職員室通信・600字の教育学

小高進の職員室通信 ①教育コミュニティ編 ②教師の授業修業編 ③日常行事編 ④主任会トピックス編 ⑤あれこれ特集記事編

NHKよ、さらば、みんな、さらば。

2009-06-30 11:04:07 | Weblog

★荷物を整理していたら、国語教師の痕跡が出てきた。文法よ、さらば、国語教師よ、さらば、NHKよ、さらば、みんな、さらば。


◆大きな流れでいえば、依然、木製の折りたたみ式の、ハンモック風、肘掛け椅子に身を沈め、なにもやる気にならない状態の中にある。

 昨年、「ひとりサマータイム」と称して、周囲の人たちに若干、迷惑をかけつつ、早朝の60分間を創出(……時間の創出には成功。しかし、1日の後半にバテるという欠点のために長続きしなかった……)して、短期間だったものの、それはそれは強烈なカンフル剤になった。
 月が変わるのを機会に、時間の組み方を大転換させてみるのも、ひとつの方法かもしれない。

◆TVはほとんど見ないが、唯一、見ていた夕刻のTV視聴内容を変えた。

 従来、(途中から)NNN News リアルタイム
 18:16  RABニュースレーダー、または 18:18 ABAローカルニュース(RAB=秋山博子アナ ABA=増田明美アナのファンなのだ)
 18:45  (途中から)NHKあっぷるワイド
 19:00  NHKニュース7

 現在、18:45以前は変わりないが、18:45以降は、総力報道!THE NEWSに。

 要するに、NHKを見ないようにしたのだ。
 これまでも、NHKに対しては、あれ?と思う点が、いくつもいくつもあった。
 それを、まあ、大所帯だから、やむを得ないか?……くらいであきらめていたのだが、田母神俊雄前航空幕僚長更迭問題に関する放送以降、これは重傷だというふうに認識を変えた。(←識者からすれば、判断が遅すぎる、鈍感、無節操も甚だしい……ということになるかもしれないが、それくらいNHKびいきだった。江藤隠しといわれた時期がある。そんなときでも、ひとりNHKは江藤氏に光を当ててくれたという恩がある。でも、もうダメだ。)
 台湾統治報道は、予告編をチラッと見た段階で、ああ、懲りないで、まだやっているのだ……くらいで、完全に無視。

 それでも……、それでも、まだローカルの18:45からの「あっぷるワイド」は……、あるいは、NHKニュース7……は、まあ、まあ……と、なお見つづけていたのだが、執拗に加藤紘一の姿をアップするような姿勢に、アホか……と、プッツン。
 NHKのローカルも、キャスターたちの技量にあきれてしまい、こういうのって視聴者に失礼ではないかと不愉快になった。

 NHKよ、さらば。


『通天閣』(西加奈子)は、大傑作か?!

2009-06-30 09:17:18 | Weblog


◆音読力のチェックに使っていた『通天閣』(西加奈子)を、きょうは、もう音読する気にもならないので、木製の折りたたみ式の、ハンモック風、肘掛け椅子に全身を沈め、ダラダラと黙読していて、そのまま読了。

 一気に、一冊読了してしまうようなことは、最近のわたしとしては異例中の異例。
 ま、『通天閣』を読むこと以外に、他に何もやる気にならなかったからですけど。
 こんな言い方をして、西加奈子さん、スンマヘン、スンマヘン。

(1)中心人物の女性(雪ちゃん?)と、恋人マメの世界を描くときの、語りが超一級品です。
 だから、終末場面の彼女のセリフ「夢を追いかけている姿が綺麗? 作品に惚れた? うるせえ馬鹿野郎。夢を持っていないと、いけないのか。ニューヨークに行って、それが格好いいのか。私にとって夢は、あんたのお嫁さんになることだったんだ。その夢は、どこか間違っていたのか」が、ジ~ンと効いてきます。

(2)中心人物の女性がパートをしているスナック(サーディン)の描写が、意外と……といっては失礼ですが、これが、ホンマ、抜群にうまい。
 シモネタ好きの千里さん。
 スタイル抜群のチイコちゃん。
 やることなすことすべてオバンくさい響さん。
 嘘つきまみさん。
 輪郭がくっきりして、生き生きとしている。
 しかし、精魂込めて書いたと思われるママさんとオーナーは、最後までパッとしませんでした。


(3)中心人物と交互に描かれる対役(中心人物の義理の父)は、設定では44歳の独身(独居)男性なのですが、どんなに努力して読んでも、20歳前後のフリーターでした。
 これが課題だ……というより、こういう中年独居男性の視点でものを書くことに挑戦した西加奈子さんが立派だ……といったほうがいいのか。
 ただし、この中年男性が、終末場面、鉄柱から身投げしようとする人物・ダマーに「お前のことがっ、好きやああああっ!!!」と叫ぶ場面では、ちゃんと設定年齢になっていました。
 わたしは、民主党の岡田克也が「好きやああああっ!!!」と叫んでいるのかと思いましたよ。

(4)一言多いです。
 たとえば、……
〈通天閣は、静かに、静かに、雪に打たれている。
 ビー、ビー、と音がして、画面が切れた。私はしばらく、真っ黒になったそれを、じっと見ていた。
 愛されたい。私も、誰かに愛されたい。
 通天閣が、立っている。何してでも、ええですがな、そんな風に。いつまでも、いつまでもそこに立っている。
 雪ちゃん、充電というのは意外と、時間がかかるもんでっせ。〉

 前の記述の流れからいうと、2回目の「通天閣が……」以降は、カットですよ。

(5)わたしは、おお、大阪泉陽高→関西大卒の人ががんばってんねんなぁ~と、作者・西加奈子さんにはあこがれましたが、どの登場人物のようにも生きてみたいとは思いませんでした……という点では大失敗作。
 しかし、何もやる気になれなくて、木製の折りたたみ式の、ハンモック風、肘掛け椅子に身を沈めている、落ち込み中のおっさんに、いや、じいさんに、一気に最後まで読み切らせたという点では、おお、大傑作なのか!? (『通天閣』の感想 以上)


乱様へのメール o(T(●●)T)oオオンオオン

2009-06-28 22:18:41 | Weblog

★痛みがおさまるのを待ちながら夜明けを迎える、わたしの部屋


◆いよいよ1学期も後半に突入。
 前半は「黄金の3日間」に象徴されるように、1年間の基盤をつくる大切な期間ですが、後半は、これを評価し、修正する期間です。
 ここで、きちんと「評価」し、きちんと「修正」できるかどうかが、夏休み以降を左右します。
 経験的に、これができるか、できないかの差は、大きいですね。
 この期間が、ホンマ、いちばん大事なんだとわかったのは、もう、ホンマ、退場間際になってからでしたo(T(●●)T)oオオンオオン。
 K中の頃は、まったくわかっていまへんでしたo(T(●●)T)oオオンオオン。
 乱様の奮闘努力にご期待申し上げますo(T(●●)T)oオオンオオン。

