間に更新しながら、やっぱり夜の更新というのはダメだなと思っている。
 更新しはじめたときは、もっと別な内容を考えていたのだが、どこからか(たぶん、「わたしの話」の再現に時間がかかりすぎ、エネルギーを使いすぎた……)、大きくズレてしまった。

わたしはいつも、「スライダーをねらっていこう」というような指示を出しているチームはダメだ……という南

2008-04-14 20:11:34 | Weblog
◆4/11(金)午後6時半から〈平成20年度白銀南小・中学校合同歓送迎会〉が開かれた。

 午後9時過ぎ、快か不快かと問われれば(←だれも、そんなこと、聞いてもいないが)、カチンときて、「むかっ腹を立てる」ような状態(←こういう状態が、いちばん、わたしらしさが発揮できる)で帰宅。

 翌日(4/12土=休日)、目を覚まし、金曜日の午後に、ようよう、なんとかかんとか、どうにかこうにか発行日に発行できた学校通信(すこやかみなみネット通信)のWEB版を作成し、サーバーにアップ。

 アップしたところで、頭の芯が硬く、塊になっていることに気づく。
 思えば、この1ヶ月は(卒業式→修了式・離任式→組織の解散→新組織の結成→新任式→始業式・入学式→黄金の3日間+出張3連発)は、ヘビーで、わたしの限度、ギリギリ。
 そのギリギリのところに、WEB版作成・アップの作業。
 これで限界点に達したのだろう。

◆昼前、それをほぐそうと、はなむけ号(折りたたみ自転車)で、根城城址→総合福祉会館→平中→荒町→桜木町……と、ダラダラ、ブラブラと浮遊する。
 しかし、ほぐれるどころか、頭の芯と目の奥とはつながっているようで、さらに悪化し、目まで限界に。
 対象は、ちゃんと見える。
 ぼやけてもいない。
 だが、ものとものの輪郭線にクッキリ感がなくて、なんとなく視界全体が透きとおっている。

 これは、もう限界や。
 もうアカン。
 ホンマ、あぶないわ……と、現実のシバリから逃げ出す。
 志塚Tにいわせれば、ぬるくてぬるくて、もうどうにもならなくて、おまけに、ぬるぬる、ぬめぬめで、臭い……と悪評の、しかし、わたしには最適の某温泉に向かう。

 90分間、その「ぬめぬめ」に、カバのように浸かり、瞑想。

◆今(4/14月)、むかっ腹を立てたとはいえ、歓送迎会が、4/18(金)ではなくて、4/11(金)というのは、いい区切りだったかもしれない……と、スケジュール表を眺めている。

 仕事に追われる……を、今週は、なんとか逆転したい。

 〈教務週報3号〉
 4/14(月)~4/18(金)
 1週間の授業・行事計画、出張等の記述のほかに、本校の場合は、その上部に各校務分掌部長からのコメントが記載されている。
 プロ野球で攻撃インニングの前に、「このインニングは、こう……こう……こういう攻撃をしていこう」という監督・コーチからの指示と同じだ。
 この1週間は、こういうところに力点を置いて職務にあたろう……というわけだ。
 わたしは、いつも、「スライダーをねらっていこう」というような指示を出しているチームはダメだ……という南海の野村監督のことばを引いて、分掌部長として、的確な指示・コメントを出せぇぇ~といっているのだが、さあ、今週のコメントは、どうか?

 校長(わたし)=目線を子どもの目から目へと移動させていくイメージへの挑戦
 総務部=年度はじめの施設設備の点検とゴミの分別収集にご協力を。
 教務部=「さあ、受験生だ」「さあ、2年生だ」「さあ、中学生だ」に応える授業を。
 研修部=黄金の1週間。
 生徒指導部=いつだって師弟同行をがんばりましょう。
 保健部=未記入

 教務部のコメントも、研修部のコメントも、生徒指導部のコメントも、気持ちはよくわかるのだが、これをわがこととして聞けるのは、力のある教職員だけだ。
 次回は、もう一歩、踏みこんだコメントがほしい。(保健部は論外)
 野球の試合と同じで、いつもうまくいくとは限らないが、いいコメントのつらなりが、つまるところ、いい学校運営につながっていくのだと思っている。

