職員室通信・600字の教育学

小高進の職員室通信 ①教育コミュニティ編 ②教師の授業修業編 ③日常行事編 ④主任会トピックス編 ⑤あれこれ特集記事編

宛先=みなみ中PTA会員各位 発信=PTA総務委員長 できれば2勝できれば3勝できれば4勝を

2007-08-29 20:26:25 | Weblog


★9/2の体育祭にむけて全体練習がはじまる・行進


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◆9/2に近づいたみなみ中体育祭に関連して、PTAからおもしろいプリントが発行されている。

 宛先=みなみ中PTA会員各位
 発信=PTA会長&PTA総務委員長
 〈本文〉
 秋暑厳しい候、みなさまにはますますご健勝のこととお喜び申しあげます。
 さて、9月2日(日)に白銀みなみ中学校体育祭が開催されます。
 スピード、力強さ、チームワークと中学生ならではの白熱した勝負が展開され、見どころがたくさんあります。
 子どもの成長を一緒に感じ、一緒に感動できればと、今年も親子綱引き大合戦を企画しました。
 昨年の結果はお父さん・お母さんチーム1勝、生徒3勝でした。
 今年もお父さん・お母さんチームも子どもたちに負けず軍の団結力を発揮して、できれば2勝、できれば3勝、できれば4勝を勝ち取りたいと思います。
 つきましては、親子綱引き大合戦の参加者を募集しますので、ご協力をお願いいたします。
 ※申し込みしめきり 8/31(金)
…………きりとりせん…………
○年○組
 生徒氏名       保護者氏名
 ※参加できるほうに○印
 〈  〉綱引きにお父さんが参加できます。
 〈  〉綱引きにお母さんが参加できます。
                 (PTA文書以上)

◆この綱引き競技は、すこやかみなみネット事業の一環として行われるもので、平成17年度からはじまった。
 発想はプロ野球のセ・パ交流戦だった。
 お父さん、お母さん、ご家族、先生方の競技と、生徒たちの競技とを融合した。
 セ・パ交流戦が年間の成績に加算されるように、この競技も正規の得点として黄・紅・青・白軍の成績に加算される。
 17年度は、雨で何度も中断し、時間が後ろへ後ろへと繰り下がった関係で、残念ながら実施できなかったが、昨年は綱が切れるのではないかと思われるくらいパワー溢れる親と子の綱引き合戦が実現した。
 今年も期待したい。
 しかし、天気が心配だ。
 現時点の予報では、前日の土曜日の降水確率が70%、当日の日曜日が50%だ。
 ま、もちろん、これは本校だけではない。
 市内の他校、12校も本校と同日実施だ。
 天気予報に一喜一憂していることだろう。
 昼休み、1年生が3年生の教室にいき、あるいは逆に3年生が1年生の教室にいき、いっしょに応援合戦の練習をしている。
 窓から外をみると、マラソンの練習をしている生徒もいる。
 なんとか好転に恵まれることを祈りたい。

◆午前中、学校通信「すこやかみなみネット通信」の原稿を書く。
 わたしの割り当てはトップページを含めてA4板3枚だ。
 アウトラインの段階では、(1)2学期始業式・式辞 (2)アイデンティティの危機に寄り添う (3)部活動問題……だった。

(1)「式辞」については、校長の子どもたちへの強い思いを、やはり保護者にも、ぜひ目を通してほしい……という意図。
(2)アイデンティティの危機については、職員会議で教職員に「アイデンティティの危機に寄り添ってほしい」とお願いした。
 同じように保護者の方々に「アイデンティティの危機に寄り添ってもらいたい」……という願い。
(3)部活動問題については、現在の苦しい状況を、これまでも書いてきているのだが、今回もストレートに書くつもりだった。
 学習でつまずいた子どもをその都度、適切に処遇していれば、たとえば算数・数学などの場合、全員「100点」が可能になる。
 これはわたしの実践をもとにいっている。
 教研式NRTの平均がSS69.9だった。
 このことの詳細は後日アップしたい。

 しかし、現任校は「部活動全員加入制」を採用しているから、放課後、子どもは部活動に参加する。
 もちろん、教師も(全員加入制をとっているため義務として)部活動の指導にあたらなければならない。
 その日の学習でつまずいた子どもをどう処遇するのか?という問題はうちすてられたままになり、最も手助けを望んでいる子どもたちをネグレクトする結果となっている。
 先日、保護者が校長室にきた。
 Aさんたち保護者は、部活動の量をへらしてください……という要望だった。
 別な日にやってきたBさんたち保護者は、もっともっと部活動がやれる環境をつくってください……という要望だった。
 どちらの保護者にも現状をお話しして、この問題を正面からいっしょに取り組んでいきましょうと話しあった。

 脱線してしまった。
 話を「すこやかみなみネット通信」にもどす。
 結論的には、A4版3枚では(1)~(3)というのはやはり無理だった。
 (1)と(2)を詰めこむのがやっとだった。
 (3)の問題は次の10月号で(A4版はめこみ式12ページという通信全体の枠組みは動かせないから、他の教師の分を少し譲ってもらって)ドドォ~ッとやろうと思っている。

◆昼前、通信の原稿が完成して事務室のカラープリンターで印刷して出来上がりをチェックしていたら、美保野中の工藤聡教頭Tが来た。
 美保野中は事務職員がいない。
 本日の工藤教頭Tの来校は事務職員として、本校の山本事務主任への連絡のためだった。
 その仕事が終わったあと、廊下で立ち話をする。
 工藤聡教頭Tは元社会教育主事で旧南郷村の生涯学習基本計画を企画した人だ。
 志の方向が重なっているせいで、話題が、学校教育支援ボランティア、そのシステムづくり、NPO……と発展した。
 今後もいろいろ相談に乗ってもらうことを約束して別れる。


学社連携が提唱されて既に40年。改正教育基本法で第13条「学校、家庭及び地域の連携」が規定された。

2007-08-27 22:49:19 | Weblog


★体育祭結団式で決意を述べる白軍団長


◆県総合社会教育センターでは、職員・指導者研修事業として各種講座を開設している。

 ・生涯学習・社会教育関係職員講座
 ・地域コーディネーター養成講座
 ・放課後子どもプランコーディネーター等養成セミナー
 ・地域活動実践セミナー
 ・ボランティアコーディネーター養成セミナー
 ・家庭教育支援者ネットワーク形成講座……等々。

 このうち「地域活動実践セミナー」では、わたしにも出番があり、「青森県の学校支援ボランティア」と題して90分間、話をする機会があった。

◆今、わたしが楽しみにしているのは、「地域コーディネーター養成講座」で、わたしも受講生のひとりとして参加する予定だ。

 日時 8/30~8/31
 講師 廣瀬隆人氏(宇都宮大学生涯学習教育研究センター教授)

 実施要項によると、趣旨「学校と地域の協働による教育活動がより円滑に推進させるように、学校のニーズと地域の情報をコーディネートする内容の講座を開催し、各地域のコーディネーターを養成する」

 講義の内容
(1)青森県の学校支援ボランティアの現状(生涯学習課職員)
(2)学校支援ボランティアコーディネートの実際1
   ~地域と学校をつなぐボランティアコーディネート~
(3)学校支援ボランティアコーディネートの実際2
(4)学校と地域が協働しておこなう教育活動の実施計画・指導案の作成
   ~効果的な教育活動を展開するための計画作成と企画運営のスキル~

 講師の廣瀬隆人氏は、北海道教育庁生涯学習部や社会教育総合センターの社会教育主事、国立教育会館社会教育研修所の専門研修指導主事の経歴をもつ。
 学社連携に関わる豊富な実践事例や社会教育学としての体系的な話を聞くことができるだろう。

 わたし自身の「八戸市学社連携・融合担当者連絡会」「八戸市教員支援ボランティア人材バンク」「すこやかみなみネット事業」など、ささやかな実践に対する……
(1)チェック(評価)の機会
(2)今後の活動の活路を見いだす機会にしたいと思っている。
 自分のなかに雷が落ちるような大刺激が与えられれば……と思っている。