◆こちら、持病の肋間神経痛で苦しんでいますo(T(●●)T)oオオンオオン。
 文字の通り肋骨のどこがが刺されるように痛いことが多いのですが、今は、腕の、「力コブ」という部分の、その裏側です。
 午前2時、3時に痛みで目が覚め、バファリンを飲み、痛みがおさまるのを待ちながら夜明けを迎えることがあります。
 いつもホームページで話題にする、太田山口の高村光太郎も、肋間神経痛で苦しんだようです。
 光太郎はどうやって耐えていたのかな?と想像しながら、痛みに耐えています。

◆話は変わりますが、わたしのHPのヒット数、遂に来るべきときが来たという感じです。
 この鋭敏カウンターで50~70o(T(●●)T)oオオンオオン。
 HP本体に対して、GOOのブログは、まあまあです。
 HPが400000になったときに、カウンターをリセットして現在、閲覧 17,743 PV 訪問者 5,924 IP
 昨日は、アクセス 閲覧 487 PV 訪問者 153 IP

 以前、WAKWAKが本線で、GOOが支線だったのが、いつ頃からか逆転したことがありましたが、そのときにきわめて似た状況。
 GOOの訪問者に「本線」にも来てもらって……という思惑があったのですが、まったくダメ。
 ブログの人は、ブログのみ……ということですね。


自分の今の魂の伴奏にピッタリだと感じたので、NHK番組表で調べると「エピソードと終わりなき歌」だった

2009-06-28 16:47:39 | Weblog

★根城城趾の道


◆2、3日前の夜、発泡酒・淡麗グリーンラベル〈生〉で少し酔い、ま、精神がトロンとした状態で、FMのスイッチをオンにすると、狂おしく、あっちにぶちあたったり、こっちにぶちあたったり、強烈に……と思うと、ゆったりとメロディアスに……という旋律が流れていた。
 自分の現時点の魂の伴奏にピッタリだと感じた。
 なんという曲だろうか?とNHKオンライン番組表で調べると、アルテンベルク・トリオ演奏の「エピソードと終わりなき歌」(ペテリス・ヴァスクス)だった。

 こんなふうに感じるのは、マーラーの「大地の歌」以来だ……と、つぶやき、魂をしばらくマーラー時代を浮遊させる。

 マーラーの「大地の歌」は、わたしの魂にとって、どんな存在だったのか?
 過去の記述に向かって「大地の歌」で検索をかけると……おびただしいヒット数だ。
 2、3、ピックアップする。

◆2001/05/21(月)
 このところ数日間、苦しんできた、例の、汗まみれ、2時間マラソン!「学校教育と博物館」のレジメ。
 土曜日にレジメ完成。
 日曜日は、そのレジメ原稿をディスプレイ上にアウトプットして、項目と項目の間に「セリフ」を、ポイントを下げた色文字で打ち込む。
 「セリフ」通りにしゃべるわけではないが、心臓の小さいので、一度書いてみないと落ち着かない。
 床じゅうに資料を撒き散らし、一日中、部屋に閉じこもる。
 教育改革という一点を中心に、均等な密度で整然と語りたいのだが、今のわたしにはそれだけの力がない。
 ホンマ 凸凹。
 項目のうち、特に「学校教育と博物館(社会教育)が連携してつける学力」が凹。
 体験の裏付けがないからや……。
 けど、ま、今回は自分がやれる範囲で……ということで、「凸凹が自分や、凸凹でええやんか」ということにした。
 ただし、「学校・家庭・地域の窮状を正面から分析していない教育改革国民会議の提言及び文部科学省の21世紀教育新生プラン」の項目は、渾身の力を込めて語るつもりや。
 夜、レジメ&セリフの完成を祝して、また「大地の歌」を聴きながらワインを飲む。
 わたしの内部の薄明、記憶と夢の無限ブレストの爆発。

〈日曜日の夜のメモ例〉
①きょう一日の出来事と夢との対比
②仁科源一論に全力
③在るものと在ったもの。在ったものにこだわる癖あんのんかな
④一日をオープンで終わる
⑤戦艦大和 一億特攻のさきがけ
⑥小泉首相はん「苦しいとき特攻を思い出す。特攻の苦しみに比べれば、これくらい……と思う」
⑦戦前の日本から、イラク的+北朝鮮的なものを引くと、ピュアの日本
⑧学社連携失敗の背後にある偏った学力観←バイ菌。
⑨もっと言葉 ℃トーのように湧いてけーへんかな
⑩もっとみんなで狂騒のママはんのとこへ行こ
⑪最近、考え抜くのん避けとるでェ!
⑫帰れ!

 朝、メモを見たとき、見る直前に「確かに書いたはずや」という言葉が、実際にメモ上にあった時の気分は、結構ええもんですよ。
 それが知覚領域と無意識領域の境目やからね。
 ちなみに、「⑫帰れ!」は無意識領域。
 涙が出るよ。


◆2001/07/16(月)
 以前、「頑張るのが好きでない」と書いたが、14日(土)、15日(日)は、そういう、ま、わたしらしい連休になった。
 7/14(土)朝、散歩。
 犬を連れた奥さんに出会う。
 いや、奥さんに連れられた犬=ゴールデンレトリバーに出会う。
 かわいいので、しゃがんで頭をなでたら、ペロ~ン! ペロ~ン!と顔をなめられる。
 帰ってシャワーで顔を洗う。
 鹿に食われたおんりはんのように囓られなくてよかった。
 コーヒーを湧かし、ソファに寝そべり『変貌する高等教育』(岩波書店)を読む。
 ときどきPCに向かい、〈ネット上のわたし=ふたりっ子はん〉のことを考える。
 バスローブのまま、PCの机と読書のソファーの往復。
 こういう時間が楽しい。
 昼、うどんをつくる。
 夜は、やはり『大地の歌』を聴いて、安くて、思いっきり甘いワインを飲む。
 『大地の歌』はいつも通して聴いているが、きょうは第1楽章→1→2→3→3……というふうに、もう一度聴きたいところを繰り返して聴いた。
 第1楽章も好きになる。


◆ピックアップは、これでやめる。
 このときのわたしにとっての『大地の歌』と、今のわたしにとっての『エピソードと終わりなき歌』は同じなのか?
 結構、おもしろそうなテーマだ。

 とにかく早いうちにCD『エピソードと終わりなき歌』を入手したい。


タバコ蘭の香り→くちびるのカタチ……この蘇り……再生……復活……ぶりかえし

2009-06-27 17:30:37 | Weblog

★根城城趾の道にて シャクヤクの花


◆今、マルセル・プルーストの『失われた時を求めて』を読んでいる。(正しくは、読みはじめたところだ。)

 第1篇「スワン家のほうへ」
 第2篇「花咲く乙女たちのかげに」
 第3篇「ゲルマントの方」
 第4篇「ソドムとゴモラ」
 第5篇「囚われの女」
 第6篇「逃げさる女」
 第7篇「見出された時」
 全13巻、集英社発行。

