職員室通信・600字の教育学

小高進の職員室通信 ①教育コミュニティ編 ②教師の授業修業編 ③日常行事編 ④主任会トピックス編 ⑤あれこれ特集記事編

さらば みなみの風景 「わたしはみなみでこんなふうに生きたんだ」ということを誇りに。

2009-03-21 10:21:14 | Weblog








◆みなみ中での生活は、1年、2年、3年……とつづいていくものだから、みなみで暮らしているあいだは、いつか、この生活が終わりになる日があるということは考えない。
 朝、学校にやってくると、毎朝、玄関には、もう既に、村岡君、井端君、磯島君たちがいて、「おはようございます」と元気なあいさつが返ってくる。
 毎日、響く歌声、夏にはホタル、秋には花梨(カリン)がいっぱい……、こういう時空間が、いつまでも、いつまでも、つづいていくような気持ちでいる。
 これが終わりになって、なじみの人々の声がもう聞こえなくなるというようなことは想像もしない。
 ところが、いよいよ卒業。
 みなみのドラマも、遂にきょうで終わり……という日がやってくる。

◆今年は114名の卒業生が旅立っていく。

 わたしは、入学式、卒業式と、これまで機会あるごとに話してきたことだが、中学という時代は、親の保護から独立に向けて第一歩を踏みだす大切な時期だ。
 もちろん、まだまだ独立の実力があるわけではないから、その一歩一歩は、実にたどたどしい。
 気概と現実とが、なかなかかみあわないのだ。
 失敗の連続で、自分自身のことをふりかえってみても、人生の中でもっとも不安定な時期だといえるだろう。
 しかし、だからこそ、見える風景がある。
 聞こえる声がある。
 大久保の木立から昇る朝日、3階渡り廊下からの海、美術室からの岬台・白銀台の家並み、音楽室から眺める夕日にゆれる八戸市街地……、友のはげまし、家族の、先生のはげまし。
 きっと、卒業生の心の深層に溶けこんでいることだろう。
 精神の故郷、魂の原点だ。

◆今、「みなみのドラマもきょうで終わり」といったが、みなみの風景と、みなみの生活は、卒業生の心のなかで、生きつづける。
 そして、君たちが拓いた「みなみの歴史」は、確実に、今度の3年生(今の2年)に、その次の3年生(今の1年)に、またその次の、またまたその次の……そして、今は、まだ生まれていない、みなみ中生にまで伝わっていく。

 みなみの卒業生であることの喜びを胸に、また「わたしはみなみでこんなふうに生きたんだ」ということを誇りに、新たな一歩を踏みだしてほしい。
 祝卒業。


がんばれ、Osaka Buffaloes! がんばれ、岩隈!

2009-03-20 16:34:09 | Weblog

◆わがOsaka Buffaloesは、46勝92敗というような成績が、毎年つづいて、フランチャイズ(日生球場)の観客も500人という球団だった。
 だから、1勝すると、魂が天に突き抜ける(気絶する)ほど、うれしかった。
 その喜びが、今でも、わたしのうちに、くっきりと焼き付いている。

 少し前に、WBCにはあまり関心がないのだ……と書いたことがあるが、それは、どうしても、わたしのうちに、気絶するほどの1勝とWBCの1勝を比較してしまうところがあるからだろう。

 でも、WBCで、わがOsaka Buffaloesのエース岩隈が大活躍し、日本じゅうのファンから「がけっ縁の侍ジャパンを救った」「神様、仏様、岩隈サマサマ」と言われるたりすると、これはこれでうれしい。
 「おお、岩隈、やりつづけていると、こんなこともあるもんだね!」と、涙が出る。
 決勝戦の先発は、もちろん、岩隈だ。
 がんばれ、Osaka Buffaloes!

◆卒業式(3/18)前後は、分刻みのスケジュールだった。
 3/17(火)午前、予行。午後、式場準備、この途中から出張(←こういう出張が、わたしのような人間には精神的ダメージになる)。
 3/18(水)午前、卒業式。午後、教職員との個別面談。夕刻、卒業を祝う会。
 3/19(木)午前前半、県立高校後期入試総括。午前後半、隣のみなみ小卒業式。午後、みなみ小卒業を祝う会。夜、PTA関係の打ち合わせ……。
 自分ではそんなに疲れていない……と感じていたが、帰宅後、ソファーで瞬間的に爆睡。
 午後11時に目覚め、午前3時まで、しめきり原稿に向かう(←こういう時は、神経がexciteしているせいか、すごく調子がいい。書き続けて、ほとんど修正なしで脱稿)。
 午前3時から午前5時40分まで、再び爆睡。
 目覚めの後、フトンの中で、新聞=岩隈と城島が握手している画像をみる。
 記事中「決勝の先発は岩隈をお薦めしたい」とある。
 もちろんだ。
 もし、それで優勝したら、その1勝=Osaka Buffaloesの1勝に限りなく近づくと思う。


人生の節目に卒業証書が渡せる喜び、及びみなさんを育てた方々と、地域の方々と、共に存在できる喜び

2009-03-20 16:23:09 | Weblog

〈みなみ中学校卒業式・式辞〉


★卒業式の朝、みなみの桜が満開に。

◆本日の佳き日にあたり、日頃、本校に何かと、ご支援・ご援助を賜っております、多数のご来賓のご臨席を得まして、第18回卒業証書授与式が、このように盛大に行えますことを心より感謝申し上げます。
 本日、公民館長さん、社会福祉協議会会長さんはじめ、安協、防犯、町内会、子ども会、老人クラブ、婦人会などのみなさまに、お出でいただいたことによって、卒業生たちは、15年間、多くの方々に支えられ、ここまで生きてきたということを実感していると思います。
 本日、本校を卒業しますけれども、これからも地域の方々のご指導を得て、さらに大きく成長してくれることを願っています。
 地域のみなさま、卒業生のこと、なにとぞよろしくお願い申し上げます。

