職員室通信・600字の教育学

小高進の職員室通信 ①教育コミュニティ編 ②教師の授業修業編 ③日常行事編 ④主任会トピックス編 ⑤あれこれ特集記事編

鬼丸にて

2009-04-28 17:08:15 | Weblog


◆古書店の道路側の障子は、よく開けるし、開けっ放しにしていることもあるが、隣家側はめったに開けない。
 開けたところが、隣家の玄関だということもある。
 しかし、それ以上に、障子の向こう側の風景を、想像の、ある意味では、創造の領域にしておきたいからだ。
 障子を開ける。
 すると、そこは青春時代の大阪の街だったり、岩木山の端麗なシルエットだったり、また、根岸時代の小田八幡宮の幟がはためく光景だったりするわけだ。
 明け方、障子に光が差してくると、学生時代の下宿にいる気分になれる。

 そんなわけで、ほとんど閉じっぱなしの窓の外に、こういうつるが伸び、からまっていることに気づいたのは3月の中頃?だった。
 そのときはまだ、草花の、ほっそりとした、たとえばアサガオのつる、ツタのつるという感じでとらえていた。
 みなみ退場のバタバタを経て、昨日、窓の外側にまわってみて驚いた。
 先端は軒に届きそうだ。
 太いつるが、無線アンテナのケーブル、インターネットのケーブル、ケーブルTVのケーブルにがっちりとからまっている。
 雨樋にもからまっている。

☆ところで、これは、いったい何のつるでしょうか?
 ご存じの方がいらっしゃいましたら、教えてください。
 よろしくお願いします。

 蟄居しているうちに、こういうつるで、覆われて身動きとれなくなってしまうというのも悪くないけれども……。

◆わたしの「退場」のセレモニーについては、企画してくださる方々のご厚意には心から感謝しつつも、変わり者らしく、すべてお断りしている。
 ただし、教え子たちの企画してくれるものには、すべて出席している。
 4/26(日)午後6時から鬼丸で、根岸時代の教え子たちが、退場セレモニーを開いてくれた。
 2、3名をのぞいて、かれこれ、いや、かれこれではない……、指を折って正確に数えよう……と、ポキポキやると、32年ぶりだ。
 「でも、わたしは、学級担任だった子どもたちの顔はきっちり脳裏に刻んでいる。刻み込まれている。だから、だれかわからないというようなことは絶対にない」と思って、靴をぬぎ、ふすまを開けて、鬼丸の座敷に一歩踏み込み、テーブルを囲んでいる顔、顔、顔……を見渡すと、知らない人たちばかりいる。
 ○道君は、会いたくて会いたくてしようがなかった○道君だとわかるまで、2分かかった。
 中○君は、2分どころではない。
 はじめ、塚○君か?と思っていたが、違う。
 2分、3分、4分……上まぶたのかすかな動きで、遂に、これも会いたくて会いたくてどうしているだろう? どうしているだろう?と思っていた中○君だとわかる。
 わたしが「あぁぁっ、中○君だぁ!」と言ったのを聞いて、中○君の隣に座っていた○家君が「えっ、おまえ、中っちか? ええ? ああ、中っちぃぃ~ぃぃ~ぃぃ!」と抱きついていったくらいだ。

 企画者の○海さんから花束をもらい、短くあいさつする。

〈あいさつの要旨〉
①あなたたちの担任だったときは26歳だった。26歳の彼が、今、ここに来て、40代半ばのみなさんにこうして囲まれたら、きっと、緊張して、緊張して、萎縮して、萎縮して、ちっちゃくなってしまうだろう。……実は、今のわたしの気持ちは、その26歳の彼の気持ちと同じだ。緊張して、萎縮して、ちっちゃくなっている。

②長い教職生活の中で、世知もない、邪念もない、したがって、バランスも悪い……そんな、ある意味で「超純粋なパワー」を爆発させたというのは、ほんとうに限られた期間しかない。それが根岸時代だった。そんな「パワー」に直面しなければならなかった、みなさんには、ほんとうに、いい迷惑だったと思う。どんな角度から思い返しても、はずかしいし、もうしわけない。けど、……根岸時代は、わたしの人生の原点だ。魂の帰る場所・時代だ。

③きょうのこの場を人生のひとつの区切り……かといって、これからのちの人生10年とか20年とかと想定しているわけではない……運がよければ、あと4年、ま、願わくは2、3年……だが、そのひとつの重要な区切りにしたい。ほんとうに、きょうは、どうもありがとう。(「あいさつの要旨」以上)

 できれば、ゆっくりと、ひとりひとりの身の上、historyが聞きたかったが、限られた時間だったので果たせなかった。

◆なお、今回、企画してくれた○海さんに宛てて、10年前に書いた手紙の下書きが、手元(ハードディスク内)にある。
 根岸時代へのわたしの気持ちがよく書かれていると思うので、さしさわりのある箇所はすべてカットして、ここにアップする。(きっと、○海さんもゆるしてくれると思うので……。)

〈1999年 ○海様へ〉
拝啓 あなたの第二弾の〈追伸〉の中に〈小6の時、先生から来た年賀状の末尾に「この続きとして②③があります」と言っていたのに、続きは来ませんでした〉とありましたが、今度はその②を、あなたの第二弾が届く前に投函完了していたことで、ホッ!とすると同時に、「私は23年前にも既に〈②……③……〉とやる癖があったのだったか……。そうだとすると、23年ぶりに出した葉書は、①ではなく②だったのだ……」と、いささかの感慨を催さざるを得ませんでした。
 あなたが家に遊びに来たときのことはよく覚えています。
 わたしも、③か④か⑤に書くつもりでいたのですが、先にあなたに書かれてしまいました。
 何をして遊んだのかは忘れてしまいましたが、めちゃくちゃおもしろかったことと、遊びに来た人たちが家が壊れてしまいそうなくらいドンドンやったことは覚えています。
 根岸小(正確には、その周辺)には、ここ10数年くらい、おそらく毎年1回程度は、訪ねていると思います。
 どうして訪ねていくのかは自分でもはっきりしないのですが、身過ぎ世過ぎの生活に明け暮れているうちに、胸の裡で「根岸に行きたい、あのグランドの隅で1人で座ってみたい」という気持ちがだんだん膨らんできます。
 1年に1回ほど、ほんとうに不思議なのですが、必ずそういう気持ちになります。
 校舎は変わってしまいましたが、グランドはわたしたちがいたときと同じです。
 訪ねる理由を、これまでは深く考えなかったのですが、今、こうしてあなたにお便りしながら、自分の内心に問うてみると、たぶん、あのグランドの片隅に佇んでいると、あなたたちといっしょに根岸小にいた2年間、別れた後の1年間、その後の、根城中4年間、白銀中4年間、大館中9年間、鮫中3年間、是川中1年と6ヶ月間……というふうに経過していった時間、その中には、あなたも同じだと思いますが、結婚とか、失意の転勤とか、愛する人の死とか、別れとか、まさしく人生いろいろあったわけですが、その経過した時計の刻まれる音が、他にも聞こえる場所はあるのだけれども、わたしにはやはり根岸がいちばん聞こえる……ということになるのでしょうか?(まだ、ほんとうのところは、よくわかりません。④⑤⑥……ともう少し深く、また角度を変えて考えてみることにします。)
 未熟な教師であったけれど、私にとって根岸という小学校は特別な場所です。
 どう「特別」なのかは、今は置いておくことにしても……、したがって、あなたたちは特別な人です。
 そのあなたからお便りをもらったり、またそのお便りの中に〈…………さん〉〈…………さん〉〈…………さん〉〈…………さん〉などの名前があるのは、教育がわたしの人生だと考えているわたしにとって、これこそ人生の至福というべきでしょう。
 ついでにいうと、初詣はずっと小田八幡宮に参拝しています。
 それから、「もし明日死ぬとして、最後に何が食べたいか?」と聞かれたら、(逸見というガンで死んだアナウンサーは放送局前のソバ屋さんでしたが、わたしは)迷わず「ドライブインさつきの豚カツを食べながらビールが飲みたい」と答えます(苦笑)。
 「さつき」というのは、小田の信号の近くにあったお店です。
 今でもあるのでしょうか?
 いつも行きたいと思っているのですが、なかなか行けません。
 きょうはこれで一旦ストップすることにします。(「○海さん宛の手紙」の引用・抜粋以上)


本日、午前11時過ぎ(推定)、ホームページに設置してあるカウンターが、400000を突破した

2009-04-25 14:54:50 | Weblog


◆本日、午前11時過ぎ(推定)、このホームページに設置してあるカウンターが、400000を突破した。

 昨夕、399893だったので、①「あす(4/25)の夕刻、400000になりそうだ」と予測し、②「できれば、自分自身の手でクリックしたい((((*ToT*)†~~~」と考えていたのだけれども、予想よりかなり早まり、昼前、「ひょっとして……」とのぞいてみたら、既に400007になっていた。