 購入したのは、1996、7年頃だと思う。
 過去の記述に検索をかけたら、教え子宛のはがきに登場した。

〈前略 ステキなお葉書ありがとう。
 環境情報学部については、以前、江藤淳先生からお話をうかがったことがあります。
 江藤先生は今でも学部にいらっしゃるのでしょうか。
 機会があれば、先生のご様子、教えてください。
 上の写真……書棚の右上が、現在、予約購入中の『失われた時を求めて』。
 右手前がこの文字と写真を処理しているパソコン。
 左側はもう何年も開けたことのない窓。
 窓の外に学生時代の空があると信じていたいからです。
 またお便りください。お元気で。早々〉

 夜、だれもいなくなった職員室(鮫中)の隅のパソコンに向かい、単語を打ち込みながら、ディスプレイの向こう側に、無限に広がっている宇宙を感じていた頃だ。
 「今は忙しくて、『失われて時を求めて』は読むことはできないけれど、時間に余裕ができたら……」と思っていたのだろう。


◆『失われた時を求めて』は、これとは別に、もう1セットあるはずだが、どこへ行ったのだろうか?
 しばらく見かけない。
 大学時代、研究室の先輩Yさんからもらったもので、たしか新潮文庫で、これも全13冊くらいだったと思う。
 文庫本は見あたらないが、Y先輩の発行した詩集『転位のための序曲』は、今もわたしの手元にある。

 黒いラシャ紙の表紙を開くと、
〈序
 あっ、
 これを手に取ったあなたに、まずお願いがあるのです。詩集を開いたら、第1に目次をみて、自分の好きな題の詩から、ひとつひとつ読んでほしいのです。
 私は完全主義者でも何でもありませんが、他人(ひと)に失望を与えるのがたまらなく悲しいのです。
 せめて、あなたが意志し、択んだ題の詩を読むことによって、責任の一端を私といっしょに背負い込みながら、そうしながら読んでほしいのです。
 何と勝手な注文でしょう。
 でも、そうして読んだ方が、あなたと私が協同でつくる世界が膨らむというものです。〉
 
 とあって、そのあとに、詩の題が、「片恋」「春の歌」「雨夜の感傷」「求愛」「脱落者の愛」「夜の感想」「記憶による貧困投影」「冬の午後」「背徳への招待」……と、約20篇ほど並んでいる。

 この詩集をもらったとき、たぶんわたしはどの詩も読まなかったのではないか?
 で、今、読むとすれば、「記憶による貧困投影」か「冬の午後」だろうか?……と思いつつ、今回も(Y先輩、スンマヘン)目は「後記」のほうに移っていった。

〈後記
 意外におめでたい卒業をむかえて、またさらに喜びを重ねて私の詩集を刊行できたことが非常にうれしく、これを刊行するために尽力下さった姉上をはじめ唐崎さんや多くの人達にまず「ありがとう」と言いたいと思います。……(後略)〉

 奥付をみると、「装幀=酒田清造 筆耕=唐崎○△ 印刷=田中隆夫 製本=○△ 限定100部の内第90番」とある。

 先輩は、卒業までに全部さばこうと思って、焦って、わたしにまでくれたのかもしれない(^_^)v。
 そのとき、書棚に並んでいる『失われた時を求めて』を見つけて、「先輩、プルーストじゃないですか!」と言ったら、「これもあげるよ」と全巻くれた。
 先輩と何を話したのか、その内容はほとんど、いや、まったく思い出せないが、40年の時間の層を越えて、先輩が吸っていた蘭というタバコの香りと、けむりをはきだすときのくちびるのカタチが蘇ってきた。


 集英社版『失われた時を求めて』→Y先輩の新潮社文庫『失われた時を求めて』→詩集『転位のための序曲』→タバコ蘭の香り→くちびるのカタチ……この蘇り……再生……復活……ぶりかえし……を、きっと、プルースト現象というんやろね◯0o。(ー。ー)y―~~。

 今、第1巻『スワン家の方へ 1』を読みはじめたところだが、1/3あたりのところに栞がはさんであるから、前回(といっても、いつ頃のことか思い出せないが)は、その1/3あたりで投げ出してしまったのだろう。
 今回は13巻、全部読み切りたい。
 全部読んだら、先輩Yさんの『転位のための序曲』の中味も読んでみよう。

◆きょうは、こういう内容を書くつもりではなかったのだ。
 『失われた時を求めて』の、いわばプルースト現象に絡めて、2009年魂の曲(ペテリス・ヴァスクス「エピソードと終わりなき歌」)→2003年魂の曲(マーラー「大地の歌」)→2003年乱氏とのシンポジウム……と記述するつもりで、記述のメインは「2003年のシンポジウム」だった。
 今度、記述することにする。


携帯アップ再開のための画像テスト

2009-06-27 14:43:02 | Weblog
 ずっと以前は、このブログに携帯からもアップしていたが、携帯のアドレスが変わったり、ブログの記載に対する考え方が変わったりして、しばらく携帯送信はやめていた。

 現在、みなみ退場後の記述のカタチを探っているところだが、ひとつの選択として、携帯送信の復活もあり得るかな?と、ふと、さっき、3時間くらい前に(*´―――――`)ン?

携帯アップテスト

2009-06-27 14:20:37 | Weblog
 ずっと以前は、このブログに携帯からアップしていたが、携帯のアドレスが変わったり、ブログの記載に対する考え方が変わったりして、しばらく携帯送信はやめていた。

 現在、みなみ退場後の記述のカタチを探っているところだが、ひとつの選択として、携帯送信の復活もあり得るかな?と、ふと、さっき、3時間くらい前に(*´―――――`)ン?

今、持病の肋間神経痛が痛くて、目がさめてしまいました。

2009-06-27 03:32:05 | Weblog


 今、持病の肋間神経痛が痛くて、目がさめてしまいました。
 文字の通り肋骨のどこがが刺されるように痛いことが多いのですが、今のは、腕の、よく「力コブ」といいますが、その裏側です。
 きのうから右腕が痛かったのですが、現在は、両腕です。
 我慢できず、牛乳を飲みながら、バファリンを飲みました。
 1時間くらい経つと、バファリンが効いてくると思います。

 いつも話題にする、太田山口の高村光太郎も、肋間神経痛で苦しんだようですね。
 光太郎はどうやって耐えていたのかな?と考えながら、痛みに耐えています。

 もうかすかに夜が明けはじめました。
 電気を消して、ソファーに横になります。 


半世紀以上もの時空を越えて、わたしの部屋に至り、進行中の作業を強制終了させる魂の歌

2009-06-26 10:47:20 | Weblog


◆ボロボロになった自分の音読力のチェックをしながらFM放送を聴いているときだった……?
 いや、逆か?……、FM放送を聴きながら音読力のチェックをしているときだった。
 ある曲が流れ出したら、わたしの作業がピタッと止まってしまったのだ。

