職員室通信・600字の教育学

小高進の職員室通信 ①教育コミュニティ編 ②教師の授業修業編 ③日常行事編 ④主任会トピックス編 ⑤あれこれ特集記事編

★「1に足腰、2に文体、大阪野郎、引き明けの街を走る」ときの「走り方」に3つあることに気づいた

2012-01-31 06:16:50 | 僕のモンマルトル日記

 

2012

01.31
キルケゴールの本はほとんどが食料に消えた


★画像は「うみねこバクダン」

 「うみねこバクダン」とは――
 蕪島にかかせない存在「うみねこ」をモチーフにしたお菓子です。
 蕪島では毎年3月から8月までの間「うみねこ」で賑わい、ピーク時に約4万羽もいるといわれています。
 しかし、うみねこの「フン」も相当なもの。
 観光客は、空から降ってくるたくさんの「フン」を避けるため、傘をさして参拝します。
 地元では、うみねこのフンのことを「ばくだん」と呼んでおり、これをモチーフにしたお菓子が「八戸うみねこバクダン」なのです。
 蕪嶋神社周辺に住む方々の「うみねこバクダンのお菓子があればおもしろいね」という声を聞き、NPO法人ACTYがおみやげを開発するプランとして、「ネガティブ」な地域資源も、魅せ方を変えればポジティブな地域資源に変わる!」と蕪島やうみねこの情報発信をする目的で企画・発売に至ったものです。
 うみねこの形を模したパッケージデザインで顔がちょっと挑発的です。
 羽は開閉式になっていて持ち運びやすい工夫をしました。
 箱のお尻部分が開くようになっており、そこからメレンゲとクッキートホワイトチョコでできたお菓子が出てきます。
 見た目はフンらしさ(色)を追及しています。
 甘さ・食感が調和した美味しさの追求にこだわりました。

 箱の中に「当たり」のハガキが入っていれば、蕪嶋神社名物の「会運証明書」(フンが身体に付着したことを証明する絵馬)があたるという仕掛けまであります。
 新たな八戸名物として、是非お試しください。
 10個/箱 1,050円。(「NPO法人 ACTY ブログ」から引用)

 「箱の中に当たりのハガキが入っていれば……」というのが、オモロイなぁ~(*^_^*)と思った。
 NPO法人ACTYと僕の違いは、「まち」のとらえ方だ。
 ACTYが、「まち」を、どちらかというと、「地方生活圏」(=半径20~30㎞ 人口15万人~20万人)でとらえたがるのに対して、僕は、見通し距離、すなわち「1次生活圏」(=半径4~6㎞ 人口5000人~1万人)を重視する。
 「1次生活圏」の組み合わせが、「地方生活圏」だ。
 「1次生活圏」がしっかりしないと、いい「地方生活圏」にならない。
 「1次生活圏」を基盤にした活動に、NPO法人ACTYが力を貸してくれれば……と、いつも思う。


★いつもの「1に足腰、2に文体、大阪野郎、引き明けの街を走る」。
 「街を走る」ときの「走り方」に3つあることに気づいた。
 というか、正確には、ある1つの走り方を発見したことにより、僕が、これまで、それとは別の、2つの「走り方」をしていたことに気づいた。
 別の2つのほうから説明すると――
 1つ目は、今、走りつつある街の時空間に抱かれる、あるいは、僕のカラダを浸らせる……という走り方。
 2つ目は、過去の時空間に向かって疾駆する……という走り方。
 現在の街ではなく、僕が、過去の、たとえば中学時代の勝山通を疾駆している……ということがある。
 3つ目に、今回発見した「ある1つの走り方」――
 これは、2つ目の変形だ。
 すなわち、「過去の時空間に向かって疾駆する」のは同じなのだが、この「過去の時空間」を「未来」ととらえる走り方だ。
 と、――ここを記述していて、ふいにキルケゴールを思い出したのだが、――キルケゴール風にいえば、2つ目は、後方に向かって反復されているのに対して、3つ目は前方を向いた回想である。
 ま、今はこの程度でやめておく。
 まだまだぼんやりしているから、ぼんやりした部分がいっぱい残っている(*^_^*)。
 もう少し走り込むと、「1つ目」と「2つ目」と「3つ目」の違いを、もっともっとクリアに述べることができるようになると思う(*^_^*)。
 なお、現時点では、走りながらブレストできるのは、1つ目と2つ目の走り方だ。
 3つ目は、僕と前方風景とのあいだに、一種の緊張感があり、ブレストはほとんどできない。
 ブレストを中心に考えるなら、「1つ目」と「2つ目」と「3つ目」とのあいだを、縦横無尽に駆けめぐるブレストが望ましい。
 ちなみに、キルケゴールの本(主に白水社)のほとんどは、昔、食料に消えてしまった。
 ホンマに残念に思う。

★近時のブレストを記録しておく。
 ひょっとしたら、何か大切なことがらが含まれているかもしれないから……。

 ――土曜日の夜のお好み焼き。
 失敗作ではないが、外サクサク度=評価3の下、中ホカホカ度=評価3。
 外サクサク度は、その気になれば、なんとでもなるが、中ホカホカ度の「3」は、ちょっとショックである。
 トロケ感がなかった。
 原因は不明。
 焼き方か?
 野菜の水分の問題か?
 前々回は最高やったが、こうして出来上がりがバラつくようでは、アキマヘン。

 ――『その街の今は』ではないが、もっと「過去画像」に、僕の魂を「つっこむ」……といったあとから「過去画像は風景描写の代わり」くらいでええのんとチャウ?という僕がいる。

 ――ま、この「過去画像」と、僕の「つながり」は、もう少し哲学する必要がある。

 ――「今」という副詞を――実際に使用するかどうかは別にして――ジャンジャン使う……という気持ちで。
 僕の「今感」、ライブ感が、弱い。

 ――料理人の仕事をみていると「ササッと仕上げる」ように見える。
 決まった手順。
 この「手順」に至る修業&労苦。
 僕の場合、この「手順」がない。
 すなわち、「手順」に至る修業が足りない。
 ①組み立てる修業。
 ②カットする修業。
 ③書き込む修業。
 なお、「ストーリーづくり」の修業はやらない。
 事実に即する。

 ――話者(要するに、僕)の「視点」を、もっと露骨に。もっと明確に。もっと「えげつなく」。

 ――今は、「職員室通信」の世界と、「今」が、僕のうちで分離している。
 「職員室通信」の世界を「未来」ととらえること。
 そうすると、「職員室通信」の世界に没入できるはずだ。
 「過去世界」に没入するのは、やっぱりみっともない……と感じている僕がいるから、ま、「分離」しているわけやね(^_-)。

 ――いっきに原稿用紙10枚、20枚……という勢いの時もあるし、そういうのがちょっとシンドイ……という時もある。
 今は、後者(ノ△・。)。
 だから、仕事を短い、いくつかの「作業」に変換し、のちに、それを連結する……というようにしたらいいかなぁ、きょうは。

★関連記事
★加藤周一は記憶にないと思うが、船室に流れる歌謡曲のなかには、「かえり船(田端義夫)」もあったのだ

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★今夜は僕はお好み焼き(悲しい時はいつもお好み焼き)だが、@なら阿修羅氏は奈良で何を食うのだろうか?

2012-01-31 03:42:50 | 僕のモンマルトル日記

 

2012

01.31
魂を、土曜日は若草山焼きに、日曜日は大阪国際女子マラソンに


★僕の土・日。
 魂を、土曜日(1/28)は若草山焼きに、日曜日(1/29)は大阪国際女子マラソンに、奪われる。
 上の画像の左寄り下の小さい枠組みが、僕の視野が実際にとらえた若草山焼き(ustream ima-naraライブカメラ2(若草山))。
 その左上が産経新聞。
 産経はたいしたもんですわ(^_^)v。
 ima-nara運営者の「外は寒いから、このカメラで楽しんでください」に「うん、うん、そうやなぁ~」と、テーブルにノートパソコンを置き、ビールを飲みながら観ることにしたのだが、運営者に感謝しつつ、やはり、ちょっと後悔している。

 大阪国際女子マラソンは、僕の視点を、復路の「勝山通の御勝山古墳前」と、「今里筋の田島6丁目」に据え、そこを、青森県板柳町出身・福士加代子が、一人旅・爆走するのを待った。
 が、アカンかった。
 早朝から張りつめていた、カラダじゅうの緊張が溶け、道端に寝そべってしまった。
 寝そべっていると、わが畏友、@なら阿修羅氏からメール。
 「大阪ビジネスパーク付近で観戦。一瞬で通り過ぎたが、アカンなぁと思った。疲れた。もう帰る。昨夜、若草山の山焼き、冬の花火、中々綺麗だったよ」。
 同じDNAか?
 今夜は僕はお好み焼き(←悲しいときは、いつもお好み焼き)だが、@なら阿修羅氏は奈良で何を食べるのだろうか?

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紙とペンでやっている、僕のグネグネ、鬱屈した「思考」を、twitter上の光にさらそうということか?

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★「茫漠の時空間=僕の過去の総体」を「職員室通信」の枠組みで「現在の僕」が、「未来」に向けて疾駆する

2012-01-27 10:03:10 | 僕のモンマルトル日記

 

2012

01.27
日本放送文化大賞・準グランプリ『その街の今は』を観ながら


★けさ、目を覚ますと、開かれた孤独時空間(居間)と、取り付け通路の先にあるDAKA古書店跡のストーブに点火し、再び、ベットに入り、あたたまるのを待ちながら、ケイタイのEZニュースフラッシュをチェック。
 最初に目に飛びこんできたのが「プロ野球楽天の田中将大投手(23)とタレントの里田まいさん(27)、3月、結婚へ」だった(*^_^*)。
 思わず「田中、なんでやねん。ひとり(独り)がいちばんええのに……」とつぶやいてしまった(*^_^*)。

★新企画「2011/12/8(=ハワイ海戦記念日)から4年後(2015年)の8/15に至る3年と8ヵ月の僕の『新企画=新職員室通信』」事業。
 これは
 ――「茫漠の時空間」(=僕の過去の総体)を
 ――「職員室通信」の枠組み(カタチ)で
 ――「現在の僕」が疾駆する……という企画だ。
 3月31日までは試運転期間だ。
 これまで「職員室通信」を5号発行。
 ・12/01/16号=3学期始業式式辞「エネルギーに強いカタチを」
 ・12/01/20号=「学校の教育丸抱え体制」と学習指導要領
 ・12/01/22号=公麿T、模擬授業開き
 ・12/01/25号=乱氏、すこやかみなみネットを語る
 ・12/01/26号=品性があり、かつ子どもにやさしくあたたかい教師に

★発行するという「作業」に、僕のカラダを慣らそう……という段階だ。
 ま、ただ発行しているだけ……といってもいい。
 本格的に展開するには、このまま、しばらく発行を継続し、発行のスキルをアップしながら、同時に、いくつか「哲学」しなくてはいけないことがある。
 そのひとつ。
 昨夕、以前に録画しておいた、第7回日本放送文化大賞・準グランプリ受賞作品『その街の今は』(原作・柴崎友香、主演・中村ゆり)を観ながら、「茫漠の時空間」(=僕の過去の総体)と「現在」の関係を考察しなくてはいけない……と思った。
 これまで次の3点のように考えていた。

 1点目=「過去の時空間」に帰ろうとして、帰りきれず、別の、ちょっとズレた、時空間に至る。
 その「別の時空間」に存在するという、いわば「ヒズミ」感覚で、「職員室通信」を発行する。

 2点目=「過去の時空間」に存在し、いってみれば抱かれるように、あるいは「過去の時空間」に、現在の僕を、つぶれ込ませるように、溶け込ませるように侵入して(=たぶん「生き直す」という手法がこれ)、「職員室通信」を発行する。

 3点目=「過去の時空間」を、現時点に引き寄せて、それこそ、わたしの文体論――すなわち、「断念」の上に、願望の実現に向けて格闘する……悪戦苦闘する……その「軌跡」――として「職員室通信」を発行する。


★昨夕、『その街の今は』を観ながら、この、どれでもない、4点目が思い浮かぶ。
 ヒントは、先日、散歩中の感慨――きょうも、冬のこころはろばろ神社界隈を歩いた。神社界隈の時空間に「僕の身を置く」……というのではなく、僕という存在の、その前方に、こころはろばろ神社界隈の時空間がある……という感じで歩いた。こうすると、「僕という存在」と「神社界隈の時空間」とのあいだに、快い緊張関係が生まれるという――つぶやきだった。
 「過去の時空間」に包みこまれるのではない。
 生き直すのではない。
 「過去の時空間」は、前方にあるのだ。
 「過去の時空間」は、未来だ。

◆毎年恒例の繭玉飾りが、すこやかみなみネット〈環境サポータークラブ〉のメンバー、おび、総合文化部の生徒、地域・保護者の方々、教職員、その他、応援の生徒(通りすがり)らによってはじまった。











