職員室通信・600字の教育学

小高進の職員室通信 ①教育コミュニティ編 ②教師の授業修業編 ③日常行事編 ④主任会トピックス編 ⑤あれこれ特集記事編

違うか?(^o^) よくわからない (^^;) 追われ仕事で、思考が拡散し、自分の重心が溶解

2008-06-28 06:42:57 | Weblog

      

★みなみ小・まち探検隊がみなみ中に来校。探検の最後にインタビュー活動。インタビューに答えるのは苫米地T。

◆今から12、3年前のことだ。
 勤務先(鮫中)に、教育委員会からWindows95のPCが1台、配置された。
 内蔵ハードディスクの大きさは、たしか850MBくらいだった。
 今のレベルからすると、ちっぽけな容量だが、そのときは「フロッピー600枚分かぁ~」と驚いたものだ。
 書物(文字に限定)に換算すると、約2000冊入ってしまう計算になる。
 勤務終了後、夜、静かになった職員室で(教頭だったから、いつもかなり遅い時間帯だったが)ディスプレイに向かって、ぽつねんと文字を打ち込んでいると、「ああ、自分が、一生書きつづけたとしても、このハードディスクをいっぱいにすることはできないのだ」と、なんだか宇宙にでも対峙しているような、クラクラとした気持ちになったことを覚えている。

 どうしてこんなことを書くのかというと、さっき、追われ仕事を、いくつか並行して、具体的にいえば、
 ①デスクの正面が学校・家庭・地域の連携事業について
 ②右端が来週の全校朝会について
 ③左側がPTA総務委員会の協議内容について
 ④正面奥が来週発行する「すこやかみなみネット通信」について……と、チョコチョコ、ゴチャゴチャ、やっているうちに、どういう関係があるのか、突然、このホームページのことが思い浮かびあがり、「そうだ、そうだ、あのときのクラクラした気持ちで、ブログに向かえはいいのだなぁ~」と思ってしまった。

    

★みなみ小・まち探検隊が帰るというので、みなみ小とみなみ中の間の道路のところまで送っていく。道路の向こうでお別れのことばを述べる探検隊。別れは悲しい(T_T)

 思考経路は、追われ仕事 → Windows95のクラクラ → ホームページ……となるのか?(^o^)
 違うか?(^o^)
 よくわからない(^^;)。
 追われ仕事で、思考が拡散し、自分の重心が溶解しはじめただけかもしれない。
 しかし、悪い感覚ではなかった。

    


◆きょうの職員朝会のコメント。
〈コメント〉
(1)昨日同様、全神経を試験運営に集中しよう。
 力のある学校と、力のない学校では、試験運営はまったく異なる。
 力のない学校は、
 ①居眠りしている監督者がいる。
 ②(自分の試験の)採点をしている監督者がいる。
 ③読書している監督者がいる。
 ④試験場を離れる監督者までいる。
 力のある学校をめざそう。
(2)ほとんどの部活動は、きょうから2学年が中心になる。
 下級生を思いやる上級生に。
 自分がイヤなことを、あるいはイヤだったことを下級生に押しつけない上級生に。
 今、力のある学校という言い方をしたが、力のある部に育ててほしい。
 上級生とのミーティングも大切だ。

    

★きょうの岬台。

◆なぐり書きのメモから
〈教育実習生送別の辞〉
 武井さん、八屋さんは3週間、本田さんは2週間という教育実習期間、これは人生のひとコマだ。
 このひとコマが、即、自身の人生の方向を左右するということもあれば、10年後、20年後、突然、パァ~ッと浮かび上がり、人生を照らしてくれるということもあるだろう。(ま、そのときは、わたしたちのことも思い出してほしい……)
 教育実習、ほんとうにごくろうさん。
 武井さん、八屋さん、本田さんの前途に光が差すことを祈り、お別れのあいさつとする。(送別の辞以上)


職員会議の資料&内容に、発表する先生方のコメント(肉声)、生徒の実態(というか顔、顔、顔……)等を重

2008-06-26 18:02:35 | Weblog

      

★みなみ小・まち探検隊がみなみ中に来校。小学2年って、こんなにしっかりしているのか?と驚く。

◆きょうの職員朝会のコメント。
 職員朝会は、全校朝会と全校生徒朝会の日以外は、毎朝、設定されているのだが、わたしが、毎朝、コメントしているわけではない。
 ないときは、「コメントはありません」と言っている。
 あるいは、コメントするつもりで、用意していたけれど、教頭Tはじめ、各校務分掌部長のコメントが、全部カバーしてしまうというケースもある。
 全部カバーされてしまったときは、
(1)自分と同じ「志」「思い」「感じ方」の人がいるぅ~ッと、たいへん心強く思うし、学校がパワーアップされてきたぁ~ッと感じる。
(2)反面、わたしレベルの校長は、もういらないんだなぁ~と、さびしくなるし、同時に、もっと修業しなくてはいけない(←しかし、ホンマは、もうそんなエネルギーはない)と思う。

 前置きが長くなった。
 それでは、本日のコメントだ。

〈コメント〉
(1)昨日の職員会議は、長時間(15時20分~17時35分)に渡る審議に対し心より感謝する。
 職員会議で対象となった資料&内容は、いってみれば、業務の指針であり、マニュアルである。
 しかし、その資料&内容に、発表する先生方のコメント(肉声)、生徒の実態(というか顔、顔、顔……)等を重ね合わせたとき、「ああ、これはドラマだ」「ああ、これが日本の教育の貴重な断面だ」という感慨が押しよせ、妙に感動し、職員会議の場に身を置いていた。
 自分のこれからの方向に大きな影響を与える会議だった。
(2)きょうから2次試験。
 試験運営がしっかりできるというのは、力のある学校のひとつの大きな条件だ。
 昨日の職員会議で確認され、今、先生方の手もとにある「試験運営規定」に基づき、わたしたちの力をチェックしつつ、力のある学校をめざそう。
 なお、ついでにいえば、さきほど生徒指導主任から生徒のケガの話があったが、生徒にケガをさせないというのも、力のある学校の条件だ。(コメント以上)

    


◆改善・サマータイム。
 6/2から、ひとりサマータイムを実施してきた。
 (従来、5時起床、6時50分学校到着だったのを)4時起床、5時50分学校到着に。
 しかし、結論をいうと、なかなかうまくはいかない。
 実行はそれほどむずかしくないのだが、睡眠の質が変わってしまうようで、夕方になると、精神の電池切れ状態に陥る。
 そこで、きのうから、5時起床、6時10分学校到着に変えた。
 起床後のダラダラ(←「優雅」な)生活を、削って削って「40分」を見いだしたのだ。
 起床を60分間、早くするのではなく、起床から出発までの時間を改善して40分の時間を創りだした……ということになる。
 ま、これだと、リズム的にはこれまでと変わりはないし、校長・教頭・教務主任の打ち合わせ07時45分までの、95分間を自由に使える。
 これで、しばらく様子をみるつもりだ。

    


◆さっき、ちょっと触れた「試験運営規定」だが、もちろん、これまでも(どこの学校もそうだが)本校にも、
(1)試験問題の作成
(2)試験開始前
(3)試験実施中
(4)試験終了時&後……という項目で、詳細な「規定」があった。
 今回は、これまでの反省をふまえて、その規定の「粗い」部分を補ったり、また、口頭で確認し合っていたことを文書化したりした。
 部外秘以外のものについて、一部を紹介する。

〈補った例〉
・試験問題を配付し終わった段階で、生徒ひとりひとりの枚数と種類を、裏表印刷の場合は、その印刷のあるなしを、くわえて、印刷の濃淡を確認する。
〈文書化した例〉
・監督者は、試験に関係のあるもの以外の持ち込みを厳禁する。

 その他、問題作成者の巡回、試験問題返却方法(←これは、かなり詳細^^;)等についても、新たに規定をくわえた。

 これは、ひとつの学校文化だ。
 しっかりと受け継ぎつつ、常に見直す。
 これができるのが「力のある学校」。

    


◆昨日の職員会議には、わたしとしては5000字の文書をもって臨んだ。
 主テーマ1「3者面談」+メモ=2500字
 主テーマ2「教職員の学社連携コーディネート機能」+メモ=2500字。
 だが、通常の案件に、今回は、体育祭や合唱コンクールの案件なども加わり、予定の時間を過ぎ、わたしに番がまわってきたときは、教職員の疲労の色も濃くなったと感じたので、「主テーマ1&2」は、後日、職員朝会で……ということにして、5分間で「メモ」の部分だけを対象に語る。

 その「メモ」の項目だけをアップする。
(1)時間厳守(1分前行動)、率先垂範・師弟同行の「死守」。
(2)頭髪・服装ルールの厳守。
(3)通信表のコメント。学級担任の「思いのオンパレード」を廃す。
(4)式や集会の設計と運営は1分1秒まで厳密に設定・実行。
(5)2つの部活動の監督かけもち不可。
(6)体育祭について。
  ①種目の完成度を(可能な限り)あげる。
  ②保護者・地域への「サービス」向上。
  ③時間を1分1秒まで厳密に設定。
(7)「国語っておもしろい」「数学ってほんとんにおもしろい」と心から思える一瞬を、恒常的に、50分間に必ず1回つくる。
(8)今のわたしの夢。
 ①図書室の机と椅子を、心安らぎ、シンとするものに取り替えること。
 ②玄関前のテニスコートのフェンスを、足場パイプの骨組みから、格調ある、品のいい、フェンスに取り替えること。
 ③「荒れ」の跡をとどめるトイレのドアを、心落ち着く、しっかりとしたものに取り替えること。
(9)名刺の用意を。
(10)ここから1学期終業式までが「剣が峰」。
 ①区切りをつけ、気持ちを新たにし、次の目標に向かうベクトルを形成する期間。
 ②苦しい状況にある子どもへの具体的方策を、この期間で「実行」できるか、「不作為」に終わるか……の差。
 ③ゲーム終了間際は失点。
(11)苦しい状況にある子どもに対して、とりあえず、やらなければいけないこと。
(12)すこやかみなみネット・地域情報交換会。地域のかたち。
(13)3学年のポスト市中体。受験生としての「体制」づくりと「基礎体力」づくり。教職員=①ピグマリオン ②傾聴 ③コーチング。
 (「メモの見出し」なので、なんのことかわからない。スンマヘン。)

