職員室通信・600字の教育学

小高進の職員室通信 ①教育コミュニティ編 ②教師の授業修業編 ③日常行事編 ④主任会トピックス編 ⑤あれこれ特集記事編

ようやく、ここ(11月末、みなみ退場後8ヵ月)にきて、なにかしら、新しいスタートが切れそうな気がして

2009-11-30 12:24:50 | Weblog




◆外側の手続きの上では、みなみを退場したことになっているのだが、内側では、未退場の状態が継続している。
 それは、毎朝、みなみの夢で猛烈にうなされることから、よくわかる。

 精神の内部というのは、ま、たしかに、このように、みなみはこの日まで、あすからは……というふうにはいかないものだ。
 だが、しかし、しかし、ようやく、ここ(11月末、みなみ退場後8ヵ月)にきて、なにかしら、新しいスタートが切れそうな気がしてきた(*^_^*)。

 わたし自身の魂の、いわば置き場所とでもいうべき環境が整ってきたからではないかと思っている。
 いくつかあるうち、3点をあげる。





 1点は、古書店DAKAの書物の再編成だ。
 ここでは詳細な説明はカットするが、古書店DAKAにわが身を置いたとき、自分は何者で(=何者でしかなく)、どこから、どんな方法で、どこに向かわなければならないかが、あきらかになる(^_-)……という環境が、ほぼ整った。

 2点目は、自分の存在のカタチそのものである、HPのカタチの再構築だ。
 理想とするカタチに、グッと近づいている。
 特に、HP本体のカタチと、それを保存するgooブログのカタチが、ほぼ同じカタチのものになったことが、わたしに再出発の勇気を与えている。

 3点目は、散歩道(=哲学の道)の創出だ。
 わが街の景観形成のために努力している方々には心から敬意を表する者であるが、しかし、残念なことに、自然や環境の管理に才能のある人の割合は、他都市とくらべ、けっして多いとはいえない。(←すごく、シンドイ、言い方をしている(>_<)。)
 はっきりいって、美しくない。
 こういうなかにあって、自分が美しいと感じる「通り」と「場所」を、蟄居場所から連続的に組み合わせて、(ま、まほろば幼稚園・八戸キリスト教会の歩行者道の「終点」から根城城址の「入口」までの400メートルは未完成だが)5.5㎞の道をつくることができた。




◆新たな原理の扉の前に立っているような興奮を覚える。

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通りの雰囲気、家並みのたたずまい、樹木の大きさとかたち等、奇跡的に好きな道と場所だけを組み合わせて

2009-11-28 16:28:26 | Weblog


 新しい原理の扉の前に




◆あたたかい季節の散歩のスタイルは、
(1)はなむけ号(折りたたみ自転車)の7段変速のうち、1~3変速限定の低速浮漂。
(2)はなむけ号で、あるポイントまで走行し、たとえば河川敷まで行き、そこから、男桐下駄、カランコロン、鞍馬天狗歩き。

 しかし、これからは、はなむけ号が使えない季節になるので、蟄居場所から、ずっと歩行というコースを設計する。





(1)蟄居場所から根城通り
→(2)根城城址・桜木町線
→(3)長根運動公園(を抜け)
→(4)教育会館裏付近→まほろば幼稚園・八戸キリスト教会経由、根城城址に至る歩行者道(←今回、発見*^_^*)
→(5)根城城址内(浮漂)
→(6)根城城址・桜木町線
→(7)根城通りから蟄居場所へ。

 総距離=5.5㎞
 途中にある喫茶店=6店
 公衆トイレ=3箇所^^;




◆通りの雰囲気、家並みのたたずまい、樹木の大きさとかたち等、奇跡的に好きな道と場所だけを組み合わせて、コースをつくることができた。
 長根公園から根城城址に至る歩行者道は、今回、初めてその存在を知った。
 歩数にして約8000歩。
 1時間10分くらい。
 喫茶店に寄ったり、画像を撮ったりしていると、2時間くらいになるかもしれない。

 なんだか、新しい原理の扉の前に、立っているような気分になる。






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「文学&哲学」のなかに「教育」の飛び地ができたことが、わたしの精神に悪影響を及ぼし、「透きとおるよう

2009-11-28 12:03:14 | Weblog




◆前にも書いたように、古書店DAKAの書架から放たれていた、透きとおるような静謐さが失われてしまったので、昨日、午後、時間をかけて整理する。

 〈整理・分類の手順〉

(1)「教育」と「文学&哲学」をキチンと分ける。
 みなみ退場時、みなみから持ち帰った教育書の処理に困り、適当に書架に収めたために、一部混在しているブロックがある。
 教育書は教育ブロックに、書架が前後二重になってもいいから、むりやり収める。

(2)「教育」と「文学&哲学」、それぞれにおいて
 A=現在、自分の精神に初速度、あるいは加速度を与えている書物
 B=かつて、初速度、あるいは加速度を与えた書物
 C=自分の精神となんの関係もない書物
 D=自分の精神の重心となる書物
 もちろん、AとD、BとDは重なるものもある。

◆整理してみて気づいたこと、2点。
(1)「教育」と「文学&哲学」の一部混在、別な言い方をすると、「文学&哲学」のなかに「教育」の飛び地ができたことが、わたしの精神に悪影響を及ぼし、「透きとおるような静謐さが失われてしまった」と感じさせていた。

(2)上記のA・B・C・Dについて。
 Dは、ほとんど不変。
 A・B・Cの峻別は、かなり効果的である。
 A・B・Cの混在は、精神を堕落させる!(^^)!ということが、よくわかった。




◆今後の課題は、Cはいいとしても、AやBは、それぞれの中で、古書店的な分類が必要。
 これが、古書店としての主張になるわけだし、いちばんおもしろいところなのだが、もう少し落ち着いたらやることにする^^;。

 画像は、上=教育ブロックの一部。横積みになっている文庫本は、上から沈んでくる棚を支えている。その上からも沈みはじめているので、現在、写真がある場所にも、新しい支えが必要だ。

 下=書架の隅に、飾りとして、昔、使用していたSWR&パワー測定器とアンテナチューナー(^_-)。


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産経の「正論」とは、元々この程度のものだったのか? それとも新保祐司に産経の「正論」は荷が重いのか?

2009-11-26 07:20:13 | Weblog


◆けさ、WEB産経・「正論」で、次のような記述にでくわした。

【正論】文芸批評家、都留文科大学教授・新保祐司

(前略)この二人に共通しているのは、肩書がつけにくいということである。いいかえれば、肩書を超越している。森繁さんの死亡記事にも、「ラジオ、映画、舞台、テレビ、歌、エッセー…と芸域の広さ云々」と書かれているように、俳優とも歌手とも何ともいい難い存在である。

 やはり、森繁久彌は森繁久彌とだけいえばいいのである。長嶋茂雄が、元プロ野球の選手とも監督ともいえず、ただ長嶋茂雄という名前だけで通用する人間であり、どんな肩書もふさわしくないのと同様である。

 ≪根底にある詩人の本質≫

 しかし、あえてつければ森繁さんは、詩人であるというのが最もその本質に近いように思われる。その演技、語り、歌い方の根底にあるのは、この詩人性であり、そこから、独特の深み、味わい、抒情が生まれてくるのである。

 このことをはっきりと感じさせてくれるのが、2001年、88歳のときに吹き込んだCD「森繁久彌愛誦詩集」である。このCDには、詩を愛してやまない森繁さんが、特に愛誦する詩を選んで朗読した25編が収められている。


◆ここまで(もう精神の表層部分まで拒否感が沸々しているのにガマンして)読んだとき、ひとつの確信があった。

 25編の中に、わたしの好きな詩は、絶対に含まれていない……と。

 室生犀星の「小景異情」「春の寺」、佐藤春夫の「少年の日」「琴うた」「海辺の恋」、中原中也の「渓流」「湖上」「汚れっちまった悲しみに…」、北原白秋の「落葉松」、島崎藤村の「小諸なる古城のほとり」、萩原朔太郎の「利根川のほとり」、矢野峰人の「行春哀歌」、宮沢賢治の「雨ニモマケズ」、与謝野晶子「君死にたまふことなかれ」、大木惇夫の「空と海」「戦友別盃の歌」、三好達治の「おんたまを故山に迎ふ」、新川和江の「歌」、井伏鱒二の「なだれ」、そして森繁さんの自作の詩6編である。

◆やはり、予期したように、1編もなかった!(^^)!。
 というか、これまでの人生、全身で、忌避してきた、詩人・詩編ばかりだ。

 こういうケースで、カスリもしない……というのが、わたしの特質で、この特質のために、どこでもかしこでも苦しみつづけてきたのだ。

 それにしても、朝×→毎日→読売、そして、遂に産経まで、流れ流れてきて、その産経で、こんなものを読まされるとは思いもよらなかった。
 産経の「正論」とは、元々、この程度のものだったのか?
 それとも、新保祐司に産経の「正論」は荷が重いのか?