 カウンターの数字というのは、設定の仕方しだいでどうにでもなる(例=わたし自身のアクセスを除外するとか、二重カウントを防止するとか……。ちなみに、本カウンターは、自分自身のクリックも記録するし、同じ人が100回クリックしても記録するというかなりいい加減、ある意味でスゴク敏感……)ので、100000だとか、200000だとか、あるいは1000000だとかに対して、もともと特別な感慨はもっていない。

 しかし、この400000は別だ。
 別だという理由は、粗く、3つある。


★散歩の途中に光龍寺に寄る。


(1)みなみに赴任したときに、0。
 記念すべき「1」は、もちろん、わたしがクリックした(● ̄▽ ̄●;)。
 当時は、1日約30クリック、1ヵ月で1000クリックになるかならないかで、HN「みなみ中1年」という生徒(←現東高3年)のカキコミに感激し、「ああ、みなみに赴任できてよかった」と思ったことを覚えている。
 この1→100→1000→10000……と、積み重なったトータルが400000だ。
 コツコツと積み重ねていく経験があまりないわたしは、この積み重ね、累積の量に感激している。

(2)ある頃から、このカウンターは、もしかすると、わたしのみなみ退場前後に400000を記録するのではないか?……だとすれば、400000をひとつのしめくくりにして、そこからまた新たに「自己の(時間軸上の)アイデンティティへの義務」を果たすために、蟄居し、孤独に耐え、自らを鍛えていこう……と考えていた。

(3)3つ目は、カウンター0→400000のあいだに、自分が変容している。
 この「変容」は、わたし自身だけが気づいていることだと思う。
 ま、もしかしたら、世の中は不思議がいっぱいだから、他にも気づいている人がいるかもしれない。
 この「変容」を、またいつものように、グネグネと説明すると……。

 「変容前」をチェックしようと、過去の記述を開いたら、たまたま、ほんとうに、たまたま開いた箇所がある。
 それを引用する。

〈1999(平成11年)2月10日〉
 お正月からずっと重荷になっていた「課題作文」がだいたい終了した。
 ①『文集はちのへ』巻頭挨拶
 ②校長会誌『木鶏』原稿
 ③木彫展ポスター原稿
 ④木彫展しおり挨拶
 ⑤新入生保護者説明会レジメ原稿
 ⑥是川中実践集録巻頭挨拶
 ⑦中国研実践集録巻頭挨拶
 ⑧デーリー東北読書感想文審査総評
 ⑨市連P広報誌原稿
 ⑩是川中PTA広報誌原稿
 K〈国語を語る会〉案内の挨拶……。
 特に①②④⑧が、胃が変になるくらいきつかった。
 それに読書感想文課題図書の読破も。
 終わり頃になって1つ重要な発見があった。
 「⑩」の原稿を書いているとき『文学界』が届けられた。
 ちらっと巻頭の随筆(高橋源一郎など)を読み、自分の文章レベルが素人っぽいということを思い知らされた。
 きっと、連日、自分の文章と向かい合い、目が自分の文章に慣れていたから、それがわかったのだと思う。
 今後、徹底して修業しようと思っている。
 その1つの修業の場が『通信』だ。
 これまでのように短文で済ませ、口頭で補足するというレジメではなく、きちんとした文章で書くようにする。
 今のB4版(B5×2)でも、戸来Tのように、もっと短く、できればB5版1枚にしてほしいという人もいるが、そういう人のためには、重要なところを太字で強調すればいいのだ
 レジメで一生を終わりたくない。
 レジメをいくら書いたって、自分を鍛えることにはならない。
 最後に、正直に一言。
 ①②④⑦⑧について、だれか一人でも誉めてくれる人があればいいなぁ~。(引用以上)


★散歩の途中に新羅神社の桜

 この記述は、2000年~2003年の市教委時代を経て、2004年のみなみ時代のスタートに接続する。
 2004年のカウンター0→400000のあいだに、「その1つの修業の場が『通信』だ。これまでのように短文で済ませ、口頭で補足するというレジメではなく、きちんとした文章で書くようにする」ということについて、1ミリ、いや、2ミリくらい、前進している。
 たった2ミリだけれども、この「前進」がうれしい。
 この「前進」の象徴が、400000なのだ。

◆これを契機に、カウンターをリセットして0にしようとしたのだが、そういうことができるしくみにはなっていないようだ。
 GOOのブログは、閲覧PV・訪問IPともに0に設定する。


わたしの退場ミュージックは銭形平次

2009-04-23 18:55:13 | Weblog

★本日の天気。昼の12時の時点で、曇り、気温9℃、湿度64%、降水量0mm/h、西の風・風速14m/s。こんな想定外の、天気がつづき、憂鬱だ。(根城城址にて)

◆S様

 先日の宴会ではたいへんお世話になりました。
 S様が、わたしの退場ミュージック(←これは、実際には、わたしが中座してしまったため実現しなかったわけですが……)を用意してくださっていたということを聞きました。
 そして、そのミュージックが「銭形平次」だったと聞き、①S様の誠のこもったお心遣いと、同時に、②「銭形平次」と聞いただけで、稲妻に打たれたように、自分のこれまでの人生と、今後の人生(ま、2、3年、運がよければ4、5年を想定)の光景がピカッと照らし出されてしまう自分に、大ショックを受けています(* ̄∇ ̄*)エヘヘ。

 要するに、ホンマに、ホンマに、(o^o^o)あ(o^-^o)り(o^o^o) が(o^O^o)と(o^.^o)うございました。

◆大川橋蔵演じる「橋蔵平次」。
 一話完結で888回の番組が作られています。
 毎週毎週、場末の小劇場の座付作者が、せっせと書き続けるというイメージです。
 あの、子分ガラッ八の「親分、てって、てぇへんだァ!」→「万吉親分の妨害」→ラスト「銭が飛ぶ」の型(パターン)に嵌めて、パンパンと押し出す。
 書きつづける。
 書くことによってのみ前に進む。
 書くことだけが人生だ。
 この感じにずっとあこがれています。
 原作者の野村胡堂は全383編、シナリオは(書いた人は、おそらく複数でしょうが)888回、そのトータルの象徴としての「胡堂」と競争したいと思っています。(「S氏へのメール」後略)

◆S氏へのメールと関連して、自分の古い記述(といっても、ここ5年間分くらい=約200万字、原稿用紙にして5000枚分)を「胡堂」という語で検索をかけたら…………次のような記述が出てきた。

 午前中、「職員室通信」〈前田Tの授業(5/11・2年1組技術)〉が完成した。
 こういう「授業記録」……というより「作品」を、野村胡堂が銭形平次を次から次に書きつづけたように、わたしも、一心不乱に、愚直に、勤勉に、書きつづけたい。
 いや、「作品」というから、話がややこしくなる。

 教卓から生徒に語りかける今田T……。
 試験問題の解説をする松坂T……。
 合唱を指揮する本田T……。
 黒板に数式を書きこむ森T……たちの授業行為を、新聞記者や放送記者がニュース原稿を書くように、どんどん記述していくのだ。

 具体的な毎日の「授業」を記述することによって(教育を考え、教育の問題を解くことによって)一歩ずつ前に進んでいく。
 わたしには、もうこの方法しか残されていないし、また同時に、これはわたしにしかできない仕事なのだ。

 ただ、課題がある。
 スピードだ。
 新聞記者が朝刊に間に合わせるためにせっせと書くように、ひとつひとつをもっと速くつくりあげたい。
 そのために、胡堂の銭形平次が、「親分、てっ、てっ、てぇ~へんだぁ」ではじまり、平次の銭が飛んでおわるような(ま、そんなに単純な問題ではないが)型がほしい。
 その型に、50分間の授業の塊を流しこんで、どんどん量産しようともくろんでいる。

 これ以外にわたしの存在の意味はない。

 もちろん、これに、わたしの、もうひとつのライフワークである「学社連携・融合」も加えるつもりだ。
 優れた「学社連携・融合」実践への取材をつづける。
 これは当然、現在、PTAの方々と展開している「すこやかみなみネット事業」をよりしっかりしたものにするために役立つだろうし、加えて、地域内にとどまっている優れた実践を他地域に転移させることになる。(「過去の記述の引用」以上)

 リンク

◆S氏へのメールのあと、「古い記述」を、長々と引用したが、要するに、これが、現在、わたしの魂が、さまよっているエリアだ。
 先日「悔い返し」といったのも、このエリアだ。

 今後の「戦略」&「戦術」については、ここに書いてしまえば、結局、自分がいちばんきらっている「作法(=ものの作り方。例「小説作法」)」を語ることになってしまう(←なぜ、きらっているのかというと、「作法」を語っているヒマがあったら、さっさと作れ!ということになるから……)ので、やめる((^┰^))。