    


◆夕刻、「電池切れ」状態に陥るのは、サマータイムの失敗だけが原因か?
 体力が落ちていることも関係しているのではないか?
 ということで、きのうからトレーニング?(←というほどのものではないが……)を開始。
(1)30メートルダッシュ(30メートルダッシュ&40メートルダラダラ歩き)×10本。
(2)バットの素振り50回&インディアンクラブ体操
(3)自転車10キロ走(←これは従来どおり)

 30メートルダッシュは、ゆるみきった足の筋肉には、かなり効く。
 ふくらはぎもももも、パンパンだ。

 (きょうの記述は、「追究」の角度のまったくない、ただのダラダラ記述になってしまった。けど、「ダラダラ記述」もきらいではない。「ダラダラ記述」を通して「鍛え」てみよう。)

    



柳橋。JR八戸線鉄橋。新湊橋。湊橋。これらを、垂直に、垂直に、突き抜けて、海に出ると、屋体崩しが

2008-06-23 19:12:43 | Weblog

      

      

★2次試験に向けて昼休み特訓学習会はじまる

◆職員朝会のコメント。
〈コメント〉
 今週はテスト週間。
 意欲も含め、質の高い学力を、みなみの総力をあげて、集中的につける月・火・水……、あるいは、月・火・水・木……と考えている。
 ビジネスの世界で、よく262の原則ということがいわれる。
 ま、それにあてはめていうと、上の20%は、やれといわれなくてもやる。やるなといってもやる。
 次の60%は、やるほうにもなるし、やらないほうにもなる。
 残りの20%は、どんなになろうともやらない……ということになるかもしれない。
 わたしたちが今、心を配らなくてはならないのは、上の20%ではない。
 次の60%と20%だ。
 この層に「勉強したい」「早く帰って試験勉強したい」と思えるようにすることだ。
 ポイントとして、
(1)「国語っておもしろい」……「数学ってほんとんにおもしろい」と心から思える一瞬を50分間に一度つくること。
(2)「試験勉強っておもしろい」「試験勉強やるってカッコいい」と心から思える一瞬を1日に1回つくること。
(3)「勉強ができるって、スゴイ」と心から思える一瞬を試験週間に1回つくること。
 学年教師集団で、あるいは教師個々に、この点に留意して、月・火・水・木を運営してほしい。
 なお、以前からやめようといっていることだが、「時間が余ったからきょうは試験勉強にしよう。各自、○○科の勉強だったらなにをやってもいいよ」、(今、こういうことをやっている人はいないと思うが)、これでは60%、あるいは20パーセントは、ほとんど動かない。(職員朝会のコメント 以上)

 校長の口頭による指示は無効、校長のレジメによる指示も無効、有効なのは、きちんとした文書による指示のみ……と普段、言っているクセに、こういうことをしゃべってしまう。
 しゃべってしまってから、反省している。

◆昨年の今頃は、精神的に不調の極限に陥っていた。
 精神の好不調を、わたしは、自分が書く文字の量で計測する。
 音楽好きがピアノを弾くように、ジョギング好きが走るように、毎日、文字を書きつづけていると、わたしは、しあわせなのだ(^o^)。
 今年の5月は(ツール→文書の文字数で調べると)49000字書いている。
 これに対して、昨年の6月=16000字だ。
 悶々としていたのが、よくわかる。
 悶々としていた期間に、こんな記述がある。

 
〈2007/06/21〉
 心の病に陥った、ひとりの新聞記者が、その「体験記」を読売新聞に連載している。
 やる気がみなぎる好調期の高揚感と「治ったのでは?」という期待感、と次の瞬間、再び絶不調期がやってくるというくだりでは、彼の失意、落胆、意気消沈ぶりがリアルに伝わってくる。
 わたしのブログもこれに似ている。(と書くとき、わたしはあることをうたがっているのだが……。)
 たとえば、5月の連休中、風邪でつっぷし、そこから快復した直後の3週間くらいで、ブログに掲載した記事の文字数は約40000字(←一太郎の「文書の文字数」でチェック)。
 原稿用紙にして100枚だ。
 音楽家がピアノを弾くように、マラソン選手が走り込むように連日、透きとおるような快さで文字を書きつづけている。
 というような期間があるかと思えば、ひと月にたった3枚という期間もある。
 今がその「たった3枚」期間のど真ん中だ。
 記述したい、あるいは記述しなければいけないことがらが次から次に目の前にあらわれる。
 だが、現在、自分のからだが根元からフワフワと宙に浮いてしまっていて、これらを文字に定着させることができない。(
〈2007/06/21〉の記述 以上)

◆今年の6月は、これまでのところ、33591字。
 ペースとしては、先月とそれほど変わっていない。
 しかし、ここ、数日、急速に、そのペースがダウンしてきている。
 ダウンしてきていることを、身でも心でも自覚し、そのハズミに、昨年の苦しみを想起したのだ。

    


 前回のブログに、柳橋を「左から右に渡るわたし」がわたしなのか? 橋のたもとから「それを眺めているわたし」がわたしなのか? 周の夢に胡蝶と為れるか、胡蝶の夢に周と為れるか(蝶になった夢を、わたしが見ていたのか? わたしになった夢を、蝶が見ているのか?)の心境。胸がしめつけられて、せつない気持ちに陥る……と書いているが、2人の「わたし」が、連続・融合する一瞬というのが、この「わたし」が消滅してしまう瞬間なのではないか?という思いに至ったことが、せつないのだ。

    


◆警笛が聞こえたので見上げると、鮫駅方面に向かう気動車が鉄橋を渡っていた。

    


◆身をかがめて、こういうところを突き抜けた。

 わたしは、この旅に出ようと決めたときに、無意識のうちに、旅の終末に、歌舞伎の「屋体崩し」のような壮大な仕掛けを期待していたのではないか?
 柳橋。
 JR八戸線鉄橋
 新湊橋。
 湊橋。
 これらを、垂直に、垂直に、突き抜けて、海に出ると、屋体崩しが待っていて、わたしの存在自体は変わらないが、わたしの、いわば存在の存在が、なんと、びっくり、一新、一変し、新しい「わたし」が誕生する。
 そんな瞬間……(^^;)

    


◆身をかがめて橋の下をくぐりぬけると、うみねこが待っていた。
 ゆきゆきて、武蔵の国と下つ総の国とのなかに、いと大きなる河あり。
 それをすみだ河といふ。
 その河のほとりに群れゐて、思ひやれば、限りなく遠くも来にけるかなと、わびあへるに、渡し守、はや船に乗れ、日も暮れぬといふに、乗りて渡らんとするに、みな人、ものわびしくて、京に思ふ人なきにしもあらず。
 さるおりしも、白き鳥のはしと脚と赤き、鴫の大きさなる、水のうへに遊びつつ、魚をくふ。
 京には見えぬ鳥なれば、みな人、知らず。
 渡し守に問ひければ、これなむ、宮こ鳥といふをききて、
 〈名にし負はばいざこととはむ宮こ鳥わが思ふ人はありやなしやと〉
 と、よめりければ、舟こぞりて泣きにけり。

◆師の弔い期間(6/21~7/21)に入り、また昨年のレオンの死を想起し、ちぢこまっているわたしを、きょうは「ま、ええやんけ」「ええやんけ」という感じで、ほぐしてみた。


はなむけ号(折りたたみ自転車)で、新井田川の土手を下り、河口(八戸港)をめざす旅に出る

2008-06-21 12:25:18 | Weblog

      


◆はなむけ号(折りたたみ自転車)で、新井田川の土手を下り、河口(八戸港)をめざす旅に出る。
 出発点は、市民病院が間近に見える、土手(新井田側)。

 旅に出る心境を列挙する。

(1)「昔、男ありけり。その男、身をえうなきものに思ひなして……」という伊勢物語の心境。
(2)「すべてのものはわれにむかいて/死ねという/わが水無月のなどかくはうつくしき」という「水中花」(伊東静雄)の心境。
(3)少し前「異人(幽霊)に近づくと、それだけ自分の体は衰弱し、死に近づく」という話をしたが、なお一歩を進め、死者たち(江藤淳氏等)との行きあいを希う心境。

 ま、あえて文字にすると、こんなところか?

    


◆新井田大橋が見えてきた。
 毎夕、はなむけ号で、四本松からR45を下り、右から左へと、この橋を走り抜ける。
 今、わたしは、その日常の軌跡を、垂直に突き抜けようとしている。

    


◆新井田大橋のたもとに到着。
 伊勢物語では、「その沢のほとりの木のかげに下りゐて、かれいひ食ひけり」。
 そこに咲く花、か・き・つ・ば・た……という5文字を句の上に据え、旅の心をよむのだ。
 「から衣きつつなれにしつましあればはるばるきぬる旅をしぞ思ふ」とよめりければ、みな人、かれいひのうへに涙おとして、ほとびにけり。

 先日、総合文化部員と金見さんの力作、みなみ中玄関ロビーの「巨大なひまわり」について触れたとき、「この巨大なひまわりが、夏の最後の光輝を浴びつつ、ひと夏の終末を告げる時までの3ヶ月間が、わたしの最後の季節だ(^O^)」と書いた。
 最後の季節を、わたしは3つに分けている。
(1)6/1~6/20 「わが水無月のなどかくはうつくしき」期間
(2)6/21~7/21 死者・江藤淳氏等弔い期間
(3)7/22~8/31 (江藤淳氏以降)

 最後の(3)については、①招魂社 ②千早神社 ③戦艦大和 ④高村光太郎山荘……等々、具体的なイメージはあるが、ことばとしては、うまく命名できていない。

    


◆はなむけ号は、時空を越え、死者にむかい、どんどん突き進み、右前方には、セメント工場が見えてきた。
 暑いので、外皮を1枚、脱ぐ。

    


◆はなむけ号のメカ

    


◆前方に柳橋が見える。
 毎朝、わたしは、この橋を、左から右へ渡り抜け、みなみ中に向かう。
 ふつうは、午前6時半頃、今は、1人サマータイムをやっているから、午前5時半頃。
 左から右へ渡り抜けていくわたしが、わたしなのか?
 川のほとりに立ち、渡り抜けていくわたしをみているわたしが、わたしなのか?
 周の夢に胡蝶と為れるか、胡蝶の夢に周と為れるかの心境。(蝶になった夢を、わたしが見ていたのか? わたしになった夢を、蝶が見ているのか?)