◆さて、卒業生のみなさん、おへそをこちらに向けてください。
 卒業おめでとう。
 きょうは、みなさんにとっても、また、わたしたち、白銀みなみ中の教職員にとっても、3年間の中で、特別な日です。
 これ以上、特別な日はありません。
 今、わたしの胸の中を、いくつかの感情が、行ったり来たりしています。
 その感情の強い順に、3つだけ言います。
 1つ目の感情は、みなさんが、「新しいみなみの歴史を創った卒業生」であるということです。
 わたしが、いつも、言いつづけてきことに、いい学校というのは、これまでの、先人たちの努力を、しっかりと受けとめ、それを自分たちの力で1ミリでも、0.1ミリでもよくして、それを、次の代に伝えていく……こういうカタチが、しっかりしている、くっきりしている、目にみえる、それが、いい学校なんだ……という話をしてきました。
 しかし、これは、ほんとうにむずかしいことです。
 それをみなさんが、「自分たちの力で、いい、みなみ中を創るんだぁ~」と、毎日の授業を通し、生徒会・委員会活動を通し、合唱を通して、がんばってきました。
 そのみなさんの努力と気概に、ま、校長として、こういう言い方をするのは変かもしれませんけど、心を打たれました、感動しました。
 ほんとうによくがんばりました、ほんとうにありがとう……という感情です。


★みなみ中の卒業生であることの喜びと誇りを胸に、さあ、みなみ中生の門出だ

 2つ目の感情は、毎日、つづいた、みなさんの連続ドラマが、きょうで終わるというさびしさです。
 朝、6時55分、チャンネルを「みなみ」に合わせると、玄関には、いつも村岡君がいる、井端君がいる、そのうち、磯島君がやってくる、そして、8時20分になると、各学級から魂の合唱が聞こえてくる。
 これが、いつまでも、つづいていくような気持ちでいたのですが、みなみの連続ドラマも、遂にきょうで終わり……、明日からは、チャンネルを「みなみ」に合わせても、もう玄関に村岡君はいないし、合唱も聞こえてこない。
 こういうさびしさの感情が、わたしの胸の中にあります。

 3つ目の感情は、義務教育終了という、みなさんの、人生の、ひとつの、節目に、こうして、卒業証書が渡せる喜び、および、このおめでたい場所に、みなさんと、みなさんを育ててこられた方々と、地域の方々と、わたしたち教職員とが、いっしょに、こうして、存在できるという喜びです。

◆きょうは、みなさんにお話できる最後の機会です。
 今の3つの感情に、わたしの、最後の念押しとして、もう1つ加えます。

 中学という時代は、育ててくれている人の保護から、人生、独立に向けて、第一歩を踏みだす時期です。
 この「第一歩」に、わたしは、2つのポイントがあると思っています。
 1つは、独立する気持ちはあるんだけれども、まだ実力はありませんから、その一歩一歩は、実に不安定です。
 わたしも覚えがあります。
 気持ちと、現実とが、なかなかかみあいません。
 思い通りになりません。
 だから、いろいろ悩む、迷う。
 毎日、失敗の連続です。
 生きることの意味がわからなくなることも、あったと思います。
 こういう不安定さの中で、友人や親、先生などと魂を交流させる……これが人生にとって大切なんです。
 これが1つのポイントです。

 もう1つのポイントは、こういう不安定さの中から、「よし、わたしはこういて生きていく」「こういう人間になるんだ」、あるいは「こういう仕事をする人間になるんだ」……という決意する。
 わたしは、よく「人生の1段ロケットは中学時代だった」といいますが、この中学のときの決意が、みなさんの一生を一生支えます。
 まとめます。
 中学という時代は、「不安定さ」の中から、一生を支えるエネルギーを獲得する時代です。

 冒頭、「みなみの歴史を創った卒業生」と言いましたけれども、「歴史を創った学年」といわれるくらい、名誉なことことはありません。
 みなさんの創った「歴史」は、今度の3年生に、その次の3年生に、またその次の、またまたその次の……そして、今は、まだ生まれていない、みなみ中生にまで伝わっていきます。
 このことがみなみの力になるとともに、みなみでわたしたちはこんなふうに生きたのだ、こんなふうに歌ったのだ……という自信が、みなさんの新しい世界を拓いてくれるものと信じています。

 みなみ中の卒業生であることの、喜びと誇りを胸に、新たな一歩を、力強く踏みだしてくれることを願い、卒業生へのはなむけのことばとします。

◆最後になりましたが、保護者のみなさま、お子様のご卒業、おめでとうございます。
 お子様たちは、これからの人生、このみなみを精神のふるさと、魂の原点として、「南中生でほんとうによかった」「南中の卒業生であることを誇りに思う」と力強く生き抜いていってくれると信じています。
 3年間、PTA活動、すこやかみなみネット事業などを通して、本校、本校区の教育に参画してくださいましたことに心から感謝申し上げ、卒業生の限りない前途を祝し、わたしの式辞といたします。


落款が完成すると、みなみの桜が満開になります。

2009-03-16 19:43:19 | Weblog

★落款が完成すると、みなみの桜が満開になります!!

◆卒業式・式辞の「減量」。
 昨日、3048字→2497字→2467字……まで減らしていたが、けさ、(1)単語の繰り返しの一方をカット(例=毎日、毎日) (2)似た表現の繰り返しの一方をカット……で、2317字まで。

 住吉大社の太鼓橋の頂点に立ち、目を閉じて深呼吸をしたり、あるいは、夕闇の迫る陸中八木駅にたたずみ、防波堤の突端に点滅する赤い灯標を凝視したりすると、あと100字くらいはなんとかなりそうな気もするが(*^_^*)、現段階では、これ以上は、苦しい。
 ま、これで諒とすることにして、午前中、巻紙にしてパタパタと折る。

 このパタパタを胸ポケットに入れて、あちこち、持ち歩いているうちに、向こう側からこちら側をのぞきこむように「減量」がやってくるのを待つことにする。
 もし「減量」がやってきたら、パタパタの上で修正するつもりだ。
 目標まで、あと117字。

◆志塚Tと、総合文化部をめぐり、学校部活動改革および「改革」を視野にいれた部活動運営について話し合う。

 中学校改革の本丸は、部活動改革だ。
 その部活動改革の突破口が、八戸市の場合、全員強制加入制から任意加入制への転換だ。
 任意加入制にさえ転換すれば、学校・家庭・地域それぞれの教育がバランスのとれた、豊かな教育環境に向けて、一気に改革を進めることができる。
 全員強制加入制では、身動きがとれない。

