職員室通信・600字の教育学

小高進の職員室通信 ①教育コミュニティ編 ②教師の授業修業編 ③日常行事編 ④主任会トピックス編 ⑤あれこれ特集記事編

★昨夜のロッテ対ライオンズ。野上の背番号20が池永の20に重なり、僕は涙ぐんだ。ホンマ、感激の1戦

2012-06-28 13:32:57 | 僕のモンマルトル日記

 

2012

06.28
野上の投球ホームが――いい意味で――違う。重心が低い。躍動感がある。腕の振りがいい


★ロッテとの3連戦(QVCマリン)。
 現在のところ1勝1敗――
 2012/06/26(火)
 ライオンズ○6―3×ロッテ
 勝:岸 S:岡本篤

 2012/06/27(水)
 ライオンズ×1―2○ロッテ
 負:野上

 僕は、この3連戦は、現時点のライオンズの力をチェックするのに、たいへん、いい機会だととらえている。
 特に、先発投手+いわゆる(再建途上の)「俺たち」が、首位ロッテに通用するのかどうか?
 第1戦は、エース対決。
 岸が成瀬に投げ勝ち、最後は、長田、涌井でキッチリ締めくくる……つもりが、涌井がつまずいた。
 緊急登板の岡本篤志で、ま、「這々の体」でゴールイン(ノ△・。)。
 勝つには勝ったが、気分は敗戦。

 第2戦は、野上。
 ローテーションの谷間という人がある。
 とんでもない。
 僕は野上が近時、ライオンズのエース(池永二世)になると考えている。
 だから、超期待の1戦だ。
 パートナーとのチャンネル権の関係で、TV視聴は、試合開始から55分後の、18時55分からになった。
 おそるおそる――進行中の試合に途中から侵入するときは、いつも「どうなっているだろうか?」と祈りと緊張――チャンネルを押す。
 画面の中心に、マウンド上の野上。
 その姿をみて、アッと驚いた。
 野上の投球ホームが――いい意味で――違う。
 重心が低い。
 躍動感がある。
 腕の振りがいい。
 当然、ボールの切れもいい。
 7回1/3を投げ、被安打9、2失点、四死球1。
 負けたが、ロッテ打線を球威で抑え込んでいた。
 おお、グッと池永に近づいたよ。
 野上の背番号20が、池永の20に重なって、僕は涙ぐんだ。
 ホンマ、感激の1戦だった。

 渡辺監督コメント「野上はよく粘った。あそこまでよく投げた。」4

★関連記事
野上のピチピチとした投げっぷりに感激する。ここ、1、2ヵ月で、彼は、急速に成長している。キレのいいボールは池永を彷彿させた

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★腰を痛めた。椅子×痛い。横向きに寝るのは○ 仰向けも、ま、○ 歩くのは慎重に歩けば△ かがむのは×

2012-06-28 10:31:57 | 僕のモンマルトル日記

 

2012

06.28
玄関の桑の木がグングン伸びている。ヒヨドリ小太郎の形見だ


★腰を痛めた。
 椅子に座ると×(痛い)。
 横向きに寝るのは○
 仰向けも、ま、○
 歩くのは、慎重に歩けば、△
 かがむのは×
 急な方向転換×
 自転車(折りたたみの「はなむけ号」)は○だと思うが、乗っていない。
 とにかく、椅子に座るのが、大×だ。
 だから、パソコンに向かえない。
 当然、HPやブログの更新もできない。
 痛めたのは、2012/06/16(木)――★早朝(午前4時過ぎ)、「大阪野郎、1に足腰、2に文体、引き明けの街を走る」に出発しようと、玄関でズックを履いているとき、左側を履き、片足立ちで右側を履こうと、腰をかがめた時、腰にピリッとかすかな痛みが走った。
 5キロは問題なく走ることが出来た。
 しかし、のちに痛み出す。
 1週間ほど、腰に負担をかけないように静かに暮らし、ほぼ痛みがなくなった頃――2012/06/23(土)、ベットの上でクッションにもたれ、不自然な姿勢のまま、3時間ほど、PCに向かっていたら、痛みが走った。
 今度のは、はっきりとした痛みだ。
 仕方がないので、DAKA古書店跡の床に横向きに寝そべり、腕枕スタイルで、瞑想していたら、背骨まで痛めた。
 ショックである。
 僕はもうボロボロなのかもしれない……と、2012/06/25(火)、近所の整形外科で診察を受けた。
 結果は、軽症。
 医者は特に治療行為はやらなくてもいい……(と、口には出さないが、そういう)口ぶり、しぐさ&表情だった。
 医者「電気は(必要ないと思うが……という表情)やってみますか?」
 僕「(電気はかけたことがない。一度、あのピリピリをやってみたい。で)ええ、やります。」
 医者「痛み止めは(必要ないと思うが……という表情)出しましょう。」
 医者「湿布も(必要ないと思うが……という表情)出しましょう。」
 痛み止めは服用していない。
 湿布は張った。
 しかし、僕にとって、この「湿布」がちょっとクセモノだった。
 ロキソニンテープ100ミリグラム。
 実によく効く。
 それに張りやすい。
 1、2、3のステップで簡単に張れる。
 調子にのって、腰や背骨にバンバン張っていたら、昨夕、頭がボーッとし、顔がむくみはじめた。
 即、中止。
 で、現在に至る。
 座っていても、もう痛みはない。
 頭のボーも、顔のむくみもとれた。
 なにかのハズミにかすかな痛みを感じるが、それがどういう動作のときか?というと、再現はできない……という程度まで快復。
 ――以上、ここ、2週間の「腰痛」の報告。

★画像は、玄関の桑の木。
 以前にも紹介したことがあるが、庭にやってくるヒヨドリのフンの中にあった種子から芽が出た。
 ただ、その芽が出た場所が、臨時駐車場――来客が車で来たとき、僕の車(サイノス号)を庭に移動させる場所――のど真ん中。
 ま、せっかくヒヨドリが運んできた「幸運」を粗末にしたくないということで、剪定をしたうえで、植木鉢に植え替えた。
 桑の木は樹勢が強烈。
 素人剪定、素人植え替えにもめげず、グングン育っている。
 この桑の種子を運んできたヒヨドリ(小太郎)はもう姿を見せなくなった。
 2年つづけてやってきていたので、さびしい。
 旅の途中で朽ち果てたのかもしれない。
 桑の木は、小太郎の形見だ。

★関連記事
斎藤佑樹のマネをして背中版の「ギックリ腰」に。黒石の今井理桂氏から『陶と墨彩画二人展』の案内が届いた

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★zapping中『ヒットの泉?ニッポンの夢ヂカラ!?』、森谷英司さんのゴム長靴工房・ウッドヴァリに

2012-06-24 15:24:14 | 僕のモンマルトル日記

 

2012

06.24
ベンチに引き上げるときの照れくさそうな長田の顔。これが僕のいう大和魂だ


★午前中、TV、zapping。
 『ヒットの泉? ニッポンの夢ヂカラ!?』、東京都葛飾区、森谷英司さんのゴム長靴を手作りで作る工房・ウッドヴァリ(婦人用ゴム靴製造)で、zappingが止まる。
 何十年も昔から作り方が変わらない長靴。
 その生ゴムシートに、大判の転写シールを貼り込み、プリントデザインブーツを製造。
 これが大ヒット……という話。
 何十年も昔から作り方が変わらない部分=90%
 新しい部分(大判の転写シール)=10%
 この比率に、結構、感動する(^_^)v。