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遂に、念願の、スーパー白鳥号のグリーンカー、2&1配置の1配置席のほうで旅をすることができた

2009-11-25 16:15:43 | Weblog



◆遂に、念願の、スーパー白鳥号のグリーンカー、2&1配置の1配置席のほうで旅をすることができた(^_^)v。
 革張りの1人掛け大型シート。
 木製の肘掛け。
 可動式のヘッドレスト……。
 シートに包み込まれるようにして、深海を浮遊する感覚は最高(*^_^*)なのだが、乗車できた区間は、八戸・青森間の、たった58分間だけ(>_<)。
 会議(青森県地域教育力推進協議会)出席のため、青森駅で下車。
 ほんとうに、もっともっと乗っていたかった。
 近日中に、再び、このグリーンカーに乗り、八戸・函館館を往復したいと思っている。




◆日中、列車に乗る場合、通常、次の4つのケースがある。

 普通&快速&急行列車……ロングシート、またはクロスシート(4人で1ボックス)。
 特急列車自由席。
 特急列車指定席。
 特急列車グリーン席。
 (快速・普通列車のグリーン等は除く。)

 最近、すなわち、みなみ退場後、普通列車、または、グリーンカーを選択し、特急自由席や特急指定席を避ける傾向にある。
 精神の表層部においては、特に思いあたる理由はない。
 しかし、普通列車というのはわかるが、グリーンカーというのは、お金があるわけでもないのに、どうしたのだろう?
 精神の深層部で、何が起こっているのだろう?
 ひとつ、ひょっとしたら?……と思うのは、特急自由席・特急指定席に座る「人種」を避けているのかもしれない……ということだ。
 この「特急自由席・特急指定席に座る人種」というのには、もちろん、みなみ在職時の自分が含まれているわけだけれど……。


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古書店DAKAの書物から静謐さが失われたように感じるのは、この冬空との対比からかもしれない^^;

2009-11-23 14:48:25 | Weblog



◆わたしが小学校3、4年生の頃に、ある日、昼寝から目が覚めたら、視界が白と黒の世界になっていた……という話を、少し前にした。
 人生、最初に自覚した、いわゆるメランコリックな状態。
 暗い。
 悲しい。
 シンドイ。
 なにもしたくない……。
 子どものわたしは、これは、いったい、どうしたことだろう?と動転する。
 自分の気持ちを明るくするために、いろいろと、必死に、涙ぐましい努力を重ね、遂に「あっ、きょうは、朝潮(朝潮太郎・大阪太郎)と若ノ花の相撲がある」とつぶやいた時、視界が少し明るく彩られることに気づく……という話だ。

 この現象は、のちの人生でも、たびたびくりかえされるわけだが、それは、その都度、人生の大転換?ともつながっている。

◆たぶん、今、その白黒現象が起きているのだろう。

 2、3日前から、古書店DAKAの古書の姿が、美しくない……、静謐さが消滅しガサガサしている……、すべて廃棄すべき対象……に見える。
 以前とくらべて、古書店DAKAの内部の、どこかが変わったわけではない。
 以前とくらべて、散らかっているわけでもない。
 なのに、突然、ガサガサ、醜く……感じるようになった。

 自分のうちに、自分では気づかない変化が起きて、これまで見えなかったものが見えるようになった……ということなのだろうか?

◆このことについて、深い考察抜きに、今後の思考の踏み台として、2点述べる。

 1点は、最近、根を詰めてやっている作業に、(前にも触れたが)過去記事の、「Eduブログ」から「gooブログ」への、手作業による移動がある。
 この作業時に、魂が、ここ(古書店DAKAの中、あるいは、このHPページの上)から、いったん抜け出して、過去記事の中に移動して、その後、元にもどろうとするときに、きちんと元の古書店DAKAにもどれないということが、よくある。
 このことによって、これまでと違った視点、あるいは角度で、古書店DAKAの古書の姿を見てしまう……ということかもしれない。

 もう1点は、古書店DAKAのコンセプトの再確認。
 このことについての、ここ数年の思考の枠組みは、
(1)古書店DAKAの古書は、わたしの精神構造そのものである。
(2)この精神構造を整理して「商品」としてお客様に見てもらう(=精神構造の「露出」)
 ――となっている。
 しかし、なにかのハズミで(例=上記の過去記事の移動作業など)、精神構造と商品の陳列とにズレがあることに気づいた……ということかもしれない。

◆こういうことを書きながら、実は、既に古書店DAKAの改造作業をすすめていて(^_-)、わたしのイスの周囲に、書物の山がいくつもできはじめている。

〈古書の新分類〉
 【教育】
(1)現在、精神に初速度あるいは加速度を与えている書物
(2)過去に、初速度あるいは加速度を与えた書物
(3)精神に、どのような作用もない、あるいは、なかった書物

 【文学】
(4)現在、精神に初速度あるいは加速度を与えている書物
(5)過去に、初速度あるいは加速度を与えた書物
(6)精神に、どのような作用もない、あるいは、なかった書物

(7)堀辰雄&堀辰雄関連の書物
(8)江藤淳&江藤淳関連の書物

(9)【哲学・倫理学】

 いちばん先に、(4)から手をつけた。
 ぜんぶで、28冊だった。
 この28冊を、古書店DAKA内から、食卓(お好み焼き屋)付近の造り付け書架に移動する(*^_^*)。




◆古書店DAKAの窓から見る冬空の風景だ。
 古書店DAKAの書物から静謐さが失われたように感じるのは、この冬空との対比からかもしれない^^;^^;。


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小さなスズメにくらべて、強烈な存在感があって、そのぶん、今、彼が何を考えているのかも、よくわかる

2009-11-18 12:34:24 | Weblog




◆毎日、毎日、にぎやかにやってきていたスズメが、あるときからピタッと来なくなった。
 1年間のスズメのライフサイクルというものがあって、また時期になるとやってくるのか?……
 あるいは、レオン小屋撤去(屋根に水飲み場&餌場があった)や、巣箱の位置の移動など、環境の変化を敏感に感じとったのか?……
 あるいは、ときどきカラスに追われたり、ネコに脅かされる場面を見たことがあるが、そういう恐怖が積み重なり、限界点を超えてしまったのか?……
 よくわからない。
 とにかく、まったく姿を見せない。
 鳴き声も聞こえない。

 代わって、画像のヒヨドリが、毎日、やってくるようになった。
 1羽でやってくることもあれば、2羽でやってくることもある。
 きょうは1羽だ。
 小さなスズメにくらべて、強烈な存在感があって、そのぶん、今、彼が何を考えているのかも、よくわかる(^_-)。

 スズメが来なくなったいちばんの原因は、彼かもしれない。
 わたしは、スズメがいなくなって、ヒヨドリがやってきた……と思っているが、真実は逆で、彼がやってくるようになって、スズメが恐怖を感じで立ち去ったのかもしれない(*^_^*)。




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ふたりっ子はん深夜特急№2 本日の乗客〈高子姫〉〈老鴉〉〈さくら姫〉来てしまいましたぁ。さくら姫です

2009-11-17 15:08:27 | Weblog
ふたりっ子はん深夜特急 №2
■庁舎を出たのは、もう遅い時刻だった。
 いつもなら夜じゅう、光りを放つ向かい側の警察署は、三月末に移転したため、その部分だけ暗闇を貼り付けたようになっている。
 市民広場を通り抜けると、道路を走る車のライトや洒落た街灯、ショーウィンドーの灯りで、あたりは急に明るくなる。
 路上の花器に飾られた花束。
 ラベンダー色のスーツを着たマネキン。
 壁じゅうを埋める掛け時計。
 普段の通勤路なのだが、こんなふうに店内をのぞきながら歩いたことはない。
 身体が軽い。
 ドラマのセットの中にでもいるような気がする。
 たぶん『ふたりっ子はん深夜特急』が、寺田町駅を出発するとき、身体じゅうを駆け抜けた興奮が、まだ覚めていないからだろう。〈深夜特急〉
■本日の乗客
 〈高子姫〉
 〈老鴉〉
 〈さくら姫〉
■深夜特急さん。このあいだは ホンマにサンキュー。
 私の日記 読みはった?・・・クククッ ほんま 私のアホさがよぉ-わかるでしょ。
 なんか最近ダラダラした生活を過ごしてます。
 あかんわ これじゃあ
 なにかおけいこ事でもはじめたいんやけど。
 私にはこれってのがないんよ・・・。