◆しかし、年度末の保護者アンケートにおいて、「部活動の全員加入制か任意加入制か」についてはたずねたところ、
 全員加入制支持=74%
 任意加入制支持=26%……という結果だった。
 この傾向は、ここ数年、変わっていない。
 もちろん、自由記述欄には、次のような指摘も多い。
 ○部活動が全員強制加入だと聞き驚いている。
 ○やりたい部活動がないのに全員強制加入はおかしい。やりたい人が入る任意加入制を支持する。

◆したがって、現時点では、アンケート結果から、21年度の学校部活動については、現在の体制を維持していく方針である。
 そして、今後、(ひとつの目安として)任意加入制支持が3分の1を超えた段階で、
 ①みなみ学区の実態を見据え、
 ②学校と保護者と地域の方々とで改善・改革の理念を共有しつつ、
 ③具体的な改善・改革の「一歩」を進めたいと考えている。


◆部活動改革に着手する前の、「部活動改革つなぎ3項目」として、部活動運営に際し、次のことに留意している。

(1)学年・学級(学年教員)で、あるいは、部活動(顧問)で、個々の生徒の社会教育活動(学習塾・稽古塾を含む)の実態を、可能な限り把握する。
 そのうえで、個々の生徒の社会教育活動が円滑に行われるように配慮する。

(2)地域で行われる社会教育活動や公的な社会教育活動への参加を奨励する。
 部活動と重なる場合も、各部顧問が、学社コーディネート力を発揮し調整に努める。
 子どもたちは社会教育で、学校教育ではとても育てられない力を獲得する可能性がある。

(3)部活動の休止日については、これまでの通り(①第1・3日曜日 ②他の週については、土・日のいずれかを休止日とする)である。
 長期休業中の土・日は可能な限り休止日とし、生徒はもちろん、教職員自身も自身の家庭や地域で過ごすようにする。
 なお、平成19年度より、月2~3回、平日に「家庭と地域の日」を設定し、「学校部活動のない日」としている。

◆さらに、同年、「部活動改革つなぎ3項目」に、新たに1項目加わえて「つなぎ4項目」となった。
 それは、生徒・保護者の多様な要望への対応・改善策として、これまでの美術部、科学部、IT部を統合した「総合文化部」を開設したことだ。

 現在の活動は、美術・文芸・パソコン(報道・ブログ)・科学などだが、今後、生徒の希望によって、本校顧問の管理のもとに地域・保護者のボランティアの方々に協力してもらい、メニューを増やしていく予定である。(わたしも、文芸担当として活動に加わっている。)
 活動は、原則として、週3日程度(土曜・日曜の活動はなし)。

 「生徒・保護者の多様な要望への対応」には、粗く、2つの方向がある。
 1つは、メニューを豊かにして、さまざまなニーズに応える方向。
 もう1つは、活動日に幅をもたせ、民間社会教育団体を含む社会教育活動との両立を可能にする方向。

 この日、志塚Tとの話し合いの過程で、総合文化部の、もうひとつの、想定外のエフェクトを発見した。
 それは、いってみれば「中継」または「橋渡し」「仲立ち」機能だ。
 あくまでも例としてだが、①ある運動部での活動がうまくいかなくなった生徒が、②その運動部を退部し、総合文化部に入部する。③総合文化部の報道メンバーとして、いろいろな部活動を取材するうちに、④自分がソフトボールに向いていることに気づき、⑤ソフトボール部に正式に入部する。……
 当然、学校部活動と社会教育とのあいだでも、この機能は有効に働く。
 考えてみれば、学校部活動は、ひとつの部活動の継続指導に力を入れ、こういうガイダンス機能は軽く考えてきた経緯がある。

 今後、総合文化部のますますの挑戦に期待したい。


すこやかみなみネット事業推進委員会が開かれた。わたしにとっては、最後の推進委員会だ。

2009-03-15 16:02:37 | Weblog


◆3/13(金)午後6時半から、みなみ中図書室で、すこやかみなみネット事業推進委員会が開かれた。
 わたしにとっては、最後の推進委員会だ。

 資料を準備しているとき、あるいは、会議に参加しているとき、わたしの胸の中を、いくつかの感情が、行ったり来たりした。
 その感情の強い順に、4つだけいうと……(4つ以降は、あとで書くことにする)。

(1)次回の事業推進委員会には、この「わたし」の姿はない……という「意識」

(2)すこやかみなみネットを設立して4年が過ぎたが、設立時、事業を実施するかどうかを話し合う第1回のみなみ小・中PTA合同総務委員会は大紛糾し、こじれにこじれた。
 わたしの力では、どうすることもできなかった。
 それを、設立にこぎつけたのはPTA幹部の人たちだ。
 その人たちの努力で設立することができて、その努力のリレーで、4年間、ここまで継続することができた。

(3)成果として、
 ①PとTの連携・融合が促進した。
 ②小学校と中学校の連携・融合が促進した。
 ③学校(含PTA)と地域の連携・融合が促進した。
 ④地域の諸団体(含学校)の連携・融合が促進した。

(4)もちろん、まだ骨格ができたばかりで、中味はこれからだ。
 PTA内の、なんというか、大きな「温度差」をどう埋めるかという難題も残っている。
 心残りな部分もあるが、ま、「諒とせられよ……」というところだ。
(すこやかみなみネット事業推進委員会の項、つづく)


おい、おい……と言われるかもしれないが、卒業式の式辞は、通常、前日の夕刻に書いている

2009-03-15 15:58:49 | Weblog
★みなみの桜が開花宣言。もうすぐ満開になりますよ。金見さんを中心に、すこやかみなみネット・環境サポータークラブの作業がつづいている。

◆おい、おい……と言われるかもしれないが、卒業式の式辞は、通常、前日の夕刻に書いている。
 前々日(卒業生に卒業アルバム配付)……前日の予行……式場の完成……と、徐々に気分が高まり、また、前日の予行でステージに上がったときに「おお、そろそろ書き始めないと危ない」という不安感が湧いてきた段階で、「さあ、書くぞぉ~!」と一気に書き上げる。