◆本日の天気。
 昼の12時の時点で、曇り、気温9℃、湿度64%、降水量0mm/h、西の風・風速14m/s

 こんな想定外の、天気がつづき、憂鬱だ。

 そこで、けさは、思いきって、近くの(といっても数㎞はある……)朝風呂にいく。


 これは飲泉所だろうか?(わからない)と思って、手で触れてみると、お湯。
 たった、これだけで、非日常的な豊かさを感じ、……おお、よし、ここで沈潜してみようと思いう気持ちになった。
 平日の午前6時過ぎだから、すいていて、ガランとしている。
 朝風呂が大好きだという人は、きっともっと早く、午前5時というとやってきて、もう帰ってしまったあとなのだろう。
 お湯は、通の解説を借用すると、無色透明,微温泉臭,弱塩味,ぬるめ,多少あわつきあり,かけ流し。
 1階に湯船が5つ(そのうち1つは水風呂)。
 4つのうち、いちばん奥の、「ひばの湯」というところが、完全、源泉かけ流しで、38.5℃。
 ぬるいお湯が大好きなわたしには最高だ。
 約2時間、瞑想し、ときどき、上記の「銭形平次」のことを考える。


平成20年度交通安全功労賞。遠慮なくいただき、わたしの人生のtreasure&decorationに

2009-04-21 19:41:48 | Weblog


◆午後、八戸地区交通安全協会から、第60回平成20年度交通安全功労賞をいただく。
 すこやかみなみネット事業で、大久保地区交通安全協会・岬白銀台地区交通安全協会・みなみ小中PTA・みなみ中生徒会……等との間に、新しい結びつきを創り出し、交通安全活動に関する連携・融合活動を推進したことを評価してくださったものと思っている。
 すこやかみなみネットの会長がもらうべき賞かもしれないが、せっかくだから、すこやかみなみネット事業推進委員会のメンバーの1人として、遠慮なくいただき、わたしの人生のtreasure&decorationとすることにする。
 ほんとうにありがとうございます。

◆このすこやかみなみネットについては、今後も、①すこやかみなみネットを研究する ②すこやかみなみネット事業推進に関する、わたしの戦略&戦術を分析する……という2つの方向で記述をつづけたいと考えている。

 せっかくの機会だから、今、上記の①に関して、「今後の課題」として思いつくものを、いくつか列挙したい。
 こうして、軽く「列挙」しておくことが、次の研究につながっていくだろう。

(1)地域の諸団体は、もともと他との違いをエネルギーにしていて、必ずしも連携を前提にしているわけではない。
 ある意味では、学校も同じことがいえる。
 だから、すこやかみなみネットには、専門分野に特化した地域団体とは別に、連携そのものを目的にして、それを安定・継続させるという役割が求められていると思う。
 具体的にいうと、次の4つの役割だ。
 ①情報交換と連絡調整
 ②学校・家庭・地域間の連携・協働の調整
 ③小・中学校の連携・融合の調整
 ④連携・協働の安定と継続のための調整
 すこやかみなみネット事業に関連して結成されたPTAのOB・OG会と力をあわせて、今後いっそうのコーディネート力が期待される。

(2)日本の教育は一般的にいって、学校が教育を丸抱えする傾向にあるといわれる。
 このことが教育の危機を増大させているのだという強い認識が必要である。
 みなみ学区においては、学校・家庭・地域の教育のバランスはかなり改善されているが、中学生の教育課程外活動(部活動等)については、まだまだ課題を残し、ある意味では「学校の教育丸抱え体制」に近い状態であるといえる。
 これを改めるため、学校自身がもっとリーダーシップを発揮し、地域と連携を深めつつ、ダムの水を徐々に放流するように、アウトソーシング計画をもつことが喫緊の課題である。

(3)PTAを中核にしてネットワーク活動をスタートさせる時、PTAには反対の声が多くあった。
 具体的に主な3点だけあげる。
 ①役員会の回数が増えるのは負担だ。
 ②小・中学校のどちらが音頭を取るのか
 ③地域の団体との交流はプレッシャーだ……。
 この多くは、これまでの活動を通して解消できたが、PTA役員と一般会員のパイプをどう太くするかという大きな課題が残されている。
 むずかしい課題だが、これまでの取り組みのなかに、新しいステージへのヒントが隠されているように思う。

(4)すこやかみなみネットのターゲットは「子どもの健全育成・安全確保」に限定している。
 諸団体が合意しやすいテーマだし、あまり広げないほうが取り組みやすいからである。
 このターゲットを変えるとネットワークの質が変わる。
 ただし、これはよほど慎重にやらないと、ネットワークが一瞬のうちに崩壊してしまう恐れもある。
 こういう恐れを乗り越えて、学校の「アウトソーシング計画」等が、やがてターゲットになる日を夢見ている。
 学校、家庭、地域の教育のバランスがよくなれば、日本の教育はまだまだよくなる。
 しかし、バランスが悪いままだと、どんな施策を打ち出してもなかなか効果があがらないからだ。(今、思いつく、「すこやかみなみネットの課題」以上)


このバタバタにたどり着くまでに、思えば、ずいぶん長い時間を要している……ということをいいたいのだ

2009-04-21 18:01:40 | Weblog

★2009/3/25の給食。みなみ中の平成20年度最後の給食。わたしにとっては教師人生最後の給食。1年1組の西塚Tが「いっしょに食べましょう」と誘ってくれた。精神がとろけるような至福時間。撮影は志塚T。

◆昨日の、このスペースで、「時間が少しできたからといって、立派に語ろう……などと思ったら大間違いだ。必ず落とし穴に落ちる!(^^)!。わたしは、これ以上でもないし、これ以下でもない。このバタバタとした作調でたくさんなのだ」というようなことを書いた。
 くわえて、もう一言、言いたいことがあったのだが、流れからは、なかなか言いにくいので、やめた。

 それは、なにかというと、この「バタバタ」にたどり着くまでに、思えば、ずいぶん長い時間を要している……ということをいいたいのだ。
 それもまだ「バタバタ」の途についたばかり……。

 だから、「バタバタ作調」を忘れて「立派に語ろう」などと思ったら、ホンマ、落とし穴に落ちまっせ……。

◆くわえて、くわえて、もう1つ。
 「時間が少しできたからといって……」の「時間」について。

 たしかに、みなみ退場前と後では、わたしが自由に使える「時間」は格段に増えている。
 しかし、感覚的には、ほとんど変わらない。
 たぶん、退場前は、少ない時間をなんとかやりくりしていて、今は、そのやりくりがうまくいっていないということだろう。
 「このままでは、あっというまに連休が終わってしまうよぉ~」という感じだ。

 朝食は、昨夜のお好み焼きの残りとライス。
 昨夜のお好み焼きは、生地を鉄板に流して焼きながら、表面に天かすを散りばめ、豚肉を並べ……というところで、卵を混ぜていないことに気づく。
 そこで、急遽、いわゆる洋食焼き風に、まんなかの豚肉を取りのぞき、少しくぼませて、卵を割り入れる。
 それをひっくり返して焼いて、卵が半熟状のうちに、もう一度返して完成……というものだ。
 昨夜、焼きたてのときは、まあ、なんともいえない……というレベルの味だったが、今朝、レンジで温めなおして食べると、はっきり失敗作だということがわかった。

 その後、散髪→シャワー→雑誌社とのメールのやり取り→読書……で午前中が終わる。





 


帽子屋敷の隣で、作戦命令解除の命令を受けて小野田少尉が帰還したニュースを知る

2009-04-20 10:54:33 | Weblog

★1974/3の限定された20日間に、作戦命令解除の命令を受けて小野田少尉が帰還する。わたしは帽子屋敷の隣で、そのニュースを知り、新聞を見、魂を打ち抜かれたような(=自分が自分でなくなるような)衝撃を受ける。画像は、その小野田氏との記念撮影。撮影時、帽子屋敷の隣の青年は、ちょうど小野田少尉が帰還したときの年齢に。

◆先日アップした「掲示板への、ある人物のカキコミに対する、わたしの返信」の一部を、再度、アップする。

 3、4年前に観たTVドラマで(ということは、現時点からでは7、8年前ということになる)、記憶喪失に陥った中年の主人公が徐々に回復しかかったとき「もう○○の時代には戻りたくない。戻るなら☆☆に戻りたい」と語る場面がありました。
 連続ドラマで、わたしは毎回ちゃんと観ていなかったので、「☆☆」が何を意味するのかはよくわかりませんでしたが、学生時代のサークル活動と関係があるようでした。
 その「☆☆」が、わたしにはまばゆく感じられました。
 反射的に、このわたしだったら、いったいどこに戻りたいと言うのだろうか?と考え、……しかし、いくら考えても、わたしには戻りたい時代・場所がありませんでした。(「カキコミのコピー」以上)

 「戻りたい時代・場所がない」には2つの意味があると思っている。
 1つは、自分の「粗暴(/_;)」が原因で戻れない、戻るところがないということ。
 これが80%くらい。
 もう1つは、こちらからも、もう一切、だれとも、どこともかかわりたくありませんよ……という気持ち。
 これが20%くらい。

 80%+20%=自分の性(性格・気質・性向・性分・心根)。
 この性が招いた結果とはいえ、さびしい人生である(……といいながら、ホンマは、喜んでいる。)

