職員室通信・600字の教育学

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江藤淳の肉体は滅びても

2009-07-24 10:18:10 | Weblog

★これは、今回の記事で紹介している子どものスズメではないが、大人のスズメも警戒距離が極端に短くなって、これくらい近づいても平気なようだ。


◆江藤淳の命日(7/21)。
 早朝に『西御門雑記』を読む。
 S58(1983)、日本経済新聞に連載した身辺雑記70編を一冊にまとめたものだ。
 1編あたり、約1400字。
 命日に、これを読もうと、わたしは数日前から決めていた。

 「地名という詩」……地名改変は、その土地にまつわる記憶を奪取するのみならず、その土地に籠められた詩と祈りを圧殺する。

 「様式なき世紀末」……新しい世紀末が近づきつつあるが、いまのところ20世紀の世紀末が、アール・ヌーヴォーというような1つの美的様式を生み出すような兆候が、果たして今日のどこかに見出せるだろうか。

 「『旗日』と晴れ着」……今年、わが家ではじめて日の丸の旗を門口に掲げたのは、1月15日の小正月の日である。永い年月、それでも大切にしまいこんであった国旗を取り出し、これも古い旗竿につけて、鎌倉の空になびかせたときには、さすがに多少の感慨があった。旗は歳月を経、旗竿も古びてはいたけれども、やはりわが家の日の丸も美しかった。

「里見氏を偲ぶ」……1度また大正文壇の回顧談をうかがいに行きたいと、思っていた矢先に訃報に接し、痛恨に堪えない。私はわざと、告別式に出なかった。出たら、今でも耳の奥に残っているは「そうかい。楽しみにしているよ」という里見氏の温かい声が、それ切り消えてしまいそうな気がしたからである。

 その他、「遊ぶ子供たち」「世界の言論統制」……と、読み進むうちに、いつしか活字の行間から、江藤淳の肉声(語り)が聞こえはじめた。
 江藤淳の肉体は滅びたが、まぎれもなく江藤淳はここにいる。
 そして、わたしにむかって語りかけてくれている。


◆江藤淳の肉声にまじって、わが家の庭の緑陰でさえずっているスズメの鳴き声が聞こえてくる。

 先日、スズメのバトルがあった。
 数羽のヂッヂッヂッヂッヂッという鋭い警戒音が、いつまでもやまない。
 玄関から庭に出てみると、木々の高い枝や、電線の上などで、数羽、警戒音を発しつづけている。
 わたしが姿を見せると、たいてい、サッと飛び立つのに、このときは、わたしの姿など眼中にないようだった。
 しばらくして、もう1回、同じようなことがあった。
 そのバトル以来、わが家の庭にやってくるスズメの数が少し減ったように感じる。
 スズメの生態のことは、まったくわからないが、スズメの世界にも派閥があって、一方がテリトリーを主張しているのだろうか?

 だが、うれしいことに、以前に画像で紹介した子スズメは、あいかわらずやってくる。
 今は、独り立ちをして、1羽でやってきて餌をたべている。
 親スズメにくらべて、警戒心がほとんどない。
 いわゆる警戒距離が極端に短くて、目の前にわたしがいても平気である。
 まだ子どもだからだろうか?
 あるいは、この緑陰で育ったという安心感があるのだろうか?
 この子スズメが2代目だとすれば、3代目になると、ひょっとしたら、わたしの手のひらで餌を食べるようになるかもしれない。

◆江藤淳の肉声が、まぎれもなく、ここにある……という状態を、自分のうちに内包しながら、表を歩いてみたくなる。
 雲のあいだから、ときどき木漏れ日がさす天気だ。
 いつもの、男桐下駄、カランコロン、鬼火、狐火、鞍馬天狗歩きで、馬淵川河川敷の自転車道を、約5000歩。

 歩きながら、自刃直後にも、テクテク、テクテク歩いたことを思い出した。
 弔いの思いを込めた、十和田湖一周、50㎞ウォークだ。
 志塚Tといっしょだった。
 歩いても歩いても、振りはらっても振りはらっても、自刃の夜の、鎌倉近辺を襲った激しい夕立、その暗渠に流れ込む雨水の轟音……というイメージが消えなかった。
 そのとき、途中から十和田湖も空模様が怪しくなり、最後の15㎞ほどは、雨中激闘、まさしく涙の弔いウォークになった。

 あれから10年。
 時間というのはありがたいものである。

◆江藤淳との出会いは、1965(S40)、江藤淳32歳、わたし17歳の頃だ。
 だから、肉声といっても、いろいろある。(これまでも、ヘタな大阪弁を真似する江藤淳など、このページでも紹介してきたが、「いろいろな語り」については、また別な機会に書くことにする。)

 命日、男桐下駄、カランコロン、鬼火、狐火、鞍馬天狗歩きのとき、聞こえてきた肉声は、その出会ったあたりのものだった。

 Y(山川)が帰って行くとき、私はバルコニイごしに坂を降りていく彼の姿が見えないかと、注意していた。
 しかし、下ですぐ車をつかまえてしまったのか、Yはいつまでたっても視野にはいって来なかった。
 私はYになにかをいい忘れたような気がしていたが、それは「×××」という看板に出ているあたりの朝焼けの一際美しかったということだ。(S41『日本と私』~「朝焼け」~)

 


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