◆すこやかみなみネットの「サポータークラブ」を簡単に紹介する。


(1)「サポータークラブ」は、主に保護者や地域の人々を対象に、「やってみたい人」が「やれるとき」に「やれること」をモットーに、登録者を募る。

(2)現在、活動している「サポータークラブ」は次の通り。

 ①環境サポーター=・花壇の整備・掲示板等の装飾(以前地元新聞に紹介された「校舎玄関ホールの桜」等)

 ②図書室サポーター=図書室の環境整備、図書の整理(修理・登録)。
 現在、図書担当教員との話し合いで、昼休みの図書の貸し出しの補助活動、放課後の図書の貸し出し活動、読み聞かせ……等についも検討されている。
 スタートから、あれもこれも……と間口を広げると、長つづきしないので、当面は、現在の活動を継続し、徐々にメンバーを増やしながら、活動内容を充実していくつもりだ。

 ③ホームページサポーター=PTAやみなみネットのホームページの作成、情報発信データの作成(上記のスライドはサポータークラブ48やんの作成)

 ④地域との連携サポーター=地域活動・行事とPTAや学校とのコーディネート。すこやかみなみネットの支援等。
 その他、総合文化部等、学校部活動への支援も行われている。

 一気に多くの登録者を集めるというのではなく、少しずつメンバー(登録者)に集まってもらいながら、チームをつくり、そのなかで新しい活動を打ちだしていきたい。

◆すこやかみなみネットでは、小中合同のPTAが、コーディネート力を発揮し、教育コミュニティづくりを推進している。
 くわえて、本日紹介したサポータークラブのように、PTAを含む、あるいはPTAとは別に、学校・家庭・地域という垣根を越えた、さまざまな人々による、さまざまな活動から、自然にコーディネート力が生まれてくる仕組みづくりも大切にしたい。

★関連記事
★弱すぎるわ、鍛えろ、しっかりしてよ、知らんでー、帰るでーと姿を消した彼女は今、どうしているのか?
「居心地の悪さ」を、音楽で埋めてみるとどうだろうか?と、グレン・グールドのピアノでイギリス組曲第4番

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★人間は変われる。人間は変わる。品性があり、かつ子どもにやさしくあたたかい教師に

2012-01-26 05:11:37 | 僕のモンマルトル日記

 

2012

01.25
人間は変われる。人間は変わる





★きょうも、冬のこころはろばろ神社界隈を歩いた。
 神社界隈の時空間に「僕の身を置く」……というのではなく、僕という存在の、その前方に、こころはろばろ神社界隈の時空間がある……という感じで歩いた。
 こうすると、「僕という存在」と「神社界隈の時空間」とのあいだに、快い緊張関係が生まれる。
 しかし、この場合、ブレストは不可。

◆生徒朝会。



 きょうの発表は、生徒会給食委員会の番。
 体育館のステージ上で、寸劇を取り入れながら、ざんさいや牛乳パックの正しい処理の仕方を学習しようというもの。
 演技も上手だったし、アナウンスもしっかりしているので、寒さを忘れて見た。(撮影も忘れていた(ノ△・。)。もっといい場面があったのに残念。)
 「自分の考えを表現する能力のアップ」は本校の大きな課題だ。
 子どもたちのエネルギーはあふれるほどある。
 それを発揮する場を、きょうのように工夫して設定することが大切だと思った。



品性があり かつ子どもにやさしくあたたかい教師

◆3校時の主任会で、今、やや精神的に不安定な状態にある1人の生徒について話し合った。
 内容は、ま、いってみれば、処遇方法・対処方法――すなわち、目標の設定、指導プログラムの確認、処遇&対処法のルールの確認等――という技術的な話だったが、その過程で、下図に示すような「教師の人間性」が話題になった。


 「品性」があり、かつ子どもに「やさしくあたたかい」教師「A」というのは最高だ。
 しかし、これはなかなか(もちろん、自分も含めて)むずかしい。
 「A」までにはまだまだ距離がある。
 だから、まず、個々の教師が真摯に自らをふりかえり「A」に近づく努力をすること。
 しかし、自分がどういう性格であるか?……どの程度の人間であるか?……というのは、いってみれば自己感覚に過ぎない。
 だから、自らふりかえるとともに、学年というチーム(組織)を生かし、互いに批正し合い、「A」に近づく努力をすること。
 学年主任は、そのリーダーシップを取ること……というような文脈だった。

◆たまたま『現代教育科学』を開いたら、有田和正氏が「人間性と教育技術」について次のように書いていた。


 上の図で、最近、BとCの位置が入れかわったようだ。
 人間性のよさと、技術をもっている人のどちらを上とみるかむずかしい問題である。
 人間性がよければ、素直であれば、他人の意見や注意をよく聞き入れ、技術は身につきやすい。
 しかし、技術があり、知識が豊かだが、人間性がよくないのは、教育がむずかしい。
 人間を変えることはむずかしいものだ。
 子どもでさえ、性格のねじれた子どもを教育するのには手をやく。
 一筋縄ではできない。
 まして、教師ともなれば、よほどの手をうたなければ、人間性を変えることはむずかしい。
 そこで、少し知識は足りないが、人間性のよい人を採用して、教育して技術・知識を身につけされるほうがやさしい。(中略)
 わたしが考えている技術(最低これだけは身につけたいというもの)は、発問・指示のしかた、板書のしかた、資料作成・提示などの活用のしかた、話し合いのさせ方、話術・表現・パフォーマンス等の技術、の5つである。
 これをまとめていうならば「対応の技術」といえる。
 子どもと授業するのだから、子どもとの対応の技術であることはいうまでもない。
 これらの技術を、具体的な授業を通して身につけていく方法を考えなければならない。
 名人の授業を見て学ぶのもいい。
 しかし、見てもその通りにはできない。
 「目習い」はできても、それを具体化する「手習い」は、自分でやるしかない。
 やってみなければ身につかないのが教育技術である。
 これは少し意図的にやれば、人間性の向上などに比べれば、早く身につく。

 子どもたちが嫌う教師がふえているという。
 技術はあり、教え方は上手なのだが、どうも先生が嫌い、先生のやり方がいやだ、という子どもがいる。
 人間性に問題がある教師だ。
 この教師をどう変えるのか、至難の技である。
 子どもが好きな教師、子どもを好きな教師になることは本人の努力もさることながら、外からのサゼストも大事だ。
 要は、このサゼストを聞き入れる教師を育てることだ。(有田論文引用以上)

これが「やさしさ・温かさ」のポイントだ

■わたしと有田氏の記述について3点箇条書き的に述べる。

①まず軸のとり方が違う。有田氏の「人間性」を、わたしはさらに「品性」と「温かさ」に分けている。
 人間性を変えることは「むずかしい」という認識は共通している。
 しかし、有田氏は「人間性に問題のある教師を変えるのは至難の技」と述べ、わたしは「なんとでもなる」と思っている。
 この点は大きく異なる。
 わたしは(わたしの図で)D→Aは確かにむずかしいが、D→C、あるいはD→Bはなんとかなるし、やがてはB→A、C→Aも可能になるのだと信じている。
 人間は変われる。
 人間は変わる。

②話はまったく変わるかが、授業の(超)名人・有田氏から「最低これだけは身につけたい」という「技術5点」を聞き出せたのは大収穫!
 発問・指示のしかた。
 板書のしかた。
 資料作成・提示などの活用のしかた。
 話し合いのさせ方。
 話術・表現・パフォーマンス。

③今、人間性に関する有田氏との認識の違いをこれ以上突きつめるつもりも余裕もない。
 ただ、これが「品性」のポイントだ、これが「やさしさ・温かさ」のポイントだと思っているものはある。
 きょうは後者だけを示す。

 毎度、毎度、提示する図だ。
 対象の生徒と一体になれているか? もし、なれていないとすれば、自分はどうすればいいのか考えよう。
 その生徒の味方になれているか?
 もし、なれていないとすれば、自分はどうすればいいのか考えよう。
 これは教師も親も同じだ。

メモ
(1)知的に育てる。
 煎じ詰めれば「話題」とその「こだわり度」か?
 3-3で帰りの短学活でやっている「今日のニュース」的なものも有効か?
(2)生徒指導部「2月の指導の重点」=「①あいさつ・ことば遣い・服装(髪)などの指導の強化」。
 くわえて、こういう場面ではこうするものだという「カタチ」をしっかりと教える。
(3)この「カタチ」については、わたしたちも同じ。
 ホテルのプロのフロントとそうでないフロントの違い。
 後者は、職業人(プロ)として鍛えられていない。

★関連記事
中学生の心を捉えているものがゆっくりと動き出し、言葉になって外に出てくる長い過程を共にできる器量

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★2、3年目も同じルートを、いわばエンドレスで疾駆し、「銭形平次」・「サザエさん」ルートを完成させる

2012-01-24 11:37:06 | 僕のモンマルトル日記

 

2012

01.24
乱氏「実践していることを正直に。緊張はゼロ」


★現在、展開しようとしている(実際にはまだスタートしていない→)「12/8(=ハワイ海戦記念日)から4年後(2015年)の8/15に至る3年と8ヵ月の僕の『新企画=新職員室通信』」事業。
 これと似た――すなわち、過去記事のゴッタ煮「通信」的な発想は以前にもあった。
 しかし、その企画はずっと葬り去られたままだった。
 具体的に展開し始めたのは、「茫漠の時空間」(=僕の過去の総体)を「職員室通信」の枠組み(カタチ)で疾駆する……という概念が形成されたからだ。
 「概念」の形成とともに、葬り去られていた「企画」が蘇った。
 今後は、「疾駆」できるか? 「疾駆」しつづけ、「ゴール」を目指せるか?……ということだ。

 新企画のホンマのスタートは今度の4月だ。
 昨年の12/8(=ハワイ海戦記念日)から現在は、試行錯誤の試運転。
 心づもりとしては、まず、4月から翌3月までの1年間、疾駆して「ルート」を創る。
 2年目、3年目と同じルートを、いわばエンドレスで疾駆し、「銭形平次」ルート、「サザエさん」ルートを完成させる。
 ガウディの聖家族教会みたいに、コツコツ、時間をかけて完成させたいと思っている(^_^)v。

★画像は、僕がときどき訪れるリサイクルショップ。
 実際に何かを購入するということは、めったにない。
 ただ、ときに、20年も30年もずっと探していたものに――ネットでも見つからなかったものに――タダみたいな値段で出会えることがある。


◆01/23、市総合教育センターで「市内小・中学校連携研究会」が開催された。
 内容は、それぞれの校区で実践している小・中連携事業についての発表&情報交換だ。
 わたしたちの校区も発表する機会が与えられた。
 年間を通すと、こういう機会は、今回のように求めに応じて発表する場合、あるいは、求められなくてもこちらから押しかけて発表する場合等々、トークセッションや講演も含めると、20回を超える。
 ちょっとシンドイときもあるけれども、たいへんありがたい。
 実践内容を点検する、よい機会だと思っている。
 今回の、本校区の発表テーマは「みなみ小・中連携事業 ~すこやかみなみネットの可能性~」。
 発表者は、乱氏(本校、教務主任)だ。

 本校区の小・中連携事業は、粗く、2つの柱がある。
 ①教育課程内における小・中学校の連携部門。
 ②小・中学校の連携を軸にした学社連携部門。
 この2つの柱のうち、今回の発表は、教育課程内連携10%、教育課程外学社連携90%と、学社連携にウェイトを置くことにした。

◆いつもいつも繰り返し述べることだが、教育は学校だけで行われるものではない。
 同じように家庭だけで行われるものではない。
 家庭や地域社会、そして学校のそれぞれが、教育の場として十分な機能を発揮することにより、子どもの健やかな成長が可能になる。
 しかし、現実は、この学校、家庭、地域のバランスが悪い。
 はっきりいえば、学校>家庭>地域という関係になっている。
 学校(公立中)が肥大化し、わたし流にいえば「学校の教育独占体制」あるいは「学校の教育丸抱え体制」になっている。
 陥っているといってもいい。
 これが教育ピンチの元凶なのだ。
 これをなんとしても改善(改革)し、学校・家庭・地域におけるそれぞれの教育がバランスよく行われる教育環境をめざしたい。
クリアーなもの言いをすれば「学校の教育丸抱え体制」を廃し、教育機能の家庭・地域への再配分・再配置を推進しよう……ということである。
 すこやかみなみネットでは、その第一歩として、学校・家庭・地域社会、それぞれの自立性・自主性・特性を確保しつつ、協力・協調関係を創り、それぞれの活性化をめざすネットワーキングシステムを構築しようとしている。

◆これが発表時に使用したスライドの1枚だ。


 ◇新たな協働と融合にチャレンジ。
 すこやかみなみネットは、テーマを子どもたちの健全育成・安全確保に限定し、みなみ小・中のPTAが主体となり、小中の強い連携・融合を軸に、学校・家庭・地域における関係諸団体とのあいだに広くゆるやかにネットワークを形成し、教育コミュニティづくりをめざすものである。