◆この状態から、自分の魂の内側に沿って、垂直に、孤独に、底に向かって沈んでいき、「時間」を極限まで限定する作業&「空間」を極限まで限定する作業を経て、戻ることが可能な「時空間のカケラ」を、いくつか見い出す。

 まだ、作業の先のことはよくわかっていないけれども、もしかすると、意味のある作業になるかもしれないと考えている。

 先日、ざあ~っと粗い作業をして、10カケラほど、見つけ、それを列挙した。

 その1カケラの場所が、帽子屋敷の隣の、ラッパスイセンの咲く庭だ。
 時間のほうは、1974年3月、はじめて勤めた第一中学校からの「退場」が決まった日から、次の勤務地=根岸小学校に勤めはじめるまでの約20日間と限定した。

 この「帽子屋敷の隣」という言い方は、当時、郵便配達員が、わたし宛の速達を届けるとき、決まって封筒の隅に「帽子屋敷の隣」と小さく書き込んであったことに由来する。
 もちろん、番地はあった。
 しかし、「何番地の小高」と認識されずに「帽子屋敷の隣の小高」と認識されていたのだ。
 この「はかなさ」あるいは「かなしいよろこばしさ」という感じが大好きだ。
 その庭先に、きれいなラッパスイセンが咲いていた。

 1つの作業の結論。
 戻ることが可能な時空間の1つのカケラ=1974年3月 帽子屋敷の隣のラッパスイセンが咲いている庭。

★1974/3の限定された20日間に、作戦命令解除の命令を受けて小野田少尉が帰還する。わたしは帽子屋敷の隣で、そのニュースを知り、新聞を見、魂を打ち抜かれたような(=自分が自分でなくなるような)衝撃を受ける。
 画像は、その小野田氏との記念撮影。
 撮影時、帽子屋敷の隣の青年は、ちょうど小野田少尉が帰還したときの年齢に。


立派に語ろう……などと思ったら大間違いだ。必ず落とし穴に落ちる!(^^)!

2009-04-20 10:52:27 | Weblog

◆みなみを退場する少し前(3月の中旬)、志塚Tと、総合文化部をめぐり、学校部活動改革および「改革」を視野にいれた部活動運営について話し合う。
 話し合うといっても、立ち話に近いもので、志塚Tは職員室の自分の席に座り、わたしはその机の前に立って……。

◆「中学校改革の本丸は、部活動改革だ。」

 今、新学習指導要領の総合的な学習の扱いをめぐり、「削減だ」「いや、削減ではなく充実だ」と議論されているが、わたしからいえば、中学校の総合的な学習の時間ははじめから大失敗が目に見えていた。
 大失敗の理由は2つある。
 1つは、教科間の連携・融合・協働に関する認識の欠落。
 もう1つは、部活動改革の道筋の欠落。
 1つ目については、今、ここでは述べない。
 スペースを改めて詳述することにしたい。
 2つ目の部活動改革については少しだけ触れる。
 もともと、総合的な学習の時間を内包する新学習指導要領(当時)は、部活動改革と抱き合わせだったはずだ。
 教師のエネルギーは無限大ではない。
 限られている。
 限られたエネルギーで、新たなことを加えようとすれば、他の何かを削らなくてはならない。
 これはあたりまえだ。
 だから「総合的な学習を新たにスタートさせますよぉ~。ついては、教師が部活動に携わる時間を大幅に削減しますからねぇ~……」というものだったはずだ。
 ところが、部活動改革はいっこうに進まない。
 一部の地域については、手当を保障する等、逆行するような動きもあった。
 これでは、総合的な学習の時間がうまくいくはずがない。

◆話を部活動改革に戻す。
 この部活動改革の突破口が、八戸市の場合、全員強制加入制から任意加入制への転換だ。
 任意加入制にさえ転換すれば、学校・家庭・地域それぞれの教育がバランスのとれた、豊かな教育環境に向けて、一気に改革を進めることができる。
 全員強制加入制では、身動きがとれない。

 しかし、年度末の保護者アンケートにおいて、「部活動の全員加入制か任意加入制か」についてはたずねたところ、
 全員加入制支持=74%
 任意加入制支持=26%……という結果だった。
 この傾向は、ここ数年、変わっていない。
 もちろん、自由記述欄には、次のような指摘も多い。
 ○部活動が全員強制加入だと聞き驚いている。
 ○やりたい部活動がないのに全員強制加入はおかしい。やりたい人が入る任意加入制を支持する。

◆したがって、現時点では、アンケート結果から、21年度の学校部活動については、現在の体制を維持していく方針である。
 そして、今後、(ひとつの目安として)任意加入制支持が3分の1を超えた段階で、
 ①みなみ学区の実態を見据え、
 ②学校と保護者と地域の方々とで改善・改革の理念を共有しつつ、
 ③具体的な改善・改革の「一歩」を進めたいと考えている。

◆また、部活動改革に着手する前の、「部活動改革つなぎ3項目」として、部活動運営に際し、次のことに留意している。

(1)学年・学級(学年教員)で、あるいは、部活動(顧問)で、個々の生徒の社会教育活動(学習塾・稽古塾を含む)の実態を、可能な限り把握する。
 そのうえで、個々の生徒の社会教育活動が円滑に行われるように配慮する。

(2)地域で行われる社会教育活動や公的な社会教育活動への参加を奨励する。
 部活動と重なる場合も、各部顧問が、学社コーディネート力を発揮し調整に努める。
 子どもたちは社会教育で、学校教育ではとても育てられない力を獲得する可能性がある。

(3)部活動の休止日については、これまでの通り(①第1・3日曜日 ②他の週については、土・日のいずれかを休止日とする)である。
 長期休業中の土・日は可能な限り休止日とし、生徒はもちろん、教職員自身も自身の家庭や地域で過ごすようにする。
 なお、平成19年度より、月2~3回、平日に「家庭と地域の日」を設定し、「学校部活動のない日」としている。

◆さらに、同年、「部活動改革つなぎ3項目」に、新たに1項目加わえて「つなぎ4項目」となった。
 それは、生徒・保護者の多様な要望への対応・改善策として、これまでの美術部、科学部、IT部を統合した「総合文化部」を開設したことだ。

 現在の活動は、美術・文芸・パソコン(報道・ブログ)・科学などだが、今後、生徒の希望によって、本校顧問の管理のもとに地域・保護者のボランティアの方々に協力してもらい、メニューを増やしていく予定である。(わたしも、文芸担当として活動に加わっている。)
 活動は、原則として、週3日程度(土曜・日曜の活動はなし)。

 「生徒・保護者の多様な要望への対応」には、粗く、2つの方向がある。
 1つは、メニューを豊かにして、さまざまなニーズに応える方向。
 もう1つは、活動日に幅をもたせ、民間社会教育団体を含む社会教育活動との両立を可能にする方向。

 この日、志塚Tとの話し合いの過程で、総合文化部の、もうひとつの、想定外のエフェクトを発見した。
 それは、いってみれば「中継」または「橋渡し」「仲立ち」機能だ。
 あくまでも例としてだが、①ある運動部での活動がうまくいかなくなった生徒が、②その運動部を退部し、総合文化部に入部する。③総合文化部の報道メンバーとして、いろいろな部活動を取材するうちに、④自分がソフトボールに向いていることに気づき、⑤ソフトボール部に正式に入部する。……
 当然、学校部活動と社会教育とのあいだでも、この機能は有効に働くはずだ。
 考えてみれば、学校部活動は、ひとつの部活動の継続指導に力を入れ、こういうガイダンス機能は軽く考えてきた経緯がある。

 今後、総合文化部のますますの挑戦に期待したい。(「志塚Tとの立ち話」以上)

◆これに似たような内容は、以前にもアップしている。
 だから、これはむしろ「引用」といったほうがいいかもしれないのだが、このように長々と「引用」したのは、次のようなわけがある。

 これが、わたしの「文体」……いや、「文体」というと、またいつもの「断念の上に、願望の実現に向けて格闘する云々」の文体論になるから、むしろ「作調」といったほうがいいだろう。

 作調=話しことばでは、話し手の態度、あるいは姿勢が声の調子、語りの調子になって表れる。書きことばにも、同じように、そういう調子がある。記述の態度、あるいは姿勢といっていい。この記述の態度・姿勢が「作調」だ。

 これが、わたしの「作調」だ……ということを再確認したかったのだ。

 家具職人が家具をつくるように、農家の人が農作物をつくるように、わたしという教員が教育を、時間に追われながら、大急ぎで、バタバタと語る。
 このときの「語り方」。
 これ以上でもないし、これ以下でもない……ということを再確認したかったのだ。

 みなみを「退場」したからといって、この「語り方」が変わるわけではない。
 時間が少しできたからといって、立派に語ろう……などと思ったら大間違いだ。
 必ず落とし穴に落ちる!(^^)!。
 このバタバタ感でたくさんなのだ。
 たえず、自分は、大急ぎで、バタバタと語る、この「語り」に、自分というものの存在を(密接に)接続して、この「語り」からスタートしなければいけないのだ……ということを再確認したかったのだ。