 1ヵ月前、2ヵ月前、あるいは、人によっては3ヵ月前から書き始めるという方もいらっしゃるが(←かつて仕えたわたしの上司にも、そういう方がいたが……)、わたしにはできない。

 「式辞」のことばは、普段、校内を巡回したり、全校朝会・生徒朝会に身をおいたりしているときに、自然に、自分の頭のなかに「発生」「顕現」する。
 それが素に(元に、基に)なって、くりかえしになるが、前々日……前日の予行……式場の完成……と、子どもたちの意識の、いわば昇華・高揚、教職員の意識の昇華・高揚、わたしの昇華・高揚とともに、2400字の式辞になっていくのだ。

 もちろん、結局、わたしの場合も、何ヵ月も前から準備をしているのと同じことだが、わたしの場合は、特に、前々日の、前日の、場合によっては当日の意識を重視するということだし、その意識が文字として定着されていなければいけないと思っている。

◆とはいうものの、前夜の「これ、ひょっとしたら完成しないかも……」という不安感、スリルのプレッシャーは相当なものだ。
 始業式や終業式、修了式の式辞も同じで、やはり前日、あるいは当日の朝に書いて、パタパタと巻紙を折る。
 2年前の修了式の朝、校長室でパタパタと折っていたら、生徒が廊下に整列して、体育館に入場し始めて、大あわてしたことがあった。

 今年は、もう、そのプレッシャーに勝てそうにない。

 それで、まだ前々々日なのに、さっき既に書き上げてしまった(^_-)。

◆卒業式式辞の字数は、例年2400字~2500字だ。
 しかし、これだと、少し急ぎ気味に(汗をかきつつ)語らなければならない。
 で、今年は2200字前後にして、ゆったりと語りたい……という構想だった。

 しかし、書き上げて、字数を調べたら、3048字。
 それを、しぼって、しぼって、2497字に。
 さらに、しぼって、2467字に。
 あと、200字だ。
 なんだか、減量に苦しむボクサーみたいだ。


 


新選組の5年間以上のドラマを創出する!

2009-03-11 18:57:37 | Weblog

★PTA広報委員長(兼PTA副会長)の鎌田さんから、広報紙に使用するみなみ中の画像(みなみ中の校内でもOK、みなみ中から見た風景でもOK)を数枚、わたしがこれまでに撮ったものからピックアップしてほしいという依頼があった。

◆卒業式が近づいたので、朝、過去の卒業式・式辞をチェックしていたら、日付がまったく同じものが2つ出てきた。

 瞬間的に「ああ、どちらかの日付が間違っているのだぁ~。なんということをしてしまったのだろうか? そういえば、(だれもなにも言わなかったが)1回、わたしが式辞を読み終わったあと、会場に妙な空気が流れたことがあった。あのとき、わたしが年月をまちがえたのだ。それで、会場が、あれ? あれ? おい! おい!……という雰囲気になってしまったのだ。」

 2つを見比べているうちに、パタパタと折った巻紙の一方の厚さが、少し薄いことに気づく。
 字数は毎年、同じ量にしているつもりなのだけれど、こういう年もあったのだろうか?
 それに、薄いほうの冒頭が「保護者のご臨席を得まして……」となっている。
 通常、必ず述べるはずの「多数のご来賓……云々」がない。
 おお~、ああ~、すごい精神状態になっていたのだなぁ~。
 自分では気づかなかったけれど(いや、うすうすは気づいていたけど)不安定な状態に陥っていたんだなぁ~……と思いつつ、式辞の冒頭をみると、右下の隅に「縮小版」と記入してある。
 うん?
 「縮小版」とはなにか?

 自分で自分にこの問い発して、数秒後、ある年、午前中の卒業式に出席できず、午後に特設の卒業式をやることになった子どもが1人いて、別な式辞をつくったことを思い出した。
 それが、この「縮小版」だ。
 だから、「保護者のご臨席を得まして……」でいいのだ。
 もちろん、同じ日付でいいのだ。

 悪い夢から覚めたように、かなり、ほっとする自分がいる。(ただし、ほっとしつつ、この「オチ」でいいのか?と自問する。)

◆PTA広報委員長(兼PTA副会長)の鎌田さんから、広報紙に使用するみなみ中の画像(みなみ中の校内でもOK、みなみ中から見た風景でもOK)を数枚、わたしがこれまでに撮ったものからピックアップしてほしいという依頼があった。

 わたしのほうで20枚ほど選び、その中から鎌田さんのほうで4、5枚選んでもらうことにする。
 ハードディスク内の画像をディスプレイ上でチェックしながら、USBメモリーに移動しているうちに、自分のからだが、非日常的な時空間にスリップしていくのがわかった。

 たとえるなら、通常は、バスや自動車を使っている通勤路を、休日の朝、折りたたみ自転車で、ユルユルと走行していく感じだ。
 ほとんど人影がない。
 牛丼屋も、カメラ屋も、シャッターが閉まっている。
 ドトールコーヒーの女性スタッフも、まだ店を開けていない。
 ハナミズキ通りで、道路工事中の交通整理をする男性と目があう。
 車もないし、人も通っていないから、退屈そうに背中を丸めて突っ立っていた。
 「よッ」と声をかけると「おッ」と返ってきた。
 そういうシンと鎮まった街を、孤独に、浮遊していくわたし。

 もう少しいえば、この画像群は、「新選組、函館戦争まで5年」=新選組の5年間以上のドラマを創出する! 教育改革の路線を提示できるのはわたしだ!と、力むわたしの筋肉が、徐々に、徐々に、誕生日のプレゼントにリボンをかける小さな筋肉へと……、眠っている人を起こさないようにそっとドアをしめる細かな筋肉へと……、散らばったオモチャを片づける柔らかい筋肉へと……変化していく象徴だ。

 みなみの風景に感謝している。


 


人と話し合っているうちに、わたし気分が、その人物とのある凍結された過去の時空間に接続しかかることが

2009-03-10 19:32:35 | Weblog

★北校舎3階の1学年フリースペース=わたしの教育哲学空間に掲示された1学年ひとりひとりの決意&ポーチ。

◆人と話し合っているうちに、わたし自身の気分が、その人物との、(あるいは、その人物とは無関係の)ある凍結された過去の時空間に接続しかかることがある。
 たぶん、人によって異なるのだろうが、3月というのは、「凍結された過去の時空間」に「接続しかかる」ことが、多い月だ。