 胸がしめつけられて、せつない気持ちに陥る。

 ※旅は、まだまだつづくが、きょうは、これでいったん中断。

◆午後6時から、やま文で、地区5校合同連絡協議会。

 普段は、みなみ地区の、みなみ小・みなみ中の2校の枠組みで、小・中連携や学社連携事業を展開しているが、この2校に、白銀中、白銀小、白鴎小の3校が、いっしょになり、5校という枠組みで教育を考えようというものだ。
 みなみ小・みなみ中は、人口12000人の教育コミュニティだ。
 これに3校が加わり5校となると、人口30000人を超える教育コミュニティになる。
 30000人を超える規模で、なにかをまとまってやろうというのは、実際のところは、なかなかむずかしいが、このほうが都合がいいという場合も、ないわけではない。

    

    


 〈協議会の次第〉

1.担当校PTA会長あいさつ(白銀小)
2.各校自己紹介
3.協議
(1)各校生徒指導の情報交換
(2)三嶋神社例祭にかかわること
(3)その他

 ひきつづき行われた〈懇親会の次第〉
1.当番校校長あいさつ(白銀小)
2.乾杯(次年度担当校PTA会長)
3、懇親会及び情報交換

 みなみ中からは、PTAから、佐藤会長、佐々木副会長、漆沢生活指導委員長、楢舘委員、教職員から、わたし、嘉瀬教頭の6人。
 松代生徒指導主任も出席する予定だったが、同時刻、開催される3学年PTA懇談会(みなみ公民館)のほうに出席。



あちら側の時間に立てば、再会の喜びだが、こちら側に立てば、2人が共有できる実在は、もう既に崩壊

2008-06-18 15:28:41 | Weblog
◆そういうギリギリ、ギリギリをやっていたら、6/16夕刻、「異人に近づくと、それだけ自分の体は衰弱し、死に近づく」という疑似体験をしてしまった。

 その日は、午後6時から、六日町のキリンパークで、市中体夏季大会・みなみ中ご苦労さん会が開かれた。
 子どもたちの成長の節目節目に、教職員の有志が集まり、子どもたちのがんばりを讃え、また互いの労苦をねぎらう。
 キーワードが「子どもの成長」になっているから、ひとつの学校文化といってもいいだろう(*^_^*)。
 会費4000円。

 この会場に向かおうと、上徒士町→町組町→二十六日町→十六日町→六日町……と歩いているときだった。
 この日は、どうしたことか、次から次に、めくるめくように、過去の人々に出会った。
 35、6年前の方が、お2人。
 25、6年前の方が、お1人。
 15、6年前の方が、お2人。
 わたしの魂は、そのたびに、本来、不可逆の時間を、行ったり来たりした。
 あちら側の時間に立てば、再会の喜びだ。
 だが、こちら側に立てば、2人が共有できる実在は、もう既に崩壊してしまっているのだから、喪失の確認だ。
 再会の感激と、喪失の確認を、わたしは、5回くりかえしたことになる。

 キリンパークでの冒頭、わたしは「今夜は、品格ある学校文化を楽しむ時間にしましょう!」とあいさつしたのだけれども、目の前にいる、宮重、久慈、今田T……、隣にいる山本事務主任、左奥の和田T、下川原技能主事、右端の廣瀬、中嶋、松代T……などの顔、顔、顔、顔、顔、顔……が、ほんとうに実在のものなのか? いや、それとも、もうこの世にはないものを不可逆に思い返そうとしたとき、わたしの心に浮かぶだ幻なのか? よくわからない、クラクラした気分だった。

      

★みなみのカリン酒が完成した。きちんと成熟したお酒になるまでに7、8ヵ月かかるみたいだ。


異人(幽霊)に近づくと、それだけ自分の体は衰弱し死に近づくというが、わたしの疲れは、その衰弱に近い

2008-06-18 11:32:37 | Weblog

      

★たまった新聞を、ソファーに寝転がりながら、読破。

◆結構、疲れているのに、いつものように、やや不眠状態。
 結局、いつものように、睡眠不足状態で、早朝起床。
 ソファーに寝そべり、いつもの休日のように、コーヒーを飲みながら、まず、きょうの新聞(火)を読み、つづいて、たまった新聞=水・木・金・土・日・月……と読みつづける。

 「ちょうどいいところへ来た。いま緊急座談会がはじまったので、すぐ御参加下さい、こちらです」
 と、有無を言わせずスタジオに連れこまれた。
 見ると、文芸評論の江藤淳……といった人たちがいる。(6/14土「叙情と闘争」から)

    


◆こんなに新聞をため、こんなに疲れる1週間って、いったい、なんだったのか?

 わたしの好きな映画『異人たちとの夏』では、異人(幽霊)に近づくと、それだけ自分の体は衰弱し、死に近づく……という設定だが、感覚的にいえば、今のわたしの疲れは、その「衰弱」に近い……。
 わたしにとっての「異人」、それも近時(6/9~6/16)の「異人」とは……?


 ふと、自分のホームページの上の部分にあるテロップをみると、「08.6.15 19:29 ここ、しばらくの魂の高揚が、ガクンと低下。迷走中です。けど、こうしながら新しいわたしが生まれつつある予感。詳細は後日。^^;」と流れている。

 正直な……というか、あちら側とこちら側のギリギリのポイントに立ったコメントだ。
 さらにいえば、「今のわたしの疲れは、その『衰弱』に近い」は、こちら側のギリギリで、「こう(衰弱)しながら新しいわたしが生まれつつある予感」は、あちら側のギリギリ!(^o^)!
 ただ、「詳細は後日」とあるが、あちら側のギリギリで、わたしは何を詳述しようとしていたのだろうか?


みなみの運命を背負い、みなみに運命を託し「ああ、みなみの生徒でよかった」と心から思える、美しい応援を

2008-06-15 19:42:13 | Weblog
      

★壮行式 選手団の勇姿 撮影=志塚T

◆壮行式にあたり、3点述べます。
(1)第1点。
 試合に際し、あなたは、相手チームのどこをチェックするか?
 わたしはソフトボール専門ですから、やはり、①相手ピッチャーを見ます。いいか、わるいかというより、自分のところの打線にとって、どうか?をみます。
 たとえば、コントロールが悪い、けど、大事なところではストライクをとってくる……というのは、打ちにくいというか、サインを出しにくい。
 ②2番目に、セカンドを見ます。ソフトボールでセカンドがいいというのは、他もいろいろいいということで、セカンドがいいと、ああ、負けるかもしれない……と思います。
 しかし、もっともっと見るのは、③チームが団結しているか? これは個人競技の人も同じですよ。
 チームがひとつにまとまっていない。
 たとえば、チーム内にグループがあってゆがみあっている。
 いじめがある。
 差別がある。
 これはみれば、すぐわかります。
 だいたいこういうチームが、神聖な試合コートに出てくる資格がないし、こういうチームに絶対に負けたくないし、負けない……と思ってやってきました。
 残念ながら、自分のチームがダメだというときもありました。
 そのとき優勝候補だったんですが、わたしは「だれも、わたしたちみたいなチームと試合したくないよ」と、春の大会を棄権したことがあります。
 壮行式のきょういう日、大会前日の明日という日、チームの団結度を、ひとりひとりが、チェックする日にしてほしい。
 自分たち、メンバーは、共にこの競技を選んだ仲間なんだ、いろいろあったけど、共にきょうまでいっしょに練習してきた仲間なんだ、いわば運命共同体なんだ……みんな、ほんとうにこれまでありがとう……コーチの方々、先生方、ほとんうにありがとうございます、お母さん、ありがとう……という気持ちをもって、そういう気持ちにまで、自分を高めて、大会に臨んでほしい。

    

「共にきょうまでいっしょに練習してきた仲間なんだ、いわば運命共同体なんだ……みんな、ほんとうにこれまでありがとう」と、壮行式の式辞をのべるわたし。撮影=志塚T

(2)第2点。
 作り話ではなく、先週、朝、夢を見ました。
 陸上の長距離レースの夢です。
 わたしは、ソフトボールは高校からで、中学のときは陸上の長距離をやっていました。
 夢の中でわたしの前を優勝候補の選手(社納君)が、その左を、チームメートの依田君が走っていました。
 あと1キロ。
 わたしが依田君に「そろそろスパートしないと間に合わなくなるよ」といったら、依田君は「社納が疲れているかどうかわからないよ。僕はもう少し様子をみる」。で、わたしも「じゃ、ぼくも様子をみるよ」……といった瞬間、依田君がダーッとダッシュ。
 それをみて、わたしもダーッとダッシュ。
 依田君はわたしをだましたのではない。
 様子をみるといったものの、不安になり、一瞬の判断でダッシュしたんです、そういうのは、よくわかるんです。
 あとはもう、夢のなかで、わたしは、ただただ、ひたすらワーッと走る。

    

★みなみを背負って、ほんとうによくがんばった応援団長の勇姿。ほんとうに、ありがとう!!!!!