 「にっぽんのうた 世界の歌」の「別れのブルース」(淡谷のり子)だ。
 半世紀以上もの時空を越えて、わたしの部屋に至り、進行中の作業を強制終了させる魂の歌に絶句する。

 番組は、その後、「君の名は」(織井茂子)→「東京ブギウギ」(笠置シズ子)→「水色のワルツ」(二葉あき子)……と進んでいったが、作業が中断するということはなかった。

◆画像は、今、その音読力のチェックに使用しているテキスト(((((((## ──―───―──y。
 以前に購入し、読みはじめて、最初の1頁、それも3、4行、正確には4行目の途中で、放り投げてしまった作品だが、音読チェックには最適だ。
 以前は、『河岸忘日抄』を使用したこともあったが、またこれはこれでわたしには手に負えない文体。


不思議な器機やね★⌒(●

2009-06-25 17:04:14 | Weblog


◆古い荷物の整理(今週は、ずっとこれをやっている……)をしていたら、押し入れの隅、……もう、ほんとうに下段の隅の隅、……階段の裏側の三角形から、若い頃(20歳代)に使用していた邦文タイプライターの活字が出てきた。
 本体は、しばらく屋根裏部屋にあったのを記憶しているが、最近は見ないので、どこかの段階で処分してしまったのだろう。

 この邦文タイプライターには、2つの思い出がある。

 ひとつは、美しい魂の思い出だ。
 逆さに配列された鉛の活字を、1文字ずつ打ち込んでいく動作が、ピアノの鍵盤を弾く動作に似ていて、曲を奏でるように、心を文字にすることができた。
 感覚的には、現在のキーボードより、ずっとピアノに近いと思う。
 邦文タイプライターで、パシッ、パシッと打った、伊東静雄の「送別」(詩集『春のいそぎ』所収)が、今でも魂の内側の深い部分に刻まれている。

 送別 田中克己の南征

 みそらに銀河懸くるごとく
 春つぐるたのしき泉のこゑのごと
 うつくしきうた 殘しつつ
 南をさしてゆきにけるかな

 もうひとつは、睡魔と闘った思い出だ。
 スピードが出ないため、公的な仕事等、とっかかったものの、目算がズレにズレて、よく徹夜した。
 2日連続の徹夜ということもあった。

 この画像は、何というのだったか、もう思い出せないが、たしか「予備活字」とか「貯蔵活字」と呼んでいたのではないだろうか?
 見つめていると、いいことしか思い出さないから、ホンマ、邦文タイプライターというのは、不思議な器機やね★⌒(●ゝω・)b アリガトン♪。


いいことがあった。不明になっていた、2003年に関するデータの一部がでてきた。

2009-06-24 11:08:28 | Weblog

★根城城趾の道。切り株に白い花びらが落ちているので、見上げると……。

◆いいことがあった。

 不明になっていた、2003年に関するデータの一部がでてきた。
 2003年に関するデータというのは、粗く、次の3つだ。
(1)ディスプレイ原稿用紙
(2)WEB・DIARY元データ
(3)仕事データ(含「論文」「通信」)
 ずっと不明になっていたのは(1)と(2)で、このうち(1)が、今、発見されたのだ。

 「(1)ディスプレイ原稿用紙」というのは、1日単位で、たとえば次のような内容が記されている。
 ①公私メールや公私BBS等のコピーと、その返信内容。
 ②ブレスト。
 ③(ブレストの結果として)一塊になった思い。
 ④興味関心をもった記事のコピー
 ⑤興味関心をもったURL
 ⑥手紙&葉書の下書き等々……。
 これが日ごとに区分されている。


◆見つかった「2003ディスプレイ原稿」は、字数にして約600000字~700000字。
 発見は、まったく予想外の場所だった。
 MOフロッピーのひとつに「ホームページ素材」というのがある。
 ホームページを作成するときに使用する画像や、自作のバナー、ボタン、アイコン等を集めたものだ。
 このMOの最後に、(ほんとうに不自然……という格好で)ひとつだけ文書ファイルがくっついていて、「念のために」という題がつけられている。
 題の意味は、おそらく「既にちゃんとした場所に記録されているのだから、なにも心配はないけれども、ま、世の中、一寸先は闇、なにが起こるかわからないのだから、念には念を入れて、ここ(MO)にもコピーして残しておこう」ということだろう。

 2003データは、きっとあると思っていた。
 しかし、永遠に見つからないかもしれない……とも思っていた。
 だから、もう大感激だ。
 まだ、(2)WEB・DIARY元データが見つかっていないが、ま、これもきっといつか見つかるだろうし、(2)は(1)を蒸留させたものだから、あるにこしたことはないが、なくてもどうということはない。


◆発見記念に、「ディスプレイ原稿用紙2003」から、その冒頭付近の、ある日の文字データの一部をコピーする。
 おなじみの、乱氏に宛てたメールである。
 2/20に、「21世紀のわが国の青少年健全育成はどうあるべきか?(←たぶんo(T(●●)T)oオオオン)」というシンポジウムを企画をしていて、それに向けて、出場者の1人である乱氏と打ち合わせをしている内容だ。

 さて、2/20の件で、金曜日に岩○氏と面談しました。
 まず冒頭に〈シンポジウムの基本方針〉を確認しました。
 ①流れ→(A)現状と課題の認識 (B)今後の方策と他領域への要望
 ②現状と課題に関する主張にあてる時間は最小限にして、今後の方策に重点を置くが、課題認識の仕方について相互に確認する時間は確保する。
 ③一つでもいいから、「では、これはやろう」という具体的な提言に辿り着けるシンポジウムにする。
 その際、学校・家庭・地域社会全体で教育を充実していくための、具体的な組織やシステムの在り方をさぐるという視点を見失わないようにする。

 子ども会については、岩○氏に対して、失礼かとは思ったが、話を深めるために、先にわたしのほうから一般的な課題あるいは問題点をいくつか提示しました。

〈子ども会の課題〉
 ①少子化の影響で、子ども会によっては会員が数人しかいなくて、本来の子ども会活動が展開できない。
 ②学校部活動や塾通いの影響で、活動回数が極端に少ない。また長期休業中に限定される傾向にある。
 ③指導者の減少と高齢化。1年間当番制という義務的に引き受けている世話人が多く、長期に渡って計画的に活動を支援・援助する指導者が少ない。
 ④活動内容がマンネリ化している。全国子ども会連合会(=以下「全子連」と略す)の方針が〈子ども主体の活動〉〈話し合い活動重視〉であるが、世話人個人の視点で計画されるケースも目立ち、全子連の方針からかけ離れた活動になっている。
 ⑤ジュニアリーダーやシリアリーダーの輪(連携した活動)が拡がっていない。特に中学生の加入率が低い。
 ⑥拠点となる活動場所がない。
 ⑦関係機関・団体との連携が弱い。孤立している。(わたしから提示した問題点 以上)