 こないだインテックスで釣の催し物がありいろいろ買った。500円で袋を買うと抽選ができて、その抽選とは別にアンケートに答えるとパジェロミニが当たる抽選があった。
 もちろん買ったよ・・・。
 抽選の方は7等と参加賞。
 くやしくてもう2回分買うてやったけど、おなじく7等と参加賞・・・
 車の方も残念ながらハズレ
 当たった人は鳥取県の人やった。
 おーい そんな遠くからくるなよぉぉぉぉって感じ。
 釣竿や釣竿入れ、防寒着、リールを買った。
 これやったら ホンマに 釣に行かないといけなくなってしまった。
 けど、自分専用ができるっていいね。大事にきれいにつかお-っと。 
 深夜特急さん ほな  〈高子姫〉

■こんにちは、老鴉でございます。
 コンピュータ専門の人やろか?と、おっしゃっていますが、ちゃいます、ちゃいます。
 ネット初心者でございます。
 未だにプリンターも持っておりません。
 貧乏人でございます。
 さて、インターネット上での文体に関しては、頷くことが大いにあります。
 話し言葉ではなく、書き言葉でもなく、確かに異種な文体であると思いますね。
 チャットにしても、当然タイムラグは生ずる訳で、純粋なリアルタイムコミュニケーションは望めない。
 とは言え、BBS等では会話形式が基本となることより、「放り投げっ放しの会話体」となるんじゃないでしょうか?
 ここ数年、芝居の台本を書いております。(あ、正体バレる......)
 あれも不思議なもので、原則として会話体ですよね。
 まあ、独白もありますが........。
 でも舞台上で交差している演技者同士のベクトルは、明らかに観客へ向けても放出されている訳で、その辺が楽しくもあります。
 一頃のようにメッセージ色の強い芝居には、もう辟易してはいるのですが.......。
 えー、拙い書き込みではございますが、後ほどまた御邪魔させていただきたいと存じます。
 書き逃げで、本日は失礼、すたこらさっさ。
 あ、私メ、花粉症が始まりまして辛い日々を送っております。
 どちら様も御自愛くださいませ。  〈老鴉〉

■来てしまいましたぁ。
 さくら姫です。
 ふたりっ子さん、私が誰だか分かるでしょうか?
 フフフ・・・秘密にしときましょうね。
 アリランさんにも聞かないように・・・。(笑)
 もし、もう教えてしまっていたらつまらない結果になりますね(笑)
 とりあず、きちゃいました。
 さくら姫のHPにもいらして下さいね。
 では、さくら姫でした。  〈さくら姫〉

先週末、五所川原へ行って来ました。〈小春のパパ〉

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試合会場からの帰路、「先生、いい道、知っているから」と誘われて、入りこんだのが、この画像の世界だった

2009-11-17 14:13:46 | Weblog

 教職の世界にmelt away

★教職に就いて1年目の市中体・秋季大会。
 試合会場からの帰路、「先生、いい道、知っているから」と誘われて、入りこんだのが、この画像の世界だった。
 そのときのショックに近い感触が、今も自分のうちに、2つ残っている。
 1つは、山門(光龍寺)を隔てた、街路と異次元との落差。
 もう1つは、延々と連なる、墓石・卒塔婆・石塔・鳥居・狛狐……の、めくるめく感覚。

 入りこんだときの感覚に対して、脱出するときの感覚と、それから先の時空間ことが、はっきりとしない。
 わたしは、入りこんだわたしと、脱出したわたしとが違うのではないかと思っている。
 これを境に、学生時代までのわたしが、教職の世界にmelt awayしていったのではないかと、まじめに考えている^^;^^;^^;。


    

    

    

    

    


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ずいぶん、ウジウジしていたが、いよいよ「ふたりっ子はん深夜特急」を再出発させることにした

2009-11-17 04:01:52 | Weblog

    


◆作業のとき、プリントや切り抜き等で、テーブルのまわり、イスの上、床面が、散らかってしまう。
 それを避けるために、このアコーディオンボックスを使っている。
 30仕切り。
 伸ばすと60センチ、縮めると5センチくらいになる。
 この画像は、2代目のアコーディオンボックス(昭和63年購入)だ。
 初代(昭和49年購入)は、もうボロボロで、ジャバラの角も取れ、貫禄がある。

 2代目は目前の作業用、初代は長いスパンの作業用というふうに使い分けている。


◆少し前に、過去記事を、「Eduブログ」から「gooブログ」に、少しずつ、手作業で移動していると書いたことがある。
 この作業時に、魂が、ここ(古書店DAKAの中、あるいは、このHPページの上)から抜け出して、過去記事の中に移動してしまうことがある。

 次の記事のときも、そうだった。
 少し長いが、そのままコピーする。


[2007年05月28日(月)]

■家では、かなりの期間(少なくとも半年以上)、自分の部屋で過ごすことができなかった。

 ほとんど居間でパソコンに向かっていた。

 つけっぱなしのTV。
 → 男が犬を連れてあちこちの犬を訪ねていく番組(この犬はもう死んでしまったらしい)。
 → 一晩泊めてくれと頼んでは断られ断られしながら最後に宿にありつき、翌日、涙で別れる番組。
 → 若い夫婦がエピソードを語り、漫才師(落語家か?)がつっこみを入れ、時々、イスから転げ落ちる番組。
 → 太った男があちこちの店でどんぶりとかステーキとかをパクついて「うま~いィ~!!」と叫ぶ番組……。
 こういうのが延々と、ぶっつづく。

 わたしの場所ではないから「TVを消してくれ」とは言えない。
 いや、元々「消してくれ」などと言うつもりはない。
 ひとりで存在することに耐えられないから、自分から進んで、こういう場所に出てきたのだ。
 だから、これでいいのだ。

 台所の炒め物の音。
 電気釜のご飯が炊きあがる音。
 蛇口から噴きでる水の音……。
 ま、これらの状況を、わたし流にいえば、「開かれた孤独空間」だ。

■しかし、もうそろそろ元の「閉ざされた空間」にもどらなければならない。
 何度か試みて、やはり孤独に耐えられなくて、失敗し、失敗し、ある時、ああ、そうだ、部屋を自分の気に入った空間に、徹底してつくりかえればいいかもしれないと思いついた。

 まっ先に、浮かんだのは古本屋のイメージだった。
 ビューポイントとして次の2点。
 ①古本屋のように書物を床から天井まで無駄なくピッチリと並べること。
 ②蔵書を商品として客が手に取りやすいように工夫して配列すること。

 2つのうち、①は取り立ててどうということはないが、②はわたしの人生では画期的な発想だ。
 これまで人目に触れないように隠してきた自分の作品も、特別コーナーをつくって展示してみよう。
 蔵書というのは、イコール、自分の精神構造だ。
 これを「商品」として露出させようというのだ。

 喫茶店内包というのもいいが、これはややありきたりだ。

 ビューポイント③としてお好み焼き屋内包というのはどうだろうか?
 結構、本気なのだが、喚起対策がたいへん……。

■5/27 午後3時からの岬台地区連合町内会定例総会・懇親会。
 出発まてに、中途半端な時間ができたので、さっそく、造り替えの作業に入る。

 わたしの部屋を古本屋にするには、まず書物の背の部分(=書棚の前面部分)にごちゃごちゃと並んでいる物を書棚から撤去しなければならない。

 ギネスの空き瓶。
 大阪バファローズ梨田監督のマスコット人形……。(これらの物の名前を並べ立てればおもしろいかもしれないが、時間のムダなのでやめる。)
 いったん床面に並べる→分類する→収納または捨てる……という計画で、書棚からおろしはじめたら、足の踏み場がないくらい散らかってしまった。

■1つ、処理に困る物が出てきた。
 名刺大のブレーンストーミングカードの束だ。
 目分量で600枚くらいある。
 すべて是川中勤務時代のものだ。
 教職員への指事事項・全校朝会スピーチのプロット・経営の重点・備忘……等、思いつきメモだ。