 恐る恐る、微妙な言い回しをしていることにお気づきだろうか?(ノ△・。)
 3箇所ある。
 ひとつが「みなみ小・中のPTAが主体となり」というところだ。
 まず、ここでは、①小PTAと中PTAの連携あるいは融合が期待されている。
 加えて、②小・中PTAに、学校・家庭・地域社会、それぞれの自立性・自主性・特性を確保しつつ、協力・協調関係を創り、それぞれの活性化をめざすネットワーキングシステムの中核的な活躍(エネルギー)が期待されている。
 こういうことが果たして可能だろうか?
 これが第1の「恐る恐る」だ。

 もうひとつは、「テーマを子どもたちの健全育成・安全確保に限定し」というところだ。
 これだと、どの団体も取り組みやすい。
 しかし、これに留まっていてはいけない。
 もっと取り組みにくい、いや、取り組まなければないらいテーマもある。
 子どもたちの安全確保がけっして「軽い」ターゲットだとは思わないが、もっともっと「重いターゲット」がある。
 しかし、急ぎすぎると、ネットが空中分解する恐れがある。
 これが第2の「恐る恐る」だ。

 3つ目は、小・中が「強い連携・融合」で、学校・家庭・地域が「広くゆるやか」……というところだ。
 なぜ、小・中が「強い連携・融合」で、学校・家庭・地域が「広くゆるやか」なのか?
 これについては紙幅(「職員室通信」の量のバランス)の関係で、別な機会に述べることにする。

◆当日の発表の主な項目は次の通り。
 理念。
 ネットワーキングシステム構築のポイント。
 校区の概況。
 すこやかみなみネット概要。
 目標。
 PTAが中核となる理由およびメリット。
 すこやかみなみネットの組織。
 すこやかみなみネットの事業内容。
 すこやかみなみネットの課題(可能性)。








◆この「市内小・中学校連携研究会」があった当日の夜、発表者・乱氏のホームページでおもしろい記事を発見。
 無許可で抜粋する。
 画像は発表中の乱氏。

 ――場末の寄席
 しかし、観客が少ないなあ。
 浅草演芸ホールを思い出すなあ。
 学校さぼって平日に行ったことがあるんだけど、タダの入場券で入ろうとしたら入れてくれない。
 最初の客は現金客しか入れないのだそうだ。
 で、現金客が入ったからやっと入場となったのだが、客はわたしと現金客の2人。
 寄席芸人の数より少ない客だった。
 もうこうなるといい加減で漫才コンビなんか数回出てきて「また、出てきました~」なんてつなぎをやってる。
 川柳師は「やりにくいんですよね~、せめて前のほうに並んでもらえるとやりやすいなんて言ってたけど、動きませんよ。
 談志師匠登場。
 顔をあげてびっくりして「違った世界に来たような~。鈴本はけっこう入ってるんですけど」なんて言ってた。
 今日はそんなようなシチュエーションだった。
 去年より少ないな。
 まあ、でも、やってきました。
 私は一応政界にいたから演説もできるんだけど、今日は授業スタイルでやってきました。
 もう、ありのまま、実践していることを正直にという感じだから、緊張はゼロ。(抜粋、以上)

 ホンマ、ごくろうさまでした(^_^)v。
 聴衆の少ないシチュエーションには人生を感じる。
 わたしは国語の実践発表で聴衆1人(若い女性教師)という経験がある。
 聴衆が1人であるということについて、語っているときは何とも思わなかった。
 むしろ熱っぽく語った。
 しかし、広い会場の真ん中に聴衆1人、会場の脇の席に事務局員数名、演台にわたし1人という光景は、あれからもう30年近くなるが、鮮明だ。
 生涯の最後の時まで忘れないだろう。
 こういう光景が僕には似合っているのかなぁ~。

★関連記事
日本の学校は力がある。家庭もそうだ。地域もそうだ。ただ、今、バランスが悪いだけなのだ。

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★『谷は眠っていた』(富良野塾の記録)の倉本氏が、依然、僕に強烈な刺激を与えつづけていた

2012-01-22 13:07:11 | 僕のモンマルトル日記

 

2012

01.22
模擬授業開き・トップバッターは公麿T


★1週間ほど前、TV・ウェークアップ!の新春スペシャルインタビュー「脚本家・倉本聰×岩田公雄」を観た。
 倉本聰氏については、『歸國』(2010年、TBS系※演劇作品のドラマ化)に失望して以来、やや興味を失っていて、いったんはスイッチを切ろうとしたのだが、『谷は眠っていた』(富良野塾の記録)の倉本氏が、依然、僕に強烈な刺激を与えつづけていた。
 きっと、インタビュー中に、氷点下20℃、積もった雪から顔を出す熊笹をかき分けかき分け、白樺林を行く倉本氏の姿が映し出されるに違いないと思い、TVを観つづけた。
 はたして、雪をかきわける氏が登場。
 その時の倉本氏の姿を頭の裡で反芻しているうちに、僕も、自分のカラダを雪の上に置き、ユルユルと歩ませてみたくなった(*^_^*)。
 完全防寒スタイルで、ひさしぶりに、こころはろばろ神社の森(標高68メートル)に行く。
 雪は予想していたより少なかった。






★関連記事
「有家浜の線路跡に手を触れる」「道床を一歩、二歩と踏みしめる」という箇所で「あっ、僕がいる」と感じた
本日の散歩の隠しテーマはRICOH・CX3の接写で「春を撮ろう」。しかし、ふきのとうは、遅すぎた
東北関東大震災発生時の揺れのなかで『増鏡』の老婆の「この日本国の衰ふるはじめはこれよりなるべし」の声
隣に置いた丸テーブルのメモが目に入る。「しかし、しかし」と大書してある。逆接の接続助詞「しかし」には
ニホンリス発見、パチリ。古書店の解体作業は墓地の改修に似ている。魂入れ、もしくは魂抜きの儀式が必要だ
海戦想望 こころはろばろ スラバヤ沖 バタヴィアの沖。突然神社に至る。右側の狛犬の土台石に「武運長」


★僕の今年の年賀状。


 いつ頃からか、年末にバタバタやるのはやめて、新しい年になってから書くようになった。
 そのうち、だんだん横着を決め込み――ま、年末年始を自宅を離れて別地域で過ごすようになったこととも関連すると思うが――いただいた年賀状にのみ返信するスタイルになってしまった。
 元のカタチに戻したほうがいいのかな?と思わないわけではない。
 これでは、やはり礼を失している。
 しかし、今年いただいた年賀状に「家内の軽減を考え、年賀を休止することにしました。一応の区切りとします。心苦しいのですが、ご理解ください」と書かれた方があった。
 ああ、そうだったのか、ここ、しばらくの、その方の賀状は奥様の手によるものだったのか……と心打たれた。
 横着している自分がはずかしかった。
 と同時に、僕にも「区切り」が近づいているのだと思った。
 元に戻す余力は、もう僕にはないかもしれない(ノ△・。)。

模擬授業開き
 トップバッター公麿T



◆ずっと「授業記録」に挑戦しつづけてきた。
 50分間の授業が終わると、通常、15分ほどの休憩をはさんで協議が始まる。
 その席上で、参会者に「授業記録(教師の指示・発問や生徒の発言・学習活動)」を配る。
 これが授業記録者の美学だ(^_^)v。
 わたしの場合、パソコン(ワープロ)の登場でこれができるようになった。
 ただ、これだと記録に専念せざるをえなくなり、肝心の授業に没入することができない。
 だから、メモの技術と記憶力をアップするとか、録音したものを聞きながらメモをとるとか、その後、いろいろやってきた。
 現在、これでいこうと思っているのは、ICレコーダーに録音したものをあとから一字一句正確に文字に起こし、そのデータを分析して「職員室通信」上などで編集するという方式だ。

◆この訓練のために、1/10模擬授業開きにおける公麿Tの授業を起こした。
 まだどのように編集すればいいのかはよくわかっていない。
 一応、条件として、ひとつの模擬授業(普通の授業も)A4版2枚(字数2000字以内)。
 画像2枚。
 前回の須藤Tの記録は、授業概略と授業批評から授業そのものを浮かび上がらせようとした。
 これも一つの方向だ。
 将来的には、授業者の身振りや息づかいや性格まで伝わるものにしたい。
 模擬授業そのものより真実に近いといわれるくらいのものにしたい。
 ま、これはまだまだ遠い、夢の夢……。
 今回はICレコーダーを愚直に文字に置き換えるところからはじめる。(ここまでに既に字数の1/4以上を費やしてしまった。)

T:3年生になってもうすべての歴史の各時代を勉強していますので、これから見せるパネルがどの時代にあるのか、どの時代なのかわかる人は手をあげて発表してください。はい(三内丸山遺跡の画像提示)。松浪君!
C:縄文時代です。
T:同じ人?(多数挙手)はい、正解です。拍手してください。
 はい(吉野ヶ里遺跡の画像提示)。須藤さん!
C:弥生時代です。
T:はい、これ、なんの遺跡かわかりますか?
C:吉野ヶ里遺跡です(須藤C)。
T:正解です。拍手。(生徒役歓声)(中略)
T:はい(東大寺の大仏の画像提示)。西塚君!
C:奈良時代です。
T:奈良時代……。
C:先生、横だと思います(松浪C画像向き指摘)
T:失礼しました。ちなみにこれは何ですか?
C:鎌倉の大仏です(西塚C)。
C:えぇぇぇ~? えぇぇぇ~?(他の生徒)
C:奈良の大仏です(西塚C)。
T:はい、正解です。奈良の東大寺の大仏です。拍手! (中略)

 テンポのよい導入だ。
 はい、正解、次……とトントンと進めるところと、突っ込むところとのバランスが絶妙。
 「つかみ15秒」というが、スタートから最初の画像を提示し、松浪Cの挙手・解答までの時間が19秒。
 まずは合格だ。
 注文を4点。
(1)合格とはいえ、冒頭の「3年生になって……勉強していますので」に10秒近く費やしている。いきなり画像を提示して「はい、何時代ですか?」とやれば、週報・研修部「つかみ10秒」が実現したのではないか。
(2)時代名を答えさせたあと、その生徒に「これは何ですか?」とたずねているが、全体への質問に切り替えると、全員の意欲が高まるし、教室全体の学習活動量も増える。
(3)対立させる、ゆさぶる画像が1枚ほしかった。
(4)「ちなみに」という接続詞の使い方はまちがっているのではないか?
 指定発言者からは「パネル提示のとき、左右の生徒にもっとていねいにみせる(中野T)」「励まし方がよい(岬教頭T)」という指摘があった。

T:今までに出てきた時代をもう1度赤で書いているパネルでみんなで読みましょう。はい、どうぞ。
C:(一斉に)縄文、弥生……奈良、平安、鎌倉、室町……昭和、平成。
T きょうは10分間で各時代を覚えるということに挑戦します。
 今からみなさんにこういうカードを1人1個ずつ渡しますので。……まだ指示があるまで、このカードのゴムを取らないでください。はい、じゃ、渡します。
 輪ゴムから取ってもいたずらしないように。では、ほどいてください。
 それでは、そのカードを、最初はこの教科書を見ながら順番に並べ替えてみましょう。はい、どうぞ。(生徒作業)
T それでは、その「縄文」「弥生」……「平成」。
 この順番を一回、自分で崩しながら、また並べ替えたりして、今から2分間あげますので、その順番を覚えましょう。時間を2分あげます。
C もうやってもいいんですか?
T はい、どうぞ。(このあと、授業者・公麿Tは学習目標を板書する。)

 何度もICレコーダを停止させながら、一字一句忠実に再現した。
 快調だった授業がここでは一転してリズムが崩れている。
 「今まで出てきた時代をもう1度……」というところなどは「復習します。みんなで読みましょう」でいいのではないか。
 あるいは「1個」ではなく「一束」ではないか、「輪ゴムから取っても」は日本語として変なのではないか……とか、文字に起こしながら何度も首をかしげた。
 生徒役もいらいらして「もうやってもいいんですか?」と逆質問をしている。
 指定発言者(中野T)は「崩しながら並べてくださいという指示はイメージできなかった」と指摘している。

 授業はこのあと、暗記のためのペア学習へと移るが、座付作者としてまだ未熟なので中途半端なところで終わらざるをえない。
 最後に重要な指摘を2点。
(1)時代順を覚える意義について触れるともっとやる気が出る。(生徒役)
(2)ペアで学習するとき「覚えているかどうか確かめます」と趣意を明確にする必要がある。(指定発言者・岬教頭T)

 ここで字数オーバー、2257字だ。


◆この日の模擬授業大会(日時=1/10 午後1時~2時30分 場所=2年3組教室)、公麿T以外の授業者について触れる。

■須藤T(理科)
 語り(説明)がスゴイ。
 あるところは、画像を見せながらサーッと流し、あるところは「10㎞というと、ここからどこまで?」「氾濫するとどうなりますか?」と質問し……というふうに、常に聞き手を語りに参加させながら説明している。
 感動した。

■田辺T(家庭科)
 デジカメで授業者の顔のアップを撮影していて、ハッとした。
 撮影しやすい。
 あっちを向いたりこっちを向いたり、小刻みにキョロキョロしないからだ。
 液晶モニターを見ながら「ポイントはこれだ!」と思った。
 そういえば、乱氏の顔も撮影しやすい。