 岩○氏が、ボーイスカウトやガールスカウトなど他の青少年育成団体も含む形で主張するか、子ども会に限定するかについては、話し合いの結果、子ども会に限定してもらうことにしました。
 他の青少年育成団体については、コーディネーターの全子連会長にカバーしていただくよう、これからお願いするつもりです。

 岩○氏が述べる〈現状と課題〉のポイントは次の通りです。
①(わたしも指摘した)世話人・指導者等の資質に関する問題
②学校に関する諸活動(生徒会活動・部活動・宿題等)が、子どもの「時間」に占める割合が大きすぎ、子どもを圧迫している問題。(これについては、県教委主催のフォーラムで使った資料を提示するそうです。)
③ジュニアリーダー研修の意義と困難点。

 次に岩○氏が述べる〈今後の具体策〉のポイントは次の通りです。
①公民館職員など、青少年育成にかかわるスタッフの資質向上策を具体化する。
②学校部活動を休む「部活動をやらない日」を市内全小中学校で統一する。
③各地区の青少協の機能を、調整機能、行事企画機能など、全面的に見直す。

 以上、おおざっぱなものですが、これから、乱氏の主張の骨格と絡めて細部を検討していくつもりです。


 次に、念のために、学校部活動全般について記述してみます。

 学校部活動およびそれから派生する諸問題に関して、誤解を恐れずに、結論だけを述べるなら、諸悪の根源は、学校及び教員にあると考えています。(ここで、大正→昭和・戦前→昭和・戦後の教育課程外活動の歴史的変遷を述べるべきだと思いますが、時間と紙幅と自分のエネルギー不足の関係で省略します。)
 乱様の〈ことば〉を借りるならば、教員が部活動を〈かけがえのない生き甲斐〉と感じたり、あるいは本意ではないにしても〈「部活やりてえ」〉教員の声に負けて〈いやいやながらも妥協し〉、結果的に支援する側にまわり、〈授業で生き生きさせる〉教員の本務遂行の努力を見失ったり、それを怠ったってきた責任は大きいと思います。(家庭教育、地域教育への悪影響は当然のことですから、ここでは触れません)。

 もっとも手間がかからない学校部活動改善策は、安い特別手当で生徒の技術指導から引率までをボランティア精神で請け負ってきた教員が「なんのための5日制ですか? わたしたちはもう部活はやりません」「部活はわたしたちの仕事ではありません」と教職員の権利を主張して、平日の勤務時間外や土日の部活動を担う体制を崩壊させてくれることです。

 したがって、わたしは従来から、次のような主張は、〈部活動をかけがえのない生き甲斐〉と感じる教員や〈部活やりてえ〉教員の側の改善策、今の諸悪の根源体制を延命する策として、「原則的に」(←こんなふうに限定するのはちょっとズルイけど)否定しています。
 以下、さまざまな「主張」については、乱様のHPから引用させてもらい、そのあとに「 → (小高の意見)」というカタチで。


(1)部活動の位置づけを明確にすること。→(位置づけるとすれば「学校教育外活動」)
(2)部活動に関する諸問題を検討するため、教職員組合等が参加する「部活動問題検討委員会」を設置すること。→(実はこの「×××**」こそが諸悪の根源体制を延命させてきた張本人であるという歴史的経緯を見逃すことはできない。)
(3)部活動にかかわる実質的な時間を調査し、生徒・教職員にとって、過大な負担にならないよう学校を指導すること。→(これは学校が部活動をやることを前提にしたものの考え方なので、根元から同意できない。)
(4)特殊業務手当を増額すること。また平日の勤務時間外の部活動指導にも手当を支給すること。→(これも論外。これが一般保護者等に大きな誤解を招いている。そういうものはいらない。やるとすれば、手弁当の無報酬ボランティアとしてやるか、生涯学習活動として自分も会費を出してやる。)
(5)週休日等休日の部活動に関しては実質的な休日が確保できる方策を講ずるとともに、その部活動指導に関する回復措置を講ずること。なお近県の状況を調べ、代休制度を設けること。→(まったく論外)
(6)週休日等休日の部活動引率旅費を支給すること。→(これも、当然、まったく論外)
(7)部活動および必修クラブの指導に必要な用具、被服等を実態に即して支給すること。→(これも論外)
(8)週休日等休日の部活動引率にやむを得ず自家用車を使用する場合には、これを公用車扱いにすること。→(これも論外)
(9)勤務時間内における部活動について、顧問が技術指導ができない場合、希望に応じて、外部指導者を依頼できるようにすること。→(論外、本末転倒!)

 で、これからが真の改善策というわけですが、なかなか、いろいろ、内にも外にも障害物がありますね。
 たとえば、これも乱様のことばを使用して述べるならば、〈部活動がしっかり指導できない学校は荒れる〉という認識から、〈授業がしっかり指導できないと学校は荒れる←これが正しい〉という認識に、一日にして切り替わるとは思えません。
 今の体制が、多くの問題を抱えているということは多くの人が認めています。
 しかし、認めながらも、それに代わる活動形態や、その形態と自分たちとのかかわり方が見えないために、旧態依然とした形態を20年、30年ととり、さらに続けようとしています。
 また、仮に切り替わったとしても、経験的に言えば、〈授業がしっかり指導でき〉る学校に容易に転換できるとは思えません。
 このことは乱様がいちばんご存知のはずです。
 さらにいえば、教育改革関係の諸答申に、学校の中核であるべき「授業論」が含まれていないことからもわかります。(ちょっと横道に逸れますが、わたしは、「授業改善論」を中核にしていない学校教育改革論は認めません。)
 また、子どもの部活動に熱心な親の問題をどうするか?
 熱心な親のエネルギー(←大きく分けて2種類のエネルギーがあるが……)をどういう方向に向けて、どう活躍していただくか?
 いつも申しますように、親の力は大きいと思います。
 真の教育改革は、PTAから……です。

 これらを踏まえて、理念実現に向けて、現実的なストラテジーを提示しつつ、一歩一歩(←当然、この一歩と一歩はつながっていなければいけない)改善し、乱様のいう新〈システム〉を構築していく必要があります。
 ①一歩 ②一歩 ③一歩……、あたりまえのことをいうようですが、③段目の一歩に飛びつかず、それを見据えつつ、①段目の一歩を大切にしたいと思います。(今度のシンポジウムは、そういう一歩を提示する場にしたいと考えます。
 今の日本は、まだこういうレベルです

 今、世間や教育界には、〈これまでの学校部活動の取り組みに対する敬意ある評価をしつつ、日本社会独自のスポーツクラブ観を形成し、「人生を豊かに送っていくためのスポーツ環境」を創出するのための、今、産みの苦しみ〉なのだと言う人がいます。
 〈日本社会独自のスポーツクラブ〉や〈今、産みの苦しみ〉は、同感ですが、〈敬意ある評価〉という発想は、きわめて不遜で、危険で、不用意だと思います。

 で、ここからが、いよいよ、シンポジウムにおける乱様の〈現状と課題〉と〈今後の具体策と他領域への要望〉となります。
 これまで述べたことは、乱様にとっては当たり前のことだと思いますが、わざわざ書いたのは、わたしとどこが同じでどこが違うのかを明確にした上で、次に進みたいと考えたからです。