 1回迷ったのは、上り坂で、ここはゆっくり走ったらいいのか、一気にいったらいいのか、よし、一気に……。
 ゴールインして、倒れ込みながら、コールだ、ゴールだぁ~と叫んでいるところで、目が覚めました。
 すごく、気持ちがよかったです。
 ほぼ現実に同じような場面がありました。
 それから40年以上ですよ。
 そのひとつのプレーが、40年以上も、わたしのうちにあり、わたしを励ましつづけているんです。
 君たちも同じです。
 君たちのプレーは、この大会のプレーで終わりではありません。
 君たちの人生を支えつづけます。
 これからの君たちの生き方につながります。
 だから、勝ち負けではなく、悔いのない、自分のすべてをかけた、力一杯のプレーを期待したい。
 逃げない。
 正面で。
 力一杯。
 選手ひとりひとりの奮闘努力を祈ります。

    

みなみの運命を背負い、あるいは、みなみに運命を託し、「ああ、みなみの生徒でよかった」と心から思える一瞬だ。

(3)第3点。
 応援団のみなさんへ。
 今、選手に、チームは運命共同体だ……といいました。
 応援団のみなさんは、その運面共同体を背中に背負って、応援するわけです。もう少しいうと、みなみ全体を背負って応援するわけです。
 また、それは、同時に、自分の運命を、そのチームに、みなみに託して応援するということでもあります。
 みなみの運命を背負い、あるいは、みなみに運命を託し、「ああ、みなみの生徒でよかった」と心から思える、美しい応援をしましょう。

 結びに、コーチの方々、地域の方々、保護者のみなさま、そして、みなみの先生方、これまでのご指導とご支援に、心より感謝申し上げ、わたしのあいさつとします。


    

★壮行式 選手団の決意表明 野球部

きっちりと「指し」つつ、生徒と目を合わせ、きっちりと「語る」武井教育実習生

2008-06-11 19:06:48 | Weblog

    


◆少し前、きょうは1/8を記述することができた……と書いたことがある。
 1/5……1/10……。
 ずっとこういう日がつづいている。
 きょうは3/6。
 ノルマの50%達成だから、まずまずで、その1/3が、教育実習生 武井さんの授業参観と授業批評会だ。
 下記に、その記録の一部をアップする。

◆武井教育実習生の研究授業を参観。
 1校時 2年4組(32名)
 単元名 明治維新
 本時の題材名 新政府の成立

    


◆武井教育実習生が、懸命に「黒板に向かってしゃべらない」という努力をしていることが、よく伝わってきたし、その目標が、ほぼ完璧に達成されていた。
 下手な俳優は、親が息子の首根っこを押さえ「この親不孝者が!」とぶつ場面で、「セリフ」と「ぶつしぐさ」を同時にやってしまうが、上手な俳優はセリフのあと、そのセリフにこめられている幾種類かの思いをこめて、きっちりとぶつ演技をするといわれる。(この情報は、近時、どこからか得たのだが、もう出所を忘れてしまった。)
 板書事項を指して語る場面もこれに似ている。
 きっちりと「指し」つつ、生徒と目を合わせ、きっちりと「語る」。
 きょうの武井実習生は、これが出来ていた。
 感心、いや、感動に近い気持ちで眺めた。
 武井実習生には、やや失礼な言い方になってしまうけれど、「黒板に向かってしゃべらない」たったこれだけの努力で、瞬間、瞬間に限定しての話だが、黒帯のプロ教師のように見えた。

    


◆指示・発問・語りのリズムもいい。
 ただし、そのリズムを重視したために、班や個人作業の達成状況の確認が、やや形式的に流れてしまった。

◆生徒への説明の過程で、重要部分や重要単語を押さえて、一斉音読させる場面について。
(1)これは本校で重視している手法であり、また、武井実習生の指導者である佐藤公一研修主任が得意とする手法であるが、それをよくマスターしている。
(2)本校の教師がその手法を取り入れている授業ではなく、実習生がその手法を取り入れている授業を見て、ポイント音読の学習効果の高さを再確認した。
(3)欲をいえば、国語教師からすると、「住居」を生徒が「ジュウイ」と読む場面があった。
 ここは、正しい読み方を教えた上で、一斉音読させ、さらに「念のために」と、もう一度、一斉音読させてほしい場面だった。(社国連携)
(4)これは本校の課題だが、生徒が一斉音読と個人音読の区別ができていない。
 個人で音読の指名を受けたときは、1人で学級全体に聞こえるように読むのだというギアの切り替えが必要で、このことの指導が今後の課題。

 

◆次に課題(=代案)を列挙する。
(1)逆接ではない、中止法の「が」は、指示場面では使わない。
 ×「教科書には~が書いてあるんですが、~ページを開きましょう」→「教科書には~が書いてあります。~ページを開きましょう」
(2)①発問をして、②個人指名をして、③解答させて、④「はい、正解」とやるケースで、①発問が全体のものになっていない。③④「解答」が全体のものになっていない。④正解の生徒に対して「がんばりの認め方」がワンパターン。
 わたしは、youメッセージとiメッセージを使い分けて、がんばりを認めるようにしている。
(3)上記の解答場面について。
 問題が3つのテーマごとに小問がいくつかあるという構成なのだから、わたしだったら、テーマごとに「全問正解した人?」「4問正解した人」とやって、達成状況をチェックする。(時間の関係もあるから、全テーマについて、やる必要はない。)
(4)授業はいくつかの段落で構成されている。
 新しい段落に移るときに、前段階をまとめ、次段階の目標を提示し、さあ、ここから新しいステージへいくんだという意識づけ、切り替えが必要。
 合わせ技として、机を整とんさせたり、姿勢を正したり……という手法もある。
(5)作業させるとき、当然、時間を指定する。
 このとき、教師が一方的に「2分」とやるのではなく、生徒自身に「自分だったら何分でできるだろう?」「先生は何分っていうんだろう?」と考えさせる、一瞬の間が必要だ。
(6)筆順がまちがっている漢字がある。国語教師として、構造的責任を感じてしまうm(_ _)m。

    


 もちろん、プロ野球のピッチャーでいうと、9回完投というふうに、50分完投というわけにはいかなかったが、テレビドラマを撮るときのように、カット、カットでやると、いいドラマになるという授業だった。
 わたしが塾経営者で、その「ドラマ」を見せられたら、即、武井さんと契約するかもしれない(^O^)。



はなむけ号は宇宙空間を疾駆。ついに、なんと、臥牛山まつり会場に到りぬ。

2008-06-09 20:42:28 | Weblog
◆ひとりサマータイム2週目スタート。
 1週目=先週は、①目覚めはいいが、電池切れ状態が早くやってくる。②起床はごくごく自然だが、就寝はギクシャク。
 きょうは月曜日、ひとりサマーを1週間やってみて、土曜日・日曜日をはさんで……さあ、どうだろう?というところだ。

 ひとりサマーで獲得した2時間を「せっかく獲得した時間なのだから、がんばらなければ……」と、執筆にガツガツするのではなく、お湯を沸かしたり、机を水拭きしたり、校舎内外を散歩(←「巡回」でなく)したり……と、ゆったりやろうと思っている。
 
◆昨日(6/8)の画像とメモ。(画像はW61CA)

    

★午前7時からPTA環境委主催の草取り大会。
 範恵T「7年間、雨で流れたっていうことが、一度もありませんよ。」
 7年×2回(6月と9月)=14回
 世の中には強運の人というのがいるようだが(ちなみに、わたしはその反対)、14回連続お天気に恵まれるという、この草取り大会は、いわば最強運の行事だ。


 
草取りのために、午前5時50分に、折りたたみ自転車(はなむけ号)で家を出る。
 平中→長者山下→片町朝市→吹上→みどりと彫刻のふれあい散歩道→塩入→四本松交差点……。
 7段変速の3段or4段で、ユルユル走行。
 長者小付近で、自転車に乗った八戸市レクリエーション協会代表の田島博氏とすれ違う。
 幸の湯温泉付近で、ウォーク中の阿部憲行ご夫妻とすれ違う。
 午前6時40分、みなみ中着。


    

★草取りと並行して、花壇の整備。

    

★草取り大会。がんばる3年生たち。

    

★みなみの巨大ひまわりが完成した。
 外側(中庭のテニスコート)から眺める。
 この「ひまわり」が、夏の最後の光輝を浴び、ひと夏の終末を告げるまでの3ヶ月間。
 これが、わたしの最後の季節だ(^O^)。


    

★草取りの後、はなむけ号で新井田川の土手を走る。
 初夏の青空。草いきれ。階上岳。宇宙空間と存在の存在。


    

★はなむけ号は宇宙空間を疾駆。ついに、なんと、臥牛山まつり会場に到りぬ。ここで、大館中時代にお世話になった掛畑さんにバッタリ会ひけり。

    

★臥牛山まつり。ラム焼肉コーナー1セット800円。隣の野外ステージからカラオケ・三波春夫の俵星玄蕃。歌というのは時代の象徴だ。三波春夫はキライだったが、ラム肉を食べながら涙ぐむ。

    

★帰路、階上登山口→松館間(10㎞のゆるい下り)はなむけ号、爆走。友人の網君が勤めている学校に立ち寄る。だれもいない校庭で「網く~ん!!」と呼んでみる。「(1971年に別れたきりの)網く~ん!」「網く~ん!」また涙ぐむ。(←酔っぱらっているのかな?)