■小和田T
 耳に届く小和田Tの英語が感動的に美しかった。専門的には「クリアーな英語(英語科教員の情報)」というそうだ。
 田辺Tと同じく、顔のアップが撮影しやすい。
 視線を生徒1人1人に0.1秒ずつ止めている証拠だ。
 皇太子の視線の配り方を想起した。
 学習活動の骨格がしっかりしている。

◆こうして記述していると、細かな部分も書きたくなるが、きょうはこれでやめる。
 わたしは今は、授業者がいるステージの、その陰でせっせと授業を記録する座付作者だが、心のうちには「授業者」のわたしが潜んでいる。
 模擬授業大会のあと、「ああ、勉強になった」と、少し興奮している、「授業者」としてのわたしがいることに気づいた。


みなみ中を熱っぽく語ろう
~ わたしたち教職員が「みなみ中」を語れていないから、生徒が語れない ~


 3学期にはいり、高校受験のための面接練習が始まっている。
 先週末からわたしも練習台に加わった。
 まだ5人(国立高専等の推薦面接)の練習をしただけだが、受験の動機や自分の特別活動歴はしっかりと語れるのに、本校のPRはうまくできない。
 ワンパターンだし、口先で言っているから、思いがこちらに伝わってこない。

 これは、もちろん、わたしたち教職員の日頃の姿勢・指導に問題があるのだと反省している。
 以前、国立高専のPRに来校された教授が、高専の教育システム、ロボコン全国大会出場、プロコン全国大会3位、携帯電話用ソフトコンテスト準グランプリ、生徒の作家デビュー……地域ふれあい祭りの実施……と、熱っぽく語られたことに快い刺激を受けたと書いたことがある。
 教授が「高専」を語るように、わたしたちが「みなみ中」を語って(語れて)いないことが問題なのだ。

 以下が、みなみのPRのための資料を集めようと、教職員からアンケートをとった結果だ。

 
環境編 

◇市内№1の校庭が自慢
 ①市内でいちばん広い。
 ②水はけがよい。
 ③星がきれい。
 ④校庭を取り囲む木々が美しい。

◇校舎がステキだ。
 ①校内が明るく、きれい。
 ②玄関がかっこいい。 
 ③バックネット側から見た校舎にキュ~ンとなる。

◇校舎から眺める風景が最高
 ①3階渡り廊下からの景色
 ②音楽室からの眺め
 ③美術室から見える風景
 ④図書室からの眺め

◇その他の環境自慢
 ①玄関前の花壇を取り囲むカリンの木。
 ②前庭のつつじがきれいだ。
 ③海のにおいがして、海が実感できる。
 ④すべての教室にキーボードがある。
 ⑤音楽室の雰囲気(音楽を愛する人たちの思いが脈々と流れている)

 
教職員編 

◇教職員どうしが仲がよく、チームワークがたいへんいい。
◇研究熱心で、教師の力量をアップしようと熱心に取り組む。
◇生徒の人格を尊重している。
◇教職員として品性・倫理・誇りにあふれ、信頼できる。

 
生徒編 

◇気持ちがまっすぐで、だれにもおもいやりのある態度で接する。
 ①気持ちがやさしい。
 ②本気・本音で人と接する。
 ③教師の気持ちをよくわかってくれる
◇行事への取り組みが、一生懸命ですばらしい
 ①応援活動
 ②体育祭
 ③文化祭
 
◇自分の役割以外の仕事にも協力し、よく働く
◇あいさつができる
◇非行がない
◇生徒どうし仲がよい。1・2・3年の仲がよい

 
合唱編 

◇歌声がいっぱい、毎日、歌声が響く学校
 ①全校をあげて合唱に取り組んでいる
 ②歌声のレベルが高い
 ③やはり合唱部はすごい
◇校歌
 ①歌詞がいい
 ②「よき師よき友」のところで、いつもしっかりしなければと思う。

 
地域・保護者編 

◇すこやかみなみネットの取り組みがすばらしい
 ①地域情報交換会
 ②あいさつ運動
 ③小中公一体文化祭
 ④巡回活動
 ⑤町内会・安協・防犯の方々の取り組みがしっかりしている
◇小中連携活動に熱心
◇参観日の出席者が多い。
 教育に対する熱意が感じられる

 
その他 

◇部活動……活動時間など、ルールがしっかり守られている。
◇校名がいい
 気品とあたたかさを感じる。




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★自分に「やりたいこと」があって、そのために関連の書物を移動する作業は、いつもながらワクワクする

2012-01-20 10:59:12 | 僕のモンマルトル日記

 

2012

01.20
江藤淳氏は「まあ、座んなはれ、座んなはれ」と僕を抱えるように

★第146回芥川賞の田中慎弥(『共喰い』)。
 4歳で父を亡くす。
 現在、郷里で母親と2人で暮らす。
 アルバイトも含め1度も職に就いたことがない。
 20歳のころから小説を書き始める。
 以来、1日も執筆を休んだことがない。
 「他のことは一切していない」。
 記者「どなたかに知らせましたか?」
 田中「母に」。
 僕はこういう話――特に「1日も執筆を休んだことがない」「他のことは一切していない」に異様に反応し、感動する(ノ△・。)。
 でも、あんたの作品は読みまヘンよσ(^┰゜)べ~。

★Metisの『人間失格』(作詞:Metis 作曲:Metis 編曲:小高光太郎)。
 『第44回日本有線大賞』「有線問い合せ賞」を受賞。
 CD『人間失格』のネット注文が通常の5000倍に。
 100000倍をめざしています。
 ジャンジャン注文してくださいね(^_-)。

◆01/18、2校時、学校環境検査。


 3名の薬剤師の方が来てくださった。
 照度、湿度、室温などは良好。
 ただし、二酸化炭素は基準値を上回る。
 休憩時間の換気に気を配る――この「気の配り方」のシステムを根本から見直す――必要がある。







◆本日から、先月の生徒総会で可決された第3号議案「他のためになんかし隊わ・1学級1活動」がスタートする。
 きょうは1年1組の活動日。
 画像は昼休み、玄関で下足箱の掃除をする1年1組の生徒たち。




 関連項目=〈重点施策(3)〉自他のよさや可能性を認め、互いに高め合う生徒の育成をめざし、生き方の原理・原則を重視した心の教育を充実する。
関連記事 ・今年度は、「(3)教諭」の「学習指導に係る目標」についてのみ、数値目標を設定した

◆この画像は、冬季休業中、ひとつひとつ教室をまわっているときに見つけた。


 終業式の式辞のなかで――
 「『人の陰口は絶対に言わない』『他のためにがんばる』『夢をもつ』という豊かな人間性の条件を3つ話しました。
 4つ目、5つ目は、きょうの学活で学級担任の先生から聞いてほしい。
 担任の先生は、『これが4つ目、これが5つ目』と言わないかもしれません。
 ただ、きょうは大切な日ですから、担任の先生は気持ちをこめてみなさんに話すと思います。
 その話の中から、みなさんが、『4つ目、5つ目』を見つけ出してほしい」――

 この話を受けて、学級担任が「4つ目」「5つ目」と展開してくれたのだろう。
 わたしの話は、独りよがり……話し下手……で、なかなか子どもたちの心に残らない(ノ△・。)。
 それをこうやって展開してくれたのだ。
 1000万円の宝くじが当たった――当たったことはないが――のと同じくらいうれしい。

★年の暮れに、書物&雑誌&資料の「小移動」を行った。
 一昨年の5月の連休にDAKA古書店を解体し、書物&雑誌&資料等を、あちこちに分散した話は、シリーズで?ブログに連載した。
 分散して、特に不都合はなかったのだが、教育関連の書物等が遠い場所――屋根裏、2階の小部屋、1回の押し入れ等――にあるのは、やはり不便で、仕事にならない。
 今回の「小移動」は、この教育関連の書物&雑誌&資料等を、DAKA古書店跡玄関付近の書棚に集中させた。
 自分に「やりたいこと」があって、そのために関連の書物を移動する作業は、いつもながらワクワクする。

 新しく出来た「教育コーナー」の前のテーブルで、たまたま、古い雑誌、現代教育科学1月号(2006)を手に取り、「教育コーナー」の椅子の座り心地をチェックしながら、「『学習指導要領』戦後60年の功罪」を読む。
 どの論文も興味深く読んだので、4つ、5つしか読めなかったが、次の箇所に、僕の心が強く反応した。



 安彦忠彦氏の論文――三「学習指導要領」の罪とは?
 (前略)もう一つは、日本人の家庭や地域から、教育をすべて学校に取り込む方向を促し、社会の教育力を奪ってしまった、という点である。
 これは第一の点とも関係して、戦後も学校の教育こそが常に進んでいて妥当なものとする通念を生み出し、「教育のことは何でも学校の先生に」との態度を国民の間に広めた、と言ってよい。
 「学習指導要領」の法的拘束力の強かった時代は何でも学校がかかえ込むような事態となり、現在はそれが破綻した状態にある。
 今日では、規制緩和によって、あらためて「学習指導要領」の「試案」的性格が強められているが、それを学校現場で支える力のある教師が、昭和50年頃までにいなくなり、せっかくの施策も効果がすぐには出ていない。(論文抜粋、以上)

◆反応、2点。
 1点目――学習指導要領が「教育のことは何でも学校の先生に」との態度を国民の間に広めた……という箇所。

 わたしは、安彦氏のいう「教育のことは何でも学校……」を、「学校の教育丸抱え体制」、あるいは「学校の教育独占体制」と称している――興味がおありの方は、「学校の教育丸抱え体制」、あるいは「学校の教育独占体制」でネットで検索をかけていただきたい――が、この体制を強める方向に作用した主なものは、これまで次の3点だと考えていた。

①学校中心自治民育体制の幻影。
 昭和7年文部省訓令「学校少年団」
 昭和16年「大日本青少年団」
 昭和20年5月22日戦時教育令=「学徒隊」
 このいう流れのなかで、他の社会教育活動が衰退し、いわば「学校中心自治民育」体制が確立していった。
 敗戦による「第2の改革」――第1の改革=明治、第2の改革=敗戦、第3の改革=中教審46答申――を経ても、この戦前の学校イメージが、「幻影」として国民の心に保持されたこと。

②教育爆発現象。
 高校進学率が昭和20年代〈20%〉→昭和50年代〈90%〉と急カーブを描いている。
 受験のための狭義の学力観に地域・家庭も追随していったこと。

③地域社会構造の変化。
 職住分離・核家族化が進行したこと。

 わたしはこれまで、安彦忠彦氏が指摘する、「学習指導要領」が教育をすべて学校に取り込む方向を促し、社会の教育力を奪ってしまったという角度で考察をしたことがなかった。
 うかつだった。
 いい視点を提示してもらったと思っている。

 反応、2点目――「『学習指導要領』の『試案』的性格が強められているが、それを学校現場で支える力のある教師が、昭和50年頃までにいなくな」った……という箇所。

 ここでいう「『学習指導要領』の『試案』的性格」というのは、おそらく、1998年(平成10年)告示、2002年(平成14年)実施の学習指導要領のことで、2003年12月に一部改正が行われて「過不足なく教えなければいけない」という歯止め規定の文言が消滅したことを指しているものと思われる。
 だから、ま、もう古い話だ。
 今さら、むしかえすつもりはない。
 でも、一言だけいっておきたい(*^_^*)。
 「『学習指導要領』の『試案』的性格」を「学校現場で支える力のある教師が、昭和50年頃までにいなくな」った……という安彦氏の見解には、残念だが、同意せざるを得ない。
 しかし、問題は、その理由なのだ。

 文科省は「せっかくの施策」がすぐに効果があがらないことは、いや、5年先も、10年先も、今の公立小・中学校の体制のままでは、効果があがるはずがないことは、十分予見していたはずである。
 安彦氏のいう「せっかくの施策」が効果をあげるためには、「学校現場で支える力のある教師が、昭和50年頃までにいなくなった」理由を解き明かし、それに対応するために「もうひとつ別な施策」を同時に展開しなければならない。
 このことは、間違いなく、文科省も認識していたはずである。

 今、僕はまわりくどい言い方をしている。
 今、僕に、ここで本質論を展開するつもりがないからだm(_ _)m。
 教育改革の本丸論については、この「職員室通信」の別の号でやるつもりだ。
 きょうは、中途半端だが、これで終わる。

◆今年の初夢(1/2)に江藤淳氏が登場した。
 舞台は生野区田島にある寿し由だった。
 寿し由には友人の磯橋と一度、恩師の松野先生と一度、行ったことがある。
 押し寿司のうまい店で、主人が、
 「ウチンとこは大阪で一番の大阪寿司なんですわ。つまり世界一やということやね」
 と自慢していたのを覚えている。
 二度ともずいぶん以前の話だ。
 どうして今回、初夢の舞台になったのだろうか?
 年の瀬に、TVで民主党政策調査会長の前原氏の顔を見ながら、「ああ、彼の恩師は高坂氏だったのに……」とつぶやきながら、書架から久しぶりに『海洋国家日本の構想』を手にしたことと関係があるのかもしれない。
 高校時代に『海洋国家日本の構想』をめぐり、磯橋と明け方まで大論争をやったことがある。
 年の瀬に、その磯橋のことは思い出さなかったのだが、夢の中で、『海洋国家日本の構想』を手にした感触→磯橋との大論争→寿し由と接続したのだろう。