 2004/3/26/午前10時……、わたしは、4月から赴任することが決まった、このみなみ中を訪問し、当時の晴山校長、高橋教頭、前田教務主任から、学校の現状、課題などについて説明を受けた。
 ときどき、隣の職員室から、教師たちの会話がかすかに聞こえてきた。(わたしは校長室と職員室のあいだの扉は常に開けっ放しにするのが流儀だが、そのときは閉まっていた。ま、通常は閉めておくるものだ。)
 その会話の響き(←市の職員とも、病院の職員とも、消防署とも、民間会社とも違う、教職員独特のもの)がなつかしくてなつかしくて、うれしくてうれしくてしかたがなかった。

 その午後、市役所に帰り、社会教育課長席を明けわたすために、机の引き出し・ロッカー等の整理をした。
 書類、冊子は積み上げると1mくらいになったので、4つにわけて荷造り紐で結わえる。
 ファイル、文房具類は小さな段ボール箱に詰め込んだ。
 全部で4個だった。
 それらを午後7時、台車にのせて庁舎の外に運び出す。
 風の強い日だった。 
 市民広場の闇で青年たちがローラーボードにのってターンを繰り返している。
 その向こうに内丸ロータリーを走る自動車のライトが流れていた。
 身体が少しだるい。
 後かたづけや荷造りの疲れとは、別種のだるさだ。

◆2004/3/26から、ほぼ5年が過ぎた。
 今のわたしは、当然、2004/3/26の時空間と連続的に接続された存在だ。
 しかし、この「別種のだるさだ」は、「凍結された過去の時空間」のものだ。

 二伸=①凍結された部分と、「現在」の関係は、もう少し分析が必要。②「だるさ」という身体的なものではなく、「悲しみ」とか「悔い」の場合は、「凍結された過去の時空間」が、現在のエネルギーとして働くこともある。③わたしは、よく「過去を生き直す」というが、この「過去」とは「凍結された過去の時空間」なのか? ここをはっきりさせないと、「過去を生き直す」という手法があやつれない。




ジアース教育新社から、わたしがその一部を執筆した『学校支援地域本部実践事例Navi』が発刊された。

2009-03-10 19:31:31 | Weblog


◆ジアース教育新社から、わたしがその一部を執筆した『学校支援地域本部実践事例Navi』(A4変形判144ページ 定価1,365円(税込) 送料 210円)が発刊された。

 こういう書物(実践事例集)の内容を読むときのポイントは、粗く、3点ある。

(1)学校の教育、家庭の教育、地域の教育、この3者のバランスをよくするようにという理念が明確になっているかどうか?
 学校支援事業だ……学社連携・融合事業だ……協働のまちづくり事業だ……といいながら、学校の教育丸抱え体制がまったく改善されない、あるいは、逆に学校の負担が増加するような事業は、論外だ。
 この論外な事例が、結構、多いから、要注意だ。
 先日も、東京のある中学校が、その地域全体を抱え込んでいるような事例にでくわした。(←絶対にアカン。)

(2)ネットワークの中核エネルギーがどこにあるか?
 あちこちで、もう、耳にタコができまんがなぁ~(*_*)といわれそうなくらい、くりかえし、くりかえし、話していることだが、学校・家庭・地域の個人や団体という、地域の教育を構成する点と点と点……とが連携・融合し、それぞれの立場で、自由に、気軽に参画できる教育システムをつくるためには、学校・家庭・地域の教育を総合的にとらえ、それぞれの活動や、あるいは気持ちや努力を、つながりのあるものにする、中核となるエネルギーが必要だ。
 歩く人が多くなれば、道ができるが、しかし、最初に歩く人がいないと、なにもはじまらない。
 多少の困難はあっても、まず、わたしが歩く、歩きつづけるという「中核」が必要なのだ。
 すばらしい実践の裏には、必ずこの「中核のエネルギー」が存在する。
 その書物が、こういう「中核のエネルギー」にきちんと光を当てているかどうか?
 ただ、きちんと光を当てているからといって、その中核エネルギーが「学校だ」「行政だ」というのでは、お話にならない。
 加えて、「運営のしやすさ」も大きなポイントになるが、ここでは(紙幅のバランスとわたしのエネルギーの関係から)触れない。

(3)その地域の義務教育学校である小学校と中学校が、連携・融合できているかどうか?
 学社(学校教育と社会教育)連携とよくいうが、学校教育である小学校と中学校がきちんと連携できていないと、学社連携はほとんど進まない。
 小学校と社会教育(地域の教育)がうまく結びついているが、中学校はさっぱりだという例がよくある。
 やらないよりはいいと思うが(←いや、はっきりいうと、やらないのと同じ)、労多くして功少なし(せっかく苦労してもそのかいがない)……となるケースが多い。

 なお、わたしに割り当てられたページ数が少なく、やや不満(何十ページも書かせてくれるんやったら書きまっせ、けど……)だったが、思い直した。
 たとえ、割り当てページに不満があったとしても、すこやかみなみネットを支えてくれている、教職員たち、PTA役員たち、地域のリーダーたちの、その一員として、わたしは、がまんして、しっかりと書かなくてはいけないと思い直し、執筆を引き受けた。

 ジアース教育新社『学校支援地域本部実践事例Navi』、機会があれば、ぜひ、読んでいただきたい。


千早と光太郎が、わたしがいなくなっても、とにかく、がんばって、中2まで生きられますように

2009-03-06 19:57:45 | Weblog


◆3/4(水)午後3時30分から、みなみ中の体育館で、2学年立志式が開かれた。
 たくさんの保護者に参列していただいた。

 〈 次 第 〉
・開会のことば
・校長の話
・学年主任の話
・思い出のアルバム
・中学校生活をふりかえって
・立志に向けて(学級代表)
・立志宣言
・立志の歌「COSMOS」
・保護者代表 励ましのことば
・校歌
・閉式のことば