★HP、ブログ、Chat等への、僕の発信の(不)格好は、バッテリー、フル充電のLets note CF-S10を、DAKA古書店跡→開かれた孤独時空間(居間)→屋根裏他等と、気が向いた場所をnomadしながら発信していくスタイルだ。
 しかし、最近、無線ランとの接続が不安定になった。
 いったん接続してしまうと、いいのだが、最初の接続が、なかなかうまくいかない。
 PCから「切断・接続」をくり返す……。
 「トラブルシューティング」を作動させる……。
 PCを再起動。
 遂には無線ランルーターをリセット……と、ま、こうやっているうちに――時間にして数分~10分で――接続できるのだが、この不安定さが、僕の精神を、不安定というほどではないが、猛烈に不快にさせている。
 考えてみると、事の起こりは、パートナーのPCがVistaからWindows7に変わった頃からだ。
 僕がWindows7、パートナーがVistaのときは問題がなかった。
 で、昨日、「ひょっとしたら……」と――あくまでも「勘」、僕はこういうことの詳細にうとい――次の処置を。
 コントロールパネル→ネットワークとインターネット→ネットワークと共有センター→ワイヤレスネットワークの管理→自分のネットワーク(ダブルクリック)→「このネットワークが接続範囲内に入ると自動的に接続する」&「ネットワークがSSIDをブロードキャストしていない場合でも接続する」にチェック→OK。
 と、一発接続ができるようになった。

★玄関ホールの巨大ひまわりが完成した。
 すこやかみなみネット・環境サポータークラブの方々と総合文化部員たちの力作だ。




 僕は、今年の自分の夏を、次の3つにわけている。

 1=「わが水無月のなどかくはうつくしき」期間(6/1~6/20)
 2=「自刃・江藤淳弔い」期間(6/21~7/21)
 3=「魂の還る場所を求めて」期間(7/22~8/31)

 それぞれについて語れば長くなるので^^;、90%を省略し^^;、10%だけ語る^^;。

 「1」の「わが水無月の」は、伊東静雄の詩「水中花」の冒頭――
 〈耐えがたければわれ空に投げうつ水中花。
  金魚の影もそこにひらめきつ。
  すべてのものはわれにむかいて
  死ねという、
  わが水無月のなどかくはうつくしき〉
 ここからの引用だ。
 先日も、校舎の2階――2年1組前の廊下から、グランドを囲む、緑の葉に、赤、白の花があざやかなヤマボウシを眺めているとき、グランドにつづく丘陵地から、忽然と、海霧が駆け下りてきた。
 そのときだった。
 この〈耐えがたければ〉の詩句が、僕の身体の内側からドッと吹きだした。
 毎年のように6月に入ると、この絶唱が吹きだしてくる。
 「これだ、これだ」と思う。
 しかし、何が「これ」なのかは、よくわからない。
 これまで20年以上も「これだ、これだ」でとどめたまま、突きとめようとしたことはない。
 強いていうと、僕が、死が予感し、同時に、時が止まり、極限としての「今」と対面させられるのではないか?
 ま、死の刃を感じながら生きる期間といっていい……のかもしれない。

 「2」は、一昨日、金曜日のブログで「江藤淳が聴いたはずの豪雨の轟き」で述べたばかりだ。
 ここでは、省略。

 「3」の「魂の還る場所を求めて」は、これから先のことだ。
 僕の魂が還る場所を求め、あるいは、還る場所への道を求め、この夏、彷徨する。
 イメージとしては、長い勤務を終えた僕が、背広を脱ぎ、片方の肩にかけ、もう一方の手で汗を拭き拭き、野の道を歩いていく。
 その「野の道」は……招魂社への道なのか?
 千早神社への道なのか?
 光太郎山荘への道なのか?
 信貴山の柿本家近くの、王寺の町が見渡せる展望台への道なのか?
 いくつかの道が、まだ、こんがらがり、道の果てがぼんやりしている。

 巨大ひまわり前から出発し、魂の還る場所を求め、「1」「2」「3」と、トボトボと彷徨し、ハッと気づいたら、僕は、やっぱり、この巨大ひまわりの前に、いた……というのもいいかもしれない(*^_^*)。


★昨日のライオンズ○5―2●オリックス戦。
 先発西口のあとを投げた、いわゆる「俺たち」がすばらしかった。
 7回=岡本篤志。
 先日までと違って、1球1球に「これが俺やでぇ~!」という気合いが充満。
 去年後半の岡本が復活。
 8回=長田秀一郎。
 はっきりいうと、センター熊代聖人の前進、前進、スライディング、土手に当てながらのキャッチと、次の、センターからライト方向に駆けて、駆けて、駆けつづけ、ダイビングキャッチの、2つの超好プレー助けられた。
 ベンチに引き上げるときの、うつむき加減の、照れくさそうな長田の顔がいい。
 これが僕のいう大和魂だ。
 9回=涌井秀章。
 ボールが指先を離れてからミットに入るまでの軌跡に、涌井の魂が乗りうつっていた。
 北川をセンターフライ。
 バルディリスをショートゴロ。
 代打日高を三振。
 願わくは、北川かバルディリスか、どちらかをストレートで三振に取りたかった。

★関連記事
ノマドワーカーが「周囲の刺激があり仕事が捗る」と答えていた。同感だ。「開かれた孤独空間」の効用だろう

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★江藤淳が聴いたはずの豪雨の轟きのコンチェルトに、コレッリ:ヴァイオリンと通奏低音のためのソナタ集を

2012-06-22 17:28:03 | 僕のモンマルトル日記

 

2012

06.22
乱氏に誘われて大学生(教育実習生)の授業を観にいく


★僕には同じものをつづけて食べるクセがある。
 1ヶ月間、夕食にお好み焼きを食べつづけたことがある。
 他には、レストラン「民芸」のカツカレー時代。
 これは2年。
 食堂「キッチン1丁目」、ドライブイン「川村」、レストラン「松山」とつづいたカツ定食時代。
 あしかけ7年。
 学生の頃のチキンラーメン時代。
 ま、これはお金がなかったから(ノ△・。)。

 音楽も同じ傾向がある。
 毎日、毎日、同じ曲を聴きつづける。
 ブランデンブルク協奏曲時代。
 大地の歌時代等々……。

 これといった持論、信条があるわけでは、もちろんない。
 強いていうと――今から振り返ると――この期間を貫く「悲しみ」が存在する。
 (このブログの末尾に関連記事「お好み焼きは悲しみとともに」をリンクしておきますので、ぜひみてください*^_^*)。

 実は、昨日(6/21)から、「コレッリ:ヴァイオリンと通奏低音のためのソナタ集 Op.5(抜粋)」を聴きはじめた。
 1.第7番 ニ短調
 2.第8番 ホ短調
 3.第9番 イ長調
 4.第10番 ヘ長調
 5.第11番 ホ長調
 6.第12番 ニ短調「ラ・フォリア」
 寺神戸亮(バロック・ヴァイオリン)
 シーベ・ヘンストラ(チェンバロ、オルガン)
 ルシア・スヴァルツ(バロック・チェロ)
 [録音:1994年、ハーグ、旧カトリック教会]――
 江藤淳が自刃したのが1999/7/21。
 6/21から命日までの1ヶ月間は、江藤の弔い期間だ。
 期間中、僕は、自刃の夜、江藤が聴いていたはずの、豪雨の轟きを聴きつづける。
 轟きのコンチェルトに「コレッリ:ヴァイオリンと通奏低音のためのソナタ集」を聴くことにした。

★乱氏に誘われて大学生(教育実習生)の授業を観にいく。
 懸命に「黒板に向かってしゃべらない」という努力をしていることが、よく伝わってきた。
 きっちりと黒板を「指し」つつ、きっちりと生徒と目を合わせ、きっちりと「語」っている。
 感心、いや、感動に近い気持ちで眺めた。




 画像は上から、T実習生・教室の子どもたち・乱氏。

 下手な俳優は、親が息子の首根っこを押さえ「この親不孝者が!」とぶつ場面で、「セリフ」と「ぶつしぐさ」を同時にやってしまうが、上手な俳優はセリフのあと、そのセリフにこめられている幾種類かの思いをこめて、きっちりとぶつ演技をするといわれる。(この情報は、近時、TVから得たのか、インターネットから得たのか、もう出所を忘れてしまったm(_ _)m。)
 指導者が、板書事項を指して語る(説明する)場面もこれに似ている。
 きっちりと「指し」つつ、きっちりと生徒と目を合わせ、きっちりと「語」らなければならない。
 きょうのT実習生は、これが出来ていた。
 感心、いや、感動に近い気持ちで眺めた。

