★高村祭・西南中1年67の演奏。 提案=教育の中でも特に中学校教育に携わっている者として忌憚なくいえば、僕なら中学1年ではなく、光太郎に、中学3年の歌を聴かせる。 光太郎の感情を圧倒する。 「これが日本産の声」「これが太田産(厳密には驫木?)の声」と光太郎を驚かせてやる(^_-)。 ★高村祭・詩の朗読――花巻南高生2名&花巻高等看護専門学校生1名。 提案=このプログラムに限定して公募してはどうだろうか? 地域制限なし。 年齢制限なし。 ただし、高村光太郎の詩&文章に限る。 CD、miniDV、DVD、テープ等で応募。 朗読もOK。 群読その他もOK。 「日本産の声」「世界共通の声」を光太郎に聴かせたい。 僕も応募する。 ★高村祭・花巻高等看護専門学校1年生38名の演奏。 太田小、西南中と同様、高村祭には欠かせない。 合唱隊形に整列する看護学校生の姿は、光太郎山荘、詩碑、紅白幕、光太郎の遺影、色の異なる若葉が重なりあいつつ、沸きあがる会場、若葉の上の青い空……に溶け込んでいる。 高村祭の象徴といっていいだろう。 願わくは3年生を。 ★高村祭・講演=谷口秀子「おもいでの光太郎先生」。 今回、高村祭参加の僕の目的のひとつが、谷口さんの花巻弁による朗読を聴くことだった。 朗読は超がつく一級品。 くわえて、当時の花巻から山荘へのルートや、(今、僕の手元にある)「花巻賢治子供の会」の写真撮影に至った経緯&背景等が講演を聞いてよくわかった。 改めて写真をみると、左端のほうに、60年前の谷口秀子さん(らしい人)がいる。 この写真の中の「人物」から話が聞けるとは、世の中、ホンマ、何が起こるかわからない。 ★高村祭・歌=モンデンモモ「道程」「もしも智恵子が」。 モンデンモモさんの歌は、詩の終わり4行「もしも智恵子がここに居たら/奥州南部の山の中の一軒家が/たちまち真空管の機構となって/無数の強いエレクトロンに飛ばすでしょう」の「機構」や「無数の強いエレクトロン」を見事に歌で表現できる人だ。 すばらしい。 洋々とした季節のなかで涙が出た。 ★関連記事 ・光太郎が、わたしの精神の内側に沿って魂の底に侵入したことが、これまでに2度ある。1度目は、わたしが大学時代、卒業論文で、大東亜戦争下の詩人たちの戦争期から敗戦期に至る精神の変遷を取りあげているときだ ・大東亜戦争下の詩人たちの戦争期から敗戦期に至る精神の変遷を取りあげたわたしの卒論は、難航する。理由を粗くいうと、戦争期に、戦争の趨勢に関する、特別な情報をもたず、ただ軍艦マーチが鳴ればよろこび、海行かばが流れれば哀しみという具合に一喜一憂する、その詩人の内面については、感情移入が比較的やりやすかった。それにくらべ、敗戦期の、(昨夕の表現でいえば)深い挫折感、あるいは一種の解体現象については、追体験がむずかしかった ★公式ホームページへ ★WEB無人駅線ページへ |
★時間をみて、先日5/15、花巻市太田山口の高村山荘詩碑前で開かれた「高村祭」のアルバムを整理したい。 整理の骨組みの中心は、当日の高村祭のプログラムに沿った画像。 それに、付録的に、ひとつのプログラムに対して、ひとつの短い短い、ホンマ、つぶやくようなコメント(^_-)。 字数はtwitterの140字がいいかなぁ~。 もっとコメントしたいからツイートを追加していくというのではなく、1プログラムに1ツイート。 新聞記者的でなく、文芸評論家的でなく、僕の「行動」と「思い」。ま、 「思い」より「行動」重視やね。 ★高村祭・詩碑に献花&献茶――献花の2人(太田小児童)の「はじめてのおつかい」的な動作と、はちきれる笑顔に、草むらのゴザに座った参加者(岩手日報=400人?)から「かわいいィ~」と声があがった。 ホンマ、かわいかった。 光太郎も心底「ここに来てよかった」と思ったことだろう。 ★高村祭・全員による詩碑「雪白く積めり」朗読。 先導、花巻市立西南中学校1年67名―― 今夕の炉辺に一椀の雑炊を暖めんとす。/敗れたるもの却て心平らかにして/燐光の如きもの霊魂にきらめきて美しきなり。/美しくしてついにとらへ難きなり(終わり4行抜粋)。 提案=先導はひとり。大人がいい。 ★高村祭・来賓祝辞=花巻市長 大石満雄。 代理ではなくご本人が元気な姿を会場に見せ、かつ、中座ではなく最後までプログラムに参加する。 ホンマにおおきにィ~。 願わくは、光太郎と東日本大震災を市長の頭の中で(勝手に)処理してしまうのではなく、光太郎に「語る」「問う」カタチが望ましかったのではないかと思う。 この点は違和感をもった。 ★高村祭・太田小2年25名の演奏。 旧「山口小学校校歌」がよかった。 高村光太郎も作詞にかかわったとされている。 子どもたちは覚えるのがたいへんだったろう。 「八方山の雲近く/清き流れの 水くみて/緑の大地 拓き来し/心をうけて 一すじに/学ぶわれらに 光りあり/伸びゆく若葉 山口校」 ★関連記事 ・高村光太郎の遺徳を偲ぶ高村祭。光太郎が大東亜戦争中、花巻に疎開したのが、昭和20年5月15日。この日を記念して、毎年、5月15日に開かれている ・2009高村祭の準備風景 ★公式ホームページへ ★WEB無人駅線ページへ |