◆先週の学年・学級開きにつつぎ、今週は授業開きだ。
 朝から、ひとつひとつ、教室、体育館をまわる。(画像は、そのときに撮影したもの。)

グチっているヒマがあったら、即、行動する……か、あるいは、その「行動」に意味が見いだせなかったら、対

2008-04-10 21:33:23 | Weblog
◆わたしには、グチるという性癖はない。
 グチと、陰口は、絶対に、やらない。
 グチっているヒマがあったら、即、行動する……か、あるいは、その「行動」に意味が見いだせなかったら、対象を「無視」する、この、どちらかだ……、わたしという人間は(これが、オダカ流だ)。

 その対象……というのは、次の、黄金の3日間の校長出張3連発のことだ。

 4/8 午後から、三八教育事務所からの説明、八戸市中学校長会総会。
 4/9 午前、市立学校長会議、学校経営研修講座。
 4/10 午後から、10年経験者研修会連絡会議。

 わたしたちは、始業式・入学式の翌日からの3日間、すなわち、4/8~4/10を、「黄金の3日間」と呼んでいる。
 この3日間で、きちんと学級を経営することができれば、それは1年間続く。
 逆に、いいかげんにやれば、ほとんどの学級は荒れて、学級崩壊まで行くこともある。
 つまり、学級経営のよしあし、教科経営のよしあしは、ほとんど、この3日間にかかっているのだ。
 この3日間が1年間を左右するという意味で「黄金の3日間」というわけだ。

◆(これは、言わなくても、だれでも、わかることだが)この3日間は、学校経営にとっても「黄金の3日間」なのだ。
 この3日間とも、学校を離れなければならないというのは、ほんとうにつらいし、常識的に考えても(ま、いらっしゃい、いらっしゃい、開店でっせぇぇ~……の、その直後に、突然、支店長が姿を消すのと同じことだから)ホンマは、こんなことありえないことだ。
 グチることが大嫌いなわたしは、あるいは、グチるヤツが大嫌いなわたしはま、これ以上は、言わない。
 言えば、自分が、大嫌いなヤツになってしまうからだ(^_-)。

 だから、今回は、完全、無視だ(^O^)。

◆本、みなみ中学区は、人口11412名だ。
 ちょっとした、小さな町くらいの規模だ。
 だから、この時期、その中学校の校長室への来客は、半端なものではない。
 大事なときにほとんどいないのだから、いる時間に殺到して、対応に追いまくられるハメに。

 きょうは、朝から、10年経験者研修会連絡会議の出張をはさんで、夜まで、その隙間、隙間の時間を使って、しめきりが迫った学校通信(すこやかみなみネット通信)の原稿を書く。
 わたしの割り当ては、今回、12ページ中5ページだ。
 次の記述は、その下書きだ。
 これを、すこやかみなみネット通信のベースに流し込み、削って削って、通信に仕上げていく。
 だから、通信原稿そのものではない。

 以下、「すこやかみなみネット通信」の下書き。

◆4/7(月)午後1時半より、平成20年度(第18回)入学式が行われた。各学級担任から新入生121名(男子62、女子59)ひとりひとりの氏名が読みあげられたあと、わたし(小高)から「親の保護から、人生、独立に向け、一歩一歩、前進・成長していくのが中学という時代だ。親に心配をかける量を減らし、安心してもらえる、喜んでもらえる量を増やしてほしい」と式辞を述べた。
 つづいて、来賓を代表してPTA会長の佐藤隆祥氏から「よいライバルや親友にめぐりあい、有意義で実りある中学生生活になることを祈る。そして、社会に出たときに活躍できる人間になってほしい」とお祝いのことばをいただいた。
 また、新入生を代表して斉藤彩香さんが「これからの3年間を白銀南中学校の生徒としての誇りを胸に常に努力を惜しまず、高い目標をかかげてがんばります」と誓いのことばを述べた。
 式後には、生徒会により新入生歓迎のセレモニーが開かれ、2・3年生が「若い翼」の合唱を、応援団が激励のエールをおくった。
 この日は、午前、始業式、午後、入学式という日程だったが、新入生121名、新2年生131名、新3年生113名、あわせて365名、全員が出席し、新年度の1分1秒を刻みはじめた。
 地域のみなさま、保護者のみなさま、どうぞ成長を見守り、ご支援を賜りますようお願い申しあげます。