 〈わたしの話〉

 日頃、いつも、いつも、くりかえし、くりかえし、「わたしの人生の1段ロケットは中学2年生のときの決意だった……」といっているわたしからすると、きょうの立志式は、重要な意味をもっていると思っています。

 きょうのわたしのあいさつは2つからできています。

 まず、1つ。
 わたしは身体が弱いので、教師になるときにも、やっとなることができました。
 教師になってからも、そこの労災病院には、何回か入院しました。
 30歳を少し越えた頃には、労災病院で大きな手術をしました。
 手術の時、きのう全校朝会で話をした千早は3歳、光太郎は2歳でした。
 光太郎はまだオムツをつけていました。
 あす、手術というと、千早のことが心配でした。
 光太郎のことが心配でした。
 わたしは、自分自身の人生の1段ロケットのことや、教師としてこれまで接してきた小学生・中学生・高校生たちのことを思い出し……。
 「千早が、わたしがいなくなっても、とにかく、がんばって、中2まで生きられますように」
 「光太郎が、わたしがいなくなっても、とにかく、がんばって、中2まで生きられますように」と祈りました。

 中2まで生きれば、あとは大丈夫だ。
 中2まで生きれば、多少のピンチがあっても、他の人々の力を借りながら、自分の力で、かつ、自分を見失うことなく、しっかりと生きていける……と思ったからです。

 今、みなさんは、その中2です。
 日々の君たちをみていて、ここまでほんとうに立派に育ったと思っています。
 これは、わたしの本心です。
 ほんとうにうれしく思います。
 親御さんもよろこんでいらっしゃると思います。
 また、君たちといっしょに生きたかったけれども、生きることができなかった親御さんも、きょう、こうして胸をはって、しっかりと立っている姿をみて、安心して、心から、よろこんでいらっしゃることと思います。

 ほんとうにおめでとう。
 中2まで生きることができ、今、ここにこうして存在できることを喜び、また、ここまで育ててくれた方々に感謝する1日にしましょう。

 2つ目。
 中2まで生きることができた、さあ、これからどう生きるか?ということです。
 ここまで生きることができたんだから、これからの人生を大切にしよう。
 これから生きる君たちに、3点、述べたい。

(1)まず、今、育ててくれている人にかける心配の量、悲しませる量を減らすこと。逆に、安心してもらう、喜んでもらう量を増やすこと。それから、いつもいうけれども、育ててくれている人にお金を使わせてはいけない。清貧の思想でがんばろう。

(2)中2まで生きればなんとか……といったけど、自分の足で生きようと思ったとき、いろんなピンチが君たちの前に現れるだろう。そのピンチに負けないで、ピンチを乗り越えて生き抜いていくために必要なもの、それは、「わたしはこういう人間になりたい」という夢、「こういう人間になりたい」という決意です。
 この夢と決意があれば、だいじょうぶ。
 きょうは、みなさんの決意を聞きたい。


(3)もう、あと、20何日かで、3年生だ。みなみ中をよろしく頼みたい。悪い学校にするのは、かんたんだ。3日もかからない。しかし、いい学校を創るのは、たいへんだ。規律を正し、よく学び、他のためによく働き、富田会長を中心に、力を合わせて、新しいみなみの歴史を創ってほしい。
 みなさんが創りあげる、新しいみなみが見たいと思っています。

 ここまで立派に育ったことを喜び、感謝し、きょうの立志式を出発点に、未来を力強く生き抜いていってくれることを願い、わたしのあいさつとします。(「わたしの話」以上)



5校、すなわち、2中学校区(人口25000~30000人)という規模でやるメリットはなにもないのか

2009-03-06 19:51:43 | Weblog


◆3/2(月)午後6時半から白銀小を会場に開かれた、5校合同連絡協議会に出席する。
 参集団体は、白銀小、白鴎小、みなみ小、白銀中、みなみ中のPTA会長、副会長(総務委員長)、校長、教頭。
 それに、白銀振興会の会長、事務局長。

 会議の次第は、
 ①当番校PTA会長あいさつ
 ②青少年健全育成上問題となる情報交換
 ③来年度の年間行事の確認
 ④その他
 ⑤当番校校長あいさつ

 5校合同連絡協議会に対する、わたしの考えをアトランダムに書く。

(1)八戸市では、中学校区ごとに、地区公民館(非常勤館長1、非常勤主事3)を設置し、学校・家庭・地域の連携・協働を促す仕組みづくりを進めてきた。
 社会教育と学校教育エリアをぴったりと重ね合わせて教育を構想してきたわけで、わたしは「八戸型教育コミュニティづくり」といっている。
 人口10000人~15000人。
 児童・生徒 1000人。
 教育コミュニティーとしては、最適のエリアだ。

 しかし、5校合同連絡協議会の対象となっているエリアは、2つの中学校区で、この2倍の大きさになる。

(2)わたし自身は、ここしばらく、すこやかみなみネット事業(みなみ中学校区)に傾注し、5校合同、すなわち2中学校区の事業には、強い関心は示してこなかった。
 正直にいうと、耳を貸さない……というか、5校という枠組みを排除する方向で、すこやかみなみネット事業を展開してきた。
 理由は、学校、家庭、各地域団体が教育・子育てに関する課題を持ち寄り、いっしょに話し合い、考えていこうというコミュニケーションの「かたち」をつくるには、1中学校区の規模が最適で、2中学校区になると、どうしても形式的なものになってしまうと考えたからだ。

(3)教育コミュニティづくりは、1中学校区(人口10000人)が最適だという考えは、今も変わっていない。
 5校合同連絡協議会については、内容的には、かなり勉強になる面もある。
 たとえば、情報交換における白銀振興会の発表(無人駅・白銀駅にWCを設置する事業と運営)や、すこやかみなみネット会長の提案(独居老人と中学生の交流)、および、独居老人と中学生の交流にかかわる白銀中の実践発表等々……。
 しかし、具体的な事業展開となると、エリアが大きく、人口も小さな市くらいあるため、どうしても形式的に流れてしまう。
 また、情報交換についても、5校となると、ふだんそれほど密接な交流があるわけではないので、情報を提供する際、情報が一人歩きすることを恐れて、抽象度の高いレベルでの提供となってしまう。これは仕方のないことだと思うが、3/2(月)の会合もこういう傾向にあった。

(4)では、5校、すなわち、2中学校区(人口25000~30000人)という規模でやるメリットはなにもないのかというと、決してそうではない。
 いろいろな事業を、これは1中学校区でやるほうがいいのか? それとも、2中学校でやるほうがいいのか?という観点で、1つ1つ丁寧に考えていくと、2中学校区のメリットも見えてくるはずだ。
 また、2中学校区でやる場合も、
 ①同じことを別々にやる。
 ②同じことを分担してやる。
 ③同じことを融合してやる……等、いろいろなパターンが考えられるので、もっとも効果的な方法を選択するといい。(きょうはこれで終わるが、「5校合同連絡協議会」については、これからも継続して記述していく。)


 


おまえから、字数制限と、職務上の立場を削除したら、いったい、なにが残ると思とんねん?