 T実習生には、やや失礼な言い方になってしまうけれど、「黒板に向かってしゃべらない」という、たったこれだけの努力で、瞬間、瞬間に限定しての話だが、黒帯のプロ教師のように見えた。

 指示・発問・語りのリズムもいい。
 ただし、そのリズムを重視したために、班や個人作業の達成状況の確認が、やや形式的に流れてしまった。

★生徒への説明の過程で、重要部分や重要単語を押さえて、一斉音読させる場面について。

(1)「音読はパワー、いつでも音読、なんでも音読」。
 T実習生の指導者である研修主任・公麿Tが得意とする手法である。
 それを短期間でよくマスターしている。

(2)プロの教師がその手法を取り入れている授業場面ではなく、実習生がその手法を取り入れている場面を見て、ポイント音読の学習効果の高さを再認識した。

(3)「住居」を、生徒が「ジュウイ」と読む場面があった。
 欲をいえば、(ま、国語教師からすると)、ここは、正しい読み方を教えた上で、一斉音読させ、さらに「念のために」と、もう一度、一斉音読させてほしい場面だった。
 いってみれば、社国連携。

(4)生徒が一斉音読のときの発声と、個人音読のときの発声の区別ができていない。
 個人で音読の指名を受けたときは、1人で学級全体に聞こえるように読むのだという気合い、ギアチェンジが必要だ。
 ギアチェンジができる生徒。
 今後の課題だ。

★次に課題(=代案)を列挙する。

(1)逆接ではない、中止法の「が」は、指示場面では使わない。
 ×「教科書には※※※が書いてあるんですが、~ページを開きましょう」→「教科書には※※※が書いてあります。~ページを開きましょう」

(2)①発問し→②個人指名し→③解答を発表させて→④「はい、正解」とやるケースで、①発問が全体のものになっていない。
 ③④「解答」が全体のものになっていない。

(3)さらに、④正解の生徒に対して「がんばりの認め方」がワンパターン。
 「いいですね」とほめるにしても、最低、3通り、いや、5通りはもちたい。
 「すごい」だって、同じ。
 ひとりひとりをほめる短い言葉を、たくさんもっていて、それを瞬間、瞬間、ポンポンと発する教師になってほしい。
 ほんの一言の、ことばがけが、子どもを成長させる。
 変容させる。

(4)上記の解答場面について。
 達成状況がチェックできていない。
 問題が3つのテーマに別れ、そのテーマごとに小問がいくつかあるという構成。
 わたしだったら、テーマごとに「全問正解した人?」「4問正解した人」とやって、達成状況をチェックする。(時間の関係もあるから、全テーマについて、やる必要はない。)

(5)授業はいくつかの段落で構成されている。
 この「段落」の輪郭がぼんやりしている。
 新しい段落に移るときに、前段階をまとめ、次段階の目標を提示し、さあ、ここから新しいステージへいくんだという意識づけ、切り替えが必要。
 合わせ技として、同時に、机を整とんさせたり、姿勢を正させたり……ということもある。

(6)作業させるとき、当然、時間を指定する。
 指導者のほうから一方的に時間を指定している。
 指導者が一方的に「2分」とやるのではなく、生徒自身に「自分だったら何分でできるだろう?」「先生は何分っていうんだろう?」と考えさせる、一瞬の間が必要だ。

(7)筆順がまちがっている漢字がある。
 国語教師として、わたしも、構造的責任を感じてしまうm(_ _)m。

 もちろん、プロ野球のピッチャーでいうと、9回完投というふうに、50分完投というわけにはいかなかったが、テレビドラマを撮るときのように、カット、カットでやると、いいドラマになるという感じの授業だった。
 わたしが塾経営者で、その「ドラマ」を見せられたら、即、T実習生と契約するかもしれない。
 ただ、こういう優れた人材は、「教師」という職業を選んでくれないかもしれない(ノ△・。)。
 ま、いずれしても、彼の今後の活躍を祈るv。

★昨日のブログで、「主任会における『ブレスト的発言』と、経営の重点との関連ついて、グダグタと述べたかったのだが、パワーが尽きた。つつぎは、明日に」と書いていたが、紙幅と自分のエネルギーに関する判断が甘かった。「コレッリ:ヴァイオリンと通奏低音のためのソナタ集 Op.5(抜粋)」&「大学生(教育実習生)の授業」で紙幅が尽きた。
 エネルギーも尽きた。
 「とりあえず、あの日以来、わたしが、どこで、どうしていたかをお話しします」メールに関する記事とともに、明日以降に延期するm(_ _)m。

★関連記事
大阪人にとってお好み焼きは常に悲しみとともに存在しています。だから、お好み焼きのそばだと悲しいことも



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★よっこらしょ。起き上がったとき、ふと、PCディスプレイのメール受信箱に女の子の名前を見つける

2012-06-21 16:03:55 | 僕のモンマルトル日記

 

2012

06.21
三味線好きが三味線を弾くように、ジョギング好きがジョギングをするように


★しばらく、絶不調。
 三味線好きが三味線を弾くように、ジョギング好きがジョギングをするように、僕は文字が書ければ、それでしあわせなのだ。
 だが、このところ、1行も書けない。
 腕枕で床に寝そべっている。
 そのときの視界が、これらの画像(ノ△・。)。



 時間軸上&空間軸上の自己の同一性欠落感。
 「僕だぁ~」という感覚がない。
 記憶を喪失し、知らない街角で、キョロキョロしている。

 よっこらしょ。
 起き上がったとき、ふと、PCディスプレイのメール受信箱「from」欄に、女の子の名前を見つける。
 こういう「名前」のメールは、通常、迷惑メールフォルダに入るのだが……と、クリックすると、旧友からだった。
 ドキン。
 原稿用紙にして5枚くらい。
 「とりあえず、あの日以来、わたしが、どこで、どうしていたかをお話しします」。……


★4校時「主任会」。
 最後の10分間の、各メンバー(僕を含む)からの「ブレスト的発言」を列挙する。

(1)中途半端な知性を脱する。
 日本の教師には、断定しないで、(反発を極度におそれるあまり)あいまいな表現をするクセがある。
 それを全面的に否定するわけではないが、断定すべきところは断定しないと(局面においては「ここは敢えて断定しておく」という場合もある)、いい加減なヤツという印象を与えてしまう。
 「~ようです」→「~です」。
 「~したいと思います」→「~します」。
 特に「~したいと思います」という表現がやたらと多い。
 「~させていただきます」同様、イライラする。

(2)同じく、教員というのは、公全体がそうかもしれないが、危機管理に弱い人種だ。
 今、本校にはこういうことはないが、平気で「部活動中、ケガをしたので、お母さんに来てもらって、お母さんに病院に連れて行ってもらいました」という人がいる。
 公として仕事をする人間として、危機管理の基礎・基本を習得しよう。
 ①(念には念をいれて)予知・予防(対策)の徹底。
 ②ベストの対応(覚悟を決めて正面突破)の徹底。
 ポイント=事があったとき「こうすべきだったのでは? こうしていれば起きなかったのでは?」と問われ、立ち往生することがないように。

(3)先日の草刈り奉仕活動のときの指導者の指示の仕方・指示内容が、不適切。
 ……ということは、授業もああいう調子だということだ。
 1学期間、もたないよ。
 「危険」を放置していてはダメ。
 研修計画から転入教員対応策が抜け落ちている。
 早急に見直そう。

(4)子どもたちの髪の指導の徹底。
 「髪」は、本校の「経営の重点」のひとつ「生き方の原理・原則」。
 今、少しゆるんでいる。

(5)窓の開閉ルール(開けるときは真ん中に)をとおして、知性を育てる。
 空き教室時の整理整頓、戸締まりも同じ。
 「ルール」を、すぐれた「教育思想」に。
 ちなみに、体育館・音楽室が常に、隅々、整理整頓されている。
 「常に」というのと、「隅々」というのが、スゴイ。
 こういうことが、学校の安定と品格につながる。

