職員室通信・600字の教育学

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蟄居の形式と内容

2009-07-17 15:48:37 | Weblog

★みなみ在職時にはよく食べたが、蟄居後は、食べたことがない。カロリーが高いからかな??


◆昼過ぎ、「蟄居」について考える。

 3月末にみなみ退場以来、これまでずっと「蟄居」の形式(スタイル・外形・格好・体裁)に関して、ひとつ、ひとつ、整えてきて、ここに至り、ごく自然に、(それは、決して「格好ばかり考えてきたんだぁ~」とか「うかつだったぁ~」とかという反省・後悔ではなく)、さあ、これからは、いよいよ「蟄居」の内容について考えなければ……という感じ。

◆「蟄居」の形式の主な例。
 蟄居する、主たる場所である古書店の模様替え(未完成)。
 長時間読書のための、木製の、折りたたみ式、ハンモック風、肘掛け椅子の調整。
 音読練習プログラムの設計。
 過去の非公開書類の整理(作業中)
 蟄居中の朝昼食計画。(夕食はわたしにほとんど権限はない)
 融資金返済&年金受領関連の事務手続き。
 蟄居のテーマ音楽(ヴァスクス「エピソードと終わりなき歌」)の決定・購入。
 スズメの餌場の設定。
 散歩コースの設定(だいたい決まりかけてきたが、気持ちがガラッと変わるかもしれない)。

 今、すぐ思い出せるのは、これくらい。
 また思い出したら、追加したい。

◆スズメの餌場については、はじめは、古書店の窓辺に立つ、アマチュア無線用のコン柱に巣箱をぶらさげたものだけだった。
 ただ、これだと定員4羽。
 5羽目、6羽目、7羽目……は、まわりの木の枝につかまって待っていたり、空中戦でちょっかいを出したり……と、毎回、たいへんな騒ぎになる。
 それで、数メートル離れたところにある、故レオンの小屋の屋根に、使わなくなった机の引き出し(大)を使って、新たに餌場を作り、水場もセットした。
 巣箱の上の空中戦は相変わらずだが、新しい餌場では、ゆっくりと餌を食べ、水を飲んでいる。
 食後、つくねんとたたずんでスズメもいる。
 餌がなくても集まっているようである。
 ただ、欠点もある。
 巣箱の上にはカラスは止まれないが、新しい餌場はカラスが着陸できる。

 それから、「蟄居」のテーマ曲、ヴァスクス「エピソードと終わりなき歌」は、あの夜、発泡酒に少し酔ったわたしが、用もないのに古書店に入り、たまたまFMのスイッチをONにしたら、スピーカーから流れ出してきたのだ。
 わたしの過去の音楽遍歴からは、決して出会うことのない曲だ。

◆さて、「蟄居」の内容に関する考察だが、これは、今、ブレストがはじまったところだ。
 だから、何も結論が出ていない。
 これからブレストにブレストを、さらにブレストを……というふうに、ブレストを積み重ねていくつもりだ。
 ブレストにブレストを重ねていくと、思考の連続性からは到底至ることができないような新しい原理に、ポンと、非連続的に至ることがある。
 これに期待している。
 
(1)「蟄居、蟄居」と言いながら、「私的な側面の記述に公的な側面を含むという方向でもいいし、あるいは逆に、公的な側面の記述に私的な側面を含む方向でもいい……」と揺れつつ、「公的な側面の記述に私的な側面を含む方向」にシフトしている。
 「蟄居」の主たる方向は、公→私ではないか?
 なのに、「公的な側面の記述」、すなわち、教育に関する記述の文体(あるいは作調)に依拠しなければならないというのは、やはり変ではないか。
 さかさまではないか……と思う。

(2)これは、わたしの「文体」の定義に関係しているのではないか?
 何度も、何度も、くどいようだが、わたしの文体の定義をくりかえす。

 〈定義〉
 わたしのいう「文体」というのは、願望の「断念」が、絶対の条件になる。
 願望の「断念」を強いられることを前提としていないものは、「文体」ではない。
 その「断念」の上に、願望の実現に向けて格闘する……悪戦苦闘する……その「軌跡」が「文体」だ。

 こじつけようとすれば、いくらでもこじつけることはできるが、ここでいう「願望の断念」は、あくまでも教育の内容に関してである。
 だから、極論すれば、わたしが、教育に関する文体しか有していないということになる。

 だから、「公的な側面の記述に私的な側面を含む方向」にシフトせざるをえないのか?

(3)論理的に、わたしの文体は、教育という範疇にしか存在し得ない……ということになるのだが、その他に、もうひとつ、理由がある。
 かつて、このことに触れたことがあると思い、過去の記述群に「すこやかみなみネット通信」という語で検索をかけ、次の記述を発見した。

〈2007/11/13〉
 きのうも書いたように、ブログ〈600字の教育学〉の記述内容を再構成し(あるいは記事によってはそのまま修正なしで)、〈職員室通信〉を作成・発行しているが、だからといって、〈職員室通信〉を作成するつもりで、ブログ〈600字の教育学〉を書くと、すなわち、ブログ〈600字の教育学〉=〈職員室通信〉となり、やせた〈職員室通信〉になってしまう。
 やはり、あくまでブログ〈600字の教育学〉⊃〈職員室通信〉でなくてはいけないのだ。

 同じく、きのう、ブログ〈600字の教育学〉⊃〈職員室通信〉⊃〈すこやかみなみネット通信〉を可能にする「文体」が完成した……と書いたが、この「文体」についての説明がなかなかめんどうだ。

 単純化していうと、ブログ〈600字の教育学〉の文体と、〈職員室通信〉の文体と、〈すこやかみなみネット通信〉の文体とは異なる。
 ブログ〈600字の教育学〉は混合物だ。
 それを蒸留させたのが〈職員室通信〉で、さらに蒸留させたのが〈すこやかみなみネット通信〉だ。
 ハーバードリード的にいえば、ブログ〈600字の教育学〉はダンスあり、ゴロ寝あり、フテ寝あり、歩行あり、全力疾走あり……だ。
 それに比し、〈すこやかみなみネット通信〉は、あくまでも規則正しい歩行だ。
 アホかと思われるかもしれないが、わたしはこの〈すこやかみなみネット通信〉の文体(=散文らしい散文)に、結構ホレている。
 だからといって、もうおわかりのようにブログ〈600字の教育学〉をそのサラッとした文体でやると、ダメ。
 発酵作用がなくなってしまうからだ。(〈2007/11/13〉以上)

 ここで大事なのは、「アホかと思われるかもしれないが……」の直後の部分だ。
 要するに、「ホレている」のだ。
 ホレている文体が、教育を語る文体にしかないのだo(*^▽^*)o~♪。

(4)ということは、もっと、せっせとWEB「職員室通信」 (蟄居後は、「職員室通信」と「すこやかみなみネット通信」を合体した。「新・職員室通信」見本)を作成しないと……ということかもしれないo(*^▽^*)o~♪。

(5)「蟄居」には、「みなみ退場」というような当たり前なこととは別に、もっと別種の理由があるヾ(●ε●)ノ”。
 少なくとも2つあるヾ(●ε●)ノ”。
 それに一般的にいって「蟄居」には、粗く、3種類あるヾ(●ε●)ノ”。
 この「2つ」あるいは「3種類」については、今度、ゆっくり書くことにする。

 


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