2009-03-06 19:49:12 | Weblog


◆きょう、午前中で、先日、話をしていた、怒濤の「締め切り原稿7連発」のうち、残していた2つの原稿=①研修収録用原稿(A4×8枚) ②職員室通信原稿 A4×2枚……を脱稿。
 脱稿後、もぬけの殻にならないように(要するに、放電しながら充電するように)注意しながら原稿を書いたつもりだが、やっぱり放電の量のほうが多かったみたいで、疲れて果てた犬のように、はあーはあーやっている。

 「もぬけの殻にならないように」という裏には、①この勢いで引きつづき書きつづけるのだ……という気持ちか、あるいは、②これはほんとうにやりたいことではない。やりたいことは別にあるのだから、この程度でもぬけの殻になっているわけにはいかない……という気持ちか、どちらかがあるわけで、ま、どちらだろうか?……と考えると、ま、半々だ(;^_^A (^-^; 。

 怒濤の7連発のテーマは、すべて、わたしのライフワークだ。
 だから、心底、気合いをいれて書いている。
 なのに、若干、「ほんとうにやりたいことは……」と思ってしまうのは、たぶん、A4版3枚とか、読み上げたら5分間分とかという字数制限や、加えて、職務上の立場という条件と足かせがあるからだろう。

 「おまえから、字数制限と、職務上の立場を削除したら、いったい、なにが残ると思とんねん?……アホか……」という声が、自分のうちから聞こえてくる。

 怒濤の7連発執筆をやりながら、この期間(2/28~3/4)は、よく歩いている(←校内を歩くのは、重要な職務だから)。
 歩数計をみると(←1週間分を保存する機能がある)
 2/27(金)=10704歩
 3/02(月)=10089歩
 3/03(火)=12084歩
 3/04(水)=11384歩(わたしの防備録として(^_-))


 


任意加入制支持が3分の1を超えた段階で①実態を見据え②学社で理念を共有しつつ③改革の一歩を進めたい

2009-03-03 20:17:23 | Weblog

◆学校通信「すこやかみなみネット通信3月号」では、2月号につづき、保護者を対象に実施した「アンケート結果」について記述した。
 ここで、一部を紹介することにする。

◆2月号につづき、今月も、保護者のみなさまを対象に実施した「アンケート結果」についてお話しします。
 まず、部活動の時間について。


      〈17年〉 〈18年〉 〈19年〉 〈今年度〉
 ちょうどよい=76%→77%→72%→75%
 やりすぎる = 9%→13%→14%→15%
 もう少しやれ= 9%→ 8%→10%→ 6%
 もっとやれ = 6%→ 2%→ 4%→ 4%

 この結果をみると、今のやり方をおおむねご理解・ご支援いただいているようです。
 ただ「やりすぎる」という声が年々、増えています。
 自由記述欄から、数が多い順にピックアップします。
 ○冬場はもう少し早く終了してほしい。たとえば、5時か5時半くらいにできないでしょうか?
 ○土・日の活動は、現在の半分くらいに抑えてほしい。
 ○平日に部活動のない日を設けてほしい。
 ○部活動で疲れて、家庭学習に影響している。

 活動量については、本校では、学習活動とのバランス、あるいは、家庭・地域とのバランスという観点から、相当な覚悟で、適切な管理をめざしているつもりですが、冬期間の下校時の安全という点については、再度、検討が必要だと考えています。

◆部活動の全員加入制か任意加入制かについては、全員加入制支持=74% 任意加入制支持=26%という結果でした。
 この傾向は、ここ数年、変わっていません。
 ただし、自由記述欄には、次のような指摘もあります。
 ○部活動が全員強制加入だと聞き驚いている。
 ○やりたい部活動がないのに全員強制加入はおかしい。やりたい人が加入する任意加入制を支持する。

 この問題については、国レベルでもこれまでたびたび議論されています。
 中央教育審議会の答申は、部活動について、学校が「全ての子どもにその参加を義務づけ画一的に活動を強制したり、勝利至上主義的な考え方から長時間の活動を強制するようなあり方は改善を図る必要がある」と指摘しています。
 本校でも、PTA総会の席上、あるいは、本紙でも、話題提供しつづけている問題です。
 日本の中学校教育の改革(上記でも述べた「学校・家庭・地域の教育のバランス」)を考えるとき、また、部活動の数についても、生徒数が減少し(それに伴い教職員数が削減され)、減ることはあっても増やすということが考えにくい状況では、避けて通れない問題だと考えています。
 現時点では、アンケート結果(全員加入制支持=74%)などから、21年度の学校部活動については、現在の体制を維持していく方針です。
 しかし、今後、(ひとつの目安として)任意加入制支持が3分の1を超えた段階で、①みなみ学区の実態を見据え、②学校と保護者と地域の方々とで改善・改革の理念を共有しつつ、③具体的な改善・改革の「一歩」を進めたいと考えています。
 なにとぞ、ご理解たまわりますよう、お願い申し上げます。