(6)昨年度の卒業生の高校生活の状況。
 ①中学時代順調→高校時代順調。
 ②中学時代不調→高校時代順調。
 ③中学時代不調→高校時代不調。
 ④中学時代順調→高校時代不調。
 まず、③と④の生徒への具体的な対応策を検討する。
 次に②と④を分析して、わたしたちの指導の仕方を再点検し、現生徒への指導に生かそう。


★迷惑メールフォルダ入りを免れ、ディスプレイ上に表示された「とりあえず、あの日以来、わたしが、どこで、どうしていたかをお話しします」メールは、僕の内部に人生の「持続感」を生じさせた。
 「どこで、どうしていたか」は、僕の行為行動ではない。
 なのに、その「どこで、どうしていたか」に対応する、僕の人生の持続感を生じさせる。
 彼女の「どこで、どうしていたか」という物語が、「あの日」というポイントに僕を接続し、僕の同一性を沸騰させたのかもしれない。
 不思議な感覚だった。
 しかし、自己の同一性欠落感に悶々と苦しんでいる人間の前に、時空を越えて、突然現れ、人生の持続感覚を奏でるって、ちょっと出来過ぎ。
 奇跡。
 奇妙。
 怪奇。
 お盆が近づいてくると、僕にこういう現象がよく起こる。
 少し恐い……。

★主任会の「ブレスト的発言」との関連で「経営の重点」について、少し述べる。

 経営の重点は、次の5つだ。

(1)学びの喜びと確かな学力の保証をめざし、知的で楽しい授業を創る基礎・基本の修業を徹底する。
(2)学校・家庭・地域が協働できる教育システムづくりをめざし、小・中PTAを核にすこやかみなみネット事業を推進する。
 ~ 保・幼・小・中の連携(垂直軸)に依拠した学社連携・融合(水平軸)の推進 ~
(3)自他のよさや可能性を認め、互いに高め合う生徒の育成をめざし、生き方の原理・原則を重視した心の教育を充実する。
(4)安全・安心な学校をめざし、危機管理の基本を踏まえた安全管理と事故防止を徹底する。
(5)朝、起きたとき、どの生徒も「行きたい!」と思う学校をめざし、豊かな教育環境の創出に努める。

 「ブレスト的発言」との関連ついて、グダグタと述べたかったのだが、パワーが尽きた。
 つつぎは、明日――

★関連記事
6/21からスタートした、はらぺこあおむし作戦で、幻想的、物語的な人生を旅してみたい。


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★教育コミュニティづくりの中核エネルギーはPTAと主張してきたが「超局面」では限界も認めざるをえない

2012-06-19 12:53:31 | 僕のモンマルトル日記

 

2012

06.19
他の誘惑に負けず、「これと、これと、これ」の「これ」に至る


★朝、頭の中で「きょうは、これと、これと、これ……について記述しなければ……」と思い――以前は、最低でも、書きはじめるところまでは行けたのに――最近、書きはじめる前に他の誘惑に負け、「これと、これと、これ……」が、ぜんぶ消滅してしまうということがつづいている。
 「誘惑」というのは、ま、日曜日でいえば、ライオンズの試合(広島戦)だ。
 試合をただ観戦するわけではない。
 やはり、いくつか僕なりのチェックポイントがあって、それが抗しがたい「誘惑」になる。
 こんなことを書いていると、また「これと、これと、これ……」が消滅してしまうので、少しだけ書く――。
 ポイント1――6/14の阪神戦3回表2死2塁から、鳥谷の、ファースト横を抜ける痛烈な打球を、おかわり君が巨体を飛ばして、ダイビングキャッチ。
 このプレーで、おかわり君は左肩を痛め、途中交代。
 のち、登録抹消。
 緊急対応の打順が――僕の予想通り(^_^)v――3番秋山、4番中島……9番浅村。
 中島の4番は当然だ。
 力を発揮すると思う。
 だが、秋山はどうか?
 浅村はどうか?
 八戸で暮らしていた秋山が、遂にわがライオンズの3番になったのだ。
 ヒットが打てるだろうか?
 打てるとすれば、ぜひ、その勇姿がみたい。
 浅村は、このところ、ずっと2軍暮らしだった。
 今回の機会を生かし、爆発的に活躍してほしい。
 こういうのがポイント1。

 ポイント2――先発投手(石井・牧田・西口・岸……等々)のあとを受け継ぐピッチャーのことをライオンズでは「俺たち」と呼んでいるが――僕は呼ばないが――今、この「俺たち」が壊滅状態。
 きょうこそ、「俺たち」にがんばってほしい……きょうこそ……きょうこそ……これがポイント2(ノ△・。)。

 抗しがたい「誘惑」は、もちろんこれだけではない。
 他にもある。
 また、今度、書くことにする。


★きょうは、なんとか「これと、これと、これ……」の「これ」にたどり着くことができた。

 「これ」→もう、耳にタコができるくらい、くりかえし、くりかえし、述べてきたことだ。
 学校・家庭・地域の個人や団体という、MINAMI地域の教育を構成する点と点と点……とのあいだに――「点」の存在ではなかなか力が発揮できないので――つながりを創りだし、それぞれの立場で、自由に、気軽に参画し、協働できる教育システムをつくろうというのが、すこやかみなみネットの理念だ。
 この理念実現のためには、中核となるエネルギーが必要だ。
 中核エネルギーがないと、なにもはじまらない。
 歩く人が多くなれば、道ができる。
 しかし、最初に歩く人がいないといけない。
 多少の困難はあっても、わたしがまず歩く、歩きつづけるという人物=中核エネルギーが必要なのだ。
 すばらしい実践の裏には、必ずこの「中核のエネルギー」が存在する。

★学校・家庭・地域の教育を総合的にとらえ、それぞれの活動や気持ちを、つながりのあるものにする「中核エネルギー」の候補として、行政、学校、地域の有志、PTA等……、いくつか考えられる。
 結論的にいうと、われわれは、これらのなかから「PTA」を選択した。
 理由は、あとで述べる。

 消去法でいくと、まず、いちばん先に排除されるのは、「学校」だ。
 学校は確かに中核エネルギーとしての能力を有している。
 十分すぎるくらい有している。
 しかし、現在の教育危機を招いた元凶は、学校の教育独占体制(学校の教育丸抱え体制)なのではないか?
 学校の教育独占体制が、家庭や地域の教育力を弱め、学校と家庭と地域の教育のバランスを崩してしまったのだ。
 なのに、その学校が「中核エネルギー」としての役割を担い、それが機能しはじめると、バランスがさらに悪くなるのは、目にみえている。
 もう少しいうと、抱え込みすぎて、今、学校はパンク状態なのだ。
 パンクして、学校、家庭と同様に、教育力を低下させている。
 そこに、この「中核機能」まで持ち込むことは、ほとんど○○行為だ。
 しかし、周囲を見回すと、こういうたぐいの実践が少なくない。
 たとえば、こういう言い回しに気をつけなくてはいけない。
 「もう一度地域の人が結集するシンボルとしての学校を見直そう」(清水潔・発言当時=文部科学省生涯学習政策局長。のち事務次官。2012年1月退官)。
 あるいは、こういう言い回しにも気をつけなくてはいけない。
 「さまざまなネットワーク活動を意図的に立ち上げて社会のつながりをつけ直すことが必要だと思う。そのためのひとつの有効な方法として、いい学校をみなで作ろうということを目指した、学校を拠点とした地域と学校の連携を深めるネットワーク活動がある」(金子郁容氏)