◆4校時主任会。
(1)中途半端な知性を脱する。
 八戸の教師には、断定しないで、(反発を極度におそれて)あいまい表現をするクセがある。
 それを全面的に否定するわけではないが、断定すべきところは断定しないと(ここは敢えて断定しておくという場合もある)、いい加減なヤツという印象を与えてしまう。
 「~ようです」→「~です」。
 「~したいと思います」→「~します」。
 主任が範を示してほしい。
(2)同じく、教員というのは、公全体がそうかもしれないが、危機管理に弱い人種だ。
 平気で「部活動中、ケガをしたので、お母さんに来てもらって、お母さんに病院に連れて行ってもらいました」という人がいる。
 今、本校にはこういうことはないが……。
 公としての危機管理の基礎・基本を習得しよう。
 ①(念には念をいれて)予知・予防(対策)の徹底。
 ②ベストの対応(覚悟を決めて正面突破)の徹底
 ポイント=事があったとき「こうすべきだったのでは? こうしていれば起きなかったのでは?」と問われ、立ち往生することがないように。
(3)集団行動等のときの指導者の指示の仕方・指示内容が、不適切。
 ああいう指示の授業だと、1学期間ももたない。
 要するに、そんな危険な授業があるということだ。
 研修の見直し。
(4)髪の指導の徹底。
(5)窓の開閉ルール(開けるときは真ん中に)をとおして、知性を育てる。
 空き教室時の整理整頓、戸締まりも同じ。
 「ルール」を、すぐれた「教育思想」に。
 関連して、体育館・音楽室が常に、隅々、整理整頓されている。
 この「常に」というのと、「隅々」というのが、スゴイと思う。
 こういうことが、学校の安定と品格につながる。
(6)卒業生の高校生活の状況。
 ①順調→順調
 ②不調→順調
 ③不調→不調
 ④順調→不調
 これらの分析をして、わたしたちの指導の仕方をチェックし、③④の生徒への具体的な対応策を検討する。
 また、その分析結果を、現生徒への指導に生かす。
(8)週報の校長コメントの詳細説明(ここでは省略)

◆経営の重点について。
 経営の重点は、学校要覧にもあるように、次の5つだ。
(1)学びの喜びと確かな学力の保証をめざし、知的で楽しい授業を創る基礎・基本の修業を徹底する。
(2)学校・家庭・地域が協働できる教育システムづくりをめざし、小・中PTAを核にすこやかみなみネット事業を推進する。
 ~ 保・幼・小・中の連携(垂直軸)に依拠した学社連携・融合(水平軸)の推進 ~
(3)自他のよさや可能性を認め、互いに高め合う生徒の育成をめざし、生き方の原理・原則を重視した心の教育を充実する。
(4)安全・安心な学校をめざし、危機管理の基本を踏まえた安全管理と事故防止を徹底する。
(5)朝、起きたとき、どの生徒も「行きたい!」と思う学校をめざし、豊かな教育環境の創出に努める。

 ズバリいうと……、
(1)「知的で楽しい授業」については、2月の2学年(現3学年)模擬試験結果と、4月の1・2・3学年NRT結果をみて、一定の成果を確認することができた。
 これはほんとうにうれしい。
(2)「学校・家庭・地域が協働できる教育システムづくり」については、(1)の2倍くらい荷の重いターゲットだが、(1)を5とすれば、3.5くらいの成果が上がっている。
 PTA幹部、地域リーダーにめぐまれた結果だと思っている。
 なお、念のためにいえば、すこやかみなみネット(八戸型教育コミュニティづくり)と、市教委が展開しつつある「地域密着型」とは、似て非なるものである。
 教育思想が異なっている。(詳細は、後日、記述。)

 こういうことを書き出したのは、(1)と(2)の成果を自画自賛したいからではない。
 これらにくらべ、手つかずになっている(3)と(5)について述べたいのだ。
 経営の重点(3)と(5)は、わたしの力不足から、ずっと見通しが立っていない状態だった。
 「生き方の原理・原則を重視した心の教育」は、ずっとお題目。
 また、「朝、起きたとき、どの生徒も『行きたい!』と思う学校」についても、歌声が響く学校という財産に甘えすぎていて、次の手が打てなかった。
 これが、今年度になって、かすかな光が見えてきた。(詳細は、後日。きょうは、これで終わり。)


デザインを募集した結果、今度は、この巨大なひまわりに決定しました。

2008-06-07 04:15:13 | Weblog

      

      

★教育実習生の授業。上が八屋さん、下が武井さん。目線も語りもかなり安定してきた。

◆学校通信「すこやかみなみネット通信6月号」について。
 12ページから16ページに、ページを増やしてから2回目の通信だが、これまで発行した通信の中では(いわゆる当社比では)、なかなか出来のいい通信になったと思っている。
 内容は次のとおりだ。
(1)これからの課題はコーディネート力だ(P1~5=小高)
(2)PTA活動コーナー(P6=嘉瀬T)
(3)1学年通信「あすなろ」(P7=今田T)
(4)2学年通信「Southern CroossⅡ」(P8=田名部T)
(5)3学年通信(P9=廣瀬T)
(6)保健室だより「ほっと」(P10=安田T)
(7)生徒指導部(P11=西塚T)
(8)部活動実施計画(P12=佐々木T)
(9)総合文化部「IS通信」(P13~14)
(10)研修部(P15=佐藤T)
(11)教務月報(P16=志塚T)

 「いい通信」といったのは、これまでは、どこをどう修正すればいいのかが不鮮明な状態だったが、今号は、ああ、これはこのままつづければいい、ああ、ここにこれを足せばいい、ああ、これはやめてこれに変更すればいい……というようなことが、よく見える……というか、改善策がポンポンと浮かぶ「通信」になったという意味だ。

    

★これから地域に配付・回覧される「すこやかみなみネット通信」

 今後は、わたしの「饒舌」はできるだけ改め、その分、進路情報や経営の重点3「生き方の原理・原則を重視した心の教育」情報を充実したい。
 わたしは、どうも1つのテーマで、ドドーッと3ページ、4ページ、5ページと、しゃべってしまうところがある。
 それを、たとえば、わたしの総量が3ページだとすれば、ドドーッは2ページでグッと止め、あとの1はページでは、学力の現状・対策、心の教育など、いろいろな話題を取りあげる。
 そして、そのどれかを、それを専門とする分掌に(たとえば「学力」なら教務部、心の教育なら生徒指導部に)ふくらませてもらう、あるいは、ふくませやすいようにいていくというふうにしようと思っている。

 また前回からはじまった「総合文化部IS通信」は、ほぼ毎日、更新している「みなみ中ブログ」の記事を編集したものだ。
 このページが加わることによって「通信」全体のパワーが2倍になったような感じがする。
 今回は前回にくらべて、レイアウトも工夫され、読みやすくなっている。

 小説作法を語ってるヒマあんねんやったら、さっさと小説書かんかい!と言われるのと同じように、「通信」作法は、もうやめる(>_<)。
 次回の「すこやかみなみネット通信7月号」を期待していただきたい(^_^)v。

    

★3年英語の授業。この男子生徒の前のほうにマイクがセットされていて録音しているようだ。

◆さて、きょうも(いや、きょうこそ)、すこやかみなみネットの哲学をやろうと、校長室の隅に置かれた紙袋から、過去の自分の資料をひっくりかえしているうちに、A4右肩に「平成11年6月28日 ひらやま」と記された資料が出てきた。
 平山先生が、中学校長会のメンバー全員を対象に取られたアンケートの「集計結果」だ。
 アンケートの意図など、詳細はもう忘れてしまったし、資料のどこにもそのことは触れられていないのだが、左肩に「校長職研修について」とあるから、校長会の研修のあり方を模索するものであったと推測される。
 また、同じく左肩に「回収率68%」とある。
 わたしは、まだ、校長になって2年目だったから、たぶんそういうことを述べるのはおそれおおくて、未提出の32%のひとりだったのか?と思いながら、項目①自己研修 ②管理能力……(←この項目は、平山先生がまとめられるとき、ご自身で設定されたようだ)と順に読んでいったら、最後の最後に、間違いなく、わたしの記述が登場した。
 そのままコピーする。

「残念ながら、現在は、そういう状況にないと感じています。
 そこで、問題を出し合い、助言・支援し合い、互いに学び、力をつけていく校長会をめざし、ひとつ提案します。
 校長会の最後の1時間を実践発表・問題提起の場とする。
 ①発表時間は諸学会と同じ、1人10分~15分程度。
 ②発表内容は、(例として)各校が抱える課題・諸問題の状況、および具体的施策。(例として)校長通信、学校通信などをもとにした実践発表等。
 ③発表者は自薦。
 ④資料発表のみも可とする。
 こういう研修の継続から、真に意味のある研究グループも形成されると考えます。
 ご検討、よろしくお願い申しあげます。」

 このアンケートを平山先生に提出してから、9年たっているが、語りの調子とことばづかいは、ほとんど変わっていない。
 ま、今だと、「施策提言能力を有する校長会をめざして」という一言をくわえるかもしれない。
 うれしいことに、この資料で唯一、わたしの提案部分だけ、倍角表示されている。
 たぶん、わたしの提案と先生の思いとがシンパしたのではないかと思われる。
 が、この提案は実現しなかった。
 この年度の終わりに、平山先生はご退職、わたしは市教委に異動になったからだ。

    

★1年保健体育の授業。平均台。だれもいないときに、わたしもやってみたいと思った(^O^)。

◆すこやかみなみネット哲学から大きくそれているが、はずれついでに、おなじみの教務週報コメントについてふれる。

〈教務週報11号 6/9~6/13〉
・校 長=〔①現状②目標(ビバークあり)③対応〕=情報共有。留意点①ルール設定・厳守②役割分担
・総務部=市中体に向けて緻密な計画を。事故・ケガは土壇場にやってくる。
・教務部=黒板に向かってしゃべらない。
・研修部=短く具体的な作業(音読・ノート・グループ活動等)から達成状況の確認
・生徒指導部=けがのない安全な生活を(廊下を走らない・部活動メニューのチェック)
・保健部=体調管理に気をつけさせましょう。

 わたしのコメントは、意図的にしたことだが、なんだか暗号のようになってしまった。
 同業者なら、このコメントが、なにを言っているのかわかるかもしれない。

 来週は、6/12(木)市中体壮行式があり、6/14(土)から市中体夏季大会がはじまる。
 わたしも気合いを入れて、志気を高めないと、壮行式の式辞が語れないよ。

    

★デザインを募集した結果、今度は、この巨大なひまわりに決定しました!(^^)!