 〈例〉
 ○朝、玄関ロビーの照明
 ○過去の記述の書きかえ=自分の書きかえ
 ○単語だけでも並べてみよう
 ○B面人生、パリーグ人生……。

 10年間うち捨ててあった。
 SZK氏なら、荒涼たる精神の廃墟というかもしれない。
 その廃墟の半開きの内部の暗闇をもう少しだけのぞいてみる。

 ○黒田医師の語り。
 ○単なる自己満足の毎日全員個人面談
 ○少しずつ形を変えて何度でも
 ○事務職員が生徒から集めたアンケートをもとに「……の指導がダメですね」「……は改善してください」と平然と言える経営者
 ○立派な目標よりどんなネタで勝負するか?だ
 ○昔の朝学習プリントの処理をめぐる議論
  ×崎T「済んだら捨てる」
  小高「必要なところがあれば切り抜いて張る」
  村×T「きちんとファィルする」
 ○教師が勉強の仕方を強制すると失敗する
 ○シートンの略歴
 ○特定の部門が際だつ経営者
 ○平として学校を動かした経験の有無
 ○参観日保護者アンケート
 ○書物に傍線を引き、その傍線部分をもとに語るのはやめよう
 ○教師は成果が見えやすいものに熱中する。部活。
 ○大阪生野区のアイデンティティ。オリジナルでないとアカンよ。
 ○リーダー指導。集めるだけでもいいから。
 ○時間を与える。心を与える。
 ○コメントは教育行為の核
 ○複数学級担任制の職務の分担
 ○週報目標は方向目標→到達目標に。
 ○教育哲学の筋力アップ
 ○仁科のねばり・継続力
 ○八戸のスィマー
 ○(校内人事構想メモ)多数
 ○(学校部活動改革メモ)多数

 もちろん全部、粉々に廃棄する。
 こうして一部をアップしたのは、廃棄のための、いわば儀式。

■岬台地区連合町内会定例総会・懇親会。
 内輪だけの会合。
 アットホームな雰囲気がいい。
 参加するたびにホッとする。

 席上、Sさんという女性に声をかけられる。
 なんと、あの、あこがれの『青光館哀史』の小子内出身の、旧姓小子内さんだとおっしゃる。
 一昨年、わたしの小子内・清光館哀史特集のブログを見てくださったそうだ。
 目の前の画面に、小子内の風景が次々に開いたので、ドキドキしたそうだ。
 いや、わたしも、まさか、小子内の小子内さんに見てもらえるなんて、シンジラレナイ!
 感激で胸がいっぱいになる。
 人生、ホンマ、いいこともあるものだ!(^^)!!(^^)!!(^^)!。

[2007年05月28日(月)]の記事 以上


◆自分の部屋で過ごせない、苦しみの時期や、鬱屈の是川時代、あるいは、小子内の小子内さんに出会った感激の場面を、魂が、さ迷いはじめる。
 それはそれでいいのだけれども、ここ(現在の古書店DAKAの中、あるいは、このHPの、このページの上)が、完全に、魂が抜け去った、もぬけのカラ状態になる。
 昨日は、「ああ、魂が抜けるというのは、こういうことをいうのかぁ~」と、強いショックを受けた。

 以前は、こういうことはなかった。
 どうしたのだろう?
 みなみ退場にともない、自分の、うちの、なにかが、変質したということだろうか?
 少し考えてみたい。
 また、そういう現象が起こるのであれば、それを逆手にとった「企み」も考えてみたい(^_-)(^_-)(^_-)。

◆ずいぶん、ウジウジしていたが、いよいよ「ふたりっ子はん深夜特急」を再出発させることにした。
 5年半ぶりだ。
 1年間限定で、来年の11月16日にゴールする。
 前回の「ふたりっ子はん深夜特急」(2001/3~2003/3)では、自分のカタチが裏返しになるくらい、自分に大きな変化があった。
 今回は、どうだろう?
 走行のカタチが、まだ、はっきりしているわけではない。
 走行しながら、つくっていきたい。 


ふたりっ子はん深夜特急
■午前中に退職する人たちの辞令交付式があった。
 午後は、その人たちが各課にあいさつ回りをする。
 海辺のS中でいっしょに勤めた小泉さんが来た。
 B小の町村校長が来た。
 2人と握手したとき、小泉さんからは20年前の、町村校長からは10年前の、その当時のあたたかさが伝わってきた。
 かつて宴席で意気投合し、「教育革命!」と気炎をあげたC村の安倍社会教育主事も来た。

 次から次に人が来た。
 あちらこちらから拍手が聞こえてくる。
 わたしたちの課でも亀井課長補佐を送り出した。
 わたしが送辞を述べ、亀井さんが答辞を述べた。
 花束を渡し、くす玉を割った時、亀井さんが、メガネをはずし、大泣きしたので、亀井さんの顔に紙吹雪がへばりついた。

 こんなふうにして年度最後の一日が過ぎていった。
 この1日で、何年分もの時間、いや、時空間が、流れたように感じる。
 庁内が静かになったのは、午後6時を過ぎた頃だった。
 5階の窓から外を見ると、日はもう沈んでいたが、西の空にはかすかな明るさが残っていた。
 朝方に降った春の雪が、街の屋根屋根を覆っている。
 雪の白と、空の青とが溶け合って、実に夢幻的な光景だった。

 やがて、その光景も闇に飲み込まれていく。

 いよいよ「ふたりっ子はん深夜特急」の出発である。
 今、出発しないと、もう永遠に出発するチャンスはないと思った。(深夜特急)。
■本日の乗客
 〈スカーレット〉
 〈老鴉〉
 〈miti〉
■いつものように、5時に起きて本を読んだり、音楽を聴いたり何の変わりもなく始まる1日。
 今日は、『マイ・ハート・ウイル・ゴー・オン/タイタニックのテーマ』を聴きました。
 誰もいない部屋で……今日も、1日ポジテイヴに生きれるように……充電するんです。
 私って、バッテリーみたいな人間なんです。その後の1杯のコーヒーが美味しいこと。
 ふたりっ子はん、人間にとって「完璧な幸福」というのは、この世の中に存在しないと思いませんか?
 たとえ、大富豪になっても……大臣になっても……、必ずしも幸せだとは限らないと思います。
 しかし、お金は人間を幸福にするもののひとつではあるけれど……、すべてではないと私は思います。
 どこまであっても、満足に限りがないですよね。
 私は、ささやかな朝の時間と空間と1杯のコーヒーが、一番幸福と感じます。
 この頃、「幸福って自分が楽しめることを、どれだけ見つけられるか」って感じるようになりました。
 本当の財産って、出逢ったすばらしい人といい時間を過ごしたかではないかな~と思います。
 信じることとは、裏切られるかもしれない不安・恐怖も含めて、なおかつ、信じることかもしれませんね。
 ふたりっこはん、どうぞ深夜特急便走らせて下さい。
 みんなが、待ってますよ。

 異次元?へ いざなう……。
 いつでも……。
 どこでも……。
 心のおもむくままに……。
 「異次元」の世界の道しるべとなりましょう……。
 ここは、名もない花が、風に揺れている、おだやかな世界……。
 そして、胸ときめく世界です……。(スカーレット)

■お初にございます。
 三田村氏より、ここのURLを入手いたしまして、お邪魔いたしました。
 文学・哲学には無縁の輩ではございますが、どこかに足跡を残さねばと、こちらに書き込みさせていただきます。
 あちらの掲示板では、まだちょっと入りにくいなと.……。
 後ほど、あちらにも出没させていただきたいと思います。
 ではこれにて失礼仕ります、すたこらさっさ。(老鴉)
■こんばんは。
 おはようございます。(miti)
■老鴉はん、こんにちは。
 といっても老鴉はんて誰やろ?
 ネット上の、この無署名性というのは、なかなか魅力的でもあります。
 わたしも「ふたりっ子はん深夜特急」ということで、いわば無署名性+疑似ドキュメンタリー的手法でやっていこうと思っていますけど、この先、どういう展開になるのかは、皆目、ワカリマヘン(*^_^*)。
 このインターネット上で試してみたいことがいくつかあります。
 ①1つは「文体」の問題です。
 インターネット上の文体は、以前、三田村はん(別名、縄文はん、木彫はん)とも話題にしたんですが、明らかに手紙文体とは違います。
 私は手紙魔(はがき魔)です。
 けど、手紙を書くというと、やはり文体を整え、表現を推敲し、さらにポストの前で投函するかやめるか、ぎりぎりまで迷います。
 「未投函集」というファィルがあるくらいです。
 ところが、インターネット上では、(わたしの場合)、手紙のような自制+自省は働きません。
 話しことばの延長線上の言語なんでしょうね。
 これを痛烈に批判する人もいますけど、わたしは、「話しことば」「書きことば」とは別種の「第3のことば」として可能性を感じています。
 結構、他人のHPを開けて、日記を読むんですが、あっと息をのむような、透き通って、光り輝いている、新型文体に接することがあります。
 私のはまだまだアキマヘン……。
 ポロっと、陳腐な表現でごまかすとこがありますからね。
 けど、これから修業してみます。
 老鴉はんて、コンピュータ専門の人でしょうか?
 ちょっとわかれへんけど、たぶん詳しい人やろから、こういう点について、また教えてください。(深夜特急)