 頭が疲れて、構成力が極端に劣化していますので、アトランダムに箇条書きにさせてもらいます。

(1)2/17 午後1時にコーディネーター役の全子連会長がおいでになります。
 そこで、岩○氏と乱氏の主張の骨子を照合し、組み合わせ、おおよそのストーリーを作成します。
 そこで、お願いですが、乱様の〈現状と課題〉を5、6点、〈今後の具体策と他領域への要望〉を5、6点、日曜日の夕刻までにご提示ください。
 場所は、貴HPのBBSがよいかと思います。

(2)今もも述べましたように、高い理念を見据えつつ、そこに向けて、ほんの1歩でも、たった1つでもいいから、会場の方々が「よし、やろう、これならできる」という現実的方向と方策を共有するシンポジウムしたいと思います。
 ですから、乱様も現実主義者を演ずる覚悟が必要かもしれませんね(*^_^*)。

(3)教育委員会内でも部活動の今後の改善策の在り方について、ひとつ方向を共有しているわけではありません。
 ま、徐々に近づきつつあるものの、それぞれ、やはり理念の持ち方のレベルが異なります。

(4わたしは常に、自分の根底に据えている「部活やりてェ教員=諸悪の根源」説や「土日の部活動を担う体制崩壊間近」説を前面に出して失敗しています。
 乱様には、なにとぞ、なにとぞ、くれぐれもくれぐれもブレーキをかけ、何度でも何度でも(これまでの学校部活動に対する)「敬意ある評価」から入っていただきたいと存じます。
 この点、くれぐれも、よろしく、よろしくお願いします。(しかし、「特殊業務手当を増額」のたぐいは、絶対に譲らないでください。これだけはアキマセン。道を誤ります。)

⑤ブレーキブレーキとはいいながらも、しかし、しかし、「教育課程で勝負」するプロ教師魂、「〈授業で生き生きさせる、授業で非行もいじめも不登校もクリアーする〉教員の本務遂行の努力」という点は、K氏やフロアの人を「目からウロコ」状態に陥れてほしいと思います。
 テクニックがいるのだと思います。
 わたしにはできません。
 乱様のテクニックに期待します。日本の子どもとセンセを助けてください。(←めちゃくちゃな期待でんなァ)

⑥しかし、この点では、コーディネーターの全子連会長が、乱様と同じ立場ですから、呼び水的、誘い水的な問いかけをしてくる可能性があります。

 2/20の前に、どうしても仕上げなければならない仕事があり、今夜も、ボロボロになりながら人生の激流を遡上する鮭のような気持ちで、バックが閉まらないくらいの書類を背負って帰ってきましたヾ(●ε●)ノ”ぶーぶー。
 重苦しく、ヘビーな圧迫感を伴う、憂鬱な、憂鬱な土・日になりそうです。
 なんか、大事なことを、忘れているような気もしますけど……、ま、今のところ、これで。
 思いだしたら、またメールします。

◆2003年某日のデータを……
 ①この引用が某日の記述のすべてではないのだがら、ま、結構なパワーだなぁ~
 ②このあと、乱様から、膨大な量の「〈現状と課題〉5、6点、ならびに〈今後の具体策と他領域への要望〉5、6点」が提示され、またそれについて縷々延々と記述しあうわけだから、ま、結構な執念だなぁ~と思いながらコピーした。

 とにかく、教育委員会勤務とみなみ勤務を接続する重要なデータ「2003ディスプレイ原稿」が見つかって、ほんとうにうれしい。


〈現在〉一人称限定視点で、〈過去〉の事象を、意図的に、選択、もしくは序列化する世界

2009-06-22 11:50:56 | Weblog

★根城城趾の道


◆これからの記述の方針として、一応「〈現在〉のわたしが、作中場面のシチュエーションと整合性をとりながら、〈過去〉の時間軸上を疾駆していく」ということになった。

 「作中場面のシチュエーションと整合性をとりながら」というのは、みなみ退場後、現在、蟄居状態にあるわたしが、生涯学習課の職員であったり、○○中学校の国語教師であったりすることはできない……という意味である。
 だから、「整合性をとりながら、過去の時間軸上を疾駆する」というのは、〈現在〉一人称限定視点で、〈過去〉の事象を、意図的に、選択、もしくは序列化することである。
 当面は、この存在のカタチのまま、ゆるやかに未来に向かうことにする。
 ただし、まちがっても〈未来〉に価値は見いださないこと。

 まだまだ現在の存在のカタチをうまく書き表せていないと思うし、また、このカタチそのものも、あとから、もっともっと、いいカタチに気づくことがあるかもしれないが、とりあえず、これでやっていこうと思っている。
 〈過去〉を主役にすることはあきらめるが、ラッキョウの皮を捨てつづけるという大失敗からは免れることができるはずだ。


◆〈過去〉の時間軸上を疾駆するといっても、デジタルデータだけでも27年分ある。
 だから、とりあえず……ということで、きのう、きょうは、まず、2001/1月から「疾駆」しはじめたのだが、奇妙な?データの脱落を発見した。

 2003/4月~2004/3月の1年分が、完全に抜け落ちているのだ。(このうち、2004/1月~3月は、ブログにアップした分が少し残っているので、この3ヵ月分はなんとかカバーできるが……)

 CD。
 USB。
 MO。
 手あたりしだいにチェックしたが、見つからない。

 最初は、元々、元データそのものがなかったのかもしれないとも考えたが、記憶の層に徐々に侵入するにつれて……。

 ①「ホームページのカタチが自分の存在のカタチだ」とまで言い切るわたしのことだから、WEB上にアップしていないということはありえない。
 ②そうだ、アップしていたのだ。
 ちょっとオシャレな有料DIARYにアップしていた。
 しかし、それは、お金を払わなかので消滅。
 次に秘密屋の無料DIARYにアップしていたが、これも秘密屋のトラブルで消滅。
 ま、後者の消滅は、秘密屋の管理人・濱原氏から何度もバックアップを取っておかないと危ないですよと言われていたのに、それを無視したわたしの自己責任。
 ③ということは、まちがいなく、元データはあるはずだ。
 ④ぼんやりと、ぼんやりと、2003/4月からは、2003/3月までとは違う形式でデータを残していたことが思い出されてくる。
 ⑤そうだ、記述の仕方を、横書きから縦書きに改めたのだ。
 文字の大きさも、10.5ポイントから12ポイントに変更したはずだ。(この12ポイントが、現在もつづいている。)
 書式が変わったから、つづけて記述することができずに、新しいファイルを用意しなければいけなくなったのだ。
 ⑥おぼろげに、おぼろげに、縦書きのディスプレイに浮かんでくる。
 ⑦2003/6月に野村胡堂記念館を訪れ、銭形平次888回のTV放映という記事をアップしている。