◆4/8、午前6時50分から、八戸地区交通安全協会大久保支部が、信用金庫大久保支店前で春の交通安全運動・街頭活動を行った。みなみ中の生徒会もこれに参加し、飲酒運転防止のチラシを配り、安全運転を呼びかけた。
 これからも、すこやかみなみネット事業を通して、地域団体間の連携・融合活動を創りだしていきたい。

◆平成20年度白銀南中マニフェスト

1.学びの喜びと確かな学力の保証をめざし、知的で楽しい授業を創る基礎・基本の修業を徹底します〈プロ教師への道〉
(1)数値目標を、「生徒による授業評価(5段階)」の5の割合=80%とする
(2)重点取組目標
  ①教師の授業力向上プログラムの開発と実践
  ②生徒の学習力向上という観点から『学力向上の5原則』の継続と改善。

■当然のことだが、学校は「授業」が命である。
 日常の授業を充実させ、生徒ひとりひとりに確かな学力を保証することは、学校の教育活動において最も重要なことである。
 教師の教材研究・授業研究の時間の確保、授業につまずいた生徒への補習時間の設定等、これまで以上に努力を積みかさね、学力と人格の統合、規範の習得が達成できる知的で楽しい授業づくりに取り組んでいきたいと決意している。

■生徒については、学ぶのは自分たち自身であるという自覚を求めたい。
 生徒自らが学ぶ姿勢ができていないと効果はあがらない。
 一昨年から、「こういう授業の受け方をすれば学力があがる」という授業の受け方の基本〈学力向上の5原則〉を示し、生徒の努力をうながしている。

■上記の「生徒による授業アンケート(各学期1回実施)」のほかに、これまで同様、「保護者による授業アンケート(参観日ごとに実施)」も実施したいので、ご協力をよろしくお願いしたい。

2.学校・家庭・地域が協働できる教育システムづくりをめざし、みなみ小・中PTAを核にすこやかみなみネット事業を推進します
    ~ 保・幼・小・中の連携(垂直軸)に依拠した学社連携・融合(水平軸)の推進 ~
    ~ 学校の教育丸抱え体制を廃し、教育機能の家庭・地域への再配分・再位置づけの推進 ~
(1)数値目標を、保護者集会・参観日等の保護者参加率=80%とする。
(2)重点取組目標
  ①学校教育情報の家庭・地域への発信力アップ(通信の充実・公開方法の改善・HPの日常的更新)
  ②すこやかみなみネット事業の推進
   ア)PTA活動の活性化 イ)保幼・小・中の連携の推進 ウ)地域の諸団体との連携の推進
   オ)教職員の地域・PTAへの貢献(学社連携コーディネート力の向上)
   カ)地域の教育力の活用(小・中・公連携による人材バンクの設置)
   キ)家庭の教育力向上への支援強化(学年・学級懇談会、PTA研修、教育懇談会等の充実)

■教育は、学校だけで行われるものではない。同じように、家庭だけで行われるものでもない。
 家庭や地域社会、そして学校のそれぞれが、教育の場として機能を発揮することが大切だ。
 いわゆる「生きる力」についても、学校において組織的、計画的に学習しつつ、家庭や地域社会において、親子の触れ合い、友達との遊び、地域の人々との交流などの様々な活動を通じて根づいていくものである。
 こういう観点から、今年度も、学校・家庭・地域におけるそれぞれの教育がバランスよく行われる環境づくりをめざしていきたい。
 バランスさえよくなれば、日本の教育はまだまだだいじょうぶだ。
 逆にバランスが悪いままだと、どんな施策を打ち出してもほとんど効果は期待できない。安倍首相の諮問機関「教育再生会議」も、この点の議論を深めてほしいと願っている。

■このバランスをよくするための具体的な実践が、すこやかみなみネット事業の推進だ。
 すこやかみなみネットは、南小・南中のPTA(=父母と教師の会)が主体となり、テーマを子どもたちの健全育成・安全確保に限定して、小学校と中学校の強い連携・融合を軸に、地域の人々や地域の関係諸団体とのあいだに広くゆるやかにネットワークを形成し、それぞれの教育を活性化しようとするものである。