★次に排除したのが、「行政」だ。
 戦後、行政主導で、星の数ほど、社会教育団体が誕生した。
 しかし、行政にオンブに抱っこの社会教育団体をいくらつくっても日本社会は変わらなかった。(社会教育団体が全部ダメ……といっているのでは決してない。有益な団体も多い。念のために。)
 これには説明はいらないだろう。
 敗戦後、日本の社会教育失敗の最大の原因がここにあるといっていい。

★ここで、残ったのが「地域」と「PTA」だ。
 「地域の有志」が、中核となり、学校・家庭・地域のネットワークを形成し、具体的な活動を積み重ね、教育コミュニティーづくりに成功している例が、僕たちの街にもいくつかある。(具体例は割愛する。)

★僕は、これらの実践から実に多くのものを学びつつ、(かつ、PTA主導→地域主導へ……という岸裕司氏らの秋津コミュニティーからも学びつつ)、しかし、教育コミュニティーの中核になるのは、PTAだと考えている。

 ここで、その理由を述べる。

(1)PTA会員は、学校の保護者であり、かつ地域の住民である。
 だから、PTAはその存在自体がネットワークの芽を内包している。

(2)PTAは自主自立の精神に富み、高い実践力を有する社会教育団体だ。
 社会教育団体にもピンからキリまであって、中には、先にも述べたが、(過渡期的に行われてきた)行政からの指導・助言・支援におんぶにだっこの団体もないわけではない。
 この点、各小・中学校のPTA(連合PTAに対して単PTAと呼ぶ。単Pと略すこともある)は、正真正銘、ほんものの社会教育団体だ。(もちろん、学校の「教頭」におんぶにだっこの単Pもないわけではないが……。)

(3)人材の宝庫である。
 毎年、ほぼ「自動的」に30代~40代の会員を多数獲得することができる。
 資金面でも比較的めぐまれている。

(4)組織の維持・継続のシステムが優れている。
 今述べた上記の(3)も、このシステムに含まれるが、加えて、リーダーから次のリーダーへという人のつながりが形成しやすい。
 またPTA独特の「規約」(+前例)の存在も大きな役割を果たしているように思う。
 もちろん「規約・前例」に縛られ、活動がマンネリ化する傾向もあるが、わたしからすれば、これもPTAの魅力だ。

 以上、(1)~(4)、粗く、教育コミュニティーの中核にPTAを選択する理由だ。

◆ただ、きょうの僕の「これと、これと、これ……」の「これ」とは、このことではない。
 「このこと」を前提にして、ここ、数年、、地域の方々に応援されながら、PTA幹部とともに、すこやかみなみネットの実践に取り組んできた。
 が、大きな、大きな成果を生みだしつつも、今、実は「壁」にぶちあたっている。

 教育コミュニティーの中核になるのは、PTAだ。
 だが、実際の局面では、そのPTAに、さらに中核となるエネルギーが必要だ。
 それがPTA総務委員会であり、また小中合同のすこやかみなみネット事業推進委員会なのだ。
 しかし、実際の局面の局面、いってみれば「超局面」では、さらにもうひとつの中核エネルギーが必要だ。

★地域では、地区安協、防犯など諸団体が、すばらしい活躍している。
 しかし(考えてみれば、当然のことなのだが)これらの諸団体はもともとは、他との違いをエネルギーにしている。
 本質的には連携とか融合を前提にしているわけではない。
 学校もそうだ。
 だから、専門分野に特化した地域諸団体や学校とは別に、学校・家庭・地域の教育を総合的にとらえ、それぞれの活動や気持ちを、つながりのあるものにする「超局面」で「コーディネート」力を発揮するコーディネート専門の団体を考えていく必要がある。
 この有力候補がPTAだ、PTA総務委員会だ、すこやかみなみネット事業推進委員会だ……といっているわけだが……。
 今、「壁にぶちあたっている」といったのは、この「超局面」での「コーディネート力」を――自らのPTAも対象とするコーディネート力を――PTAや、PTA総務委員会や、現状のすこやかみなみネット事業推進委員会に求めることは、無理ではないかと思いはじめているからだ。
 PTAは永遠に不滅だ。
 しかし、その力には、やはり限界がある。
 では、どうするのか?
 これを「茫漠の時空間」の、ひとつの入り口としたい。

★関連記事
★金子氏らの「学校中心あるいは学校拠点主義」と、僕の「バランス主義」の区別はきちんとつけおく必要がある。区別をつけておかないと、まず、まちがいなく、道を誤る

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★島村俊治の実況と、伊原春樹の解説で十亀→岡本→大石→山本の投球を観ていると、人間の生が伝わってくる

2012-06-18 17:06:25 | 僕のモンマルトル日記

 

2012

06.18
N氏が僕の「茫漠の時空間」の果てに消えていく


★旅の途中、拙宅(=DAKA古書店跡)に寄ったN氏を、日曜日、駅で見送る。
 N氏の列車が動きはじめたとき、以前にこのブログでも紹介した友人「八木」との別れの場面を思い出した。
 あのときは、僕の裡に、後発列車に乗って八木を追いかけたい衝動と、同時に、逆方向に行く列車に乗りたいという衝動が、僕を引き裂きくように沸騰した。
 後発列車に乗ろうとする衝動の意味はよくわかる。
 でも、「逆方向」……の意味はわからなかった。
 ずっとあとになって、あれはきっと「八木は八木の道に進め。がんばれ! 僕は僕の道に進む。君に負けないようにがんばるよ……」ということではないか?と気づいた。

 南に向かって遠ざかるN氏の列車を見つめていたら、N氏が、僕が4月から疾駆している「茫漠の時空間(←説明は省略するm(_ _)m)」の果てに消えていくような幻覚にとらえられた。
 八木を見送ったとき、僕を引き裂いた二つの沸騰でいうと、前者(=追いかけたい衝動)に近い感情だった。……

 そうだ……僕が「茫漠の時空間」を疾駆しつづけようとするのは、人間の「かくあるべし」という姿を追い求めるからではない。(ま、結果として、そういう姿を追い求めることになるのかもしれない。)
 教育の「かくあるべし」という姿を追い求めるからでもない。(ま、これも、たぶん、結果として追い求めることになるとは思うが……。)
 ただ、僕の脳裏に刻印された人々が乗る、その後発に乗ろうという衝動に駆られているだけなのだ。

 「ま、結果として……」「ま、これも、たぶん、結果として……」等と、ブツブツ呟きながら、駅前を歩いていたら、南下したN氏とは逆方向に、東北を縦断し、北海道を一周するという孤独のライダーに出会った。(画像)

★このホームページ上部のスクロールコメントでも述べているが、帰宅後、「仕事」もせずに、ライオンズ対広島戦を4時間(TwellV→朝日ニュースターと)、ひたすら、観てしまった。

 6回表、岸が打たれて降板し、5対0になった時点で、「どう考えてもきょうのライオンズはツキがあれへんなぁ~」……と、敗北を覚悟(6回裏の4点はオマケ)。
 岸以降に登場するピッチャーたちをゆっくりと観るチャンスだと割り切った。

 7回は十亀、8回は岡本篤志、(岡本から代わった)大石、9回は山本……。

 島村俊治(←この人の、個々の選手の時空間に疾駆し、情報を切り集め、今の一瞬に切り結び、自身の「語り手空間」を創出する力はスゴイ!)の実況と、伊原春樹(←僕はこの人の、ライオンズ監督時代の3塁コーチスボックスで采配する姿に、ならびにコーチ時代の「コーチは嫌われ者でなければならない」「好かれたら終わり」発言に強い影響を受けている)の解説で、十亀→岡本篤志→大石→山本のプレーを観ていると、「プレー」と「プレー」と「プレー」を止揚した、あるいは超越した「人間が生きている」という感じが伝わってきて、感動した。

 で、ま、4時間も、負け試合を観つづけてしまった。

★関連記事
★列車が動き出したとき、彼はあわてて手で窓の内側をこすった。うっすらと手ぶくろの柄が見えた。ホンマに悲しかった

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★昨夜の夕食時、みそ汁のアサリから蟹の子どもが出てきた。僕の頭の中で座禅中の警策に似た音が響いた