 残念だが、講義の最後(4)「学校と地域が協働しておこなう教育活動の実施計画・指導案の作成」は、時間的に中学校長会と重なるので中座せざるをえない。


★黄軍結団式で優勝の心構えを述べる北澤T

◆もうひとつ、「地域における学校支援推進大会」
 日時 9/30(日)
 場所 県総合社会教育センター
 内容 全体講演=「学校と子どもをイキイキさせる学校支援ボランティア」(講師=貝ノ瀬滋氏)
 他に事例発表とシンポジウムがある。

 この事業については、以前、実施することの意義をたずねられたことがあるが、わたしは、できれば開催地を年度ごとに青森市・八戸市・弘前市……とまわすようにしてほしいという条件付きながら、賛成した。
 ほんとうかどうかはわからないが、大阪を中心とした西日本にくらべ、東京を中心とした東日本は、こういうフォーラムを好む傾向にあると言われる。
 実際、東日本の青森県、その青森県の八戸市もフォーラム大好き地域なので、その説を聞いたときは吹きだしてしまった。
 しかし、フォーラムの意義は、やらないよりはやったほうがいいという消極的な評価ではなく、スポーツでいうと基礎体力づくりが大切だというのと同じレベルで、意義があるとわたしは考えている。

◆今回、改正・教育基本法では、第13条「学校、家庭及び地域住民その他の関係者は、教育におけるそれぞれの役割と責任を自覚するとともに、相互の連携及び協力に努めるものとする」と規定された。
 これは快挙である。
 2塁打!
 3塁打!
 いや、ランニングホームラン!だ。
 学社連携が提唱されて既に40年近くになる。
 その具体化のための条件整備という観点からすると、(地域差はあるものの)まだまだ大きな課題が残されているものの、上記のフォーラム開催などを含む社会教育関係者の地道&継続的な努力で、協働して社会を形成していこうという機運は間違いなく高まっている。
 絶好のチャンスだ。


★紅軍結団式で気合いを入れる森T


◆2校時・主任会
 わたしが述べたことの骨子。

(1)2学期新時間割の「思想」の説明
(2)夏季休業中の「部活動」と「学習会」と「宿題(含プール5回)」、それぞれの量の適否について調査することを指示。
(3)先日の職員会議におけるわたしのコメントの再確認
 ・アイデンティティの危機に寄りそう
 ・人と人のつながりをひろげる学年・学級経営
 ・ひとりひとりの生徒の学力保証対策
 ・各行事でつける力の特化
 ・「掃除」上手に。
 ・体育祭と学社連携・融合
(4)新政権と教育改革

◆午後、体育祭(9/2)にむけて全体集会・軍集会

 現3年生は、昨年の3年生から体育祭の「精神」を受け継いでいる。
 昨年の3年生は、その前の3年生から受け継いでいる。
 その前の3年生は……というふうに代々、みなみ中の「精神」が受け継がれている。
 だから、わたしたちの精神には、わたしたちの知らないみなみ中生の精神が宿っている。
 これが伝統だ。
 ただ、気を抜くと、よい伝統は受け継がれていかない。
 よい伝統を受け継き、その精神を未来に伝えるために、次の3点において奮闘努力してほしい。

(1)スピードで昨年を上回ろう。
(2)パワーで昨年を上回ろう。
(3)団結力で昨年を上回ろう。(全体集会でのあいさつから)


★精神を未来に伝えよう!と語るわたし(撮影=志塚T)


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2学期の体育祭・市中体・文化祭・修学旅行などを「系列・ライン・つづきもの」ととらえ

2007-08-24 23:28:14 | Weblog


★昼休み、北校舎3階から港を眺める


◆昨日(8/23)は午前中、職員会議。
 わたしのほうからは、「アイデンティティの危機に寄りそう」と題して、8/22にアップした内容のうち、アイデンティティの危機への具体的な寄りそい方について語る。
 あわせて、「2学期の諸行事をつづきものとしてとらえ、子どもの力を計画的・系統的に育てる」と題して語る。
 そのおおよその内容は下記の通りである。

◆2学期の体育祭・市中体・文化祭・修学旅行などを、単発の行事ではなく、「系列・ライン・つづきもの」ととらえ、生徒のよいところを計画的に伸ばす、あるいは弱点を計画的に育てる場にしたい。
 このことについて、領域部会で学校全体の計画を立てるという発想はまちがいではないが、経験的にいってこれはなかなかむずかしい。
 空疎で、形式的なものになりがちだ。
 学年や学級の実態を踏まえ、子どもの顔を思い浮かべながら計画を立てるほうがいい。
 こういう点では、2学期の行事を「つづきもの」としてとらえ、生徒を計画的に成長させていく主体は、やはり学年が適切であると思う。
  つづきものとしてとらえ、計画的に育てる際、特に留意してほしいのが、リーダー性や自主性である。
 〈例〉・生徒が自分たちで考える「部分」を設定する
 ・自分たちでやる「部分」を設定する
 ・結果について自分たちで責任を負う「部分」を設定する……
  こういう場面を、つづきもの行事のなかに計画的に設定していく。
  
 その際、わたしたちは、
 ・教える→やらせる→評価
 ・やらせてみる→教える(=評価)
 ・教える→やってみせる→やらせる→評価……(←これもひとつの例に過ぎないのだが)、
 今、この行事では、どのパターンで指導し、次の行事ではどのパターンに移行しようとしているのかを明確に意識する必要がある。

 また、その過程でつまずいた時、適切な指導が大切だ。

 ・具体的に教える
  教師が期待している行動がどういう行動か本人が具体的にわかっていないのではないか?
  知らないからできない。だから、具体的に教える。
  「*****することが最上級生としての行動なんだよ」などと具体的にかみくだいて教える。

 ・正しい情報を与える
 間違って「学習」しているのではないか?
 だから、本人が思っている行動が必ずしも他人からそうに思われていないということを教える。

 ・自信をもたせる
 わかっているのだけれど、行動にうつせないのではないのか?
 だから、よく観察し、他のTの情報も得て、少しでもできていること(場面)を指摘し、ほめる。

 ・細かくコーチする
 わかっているし、やれるのだが、状況に応じて適切な行動が取れないのではないか?
 だから、具体的な場面をとらえて、細やかな対応方法を具体的にコーチする。
  (「2学期の諸行事をつづきものとしてとらえる」以上)

◆午後3時から総合教育センターで、第42回青森県小中学校教頭会研究大会八戸大会特別分科会事前研修会という長い名前の会議に出席する。

 研究大会は10/25~26に開催される。
 2日目の分科会は6つの分科会+特別分科会。
 その特別分科会の打ち合わせだ。
 テーマは「小中連携」

 本日の打合会出席者は、コーディネート役の菊池武氏(前教育長)、シンポジストの簗瀬真知雄氏(柏崎小校長)、稲垣穣一氏(長者中PTA会長)、わたし。
 教頭会担当者約10名。
 その中に四戸康彦T、四戸康雄T、戸来忠雄T、上野修子T、井上貫之Tらがいた。

 下記の協議項目について、シンポジストが基調提案するときのそれぞれの重点の置き方について話しあう。
 たとえば、わたしは〈授業〉2・〈環境〉2・〈家庭地域〉6……。
(1)質の高い授業づくり
(2)連携の環境づくり
(3)家庭・地域との連携

 県内小・中の教頭先生の出席予定者は340名。
 そのうち特別分科会出席予定者は45名・PTA15名、合計60名。
 ああ、参加してよかったなぁ~ < ほう、こんなふうにやるのか、よし、やってみよう < 同じような実践をやっているのだが、ここがスゴイ!……などと思っていただける提案ができれば……と思っている。
 
◆帰宅してお好み焼き大会。
 水に溶かすベーキングパウダーの量を調べるため、これまで水分に混ぜていたミリン、生地に混ぜていたバター、チーズなどの使用をすべてやめて焼く。
 予定では、お好み焼き大会のあと、5時間ほど眠って、午前2時頃から明日の始業式・式辞を書こうとしていたら、わたくし事だが、日頃のいい加減さがたたり、午前0時頃まで電話で何度もやりとりしなければならない事態が発生。
 結局、眠ったのは午前0時半~午前2時まで。
 午後2時半~明け方(午前5時)まで式辞を書く。

