職員室通信・600字の教育学

小高進の職員室通信 ①教育コミュニティ編 ②教師の授業修業編 ③日常行事編 ④主任会トピックス編 ⑤あれこれ特集記事編

高村祭のあとで。光太郎がお茶を入れてくれる。「夏は疲れるから、日中は仕事に出ない」と。

2009-05-28 17:17:26 | Weblog

★高村光太郎が7年間、独居・農耕自炊した7坪の小屋の内部

◆高村祭が予定より早く終わったので、花巻駅行のバスが出発する15時20分まで、2時間以上の時間ができた。
 そこで、高村山荘、光太郎菜園、裏山などをゆっくりと歩くことにした。

 高村祭は今回が初めてだが、ここに来るのは、大学時代(昭和45年)、是川中在職時代(平成10年、11年)、白銀南中時代(平成18年)と今回で、都合、5回目になる。
 是川中時代の2回目は教職員旅行だった。
 
 最初に来たとき(昭和45年)、樹木に囲まれた小屋が予想外に大きく立派なので驚いたら、案内してくれた人が、あれは小屋を保護する套屋(うわや)で、中に光太郎の小屋があるのだと教えてくれた。
 その套屋も老朽化し、昭和52年に現在の鉄骨の第2套屋が造られたそうだ。
 内部が暗いので、第1套屋を壊して被せたのか、第1套屋のうえに被せたのかは、よくわからない。



 ガラス越しに、広さ7坪半といわれる小屋の内部を眺める。
 外の光太郎畑の鮮やかな緑が反射するので、角度を工夫して、目をこらす。
 ランプがつり下げられている。
 板の間の囲炉裏のまわりに一升瓶4本、五合瓶2本と、七輪。
 土壁に沿わせた書棚に光太郎の蔵書。
 その脇に古びた紙が張ってあるが、黄ばんで、虫に食われ、内容は読めない。
 掃き清められた土間の隅に、小さな水ガメと流し台。
 障子戸は閉められている。

◆「ごめんください。宮沢さんからおことづての品を持ってきました」と、私は固くなって言いました。(『言葉はどこからどこへ』(宮地裕)から引用)

 軽い食事を済ませたところだと言われましたが、おむすび一個を呈上し、たくあんの漬物でいっしょに食事をしました。
 光太郎がお茶を入れてくれました。
 「夏を越すのは二度目だが、夏は疲れるから、日中は仕事に出ない。
 畑は五畝ほど。
 野菜などの副食物を自給するつもりでいるが、なかなかできない。
 耕具・肥料・殺虫剤、みな不足で困る。
 しかし、いずれは一反までは耕作して、アトリエも近くに建てて、農業と彫刻を両立させたい。
 一年の耕作の予定はよく組むが、思うようにはいかない。


 夜のランプの油が悪いから本が読めない。
 ろうそくは高くて買えない。
 彫刻の材料も木もない。
 今はただ刀がさびないように研いでいるが、近く、小さい物から彫りたいと思っている。
 太田村の人たちは純真で、親鸞・蓮如への信仰があつい。
 理屈なしに善悪を感じ分ける力を身につけている。
 ただ、日常の食生活については改善を勧めている。
 「玄米四合」てなくて、米は適量にして牛乳何合かというような酪農にするといいと思う。
 それにしても夏は体が弱る。
 冬、小屋の北側はすっかり雪にうずもれる。
 南側にも三尺ほど雪が積もるが、私は血色がよくなって元気が出る。」(『言葉はどこからどこへ』引用、以上)

◆これから裏山にのぼろうと思うが、その前に3点、述べる。

(1)照れくさい話だが、わたしには、宮地氏が記録した光太郎言を転記しながら、光太郎の「一反までは」を、あるいは「アトリエも近くに」を、あるいは「近く、小さい物から」を、これからやろうとする自分の仕事に置き換えてとらえるようなところがある。
 ある人から「光太郎のどこにいちばんひかれるのですか? 日本には他にもたくさん詩人がいるのに……」と言われ、答えに窮したことがある。
 よくよく考えれば、わたしの場合、光太郎の作品そのものよりも、父光雲との確執、欧米留学で受けた痛撃、智恵子との、ま、奇妙といえば奇妙な関係、大東亜戦争へ突入、異常といえば異常な山小屋での独居・農耕自炊生活等、いわゆる光太郎の生活の歴史に強くひかれているところがある。

(2)前回、「光太郎を統一的に論じる視点をみつけだすことができない」といったことについて、少し補足する。
 光太郎が全身全霊、大東亜戦争に突入していったのは、(あくまでも一例としていうのだけれども)、智恵子の死(昭和13年)が契機になっている……とか、あるいは、光太郎が(通常の感覚でいえば、異常な)山小屋での独居・農耕自炊生活に入ったのは、(これも、わかりやすくするために、あくまでも一例としていうのだけれども)文学者としての戦争責任を激しくつきつめるためである……とか、ま、こんなふうにひとつ筋を通していえなければいけないのだけれども、わたしにはそれはできない……という意味である。
 蛇足になるが、太宰についても同じだ。
 中期(『富嶽百景』『老ハイデルベルヒ』)から、後期(『斜陽』『人間失格』)への変貌が、どうしても解せない。

(3)最後に、この巨大な套屋(光太郎小屋のカバー)は、なんとかならないのだろうか?
 障子越しに、この障子の向こうに光太郎がいる……というスタイルにはなっていて、それはそれでいいのだが、花巻郊外の、人里離れた孤絶生活の世界や、光太郎と自然とがスパークして創出される美などは、きわめてとらえにくい格好になっている。
 わたしの希望をいえば、山小屋が朽ちてしまうのがイヤなら、套屋で覆うのではなく、そういうものは取っ払ってしまって、樹脂(今はいいものができている)で固めに固めて、地上に割れてくづれるまで/この原始林の圧力に堪えて/立つなら幾千年でも黙って立つてろ……という感じにしてほしいと思っている。
 くりかえすが、この障子の向こうに光太郎がいる……というスタイルだけではなく、ひとり光太郎が障子の外に感じたものを自分も感じたいと強く願っている。


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