■miti さん、こんばんは。
 上の画像と、犬の種類は違いますが、道がレンガ敷きなので、同じ場所でしょうかね。
 これ、みんな、miti さんの犬なのでしょうか?
 わたしは、子どもの頃から、またがって乗れるくらいの犬しか飼ったことがないので、小型犬をみると、へぇ~、こういう世界もあるんだぁ~と驚いてしまいます(*^_^*)。

 わたしの師は、コッカースパニエルしか飼わなかった人です。
 たしか、初代、2代目、3代目と、ぜんぶ、アメリカンのコッカースパニエルでした。
 死んだときには、ボロボロ泣いていました。

 ちゃんとしつけをして、めんどうをみてくれる人がいるなら、こういう小型犬が、自分の身のまわりにいるという世界も、いいかなぁ~と、miti さんの画像をみています^^;^^;^^;。(深夜特急)


 


★小高進の公式HP・600字の教育学へ

 


ずいぶん、ウジウジしていたが、いよいよ「ふたりっ子はん深夜特急」を再出発させることにした

2009-11-16 06:42:23 | Weblog

    


◆作業のとき、プリントや切り抜き等で、テーブルのまわり、イスの上、床面が、散らかってしまう。
 それを避けるために、このアコーディオンボックスを使っている。
 30仕切り。
 伸ばすと60センチ、縮めると5センチくらいになる。
 この画像は、2代目のアコーディオンボックス(昭和63年購入)だ。
 初代(昭和49年購入)は、もうボロボロで、ジャバラの角も取れ、貫禄がある。

 2代目は目前の作業用、初代は長いスパンの作業用というふうに使い分けている。


◆少し前に、過去記事を、「Eduブログ」から「gooブログ」に、少しずつ、手作業で移動していると書いたことがある。
 この作業時に、魂が、ここ(古書店DAKAの中、あるいは、このHPページの上)から抜け出して、過去記事の中に移動してしまうことがある。

 次の記事のときも、そうだった。
 少し長いが、そのままコピーする。


[2007年05月28日(月)]

■家では、かなりの期間(少なくとも半年以上)、自分の部屋で過ごすことができなかった。

 ほとんど居間でパソコンに向かっていた。

 つけっぱなしのTV。
 → 男が犬を連れてあちこちの犬を訪ねていく番組(この犬はもう死んでしまったらしい)。
 → 一晩泊めてくれと頼んでは断られ断られしながら最後に宿にありつき、翌日、涙で別れる番組。
 → 若い夫婦がエピソードを語り、漫才師(落語家か?)がつっこみを入れ、時々、イスから転げ落ちる番組。
 → 太った男があちこちの店でどんぶりとかステーキとかをパクついて「うま~いィ~!!」と叫ぶ番組……。
 こういうのが延々と、ぶっつづく。

 わたしの場所ではないから「TVを消してくれ」とは言えない。
 いや、元々「消してくれ」などと言うつもりはない。
 ひとりで存在することに耐えられないから、自分から進んで、こういう場所に出てきたのだ。
 だから、これでいいのだ。

 台所の炒め物の音。
 電気釜のご飯が炊きあがる音。
 蛇口から噴きでる水の音……。
 ま、これらの状況を、わたし流にいえば、「開かれた孤独空間」だ。

■しかし、もうそろそろ元の「閉ざされた空間」にもどらなければならない。
 何度か試みて、やはり孤独に耐えられなくて、失敗し、失敗し、ある時、ああ、そうだ、部屋を自分の気に入った空間に、徹底してつくりかえればいいかもしれないと思いついた。

 まっ先に、浮かんだのは古本屋のイメージだった。
 ビューポイントとして次の2点。
 ①古本屋のように書物を床から天井まで無駄なくピッチリと並べること。
 ②蔵書を商品として客が手に取りやすいように工夫して配列すること。

 2つのうち、①は取り立ててどうということはないが、②はわたしの人生では画期的な発想だ。
 これまで人目に触れないように隠してきた自分の作品も、特別コーナーをつくって展示してみよう。
 蔵書というのは、イコール、自分の精神構造だ。
 これを「商品」として露出させようというのだ。

 喫茶店内包というのもいいが、これはややありきたりだ。

 ビューポイント③としてお好み焼き屋内包というのはどうだろうか?
 結構、本気なのだが、喚起対策がたいへん……。

■5/27 午後3時からの岬台地区連合町内会定例総会・懇親会。
 出発まてに、中途半端な時間ができたので、さっそく、造り替えの作業に入る。

 わたしの部屋を古本屋にするには、まず書物の背の部分(=書棚の前面部分)にごちゃごちゃと並んでいる物を書棚から撤去しなければならない。

 ギネスの空き瓶。
 大阪バファローズ梨田監督のマスコット人形……。(これらの物の名前を並べ立てればおもしろいかもしれないが、時間のムダなのでやめる。)
 いったん床面に並べる→分類する→収納または捨てる……という計画で、書棚からおろしはじめたら、足の踏み場がないくらい散らかってしまった。

■1つ、処理に困る物が出てきた。
 名刺大のブレーンストーミングカードの束だ。
 目分量で600枚くらいある。
 すべて是川中勤務時代のものだ。
 教職員への指事事項・全校朝会スピーチのプロット・経営の重点・備忘……等、思いつきメモだ。

 〈例〉
 ○朝、玄関ロビーの照明
 ○過去の記述の書きかえ=自分の書きかえ
 ○単語だけでも並べてみよう
 ○B面人生、パリーグ人生……。

 10年間うち捨ててあった。
 SZK氏なら、荒涼たる精神の廃墟というかもしれない。
 その廃墟の半開きの内部の暗闇をもう少しだけのぞいてみる。

 ○黒田医師の語り。
 ○単なる自己満足の毎日全員個人面談
 ○少しずつ形を変えて何度でも
 ○事務職員が生徒から集めたアンケートをもとに「……の指導がダメですね」「……は改善してください」と平然と言える経営者
 ○立派な目標よりどんなネタで勝負するか?だ
 ○昔の朝学習プリントの処理をめぐる議論
  ×崎T「済んだら捨てる」
  小高「必要なところがあれば切り抜いて張る」
  村×T「きちんとファィルする」
 ○教師が勉強の仕方を強制すると失敗する
 ○シートンの略歴
 ○特定の部門が際だつ経営者
 ○平として学校を動かした経験の有無
 ○参観日保護者アンケート
 ○書物に傍線を引き、その傍線部分をもとに語るのはやめよう
 ○教師は成果が見えやすいものに熱中する。部活。
 ○大阪生野区のアイデンティティ。オリジナルでないとアカンよ。
 ○リーダー指導。集めるだけでもいいから。
 ○時間を与える。心を与える。
 ○コメントは教育行為の核
 ○複数学級担任制の職務の分担
 ○週報目標は方向目標→到達目標に。
 ○教育哲学の筋力アップ
 ○仁科のねばり・継続力
 ○八戸のスィマー
 ○(校内人事構想メモ)多数
 ○(学校部活動改革メモ)多数

 もちろん全部、粉々に廃棄する。
 こうして一部をアップしたのは、廃棄のための、いわば儀式。

■岬台地区連合町内会定例総会・懇親会。
 内輪だけの会合。
 アットホームな雰囲気がいい。
 参加するたびにホッとする。

 席上、Sさんという女性に声をかけられる。
 なんと、あの、あこがれの『青光館哀史』の小子内出身の、旧姓小子内さんだとおっしゃる。
 一昨年、わたしの小子内・清光館哀史特集のブログを見てくださったそうだ。
 目の前の画面に、小子内の風景が次々に開いたので、ドキドキしたそうだ。
 いや、わたしも、まさか、小子内の小子内さんに見てもらえるなんて、シンジラレナイ!
 感激で胸がいっぱいになる。
 人生、ホンマ、いいこともあるものだ!(^^)!!(^^)!!(^^)!。