◆式辞は、卒業式の式辞であれ、なんであれ、たいてい直前に書くことにしているが、直前の度合いが、これまてで2番目に短い。
 1番目に短いのは、10分前完成という例がある。
 始業式は蒸し暑い環境だろうから、1200字以内をめざしたが、1400字を少し超えてしまう。

〈式辞〉

◆〈夏の終わり〉
 わたしは、夏の空に顔を出したひまわりの花が大好きです。
 毎日毎日、太陽のほうに顔を向けて、キラキラと輝いている。
 今は、そのひまわりも、「ああ、もう夏も終わりだなぁ~」と思いながら、夏の最後の光を受けて咲いているのだと思います。
 ひまわりの花に「夏休み中、ごくろうさんだったね」と声をかけてあげたい気分です。
 みなさんに対しても同じです。
 学習に、部活動に、よくがんばりました。
 「さっきまで宿題をやっていたんだ」という人もいることでしょう。

 陸上部の熊谷直矢君は、東北大会に出場、つづいて全国大会にも出場しました。
 おめでとう。
 また、合唱部も、1つは全日本合唱コンクール、もう1つはNHK全国学校音楽コンクール、ともに東北大会出場を決めています。
 おめでとう。


★玄関前花壇のひまわり。夏の最後の光輝を浴びて。

◆〈新しい旅立ち〉
 さて、きょうからはじまる2学期は、長くて、変化にとんだ学期です。
 列車の旅にたとえると、列車に乗るときは夏、2学期の終業式の12/21に列車を降りるときは、プラットホームが雪で固まっている真冬です。
 ですから、2学期は、夏→秋→冬にまたがります。
 雪のプラットホームに降りるとき、今の自分ではない、どんな新しい自分になっているのか、これが楽しみです。

◆〈旅のテーマ〉
 こういう2学期を過ごすための、心構えを3点述べます。
 決して新しいことをいうというのではありません。
 感情は日々、変化しますけど、精神はそんなにコロコロ変わるものではありません。
 ですから、わたしが、これまで言いつづけてきていることのなかから、これだけはという3点を話します。

 第1点。
 どういう自分になりたいのか、自分の夢をはっきりさせることが大切です。
 4月の始業式・入学式の日に「なりたい自分をデザインしよう!」とわたしは言いましたが、これは2学期のスタートにあたっても同じです。
 こういう自分になりたい、その「なりたい自分」に平成19年12月21日と日付を入れる。
 これが2学期のみなさんの目標です。
 人生の目標です。
 わたしも12/21までの人生の目標があります。

 第2点。
 第2点は、その「なりたい自分」の実現に向けて、どう努力するのか?ということです。
 「凡事徹底」ということばを覚えていますか?
 1学期に「目を大切にするイチロー選手」の話、「お世話になった人々へのあいさつを大切にする松井選手」の話をしたので、記憶に残している人も多いと思います。
 「凡事」とは、あたりまえのこと、ごく普通のこと。
 あたりまえのことだから、やろう思えば、だれにだってできる。が、やりつづけている人はなかなかいない。
 そういうことをやりつづける。
 本校の「学力向上の5原則」も、この凡事です。
 これは徹底してほしい。
 しかし、これだけでは足りない。
 なりたい自分に近づくための、自分の「凡事」っていったいなんだろう?
 勉強に、部活動に、自分の「凡事」をみつけ、それを「徹底」する2学期にしよう。

 第3点。
 清貧の思想。
 清く貧しく生きよう。
 「お父さん、あるいはお母さん、これまでわたしを育てるためにたくさんお金を使ってくれてどうもありがとう。でも、もう中学生ですから、ムダなお金は使いません。お小遣いもいりません」という気持ちで生活してほしい。
 全国で統計をとったら、いちばんお金を使っていないのがみなみ中生だった……というような結果がでる……というのがわたしの理想です。
 反対(みなみ中生がいちばんお金を使っていたというの)は最悪です。

 以上、12/21、なりたい自分、よりよい自分になって、ここに立てるための心構え3点を述べ、2学期始業式の式辞とします。(式辞 以上)

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空間軸の崩壊が、それに複雑に絡みつつ形成されている時間軸の崩壊につながるのだろう。

2007-08-22 16:20:51 | Weblog


★実践と研究の積みかさねに裏打ちされた佐藤亜希氏の講演


◆アイデンティティという語に対する適切な日本語訳がないといわれる。
 実際、日本語のいろんな文脈のなかで、「正体」、「身元」、「本質」、「独自性」、「主体性」、「本性」、「存在証明」「自己像」「本来の自分」……などと使われている。

 8/21みなみ小・中連携研究会の席上でも、講師の佐藤亜希氏が「先生方のアイデンティティ……」という言い方をし、それを受けるかたちで、わたしもお礼のことばのなかで「佐藤亜希氏のアイデンティティ……」という言い方をしたが、たぶん2人の「アイデンティティ」の概念には微妙なズレがあったと思う。

◆わたしは迷わず(というか長いあいだ「迷」った結果として、現在は単純、頑迷に)「同一性」と直訳している。
 と同時に、これを時間(垂直)軸と空間(水平)軸の2軸でとらえている。
 「時間軸」は、もちろん自己の時間的・歴史的連続性、つながり。
 「空間軸」は、所属する社会との連続性、つながりである。
 それぞれについて具体的に語りたいところだが、時間とスペースの関係で全部はしょる。


★佐藤氏の講演を聞き、演習するみなみ中の先生方

◆今、この時期、ここで話題にしたいのは、空間軸のほうだ。
 空間軸の例として、
(1)学級・学年の友人とのつながり
(2)教師とのつながり
(3)家族とのつながり
(4)地域の人々とのつながり
(5)インフォーマルな友人とのつながり
(6)部活動仲間とのつながり
(7)いわゆる「第4の領域」の仲間とのつながり……等々。

 経験的にいって、いわゆる「急性のアイデンティティ混乱」も含め、2学期はじめは、自己の存在の意味を見失ってしまう中・高校生が多い。

 空間軸の崩壊が、それに複雑に絡みつつ形成されている時間軸の崩壊につながるのだろう。
 いわゆる日本的美意識としての無常観に少し似ている。
 わたしはキライではないが、子どもが長期間、この精神状態にあることは危険だ。


★演習中のみなみ小の先生方

◆欲をいえばきりがない。わたしは(1)~(7)のどれが1つが、つながっていれば、「さしあたって今は大丈夫」と考えている。(←かなり粗い話だか……。)

 先生方には、「3日会わざれば刮目してみるべし」という視点(=「この子は、2学期、どんなところがよくなりたいと思って出校してきているのだろうか?」)とともに、ひとりひとりの(1)~(7)のつながり(=空間軸のアイデンティティ)を観察していただきたい。
 そして、消滅しかかっている空間軸のアイデンティティに寄り添っていただきたい。

 「観察」については
(1)子どもといっしょに「存在」する。ただ、いっしょに「存在」するだけでいい。
(2)アンケート調査(含ミニ課題作文)
(3)チャンス相談……など、プロとして多様な手法を組み立てて工夫を。

 「寄り添う」については、いつもの〈カウンセリングの三角形〉でいうと「A←一体になる・B←味方になる」部分をぶ厚くする(=即助言というのは、避ける)ことを基本に、
(1)将来への目標を持たせる。
 体育祭に向けて……市中体にむけて……文化祭にむけて……修学旅行にむけて。
 行事の運営はたいへんだが、こういう状況ではかなりの威力を発揮する。
 先生方ご自身の2学期の夢もぜひ熱っぽく語ってほしい。
(2)自分のよいところに気づかせる
(3)自分の存在が他のためになっていることに気づかせる……など。