 


だから、わたしには、どうしても、儀式としての「紙」が必要なのだ

2009-04-19 05:49:27 | Weblog

★大館中時代は、小説の舞台の「地図」を創り、その「地図」の中から通勤していた。この画像は、地図のモデルになった町の1枚。部屋の壁にはってあった地図の左端の、上あたり(^O^)。

◆文字をキーボードで打って、①ホームページ上にアップしたり、②印刷物として発行したりするときの作業は、通常、①文字データ→(コピー)→ホームページビルダー、あるいは、②文字データ→プリンター印刷→輪転機という流れだ。

 しかし、内容によっては、プリンターでいったん紙に印刷して、その紙の上で、直接に自分の目で見て、赤ペンをもってチェックすることがある。
 正確にいえば、そうしないと気がすまない、あるいは、そうしないと次の思考が展開しない(=そうすることによって思考が展開する)……ということがある。

 わたしの場合、パソコンを使って日本語を書くようになったのは、30歳を少し過ぎてからだ。
 それまでは、当然、ペンで紙に書いていた。
 ペンで紙に書くという原型が、魂の奥に刻まれているから、魂を全開させるためには、どうしても「紙」が必要なのだ。

◆学校現場にいるときは、その「紙」として、①印刷の失敗、試し刷り、あまり等の裏 ②外部から生徒を通じて家庭に配ってほしいと学校に持ち込まれるチラシの裏……等を使っていた。
 部屋の隅に積んで貯めておくと、たちまち腰の高さくらいになったものだ。

 なお、外部から持ち込まれるチラシをチェックなしに生徒に配布すると、まちがいなく、今、地検特捜部が「第三種郵便物調査事務センター」を郵便法違反容疑で捜索しているような問題に直面する。

◆3/31以降、わたしから、この「紙」がなくなってしまった。
 自分で、自分がなにか変だ(精神が不安定で落ち着きがない)と思っていたが、このことが、原因だったのだ……ということに、きのう(4/18)気づく。

 屋根裏部屋(←10数年入ったことがない)や、造りつけのタンスの奥に、パソコンで日本語を書く前の時代に買いためた原稿用紙、原稿用紙箋、便箋(←手紙魔だから)類を見つける。

 積み上げると、たぶん腰の高さくらいになるだろう。 


帽子屋敷の隣のわたし&お宮の隣のわたしに会いにいく旅の出発

2009-04-16 16:42:41 | Weblog

★大川橋蔵演じる「橋蔵平次」。一話完結で888回の番組が放映された。毎週毎週、場末の小劇場の座付作者がせっせと書き続けるというイメージだ。あの「親分、てって、てぇへんだァ!」→「万吉親分の妨害」→ラスト「銭が飛ぶ」の型(パターン)に嵌めて、パンパンと押し出す。たえず書く。書くことによって前に進む。書くことだけが人生だ。この感じにずっとあこがれている。野村胡堂は原作者で、せっせと書き続けたのは別人だろうが、そのトータルの象徴としての「胡堂」と競争したい。画像はわたしが訪れた紫波町の胡堂記念館

◆ああ~ッッッッ! 肋間神経痛で苦しんでいるぅ~!
 若い頃からの持病のひとつだ。
 たいていは、バファリンなどの鎮痛薬を、1日、2日と飲んでいるうちに消えてしまうのに、今回は、もう4日もつづいている。
 夜も眠れない。
 散歩もできない。

 10年くらい前に、
 ①その痛みがいつまでも消えない……
 ②痛みの度合いも通常の数倍くらいあって、鎮痛薬も突き破り、イスから転げ落ちるほどの鋭さ……
 とてもがまんできず、あちこちの病院(1つは市民病院)にいったら、3つ目の漆沢皮膚科で「帯状疱疹」と診断されたということがあった。

 今回も、その帯状疱疹を疑ったが、自分の観察と判断では、どうもそれとは違うようだ。
 ひょっとすると、これも自分の判断なのだが、帯状疱疹後神経痛の可能性があり、これは、くわえて、みなみからの「退場」ショックとも密接不離の関係にあるのかもしれない(^_^)v。

(なお、今もバファリンを服用して、休日専用の濃いコーヒー+喜界島の黒糖たっぷり+クリープドバドバ……を飲みながら、PCに向かっている。)

◆現在の肋間神経痛の痛みと密接不離の関係にあると思われる、みなみ「退場」ショックについて少しだけ触れる。

 以前、みなみ在職中のわたしが、①職務上の義務と、②身分上の義務と、③自己の(時間軸上の)アイデンティティへの義務という3つの柱で支えられていて、①②③の3つの中では、圧倒的に③「自己の(時間軸上の)アイデンティティへの義務」が重く、強かったために、日付が3/31から4/1に切り替わる「ポ、ポ、ポ~ン!」の時報で、①&②の2つの義務がふっとんでも、心理的には何の影響も受けなかった……というようなことを書いたことがある。

 今もこの認識に変更はない。
 ①&②が消滅しても、③は③だ。
 仮に①&②が、④&⑤になっていたとしても、③は③だ。
 何十年も、こうして生きてきたし、何十年も、この①と②と③のバランスでやってきたし、他人と接するときも、その人間の①と②と③のバランスの違いで判断してきた。

 しかし、では①と②の消滅が、なんの影響も及ぼさないかというと、もちろんそうではない。
 その「影響」の中味に関する哲学的詳述は、まだ自分の「沈潜」が十分ではないので今は避けるけれども、目に見える現象として、みなみ退場後は、まず、キーボードでカタカタとやる材料がなくなってしまった(>_<)……デジカメでパシャパシャとやる対象もなくなってしまった(>_<)&(^_-)。

 これは、ホンマ、困ったことである。

◆だから、キーボードでカタカタとやる材料をさがす旅に出なければいけないし……デジカメをパシャパシャとやる対象をさがす旅に出なければいけないと思っている。
 よい旅になることを願っている。

 そのひとつの手法が、これまでもときどき話してきた「生き直し」という手法で、もちろん方向は、過去の時間軸上への旅だ。(理論的に、当然、逆に、未来の時間軸上への旅もあるわけだが、ここでは触れないことにする。)

 次は、数年前の記述で、掲示板への、ある人物のカキコミに対する、わたしの返信だ。

 カキコミ、ありがとう。
 3、4年前に観たTVドラマで、記憶喪失に陥った中年の主人公が徐々に回復しかかったとき「もう○○の時代には戻りたくない。(長い沈黙後……)戻るなら☆☆に戻りたい」と語る場面がありました。
 連続ドラマで、わたしは毎回ちゃんと観ていなかったので、「☆☆」が何を意味するのかはよくわかりませんでしたが、学生時代のサークル活動と関係があるようでした。
 その「☆☆」が、わたしにはまばゆく、まばゆく感じられました。
 反射的に、このわたしだったら、いったいどこに戻りたいと言うのだろうか?と考え、……しかし、いくら考えても、わたしには戻りたい時代・場所がありませんでした。
 なんと悲しい人生なのだろうと思いました(T_T)。
 「あまりにもむなしすぎるぞ」と考え……、考えて考えて……、考え抜いたら、唯一、戻りたい場所がありました。
 それは、クラウン英語塾裏の、帽子屋敷の隣の、わたしが住んでいたの家のラッパスイセンが咲いている小さな庭でした。
 あの日、パークホテルの片隅で、あなたと話しているとき、そのラッパスイセンの庭で話をしているような気分になりました。
 キュ~ンと胸がしめつけられました。
 もっともっと、いろいろ話を聞きたかったのですが、以前からの他の約束があり、中座せざるをえませんでした。
 残念です。(カキコミに対する「返信」以上)

◆「帽子屋敷の隣の、わたしが住んでいた家のラッパスイセンが咲いている小さな庭」
 これは、いわば、過去の時間軸上の、わたしの魂の光景のひとつだ。

 カキコミへの返信では、「唯一、戻りたい場所」という書き方をしているが、その後、魂の内側を、冷静に底に向かって沈んでいくと、他にもいくつかあることがわかってきた。
 アトランダムに列挙すると、(あとからまだまだ増えるかもしれないが……)
(1)帽子屋敷の隣のラッパスイセンが咲いている小さな庭
(2)入院中の労災病院の、早朝のガランとした受付ロビー(ここの長いすに座って、新聞自動販売機で買った新聞を読んだ。)
(3)はじめて降り立った、霧雨にけぶるJR八戸線有家駅のプラットホーム
(4)だれもいなくなった根岸小学校の校庭。その片隅にあるソフトボールコートのベンチ(いつもこのベンチにひとりで座っていた。今もひとりで座りたいと思う。)
(5)同じく根岸時代の小田八幡宮境内のわたし住居(ここで「銭形平次」と、その作者・野村胡堂に出会う。)
(6)根城中時代にわたしの精神のうちにあった「方角としての西」
(7)白銀中時代の修学旅行で乗った後楽園の観覧車
(8)大館中時代に書いていた小説の舞台の「地図」(この「地図」の中から毎日、大館中に通勤していた。)