◆なお、部活動を運営する際、みなみ中では次のことに留意しています。
(1)学年・学級(学年教員)で、あるいは、部活動(顧問)で、個々の生徒の社会教育活動(学習塾・稽古塾を含む)の実態を、可能な限り把握する。そのうえで、個々の生徒の社会教育活動が円滑に行われるように配慮する。
(2)地域で行われる社会教育活動や公的な社会教育活動への参加を奨励する。部活動と重なる場合も、各部顧問が、学社コーディネート力を発揮し調整に努める。子どもたちは社会教育で、学校教育ではとても育てられない力を獲得する可能性がある。
(3)部活動の休止日については、これまでの通り(①第1・3日曜日 ②他の週については、土・日のいずれかを休止日とする)である。長期休業中の土・日は可能な限り休止日とし、生徒はもちろん、教職員自身も自身の家庭や地域で過ごすようにする。
(4)生徒の多様な要望への対応・改善策として、現在、総合文化部(学芸科学)を開設している。
 現在の活動は、文芸・パソコン(報道・ブログ)・科学などだが、今後、生徒の希望によって、本校顧問の監督のもとに地域・保護者のボランティアの方々に協力していただき、メニューを増やしていく予定である。
 活動は、原則として、週3日程度(土曜・日曜の活動はなし)となっている。(「部活動運営の留意点」以上)

◆すこやかみなみネット事業については、知っている=95%と、広く周知されるようになりました。
 自由記述欄には、①安全パトロールや平成の寺子屋(みなみ公民館)など、地域諸団体の活動、あるいは、率先して活動しているPTA役員などに対する感謝の声 ②「核家族が多い中、地域の人たちとの連携活動は大切だ」という支持の声が多く寄せられています。
 また、今後、「活動しているのは知っているが、なかなか参加できないので、保護者がたくさん集まる機会を利用して事業を展開してはどうか」という提案もいただいています。

 すこやかみなみネット事業は、白銀南小・白銀南中のPTAが主体となり、小学校と中学校の連携・融合を軸に、学校・家庭および地域の関係諸団体とのあいだにネットワークを形成するものです。
(1)息の長い活動にするため、優れた維持・継続力をもつPTAを中核エネルギーにしています。
 青少年健全育成をめざす教育コミュニティづくりは、やはり子どもの親であるPTAが中核エネルギーになるべきだと考えたからです。
 加えて①PTA会員は、子どもの保護者であり、かつ地域の住民であるから、PTAの存在自体が既にネットワークであること、②毎年ほぼ「自動的」に30代~40代の会員を獲得できる人材の宝庫であること、③組織の維持・継続のシステムが優れていて、リーダーから次のリーダーへという人のつながりが形成しやすいこと、といった強みがあるからです。

(2)ネットワーク全体を、①企画・運営グループと②連携・協働グループに分け、それぞれの立場から、気軽に自由に参加・参画できる、ゆるやかな関係づくりをめざしています。
 すこやかみなみネットは、人口11000人以上の地域(大久保・白銀台・岬台)の数多くの団体を構成メンバーにしていますから、なんでも全員参加方式では身動きがとれません。
 そこで、思いきって、ネットワーク全体を、①企画・運営グループと②連携・協働グループに分けて活動しています。
 ①「企画・運営グループ」は、小・中学校PTA役員から構成される「すこやかみなみネット事業推進委員会」で、すこやかみなみネットの運営に関して、ほとんどすべてを検討します。
 メンバーは、小・中PTAの会長・副会長等役員と事業内容に関連のあるPTA実行委員会委員長、小・中学校の校長、教頭、教務主任、すこやかみなみネット担当教職員等で約30名、年間5回開催。
 ②「連携・協働グループ」は、保育園・幼稚園から、町内会・公民館・交番・保護司・安全協会・防犯協会等、PTA以外の構成メンバー。
 このように2つのグループに分けることにより、それぞれの立場から、気軽に自由に参加・参画できる、いわばゆるやかな関係としてのネットワークを維持しています。

 ですから、すこやかみなみネットは、2つの気概で支えられていることになります。
 1つは、PTAの「地域の子どもは地域で育てる。その中心は子どもの親であるPTAが担うべきだ」という気概です。
 もう1つは、この気概を支え、応援する地域諸団体の「地域をあげて教育コミュニティづくりに取り組もう」という気概です。

 設立して4年目。各地域団体が教育・子育てに関する課題を持ち寄り、いっしょに話し合い、考えていこうというコミュニケーションの形が徐々にできつつあります。


リアスの海岸に/ハマナスの/花くれないに/咲くを見よ

2009-03-03 20:09:28 | Weblog


◆2/28からスタートした、締め切り原稿7連発のうち、きょうまでに5つ完成。
 あと2つだ。
(1)研修収録用原稿 A4×8枚
(2)職員室通信原稿 A4×2枚
 食事のとき、好きな料理を先に食べるタイプと、後に残すタイプがあるが、わたしは後に残すタイプのようだ。
 いちばん書きたいものが、この2つだ。
 よく、既に満腹というか、書きつづけるエネルギーが尽きてしまう……ということがあるのだが、今回は、(1)も(2)も、原稿の部分、部分が出来ていて、あとは、組み立てるだけなのだ。
 組み立てるだけ、編集するだけ……という余裕があり、スペースも十分というようなときは、やはり、いい原稿になることが多い。
 佐藤公一研修主任にお願いして、締め切りを3/6(金)にしてもらう。
 あすの参観日が終わったら、しゃかりきになって書くつもりだ。

◆3/1は、岩手県立種市高等学校の卒業式に出席した。
 みなみを卒業後、1人で入学し、1人で登校しつづけた生徒がいるので、どうしても式場に自分の身を置き、祝福したかった。
 卒業生名簿をみると、種市、宿戸、野田、角浜、中野、侍浜、城内……など、岩手県内の出身中学校が並ぶなかに、みなみの校名と彼の氏名があった。
 式中、来賓紹介のとき、卒業生、保護者に対し、わたしが直接、お祝いのことばを述べる光栄に浴した。

 校歌の作曲者は安藤睦夫氏(「北上夜曲」の作曲者)。

 〈リアスの海岸に/ハマナスの/花くれないに/咲くを見よ♪〉

 目をつむって聴くと、闇夜にみなみに向かって銀河が一筋キラキラと懸かるのが見えた。
 退場のとき、後輩に胴上げされる彼の身体が宙に舞ったとき、熱いものがこみあげた。

 おめでとう。