 以下の3~4については、項目だけを列挙し、折をみて、詳細を記述することにしたい。

3.自他のよさや可能性を認め、互いに高め合う生徒の育成をめざし、生き方の原理・原則を重視した心の教育を充実します
(1)数値目標を、当該月の非行生徒=0人とする。
(2)重点取組目標
  ①生活規律、学習規律の徹底(礼節、服装・髪・時間・あいさつ・正しい言葉遣い、授業態度)
  ②全教育活動を通して推進する音声言語能力の育成
  ③生徒の主体性を生かした生徒会活動(リーダーの育成と支援、自主活動、ボランティア活動学年・学級・委員会活動)の充実
 (他の取組目標=共感的理解を基盤とした教育相談の充実・キャリア教育の充実・道徳の充実)

4.安全・安心な学校をめざし、危機管理の基本を踏まえた安全管理と事故防止を徹底します
(1)数値目標を、教育課程内の当該月の外科的傷病生徒=0人とする。
(2)重点取組目標
  ①危機管理の徹底
   ア)全教育活動における安全管理 イ)学校施設・教具・備品の安全点検及び安全管理
   ウ)迅速・適切・誠実な対応 エ)記録(←分刻み)・連絡・相談・報告 オ)職務に応じた校内巡視
  ②生徒指導の強化と安全教育の徹底

(5)朝、起きたとき、どの生徒も「行 きたい!」と思う学校をめざし、豊 かな教育環境の創出に努めます
(1)数値目標を、不登校生徒=0人とする。
(2)重点取組目標
  ①目から・耳から育てる教育環境の充実
   ア)歌声いっぱい
   イ)花いっぱい
   ウ)作品いっぱい
   エ)情報いっぱい
   オ)ふれあいいっぱい
   カ)日本文化いっぱい
  ②清掃美化指導の徹底
  ③読書環境の充実

◆平成20年度教職員組織(ここでは省略)

◆平成20年度部活動担当者(ここでは省略)

◆その他、お願いとお知らせ

1.4/23(水)は保護者参観日 PTA総会 学年保護者集会です。

(1)保護者参観日は、自分の子どもが毎日、白銀南中で受けている授業が、知的で楽しい授業なのか? 学習内容がしっかり身につくように指導されているのか?……を直接に見る絶好のチャンスです。
   今回もこれまで同様、「授業アンケート」を実施します。
   教師同士では、とかく見過ごしがちな点があります。ついつい許容してしまう点があります。
   それを保護者の目で、授業中の子どもの姿をご覧になり、率直なご意見をいただきたいと思います。学校経営改善の貴重なデータといたします。(アンケートは無記名)

(2)PTA総会・学年保護者集会は、①子どもに関する情報獲得の場 ②子育てについての懇談の場  ③子育てに関する学習機会の場であると同時に、④親同士の交流・学びあいの場でもあります。
   PTA総会・学年保護者集会は、わたしたち大人が生涯にわたり自己の啓発・向上をめざすとともに、心のふれあいを深め、豊かで住みよい南学区を創りだしていくための、ネットワークの核になる場です。多数、ご出席くださいますようお願い申しあげます。
   ※日程の詳細および出欠票は、後日、お届けいたします。

2.部活動の統廃合について

 現在、本校には運動系部活動と文化系部活動を合わせて、14の部活動があります。
 近年、生徒数および教職員数の減少に伴い、現状を維持することが困難な状況になりました。
 つきましては、4/4付の文書でもお知らせしましたように、下記のとおり、部活動の統廃合することになりましたので、お知らせいたします。
 なお、現在の部員については、3年生での活動が終了するまで、その活動を保証いたしますので、ご理解とご協力を賜りますようお願い申しあげます。

(1)科学部・美術部・IT部を統合して、総合文化部とする。
(2)女子卓球部の今年度の新入部員募集を停止し、今年度夏季大会終了後、廃部とする。
(3)柔道部の今年度の新入部員募集を停止し、来年度夏季大会終了後、廃部とする。


どうやったって、ムリだろうと思うが「この時間はホームページを更新する時間だぁ」ときちんと決まっている

2008-04-08 20:46:36 | Weblog
◆もちろん、これは、どうやったって、ムリだろうと思うが、「この時間はホームページを更新する時間(できれば2時間くらい)だぁ……」と、きちんと決まっているような生活スタイルに、今、あこがれている。
 わたしの場合、このホームページの更新が、仕事に直結している。
 すなわち、更新記事に、一部、修正を加えて、教職員への指事事項「職員室通信」になる。
 あるいは、地域・保護者への情報発信「すこやかみなみネット通信」になる。
 だから、きちんきちんと更新ができていないときは、きちんきちんと仕事ができていないと判断してもいい。