◆寿し由に入り、主人の「いらっしゃい」のかけ声に誘われて目をやると、カウンターに江藤氏の横顔があった。
 江藤氏もわたしに気づき、
 「やあ、小高さん!」
 と、メガネが弾けるほど笑っていらっしゃる。
 「センセ、お久しぶりですね」
 緊張して立ったままのわたしの肩を江藤氏は、
 「まあ、座んなはれ、座んなはれ」
 と抱えるようにして隣の席を勧めてくれた。
 「センセ、相変わらず大阪弁のマネがお上手ですね」
 「いやァ、それを言わんといてんか。わたしのはホンマ、ワンパターンやからね」
 江藤氏は、いわゆる「けったいな大阪弁」をよく使った。
 その大阪弁がなつかしく、わたしは少し涙ぐんでしまった。
 「小高さん、最近はどないしてはりますか?」
 「はあ、まあ、どうにかやっております。センセがお亡くなりになった次の年に……」
 教育現場から教育行政に身を転じたこと。
 仕事のテーマが学校教育と社会教育を統合した生涯学習体制の構築で、学社融合都市づくりをめざしていること……。

◆わたしが教育行政の職にあり、「学社連携・融合」の仕事をしていたのは、もうずっと前のことだ。
 だから、初夢の舞台が現時点ではなく、大きく過去にずれていることになる。

 自分の仕事のことを話しながら、しかし、学校・家庭・地域社会の連携や学社連携・融合の方策を、江藤先生に述べるのも何か変な具合だなと思い始めた。
 すると、江藤氏が言った。
 「小高さん、それはシンドイ仕事や。よ~やってると思うわ。わたしが見るところ、戦前にしみついた家庭教育、学校教育、社会教育がちゃんと機能しているうちは、日本も何とかなってきたけど、今はホンマ、めちゃくちゃやからね」
 何気ない話しぶりだが、眼がわたしの話を真剣に受けとめていた。
 ありがたいと思った。
 とりわけ江藤氏の口から「学校教育」「社会教育」という語が飛び出したのには驚いた。

◆「小高さん、見てみィ、この鯛の皮目、きれいやなァ」
 「ホンマですね、センセ」
 カウンターの上に江藤氏が指差したのは、アナゴ、エビ、小鯛、太巻きなどの盛り合わせで、寿し由のいわゆる大阪寿司セットだった。
 盛り台の上で、鯛とアナゴが輝いていた。

◆江藤氏が自殺したのは、1999年7月21日のことである。
 その朝、わたしは勤め先に向かおうと、ネクタイを締めていた。
 つけっぱなしのTVから「江藤淳氏が風呂場で手首を切って自殺した」というニュースが流れた。
 ネクタイの手が止まった。
 からだごと、一瞬、音のない、静まりかえった空間にはじき飛ばされた。
 予感がないわけではなかった。
 が、やはり衝撃は大きかった。
 「ひとりオオカミや」――ホンマは「はぐれオオカミ」やけど(ノ△・。)――と傲慢もしくは軽率に構え、常に無限漂泊の状態に自分を置こうとする僕にとって、江藤氏は唯一の道しるべだった。
 その日の夕刊に遺書の文面がのった。

 〈心身の不自由は進み、病苦は耐え難し。去る六月十日、脳梗塞の発作に遭いし以来の江藤淳は形骸に過ぎず。自ら処決して形骸を断ずる所以なり。乞う、諸君よ、これを諒とせられよ。〉

 文字は、小ぶりで丸っこかった。
 わたしは死の報の直後から、自殺と江藤氏の作品とを分離しようと考えていた。
 けど、
 「けど、諒とせられよ……はないですよ、センセ。センセ、治者の文学はどないしはったんですか……」
 涙がこぼれた。

◆「小高さんは、ビールでええのんか? わしはウィスキーや。大将、もうひとつ、ロック、つくってんか」

 このあと江藤先生は、
 「ちょっと」
 と席をはずされた。
 しかし、いくら待ってももう戻ってこられなかった。
 夢から覚めたとき、わたしの目が濡れていた。


★関連記事
改革に対する冷ややかには二つある。一つは、『丸抱え』でいいという意見。もう一つは、教員が好きこのんで『丸抱え』しているんじゃないかという意見

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★お先まっ暗な中を、僕は、あてずっぽうで一歩二歩と踏み出す

2012-01-16 15:50:11 | 僕のモンマルトル日記

 

2012

01.16
お先まっ暗な中を、僕は、あてずっぽうで一歩二歩と踏み出す


★しばらくDAKA古書店跡に閉じこもっていたが、なんとなく、そろそろ、そこにまとわりついている、さまざまなこだわりを、クルリと剥いで、別な場所に「移動」したい気分になってきたので、狭い取り付け通路を抜け、ま、本宅(*^_^*)の居間――ここは僕流にいうと「開かれた孤独空間」――にやってきた。(ここが「開かれた孤独空間」なら、あっちのDAKA古書店跡は「閉じられた孤独空間」ということになるのか?)
 急速に部屋を暖めようと、FFストーブと旧式エアコンを「最強」にセットした。
 風量も「最強」にしたから、生あたたかい風の流れが部屋じゅうにできている。
 身体の片側にその流れを感じながら、キーボードをカタカタやっている。

★昨日の第30回全国都道府県対抗女子駅伝のTV放送。
 「どうせ、また京都だろう」と観るつもりはなかったのだが、昼食のつづきで、1区だけチェック……と食卓に座っていたら、木崎が1位!
 3区への中継時、一瞬間だけ首位を譲ったものの、あとは「逃げて逃げて逃げて」1位、1位、1位……。
 アンカー徳田夕佳の草魂の走りに感動。
 大阪薫英女学院中2年・高松望ムセンビの気品あふれる大阪弁もよかった。

★左の画像は、僕のtwitterのプロフィールウィジェットだ。(HPをご覧の方は、――画像ではなく――左側にホンモノのプロフィールウィジェットが見えるはずです。)
 twitterについては、僕の場合、「僕とチャット」、あるいは「僕とブログ」等の関係ほど、その関係は安定していない。
 僕の知っている某男性は、時間があれば、twitterでつぶやきつづけている。
 あるいは、別の某男性は「もうブログはやめた。これからはtwitterだ」といっている。
 2人の場合は、何十万人のフォロワーがいる。
 それくらいフォロワーがいれば「これからはtwitterだ」ということになるかもしれない。
 しかし、僕の場合は、フォロワー80人(ノ△・。)。
 フォローも72人に過ぎない。
 僕はよく「HPは、現実世界における、僕の存在の仕方そのものだ」という。
 これは「存在のカタチ」をいっているのだが、twitterは「存在の状況そのもの」と言える(*^_^*)。
 チャットのほうは僕がこの世から消える寸前までやるつもりだ。
 しかし、twitterはわからない(*^_^*)。

★本日より、これまで「職員室通信」のヘッドにつけていた特定の時間(例=2006/10/05発行)の枠組みを取り払うことにした。
 ホンマは、現在という枠組みのなかで、過去の時間的枠組みを、タイミングをはかって一気に取り払う、いってみれば屋台崩しを楽しみにしていたのだが、もう、とても、そんな時間的な余裕はない……と感じるようになった。
 たしかに、前回も触れたように、現在の枠組みと過去の枠組みでは、文体の定義が異なる。
 だから、2つをいっしょにするためには、なんらかの「変換」作業が必要なのだ。
 しかし、具体的な方法については皆目見当がつかない。
 前回のくりかえしになるが、「お先、まっ暗」だ。
 この「お先、まっ暗」な中を、僕は、あてずっぽうで一歩、二歩と踏み出そうとしている。



◆3学期始業式・式辞
 
充満しているエネルギーに強い「カタチ」を与えよう

◆この冬という季節は、12月、1月、2月の3ヶ月です。
 ですから、きょう、1月16日というのは、冬の真ん真ん中ですね。
 古来、日本では、この冬の真ん真ん中に、寒中稽古、寒中水泳等を行うという慣わしがあります。
 わたしの母校の中学校は、この時期に登山をやっていました。
 耐寒訓練(寒さに耐える訓練)といって、大阪でいちばん高い山、標高1125メートルの金剛山に登りました。
 雪に覆われていますから、ツルツル、ツルツルと、ホンマにたいへんでした。
 もちろん、ギザギザのアイゼンとか、軽アイゼンとかはないですから、みんなで靴に縄を巻いて登りました。
 冬の真ん真ん中の寒さに耐えることによって、精神をひきしめる。
 身も心も鍛えて、強くする……ということです。

 わたしたちも、新しい年のスタート、きょうのこの極寒の(たいへん寒い)始業式を、精神をひきしめて、そして、自分の心――みなさんひとりひとりの「決意」「夢」――をポンと勢いをつけて押してやる1日にしましょう。

◆まず3年生に。
 3年生は、これまで、本校の新しい歴史を創ってきました。
 「歴史を創った学年」といわれるくらい、名誉なこと、うれしいことはありませんよ。
 これまで、学習面で、あるいは、合唱、委員会活動、部活動を含む生活面で、0.1ミリずつ創ってきた「歴史」に、3学期ははっきりとしたカタチを与えて、2年生にバトンタッチしてほしい。
 これから、入試直前の猛勉強。
 面接の練習。
 カゼも流行るから健康管理もたいへんです。
 そして、合格発表……卒業式。
 もう、ほんとうに、あわただしく、めまぐるしく、人生の中でも、もっとも、心の揺れ動く時期といっていいでしょう。
 このあわただしさに、ただ、流されていくのではなく、これまでのように、学年プロを中心に、みんなで力を合わせて、 0.1ミリずつ、――念のためにくりかえすけど――学習を通し、委員会活動を通し、清掃活動を通し、卒業式練習、卒業式本番を通し、みなみの歴史に、くっきりとした「カタチ」を与えてほしい。
 いいものは、確実に伝わります。
 ほんものは、確実に伝わります。
 今度の3年生(今の2年生)に伝わる、それがまた、その次の3年生(今の1年生)に、またその次の、またまたその次の……そして、今は、まだ生まれていない、みなみ中生にも伝わっていきます。
 このことがみなみの力になるとともに、――みなみでわたしたちはこんなふうに生きたのだという自信が――みなさんの新しい世界を拓いていくことにつながると信じます。
 3年生の奮闘努力を期待します。

◆次に1・2年生に。
 大事なことだから、わたしは、何度も何度も言います。
 わたし自身の人生を振り返ると、人生の方向を決定づける、大きな決断は、ほとんどこの時期に、このピリッとする冬の真ん中で、決めています。
 よし、この高校にしよう。
 この大学にしよう。
 この職業につこう。
 こんな人間になろう……というのもある。
 こういう記録が出せる選手になろう……というのもある。
 こういうプレーができる選手になろう……というのもあるでしょう。
 オリンピックに出る……というのもあるかもしれません。

 こんなふうに「はっきりとしたカタチ・方向を与えてくれぇ~」といっているエネルギーが、今、みなさんひとりひとりのなかに充満しています。
 長い人生の中で、今、いちばん、そういうエネルギーが充満してる時期でしょう。
 そのエネルギーに強いカタチを与えてやるという決断。
 この決断から逃げないようにしよう。
 決断して、こんなこともやってやろう、あんなこともやってやろうと、どんどんチャレンジしていってほしい。
 1年生のみなさんの大きな決断に期待します。
 2年生のみなさんの強い決断に期待します。

◆最後にわたしの原点。
 わたしの原点は、これ(「清貧」←張りもの資料を演題に提示)です。
 以前、青春とは貧乏でなければいけない……親に金を使わせているようなのは青春とは言わないと言いましたけれども、「清貧」=貧乏だけれども、志・夢・希望は高い……これがわたしの原点です。
 ひとつ、自慢をしますけれども、わたしは親にお金を出させないで大学を卒業しています。
 そのかわり、すごく貧乏をしました。
 大阪みなみに空堀通り商店街というのがあります。
 「空堀」というから、昔、大阪城の堀だったんでしょうね。
 坂道で、長~い商店街です。
 わたしは、1円でも安いチキンラーメンを求めて、店をのぞきながら、どんどん商店街をくだっていって、安いチキンラーメンを見つけて、その箱を抱えて、今度は逆に空堀の坂を登っていく……これが、わたしの原点です。

 あるいは、肉屋でウインナーソーセージを2個買う。
 肉屋のおじさんが「2個ですか?」と笑って、はかりではかって「なん円です」という感じです。
 2個しか買えないんです。
 それをアルミホイルでくるむ、バターを少し入れる、それを反射式ストーブの上に載せて焼くと、いい匂いがします。
 それに食パン1枚、コーヒー1杯。
 これが、わたしの食事でした。
 ウィンナーソーセージとコーヒーの香り。
 これが、原点です。
 貧乏だったし、いつもお腹を空かしていたけれども、希望・志は高い。
 わたしの場合は、教育哲学を勉強するんだぁ~と燃えていた。
 この新しい年、またこの原点に立ち返り、みなみ中生、みなさんといっしょに、わたしも、夢を追いかけていくつもりです。(3学期始業式・式辞、以上)