[2007年05月28日(月)]の記事 以上


◆自分の部屋で過ごせない、苦しみの時期や、鬱屈の是川時代、あるいは、小子内の小子内さんに出会った感激の場面を、魂が、さ迷いはじめる。
 それはそれでいいのだけれども、ここ(現在の古書店DAKAの中、あるいは、このHPの、このページの上)が、完全に、魂が抜け去った、もぬけのカラ状態になる。
 昨日は、「ああ、魂が抜けるというのは、こういうことをいうのかぁ~」と、強いショックを受けた。

 以前は、こういうことはなかった。
 どうしたのだろう?
 みなみ退場にともない、自分の、うちの、なにかが、変質したということだろうか?
 少し考えてみたい。
 また、そういう現象が起こるのであれば、それを逆手にとった「企み」も考えてみたい(^_-)(^_-)(^_-)。

◆ずいぶん、ウジウジしていたが、いよいよ「ふたりっ子はん深夜特急」を再出発させることにした。
 5年半ぶりだ。
 1年間限定で、来年の11月16日にゴールする。
 前回の「ふたりっ子はん深夜特急」(2001/3~2003/3)では、自分のカタチが裏返しになるくらい、自分に大きな変化があった。
 今回は、どうだろう?
 走行のカタチが、まだ、はっきりしているわけではない。
 走行しながら、つくっていきたい。 


ふたりっ子はん深夜特急
■午前中に退職する人たちの辞令交付式があった。
 午後は、その人たちが各課にあいさつ回りをする。
 海辺のS中でいっしょに勤めた小泉さんが来た。
 B小の町村校長が来た。
 2人と握手したとき、小泉さんからは20年前の、町村校長からは10年前の、その当時のあたたかさが伝わってきた。
 かつて宴席で意気投合し、「教育革命!」と気炎をあげたC村の安倍社会教育主事も来た。

 次から次に人が来た。
 あちらこちらから拍手が聞こえてくる。
 わたしたちの課でも亀井課長補佐を送り出した。
 わたしが送辞を述べ、亀井さんが答辞を述べた。
 花束を渡し、くす玉を割った時、亀井さんが、メガネをはずし、大泣きしたので、亀井さんの顔に紙吹雪がへばりついた。

 こんなふうにして年度最後の一日が過ぎていった。
 この1日で、何年分もの時間、いや、時空間が、流れたように感じる。
 庁内が静かになったのは、午後6時を過ぎた頃だった。
 5階の窓から外を見ると、日はもう沈んでいたが、西の空にはかすかな明るさが残っていた。
 朝方に降った春の雪が、街の屋根屋根を覆っている。
 雪の白と、空の青とが溶け合って、実に夢幻的な光景だった。

 やがて、その光景も闇に飲み込まれていく。

 いよいよ「ふたりっ子はん深夜特急」の出発である。
 今、出発しないと、もう永遠に出発するチャンスはないと思った。(深夜特急)。
■本日の乗客
 〈スカーレット〉
 〈老鴉〉
 〈miti〉
■いつものように、5時に起きて本を読んだり、音楽を聴いたり何の変わりもなく始まる1日。
 今日は、『マイ・ハート・ウイル・ゴー・オン/タイタニックのテーマ』を聴きました。
 誰もいない部屋で……今日も、1日ポジテイヴに生きれるように……充電するんです。
 私って、バッテリーみたいな人間なんです。その後の1杯のコーヒーが美味しいこと。
 ふたりっ子はん、人間にとって「完璧な幸福」というのは、この世の中に存在しないと思いませんか?
 たとえ、大富豪になっても……大臣になっても……、必ずしも幸せだとは限らないと思います。
 しかし、お金は人間を幸福にするもののひとつではあるけれど……、すべてではないと私は思います。
 どこまであっても、満足に限りがないですよね。
 私は、ささやかな朝の時間と空間と1杯のコーヒーが、一番幸福と感じます。
 この頃、「幸福って自分が楽しめることを、どれだけ見つけられるか」って感じるようになりました。
 本当の財産って、出逢ったすばらしい人といい時間を過ごしたかではないかな~と思います。
 信じることとは、裏切られるかもしれない不安・恐怖も含めて、なおかつ、信じることかもしれませんね。
 ふたりっこはん、どうぞ深夜特急便走らせて下さい。
 みんなが、待ってますよ。

 異次元?へ いざなう……。
 いつでも……。
 どこでも……。
 心のおもむくままに……。
 「異次元」の世界の道しるべとなりましょう……。
 ここは、名もない花が、風に揺れている、おだやかな世界……。
 そして、胸ときめく世界です……。(スカーレット)

■お初にございます。
 三田村氏より、ここのURLを入手いたしまして、お邪魔いたしました。
 文学・哲学には無縁の輩ではございますが、どこかに足跡を残さねばと、こちらに書き込みさせていただきます。
 あちらの掲示板では、まだちょっと入りにくいなと.……。
 後ほど、あちらにも出没させていただきたいと思います。
 ではこれにて失礼仕ります、すたこらさっさ。(老鴉)
■こんばんは。
 おはようございます。(miti)
■老鴉はん、こんにちは。
 といっても老鴉はんて誰やろ?
 ネット上の、この無署名性というのは、なかなか魅力的でもあります。
 わたしも「ふたりっ子はん深夜特急」ということで、いわば無署名性+疑似ドキュメンタリー的手法でやっていこうと思っていますけど、この先、どういう展開になるのかは、皆目、ワカリマヘン(*^_^*)。
 このインターネット上で試してみたいことがいくつかあります。
 ①1つは「文体」の問題です。
 インターネット上の文体は、以前、三田村はん(別名、縄文はん、木彫はん)とも話題にしたんですが、明らかに手紙文体とは違います。
 私は手紙魔(はがき魔)です。
 けど、手紙を書くというと、やはり文体を整え、表現を推敲し、さらにポストの前で投函するかやめるか、ぎりぎりまで迷います。
 「未投函集」というファィルがあるくらいです。
 ところが、インターネット上では、(わたしの場合)、手紙のような自制+自省は働きません。
 話しことばの延長線上の言語なんでしょうね。
 これを痛烈に批判する人もいますけど、わたしは、「話しことば」「書きことば」とは別種の「第3のことば」として可能性を感じています。
 結構、他人のHPを開けて、日記を読むんですが、あっと息をのむような、透き通って、光り輝いている、新型文体に接することがあります。
 私のはまだまだアキマヘン……。
 ポロっと、陳腐な表現でごまかすとこがありますからね。
 けど、これから修業してみます。
 老鴉はんて、コンピュータ専門の人でしょうか?
 ちょっとわかれへんけど、たぶん詳しい人やろから、こういう点について、また教えてください。(深夜特急)

■miti さん、こんばんは。
 上の画像と、犬の種類は違いますが、道がレンガ敷きなので、同じ場所でしょうかね。
 これ、みんな、miti さんの犬なのでしょうか?
 わたしは、子どもの頃から、またがって乗れるくらいの犬しか飼ったことがないので、小型犬をみると、へぇ~、こういう世界もあるんだぁ~と驚いてしまいます(*^_^*)。

 わたしの師は、コッカースパニエルしか飼わなかった人です。
 たしか、初代、2代目、3代目と、ぜんぶ、アメリカンのコッカースパニエルでした。
 死んだときには、ボロボロ泣いていました。

 ちゃんとしつけをして、めんどうをみてくれる人がいるなら、こういう小型犬が、自分の身のまわりにいるという世界も、いいかなぁ~と、miti さんの画像をみています^^;^^;^^;。(深夜特急)

  
http://www.htv-net.ne.jp/~odaka599/
 



村上和雄氏の論にしたがえば、小学生のわたしは懸命にパチパチとよい遺伝子のスイッチをオンにしている

2009-11-13 15:29:31 | Weblog
◆昨夜、「〈MIMIKA BLOG〉と、〈ふたりっ子はん深夜特急〉とを重ねあわせることよって、これからのHP運営の方向がみつかるのではないか」とつぶやきながら眠った。