◆教師一般の体質もそうだが、社会全体がマイナス評価する、あるいはマイナス的(含悲観論・危機管理という観点からの予防)な評価ができる人間を高く評価する方向に傾いている。
 自己肯定感が育たない原因の1つだ。
 この流れに抗して、徹底して自己肯定感を育ててほしい。
 悲観論は感情だが、楽観論は思想だ。

◆上記で「欲をいえばきりがない。わたしは(1)~(7)のどれが1つが、つながっていれば、さしあたって今は大丈夫と考えている」と書いたが、このことは言い換えれば、1つよりも2つ、2つよりも3つと、たくさんのつながりがあるほうが安心というか、子どもの自己形成空間が充実していることになる。
 しかし、三間(空間・時間・仲間)の減少。
 多人数異年齢集団の遊び集団から少人数同年齢集団化。
 職住分化(家族の共同性の衰弱化)。
 自己選択的消費文化の浸透(他者との共同行為の衰退)。
 地縁ネットワークの衰弱化。
 地域空間の均質化……等々。

◆空間軸のつながりの少ない子どもが問題なのではない。
 背後にあるこういう歴史的、文化的、社会的な変化を経て、社会全体がもがいているのである。
 この状況、またこの時期(2学期はじめ)を踏まえて、人と人とのつながりを拡充する教科経営、学級経営、学年経営、はどうあればいいか? 教職員の役割はなにか?ということを強く意識し、プログラムを企画していくことが、今、大切であると思っている。

◆昨日、研究会のあと、午後6時から魚民で、講師の佐藤亜希氏、中川校長、櫛引T、安達T、黒沢Tたちと飲む。
 乾杯しようと、生ビールを注文したら、「少し時間がかかる。瓶ビールだったらすぐ出せる」というので、ひとまず瓶ビールを頼んだ。
 ところが、これが(わたし以外の)みんなにはぬるかったようだ。
 「ぬるいぃぃ~!」
 「ぬるいぃぃ~!」
 と言い合っている。
 わたしは基本的にビールや発泡酒類は夏でも冷やさないから、わたしにはちょうどよかった。
 乾杯のあと、遅れて到着した生ビールジョッキを飲みはじめたので、瓶ビールが残った。
 「冷たいビールでは味がわからない。それはわたしが飲む」
 と全部、引き受けた。
 これが悪かったようだ。
 きょうは、軽いが、しつこい、ビール特有の二日酔い。
 午前中の運営委員会、ひきつづき、午後にかけて、あすの職員会議用の「職員室通信」の執筆。
 A4版、4枚書いたところで、感情では「もう少しやりたい」のだが、肉体のほうは力が尽きてしまう。


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舘田Tの離任式 本校での1年半、学校のため生徒のため、授業に環境整備に部活動にほんとうに誠心誠意、尽

2007-08-20 16:53:03 | Weblog



★「またぜひ出会いたい」と、別れのことばを述べる舘田T


◆舘田Tの離任式。

 きょうは1、2、3学年の出校日が重なる日だ。

 1年はテストと帰りの会の間、2年は課題点検と学活の間、3年は実力テスト4教科目と弁当・5教科目の間というふうに、最大公約数的に時間を見いだして、離任式を11時45分~12時05分に計画していた。

 舘田Tは2学期から青森県立弘前中央高校で国語を担当する。
 本校での1年半、学校のため、生徒のため、授業に、環境整備に、部活動に、ほんとうに誠心誠意、尽くしてもらった。
 心より感謝申しあげたい。
 今後は、健康に留意しつつ、高校生に対して、ひとりひとりを大切にし、知的で楽しい授業に挑戦しつづけてくれることを祈念する。

◆きょうもまたお好み焼きの話をしたい。
 報告しなければならないことがあるからだ。
 (「安倍政権の教育改革」は後日に。)
 食べ物の味を、他の人にことばで伝えるのはむずかしい。
 わたしのお好み焼きの味の原点は、幼児期の大阪の場末のお好み焼き屋にある。
 昭和20年代後の話半だ。
 お店のメニューは、安いほうから、「お好み焼き」(←別な名前があったかもしれないが、わたしはこう呼んでいた)→「イカ」→「タマゴ」→「ブタ肉」→(それにこれらを好みによって組み合わせた)「ミックス」(←ミックスとは呼んでいなかったように思う。「タマゴにブタ」というふうに注文していた。)

 大貧乏の家の子であるわたしは「お好み焼き」しか記憶にない(こういう言い方をしてお父さん、お母さん、スンマヘン)。
 生地が焼けてくると、早めにひっくりかえし、ペッタン、ペッタンとコテでたたいて、うすく、大きく、ひきのばし、ま、今でいうもんじゃ焼き風にして食べていた。
 このときの「外サクサク感」「中にわずかに残ったホカホカ感」。
 これが原点だ。
 だから今でも、「外サクサク感」の深さにこだわるのだろう。



★みなみ中周辺の風景の色彩が濃くなってきた。もう秋だ。

◆報告。
 これまで水分(水とミリン)にタンサンを溶かし込み、それと生地を混ぜていた。
 このタンサンをベーキングパウダーに切りかえた。
 昨年の夏、一時期、ベーキングパウダーを使用したのだが、お菓子風のお好み焼きになることを嫌い、タンサンを使いつづけてきた。
 しかし、現時点での判断だけれども、タンサンを使っている限り永久に、わたしのめざす深い層にまで及ぶ「外サクサク感」は実現できない。

 で、昨日の出来は、やはりお菓子風にはなったものの、ペタペタ感のない、ホカホカ(ホッカホッカ感に近い)感は実現した。
 そして、タンサン使用より、わたしのめざす「外サクサク感」に近いと感じた。
 夏季休業中の修業の結論=「100発100中、75点のお好み焼きが焼けるようになった」を上方修正。

 水に溶かし込んだベーキングパウダーに戻して80点だ!



★わたしは、こうやって夏の最後の光輝を受けるひまわりが大好きだ。


★麗羅>なんか嫌味に聞こえる人もいるかもしれんけど★麗羅>宿題終ワタぁぁ!★麗羅>とぃぅことですたw

2007-08-19 14:45:50 | Weblog



★白銀台町民大運動会第30回記念大会 開会式


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◆みなみ中生は宿題に追いかけられまくっているようだ。

 チャットにこういうのがあった。

麗羅 > なんか嫌味に聞こえる人もいるかもしれんけど・・・ (8/18-20:03:01)
麗羅 > 宿題終ワタぁぁぁぁ!!!ε=ε=ε=ε=ε=ε=┏(*´∀`)┛
麗羅 > とぃぅことですたw
麗羅 > でゎw

◆午前8時半からみなみ小校庭で、白銀台町民大運動会が開かれた。
 来賓として出席する。
 今年は第30回の記念大会だそうだ。

 教育コミュニティーづくり……地域ネットワークの形成……学校・家庭・地域の連携……。
 口でいうのは簡単だが、具体的に一歩前進するのは、ほんとうにたいへんなことだ。

 西山連合町内会長はじめ役員の方々には感慨無量のものがおありのことと拝察する。



★親子レース

◆学校が夏季休業期間、徹底してお好み焼きの修業をした。
 なぜ、夏季休業期間かというと、通常期間は、帰宅時間が不規則(午後7時頃の帰宅もあれば、午後11時過ぎの帰宅もある)で、夕食のメニューをコントロールできる状況にはない。
 夏季休業期間だと、ある程度、これができる……ということで「お好み焼き修業期間」として設定した。

 ただ、「修業」とはいっても、焼いて夕食として食べるというのが前提だから、1日1枚(あるいは、わたし以外にいっしょに食べる同伴者がいる場合、その枚数)だ。
 途中から、明日の朝の分まで焼いておき、朝、レンジに入れるようにすると、2倍焼けることに気づいたが、これは1回しか実行していない。
 明日の朝のお好み焼き……というのは、あまり気合いが入らないものだ。

◆熟慮?の結果、豚玉に限定した。

 前にも書いたが、ミックス焼き、ネギ焼き、モダン焼き、チーズ焼き……などにもぜひ挑戦してみたいと考えていた。
 しかし、豚玉以外は、どうしても自分の気持ちが乗らなかった。(要するに、食べたいと思わなかった。)
 それぞれのもつ特徴のなかの興味ある要素(特にチーズはおもしろい)を取りいれながら、一夏、豚玉で通した。