◆現在、更新のための時間は、早朝か夜だ。
 早朝の場合、通常5時に起きて7時に学校に到着しているが、午前3時に起きて、5時までの2時間を更新にあてる。
 夜の場合、ま、これが問題なのだが、どうしても飲みながらということになる。
 はじめは、すごく張りきっているのだが、少し酔いが回ってくると(←もちろん、そんなに飲むわけではない)、だんだん更新など、どうでもよくなってきて、「ま、きょうは、やめて、あす、やろう」というところに帰着してしまう。

 ほんとうは、何にも邪魔されることのない、まず、電話がかかってくるということも、午前3時~5時がいちばんいいのだが、これが毎日となると、ちょっとヘビーだ、過酷だ。

■学年はじめの、最初の3日間のことを「黄金の3日間」という。
 この3日間で、きちんと学級を統率することができれば、それは1年間、続く。
 逆に、いいかげんに過ごし、学級を統率することができなかったら、ほとんどの学級は荒れて、学級崩壊まで行くこともある。
 つまり、学級経営のよしあし、教科経営のよしあしは、ほとんど、この3日間にかかっている、
 この3日間が1年間を左右するという意味で「黄金の3日間」と名づけられている。

■左は、教師相互に授業力を点検しあう評価の観点(=基礎的技術)として、本校が設定している「授業力向上の5原則」と、このことに対応させた、子どもたち自らの努力の観点「学力向上の5原則」である。
 この「5原則」は、学級経営、教科経営、生徒会委員会活動、部活動など、すべての教育活動に通用する技術、方法、そして「思想」である。
 「黄金の3日間」を迎えるにあたり、再度、見直して、新しい生徒に臨みたい。

◆子どもが動くしくみをつくる

 向山洋一氏は、次のように述べている。
 「子どもへの愛情」「やさしさ」は、あとでいくらでもできることである。
 不十分な点も、あとで修正すればいい。
 まずは、子どもが動く「しくみ」を作る。
 このことに全力を挙げようというのが「黄金の3日間」である。
 学級を組織していく。そのために、何をするのか? どうするのか?
 学級を組織するための順序は、5つのステップを踏む。

 1,どのようなクラスにしていくのか?という目標を決定する。
 2,目標をやりぬくためのしくみを作る。
 3,責任の所在を明らかにする。
 4,それぞれの活動をいつ行うかを明らかにする。
 5,生活する上でのさまざまなルールを決めておく〈「学級経営の急所」(明治図書)P.55〉
 ※注=「掃除・給食はこうする」もこの段階に含まれる。(小高)

◆その他

(1)学級開き・教科開きの準備
 学級担任だった頃、帰りの会で「1時間目はなにをしましたか?」とたずねると「自己紹介をしました」と返ってきた。
 「2時間目は?」「自己紹介!」
 「3時間目は?」「自己紹介!」
 学級日誌には、1時間目~6時間目まで「自己紹介」の文字が並んでいた。……
 これでは子どもたちの意欲はそがれてしまう。
 最初から学級がボロボロになってしまう。
 学級開きにしても、教科開きにしても、50分という教育活動には、指導者が1分1秒を強く意識しつつ、適度なテンポと、リズムと、読む・書く・聞く・話すのバランスとを創出する、ギリギリの努力が必要だ。
 本校の「卒業生を送る会」は、ずっと不評だったので、教育課程編成会議では、来年度から取りやめることが決まった。
 しかし、みなみ中の歴史上、最後となる3月の「送る会」は、意外なことに、皮肉なことに、たいへん好評だった。
 われわれが、50分以内という時間を強く意識し、内容を吟味し、テンポとリズムに配慮したからだと、わたしは思っている。
 子どもたちが「こんなに頭とからだを使った50分間はない」と感じる学級開き・授業開きを。