 つぶやいているときに、既に、ちょっとした企みがあった。
 方向に具体的に一歩を踏み出すかどうかは別にして、その企みが、一晩中、頭の中でグルグルと動き回っていたせいで、けさは、午前3時過ぎに目がさめてしまう。

 コーヒーメーカーでコーヒーをいれる。
 お湯をわかしたかったが、音を立てたくないので、電子レンジで蒸しタオルをつくる。
 コーヒーカップと蒸しタオルをもって、古書店DAKAにとじこもり、インターネットのJAZZRADIO.COMで、Piano Jazzを聴きながら、SANKEI.JP.MSN.COMでニュースをチェックする。

 途中、次のような記事を見つけ、思わず笑ってしまう。

〈【正論】筑波大学名誉教授・村上和雄 「心」を変えてヒトは進化する〉

 心にも、ある種のエネルギーがあり、「思い」や「心の持ちかた」が遺伝子のオンとオフを変えるという事実である。
 つまり、心の働きを変えるだけで、遺伝子レベルでも高次の人間に進化できる可能性があるということが分かり始めた。
 この事実は、人の生き方や考え方に、新たな望みを与えてくれる。
 なぜなら、人のDNAは自分で変更できないが、心は自分で変えられるからである
 私は、笑い、感動、感謝、生き生きワクワクした気持ち、さらには、敬虔な祈りまでもが、良い遺伝子をオンにすると考えている。
 これからの私たちは、意識して、よい遺伝子のスイッチをオンにすることで新しい人間性を生み出すことができる可能性がある。

◆笑ってしまった……というのは、昨夜の、何度も何度も自分に「朝潮と若ノ花の相撲がある」と言い聞かせることによって、自分の精神の内部に、徐々に、徐々に、豊かな色彩を取り戻そうとした、小学生のわたしと、今のわたしは、まったく逆のことをしようとしたいる……を想起したからだ。

 【正論】の村上和雄氏の論にしたがえば、小学生のわたしは、懸命に、パチパチ、パチパチと、よい遺伝子のスイッチをオンにしているのだ。
 それに対して、今のわたしは、オフにしようとするか、あるいは、オフになったスイッチをオンにすることを阻止しようとしているのだ(*^_^*)。

◆時々、気が向いたときに、Eduブログ(明治図書)からgooブログに、ブログ記事を移動している。

 わたしは、記事の保管用にブログを使っている。
 自分のサイトに保管することも可能だし、そうしていた時期もあるが、gooなどが提供するブログがもっている(1)バックナンバー整理機能 (2)ブログ内検索機能などが、たいへん便利だ。
 これを、自分のサイトでやろうとすると、なかなか面倒だ。

 いろいろなブログを試して、はじめに落ち着いたのが、ライブドアのブログだった。
 しかし、FC2と同じく、クリック1、2で「ここから先は未成年にふさわしくない成人向け(アダルト)のコンテンツが含まれています」というページに至ってしまうことがわかる(>_<)。

 それで、すべての記事をgooブログに引っ越し。

 ところが、なんと、しばらくして、gooとライブドアが提携して、gooブログトップとライブドアトップが相互にリンクされてしまった。
 これだと、自分のgooブログから、クリック1、2、3で「ここから先は……」のページに至る。
 それで、またまた、引っ越し(>_<)(>_<)。

 使い勝手は悪いが、アダルトのまったく心配のない、明治図書の「100万人の教育日誌 Eduブログ」に。

 しばらくEduブログに落ち着いていたが、gooとライブの提携が破棄されたことに伴い、再び、gooへ。(ホンマ、引っ越し、たいへんですぅ~)

 現在、少しずつ、手作業で移動中。


「ワレ南海ノ孤島ニ立テリ」と打つつもりだったが、計画を変更して英語で「乗車」する

2009-11-12 12:00:00 | Weblog
◆小学校3、4年生の頃だった。
 ある日、昼寝から目を覚ましたら、視界が白と黒の陰影の世界になっている。
 暗い。
 悲しい。
 なにもしたくない……。
 子どものわたしは、これは、いったい、どうしたんだろう?と動転する。
 人生、最初に自覚した、いわゆるメランコリックな状態で、今のわたしの文脈でいうと、重度のテンション低下状態だったのだ。
 このとき、わたしは、自分の気持ちを明るくするために、いろいろ試す。
 そして、「あっ、きょうは、朝潮(朝潮太郎・大阪太郎)と若ノ花の相撲がある」とつぶやいた時、少し明るくなることに気づいた。
 何度も何度も自分に「朝潮と若ノ花の相撲がある」と言い聞かせる。
 つぶやくたびに、白黒の陰影が、徐々に、徐々に、豊かな色彩に戻りはじめる。

 今のわたしは、この小学生のわたしと、まったく逆のことをしているわけだ^^;^^;。

 昨日、「憂愁」を、断ち切り、テンションを上げてしまうと――
(1)憂愁の細部の記述できない。
(2)(したがって)展開が軽くなる。(早くなる。)
(3)(やや論理が飛躍するかもしれないが)自身の記述に対し、低い評価をしがちになる。(慢性的自信喪失症)
 ――と、書いた。
 この(3)が、わかりにくいので、少し補足する。
 「憂愁」を断ち切り、ポンポンと展開すると、ま、ひとつの例だが、中教審や社教審の答申のような感じになってしまう……ということが言いたいのだ(*^_^*)。
 自分はこんなふうにポンポンとしか書けないのかと、落ちこむ。
 さらに、こういう内容だったら、勉強不足のわたしが書くより、もっと優秀で、研究を積み重ねている人が書けばいいではないか……、わたしなんかの出る幕ではない……と自信喪失、自暴自棄の循環に陥っていくという意味だ。

◆話を1週間前の「MIMIKA OFFICALE BLOG」に戻す。

 紅白歌合戦出場をめざすMIMIKAという女性歌手が、路上ライブや放送局での演奏活動の毎日を、文字とケイタイ画像で発信するブログだ。
 記事が更新されるたびに、閲覧者のコメントが書き込まれる。
 「ライブお疲れ様! 今日は止められることもなく最後まで歌うことが出来て良かったで♪ ターボは、いつ聞いてもめっちゃ盛り上がる☆ ありがとう♪ 明日は、大阪雨らしいので どしゃぶりHeart をリクエストします! まっちゃん」
 「いやぁ~、めっちゃ楽しかったねぇ今日は♪ 天気も良く、ジャマも入らず、最高の路上日和♪ 前回は俺のせいで‥‥(笑) その分、今日は楽しませてもらいましたっ!!! ゆきみさんもグッドでした!!! お疲れさまっ!!!!! よっぴぃ~ 」



 BLOGを開いたとき、質の高い長編小説を読んだときのように、あるいは、TVで「銭形平次」を観ているときのように、「ああ、この時空間に自分が存在している……」「ああ、自分の中に、この時空間がある……」と、わたしは感じる。

◆この「MIMIKA BLOG」に、ずっと以前、わたしが運営していた「ふたりっ子はん深夜特急」というサイトを重ねあわせてみる。

 ★「ふたりっ子はん深夜特急」のコンセプト

(1)2001/3~2003/3まで、3年間、開設

(2)〈HP本体〉と〈掲示板&チャット〉で構成されていて、掲示板&チャットへのコメントを、いちいち手作業で、HP本体にコピーしていた。
 コメント機能付きのブログは、まだなかった。
 コピーしたコメントに、車窓風景等を折り混ぜ、ショートショートを創出するものだが、ショートショートは、なかなかうまくいかなかった^^;^^;。

(3)「ふたりっ子」は、ドイツ語のzweisamkeitが語源だ。
 zweisamkeitは、einsam(孤独)をもじった語で、むりやり訳すと「2人っきりの孤独」「寂しすぎる2人」。
 それに、尊敬の意を表す大阪弁の「はん」がついている。

(4)HPのテーマは、この「寂しすぎる2人」(あなたとわたし)が、闇から闇へと疾駆をつづけ、やがて闇の果てに至り、極限を突っ切り、朝の光に至ろう……というものだった。

(5)「MIMIKA BLOG」のコメントも多いが、「ふたりっ子はん深夜特急」の常連客も多かった。
 スカーレット、有乱、高子姫(タカイコヒメ)、Fumi-yan、狂騒のママ、老鴉、さくら姫、ごんこ、高松、けん志村、アジア文化、タカハル、卵割、チャック、ダービー兄貴、Maria48、おんり、ゆみっち、Asca、おっさん、しろしろどん、エイパパ、うらサンタ……等々。
 これらの、なつかしくも、けったいな人々(乗客たち)のことについては、後日、また、くわしく記述するチャンスもあることだろう。