◆記憶の遡上は、現時点では、ここまでだ。
 2001~2003/3月までを高速疾駆し、ほとんど、おもしろくない瓦礫の連続だったから、2003/4月~2004/3月も、どうということはないだろうと思うが、やはり気になる。

 この期間は、当時、勤務していた市教委に大きな組織変更があり、社会教育課と指導課の青少年班が合体した年だ。
 スタッフが2倍になり、わたしの仕事も2倍になり、喜びも苦しみも2倍になっただろう年に、わたしがどういう記述を残しているのかは、やはり2倍くらい気になる。

 過去のデータには執着するほうだから、うっかり消去……ということはありえない。
 きっとどこからか出てくるだろう。
 たとえば、未使用と思っているMOに入っているとか、あるいは、一時登録ということで、他のファイルのしっぽにくっついているとか……。
 どういうカタチで現れるのか、その現れ方が楽しみだ。


〈小高進のWEB無人駅線〉の〈無人駅ノート〉に、おなじみの乱氏からカキコミがあった。

〈カキコミ〉
 最近、深夜の街を徘徊しています。
 暗闇の中をひたすら歩いています。
 昨夜も、午前0時過ぎに***近くの一家心中現場に引き寄せられるように。
 その後の夢がすごい。

 1回目の夢は、なぜか小学校の先生になっていて、指導教官が向山洋一氏。
 裸電球の下で、汗まみれになって教えてもらう夢でした。
 2回目は、小学校で研究授業をやっていました。
 暑いので窓を開けると、ガラガラと嫌な音が鳴りました。
 3回目も、授業をやってる夢で、今度は中学校でした。
 教室の窓からは、ゴミを浮かべた川が見えました。
 4回目は、同僚との会話。
 「教材研究のため山田県の霞ヶ関に行こう」
 「山田県ってあったっけ?」
 「とにかく行こう! 行くしかないじゃないか」
 「そうだ! 行くしかない」

 こんなにはっきり覚えている夢も珍しい。
 そろそろ時期ですから、招魂社の霊が取り憑いたでしょうか?(〈カキコミ〉以上)

 前の夢が次の夢への「踏み台」となって、徐々にジャンプのパワーがアップし、「山田県」のところで、超日常的次元に飛び出していく。
 乱氏のカキコミを読みながら、わたしも、乱氏の夢に引きづりこまれた。
 目の片隅に、一瞬、日常とは別次元の、半覚半睡の状態に陥っている、もう一人の自分を感じてしまった。
 ひとつひとつのエピソードが夢における思考であると同時に、「踏み台」が乱氏のもうひとつの思考で、その飛び出したところが、思考の到達点ということができるのではないか?
 こんなことを考えていると、ハッと、〈小高進のWEB無人駅線〉の風景が浮かびあがった。
 〈小高進のWEB無人駅線〉も、乱氏の夢のように、どこまでもつづく闇を思考して、闇の果てまで走りつづけ、究極には、わたしの表ページである「600字の教育学」における「〈現在〉一人称限定視点で、〈過去〉の事象を、意図的に、選択、もしくは序列化する世界」を飛び出していければいいのではないか?


『1Q84』と『雨月物語』との共振

2009-06-19 14:27:58 | Weblog


◆前々回、「〈過去〉だけが主役なのだ。だから、〈現在〉や〈未来〉は、主役より目立とうとしてはいけない……」と述べた。
 しかし、〈過去〉を主役にする記述方法となると、その具体的な手法の追究は、わたしには、ちょっと手に負えない、むずかしい問題だ。
 ブレスト的に、いくつかの案を列挙してみると……。

(1)作中場面(現在)と回想場面(過去)の関係
 ①作中場面→回想場面→作中場面
 ②回想場面→作中場面
 どちらの組み合わせにしても、あるいは、量的に回想場面をふくらませるにしても、作中場面が〈現在〉である限り、回想場面も作中場面も中心人物は「わたし」なのだから、〈過去〉は主役にはなれない。

(2)時間軸(垂直)と空間軸(水平)の関係
 ①マンションを出ると、強い風が吹いている→②すぐ右に曲がると、通天閣が見える→③食堂・中将のカウンターの左端に座る……というふうに、通常、空間軸上を抵抗なく移動することができる。
 この時間軸と空間軸をひっくり返して、時間軸上を自由に移動すれば、どうなのだろうか?
 理屈の上では可能だ。
 だが、実際にはエピソードの砕片が散らばるだけのことだ。

(3)散らばった砕片を、つなぎあわせてストーリーをもたせることはできる。
 しかし、ストーリーをもたせるのは、現在の〈わたし〉にほかならないのだから、結局、〈現在〉が主役になってしまう。
 要するに、時間軸上を自由に行き来するということは、時間軸は〈現在〉に固定されてしまうということだ。

(4)〈回想場面〉に沈潜しきる……もちろん、これは可能だ。
 たとえば、2001年に沈潜し、『2001物語』を書くことであって、これが、いってみれば、「過去を生き直す」ということだ。
 しかし、今、これをやるつもりはない。
 口で「過去が主役」といいながら、今、わたしは〈現在〉を離れることができない。

(5)……とすれば、〈現在のわたし〉が、作中場面〈現在〉のシチュエーションと整合性をとりながら、時間軸上を疾駆していく(3)以外に方法はないのかもしれない。
 〈過去〉を主役にすることはできないが、少なくとも、ラッキョウの皮を捨てつづけるという失敗からは免れることができそうだ。

 ゴチャゴチャしただけで、もっともっと〈過去〉を大切にする方向がみえてこない。


◆こういうことで苦しんでいたら、きょうの読売に次のような記述を見つけた。

 東京大の長島弘明教授は『雨月物語』の大きな主題は『執着と分身』。
 約束、お金、復習……。
 何かに異様に執着する人物が現れたり、対照的な性格の夫婦が登場する『浅茅が宿』のように、人物が対で描かれ、相手の姿を通し自分が見知らぬ分身に出会うよう解釈できる話が多い」と話す。
 村上春樹の新作『1Q84』で、男の主人公、天吾は小説執筆にこだわる。
 女の主人公、青豆は彼の分身的存在とも読める。
 春樹文学は、現実と霊界を行き来しながら、執着と分裂の問題を抱えた男女を見据える『雨月物語』と、共振するものが大きい。
 〈窓の紙松風を啜りて夜もすがらに涼しきに、途の長手に労れ熟く寝たり。五更の天明ゆく比……面にひやひやと物のこぼるるを、雨や漏ぬるかと見れば、屋根は風にまくられてあれば有明月のしらみて残りたるも見ゆ〉
 「浅茅が宿」で、久々に妻と一晩を過ごした夫が、明け方、彼女は亡霊で、我が家は廃屋だったと気づく場面の文章だ。
 漢文を読み下すような歯切れのいい調子が、いつの間にかよどみのある和文調に変わり、不穏な空気を醸す。
 現在味わっても、技法は卓抜している。