 
教師修業道場~模擬授業だけで100回やりたい~


◆現在、来年度の教育課程編成中です。
 まず、昨年末の12月に、
 ①各校務分掌部会(総務・教務・研修・生徒指導・保健・1学年・2学年・3学年)
 ②各領域部会
 ③各教科部会
 ④教職員個人
 ⑤地域・保護者
 この①~⑤において、「今年度の評価」と「来年度への改善策の提案」をしてもらいました。
 次に12/26に教職員で全体会議を開き、(1)全体で改善策を検討する内容と、
(2)各部会で改善策を検討する内容とを区別しました。

◆現時点で、「全体で改善策を検討する内容」とされている項目は、次の12点です。
(1)授業に関する教師の基礎・基本の修業方法の改善
(2)基礎学力保証という観点からの補習方法の改善
(3)各教科部会運営方法の改善
(4)教科企画書の改善
(5)地域教育力との連携の改善(すこやかみなみネット事業の一環として)
(6)子どもたちの生活規律・学習規律の指導方法の改善
(7)部活動運営の改善
(8)子どもたちの職場体験学習の改善
(9)修学旅行の改善(主に実施時期)
(10)日常における教育相談の改善
(11)音声言語能力育成方法の改善
(12)生徒会活動の改善

◆(1)授業に関する教師の基礎基本の修業方法の改善
 現在、修業方法の中核は模擬授業(1人10分間)です。
 他に、研究授業(教委訪問・小中連携)、公開授業(参観日等)、教師相互参観授業……。
 みなみ中全体として合計で約90回くらいです。
 修業方法のなかに、「参観日」が入っているので、あれ??と思われる方もあるかもしれませんが、保護者参観日の授業は、もっとも気合いを入れて臨む授業、絶対に失敗できない授業ということで、本校では、研究授業のひとつとしてカウントしています。

 本校の教師の授業は、決して下手ではありません。
 語りも安定しています。
 指示も的確です。
 片々の指導技術も相当身につけています。――たとえば、身体を生徒に向けたまま板書もできるようになってきました。
 しかし、プロ教師しては、まだまだ克服しなければならない課題があります。
 「そんなことやってると、落ちこぼしてしまうよ~」「そこは、もっとほめよう~」「よけいな脱線すると、授業の骨格がわからなくなるよ~」というような場面もないわけではありません。
 そのために、2点。
 ①模擬授業の回数を増やしたい。
 どのくらい増やしたいのかというと、年間最低1人5回。教師20人とすれば、全体で100回。
 現在は、模擬授業も研究授業も含めて年間100回ですが、模擬授業だけで100回やりたい。
 ②模擬授業をパートレッスン化したい。
 たとえば、グループで話し合わせて、各グループの考えを発表させた後の処理の仕方とか……、短い学習活動のあとの評価の仕方とか……これまではどちらかというと活動のスタートのさせ方に重きをおいてきましたが、今後は、次への発展、あるいはゴールのさせ方を、互いにもう少し鍛えていかなればいけないと思っています。

 現時点で出されている意見として、
 ①現行がせいいっぱい
 ②教科部会内での模擬授業を増やす
 ③教師相互授業参観の充実……などがあがっています。

◆(2)基礎学力保証という観点からの補習方法の改善
 端的にいうと、その単元で十分な成果があげられなかった子どもに対してどう処遇し、どのように学力を保証するか?という問題です。
 ただ、たいていの場合、「その単元」の「前の単元」、その「前の前の単元」も関連してくるし、また、たいていの場合、同時に他の教科の保証とも関連してくることが多いから、なかなかむずかしい問題です。
 しかし、子どもの将来を考えると、絶対に放置できない問題です。
 「理解できなかった子どもは、塾へ行けということですか?」という保護者の声も聞こえてきそうです。
 「そのツケを高等学校にまわすつもりですか」という声も。
 だから、がっちりと時間をかけたい。
 しかし、子どもの部活動も保証してやりたいし、また困ったことに、教師自身、部活動の顧問としての役割も果たさなければならない。

 今年度は、定期試験前後に「基礎学力保証週間」を設定して、学年企画で、1教科あるいは2教科で、個別あるいは少人数の補習授業を実施。
 現時点で出されている意見として、
 ①現行がせいいっぱい
 ②さらに補習を充実したいが、部活動との関係でむずかしい ……などがあがっています。

 ちなみに、上記の「(1)授業に関する教師の基礎基本の修業方法の改善」は、成果をあげられない子どもを出すような授業をしない……という意味では、(2)とも密接不離の関係にあります。

◆(3)各教科部会運営方法の改善については、現時点で出されている意見として、
 ①現行の時間割に組み込まれている週1回の教科部会に加えて、月1回の職員会議のあとに、教科部会を設定する
 ②教科部会で模擬授業を積極的に行う……などがあります。
 時間割に組み込まれている教科部会は、きちんきちんと時間がとれそうで、実際には、補欠授業が入ったり(←これが結構ある)、生徒の病気・ケガへの対応があったり……で、つぶれてしまうことが多いので、現行に加えて「月1回の職員会議のあとに設定」というのは、ぜひ、検討したい方法です。

◆(4)教科企画書の改善
 読んだり、書いたり、聞いたり、話したり……各教科の共通部分は相当にあります。
 しかし、現状は、各教科、てんで、バラバラに行われています。
 また、教科2つ、あるいは3つが融合すれば、すばらしい教育活動になるのに、なかなかその情報が伝わっていません。
 このことを克服する手段として職員会議で各教科から「教科企画書」をもとに提案がなされています。
 はじめたのは、もう10年以上も前のことです。
 当時、導入された総合的な学習の時間の設計に際し、各教科の連携・融合・協働が求められたことがきっかけでした。

 しかし、しかし、ずっと、ずっと、この「企画書」が不発です。
 やるにはやっているのですが、ねらった効果は、ほとんどあがっていません。

 現時点で出されている意見として、
 ①作成すること自体に意味がある
 ②現行の様式自由から、共通項目+教科独自の項目に改善……などがあがっています。

◆(5)地域教育力との連携の改善(すこやかみなみネット事業の一環として)
 このことについては、本校としては、これまでも繰り返したきたように、「サポータークラブの結成・活動」という方向で地域教育力との連携を推進したいと考えています。
 「サポータークラブ」とは、保護者・地域の人々・教職員を対象に「やってみたい人が」……「やれるときに」……「やれることを」……をモットーに、登録者を募ります。
 活動分野は、これまですこやかみなみネット事業推進委員会で話題になったものとして、(あくまでも例ですが)
 ①環境サポーター=図書室の整理・花壇の整備・掲示板等の装飾(以前地元新聞に紹介された桜等)
 ②ホームページサポーター=PTAやみなみネットのホームページの作成(作業は各家庭で)
 ③地域連携サポーター=地域活動・行事とPTAや学校とのコーディネート。すこやかみなみネットの支援等。
 その他、今年、新設された総合文化部への支援(パソコン・華道・茶道・料理・書道・ハングル語等外国語の指導)や、通常の授業への応援も考えられるます。
 一気に多くの登録者を集めるというのではなく、少しずつメンバー(登録者)に集まってもらいながら、チームをつくり、そのなかで新しい活動を打ちだしていく計画です。
 現時点で、活動しているサポータークラブは、3つあります。
 ホームページサポータークラブ。
 環境サポータークラブ。
 図書室サポータークラブ。

 現時点で出されている意見として、
 ①コーディネーター機能の充実
 ②だれでもが取り組みやすい活動(例=花壇・草取り・あいさつ運動)をもっと増やしていく
 ③2学年で実施している職場体験活動を、すこやかみなみネットの枠組みで実施する……などがあります。

 ①の「コーディネーター機能」については、わたしとしては、事業の継続性を考え、コーディネーター役を固定するのではなく、すこやかみなみネット事業推進委員会が担うという方向と、もう1つ、それぞれのサポータークラブのメンバーのだれかが担うという方向を想定しています。
 この2つが連携するというのもよい方法だと思います。



◆(6)子どもたちの生活規律・学習規律の指導方法の改善
 「改革には粗く2つある」……、ひとつは悪い状態から脱出するための改革、もうひとつは、よい状態をさらによくする改革がある……ということが、よく言われます。
 わたしは、今、本校で取りあげている「生活規律・学習規律の指導方法の改善」については、「よい状態をさらによくする」ための改善あるいは改革であるというふうにとらえています。
 ただ、これまでいくつかの改革プランに携わり、提言をしてきた経験からいうと、むずかしいのは、2つの改革のうち、後者、すなわち「よい状態をさらによくする」改革のほうです。
 理由は、2つあります。
 ひとつは、「なにも悪くない、問題もない、だから、このままでいいではないか……」というふうに、口では「改善・改革」といいながら、なかなか気合いが入らないからです。
 もうひとつは、「なにも悪くない、問題もない」と思っているから、実際には、表に出て来ない問題があるのに、それを見落としてしまうからです。
 本校の「生活規律・学習規律」については、この2つに留意しながら、改善・改革に取り組んでいきたいと思います。

 現時点で出されている意見として、
 ①提案(目標設定)→取り組み→評価……という、いわば目標管理がしっかりなされていない。
 たとえば、研修部から「今月の重点は、正しい発声をし、適切な声量で発言しよう……です」と提示され、これをもとに、各教科、各学年、生徒会が取り組むのだが、まず、この取り組みがバラバラである、
 加えて、評価も十分になされていない。
 この改善が必要だ。

 ②「生活規律」については、現行の学期1回の自己評価を、月1回程度として、合わせて、子どもたちの思いもくみあげる機会(例=アンケート)を設けるべきだ……などがあがっています。

◆上記のように、こんなふうに、ひとつひとつの改善点について、わたしのコメントと、教職員の意見を紹介して……と思っていたのですが、会議の進行は、データアップの方法に逡巡しているわたしの「職員室通信」より、はるかに速く(ノ△・。)、運営委員会→全体会(改善・改革案の決定)→(それを受けた)校務分掌会議・教科部会・領域部会での具体的施策の検討……と進み、ほとんどは既に結論が出てしまいました。
 で、編集の方針を変更し、結論だけを書くことにしますm(_ _)m。

(1)授業に関する教師の基礎・基本の修業方法の改善
 ☆模擬授業研修の増設
(2)基礎学力保証という観点からの補習方法の改善
 ☆(継続審議)
(3)各教科部会運営方法の改善
 ☆職員会議後の教科部会新設(週1回の教科部会は現行通り)
 ☆音楽・美術合同部会の新設(週1回)
 ☆実技教科部会の新設(職員会議後)
(4)教科企画書の改善
 ☆各教科共通項目の新設
(5)地域教育力との連携の改善(すこやかみなみネット事業の一環として)
 ☆新コーディネートシステムの始動
(6)子どもたちの生活規律・学習規律の指導方法の改善
 ☆月1回の簡易版アンケート新設
(7)部活動運営の改善
 ☆(長期展望のもとに方針再確認。詳細後日)
(8)子どもたちの職場体験学習の改善
 ☆すこやかみなみネットと連携し、2学年3日間で実施。
(9)修学旅行の改善(主に時期)
 ☆(来年度の日程決定)
(10)日常における教育相談の改善
 ☆月1回の簡易版アンケート新設(上記6と同じ)
 ☆教育相談に関する研修新設
(11)音声言語能力育成方法の改善
 ☆音声言語能力育成に関する部署新設(教務部内)
(12)生徒会活動の改善
 ☆(①短学活と生徒会活動の日常的接続 ②代議員会の活性化 この2点を視点に部内で改善案を検討する。)

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極端な閉所恐怖症だが、(いや、閉所恐怖症だから……かもしれないが)隅っこが大好きである

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1月15日(日)のつぶやき→RTされたつぶやきは「★橋下徹市長、新設予定の市立小中一貫校2校...」

2012-01-16 02:05:11 | 僕のモンマルトル日記
05:07 from web  [ 1 RT ]
★橋下徹市長、新設予定の市立小中一貫校2校について「小中の特進校みたいな、すごい学校をつくろうと思っている」。気持ちはわかる。が、「すごい学校」を2校創ってどないスンネン。公立でっせ。「大阪市内のぜんぶの学校をすごい学校するぅぅぅ~」と言わないと。教育的覚悟が足りない。イライラ。

05:18 from web
★橋下徹市長、新設予定の市立小中一貫校2校について「小中の特進校みたいな、すごい学校をつくろうと思っている」。2校やったら、僕でも「全員100点の日本一の学校」を創ります。公立はぜんぶの学校、全員100点でないとアカンのです。これを実現するぅぅ~というのが僕のいう「教育的覚悟」。