(2)わたしはよく、アイデンティティの「時間軸」(=自己の時間的・歴史的連続性)、「空間軸」(=所属する社会との連続性、つながり)とか、魂のかたち「垂直軸」「水平軸」という言い方をするが、この時期の学級開きでは、アイデンティティの空間軸を広げる、あるいは、魂の水平軸を広げる、すなわち、「人と人とのつながりをドンドン広げていく」ということに配慮することが大切だ。
 経験的にいって、この段階で放っておくと、友だち関係・グループが固定化して、やがて排除の論理を生み、学級がストレスの温床になっていく。
 わたしは「好きな話題で話せるあいだがら」を意図的にひろげていくことが大切だと考えている。
 各学年で、これまでの学級開きの実践を提示し合い、「好きな話題で話せるあいだがら」を爆発的に広げる方策を検討してほしい。

(3)「入学期」「新入生」という概念と存在を生かす学校経営・2学年経営・3学年経営を。
 卒業期や卒業式は、卒業生だけのためにあるのではない。
 わたしたちは、卒業生にみなみ中生であることの喜びと誇りを持たせつつ、同時に1・2年生に喜びと誇りと目標を育てている。
 「入学期」はその逆である。
 「入学期」「新入生」という概念と存在を生かして、新2・3年生に何を育てるのかを強く意識して、これからつづく「入学式準備」「入学式」「歓迎セレモニー」「生徒会オリエンテーション」「入退場訓練」を運営したい。

(4)3日会わざれば刮目して見るべし
  ~ピグマリオン効果 生徒の「よく変わりたい」という変身願望に対して感性を磨く~

 「3日会わざれば刮目してみるべし」という視点(=「この子は、新学期、どんなところがよくなりたいと思って、朝、起きて、学校にやってきたのだろうか?」)と、目をこすって生徒を観察してほしい。
 1人残らず、よくなりたいと思っているにちがいないと思いこんで(ピグマリオン)、子どもといっしょに「存在」してほしい。
 これが、先日、話したA>B>C……の「B」にあたると思う。

(4)生徒の呼び方は「○○さん」。自分の呼び方は「わたし」で。

(5)省略語は極力使用しない。(教科担、学担、養教、市教委)

入学式・式辞

2008-04-07 20:40:40 | Weblog
◆入学式・式辞

 春の光りがふりそそぐ、このよき日に、日頃、本校に何かとご援助を賜っております、多数のご来賓のご臨席を得まして、平成20年度八戸市立白銀南中学校の入学式が、このように、盛大に行えますことを、心より感謝申しあげます。

 新入生のみなさん、入学おめでとう。
 今、みなさんが見ているステージの上のほうに、本校の校章があります。
 ステージの奥の壁にもあります。
 みなさんに向かって、うみねこが、力強く羽ばたいています。
 これは、本校の教育目標、①心豊かで、②自ら学び、③健康な白銀南中生を表しています。
 新入生のみなさんが、この校章のうみねこのように、元気に、はつらつと、未来に向かって、力強くはばたいてくれることを強く願っています。

 また、このコバルトブルーは、太平洋の海の青、空の青をあらわしています。
 この海の青、空の青の中を、群れをつくらないで、何にも染まらないで、たった一羽で、たったひとりで飛んでいます。
 中学という時代は、親の保護、親べったりから、人生、独立のための第一歩を踏みだす時期です。
 このうみねこは、こう言っています。
 「お父さん、あるいは、お母さんのお陰で、ここまで、元気に生きてくることができました。
 ほんとうにありがとうございます。
 まだまだご心配をおかけしますけれども、これからは中学生ですから、自分でやれることは自分でやるようにがんばり、お父さんやお母さんに心配をかける量をへらしていきます……」と。
 このうみねこは、人生の独立に向け、力強くはばたく、みなみ中生を表しています。