 わたしが着目しているキーワードは、〈現実と霊界を行き来……〉〈執着と分裂の問題〉〈漢文を読み下すような歯切れのいい調子が、いつの間にかよどみのある和文調に変わり、不穏な空気を醸す……技法〉。


◆日暮れて道通し。

 昼食に天ぷらうどん(250円)を食べたのだが、ひどい胸焼け●~* チチチ 。
 天ぷらのせいだ。
 天ぷらがすぐ崩れて溶解するのも困るが、きょうの天ぷらは固すぎて、最後まで変形しなかった。

 午後から、自分の弱点である家庭教育に関する文献を集める。
 ①家庭の教育力の充実等のための社会教育行政の体制整備について(報告・生涯学習審議会)
 ②幼児教育の振興に関する調査研究協力者会合(第7回)議事要旨。
 ③少子化と教育について(報告)の要旨。
 ④幼児期からの心の教育に関する小委員会(第3回)議事録。

◆きょうの画像は、特に意味はない。
 S3ばかり使って、ほとんど使うことのなかったR5で、室内をパチリとやったら、意外とよく撮れるので、これからももう少し使ってみようと思っている。


今、企画列車・さんりく号が有家を発車しました。ぜひ、〈小高進のWEB無人駅線〉をご覧いただきたい

2009-06-18 09:32:53 | Weblog


◆前回、しばらく放置状態になっていた〈小高進のWEB無人駅線〉の工事を再開したが、閲覧者がどんな文字の大きさを選択しても画面が崩れないように配慮したため、妙な「白スペース」が残ってしまった……と書いた。
 そのあと、「白スペース」を透明にしてみて、背後の壁紙の模様が顔を出すという、あたりまえのことに気づいたところで……ああ、白スペースだけでなく、メイン画像(←そのときは階上駅画像)のスペースも透明にして、背景全体をメイン画像にすればいい……ということに気づいた。

 現在の背景は、三陸鉄道20周年記念の企画列車「さんりく号」が有家駅を発車した直後の画像になっている。

 ご覧になっているディスプレイの解像度によって見え方はそれぞれ異なる(解像度の大きい画面ほど、本HPが左寄せで作成しているため、右側の空間がひろがる……)と思うが、これまでにくらべて、より直接的に〈WEB無人駅線〉の世界に入り込むことができるのではないかと思っている。

 ぜひ、 〈小高進のWEB無人駅線〉をご覧いただきたい。
 また、ご感想は、〈WEB無人駅線〉内の「無人駅ノート」に、よろしく。


TVをほとんどみないわたしが、例外的に「これはおもしろい」と思うCMがある

2009-06-16 14:49:11 | Weblog


◆わたしはTVは、ごくごく限られた報道番組しかみない。(田母神俊雄前航空幕僚長更迭問題以来、ま、もともとNHKにはアレッと思うことが多かったのだけれど、遂にNHKの報道番組もみなくなった。)
 くわえて、前回も書いたように典型的な「もうイラナイ族」だから、CMも興味がない。
 そんなわたしが、例外的に「これはおもしろい」と思うCMがある。
 高橋酒造株式会社・米焼酎「白」のCM=「探偵劇」編&「時代劇」編だ。
 何度もみているのに、いつも最後の「カット、カット、だから、主役より目立とうとするなよ」という監督のセリフまでみてしまう。
 なにがそんなにおもしろいのか?

(1)まず、監督に叱られる脇役のやることが、わたしに似ていて、CM画像をみていると、傍から自分自身をみているようで、おかしくて、おかしくて、哀しくて、哀しくて、笑ってしまうのだ。

(2)次に、わたしほどではないが、昔は、同僚に、この監督に叱られるような人が、いっぱいいた。
 その同僚たちとの日々の、侃々諤々、いや、喧々囂々の議論がなつかしくて、おかしくて、また哀しくて、笑ってしまうのだ。


 ま、ふりかえってみれば、わたしは、ここ10数年、CMで監督に「目立とうとするなよ」と叱られるタイプの人が減ってきた、いや、皆無に近い状態になってきたことに、たえずイライラ、カリカリしつづけ、かつ危機感を募らせていた……といっていい。

 みなみ在職中、主任会で「バカ者同士が、仲良くしあっている教職員集団をつくらないようにしよう」「賢い者同士が、牽制し合っている教職員集団をつくらないようにしよう」といいつづけたのも、きっと「カリカリ」とか「募る危機感」とかに根があるのだろう。

 このことは、あとから、もう少し考えてみたい。

◆米焼酎「白」のCM=「探偵劇」編&「時代劇」編の関連で、もう1つ。
 わたしの精神のなかに存在する「過去」と「現在」と「未来」について。
 わたしの中では、常に「未来」あるいは「現在」が主役で、「過去」が脇役だった。
 ラッキョの皮をむき終わったとき、わたしのてのひらにはたぶんなにも残らないのでは?という予感におびえながらも、気がついたら、結局、いつも「未来」をめざし、ラッキョの皮をむきつづけ……捨てつづけている……、そういうところが、わたしにある。
 要するに、常に「過去」に向かって、「主役(=未来&現在)より目立とうとするなよ」と抑えこんでいるのだ。

 今の思いを列挙する。

(1)捨てられつづけているラッキョの皮「=過去」こそ主役なのだ。
 わたしは、今、「未来」と「現在」に向かって、「だから、主役(=過去)より目立とうとするなよ」といいつづけなくてはいけない。

(2)「過去」と向きあう時間を確実に確保する決断と勇気をもつこと(=「未来」&「現在」を放棄する決断と勇気)と、それにとどまらず、「過去」を生き直す技術を身につけること。
 つまるところ、わたしの万年不振は、この「技術」を有していないことが原因。(いい仕事をしている人は、過去を生き直す技術を持っている。例=沢木耕太郎)


◆しばらく放置状態になっていた〈小高進のWEB無人駅線〉の工事を再開した。
 工事内容
(1)トップページを改良する(-ω- ?)。
 改良する際、前にも触れたが、志塚Tのように常に文字を「大」に設定する人がある、あるいは「最大」という人もあるかもしれない……ので、どういう設定をされても、画面が崩れないように工夫した。
 ただし、その関係で、まだ処理できていないスペースもあり、(白スペースのままで、工事担当者が旗を振っている箇所等がそうだ……)、今後、脳みそをしぼり、工夫していきたい。

 ぜひぜひ、〈小高進のWEB無人駅線〉をご覧いただきたい。

(2)前にお知らせしていたように、今回、「他の無人駅」ページから「階上駅」を独立させた。
 まだ、先日、訪問したとき撮った画像をベタベタと張ってあるだけだ。
 旅の記事はむずかしい。
 旅哲学はいらない。
 人生論もいらない。
 グダグダとした地域の説明もいならい。
 では、なにもいらないのか?
 画像だけ、ベタベタて張っていればいいのか?
 旅哲学グダグダよりはいいだろうが、しかし、ただ画像ベタベタでは、なにか物足りない。
 この点は、今後、飛躍的なひらめきを待ちつつ、工夫してみたい。