 是川中時代以降は、現存人物が多すぎるのでカットする。

 なお、(1)の「帽子屋敷」というのは地名なのだが、当時、わたしのところに配達される速達の隅に小さく鉛筆書きで「帽子屋敷の隣」と書かれてあった。
 郵便配達員の心覚えだったのだと思う。
 また、(5)の住居に配達される速達には「お宮の隣」と記されていた。
 配達員にとっては、小高という人物の「家」ではなく、「帽子屋敷の隣の小高」であり「お宮の隣の小高」だったのだ。
 こういう存在としての自分がきらいではない。
 すごく「純粋」だから(^_^)v。


★野村胡堂記念館を訪れる前に、紫波町長を表敬訪問。

日曜日、怒濤のテンション低下の過程で、NHKTV「地域発! 秋田・雪原の学びや物語」を観た

2009-04-14 16:37:34 | Weblog

★みなみの花梨酒だ。みなみを退場してひとりぼっちになったら飲もうと思っていた。しかし、みなみの花梨酒は熟したが、わたしの気持ちがまだ熟していない。

◆日曜日に、その怒濤のテンション低下の過程で、NHKTV「地域発! 秋田・雪原の学びや物語◇小さな山の分校児童5人・笑顔と涙の成長記録◇特訓クロスカントリー」を観た。
 児童5人。
 教師3人。
 世帯数28。
 当然、「成長」が、直接的に、よく見える。
 学校・家庭・地域の「連携」も、直接的に、よく見える。

 これを、みなみ地域=生徒400人(児童600人)、教職員25人(小学校28人)、世帯数4000戸……で、雪原の学びやと同じように「成長」が見えるように、「連携」が見えるようにするというのが、ここ5年間のわたしの挑戦だった……とつぶやきながら、最後まで番組を観た。

 同時に、途方もない夢を実現させてくれた、みなみの教職員に対して、感謝の気持ちで胸がいっぱいになった。

◆先日の卒業式の式辞で、「今、わたしの胸の中を、いくつかの感情が、行ったり来たりしています。その感情の強い順に、3つだけ言います」の1番目。

 1つ目の感情は、みなさんが、「新しいみなみの歴史を創った卒業生」であるということです。
 わたしが、いつも、言いつづけてきことに、いい学校というのは、これまでの、先人たちの努力を、しっかりと受けとめ、それを自分たちの力で1ミリでも、0.1ミリでもよくして、それを、次の代に伝えていく……こういうカタチが、しっかりしている、くっきりしている、目にみえる、それが、いい学校なんだ……という話をしてきました。
 しかし、これは、ほんとうにむずかしいことです。
 それをみなさんが、「自分たちの力で、いい、みなみ中を創るんだぁ~」と、毎日の授業を通し、生徒会・委員会活動を通し、合唱を通して、がんばってきました。
 そのみなさんの努力と気概に、ま、校長として、こういう言い方をするのは変かもしれませんけど、心を打たれました、感動しました。
 ほんとうによくがんばりました、ほんとうにありがとう……という感情です。(「式辞」引用以上)

 これは、もちろん「成長」のカタチがくっきり目に見える……という意味である。

 今、教職員に感謝するといったが、ま、このわたし自身にしても、「見えるように」するには、まず、自分が見なければ話にならない……と、自分しか見られない角度で、すなわち、1時間に授業6コマ、1日に66コマ、1ヵ月に1300コマ、年間13000コマを参観して校内を歩いた。

 年間13000コマ参観が、「雪原の学びやと同じように『成長』が見える」につながっている。
 これは、やった人間でないとわからない。


これはご近所の御一統様、以後お見知り置かれまして、よろしく引き立っておたの申します

2009-04-14 16:32:58 | Weblog

★家庭用のホットプレートは、お好み焼きの生地を流し込んだとき、どうしても鉄板温度が下がってしまう。今回、それを工夫して焼いたみた。外サクサク、中ホカホカにかなり近づく(^_^)v。

◆少し前に、テンション(精神の緊張)が怒濤のように下がりつづけ、しめきり原稿が迫っているのに、まったくやる気になれない……といっていたうちの1つ、A社の原稿に、きのう、きょう、しゃかりきになって取り組み、途中、不足情報を志塚Tよりメールで送ってもらうなどして、さっき、なんとか、やっと、自分の限界を感じつつ、完成した。

 A社の雑誌に原稿を書くのは、今回が初めてだ。
 「本文」は、400字詰め原稿用紙7枚(2800字)で、それに対して「ポイント」というのがあって、これは400字程度となっている。
 「ポイント」の意味がよくわからないので、同封されているA社の雑誌をみてみると、「最後っ屁」の逆、ま、いってみれば、寅さんの叩き売りの「前口上」のようなもので、「これはご近所の御一統様、以後お見知り置かれまして、よろしく引き立っておたの申します」という感じだ。

◆きょうの「前口上」
①連携・協力の中核エネルギー
 歩く人が多くなれば道はできる。
 しかし、最初に歩く人、多少の困難があっても歩きつづける人がいないと、なにも始まらない。
 連携・協力には中核エネルギーが必要である。
 中核エネルギーの質が連携・協力の質を決定する。

②小学校と中学校の連携
 小・中学校の方針がバラバラだと、継続的な学社連携はほとんど進まない。
 小・中学校の連携がしっかりしていることが、学校側・地域側、双方向の連携推進の条件である。

③機動性に富む運営組織
 立派な組織を作っても、会議の招集もままならないのでは充実した活動は期待できない。
 理念をきちんと共有した上で、それぞれの立場から、気軽に自由に参加・参画できる組織づくりが大切である。

④学校・家庭・地域のバランス
 このバランスがよくなれば日本の教育はまだまだよくなる。
 逆に悪いままだと、なにをやってもなかなか効果があがらない。
 連携事業が、バランスをよくすることに結びついているのかどうかを絶えず点検する必要がある。(「前口上」以上)

 これで420字だ。
 書き上げて、字数がピッタリで、書き直し不要というのは、たいへん気持ちがいい。
 ただし、本文を書き上げてから、本文の要点を拾いながら書いたが、こういうのは本文を書く前に書くべきだったと後悔している。


娘さんを、迷わずうちの中学校に

2009-04-12 15:19:39 | Weblog

★引っ越しの荷物の整理中……と思われてしまう、わたしの古書店の玄関付近。

◆4/10(金)午後6時半からパークホテルで開催されたみなみ小・中の歓送迎会を区切りに、自分のからだが、淡水から海水(いや、逆か?)海水から淡水に突入した感じがする。

 だるい。

 同じく退職した友人から「このたび○○を最後に定年退職いたしました」というはがきが来て、末尾に「なんとも言えない開放感……」とあるが、わたしにはない。
 ただ、だるい。
 これまでの人生で何度かおそわれたことのある、再起の見通しのない落ち込み……のただ中にいる。

 きのう(土曜日)も、ぼんやりとして、なにもやる気にならないので、ソファーに寝そべったまま、TVのチャンネルを次々に切り替えて、(それも居眠りしながら)番組を渡り歩いた。

 〈渡り歩いた番組例〉
○NHK おはよう日本
○ウェーク ブレない経営マック独走の秘訣
○リアル
○報道特集NEXT みんなと一緒の中学に行きたい車イスの少女の望みは……
○ニュース7

◆途中、やる気にならなくても、やれること、あるいは、やらなければならないことをやろうと思い、先日、お話しした「カゴ」(校長室→図書室→家→校長室……と行ったり来たりしていた……)の整理。

 1/27~29~2/3付けの新聞が突っ込まれている。
 もし読むための時間が見いだせれば読もうと、突っ込んだままになっていたものだ。
 「朝青『青空見えた』~正直、優勝の自信なかった」
 「橋下知事 支持率82%」
 「漢検協6億邸宅購入」
 「若麒麟を解雇」……などという見出しがみえる。

 そのうち『丸谷才一さん 健筆半世紀』という記事を切り抜く(←「再起不能の落ち込み」と言いながら、悲しい習性・習癖)。

 この中に「小説というものが持っている形式美が、何だか大変薄れている感じがするね。よく言えば自由になったのかもしれないが、単に崩れて下落して、気楽になっただけかもしれない」という箇所がある。

 「単に崩れて下落して、気楽に」のところで、自分の先日の記述「この時点で、実は、小説『反響』が、スッポリと(……ま、正確には「スッポリと」とはいかずに……結構、何度も気持ちがグジュグジュしたけれども……)「教育」(学級経営・教科経営・学年経営・学校経営・八戸市社会教育行政)に入れ替わる……という意味だ」を想起し、笑ってしまう。