 今、独立の第一歩を踏み出すみなさんに、ひとつ、わたしの体験を話します。
 わたしが、ちょうどみなさんと同じ年齢のときに、わたしは、その後の、わたしの人生・生き方に、強い影響を与えた、一冊の書物に出会います。
 それは『シートン動物記』です。
 この中の「灰色熊の一生」を読んで、ポロポロとわたしは涙をこぼしました。
 「伝書鳩アルノーの物語」というのも、よく覚えています。
 しかし、わたしに強い影響を与えたのは、動物記そのものではなく、書物のいちばん最後についている「シートンという人はどんな人かという解説文」でした。
 解説文に、こんな場面が出てきます。
 大人になったシートンが、お父さんとお母さんに向かって「お父さん、お母さん、わたしをここまで育ててくれて、ほんとうにありがとうございました」
 と言って、テーブルに包みを置きました。
 「これは、お父さんとお母さんが、わたしをここまで育てるために使ったお金です。ほんとうにありがとうございました。お返しします。このお金は、お父さんとお母さんで使ってください」
 これを読んで、わたしは、2つのことを考えました。
 ひとつは、「そうか、こうして返すものなのか。よし、わたしも、お父さん、お母さん、これが、お父さんとお母さんがわたしを育てるために使ったお金です。お返しします」とやってやろう、そうしなければいけない……と思いました。
 もうひとつは、「大人になって返すとすれば、たくさん返すのはたいへんだ。だから、今、あんまり使わないほうがいいなぁ」と考えました。

 わたしの体験の話は以上です。

 もちろん、みなさんはまだお金を返すことはできませんけれども、これまで育ててくれた親に、あるいは、お世話になった方々に、おじいさん、おばあさんに、感謝の気持ちを強くもってほしい。
 加えて、「心配をかける量」を減らし、安心してもらえる、喜んでもらえる量を増やしてほしい。
 このようにして、一歩一歩、前進・成長していくのが中学という時代です。

 みなさんが、毎日の勉強に、生徒会活動に、行事に、部活動に、このみなみ中で、先生方と、友人たちと、ご家族と、地域の方々と、いっしょに、人生の貴重な、1分1秒を刻みながら、大きく成長することを願っています。
 新入生のみなさんへの、わたしの話は以上で終わりです。

 さて、保護者の皆様、お子様の中学生としてのスタートを心よりお喜び申し上げます。
 私ども、教職員一同、お子様をお預かりした、大きな責任を果たすべく最大の努力をいたす決意でございます。
 短く4点申しあげます。
 1つ目、これは2月の保護者説明会でも申しあげましたが、知的で楽しく、かつ、トップレベルの学力がつく、授業を創ります。
 2つ目、生徒の心と身体の安全のために、安全管理と事故防止を徹底します。
 3つ目、「困っている人に親切にしよう」「ゴミを拾おう」「他のためにがんばろう」など、生き方の原理・原則を重視した教育を行います。
 4つ目、地区の安協、防犯、町内会、子ども会など地域の諸団体、あるいは公民館、白銀南小など、地域一体となって展開しております「すこやかみなみネット事業」を通し、学校と家庭と地域のバランスがとれた教育システム、学校と家庭と地域がそれぞれの立場で自由に、気軽に、参画できる教育システムを開発していきます。

 いい学校というのは、そこ、ここに、ころがっているものではありません。
 学校と家庭と地域が協力し合って創りだしていくものです。
 こういう強い決意で、これまでも地域のみなさまと一体となって取り組んできました。
 どうか保護者のみなさまにも、PTA活動、すこやかみなみネット事業に、それぞれ、やれる範囲、参加できる範囲で結構ですから、……たとかば、休日だったらいいでよ、あるいは、夜だったらいいですよ、インターネットだったらいいですよ……と、できる範囲で結構ですから、いっしょにやりましょう。
 よろしくお願い申し上げます。

 地域のご来賓のみまさま、みなみ中の新入生が、これから3年間、このみなみ中で、このみなみの地域で、貴重な1分1秒を刻んでいきます。
 どうぞ成長を見守り、ご支援を賜りますようお願い申し上げ、式辞といたします。

1学期・始業式・式辞

2008-04-07 20:35:49 | Weblog
◆1学期・始業式・式辞
 3月の卒業生を送る会、卒業式、修了式、離任式……ときて、4月に入り、先日の新任式、新クラス発表、そして、きょうの始業式。

 1年間、毎日、毎日、生活していた教室を離れる。
 いつもいっしょにいた友人と離れる。
 お世話になった先生と離れる。
 転校という大きな変化があったという人もいます。
 自分とつながっていたものから離れて、ポツンとひとりになる……、これって、独特の雰囲気……、さびしいといえばこれほどさびしいことはない、さっぱりしたといえばさっぱりしたともいえる……、わたしは、この今のみなさんの感覚を大切にしてほしいと思います。