◆記述の最後だけは、すこやかみなみネット・哲学にもどることにする。

 学校・家庭・地域の協働を発展させるために、いろいろな施策を打っているわけだが、今、次の2点にぶちあたっている。

(1)3者間で、「語り」の論理が違う。
 8年前、八戸市で教育支援ボランティアセンターを設立したときだ。
 職員は、学校・家庭・地域・行政などの各分野から選出した。
 わたしは、行政代表の職員だった。
 鎌田さん(現みなみ中PTA副会長)は、家庭代表の職員だった。
 初日、二言、三言、会話しただけで、2人のあいだに険悪な空気が流れた。
 お互い口にはださなかったが、鎌田さんの顔には「あなた(小高)のような発想が学校を孤立させるのよ」と書いてあった。
 わたしも「あなた(鎌田さん)のような考えが学校の教育独占体制をまねいたんだよ」と。
 しかし、よくよく考えると、2人は、ほぼ同じ方向をめざしていた。
 「語り」方が違ったのだ。
 このことは、すこやかみなみネットが対象としている学校・家庭・地域のあいだにおいても言えることである。
 「語り」方の違いを、どう乗りこえるのか?

 互いの精神の構造が変化し、新しい「語り」が創出されるくらいに、両者間でコミュニケーションをとればいいのだけれども……。
 ちなみに、これは小中学校の連携でも、いえることだ。

(2)上記の課題解決と関連すると思うが、コーディネート役をこなせる人材が不足している。
 いや、PTAにも、地域にも、たくさんいらっしゃるのだと思うが、現時点では、すこやかみなみネットのネットには、なかなかひっかかってこない。

 コーディネート役が豊富にいるから、活発な協働活動が生まれるのか?
 いや、協働活動を通して、自然にコーディネート役が生まれてくるのか?

 きょうは、これで(これだけで)やめる。

◆本日、到着した書類の中に、高等学校体験入学の案内が入っている。
 3年生も、いよいよ、こういう時期になったのだ。

・八戸水産高 7/29
・八戸商業高 8/6~7



研修・模擬授業大会 教育実習生編

2008-06-05 19:42:47 | Weblog

      

★模擬授業をする教育実習生に目線の配り方を説明するわたし。撮影=志塚T

◆ひとり・サマータイムの4日目。
 午前4時起床、午前5時50分学校到着という時間については、まったく苦にしていない。
 問題は、睡眠の質だ。
 きのうよりはいい。
 しかし、やはり、まだ目覚めが、スッキリしない。
 原因は就寝時にあるのではないか?
 就寝=睡眠という状態に着陸すること、起床=睡眠という状態から離陸することと考えると、「離陸」はまったく問題がないが、「着陸」がギクシャクしている。
 早く寝てしまうのが、もったいないから、就寝、ギリギリまでパソコンをいじっていて、ああ、いつまでもこういうことをしていると、あした起きられないィ~!と、あせって「着陸」体制に入る。
 きっと、これが悪いのだ。
 考えてみれば、朝食は早くなったが、夕食の時間は、これまでと同じだ。
 ひとりサマーとはいえ、しかし、この夕食時間は、どうにもならない。
 もう少し様子をみてみよう。

◆今、みなみ中に教育実習生が3人来ているということは前にも書いた。
 ピッチリと実習計画が組まれていて、その中に、わたしが指導する時間も設定されている。
 きょうの1時間目が、その時間だった。

 授業のシナリオを渡して(昨日、渡した)、それにしたがい、模擬授業をしてもらった。
 シナリオの冒頭だけ、アップすると……。

 〈シナリオ〉

〈板書〉
 またひとり顔なき男あらはれて暗き踊りの輪をひろげゆく
                         岡野弘彦
1.きょうは、この短歌を勉強しましょう。
2.背筋を伸ばして、黒板をみて、各自、3回黙読しましょう。
  声に出すのではありませんよ。
  黙読ですよ。
  では、黙読、はじめ。(黙読 終わり)
3.では、○○さんの列の人、立ちなさい。
  1人ずつ読んでもらいます。
  読んだら座りなさい。
  読めない漢字があったら、「何とか……」でいいです。
  では、○○さん、読みましょう。
4.全員、起立。
  ひとりひとり声を出して3回読んだら座りなさい。
5.いっしょに読みましょう。(後略)

 わたしが指導したことを、項目だけ列挙する。
(1)黒板の消し方。
(2)目線の配り方。
(3)ほめ方
(4)禁句 例=「どうぞ」「~ください」「~(中止法の)ですが」、追加指示等。
(5)指示の背後にある教育思想

    

    


◆〈仮称・すこやかみなみネット・サポータークラブの創設〉について、覚え書き的に、いくつか列挙してみる。

(1)専門知識・技能はあればいいに決まっているし、実際、そういう人を求めているという面がないわけではない。
 しかし、そこが強調されすぎると、専門知識・技能をもった人しか必要としない……というメッセージになってしまう。
 きのうも書いたように「やってみたい人」が「やれるとき」に「やれること」をモットーにして、そのなかで、専門知識や技能も生かせるというふうに設計したい。

(2)学校の必要性を全面に出し過ぎると、学校への「お手伝い」「支援・協力」という一方向に流されてしまう。
 学校と家庭・地域の双方向性を追究したい。
 保護者自らが楽しめる活動を第1にしたい。
 こういう思いをこめて、先月のPTA総務委員会で、「活動内容も、集まった方々で決めていただく」と発言したら、委員の方々から「それではいくらなんでも……」と首をひねられ、わたしも「それはたしかに……」といういきさつで、下記の活動内容を提示した次第である。
 ①環境サポーター
 ②ホームページサポーター
 ③地域との連携サポーター
 これをとっかかり、踏み場、ステップにして、きのうも書いたが、少しずつメンバー(登録者)に集まってもらいながら、チームをつくり、そのなかで新しい活動を打ちだしていきたい。

(3)すこやかみなみネットの課題、あるいは弱点は、コーディネート力だ。
 青少年の健全育成・安全確保のために、地区安協、防犯など、さまざまな団体が活躍している。
 しかし(考えてみれば、当然のことなのだが)諸団体はもともとは他との違いをエネルギーにしている。
 だから、本質的には連携とか融合を前提にしているわけではない。
 学校もそうだ。
 だから、専門分野に特化した地域諸団体とは別に、たえず協働を目的(例=学校・家庭・地域との連携・融合・協働を安定させ、継続させることを目的)とした団体を考えていく必要がある。

◆〈仮称・すこやかみなみネット・サポータークラブの創設〉については、まだまだ思考の途中だが、きょうは、もう力が尽きた。
 きょうは、これで終わる。


歩く人が多くなれば、道ができるが、最初に歩く人がいないと、なにもはじまらない。

2008-06-04 20:26:58 | Weblog

      

★きょうは海霧が晴れた。ホンマ、岬台は、息をのむ美しさだ。

◆ひとり・サマータイム(午前4時起床→午前5時50分学校到着 期間6/2~7/18)をはじめて3日目。
 いい点は、なんといっても、なににもわずらわされない時間が、約2時間確保できることだ。
 最近のブログの記事は、ぜんぶこの時間を使ってに書いたものだ。
 欠点は、もちろん、まだはじめたばかりで、はっきりいえないけれど、現時点では、睡眠と覚醒のバランスが、安定していない。
 昨日は、午後6時頃には、電池切れのような状態で、意欲&思考力が、あきらかに低下。
 また昨夜から今朝にかけては、睡眠に失敗。
 学校に着いても、しばらくはボーッとしていた。

◆さて、けさは、その時間を使って、「すこやかみなみネット通信」の原稿を書いた。
 正しくは、「書いた」というより、「600字の教育学(このページ)」>「学校通信」という原則にしたがって、これまで、このページに書き散らした原稿を、再構成したのだ。

 再構成しつつ、「通信」のスペースが尽きかかったところで、「仮称・すこやかみなみネット・サポータークラブの創設」について触れることができた。
 前々回あたりに、書きたいことの1/8が終わり、そろそろ2/8に入ることができる……と書いたが、この2/8というのが、「サポータークラブの創設」に関する記述だ。
 残念ながら、このことについては、十分に書けていないし、思考もできていない。
 きょうは、ほんのちょっと触れただけだが、これから、「サポータークラブ」の設計、「新設・総合文化部」の設計と、「より高度な連携・融合」の設計と、論を展開していきたいと思っている。

〈すこやかみなみネット通信〉の原稿

◆5/26、午後6時半から、みなみ中図書室で、すこやかみなみネット事業推進委員会が開かれた。
 参集メンバーは、みなみ小・中PTA会長・副会長、みなみ小中校長・教頭・教務主任・すこやかみなみネット主任。
 くわえて、今回は、広く意見を求めるために、PTA監査・書記・会計の方々にも声をかけた。

 案件は、
1.すこやかみなみネット 年間事業計画
2.すこやかみなみネット 会則の見直し
3.「すこやかみなみネット通信」の町内への回覧方法
4.自動車に取りつける「巡回中」ステッカーの見直し
5.学校・家庭・地域諸団体との連携・融合事業
6.仮称・すこやかみなみネット サポータークラブの創設
7.すこやかみなみネットOB会の活動

 これだけの案件について、すべてを話し合い、すべてに結論を導き出すのは、もちろん時間的に(1時間半)ムリな話だ。
 だから、今回の会合で、はっきりと結論をださなければいけない案件と、おおむね合意しておき、詳細は連絡を取り合いながら詰めていく案件とに分けて話し合いを進めた。

    

★スポーツの夏季大会が近づいた。魂をこめて決意を書く柔道部部長

◆まず、〈1.すこやかみなみネット 年間事業計画〉について。
 主なところでは、(1)学校・家庭・地域の情報交換会のうち、1学期の開催日程が、7/2(水)午後6時半(みなみ中・図書室)と決まった。
(2)小中合同研修会&レクのうち、次の行事が確定した。
 ・救急救助法講習会 6/25(月)午後6時半(みなみ小)
 ・みなみネット杯ソフトバレー大会 10/30(木)午後6時半(白銀南中)
 ・みなみ小・中新年会 1/16(金)午後6時半(場所は未定、たぶん白銀南公民館)