2012-06-15 09:42:18 | 僕のモンマルトル日記

 

2012

06.15
「ガードの上からガンガン打てばいいんですよ」という生き方


★わがライオンズのおかわり君が、タイミングの取り方を修正し、復活した。(――と、喜んでいたら、昨夜の阪神戦・3回表2死2塁から鳥谷の、ファースト横を抜ける痛烈な打球を、おかわり君の巨体でダイビングキャッチ。このプレーで左肩を痛め、途中、浅村と交代。心配である……。)
 3月~5月途中までの35試合でホームラン1本。
 5月途中から6月途中までの20試合でホームラン12本。
 この「修正」というのが、「新発見」なのか? 「原点回帰」なのか?……は、聞いていない。
 昨年も、途中から復活している。
 昨年は「発見」だったと、たしか本人が言っていた。
 今回は、僕が本人の発言を聞いた範囲だと、たぶん「原点回帰」なのだろうと思う。

 僕も絶不調だ。
 おかわり君と違って、僕のは、いっこうに復活の兆しがみえてこない(ノ△・。)。
 「絶不調」には、粗く2種類ある。
 ひとつは、登板間隔が短くて、準備不足のまま、体力も回復しないまま、マウンドにのぼってしまうことの繰り返しから……と思われる不調。
 あまり好きでない仕事だと、「あぁ、疲れた」という自覚がある。
 しかし、好きな仕事(ま、学校現場やね(^_-)だと、疲れているのに、その自覚がほとんどない。
 けど、ホンマはすごく疲れている……すごく疲れてタイミングやポイントがヅレてしまっている……というところからくる不調だ。
 もうひとつは、その逆。
 登板間隔が長すぎて、「投げ方」(仕事の仕方)を忘れてしまう。
 僕の今回の不調は、あきらかに後者だ(ノ△・。)。

 ま、僕は、その――「仕事の仕方を忘れてしまったことの――克服のために、「新発見」は求めない。
 もう、そういうシンドイことはやめようと思っている。
 過去の、絶好調だったときの「タイミング」、あるいは「ポイント」を思い出して、絶不調を乗り越えることにする。
 ただし、「新発見」は求めないが、過去の「ポイント」と「ポイント」の組み合わせ方によっては、「新発見」に至るということはあり得るかもしれない。
 これは大歓迎だ。

 その過去の「ポイント」のひとつが、ここ(記事トップの画像)だ。
 ここに一歩、入り込む一瞬。
 そして、列車の進行に伴い日常の重力が溶解しはじめる一瞬。
 深呼吸すると、僕に、わけのわからない、怒濤のエネルギーが充填される。

★これも、「ポイント」。


 昨日は、休肝日。
 夕食時、みそ汁のアサリから蟹の子どもが出てきた。
 先日、「不調」を吹き飛ばそうと、「フーコーの振り子」の前にたたずんでいるとき、真鍮の振り子が、木製ドミノ牌のひとつに当たり、座禅中の警策に似た音を響かせて倒れた。
 蟹の子どもが出てきたとき、僕の頭の中で同じ音が聞こえた。
 宇宙。

★乱様――そうですね、反射します。


 この画像もそうですね。
 窓を開ければ「反射」は消えます。
 しかし、有乱はんが指摘するように、むしろ「反射」を生かしたいと考えています。
 「反射」に包まれつつ、時空間に存在しているときの感覚が結構、気に入っています。
 反射によってすっと現れては消えていく宇宙的な広がりが、わたしは好きです。
 しばらく、「反射」の上からガンガン撮ってみますよ。
 この前、TVでボクシングの試合を観ているとき――僕は、ボクシングはあまり好きでないのですが、zapping中、たまたまボクシング中継が……その――解説者が「ガードは気にしなくてもいい。ガードの上からガンガン打てばいいんですよ」と言っていたけど、それと同じ要領です。
 そういう生き方をしてみますよ。――HP「掲示板」から

★関連記事
おっさん、なんでも買おたるでぇ……反射によってすっと現れては消えていく透明感

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★茫漠の時空間、疾駆フォーム復元のために、午前中、「フーコーの振り子」の前で、1人たたずみつづける

2012-06-10 14:52:57 | 僕のモンマルトル日記

 

2012

06.10
ドド~ンと落ち込んだ状態からの立ち直りは、人生、永遠のテーマやね


★いつもいつも同じ話をクドクドと――もし、ときどき、このHPをみてくださる方があるとすれば、その方には――ホンマ、申しわけなく、僕自身、はずかしくもあるのだが、またまた先月の『新企画』失速に関する話だ。

 『新企画』=「茫漠の時空間=僕の過去」を「現在の僕」が「職員室通信のカタチ」で疾駆する)――の、「5月分」が、僕が5月のゴールデンウィークあたりから失速状態に陥ったことに伴い、ぜんぶ吹っ飛んだ件……。

 原因は粗く2つある。

 ひとつは、連休直前に届いたコンポ(=パイオニアX-HM50)を、僕が、昔々、初めてもらった給料でゲットしたスピーカー(=音響コーラルFLAT―6S)に接続し、想定していた「茫漠の時空間=僕の過去」の範囲が、怒濤のように拡がり、疾駆のバランスを崩したこと。……

 もうひとつは、まったく同じ時期に、僕が現在、棲息しているDAKA古書店跡の壁面4面のうち、1面を舞台化し、その舞台上で僕を「キャラ立ち」させて(^_^)v、新境地を拓こうとしたこと。
 キャラ立ちさせることにより、「茫漠の時空間=僕の過去」を疾駆する、僕のランニングフォームが崩れた。……


 ならば……と、疾駆フォーム復元のために、昨日、こんなちっぽけなこと――想定の時空間が拡がったこと、あるいは、新キャラが登場したこと――等を、吹き飛ばす、もっとスケールの大きな枠組みに自分のカラダを置いてみることにした。

 午前中、「フーコーの振り子」の前で、ひとり――ま、もちろん、まわりには、はしゃぐ子どもたち、それを叱る親たち等々、ちょっとしたさんざめきがあったのだが、僕の得意な、強制的に孤独の半醒半睡状態を創りだし――たたずみつづける。
 地球の自転によって振り子の振動方向が少しずれていき、振り子が、周囲を円形に取り囲む木製ドミノ牌のひとつに当たると、カチッと硬質な音を響かせて倒れる。
 カチッという響きが、自分が宇宙の星の一つに存在し、星々の運行に身をゆだねているのだということをわからせてくれる。

★先週の全校朝会のスピーチ。
 僕の記憶と手もとのメモから、文字化すると――。


〈全校朝会のスピーチ〉
 新学期がスタートして、4月、5月と、2ヶ月が過ぎた。
 きょうは、ちょうど、1学期の中間点だ。
 始業式や入学式で話したように、中学という時代は、人生、独立に向けて、一歩一歩前進していく時代だ。
 独立に向けて一歩一歩前進するというのは、
 ①育ててくれている人にかける心配の量を減らしていくこと、悲しませる量を減らしていくこと、
 ②使わせるお金の量を選らしていくということだ。
 ③そして、逆に、喜んでもらう量を、どんどん増やしていくことだ。
 1学期の中間点にあたり、自分が、そのことができているかどうかをチェックしてみよう。
 そして、きょうからまた、気持ちを入れかえて、中学という時代の、一歩一歩をスタートしよう。

 そのスタートにあたり、わたしが、今、みなさんについて、かなり気にしていること……心配していることがある。
 その心配の中味を話します。
 人生、生きていると、ド~~~ン!と落ち込むことがある。
 特に、人生独立に向けて、一歩一歩前進しはじめたときには……。
 ド~~~ン!と落ち込んで、もう生きる意味もなにもわからなくなるということがある。
 わたしは、この落ち込む経験が、むしろ人生にとって大事なことだと思っているし、さらに、その落ち込みから、どうはい上がるか、これはもっと大事なことだと思っている。