 それから、もし、わたしが、丸谷さんにインタビューをしている記者(金巻有美)だったら、「形式美ってなんですか? くわしくお話ししていただけませんか? もし、よろしければ、形式美にあふれる具体的な作品をあげていただけませんか?」と質問するかな? いや、一瞬しようと思って、結局はしないだろう……と思った。
 小説の形式美というようなものは、丸谷さんのうちにあるのであって、同時に「形式美」と聞いて、わたしのうちに喚起する、なにものかなのだ。
 互いにそれを発表しあって定義を確認しあうようなものではない。
 ひょっとしたら、記事にはなっていないが、金巻有美さんが質問し、丸谷氏が怒り出したという場面があったのかもしれない。

 わたしが「小説の形式美」と聞いて真っ先に浮かべたのは……意外に思われるかもしれないが……

(1)太宰治。具体的な作品として『富嶽百景』。
(2)庄野潤三『夕べの雲』

 もう1人の作家が浮かびあがったが、今、記述している段階で、もう思い出せなくなっている。

◆カゴの整理をつづける。

 結構、郵便物が詰め込まれている。
 郵便物の処理は、
(1)捨てる
(2)即対応する
(3)保留にしておく……の3段階で、その(3)「保留」が何通が入っていた。

 そのひとつが、なんと「定額給付金について」。
 あわてて(←これも「再起不能の落ち込み」と言いながら、悲しい習性)指示にしたがい記入する。

 もらったら何に使おうか?と考えていたら、みなみを退場するときに多くの方々からいただいた「はなむけ」のことを思い出し、定額給付金と、この「はなむけ」をいっしょにして、なにかを企画すればいい(←これも「再起不能の落ち込み」と言いながら、変)と思い立つ。

 市教委を退職するときのはなむけは、考えに考えた結果、おりたたみ自転車(言っておくけれど、結構な高級機種)を購入。
 これが、現在のはなむけ号だ。

 ただ、こんどの「はなむけ」は、そのときとは比較にならないくらいに膨大な(←嘘)金額だ。
 ホンマに、みなみのみなさん、おおきにィ~!
 TVが、まだアナログなので、デジタルTVもいいかもしれないと一瞬考えたが、みなみのみなさんのお志をそんなものに使っては申しわけない。

 あれこれ考えているうちに、古書店の構築の一部にしてはどうだろうか?と考える。

 玄関の扉をあけた瞬間の書棚が、お客さんによっては、これって、引っ越しの荷物がそのまま散らかっているのでは……と思う方もいるかもしれないというくらい貧弱で、とてもとても古書店の呈をなしていない。
 先日も忘れ物を届けてくれた嘉瀬Tに「いやぁ~、散らかったままになっていまして」と控えめに言ったつもりだったが、ズバリ「この時期はそんなもんですよ」と返ってきた。(やっぱり古書店の玄関には見えなかったのだ。)

 定額給付金とみなみのはなむけで、夏までに、床から天井まで届く書架を構築しようと考えている。

◆観たTVのつづき(奈良県下市町)。
 「みんなと一緒の中学に行きたい車イスの少女の望みは……」について、はっきり言うが、特別支援学校の利点も十分理解しつつ、しかし、わたしだと文句なしに「迷わず、うちに入学してください」だ。
 どんなことをしてでも、……チームを組んでいる教職員や保護者、地域の方々と力を合わせて、彼女に「この中学校に入ってよかった」「ここの中学生であることを誇りに思う」と思ってもらえるようにがんばるぅ~!……と思って観た。


断っておけばよかったと後悔している。この滑落は、ある程度、予測できたので、いったんは断ったのだが

2009-04-09 17:59:50 | Weblog


★DAKA哲学・仕事のやり方
 大館中時代(1986年=37歳~1994年=45歳)は、たいていの場合、朝、職員室でミーティングをすませたあとは、自分の仕事場所(教室棟)に出はらい、教育課程が終了(=「帰りの会」)するまで、職員室に戻ることはなかった。
 カバンに、授業道具&学級活動・指導資料一式をつめこんで持ち歩いていた。
 よく、すれ違う教職員から「出張ですか?」と聞かれたことがあった。

 今は、志塚Tの勧めもあり、カバンから、この画像のようなカゴに代わっている。(みなみを「退場」したというのに、まだこのカゴを使っている。)


★つくりかけの古書店内の堀辰雄コーナー。近いうちに、堀+プルースト+リルケ+神西……等々、堀辰雄の世界を構築したい。

◆ひとつのメタファーとして。
 仕事に追われて追われていた教頭時代(1995~1997)、それをなんとかやりくりして宿泊人間ドックの病院(日赤)にたどりつき、ベッドに横になったときのことだ。
 血圧の測定をはじめた若い女性看護師が、数値があまりに低いので「もう一度、測りましょう」とシューシューと空気を送り、それを抜きはじめたとき「あっ、また下がっています。どんどん下がっています」と不思議がったことがある。

 今、それに似て、テンション(精神の緊張)が、きのうからきょうへと、怒濤のように下がりつづけている。

 しめきり原稿が、4/20に1本、4/30に2本あるが、このまま滑落していけば、少し心配だ。
 (断っておけばよかったと後悔している。この「滑落」は、ある程度、予測できたので、いったんは断ったのだが、どうしても断り切れなかった。)


★昨日も紹介したが、古書店内には、こういうふうに未整理な部分が多い。これも近いうちになんとかしたい。

◆3月の終わりに、道仏中の仁科校長(←大学時代、いっしょに同人雑誌をやっていた人物)と、電話で人事異動について話したとき、電話を切る間際に「★★(←同人雑誌の名前)に戻るんじゃないですか?(「戻る」ということを肯定的にとらえた言い回し)」と言われた。

 同人誌★★の頃、わたしは『反響』(←大学時代の大長編小説。中心人物のモデルは伊東静雄)に取り組んでいて、連載8回目あたりで、収拾がつかなくなっていた。
 苦し紛れに「……今、はっきりいって『反響』のために精魂をかたむける以外に、どんな生き方があるのだろか? ……自分のすべてを、この(『反響』)中に注ぎこむ以外にない。……詩人(静雄)の内的生命の徹底的な燃焼を……、あるいは、現実に強いられてあるという自覚を……、あるいは、そのことに対する反抗の心情を……、彼の詩をとおして、描きこんでいくのだ。せっせと書くことによって、一章(←連載の一回分。原稿用紙100枚くらい)ごとに作品として表出することによってしか、わたしは前に進めないのだ」とつぶやいていたことを、電話を切ったあとの仁科氏の声の余韻とともに思い出した。

◆先日の修了式・式辞の一部

 これまでたびたび、わたしは「わたしの人生独立に向けての1段ロケットは中学時代だった」といってきました。
 この1段ロケットは、わたしという人間の、生き方の、基本・原点です。
 原点の例をあげると、ひとつは、目の前の友の、いや、友だけではない、苦しんでいる人のピンチからは、絶対に逃げない。
 ピンチの人を助ける。
 そのために、自分のやれることを精一杯やるという精神。
 もうひとつは、清貧の思想。
 貧乏だけど、……いや、貧乏がいいのだ。
 貧乏だけど、夢、希望、志は高いという清貧の思想。
 できるだけ親にお金を使わせないように、心配もかけないようにして、そして、自分の夢を実現しようということです。
 これが、わたしの中学のときの決意です。
 人生の原点です。

 ついでにいうと、2段ロケットは高校2年。
 文章を読んだり書いたりするのが好きでしたから、小説家か、新聞記者か、中学・高校の国語教師か……、このどれかになろうと決意しました。
 これが2段ロケットです。
 3段ロケットは35歳くらいで、それまでやめようかどうしようか迷っていた中学の教師を、よし、中学教師一本でやっていこうという決断です。

 今、言いたいのは、1段ロケットがあるから、2段ロケットがあって、3段ロケットがあるのだ……ということです。
 ですから、中学のときの決意が、みなさんの一生を一生支えます。
 今のわたしの隣に、中学のわたしがいます。
 人は一生、いい意味で、中学時代から逃れることができないということです。(「式辞」の引用以上)

◆ここで「3段ロケットは35歳くらいで」といっているのは、正確には、37歳だ。
 この時点で、実は、小説『反響』が、スッポリと(……ま、正確には「スッポリと」とはいかずに……結構、何度も気持ちがグジュグジュしたけれども……)「教育」(学級経営・教科経営・学年経営・学校経営・八戸市社会教育行政)に入れ替わる……という意味だ。

 だから、みなみの経営の重点(1)知的で楽しい授業の創造……とか、経営の重点(2)学社連携・融合システムの創造……とかは、この延長線上にあり、そして、思い切っていうならば、それを支えるエネルギーは小説『反響』だった……ということになる(^_-)。

 怒濤のように下がっていくテンションのなかで、ようやくこれだけ書く(^_-)。


ようやくのことで、寝そべって、ときどき居眠りしながら読書することができた。

2009-04-08 17:29:17 | Weblog

★古書店の片隅に、寝そべって読書できる場所をセットした。照明(電気スタンド)の角度と強さの調節が、なかなかむずかしい。「もうどこからもお金が入ってこないのだから、古い物を工夫して使わないと……」と、引き出しの段差を利用して、照度を調節しているところ。