 3年間、HPのカタチはどんどん変わっていったが、掲示板&チャットへのコメント(=改札口)を、HP本体にコピーする(=乗車)というシステムは変わらなかった。

◆2002年にニューカレドニアに出張する機会があった。
 日本を出るとき、もしチャンスがあれば、ニューカレドニアから「ふたりっ子はん深夜特急」に乗車してみようと思った。



 この画像は、ニューカレドニアの中学校で科学・技術の授業を参観中に撮影した、ふたりっ子はん深夜特急の雄姿。
 日本語環境が整っていないために、文字化けしている。

 帰国が近づいた、休日のある日、わたしは「ふたりっ子はん深夜特急」に乗車するため、ヌメアの中央郵便局近くにあるインターネットカフェに入った。
 料金は30分間500CFP。
 ここのパソコンは日本語が読めた。
 しかし、日本語ワープロソフトがないため、日本語を打つことはできなかった。
 「ワレ南海ノ孤島ニ立テリ」と打つつもりだったが、計画を変更して英語で「乗車」する。

 Now, I am standing on the solitary island in the South Pacific.




◆「MIMIKA BLOG」と、この「ふたりっ子はん深夜特急」とを重ねあわせることよって、これからのHP運営の方向がみつかるのではないかと思っている。

 中途だが、きょうは、これでやめる。
 


 


わがひとのかなしき声をまねぶ……(行つて お前のその憂愁の深さのほどに明るくかし処を彩れ)と

2009-11-11 15:23:48 | Weblog

◆あいかわらず、テンションが低下した状態がつづいている。

〈「テンション低下状態も、結構、いいもんだぁ~。
 未来も、過去も、見えない。
 右も、左も、関係ない。
 自分の五感だけを頼りに、ナメクジみたいに、ノロノロ、這いまわっていく……。
 ま、わたしのことばでいえば、感覚思考(または1次思考)だ。
 この感覚思考、および、感覚思考の発露が、大の苦手だから、このテンション低下状態を大切にして、一から修業し直そう。」〉(11/9)

 とはいうものの、テンション低下に陥る直前の11/4(水)に記述した文字数は10629字。
 これに対して、昨日は969字。

◆だから、実際には、かなりむずかしいのだけれども、テンションが低いまま記述できるようになると、あるいは、意識的にテンションを低下させて――こういうことが可能かどうかはわからないが――記述できると、わたしにとって新しい世界、未知の世界にめぐり会えるのではないか?

 伊東静雄の詩集『わがひとに与ふる哀歌』の一編。「行つて お前のその憂愁の深さのほどに」

行つて お前のその憂愁の深さのほどに

大いなる鶴夜のみ空を翔(かけ)り
あるひはわが微睡(まどろ)む家の暗き屋根を
月光のなかに踏みとどろかすなり
わが去らしめしひとはさり……
四月のまつ青き麦は
はや後悔の糧(かて)にと収穫(とりい)れられぬ

魔王死に絶えし森の辺(へ)
遥かなる合歓花(がふくわんくわ)を咲かす庭に
群るる童子らはうち囃して
わがひとのかなしき声をまねぶ……
(行つて お前のその憂愁の深さのほどに
明るくかし処(こ)を彩れ)と

◆わたしには、この「お前のその憂愁の深さのほどに」をバネに、あるいは、断ち切り、もう一方の「明るくかし処(こ)を彩れ」の、いってみれば、積極的な、ストイックな意識を、より強く記述しようとするところがある。

 今、「バネに、あるいは、断ち切り……」といったが、厳密には「バネに」と「断ち切り」は、まったく意味が異なる。
 でも、精神上、これを明確に区別することは、なかなかむずかしい。
 たいていは混在している。
 バネ>断ち切り……の場合もあれば、バネ<断ち切り……の場合もある。
 バネ>断ち切り……「明るくかし処を彩」る記述ができればいいのだが、わたしの場合は、バネ<断ち切り……テンションを上げて「明るくかし処を彩」る記述になってしまうようだ。

 これをやると――
(1)憂愁の細部をパスする
(2)展開が軽くなる。(早い展開になる。)
(3)(やや論理が飛躍するかもしれないが)自身の記述に対し、低い評価をしがちになる。(慢性的自信喪失症)

 ま、だから、「憂愁の深さのほどに」という深い悲哀の淵に密接しやすい、「テンション低下状態も、結構、いいもんだぁ~」となる。

 なんだか、ただ一回りまわってきただけのようだ(>_<)(>_<)。



◆重度のテンション低下状態だが、具体的に、ひとつ企みがある。
 テンション低下状態で、「教育」を語りたいのだ。
 テンションが高い状態で、教育を語ると、わたしの場合、どうしても「国レベルの施策 → 教育現場」という方向の記述になる。
 みなみ在職中の「職員室通信」は、たぶん、ほとんど、この方向の矢印上にのっかるはずだ。
 そうではなく、「教育現場 → 国レベルの施策」の方向で語りたい。
 ド~ンと落ちこんだ瞬間、両の手で頬杖をつきながら、まっさきに思ったのは、「ああ、この気分で、ボソボソと……であれば、今、わたしは教育が語れる」ということだった。

◆けさ、夢に、早逝した森岩Tが出てきた。
 2人で、来年度の学校経営の細部を語り合っていた。
 森岩Tが、力強くビジョンを打ち出し、わたしはそれに圧倒されながら聞いているという夢だった。

 昨日は、十数年前に早逝した友人・田中隆夫がやってきた。
 田中とは、学生時代、いっしょに同人雑誌をやっていた。
 当時、わたしはお城のそばに住んでいた。
 お城の中に図書館があったので、「図書館にいってきたんだ」と、よく寄ってくれた。
 夢の中でも、そういうひょっこりという感じで現れて、三島由紀夫のことを語っていた。


人間ドックでひっかかった脂質LDLC(悪玉コレステ)の精査のために、午前中、霧雨が降る中――ああ

2009-11-10 16:27:32 | Weblog

◆先日、人間ドックでひっかかった、脂質LDLC(悪玉コレステロール)の精査のために、午前中、霧雨が降る中――ああ、あすにしようか? どうしようか? しばらく逡巡していたが、結局――)突っ切るように、上徒士町の長谷川内科に受診。

 帰路、再び、突っ切るように、堤町・市役所裏経由で、本八戸駅に行き、「出張のための切符」――と書きかけ、もう「退場」後なのだから「出張」はないよ……じゃ、なんというのか?と、また、逡巡し(>_<)、「遠方の会議に出席するための切符」と言い換える(*^_^*)。
 乗車券と特急券を購入。
 霧雨を突っ切ってまで出かけた、ほんとうの理由は、こちら(*^_^*)。

 わたし「11/○ スーパー白鳥○号 八戸から○○まで。グリーンでお願いします。グリーンは2席と1席になっています。」
 駅 員「え? そうでしたか?」
 わたし「ええ。1席のほうがあれば、それをお願いします。」
 駅 員「(チョンチョンと端末を操作して)ほんとうですね。2席と1席がありますね。(かなり正直な人だ(*^_^*))……あっ、1席のほうに空席がありますよ(*^_^*)」
 わたし「……(*^_^*)」。

 スーパー白鳥号のグリーン席(2&1配置・皮製シート・木製アームレスト)は、今回が初めてだ。
 一度乗ってみたい、できれば、2&1配置の2配置ではなく、1配置ほうに……というのが夢だった(*^_^*)のだ。
 乗車後、ぜひ、画像を、ここにアップしたいと思っている。


◆わたしが、HP本体のDiaryの記録用に使っているgooblogは、初心者用で、複雑な編集はできない……とよく言われる。
 その通りで、わたしも、もう少し、いろいろ機能があればいいのにと思っている。
 にもかかわらず、gooblogを使っているのには、理由がある。

(1)FC2などのように、直接、アダルトにつながらない。

(2)gooとは、blog形式が始まるまえから、ケンカしながらも、もう10年来の付き合いだ。

(3)したがって、永続性という点では、いちばん信頼している。

 今回、その「複雑な編集」に、少し挑戦してみた。
 でも、手間がかかってしまうのであれば、あまり意味がない。
 これまでと工程が変わらない、あるいは、むしろ逆に1、2、工程を省略できる……という範囲で。