 友人の励ましで、はい上がることもある。
 親の励ましで、はい上がることもある。
 先生の励ましで、はい上がることができたということもある。
 それは、わたしも経験があるし、また、たいへん貴重なことだと思っている。

 しかし、これだけでは、ダメなんだ。
 はっきりいうけれども、これだけでは、あまい。
 あまえている。
 ピンチに陥ると、いつも、だれかが声をかけてくれるのではないか……と期待する。
 これまでのわたしの経験からいうと、そういう期待は、薄汚れた期待といっていい。
 友人の励ましを待つのではない。
 親の励ましを待つのではない。
 先生の励ましを待つのではない。
 そうではなく、自分で自分を励ます、自分で自分を励ますことによって、ド~~~ン!と落ち込んだところから、はい上がっていく力をもたなければいけない。

 「では、自分で自分を励ます力って、どうすればつくんですか?」と質問する人があると思う。
 これは……う~ん、ま……しかし……やはり、自分で見つけだす以外にない。
 そういう方法があるなら、わたしも聞きたいくらいだ。
 わたしも今、あることで自分に絶望している。


 ただ、君たちの人生の先輩として、ヒントなら与えることができる。
 それは、だれかが励ましてくれるのを、ただ待つのではなく、自分から「先生、今、わたしはこういう状態です。どうしたらいいでしょうか?」と、たずねることだ。
 「お母さん、どうすればいいでしょうか」と、自分からたずねることだ。
 「おじいさん、どうすればいいでしょうか」と。
 それに、もうひとつ、自分の苦しみにこたえてくれる書物をさがしてみることだ。

 6月、いや、6月、7月、みなさんが、自分で自分を励ます力をつけることに挑戦してくれることを、強く望みます。

 話は、これで終わりです。
 話は、いったん終わって、はずかしいが、少しだけ、わたし自身のことを話す。
 わたしが25歳か、26歳の頃、すごく落ち込んでしまったことがある。
 3月から4月にかけてのことだった。
 落ち込んでしまい、春の連休は、もうだれにも会わず、ずっと寝ていた。
 仕事(教師)もやめようと思っていた。
 そのとき、すぅ~っと伸ばした手に触れた書物がある。
 偶然というのは、ほんとうに不思議なものだ。
 手に触れた書物を読みはじめると、止まらなくなった。
 何時間も読みつづけた。
 そして、読み終わったとき、わたしはすごく元気になっていた。
 その書物が、ド~~~ン!と落ち込み、周囲が真っ暗闇だと感じているわたしに「だいじょうぶだよ。真っ暗闇と向かい合っていると、きっといいことあるよ」と、わたしを励ましてくれた。
 ま、今から振り返れば、その書物がわたしのエネルギーになって、わたしは、光を発する深海魚みたいに自家発電しはじめたのではないか……と思う。
 
 きょう、出かけに、その書物を持ってきました。
 これです。
 書名は『○○○○○○○○○○』
 作者は、○○○さんです。
 今は、もう絶版になっています。
 図書室のT先生に頼んで、図書室に置いてもらいます。
 図書室に寄贈します。
 読んでみようと思う人は読んでください。

 以上で、わたしの話を終わります。


★関連記事
★ホンマ、絶不調だ。HPは僕の存在のカタチ。しかし、最近、HPに対する執着心が急速に薄れつつある

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★教育実習生の模擬授業大会。講義形式では実習生の骨身に沁みていない。ならば、骨身を削ってもらおうと

2012-06-08 11:08:27 | 僕のモンマルトル日記

 

2012

06.07
学校のスタートのカタチを文字化する期間(5月)をパスして6月。ホンマ、後悔


★〈耐えがたければわれ空に投げうつ水中花。
  金魚の影もそこにひらめきつ。
  すべてのものはわれにむかいて
  死ねという、
  わが水無月のなどかくはうつくしき〉

 校舎の2階――2年1組前の廊下から、グランドを囲む、緑あざやかなヤマボウシを眺めていた。
 と、忽然と、視界の左側が霧に覆われた。
 グランドにつづく丘陵地から、すさまじい勢いで海霧が駆け下りてくる。
 そのときだった。
 この〈耐えがたければ〉の詩句が、僕の身体の内側からドッと吹きだした。
 毎年のように6月に入ると、この絶唱が吹きだしてくる。
 「これだ、これだ」と思う。
 しかし、何が「これ」なのかは、わからないし、十数年、突きとめようとしたこともない。



★『新企画』――「茫漠の時空間(=僕の過去)」を「現在の僕」が「職員室通信のカタチ」で疾駆する――が、5月のゴールデンウィークをはさみ――ま、5月病ではないだろうけれど……いや、その5月病かもしれないのだが(ノ△・。)――突然、失速状態に陥った。
 失速のきっかけはいろいろあるが、連休直前に届いたコンポ(=パイオニアX-HM50)を、僕が初めてもらった給料でゲットしたスピーカー(=音響コーラルFLAT―6S)に接続したことも、そのひとつだ。
 スイッチをON。
 バッハのヴィオリン協奏曲第2番ホ長調BWV1042。
 やさしい、過去からの音色だった。
 一瞬にして精神が、遠い過去に接続した。
 ま、「甘美な衝撃と感動」といってもいい(*^_^*)。
 『新企画』「茫漠の時空間(=僕の過去)」を「疾駆する」というときの「疾駆」の範囲は、実は、現時点を起点とした7、8年の「過去」を想定していた。
 それが、新コンポと旧スピーカーの接続により、怒濤のように拡がった。
 で、バランスを崩したのだろう。
 『新企画』から「5月」がスッポリ抜けたことになる。
 これは痛い。
 4月にスタートした「学校」の、そのスタートの「カタチ」をはっきりと「文字」として定着させる期間だ。
 その記述をすっ飛ばして、『新企画』を「6月」から再開させなくてはならないことに、ホンマ、しょげかえっている。
 ホンマ、後悔している。


★今、MINAMI中に教育実習生が3人来ている。
 ピッチリと実習計画が組まれていて、その中に、僕が担当する時間も設定されている。
 きょうの1時間目が、その時間だった。
 以前は、他の指導者と同じように、講義あるいは参観形式でやっていたが、実習日誌の内容や、その後の実習生の行為行動から、ほとんど効果がない……というか、実習生の骨身に沁みていない……ということがわかった。
 ならばということで、3年前から、実習生に骨身を削ってもらおうと、「模擬授業」形式に切り替えた。
 3人には、前々日に指導案(シナリオ)を渡し、説明してある。
 各自10分間の模擬授業、そのあと乱氏のコメント2分間、僕のコメント2分間、ひとり合計15分間。

 シナリオの冒頭だけ、アップすると……。

 〈シナリオ〉

〈板書〉
 またひとり顔なき男あらはれて暗き踊りの輪をひろげゆく  岡野弘彦

〈指示&発問〉
①きょうは、この短歌を勉強しましょう。
②背筋を伸ばして、黒板をみて、各自、3回黙読しましょう。
 声に出すのではありませんよ。
 黙読です。
 では、黙読、はじめ。(黙読 終わり)
③では、○○さんの列の人、立ちなさい。
 1人ずつ読んでもらいます。
 読んだら座りなさい。
 読めない漢字があったら、「何とか……」でいいです。
 では、○○さん、読みましょう。
④全員、起立。
 ひとりひとり声を出して3回読んだら座りなさい。
⑤いっしょに読みましょう。(後略)

 模擬授業のあと、僕がコメントした内容を、主な項目だけ列挙する。
(1)黒板の消し方。
(2)目線の配り方。
(3)ほめ方。
(4)禁句 例=「どうぞ」、「~ください」、「~(中止法の)ですが」、「わかりましたか?」&「いいですか?」、他、追加指示等。
(5)指示の背後にある教育思想(これだけだと、何のことかわからないと思うが、紙幅と僕のエネルギーの関係から、きょうのブログでは省略する。おいおい、語っていきたい(^_-)。


★模擬授業の感想(世耕実習生の「実習日誌」から)