★大玉ころがし

◆修業の結論をいうと、100発100中、75点のお好み焼きが焼けるようになった。
 足りない25点は、外サクサク、中ホカホカの、サクサク度が浅いし、十分にコントロールできない分だ。
 だから、これも前に提示した尺度でいうと、大阪市出身の「金華楼」のおばちゃんレベルには達したが、堺市出身の「明石」のおばちゃんレベルには至っていないということだ。

 サクサク度をどうコントロールするか、今後の課題だ。

◆基本材料(わたし1人分)
 お好み焼き粉40グラム(←市販されているものを愛用)
 キャベツみじん切り130グラム
 卵1個
 豚肉(バラ肉)広げてお好み焼きを覆える分量
 紅ショウガ少々
 天かす少々
 乾燥エビ少々
 水分40~50CC
 その他、いろいろ(←これは、ホンマにいろいろだ。日によって異なる。)

◆ポイントとして、
 水分40CCは、きょうの場合、水25CC、みりん15CC。これにタンサン少々を溶かした。(タンサンを溶かしたあと、粉と融合させる。)
 また混ぜるとき、卵だけは入れないで、水分・粉・天かす……などを「混ぜる」。
 そのあとに卵をいれて「混ぜる」。
 この2つの「混ぜ方」は異なる。
 こう違うのだ……と言いたいところだが、もう少し試行錯誤が必要だと感じている。
 また、最初に「混ぜる」ときに、溶かしたバター少々を入れて混ぜているが、このバターの量ももう少し検討が必要だ。

◆天かすは、市販のものたけでは、なんだかもの足りないので(というか市販の天かすだと入れても入れなくても同じ)、いろいろなもの(工藤副会長さんから教えてもらったカッパえびせんとか、天ぷらどんべいどんなどについている天ぷらとかを混ぜて砕く)を混合してつくっている。

◆ホットプレート、現在、200℃~210℃に設定。
 4分間焼く。
 そのあいだに表面に豚肉を並べる。
 ひっくり返して6分弱焼く。
 この段階が問題だ。
 結局、修業といっても焼く枚数が少ないから、身体が覚え込んでいるというレベルにならない。

 お好み焼きの挑戦はまだまだつづく。
 しかし、だれかがいっていたが「お好み焼きを料理にしてはいけいな」。
 これは同感だ。
 わたし流に言い換えると「お好み焼きを料理に堕落させてはいけない」。


「財布の中に数百円しかない時も、遮蔽物のない風景が好きでよく通天閣に上って」というコメントがあやしい

2007-08-18 14:32:04 | Weblog

★この前を通りたくて、トリップのコースを変えた。
ここは下崎君が手がけている「創出」空間だ。
わたしは下崎君を教え子だとは思っていない。
ライバルだ。それもこちらが劣勢のライバルだ。
大久保君も、山地君も、戸来君も、ライバルだ。
だれに負けても、もうどうでもいいのだけれど、
この人たちには負けたくない。


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■おととい、この欄に「今、パソコンの横に読みさしの本が数冊、積んである」……といって、上から、『おかあさん疲れたよ』(田辺聖子)、『普通でない5年3組からの挑戦』(大堀真)、『対論・教育をどう変えるか』(寺脇研他)、『ソクラテスはなぜ死んだのか』(加来彰俊)、『本格小説』(水村美苗)と列挙した。
 そのとき、(すべて再読)と注記して、つくづく思ったことだが、最近というか、ここしばらく書物をほとんど購入していない。

■今年になって購入したのは、
 『野球狂の詩』(水島新司)全17巻(古書)
 『通天閣』(西加奈子)
 『TOKYO図書館日和』(冨澤良子)
 『お好み焼き免許皆伝』(お好み焼き研修センター編)

 これがすべてだ。

■『通天閣』は、本よみうり堂「著者来店」を読み、記事のなかの西加奈子さんのコメント「大貧乏で財布の中に数百円しかない時も、遮蔽物のない風景が好きでよく通天閣に上ってたんです。今は不幸でも、あと数年したら幸せになれるで、と声をかけてあげたくなった」「近くにいる人の息のあったかさ、一人で生きているつもりでも、だれかに『好きやねん』と言ってもらいたい気持ちを描いていければ。人生ってすべて縁。私にとっても昔の彼、書店や編集者、読者、どの出会いも全部決まってたんやなぁと思う」に心動かされ、飛びつくようにネットで購入。
 しかし、2、3行読み、これは「アカン」とほうりだし、今も、ほうりだしたままホコリをかぶっている。



★あしたはこのおっさんが座っているイスに座りたい

 なにが「アカン」のかというと、通天閣は大貧乏人にはそんなに簡単にのぼれるトコとチャイマスネン。
 わたしかて通天閣にのぼりたくて何度も、その下までいきましたよ。
 けど、昔も今も、通天閣の料金って、大貧乏人には超高いんでよすよね。
 だから、「大貧乏で財布の中に数百円しかない時も、遮蔽物のない風景が好きでよく通天閣に上ってたんです」というコメントが、あやしい。
 この「よく」という形容詞があやしい。
 購入まえにこの「あやしさ」に気づくべきやったね。
 2、3行読んでから、気がついた。

 書物はやっぱり書店で買うべきか?
 地域の本屋さん、がんばれぇぇぇぇぇ!

■『TOKYO図書館日和』は、出張で県庁に行ったとき、帰路、成田本店で見つた。
 ちょうど古書店づくりをしているときだったので、書架の配置、書物の並べ方の参考にしようと購入した。
 これは何度でも手に取りたくなる本だ。
 今も古書店の書架の隅に飾ってある。



★あしたはここでコーヒーを飲もう

■購入していないから、では、なにも読んでいないかというと、もちろんそうではない。
 職務上、読み込まなければならない文献がかなりの量におよぶ。
 また、職務外だが、読書感想文コンクールの審査を引き受けたときは、主催者から大きなダンボール1個分の書物が届けられ、来る日も来る日も(寝っ転がって)読みつづけ、背中を痛め、整形外科に通うハメになったこともある。

■ただ、職務上読み込まなければならない文献があり、それが多くの時間を占めてしまうから、書物を購入しないのか、いや、そうではなくて、そもそも購入するつもりがないのかは、(職務上、読み込まなければならない状況から解放されていないので)よくわからないが、たぶん後者ではないかと思っている。

 心のどこかに、日本的美意識としての「無常感」があり、もう書物は購入しない、いや、書物だけではない、「形あるもの」はいっさい購入しない……と決めているところがある。

■きょうは、安倍政権の行く末と教育改革について書こうと、PCにむかったのだが、全然、違った内容になってしまった。


ホームページは、君たちの意識の深い部分と君たちを取り巻く環境との間に存在する。

2007-08-17 20:07:19 | Weblog

片町朝市の喫茶店(トリップの途中)


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■八戸市中学校長会・生徒指導部会で、1学期末に市内中学生を対象に実施した「パソコン・携帯電話に関するアンケート」結果が届いた。
 生徒指導主任・松代Tに、生徒指導部会で分析し、8月の職員会議で分析結果と今後の指導方針を提案するように依頼した。

 わたしも、今、ザッと目を通したところだが、アンケート8項目中6項目が市内の平均値を示している。
 明らかに違いがあるのは次の2項目だ。

(1)パソコンがあるか?
 ある:八戸市内全体=67.4%
      みなみ中=55.6%

(2)ホームページをもっているか?
 ある:〈自分専用〉
    八戸市内全体= 6.2%
      みなみ中=11.2%
    〈家族共有〉
    八戸市内全体= 6.3%
      みなみ中= 3.9%

■「自分専用のホームページ」を持っている割合が市内平均の2倍である。
 これは期待できる数値だと思う。
 わたしは、平成16年度の文集『はちのへ』の巻頭言に次のように書いた。

統一館通り(トリップの途中)