 ひとりになることによって、普段はあまりに意識しかなった自分の今の姿・心のかたちが、よく見えるようになる。
 また、これまでの自分の一歩一歩が、夜、雷がピカッと光ったとき、パッと風景が見えるように、自分の足跡が見えるという時期です。
 今の自分の、心のかたちと、これまでの一歩一歩を点検しながら、大切にしながら、平成20年度1学期、新しい一歩を踏み出しましょう。

 改めて、新2年生への進級、おめでとう。
 新3年生への進級、おめでとう。
 ここに、こうしている、みなさんで、力をあわせて、「みなみ中生でよかった」「みなみ中生であることを誇りに思う」と、心から思える、わたしもそうです、「みなみ中の教職員であることを誇りに思う」と、心から思える、よい学校にしていきましょう。
 よい学校というのは、在るものではありません。
 ころがっているものではありません。
 先輩たちから、しっかりと受け継ぎ、それを1㎜でも0.1㎜でもよくして、それをしっかりと伝えていくという、ギリギリの努力をして、いい学校を創り出していくのです。
 こういう意味で、新2年生、新3年生の役割は大きい。

◆きょうの始業式にあたり、上級生として心がけてほしいことを1点、中学という時代を生きる人間として忘れないでほしいことを1点、お話しします。

 まず、上級生として。
 いばる上級生にならないでほしい。
 いばる上級生ほど、みっともないものはない。
 下級生がいばるのは、かまわない。
 いい学校や、いいチームは、下級生がいばっています。
 上級生は、絶対にいばりません。
 わたしが、ず~っと、大切にしている、ひとつのエピソードがあります。
 明治大学の野球部の話です。
 もう今はお亡くなりになりましたが、有名な監督がいました。
 島岡監督。
 37年間、明治大学の監督をしました。
 明治大学の野球部は、全員、寮で合宿しています。
 その寮を島岡寮といいます。
 この寮のトイレ掃除は、だれがやるか?
 島岡寮では、最上級生がやることになっています。
 大学ですから、1年生、2年生、3年生、4年生がいる、その4年生がトイレ掃除する。
 それも、キャプテンが先頭になって、責任をもってやる。
 今、北京オリンピックの野球の監督・星野仙一さんも、明治大学の野球部出身で、キャプテンでしたから、毎日、毎日、トイレ掃除をしたそうです。
 今のようなトイレではないから、たいへんだったそうです。
 そのトイレを素手で、ピカピカに磨きあげたそうです。
 いやなことは、下級生にやらせない。
 いやなことは、「わたしたちがやるよ」という、やさしくて力持ちの上級生になってほしい。

◆次に中学という時代を生きる人間として、忘れないでほしいこと。
 これはなんどもなんども言ってきたことなんだけれども、中学という時代は、どういう時代かというと、いろいろあるけれども、いちばん大切なのは、親の保護、親べったりから、人生、独立に向けて、一歩一歩踏み出していく時期だということです。
 では、独立に向けて一歩一歩踏み出すとは、具体的にどういうことか?

 「お父さん、あるいは、お母さん、ここまでほんとうにありがとう。まだまだ心配をかけるけれども、これからは自分でやれることは自分でやり、お父さん、あるいは、お母さんに心配をかける量を減らし、悲しませる量を減らし、また、もう中学生だから、お金を使わせる量も減らしていきます。そして、なりたい自分をめざして、いっしょうけんめいに、がんばります」ということなんですよ。
 これが、独立に向けての一歩一歩です。
 だから、逆に、親に心配をかける量を増やしている人を、中学生とは言わない。
 親を悲しませる量を増やしている人を、中学生とは言わない。
 お金を使わせる量を増やしている人を、中学生とは言わない。

 悲しませる量を増やしているという人は、わたしのところに来てください。
 叱るのではありません。
 わたしも、あなたといっしょになって考えたいと思っています。
 ぜひ、来てください。

 新しい年度の1学期、みなみ中生、ひとりひとりが、真に独立に向けて一歩一歩、踏み出してくれることを強く期待します。

 最後になりますが、歌声が響く学校、日本一を実現しよう。
 品格日本一を実現しよう。
 学力日本一を実現しよう。
 そして、大いに読書しよう。
 月、火、水、木、金、5回の昼休みのうち、1回でもいいから、図書室にきて、いっしょに本を読みましょう。
 本を読まないで高校生になってしまったら、たいへんだ……と、わたしの願いを述べ、式辞とします。