05:31 from web  [ 1 RT ]
★だから、橋下徹市長が目指す「市立小中学校で学校選択制」も否定はしないが「公立はぜんぶの学校、全員100点」を目指すのが先。どこの公立小中学校に入っても「全員100点」。その上で「学校選択制」というのならOK。僕は「学校選択制」というのは逃げやと思う。公立の役目を果たしていない。

05:38 from web  [ 1 RT ]
★橋下徹市長の「市立小中一貫校2校の特進校化」や「市立小中学校で学校選択制」を否定して、なら、おまえは「どこの公立小中学校に入っても全員100点」をやれるのか?と言われるかもしれないが、やれるもやれないも、僕はそれを目指してやってきた。全員70点→80点……と。シンドイですよ。

by osakayaro on Twitter

1月12日(木)のつぶやき→「★「お先真っ暗」という「焼き」が何度も入ることによって、いいモ...」

2012-01-13 01:39:51 | 僕のモンマルトル日記
06:26 from gooBlog production
★「お先真っ暗」という「焼き」が何度も入ることによって、いいモノが出来上がる……と、なぐさめている blog.goo.ne.jp/kyoiku6000/e/d…

08:30 from gooBlog production
★職員室通信「2006/10/05号~今のおまえの姿でその人の前に立てるのか?」を発行 blog.goo.ne.jp/kyoiku6000/e/4…

by osakayaro on Twitter

★職員室通信「2006/10/05号~今のおまえの姿でその人の前に立てるのか?」を発行

2012-01-12 08:23:53 | 僕のモンマルトル日記
小高進公式サイト・トップにもどる
 06 minami 10/05
 職員室通信

    ★10/04 避難訓練の様子。

「決意」すると人間は強くなる

◆10/03 全校朝会のスピーチ(あらまし)。

 学校からわたしの家までは約10㎞あります。
 わたしのはなむけ号(折りたたみ自転車の名前)だと、35分~40分です。
 はなむけ号の周りにはたくさん自動車が切れ目なく走っています。
 スーパー周辺を通ると、はたくさんの人々が集まっています。
 こういうなかを、折りたたみ自転車で、ひとり、タラタラと走る「孤独感」がわたしは大好きです(*^_^*)。
 まわりには人々がいる。
 たくさんいる。
 だけれども、そのだれともつながっていない。
 会話を交わしあうような状態ではない。
 ポツンと孤独。
 わたしはこういう孤独を、「開かれた孤独」と呼んでいます(^_^)v。
 この孤独感の中で、わたしは、教師のわたしでもない、夫のわたしでもない、親のわたしでもない、いわば本来の自分?(←そんなもん、あるわけないやろ←ホンネ)とつきあえると感じています(^_^)v。(←錯覚かもしれない。しかし、この錯覚時空間を愉しむ←ホンネ)。
 いよいよ秋本番。
 みなさんも「開かれた孤独」の中で、自分のこと、自分の過去のこと、自分の先々のことを考えてみることを勧めます。

◆しばらく前から、みなさんに聞いてみたいと思っていることがあります。
 前回(市中体秋季大会壮行式)、前々回(市中体報告会)と、ある同じ話をしました。
 「人間は決意すると強くなる。」
 「感謝すると大人になる。」
 「他のためにがんばると美しくなる。」
 3つのうち、なんとなくわかる、自分もやれそうだ……というのと、よくわからない、自分にはむずかしそうだ……というのがあると思う。
 そこで聞きます。
 よくわからない、自分にはむずかしそうだ……と思うものを1つ選んでください。
 「決意すると強くなる。」
 「感謝すると大人になる。」
 「他のためにがんばると美しくなる。」
 この中から、自分にはむずかしいというものを1つ選んで手をあげてください。
 では、
 決意すると強くなる。(8人)
 感謝すると大人になる。(300人)
 他のためにがんばると美しくなる。(100人)

◆この3つはだれかが言っているとか、どこかの本に書いてあるというのではなく、わたしの体験から言っていることです。
 きょうは、みなさんの手がいちばんあがらなかった、すなわち、みなさんが「いちばんわかる」と言っている「決意すると強くなる」について、短く、わたしの体験を話します。

 春休みで、だらだらとして、遅く起きて、寝っ転がってテレビで高校野球をみたりしていました。
 そういうわたしが、ふとしたことで父親の汗水流して働く姿をみてしまったんです。
 父親は気づいていなかったです。
 父の姿をみて、「もうしわけない」と思いました。
 もう1つ、同じ時期のこと。
 わたしは中学のとき、アマチュア無線をやっていました。
 当時は送信機や受信機は全部自分で作っていました。
 その技術をサークルで教えてもらうんです。
 まわりはみんな大人。
 当時は中学生の無線技士はめずらしかった。
 自己紹介の場面。
 大阪朝日放送で○○をしている早川です。
 ○○高校の島田です。物理を教えています。
 生野区の林寺で電気店をやっている五十川です。
 いやぁ、格好いいなぁ……と、中学生のわたしは思いました。
 みんな自分の仕事をもって、自分で稼いでアマチュア無線をやっているんだなぁ……と。
 親の金でやっているのは自分だけだ……。

 父の働く姿を見、仕事を持ってがんばっている仲間に出会い……これ以降、わたしは「決意」して、確実に変わりました。

◆その頃のわたしとみなさんが同じ歳です。
 みなさんは、日々、決意し、大きく強くなっていく時期です。
 決意の10月になることを願っています。(全校朝会のコメントのあらまし、以上)





青い山脈型授業が延々と続く
 日本は滅びるでぇ~ イライラ

◆10/04、午後から市内中学校教育研究協議会〈領域〉が開かれた。
 会場は市内○○中学校。
 公開授業が道徳3本、特別活動2本、進路指導1本。
 市内の中学校教員600人が参会するというのに、合計6本の公開授業では、ちょっとさびしい。
 「いったい、なに考えトンネン!」
 最低12本はほしい。
 こんなことをしていると、この市は、いや、日本は滅びる。

 進路指導の授業、そのあとの進路指導の問題提起(2本)に参加する。



◆部会(道徳3、特別活動2、進路指導1)の閉会式で10分間話す。

 まず、授業へのコメント――「いったい、なに考えトンネン。こんなことしてたら、この市は、いや、日本は滅びるでぇ~」という感情が残っていたのか、コメントが乱れる。
 乱れる……というのは、「この場面で言うか? いや、やめておくか?」のうち、「やめておくか?」のブレーキが効きにくくなっている……という意味だ。
 コメントがアトランダムになっているが、これは乱れではない。
 あえて、乱れさせている。

(1)授業冒頭からタラタラと青い山脈型授業――教師が発問をし、数人の生徒がパラパラと手をあげる。教師が1人を指名し、1人が発言。その発言が望んでいたものでない場合、教師は「ほかに?」とさらに挙手を促す。これをくりかえす――をやっている。
 はっきりいうけど、半ばあきれて観ていた。
 が、結果として15分後、生徒全員(1人1人)に学習課題をしっかりつかませていた。
 これは見事だ。
 感激した。
 スゴイ。
 ただし、できれば5分間で、この過程は終わらせたい。

(2)今、述べた青い山脈型授業だが、冒頭だけでなく、授業の終わりまで延々と続く。
 決して、青い山脈型の全部を否定するわけではない。
 しかし、ポイント、ポイントでは、たとえば、賛成か反対かを挙手させたり、あるいは短くその理由を書かせたりする等、適切な「短い作業」を取り入れる授業設計が必要だ。

(3)指導者の目線に課題がある。
 全体を見ていない。
 教卓からみて左後方に厚く、右後方に薄い。
 前方は、ほとんど欠落。
 くわえて、目線が流れている。
 教室の隅から隅まで、1人1人と目をあわせ、指示し、語り、授業が終わったあと「わたしと目があった人」と聞いたら、全員挙手するような目の配り方が必要だ。

(4)「これから5分間でやってもらいます。3分間で切り上げるかもしれません」というような指示・時間設定はしない。
 「まだの人もいますが、はい、やめなさい」もマズイ。

(5)授業の展開に積み重ねがない。
 次から次に学習課題に取り組ませるだけで、前の学習があとの学習に生かされていない。
 「ニートが増える理由」をグループで話し合わせ、発表させたあと、それに対する教師の評価やまとめがないまま、次にいきなり「生徒のグッジョブ前後のアンケート」が提示される。
 わたしだったら、生徒のグッジョブ体験をもとにして、「ニートが増える理由」を考えさせる。
 授業者はきょうの授業の展開を「力わざ」と言っているが、「力わざ」の意味を取り違えているのではないか?
 こういう授業のやり方を「力わざ」とは言わない。
 こういう授業でいいなら、こんなに楽な仕事はない。

(6)語りが魅力的だ。
 自分の思い(楽しい・興味がある等)が的確に生徒に伝わっている。
 これは、うらやましい。(授業対するコメント以上)

 というようなコメントを述べたのだが、やはり授業する者としての基礎・基本(みなみ中でいうと「授業力向上の5原則」のようなもの)をきちんとマスターしないと伸びない。
 みなみ中の授業を見慣れていて、他の授業を見ると、その落差に驚く。
 このままでは日本は滅びる。

◆問題提起2本に対しては、2本に共通していた「新入試制度」に関する管見を短く述べる。
 ここでは、その骨子のみ。
 ①学力測定方法の追究
 ②中学校・高等学校の関係の追究。
 ③学校教育と社会教育の関係の追究。

今のオマエの姿で
  
その人の前に立てるか?

    ★10/04 北校舎2F・図書室からの風景。

◆前回(10/1)の「職員室通信」で、わたしが「公式HPのDiary」に「1ヵ月の空白」+「2週間の空白」をつくってしまうくらい、精神的絶不調に陥ったという話をした。
 そして、(長期の休み明けに)「アイデンティティの空間軸の崩壊が、それに複雑に絡みつつ形成されている時間軸の崩壊につながる」中・高校生の症状に似ているとも述べた。

 「空間軸」(所属する社会との連続性)というのは、「同級生のU君のようになりたい」とか「同僚のVさんに負けたくない」とか「職場の同僚たちに認められたい」という「同じ時空間に存在する他の人間」と「自分」の関係だ。
 「時間軸」(自己の時間的・歴史的連続性)というのは、ま、いってみれば、「わたしは、将来、新聞記者か放送記者になりたい」とか「わたしは、将来、医療で社会に貢献できる人間になりたい」という「現在あるいは過去の自分」と「未来の自分」の関係だ。
 当然、この2軸は絡み合っている。
 ただ、経験的にいうと、世の中には、やたら時間軸にこだわる人間と、反対に、やたら空間軸を気にする人間とが存在する。

 わたしは、自分のことを、U君も、Vさんも、関係ない……、ひたすら、わが道を驀進する、徹底した「時間軸」人間だと思いたがるところがある。
 そのように見せたがるところがある。
 しかし、ほんとうのところは、その逆なのだ。
 証拠に、わたしは「オマエは、今のオマエの姿で、その人の前に立てるか?」という「その人」を「空間軸上」に設定している。
 4人いる。
 設定の根拠については、4人が存命中なので触れないが、この「4人の設定」は、自分が死ぬまで解除するつもりはない。(1人、2人と追加することはあり得る。)

 いわば、同空間軸上に存在する4人を北斗七星として、大海原=時間軸上を疾駆している……ということになる。

◆この同空間軸上に存在する4人と、9月の絶不調とが密接不離の関係にあるのではないか?
 4人は、いずれも、かつて、わたしと同じ空間に存在した人物だ。
 それぞれ時代は違う。
 やがて、みんな、別々の空間へと別れることになった。
 別々の空間に存在しているから「今のオマエの姿で、その人の前に立てるか?」と言えるわけだ。
 ところが、運命のイタズラなのだろうか?
 2005~2006にかけて、万にひとつの確率で、次々にわたしの目の前に現れることになる。
 結論だけをいう。
 「今のオマエの姿で、その人の前に立てるか?」
 残念ながら、立てなかったのだ。

 この打撃が、8月終わりから9月に一気に来たのだ。
 今の姿と、願わくは、同空間軸上に存在する4人の前で、こうありたいと思う姿との、微妙なヒズミが、たまりたまって、9月に巨大なヒズミとしてむき出しになったのだ。

 もう一度、「職員室通信」を引用する。

 「空間軸の崩壊が、それに複雑に絡みつつ形成されている時間軸の崩壊につながるのだろう。
 いわゆる日本的美意識としての無常観に少し似ている。
 わたしはキライではないが、子どもが長期間、この精神状態にあることは危険だ。」

 冗談ではなく、今、わたしは「危険」な状態にある。

◆きょう、珍しい人に遭遇した。
 (断っておくが、先の「4人」とは関係ない(^o^)。)
 現実から遠い遠い距離の、古い古い時間の層が崩れ、ひょっこり出てきたという感じで、心臓が止まるくらい驚いた。

 その人は、病院の自動ドアの向こうにいた。
 一歩出たところで、
「おひさしぶり」
 と声をかけられた。
 ほんとうにひさしぶりで、指を折って数えたら25年ぶりだ。
 2度、3度と「変わってないね」と言われたので「いやぁ、やはり加齢とともに、あちこち、いろいろと……ね」と笑ったら、
「その言い方が変わっていないよ」
 とからかわれた。