   ★

 

 人類初期の頃、まずコミュニケーションの手段としてのことばが生まれる。
 そのあと、ひとりでものを思い、考えるという新しいことばが生まれる。
 この新しいことばが書きことばにつながったのだという説がある。

 これは一人の人間の成長にもあてはまる。
 中学という時期は、この「新しいことば」が飛躍的に発達する。
 そして、書くことを通し、口では言えないことを言う。
 目には見えないものを見る。
 耳には聞こえない音を聞く。
 おぼろげに感じたことを手さぐりで鮮明にしていく。
 書くという行為は、意識の深い部分と結びついている。

 今、わたしたちが手にしている文集「はちのへ」の作品は、この意識の深い部分と、中学生を取り巻く環境との間に存在する。
 家庭や地域での生活、学校での活動、社会的事象など、いわば社会的現実との間で悩む、後悔する、反省する、希望を持つ、決意する、努力するという中学生の行為・行動が一文、一文に凝縮されている。
 文集を開き、これらの一文に参加するとき、わたしたちはことばを通りこし、中学生が見つめる対象世界にじかに触れることができる。
 これが文集の大きな楽しみといってよい。

(中略)

 もう一つは、インターネットの普及に伴って可能になったホームページ、電子メール、チャットなど新しいコミュニケーション方法に関してである。
 現在、ネット上では、ブログなど日記サイトに膨大な量の文章が発信されている。
 これらを「活字文化とは認めない」「手軽な分、ますます貧弱な言語になる」などと言う人がある。
 しかし、わたしは冒頭と同じ文脈で今、人類に「新しいことば」が生まれつつあるのだと考えている。
 この「新しいことば」と文集「はちのへ」のかかわりを検討することが求められている。(文集『はちのへ』51号巻頭言から抜粋)

■よいものをよりよく使い、21世紀の創造の担い手になってほしい。

 希望をいえば、その「自分専用のホームページ」を、1年や2年でやめてしまう、放置してしまうのではなく、長く長く継続してほしい。
 さっきの巻頭言の言い回しをそのまま使うとすれば、ホームページは、君たちの意識の深い部分と君たちを取り巻く環境との間に存在する。
 中学生、高校生、大学生、社会人……君たちの成長とともにホームページも成長していく。
 逆も言える。
 ホームページの成長とともに君たちも成長する。

■ちなみに、このホームページ(600字の教育学)は、開設して8年になる。
 この8年間の自分の身の上は、ホームページ(600字の教育学)なしには語れない。
 ま、このことについて語りはじめると終われなくなるので、きょうは、これでやめる。


根岸時代、男教員の飲み会の場所。わたしはその会長だった。

■勤務終了後(もう少していねいにいえば、勤務時間終了と同時に勤務を終了することができたので)、いつもの山間の温泉にいく。


今、パソコンの横に読みさしの本が数冊、積んである。上から『おかあさん疲れたよ』(田辺聖子)

2007-08-16 15:31:21 | Weblog

豚肉が生地の表面に溶けこむように包み込むように焼けた


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■夏季休暇の方針?と計画?を立てるとき、柱のひとつに「お好み焼き修業」を入れようかと思ったが、どうせ毎日やるのだからと、取りたてて柱立てはしなかった。

 そのお好み焼きについては、基本中の基本「豚玉」を究めることに加えて、ミックス焼き、ネギ焼き、モダン焼き、チーズ焼き……などにもぜひ挑戦してみたいと考えていた。

 しかし、きょうの豚玉は豚肉が生地の表面に溶けこむように包み込むように焼こう……きょうの豚玉は市販の天かすではなく特別に仕入れたものを使ってみよう……きょうの豚玉はキャベツを千切りとみじん切りの中間よりもっとみじん切りに……とやっているうちに、結局、毎日、豚玉になってしまった。

 というか、豚玉以外にはあまり興味がないのだ。

 今、むずかしいなぁ~と感じているのは、鉄板の上に生地を流して4、5分焼く……焼いているあいだに生地のうえに豚肉(バラ肉)を並べ……そして、ひっくり返すのだが、このあとの焼き方がよくわからない。
 豚肉が固くなり生地と一体にならなかったり、豚肉はよく焼けているのだが、その内側の生地が生焼きだったりする。
 もちろん、ときどき、生地の表面を、豚肉が生地の一部、薄皮のように包んでいるぅぅ!……という感じで焼けることもある。
 しかし、その確率は低い。
 20%くらいだ。

 これを読んでいる方、ぜひアドバイスをいただきたい。
 アドバイスは「掲示板」か「MAIL」でお願いします。
 頼んまっせ((σ σ〃)ペコッ

 で、きょうの豚玉の挑戦だが、生地に隠し味として●●(←秘密でっせ)を、だし汁に●●(←これも秘密でっせ)を入れてみようと思っている。(^0^*オッホホ)

トリップは長横町の交差点から銀波に突きあたりそこを右折する

■職務としては、これまでと変わりなく、教職員対象に通信(「職員室通信」)を発行している。

 ただし、今年の1学期は、自分の内部に迷い……というか、新しいものがうまれかかり、それがまだ明確なかたちになっていないという、かなり不安定な状態だったため、発行数が減った。
 平均すると1週間に1回(A4裏表)の発行だったが、経験的にいえば、教職員に向け、1週間に1回文書を出しているようでは、経営らしい経営はできない。
 この点は猛省している。
 2学期は心を入れかえてがんばりたい。

朔日町~六日町

■しかし、言いたいのはこのことではない。
 「職務としては……」発行した。
 だが、今、HPトップにも記述しているように「自分というものが、ここ(教育現場)にこうして生きていることの不思議さを、1文字1文字記述していきたいという感情が、一定レベルに達し」なかったために、その通信をこのHPにアップするには至らなかった。

 「土・日」+「お盆休暇」+「土・日」で、それがどうなったのかが問題なのだ。


六日町~十六日町

■今、パソコンの横に読みさし(すべて再読)の本が数冊、積んである。
 上から……
 『おかあさん疲れたよ』(田辺聖子)
 『普通でない5年3組からの挑戦』(大堀真)
 『対論・教育をどう変えるか』(寺脇研他)
 『ソクラテスはなぜ死んだのか』(加来彰俊)←恩師。(●ノ□ヽ●)ン!!
 『本格小説』(水村美苗)

 この本の積み上げ方は決して悪い精神の状態ではアリマヘンなぁぁぁぁぁぁぁぁ~((((((≧∇≦))))))


1970年の夏、夜行急行・銀河8号は明かりのつきはじめたビルのあいだをゆっくりと動きはじめた

2007-08-15 14:43:57 | Weblog

長横町の交差点に出る。ここまで来るとホッとする。


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■トリップ終了後、シャワーのあと、再び、古書店に入り、FMのスイッチをONにしたら、シューマンは終わり、チャイコフスキーに替わっていた。

 「弦楽四重奏曲 第1番 ニ長調 作曲11」(エマーソン弦楽四重奏団)、「ゆううつなセレナード 作品26」   チャイコフスキー作曲(バイオリン:ギドン・クレメル 管弦楽:ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団)を聴く。

■古書店づくりのほうは、できれば横積み・野積みは避けたかったのだが、やはりワンルームでは収まりきらず、一部、床の上に野積み状態になっている。

横積み・野積みの古書


 だから、むずかいことは承知の上だが、昨日の「書簡がこの古書店のひとつのベクトルだ」の延長線上で、自分の書簡と同時に、いや、それ以上に「来簡」をもっともっと大切に扱わなければいけないのではないかと考えた。

 これまで来簡は、〈壁に張る〉〈本の空箱を使い、その中に個人ごとに収める〉〈ダンボールに詰める〉という保存の仕方をしてきた。
 商業的なもの以外は、ほとんど捨てていない。

個人ごとに箱に詰められている来簡

壁に張られている来簡


 ただし、これについては今「捨てていない」と偉そうにいっているが、実は、今回の「古書店づくり」をはじめた頃、おびただしい来簡の束に困り果て(←こんな言い方をしてわたし宛に手紙を出してくれはった方々、すんまへん!)、99%を処分するつもりで、いくつかのダンボールに詰め込み、昨日「書簡がこの古書店のひとつのベクトルだ」に思い至る直前までは処分するつもりでいたのだ。