◆〈2.すこやかみなみネット 会則の見直し〉について。
(1)第4条〈組織〉。
 昨年度末、9番目に「OB会」をつけくわえたが、今回、8番「会長が指名する者」の枠で、地域情報交換会には、みなみ地域の保育園・幼稚園にも案内を出すことになった。(会則に変更なし)
(2)第6条 事業推進委員会のメンバーに、これまでの小・中PTA会長・副会長に、PTA監査・書記・会計をくわえることになった。
(3)同じく第6条、「事務局は小・中学校隔年とする」を、実態に合わせて、第1条「事務局は中学校に置く」に集約し、第6条4の規定を削除する。

◆〈3.「すこやかみなみネット通信」の町内への回覧方法〉〈4.自動車に取りつける「巡回中」ステッカーの見直し〉について。
 「すこやかみなみネット通信」の地域回覧については、3連合町内会長からは既に快諾を得ているので、その具体的な方法について、今後、詰めることになった。
 また、自動車につける「すこやかみなみネット巡回中」のプレートについて、一部マグネット式を採用する方向で、柴田みなみ小会長がサンプルを持ってきてくれたが、1枚3000円くらいかかるという話だった。
 これをどうするか(採用するか、採用するば効果はあがると思われるが、予算はどうするか)は、今後の検討課題だ。

◆〈5.学校・家庭・地域諸団体との連携・融合事業〉について。
 この件について、積極的に連携・融合事業をつくりだしていこうという方向については合意し、詳細の計画は、みなみ小・中の各PTA総務委員会で検討することになった。

〈連携・融合の具体例として〉
①白銀地区防犯協会との連携=防犯協会の活動が手薄になる午後4時から午後6時の時間帯の巡回活動。すこやかみなみネットとして、現在、小・中・地域が協働して「巡回中」というプレートをつけて安全確保活動を実施しているが、この活動を生かせないか?
②各連合町内会との連携=地区行事への小中学生の参加については、すこやかみなみネットとしても、地域団体と協力し合い、学校部活動等との調整を行い、参加の推奨をしているが、現時点では、あまり効果があがっていない。これをどうするか?
 また、「地域防災の充実」はすこやかみなみネット事業の重要な柱の1つだ。しかし、この点については他の事業に比べ、手つかずの状態になっている。防災訓練を実施している岬台自主防災会との連携も選択の1つだ。
③八戸地区少年補導協力員の方々との連携=昨年度は、中学校生徒会、PTAと連携してあいさつ運動を実施した。今後、どうするか?
④安協大久保支部・安協岬白銀台支部との連携=安協岬白銀台支部からはPTAに対して、春と秋のキャンペーンへの応援要請がなされている。
 PTAとしては、白銀南小交通安全委員会では「0のつく日」に登校指導を行っている。この活動状況を、地区安協に報告して情報を共有している。今後、すこやかみなみネットとしてどう考えるか?
 なお、今年度、安協大久保支部の春の安全運動に、みなみ中生徒会が参加した。
⑤大久保地区の見守り活動との連携=見守り隊のボランティアの方々から連携の要請などがあったわけではないが、このままでよいのか?

 ただ、これについては、「PTA各委員会等におまかせ……」では、おそらく何も進まないだろう。
 PTA活動の特質は、「規約」主義と、「前例」主義にある。
 断っておくが、批判しているのではない。むしろ、これを高く評価している。
 PTAは、創設以来、途絶えることなく受け継がれ、大きな教育力を発揮しつづけている。
 その維持・継続力を支えている、要素のひとつが「規約」主義と「前例」主義だ。
 (ちなみに、現在、各地で、PTA改革と称して、個人趣味的な組織・活動に代えたり、PTAそのものをやめてしまう学校もあるが、わたしは反対だ。)

 もちろん、これは「規約・前例」に縛られ、活動がマンネリ化するというマイナス面も同時にあわせもっている。
 ここでは、このマイナス面に留意したい。
 当然のこととして、くりかえしになるが、「PTA各委員会等におまかせ……」では、前年の活動が優先され、新しい連携・融合事業は、カットされてしまうおそれもないわけではない。

 もう、耳にタコができるといわれそうなくらい、くりかえし、くりかえし、話してきたことだが、学校・家庭・地域の個人や団体という、みなみ地域の教育を構成する点と点と点……とのあいだに(「点」の存在ではなかなか力が発揮できないので)つながりを創りだし、それぞれの立場で、自由に、気軽に参画できる教育システムをつくろうというのが、すこやかみなみネットの理念だ。
 そのためには、学校・家庭・地域の教育を総合的にとらえ、それぞれの活動や気持ちを、つながりのあるものにする、中核となるエネルギーが必要だ。
 歩く人が多くなれば、道ができるが、最初に歩く人がいないと、なにもはじまらない。
 多少の困難はあっても、まず、わたしが歩く、歩きつづけるという「中核」が必要なのだ。
 すばらしい実践の裏には、必ずこの「中核のエネルギー」が存在する。
 わたしは、青少年の健全育成をめざす教育コミュニティづくりは、やはり子どもの親であるPTAが中核になるべきだと考えている。
 PTAの力は、(その潜在能力も含め)大きい。
(1)PTA会員は、学校の子どもの保護者であり、かつ地域の住民であるから、PTAはその存在自体が既にネットワークの芽を内包している。
(2)PTAは自主自立の精神に富み、高い実践力を有する、正真正銘、ほんものの社会教育団体だ。
(3)人材の宝庫である。毎年、ほぼ「自動的」に30代~40代の会員を多数獲得することができる。
(4)くりかえしになるが、組織の維持・継続のシステムが優れている。

 そのPTAにも、さらに中核となるエネルギーが必要で、それがPTA各委員会であり、PTA総務委員会であり、また、小中合同のすこやかみなみネット事業推進委員会なのだ。
 さきほど、例として示したように、連携・融合事業の具体的な活動提案は、これまでの地域情報交換会で、各地域団体から、はっきりと提示されているのだから、今後は、「これは、なんとかみなみ小PTA○○委員会で……」「これは、なんとかみなみ中PTA○○委員会で……」「これは、みなみ小PTA○○委員会とみなみ中PTA○○委員会と合同で……」というように、具体的に、こまめに、ねばり強く、「調整」「交渉」していくことが大切だ。
 PTA会員ひとりひとりの応援・支援と、各委員会のコーディネート力が期待されている。

◆〈6.仮称・すこやかみなみネット・サポータークラブの創設〉と〈7.すこやかみなみネットOB会の活動〉については、紙幅が尽きそうなので、今回は、ポイントだけを列挙する。
(1)「サポータークラブ」は、主に保護者を対象に、「やってみたい人」が「やれるとき」に「やれること」をモットーに、登録者を募る。
(2)活動分野は、事業推進委員会で話題になったものとして、
 ①環境サポーター=図書室の整理・花壇の整備・掲示板等の装飾(以前地元新聞に紹介された桜等)
 ②ホームページサポーター=PTAやすこやかみなみネットのホームページの作成(作業は各家庭で)
 ③地域との連携サポーター=地域活動・行事とPTAや学校とのコーディネート。すこやかみなみネットの支援等。
 その他、今年、新設された総合文化部への支援も考えられる。
 一気に多くの登録者を集めるというのではなく、少しずつメンバー(登録者)に集まってもらいながら、チームをつくり、そのなかで新しい活動を打ちだしていきたい。
 「すこやかみなみネットOB会」とも連携・連動・融合できればいいと考えている。詳細は、後日、お知らせ申しあげたい。


わたしの人生と霧とは密接不離の関係にある(?_?)(?_?)

2008-06-03 20:46:30 | Weblog

      

★海霧が立ちこめる岬台。ずっと昔、この近くの労災病院に入院していたことがある。早く退院したくてしたくてしようがなかったが、海から押し寄せてくる霧をみていると、不思議と気持ちが落ち着いた。わたしの人生と霧とは密接不離の関係にある(?_?)

◆きょうは全校朝会の日。
 わたしのスピーチを、記憶と手もとのメモから、文字化すると……。

〈全校朝会のスピーチ〉
 新学期がスタートして、4月、5月と、2ヶ月が過ぎた。
 きょうは、ちょうど、1学期の中間点だ。
 始業式や入学式で話したように、中学という時代は、人生、独立に向けて、一歩一歩前進していく時代だ。
 独立に向けて一歩一歩前進するというのは、育ててくれている人にかける心配の量を減らしていくこと、悲しませる量を減らしていくこと、使わせるお金の量を選らしていくということだ。
 そして、逆に、喜んでもらう量を、どんどん増やしていくことだ。
 1学期の中間点にあたり、自分が、そのことができているかどうかをチェックしてみよう。
 そして、きょうからまた、気持ちを入れかえて、一歩一歩をスタートしよう。

 そのスタートにあたり、わたしが、今、みなさんについて、かなり気にしていることがある。
 そのことを話します。
 人生、生きていて、ド~~~ン!と落ち込むことがある。
 特に、人生独立に向けて、一歩一歩前進しはじめたときには……。
 ド~~~ン!と落ち込んで、もう生きる意味もなにもわからなくなるということがある。
 わたしは、この落ち込むことが、むしろ人生にとって大事なことだと思っているし、さらに、その落ち込みから、どうはい上がるか、これはもっと大事なことだと思っている。

 友人の励ましで、はい上がることもある。
 親の励ましで、はい上がることもある。
 先生の励ましで、はい上がることができたということもある。
 わたしも、それは経験があるし、また、たいへん貴重なことだと思っている。

    

★海霧につつまれる白銀台

 しかし、これだけでは、ダメだなんだ。
 はっきりいうけれども、これだけでは、あまい。
 あまえている。
 そうではなく、自分で自分を励ます、自分で自分を励ますことによって、はい上がっていく力をもたなければいけない。

 「では、自分で自分を励ます力って、どうすればつくんですか?」と質問する人があると思う。
 これは……しかし……やはり、自分で見つけだす以外にない。
 そういう方法があるなら、わたしも聞きたいくらいだ。