 わたしも負けないように「あなたも変わってないね」と言いかえしたのだが、これはウソではない。
 ボールペンが万年筆くらいに体型は変わっていたけれど、空間への存在の仕方と、その空間から次の空間へと移動しようとするエネルギーの質は昔のままだった(*^_^*)。

 翌日、しかし、なにかが変わっている……と感じた。
 ここはエッセーを書くスペースではないので、わたしがその「なにか」にたどりつく過程はパスする。
 喫茶店などで向かいあって語りながらでも、うちにシンと鎮まり、遠くを見つめているような「視線」(これは現実のなにかをみる視線でも、他人から見られることを意識した視線でもない)が、欠落していた(ように思えた)。
 知人の25年の見過ぎ世過ぎの「時間軸」と「空間軸」を想った。
 エッセーだと、ここで自虐的に自分の側にふるという「オチ」が来るのだが、きのうもきょうも自虐、自虐だから、これはパスする^^;^^;σ。

◆同空間軸上に存在する4人の北斗七星について話をつづける。

 実は、2005~2006にかけて、その「4人」は、今、述べたように、万にひとつの確率……といった感じで、次々にわたしの目の前に現れた。
 ここでは4人目の「八木」という男の現れ方を紹介しよう。

 八木というのは、このHPの右サイドバーの下のほうに張り付けてあるハガキ(←今は削除)の主だ。
 学生時代、八木からもらったハガキだ。
 現在、某企業の研究所で所長をやっている。
 何度か、このハガキを削除しようとしたのだが、削除すると、サイドバーのカタチが崩れてしまうので、仕方なく、ズルズルと、そのままにしてあった。

 4月25日の全校朝会で、わたしは生徒に次のような話をした。
 骨子をアップする。

 中学という時代、思春期という時代は、未来にむかって人生、独立のために一歩一歩前進していく時代だ。
 「お父さん、お母さん、ここまでこんなふうに育ててくれて、ほんとうにありがとう。まだまだ心配をかけるけれども、これからは自分でやれることは自分でやるようにがんばり、お父さんやお母さんに心配をかける量をへらしていきます。」
 親に心配をかける量を減らしながら、逆に、自分で判断し、自分で責任をとる量を徐々に増やして、親の庇護から離れ、一歩、一歩、大人の仲間入りをしていく。
 心も体も飛躍的に成長していく。
 これが中学という時代だ。
 しかし、自分で判断し、自分で責任をとるということはなかなかたいへんなことだ。
 迷うことも多い。
 苦しみ、悩み、時には大失敗をしてしまう。
 そういう君たちにひとつアドバイスをしたい。
 自分が何かをしようとするとき、「意識する人間」、「気にする人間」を3、4人持つといい。
 こうしようと思うが、この人はどんなふうに思うだろう?……と。
 今のような自分の姿で、この人の前に出られるか?……と。
 わたしにも意識する、意識してきた人間が4人いる。
 1人は八木という男で、わたしと同じ年齢で、高校・大学時代の友人だ。
 2人目は教え子で、教師1年目、学級担任をしていたクラスの生徒だ。
 3・4人目は同じ教師で、わたしより歳が若い。

◆ま、だいたい、こんな話だった。
 「八木」という実名を出したのは、勢いあまったのか? あるいは、他の3人は現れたが、八木は現れていない……もう現れることもないだろう……という、わたしの人生の中では、現存在の人物というより、既に非現実の存在という認識が強かったのか?

 と、なんと、その夜、八木からメールが届いた。

 36年間、相互に音信不通状態だったのに、全校朝会で八木の話をしたとたん、その本人からメールというのは、どう考えても、あり得ない話だ。
 (みなみの生徒には、ほんとうに申しわけないが)瞬間的に、生徒のイタズラメールだと思った。
 しかし、読みすすめていくと、「阿倍野カトリック教会」「天王寺区清水谷の公園」「生野区の喫茶店」など、八木とわたししか知らない単語がでてきて、ホンモノの八木だとわかった。

 八木のメールによると、4/24の昼休み、部下の、生まれたばかりの子どもの名前で盛り上がり、互いの名前の同姓同名を「グーグルって」いるうちに、「所長(←八木のこと)、こんなのがありますよ」と、わたしのHPを教えられたそうだ。
 「自分の昔の葉書がそのまま掲載されている君のHPに衝突した。なにか虚空に向かっているような気がした」と八木は書いている。

◆「今のオマエの姿で、その人の前に立てるか?」の「その人」が、マサカ、マサカで次々に眼前に現れ出たことで、わたしは絶不調に陥る。
 現れ出なければ、わたしは絶不調に陥ることはなかった……と思う。
 2004までの、ま、好調とはいえないが、絶不調ではない、それなりの安定したペースで、ずっと生きていったと思う。
 そのままのほうがよかったのか、今の絶不調に陥るほうがよかったのかは、微妙だ。
 絶不調は、ほんとうに苦しい。
 もう立ち直れないだろう。
 しかし、この絶不調を知らないで、生きていくというのは、また大きな不幸であるような気もする。

 「4人」の話は、シンドイので、これで、いったん休むことにする。
 いや、もう話すことはないだろう。




★メモ

 あいかわらず市内の中学校は学年1年→2年→3年と進むに連れて成績が下降している。
 かつ、2つのグラフ(Web版では省略)を重ね合わせるとよくわかるのだが、下降の度合いがよりきつくなっている。
 この市は、ピンチだ。
 そのなかにあって本校の2学年、3学年はともに学力を維持している。
 「絶対に下げない作戦」が実った格好だ。
 今後は、低学力生徒に対して具体的な対策が立てられるかどうかが重要な課題になる。
 公立中のプロ教師として、塾や高等学校に「丸投げ」することだけは絶対に避けたい。
 対策強化期間第1期=9/21(木)~10/13(金)の2週間、第2期=10/25(木)~11/24(金)の3週間。
 叡智を結集。


  ★今年もカリンが実った。豊作だ。カタチもきれい。しかし、なんだか実が大きすぎる(←カリン酒の心配をしている(*^_^*)。  

         〈文責=小高 進〉


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★「お先真っ暗」という「焼き」が何度も入ることによって、いいモノが出来上がる……と、なぐさめている

2012-01-12 06:23:00 | 僕のモンマルトル日記

 

2012

01.12
枠組みの中には「断念」がない


★職員室通信「2006/10/05号~今のおまえの姿でその人の前に立てるのか?」を発行した。
 中味は――
 ①10月・全校朝会「『決意』するとき人間は強くなる」
 ②中教研コメント「青い山脈型授業が延々と続く 日本は滅びるでぇ イライラ編」
 ③「今のおまえの姿でその人の前に立てるのか?」
 ④メモ「授業つまずき生徒特別処遇強化期間」

 これは――いつもいつも同じ言い回しの説明で、ほとんど進展もなく、きまりが悪いというか恥じ入るというか、もう、こそばゆくて仕方がないのだが――昨年の12/8からスタートした「12/8(=ハワイ海戦記念日)から4年後(2015年)の8/15に至る3年と8ヵ月の僕の『新企画=新職員室通信』」の一環だ。
 まだ「試行錯誤版」といった段階で、今後、さらにアップして、アップして、ひとつの、ドッシリとした塊にすること、そのうえで、その塊を量産することを目指している。

 字数は、原稿用紙(400字詰)にして、約20枚。
 中味はまだまだ検討段階だが、字数については、この量で落ち着きつつある。

 なお、「試行錯誤版」の対象に「2006年/09月~10月」を選んでいるのは、この時期が、僕にたびたび訪れる「絶不調期」のひとつだったからだ。
 絶不調期には、その人間の「底」がくっきりと見えるような気がする。

 ☆「職員室通信」――今のおまえの姿でその人の前に立てるのか?――を読む&観る

★先に、試行錯誤版・職員室通信「2006/10/01」を発行したとき、
 ――この通信には「2006/10/01」という特定の時間の枠組みがある。
 ――やがて、この枠組みを取り払う。
 ――「2006/10/01」という枠組みを取り払って、周囲を見回すと、現在の時空間の只中に僕は存在する……という、いわば屋台崩しだ……。

 図示すると――

 この「通信」の枠組みを撤去する……というわけだ。
 実は、今回の「職員室通信」――今のおまえの姿でその人の前に立てるのか?――は、この「枠組み撤去」の可能性をさぐりつつ作成した。
 可能性をさぐりつつ……気づいたのだが、「枠組み撤去」は、それほどかんたんな話ではなさそうだ。
 一言でいうと、「文体」が違う。
 「通信」の枠組みの外、すなわち現在の文体は、次の定義に則っている。

 〈定義〉
 わたしのいう「文体」は、願望の「断念」が、絶対の条件になる。
 願望の「断念」を強いられることを前提としていないものは、「文体」ではない。
 「断念」の上に、願望の実現に向けて、「記述」の上で格闘する……悪戦苦闘する……その「記述」の「軌跡」が「文体」だ。

 すなわち、枠組みの中は、現在進行中の記録で、ここに「断念」はない。
 僕は、今、この発見に絶望している。
 「12/8(=ハワイ海戦記念日)から4年後(2015年)の8/15に至る3年と8ヵ月の僕の『新企画=新職員室通信』」は、お先真っ暗だ。
 ま、しかし、「お先真っ暗」という「焼き」が何度も入ることによって、いいモノが出来上がる……と、なぐさめている(^_^)v。

★関連記事
ふと気づいたら、わたしはわたしのうちで、みなみ退場(3/31午後12時)後の文体について考えている

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1月11日(水)のつぶやき→「★起きがけに(引き明けに)ニュースのチェックしていたら――斎藤明...」

2012-01-12 02:03:54 | 僕のモンマルトル日記
06:14 from web
★起きがけに(引き明けに)ニュースのチェックしていたら――斎藤明美容疑者のコメントの中に「特に大阪の人にはおわび申し上げます。偽名で勤務し、長く皆さんをだまし続けてきました」。僕の裡に、大阪のおっちゃん、おばちゃんたちと斉藤明美容疑者のおだやかな日常が浮かび上がる。

06:15 from web
★ひょっとしたら、「吉川祥子」がホンモノで「斎藤明美」が偽名なのでは?――荘周が夢を見て蝶になったのか、あるいは蝶が夢を見て荘周になっているのか?的な一瞬があったかもしれない……と思うと、少しこみあげるものがあったが、大阪のおっちゃん側からすれば、やはり「ああ、恐(こわ)」かな

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1月10日(火)のつぶやき

2012-01-11 01:56:44 | 僕のモンマルトル日記
20:42 from web
★ホームセンターで「お買い物」――フック、額縁の紐金具、電球型蛍光灯(パルックボールプレミア)、すき間ふさぎテープ、障子紙(アイロン貼り超強プラスチック障子紙)、充電式単三乾電池(以上)。買い物に慣れていないからあっちへこっちへ、頭もクラクラ。僕と同じような人もいて何度も鉢合わせ
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1月9日(月)のつぶやき

2012-01-10 01:58:40 | 僕のモンマルトル日記
05:45 from web
★DAKA古書店跡のカウンターで朝のコーヒー――(手鍋焙煎の)浅煎りマンデリン60%+深めパナマ20%+深めコロンビア20%――を飲んでいます。きのうはマンデリン50%で、マンデリンがパナマ+コロンビアに負けてしまったけれど、きょうは僕の望み通りの3つの豆が完全融合(*^_^*)
05:48 from web
★それぞれの豆の味から連想する時空間とは異なる、まるで原理の異なる時空に飛躍できる……というところがおもしろいですね(^_^)v
05:53 from web
★きょう、やること。まずやること――現在やりはじめている「12/8(=ハワイ海戦記念日)から4年後(2015年)の8/15に至る3年と8ヵ月の僕の『新企画=新職員室通信』」についての考察。現在は、現在の記述時空間が、過去の職員室通信時空間を内包するカタチになっている……→
05:57 from web
★やがて、僕の視点を「過去の職員室通信」側に置いて、「過去の職員室通信」側から、いわゆる屋台崩しをやって、キョロキョロと周りを見回したら、おお、現在やぁ~という状況を創り出するわけだが、この「屋台崩し」直前の状況を、図示して、わかりやすく解説すること。くわえて課題も列挙すること。
06:02 from web
★つづいてやること――先日の「2006/10/01発行・職員室通信~ブレないで 可能性を信じて 実践を積みかさねよう」のつづきの作成。今は、現在の記述時空間の文体と、「職員室通信」の文体が異なる。きょうは、ちょっといたずらして、「職員室通信」の文体を、現在記述の文体に近づけてみる
06:08 from web
★2006年職員室通信、ひとつ完成……というあたりで、本日の僕のエネルギーが尽きるのではないか? エネルギーが尽きたら、先日のTVウェークアップ!の新春スペシャルインタビュー「脚本家・倉本聰×岩田公雄」で観た、雪の中を歩く倉本聰氏のように、ヨロヨロと雪の中を歩いてみよう……と思う
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