 ほんとうに魂の内側というのは、すべてが不確定の闇だ。

 この件、すなわち「来簡コーナー」については、今後、検討する。
 少なくとも来簡を処分するのだけは、やめる。

■わたしの「書簡集」コーナー←こういうコーナーを新設した((((((≧∇≦))))))バッハッハ。

   ★

 お盆前に近所の大工さんに頼んで屋根裏に物置をつくってもらった。
 荷物を移動しているとき〈1968・1969・1970・1971〉と黒マジックで書かれた大きなダンボール箱が出てきた。
 大学時代の日記とメモ帳(書簡の下書きを含む)だった。
 2日かけて読んだ。
 何月何日、何時にどこでだれと何について話をし、何を飲み食いしたかということが書かれてあった。
 大学ノート1冊が1日というのもあった。
 覚えていることより忘れていることのほうがはるかに多かった。
 行ったはずのない所に行っている。
 来たはずのない人が自分の下宿に来ている。
 思い出せない人もいる。
 不思議な気持ちだった。
 そして、どうしても君に手紙が書きたくなった。
   ★
 翻訳小説を7冊買った。
 近所の本屋で文庫本の海外文学コーナーから短篇集ばかり適当にぬきだしたのだ。
 部屋に帰り、そのなかからひらがなの多いものを3冊選び出した。
 マンスフィールドとオコナーとマラマッドだ。
 僕のからだのなかにあるつぎはぎだらけの言語をバラバラにしてみたかったからだ。
 バラバラにして太陽と風にさらしたかったのだ。
 ソファーに寝ころがってその1冊をひらいた。
 ベランダで風が鳴っていた。
 マンスフィールドの『園遊会』。
 その園遊会がおひらきになるところで眠ってしまった。
 目が覚めてから、つづきを読む。
 ローラが葬式にバスケットを持って行く場面と次の短篇『パーカーおばさんの一生』だ。
 3つ目に移る前に訳者の安藤一郎の解説文をみる。
 安藤は『湾の一日』がいいと言っている。
 彼女の作品のなかではいちばん長いものだそうだ。
 読んでみよう。
 〈朝まだき。太陽はまだ昇らず、新月湾の全体は白い海霧の下に隠れていた。……〉
 2行読んで、また眠り込む。
   ★
 1970年の夏、夜行急行・銀河8号は明かりのつきはじめたビルのあいだをゆっくりと動きはじめた。
 向かいの若い女性(←「女の子」といったほうがいい)が窓辺においた赤いラジオのスイッチを入れた。
 列車の振動音を突きやぶって、小さなスピーカーから聞こえてきたのはティファナ・ブラスの「マルタ島の砂」だった。
   ★
 「今井君、この小説は……」
 レコードにクリスタル針をのせながら僕が言った。
 「これを聴きながら読んでくれるといいんだ」
 「……だったら」
 しばらく目をつむってレコードを聴いていた今井君が言った。
 「ラブ・ポーション・ナンバー・ナインを聴きながら読んでくださいって書いておけばいいね」
 「なるほど、そうすればよかったよ」
 「ソノシートでもはさんでおけば、読者のためにはもっといいよ」
   ★

(この今井君への書簡は長い。夜の8時か9時頃から書きはじめ、夜が白みはじめる頃、書き終わったことを覚えている。気がむいたら「つづき」をアップしたい。)


8日~9日間の休暇となると、現実なのか非現実なのかがあいまいな時空間をつくりだすことができる。

2007-08-14 13:12:07 | Weblog

トリップのスタート。根城城趾の表門から本丸に抜ける


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■今年は、4日間のお盆休暇(夏季休暇)の前後に土・日が2セットくっついたので、8日~9日間の休暇になる。

 これだけの時間があると、昼夜を逆転するというのではないが、目がさめている時間と眠っている時間との境界をぼんやりさせて、現実なのか非現実なのかがあいまいな時空間をつくりだすことができる。
 これがわたしの休暇の楽しみ方だ。

■昨日と同じように、わたしの古書店に自分を存在させ、FMのスイッチをON。
 シューマンの「アラベスク 作品18」(ピアノ:エフゲーニ・キーシン)、「こどもの情景 作品15」(ピアノ:エリック・ル・サージュ。
 ボリュームを解説者:唐沢美智子さんの話が聞き取れるか聞き取れないかというレベルに設定して聴く。

 古書店のFMチューナーはケーブルテレビの同軸に接続している。
 ケーブルテレビはテレビの電波の他にBeFM、FM青森、FM岩手、放送大学、NHK-FM、DIGITAL J-WAVEの電波も送信しているから、アンテナなしでクリアーにFMを聴くことができる。

 次が「ピアノ協奏曲 イ短調 作品54」というところで、急にトリップに切り替える。
 これが現実と非現実の境界線がぼやけた時空間=やや長期の休暇のおもしろさだ。

■休暇に入って4日目。
 家の周りのはなむけ号(折りたたみ自転車)トリップコースがほぼ決まった。

 司法センター通り→根城城趾(表門から本丸入口)→根城隅ノ観音→総合福祉会館→平中→光龍寺→南宗寺→南部家墓所→招魂社→片町朝市→ニュー朝日→統一館→長横町→銀波→一松堂→六日町→十六日町→神明宮→新荒町→桜木町→司法センター通り。

 画像を撮りながら、ダラダラ走って約60分だ。

木々が鬱そうと茂った南部家墓所

片町朝市。ほぼ朝市が終わった時間帯だった。

統一館や赤とんぼが見える。八戸に来た頃住んだ場所だ。



気晴らしに自分の精神の内部をお客さんの視点で見直してみる、あるいは息抜きに自分の精神の内部にお客さん

2007-08-13 10:42:44 | Weblog

根城城趾にて


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 ■自分の古本屋(←なんか、いい名前がほしい。ただし、杉並北尾堂、七北田唐丸堂、あうん堂……と、※※堂ばやりだから、○○堂は避けたい。○○堂より、オヨヨ書林、京丹後わいわい書房……の○○書林・書房のほうが抵抗感は少ないものの、ここには妥協したくないという気持ちがある。ま、そのうちにいい名前が思い浮かぶだろう……)に沈潜。

 FMのスイッチをON。
 シューベルトの「アルペジョーネ・ソナタ イ短調 D.821」・シューマンの「謝肉祭 作品9」・ブラームスの「交響曲 第1番 ハ短調 作品68」……。
 ブラームスの交響曲はいつも途中で投げ出すのだが、FMだったせいか、最後まで聴くことができた。

■しばらく、この古書店に自分の身を置くことができなかった。
 このことは少し前にも軽く触れたが、「書棚の書物」=「自分の精神構造」という認識があって、ここに身を置くと、その精神構造にがんじがらめに縛られてしまうという気持ちがあったからだと思う。
 それを、お客さんにそこにある書物を手にとってみたいと思わせるように改装したら、この古書店に対する自分の気持ちがガラッと変わり、すごく居心地のいい空間になった。
 少し気取ったいい方をすると、気晴らしに自分の精神の内部をお客さんの視点で見直してみる、あるいは、息抜きに自分の精神の内部にお客さんと同じ視点を有しつつ存在してみる……ということかもしれない

招魂社の裏手

■ずいぶん書簡集の多い古書店だ。

 堀辰雄全集のなかに書簡集が含まれているのは当然だが、たとえば立原道造全集(角川書店)は、全集はないけれど、第五巻「書簡」だけがある。
 太宰治全集(筑摩書房)もそうだ。
 芥川龍之介全集もそうだ。
 夏目漱石全集もそうだ。((σ σ〃)ペコッ

 「書簡」がこの古書店のひとつのベクトルだ。


    ★

〈けしきが
 あかるくなってきた〉

 あなたは、この詩句をおぼえていますか?