 ただ、君たちの人生の先輩として、ヒントなら与えることができる。
 それは、ただ、だれかが励ましてくれるのを待つのではなく、自分から「先生、今、わたしはこういう状態です。どうしたらいいでしょうか?」と、たずねることだ。
 「お母さん、どうすればいいでしょうか」と、自分からたずねることだ。
 「おじいさん、どうすればいいでしょうか」と。
 それに、もうひとつ、自分の苦しみにこたえてくれる書物をさがしてみるのも、いい。

 6月、いや、6月、7月、みなさんが、自分で自分を励ます力をつけることに挑戦してくれることを、強く望みます。

 話は、これで終わりです。
 話は、いったん終わって、はずかしいが、少しだけ、自分のことを話す。
 わたしが25歳か、26歳の頃、すごく落ち込んでしまったことがある。
 昭和50年の春だった。
 落ち込んでしまい、春の連休は、もうだれにも会わず、ずっと寝ていた。
 仕事もやめようと思っていた。
 そのとき、す~と伸ばした手に触れた書物がある。
 偶然というのは、ほんとうに不思議なものだ。
 それを読んでいるうちに、わたしは元気になった。
 その書物が、そのときのわたしの心の状態に、ピッタリだったんだろうね。
 「だいじょうぶだよ。生きていると、きっといいことあるよ」と、わたしを励ましてくれた。

 きょう、出かけに、その書物を持ってきました。
 これです。
 書名は『○○○○○○○○○○』
 作者は、○○○さんです。
 今は、もう絶版になっています。
 図書担当の苫米地先生に頼んで、図書室に置いてもらいます。
 図書室に寄贈します。
 読んでみようと思う人は読んでください。

 以上で、わたしの話を終わります。

◆4校時、2学年職場体験学習報告会に出席する。
 最後に「講評」を述べる。

    

★2学年職場体験学習報告会。知的な成長ぶりに感動(@_@)

(1)考えてみれば、普段、みなさんといっしょに同じ学校にいながら、また、毎日、授業を参観しながら、しかし、こうして一定時間、2学年のみなさんと、じっくりと同じ時空間に存在するというのは、ひょっとすると、今回がはじめてかもしれない。

(2)したがって、今までわからなかった、みなさんのよさについて、いろいろと気づくことがあった。
 学力が高い、そして、グングン向上しているということは知っていたが、きょう、発表する内容と態度、それを聞く態度に接し、こんなに成長していたのかと、変な言い方だが、その知的な成長ぶりに感動した。

(3)冒頭のスライド発表から、職場体験学習における、みなさんの活躍ぶりが、よく伝わってきた。
 わたし自身は、本が好きだから、「わたしだったら、本屋にいきたい」、あるいは、列車が好きだから、「駅もいいなぁ」などと思いながら見ていた。
 発表のなかに、「大人のあいさつに接した」「表からは楽そうに見えていたが、今回、見えない部分に接し、ほんとうはすごくたいへんな仕事だとわかった」「質問をいくつか用意していったが、体験しているうちに質問項目が増えた」等とあったが、こういうコメントを聞きながら、ほんとうにいい体験をしたと思う。
 中学時代としてはもちろん、人生のなかでも貴重な体験になったことと思う。

◆きょうのブログは、子どもたちへのコメントばかりになってしまった。
 全校朝会のコメントは、本番は、もう少しいい感じではなかったかと思っているが(^_-)、文字にすると、ま、この程度だ(^O^)。
 「書物をさがしてみるのも、いい」については、直接に説明することは避け、いったん話を終わるという、ひとつのクッションをおいて、補足・体験話(昭和50年)にリンクさせるという、わたしとしては、とても珍しい?工夫をしてみた。

 2学年職場体験の「講評」は、実は、まったく別な話を用意していた。
 しかし、それこそ、講評のなかでも言ったように「知的な成長ぶり」に感激し、すべてキャンセルしてしまった。


しかし、実際のところは、さらにもうひとつのエネルギーが必要なようだ

2008-06-02 21:11:12 | Weblog

      

★きょうは、みなみ中を会場に、みなみ小・中連携の授業研究会が開かれた。3年国語(文法 敬語)の授業

◆前回(5/30)の記述の終わりに「頭のなかで、これと、これと、これ……を書こうと思って書きはじめたのだが、書きたいことの1/8……の地点で、エネルギーが尽きた」と書いたが、今、自分の頭が、その残り7/8を検索しはじめている。

 まず、これ→「もう、耳にタコができるくらい、くりかえし、くりかえし、話してきたことだが、学校・家庭・地域の個人や団体という、みなみ地域の教育を構成する点と点と点……とのあいだに(「点」の存在ではなかなか力が発揮できないので)つながりを創りだし、それぞれの立場で、自由に、気軽に参画し、協働できる教育システムをつくろうというのが、すこやかみなみネットの理念だ。
 そのためには、学校・家庭・地域の教育を総合的にとらえ、それぞれの活動や気持ちを、つながりのあるものにする、中核となるエネルギーが必要だ」……というところからスタートする。
 中核のエネルギーがないと、なにもはじまらない。
 歩く人が多くなれば、道ができる。
 しかし、最初に歩く人がいないといけない。
 多少の困難はあっても、わたしがまず歩く、歩きつづけるという人物=中核のエネルギーが必要なのだ。
 すばらしい実践の裏には、必ずこの「中核のエネルギー」が存在する。

    

みなみ小・中連携の授業研究会 授業後の分科会

◆中核エネルギーの候補として、行政、学校、地域の有志、PTA等……、いくつか考えられる。
 結論的にいうと、わたしは、これらのなかから「PTA」を選択した。
 理由は、あとで述べる。

 消去法でいくと、まず、いちばん先に排除されるのは、「学校」だ。
 学校は確かに中核エネルギーとしての能力を有している。
 十分すぎるくらい有している。
 しかし、現在の教育危機を招いた元凶は、学校の教育独占体制(学校の教育丸抱え体制)なのではないか?
 学校の教育独占体制が、家庭や地域の教育力を弱め、学校と家庭と地域の教育のバランスを崩してしまったのだ。
 なのに、その学校が「中核エネルギー」としての役割を担い、それが機能しはじめると、バランスがさらに悪くなるのは、目にみえている。
 もう少しいうと、抱え込みすぎて、今、学校はパンク状態なのだ。
 そこに、この「中核機能」まで持ち込むことは、ほとんど○○行為だ。
 (しかし、周囲を見回すと、こういうたぐいの実践が多いから、気をつけなくてはいけない。)

◆次に排除したのが、「行政」だ。
 戦後、行政主導で、星の数ほど、社会教育団体が誕生した。
 しかし、行政にオンブに抱っこの社会教育団体をいくらつくっても日本社会は変わらなかった。(社会教育団体が全部ダメ……といっているのでは決してない。有益な団体も多い。念のために。)
 これには説明はいらないだろう。
 戦後、社会教育の失敗の最大の原因がここにあるといっていい。

◆さて、ここで、残ったのが「地域」と「PTA」だ。
 「地域の有志」が、中核となり、学校・家庭・地域のネットワークを形成し、具体的な活動を積み重ね、教育コミュニティーづくりに成功している例が、八戸市にもいくつかある。
 北向幸吉さん・黒田長子さんたちか活躍している根城田面木地区青少年生活指導協議会。
 高橋六蔵先生や小笠原八十三前根岸公民館館長等の方々の尽力で組織されたあすねっとねぎし。
 蟹沢幸治先生が取り組まれた大館地域の実践。

    

★みなみ小・中連携の授業研究会 全体会

◆わたしは、これらの実践から実に多くのものを学びつつ、(かつ、PTA主導→地域主導へ……という岸裕司氏らの秋津コミュニティーからも学びつつ)、しかし、教育コミュニティーの中核になるのは、PTAだと考えている。

 ここで、その理由を述べる。

(1)PTA会員は、学校の保護者であり、かつ地域の住民である。
 だから、PTAはその存在自体がネットワークの芽を内包している。

(2)PTAは自主自立の精神に富み、高い実践力を有する社会教育団体だ。
 社会教育団体にもピンからキリまであって、中には、先にも述べたが、(過渡期的に行われてきた)行政からの指導・助言・支援におんぶにだっこの団体もないわけではない。
 この点、各小・中学校のPTA(連合PTAに対して単PTAと呼ぶ。単Pと略すこともある)は、正真正銘、ほんものの社会教育団体だ

(3)人材の宝庫である。
 毎年、ほぼ「自動的」に30代~40代の会員を多数獲得することができる。
 資金面でも比較的めぐまれている。

(4)組織の維持・継続のシステムが優れている。
 今述べた上記の(3)も、このシステムに含まれるが、加えて、リーダーから次のリーダーへという人のつながりが形成しやすい。
 またPTA独特の「規約」(+前例)の存在も大きな役割を果たしているように思う。
 もちろん「規約・前例」に縛られ、活動がマンネリ化する傾向もあるが、わたしからすれば、これもPTAの魅力だ。

 以上、(1)~(4)、粗く、教育コミュニティーの中核がPTAであることのメリットを述べた。

    

★みなみ小・中連携の授業研究会 全体会で発表するみなみ小・小笠原T

◆ただ、わたしは、今、このことを述べたいのではない。
 「このこと」を前提にして、ここ3年半(「半」というのは、平成16年後半)、地域の方々に応援されながら、PTA幹部とともに、すこやかみなみネットの実践に取り組んできた。
 が、大きな、大きな成果を生みだしつつも、今、実は「壁」にぶちあたっている。

 「耳にタコができる」のくだりのあとに、次の記述がある。
 「そのPTAにも、中核となるエネルギーが必要で、それがPTA総務委員会であり、また小中合同の事業推進委員会なのだ。
 しかし、実際のところは、さらにもうひとつのエネルギーが必要なようだ」。

◆今、言いたいのは、この「さらにもうひとつのエネルギー」についてだ。

 (さっきの「1/8」のことだが、今、ここで、やっと「2/8」に入ることができそうだ。)