 模擬授業では、早く楽な気持ちになりたいのと、多くの助言をもらいたいのとで、トップバッターを志願しました。
 昨日の夜はだいぶ練習したのに、本番ではほとんど頭から飛んでしまいました。
 でも、声量、生徒への目線、表情はほめられました。
 ただし、飛んでしまったぶん、スムースに進まなかったので、リズムが悪いと指摘されました。
 また目線はよいけど、発表している人ばかり見ている。
 まわりの聞いている生徒の反応もみなければいけない。
 生徒に向かって語るときは、ひとりひとりの生徒と目をあわせる。
 はじめは、教室の隅の生徒から反対側の隅の生徒へと、目、目、目、目、目、目……と、途切れないように、つないで練習するとよい等と指導を受けました。
 そのほか、音読させるときは「サン、ハイ!」ではなく、「読みましょう」でスタートさせる。
 「~してください」ではなく、「~しましょう」「~しなさい」に。
 板書は、生徒に背を向けてしまうのではなく、半身で生徒を見ながら。
 わたしが意外だったのは、教師は生徒に「いいですか?」「わかりましたか?」と言ってはいけないということでした。
 このほかにもたくさんのことを教えていただきました。(世耕実習生の「実習日誌」抜粋、以上)

★午後2時から本校を会場に、minami小・MINAMI中連携研究会。

 まず、1学年4クラス、2学年4クラス、3学年4クラス、計12の授業を観てもらった。
 次に、全体会で、今年度の小中連携研究のテーマと研究計画を確認。
 最後に、理数系・技能系・文系の3分科会にわかれ、協議会がもたれた。
 各分科会で話題になった内容の一部を紹介する。

〈minami小教師の授業参観感想から〉
①授業者も生徒も「指導力向上の5原則」&「学力向上の5原則」を意識していることがよく伝わってきた。
②どの授業も、全体、あるいは場面場面の「ねらい」が明確で、指導者の指示・発問もリズムとスピード感があった。
③説明の時、指導者と生徒がきちんと目を合わせている。「②話し手にへそを向けて聞こう」の取り組みの成果だと感じた。
④(音楽)男子の歌声からパワーと熱い思いが伝わってきて感動した。

〈提案と課題〉
①MINAMI中の「学力向上の5原則」に相当するものが、minami小にもある。
 今後、それぞれの発達段階を考慮しつつ、9年間で育てる学習習慣(広い意味での学力)として小中共通のものをつくりあげていきたい。
②(音・美・技家・保体の技能系で)ミシンなど教具の取り扱いについて小中で共通理解しなければならないものがある。
③指導力5原則「③達成状況を確認して授業を進める」「④1人1人のがんばりに気づき、認める」はなかなかむずかしい。
 今後、小中で、このことに関する、いわゆる片々の技術をもちより、さらに指導技術を向上させたい。
④家庭学習力のアップ、女子の発言力アップがMINAMI中の課題だ。

★minami小・MINAMI中連携・全体会における僕のあいさつ(原稿のメモ)

 5月の中旬、現在の本校1年・2年・3年の4月はじめ時点(=3月末)の学力が判明いたしましたので、お知らせします。

1.現時点のminami小&MINAMI中の学力

(1)これが、全国平均としたら、
(2)市内の4月の中1の学力(=3月の小6の学力)は、市内各校は、こういう分布になります。(これ、お断りしておきますが、これは、教委からのこれまでのデータや、いろいろな数値や、わたしの経験から想定している内容です。ホンマのデータではありません。でも、精度はそんなに低くはありません。)
 ①上から下まで結構な幅があります。
 ②しかし、いちばん低い学校でも、全国平均を上回っています。
 だから、市内の学力レベルは低くないといえます。
(3)ところが、中学2年になると、こうなります。
 ガタッと下がります。
(4)3年になると、さらに下がります。
 わが市内が下がっているということは、全国の学校はわが市内とは逆に、3年になると、さらに伸びているともいえる。
(5)どうしてわたしたちの市の中学校が、学年が進むにつれて下がるのか、真剣に考えなければならない。
 また、小学校の先生方としては、こういう状況をチェックした上で、せっかくいい成績で卒業させているのに、これでは困るというメッセージは送らなければいけないのではないか。
(6)本校はどうかというと……。
 まず、3年生です。
 入学してきたときは、(はっきりいいますけど)市内の真ん中、より、ちょっと下(*^_^*)。
 以来、2年、3年と、全国平均に対して、一定レベル(下がりも上がりもしない。やや上がる……)を保っています。
 したがって、市内の中では、他校が下がっていく分、順位は上がっています。
 市内比だけをみていると、グングン上がっています。
 いろいろなデータ結果などからみると、トップレベルにあると想定されます。
 他校が下がるなか、こうして成績を維持している――全国比で上がっているのではない――というのが、ま、本校の自慢です。
 次、2年生です。(省略)
最後に、1年生です。(省略)

 なお、現在、本校は、学年差はありません。
 教科差もありません。
 この点は、よい状態であると考えています。

 この状態を維持したいし、いただいた成績をさらに上げる指導力を身につけるために修業していきたいと思っています。
 このデータを共通理解して、「いい授業」を通して「いい学校」を創っていく(授業以外で学校をよくしようとすると必ず落とし穴に落ちる)を肝に銘じて、小・中連携して取り組んでいきましょう。

2.minami小とMINAMI中教職員の接続の意義と方法

 さて、これから小・中連携して取り組んでいくわけですが、人間というのは、接する「対象(人)」によって、「自分」がつくられていく……という面を強くもっていると、わたしは思っています。
 だから、たとえば、「語り」を例にあげると、幼稚園の先生と、小学校の先生と、中学校の先生と、高等学校の先生……当然、共通部分もあるけれども、「違うなぁ~」という部分があります。
 だから、小中連携するということは――(これから、僕は、この「違う」語りを接続することの意義とその方法をグダクダと述べるわけだが、紙幅と僕のエネルギーの関係から、きょうのブログでは省略する。

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6月1日(金)のつぶやき

2012-06-02 02:28:06 | 僕のモンマルトル日記
10:14 from web
★逆さまつげの苦しみから解放され、けさの「大阪野郎、1に足腰、2に文体、引き明けの街を走る」は、(いくつかのコースの1つ)家→中心街裏通り→中心街表通り→家の5キロ。今の僕のパワーだと、5キロくらいがちょうどいいのかもしれない。8キロだと(これに満足し)次の仕事に取りかかれない。

10:16 from web
★野田氏は「乾坤一擲」「一期一会」等と言い、同時に岡田氏が背後で「ちょっと騒すぎやろ。党の中の方針はもう決まっている」と権謀術策っぽく。これは近藤・土方ではないか(*^_^*)。でも、このカタチは侮れない。わが自民党には今、近藤も土方もいない。いや「近藤はいる」と思いたいが……。

10:40 from web
★近所のホテルの某板長、自称「鯖を語らせたら1番目の男!」が、毎日、毎日、ブログで「虎鯖棒寿司」のことを、熱っぽく、アクティブに語っている。心底、うらやましい。僕は何を語ればいいのか(ノ△・。? 「大阪野郎、1に足腰、2に文体、引き明けの街を走る」のあと、泣きながらブレストをやる

11:01 from web
★涙のブレストの結論――ま、いつも同じ結論になるんやけど――某板長の「棒寿司」=僕の「学校」&「教育コミュニティづくり」。背後には僕なりの「教育体系」がある。だから、語り続ける義務もある……。ただし、現実の学校ではなく、「創出(ウソ)学校」。「創出」、即ち、フィクションが基本。

11:25 from web
★僕のCYNOS(1.5L)がいろいろ限界。登坂も苦しい。後継機の候補としてist、RUMION、INPREZA・G4。今のところG4が有力。が、ずっと僕を支えてくれたCYNOSには愛着がある。徹底して修理し続投という選択もある。去年も「続投」を選択したのだったか?(*^_^*)

by osakayaro on Twitter