 暗い雲におおわれていた空が、突然、うす墨色の影絵の群れになり、縦横にひき伸ばされ、ひかりの裂け目ができる。
 いや、ひかりというより、ひかりをしずかに吸いこむような白っぽい空間が徐々にかたちを変えながら拡がっていく。

 それ自体はいつまでもいつまでもしずまっているのに、その下にある、雨に洗われた木々や僕たちの頬に、くっきりとした輪郭が生まれ、それらが徐々にひかり輝きだす……。

〈けしきが
 あかるくなってきた
 母をつれて
 てくてくあるきたくなった〉

 トレパンしか似合わない、二十何歳かの僕が、あのかたむきかけたプレハブの1年3組で、教科書に視線は落としているものの、精神をその場の雰囲気からやや離れた一点に集中しているあなたに向けて、読んだ詩です。
 あなたの集中している一点をさぐろうとしながら。

〈けしきが
 あかるくなってきた
 あなたに
 ぽつぽつと手紙を書きたくなってきた〉
 苦笑。
 でも、これ、本当ですよ。   (古書店にて)


夏季休暇はまずトリップだ 古本屋発→根城城趾→(平中経由)→南部家墓所→桜山招魂社→(片町朝市経由)

2007-08-13 07:47:11 | Weblog

根城城趾


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 ■夏季休暇の柱は、
(1)自分の古本屋にひそむ。
(2)トリップ(はなむけ号+鉄道)
(3)学社連携・融合論の展開
(4)授業技術論の展開。

■さっそく汗ビッショリになりながらはなむけ号でトリップ。
 古本屋発→根城城趾→(平中経由)→南部家墓所→桜山招魂社→(片町朝市経由)→古本屋着
 トータル10?くらい。

招魂社



新聞のたずね人欄。1968年、サントリーホワイトを飲みムセていた青年。至急連絡されたし。

2007-08-11 05:21:01 | Weblog

夏季休業中の学校の庭


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 ■昨日、3年生の学習会が終わったので、学校は急に静かになってしまった。


 生徒の活動は、1年の学習特訓、3年英語のスピーチ練習、その他、部活動は、校庭=ソフトボール部、サッカー部。
 体育館=バスケットボール部男女、バレーボール部。
 玄関ロビー=陸上部(雨天のため室内トレーニング)
 音楽室の合唱部は午後からコンクール地区予選のためピリピリした練習。

 いわき市の広瀬Tから、陸上競技東北大会、男子400メートルの熊谷君6位という知らせが入る。(←ここまでの記述は8/10午前)

■安倍首相は、参院選惨敗後の「謹慎」という意味合いで、例年の河口湖別荘での避暑は取りやめ、官邸で内閣改造人事構想、外国訪問(8/19~25インドネシア・インド・マレーシア)の準備。
 その安倍氏や、教育情報の収集・分析に日々邁進する志塚Tには悪いが、わたしはしばらく「閉店」だ。

 閉店中の筋書きや心づもりはないが、強いてあげれば……。

夏季休業中の図書室でパチリ

(1)自分の古本屋(←まだ準備中)に自分の身を置き、書物と書物のあいだに「存在」する、「過去の自分」と面会する。

(2)トリップ=折りたたみ自転車(はなむけ号)+鉄道。

(3)学社連携・融合を語る。
 今回はいっさい文献にはあたらない。
 自分のこれまでの具体的実践と自分のこれからの具体的実践に限定して語る。

(4)授業技術を語る。
 これは逆に徹底して「文献」さがす。
 片々の技術を求めて。

■新聞のおくやみ欄。
 ※※※人(十八)。
 ※※※久(十七)。
 ふたりともオートバイ事故。
 首を折って死んだ。
 十七歳、十八歳、……朝日ジャーナル、ギリシャ哲学、サントリーホワイト、ロングピース。
 自分が不器用に生きはじめた歳だ。
 ひとりの青年にとって、わたしは近所に住むオートバイ好きのオジサンであり、もうひとりの青年にとって、わたしは少しおっかない学級担任だった。
 ふたりの青年との日々の交流を思い返しているうちに、ふと「あのとき死ななかった、朝日ジャーナル、ギリシャ哲学の青年はどうしたのだろう?」と考えた。
 新聞のたずね人欄。
 1968年、サントリーホワイトを飲みムセていた青年。至急連絡されたし。(古本屋にて)


茫漠たる絶望感にどう耐えるか これからの仕事の拠点・基地の具体的なイメージ&心構えの具体的なイメージ

2007-08-10 17:13:29 | Weblog

今年のカリン


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■比較的快適・快調に過ごしていても、定期的におそってくる「不調期」。
 これは、いってみれば、わたしのこれまでの事績の小ささと、それを挽回しようとしたときの、これから先の道のはるかさ……に起因している。
 とにかく事績が、これは自他ともに認めることだが、小さすぎる。‘゜(●ノ□ヽ●)’゜゜゜・。
 そして、逆転の道は、これは自分の力を知っているわたしがいちばんよくわかっていることだが、はるかすぎる‘゜(●ノ□ヽ●)’゜゜゜・。
 この茫漠たる絶望感にどう耐えるか……というのが、昨年来のテーマだった。

■これからの仕事の拠点・基地・足場の具体的なイメージは、先日も記述したので省略する。
 また、これからの心構えの具体的なイメージについては、昨年夏の、はなむけ号による「光太郎山荘再訪」が大ヒットだった。

はなむけ号 光太郎山荘到着(昨年夏)

 大切なところなのでコピーしてみる。

  軽い食事を済ませたところだと言われましたが、おむすび一個を呈上し、たくあんの漬物でいっしょに食事をしました。(『言葉はどこからどこへ』(宮地裕)から引用)
 光太郎がお茶を入れてくれました。
「夏を越すのは二度目だが、夏は疲れるから、日中は仕事に出ない。
 畑は五畝ほど。
 野菜などの副食物を自給するつもりでいるが、なかなかできない。
 耕具・肥料・殺虫剤、みな不足で困る。
 しかし、いずれは一反までは耕作して、アトリエも近くに建てて、農業と彫刻を両立させたい。
 一年の耕作の予定はよく組むが、思うようにはいかない。
 夜のランプの油が悪いから本が読めない。
 ろうそくは高くて買えない。
 彫刻の材料も木もない。
 今はただ刀がさびないように研いでいるが、近く、小さい物から彫りたいと思っている。(中略)
 それにしても夏は体が弱る。
 冬、小屋の北側はすっかり雪にうずもれる。
 南側にも三尺ほど雪が積もるが、私は血色がよくなって元気が出る。」

光太郎山荘前の光太郎畑

 これを転記しながら、光太郎の「一反までは」を、あるいは「アトリエも近くに」を、あるいは「近く、小さい物から」を、これからやろうとする自分の教育の仕事に置き換えていることに気づいたとき、ブレが止まる。(コピー以上)

■心構えの具体的なイメージについてはもうひとつある。
 先日、(外部対象ではない)内輪の『職員室通信』『研修通信』『すこやかみなみネット通信』を拠点に一語一語記述していく……といったあと、「そういえば、わたしの精神的な出発点は、ドーデの『風車小屋便り』だったよ」と付け加えた。
 付け加えたハズミに、心構えといえば心構えなのだが、なんといったらいいのだろう、わたしの人生の壁紙的なイメージ!……を思い出してしまった。

 堀辰雄『風立ちぬ』の「死のかげの谷」の章。
 すなわち『風立ちぬ』全体の終わりの終わり、もう最後の1、2ページという部分だ。
 「私」は夜、村の娘の家に呼ばれていって、寂しいクリスマスを送ったあと、雪明かりの谷陰をひとりで帰る。
 その途中に、枯れ藪のうえに小さな光を見つける。
 それが自分の小屋の明かりだと気づいた「私」が「おれは、まあ、あんな谷の上に一人っきりで住んでいるのだなぁ」「おれの小屋の明かりがこんな下のほうの林の中まで射し込んでいようなどとはちっとも気がつかずに。ご覧……」と自分自身につぶやく場面がある。

きょうのソフト部 雨中の練習のあとの休憩