◆みなみを「退場」して1週間が過ぎて、きょうの午後、ようやくのことで、寝そべって、ときどき居眠りしながら読書することができた。
 この「居眠りしながら」というのがポイントなのだ(^_-)。

 退場前、経営の重点(1)知的で楽しい授業の創造……にしても、経営の重点(2)学社連携・融合システムの創造……にしても、次のステージにステップアップしていかなければいけないタイミングだということは十分にわかっていた。
 なのに、それができなかった。
 このステップアップの方向と方策の詳細については、後日、記述するが、その方向と方策を、明確に打ち出すことができなかったのは、やはり、自分の精神の緊張度が高すぎたからだろう。
 緊張度が高いと、どうしても、自分のうちにある、頑迷な「原理原則」が前面に出て、大きな障害になってしまう。

 この「障害」を、経営の重点(1)については、嘉瀬教頭T、志塚教務主任、佐藤公一研修主任等が、経営の重点(2)については、佐藤すこやかみなみネット会長(当時)、柴田すこやかみなみネット副会長(当時)等が、強く感じていたことだろうm(_ _)m。(「この人=小高が、みなみを退場しないと、みなみは変わらない……」と(ToT))
 
 きょうは、「居眠りしながら」=緊張度をほぐしながら、70ページほど読むことができた。


★古書店の未整理部分。落ち着いたらきちんと分類したい。

◆きのうのクイズの解答。
 作者は堀辰雄。
 引用文は、連作『風立ちぬ』の終章「死のかげの谷」。

 昨日、「みなみ退場(3/31午後12時=午前0時)後の作調(^_^)v」を……
(1)断念の上に、願望の実現に向けて格闘する切実感
(2)俳句的な飛躍・独断感
(3)ライブ感
(4)透明感
(5)くどさと軽薄さ「感」……と、列挙したあとに、決して、この(1)~(5)を融合・包括した作調ということではない……といったが、けさになって、ある意味で、「融合・包括」なのではないかと考えが変わった。

 具体的には……、(1)「切実」と(2)「飛躍」を、(3)の「ライブ感」が包み込む……というカタチだ。
 そして、(4)「透明感」と(5)「くどさ・軽薄さ感」は、状況によって(1)にも(2)にも(3)にも顔を出す……というカタチだ。


★古書店の入り口部分。古書店の魂=5つの作調の中核。

ふと気づいたら、わたしはわたしのうちで、みなみ退場(3/31午後12時)後の文体について考えている

2009-04-07 16:08:21 | Weblog

★JR東日本青森運輸区のF君の結婚式に出席する。F君は平成13年八戸運輸区で採用になり、緑の窓口→車掌→そして現在、運転手として日々、鉄路上で奮闘している。

◆やはり、ふと気がついたら、わたしはわたしのうちで、みなみ退場(3/31午後12時=午前0時)後の「文体」について考えている(^_^)v。

 「文体」というと、昨年末の「電撃の悟りとしての文体論」がある。
 復習のために一部をコピーする。
 まず、こういう問いかけからスタートしている。

(1)今、わたしは、ひょっとして、現任校(みなみ中)の「マニフェスト」を「断念」するという手続きを経たうえで、その後の思考を記述しようとしているのだろうか? そして、そのための「文体」を求めているのだろうか?
(2)いや、それとも、新撰組の土方みたいに、土壇場のタイムリミットまで「マニフェスト」実現に向けて格闘し、その「悪戦苦闘」ぶりを記述しようとして、そのための「文体」を求めているのだろうか?

 このときの「決着」は次のとおりだ。

 (1)と(2)が、漱石の則天去私のように、強い電撃に打たれたように、わたしのなかで合体・融合した。
 アウフヘーベンしたのではない。
 合体・融合だ。
 アウフヘーベンは理屈だが、合体・融合は悟りだ。
 電撃の悟りを、理屈で説明することはむずかしい(^_-)ので、結論だけをコンパクトに述べる。
 わたしのいう「文体」というのは、願望の「断念」が、絶対の条件になる。
 願望の「断念」を強いられることを前提としていないものは、文体ではない。
 その断念の上に、願望の実現に向けて格闘する……悪戦苦闘する……その「軌跡」が「文体」だ。
 これが文体論の結論だ。


★新郎F君への応援歌を熱唱する青森運輸区職員たち。

◆この文体論の定義は、現在、悔いが大きすぎて、いわば、(ま、かなり用法的に変だが……)「悔い返し」の心境にあるわたしにはピッタリで、コピーしながら、今、変更する必要はないと判断している。
 だから、冒頭で、「みなみ退場(3/31午後12時=午前0時)後の文体について考えている(^_^)v」といったのは、「文体」というより、むしろ「作調」といったほうがいいのかもしれない。

 作調=話ことばでは、話し手の態度、あるいは姿勢が声の調子、語りの調子になって表れる。書きことばにも、同じように、そういう調子がある。記述の態度、あるいは姿勢といっていい。この記述の態度・姿勢が「作調」だ。

 今、イメージしている、「みなみ退場(3/31午後12時=午前0時)後の作調(^_^)v」を列挙してみると……。

(1)断念(←ある意味では「絶望」)の上に、願望の実現に向けて格闘する……悪戦苦闘する、切実&悲壮感を伴う作調

(2)短歌的・説明的な分析&批評ではなく、俳句的・飛躍的(←ある意味で、独断・妄断&偏見&ひとりよがり)な作調(江藤淳氏の文芸批評のような……<(_ _)>)

(3)報道記者が現地から実況放送しているようなライブ感あふれる作調

(4)星図を見ながら天体を観測しているような透明感あふれる作調

(5)語る過程で派生してくる枝葉末節の事項をいちいち説明するという、あきれてしまうようなくどさと軽薄さが充満した作調

 もちろん、この(1)~(5)を融合・包括した作調ということではない。
 今のところは、一応、(1)と(2)を主調音にする。
 (3)(4)(5)はケースバイケース、ポンポンポンと渡り歩いていく……というようなイメージで考えている。
 もう少しいえば、実は、わたしは(3)(4)(5)が苦手なのだ。

◆昨日、玄関灯のことで、「09年度(4/1~)以降のことは、頭のてっぺんから足のつま先まで、一切考えない……と言いながら、例外的に、玄関灯の電球を取り替えることだけを考えていたのは、なぜだろうか?」と自分自身に問いかけ、その答えを「蟄居の構えの象徴……」とかポツリポツリと書きながら、あっ、これにまちがいない……と言い切れる、ある作品に思い至った。(こういう発見があるから書くことはおもしろい……。)
                       

 9時頃、わたしはその村から雪明かりのした谷陰をひとりで帰ってきた。
 そうして最後の枯木林に差しかかりながら、わたしはふとその道傍に雪をかぶって一塊にかたまっている枯藪の上に、どこからともなく、小さな光がかすかにぽつんと落ちているのに気がついた。

 こんなところにこんな光が、どうして射しているのだろうといぶかりながら、そのどっか別荘の散らばった狭い谷じゅうを見まわして見ると、明かりのついているのは、たった一軒、確かにわたしの小屋らしいのが、ずっとその谷の上方に認められるきりだった。

 ……「おれはまあ、あんな谷の上にひとりきりで住んでいるのだなあ」とわたしは思いながら、その谷をゆっくりと登りだした。
 「そうしてこれまでは、おれの小屋の明かりがこんな下のほうの林の中まで射し込んでいようなどとはちっとも気づかずに。ごらん……」とわたしは自分自身に向かって言うように、「ほら、あっちにもこっちにも、ほとんどこの谷じゅうをおおうように、雪の上に点々と小さな光の散らばっているのは、どれもみんなおれの小屋の明かりなのだからな。……」

 やっとその小屋まで登りつめると、わたしはそのままベランダに立って、いったいこの小屋の明かりは谷のどのくらいを明るませているのか、もう一度見てみようとした。
 が、そうやって見ると、その明かりは小屋のまわりにほんのわずかな光を投げているにすぎなかった。
 そうしてそのわずかな光も小屋を離れるにつれてだんだんかすかになりながら、谷間の雪明かりとひとつになっていた。

 「なあんだ、あれほどたんと見えていた光が、ここで見ると、たったこれっきりなのか」とわたしはなんだか気の抜けたようにひとりごちながら、それでもまだぼんやりとその明かりの影を見つめているうちに、ふとこんな考えが浮かんできた。
 「……だが、この明かりの影の具合なんか、まるでおれの人生にそっくりじゃないか。おれは、おれの人生のまわりの明るさなんぞ、たったこれっばかりだと思っているが、ほんとうはこのおれの小屋の明かりと同様に、おれの思っているよりかもっともっとたくさんあるのだ。そうしてそいつたちがおれの意識なんぞ意識しないで、こうやって何気なくおれを生かしておいてくれているのかもしれないのだ……」
                       

◆ここまで読んでくださった方にクイズです。
 この作者はだれで、なんという作品でしょうか?σ('┰~ )